日本では19日が「友引」なので、義父の葬儀は20日に延ばされたので18日夜の便で帰国したのですが19日の通夜に間に合いました。今回の帰国には21時20発の「スリランカ航空」を利用しました。成田には19日の昼に着きました。今回の帰国便に関して感想を書きます。
まず「21時20分」出発というのは、便利そうな感じなのですが実は大変苦労するのです。というのも丁度会社帰りの大渋滞に巻き込まれるからです。まずコロンボ市内から北に抜けるには川をわたらなければならないのですが、橋が一本しかなくここで延々と車が詰まってしまいます。また沿道では買い物客の違法駐車が道路の斜線を減らすためところどころで渋滞するのです。結局18日は2時間30分くらいかかりました。間に合うかどうか心配なので、私もドライバー氏も精神的に疲れるのです。シンガポール航空やタイ航空の便は真夜中1時30分以降なので、空港までは焼く30分で着いてしまいます。高速道路・鉄道の整備が遅れているスリランカでは夜中の便が便利なのです。
成田空港からは「さいたま市」には帰らずに、JR上野を経由して直接長野に向かいました。成田から順調に上野駅には1時45分ごろ着いたのですが、長野新幹線がこの時間帯一時間に一本しかないのです。結局2時34分まで待ちました。長野新幹線は冬のオリンピックに間に合うように作られたのですが沿線の人口が少ないので利用客が非常に少ないのです。一時間に一本でも車内はガラガラです。これはまずいです。一部に人には大変便利なのですが、これは大きな赤字を出しているはずです。
昨日夜、今年のの夏から長野県小布施町の病院に入院していた義父が亡くなりました。その為年末ですが急遽日本に帰国することにしました。私がスリランカに赴任しているので、妻は「さいたま」から長野小布施町の病院へ毎週通って看病にあたっていたのです。その甲斐あってか病院からは「10月まで持つかどうか」と説明を受けていた状況だったのですが、この年末まで持ちこたえることができたのだと思っています。スリランカは暖かいのですが日本は冬なので着てゆく服と日本で風をひかないようにすることが大切です。
| 2002年12月16日(月) |
スリランカ日本人総会 |
16日日曜日のよるスリランカ日本人総会が開催されました。挨拶・簡単の報告事項のあと、恒例の「ミュージックショウ2002」が準備されていて、いわば年末の忘年会を兼ねているのです。
この「ミュージックショウ」には、厳正な審査を経て、上位入賞者には豪華な賞品が贈呈されるため、出演者はこの日を目指して入れ込んで練習することになります。商品の一部を紹介すると、コロンボ−シンガポール往復航空券とかコロンボモルディブ往復航空券、ホテルディナー券など。
実はこのパーティへ行くために宿舎のドアを出たとたんに、隣人のシンガポール航空所長とばったり出会い、彼から毎年、日本人会から寄付の要請を受けて困っているのだという苦情を聞いたばかり。今のスリランカ日本人会メンバーは278人、昨年よりは多少減っていることから、パーティ協賛の獲得も難しくなっているようです。
今回のミュージックショーの優勝者はジェトロの「I」さんでした。ギターの弾き語りで二曲歌われたのですが、とても感情がこもっていて会場の聴衆をひきつけました。その他では大使館チームとジャイカチームが、若さと人数の多さで、昨年に引き続いて立派な舞台を見せてくれました。大分練習を積んだようです。
それにしても日本人総会に出席される女性の方の艶やかさは昨年に引き続き感心しました。サリー・サラワリを上手に着こなす人、着物を着てくる人、南国なので結構肌を露出する人と様々ですが、とにかくしっかりしたおしゃれが決まっているのです。海外での生活では夫婦同伴でのパーティも多いので洗練されるのでしょう。
| 2002年12月15日(日) |
12月はパーティの季節 |
12月がクリスマスを筆頭にパーティの季節であることはスリランカでも変わりありません。今年10月末にSLT(スリランカテレコム)の100%子会社となった「モビテル」という移動体通信会社の年末懇親会に誘われたので行ってきました。モビテルは1993年に設立された若い会社で、若い社員が多く、以前国に機関だったことから多少堅苦しいSLTとは会社の雰囲気が大分違います。昨日のパーティのプログラムはこの国のパーティの形をよく表しているとおもうので紹介します。
まず、パーティ開催場所ですが、コロンボの南20Kmくらいの「Golden Sun Resort」というところのプールサイドがメイン会場。市内から大分離れていることは、「大騒ぎ」をするということを意味しています。案内状では「7時から開始」ということなのですが、この国のパーティは長時間続くので遅れて行くくらい丁度いいと考え私は9時に会場に着きました。案の定、行ってみるとパーティは盛況、ディスコサウンドで会話を阻まれるし、プールサイドのダンスデッキでは多くの若い社員がガンガン踊っていました。
私は、食べ物がほとんどなったことからビール・ワインを飲み、籤引きに参加したり、ゲームを見たり、ダンスに参加したり、若い女性のベリーダンスを見たりして一通りパーティの様子もわかった(と思ったので)ので、11時30分ごろには退散することにしました。
ところが、ホテル出口にいってみると、出口近くの駐車場で食事の準備が進んでいて、ビュッフェスタイルの「とり鍋」がズラっと並べられていました。準備しているボーイさんに聞くと「12時から食事がはじまるよ」とのこと。7時から12時までは食事前の軽い「腹ごなし」だったのです。私は真夜中に食事をいただくほどお腹が空いていなかったで帰ることにしました。宿舎に帰ってからプレゼントと一緒にもらったパーティのプログラムをみて改めてビックリした次第です。プログラムは以下のようなものでした。
7:00 パーティ開始。(夜7時です) 9:45 籤引き(入場券番号の抽選によりプレゼントをゲットできる) 10:45 若いダンサーが招待されベリーダンスを披露。 11:30 花火打ち上げ。(最初からずっとプールサイドデッキではディスコダンス継続) 12:00 ディナー。(ここから予定を紹介。実際どうであったかはわかりません) 1:30 モビテルのキング&クィーン選出大会。 3:00 ダンスコンテスト。 5:30 日の出イベント。(なにをするのか具体的に書かれていません) 6:00 終了・解散
ということです。夜遅くあんな遠くからコロンボに帰れるのかなと心配していたのですが、そんなことは全くの杞憂で、最初から夜帰る気なんかないようです。真夜中12時ごろでも続々と車で到着する人たちがいました。朝まで食べたり踊ったりするのでしょう。招待状には「From PM7&onward」と書かれていましたが、まさかこれほどとは思いませんでした。でも、小さい子供をつれてきている家族が何組かいまいしたが夜中どうするのでしょう。子供達にはきつ過ぎる気がしますが。この国のパーティに本気で付き合うには相当の覚悟が必要だということを改めて痛感した出来事でした。
12月も中旬に入ると日本では忘年会真っ盛りだと思います。コロンボに赴任して1年経過しましたがこの忘年会のシーズンは日本が恋しくなります。鍋をつつきながらの日本酒の美味しさが懐かしくて・・・。コートとマフラーを着こんで寒い中を店に向かい、店に入ったとたんに「めがねが曇る」といった宴会の前段の雰囲気も大切な要素なのですね。サラリーマンのメッカ新橋は今週の金曜日などさぞ賑わうことでしょう。
宴会の後は「ラーメンを食べる」ことは宴会好きな仲間の内では定着していました。特に大阪勤務のときは美味しいラーメン屋さんを目指して結構遠くまでいきました。実は美味しいラーメンが食べられないというのもコロンボ生活で不満のひとつです。
ラーメンというと、私の実家長野県須坂市に昔から「ホームラン亭」・「セッコウ亭(ほんとは漢字です)」の二軒の美味しいラーメン屋さんあります。小さいころから馴染んだ味は忘れられなくて、帰省すると必ずといっていいほど食べに行きます。その度に昔の味そのままなのでとてもうれしくなるのです。この年末に帰国する機会があったら必ず行こうと思っています。
帰国を計画するときには、まず最初に「日本に帰ったら何を食べようか」と考えるようになっています。食べ物って大切なんだなとしみじみ思います。
今日UA(ユナイテッドエアライン)が破産を申請したそうです。アメリカ第二位の航空会社なのですが、昨年の9.11テロ以降の乗客減少が大打撃を与えたことに加えて、組合が強くて合理化が進まなかったようです。アジア線は成田夜出発とか、朝出発便が多くてそんなに便利ではないのですが、私はUAでマイレージを貯めていたのです。
今日UAからメールが入って「ご心配なく、マイレージは今後とも従来どおり使えます」とのことですが正直言って少し心配です。早く消化してしまった方がいいかもしれません。
コロンボレストラン報告です。「地球の歩き方」に紹介されている「ホテル・デ・ブハリ」にいってきました。マラダーナジャンクションのすぐそばの繁華街なので駐車場がないため、これまでチャンスがなかったのです。昼飯を既に済ませたドライバー氏に車を預けて昼飯(もちろんチキンブリヤニ)を食べてきました。
ローカルの人もうまいというだけあって値段は100ルピーほどですがとてもおいしかったです。あえて難をいうとすれば、ついてくるチキンが少し小さいかなというものです。それほど辛くなく外国人でも大丈夫です。ふと日本の吉野家を思い出しました。
金曜日がラマダン明けけの休日だったので、土曜・日曜と併せて三連休でした。でも金曜日は午後から会社で会議があったし、土曜のチェロレッスンに向け練習曲をさらったりで忙しくすごしました。土曜・日曜と少し時間が取れたのでホームページに書こうとおもっていた「象のRaja」の記事をまとめました。
毎週見舞いに行っているのですが、象の「Ruwan Raja」の状態は良くないです。二月にガンガラーマヤのペラハラを控えているのですがこの調子だとRajaは参加できそうにありません。傷の治りが良くなく傷口は開いたままになっています。
12月になるとコロンボの町中でクリスマスの飾りつけが見られます。国会議員選挙だ民族紛争だで大変だったのですが、今年は未来に希望の持てるクリスマスになりそうです。
さて、我がSLT社の株ですが、29日に購入申し込みが締め切られ、おかげさまで「オーバーブッキング」を達成することができました。コロンボ証券取引所始まって以来の大型IPOなので少し心配はしていたのです。私の親会社NTT株式での散々な経験を生かし(?)SLT社の株主になりました。1月に取引が開始されるのですが、その後の値動きが気になるところです。
今日12月1日は、スリランカ日本人会のソフトボール大会がありました。普段は水泳とランニングくらいしか運動をしてないので、会社の同僚を誘って参加しました。我々のチームは「建設・通信」で前回の優勝チームなのです。多少年齢層は高いですが、「体が資本」的な面もある業界なので上手そうな人が沢山います。他には、「大使館チーム」「日本人学校チーム」「JAICAチーム」「商社チーム」でした。結果は「JAICAチーム」の優勝、我がチームは二位に入りました。私は足を引っ張ったほうですが、誘った同僚が大活躍したので、SLTとして貢献できたと思います。JAICAチームは若くて上手な人が沢山いてチームもよくまとまっていました。
さて、ソフトボールというスポーツですが、このスリランカではまったくマイナーなスポーツです。こちらはとにかく「クリケット」。バットで玉を打つところは似ていますが、ルールはまったく違うようです。残念なのは、我々はクリケットを知らないしスリランカ人はソフトボールを知らないので、親善試合ができないことです。
| 2002年11月26日(火) |
SLT(スリランカテレコム)の株 |
私の勤めているSLT(スリランカテレコム)の株が売り出されています。いわゆるIPO(Initial Public Offer)というやつです。この11月28日が申し込み締め切りです。値段は一株Rs15(日本円で19円くらい)で最低100株から購入できます。と宣伝しても日本では買えないと思いますが。
SLTは1991年に政府からすべての資産を引き継いで、政府が株式100%を保有する株式会社になりました。その後1997年8月に、当時のNTTが株式の35%を取得するとともに経営に参画してきました。そして2002年11月に政府保有株式の12%を売り出すことになったのです。これまでの株売却の企てはあったのですが、スリランカ国内の内戦とか株式市況の低迷等で見送られてきたのです。
昨年から続いている停戦に加え、政府と反政府組織の和平会議が進展していることから、日本をはじめ援助国が莫大な金額の復興支援を約束しているので、来年あたりからスリランカが復興ブームになりそうな気配です。今買っておいて損はないのではないか個人的には思っています。
25日からコロンボにおいて日本スリランカ経済協力委員会が開催され、日本から大勢に代表団が来錫されました。まずは相互理解が必要なのでこうした往来は必要だと思います。海外企業の進出の雛型は、まず安い労働力を活用した輸出産業への参入なのですが、その前提として社会インフラ整備が不可欠です。電力・水道・道路港湾空港整備、鉄道事業といったインフラは非常に貧弱であると言わざるを得ません。
インフラ整備はただ資金援助するだけではなく、ビジネスとしてどのように運営していくかも大切な要素なのです。今後のこの国におけるインフラ復興においてSLTの経験が少しでも役に立てばいいなと思っています。
今週、日本では、NHK交響楽団とゲルギエフのコンサートが開催されています。先週までは、ポルリーニが訪日しソロコンサートのほかアムステルダムコンセルトヘボー・リッカルドシャイーとのコンビでベートーベンの皇帝を演奏したとのこと。ゲルギエフはNHK交響楽団とのコンサートの後にキーロフ歌劇場オケと全国ツアーが待っています。日本にいたら無理してでも出かけていた顔ぶれです。ほうとうに羨ましく思います。
前にも書きましたが、1977年収録のポルリーニの皇帝を何度も取り出して聞いているので、25年隔てたポルリーニがどんな演奏をするのか聞いてみたいのです。またNHK交響楽団とゲルギエフのコンビは、ずいぶん前の「展覧会の絵」において、最初の数分間NHK交響楽団の変貌の可能性を感じさせたものの、途中からいつものNHK交響楽団に戻ってしまった苦い経験があるだけに、デュトアに鍛えられたNHK交響楽団どこまでゲルギエフに食らいついていくのか非常に興味があるところです。インターネット上での「春の祭典」評を見る限り今回はNHK交響楽団は変貌を遂げているようです。
ウィーンフィル、ベルリンフィルというトップオケが、ゲルギエフとのコンビですばらしい演奏を聞かせているということは、芸術家にとって出会いが重要であり、相互に影響しあって火花を散らす、非常に高いレベルでぶつかりあいが、非常にすばらしい演奏に繋がることを示しています。今回NHK交響楽団は相撲の横綱決戦のように正面から正攻法でぶつかっていったようです。
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