KENの日記
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2003年07月06日(日) 49日

今日は朝10時から「叔父の49日」。午後から「義妹の49日」でした。両家のお寺さんが同一なのでこういう段取りになりました。ほんとうに信じられないような偶然です。


この「叔父」には小さい頃にかわいがってもらったので49日に参列できてなんとか恩返しができたと思います。叔父は第二次大戦の最後の方で海軍に行き「特攻」の訓練を受けていたのです。戦争がもう少し続いていたら実際の攻撃に出ていたはずです。そんな経験からか飄々とした風貌でした。


「義妹」は享年38歳でした。昨年12月の義父の葬儀の時に会ったのが最後でした。小学校4年生と1年生の子供がいました。今年の4月に「めまい」がするといって検査したところ、すでに「卵大」になった悪性の脳腫瘍が見つかったのです。検査の後二回の手術を受けたのですが助かりませんでした。「義弟」「義妹」の両親・姉妹にとっては簡単に受け入れられることではありませんでした。49日法要を迎えてようやく少し癒されてきた見たいです。


「義妹」の場合は手術をしなければもう少し生きられたかも知れません。このあたりが親・兄弟の納得できないところなのです。「義妹」の死はあまりにも突然だったのです。「義姉」は最後まで「死」が近いことを知らなかったと思います。逆に「本人」も両親・兄弟が近い将来の「死」を知ることができたら
どうであったか・・・。これはさらに悲しかったかもしれません。



2003年07月05日(土) 須坂に帰郷

今回の帰国のメインイベントであるダブル49日法要に出席するため、妻と一緒に故郷長野県須坂市に行きました。午前8時にさいたま市の我が家を車で出発して、国道17号・16号を通って川越から関越道に入り、須坂市には11時過ぎにつきました。


長野に行くためには群馬県藤岡から長野道に入るのです。この長野道はゆっくりですが整備が進んでします。長野オリンピックに間に合わせるようにフル企画の長野新幹線と、ところどころ片道一斜線の長野道が開通して随分経ちました。長野道は軽井沢の峠を抜けるために9つのトンネルを通過しなければなりませんが、その中の殆どがまだ一斜線の対面交通トンネルです。既存のトンネルの横に新しいトンネルを掘ってフル企画の高速道路にしようとしていますが、まだ時間がかかりそうです。でも観光シーズン出なければそこそこのスピードで通過できます。


故郷の須坂に着いたのが昼少し前だったので、子供の頃から親しんでいるセッコウ亭のラーメンを食べました。ここは濃厚なスープと細めんの組あわせが上手で昔から定評があります。やはり美味しかったです。昼飯の後に実家の母のところに行きました。明日の二つの49日法要に出る予定ですが、ひとつは母の弟つまり私の叔父の49日です。母は自分より年下の弟が亡くなったのでショックが大きいようです。


午後、昨年暮れになくなった義父(妻の父)の墓参りに行きました。妻と妻の弟とで義父の墓を作りこの春の連休に納骨したのですが、その最中に弟のお嫁さん(義妹)の脳腫瘍が見つかり、手術の甲斐なく亡くなってしまったのでした。信じられないような日々でした。



2003年07月02日(水) CD購入

午前中から新宿のタワーレコードに出かけ、2時間ほどゆっくりCDを眺めてきました。特に目当てのCDはなかったのですが4セット買いました。気になったけれど買わなかったものもあります。

(購入一覧)
モーツアルト弦楽四重奏曲14番〜23番、ズスケ四重奏団。
エルガーチェロ協奏曲、ロココ変奏曲など、イッサーリス。
モーツアルトピアノ協奏曲20、23、24、26、27番、カーゾン。伴奏はブリテン、ケルテス指揮のロンドン交響楽団。
モーツアルト33曲のアリア、カナワ、スミ・ジョーなど。


(気になったけど買わなかったCD)
ハイフェッツ、チャイコフスキーバイオリン協奏曲(視聴版で聞いたけどすばらしい音質です。だけど高い)
ケーゲル、ベートーベン「田園」(興味深いけどちょっと不気味なのでやめました。やはり田園は健康で明るい演奏がいいです。クレンペラーとバルビローリの録音も出ていました。ちょっと遅すぎるので買いませんでした)
スベトラノフ、ラフマニノフ交響曲第二番(欲しけど、プレビン版を聞いてからにしようと思いました。)


その後ひとりで昼飯を済ませ、目黒での合唱練習を済ませた妻と新宿で合流して南口の東急ハンズで買物。「東急ハンズ」とか「ユザワヤ」のような店は日本にしかないでしょう。日本人の「こだわり」を代表しているような店です。私は、機械油と温度計を購入。スリランカでは暑い暑いといっているのですが、実際気温が何度あるのか知りたかったのです。


昼飯は新宿「中村屋」。これまでのパターンだと中村屋特製の「インドカレー」を食べるところなのですが、さすがにスリランカから帰って来て日本でカレーを食べる気にはなりませんでした。そこでデミグラソースをたっぷりかけた「オムライス」を食べました。でも二階でPHSが通じないことから妻からの連絡が気になってゆっくり食べることができませんでした。



2003年07月01日(火) 運転免許更新

さいたまの自宅に戻ったら運転免許更新の案内が来ていました。見るとなんと「違反講習」になっているのです。


実は前回の更新が「違反講習」だったのです。四年前ほどスピード違反のために埼玉県中央部の鴻巣の運転免許センターまで行って2時間の講習を受けたのでした。不本意な「違反講習」だったので、その後3年間は無事故・無違反を続けて今回は「普通」の更新をするはずだったのに。その時の講習の講師も「次は普通講習になるように気をつけてください」といっていたのです。


昨年道路交通法が改正されて、なんと過去5年間に違反があった人が「違反講習」を受けることになったのです。これにより、私は3年前に「講習」を受けたのに、再び「講習」を受けることになってしまいました。従って再び鴻巣の運転免許センタに行って来たのです。渋滞する国道17号線をのろのろ行かねばならず一日作業になってしまいました。


なにより頭にくるのは、再び「違反者」扱いをされたことです。これは本当に不本意でした。行政はこういう感情をもう少し考えて欲しいと思いました。あまりにも頭に来たので交通安全協会に入りませんでした。交通安全協会会費3年間分「900円」。普通講習と違反講習の講習料の差額は「1000円」。この差額だけでも埋めようと思いました。


まあ、新道路交通法のポイントの知識が増えたし、交通安全のための心構えもできたので「損」はないだろうと自分を納得させました。スリランカに帰ってから安全運転をしようと思います。



2003年06月29日(日) 一時帰国

この5月に亡くなった二人の親戚の49日の法要が7月6日に再び同じ日に行わり、これに参列するために帰国しました。29日の日曜日の早朝2時45分コロンボ発のキャセイ航空でバンコクに行き、バンコクでJAL708便に乗り換え成田日曜日の5時ごろ着きました。


途中のバンコクは5年前に妻と観光に来たのですが、空港はすっかり綺麗になっていました。当時は薄暗くて寂しい感じでしたが、近代的な発着デッキを多く持ち、免税店も豊富に揃えた立派な空港に変わっていました。SARSの影響を払拭しようと免税店で割引セールが実施されています。


実際SARSの不安は拭いきれないのですが、空港を利用する人・空港職員でマスクをしている人は見かけませんでした。それだけ気を使っているのでしょう。成田空港の検疫所で体温検査をしている職員の人が大きなマスクをしていたのが印象的です。


バンコク空港の元気さに比べて、成田の印象は良くありませんでした。まずJAL便なのに、滑走路脇に下ろされてバスで到着ロビーに送られました。階段のある長い通路を歩かされるよりはマシかとも思いましたが、設備が不足しているのかしらとも思いました。また、日本人入国審査所には長い行列ができていました。外国人の入国審査はいつもながら長い行列。これは改善して欲しいです。カウンターが沢山あるのに職員がいない。さらに、手荷物受け取りに手間取りました。


ただでさえ東京から遠く不満が多いのですから、細かいところで努力して欲しいものです。なにせ日本の表玄関なのですから。



2003年06月27日(金) 料金回収の仕事

新く私の責任になった料金回収業務ですが非常に難しいです。難しいところは沢山あるのですが、日本とはかけ離れた問題を紹介します。


それは銀行との関係です。スリランカでは国の資本の入った大きな(といっても支店の数がやたら多い)二つの銀行が庶民(一般の住民、中小企業)の銀行として有名です。都市に住む富裕層、中堅・大手のビジネス客は外国資本の銀行とかスマートな民営銀行を使います。こちらの銀行は支店の数が限られていて設備も整っていて近代的です。


問題は二つの庶民銀行。我社(SLT)の電話料金は銀行で支払い可能なのですが、これらの銀行は支店本店間のオンライン設備が整っていないのです。支店に入金があっても、その通知が本店に来ない。本店で支店からの紙での報告を手集計するので、本店から我通信会社へ収納連絡が来るまでお客様が支払ってから10日間くらいかかるのです。


実際、通話停止措置を受けた電話のユーザは、銀行に払ったので直ぐ通話停止解除してくれというのですが、我社ではその入金を確認できない。我社の基本ルールでは、通話停止を受けた客は銀行に払えないことになっているのですが、契約者は知らずに払うし、銀行は知っていても金を受け入れます。(金が入るだけ得ですから)。


銀行サービスは銀行間でものすごい差があるのです。そうした格差がある中で、すべての銀行に対して同じサービスを求めるのは困難です。自然と最悪の状態を前提に仕事をせざるを得ないという面があるのです。



2003年06月25日(水) 49日法要

五月末に親戚の葬式が同じ日に二つあり、それに参列しようと帰国を試みたのですが、搭乗予定の飛行機がキャンセルになり参列できませんでした。7月6日には49日法要がやはり同じ日に行われます。


葬式に参列できなかったので、この49日法要には顔を出そうと今帰国予定を立てています。土曜日の夜(正確には日曜日の朝)のタイ航空便を予約してます。今度は大丈夫だろうと思います。SARSの影響がまだ残っているのか、シンガポール経由便はけっこう込んでいて希望の便が取れませんでした。従って利用するのはバンコク経由のタイ航空便です。


3月に日本に注文して輸送してもらった日本食がほとんど終わってしまったので今回の帰国に際して大量に日本食を買って来ようと思います。一番大切なのは日本酒を持って帰ること。さらにマヨネーズ、ソース、醤油、みりんなどの調味料。インスタント食品(ラーメン、レトルトカレー、など)。それからシャンプーとか歯磨き粉とかの日用品。


これらの品は、帰国早々に調達して、箱詰めして成田に宅配便で送っておくのです。そうすると一仕事終了。ようやく帰国の際の段取りに慣れてきました。その次にチェロの「弦」1セット。そしてCD。今回はこれといって欲しいCDはないのですがショップをチェックしなくてはなりません。



2003年06月23日(月) お得なワイン

コロンボの宿舎となりにあるカーギルススーパーマーケットでお得なワインを購入しました。


オーストラリアの「De Bortoli」という会社の赤ワインです。ホームページは以下のとおり。なんといっても、2リットルの箱入りで、値段はRs1284(1500円くらい)。「Shiraz」のほかに「Chardoney」もあります。「Shiraz」は重くはないのですが、バランスがよく口当たりが軽やかなのです。
http://www.debortoli.com.au/debort/products/casks/2litre_shiraz.pdf


スリランカは非常に暑いのでワインを保存するのは難しいです。フランスワインは高価なこともあって、こちらで売っているのは、オーストラリア、チリ、アメリカ産の普及品がほとんどです。フランス産では「ドメイン名ワイン」どまりです。


そういう環境の中、廉価なワインで気分を出すために、こちらで入手した「ワインデカンタ」が活躍しています。「ペタ」にあるガラス屋さんで買ったフランス製のデカンタ(結構高級品)です。まずこれに入れ替えると高級感が増します。それだけでいい気分。デカンタに入れると不思議とメーカとかグレードはに対する興味が薄れます。


さらに、詳しくはわからないけど、デカンタに入れ替えるとことによって少し「酸化」が進むし、ワインを混ぜることによって、瓶の入り口部分と底部分のワインを混ぜ、ワイン全体を和ませることができるようです。


この2Lのワインを少しづつデカンタに移して冷蔵庫でじっくり冷やし「ちびちび」飲むのは安上がりの一方満足感が高いのです。のこりのワインは密封できるのでそのまま冷蔵庫で冷やしておけます。



2003年06月22日(日) 集中練習

21日・22日の土曜・日曜は、宿舎にこもってみっちり練習しました。こんなに集中して練習するのは随分ひさしぶりです。


というのは学生時代に比べると、就職、結婚、子育て(実際はそんなにやってませんが)で趣味に割く時間が随分減ってしまうことは仕方ないことでした。しかし、海外単身生活はすこし不便だけれど、自分の時間を確保できるのです(親戚筋との付き合いとかマンションの理事会の仕事とかを妻にお願いしているのは申し訳ないけれど)。


自分としては、なにか目標を立てるというよりは、普段の練習を楽しく出来ればいいのではないかと考えて練習してきたのですが、目標を立てて頑張るというのは大切なことだと今回あらためて実感しました。今回は、SOS(シンフォニー オーケストラ スリランカ)の演奏会が目標なのです。やはり恥ずかしいことはできません。


力が入りすぎていたり、音色が悪ければ、長時間の練習などできません。無理のない奏法にならざるを得ないのです。さらに、音色についていうと、しばらく悩んでいたのですが、長いトンネルをようやく通過することができたような気がします。もっともこれがいくつもあるトンネルの中で最初のものなのでしょうが・・・。


でも、日本から遠く離れてスリランカで暮らしていて、土曜・日曜に宿舎の部屋で、一歩も外に出ずに過ごすというのは、我ながら随分変っているのかなとも思います。贅沢というか、もったいないというか。



2003年06月21日(土) 阪神快進撃

今日NHK海外放送で「巨人×阪神」伝統の一戦を後楽園から中継していました。ついつい見てしまいました。結果は阪神の大勝。今年の阪神は優勝しそうですね。


今年の阪神は若手生え抜きと移籍組みがうまくかみ合って、チーム一丸となって戦っています。PLの片岡が移籍したし、兵庫出身の伊良部も加わりました。PL出身の清原は巨人より阪神があっているみたい。


私は平成の時代に入る直前に関西勤務がありました。大阪城の南側の上町大地に立つ関西支社での勤務でした。一家そろって東大阪に引越し、どっぷり河内のムードに浸りました。勤務最後の時期に妻が十二指腸潰瘍で入院したのですが。


当時の職場はまだ「阪神優勝」の余韻を残していました。同僚ほとんどが阪神ファンでした。酒を飲む機会があると決まって「阪神優勝」の昔話でした。バックスクリーン三連発とか、道頓堀での大騒ぎとか。最後は「六甲おろし」の大合唱になります。おかげで私も一応阪神ファンになりました。


関西の生活は非常に懐かしいです。


(追記)日曜日の試合も阪神が快勝。いよいよ本物みたいです。道頓堀を掃除して泳げるようにしておく必要があります。




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