KENの日記
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2001年06月16日(土) 有楽町ビックカメラ

有楽町駅前の旧「そごう」デパート後に「ビックカメラ」がオープンしました。仕事で少し関係していることに加え、パソコン機器を見たかったのでいって見ました。ビジネスマンが多い有楽町なので土曜日は少しすいているのではと思っていったのですがすごい混雑でした。とてもゆっくり見て回るというムードではありませんでした。夏ボーナスシーズンですので一気に人が繰り出した感じです。

以前はデパートであったこととから、トイレがきれいで各階(階段踊り場)にあること、エスカレータ・階段に余裕があることが、買い物客にとってありがたいと思いました。パソコン・インターネット関連でいうと、ハードウエア購入に加え、プロバイダー申し込み、ホームページ作成等のソフト的要素が大切になってきますが、素人の方がそうした分野についてのアドバイスが気軽に受けられるような雰囲気にするともっと便利になるとおもいます。パソコン売り場で結構「インターネット」に関して困っている人が見受けられました。



2001年05月21日(月) アマリリス&胡蝶蘭

我が家でアマリリスと胡蝶蘭の花が咲きました。胡蝶蘭は会社で枯れかかっていたところを家で復活させたもので、観賞用の鉢の中では根が伸びることができず可愛そうなくらいでした。のびのびしていて気持ちよさそうです。アマリリスは二年目です。最初の年は窮屈な植木鉢でしたが、大きなヤツに植え替えたところこれまたすくすく育ちました。下の写真で比較のために横に置いた瓶は「一升瓶」です。花の直径は約20cmくらいあります。



2001年05月13日(日) ADSL開通

8日に「ADSL」の工事が終了し、本日「家庭内LAN」が完成しました。ということで我が家のコンピュータ関連設備を紹介いたします。

ルータ:メルコ無線ルータ(WLS−L11S−L)
 追加無線LANカード:メルコ(WLI−PCML11)
 ADSLモデム:NTT東日本レンタル
 コンピュータ:VAIO PCG−F55、
 NECLAVIE−U(LU45L/3)、NECPC9821Ne2(設定中)
デジカメ:オリンパスC-2020
 CD-R/RW:SONYCRX-75A
 プリンタ:CANON BJC420J

無線ルータの設定にはこの土日に大変苦労しました。一台はつながるのですがもう一台がなかなかつながりませんでした。二回最初からやり直した後、二つのパソコンの無線LANカードを入れ替えたら、なぜか理由がわかりませんが繋がりました。寝不足になったことと目が疲れて散々な週末でした。完成後のインターネット環境には大変満足しています。8日からADSLを有線で使っていましたが、ダイヤルアップの時とは雲泥の差です。これからは時間を気にすることなくインターネットを使うことができます。

全く別な話題ですが、近所のロッテ寮で今年生まれた子猫が元気に巣立っていることを確認しました。そろそろ生後一ヶ月ぐらいでしょうか、目も開いていて自分で結構歩いていました。.確認できたのは4匹です。内訳は「三毛一匹、茶トラ二匹、きじトラ一匹」です。写真はありません。今週末また行ってみてうまくチャンスがあったら写真を撮ります。



2001年05月05日(土) 中仙道散策

連休も後一日です。今日は近くの蕨市に行ってきました。浦和市の中心街から旧中仙道を南下して蕨宿まで車でのんびり走り、蕨宿の本陣後のある蕨市歴史民族資料館を見てきました。中仙道に関しては、長野県に住んでいるころ有名な木曽の妻籠宿・馬籠宿にいったことがあります。今回は日本橋から数えて二番目の蕨宿と三番目の浦和宿です。

浦和宿に昔の面影は殆どありません。旧中山道が町一番の繁華街になっているので土日はいつも大渋滞です。浦和駅から西に伸びる県庁通りと旧中山道との交差点から少し南下したところに「浦和宿」の石碑が立っている程度です。さらに南下すると「調神社」(いつき神社)の森が左手にあります。通称「つきの宮」だそうです。この神社は「うさぎ」と関係が深いようです。「狛犬」の代わりに「うさぎ」が出迎えてくれます(下の写真)。また古い社に「うさぎと月」の彫刻があります。民間信仰と関係が深いのでしょう。


さらに南下するとゆったり左にカーブする角に古そうな井戸がありました。旅人が喉を潤したところと想像できます。浦和宿は台地の上にあり、浦和宿から1Km南下すると中仙道は下り坂になります。この坂は焼米坂というのだそうです。蕨宿から逆に来ると浦和宿の手前で結構きつい登り坂になるのです。だらだら坂を登った坂の上に井戸があるといった感じです。


その坂を下りてしばらく行くと国道17号と交差します。そこが六辻交差点です。国道17号線は中山道とほぼ同じルートですが、旧中仙道とは多少異なります。17号線の東を通っていた中仙道は、六辻交差点を越え西側に変わります。中仙道は六辻交差点から南下し、東京外環自動車道の下を通って緩やかにカーブし、再び国道17号線に交わります。東京外環自動車道との交差点の南側に「一里塚」の石碑がありました。今は「一里塚公園」という小さな公園になっています。


そこから17号線の交差点までは静かな住宅街が続いています。この交差点からまた中仙道は17号線の西側になります。ここから南に蕨宿があります。電柱が茶色に塗られていたり、車道と歩道が色分けされていて、街灯もお洒落で結構細かいところに配慮して昔の宿場町が再現されつつあります。


中程に本陣跡の石碑と蕨市歴史民族資料館があります。そこでは蕨宿を中心して蕨市の歴史を紹介おり、丁度近くある「極楽寺三学院」という寺の特別展をやっていました。展示の中心は平安時代後期作とされる「木造十一面観音菩薩立像」です。平安後期にしては、金箔などが残っていて、またどことなく堅い感じがしてもう少し後の時代ではないかと思います。他に仏画が何点か展示されていました。

ここから南はあと少し行くと戸田で荒川を渡りいよいよ江戸に入ります。この次はもう少し南まで行ってみたいと思っています。



2001年04月30日(月) さいたま市誕生

非常にローカルな話題ですが、明日5月1日「さいたま市」が誕生します。ということで表紙の写真を替えました。浦和市から「さいたま市」へ看板の付け替えが各所で行われています。

4月28日に浦和市中学校吹奏楽合同演奏会が南浦和の文化センターで開催されました。今回が「浦和市」と銘打った最後の演奏会となりました。これは浦和市内吹奏楽クラブの三年生が五つくらいの中学校で一つのチーム(80人くらい)を作り3曲程度演奏するもので、こうしたチームが四つできました(もし合併した「さいたま市」でやったら倍以上になります)。

長女も3年生として参加しました。各学校の音楽の先生が順番に一曲ずつ振ったのですが、中学生でも指揮者によって非常に演奏レベルが変わることがはっきり判りました。指揮者によって、生徒の「ノリ」や「ミス」の度合いなどびっくりするほど違っていました。最後に4チーム全員の合同演奏が企画されていて、ステージに載りきらない生徒が通路に並んで大合奏となりました。



2001年04月29日(日) 春の天皇賞

春の天皇賞。テイエムオペラオーが勝ちました。これで2000年の春の天皇賞から、2000年秋、2001年春と天皇賞三連勝となりました。



2001年04月12日(木) 長男の大学入学式

今日は長男の大学の入学式に行ってきました。北の丸の日本武道館には希望に溢れた若者とその家族が大勢集まっていて非常に晴れやかでした。子供の希望が実現したという喜びと「やれやれ」という安堵感でしょうか同じような顔つきの家族が多くいたように思えます。自分たちの頃はこんなに晴れやかだった記憶はありません。20年以上も前なので時代は大きく変わっているのだなと実感しました。彼らは21世紀最初の入学式に望んでいるのですね。



2001年04月01日(日) 「鳩助け」

今日は少し寒いけれど絶好の花見日和なので、近くの遊歩道を通って別所沼公園に花見に出かけました。沢山の花見客が桜の下で宴を楽しんでいました。別所沼公園には、アヒル、ねこ、すずめ他の多くの動物が集まってきますが、今日は鳩と付き合いました。

別所沼公園行く時は鳩のために「食パン」を持っていきます。餌を撒き始めると20〜30羽以上の鳩が集まり鳩達は集団心理なのか餌を求めて半ばパニックになり人間を全く恐れなくなります。別所沼では釣りができるので釣り客の中のマナーを守らない人が釣り糸を捨てていきます。その被害に遭うのがアヒルとか鳩のような、餌をもとめて水辺や岸を歩き回る鳥です。

これまでも多くの鳩が足に釣り糸を巻きつけているのを見ました。その中の2〜3羽くらいは捕まえて取ってやりました。今日も片足を不便そうにしている鳩を餌で近くにおびき寄せて捕まえて、足から釣り糸を取ってやりました。釣り糸が足に何重にも絡まり食い込ん痛そうでした。放っておいたら組織は死んでしまうところでしょう。花見のためのカメラを持っていきましたので画像で報告します。


今日足の釣り糸をとってやった鳩です。捕まえて10分ぐらい釣り糸を取るために奮闘していたので、鳩にとっては「焼き鳥」にされると勘違いしても不思議はありません。下が糸を取った直後の様子。放したあともショックでしばらく動けないようでした。池で釣りをする人はマナーを守ってほしいものです。



2001年03月25日(日) 初の「マタイ」

昨日(24日)すみだトリフォニーで「マタイ受難曲」を聞いてきました。演奏者は以下のとおりでした。

指揮:ゲルハルト・ボッセ、 オーケストラ:新日本フィルハーモニー交響楽団
福音史家・テノール:畑儀文、イエス:多田羅迪夫、ソプラノ:平松英子、アルト:寺谷千枝子
バス:三原剛、ビオラダガンバ:パオロ・パンドルフォ、合唱:晋友会合唱団、東京少年少女合唱隊

今年の復活祭は4月15日だそうです(復活祭は春分のあとの最初の満月のあとの最初の日曜日)。バッハ没後250年の今年はバッハ関係の演奏会が多いのですが、21世紀の最初の復活祭を前に、「マタイ受難曲」が非常に聞きたくなったので土曜日の夜でしたが埼玉から出かけました。指揮のボッセさんはライプツィヒゲバントハウス管弦楽団のコンマスを勤めた人で、生まれはライプツィヒ近郊。ライプツィヒはバッハがオルガン奏者を勤めていた街ですから、音楽的に非常につながりが深いはずです。

この演奏会では日本語対訳(磯山雅訳)がついておりそれを見ながら聞いていたので細かい筋がよくわかりました。3時間を越す演奏でしたが、最後の有名な悲しみの合唱を待ち遠しいと思うよりは、もう少し遠回りしたいと思うような格調の高い感動的な演奏でした。オーケストラは曲が進むほど集中力が高まっていき引き込まれていきました。とくに第一オーケストラのフルート・オーボエ・ファゴットはいい味をだしていたと思います。フルートの音はキンキンすることなく音楽の雰囲気にあっていました。福音史家は非常に格調たかく、その他のソリストも役をうまく表現していたと思います。

晋友会合唱団はうわさとおりの実力で、とくに3回でてくる有名なコラールでフェルマータの後のアウフタクトの音をソプラノが気持ちをこめて歌ったのがとても印象的でした。また第一部で最初と最後にでてくる少年少女の歌は澄み切っていて天使の声のようでした(途中退屈そうでしたが)。

全体でいうとやはりバッハの故郷うまれのボッセさんの淡々としたテンポとキチンとした音楽つくりが、深い悲しみと大きな感動を表現していたと思います。もうすこし内容を勉強してから聞くとさらにおもしろいことがあるのでしょう。チャンスを待ちたいと思います。



2001年03月20日(火) ADSLの時代

埼玉県もADSLの時代に入ります。明日から浦和市など埼玉県下10市でNTTのADSLの申し込み開始です。我が家では夫婦二人に加えて四月から長男が大学生になるので、常時接続タイプのインターネットアクセスが必要になっており、埼玉県下でのADSLサービス開始を首を長くして待っていました。さっそく申し込むつもりです。通信速度の速さにもかなり期待しています。今までのダイアルアップ接続では何時間もかかるのであきらめていたダウンロードなどもかなりすばやくできるようになるでしょう。

一方、武蔵浦和駅東口に建設中だった高層マンションと下駄履き商店が完成しました。須原屋という浦和では大きな本屋さんが出展したので便利になります。昨年西口の「サティー」が撤退したのでしばらく不便していましたが、今度は東口に「東部ストア」ができたのでまた便利になりました。レジのアルバイトの人はまだ慣れていないようです。マンションは100戸以上の大規模なものなので、埼京線が益々混雑しそうで心配です。




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