スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2012年05月31日(木) 日の経つのって早いなあ・・

今日で5月も終わり。

新緑の季節から梅雨に季節は移る。

元旦に新年の挨拶をしてから

早、5か月が過ぎようとしている。

この調子で毎日が過ぎて行くと

お盆がやってきて、秋が来て、またお正月がやって来る。

子供の頃には、毎日がとても遅く感じていたが

年を重ねるにつれて

日が早く過ぎて行くように感じる。

一日、何をするということでもないのに

夜を迎えているのに気付く。

昨日も家事の一つの買い物で午前中を過ごした。

夫が入院している時は

食料品の買い出しはあまりすることがなかった。

私一人が食べるものって

買い出しをしなくても済んだし

食費もかからなかった(笑)

夫が退院し、最近は仕事復帰も果たし

三食の食事作りに時間をかけるようになった。

勿論、手の込んだ料理はしない。

でも、栄養的にバランスの取れたもの

塩分がない献立を考え作る。

お弁当も同じだ。

始める前には負担になるかなと思っていたお弁当作りも

慣れてくると何ともなくなった。

夫が元気な頃から作ってあげればよかったと思う。

考えてみると

私がこうして、何気ないことでも

幸せだと思えるようになったのは

夫が入退院を繰り返したことが一番の要因だと思う。

元気で毎日を過ごせることが

一番、幸せなことだと思うようになったからだ。

それまでは

元気に過ごすことが当たり前に思えて

私自身の心臓の病気も変わりなかったから

余計に当たり前感が強かった。

それが

最近、私の心臓も症状が出るようになり

夫も完治していないから

二人ともが病気と共に生きる毎日、

だからこそ、お互いに体に気をつけて

毎日が無事に過ごせることに

感謝できるようになったのだと思う。

来月は色んなことがある。

10日には

父の七回忌と母の三回忌をする予定だ。

私が両親の仏壇を守っているが

毎日仏壇に手を合わせ

今日一日が無事に過ぎますようにとお願いしている。

そうだ。

私は両親に守られているから

こうして元気で居られるのだ。

このことにも感謝しないといけない。

結局

人はひとりでは生きられないということか。

ひとりで生きている気持ちが

段々傲慢になってくる。

人に支えられ、人のためを思い

感謝の気持ちを忘れずに生きることが

また、自分自身のためにもなるのだと

最近つくづく思う。

両親の法要を済ませたら

親友と日帰り旅行を予定している。

平凡な毎日にちょっとだけ色が付くって感じ。

今朝ももうすぐ行動開始だ。

今日も一日無事に過ぎますように!


2012年05月30日(水) 医者の判断と私の気持ち

昨日は予てより、気になっている

私の左目のことで県病院の眼科を受診した。

市内の眼科医の紹介状を持って行った。

前にも(二年位前)行った同じ医者だ。

私が気になっている左目の手術の相談に行ったのだが

結論は、私が飲んでいる薬のために

手術をしてもらうことができないと言われた。

同じように、薬をのんでいる人の手術は

ワーファリンを飲むのを5日間中止して

手術をすることにしているとのこと。

それを、ヘパリン注射しながら

日帰りでできる手術を入院してすることになるので

医者というか病院側は拒否したということだ。

私の心臓の病院の医者は、飲むのを止める時は

ヘパリンの点滴が必要なので

日帰りでは無理だろうと言っていた。

その通りだった。

そして、思った。

命に関わる目の手術を

そこまでしてやるべき価値があるかどうかということ。

見合わすということになったが

私の中では中止としている。

そこまでしてやるべき緊急性のある手術ではない。

私が我慢さえすればそれですむ。

それより、対応してくれた医者の態度がいやだった。

愛想のない、医者が医者として存在する時には

腕がいいだけではなく、心のケアー面もできる人でないと行けない。

手術をOKと出たらその時に考えよう。




2012年05月29日(火) 参拝したい場所

タケシが伊勢神宮を初めて参拝した動画を見た。

勿論、私も伊勢神宮を参拝したことはない。

天照大御神をお祀りしている神社は

日本人として、必ず一度は参拝すべき場所だと思う。

母は昔、父と二人で行ったことがある。

昔から、日本人はお伊勢参りとして

ここを参拝するのが当たり前だった。

いつから、日本人が伊勢神宮の存在を意識しなくなったのだろうか。

行く気になれば行ける場所だ。

海外旅行をする時間とお金があれば

伊勢神宮を参拝できるはず。

偉そうなことを言える立場ではないが

今後、機会を作って参拝したい。

それと

仁徳天皇陵も参拝したい。

ここは、今年、行く予定だった。

藤井聡先生の講演会を聴きに行く時に

仁徳天皇陵へも参拝することにしていたからだ。

でも、夫が緊急入院し、予定は駄目になった。

西村眞悟先生の時事通信で

仁徳天皇陵のことが書かれていた。

先生は子供時代からこの天皇陵の周辺を

遊び場としていたようだ。

日本が誕生し、男系の皇統が続いていることを思えば

天照大神が祀られている神社である伊勢神宮や

仁徳天皇が眠る天皇陵にも行くのが当たり前に思える。

靖国神社とばまた違う

日本の精神の大元のような気がする。

行ってみたい。


2012年05月28日(月) 久しぶりに

昨日は、夫と二人で買いものに行った。

今年になってずっと入院していたので

夫も久しぶりの買い物だった。

エミフルのフジとユニクロへ行った。

色々な特典があったので

二階のフジの紳士物売り場で

クールビス・涼感のある

半袖のカッターシャツを二枚と

夏物のやはり涼感のある

仕事用のスラックスを一枚。

ユニクロでは、ハーフパンツと

リネンの麻は入ってないが

麻が入った手触りのする

夏物のブレザーを一枚買った。

9時過ぎに行った時にはそんなに混んでいなかったが

昼前になると一階も二階も結構人が出てきていた。

催し物会場ではアンパンマンショーがあり

小さな子供を連れた親子が沢山集まっていた。

夫はしんどくはなかったのだろうか?

昼前になったので

食料品売り場で、夫が食べることができそうなものを買った。

塩分制限があるから香辛料で味をごまかすのが良いと聞き

柚子こしょうやガーリック胡椒などを買った。

お昼になり、食べて帰ろうということになった。

夫が珍しく中華が食べたいと言ったので

一階にある中華の店に入った。

中華料理は塩分が結構入っているし

味付けも濃いから心配だったが

夫がたまに食べるのも良いかと思い

何も言わなかった。

夫が自分でいちばん分かっていることで

加減もできるだろう。

セットものを美味しそうに食べている姿を見て

なんだか嬉しくなった。

制限さえなければもっと良かったのにと思った。

私は麻婆豆腐ランチにした。

麻婆豆腐は四川ということもあり

ヒリヒリするくらい辛かった。

添えてあった唐揚げがとても美味しかった。

帰宅して2時過ぎから

夫の母の妹が入院している病院へ

義母と夫と三人で行ってきた。

そのおばさんは一人暮らし。

朝方、脳出血で倒れ救急車で運ばれ

今の病院でリハビリをしている。

顔を見て安心した。

思っていたよりも元気そうだった。

4時頃まで居て帰る。

夫がソファーで横になっているので聞くと

私のことを元気やねと言った。

ということは、夫が相当疲れたのだと思う。

久しぶりの外出・買い物・外食だったから

私は楽しかったけれど、夫にはちょっときつかった?かな

すこしずつ慣れていくと思う。


2012年05月27日(日) 歯の治療

二ヶ月ほど前からしていた歯の治療が

一応、昨日で終了した。

一時は部分入れ歯にしないといけないかもしれないと

正直、困ったなあ・・嫌だなあ・・と思っていたが

御陰で、今回は4本の歯を渡るブリッジ治療をしてもらうことが出来た。

歯医者さんとの相性がいいのだろうか?

以前、松山市の歯医者にわざわざ通っていた頃より

今の家の近くの歯医者に変わってから

歯石取りも定期的にしてもらえるし

先生の腕も確かなので

何度かもう駄目かなと思った歯も

うまく治療してもらっている。

本当に有難いことだ。

今回、治療したのは右下の奥の歯だ。

いちばん奥の歯を抜歯し

歯の根っこ(これが殆ど無い状態で治療もやりにくかったと思う)

に土台をつけ、犬歯の一つ奥の歯を削って

ここにまたがるブリッジを作ってくれたというわけだ。

昨日はそのブリッジを歯にかぶせる時点で

合わすのが大変だった。

でも、歯科助手の女の子もうまいものだ。

勿論、ブリッジを作ってくれた

歯科技工士さんの腕が良いのだろうけど

自分では感覚として分からないであろう

患者の口の中の歯型に合わせて

不具合が起こらぬように

出来上がっているブリッジを削り調節してくれるのは

簡単ではないに違いない。

その歯科助手の女の子はきっと腕は良いのだろうが

少々荒いと思う時があり

他の人に比べて、もう少しやさしく扱ってほしいと

思ったこともある。

しかし

昨日はその女の子だったからこそ

上手に合わせてくれたのではないかと思う。

とにかく、これで何年もつかどうかは分からないが

大事に使えば、数年は大丈夫だろう。

固いものや粘着質のものを食べるのは絶対にやめよう。

ピーナツやアーモンドが好きだったけれど

もう食べるのはやめよう。

8020運動がある。

80才で自分の歯を20本もとうというものだが

私はその半分の歯も完全な自分の歯ではない。

だからこそ、歯のケアーには人一倍気をつけている。

これからも気をつけようと改めて思う。


2012年05月26日(土) 今まで生きてきた中で

私は現在60才。

昭和26年生まれで還暦。

よくぞこの年まで生きて来れたものだと

自分でも感心している。

私は先天性心臓疾患を持ってこの世に生まれてきた。

そして、当時は医学も今のように進歩していなかったから

私は20才までしか生きられないと

医者は母に言ったそうな。

母は自分が私のような病気を持った子を産んだことに

責任を感じていたみたいで

実際、祖母が母にそんな言葉を発したと聞く。

私は、一度も母を恨んだこともないし

母に文句を言ったことはない。

私が生まれてきたのには何か理由があるのだろうし

それがわからなくても、母が私を産んでくれたことは

それだけで有難いことだと思っている。

今ではこんな偉そうなことを言っているが

母には本当に色々心配のかけ通しだった。

母だけではなく

私の周りの人たちは良い人たちばかりで

私のことを心配もしてくれたし

気を遣ってくれたりもした。

それが、当たり前になって育った分

人よりもわがままになったことは認める。

でも、そういう風に育ったために

私は人を傷つけることはしなかった。

そして、

今まで生きてきて、人に傷つけられたと思うことが

数回あるだけなのだから

幸せな方だと思わざるを得ない。

傷つけられたと思うのは主観的なことであり

相手は決して、私を傷つけてやろうと思って

したことではないと思う。

ただ、二人を除いて。

その二人は、子供の頃に知り合った人ではなく

極最近知り合った人たちだ。

私にとって晴天霹靂のことが何度もあった。

ショックで寝込む寸前までいったこともある。

死にたいと思ったこともあった。

今になって思うと

何故、あんなに思いつめたのだろう・・と不思議に思う。

今でも思い出すと嫌な気持ちにはなるが

それでも、感情には残さないようにしようとして

最近では大分薄らいで来ている。

その二人に共通することは

自分の気持ちのまま

自分勝手に行動や思考をするということ。

いわば、人を振り回すのが得意な人。

その人たちと距離をおいて付き合えば

そこまで嫌な面を見ないで済んだはず。

気を許して付き合った結果が

私を裏切り、バカにし、心を踏みにじって

去って行ったというわけだ。

もっと、早くに気がついていれば

傷つくこともなかったのに

馬鹿な私はついつい、相手を良い人だと思ってしまって

徹底的にダメージを受けるまで気がつかなかった。

今の私の周りには存在しなくなって

大分、救われた気持ちになっている。

今後も、なるべく接する機会を持たないようにしたい。

この年になれば

残りの人生を楽に生きたいと思う。

考えたら、人の行為に振り回されるほど

馬鹿らしいことはない。

それにしても、あの人たちは

誰も何も忠告されることなく

自分でも気付くことなく

人生を終えるのだろうなあ・・

かわいそうな人たち。

神様は見ている。

どんな最期を迎えるか興味もあるが

関係ない人たちが

どのような最期を迎えたとしても

私の知ったことではない。

それより、今の私の周りに居る人たちを

もっともっと大切にしよう。

折角、母がこの世に送り出してくれたのだから

生きている間は、自分らしい生き方をして

死ぬときに何も思い残すことのない

そんな生き方をしたい。


2012年05月25日(金) 淋しがりや

一人が好き

人とわいわいがやがやするのが嫌い、

私はずっとそう思ってきた。

だから、友達も少ない。

話をする人は結構いるが

心を許して、何でも話せる友達は数えるほどしかいない。

それで良いと思っていた。

数が多いのが良いのではないと思ってきた。

姉には友達がいっぱいいる。

それは姉の性格から来ているし

それなりに、姉は人への心配り、気遣いをよくする。

そんな姉と私とは小さい頃から違っていたし

姉を羨ましいと思ったこともない。

しかし、最近、どうも私は淋しがりやさんなんだと気付いた。

誰かと話をしているとほっとしている。

全く知らない人でも

例えば、病院の待合室で隣に座った人でも

スーパーのレジで並んだ人とでも

挨拶やお天気の話をしただけで

何か、心が楽しくなって来る。

そんなことに気がついたのは最近のことだ。

私には母がいちばんの話相手だった。

夫よりも母には何でも話せた。

その母が亡くなり

元々無口な夫が入退院を繰り返すようになり

家で、私は殆ど一人で過ごした。

アズキは居るが所詮犬。

私から話しかけても、言葉で返って来ることはない。

だから、寂しかったのだ。

以前はメル友さんも大勢居て

顔を見なくてもメール交換することで会話をしていた。

でも

この数年は段々その数も減ってしまった。

正直、ほっとした部分もあるが

やはり淋しい時もある。

淋しいとろくなことを考えない。

誰かを求める気持ちが湧いてくる。

それを夫に向ければいい。

そう、思ってこの数日は夫との会話をよくするようになった。

天気の話、政治の話、テレビの話、アズキの話・・・

大した内容ではないけれど

朝と晩、顔を合わせた時には話すようになった。

すると

私の心がとても落ち着くのだ。

華やかになると言ってもおかしくない。

これって何だろう。

そんなに話がしたければ

外に出ればいいと思うが

家の中に居る方が好きな私は

自分から外へ行き何かのサークルに入って

積極的に人との交流をしようとは思わない。

電話がいちばん手っ取り早い。

でも、電話は相手の都合がある。

ウイルコムにしてから

親友と長話をするようになった。

90分も話すことがある。

お互いに携帯を持った手が痛くなり

肩も凝ると言いながらそれでも長話をしてしまう。

親友には迷惑な話なのだろう。

それでも、付き合ってもらえるだけ有難い。

この淋しがりやさんを直さないと

一人でも淋しくない人になりたい。

母は一人が好きな人だった。

老人会に誘われてもデイサービスが良いと聞いても

亡くなるまで一度も参加しなかった。

家で一人が本を読んだりテレビを見て時間を過ごしていた。

多分、母にとっても、私が話し相手で居たから

友人を作りたいとも思わなかったのだと思う。

それだけ、母と私の結びつきが強かったということだ。

結局、私は、母をまだ求めているのかもしれない。

母の仏壇の位牌や写真を見て

改めて母の居ない、今の状況がいかに淋しいものかを

思い知る。

淋しくなんかない!と思えればいいのになあ・・


2012年05月24日(木) 発作性心房細動

この間、5月1日、2日と

娘の所に行こうとした時

朝、ちょっと夫との行き違いがあり

結局、夫は行くのを中止した。

その、夫とのやり取りの途中で

心臓が急に痛み、

その後ドドドドドド・・という

不整脈が起き、それと同時に頭がふらっとして

今にも倒れ込みそうになったことがあった。

それでも、運転して行ったのだが

途中、前の車を追い越そうとした時や

アズキのためにサービスエリアで休憩した時など

また、娘の所に行ってからも

十回ほど発作が起こった。

口では言い表せないくらい

このまま心臓の動きが止まるのではないか

などと、不安を覚えた。

それからも時々起きるようになったが

最近は大分、落ち着いてきている。

昨日は、6週間に一度の心臓の病院の診察日だったので

主治医にこのことを話した。

前にも不整脈がひどくて、入院して検査したことがあった。

今回も主治医が言うには

あまに頻繁に起きることがあれば

入院して調べてみようと言った。

病名は「発作性心房細動」だろうとのこと。

心房細動は命にかかわると思っていたが

発作性心房細動では死なないと分かった。

原因も老化から心臓疾患を持った人まで色々あるみたい。

ただ、ちょっと心配だったのは

この病気の人は脳梗塞になりやすいから

要注意だとのこと。

心臓で逝くのは良いが

脳梗塞を起こして体が不自由になるのは嫌だ。

どんなことに気をつければいいかまでは言われなかった。

私は普段は元気にしているが

身障者手帳を持ち歩いている身、

少しは自分の体のことを思ってやらねばならない。

まあ

私にできることはなるべくストレスをためないことだ。

なるようになれの精神で生きると思っても

何かが起きると、つい不安になったり落ち込みそうになる。

何事が起きても動じないようになりたい。

心臓もそれなりに気をつけてやろう。


2012年05月23日(水) 皆?

時々、疑問に思うことがある。

その数は結構多い。

私だけが疑問に思っているのか

それとも、皆も同じように思っているのか

時々、誰からに尋ねてみたい気がする。

人が聞いたらな〜んだと思うことかもしれない。

その一番目。

私は結婚する前にはバイトはしたものの

ちゃんとした仕事をしたのは

一度だけそれも一年足らずで経験は少ない。

病気を繰り返ししていたためもあるが

やはり、外で働くことが私にとっては相当負担となっていた。

そして、結婚する前10年程は

仕事をしたこともなく

家事を手伝うだけだった。

結婚後は勿論専業主婦をして今まで来ている。

だから

お金儲けをしたことがない。

月に一度新聞投稿をして

その御礼として千円をもらうのだが

私にとって、お金を稼ぐのはそれだけだ。

全て、夫の働きによっている。

だから

いくら家のことを一生懸命にしても

子育てを頑張って来ても

何か、いつも申し訳ない気持ちになる。

私はお金を得ることが出来ないのだから

夫に感謝しているのは確かだが

それでも、自由にさせてもらえることに

後ろめたさを感じながら今まで生きてきた。

母を見ても同じだった。

母も専業主婦だった。

それでも、私のように引け目を感じている風ではなかった。

家の中の仕事も立派な仕事だと

誇りを持って生きてきたのかもしれない。

私も、母のように思えることが出来たら楽になるだろう。

お金を稼ぐことをせず

ただ、使うだけの我が身が情けない。

夫はどんな気持ちで居るのだろう。

たまには、腹が立っているのだろうか?

それとも

結婚した時から

妻や子供を養うことが当たり前と思って

一生懸命、仕事を頑張ってくれているのだろうか。

そんなことを思い始めると

家事をサボることが出来ないし

いくら疲れていても

昼寝をするなんて罪を犯している気がする。

こんな思いをして生きるって本当に辛い。

そうかと言って

じゃあ、外で働いてお金を稼いだら?と言われても

出来ないし雇ってくれるところもないし

今の状況が変わるわけでもない。

となると

今の私は、夫が無事に定年を迎えることができるように

夫の健康管理をして

家の中のことをしながら

アズキを育て、娘に何かあったら飛んで行って

手助けしてやることしかない。

両親も逝ってしまったのだから

介護する人も居ない。

皆はどうなのだろう・・・

二番目の疑問はまた次に書く。

誰か、この私の疑問に答えてくれる人は居ないかな?


2012年05月22日(火) 日本人って・・

昨日はの朝は

日本中で金環日食でわいた。

数ヶ月前から金環日食のはなしは出ていたが

この数日はカウントダウンも始まったりして

絶対に見逃してはならないことのようだった。

それも、肉眼では見てはいけない

市販のメガネの中にも粗悪品がある、

等々、親切な情報が飛び交った。

結局、私は自分の目で見ることはしなかったが

友人が撮った写真をメールに添付して送ってくれたし

親友も姉もそれぞれ自分の目で見たそうな。

こちらで金環日食が見えるのは

多分、900何年ぶりだと言っていたし

次回は80年ほど先のはなしになるとのこと。

今の子供でも生きているかどうか分からないから

必死になるのもわからないでもない。

まあ、見るも見ないも個人の自由、

興味のある人は世界中を追いかけるとか。

全く興味のない人は

それがどうしたの?という気分だろう。

昨日の金環日食に続いて

今朝からは東京スカイツリーのオープンのニュースが

朝からTVで賑やかに言われている。

今度はスカイツリーか!と

ちょっと興ざめした。

何でこんなに物珍しいのか?

オープンを待つ人は相当前から並んでいるという。

それも、抽選であたった人たちだけらしい。

スカイツリーは逃げはしない。

今日、見ようともひと月後に見ようとも

なんら変わりはない。

金環日食は昨日のあの時間しか見えない。

だから、見逃さないと夢中になるのは分かる。

でも、

今日のスカイツリーオープンに関する

このフィーバーぶりには呆れる。

私など東京タワーも昇ったことがない。

いわんや、スカイツリーなど一生、縁がないかもしれない。

日本人って熱しやすく冷めやすい。

このお祭り騒ぎがいつまで続くか

ああ〜あほらしい。

日本人の良さかもしれないが

もう少し、周りに踊らされないようにしたい。


2012年05月21日(月) 職場復帰

1月から入院していて

4月の半ばに退院し

その後自宅療養中だった夫が

今日から職場復帰をする。

私には家が二つあり

夫が療養していたのは

今、私が住んでいる家だ。

結婚して子育てをしたのは

夫が居る家、

でも、今その家を片付け

一部取り壊すはなしも出ている。

正直、住めるような状態になっていない気がするのだ。

夫は療養中、家に戻り片付けをしていた。

この間、燃えないゴミ、資源ごみがいっぱい出て

私が車でゴミの集積場に持って行った。

そんなこんなで、家の中も完全に片付いていない。

今日からどうするのだろう・・・と思っていた。

今までの私なら、夫にこうしたら?ああしたら?と

半ば強制するような言い方をしていたが

私自身、色々考えるところがあり

夫の意思を尊重し

私からは提案をしないようにしてきた。

昨夜も今までと同じようなパターンだった。

今朝、起きて朝ごはんを食べる時に

どうする?と聞いてみた。

夫は、仕事へ行く支度を家に戻り

そのまま行くと言って自転車で帰って行った。

夫が入院して、それまで乗っていた車を売るとのことで

今は私の車しかない。

車がないのは不便だろうと思う。

軽でも買ったら良いのにと思うが

夫が買おうと言い出すまで待つことにした。

仕事一日目の朝は☂だった。

今は☂は止んでいるが

ここから仕事場までは遠い。

自転車では大変だ。

夫が行く時に夕ご飯のことを尋ねると

また来ると言っていた。

正直言って、こちらに住んでくれると有難い。

夫の体調も把握出来るし

その他のことでも安心だ。

でも

このことも、私の気持ちだから

押し付けるのはやめよう。

夫が自分でどうしたいのかを決めるだろう。

仕事復帰が無事できることを感謝している。

どうか、夫が無理をしないで

体調を壊すことなく

このまま仕事を順調にこなして行けたらいいな・・

夫の背中に向かって

「気をつけて、行ってらっしゃい」と声をかけ

自転車に乗って行く夫を見送った。


2012年05月20日(日) キング牧師の演説

私が英語を勉強したいと思ってから

エブリディ・イングリッシュを毎日聞いてはいるが

そもそも何故英語?と思われるかもしれない。

日本人なのだから英語が話せなくても

日常生活を送る上で何も支障はない。

私には海外旅行をする予定もないから

空港や税関やホテルやショッピングセンターでの

英会話も使うことはないかもしれない。

それでも、英語を勉強しようと思った。

それは

あのアメリカのキング牧師の演説

「I have a dream」を英語で聞いた時

胸が震えたからだ。

初めて聞いた時は

意味も分からず、ただ演説自体に感動しただけだ。

この演説の意味を知りたいと思った。

そして

できることなら演説を聞いて

日本語の意味が分かるようになりたいと思った。

IPODに入れて聞いてはいたが

途中で入れていた演説が消えてしまった。

ネットで聞くことはできるが

何か落ち着かない。

そこで、昨日

「英語で聴く世界を変えた感動のスピーチ」をいう本を買った。

それにはCDが裏表3枚ついている。

その中には

キング牧師だけではなく

オバマ大統領、マザーテレサ、ケネディらの演説も含まれている。

昨夜は、早速本を開き

キング牧師の演説を聞きながら

和訳を読んで行った。

まだまだ時間は相当かかるはずだ。

でも

何年かかってもいい

この演説を聞いて日本語の意味が分かるようになりたい。

そうすれば

オバマ大統領や他の人たちの演説も聞けると思う。

そして

同時に購入した「キング牧師の演説」の入った

あちらもののDVDも見た。

勿論、全てが英語で日本語は全くない。

キング牧師が暗殺された時の

遺体を運ぶシーンもあった。

映像で見るのと耳だけで聴くのとは

大分違う。

それにしても

日本人の演説で

このように後世に残る演説はないのだろうか?

日本人が演説が下手なのかもしれない。

皆さんもネットで聴けるので

一度、キング牧師の演説を聞いてみてほしい。

http://www.americanrhetoric.com/speeches/mlkihaveadream.htm


2012年05月19日(土) 芝刈り

今、私は、亡き父と母が住んでいた家に住んでいる。

父が生きていた頃は

掃除大好き、綺麗好きな父だったから

家の内外は勿論

裏の芝生に雑草が一本も生えないくらい

手入れをしていた。

でも、6年前に父が亡くなった後は

元気な間、母も時々雑草を抜くことはあったが

段々弱くなってからは

自分では手入れも出来ず

一年に一回、シルバー人材センターのひとに頼んで

草ぬきをしてもらっていた。

その母が亡くなって二年目になるが

ますます、裏の芝生には雑草が生えてしまった。

私も雨あがりには抜くこともしていたが

夫の入院や忙しさのために

草ぬきをしなくなって、芝生に花が咲いた草まで生えるようになった。

これはどうにかしないといけないと思っていた。

夫が一度、芝生以外の草を枯らす薬を撒いた。

でも、雑草には影響はなかったみたいだった。

アズキが時々裏の芝生を走り回ることがあるので

やはり除草剤を使うのは心配だった。

ということで、夫が芝刈り機を買おうといい

一昨日、1万円ほどの芝刈り機を買ってきた。

そして

今朝、まだ日が高く上がっていない時に

夫が芝刈り機で芝生を綺麗に刈ってくれた。

私はその刈った芝生を集めてゴミとして捨てに行った。

芝刈り機で刈った後は

さっぱりして気持ちがいい。

まだ、日が経てば、刈ることをしないといけない。

チューリップが咲いていた花壇は今は何も咲いていない。

私がガーディニングをしようと思うと夫に話したら

やめとったほうがいいと言った。

私が花の世話をできないということが見抜かれている。

でも、その通りだから仕方ない。

手入れをちゃんとしていないと

どうしようもない裏庭になってしまう。

これからは、気付いた時に少しずつ苅ろうと思う。


2012年05月18日(金) カブちゃんのブログ

昨夜、娘から電話が入った。

娘は大阪に居た時に可愛がっていた猫を

今回、広島に住むことになって

その野良猫の一匹を連れてきて一緒に住むようになった。

私は、初めは写真しか知らなかったが

娘の所に行って二回会った。

おとなしい猫で茶色の可愛い顔をしている。

名前はかぶちゃんと聞いていた。

何でかぶちゃんなの?と聞いたら

歌舞伎から来ていて

顔、目のあたりが歌舞伎の隈取に似ているからだと言っていた。

そのかぶちゃんのブログを始めたと知らせて来たのだ。

娘は、私が時々更新するアズキ日記も見てくれて

コメントをくれたりする。

私も、早速かぶちゃんのブログに行き

写真や文章を見てコメントした。

娘のは面白いし楽しい。

ブログはあのような書き方をするといいのだなあと思う。

アメーバのブログのようだったので

一応、私も登録して書けるようにはしたが

今の所、書き込む予定はない。

娘のブログは下記で見える。

気がむいた人は一度見てみて欲しい。

http://ameblo.jp/toromare/


2012年05月17日(木) 嬉しいこと

昨日は嬉しいことがあった。

先日もここに書いた本に関してのことだ。

若狭和朋氏の「日本人が知ってはならない歴史」

今では発刊されていなくて

Amazonの中古品では20000円も値がついている。

結局、買うことは出来ず

チャンネル桜の人が

一部をコピーして送ってくれることになった。

この本の話を

最近始めたフェイスブックに書いた。

それを見てくれた友達の一人が

昨日、その本を私が今住んでいる家に届けてくれたのだ。

貸していただけると思っていたら

くださるとのこと。

信じられない気がしたが

読んでくださいと言ってくださった。

有難くいただいた。

早速、夜に読み始めた。

「知ってはならない歴史」とは

知らねばならないのに

知らされなかった歴史というわけだ。

戦後の教育を受けたものは

何も本当のことを知らされず

日本は悪いことをしたと思い込まされているということだ。

読み始めた最初の方に

金日成のことが書いてあった。

抗日パルチザンの英雄と言われている金日成と

今の北朝鮮の指導者の祖父にあたる金日成は

全くの別人であるということ、

知らなかった。

無知は怖い。

金日成の経歴は嘘なのだ。

そして

その嘘を知ってか知らずか

朝日新聞は褒め称えているという。

どこの新聞社か?

そして

南京大虐殺などなかったことや

通州事件がいかに残虐であったか?

それらを、日本の子供たちに教えない

今の教育の偏向について憤りを覚えた。

これから

じっくりと読み進めていきたい。

本当に有難う!

この本を読む機会を与えてくれた人に

心から感謝している。

それと、

余談だが

昨日、読み終えた本

適菜収氏の「ニーチェの警鐘」の中では

私の尊敬する中川八洋先生が言われている

ルソー批判がされていて

やはり、法の支配に触れていた。

これも、嬉しかった。

嬉しいことがあるとやはり気分がいい。

さあ

今日も続きを読もう。




2012年05月16日(水) 一人では・・

今週末、19日、20日の娘の所へ行くことは

中止となった。

今回の広島行きは

初めから迷うことが多く、

行こうか?止めようか?と

決めかねていたのだ。

娘は19日から21日まで大阪へ行く。

その間、娘が飼っている猫の世話を頼まれたのだ。

一泊なら心配はないが二泊になるので

猫を放っておくのが娘には不安だったようだ。

猫を飼い始めた時から

こういったことを想定してはいたはずだし

飼うまでは一時的にせよ(元は飼い猫だったみたい)

野良猫の時代があったのだから

もし、餌を与えなくても生き延びるはずだと思っていた。

娘から、アズキを連れてこないでほしいと言われたのも

私が躊躇した理由だ。

アズキを放ったまま行くのは忍びない。

アズキを連れて行って良いなら行くと娘に言った。

娘はそれでも良いけど、

今回は餌と水を多目に置いておいて

大丈夫かどうかやってみるから

お母さんは来なくてもいいと言った。

ほっとした気持ちがあるし

何か、娘に悪いなという気持ちもある。

娘の所に行ったら

ついでに、呉の大和ミュージアムへ行ってもいいなと思っていた。

前から一度は行きたいと思っていたからだ。

でも、地理的に娘の所まで行ってから

呉に行くのは何か無駄な走りをする気がして

呉に行くなら、松山観光港から出ている

スーパージェットに乗って行く方が便利だと思った。

今回は見送ったので

いつか機会があれば行きたいと思う。

それでも

正直、一人で行くのは・・と思う。

写真も撮って欲しいし

感想も言い合いたいし、

誰か一緒に行ってくれたら良いけど

私の友人には行ってくれる人は居ない。

まあ、仕方ないか・・

姉も気が進まないと思うから

もし、行く時には一人で行こう。

それにしても

一人が好きだと思っていたが

案外、私ってさみしがりやなのかもしれない。

何か不思議な気がする。


2012年05月15日(火) 日本人が知ってはならない歴史

今は、全く活動を休止しているが

私が支部長をつとめている会がある。

名前は「チャンネル桜を支える会・愛媛県支部」だ。

「頑張れ日本!全国行動委員会・愛媛県本部」と

会員も殆ど同じだし

やることも同じことなので

最近は頑張れの方しか活動していなかった。

決して、支える会を解散したわけではなく

ただ、会費を集めなくなったのは確かだが

存在はしている。

そのチャンネル桜を支える会・愛媛県支部に

昨日、ある人から電話があった。

私が今までの活動の中で名刺をお渡しして人からだった。

いつどんな時に誰にお渡ししたか?

全く、覚えていないので

電話をくれた人の名前を聞いてもピンと来なかった。

申し訳ないと思う。

電話の内容は

チャンネル桜で紹介された本

「日本人が知ってはならない歴史」

計3冊、著者は若狭和朋氏。

この本を手入れようとしたが

どこにも売ってなくて

出版元にも在庫がないと言う。

それで

チャンネル桜に在庫があるだろうか?

尋ねてほしいというものだった。

この本は一冊目が2004年に出た。

この時、本の題名に興味があるし

日本人が今まで、教えられていることが

本当は知ってはならない歴史なのだろうと

読んでみたいと思った。

でも、

当時は父の看護で忙しかったので

またにしようと思いながら買わずに居た。

その人の電話をもらって

Amazonで検索してみた。

中古品としてあるのはあったが

何と値段が24000円以上もしていた。

もう一冊は10000円弱。

あとの一冊はないみたいだった。

チャンネル桜に電話したが

一冊はあるけれど、これは番組内で使うので

お貸しできないと言われた。

Amazonで買っていただきたいと言われたので

その通りを、電話をくれた人に伝えた。

その人が知りたかったのは

天皇陛下に関することで

靖国参拝を何故なさらないのか?

こっそりと、ある場所を参拝された・・云々

このことをもっと知りたかったみたいだ。

結局、このことに関する頁を

コピーして送ってもらえることになった。

良かった。

もし、他の箇所も読みたいと思うのなら

高くても購入するしかないだろう。

それにしても

日本人が知ってはならない歴史

を、私も読みたかった。

やはり、本は、読みたいと思った時に

手に入れるのが良いと思う。


2012年05月14日(月) 昨日は母の日

昨日、五月の第二日曜日は母の日だった。

亡き母の誕生日が5月11日なので

年によったら、母の誕生日と母の日が重なることもあったなあ・・と

妙に懐かしく思い出していた。

今日は母の月命日

昨日、父と母の両方の月命日をまとめてお参りしてきた。

帰りに姉と「あおぞら食堂・樽見店」によりお昼を食べた。

姉はあおぞら食堂という名前から

ひと品ずつ自分で取って食べる

普通の食堂と思っていたらしく

行ったことがなかったみたい。

だから、愛媛県の産地でとれた野菜や

肉・魚・お米など

所謂、地産地消のお店なので

安心して食べることが出来た。

姉は日替わりランチを頼み

私は歯の治療中なので、柔らかいものが良いと思って

ハンバーグランチを頼んだ。

肉の臭さもなく、美味しかった。

ランチをしながら

母の日の話をした。

娘が母の日に何かしてくれるかな?と話していたら

夜中のメールが娘から届いて。

母の日、おめでとう。

本当は初月給でご馳走したかったのに

この間はお父さんが来なかったからできなかった。

母の日のプレゼントをしたいけど

何か欲しいものはある?と聞いてくれた。

正直、物は何もなくても気持ちだけで嬉しい。

母の日を覚えていてくれただけで嬉しい。

昨夜は宿直だったらしい。

お墓参りをしている時に

娘から電話が入っていたが

出ることができなかった。

悪いことをしたと思う。

昨日は私の母にとっても

私たちがお墓参りをしたことで

いい母の日になったと思うし

私にとっても

娘からやさしい言葉をもらって

いい母の日になった。

やはり、家族の気持ちって有難いし

家族を大切にしようと改めて思った。


2012年05月13日(日) 気温の差

4時半からアズキの散歩に行ってきた。

今朝、目が覚めたのは午前3時。

まだ、早すぎると思ったけれど

起床し、いつものように

両親の仏壇のシキミの水を取替え

ご飯とお茶を上げた。

そして、

朝食の準備と夫のお弁当、夕食を作った。

今夜は酢豚とポテトサラダを作った。

薄味にしたのでOK.

お弁当は昨夜のおかずと同じ

ブリの照り焼きと大根と豆腐の煮付け

マカロニとウインナーとピーマンとトマトのソテー

これはケチャップ味で薄く味付けした。

これで、食事関係の家事は終わった。

アズキはすでに起きているが

4時半になるまで放っておいた。

散歩に行くよと言ったら嬉しそうにくるくる回る。

今朝も同じ(#^.^#)

寒そうなので、パーカーを羽織って出た。

耳にはIPOD、

EEの69まで来た。

アズキの散歩は約30分、

車の通りの少ない国道沿いを歩く。

草むらがないから

アズキは楽しくないかもしれないが

私にはちょうどいいコースだ。

帰宅してこうしてパソコンの前に座ったら

左手の薬指が白く

レイノウ病のようになって

動きが悪い。

これほど寒かったということだ。

私が寝起きしている部屋に

ファンヒーターを一台だけ掃除をせず

残している。

昨夜も今朝もONした。

暖かさが体の芯までしみてくる。

今日は父の月命日だ。

明日は母の月命日、

姉とお墓参りに行くことにしている。

日中は気温も上がるだろう。

気温の差があるから

体調には気をつけないと。

今週末に、娘に来てくれと言われていたが

あまりいい返事をしていない。

止めるつもりだけど

私のことだから、頼まれたことに対して

責任も感じるし

やはり、行くことになるかもしれない。

一昨日のことがあってから

色々考えている。

考えてもどうなるものではないけれど

私も少しでも自分が楽になるように

生き方や考え方を変えながら

進歩したいって思う。




2012年05月12日(土) 心に囚われすぎる私は

昨日は三ヶ月ぶりに美容院へ行った。

来月10日に父の七回忌と母の三回忌があるので

もう少し待って美容院へ行こうかと思っていたが

気分転換もしたいので、カットしてきた。

今まで数年間してきている髪型は

前下がりのボブだ。

正直飽きてきた。

今回はフレンチボブにしてもらおうと先生に話した。

しかし、前回、後ろを段をつけてカットしたので

十分長さが長く揃っていない。

だから、フレンチボブにするには無理かもしれないと言われた。

初め、フレンチボブにするつもりで

横や後ろを少し揃えて切ってしまったので

前に下がる部分が短くなってしまって

前下がりのボブとも、フレンチボブとも違う

中途半端なカットになってしまった。

まあこれは仕方ない。

ひと月経った頃の方が落ち着いて苦し

慣れて良くなるだろうと言われて納得した。

帰りに親友の所に寄り

EEのCDを渡し、そのまま一人でお昼を食べに

助六へ入った。

わがままランチを注文。

昨日の料理はどれも美味しくて、お腹いっぱいになった。

これで、昨日が終わっていれば良かったのだけど

午後、精神的に落ち込むことが起きて

何もしたくない気分になった。

こんな時は心のなすがままにするのが良い。

無理をしたら余計にしんどくなる。

なるようにしかならないのだから。

夜まで色々考えたけど

ある程度は割り切ることが出来た。

私の思い、心に囚われすぎると駄目だ。

もっとタフにならないと。

今日は、朝からとてもいい天気。

昨日の嫌なことは忘れよう。


2012年05月11日(金) ニーチェの警鐘

あなたの趣味は?と聞かれたら

一番に読書と応えるであろう私は

最近の目の不具合にも関わらず

一日に一度は本を読む時間を作っている。

以前ほどではないが

それでも時間単位で読書の時間を取るようにしている。

今、私が読んで居る本が二冊ある。

一刷は「日米開戦の悲劇」

ハミルトン・フイッシュの同名の本は読んだ。

今は福井雄三氏が書いた本である。

もう一冊

実は、この本に今は夢中になっているのだが

それは

適菜収氏の「ニーチェの警鐘」という本だ。

新聞広告を見て、早速買いに行った。

前に出た「ゲーテの警告」と同じように

哲学者としての敵菜さんが

何故、今の日本が駄目になってきているか?と言う点を

分かりやすく書いている。

所謂、今の日本がおかしくなったのは

B層が社会を凌駕しているからだそうだ。

B層とは

IQが低く

マスコミ報道に流されやすい人のことを言う。

主婦や老人、低学歴の若者、

民主、平等、人権といった

近代的諸価値を妄信する層を指す。

専業主婦である私は

敵菜氏によれば

典型的なB層なのだろう。

先の衆議院選の時に

民主党に一度やらせてみたら良いと思った

マスコミに煽られ

自分の信念を持たず

長いものには巻かれろ式に

民主党に一票を投じた人たち

私からみたら

この人たちこそB層に思える。

私は主婦であっても

一応、今の世の中のことを見て

マスコミは信じないし

くだらないTVは見ないし

風に流されないように

日本の伝統や文化を大事に思っているので

私自身はB層には当てはまらない気がする。

まだ、本の途中なので

結論は書けないが

敵菜氏が書いていることは

いつも私の思っていることに当てはまる。

いわばまともなことを書いている。

今の野田政権の各閣僚たちへの批判は正論だ。

特に適材適所だと言って

野田総理が任命した

防衛大臣については

どんな庇い立ても成り立たない

クズたちが政治をしていると思うと

ぞっとしてくる。

政治家になるにはそれだけの勉強と努力と

信念と力がいるにも関わらず

私たち素人にちょっと毛が生えただけの人が

さも、大臣だという顔をして

のさばり、日本を駄目にしているのを見ると

今の政治家の殆どが

敵菜氏のいうB層なのだと思う。

まだ、読み始めただけだから

この先、どんな展開になるか?

興味津々だ。


2012年05月10日(木) やればできる

今までの私は

家のことで、私に出来ないこと

例えば、電気関係や水周りのトラブルなど

直ぐに夫に頼んで解決してもらっていた。

夫がいたから、修理屋さんに頼むこともしないで済んだ。

それは

パソコン関係も同様だった。

パソコンを購入した時にも

設定は夫に任せっぱなし。

何か不都合なことが起きた時も

解決してくれたのも夫。

私はただ、直るのを待つだけで良かった。

それが当たり前だと思っていた。

しかし、

夫が入院して居なくなってからは

家の中のことで困ったことが出来ても

頼んで直してもらうことが不可能になり

自分でやらざるを得なくなった。

パソコンのこともそうだ。

今回のHPに関することや

エブリディイングリッシュについても

結局、私が頑張って解決出来た。

妙に自信がついた。

旧のHPのトップ画面で

どうしてもアップできなかった

プロフィールや頑張れ日本や支える会の画面も

移行できるようになった。

徹夜したり

一日中かかりっきりになったけれど

時間を費やした分だけ勉強になったということだ。

プロバイダを止めてサーバーが使えなくなり

無料のレンタルサーバーを借りて

新しいHPをアップすることが出来た。

その新しい「スカーレットの部屋」は

http://cutenao.himegimi.jp/public.htm だ。

旧の画面に移行のお知らせを入れることも出来た。

こういう結果になったのも

ある人がHPの存続を頼むと電話してくれた御陰だ。

その時には面倒だなあと思ったが

結果的には感謝している。

これからも

何かあった時

直ぐに夫に頼むのではなく

やれる範囲、自分で頑張ってみよう。

夫が居ないものと思えばそれで良い。

そして

どうしても、私の力で出来ない時に

夫に頼もうと思う。

60才にして、こういうことに気付いたのは

それまで

私が如何に恵まれた環境の中に居たかということだ。

甘えの中で生きてきたということでもある。

反省すると共に

自分でやらねばならないと再認識した。


2012年05月09日(水) 何かなあ・・

歯医者の結末。

昨日の朝、土台の一部が欠けてしまって歯医者へ行った。

朝、欠けた時、欠けた土台の一部をゴミ箱に捨ててしまった。

まさか、あの欠けた土台をまた使うとは思っていなかった。

何でも要らないと思ったら即捨ててしまう私の

またもやらかしてしまったミスだ。

歯医者の椅子に座って

欠けた土台はありますか?と聞かれた。

ゴミ箱に捨てたかもしれないととぼけたものの

探して見つかるかどうか?自信はなかった。

後1時間して土台を持って出直して来てくれと言われ

一旦帰宅した。

それから、ナイロンの手袋をはめ

生ゴミの袋の中身を、新聞紙の上に出した。

幸い、ゴミの量が少なかったので

直ぐに見つかった。

綺麗に洗って熱湯消毒をして

歯医者へ持って行って再びつけてもらった。

今度は割と安定してつけかたをしてくれた。

一昨日は家に帰る頃から

舌が触っただけでぐらついていた。

やはり医者も言っていた通り

つけかたが悪かったみたいだ。

これでしばらく様子を見て

21日月曜日の週に

かぶせるものを作るらしい。

それでも、長くもって5年だと言われた。

入れ歯にするのがちょっと遅くなっただけだ。

でも、一年でも良い

今ではなく、入れ歯にする時期が

延びてほしい。

というわけで

今は右の土台にトラブルはない。

食べるものも随分気をつけている。

右では絶対に固いものは食べないし

右だけではなく左の歯のためにも

柔らかいものを食べるつもりだ。

栄養的にはどうかな?と不安もあるが

仕方ない。

もし、かぶせてくれたとしても

それに慣れて平気になった時に

ついつい固いものを食べて

歯のかぶせている部分・ブリッジが外れると言われた。

十分に気をつけよう。

最近は目も老眼が進んだというか

いつも見えにくい状態になった。

眼科へ行っても視力は大丈夫だと言われたから

まあ大丈夫なのだろう。

白髪を染め始めて何年になるかな?

髪の毛、目、そして歯と

老化現象が顕著になる。

私の力では老化を食い止めることは無理。

ということは

自然に任せるのが一番良いのだろう。

何か、納得いかない部分もあるが

それはそれ、諦めるしかない。

これが年を重ねるということなのだろうが

なんだか淋しい気もする。


2012年05月08日(火) 歯の治療

右下の奥歯が痛み出して治療を始めた。

ここには自分の歯を使って数本分のブリッジをしていた。

しかし

そのブリッジが使えなくなり

一番奥の歯を残して二本抜いた。

口を開けなければ

右の下の奥の歯が数本空になっているのは

人には分からない。

でも、食事の時には右で噛めないので不自由していた。

医者は入れ歯にしたら良いと言ったが

なるべく、自分の歯を利用して

再度ブリッジをしてもらおうと思って

入れ歯は最後の手段だと医者に話した。

あれから二ヶ月が過ぎた。

歯の無い状態には慣れてきていたが

昨日は、もう一度だけブリッジ治療をするために

根っこが本当に少なくなってしまった

歯の土台を入れた。

午後3時頃だった。

帰宅した頃から

舌が歯の土台に触れるだけで

土台がグラッとしてしまった。

そして、

案の定

今朝、パンを食べていたときに

その土台の一部分がとれてしまった。

医者に電話をして今日の午後3時半に予約を取った。

きっと

医者はもうこのままでは治療出来ないから

入れ歯にしましょうと言うに違いない。

仕方ないのは仕方ないが

部分入れ歯にしたら

不都合なことも起きるだろうし

手入れが今以上に面倒になるだろう。

外出した時など歯磨きの時に外すことが出来ない。

母が外食した後で

入れ歯を外して洗っていたが

あまりいいものではなかった。

ああ〜本当に小さい頃から

歯には泣かされている。

これは母の遺伝かな・・

どうか、もう一度ブリッジ治療が出来ますようにと

ただ、今はそう祈るしかない。


2012年05月07日(月) 徹夜

若い頃、受験勉強をしていた頃には

徹夜も何回かしたことがあるが

この年になって、まさか徹夜をするとは!

父や母が亡くなった時の御通夜の時でも

交代で睡眠を取って徹夜はしなかったのに・・・

これまでも何回か書いていたが

今までのスカーレットの部屋が

元の私のPCでアップできなくなるので

もう見えなくなっても仕方ないと思っていた。

それが

数年前にお世話になった人から

是非、続けてほしいと言われ

どうすれば良いか?考えて

結局無料のサーバーを借りることにしたのだ。

古いPCに入れているホームページビルダーで作ったものを

今、使っている無線でできるPCから

無料のサーバーを使ってアップすることにした。

これに大分時間がかかった。

計一日近く関わっていたと思う。

そして、やっと新しいURLに移行できたと

喜んで、友人にメールで知らせたのに

後になって

プロフィルと頑張れ日本と支える会が

どうしても見えなくなることが判明した。

htmとhtmlの二種類のファイルのうち

アップ出来ないのはhtmlの方だ。

なんとかしようと相当の時間を費やしたが

結局、アップすることができなかった。

借りたサーバーの決まりで

htmだけアップするみたい。

だから

結局、見えないプロフィルと支える会、頑張れ日本の

三つを削除してしまった。

明日か明後日には本部に事情を話さないと。

肩はコリコリに固まってしまった。

今日は、夫の病院があるのに

私は寝ていないで運転できるかな・・

ちょっと自信がないな。


2012年05月06日(日) 疲れて

昨日は、朝からなんだかとてもしんどくて

それでも

いつものように掃除・洗濯・買い出し

料理と家事はした。

お昼前に疲れがピークに達して

お昼を簡単に済ませた後

何と4時まで寝てしまった。

起きてアズキの散歩に行くことが出来たのも

体を休めたからだと思う。

でも、

夕方に面倒なことが起きた。

私のHPが6月に消えるか存続できるかの

瀬戸際にあるのだが

「アジアに生きる大東亜戦争」を作る

きっかけになった人から

久しぶりに電話が入った。

私の事情を話したが

やはり、HPを残して欲しいと言われた。

プロバイダの話をしたが

その人はPCは分からない人なので

なんとかしてほしいと頼まれると

無碍に断れなかった。

でも

HPは私のものであり

始めるも止めるも私の自由だ。

だからそう言った。

お金がかかるなら負担しても良いとまで言われると

なんとかしないといけないかなあ・・と思う。

あの部分だけを印刷してくれても良いと言われ

沢山の量にはなるが

それも一案と重い印刷をしようとした。

すると

無線でプリンターと接続しない。

慌てて色んなことをしてみたが駄目だった。

夫に直してもらおうと重い

夫が帰るまで待った。

その間に

ファンヒーターをしまおうと思い

タンクの灯油を灯油缶に移そうとしたが

最近買った2つのヒーターのタンクが

灯油をうつせない設定になっていて

これも困った・・・と。

HPはサーバーを借りて

今のままでやれると夫が言う。

しかし

今の私には力がない。

プリンターのことは

朝からさきほどまでかかって

夫がなんとかしてくれた。

そして

ワイマックスを設定してくれたので

今までのDoCoMoの端末をささなくても

ネットに繋がるようになった。

本当に色々と世話になっている。

ヒーターのことはまたなんとかしよう。

とにかく

急がず、今月中にやれれば良い。

疲れて寝込まないようにしよう。


2012年05月05日(土) 連休

今日はゴールデンウィークの後半の中日だ。

「子供の日」を祝って国旗掲揚をした。

連休中に動くのは疲れる。

今年の連休は

前半と後半の間の1日と2日に

再度、娘の所へ車を走らせた。

目的は娘の所に夫を連れていってあげることだった。

しかし

当日の朝になって

色々あって、結局、夫は行かないことになった。

じゃあ

私も行く必要はないのだから

止めようと思った。

でも、決めていたことだし

朝早くに娘と連絡が取れないこともあって

予定通り朝の6時に出発した。

高速道路は混んでなくて

スムーズに走ることが出来た。

本来なら

2時間40分くらいで着くはずだったが

行きの車の中で

アズキが朝食べたものを全て吐いてしまった。

その始末とアズキの休養のために

二度パーキングエリアに止まった。

それでも、3時間で娘の所に着いた。

娘が飼っている猫のかぶちゃんを

家から13キロほど離れた動物病院へ連れていった。

連休中ということもあり

休みと休みの間で、病院は混んでいた。

午後の予約を取り直して帰宅。

お昼は前に行ったホテルのラインバイキングへ。

また欲を出して食べ過ぎてしまった。

午後は、娘が新しいデジカメが欲しいというので

デオデオへ。

一眼レフのデジカメは重いので

カシオの最新で機能も良いのを買ってやった。

夕方まで、部屋の掃除をする。

4日と5日は高校時代の友人が訪ねてくるので

掃除しないといけない。

そう思ってはいるものの

毎日忙しくなかなか片付けられなかったらしい。

冷蔵庫や台所の掃除

部屋の掃除をする。

夕方になり、猫を病院へ。

アズキは娘の家で留守番。

目は治っていたとのことで一安心。

夜はインド料理の店へ。

量が多すぎて持ち帰ったが

味はとても美味しかった。

夫が一緒に来ていたら

外食は無理だっただろう。

2日は娘が泊まりの日で

12時に家を出るというので

慌ただしくお昼を済ませ私も帰路についた。

帰ったのは午後3時。

大雨の中運転が大変だったが無事に帰宅した。

3日と4日は

家の中の片付けや掃除、

そして、義母の母の日のプレゼントを買いにエミフルへ。

パジャマを買った。

その間には

ipodにEEを入れ直した。

バタバタとしているが

外出するより家に居た方が楽だ。

今日も一日家で過ごそうと思っているが

明日は久万のドッグランへ行こうかと

夫と話している。

しかし、

TVのニュースを見ていて

そこへ行くまでの道がものすごく渋滞しているのを知った。

ためらっている。


スカーレット