スカーレットの心のつぶやき
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2010年08月27日(金) 色々な思い




2010年08月06日(金) 願かけ

父は4年前に癌で亡くなった。

闘病は1年半と長くはなかったが

私は入院している父の病院へ毎日通った。

入退院を繰り返したから

家で養生していた頃もあった。

最期を迎えたのは自宅だったが

病院と実家には泊まりがけで看病した。

その時にも私はある願かけをした。

結局、父は治ることなく逝ってしまったから

私の願かけは叶わなかったということになる。

そして、今度は母の病気が治るように願かけをした。

何を断ったのかは誰にも言わない。

言うとだめになってしまうかもしれないからだ。

昨日も母を病院へ連れて行き車いすを押しながら

早く、この痛みが少しでも楽になれますようにと願った。

母の病気は完治しない、そう思うとたまらないものがある。

きっと治ると信じたい。

今の医学では無理かもしれないが

奇跡って起きるかもしれないから。

そのために、私はあるものを断ったのだ。

私にとってとても意味のあるもの、支えとなることだ。

でも、母のことを思うとそんなことを断つくらい何でもない。

母がまた元気になって

杖だけで歩けるようになるまで

一緒に高島屋へ行けるようになるまで、

美味しいものを一緒に食べに行けるようになるまで

出来るなら母と日帰り旅ができるようになるまで・・・

可能性は大きく広がる。

私にとって母は命と等しい存在だ。

だから、母が元気になることは

私が元気になることだ。

神様、私の願かけ、○○断ちの願いを叶えてください、お願いします。


2010年08月05日(木) 母に・・

自分でもどうかしていた。

あんなことを母に言うべきではなかった。

昨夜は、私が母に言ってしまった言葉に

母がどんなに傷ついただろうと考えると

なかなか眠れなかった。

あの時は、間が刺したというか

きっと私の心の中で何かが爆発したというか

今、思うとあんな風になった私がとても恥ずかしい。

母の姿を見ていると

入院して安静にしていてくれると良いのにと思うのだ。

でも、母は入院したくないと言う。

また、ベッドも万床のようで今は入院も出来ない。

家で入院していると思ってじっとしていてほしいと願う私、

でも、母は自分でできることはやりたいと思う性分。

そこでぶつかってしまうのだ。

昨日は暑さもあり私の心も色んな思いでいっぱいになり

母を見ていてついきついことを言ってしまった。

母は一人が良い・・とぼそっと言った。

その言葉を聞いて私は「じゃあ一人でしたら」と返してしまった。

そして、荷物を持って帰ろうと車まで行った。

でも、考えてみると私がいなければ母の食事はどうする?

短気を起こしてはダメだ。

もう一度家の中に荷物を持って入った。

母はソファーに腰かけて下をじっと見ていた。

そんな母の後ろ姿を見て涙が出た。

母に「さっきはごめん、言い過ぎた」と謝った。

でも、母の傷ついた心は元に戻らないかもしれない。

そのあとは晩御飯を作り母と食べたが

何かしっくりこなかった。

これが他人同士ならけんか別れになるかもしれないが

母と私はきっとまた元に戻れる。

私のダメな性格を直さないと

これから長い母の看護・介護に差し障る。

反省の一言だ。

今日も母を整形外科へ連れて行く。

毎日してもらっている電気治療がちょっとでも効けば良いのに・・

そして、母の口に合うような夏バテしないような

美味しい料理をしてあげよう。


2010年08月04日(水) 娘との電話

娘が今年の夏休みに帰省するのかどうか?

母の具合も悪いこともあって気になり

何度もメールをしたり電話をしたりしていたが

ようやく、娘と電話がつながって話すことが出来た。

気が付いたら1時間話していた。

私が飛行機のチケットの手配もあるから

お盆の帰省ラッシュになかなか取れないこともあるし

早く知らせるようにと言っていたが

結局、今年は帰省をしないと言った。

ほっとしたようなまた寂しいような

複雑な心境だ。

娘に、母の具合が悪いことを話すと

「お正月までにばあちゃんの顔を見ることが出来ないから

それまで、ばあちゃんが死んでしまわない?」と心配した。

私はそんなことはないと言ったものの

正直、今の母を見ていると

元気にはなれそうもないし

不安が募って、娘に話したことも

希望的観測であり、私自身への慰めのような気もした。

9月にある外公演の脚本・演出が娘に決まったので

練習に忙しく休んでいる暇もないようだ。

体のことが心配で無理をしないようにと言ったが

演劇をしている時にはしんどいと思ったこともなく

体調も悪くならないと言った。

やはり、好きなことをしている時

人間は疲れを覚えないのだろう。

でも、精神的には疲れなくても実際の体は疲れている。

そのアンバランスで、公演が終わったら

急に体調を崩すかもしれない。

熱中症にも気をつけて栄養のあるものを食べ

休める時には休んで、頑張りすぎないように話した。

進路のことについても、娘の気持ちが分かったので

親がああせよこうせよと言う立場ではないと再確認。

娘がこうしようと思ったことを応援してやるしかない。

夏休みに会えないのは残念だけど

9月の外公演は観に行くつもりだ。

演劇も4年になったら出来なくなるので

娘が書いた脚本や演出の公演は今回が最後になるかもしれない。

高校時代から今まで、娘の脚本の芝居を見てきて

我が子ながら感心している。

今度もきっと楽しませてもらえるに違いない。

母も喜んでいた。

9月に入り、母の体調次第では

行けなくなるかもしれないけど

今はただ、そうならないことを祈るばかりだ。


2010年08月03日(火) こんなことしていて良いのか・・・

私はこんなことをしていて良いのか・・

母の具合が悪くなった。

数日前までは私の手を借りなくても

歩くことが出来ていたのに

ほんの数日前から痛みが激しくなり

歩くことが難しくなってきた。

昨日は整形外科と温熱療法の病院と

二つの病院に連れて行ったが

病院の車椅子を借りて母を乗せ押して歩いた。

また、いつもなら食欲があるのに

数日前から食べた後がムカムカしたり

お腹がとてもしんどいと言いだした。

母の今の状況を考えると

食欲が減り食べられなくなってもおかしくはない。

覚悟はできていたつもりだった。

でも、昨日の晩御飯の後の母の様子を見ていて

恐ろしいくらい不安が胸をいっぱいにした。

「泊まろうか?」と母に言ったら

母は「今はまだ良い、本当に動けなくなって

泊まってほしくなったら言うから」と言った。

母が寝るまで傍に居て帰宅した。

私はこんなことをしていて良いのか・・

そんな気持ちが襲ってくる。

役員会を開き、街宣活動等をする予定で居るが

そんなことをしている場合ではないのではないか?

親不孝な私ではないのか?

もっと母の傍にいる時間を増やすべきではないか?

私にとって母は命のようなものだ。

私をこの世に送り出してくれた人でもあり

私を心から愛し認め大きな大きな羽で包みこんでくれる人だ。

そんな母が居なくなることを想像すると怖くなる。

怖くて怖くてたまらない。

いつかはそんな時が来るのだと覚悟をしているつもりでも

母の体調の変化に一喜一憂している私が居る。

私はどうすればいいのだろう・・


2010年08月02日(月) 役員会

昨日は久しぶりに役員会を開き

仲間たちと色々話すことが出来た。

今までの「チャンネル桜を支える会」とは別団体

まあ、それでも関連はあるのだけど

田母神さんが代表となっている

「頑張れ日本!全国行動委員会」の愛媛県本部を立ち上げた。

会員はまだ支える会の人たち数名だけど

なんとか広げることが出来たら嬉しい。

以前、愛媛新聞社の社会部の記者さんが

私に連絡をしてきて会って取材されたことがある。

ボランティアで社会活動をしている団体を取り上げる企画があり

そのために話を聞きたいと言って来たのだ。

お会いして3時間ほど話した時に

次回、役員会を開く時には連絡してくださいと言われていたので

昨日の役員会を案内した。

11時半に始まると告げていたら

少し遅れてはいたけれど取材に来てくれた。

記者さんともなるとなかなかご自分の意見は発言しない。

これが本当なのだろうと思う。

今回の頑張れ日本!の会の立ち上げに関して

今後の活動等を話し合った後

それぞれが今思っていることを自由に語り合った。

いつもこういう風にざっくばらんな役員会となるのですよと

記者さんに話す。

結局3時前まで話し込んだ。

22日以降の新聞に掲載されるとのこと。

写真も撮っていたので顔も出るのだろう。

今後の私たちの会の活動にプラスになってくれたら

宣伝にもなるし嬉しいことだ。

役員会では今月に一度街宣活動をしようということになった。

母のことも私自身の体調のこともあるが

それでも出来る限り日本のために頑張りたいと思う。

そして、秋には結成大会を開催できたら良いなあと思っている。


2010年08月01日(日) 八月

今日から八月、月日の経つ早さをつくづく思う。

母の具合がまた悪くなった。

数日前には病院の帰りにお昼を食べて帰れるほどだった。

私も母の具合が良いと安心もして

気持ち的にも楽天的になれる。

だからこそ、出来ないと思っていた役員会を今日開くことにもした。

でも、母が辛そうな顔をして

下を向きじっと痛みを我慢している姿を見ると

声をかけるのも憚るし、

ただ、傍に居て腰をさすってあげることしかできない。

また、痛みも軽減し笑顔を見せてくれるだろうと

小さな期待を持つのが精いっぱいだ。

八月はお盆がある。

いつものなら母と一緒にお寺のお施餓鬼に行き

父のお墓参りにも行く。

でも、今年のお盆はどうなるかわからない。

15日にはお寺さんが拝みに来てくれる。

お盆に帰ってくる父を迎え火をたいて迎えることが

母にとってもとても大事なことに違いない。

お盆が済んだらきっと一安心するのだろうな・・

娘も大阪から帰省するかもしれない。

日にちのこととか帰る手段とか

なかなか娘からはっきりした返事が聞けない。

娘も忙しいから4日ほどしか帰れないみたいだ。

八月前から猛暑が続くが

本当の意味で暑い夏が来たという思いがする。


スカーレット