KENの日記
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2002年08月16日(金) スプレッドシート

先週来、会社の長期経営計画モデルの試作に挑戦しています。日本人の同僚が大半を作成しているのですが、まとめの段階で私も参画しました。使っているソフトウェアは「Excll」です。スプレッドシートで20枚くらいの規模です。こうしたモデルの作成作業に関してはずいぶん昔から関わってきてます。


私が初めてソフトによるモデルをつくったのは15年位前です。MS−DOS上の「マルチプラン」という表計算ソフトを使いました。当時NECがどんどん新しいパソコンを出していて、大きいサイズのCDROMが使えるパソコンが家庭に普及し始める時代でした。もちろん通信はまだまだでした。


当時この「マルチプラン」というソフトは画期的なツールだと感激したものです。会社の商品別原価の計算では100以上のシステムへの原価配賦で大活躍しました。それまでは電卓でいちいち計算していたのですから。何日間か徹夜していた作業が瞬時に計算されました。なんといっても、変数を変えて繰り返しシミュレートできるところが大進歩だったのです。そして、それを時間軸の変化にも適用したのが、長期経営計画モデルでした。パソコンの循環計算と収束条件活用し、変数を変えたときの長期経営計画モデル数値の検討は大変エキサイテングでした。ただし、当時は印刷機能が不充分で、罫線が書けない時代でしたから、プレゼン資料作成は下線を駆使して苦労した記憶があります。マルチプランに罫線機能が付加されたときは感激しました。


それ以来、他の仕事を挟んで、何度か経営計画策定作業をしました。そのたびにソフトウエアの進歩には驚かされます。正直いってついていけません。昔のマルチプランが懐かしい。いまでは「Excell」機能はほんの数パーセントしか活用していないかもしれません。また、大規模なソフトになると作りこんだ計算式が複雑になって大変です。計算式のミスを無くすには大変な苦労が必要です。


ソフト機能が向上し、高度なシュミレーションが可能になったのは事実ですが、やはり大切なのは基本的な将来予測をどのように行うのか、悲観的・楽観的に過ぎないかという点です。意思決定の最後はやはり経験に基づいた経営者の意思だと思います。



2002年08月15日(木) 8月15日

終戦記念日を前にして、NHK海外放送で印象的な番組を見ることができました。それは、台湾沖海戦における日本海軍の軍事成果が非常に過大に報告され、次のレイテ島において、この報告により米軍軍事力を過小評価したことから壊滅的な失敗繋がり、そうした「粉飾報告」は終戦まで続いたというもの。番組では、海軍部内における戦果報告作成の過程を追って、現場・現地司令部・大本営といた各段階での報告検討過程が報道されていました。


私は、日本でもこちらでも経理を担当しているので、番組をみて改めて難しい問題だなあと感慨を新たにしました。というのも、ひとつには、最近「エンロン・ワールドコム」といった大企業が粉飾決算により危機に立たされているとおり、行き過ぎた(?)株価至上主義によって企業経営者は(意識的にも無意識にも)粉飾の誘惑に駆られているとう現実があるからです。国民の安全・発展が国家の目的であるはずなのに、海軍・陸軍のメンツが優先してしまった当時の状況は、今の企業社会にも見え隠れします。


もうひとつの興味は、限られた情報をどう判断すべきかという問題です。情報が豊富で判断がほぼ確実に保証されれば問題がないのですが、ことはそう簡単ではなく、非常に少ない情報で、さらにそれに基づく将来によって意思決定しなければならない場合があるからです。NHKの放送の中で、当時の関係者の証言として「現地司令部も大本営も現地から報告を否定することができない状況であった」と報道していました。しかしその背後で、現地には大本営の作戦を遂行して失敗は許されないと心理が大勢を占めていて、上部組織の意に沿う報告が意識的に作られていたのでした。情報の評価・将来の予測に、どれくらい「意思」を参入することができるかという問題でもあります。


企業にとって「失敗を恐れずに挑戦すべし」「ポシチブ思考」といった前向きな行動様式は最も大切な精神だと確信していますが、時に誤解が生じて、情報を悲観的に分析することが消極論と取られたりすることがあります。果敢に挑戦することと、失敗の危険性を十分評価し、リスクをヘッジすることは矛盾しないはずなのですが、こうした思考はまだ十分定着していないようです。


でも、NHKの番組の中で高級参謀が「当時のことは忘れてしまった。」と証言していることろや、「現場司令官が報告に偽りがあれば腹を切るというので否定できなかった」という現地司令部の雰囲気を見るにつけ、組織人間の行動の難しさも実感したひとときでした。



2002年08月12日(月) 子猫

私の会社には野良猫がたくさん住んでいます。といってもコロンボでは普通なのですが。その中の一匹の黒白のメス猫が4匹の子供を産んで育てています。会社の中庭に住んでいるので、毎日通り掛かりの際に覗きに行っています。


子猫四匹はそれぞれ個性が違っています。とても臆病で人間が近づくとすぐ逃げるタイプと、人間にさわられてもなんともないタイプとその中間くらいのタイプ。生まれから間もないので、生まれてからの経験でそうなったとは考えにくいです。多分、生まれつきなのでしょう。


私は、野良猫社会において、人間を恐れない猫の方が長生きするのではないか、幸せだろうと考えています。人間に近づくことから「エサ」をもらう機会が増えるしひょっとするとご主人を見つけることができるかもしれないからです。そのために子猫のころから人間に触れられることに慣れることができるよう、チャンスをみては近くにいって覗いているのです。


しかし、覗きに来る私を見て、逆に人間不信に陥る子猫もいるようですし、人間になれことにより警戒心が薄らぎ交通事故に遭いやすくなる猫をいるでしょう。この辺が難しいところです。いずれにしても4匹の子猫が無事育ってくれるといいなと思っています。 



2002年08月11日(日) アジア陸上

先週金曜日からコロンボで第14回のアジア陸上競技大会が開催されています。9月にプサンでアジア大会があるようですが、陸上競技においてはその前哨戦のようなものでしょう。日本ではほとんど報道されないでしょうが、こちらはすごく盛り上がっています。


昨年の12月に始まった停戦状態がすでに8ヶ月以上続き、スリランカの人もスポーツを存分に楽しめる環境になっているようです。この国おいては、スポーツを幅広く振興することによって、ルールに基づくスポーツマンシップを育ててほしいと思います。


アジアの中では日本と中国の強さが目立ちます。でも体格を見ると、はっきり言って日本の選手が勝っているとは到底思えないのです。中国の選手は均整がとれているし、南アジア(インド、パキスタン、スリランカ等)と中近東の国の人たちは日本人より足が長く胸も厚くて強そうなのです。そうした国が本格的にスポーツに力を入れだしたら、アジアスポーツにおける日本地位も危ないかも知れません。経済状況みたいですね。



2002年08月06日(火) 8月5日

8月5日は私の勤めているスリランカ通信会社と日本の通信会社のマネジメント契約満了の日でした。5年前のこの日、内戦が激しくコロンボ市内で爆弾テロが発生するような状況下において、スリランカ国の通信インフラの整備のため日本の通信技術経営ノウハウを活用するプロジェクトが始まったのでした。この5年間に当時30万に満たなかった電話契約数は70万を超え、通話サービス品質(故障率、通話完了の比率等)の大幅な進歩がありました。


5年目の今日、スリランカにおいては、今後の電気通信さらにはコミュニケーション産業の方向付けの模索が続いています。先進諸国の状況からは少し送れているとは言え、通信革命の波はこの国に押し寄せてきています。つまり、「従来の電話からモバイル通信・インターネットによるコミュニケーション」です。しかし、国民全体への普及は整備されたといっても、固定電話・モバイルあわせても人口普及率で「10%」前後の留まっています。国内における情報格差は広がる一方のような気がします。


今日朝のニュースでNTTコミュニケーションズが「IP電話」電話サービスを開始すると報道していました。IPネットワークを活用すると、従来の電話交換機による通信に比べて驚くほど低コストで通話サービスを提供することができます。技術的にはIPネットワークを活用することによって、国際電話料金も大幅に下げることができます。日本・スリランカも含めてそうした安価な国際電話サービスのブラックマーケットが存在するのも現実のようです。


こうした現実の競争に対抗して通話料金を値下げしつつ、スリランカ国内全般で通信インフラを整備していくことは、企業経営的にかなり困難を伴います。プロジェクト5年間が終了した後、どのような決断がなされるのか、また枠組みの中で、日本の経験をどのようにしたら生かすことができるのか模索が続いています。



2002年07月31日(水) 物乞いの人

コロンボ市内の中心部や高級住宅街の交差点では、よく物乞いの人を見かけます。信号待ちの車に近づいてきて運転席側の窓を「コツコツ」叩いて物乞いをします。赤ん坊を抱いた人とか、怪我をしている人、老人とさまざまな人達がいます。そうした人に物乞いを迫られると、非常に複雑な気持ちになります。小銭をプレゼントして善行をしたと小さな満足を得る場合や、黙ってやり過ごして後悔する場合もありますが、事はもう少し複雑なのです。


こちらの人の話によると、中心部の物乞いの一日の収入は「Rs300」くらいに達するそうです。一人Rs10として30人から得る勘定です。無理な計算ではありません。しかし、これを一ヶ月30日続けると、Rs9000稼げるのです。家事をするメードさんの給料がRs5〜6000だそうなので、彼らよりずっと多くの収入を得ている勘定です。この中から取り仕切っている人達への場所代等が上納されるのです。さらにノウハウの教示、赤ん坊の貸し出しなどもあると聞きました。


こうなってくると「物乞い」もビジネスに近いのです。本当に働けない人達が物乞いをしているのかそうではないのか区別はつきません。こちらとして、ビジネスに近いノウハウは駆使しているものの、本当に他では働けないと信ずるほかないのです。この辺が複雑な気持ちの理由なのです。



2002年07月30日(火) クラシック音楽の状況

先週土曜日のコンサートの翌日二回目のレッスンがありました。ついでにこの国でのクラシック音楽の状況について先生に聞いてみました。先生曰く「この国ではプロの音楽家はいません。私もアマチュアです。国の補助がほとんどないからやっていけないのです。」とのこと。実際、コンサートを開けるような音響設備の整ったホールはありません。


数年前に少し滞在したベトナムハノイ市を思うと、音楽状況の差の差が非常に大きいことに感慨を覚えます。というのも、ハノイ市には、立派なオペラ座があり、大規模な交響曲を立派に演奏できるオーケストラがあるのです。日本にいるときこのハノイ交響楽団の来日コンサートを聞いたのですが、チャイコフスキーの第五交響曲を聞かせてくれました。二楽章のホルンソロが大変上手だったことを覚えています。ハノイ市には音楽大学も整っていました。


こういう文化的な状況は殖民地時代の統治国の影響が大きいようです。ベトナムはフランス統治であったことから、フランス文化からの影響されているのです。ハノイ市には音楽ホールの他、街中に多くの画廊があるのです。スリランカは、かつてポルトガル・ドイツ・イギリスが統治していました。こうした国、あるいはその時の統治者の個性かも知れませんが、音楽芸術面においては影響を与えていないようです。



2002年07月27日(土) コンサート

「Symphony Orchestra Of SriLanka」(SOOS)のコンサートに行って来ました。こちらに来てうわさに聞いていたので聞いてみようとおもっていたのです。会場は「レディースカレッジ講堂」。ここはよく演奏会に使われるようです。しかし、その名前から昭和女子大人見記念講堂を想像してはいけません。普通の講堂で、窓を開け、扇風機をがんがん回しています。となりに座った男性は椅子の間隔が狭いといって文句を言っていました。


演奏曲目は、前半がエグモント序曲、ハフナー交響曲、後半が白鳥の湖から抜粋8曲、そして、若手ソプラノを向かえてラボエム「ムゼッタワルツ」ほか4曲でした。少し遅れていったのでハフナーの2楽章から聞きました。弦楽器は4−4−6−5−2の配置ですが、1stバイオリン4人では音量が小さいのでメロディが貧弱でした。全般にこの国らしい音楽だなと思いました。というのは、管・弦とも技術的にも音量的にも無理をしないので、音が濁ったり聞き苦しいところはないのですが、テクニックがついていかない部分はそれなりにやり過ごすのです。全体としては「ほのぼの」とした明るさに満ちているのです。


暑い国でのチャイコフスキーはやはり「暑苦しい」と思いました。「白鳥」では管楽器が活躍しますがこれも「ほのぼの」ムードでした。スリランカ空軍・陸軍・海軍の軍楽隊のトラが相当人数入っているようです。そんな中でトップチェロ奏者のソロは抜群の安定感と音楽性を発揮していました。先週から通い始めた私の先生なのですが、オーケストラがこういう人で構成されているとしたら大したものだと思っていたのです。その期待はあっけなく裏切られたのですが、そういう一部のすごい人がオーケストラ活動を裏から支えているのもこの国らしい姿だと思いました。


最後のソプラノ歌手の歌は楽しめました。最初の二曲はヘンデルとハイドンで少し堅苦しく歌っていましたが、後の二曲プチーニと「サマータイム」は非常に感情がこもっていて聞いていて気持ちがよかったです。プチーニではミミの期待に膨らむ気持ちを元気にそのまま表現していました。美人でスタイルの良い方なのでソプラノ界で活躍してほしいと思いました。


会場はほぼ満員でした。根強いクラシックファンがいるのです。しかしこの国にはコンサートホールはまだありません。海外から来るオーケストラは室内管弦楽団がせいぜいでホテルのボールルームでディナーショー形式でのコンサートが多くなるのです。



2002年07月25日(木) エサラ・ぺラハラ

スリランカでは7月を「エサラ」とよんでいて、この月の満月「23日」には正月にあたる5月の「ヴェサック」などと並んで、特に盛大な催しがあります。中でもキャンディのぺラハラは、スリランカ観光の目玉のひとつであり、ずいぶん賑わったようです。このぺラハラは、キャンディの仏歯寺を起点として、ポヤの一週間前くらいから毎夜行われ、ポヤの夜に最高潮に達するのです。キャンディ仏歯寺近くのクイーンズホテルは少し古いですが、このぺラハラを見るには最適な場所で、ずいぶん前からぺラハラシーズンの予約は満杯になってしまうそうです。ポヤの夜はテレビの生中継もあり私もテレビを通してすこし見ました。


このキャンディぺラハラ(踊りや楽隊・象など行列)の主役は、仏歯寺に伝えられている「仏歯」を背中乗せて行進する象なのです。この役は賢くて人格(象格)が立派な象が選ばれるのです。今年のこの役は、コロンボのガンガラーマヤ寺院の象の「ラージャ」だったのだそうです(会社の同僚の話)。この「ラージャ」は私の宿舎のすぐそばに住んでいるのですが、他の像を押しのけてこの栄誉ある役割を勝ち取るなんて大したものです。


このキャンディぺラハラは国際的にも有名なのですが、同じ時期に行われている「カタラガマ」のぺラハラはすこしマニアックです。この模様は昨日の夜テレビで中継されていました。カタラガマの中心はヒンズーの「カタラガマ神」なのですが、近くに立てられたキリビハーラという仏教大寺院と渾然一体となっているのです。この辺はスリランカの人の柔軟なところで非常に日本人に近いとおもいます。



2002年07月22日(月) 夏休み

日本では「梅雨明け宣言」がどんどん北上していて、朝のニュースを聞いていると最高気温35度なんていうところがあったりして厳しい暑さが想像できます。コロンボでは、この季節どちらかというと涼しいのではないでしょうか。コロンボは北緯7度なので太陽が北にそれているためだと思います。これに加えて、南西からのモンスーン風が強いので海が荒れています。海水浴やスキィウーバのシーズンは10月ごろから始まります。


先週は、結構忙しい一週間でした。木曜日には国会の委員会に行ってきました。勤めている通信会社は60%国有なので国会の事情聴取があるのです。スリランカの国会議事堂はコロンボ郊外の「スリ・ジャラワルダナ・プラ・コッテ」という場所に新築移転されました。そのためこの長い地名の場所がスリランカの首都とされていますが実際には、国会議事堂と国の機関の一部があるだけのところです。


金曜日には我が社の「株主総会」が開催されました。といっても、株主は国と出資している日本の「NTTCom」と、株を所有する従業員だけの総会で、公開企業はないのですけど。ほとんどのやりとりが「シンハラ語」でなされたので内容は、よくわかりませんでしたが、厳しい語調でのやり取りが行われました。ワールドコムの不正経理問題も他山の石として、経理の基本姿勢や、監査法人との関係などをキチンとしなくてはならないと思っています。


土曜日(20日)にはチェロのレッスンを再開しました。数年前に始めたチェロについては長野・仙台の勤務から東京勤務になったとたん仕事が忙しくなったため、すこし遠ざかってしまっていました。しかし初めての単身赴任生活なので時間の有効活用のために、今回日本からはるばるチェロを持ちこんだのです。こちらの生活基盤が確立できたことと、先生探しができたのでようやく第一回のレッスンに臨むことができました。上達するかどうかは私の精進次第ですが、プロ奏者の音が身近に聞けることは日本ではなかなか得がたい体験です。背伸びをせずに楽しみたいと思っています。




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