| 2005年11月11日(金) |
ニューデリー生活開始 |
今週日曜日からニューデリーの生活が始まっています。仮り住所は「デフェンスコローニー C−83」。高級住宅街の1棟を各部屋ごとにゲストハウスとして貸しているところです。各部屋にはシャワーがついています。家のダイニングで朝・昼・晩の食事を食べることができます。もちろんインド料理のみ。オフィスまではタクシーで15分程度なので朝夕タクシーを使っています。このゲストハウスにはインド人とか外国人が入れ替わり入ってきます。とにかくニューデリーはホテル代が高いのでこのような高級ゲストハウスがビジネスに使われています。
ニューデリーの朝は冷え込みます。まだ11月なのでそれほど冷えないだろうと考え長袖を殆ど持ってきませんでした。ムンバイの気候はこの時期、朝夕快適なのです。でもデリーは全く違って朝の冷え込みは10度以下になっているでしょう。朝の散歩も半袖では厳しいです。土日にマーケットに行って衣類を買いたさないといけません。
先週は土曜日にデリー着いてからそのままアグラに行ったのでした。デリー空港に着いたのが午後6時30分。そこからレンタカーに乗ってアグラへ。夜の国道2号線は空いていることもあって夜の10時30分にはアグラのホテルに到着しました。翌日はタージマハルから始めてアグラの観光名所を回りました。タージマハルはさすがにスバラシイ建築です。素直に感動しました。寺院建築とか信仰対象の偶像彫刻の素晴らしさが信仰心の深さに比例するとすると、このタージマハルの素晴らしさは亡き王妃への愛の大きさに比例するのでしょう。
イスラムのムガール王朝はしばしばペルシャ人の女性を王妃に迎えています。 タージマハルも「シャージャハン王」のペルシャ人の妻「ムムターズ・マハル」の墓なのです。この王妃がどのような方であったか判りませんが、はるばるやって来た王妃は、多分大変美しく、賢くて、国民に愛されたのでしょう。(故ダイアナさんみたいに?)王と国民の気持ちがタージマハルの素晴らしさに現われているように思えます。
北インドにおいてははるばるやって来たペルシャ王妃の墓タージマハルに代表されるように、イランのペルシャ文化に憧れ・畏敬の念をもっていたようです。ムンバイにおいてはペルシャの影響は、パルシー社会(ゾロアスター教徒)に脈々と生きています。
大きく見るとアラビア半島に発生した「イスラム」。そして「ペルシャ(イラン)」に栄えていたペルシャ文化。そのペルシャ文化に東から接していた「ヒンドゥ文化」。この3つの文化が昔からそして今もインドの社会に大きな影響を与えているようです。
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