KENの日記
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2002年11月09日(土) Raja続報

ガンガラーマヤの「Raja」が病気であると新聞で知ったので、今日午前中に見舞いに行ってきました。「Raja」はビクトリア公園大きな木の下に、木の囲いと支えを作ってもらって休んでいました。写真を撮っていたオランダ人が「先週は立てなかった。今週はだいぶ元気になったようだ」と話していました。ガンガラーマヤで見かける「象使い」(らしい)人が心配そうに体をさわったり、支えの木を直したりしていました。Rajaの右足の傷は化膿しているようで腫れていました。厚い皮膚が直径10cmくらい無くなっていて皮下の組織が丸出しになっているのです。一方左足の同じようなところにも床ずれによるらしい傷がついています。


トップページに、立ち上がった「Raja」の写真を掲載してもらいました。また、「スリランカの風景」には右足の傷はあるものの元気な頃の「Raja」の写真も掲載してもらいました。こう見るとだいぶやせてしまったという印象です。


しかし、全体的に見ると、耳とか鼻を始終動かしているし、体も前後に動かしている(木の支えの枠があって歩くことはできない)ので元気になりつつあるようです。少年と母親の親子が「サトウキビ」の茎を持ってきて与えると、ゆっくりではありますがもぐもぐ食べていました。


ビクトリヤ公園には、「Raja」のほかに二頭の象がやってきて、Rajaの近くに繋がれていました。こちらは元気に水浴びなどをしていました。ビクトリヤ公園はコロンボ市庁舎に隣接する広大な公園で、市民の憩いの場所なのですが、象にとって故郷のジャングルを思い出す憩いの場所なのかもしれません。コロンボにある「ガナガラーマヤ」・「ケラニヤ」の両寺院のぺラハラ(一年の中で特定の満月の日に盛大な行列を催すもの)では多くの象がコロンボに集まるのですが、このビクトリヤパークが宿泊地になります。「Raja」の近くに繋がれている他の二頭の象は、ひょっとして大都会コロンボに暮らす「Raja」を安心させるために特別に呼ばれたのかもしれません。



2002年11月08日(金) Kandyペラハラの主役

非常にマニアックですが昨日の新聞で報道された「象」に関連する記事を紹介しておきます。


長らくKandyぺラハラで「聖なる仏歯」背中に乗せた運んでいた「Heiyantuduwe Raja」という象が6日の朝亡くなったそうです。享年70歳。この「Raja」が病気で倒れたため、急遽コロンボのガンガラーマヤの「Ruwan Raja」が今年のぺラハラで主役を果たしたのです。その「Ruwan」も今病に臥せっているのです。


Kandyぺラハラで「仏歯」を運ぶ役目は、「Raja」という象が1987年に亡くなるまで長らく50年間勤めたということです。Kandy仏歯寺に隣接する建物に展示されている立派な象の剥製はこの「Raja」であるはずです。この「Raja」のあと、ラタナプーラの「Saman Devale Raja」がこの役を引き継ぎ1994年までこの役を務めました。その後を、上記の「Heiyantuduwe Raja」が昨年まで勤めたのです。さて今年ピンチヒッターで大役を果たした「Ruwan Raja」の容態が良くないとすると来年のぺラハラは誰が主役を与えられるのか。


新聞記事は以下の観測記事を載せていました。現在、Kandy仏歯寺には12頭の象がいて、そのうち立派な牙をを持つ象は7頭だそうです。この7頭の中で、ぺラハラに参加して訓練を受けている象は4頭だけです。この4頭の像の名は、インドのラジブ・ガンジー首相から送られた「Indi Raja」、タイ王室から送られた「Vijaya Raja」、故ジャヤワルデネ首相から送られた「Jana Raja」、そして象の孤児院からきた「Eka Dalaya」です。この4頭はいずれも25歳未満の精鋭のようです。


新聞でははっきり書いていませんが、来年のKandyペラハラの主役の座は上記4頭に絞られたようです。ちなみに立派な牙は持つもののペラハラの経験のない3頭の象は以下のとおり。「Kaveri Raja」(インド首相から贈られた)、「Migara」(スリランカ大統領から贈られた)、「Sinha Raja」(スリランカ陸軍から贈られた)。



2002年11月07日(木) 和平の難しさ

スリランカの内戦停戦からそろそろ一年が経とうとしています。しかし、北東部からは、こまった情報が入ってきています。北東部では停戦の継続を睨んで、道路・鉄道・水道・通信などのインフラの復旧作業が進もうとしているのですが、LTTE(反政府組織)がその工事業者に対して、税金を課そうとする動きが出ており、作業がストップするという事態です。


ここは、本当に「停戦」を冷静に考える必要があります。つまりコロンボとか南西部の地域での停戦は、経済活動を邪魔される紛争・テロがないという快適な状態ですが、北東部においては「武器を持ったまま戦争を中断する」という程度の意味で、破壊されたインフラ・産業がすぐに復興したり、国内外に退避した住民が戻ってきたりという状態ではないのです。つまり、LTTE支配地域には紛争を止めたときに、軍隊を維持する産業・流通というものはほとんど存在しないのです。


それなのに、和平会議といったら、二月の停戦合意、9月の第一回和平会議、10月末の第二回会議とそのテンポは非常に遅いのです。その間、この国のタダひとつの大都市コロンボでは内戦停戦状態を謳歌しているように見えるのです。私は9月にLTTE支配地域を通って北部の「Jaffna」まで行きましたが、破壊されつくしたLTTE地域とコロンボの差の大きさに驚きました。


「停戦」という言葉を、「銃をもったままで、しばらく待て」という状態から「銃を置いて、スコップと鍬を持ち復興に取り掛かれ」という状態に換える必要があるのです。そのためには、外国からの援助も必要ですが、スリランカ国民が、この状態の危険性に気づいて北東部に手を差し伸べる必要があると思います。



2002年11月06日(水) Raja重態!!

宿舎に近い仏教寺院のガンガラーマヤに飼われていた象のRaja(本名Ruwan Raja)が重態のようです。ここ2週間ばかり姿が見えないので、どうしたのか心配していたのです。寺の人の話では近くの公園に行っているというので、広い公園でのんびりしているのか思っていました。


今日の「DailyNews」紙に公園で横たわるRajaの写真が掲載されています。四足動物が立てなければだいぶ危ない状態だと思われます。新聞記事では、今年のKandyでのぺラハラで「聖なる仏歯」を担いだことや、今年で60歳になることが紹介されています。前にも書きましたが、この「仏歯」を担ぐ役は並の象にはできることではなく、スリランカの象社会で最高の栄誉なのです。象社会にも人間の定めたカースト制度があることに加え、人格(象格)の優れた象しかこの大役を果たすことはできないのです。キャンディから帰ってきてから右足に痛そうな「傷」ができていて心配はしていました。


一ヶ月ほど前の休日に30分間以上、ずっとRajaを眺めていたことがありました。最後の方では、Rajaの目線が次第にじっくりこちらを見るようになり、鎖には繋がれていますが、こちらに近づこうとしているのがわかりました。確かにRajaも私を意識しているのだなと感じました。その時は、なんとも悲しそうな目をしているとおもっていたところなのです。



2002年11月04日(月) Deepavali

今日4日は、日本では文化の日の振替休日でしたが、スリランカでは「Deepavali Day」といってヒンドゥー系の人達の祝日でした。祝日といってもヒンドゥー系の祝日なので、「ポヤ(満月)」のように全国一斉に休みということではありませんでした。この祝日は「火:light」を祭る祝日だそうです。「火」は闇、暗黒との対比で、文明あるいは進歩等という概念の象徴だそうです。


「ランプへの点灯儀式」がセレモニーでは欠かせないものであったり、驚くほど豊富な「ロウソク」を売っておいたりするので、この国は「火」を大切にしているのだなと思っていました。しかしよく考えてみると、オリンピックでも聖火が重要な役割を果たしていたり、誕生日のケーキに歳の分だけローソクをたてたりするのは、やはり「火」を特別なものと考えている証拠で、スリランカだけの話ではなかったと気づいた次第です。


むしろ、日本の一般家庭において「火」への感謝が少なすぎるのではないかと思われるのです。これは木造家屋が多い日本で「火」は感謝の対象よりは、これをコントロールすることが大切であったからかも知れません。また、魚を生の刺身で食べる文化を持っているというようなことも、他の国とは違う原因かもしれません。


いずれにしろ「火」に特別な意味を込めて感謝するということは、個人的には非常に新鮮な感じです。古代ペルシャで「拝火教」という宗教が現れ、それ以降の様々な宗教に影響を与えたということですが、イランに近いインドで発生したヒンドゥーに色濃く影響しているのかもしれません。



2002年11月01日(金) 外出禁止

一昨日の10月30日・31日・本日、コロンボ市内の一部に外出禁止令が出されました。これは、コロンボ市内でイスラム教の住民と仏教徒住民との間で小競り合いがあったことが原因です。30日は死者一名、負傷者多数が出たもようです。インドネシアのバリ島、フィリピン等でイスラム系住民がかかわるとされるテロが続いたので少し心配です。


31日からタイにおいて、スリランカ政府とLTTEとの2回目の和平会談が開始されたばかりなのですが、こちらは仏教徒とヒンドゥー教徒の紛争解決が目的です。南アジア地域は、スリランカが仏教(約70%)、インドがヒンドゥー教、パキスタン・バングラデシュがイスラム教です。うまく宗教間の対立は上手に収めてほしいと思います。



2002年10月28日(月) プロジェクト

今こちらの会社で重要なプロジェクトが進行中で、他の会社からも多くの社員がプロジェクトに参加しています。そのメンバーの出身をざっとあげると、日本(私)、スリランカ、パキスタン、ドイツ、イギリスということになります。それぞれ、コロンボ、シンガポール、香港、東京などを拠点にしている人間で顔をあわせる機会はそれほど多くなく連絡はメールが中心になっています。


このプロジェクトに参加してみてつくづく思うのは、日本人だけのチームがいかに効率がいいかということです。日本人同志では当たり前の会議のルールとか議論の進め方がまったくといっていいほど通用しないのです。お互いを理解するのに相当時間がかかります。ひょっとして最後まで理解できないかもしれません。ただこういう顔ぶれだと「何でもあり」なので、すごい成果が出る可能性もあります(今回はとてもそうはならないようですが)。日本人同志のプロジェクトはひとつの方向に収斂しやすいので平均して失敗はないものの、期待を大きく上回るということは難しいでしょう。


私はこういう機会は初めてなので、こうしたプロジェクトは大変勉強になります。でも、自分の主張ばかり勝手に意見を言い合って、何回も振り出しに戻るようなことはやはり非能率だと思います。



2002年10月26日(土) SOSLコンサート

26日SOSL(Symphony Orchestra of Sri Lanka)の演奏会に行ってきました。今日は仕事で忙しく七時からの演奏会に間に合うかどうか危なかったのですが、何とか一曲目の途中で女子大学の講堂に滑り込むことができました。曲目は、「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ベートーベンの三重協奏曲、エルガーのエニグマ変奏曲でした。入場料はRs400。ほとんど満員の入りでした。


スリランカはイギリス植民地であったせいかエルガーの曲が演奏される機会が多いようです。12月のクリスマスコンサートでもチェロ協奏曲が演奏されます。メインのエニグマ変奏曲は少し冗長な感じがしました。14曲の変奏曲をそれぞれ特色があるのですが、これをキチンと表現するにはすべての楽器が相当程度のテクニックが必要になります。全体合奏が含まれるいくつかの曲は雰囲気もでていて楽しめました。危ない曲もありましたが。ベートーベンの協奏曲は三人のソロ奏者が結構達者なので楽しめました。特にピアノが入るとテンポが安定し音楽が引き締まりました。空調のない舞台で照明に照らされるソロ奏者にとって暑さは大変なようでした。聴衆も汗だくでした。演奏の途中で携帯電話が鳴ったですが、そういうところは日本と変わらないです。



2002年10月19日(土) 60年台後半

今週月曜日の早朝スリランカに帰国し、そのままこちらの忙しい仕事になだれ込んでしまったので、今日(土曜日)は宿舎で体を休めています。スリランカ南西部のコロンボは雨季から乾季への変わり目で今日は終日雨が降っています。テレビで週末の楽しみであるイギリスプレミアリーグの試合を見ています。午前中は、マンチェスターユナイテッドの試合。ちょうどベッカムのフリーキックが直接ゴールインするシーンに当たりました。午後は今リバプールとマンチェスターシティの試合で、マイケルオーエンがハットトリックを決めました。ベッカムもオーエンを体はそれほど大きくない(むしろ小さい)のにそのサッカーセンスはすごいです。ベッカムのパスは常にといっていいほどシュートチャンスにつながりますし、オーエンの何気ないステップはとんでもない運動神経の賜物です。


「マンチェスターとリバプール」といえば、大昔たぶん1960年代後半頃のイギリスのヒット曲ひとつです。そのころから、マンチェスターとリバプールはいろいろな面でライバルだったようです。この響きは私にとって大変懐かしいものです。多分多くの中年の方も同じだと思いますが・・・・。そう深夜放送のビタースイートサンバで始まる「オールナイトニッポン」です。もう35年前の昔です。日本放送のホームページで調べてみると、オールナイトニッポンは1967年10月から始まっています。私の記憶では中学校一年ごろから深夜放送を聞き始めたので、放送初期の時代です。


当時のパーソナリティで覚えているのは、月曜日の糸居五郎さん、火曜日斉藤アンコウさん、木曜日の今仁哲夫さん、しばらく後に参加された土曜日の亀淵昭信さんといったところ。信州の田舎でラジオの音量が大きくなったり小さくなったりするのに一生懸命に聞いていました。特に糸居五郎さんの日はシャレた洋楽を紹介されていて、へんな名前のジリオラチンクエッティとか社会の産業革命で習った「マンチェスターとリバプール」という名前が頭に焼きついたものでした。また、今仁哲夫さんの「異常に子供に理解のある大人の人」みたいな話振りはとても人気がありました。


今はどうなっているのかしら。携帯電話とインターネットを通して、チャットやメールのやり取りができるので、深夜放送の人気も下火になっているのではないかと思います。



2002年10月14日(月) スリランカ和平に暗雲?

先週日本に帰国していて、今朝(14日早朝)にスリランカに帰ってきました。スリランカの和平については9月初旬にタイで開かれた第一回和平会議の成功で順調に進んでいると思っていたのですが、先週スリランカ東部で政府軍とLTTEとの間で二件の衝突事件があったようです。


まず、9日水曜日東部のアンパラという町で政府軍とLTTEとの衝突で少なくとも5人の死者がでました。さらに11日金曜日には東北部のトリンコマレーで住民同士の衝突があり、3人が死亡し34人がけがをしたそうです。今朝(14日)の新聞ではこれらの紛争の原因を究明するために現地に和平委員会が設置されたようで、一応事態収拾方向には向かっているようです。


考え方が違う人達の交渉には辛抱強い対応が必要なのはわかるのですが、あまりに長く時間をかけていると、かえって和平プロセス事態を壊しかねないと思います。長時間前進しないでいるのは、すでに後退しているのではないかとの疑念を抱かせます。




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