| 2012年08月17日(金) |
高価なバイオリン弓の毛張替え |
インドから来日したBCO(Bombay Chamber Orchertra)のジニー先生が毛の張替えのためにインドからバイオリンの弓を日本持って来られました。バイオリン修理業者を探して「毛の張替え」を頼まれたので、今日文京区春日にある文京楽器さんに行ってきました。この楽器店は前の職場の近くにあって、いつもショーウインドーの素晴らしい楽器を眺めていたのでした。今回その記憶があったのでお願いしたのですが、移転していて移転先を捜すのに苦労しました。(詳しくは後述)
ジニー先生のバイオリンボーについて調べたことを記載しておきます。
バイオリン弓(A) W.E.Hill & Sons (From Wikipedia) W. E. Hill & Sons (1887–1992) was a London-based firm, that specialized in violins and other string instruments, and bows. It was also known as William Hill & Sons or William E. Hill & Sons.
Founded by William Ebsworth Hill at 38 New Bond Street, London in 1887, the name W. E. Hill & Sons built on a long family history of violin making going back to William Ebsworth's great grandfather, Joseph Hill. The firm soon gained a widespread reputation for excellence in repairs, making of instruments, bows, cases and fittings as well as instrument identification and authentication. A "Hill's" Certificate of Authenticity was considered definitive worldwide throughout the firm's history.
Many fine craftsmen worked for the firm. They were particularly famous for their bow makers. For much of the 20th century, the Hill workshop employed England’s best bow makers, who created bows renowned for character and consistency. Hill violins, cellos and cases are also highly regarded. Their other famous products included varnish cleaner, violin e-strings, and books about violin making families. Many famous stringed instruments passed through Hill & Sons, including the Alard Stradivarius, the Messiah Stradivarius, and the Lipinski Stradivarius. W. E. Hill and Sons ceased operation in 1992.
ジニー先生は18歳でイギリスに留学し、7年間音楽を学んでインドに帰国しBCOの活動を始められました。ジニー先生はロンドンで楽器等を大量の購入して帰られたようです。多分このヒルの弓もその中のひとつだと思います。ジニー先生のムンバイのレッスン室にはバイオリン弓の他に「ヒルのチェロ弓」がありました。ジニー先生の自慢の一品で宝物のような大切にしていました。今その弓はドュッシー先生が気に入って使っているとのことです。ヒルの弓は見かけは非常に繊細です。スティックの部分の木はかなり細く仕上げられています。それでいて弦に吸い付くような感触を出すのでしょうね。
バイオリン弓(B) PAUL WEIDHAAS Bow (Finkelのホームページより)
A workshop with a long tradition
The tradition of the Finkel-Weidhaas bows started in the 19th century with Ewald Weidhaas (1869 – 1939). Weidhaas manufactured his bows in the city of Markneukirchen. We know less about him than about his son Paul (1894 – 1962). Paul worked for V.Fetique in Paris, in Leipzig with L.C.A Bausch and Möller in Amsterdam. He took over his fathers wokshop (Ewald's). Shortly after the end of World war II his daughter Hanna Weidhaas fell in love with Siegfried Finkel (1927 – 2010). Siegfried started an apprenticeship with his father-in-law. When communism begun in Markneukirchen Siegfried Finkel moved due to the advice of his father-in-law with his wife and their son Johannes (1947) to Brienz /Switzerland, where he started his own business (1952).
The Bogenwerkstätte became one of the worlds most famous bow making business. From 1965 - 1968 Johannes made his apprenticeship in his fathers workshop. After his apprenticeship Johannes worked with J. & A. Beare in London, Hans Weisshaar in Los Angeles and in Philadelphia with William Moennig & Son.
In 1974 he returned to Switzerland and worked with his father together in the Bogenwerkstätte. l984 after his father's retirement Johannes took over the business. Daniela Finkel, 1984, made her apprenticeship as a bowmaker in her fathers workshop, in the 5th generation and is now also making bows.
弓(B)の製作者と思われる「ポール・ヴァイドハース」は現在日本でもかなり出回っている「フィンケル」の現在の製作者のお爺さんにあたる人です。フィンケルの弓はその安定した品質と手頃な値段でかなり多くのアマチュア演奏家が使っていると思います。文京楽器さんの話では「ポール・ヴァイドハース」の弓は日本ではあまり見かけないのだそうです。
ジニー先生はこの二つの弓をドュッシー先生のチェロ弓ケースに入れてムンバイからはるばる持ってきました。清水のホテルについてから一応清水・静岡で「弓の張替え」業者をインターネットで検索しましたがヒットしませんでした。結局ジニー先生が清水でセミナー等に参加している間私達は東京に戻るので、東京の楽器修理屋さんに頼むことにしたのでした。
そこで文京楽器です。3年前には確か丸の内線の後楽園から直ぐ近くに店舗があったのですが、そこではマンション建築が進行中でした。移転のことには全く考え及ばず電話で問い合わせていたのでした。文京楽器さんも2年以上前に移転しているので移転の話は必要ないと考えていたようです。電話で移転先を聞いてみると春日通りの真砂坂を登ったところでそれほど遠くなかったのがラッキーでした。そこは随分前に移転した楽譜の「アカデミアミュージック」の直ぐ近くでした。
私のチェロの弓も毛の交換したかったので都合3本の弓の毛換えをお願いしました。当然ですがジニー先生の有名な弓は「最高級の毛」、私の初心者用の弓は普通程度の毛で交換を頼みました。一本1時間で計3時間の修理時間がかかることになりました。真夏の太陽がガンガン照りつける時間帯ですが、3時間お昼を食べて本郷近辺で過ごすことになりました。
まず東大近辺を散策することとして、赤門向かいのインド料理店の「ムンバイ」でカレーを食べました。カレーは期待通りの美味しさでしたが、食べ放題のナンはかなり美味しかったです。ここでインド人の店員さんに明日18日のボースの法要の話をしておきました。
腹ごしらえをしてから東大の「三四郎池」を散策しました。最近「三四郎」を読み返したところだったのでその舞台を確かめたかったのです。真夏の三四郎池は訪れる人も少なく、大きな木の日陰もあって都会とは思えない雰囲気でした。池の水はあまりきれいではないのですが、予想外に大きな鯉とか亀が泳いでいます。「美禰子」さんが降りてきそうな病院の方から池に下る道だとか、それを見上げることのできる休憩ベンチだとか「三四郎」の雰囲気を十分に味わうことができました。それから東大構内、弥生町あたりを散策してから戻りました。
本郷三丁目付近の春日通りは「スカイツリー」の撮影スポットのようです。春日通りの中央分離帯から東方向にちょうどカメラに収まりの良い程度の大きさのタワーが見えます。下の写真はバイオリンの弓とは全く関係ないですが、「本郷台中学入り口」という横断歩道の中央分離帯から取った写真です。

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