KENの日記
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2003年01月24日(金) 2003年度開始

私の勤めている会社SLT(スリランカテレコム)は12月末決算なので、この一月から新しい会計年度が始まりました。ということは今年度末決算の真最中なのです。年度末決算は進行中ですが、今日の取締役会で2003年度の事業計画が承認され正式にスタートといった感じです。


昨年10月末に移動体通信会社「モビテル社」を100%子会社化し、12月にコロンボ証券取引所に株を上場したので2002年度決算は大変なのです。しかもモビテル社は6月末決算会社であったところを、買収を契機に12月決算に変更しました。ということは、2001年7月から2002年10月末まで「40%所有」ということで関係会社決算を16ヶ月することに加えて、11月・12月については100%子会社として連結決算を実施するというものです。実際の連結作業はこれからですが、この作業は大変な難しい処理です。


また上場会社として、四半期の財務状況を証券取引所に報告することになります。「発生主義ベース」の決算を月次で実施していくために社内ルールの変更・また多くの人の協力が必要となります。


私が日本の親会社○TT(当時○○公社)に入社した当時、組織は公共企業体で商法・税法の対象外の特別な会計を実施していました。減価償却等の発生主義会計は適用しているものの、予算・決算はた国会に付議され、計算された利益から国庫納付金を納める仕組みでした。それが1985年に民営化され商法・税法が適用される一人前の会社になったのです。


SLT社は1990年に公共企業体から民営化されたのですが、実施的に1997年まで政府100%出資会社であったことからキチンとした財務会計決算が実施されてこなかったようです(この辺は勉強不足で怪しいです)。○TTが政府から株式を購入することとなったことから、財務のチェックがなされました。といっても土地の所有権など今でもキチンと整理されていないものがありました。


そのSLTが5年間の○TTとの「マネジメント契約」を昨年8月に終了し、その冬にコロンボ証券取引所に株を上場したのです。偶然そうしたチャンスに巡り合えたことは大変光栄だと思うとともにが引き締まります。2003年度からは上場企業としてのキチンとした会計を行っていかなければなりません。さらにSLT海外市場への株式上場も視野にいれていることから、国際会計基準に則った会計をしていく必要があります。


○TTで経理を長らくやってきたのですがやはり不安はあります。でも「金庫を預かる」感覚はどこの国でも共通だと思います。昨今のエンロン・ワールドコムに代表される企業会計(特に米・英企業の行き方:イラク問題にダブってしまうのですが)の姿には少し疑問があります。確かに過去・現在・未来の時間軸が複雑に絡み会うことと、多様な金融商品が開発される中、当期に帰すべき事柄を特定するのは難しいでのすが、経理・会計を預かる人間のモラルの問題でもあると思うのです。


私の財産は、にこやかな中に厳しい姿勢を教えてくださった中谷さん、経理の厳しさを教えていただいた中村さんの会社の大先輩の方々、そして直接お会いしてはいませんが、その著書で勉強させていただいた金子さんの教えです。日本の会計は結構普遍的だと思います。



2003年01月20日(月) 貴乃花引退

朝のNHKニュースはトップで貴乃花引退を報じました。貴乃花の相撲というよりその雰囲気・行動・言動は多くの日本人に強い影響を与えてきたのだと思います。でも、いろいろありましたよね。


兄弟の関係:体力的に恵まれなかった兄との関係。兄弟とも横綱になりましたが、兄の若乃花の方は引退後自由に行動していて、肩の力が抜けているみたい。


結婚の件:宮沢リエさんとの関係は大人気ない感じでした。若くして相撲界では地位を得ましたが、世間的には十分成長していなかった?


両親と関係:結局親方夫婦は離婚したはずです。巨人の星じゃないけど、もう少し気楽でもいいのではないかという感じがします。


NHKの大河ドラマで「宮本武蔵」が始まりましたが、自分の道をとことん追求するのは、それはそれでとても真似できるものではないけれど、少し肩の力を抜いて周囲を見まわす(他人に気を配る)ことが時には必要かなと思います。30歳で引退して、これからは後身の指導と相撲界経営に見を投ずるだけでは寂しい気がします。



2003年01月19日(日) 幻の演奏家

NHK交響楽団のバイオリン奏者の根津さんのホームページを見て知ったのですが、今、ハンガリーのチェリストの「ミクロシュ・ペレーニ」さんが来日していて、N響とシューマンのチェロ協奏曲を演奏していいるのだそうです。


実はこのペレーニさんというのは大変すばらしいチェリストなのだそうです(これまた別の人のホームページを見ていて知った情報なのですが)。そういう情報を得るとすぐにCDを買って演奏を聴きたくなるのですが、残念なことに、日本のどこのCDショップを探しても見当たらず未だにその音楽を聴くチャンスにめぐり合えないでいたのです。その人が来日しているなんて・・・。


同じような演奏家にフランスのクラリネット奏者の「パスカル・モラゲス」さんがいます。この人の演奏は随分昔の来日演奏会のFM放送を録音していて何度も聞いたきました。とにかくテクニックも然ることながら、その音楽センスのすばらしさに感動したのです。しかし、不思議なことにこの人のCDも入手困難なのです。


個人的にはものすごく入れ込んでいるので、気を長くして探して行きたいと思っています。


実は指揮者ゲルギエフの初来日直後、テレビ放送を見てすぐにファンになり、オーケストラ曲のCDを探したのですが困難でした。当時キーロフオペラでボリスが出始めたころだと思います。その後はキーロフ、ウィーンフィルなどとの多くの録音が発売されていますし、毎年のように来日公演が実現しています。



2003年01月15日(水) Thai Pongal

今日1月15日は「Thai Pongal」といってスリランカでは祝日です。「Thai Pongal」とヒンドゥー教徒の祝日で、農耕民族として豊作を願って「太陽の神」に感謝する日なのだそうです。この年最初に取れたミルクライスにココナッツを混ぜて「太陽」に供えるのだそうです。


「Thai Pongal」の次の日は「Mattu Pongal」といって、農耕を手伝ってくれる家畜に感謝する日で、家畜(牛のことでしょう)を水浴びにつれていって洗ってやり花輪で飾るのだそうです。実際、スリランカの水田・畑では耕運機を見る機会はほとんどなく、水牛や牛がせっせと耕している光景を目にします。(何もしていない牛もたくさん見かけますが)


この自然・動物に感謝するというのは、仏教徒が動物を大切にするのと共通していて、仏教徒のシンハラ人も大いに賛同するところがあるようです。また、日本においても「天照大身神」を祭るように、農耕民族にとっては、太陽・水といった自然への感謝の気持ちは共通するようです。


実は明日16日休暇をもらって、今日から連続休暇をもらい、スリランカ南部の町「ヒッカドゥア」に行ってきます。この旅行の詳細については、別の項目を立てて報告するつもりです。



2003年01月14日(火) SLT株取引開始

昨年11月末から売り出していたSLT(スリランカテレコム)の株の登録が終了し、1月14日から取引が開始されました。販売開始から取引開始まで時間がかかったのは、個人株主が多くかって登録業務が膨大だったからです。といっても事前に準備して迅速に処理すべきなのですが・・・。


今日の終わり値は結局「Rs16」となり売りだし価格をRs1上回りました。募集から取引開始まで時間がかかったので、株価が急激にさがりはしないかと心配したところですが、昨年9月末の順調な決算を発表したこと、中間配当Rs0.3を実施すること等の施策が奏効したようです。これから我が社の株価に一喜一憂する機会が多くなりそうです。



2003年01月11日(土) カップル事情

1月17日はメイドのシータの結婚一周年記念日なので、果物・甘味を準備して我が家でお茶会を催しました。シータはNTTから派遣されてきた社員のメイドを勤めて4年位になります。その割りに日本料理のレパートリは広くありません。彼女の旦那さんはJICAの日本人医師のドライバーを長らく勤めています。NTT派遣社員のドライバーと友人だったことから知り合ったようです。


シータは住み込みです。結婚したといっても自分達の家を持つのはまだ遠い先です。彼女がヒンドゥを信仰するタミール人なのに対して、旦那が仏教徒のシンハラ人なのが旦那の両親にとっては少し引っかかるようで、彼女も彼の家族との同居は望んでいないようです。スリランカの若い世代には民族・宗教の違いはあまり関係ないようですが、お金を貯めて自分達の家を持つ(借りる)の大変なことです。シータは私の住んでいるマンション内で、他の階に住むインド人家族のところでアルバイト(洗濯など)をしています。


コロンボには、ビクトリヤ公園(市中心部の広大な公園)とゴールフェイスグリーンというカップルが集まる場所があります。土曜・日曜は朝からカップルが多く集まります。日除けの傘が必需品で、日除けするとともに、その陰でくっ付いているのです。今日はシータ夫妻とゴールフェイスグリーンに記念撮影にいきました。シータは旦那がデートに誘ってくれないと不満を表していました。



2003年01月08日(水) 労災認定

今日、日本から三年前に亡くなられた嘗ての私の同僚Hさんの労災認定の決定がおりたとの連絡を頂きました。電気通信業界への競争導入を目的とした会社再編の渦中にHさんは突然亡くなられました。私が庶務担当みたいなことをやっていたこと、年齢も近かったこともあってHさんには大変お世話になったのです。残されたご家族の方、会社の関係者がいろいろ奔走した結果今回の結果を得ることができました。


バブル崩壊後、急激に労災案件が増えているようで、特にここ1・2年、申請・認可の件数とも急増しているようです。日本の産業界の厳しさ・ゆがんだ姿をみるようです。労災認定の考え方が、原因究明よりは、残された家族への保障の方に軸足が移されたような感じを受けています。それはそれで一定の評価はできますが、根本的な解決に向かっているのかどうか少し疑問です。


残されたご遺族の気持ちを考えると非常に難しいものがあります。Hさんのなされた仕事、Hさんのアイデアを生かして会社の業務に役立てること、会社を発展させることがご遺族への最大の慰めになるのではないかと思っています。そういう観点からHさんは我が社で生き続けていることになると思います。


日本を離れてみると日本の企業社会が非常に特殊なものに見えます。私としてはスリランカに仕事場を見つけることができたにことに非常に感謝しています。これまでの会社人間の生き方とは少し違った経験ができています。(こちらはこちらで大変なのですが)しかし、日本の企業風土の渦中に身を置くと流れに逆らうことができないことも事実です。


いずれにしろ、バブル崩壊、デフレ経済の下サラリーマンには厳しい時代が続きます。でも自分の子供時代のことを考えると、今は随分いい生活を送っているなあとは思います。



2003年01月07日(火) 仕事初め。

六日(月曜日)が仕事初めであった企業が多かったようです。NHKテレビで証券取引所取引開始や賀詞交換会の様子を見ました。このページをごらんになっている方は少ないとは思いますが、かつての職場の同僚・上司、また日本の友人達にお詫びと新年のご挨拶を申し上げたいと思います。


実は昨年暮れに長らく病床にあった義父が亡くなったことから、年始のご挨拶を控えさせていただきました。「スリランカに行ったきりで年賀状も来ないので心配していた」という方はいないとは思いますが、ご通知が遅れましたことをお詫びいたします。本年もよろしくお願い申し上げます。


(追記)まったく関係ありませんが、昨年暮れ帰国した際に日本から正月用にアルコールを持ち込んだのでそれを記録しておくこととします。


まず、正月ですから日本酒。一升瓶は機内持込、手荷物とも難しい(と思われる)ので五合びんです。行きつけの長野県須坂市実家近くの「浦野酒店」で「久保田」が買えるのですが、今回は正月前だったので千寿も百寿も売り切れでした。仕方なく生酒を買って長野で飲んでしまいました。ということでさいたま市のマンション近くの地酒を多く扱っている「森田酒店」で長考のすえ八海山と黒龍にしました。これに加えてワイン購入でお世話になっているさいたま市近郊の「やまいち酒店」で「マッカンガス12年」のウイスキーを購入。これは試飲していたもので一口飲んで決めました。都合三本を段ボール箱に梱包しました。私はダンボール詰めでは、万一割れてもいいように一本一本箱詰めにした上でビニール袋で完全梱包します。成田・シンガポール・コロンボ三箇所での荷物の積み降ろしで最悪を想定しての準備です。これまでこの方法でワイン・日本酒をたくさん持ち込みましたが割れた経験はありません。


さらに、姉からお歳暮で頂いたワイン「ナイアガラブラン」日本を機内持ち込みにしました。このワインは斑尾高原農場サンクゼールワイナリーの製品です。長野県のワインは結構健闘しているのです。地元のスーパーなどでも手ごろな値段で美味しいワインが手に入るのです。都合五合ビン相当を五本持ち込みました。


苦労して持ってきた甲斐あってさすがに美味しいです。肝臓GOTの値を気にかけながらもちびちび飲んでいます。



2003年01月05日(日) 休養

先月29日にスリランカに帰ってきて以来、大晦日、元旦を含めて休みがなかったので、今日は宿舎で少しのんびりしました。NHKテレビは相変わらずのんびりムードで面白くありません。今日5日は日本では正月帰省ラッシュのピークです。大雪とも重なってふるさとから都会に向かう人達は大変苦労しているようですね。


というようなニュースをチェックした後、まず午前中には空いているジムへいって減量のためにエクササイズをしました。これまでの経験から一週間の中に3回以上の走りこみを続けると二週間位で効果が出てきます。これをやらずに逆に食べすぎ・飲みすぎでは2〜3日で太ってしまいます。太るのは簡単です。


ジムでのエクササイズの後は通常ではプールで30分位泳ぐのです。しかし今日は気温が少し低かったので止めました。今年のコロンボは去年に比べると涼しいのです。水泳の代わりにプールサイドで日光浴をしました。気持ちの問題でしょうが、胃潰瘍気味だった胃のあたりに太陽の光をじっくりあてて、「がんばれ。がんばれ」と念じていると良くなってくる感じがします。


でも、エクササイズでのどが渇くので、昼食時のついビールを飲んでしまうので効果が半減してしまいます。



2003年01月04日(土) さよなら、Ruwan Raja

新年になって初めての土曜日、例のごとく8時30分からのチェロレッスンの帰り道ビクトリア公園に「Ruwan Raja」を見舞いに行ったのですが、Ruwanは先月18日に亡くなったそうです。合掌。


18日といえば私が義父の葬儀に参列するために急遽日本に帰った日です。その数日前たしか12月14日に見舞ったときには元気とは言えないまでも、それほど急激に悪くなるようには見えませんでした。本当に残念です。


「Ruwan Raja」が療養していた囲いは取り壊されていて、その残骸があたりに散らばっていました。その直ぐそばに少し土が盛り上げられていますが、そこが「Ruwan Raja」の墓です。Ruwan専属象使いの「ピータさん」がさびしぞうにしていました。(「近所の象」に記載予定)


公園療養中の「ルアンラージャ」の近くに繋がれていた別の象は、「ナームラージャ」というのだそうです。この象がルアンの後継者となるようです。




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