KENの日記
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2001年08月24日(金) 臥竜公園の池

私の田舎長野県須坂市の「臥龍公園」公園という近隣ではちょっと有名な公園があります。2つの山と池と動物園やら運動公園やらの複合した公園で、山の形が「臥せた龍」に似ているところから「臥龍公園」と命名されています。竜が臥せる姿など誰もしらないのですが・・・。

私の通っていた小学校がその公園のすぐ近くにあったことから小さい頃からそこでよく遊びました。池は「龍が池」といって、結構大きくてボートを楽しめますし、冬は数え切れないほどのカモ(だと思います)が渡ってきます。実は今年はその「龍が池」ができてから70周年の年だそうです。

須坂市は昭和の初め頃まで製糸産業が非常に盛んでした。そのなごりで市内には多くの蔵が残っていて観光スポットになっています。今は大分廃れましたが製糸産業盛んな頃は料亭があったり、「芸者さん」がいたりで結構な羽振りだったようです。母の実家が「すき焼料理屋」だったのでその頃の話を聞くことがあります。

その製糸産業は世界恐慌の影響で大打撃を受けました。町には職を失った人が数多くいたようです。その失業者に職を与えるためにに考えられたのが、臥龍山の麓に「池」を掘って大規模な公園を作ろうと言う案でした。それが今の「龍が池」が出来た理由なのだそうです。

当時は機械などほとんどない時代ですから「手堀り」だったそうです(失業対策事業ですからできるだけ多くの人が働ける「手掘り」が良かったのでしょう)。関係者の大変な苦労の末に大きな池が完成しました。池の中央には東西を結ぶ100m位の橋が架けられました。池の南部分には小さな島が築かれ弁天様を祀っており、その弁天島と池の岸とは10mくらいの赤く塗られた橋で結ばれています。池の岸には多くの桜が植えられました。また池の周りの10軒ほどの茶店が開店しました。春は花見で相当賑わいます。夏には花火大会がありました。冬は張り詰めた氷の上でスケートが楽しめました(今は禁止のようですが)。

昔の人は素晴らしい事を考えたものだと思います。自分の時代の人々だけでなく、将来の子孫達にも大きな贈り物となっています。郷土の先輩に脱帽です。



2001年08月14日(火) 須坂に帰省

8月12日から長野県須坂市の田舎に帰省して今日さいたまに戻ってきました。3日間という短い期間でしたがお墓まいりや親戚への挨拶の義理を果たす一方朝夕の涼しくて澄んだ空気に触れてリフレッシュしました。

夏の帰省は丁度「終戦記念日」近辺になるので晩御飯のひと時、母から戦争時代の昔話を聞き出すようにしています。今回は妻の父からも昔話を聞くことができました。母は今「ほたる」を読んでるところでした。特攻隊員の世話をしてきた旅館(食堂)の女将さんの話です。本の最初のところに収録されている写真が実にリアルに話の筋を想像させます。

実は母の弟(私の叔父)が海軍飛行予科練習生として土浦の海軍航空隊に行っていて、戦争がもう少し続いていたら特別攻撃隊として出撃していたところだったのだそうです。その辺の詳しい話は叔父からは聞いたことがありませんがその頃の写真が少し田舎に残っています。私の長男も今年18歳で丁度予科練にいった頃の叔父と同じ年になっています。

長野から埼玉へ帰り道に珍しい動物に遭いました。須坂市から国道403号線(国道と行っても急で狭い山道が続きます)で菅平高原を抜けて、小諸・佐久を抜けて「下仁田」から高速長野道にはいるのが渋滞を避けるコツなのです。夏の軽井沢には観光客が大勢押しかけるのでそこを避けるのがポイントです。菅平への登り口の道に「日本カモシカ」いました。動物園でも近くでは見ることができない「日本カモシカ」が車のすぐ近くにいました。よく見ようとスピードを落としたところ後からきたトラックに大分迷惑をかけてしまいました。長野県にはまだ自然が残っているのです。



2001年07月22日(日) リリエンベルクのザッハトルテ

川崎新百合が丘のリリエンベルクというケーキ屋さんへ行って「ザッハトルテ」を買ってきました。音楽好きの人間は「ザッハトルテ」に憧れる人が多いはずです。色々な本で紹介されていますが、「ザッハトルテ」はウイーンの国立歌劇場近くのザッハホテルで最初につくられました。ザッハホテルのカフェでウインナコーヒーとザッハトルテでコンサートの前の一時を過ごすというのは憧れの組み合わせです。まだ行ったことはないのでいつか是非本物を経験してみたいと思っています。

ということで随分前から「ザッハトルテ」に凝っています。東急東横線学芸大学駅前に昔「モーツァルト」というケーキ屋さんがあって、長男の誕生祝と称して大きなザッハトルテを注文したことがありました。(今でもあるのでしょうか)大変美味しかったことと、ローソクを立てるのに苦労したことを思い出します。

また仙台のあるホテルのパーティで美味しい「ザッハトルテ」に出会い、ホテルに問い合わせたところ菓子職人の試作品で販売用ではないとのホテルの返事にがっかりしたことがありました。仙台では藤崎百貨店の近くのケーキ屋さんの頒布会で注文したことがありました。

いつでも手に入る店では「デメル」がNo.1でしょう。「デメル」は「ザッハ」と同じウイーンのケーキ屋さんで、創始者のザッハホテルと色々揉め事があったようですが、結局「ザッハトルテ」も扱うことになっています。日本では「デメル」の「ザッハトルテ」が有名になっているようです。

「デメル」の「ザッハトルテ」は本場物だけにさすがです。非常に濃密です。浦和では伊勢丹の地下に入っているので便利です。そこでリリエンベルクですが、ご主人はそのデメルで修行されたのだそうです。日本人向けにアレンジしたのでしょうか上品ですが、すこしあっさりしていると思いました。「ホテルザッハ」オリジナルに近い「ザッハトルテ」を是非探したいと思っています。ご存知の方は是非教えてください。



2001年07月16日(月) エアコン購入

このところずっと暑かったのですが、この土日(14、15日)の暑さ(特に土曜日)にはまいりました。関東地方の梅雨明けは11日ということですが、我が家では7月1日から実は明けているというのが定説です。例年、居間にあるエアコンだけで(それもあまりつけずに)我慢してきたのですが、それを一日フル回転させても土曜日は「外よりはいいけれど」という程度のけだるい暑さ。とうとう「エアコン買おう」ということになりました。早速土曜日に量販電気店Kで注文しました。その他に、冷気を行き渡らせるための扇風機も日曜日に量販電気店Yで買いました。

さいたま市も十分暑いのですが、「39.8度」とか報道されている熊谷はどんなに暑いんだろう、行ってみようなどと言い出し、日曜日に車で出かけました。熊谷は遠いので上尾くらいにしておこうと言いながら北本まで行きました。車から降りると顔の周りにサウナのような熱気を感じます。たまに風が当たるとそれほどでもないのですが、浦和(さいたま)より暑いと思いました。住んでいる人ご苦労様です。



2001年06月23日(土) イタリア

上野の国立西洋美術館へ「イタリア・ルネサンス」展を見に行ってきました。15日は復活祭でキリスト教関係では重要な日です。私はキリスト教徒ではないけれど、3月にマタイ受難曲を聞き、言葉は判りませんが(対訳付き)キリストの死を悼む合唱が感動的な響きをもっていて敬虔な気持ちになりました。

今日見た「イタリア・ルネサンス」展においても受胎告知の図とか、キリストの死を悲しむ宗教的な題材の絵画に大いに惹かれました。仏教の仏像の場合でも同じだと思いますが、宗教的な「精神の深さ」が見るものに大きな感動を与えれるのだと思います。日本に運んで来れない「最後の審判」とか「最後の晩餐」とか傑作を見てみたいものだと思います。



2001年06月16日(土) 有楽町ビックカメラ

有楽町駅前の旧「そごう」デパート後に「ビックカメラ」がオープンしました。仕事で少し関係していることに加え、パソコン機器を見たかったのでいって見ました。ビジネスマンが多い有楽町なので土曜日は少しすいているのではと思っていったのですがすごい混雑でした。とてもゆっくり見て回るというムードではありませんでした。夏ボーナスシーズンですので一気に人が繰り出した感じです。

以前はデパートであったこととから、トイレがきれいで各階(階段踊り場)にあること、エスカレータ・階段に余裕があることが、買い物客にとってありがたいと思いました。パソコン・インターネット関連でいうと、ハードウエア購入に加え、プロバイダー申し込み、ホームページ作成等のソフト的要素が大切になってきますが、素人の方がそうした分野についてのアドバイスが気軽に受けられるような雰囲気にするともっと便利になるとおもいます。パソコン売り場で結構「インターネット」に関して困っている人が見受けられました。



2001年05月21日(月) アマリリス&胡蝶蘭

我が家でアマリリスと胡蝶蘭の花が咲きました。胡蝶蘭は会社で枯れかかっていたところを家で復活させたもので、観賞用の鉢の中では根が伸びることができず可愛そうなくらいでした。のびのびしていて気持ちよさそうです。アマリリスは二年目です。最初の年は窮屈な植木鉢でしたが、大きなヤツに植え替えたところこれまたすくすく育ちました。下の写真で比較のために横に置いた瓶は「一升瓶」です。花の直径は約20cmくらいあります。



2001年05月13日(日) ADSL開通

8日に「ADSL」の工事が終了し、本日「家庭内LAN」が完成しました。ということで我が家のコンピュータ関連設備を紹介いたします。

ルータ:メルコ無線ルータ(WLS−L11S−L)
 追加無線LANカード:メルコ(WLI−PCML11)
 ADSLモデム:NTT東日本レンタル
 コンピュータ:VAIO PCG−F55、
 NECLAVIE−U(LU45L/3)、NECPC9821Ne2(設定中)
デジカメ:オリンパスC-2020
 CD-R/RW:SONYCRX-75A
 プリンタ:CANON BJC420J

無線ルータの設定にはこの土日に大変苦労しました。一台はつながるのですがもう一台がなかなかつながりませんでした。二回最初からやり直した後、二つのパソコンの無線LANカードを入れ替えたら、なぜか理由がわかりませんが繋がりました。寝不足になったことと目が疲れて散々な週末でした。完成後のインターネット環境には大変満足しています。8日からADSLを有線で使っていましたが、ダイヤルアップの時とは雲泥の差です。これからは時間を気にすることなくインターネットを使うことができます。

全く別な話題ですが、近所のロッテ寮で今年生まれた子猫が元気に巣立っていることを確認しました。そろそろ生後一ヶ月ぐらいでしょうか、目も開いていて自分で結構歩いていました。.確認できたのは4匹です。内訳は「三毛一匹、茶トラ二匹、きじトラ一匹」です。写真はありません。今週末また行ってみてうまくチャンスがあったら写真を撮ります。



2001年05月05日(土) 中仙道散策

連休も後一日です。今日は近くの蕨市に行ってきました。浦和市の中心街から旧中仙道を南下して蕨宿まで車でのんびり走り、蕨宿の本陣後のある蕨市歴史民族資料館を見てきました。中仙道に関しては、長野県に住んでいるころ有名な木曽の妻籠宿・馬籠宿にいったことがあります。今回は日本橋から数えて二番目の蕨宿と三番目の浦和宿です。

浦和宿に昔の面影は殆どありません。旧中山道が町一番の繁華街になっているので土日はいつも大渋滞です。浦和駅から西に伸びる県庁通りと旧中山道との交差点から少し南下したところに「浦和宿」の石碑が立っている程度です。さらに南下すると「調神社」(いつき神社)の森が左手にあります。通称「つきの宮」だそうです。この神社は「うさぎ」と関係が深いようです。「狛犬」の代わりに「うさぎ」が出迎えてくれます(下の写真)。また古い社に「うさぎと月」の彫刻があります。民間信仰と関係が深いのでしょう。


さらに南下するとゆったり左にカーブする角に古そうな井戸がありました。旅人が喉を潤したところと想像できます。浦和宿は台地の上にあり、浦和宿から1Km南下すると中仙道は下り坂になります。この坂は焼米坂というのだそうです。蕨宿から逆に来ると浦和宿の手前で結構きつい登り坂になるのです。だらだら坂を登った坂の上に井戸があるといった感じです。


その坂を下りてしばらく行くと国道17号と交差します。そこが六辻交差点です。国道17号線は中山道とほぼ同じルートですが、旧中仙道とは多少異なります。17号線の東を通っていた中仙道は、六辻交差点を越え西側に変わります。中仙道は六辻交差点から南下し、東京外環自動車道の下を通って緩やかにカーブし、再び国道17号線に交わります。東京外環自動車道との交差点の南側に「一里塚」の石碑がありました。今は「一里塚公園」という小さな公園になっています。


そこから17号線の交差点までは静かな住宅街が続いています。この交差点からまた中仙道は17号線の西側になります。ここから南に蕨宿があります。電柱が茶色に塗られていたり、車道と歩道が色分けされていて、街灯もお洒落で結構細かいところに配慮して昔の宿場町が再現されつつあります。


中程に本陣跡の石碑と蕨市歴史民族資料館があります。そこでは蕨宿を中心して蕨市の歴史を紹介おり、丁度近くある「極楽寺三学院」という寺の特別展をやっていました。展示の中心は平安時代後期作とされる「木造十一面観音菩薩立像」です。平安後期にしては、金箔などが残っていて、またどことなく堅い感じがしてもう少し後の時代ではないかと思います。他に仏画が何点か展示されていました。

ここから南はあと少し行くと戸田で荒川を渡りいよいよ江戸に入ります。この次はもう少し南まで行ってみたいと思っています。



2001年04月30日(月) さいたま市誕生

非常にローカルな話題ですが、明日5月1日「さいたま市」が誕生します。ということで表紙の写真を替えました。浦和市から「さいたま市」へ看板の付け替えが各所で行われています。

4月28日に浦和市中学校吹奏楽合同演奏会が南浦和の文化センターで開催されました。今回が「浦和市」と銘打った最後の演奏会となりました。これは浦和市内吹奏楽クラブの三年生が五つくらいの中学校で一つのチーム(80人くらい)を作り3曲程度演奏するもので、こうしたチームが四つできました(もし合併した「さいたま市」でやったら倍以上になります)。

長女も3年生として参加しました。各学校の音楽の先生が順番に一曲ずつ振ったのですが、中学生でも指揮者によって非常に演奏レベルが変わることがはっきり判りました。指揮者によって、生徒の「ノリ」や「ミス」の度合いなどびっくりするほど違っていました。最後に4チーム全員の合同演奏が企画されていて、ステージに載りきらない生徒が通路に並んで大合奏となりました。




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