「忘れられた英雄−チャンドラボース」の映画はあまり人気がないみたいです。ボースに関する本を買ってきて斜め読みしています。
ボースはガンジーを非常に尊敬していたのですが「非暴力主義」はイギリス人にインド国民が勇気がない弱い集団なのだと思わせてしまうと考えていました。インド独立に関するイギリス宗主国との数回の折衝も、殆ど前進が見られなかったのはインドの人々が甘く見られているからに他ならないと考えていました。
歴史では、こうした意見の対立でボースはガンジーら国民会議派から離脱し、海外に逃れてイギリスの敵国の協力を得て、インド国民軍を組織しインドに攻め上がろうと考えたとされています。そんな成り行きで、ヒトラーと東条英機が登場してボースを助けることになったのでした。
一見ボースはガンジーと決別したかのように見えますが、実はこれはガンジーとボースの暗黙の了解であったのだと考えることも可能だと思われます。
ガンジーもイギリスの「ずるさ」には困り果てていて、何とか事態の打開を模索していた。かといって自分が「非暴力の旗」を降ろすわけにはいかない。当時、本格的な独立戦争になったら多くの人命が奪われ、国土は荒廃してしてしまう。そこでボースと示し合わせて、「不戦のガンジー」「武力のボース」という二枚看板を拵えた。「どちらかが成功すれば良し」。そのために双方は最後まで対立の構図を演出した。
最後にボースが飛行機事故でなくなってしまうのは誤算だったのか、それも予定にはいっていたのかもしれません。宗主国イギリスに対抗する戦略として、こういう話があっても面白いのではないでしょうか。「樅の木は残った」の原田甲斐の話は本当かどうか分かりませんが、結果的に伊達80万石が安堵されたようにインド独立が達成されたのでした。
日本の無条件降伏がもう少し遅れ、もしインド国民軍がインド主要都市に達してインドがイギリスから独立を勝ち取っていたら、現在の世界情勢は多いに変っていたのではないか。まず、独立戦争を共に戦ったのでヒンズーとイスラムの分裂は当然起こらなかった。
従ってパキスタンからバングラディシュを含む13億の人口を有する国が南アジアに出来ていたかもしれません。インドは貧しいけれど、宗教対立を上手く回避して、多民族・複数宗教国として民主主義を実践する。特に世界最大の3億人のイスラム教徒を有するのでイスラム教国の中での発言力が非常に大きくなっていたはずです。(イスラエル建国、インド・パキスタンの分裂等、イギリスの罪は大きいと思います。)
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