KENの日記
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2003年07月11日(金) 弦交換

帰国したときに買って来たCELLOの弦を交換しました。最初に少し変だなと思っていた「GとC」の弦を交換したのですが、あまりに音の出方が違うので、それほど気になっていなかった「AとD」の弦も変えました。こちらも音の立ち上がりが全く違って、なんで今まで苦労していたのだろうと思いました。


それと弦交換の後なんとチューニングが簡単なことか。古い弦だと色々な倍音が入っていたり、音程が安定しないのでチューニングが難しかったのだと思います。しっかりした音がでるようになりました。弦は、恵比寿の「ゴーシュ弦楽器」で買ってきました。ここは現金で買うと3割引になります。実は私の楽器はここの店で買ったのでした。


AとDが「Jargar」のMedium、GとCが「Spirocore」です。一番標準的な組み合わせだと思います。4本で12,320円のところを、8630円で買いました。弦の取り替え方も前にここで習ったので上手になりました。弦一式帰ると結構な金ですが、交換の効果・満足度は非常に高いです。


残った課題は「弓の毛」です。これまで、仙台で一回(仙台楽器様には大変お世話になりました)、スリランカに来る前に「ゴーシュ弦楽器」で一回変えています。すでに一年半以上経過しています。でもどこで変えるかが問題です。



2003年07月10日(木) 銀行の問題

スリランカの庶民が使う銀行として、バンクオブセイロン、ピープルズバンクの二つがあります。この二つは利用者の利便を考えてものすごく沢山の支店を持っていますが、残念ながら情報システムが不備で支店がオンラインで繋がってないのです。


この二つの銀行に我社の電話料金が支払われると、お役様の支払情報を得るまで時間がかかるので、お客様サービス上で不都合が生じます。この問題を改善するために二つの銀行を訪問して折衝しました。今の日本ではあまりに便利で忘れてしまいましたが、昔直面していた困難がそのまま存在するのです。先進国の便利さを知ってしまうと非常に戸惑います。


具体的に言うと、他と接続できるコンピュータシステムが限られた組織にしかないのです。そうすると、全国の支店の自支店管轄以外の収納情報はすべて本店に書類が送られて、本店でコンピュータに登録されます。この作業のために、膨大な書類が支店から本店に集められます。送付に時間がかかります。投入に時間がかかります。ミスが生じます。


こうしたシステムは大量の「人」を要するので雇用は確保されます。近代的設備への投資の問題、雇用削減の問題、能率向上の問題。いろいろ絡み合っています。そんな中でも資金効率を改善しなければなりません。この国の現実に即した努力が必要になります。「日本ではこうしている」と言っても何の約にも立たないのです。



2003年07月09日(水) 未来から来た人に違いない。

日本に帰っていたときすごい話に出会いました。それは6月29日に行われた「宝塚記念競馬」で単賞で二億円を手にした人がいたということ。


新聞では以下のように推測していました。先ず、ダービーに500,000円を元手に、単式一着「2.6倍」を当てて1,300,000円をゲット。


続いて安田記念で1,300,000円を全額、単式一着「9.4倍」を当てて、12,220,000円を獲得。


さらに12,220,000円を宝塚記念で全額投資。単式一着「16.3倍」をあてて、なんと199,186,000円を獲得。


もしこれが本当だとすると「未来から来た人」に違いないです。この金をポンと寄付したらすごいですね。



2003年07月08日(火) バンダラナイケ国際空港

昨日(7日)の夜10時40分にシンガポールを立って、8日(0時30分頃)スリランカのバンダラナイケ国際空港に着きました。バンダラナイケ国際空港は日本の企業が参加して大幅な拡張工事中で、この工事が終了すると大分便利になります。


この空港は最近大分サービスが良くなったと思います。入国手続きは、すべてのカウンターが開いて待ち時間を最小にしようとしています。この入国手続きが済むと、預けた荷物がすでに着いていてすぐ関税チェックが出来ます。このチェックも外国人は簡単なものです。真夜中について一刻も早く休みたい乗客にとってはうれしい努力です。


さらに入国手続きカウンターのすぐ後ろに、帰国者・入国者用の免税店があり、ここで土産を買い足すことが出来ます。ここは結構利用されています。日本の成田は帰国者・入国者には非常に冷たい感じがします。もっとも出発ロビーの免税店も非常に貧弱ですが・・・。


空港から宿舎までの道は真夜中で空いているので約30分で到着しまた。出勤のため7時には起きなければならないので約5時間ねむりました。シンガポールからコロンボまでは時差を入れると実質4時間の飛行です。アテンダントの方には「一切かまってくれるな」と伝えて眠ってくるのでそれほど睡眠不足にはなりません。



2003年07月07日(月) スリランカへ

一週間の日本での休暇を終えて、今日スリランカに向かっています。日暮里から朝9時25分の京成スカイラナーで成田に向かいました。成田空港に10時20分について、12時ちょうどのシンガポール航空機でシンガポールに行き、そこでコロンボ行きに乗り換えます。


シンガポール航空を使うので成田空港第一ターミナルです。この第一ターミナルは海外キャリアが使っているので、空港サービスが今一歩みたいです。空港第二の方は「JAL」とか「ANA」が使っており日本人利用客が多いので、サービスはいいようです。具体的に云うと、出国手続きに手間がかかるのです。窓口が多いのに係員が4人しかいないので長い列ができていました。


一本後のスカイライナー(11時成田着)も考えたのですが、早い列車を利用して正解でした。というのも、チケットカウンタのところで荷物検査があり、日本酒5合ビンが大丈夫かどうかトランクを開けて見せることになりました。さらに出国手続きのところの長い列です。エールフランスを使ってフランスに行く日本人団体客がズラっと並んでいました。こういうところで「ヤキモキ」するのは精神的に良くないのです。余裕を持っていくのが一番です。


12時発のシンガポール航空便はジャンボ機だったのですが、SARSで客が減って一回り小さい飛行機が飛んでいます。ほぼ満席状態です。7月下旬からジャンボに戻すそうです。今、乗り換えのためにシンガポールのチャンギ空港にいます。LANケーブルを持ってきたので簡単に空港内で高速インタネット網につながります。これは非常に便利です。チャンギ空港では各航空会社ラウンジの他にも、通路にインタネットカフェみたいな場所があり、自分のコンピュータを接続できます。


日本に帰るときに寄ったバンコクの空港もシンガポールのチャンギも「SARS」不況からの脱却で必死です。もともとサービスがいいのに、一斉に割り引きセールをやったり、必死にサービス向上を目指しているので「がんばってるな」という感じが伝わってきます。それに比べると「成田」は殆どそういう努力をしていないみたいです。



2003年07月06日(日) 49日

今日は朝10時から「叔父の49日」。午後から「義妹の49日」でした。両家のお寺さんが同一なのでこういう段取りになりました。ほんとうに信じられないような偶然です。


この「叔父」には小さい頃にかわいがってもらったので49日に参列できてなんとか恩返しができたと思います。叔父は第二次大戦の最後の方で海軍に行き「特攻」の訓練を受けていたのです。戦争がもう少し続いていたら実際の攻撃に出ていたはずです。そんな経験からか飄々とした風貌でした。


「義妹」は享年38歳でした。昨年12月の義父の葬儀の時に会ったのが最後でした。小学校4年生と1年生の子供がいました。今年の4月に「めまい」がするといって検査したところ、すでに「卵大」になった悪性の脳腫瘍が見つかったのです。検査の後二回の手術を受けたのですが助かりませんでした。「義弟」「義妹」の両親・姉妹にとっては簡単に受け入れられることではありませんでした。49日法要を迎えてようやく少し癒されてきた見たいです。


「義妹」の場合は手術をしなければもう少し生きられたかも知れません。このあたりが親・兄弟の納得できないところなのです。「義妹」の死はあまりにも突然だったのです。「義姉」は最後まで「死」が近いことを知らなかったと思います。逆に「本人」も両親・兄弟が近い将来の「死」を知ることができたら
どうであったか・・・。これはさらに悲しかったかもしれません。



2003年07月05日(土) 須坂に帰郷

今回の帰国のメインイベントであるダブル49日法要に出席するため、妻と一緒に故郷長野県須坂市に行きました。午前8時にさいたま市の我が家を車で出発して、国道17号・16号を通って川越から関越道に入り、須坂市には11時過ぎにつきました。


長野に行くためには群馬県藤岡から長野道に入るのです。この長野道はゆっくりですが整備が進んでします。長野オリンピックに間に合わせるようにフル企画の長野新幹線と、ところどころ片道一斜線の長野道が開通して随分経ちました。長野道は軽井沢の峠を抜けるために9つのトンネルを通過しなければなりませんが、その中の殆どがまだ一斜線の対面交通トンネルです。既存のトンネルの横に新しいトンネルを掘ってフル企画の高速道路にしようとしていますが、まだ時間がかかりそうです。でも観光シーズン出なければそこそこのスピードで通過できます。


故郷の須坂に着いたのが昼少し前だったので、子供の頃から親しんでいるセッコウ亭のラーメンを食べました。ここは濃厚なスープと細めんの組あわせが上手で昔から定評があります。やはり美味しかったです。昼飯の後に実家の母のところに行きました。明日の二つの49日法要に出る予定ですが、ひとつは母の弟つまり私の叔父の49日です。母は自分より年下の弟が亡くなったのでショックが大きいようです。


午後、昨年暮れになくなった義父(妻の父)の墓参りに行きました。妻と妻の弟とで義父の墓を作りこの春の連休に納骨したのですが、その最中に弟のお嫁さん(義妹)の脳腫瘍が見つかり、手術の甲斐なく亡くなってしまったのでした。信じられないような日々でした。



2003年07月02日(水) CD購入

午前中から新宿のタワーレコードに出かけ、2時間ほどゆっくりCDを眺めてきました。特に目当てのCDはなかったのですが4セット買いました。気になったけれど買わなかったものもあります。

(購入一覧)
モーツアルト弦楽四重奏曲14番〜23番、ズスケ四重奏団。
エルガーチェロ協奏曲、ロココ変奏曲など、イッサーリス。
モーツアルトピアノ協奏曲20、23、24、26、27番、カーゾン。伴奏はブリテン、ケルテス指揮のロンドン交響楽団。
モーツアルト33曲のアリア、カナワ、スミ・ジョーなど。


(気になったけど買わなかったCD)
ハイフェッツ、チャイコフスキーバイオリン協奏曲(視聴版で聞いたけどすばらしい音質です。だけど高い)
ケーゲル、ベートーベン「田園」(興味深いけどちょっと不気味なのでやめました。やはり田園は健康で明るい演奏がいいです。クレンペラーとバルビローリの録音も出ていました。ちょっと遅すぎるので買いませんでした)
スベトラノフ、ラフマニノフ交響曲第二番(欲しけど、プレビン版を聞いてからにしようと思いました。)


その後ひとりで昼飯を済ませ、目黒での合唱練習を済ませた妻と新宿で合流して南口の東急ハンズで買物。「東急ハンズ」とか「ユザワヤ」のような店は日本にしかないでしょう。日本人の「こだわり」を代表しているような店です。私は、機械油と温度計を購入。スリランカでは暑い暑いといっているのですが、実際気温が何度あるのか知りたかったのです。


昼飯は新宿「中村屋」。これまでのパターンだと中村屋特製の「インドカレー」を食べるところなのですが、さすがにスリランカから帰って来て日本でカレーを食べる気にはなりませんでした。そこでデミグラソースをたっぷりかけた「オムライス」を食べました。でも二階でPHSが通じないことから妻からの連絡が気になってゆっくり食べることができませんでした。



2003年07月01日(火) 運転免許更新

さいたまの自宅に戻ったら運転免許更新の案内が来ていました。見るとなんと「違反講習」になっているのです。


実は前回の更新が「違反講習」だったのです。四年前ほどスピード違反のために埼玉県中央部の鴻巣の運転免許センターまで行って2時間の講習を受けたのでした。不本意な「違反講習」だったので、その後3年間は無事故・無違反を続けて今回は「普通」の更新をするはずだったのに。その時の講習の講師も「次は普通講習になるように気をつけてください」といっていたのです。


昨年道路交通法が改正されて、なんと過去5年間に違反があった人が「違反講習」を受けることになったのです。これにより、私は3年前に「講習」を受けたのに、再び「講習」を受けることになってしまいました。従って再び鴻巣の運転免許センタに行って来たのです。渋滞する国道17号線をのろのろ行かねばならず一日作業になってしまいました。


なにより頭にくるのは、再び「違反者」扱いをされたことです。これは本当に不本意でした。行政はこういう感情をもう少し考えて欲しいと思いました。あまりにも頭に来たので交通安全協会に入りませんでした。交通安全協会会費3年間分「900円」。普通講習と違反講習の講習料の差額は「1000円」。この差額だけでも埋めようと思いました。


まあ、新道路交通法のポイントの知識が増えたし、交通安全のための心構えもできたので「損」はないだろうと自分を納得させました。スリランカに帰ってから安全運転をしようと思います。



2003年06月29日(日) 一時帰国

この5月に亡くなった二人の親戚の49日の法要が7月6日に再び同じ日に行わり、これに参列するために帰国しました。29日の日曜日の早朝2時45分コロンボ発のキャセイ航空でバンコクに行き、バンコクでJAL708便に乗り換え成田日曜日の5時ごろ着きました。


途中のバンコクは5年前に妻と観光に来たのですが、空港はすっかり綺麗になっていました。当時は薄暗くて寂しい感じでしたが、近代的な発着デッキを多く持ち、免税店も豊富に揃えた立派な空港に変わっていました。SARSの影響を払拭しようと免税店で割引セールが実施されています。


実際SARSの不安は拭いきれないのですが、空港を利用する人・空港職員でマスクをしている人は見かけませんでした。それだけ気を使っているのでしょう。成田空港の検疫所で体温検査をしている職員の人が大きなマスクをしていたのが印象的です。


バンコク空港の元気さに比べて、成田の印象は良くありませんでした。まずJAL便なのに、滑走路脇に下ろされてバスで到着ロビーに送られました。階段のある長い通路を歩かされるよりはマシかとも思いましたが、設備が不足しているのかしらとも思いました。また、日本人入国審査所には長い行列ができていました。外国人の入国審査はいつもながら長い行列。これは改善して欲しいです。カウンターが沢山あるのに職員がいない。さらに、手荷物受け取りに手間取りました。


ただでさえ東京から遠く不満が多いのですから、細かいところで努力して欲しいものです。なにせ日本の表玄関なのですから。




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