KENの日記
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2003年05月06日(火) ベサック休暇

スリランカでは来週水曜日から三日間祝日です。

14日(水)は「聖なる預言者モハメッド」の誕生日、15日は5月の「満月」。16日は「ベサック満月に続く休日」。

土日を繋げると5連休です。地元ではベサック休暇を家族で楽しみます。外国人は母国に帰省したり、旅行に出たりします。実は私はこのチャンスを利用して旅行しようとおもっていたのでした。

しかし、子会社モビテル社のプロジェクトの関係で忙しくなりそうで、旅行計画は中止にしました。せいぜい仕事を進めようとおもいます。

でもまた疲れがたまりそうなのです。こういう期限を切った仕事が曲者。

まず、「期限」の考え方が違うかもしれない。一般的には「期限」は「それまでに目的が達成される期日」と考えられますが、実はそうではないかもしれない。

(解釈1)目的が達成されるかどうかわからないが、さしあたり自分の役割を果たす目標期日。

(解釈2)目的達成はもちろん自分の責任範囲ではない上、自分の役割も全部必要かどうかわからないから、さしあたり無難な範囲は処理して、様子を見ていよう。その中に自然と期限は過ぎていくものだ。

(解釈3)皆予定通りはかどるとは思っていないのだから、無理するのは損。そこそこ付き合っていよう。

このほかにも色々な考え方があるかもしれない。そういう状況の中で、最終の金支払いを担当する財務の職場は本当に疲れます。



2003年05月03日(土) コロンボ郊外の風景

今日土曜日はレッスンが急遽中止になってしまったので、午後から釣りに出かけました。といってもはじめから魚を釣ろうという気持ちよりは、郊外の海でボケっとしようかという感じです。メードを頼んでいるシータの親友がコロンボ南のワッドゥワに住んでいて遭いに行くということなので、丁度そこが釣ポイントでもあることから、車で一緒に行くことにしました。

今日は「釣り」の話はしません。
シータの親友というのは相当貧しい家庭の人でさらに身体障害者なのです。シータの家も山の中で電気が行ってなくて結構苦しい家庭事情なのですが、彼女が同情するくらいだから大変だろうなと想像していきました。

ワッドゥアはコロンボ南部約20Kmくらいのところにあります。海辺はところどころリゾートホテルが建設されています。彼女の友人の家は浜辺の椰子の林の中にありました。まわりには同じような小さな家(材木と椰子の皮で作られています)が並んでいます。もちろん電気はありません。井戸で水を汲んでいました。一家総出で私を歓迎してくれました。動物がすごいです。やぎの一家(10匹以上)と犬、鶏、猫みんな家族です。ちかくに子豚が走り回っていましたがこれは隣の住人のようです。

彼女の友人は足が不自由で松葉杖と車椅子での生活ですが、とても明るくかわいらしい方でした。友達の友達は友達です。シータがこの友人の家にしばしば泊まってくるので、どうやって寝ているのか聞いたら、彼女の寝床でくっ付いて寝るのだそうです。友達との関係もそこまで行くとすごいです。

正直いって彼等は私がどう見たのか非常に不安でした。別世界の人間であるに違いありません。実際私の一食分の食事代で家族全員どれくらい食べていけるか計算するのは怖いです。こんの気持ちを和らげてくれたのは彼等の明るさであり、帰り際に出くわした夕餉の喧騒でした。電気がないからでしょうが、隣近所の子供たちも大人たちも動物も、夕食を控えて外に出てくつろいでいました。道は大混雑です。でもそこには何とも言えない懐かしさがありました。



2003年05月01日(木) 失われた10年

「失われた10年」・・・いろいろなところで使われています。日本ではバブル崩壊後処理できない不良債権を背負い停滞する経済を指しています。これは10年では済まないでしょう。


スリランカでは、10年前の今日、当時の大統領「プレマダーサ」がメイデー行進の最中に銃弾に倒れました。今日はその10回目の命日です。その後、政治は混迷し、民族紛争の泥沼化して、この10年間はスリランカ国民に大きな停滞を与えてしまったのです。


「プレマダーサ」は何を考えていたか。それは発展途上国の「貧困」問題です。彼の最も重要な政策は「住宅政策」であったのです。彼は国内に多くの住宅地を造成し、貧しい人達に生活の基盤を与えました。先進国においても投資の重要な要素は「住宅建設」です。住宅建設は森林伐採、土地開発、土木作業、住宅建設、電気ガス水道のインフラ整備等の需要を喚起します。そして多くの様々な雇用を生み出します。彼は並行して農業用地を整備し地方の産業振興を図りました。こうした活動を通して、地方に労働需要を起こし、貧しい人達に基本的なインフラ設備を供給したのでした。


彼は、民族対立問題、発展途上国の主要課題を正確に把握していました。「貧困対策」に加えて「教育問題」にも腐心し、初等教育を充実させ、次代を担う子供たちに夢と希望を与えたのです。


その後の10年がどうであったか。今はどうなのか。直視することがつらいです。政府の経済政策は外資導入・経済の自由化です。確かに我がNTTを初め、Shellとか、マレーシアの会社とかが投資を行い、基本的なインフラ整備は進んでいます。しかし、政府が外資導入と同時に外資と約束したことは「料金の値上げ」なのです。相当の賃上げ(インフレ)がない限り、一般庶民はそうした恩恵を受けることはできないのです。外資導入が成功するには、それと歩調をあわせた着実な「貧困」の解消がない限り貴重な「富」は海外に流出するだけです。


石油とか金が採掘されれば別ですが、そうでない限り基本的に農業政策をしっかり確立し、地方の貧困問題を解決することが大切だと思います。IT産業振興とか、金融ハブなどの夢はありますが、まず足元を固める必要があります。教育問題はさらに深刻です。子供の将来を考える人達は無理して、一部の有名学校に進学させます。しかし大学教育は停滞しています。さらに大学を出ても職はありません。10年前から全体の識字率があがっているとは思えません。


その意味で、今こそ「プレマダーサ」大統領の政策に立ち戻る必要があります。特にスリランカ北部の貧困対策は深刻です。この解決がない限り、民族紛争の再燃は避けられません。



2003年04月30日(水) 世界不思議発見!

日本でスリランカプロジェクトを支援してくれている方からビデオテープを送ってもらいました。誘惑の宝島スリランカ・天空王宮の謎(2003年4月19日放送)です。


日本で放送されたスリランカを題材にしたクイズ番組です。コロンボの宿舎でメードのシータと一緒に見ました。彼女は日本語はわからないけれど興味深くみていました。取材先は、コロンボ、アヌラダプラ、シギリヤ、キャンディ、カタラガマ等。カタラガマは少しマニアっぽいですが、代表的な観光ポイントは押さえています。こういう番組が増えて、日本人観光客が多く来てくれればありがたいです。


アヌラダプラの聖菩提樹(仏陀が悟りを開いたときに見守っていた菩提樹の子孫)を取り上げていたのはヒットだと思います。やはりスリランカを語る時には仏教ははずせません。大乗・小乗というような違いは別として、生活の中に入ったスリランカ仏教をもう少し深く紹介してほしいと思いました。



2003年04月29日(火) 日本では連休

今日から日本ではゴールデンウィーク。一方スリランカでは5月1日だけが休みです。


スリランカ南西部(コロンボを含む)はこれから雨季に入ります。反対にスリランカ北東部は乾季になり、安定した天候が続くのです。スリランカ南西ヒッカドアに拠点をおいていた「アンダウオータサファリ」(私がSCUBAライセンスを取得したところ)は、四月末までヒッカドアで営業し、5月からは北部のトリンコマーレに移動します。


トリンコマーレはコロンボから300Km以上離れているので、そう簡単に行くことは出来ません。コロンボ南部で雨季でも営業しているSCUBAクラブを探そうかと思っています。



2003年04月27日(日) 休養

先週の水曜日・木曜日に思いっきり忙しい思いをしたので、金曜日から肩がものすごく凝っています。一方でチェロの練習は力を抜くことが課題なので、正直言ってこの週末は練習してもなかなか旨く行きません。日曜日に変更になったレッスンも不本意なものでした。身体の回復を図ることが大切なので日曜日はゆっくり休養しました。


スリランカで働いている限り、日本で働くみたいに時間厳守で仕上がりを気にしていたら、身体や神経を正常にかつ健康に保つことは非常に大変なことです。こちらのペースで進めるべきなのかもしれません。


しかし、日本人を雇っている会社側の立場で考えると(財務部門を預かっているので全部の数字を把握できています)、ローカルの人の何十倍もの給料を払っているし、宿舎・車の配備等の金もばかにならないので、日本人にはスーパーマンのような働きをしてもらわないと割りに合いません。


結局、ものすごく肩が凝るような心配をするし、自ら動いて仕事を片付けることになります。とはいっても東京に勤務しているときより身体的に厳しいかというとそうでもありません。スリランカに来る前には、夜中の12時前に家に帰るのはそれほど多くはありませんでした。結構しんどい生活でした。


今から考えると、日本の生活は、
「まわりの人間も同じ気持ち、雰囲気で働いている」
「愚痴をこぼす同僚、夜の新橋という格好のストレス発散の場があった」
「家族がいて仕事を離れてのんびりすることができた」
というような条件が揃っていたからこそやってこれたのだと思います。海外単身赴任の難しさを感じています。



2003年04月26日(土) 顰蹙をかった作曲家

前回から、Bernhard Romberg(1767−1841)と言う人のソナタ(作品43の2)を課題として与えられました。Rombergは自らチェリストでチェロの曲を沢山書いています。


以下ドュッシュ先生の話です。
「ベートーベン(1770−1827)がこのロンベルトを大変尊敬していて、ベートーベンはロンベルトのためにチェロ協奏曲を作曲することを申し入れたそうです。しかし、ロンベルトは自ら作曲家であったため、自分で作曲できるのでベートーベンに作ってもらう必要はないといって、断ったのだそうです。結局ベートーベンはチェロ協奏曲は書かなかったのです。後世のチェロ奏者にとっては非常に残念な話です」。


ほんとうに残念です。ベートーベンがもしチェロ協奏曲を書いていたら、バイオリン、ピアノ協奏曲とならんで、チェロ奏者にとって最も重要なレパートリーのひとつになっていたはずです。極端な話、ロンバーグが謙虚にベートーベンの才能を見ぬいていたら、後世に残る「人類の財産」が増えていたはずなのです。そんな恨みを感じつつ練習しています。



2003年04月25日(金) 警備強化だそうです。

今週初めのLTTEの和平交渉出席中断を受けて、政府(といっても野党出身の大統領周辺が過剰に反応しているようですが)は警備を強化するのだそうです。


コロンボ市内の検問所とか地方の町の入り口の検問所は、和平交渉の進展の中で少しずつ緊張が緩んできて、警備の兵士にも笑顔があったのですが、また緊張の時代に逆もどりかもしれません。平和の象徴だったLTTE支配地域を縦断するA9道路(キャンディー・ジャフナ道路)も交通規制が厳しくなっているそうです。


ほんとうにどうなっているのかわかりません。私には政府・LTTEの民族対立とは別に、紛争で利益を得る人達(アンダーグランド勢力)・現政権の得点獲得に苛立っている人達が邪魔をしているとしか思えません。私のドライバー氏の話では、これまで何人もの人望の厚い政治家が暗殺されたとのですが、犯人は反政府組織のLTTEではなく、闇の勢力に殺されたのだそうです。なんとか踏みとどまって和平交渉を再開してもらいたいです。


(別件)
30年以上使っていた腕時計が故障しました。飛行機に乗ると泊まったり、暑いところ・湿気の多いところで止まったりしてたのですが、本格的に止まってしまいました。この時計は叔父から頂いたもので愛着があったのです。なんといっても長野の広いスキーゲレンデで落としたとき、滑ったあとをたどって奇跡的に見つけたことを始め、数々の困難にあっても不思議に生き延びて付き合ってきてくれました。これまで東京の会社に出入りしている時計修理さんが3回修理してくれました。その時計屋さんもこんな古い時計はそう簡単には直せないと行っています。今回は直るかどうか。帰国まで休んでいてもらいます。



2003年04月24日(木) 疲れる仕事

昨日・今日と非常に疲れました。というのも、取引にかかわる銀行保証業務を取り仕切る必要があったからです。我が社の子会社のビジネスで親会社が保証を与える必要が生じて、今日中に銀行との契約を済ませなければなりませんでした。登場人物は、銀行(2から3行)、子会社(財務部門、取締役会)、親会社(財務部門、取締役会)。


「大変さ」の大きな原因は、銀行保証のために取締役の承認を得る必要があることです。我が社の取締役は4人が日本人なので、日本に資料を送付して了解を得なくてなりません。今回はそのうちの一人が海外出張中なので、KLのホテルまで追いかける必要があります。先ほどFAXを送りましたが、まだホテルに着いていませんでした。それと日本とスリランカの時差が3時間あるので、日本の役員の方に少し待機してもらわないとなりませんでした。(予定より作業が遅れるのが普通なのです)


今回、夕方5時頃から日本にFAX送信するとともに、コロンボの取締役に回覧したのですが、最初に回した財務省の取締役がチェックしたいから少し時間をくれといって回覧が止まってしまいました。今日中に全員をサインを貰う必要があるので、直ぐに財務省に走り「気合」で説明しサインを貰いました。しかし25頁もある二つの銀行保証契約書なので無茶をしているのです。とにかく私に任せて貰うしか方法はありませn。


また内容が内容だけに、今日の午前中でさえ、保証金額が確定しなかったのです。つまり銀行対応が決着しないのです。保証金額が増えれば別の銀行を探さなければなりません。幸い二つの銀行で済みましたが、しかし銀行との交渉は細部について最後までもめました。ただこれはビジネスですから仕方ありません。お互いもっとも有利な条件を得るために努力するのは当然です。


このほか、やはり「仕事の段取り」の問題があります。時間の配分と仕事の完成度を勘案して、100%完全を求めるところ、90%でもOKなもの、少しミスがあっても自分の責任の範囲で危険を負担できるところ等、仕事の性質と順番を押さえて段取りを組めば無駄は省けます。ところがこの仕事の見極めが一番難しいのです。財務はビジネスの最後の部分なのでどうしても、それまでの積み残しを整理することになります。さらに金勘定はミスは許されません。


今回も「何とか」マネージすることが出来ました。日本人のチームならもう少し円滑にいくところですが、やはりこちらでは難しい、疲れました。(英語での遣り取りということもありますが)



2003年04月23日(水) 和平協議

LTTEは5月に予定されていた第七回の和平交渉への出席を当分の間取りやめました。これはタイのバンコクで開催予定だったものです。


第6回目の和平交渉は3月末に日本の「箱根」で行われたのでした。それまで表面的には順調に進捗してきたのに「箱根」の交渉の後に交渉が中断されたということは、日本人として非常に残念です。


「箱根」交渉の後になにが起こったか、それは「米英等連合軍の圧倒的な力によるイラク制圧」でした。LTTEはアメリカからテロリスト集団として認識されているのです。こうした大きな国際情勢の動きも今回の事態に影響しているはずです。


しかし、基本的には6回に及ぶ和平交渉が進展していなかったというのが本当のところでようです。進展しない和平交渉は単なる時間の浪費であり、財政基盤の極めて弱いLTTEはその間の生活の糧をえることが大変なのです。和平交渉のお膳立てをした日本政府も考えが甘かったのではないでしょうか。


昨年行われた小泉首相の北朝鮮外交のようにおかしなことにならなければいいのですが。米国のイラクでの行為を正当化するつもりはないけれど、日本政府が本当にスリランカの和平交渉を仲介しようとするなら、相当な覚悟で臨まないかぎり茶番に終わってしまう危険があります。




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