一昨日の10月30日・31日・本日、コロンボ市内の一部に外出禁止令が出されました。これは、コロンボ市内でイスラム教の住民と仏教徒住民との間で小競り合いがあったことが原因です。30日は死者一名、負傷者多数が出たもようです。インドネシアのバリ島、フィリピン等でイスラム系住民がかかわるとされるテロが続いたので少し心配です。
31日からタイにおいて、スリランカ政府とLTTEとの2回目の和平会談が開始されたばかりなのですが、こちらは仏教徒とヒンドゥー教徒の紛争解決が目的です。南アジア地域は、スリランカが仏教(約70%)、インドがヒンドゥー教、パキスタン・バングラデシュがイスラム教です。うまく宗教間の対立は上手に収めてほしいと思います。
今こちらの会社で重要なプロジェクトが進行中で、他の会社からも多くの社員がプロジェクトに参加しています。そのメンバーの出身をざっとあげると、日本(私)、スリランカ、パキスタン、ドイツ、イギリスということになります。それぞれ、コロンボ、シンガポール、香港、東京などを拠点にしている人間で顔をあわせる機会はそれほど多くなく連絡はメールが中心になっています。
このプロジェクトに参加してみてつくづく思うのは、日本人だけのチームがいかに効率がいいかということです。日本人同志では当たり前の会議のルールとか議論の進め方がまったくといっていいほど通用しないのです。お互いを理解するのに相当時間がかかります。ひょっとして最後まで理解できないかもしれません。ただこういう顔ぶれだと「何でもあり」なので、すごい成果が出る可能性もあります(今回はとてもそうはならないようですが)。日本人同志のプロジェクトはひとつの方向に収斂しやすいので平均して失敗はないものの、期待を大きく上回るということは難しいでしょう。
私はこういう機会は初めてなので、こうしたプロジェクトは大変勉強になります。でも、自分の主張ばかり勝手に意見を言い合って、何回も振り出しに戻るようなことはやはり非能率だと思います。
26日SOSL(Symphony Orchestra of Sri Lanka)の演奏会に行ってきました。今日は仕事で忙しく七時からの演奏会に間に合うかどうか危なかったのですが、何とか一曲目の途中で女子大学の講堂に滑り込むことができました。曲目は、「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ベートーベンの三重協奏曲、エルガーのエニグマ変奏曲でした。入場料はRs400。ほとんど満員の入りでした。
スリランカはイギリス植民地であったせいかエルガーの曲が演奏される機会が多いようです。12月のクリスマスコンサートでもチェロ協奏曲が演奏されます。メインのエニグマ変奏曲は少し冗長な感じがしました。14曲の変奏曲をそれぞれ特色があるのですが、これをキチンと表現するにはすべての楽器が相当程度のテクニックが必要になります。全体合奏が含まれるいくつかの曲は雰囲気もでていて楽しめました。危ない曲もありましたが。ベートーベンの協奏曲は三人のソロ奏者が結構達者なので楽しめました。特にピアノが入るとテンポが安定し音楽が引き締まりました。空調のない舞台で照明に照らされるソロ奏者にとって暑さは大変なようでした。聴衆も汗だくでした。演奏の途中で携帯電話が鳴ったですが、そういうところは日本と変わらないです。
今週月曜日の早朝スリランカに帰国し、そのままこちらの忙しい仕事になだれ込んでしまったので、今日(土曜日)は宿舎で体を休めています。スリランカ南西部のコロンボは雨季から乾季への変わり目で今日は終日雨が降っています。テレビで週末の楽しみであるイギリスプレミアリーグの試合を見ています。午前中は、マンチェスターユナイテッドの試合。ちょうどベッカムのフリーキックが直接ゴールインするシーンに当たりました。午後は今リバプールとマンチェスターシティの試合で、マイケルオーエンがハットトリックを決めました。ベッカムもオーエンを体はそれほど大きくない(むしろ小さい)のにそのサッカーセンスはすごいです。ベッカムのパスは常にといっていいほどシュートチャンスにつながりますし、オーエンの何気ないステップはとんでもない運動神経の賜物です。
「マンチェスターとリバプール」といえば、大昔たぶん1960年代後半頃のイギリスのヒット曲ひとつです。そのころから、マンチェスターとリバプールはいろいろな面でライバルだったようです。この響きは私にとって大変懐かしいものです。多分多くの中年の方も同じだと思いますが・・・・。そう深夜放送のビタースイートサンバで始まる「オールナイトニッポン」です。もう35年前の昔です。日本放送のホームページで調べてみると、オールナイトニッポンは1967年10月から始まっています。私の記憶では中学校一年ごろから深夜放送を聞き始めたので、放送初期の時代です。
当時のパーソナリティで覚えているのは、月曜日の糸居五郎さん、火曜日斉藤アンコウさん、木曜日の今仁哲夫さん、しばらく後に参加された土曜日の亀淵昭信さんといったところ。信州の田舎でラジオの音量が大きくなったり小さくなったりするのに一生懸命に聞いていました。特に糸居五郎さんの日はシャレた洋楽を紹介されていて、へんな名前のジリオラチンクエッティとか社会の産業革命で習った「マンチェスターとリバプール」という名前が頭に焼きついたものでした。また、今仁哲夫さんの「異常に子供に理解のある大人の人」みたいな話振りはとても人気がありました。
今はどうなっているのかしら。携帯電話とインターネットを通して、チャットやメールのやり取りができるので、深夜放送の人気も下火になっているのではないかと思います。
| 2002年10月14日(月) |
スリランカ和平に暗雲? |
先週日本に帰国していて、今朝(14日早朝)にスリランカに帰ってきました。スリランカの和平については9月初旬にタイで開かれた第一回和平会議の成功で順調に進んでいると思っていたのですが、先週スリランカ東部で政府軍とLTTEとの間で二件の衝突事件があったようです。
まず、9日水曜日東部のアンパラという町で政府軍とLTTEとの衝突で少なくとも5人の死者がでました。さらに11日金曜日には東北部のトリンコマレーで住民同士の衝突があり、3人が死亡し34人がけがをしたそうです。今朝(14日)の新聞ではこれらの紛争の原因を究明するために現地に和平委員会が設置されたようで、一応事態収拾方向には向かっているようです。
考え方が違う人達の交渉には辛抱強い対応が必要なのはわかるのですが、あまりに長く時間をかけていると、かえって和平プロセス事態を壊しかねないと思います。長時間前進しないでいるのは、すでに後退しているのではないかとの疑念を抱かせます。
| 2002年09月27日(金) |
コンサートホールの椅子 |
今月の19日にコロンボの「Lionel Wendt劇場」というホールで室内楽コンサートがありました。ピアノ独奏やら声楽やらバイオリン・チェロと小品とかあまり堅苦しくない曲目でした。メイン的な曲としてメンデルスゾーンのバイオリン・チェロ・ピアノの三重奏が演奏されました。一ヶ月ほど前から習いはじめた私の先生も出演されました。今回は演奏の感想ではなくホールの椅子の感想を書きます。
前にオーケストラの演奏を聞いた「レディースカレッジ講堂」も同じなのですが、今回の「Lionel Wendt」の椅子も古い木の肘掛椅子で、5つ並べて長い板で背面を固定し長いすみたいにしたものです。背もたれは垂直、お尻の部分は籐で作られています。最初見たときは「これは疲れるだろうな」と思いました。ところがこれが驚くほど疲れないのです。日本の近代的なホールでも椅子が柔らか過ぎたりして疲れるところがありますが、コロンボのおんぼろ椅子は不思議に疲れないのです。私がそういう環境になれたのか、籐製の椅子が上手に作ってあるのか原因ははっきりしませんが、こちらのコンサートホールは見かけほど疲れないことを知りました。
金曜日が「ポヤ」(満月の休日)で休みだったので今日まで三連休でした。この三連休中に熱心に見たのが「大相撲」。こちらではNHKで午後一時ごろから放送が始まり三時前に全取り組みが終了します。今場所の話題は何と言っても貴乃花が注目の力士です。一年以上怪我で休んでからの復活の場所でした。
今日の「横綱決戦」で負けはしたものの12勝3敗は立派な成績です。復活をアピールしました。しばらく大相撲を見なかったのですが、貴乃花のほかにも個性的で、将来有望な力士が沢山育っていることに驚きました。貴乃花・若乃花時代の後に大相撲の人気も少しかげりが見えたようでしたが、これでまた黄金時代に入りそうです。
いろいろ見方があるでしょうが、私にとっての相撲の面白さは「世代交代」の面白さです。若い力の台頭と、それを阻む旧世代(?)の力。しかし結局は若い力が旧世代を追い落としていく。これが唯一「実力」で勝負がきまるところがあっさりしていていいです。貴乃花の復活はうれしいですが、貴乃花はこれから若い力士の挑戦を受けることになります。若い挑戦者は一年前よりずっと強くなっているはずです。これからどれだけがんばれるか興味深いです。
| 2002年09月19日(木) |
ジャフナ土産、ワイン、ネッリクラッシュ |
先週スリランカ北部のジャフナへ行ったときに土産を買ってきたのです。それは、ロザリアンシスターズという修道院で作っている「ワイン、ココナッツ酒とネッリジュース」です。これらがとってもおいしかったので記録しておきます。
そもそもジャフナには教会とか修道院が多いです。ずいぶん郊外に出ても立派な教会がたってたりします。仏教徒の多いコロンボなどの都市よりヒンズー教徒の多い都市の方がキリスト教の浸透が早かったのかもしれません。さらに教会の規模が大きいことが特徴です。さて、教会・修道院の勢力が強いときにそれらが多くの土地を所有し、農作物を豊富に生産できることは容易に想像できます。私はブドウ畑を見ませんでしたが、半島北部にはブドウ畑が広がっているようです。また、ココナッツ、ネッリ(インド北部地域で大切に扱われているという木で小さな実をつけます)といった木を育て実を収穫しているようです。
さて、ワインですがRs150でした。アルコールの入った「ぶどうジュース」なのですが、非常に興味深く複雑な味をしています。通常市販されているワインと比べるのは酷ですが、とても上品なのです。赤ぶどうを使っているという話を聞きましたが品種はわかりません。でも丁寧で心がこもった作り方をしていることが想像されます。「ネッリクラッシュ」(Nelli Crush)という「ネッリの実」のジュースも大変おいしいものでした。ネッリの実は腎臓障害の薬になるということ。またネッリの樹皮や根も薬として利用されるそうです。北インドで有名な薬木ということで、胃腸の弱かった「仏陀」が利用したかもしれません。
随分まえのに日記に「鳥が豊富→果実が豊富」ということを書いたのですが、今回は新たに「果実が豊富→果実酒が豊富」という関係を再認識しました。
16日からスリランカの民族紛争解決に向けた対話が始まりましたが、17日には日本と北朝鮮との初めて首脳会談が実現しました。月並みな感想ですが人間は合って話すことが大切だと痛感しました。距離が遠いとどうしても興味が薄れます。直接接しないと気持ちとから感情がわかりません。さらに、直接話してもお互い心を開いて話さなければ通じ合えません。
羽田空港で飛行機から降りてくる小泉首相の顔は大変厳しかったと思います。直接あって話すことができましたが、その際に金総書記が心を開いたかどうかは疑問です。
スリランカの和平会談には国内はもとより世界各国が注目しています。日本はじめ欧米の主要先進国は、和平実現後の経済援助を約束しています。逆にいうと外国からの経済援助を約束することで、和平が後戻りできない形に持っていこうとしているのです。それはそれで効果があると思いますが、経済援助だけででこの国が安定を取り戻し発展していけるかというというとそれには疑問符がつきます。民族対立問題とか教育問題を解決するのは、金だけではなく知恵とか経験が必要だと思うからです。
湾岸戦争の時もそうでしたが日本の資金での「貢献」は高く評価されませんでした。今回のスリランカでも北朝鮮でも「金」の量で援助の大きさが測られていますが、金での援助を有効なものとするのは「人」の参画です。遠いスウェーデン和平斡旋に対する評価に比べ、最大援助国「日本」の評価が今一つなのは残念です。
明日16日から、タイのバンコクにおいて、スリランカ政府とLTTE(反政府組織のLiberation Tigers of Tamil Eelam )との和平会談が始まります。スリランカの民族対立抗争は20年以上続いていたものですが、昨年12月から停戦状態が続いていて、本格的な和平交渉がはじまるのです。LTTEは現在スリランカ北部地域(Vavuniyaから北の地域でJaffna半島の入り口までの地域)を支配下に置いているのです。
私は先週LTTEの管轄地域を通って北部の都市ジャフナへ行ってきました。この2月から、KandyとJaffnaを結ぶA9道路が再開されており、LTTE地域を通過することが可能となっているのです。Jaffnaに行くには国内空路を利用することもできます。この空路はJaffnaとコロンボを約一時間で結んでいます。もちろんLTTE支配地域上空を飛ぶのではなくインド洋を北上するのです。
A9道路を車でコロンボからJaffnaまでいくには約400Km走ることになります。北部地域の政府支配地域とLTTE支配地域の境界にはそれぞれの検問所が置かれています。政府側の検問所を通過し、LTTE側の検問所で再チェックが行われてLTTE支配地域に入ります。そしてLTTE支配地域約100Km通過して、LTTEの検問所を通過したあと、政府側の検問所で検査が行われ、政府側支配地域(Jaffna半島)に入ることになるのです。政府側の検問で非常に厳しくチェックされました。
Jaffaの町は内戦でかなり破壊されています。私の会社の電話交換施設の建物もかなり破壊されていました。その建物は有名なJaffnaの「Fort」のすぐとなりにあるのですが、Fortに立てこもった政府軍とわが社に立てこもったLTTE軍との間の交戦により天井や壁が破壊されたのです。観光名所の五角形のFortも破壊されました。今は残った石垣と藪だけの状態で立ち入り禁止になっています。
我が社は停戦が実現した後、いち早く建物を活用して電話設備増設に着手し、先週そのオープニングを迎えることができたのです。Jaffnaの多くの家屋にはまだ電気が通っていません。家屋の修復、電気水道の整備等インフラの回復にはまだまだ長い年月が必要です。
途中通過したLTTE支配地域はJaffnaを上回るほど完璧に破壊されています。地図には町の表示がありますが、町らしい町はLTTEの本部のある「キリノッチ」くらいです。この町も旧市街は完全に破壊されていて、隣接する別な所に町が少し再建されている程度です。LTTE支配地域はほとんど復興の手がついていないのです。車窓から見える風景は、アルナダプーラとかポロナルーワの破壊された古い遺跡に酷似しています。家の土台や石柱が残っているのです。しかしここは、古代遺跡ではなく「10数年前」に破壊されたものなのです。さらに埋設された多くの地雷は撤去作業がまだ緒に着いたばかりです。和平交渉の後の復興は大変な仕事です。しかし、この復興作業が順調にすすまない限り和平は継続しないでしょう。
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