ついに彼の家にお参りに行く。 遺影の彼が私の記憶より大人っぽく男前な事に少し衝撃を受ける。 ものすごくいい笑顔で、こちらまで笑いたくなる。生前の彼の人柄そのものだ。今にも写真から抜け出して歩いてきそうな気がする。 「なんかまだ死んだんでなくて旅に行ってるような気がする」と、彼のお母さんが言う。彼の家の向かいに住む同級生のお母さんもそう言っていたという。 若い人はあまり使わないだろうが、この辺の人は純粋な旅行の意味の他に遠方に住むことも「旅」と表現する。 今までは変な表現だな〜、くらいに思っていたのだが、今回彼のお母さんの口から出た時にはとてもいい言葉だと感じた。ある意味では残酷なのかもしれないが、救いになる言葉だと。
声を上げて泣きたかったが、来年は十三回忌になるというのに、お母さんの気持ちを想像するとそんなに単純に泣いていいものかどうかとためらってしまった。 お参りに行って母の言うように気持ちがすっきりしたかというと、答えは否である。余計に彼の存在が生々しく感じられた。
午後からは私の卒業した(彼もだ)小学校を見に行く。町の遺産だかなんだかに指定されたそうで、相変わらずの古めかしさ。私が入学したときで築4〜50年経っていたのではなかっただろうか。 木造も木造、外観も板張りで、長年の風雪に耐え忍んで色味もモノクロ映画のようになってしまっている。お盆で公開もお休みしているのか、施錠された中央玄関(他に西と東の計三つも玄関があるのだ)の中ではもちろん二宮金次郎が読書をしながら留守番をしている。 何故か鶏が一羽放し飼い(?)されていた。中が見られなかったのが残念。裸電球がついただけの石炭小屋は一見の価値がある。そこらへんのお化け屋敷より怖いんだから。 変形ロの字型の校舎に囲まれた中庭も見たかった。ここでダニに食われたことがある。
小学校の卒業アルバムを引っ張り出してみる。頭の悪そうな作文の数々に大笑い。 当時私の好きだった男の子は、見学旅行の思い出を作文に書いた。アルバム委員だった私は編集の都合で先に彼の作文を読んだのだが 「プラネタリウムはよかったが、となりのせきのS君がぼくの欠点をさわりよだれをたらしていた。」 という一文に涙が出るほど笑った。「欠点」はないだろう、ってことでアルバムでは「急所」に訂正されている。どっちもどっちか。今思い出してもおかしい。しかし欠点なのか。確かめる術がないのが残念だ。
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