KENの日記
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2006年12月02日(土) 国分寺へドライブ

今日は国分寺へドライブに行ってきました。はっきりした興味と言う訳ではないのですが、「川越−府中(国分寺)−鎌倉」という中世の鎌倉街道が気になっているのです。日本橋を基点とする五街道とは別に、それより随分前に関東平野の主要な街道として鎌倉街道があったのでした。その中心が国分寺です。


鎌倉時代にはまだ中央政府(京都)から派遣された官吏が国を治めていたと考えられます。そのオフィスは各地の国分寺近辺に置かれていたと考えるべきでしょう。鎌倉時代は国分寺が建造されてから数百年しか経っていませんし、まだ立派な建物が残っていたはずですから。従って嘗ての関東平野の中心は現在の国分寺近辺にあったと考えるべきです。「府中」という地名もそんなところから来ているのです。


今日は環八から五日市街道を抜け、武蔵小金井駅を北から縦断する格好で国分寺までドライブしました。駐車場を見つけることができなくて、国分寺薬師堂横の空き地と、国分寺近くの寺院への通路に駐車しました。暖かかったので観光客が大勢いましたが、主に電車でやって来ている感じで、駐車している車はほんの少ししかありませんでした。(ちょっと後ろめたい感じでした)


薬師堂をみたり付近を散策してみると、嘗てさぞ立派な境内があったのであろうと想像できます。広い敷地に国分寺と国分尼寺が置かれていたのです。国分寺と国分尼寺とでは作られた年代が違うのですが、私の突飛な想像ですが、ヒンズー教の寺院と似ていると思いました。インドのシバ寺院の横には必ずといっていいほど「パルバティ寺院」(奥様・女性の寺院)があるのです。南部インドのマドライにある「ミナクシ」寺院は女性寺院の方が有名になっている例です。スリランカの仏教寺院でも、数少ないインドの仏教寺院で「国分寺・国分尼寺」の組み合わせのようなものはみたことがありません。


国分寺近辺の雰囲気は奈良の飛鳥を彷彿とさせます。信州上田の信濃国分寺も同じような感じです。立派な伽藍が残っている岡山県の「備中国分寺」など本当に飛鳥のムードです。全くの平野ではなくて「なだらかな丘」とか、ゆるくカーブする道が必要であったのかもしれません。奈良飛鳥を知っている(恋しい)役人がそういう土地を選んだのでしょう。飛鳥の美しさは「丘」と「道」にあると思っています。


国分寺周辺には散策のために歩道が整備されていてハイキングにはぴったりです。傾きかけた夕日に映えて銀杏やもみじが見事な色を見せていました。お勧めの場所のひとつになりました。




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