KENの日記
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2003年06月20日(金) シギリヤの美女

ホームページの表紙の写真を「象のルアン」から「シギリヤ美女」に変えました。このシギリヤロックの岩に描かれた「美人像」はスリランカでも最も有名な文化財のひとつです。もちろん世界遺産に登録されてます。


1500年以上前に築かれたシギリヤ宮殿ですが、色彩が鮮やかに残っていることに加えて、その構図、デザインもすばらしいです。さらに、実はこの壁画はとんでもないところに描かれているのです。今、シギリヤロックに関する情報を作成中です。もう少ししたら紹介します。



2003年06月18日(水) 雨季(梅雨?)

コロンボでは雨季に入ったため、最近天候が不順です。夜中に雨になるのですが、強い風も吹くため、雨が窓に吹き付けられます。相当な強風なので、宿舎の室内のドアが風圧で「ドンドンドン」音を立てます。結局夜中に起き出して、ドアの隙間に紙を折って挟みドアを固定し音を止めることになります。30階の部屋なので、風はかなり強いのです。


しかし、風と雨は不思議と朝には収まって、日中はカラッとしたいい天気になります。地中にたっぷり水分を蓄えて、日中に思いきり日光を浴びるので、植物が大きくなるはずです。昨年買った宿舎の「ピンクのブーゲンビリヤ」が始めて沢山のピンク花をつけています。実は先週大きな植木鉢に植え替えた効果も大きいようです。


このブーッゲンビリヤは、花を沢山付けているものを買ったのですが、それらが散った後ほぼ1年以上まともな花をつけませんでした。「業者が特殊な薬で花を咲かせたのだろう」と教えられて腹を立てていたのです。コロンボの街中では、いろいろな色のブーゲンビリヤが見られます。



2003年06月17日(火) 紛争解決

今日は2時間以上を一件の苦情処理に費やしました。ある契約者が我社ともめていて埒があかず、最終的に苦情が私のところに持ちこまれたのです。


会社側曰く「この契約者は電話申し込み書に違うサインを書いている。サインを変えるなんて信用できない。金を払うからといって、電話の通話停止解除は困難」というのです。


一方契約者は「自分は自分のサインを度々変えている。前のサインは、事故に遭ってから違うサインに変えた。いまのパスポートのサインはこれまた新しいサインで通っている」というのです。縁起を担いでいるらしいのです。


実は当事者どうし(片方は我が社員)がどうも商売上の利害関係があるらしく、こじれにこじれてしまっていました。


「サイン」が大切なのはわかるのですが、タミール・シンハラ・英語を必要に応じて使いこなしている社会だし、実際の識字率(書く方)は言われているほど高くないと思われるので、お役所的に物事を進めるのもどうかと思いました。実際、最初のサインはタミール語で、二番目のサインはシンハラ語のようなのです。


結局、契約者に古い「サイン」を再記入してもらって、私も同一人物のサインだと保証することによって、両者になんとか納得してもらいました。


こうした些細な紛争解決にも大きなエネルギー、真摯な対応、そして勘所をついた妥協案の提示が必要です。そして、なにより過去の確執の善悪を判断するのではなく、両者の利益のために現在の紛争を解決することを目的に据えることが大切です。ですが、つい過去の恨みから感情的になりがちです。

20年以上こじれたスリランカの民族紛争の解決は非常に難しいく、優れた知恵が必要だと思います。



2003年06月16日(月) 海外での犯罪

ヨルダンのアンマン空港で爆発事件を起こし、死傷者を出した毎日新聞記者に特赦を与える決定がなされました。日本政府が裏でどのような圧力を加えたかわかりませんが、すっきりしません。


というのも、まず、彼の行動は職業人が外国で働く(行動する)際に最低守らなければ基準を満たしていないからです。むしろ子供の延長みたいな行動だと思います。文化が違い、環境が違う海外では、日本以上に注意を払う必要があると思います。そうした配慮をしてこそ危険を回避できるのです。


そして、日本の政府・企業の対応も気になります。日本や韓国での米軍関係者の犯罪では被害者になってきておりながら、日本人の加害事件では、やはり同じような対応をとるのですね。


単純に云うと、日本で「アメリカ人が日本人に危害を加えた場合」に「日本人が日本人に危害を加えた場合」に適用される日本の罪刑が適用されることに何か違和感があるのかという問題です。ヨルダンで「日本人がヨルダン人に危害を加えた場合」にヨルダンの罪刑適用されるのは基本的には当たり前のことだと思います。


国よって罪刑の考え方、操作の方法等が違うのはわかりますが、外国で働くためには、基本的には現地の制度に従う覚悟が必要だと思います。



2003年06月15日(日) 心配な事件

6月10日に東京でのスリランカ復興支援会議が一応成功裏に終了したのですが、こちらスリランカでは6月14日土曜日夜明け前に、スリランカ北東部「ムライティヴ」の沖合いで、LTTEの小型の不審船を沈没させ乗員が行方不明になっています。


スリランカ海軍は「武器を輸送するための船が制止を聞かなかったので攻撃した」と公表しています。一方LTTE側は「石油を積んで船が公海上から領海に誘導されて沈められた」と反論しています。


いずれにしても、LTTEサイドは停戦下のおいても武器・弾薬の確保に一生懸命であるし政府側はそれを力ずくで阻止しようとやっきなのです。


怖いのはそうした緊張の中の暴発です。手榴弾一発のテロで戦闘再開しかねないのです。政府軍・LTTE軍が仕掛けなくとも、アングラ世界の人達が武器取引の利益欲しさに「きっかけ」を作りかねません。



2003年06月14日(土) 夏の計画

そろそろ夏休みの計画を立てる時期になりました。昨年は妻を招待しました。今年は子供達(長男・長女)を呼ぼうと思っているのですが、彼らは彼らなりに都合があってはっきり決まりません。


そもそも、私のスリランカ生活が二年目に入っていること(11月で二年です)。長男が大学三年で来年は多分忙しいこと。それと長女は高校二年だから来年は無理だろうことを総合すると、スリランカに来るチャンスは今年の夏休み以外にないはず。


と考えるのは親だけで、彼らは青春を謳歌しているのでしょう。そもそも引越し生活の長かった我が家では、同じ土地に三年住んだことはまれなのです。いまの「さいたま市」(前の浦和市)に住み着いて5年で、子供達は初めて落ち着いて生活できているのかも知れません。彼らは見知らぬ土地への憧れはあまりないのかもしれません。武蔵浦和からは池袋・新宿・渋谷へ一本。遊ぶ場所に困りませんからね。それに親より友達付き合いが大事なのはよく理解できます。


「スリランカは暑いし、朝昼晩とカレーだよ」あまりいい話をしていないのも原因かもしれません。しかし、「飛行機代を出してやる、宿は私の宿舎を使える」こんないい話はないと思うのだけど。


(追伸)今日二週間ぶりにレッスンにいったところ、7月末にSOS(シンフォニ−オーケストラスリランカ)の演奏会に出てみないかと先生に誘われました。私の腕前が上達したのか、人手不足なので「猫の手」も借りたいのか。曲目はメインがブラームスのピアノ協奏曲第二番。難しそうです。邪魔にならない程度弾けるようならトライしようかと考えています。夏の計画がひとつ増えました。



2003年06月12日(木) 灰色ペリカン

宿舎の30階の窓から、時々大きな白い鳥がゆっくり旋回しているところを見ることが出来ます。この鳥は灰色ペリカンをいうのだそうです。スリランカ以外では絶滅の危機に瀕しているといこと。


コロンボでは市内中心にあるベイラ湖を中心にこの灰色ペリカンを身近に身近に見ることが出来ます。前にも書きましたが、


気候が良い(暑くて適当に雨が降る)→果実が豊富→鳥が住める。という図式が成り立っているからだと思います。近代化の一方で、こうした自然を守って欲しいと思います。



2003年06月11日(水) スリランカへの援助

9・10日の東京でのスリランカ復興支援会議で決まった援助額は以下の通り。


日本:US$1ビリオン(1200億円)
ADB:US$1ビリオン(アジア開発銀行1200億円)
WB:US$800ミリオン(世界銀行960億円)
EU:US293ミリオン(352億円)
US:US$54ミリオン(65億円)


これを向こう4年で援助するというもの。アジア開銀、世銀への日本の出資割合も考えると日本の援助がいかに突出して大きいかわかります。


スリランカと日本の関係を象徴する金額です。同じ仏教国。かつてインドがヒンドゥー多数に変ってからは、スリランカは仏教の中心地でした。日本からも留学生がやって来たということです。さらに、サンフランシスコ平和会議でのジャヤラルダナスリランカ代表演説で日本分割が回避された・・・。


過去の恩を忘れないことは非常に素晴らしいことで誇りに思いますが、問題はこの援助が有効に機能するのかどうか。「金」だけで解決できる問題ではないと思います。小泉首相も引用した「米百表」の逸話は「援助」の使い方模範で
す。「金」の使い方は十分考えて欲しいものです・


×単金の高い援助国(先進国)企業に開発調査・工事発注が大量になされる。
×援助を傘に着て、先進国型の政治・経済手法を押し付ける。(世銀等)
×援助事業円滑実施とかの名目でスリランカ政治家に金が流れる。
×さらに、スリランカ政治家と組んだ一部実業化が「援助太り」する。
×インフラ整備・物作りに集中し、運用ノウハウが根付かず結局無駄になる。


最初は、病院とか学校復興の緊急人道援助がなされはずなので、それほど心配は無いのですが、これに引き続く本格的な復興・インフラ整備には余程気をつけないと紛争の元になり兼ねないです。



2003年06月10日(火) 旅の準備

前から計画があったのですが、今日半日の休暇をもらってインドの「ビザ」を取ってきました。知り合いの旅行会社の人の話では「本人」が取りに行くのが手間がかからないということなのです。実際、本人がいってもけっこうな手間でした。(ピザハットのピザではないです)


東アジア人の私からすると、スリランカより西側は見知らぬ地域ですが、文化的、民族・地政の観点からすると、10億人を超える人口を抱えるインドはスリランカにとって最も影響力の強い、大きな存在です。従って、スリランカで生活していて「インド」を知らずにいたら、これは本家を知らないようなもの。現に嘗ての私の同僚(日本人)は、「インドはスリランカの親分」だといっていました。ということで、チャンスを見つけて旅行しようと思っているのですが、その前提として日本人でも「ビザ」が必要なのです。


ビザ発給はゴールロードの一等地にあるインドハイコミッション事務所で行われています。いつものことながら朝からビザ申請をする人の長い行列ができていました。私は9時過ぎに行ったのですが、外の長い行列に加えて、中の待合室も満杯状態でした。最初に入り口で書類事前審査。これが長い行列です。少し申し訳なかったのですが「ズル」をして割り込みました。外国人が並んでいると守衛さんが前の方に連れていってくれるのです。


次は事務所の二階に上がって書類審査。窓口が8つあるのに2つしか開いていません。ここは外国人もローカルの人も待遇の違いはなし。時々、偉そうな人が割り込んでくるので困ったものです。ここでの質問は、観光かビジネスかとか一定の質問。これが終了すると地下一階に行って料金支払い。Rs750でした。ここまでで2時間かかりました。そしてビザは午後4時30分にできるから取りに来いとのこと。


4時30分過ぎにハイコミッションオフィスに行ってみると案の定行列でした。でも守衛さんが手招きで呼んでくれたので、また「ズル」をして割り込みました。ビザ発給手続きをみても「スリランカの親分」の貫禄十分です。因みにスリランカは日本人に対してビザ無しの渡航を認めています。インド旅行が楽しみです。


(追記)最近知った情報を書いておきます。アウンサンスーチさんがミャンマー軍事政権に再軟禁されたということ。新聞で知ったのですが、スイーチさん57歳なのですね。テレビの映像では随分若く見えますね。私より10歳年上なのです。



2003年06月09日(月) 東京会議

今日明日(9日、10日)東京で「スリランカ援助国会議」が開催されています。こちらの報道でも大々的に報道されています。和平と引き換えとはいえ、1000億円を超える援助が約束されるとはすごい金額です。しかし一方の当事者「LTTE」は不参加です。


少し気になります。「金」で和平が買えるのか? 「金」で憎しみが癒されるのか?ということです。確かに膨大な援助でスリランカの生活インフラは改善されるでしょう。多くの人が恩恵にあずかるでしょう。それが永続的な和平に繋がるのかしら。


スリランカ政府にはこの「金」を本当に「透明に」使ってほしいです。この金の配分次第で紛争再発も十分あり得るのです。金があればあったで分配方法でもめるのが常です。私には「危険な援助金」としか思えません。自分達で苦しんで捻出した金なら皆十分注意して使うでしょう。


日本を筆頭に援助国は援助金の使い道の監視を強化するでしょう。そのためのコストがかかります。世銀はじめ国際機関を政府の監視を強化します。欧米型の行政を善とする考え方が根底にあって、スリランカ政府の行動に注文をつけるでしょう。これからスリランカは非常に困難な時代を迎えることでしょう。




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