大分遅れましたが写真掲載。上は、前回日本からの帰り便でいっしょになった「三つ子ちゃん」です。シンガポールからムンバイまで一回も泣き声を聞きませでした。しっかりした3人兄弟です。両親がとても幸せそうでした。
木曜日の午後から金曜日の朝にかけて、お客様の通信回線故障で大変な苦労をしました。大切な通信回線なので、メイン回線故障に備えてバックアップ回線もあるのですが、メイン回線に続いて、バックアップ回線もダウンしてしまったのでした。つまり、お客様はデータ送受信に関して孤立状態。
木曜日午後2時頃からいろいろな業者を呼んで修理にあたりました。というのも、メイン回線は我が社提供でバックアップ回線は日本のK社提供。ルータの保守はムンバイのD社(インド企業)が修理可能なのですが、日本から指示がない限り動かないというもの。
我が社の東京の監視センターは最初から故障は知っていましたが、東京のお客様指示で、木曜日の業務終了までは、現地にコンタクト禁止の要請を受け、私には連絡せず。お客様東京本社はバックアップ回線が生きているとでも思ったのでしょうか。現地お客様情報で故障を知り私がお客様オフィスに向かったの午後4時頃でしょうか。
実は私のオフィスとお客様オフィスは約200m程度の近距離。それから復旧作業に参加しました。私は技術者ではないけれでも日本語が話せる。技術者でない分全体の状況を把握できるし業者間の調整が主な役割を考えました。案の定、各事業者は、自分の責任範囲内をチェックし始めます(それはそれでいいのですが)。原因が特定できないので何回も試験することになります。
東京のオペレーションセンタ(我が社、K社、お客様)を巻き込んでの試験作業の繰り返しです。お客様東京本社の要請でルータ保守業者が現地に到着したのは夜10時過ぎだったと思います。自宅に帰っていた技術社を私の車を向かえに送り急遽駆けつけさせたというもの。
この技術者も参加しましたが彼によるとルータにも異常がないという。そうこうしている中に深夜12時です。明日の営業開始まで後9時間です。私はこのままメイン回線復旧に没頭していては、もう一日影響が出かねないと判断し、メイン回線復旧を一旦あきらめ、バックアップ回線(K社)の復旧作業に集中することにしました。
お客様側の技術者(インド人)は非常に優秀なのですが東京のK社監視センターと衝突していたのです。バックアップ回線の故障は東京のK社設備の不具合によるものだったのですが、言葉の問題とK社センタの監視員のインドと状況に対する理解不足があり修理できない状況でした。私が代わってK社監視センタと直接日本語で対応することとしました。
ちょうどインドに出張に来られていたお客様東京本社の「Nさん」もK社との対応に参加してくれました。K社の多摩にある装置の交換が実現したのでが深夜2時回っていたらかしら。そしてバックアップのISDN回線が復旧しました。このISDN回線を使って金曜日の営業を運転することにしし、メイン回線の復旧は持ち越して、一旦撤収することにしました。お客様宅をでたのは深夜3時過ぎです。 朝お客様システムの運転(バックアップによる)を確認し続きのメイン回線復旧作業にはいりました。冷静になって考えて、整然とチェックていくと、故障箇所の特定もできるものです。結局、回線のモデムのルータの接続箇所に問題があることが判明し、モデム交換の手配をしました。モデムはムンバイの電話会社提供のものです。
この交換によりメイン回線復旧の目処が立ちました(これが午後2時頃)。私はこれまでの故障の状況と関係者の対応状況、現在でもメイン回線復旧が可能であることを説明しました。最終的には東京も巻き込んで当日金曜日の処理は全てISDNバックアップで行い、(危険回避)当日終了後にメイン回線への切り替えを行うこととなりました。
その日の午後6時半、金曜日の業務をすべて終了してISDN回線からメイン回線に切り替え作業着手しました。念のため、昨日のルータ保守業者(朝4時頃帰宅)にも、立会いをお願いして最悪の事態に備えました。切り替えは無事終了し、午後7時には、メイン回線が運転再開しました。昨日は目が血走っていた技術者達も、この瞬間はなんともいえない素晴らしい笑顔でした。ルータ保守会社の技術者も、自分の保守領域云々は超えてお客様システム全体の復旧のために参加してくれました。疲れましたが、大変貴重な経験でした。
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