スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2007年12月29日(土) 今年を振り返って

今年も残り後三日になった。

年を取るごとに一年の経つ早さをしみじみと感じる。

去年の今日、夫の父が亡くなった。

あれから一年、まるで昨日のように思える。

今年は、私にとって体調不良が次々に起きた年になった。

三年前に私の父が病に倒れ、

その看病と最期を迎えるまで

私は自分の体のことなど何も考えず頑張った。

年老いた母に負担をかけたくなかったし

父のことは私が看てあげたいと思う気持ちからしたことであり

今でも決して後悔していない。

でも、その頑張りが私には重荷になっていたのだろう。

今年の春、体調の変化を覚え

毎日不安な日々を過ごし

耐えられなくなって入院するも

原因が分からないまま退院。

退院直前にもしかして?バセドウ氏病ではと言われ

大学病院で受診、やはりバセドウ氏病だと判明した。

あれから半年が過ぎる。

幸い、薬の効果が出て段々と楽になり

今ではこの病気を忘れている。

夏には左手の親指が動かなくなり

バネ指と診断されたがそのまま9月まで放置。

入院して手術したものの元と同じにはならなかった。

ひと月前からは右手の親指が同じ状態になり

手術を勧められているが

娘の受験があるので今は出来ないまま放っている。

その結果、親指は完全に曲がらなくなり

ペンを持つことが出来なくなった。

文字を書く時も握りペン状態で文字も汚くなってしまう。

何とか家事をしてはいるが突然痛みが襲ってくる。

バネ指は命には関わらないからまあいいか・・と思っていたが

昨日、行った心臓の病院で受けたエコー検査の結果、

今までは医者に言われなかったことを告げられた。

正直、やはり・・という気持ちがする。

心臓の右心室の圧力が高くなっているとか。

右心室は左心室に比べて圧力は低いはずだ。

その右心室の圧力が高くなっているということは

それだけ右心室に負担がかかっているということになる。

だから、昨日は医者に「足はむくまないか?息切れはしないか?」と

検査の途中で聞かれた。

私は意識していなかったから「いいえ」と答えたが

考えてみると、しんどいのは確かだ。

このまま段々ひどくなると右心室不全になる。

やはり、私は健康体ではないと再確認をした。

無理をした結果だと思う。

母に話したら心配するので大したことはないと言っておいた。

でも、本音はしんどいのだ。

来年年明け直ぐに娘の大学受験・センター試験があり

2月には第二次試験がある。

3月には合否が決まり、それなりに忙しくなるだろう。

まだまだ、私は元気で居ないといけない。

娘が結婚して家庭を持つまでは生きなきゃ。

そのためにも、無理をしないでほどほどにしよう。

来年は今年と違う生活の仕方をしよう。

今年を振り返ってそう思う。

自分の体は自分にしか分からない。

しんどい時は誰に遠慮もせず休むべきだ。

昨夜はベッドの中で一年を振り返って

そんなことを思った。

今日でこのつぶやきも今年で最後にしよう。

長々と書いたが、今年も見てくれた人たちに

心から有難う!を。

良いお年をお迎えください。

また来年会いましょう。


2007年12月28日(金) 夫の誕生日

昨日、12月27日は

夫の51歳の誕生日だった。

私よりも5歳若い夫は

この二ヶ月あまり、私より6歳も下だったことになる。

若い頃は5歳なんて気にもしなかったけれど

最近は夫のことを羨ましく思うようになった。

51歳なんてなんと若いの!と思ってしまうのだ。

年齢だけは誰も皆平等に取るのだから

愚痴ってみても仕方ない。

少しでも若く見えるように生き生きしていたい。

昨日の誕生日はこれと言って特別なことはしなかった。

先日夫にはニットのカーディガンをプレゼントしている。

夕食を夫の好きなお鍋にしたくらい。

娘は塾で帰宅が遅いので

私と二人だけの夕食をとった。

来春以降はこんな暮らしになるのだろう。

段々と慣れてきた感じがする。

最近は夫とも会話することが多くなった。

それも政治的な話題に乗ってくれるから有難い。

私が毎日本を読みチャンネル桜を見ているのを見ていて

私のことを少しは理解してくれたみたいだ。

沖縄のこと、南京のこと、今の日本のこと、経済のことなど

結構話してみると話せる。

こういう話を夫と出来るなんて思ってもみなかったから

正直嬉しい。

勉強にも意欲がわく。

夫との関係は鏡と同じで

私が機嫌良くしていれば夫も話をする。

私が機嫌が悪いと夫も遠慮している。

結局は私次第なのだとつくづく思う。

こうして私が働くこともなく

家事と育児と親のことに専念できるのも

夫のお陰だと思う。

昨日は夫に「おめでとう」と言った後で

心の中で「有難う」とつぶやいた。


2007年12月27日(木) 思うこと

昨日、レンタルDVD「俺は君のためにこそ死ににいく」を見た。

所謂、特攻の映画だ。

これを見て思ったことは

特攻の是非はともかくとして

大東亜戦争で、彼らは日本のために

家族・郷土のために命をかけたということは

本当に尊いことだし

彼らが居たからこそ

今の日本があるのだということ。

それなのに

昨日のニュースで

沖縄戦集団自決をめぐり、

教科書会社から出されていた訂正申請が、

検定審議会で承認され、

検定前の記述が一部復活し、

検定制度が損なわれかねない結果を招いたことを聞いた。

あの日知覧から沖縄戦で飛び立ち

死んで行った英霊たちが

このことを知ったらどんなに思うだろう。

まるで日本軍が悪だと決め付けるような

今日の風潮を嘆くだろう。

歴史は捏造され

あの戦争の大儀であった

アジアの開放と自衛は何処へ行ってしまったのか。

情けない。

今の日本は何も主張できず

ただ謝罪を繰り返すだけに成り下がってしまった。

先日は小沢氏が訪中し

今度は福田総理が訪中する。

中国の本質を見ないで

ただ、日中友好を唱える政治家に幻滅する日々。

自民党も民主党も、

本当に日本国の国益、

また国民のことを見ているのか。

今年も残り少なくなったが

来年はどんな年になるのだろう。

今年よりも少しは明るい年になるのだろうか。

今の暗澹たる気持ちを払拭できるのだろうか。

色んなことを思う年末だ。


2007年12月26日(水)

昨日の夕方、

突然ある男性が我が家を訪問、

なんと夫に世話になったお礼にと

卵を60個持って来てくれた。

ちょうど、昼間行ったスーパーで

卵を安売りしていたので買おうかなと迷っていたところだったので

タイミング良くて有難かった。

でも、一度に60個とは!

来年の11日まで日持ちはするみたいだったが

それにしても量が多い。

義母と母におすそ分け。

いただいた卵は

私が買う普通の卵よりも品質が良さそうで、

ネッカリッチをつかった卵で

「さくら卵」という卵だそうだ。

「ネッカリッチ」とは

動物に欠けている自然の恵みを取り戻す効果を持つもので

バイオ術による樹木皮の成分から抽出・精製した

多くの有機性酵素群に薬草の有効成分が加わり

森林の健康エキスを補給した

天然強化飼料だそうだ。

近代養鶏の欠点を補い、

有機農法卵作りに活用されているもので

農水省の認可を受けているそうだ。

とにかく、良い物に違いない。

ビタミン群たっぷり、

卵黄がこんもり

甘みとコクがあり

色・ツヤもよく生臭味がない

昔ながらの美味しさを味わうことができる

この「さくら卵」を料理して食べるのが楽しみだ。

アツアツの卵焼きを食べたいな・・・・


2007年12月25日(火) プレゼント

昨日はクリスマスイブ、

我が家は一昨日にささやかなクリスマスをしたが

昨日は夫へのプレゼントを買いに行った。

27日がお誕生日でもあるので

クリスマスとお誕生日の二つをプレゼントした。

確かに、誰かに何かをプレゼントするって好きだし楽しい。

相手が喜んでくれるかな?と思いながら

あれこれプレゼントを探す。

幸せな時間だ。

でも、私は家族以外の人からプレゼントをされるのが苦手だ。

矛盾しているが正直な気持ちだ。

何かをもらうと借金しているような気がする。

早くお返しをしないといけないと思うから

かえって何ももらわないのが良いとさえ思ってしまう。

お付き合いは大事だし

人様からいただくものは有難くいただくのが大事だという。

もらい上手という言葉があるから

私はもらい下手なのかもしれない。

でも、人にプレゼントをするって

結局、自己満足なのではないかと思ってしまう。

相手の気持ちを思うと一方的なプレゼントは迷惑かもしれない。

そこのところをきちんと把握する必要がある。

人と人とのお付き合いは

心と心でするのが一番だ。

親友と私の付き合いは

あげたりもらったりはなしの付き合いだが

これが長く続くこつだと思う。

品物ではない、心を通じ合わせることが

とても貴重だし宝物だと思う。


2007年12月24日(月) 片付かない

今の季節は私にとって一番憂鬱な季節だ。

娘が冬休みに入り起きない。

普通なら8時には家の中は綺麗に片付き

家事は買い物と母の送迎くらいになるはずなのに

10時を過ぎても片付かない。

こんな日は朝からイライラする。

母の家での手伝いもある。

買い物もある。

娘が起きないから洗濯も出来ない。

ああ〜本当に嫌になる。

受験生がこんな時間まで寝ていて良いのか?

放っておくのが良いと友人には言われるが

ついつい口を出したくなる。

それをじっと我慢するって

私にはストレスだ。

だから、娘が大学進学後

夫と二人の生活になるのを待ち焦がれているのだ。

きっと落ち着いた静かな毎日になるだろう。

後3ヶ月あまりだ。

ここは私が我慢するしかない。

それにしても年末だというのに片付かない。


2007年12月23日(日) 柚子湯で思ったこと

今日は天皇陛下の74歳のお誕生日。

心からおめでとうございます。

今の日本を憂えるお気持ちを聞くにつけて

どうか皇室がこれからも

日本国民の心の支えとなり続けてくれることを

祈るばかりだ。

昨日は22日、冬至だった。

冬至にはかぼちゃを食べたり

柚子湯に入るといいそうで

昨夜は母が柚子湯を沸かしてくれて

気持ちよく入ってのんびり出来た。

昔から言われている色んなことには意味がある。

だから、昔の人が言ったことを受け継ぐことがとても重要だと思う。

今の日本はお正月よりもクリスマスを重んじている風潮があるが

本来はお正月の意味を考え

昔からの伝統やしきたりを見直すことが必要ではないだろうか。

歳神様は(正月様)とも呼ばれるが、

祖先の御霊みたま)である。

その歳神様のお陰で、

一家が一年を無事に過ごせたことに感謝し、

また新しい年も幸福に過ごせるようにお祈りする。

年末から年始にかけて様々な行事があるが、

それらのほとんどは、

歳神様をお迎えするためのものなのだそうだ。

そういったことを考えると

元旦を迎えることがクリスマスよりも

とても意味のあることのように思える。

でも、実際、子どもたちはクリスマスを楽しむ。

我が家も今夜はささやかなクリスマスを早めにしようと思っている。

ああ〜こういう風じゃ日本の未来も危ないな・・

そんな日本の将来を思うと

今の政治と共にとても不安になってくる。

「ハレの日」の中心であるお正月の意味を

あらためて考えた夜だった。



2007年12月22日(土) 手首

昨日の朝から、右手の手首の痛みを感じていた。

筋肉痛ではない。

骨が痛いのでもない。

筋でもなさそうだ。

物を持つと痛い。

重いものは持てなくなってしまった。

夕方から腫れてきた。

今は手首が赤く色が変わってきている。

何だろう?

右の手のバネ指が影響しているのだろうか。

整形へ行って

レントゲンを撮っても骨には異常ないはず。

だから、このまま様子を見よう。

それにしても

どこかひとつ箇所が悪いと影響するのだな・・と

妙に感心している。

親指の痛みをこらえて

無理をして動かしているから

手首まで腫れてきたのだと思う。

出来るなら家事をしないで

一日だけでも良いから

休んで居たい。

でも、そんなことできるわけがない。

痛みをこらえてでもやらねばならない。

湿布でも貼っておこう。

それで治らなかったら

病院へ行ってみようと思う。

何処かが痛かったり症状が出るのは

生きている証拠。

有難いたいと思えば良い。

でも・・・

それにしても痛い。


2007年12月21日(金) 大学受験

昨日は、娘の大学受験についての

三者面談があり行ってきた。

先日の定期考査の結果も

模試の結果も返ってきた。

娘は大阪の大学を受けるつもりだが

私立は早稲田を受けることに決めた。

今の受験方法はセンター試験だけで

合否が判明する方法がある。

早稲田も法学部はそうなっていたので

まずはここへ出願することにした。

そして、もし不合格だったら

もうひとつの学部を受験するので

2月の半ばに上京しないといけなくなった。

大阪は24日に行くことになっている。

10日ほど期間はあくから大丈夫だろう。

でも、私には東京へ行く自信がない。

東京は苦手だ。

去年、親友と靖国神社へ参拝した時にも

ああ〜東京へは来れないな・・と思ったくらいだから。

夫は東京で大学生活を送っているから

早稲田受験は夫に行ってもらおうかと思っている。

昨日はなんだか気持ちだけが焦ってしまった。

受験の宿も飛行機の予約もしないといけない。

年末から年明け、春までは

娘の受験中心に私の生活が動くだろう。

そのためにも元気で居ないといけない。

風邪を引いているどころではない。

早く受験が終わってくれたらいいのに・・


2007年12月20日(木) 南京事件

今、私の部屋の本棚には

南京事件に関する本が20冊ほど並んでいる。

そして、昨日は新しく手に入れた本を読み始めた。

今年は南京事件70周年ということで

中国の反日運動は米に広がり

南京大虐殺の映画が上映され

ますますありもしないことが

さもあったといわんばかりに

プロパガンダが盛んに行われている。

南京大虐殺があったという「あった派」

なかったと主張する「まぼろし派」

その中間の「中間派」の三派で論争がされているが

真実はどうであったかを

日本人が知ることがとても重要だと思う。

日本は慰安婦問題・沖縄問題・南京問題と

かつての日本軍が悪だという意識を

叩き込まれてきた。

こんなことでは日本を愛する心など持てなくなるのが本当だ。

中国の反日プロパガンダに臆することなく

主張すべきことは主張すべきである。

そして、そのためには

マスメディアは正しい報道をすべきだ。

先日も毎日放送筑紫哲也の番組で

南京事件を見たという元兵士が出て

ありもしないことを喋っている放送が流れた。

こういった間違った報道を信じる人も多いと思う。

いくら思想・報道の自由だとは言え、

それを野放し状態にすることは許せない。

そのためにも一人ひとりが

真実はどうだったのか?という疑問を持ち

真実を知ろうと思う気持ちを持って

自分の目で読み、耳で聞き判断したいものだ。


2007年12月19日(水) 順調に

今日は三ヶ月ぶりに

バセドウ氏病の診察に行ってきた。

最近は自覚症状も全くなくて

自分が病気だということすら忘れている。

今日の血液検査の結果も良くて

順調に回復していると医者に言われた。

今、毎朝一錠ずつ飲んでいる薬が

今後は二日に一錠の割合になった。

次の診察日は来年4月の半ばだ。

娘も大学生になり家を離れている頃だろう。

桜が満開で良い季節になっているに違いない。

本当にありがたい。

バネ指は同じ状態で来春までもってくれるような気がする。

心臓は来週超音波UCGの検査がある。

きっと異常ないと思う。

最近の私は病気を持っているくせに

本当に元気だ。

心が元気ということはこんなにも生き生きと暮らせることが出来るのだ。

病は気から。

何事も気にせず負けないようにしたい。


2007年12月18日(火) 今年も残り少なく

つぶやきを休んでいる間に風邪を引いた。

年を取ると治るのも遅くなる。

私は薬を飲まずに治そうとするので

余計に日がかかってしまうみたい。

まだ今も本当ではないがほぼ治った。

10日ほどかかったことになる。

インフルエンザは予防接種を受けているので

ただの風邪で終わり本当に良かった。

母はバイオサポーターがとても効き

歩くのも大分楽になったようだ。

左にはめていたのだが、右にも買ってはめた。

両足で12万円ほどになるがお金には替えられないと言う。

この分だと来春には日帰り旅行も可能だと言っている。

膝も少しは楽になり

大腸検査も無事に済み結果も異常なし。

これでいい年越しが出来そうだ。

娘の受験が段々と近づくにつれて

私も何となく落ち着かないが

考えても心配してもどうしようもない。

私は私の出来ることをしよう。

今年も半月足らずになった。

明日はバセドウ氏病の診察日だ。

この病気のことを忘れていることが多くなったが

やはり完治しているわけではない。

無理をしないようにしよう。

バネ指は同じ状態だ。

だから、これ以上悪化しないように願うだけだ。

来春までは元気で居なくっちゃ。


2007年12月06日(木) しばらく

右の手のバネ指の症状がひどくなり

ペンを持てなくなった。

昨日は母のお歳暮を送りに高島屋へ行き

宛名を書こうとして文字が書けなかったのだ。

それでも、懸命に汚い文字で書きはしたが・・・

パソコンの文字を打つのも痛いので

しばらくつぶやきもメールもお休みすることにした。

症状が改善されるまで失礼します。


2007年12月05日(水) 病院にて

昨日は、お昼に娘の高校まで迎えに行き

近くの内科へ連れて行った。

この内科は県立病院の先生が開業された病院で

主に消化器系の病院だ。

市内にあった病院は閑古鳥が鳴いているとかで

昨日行った病院は午後3時診察開始なのに

3時前に行ったら座るところもないくらい混んでいた。

病院は病気の人が行く。

だから、それなりに静かで落ち着いた雰囲気でないといけない。

私はそう思っている。

この病院は、新築に近いからまだまだ綺麗だし

温かいお茶を飲めるような設備も

畳の小さな部屋もあり

患者さんのための配慮がある。

でも、昨日は待合室がやかましく嫌だった。

高齢の人が多かったのだが

その中で知り合いの二人の男女が

大きな声でお喋りをしていたのだ。

娘は熱もあり、しんどそうだったから

私としては静かにしてもらいたいと思った。

でも、彼らに注意する勇気はない。

娘は意に関せずという感だったので

私一人がいらいらしていたのかもしれない。

病院に着いてから診てもらえるまでに

ちょうど一時間あっただが

私が行く前から、娘が診察を終え出てきて以降も

お喋りは続いた。

小さな声で喋るのならまだ許せるが

大きな声で話すのには辟易。

何と非常識な人たちだろう。

人の迷惑など考えてもないのだろう。

お喋りがしたいのなら

病院を出て外か何処か喫茶店ででも話したら良い。

病院はどんな症状の人が来ているか分からない。

静かにするのが当たり前だ。

彼らが出て行く時に、受付の女性はにこっと笑っていたが

病院側は注意すべきではないだろうか。

それとも、私が神経質すぎるのだろうか・・


2007年12月04日(火) 娘が風邪を

一昨日から体調を崩しかけていた娘が

昨日、学校から帰宅して吐き気を訴えた。

熱も37度少しあり。

インフルエンザの予防接種はしているが

風邪を引いたみたいだ。

ショウガ湯を作ってやり

それを飲んで早目に休むように言っておいたが

今朝はどうなのだろう。

もうそろそろ起床時間だが起きるだろうか。

定期考査も昨日で終了したから

今日は休んだらと言ってはいる。

でも、テストも戻ってくるし勉強もあるから

休みたくないみたいだ。

でも、無理をして登校し

もっとひどい状態になるといけない。

今日は休むか早退させて

医者に連れて行こうと思っている。

入試まで後二ヶ月あまり。

これからの体調管理は大事だ。

べストの体調で臨むのと熱のある体で臨むのとでは

結果も大きく違ってくるだろう。

今までの努力の結果に見合ったものを得るために

今は無理をしないのが一番。

さあ、どうなのかな・・

起して来よう。


2007年12月03日(月) バネ指

右手の親指のバネ指の症状が

段々と悪くなっている。

朝、起きた時が一番いけない。

全く動かないのだ。

無理に曲げようとするとカクンとなってしまう。

トイレのドアを回すのも

下着を上げるのも痛くて右手が使えない。

鏡台の引っ張る縦長いドア風の引き出しも

ボタンを引っ張るのが痛くて痛くて・・

泣きながら痛みをこらえてやっている。

車を発進させるためにエンジンをかけるときも

キーを差し込んでまわす動作が物凄く痛い。

前の左手の時はPCのキーを打つのは差し支えなかったが

最近は右の親指でキーをたたくのが痛みを伴う。

この分だと、もっともっと重症になりそうだ。

来年の春まで持ってくれるかどうか・・・・

娘が無事大学入学して家を離れたら

夫と二人暮らしになるから

私が一週間ほど入院しても支障はない。

だから、後4ヶ月はこれ以上ひどくなってほしくない。

なるべく使わないようにすべきだが

家事をするには使わないわけにはいかず、

どうしても無理をしてしまう。

今は曲げるは難儀しているが伸ばすことは可能だ。

これが伸ばすことも出来なくなったら

前の左の時と同じになる。

そうなる前に手術しないといけないと医者に言われているので

今以上に悪化しないことを祈るばかりだ。


2007年12月02日(日) 巳午

昨日は12月に入ってはじめての巳の日だった。

私が住む地方の風習に「巳午」(みんま)というものがある。

去年の私の父の巳午をした時に

このつぶやきに書いたのだが

巳午はその年に亡くなった人のお正月だ。

昨日は夫の父の巳午をした。

義父は去年の暮れ29日に亡くなった。

だから、まだ巳午をしていなかったのだ。

昨日は義母と夫と一番上の兄夫婦と私との5人でお墓へ行き

義父のお正月を祝ってきた。

お飾りをお墓に飾り、

お供え餅と蜜柑と干し柿を供え

わらを燃やしてその火でお供え餅をあぶって

包丁に刺した御餅を手でちぎって食べた。

食べながらお墓の前で笑う。

この風習のない地方の人から見たら

なんとおかしいものだと思うだろうが、

これはずっと昔

海で戦う人がお正月を迎えられなかったらいけないと

一足早くに祝ったといういわれがあるそうだ。

短い時間だったが

義父の巳午をし終えてほっとした。

来週の日曜日は義父の一周忌だ。

今年も後ひとつきになった。

日は駆け足で過ぎていく。

一日いちにちを大切にして生きたいと思う。


2007年12月01日(土) 道の駅へ

肩こりがひどいと嘆いていたくせに

昨日はあまりにもお天気が良かったので

急に思いついて

母を誘って、15キロほどのところにある道の駅へ行ってきた。

途中の山々の紅葉が素晴らしかった。

母も私もただ赤いだけの紅葉よりも

緑の山の中に赤や黄色が入り混じった

まるで油絵のような紅葉の景色が好きだ。

昨日見た紅葉は私たちの大好きな紅葉で

行けども行けども、緑・赤・黄色の山が続いている。

運転をしていたから

山に目をこらすことが出来なかったが

後ろの座席に座っていた母は

カーブするたびに山の景色が目に飛び込んで

まるで子どものように

「わ〜綺麗!」と歓声を上げていた。

先日行った城川への道よりも

昨日行った近くの山の紅葉の方が勝っていた。

道の駅ではアツアツの揚げたてのじゃこてんを買った。

母は鯛めしも買っていた。

売店の中では、色々なものを手にとって見て

母は楽しそうに買い求めていた。

そんな母の姿を見て

連れてきてあげて良かったと思った。

来年もまた母に紅葉を見せてあげたい。

母は大腸カメラで異常もなく

膝もバイオサポーターのお陰で少し楽になり

この調子で長生きして

父の七回忌をしてあげると張り切っている。

父の七回忌は母が91歳になった時にあるが

その時に母が元気で法事をしてあげることが出来たら

こんなに嬉しいことはない。

姉からのメールで

「来年も三人で城川へ行き一緒に写真を撮れたらいいね」と言ってきた。

私は「大丈夫、行けると思うよ」と返信した。

姉も私も、母がいつまでも元気で長生きしてほしいと

心から思っている。

毎朝、東の空に浮かぶ明けの明星を見上げては

そのことを願う私だ。


スカーレット