今日11月14日はヒンドゥー教の正月にあたります。スリランカでは仏教徒も含めてこの日は休日です。こういうことについては柔軟というか、都合が良くできています。この正月は「ディバリ祭」と呼ばれています。昨日からヒンドゥー寺院(Templeではなく正式にはKovilというのだそうです)は非常に賑やかでした。この日はほかの宗教の正月と一緒で家族や友人と集まって盛り上がるのだそうです。今日のコロンボは晴天で気温は30度Cくらいです。
11月7日の正午成田発のシンガポール航空便でスリランカに正式に赴任しました。スリランカ到着最初の日から結構惨めな思いをしました。というのも兼ねて連絡を取っていたドライバーとの到着日の打ち合わせが不十分だったことから、8日の朝(といっても午前1時ごろ)にドライバーがバンダラナイケ国際空港に現れなかったのです。彼は一日間違えていて9日の朝と勘違いしていたのでした。
二時間近く空港の「車寄せ」で待った末に、ドライバーを諦めてタクシーを頼んで宿舎に向かいました。深夜になじみのない空港で寂しく待つのは辛いものでした。しかし、ここで自分に言い聞かせました。こんなことはまだ序の口だろう。こんなことで頭にきていたらスリランカではやっていけないから笑顔でやり過ごそう・・・と。
住み着いた住まい(コンドミニアム)は非常に立派で気分は上々です。コロンボ中心街からほんの少しはなれたところにある外国人が多く住む施設です。建物の30階にある部屋なので車の騒音はほとんどなく、窓からインド洋が見渡せます。コロンボ市内は緑が多く、上から眺めると本当にきれいな町です。実際に歩いて近くから見ると結構ごみがあったりして汚れてはいますが。
コンドミニアムのある建物の一階(下駄履き)に日本食レストラン「日本橋」ができるということで、今日は32階の「空き室ペントハウス」を借り切ってそのお披露目がありました。マンションの日本人とかコロンボ在住の日本人が沢山招待されていました。会社の関係で日本人会の理事になるようです。そうすると政府と交渉したり、日本人会の集まりにでたり結構大変なようです。少々億劫なのですが仕方ないですね。
こちらについてから、まだ日本との時差(三時間)は解消されておらず、毎朝4時には目が覚めます。明日は土曜なのでゆっくり休みます。写真はまだ撮っていません。撮ったら日記に添付していこうと思っています。
| 2001年09月16日(日) |
神奈川フィルハーモニー演奏会 |
さいたま芸術劇場(さいたま市)でブラームスプロジェクトという演奏会を聞いてきました。演奏曲目はブラームスの悲劇的序曲、バイオリン協奏曲(独奏竹澤恭子)、交響曲第二番で、神奈川フィルハーモニー、指揮は現田茂夫さんです。
少し前からブラームスのバイオリン協奏曲が気になっていてCDやテレビの番組でも注目してみてきたのですが、今日の演奏はそれらの中でも最高の部類に入るものでしょう。竹澤さんのバイオリンは音が素晴らしくてテクニックも確かな上に、気力充実といったものでぐいぐい音楽を引っ張っていきました。二楽章の丁寧な重音の演奏は白眉であったと思います。バックの神奈川フィルは、管楽器については個人技というよりは二楽章のオーボエに代表されるようにしっかり、ハーモニーを聞かせバランスよくサポートに徹する一方、弦楽器(特に1stバイオリン)はソロに対抗して溌剌とした音楽を聞かせていました。竹澤さんも演奏に満足していたようです。
最後の交響曲第二番は終楽章こそ盛り上がりましたが若干印象の薄いものとなってしました。私としては一楽章のテンポがしっくり来ませんでした(普段古い演奏ばかり聞いているからかも知れませんが)。神奈川フィルは大変バランスの良いオーケストラだと思いました。木管楽器の音程と音質がかなり高いレベルで調和しているし、金管楽器は最後までにごらない音できれいなハーモニーを聞かせていました(もう一段の音量を要求されたときどうなるのかわかりませんが)。
弦楽器はコンマスを筆頭して各パートのプルートの順番どおりに熱演が展開されていました。偶に後の方の奏者が頑張ると音に厚みが増すのがはっきり分かりました。この辺はつらいところだと思います。葉書で応募し見事当たった招待券で聞いてこんな生意気な事を書いてはいけません。横浜から埼玉まで来ていただいて本当にありがとうございました。
| 2001年09月08日(土) |
福井敬さん、緑川まりさんのコンサート |
「イタリヤの旅」と題した歌曲の夕べに行ってきました。さいたま市誕生記念のコンサートで「スペインの旅」「ドイツの旅」「フランスの旅」と続く全四夜のコンサートの第一回目です。出演はテノールの福井敬さんとソプラノの緑川まりさん。緑川さんのお姉さんのピアノ伴奏。日本を代表するテノールの福井さんと6月の新国立劇場で「蝶々婦人」が大評判だった緑川さんの競演です。お二人は二期会の同期だそうでミラノへの留学も同時期だったそうです。曲の間に楽しいお話をしてくださいました。
歌われた曲は、ラ・ボエームから「冷たい手を」「私の名はミミ」「愛らしい乙女」、トスカから「妙なる調和」「歌に生き、恋に生き」「二人の愛の家へ」、その他にお二人の得意なところで「女心の歌」「誰も寝てはならぬ」と「ある晴れた日に」「神よ平和を与えたまえ」といった有名なものでした。ラ・ボエームはお二人が二期会でデビューした時の演目だそうで舞台上での演技もなれたものです。他の曲もお二人の得意な曲です(今の日本ではそれらの曲の第一人者といえるでしょう)。
福井さんの熱唱は素晴らしいものでした。舞台が近いので顔がだんだん赤くなっていくところがわかりました。リゴレットでは舞台から客席に降りて歌うというサービスまでありました。福井さんの歌は福井さんの誠実な人柄がそのまま歌に表れていて、聞いている人を幸せにします。緑川さんはユニークなキャラクターで人を引きつけました。「ある晴れた日に」と「歌に生き、恋に生き」ですばらしい高音を聞かせてくれましたし、表現の幅が非常にひろく「世界に通用する」という言葉が頷ける歌でした。こんな素晴らしいコンサートが小さなホールで、限られた人しか聞くことができないことを非常に残念に思いました。また、これだけ有名な曲を次々に熱唱されるとどう拍手をすべきか困りました。最初から何回も舞台に呼び出すのも変ではあるものの、素晴らしい歌なので拍手はしたいし。とにかくめったに聞くことができないほどの演奏会あったことは確かです。アンコール「乾杯の歌」のあとに、このコンサートを企画したのは先日亡くなった團伊久磨さんで、團さんが司会もするはずだったということを聞きました。最後には團さんを偲んで「花の街」を会場全員で歌いました。(さいたま文化センター小ホール)
夜のテレビ番組で超能力の「スプーン曲げ」の紹介がありました。そういう番組は好きなのでテレビを見ながらスプーンを持ってきて真似をします。これまでも同じような番組を見ながら家族皆で何度も挑戦したことがありましたが、スプーンには変化の起きた試しはありませんでした。しかし今回、私が不思議にスプーンが柔らかいなと思いつつ、「フニュッ」という感じで曲げてしまいました。残りの家族は全くだめでした。私に超能力のあるのかしら。それとも水泳を続けているので単に「バカヂカラ」がついたのか。左がその証拠写真です。もったいないので他のスプーンでは試してはいません。

私の田舎長野県須坂市の「臥龍公園」公園という近隣ではちょっと有名な公園があります。2つの山と池と動物園やら運動公園やらの複合した公園で、山の形が「臥せた龍」に似ているところから「臥龍公園」と命名されています。竜が臥せる姿など誰もしらないのですが・・・。
私の通っていた小学校がその公園のすぐ近くにあったことから小さい頃からそこでよく遊びました。池は「龍が池」といって、結構大きくてボートを楽しめますし、冬は数え切れないほどのカモ(だと思います)が渡ってきます。実は今年はその「龍が池」ができてから70周年の年だそうです。
須坂市は昭和の初め頃まで製糸産業が非常に盛んでした。そのなごりで市内には多くの蔵が残っていて観光スポットになっています。今は大分廃れましたが製糸産業盛んな頃は料亭があったり、「芸者さん」がいたりで結構な羽振りだったようです。母の実家が「すき焼料理屋」だったのでその頃の話を聞くことがあります。
その製糸産業は世界恐慌の影響で大打撃を受けました。町には職を失った人が数多くいたようです。その失業者に職を与えるためにに考えられたのが、臥龍山の麓に「池」を掘って大規模な公園を作ろうと言う案でした。それが今の「龍が池」が出来た理由なのだそうです。
当時は機械などほとんどない時代ですから「手堀り」だったそうです(失業対策事業ですからできるだけ多くの人が働ける「手掘り」が良かったのでしょう)。関係者の大変な苦労の末に大きな池が完成しました。池の中央には東西を結ぶ100m位の橋が架けられました。池の南部分には小さな島が築かれ弁天様を祀っており、その弁天島と池の岸とは10mくらいの赤く塗られた橋で結ばれています。池の岸には多くの桜が植えられました。また池の周りの10軒ほどの茶店が開店しました。春は花見で相当賑わいます。夏には花火大会がありました。冬は張り詰めた氷の上でスケートが楽しめました(今は禁止のようですが)。
昔の人は素晴らしい事を考えたものだと思います。自分の時代の人々だけでなく、将来の子孫達にも大きな贈り物となっています。郷土の先輩に脱帽です。
8月12日から長野県須坂市の田舎に帰省して今日さいたまに戻ってきました。3日間という短い期間でしたがお墓まいりや親戚への挨拶の義理を果たす一方朝夕の涼しくて澄んだ空気に触れてリフレッシュしました。
夏の帰省は丁度「終戦記念日」近辺になるので晩御飯のひと時、母から戦争時代の昔話を聞き出すようにしています。今回は妻の父からも昔話を聞くことができました。母は今「ほたる」を読んでるところでした。特攻隊員の世話をしてきた旅館(食堂)の女将さんの話です。本の最初のところに収録されている写真が実にリアルに話の筋を想像させます。
実は母の弟(私の叔父)が海軍飛行予科練習生として土浦の海軍航空隊に行っていて、戦争がもう少し続いていたら特別攻撃隊として出撃していたところだったのだそうです。その辺の詳しい話は叔父からは聞いたことがありませんがその頃の写真が少し田舎に残っています。私の長男も今年18歳で丁度予科練にいった頃の叔父と同じ年になっています。
長野から埼玉へ帰り道に珍しい動物に遭いました。須坂市から国道403号線(国道と行っても急で狭い山道が続きます)で菅平高原を抜けて、小諸・佐久を抜けて「下仁田」から高速長野道にはいるのが渋滞を避けるコツなのです。夏の軽井沢には観光客が大勢押しかけるのでそこを避けるのがポイントです。菅平への登り口の道に「日本カモシカ」いました。動物園でも近くでは見ることができない「日本カモシカ」が車のすぐ近くにいました。よく見ようとスピードを落としたところ後からきたトラックに大分迷惑をかけてしまいました。長野県にはまだ自然が残っているのです。
| 2001年07月22日(日) |
リリエンベルクのザッハトルテ |
川崎新百合が丘のリリエンベルクというケーキ屋さんへ行って「ザッハトルテ」を買ってきました。音楽好きの人間は「ザッハトルテ」に憧れる人が多いはずです。色々な本で紹介されていますが、「ザッハトルテ」はウイーンの国立歌劇場近くのザッハホテルで最初につくられました。ザッハホテルのカフェでウインナコーヒーとザッハトルテでコンサートの前の一時を過ごすというのは憧れの組み合わせです。まだ行ったことはないのでいつか是非本物を経験してみたいと思っています。
ということで随分前から「ザッハトルテ」に凝っています。東急東横線学芸大学駅前に昔「モーツァルト」というケーキ屋さんがあって、長男の誕生祝と称して大きなザッハトルテを注文したことがありました。(今でもあるのでしょうか)大変美味しかったことと、ローソクを立てるのに苦労したことを思い出します。
また仙台のあるホテルのパーティで美味しい「ザッハトルテ」に出会い、ホテルに問い合わせたところ菓子職人の試作品で販売用ではないとのホテルの返事にがっかりしたことがありました。仙台では藤崎百貨店の近くのケーキ屋さんの頒布会で注文したことがありました。
いつでも手に入る店では「デメル」がNo.1でしょう。「デメル」は「ザッハ」と同じウイーンのケーキ屋さんで、創始者のザッハホテルと色々揉め事があったようですが、結局「ザッハトルテ」も扱うことになっています。日本では「デメル」の「ザッハトルテ」が有名になっているようです。
「デメル」の「ザッハトルテ」は本場物だけにさすがです。非常に濃密です。浦和では伊勢丹の地下に入っているので便利です。そこでリリエンベルクですが、ご主人はそのデメルで修行されたのだそうです。日本人向けにアレンジしたのでしょうか上品ですが、すこしあっさりしていると思いました。「ホテルザッハ」オリジナルに近い「ザッハトルテ」を是非探したいと思っています。ご存知の方は是非教えてください。
このところずっと暑かったのですが、この土日(14、15日)の暑さ(特に土曜日)にはまいりました。関東地方の梅雨明けは11日ということですが、我が家では7月1日から実は明けているというのが定説です。例年、居間にあるエアコンだけで(それもあまりつけずに)我慢してきたのですが、それを一日フル回転させても土曜日は「外よりはいいけれど」という程度のけだるい暑さ。とうとう「エアコン買おう」ということになりました。早速土曜日に量販電気店Kで注文しました。その他に、冷気を行き渡らせるための扇風機も日曜日に量販電気店Yで買いました。
さいたま市も十分暑いのですが、「39.8度」とか報道されている熊谷はどんなに暑いんだろう、行ってみようなどと言い出し、日曜日に車で出かけました。熊谷は遠いので上尾くらいにしておこうと言いながら北本まで行きました。車から降りると顔の周りにサウナのような熱気を感じます。たまに風が当たるとそれほどでもないのですが、浦和(さいたま)より暑いと思いました。住んでいる人ご苦労様です。
上野の国立西洋美術館へ「イタリア・ルネサンス」展を見に行ってきました。15日は復活祭でキリスト教関係では重要な日です。私はキリスト教徒ではないけれど、3月にマタイ受難曲を聞き、言葉は判りませんが(対訳付き)キリストの死を悼む合唱が感動的な響きをもっていて敬虔な気持ちになりました。
今日見た「イタリア・ルネサンス」展においても受胎告知の図とか、キリストの死を悲しむ宗教的な題材の絵画に大いに惹かれました。仏教の仏像の場合でも同じだと思いますが、宗教的な「精神の深さ」が見るものに大きな感動を与えれるのだと思います。日本に運んで来れない「最後の審判」とか「最後の晩餐」とか傑作を見てみたいものだと思います。
|