| 2007年07月14日(土) |
菖蒲町(本多静六の故郷)散策 |
台風は近づいていますが「連休」なので少し気分を変えようと「菖蒲町」にいってきました。埼玉県菖蒲町は最近興味を持っている「本多静六」の故郷なのです。町の施設の中「本多静六」記念室が目的地です。さいたま市からは外環から東北道に入り「久喜」インターで降りて国道122号線で菖蒲町に入りました。帰りは国道122号線から県道3号線、国道16号・17号で帰ってきましたが高速を使うのと良い勝負ですね。
最初に訪れたのは菖蒲町の中心から少し離れた「幸福寺」。本多静六の生家「折原家」が近くにあるはずです。幸福時は「静六」が遊んだ場所として紹介されていますが、入り口の大きな「さいかちの木」(皀莢)がありました。静六はこの「さいかち」を小さい頃から見て育ったのでした。そして日本初の植物学者・林業学者になったのでした。確かに樹齢400年以上といわれる幸福時の「さいかち」は不思議な力をもった木のようでした。この後「道のオアシス」にある本多静六記念園を通って菖蒲町の街中に行きました。

昼食は国道122号線沿いのラーメン屋さんでラーメンを食べました。この街道ではラーメン屋を多く見かけました。駐車場が混んでいる「めんじゃらけ」という店に入りました。あまり空いていても心配ですし、混んでいても時間がかかって面倒なのですが、今日は我慢して混んでいる店を選びました。結果は大正解でした。妻は「しょうゆ」を私は「塩」を食べましたが、両方ともスープが大変美味しく細めんもスープにぴったり。大満足でした。家に戻ってからインターネットで検索してみると、大変多くの方が評価している店であることを知りました。

本多静六記念室は菖蒲町のアミーゴ(生涯学習文化センター)の二階にあります。狭い展示室ではありますが、本多静六を慕う気持ちが十分現れています。資料的に充実しているかどうか分かりませんが、今後も顕彰・資料収集・保存を進めていって欲しいものです。センターの方から「本多静六」に関する小冊子を頂いてきました。本多静六は日本の公園設計の先駆者です。日比谷公園はじめ全国の主要な公園は本多静六の設計です。本多はヨーロッパでの留学で公園」の大切さを見抜いたのでした。考えは概ね以下のようであったようです。
産業革命・第一次世界対戦を経て、世の中は封建的な身分社会から大衆社会に変化していく。そして誰もが自ら一生懸命働き、自分の生計を立てていくこととなる。そして勤労には健康な身体が第一に必要となる。このような健康主義を実現するには、 (1)いつも新鮮な空気を呼吸すること。 (2)十分に日光を浴びること (3)新鮮な食物を偏りなく食べること これら3条件を満たすため住宅に十分な「庭」を設けることができれば良いのだが、国民全員が庭を持つことは到底適わない。従って公共団体・政府は共同の庭すなわち「公園」を整備すべきである。
昼休みの日比谷公園など本当に都会のオアシスです。本多静六の先見の明のお陰で現在のサラリーマンは非常に助かっているということが言えます。
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