| 2002年05月09日(木) |
レストラン(1)「Rohans」 |
コロンボのレストランを紹介します。第一回は「Rohans」というインド料理店です。場所は私が住んでいるマンションの向かいで「UnionPlace通り」に面しています。ナイトクラブも経営していて、土曜の夜はローカルの若者で賑わっています。
ここの料理は北インド料理です。実はスリランカに来るずっと前から、日本でインドカレーレストランを探し歩いては、「チキンカレー」を注文して食べていたのです。東京の数あるインドレストランの中でも、銀座のインド料理店アショカのカレーは別格でした(値段も別格ですが)。
スリランカに来て間もないころ、一回目に行った時に「チキンカレー、ナン、ヨーグルト、マサラティ」を食べました。「ロハンズ」の味は同じ北インド料理の東京のアショカの味に非常に似ていました。インドカレーはスリランカのカレーが直接的に辛いのと対照的に、辛いことは辛いですが、非常に複雑で洗練されていると思います。また、タンドーリで焼いた「ナン」も非常に美味しかったです。
食後にタンドーリを見せてもらいました。清潔で広いキッチンにタイル張りの大きなタンドーリがありました。中は炭火でした。エグゼクティブシェフの「Ramesh」さんは日本の「サマラート・アジャンタ」に友達が行っていると話していました。チキンマサラ(Rs315)ガーリックナン(Rs100)、Lassi(Rs100)、マサラティ(Rs25)。
別の日にタンドーリ料理を食べてみました。定番の「タンドーリチキン」とついでに「シシカバブ」を注文してみました。タンドーリチキンには大変美味しかったです。ここのチキンは色こそ「真っ赤」でいかにも辛そうなのですが、鶏肉の「甘み」と辛さが調和しています。薬味の調合の妙に加えて、鶏肉の強さにも関係しているのでしょう。焼き加減も絶妙で、鶏肉のジューシーさを保っていました。このチキンに比べるとシシカバブは今一歩の感じでした。最後に再び「マサラティー」を注文しましたが、ここのマサラティーは本当に美味しいです。
先週の土曜日にポロナルーワに行って来ました。日本からのお客様を案内することにかこつけての初めてポロナルーワツアーです。ご案内のとおり、スリランカにおいては「文化三角地帯」といって、古都のアルナダプーラ、ポロナルーワ、キャンディを結ぶ三角形の中に、文化遺産が集中しています。
ポロナルーワは10世紀から17世紀まで都が置かれていた場所です。その前にはアヌラダプーラに都がありました。キャンディはポロナルーワの次の都です。といっても日本のように社会構造の変化から時代が変わっていくのではなく、南インドから進入者との戦争の結果、都を北部から南部に移さざるを得なかったというのが真相なのです。
ポロナルーワはアヌラダプーラに比べると、遺跡が整備されていて、保存状態も良く、仏教遺跡ファンにとっては、スリランカで最も魅力的なところでしょう。車でざっと回っても約4時間かかります。仏教遺跡に加えて治水技術には目を見張るものがあります。堤防を築いて大規模な貯水池を作り、そこから弾引かれた水路を通して水を供給しています。この水路は今でも沐浴場として人々に親しまれているのです。
写真を整理して掲載する予定です。お楽しみに。
コロンボからキャンディに通ずる街道沿いに「カジューガマ」という場所があります。「カジュー」はカシューナッツで、「ガマ」は村を表しています。つまりカシューナッツが取れる村なのです。
この「カジューガマ」の名物はなんと行っても、派手な服を着た女性のカシューナッツ売りなのです。奥さんなのか、娘さんなのか、とにかく赤とか黄色の原色の服を着て、道行くドライバーに手を振って商売に励むのです。そうした「でみせ」(といっても小さな机程度ですが)が500mくらいの間に10〜15軒くらい集中しているのです。
考えてみると、商売において女性がこんなに工夫して売ろうとしている姿はこの国では貴重だと思います。そもそもレストランの給仕は殆ど男性です。名所旧跡でしつこく土産物を売ろうとするのも男性が殆どだし、そもそも相手の気持ちを考えてからというのではなく、自分たちの発想から抜けられないことが多いのです。
これを良しとして、今後どんどん販売合戦がエスカレートするのかどうか、またそれが本当に良い方向なのか、ふと考え込んでしまうのです。
先日、こちらの会社の同僚(スリランカ人)に食事に招かれ、彼の子供達と話をする機会があったのですが、その時彼らはテレビ番組で「おしん」が一番好きだと言っていました。この番組はアジアで有名なので以前に放送しているのかなとは思っていましたが、実際に今「おしん」は番組進行中でした。
テャンネルはシンハラ語放送の「ChannelEye」で、日曜日の6時45分から7時15分頃までです。日本での「さざえさん」の時間帯に近く、家族が日曜夜に夕飯を食べながら見るゴールデンタイムです。「おしん」役は子役の「小林綾子さん」から「田中裕子さん」になっています。印象的な音楽も当時のままです。ただ言葉がシンハラ語に吹き替えられています。
そのシンハラ語への吹き替えが結構上手な感じです。シンハラ語の意味はわかりませんが、本当の役者の声に似ていますし、口の動きにも合わせて無理のない吹き替えになっていてとても自然な感じです。ただし東北弁だとか標準語だとかの区別をしているのかどうかわかりません。
言葉がわりませんし昔見たことがあるはずなのに、細かなストーリーを忘れていて、どういうシチュエーションなのかわからないですが、画面に映し出される「おしん」の映像には引き込まれるものがあります。和服を着た女性の歩く姿とか、背筋をピンと伸ばした正座の形とか、細やかな表情とか、昔懐かしい日本の伝統みたいなものをみることができるのです。忙しくしていて、また生活の変化が激しくて忘れていた「日本の美しい伝統」を思い出させてくれる番組です。
| 2002年05月01日(水) |
スリランカ・日本外交樹立50周年 |
ことしは、1952年4月28日にスリランカと日本が外交を樹立してから50年目にあたります。これを記念していろいろな催しが企画されいます。まずこの4月26日は50周年を記念するセミナーがコロンボで開かれました。引き続いて四月末に国会議員団をスリランカを訪れ、今後の二国間の協調関係が議論されました。こちらの新聞等で報道された「スリランカ・日本関係」をすこし紹介します。
日本とスリランカの関係は西暦7世紀日本の仏教僧がスリランカを訪れ、アルナダプーラで修行をしたことに始まるそうです。僧の名は「Amoga Vajira」といって大乗仏教の僧だそうです。この話ははじめて聞いたので、これから少し調べてみたいと思います。
外交樹立を記念して、両国で(スリランカ:富士山の図柄、日本:シギリヤ壁画の図柄)で記念切手が発行されるほか、9月25日から東京でスリランカ文化を紹介する「スリランカ週間」が開催されます。また、スリランカから二頭の象が日本にプレゼントされ、この二頭は日本からクロアチアに再寄贈されるそうです。この二頭の名前は「Mihindu」「Kumari」といって、コロンボ郊外の「象の孤児院」で育てられていた象です。
最後に、かつて日本人にとって非常に重要な出来事があったことを書きたいと思います。それは、第二次世界大戦後のサンフランシスコ平和会議でのスリランカ政府代表のジャヤワルデナセイロン代表(当時、後のスリランカ大統領)の演説のことです。
この和平会議では日本を独立国として認めるか、それとも自由を制限するべきかという根本的対立があり議論が紛糾しました。しかし、以下のジャヤワルデナが引用した仏陀の言葉に集約される彼の考え方が、会議の方向性を決めたといっても過言ではないようです。
曰く「Hatred ceases not by hatred but by love.」(怨みは怨みを返すことで癒させるのではなく愛で癒される)。
日本は第二次世界大戦においてアジア諸国に大きな損害(日本軍はスリランカのトリンコマーレ軍港を爆撃しました)を与えました。しかしサンフランシスコ和平会議で独立国としての「自由」を与えられ、その後奇跡的な復活を遂げることができました。この日本の経済発展を考える時、このジャヤワルデナの演説が与えた日本社会への影響の大きさを痛感せざるを得ません。
私は幸運にもスリランカで働く機会をえたからには、これを肝に銘じて働きたいと思っています。またより多くの人に知ってもらいたいし、次の世代にも受け継いでいきたいと思っています。
スリランカは停戦中の内戦が最終解決に向け動き出そうとしています。長い内戦の影響で社会・文化・経済面での立ち遅れは非常に重大ですが、希望が見えてきました。いまこそ50年前の「恩」を返す時だと思っています。
スリランカは人口の70%以上が敬虔な仏教徒ですが、その仏教徒も聖地として崇める「カタラガマ(カタラガマ神を祭るところ)」に行ってきました。場所はスリランカの南東の端の方です。車でしかいけないのですが、内陸を通っていく道と海岸(ゴール・マータラなど)を通っていく二つの道があり、いずれもコロンボから5時間位かかります。今回は内陸の道を通っていきました。
カタラガマ神殿へはカタラガマの市街地からは車の乗り入れはできません。神殿のある地域はマニック川で市街地と切り離されていて、この川を渡る橋は、三輪車(こっちらでは「バジジ」とも呼んでいます)程度しか通れないのです。車を市街地のホテルやレストハウスに置き、そこで少し休憩し、本来は装束を整えて、川で沐浴してから行くのでしょう。「遠さ」といい、この「面倒くささ」といい、まさしく巡礼の価値(苦労)を高める条件は揃っています。
神殿地区は非常に広大で、中央部にカタラガマ神殿(Maha Devalaya)があります。神殿自体は決して大きくはありません。ここに祭られている神は、インドからきた「スカンダ」神といって、六つの顔と12本の腕を持ち孔雀に乗っているのだそうです(お土産に小さな絵を買ってきました)。ご利益は「願い事が何でも叶うという」とてつもないものです。「悪い願いことでも何でも可」という柔軟なものです。
ここは、ヒンズー教の他の「コービル」(寺院)と違って、非常に単純で、明るい雰囲気を持っているのも特徴です。コロンボ市内のコービルは入り口にすごい装飾を施した門があり、中は薄暗く、火と楽器を使った音楽が、雰囲気を一種異様なものとしており少し近づきがたいです。仏教の偶像崇拝が、突き詰めれば宗教を分かり易くする便法の一つであるのと同じで、カタラガマも分かりやすく、且つ明るい雰囲気を持つことによって、他の宗教の人からも崇拝されているような気がします。
非常に単純なのですが、スリランカのバナナやパイナップルがなぜ美味しいのか分かりました。それは果肉が熟してから収穫するからなのですね。ご当地物の美味しさの秘密は、じっくり熟するのを待てることにあります。輸出する必要がある場合にはこうは行きません。熟する随分前から刈り取り、輸送箱の中で熟させて輸入国に着いたころに食べごろになっている必要があるのです。
こちらの人に聞くと、自家製バナナについては、木についたまま100%熟するのを待って、刈り取りから1日〜2日ぐらい置いたものが一番美味しいそうです。パイナップルについても黄色く熟していて、且つ刈り取ってから日がたってないもの(2日から3日)を選ぶことが「コツ」なのです。いくら黄色くて熟しているように見えても、切り口が古く刈り取ったあと熟したヤツは味が落ちるのです。
バナナについていうと、こちらのバナナは、皮の部分と果肉の部分の「傷」のつき方が日本のバナナと違うのです。日本で食べるバナナは皮の部分に傷があると果肉の部分まで傷が浸透しています。皮と果肉が完全に分離する前に刈り取っているため、箱の中で皮と果肉が一緒に傷つく感じなのですが、こちらのバナナは皮の部分が傷ついても、あるいは熟しすぎても、中の果肉の部分はしっかりしているのです。輸送も簡単なのですね。
これらを味わうことができるのは本当に幸せだと思います。
スリランカのコロンボは今「花」の季節です(だそうです)。私の宿舎からコロンボの町並みが見渡せるのですが、日本の「桜」の季節みたいにきれいです。
まず、「桜」と見まごうがかりのピンクの花をつける「ラブラージア」という木があります。結構、大木になるのですが、つつじのような形の花を咲かせています。オレンジ色の花をつけるのは「メイツリー(Maytree)」だそうです。私の会社の中庭の大木が花を付けています。さらに黄色の花は「アサラ(Asala)」の木です。ピンク・オレンジ・黄色の花は街中でも結構目立ちます。
道を歩いてもそれほど感じませんが、上から見ると見事です。こちらの人に聞くと、一年中で一番花の奇麗な季節だそうです。コロンボに来て「季節感がないなあ」と思っていましたが、この花の季節を迎えて、季節感を感じています。
ところで、スリランカの国花は「ブルーロータス」だそうです。さすがに仏教国ですね。しかし、私はまだ見たことがありません。是非一度見てみたいと思っています。
先週の日曜日に知人にお正月のディナーに招待され彼の家まで行ってきました。彼の家の状況と、ドライバーの話を総合すると、一般的なこちらの家には、かなりのフルーツの木があるようです。まず、バナナの木は基本です。よく道端に茂っていますが、それらにはすべて所有者がいるのです。さらにパパイヤ・マンゴウも一般的なようです。
そしてカシューナッツ。大きなカシューナッツの木からは相当量のカシューナッツの実が取れるようです。スリランカでもカシューナッツは結構値段がはるのです。カシューナッツが一家に一本あるとお得なようです。日本でいえば、柿の木、梅、さくらんぼ、葡萄等を庭に植える感覚ですね。カシューナッツは栗・胡桃・銀杏でしょうか。
バナナが高級品だったころの思い出のある私にとっては、バナナ、パパイヤ、マンゴウなどの果物が庭で取れるというのはなんという贅沢なことだろうと、つい思ってしまいます。こちらで、バナナの大きな房が売られていると、何とはなく心が騒ぐのですね。
日本の実家の庭には「さくらんぼの木」が二本あり、さくらんぼの実が赤くなるのを楽しみにしていた記憶が蘇ります。本当は庭先のイチゴの場合と同じで、赤く熟するのが待てずに、赤くなる前に採ってしまうことが多かったです。もし、小さいころからこの国にいたら、バナナが熟するのが待てずに、きっと青いバナナを食べていただろうと思います。
先週の土曜日のNHKでJリーグ「磐田×横浜」の試合を見ることができました。好調なチーム同士の首位対決ということで、Jリーグとしては最高レベルの試合のようでした。横浜のMF中村の元気な姿も見ることができて安心しました。が、Jリーグの試合はどうもカードによって差がありすぎるような気がします。もう少し全体レベルの底上げが必要でしょう。
こちらでは、ケーブルのスポーツチャネルが充実していて、土日にはイギリスプレミアリーグの試合を中継しますし、そのほかでもスペイン・イタリヤ・ドイツの試合を流しています。アースナルズとかマンチェスタユナイテッドは別格としても、イギリスプレミアリーグの試合は本当におもしろいです。フーリガン対策で日本でも大変なのでしょうが、イギリスの観客は本当によく応援します。競技場はいつも満員です。
プレミアリーグの試合を見ていて日本と違うなと思うことが二つあります。ひとつは反則が少ない。反則があっても試合が流れます。日本の試合でよく見るように接触プレイで大げさに倒れて試合を中断させません。大げさに倒れてもしばらくすると元気にプレイしている選手がいますよね。プロ野球のタイムの感覚があるのかもしれません。それと無駄なパスが少ないです。観客もよく知っていて、サイドチェンジの有効なパス、流れを決めるようなパスには敵味方なく拍手を送ります。
日本選手の中にも小野とか中村とか全体を把握できる選手が出てきていますが、まだまだ数はすくない気がします。勝ち負けももちろんいいですが、いいプレーに拍手し、しょうもないプレーにはブーイングする観客の叱咤激励も選手強化の道だとおもいます。プレミアリーグの選手が得点のあと、見方応援団に飛び込んで抱き合っている姿は、うらやましい限りです。
|