スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2007年08月31日(金) 相談

一昨日、水曜日に心臓の病院へ行き

その時に指のことで整形外科を受診した。

バネ指の手術の件で

整形の医者に相談してきた。

結果は、今日改めて決めることになっている。

私の場合は、心臓の大動脈弁を人工弁に置換手術をしているので

血栓が出来るのを予防するために

一生、血液を凝固させないための薬を飲まないといけない。

だから、この薬を飲んでいると出血しやすいし

止血が難しいのだ。

抜歯の時は薬を飲みながら出来たが

手術となるとそうはいかない。

三年前の婦人科の手術の時も

手術前後に二週間ほど入院した。

24時間点滴をしながら、血液を凝固しない薬を投与するのだ。

今回のこのバネ指の手術にも

入院が必要だといわれた。

やはり前後10日ほど。

でも、今の私には10日でも入院は難しい。

春4月に入院したときも家のことが気になって仕方なかった。

娘が大学受験の年だから

やはり娘を優先させないといけない。

普段は私に偉そうなことを言っていても

やはり、私が居ないと駄目なのだから。

だから、薬を飲みながら手術できないとしたら

延期するしか方法はない。

来年、娘が大学に入って

ここに居なくなってから手術してもらうようになるだろう。

今日は、大学病院へも行ってバセドウ氏病に

今回の手術が影響するかどうかを尋ねているので

その返事をもらって整形外科を受診することになっている。

本当に面倒だ。

健康な人なら外来で1時間あれば出来る簡単な手術なのにな・・

こんな時、私は自分が厄介な問題を抱えていると実感する。

普段は元気で過ごしているけれど

私には病院との縁は一生切れないということか・・


2007年08月30日(木) 正論の会

一昨日の産経新聞の地方版に

10月に開催される「正論の会」のことが書かれてあった。

全国で開催されるこの会の様子を

新聞で見るたびに、一度聴いてみたいと思っていた。

10月に行われる会は

政治評論家の屋山太郎氏を講師に迎え

演題は「当面の政局と日本を巡る国際情勢」だという。

屋山さんの話はTVや新聞、本で何度も読んだり聞いたりしているが

とても、論理的で正論を述べている人で尊敬している。

だから、今回の講演会は是非聴いてみたいと思った。

普通は正論の会員でなければ講演を聴くことはできない。

でも、今回は、懇話会への入会を希望する人を優先して

無料で招待してくれるという。

早速、産経新聞社に電話して詳しいことを聞いた。

色々と説明してくれた結果、

懇話会に入会するしないは別として

一度聴きに来てみてくださいと言われた。

往復はがきで参加申し込みをすることになっているので

はがきを買って来て申し込みすることにした。

親友も一緒にどうかな?と誘ったら

彼女も聴きに行きたいと言ってくれた。

私は、成り行きで懇話会に入会するつもりだ。

女性はあまり居ないみたいだが

勉強になると思う。

安部改造内閣も出来、安部さんにも今後頑張ってもらいたいし、

日本を取り巻く諸外国の情勢にも関心がある。

まだまだ、勉強しないといけないことは

たくさんあるが、少しずつ私なりに考えていこうと思う。

参議院選で大敗した自民党の今後の政局は

目が離せないと思うから。

ただ、ひとつ。

私の今までの安部さんへの気持ちが少し変化したのは確かだ。

やはり、靖国神社参拝をしなかったことへの

失望が大きい。

理論だけでは駄目だ。

イデオローグだけでは政治は出来ない。

やはり現実を見て実行する勇気を持たないと駄目だ。

安部さんを真正保守だと思っていた私は

少し認識を変えないといけないのかな・・

自民党も終わりが近いのかも?

そんなことを考えている私にとって

10月の屋山氏の講演はとても楽しみだ。


2007年08月29日(水) 赤い月

昨夜は落ち着かなかった。

皆既月食を見ようと

18時半くらいから何度も外へ出て空を見上げた。

まだ明るい間は月も見えないだろうが

本当は18時半くらいから地球の影がかかっているらしい。

結局何度外で出たのかな?

17時半過ぎに東の空に赤い月を見ることが出来た。

ぼーっともやがかかったような感じて

地球の影で満月が隠れて現れてきた。

何か燃えているような、

また、恥ずかしくて顔を赤くしているかのような

そんな月が見えて、見とれてしまった。

母に電話をして知らせてあげた。

娘が帰宅したときで一緒に見上げた。

赤い月は、

2時間くらいしたら、

段々と端の方から白い月が見えてきて

21時頃には真ん丸い満月になった。

母の話によると

昔の人は科学的なことが分からなかったから

月食も日食も月が太陽が患っていると思ったとか。

現代は科学的なことがはっきりしているが

何だか昔の方がロマンチックな気がする。

次に見えるのは三年後の10月だと言う。

その時にも母に連絡して

母も見ることが出来たらどんなにいいだろう。

赤い月を見上げながら

娘の受験の成功と

母の健康と長生きを祈らずにはいられなかった。



2007年08月28日(火) 皆既月食

今夜、天気が良ければ

全国的に皆既月食を見ることが出来るという。

今回は6年ぶりで次は3年後にしか見えないというから

今夜は是非見ようと思っている。

数日来、満月に近い綺麗な月が見られていた。

昨夜もしばらく月に見とれていたが

そうだ、明日は皆既月食だと思い出した。

昔の人はきっとこの月食には驚いたことだろう。

月全体が地球の影にすっぽりと入って

暗く光る皆既月食を初めて見た昔の人は

きっと驚いたに違いない。

何か不吉なことが起きるのでは?と不安になったことだと思う。

今は科学的に証明されたから

この現象に驚く人は居ないと思う。

月は、太陽光を反射して輝くが、

太陽、地球、月の順に一直線に並ぶと、

地球が月を照らす太陽光を遮り、

月は地球の影に入って暗くなる。

一部が欠けて見える部分月食に対し、

皆既月食は月全体が暗く光って見える。

今夜は、午後七時ごろから八時半ごろにかけて、

南東の空で皆既月食特有の赤銅色の月が暗く光るらしい。

お天気が良いと良いなあ・・

科学が発達して、殆どの現象が理論的に証明されてはいるが

やはり、皆既月食は神秘的だしムードがある。

皆既月食中の月は、

何か恥ずかしくて隠れているのかな?

地球の大気で屈折して影の中に入り込んだ

太陽光のわずかな赤い光に照らされ、赤黒く見えるとか。

今夜は、午後六時すぎに一部が欠け始めた状態の月が上がり、

皆既月食は午後六時五十二分に始まり、

同八時二十二分すぎまで続くみたい。

楽しみだ。


2007年08月27日(月) この暑さ

今年の暑さは異常だ。

昨日は、朝から焼けつくような暑さに見舞われた。

家の中でも35度近くまで上がった。

8時頃から、座っていても汗ばみ、

掃除をしたら汗びっしょりになってしまった。

せっかくの化粧も溶けてしまいそう。

やり直しを三回もしてしまった。

車の中は40度から50度の暑さだろう。

しばらくすると冷房が効いて来るが

それまでの間は熱風との対決になる。

暑さと冷気の繰り返しは体に良くない。

心臓にも負担が来る。

昨日は、息苦しくて胸も締め付けられるような気がして

このまま息絶えるのではないかとさえ思った。

家はクーラーで何とかしのげる。

戸外での運動も活動もしないから

何とか生きていける。

でも、外で働いている人のことを思うと心配でたまらない。

熱中症で亡くなる人も今年は多いが

そんなことで死んでしまうなんて悔しい。

でも、人によったら

クーラーもなく、

あっても冷房代を節約しようと思って

暑さを我慢している人も居るだろう。

今年だけは母も冷房なしではやってられないといっている。

父は去年亡くなって良かったと思う。

もし、今年、闘病していたら

何も食べられず

飲んでも吐いてしまった父は

相当苦しい思いをするに違いないから。

この暑さで体が段々と弱り

秋口になって亡くなる人も多いだろう。

何とかこの夏を乗り切って

秋になり少しは涼しくなったら

食べ物も美味しくなるから

栄養をつけて元気で居なくっちゃ。

暦の上では夏は終わったが

本当の暑さはしばらく続く。

負けないように元気で過ごしたい。

朝と晩に聞こえてくる

蟋蟀の声を聞きながら、今年の暑さも後少しだと

自分に言い聞かせている毎日である。

「蟋蟀の声 朝のまどろみ 夢の中」


2007年08月26日(日) 知〜らない

私って、本当に馬鹿な母親だ。

娘のことだど、

知らないと放っておけばいいものを放っておけない。

毎朝、娘を起こすことが

一日のうちで最初の嫌なことだ。

今朝もそう。

日曜日だけれど、運動会の準備のために

登校することになっている娘は

7時に起きないと電車に間に合わない。

学校に9時までに行くのなら8時の電車に乗ることになっている。

今も、嫌な気持ちを抑えて起こしに行った。

勿論、一回で起きる娘ではない。

「わかった」という言葉を信用できない。

さっきなど「分かっている、ボケ」という声が返ってきた。

むかつく。

親が起こしてくれていることに感謝こそすれ

その親に向かって「ボケ」とは何たる言葉か!

今朝は心を鬼にして放っておくことにする。

もしも間に合わずに娘が怒っても

それは自業自得というものだ。

そんなに甘い顔はしていられない。

これは母と子の戦いなのだから。

ここで、負けてはならない。

もし、間に合わず、登校しないと言えば

それはそれで良い。

私は親に起こされたことはなかった。

小さい頃から自分で起きれた。

だから、目覚し時計なんて必要ない人だ。

大事な用の時は念のために目覚しをセットするが

気になっているから寝過ごすことはない。

早起きも苦にならない。

だから、娘が理解できないのだ。

本当に今回は知らないよ〜〜〜

私が悪いのではない、

「あんたが悪いのだからね」

間に合わないと言ってバタバタ、わいわいが予想される。

何処かへ避難しようかな。


2007年08月25日(土) 私は貝になりたい

「私は、生まれ変わっても人間にはなりたくありません、

人間なんていやだ。

もし生まれ変わっても牛か馬の方いい

いや牛や馬ならまた人間にひどい目に逢わされる。

どうしても生まれ変わらなければならないのなら、

いっそ深い海の底の貝にでも・・

そうだ貝がいい

貝だったら深い海の底でへばりついていればいいからなんの心配もありません

深い海の底だったら戦争もない、兵隊に取られることも無い。

妻や子どものことを心配することもない。

どうしても生まれ変わらなければならないなら、

私は貝になりたい・・・・・」

昨夜、中村獅童さん主演の「私は貝になりたい」を見た。

これは、昔、フランキー堺さんが同題名のドラマで好演した。

昨夜のドラマとは筋書きも違い、

「私は貝になりたい」という遺書を書き残し

死刑になった。

戦争の悲惨さを訴えるドラマとして

また、フランキー堺の好演で話題をさらったものだ。

昨夜のドラマは史実に基づいていて

死刑にはならず減刑され

サンフランシスコ平和条約後、釈放されている。

フランキー堺主演ドラマとは違い

絞首刑にならなかっただけ救いがあったように思う。

でも、

このドラマを見て、

戦争は狂気だということをつくづく思った。

正常な考え方が異常になるということだ。

誰も、人を殺したくない。

でも、上官から「天皇陛下」の名前を出され

日本国のためだと命令されたら

それに従わざる終えないではないか。

そして、その命令に従って殺したことが

戦争に負けたことにより

戦犯として裁かれることになるのだから、

矛盾しているし、承服できない理不尽なことのように思う。

戦勝国は自国の権利で敗戦国を裁くことはできないはずだ。

東京裁判は米をはじめ戦勝国によるリンチ裁判だ。

まともなものではない。

事後法に基づく裁判なんておかしい。

でも、それが戦争なんだ。

戦争は二度としてはいけない。

そんな思いでいっぱいになった。


2007年08月24日(金) 性格が災いして

我ながら本当にバカだと思う。

私の性格は真面目で几帳面で

何でも一生懸命にする。

そして、この性格のために

今まで何度もしまったと思う経験をしてきている。

それなのに、

また懲りずに今回もやってしまった。

それは、

整形外科の医者に言われたこと。

お風呂で悪い指を動かすリハビリをしてください。

そして、

昨日、お風呂に入った時に

左の親指をお風呂の湯の中に浸けて

一生懸命に曲げ伸ばしをしたのだ。

お湯の中だとあまり痛みを感じなかった。

指の伸びも思っていたより案外スムーズにいく。

これはもう治るのも早いかも?なんて

嬉しくなって何度も何度もやった。

数を数えながらやった。

昨日は50回にしておいたが

本当はもっとやりたかった。

でも、その後がびっくり。

お風呂から出て指がものすごく痛んだのだ。

しまった!と思った時は遅かった。

結局、曲げ伸ばしをやりすぎたということか。

何でも真面目に一生懸命にやった結果が

かえって悪化させることもあるのだ。

笑ってしまった。

昨夜は、また痛みでなかなか眠れなかった。

一昨日の注射の効果も消えたみたい。

指は相変わらず曲がったまま、伸ばすのが難儀だ。

元の木阿弥とはこのことだ。

しばらく、あまり動かすことはできない。

でも、こうして痛みを庇っているから

余計に曲げ伸ばしができなくなるのかもしれない。

矛盾したことに悩むな・・

何でもほどほどにできる性格の人が羨ましい。

バカは死ななきゃ治らないって

私のことなのだろう。


2007年08月23日(木) 一夜明けて

昨日の夜はなかなか眠れなくて、夜中に起きて

数時間ぼーっとしていた。

暑さというよりも色んなことを考えてしまったのだ。

結局、考えても結論は出ず

仕方ないことは、ただ受けいれるしかないと思うようにした。

現実を受け入れそれに面と向かった時

人は初めて強くなれるのかもしれない。

私には理想が多すぎる。

理想というか願望が多すぎるのだ。

だから、その願望の相反した現実を

なかなか認めることができない。

過去の楽しかった頃のことや

幸せだった頃のことを思い出し

あの頃に戻りたいと思うことばかりしていた。

でも、過去は過去だ。

もう戻ってこない。

現実を認め前を見て歩かないといけない。

病気のことだけではない。

私の全てのことをそういう方向に向けないといけない。

自分を苦しめるだけのことになるのだから。

というわけで、

もう考えるのはやめた。

バネ指のことも、夫や娘のことも、友人関係のことも

全て受けいれ認めることにしよう。

気分転換がしたくなったら

遠慮せずやろう。

娘には娘の人生があり

夫には夫の、私には私の人生があるのだから。

楽しまなくっちゃ。

でも、そうは言ってもなかなか行動に移すことはできないだろうな・・

今日は母と高島屋へ行くことになっている。

ちょっとお洒落して母の用事を済ませた後

何か美味しいものでも食べたら少しは気分も良くなるかも?

さあ、またもとの私に戻ろう。


2007年08月22日(水) 整形外科へ

この数日はやる気も出ず

PCも開けない状態だった。

メル友さんにはご心配をしてもらい

メールもいただいて本当に申し訳ないと思っている。

先日来、痛みのひどくなっていた親指、

月曜日に病院に電話して

10月の初めの予約を今日に変更してもらって

愛大の整形外科を受診してきた。

医者は、ひどくなっているね・・

頭を抱えた。

手術したら良いのだが、その前に注射してみようと言い

今日はまず注射をしてもらって帰った。

でも、この注射は何度も出来るものではなく

最高二回が限度だとか。

今日、注射してしばらく様子を見て

後一回注射しても治らない時は手術をすることになった。

普通の人なら外来で直ぐに出来る手術らしいが

愛大病院は外来ではやってないとのこと。

入院するほどのものではないので

バネ指の手術は他の整形外科でしてもらっているらしい。

私の場合は心臓の弁置換手術をしていて

血液が凝固しないようにワーファリンを飲んでいるので

少々面倒だ。

医者もこのことがあるから

心臓の病院の整形外科で診てもらい

手術もそちらでしてもらってくださいと言った。

今日、してもらった注射の効果が無い場合は

心臓の病院で手術してもらうしかない。

来週の水曜日が診察日なので

整形外科へも行ってみようと思う。

今日の注射の効果が出るといいが・・

それにしても痛みは同じで痛い。

生活に支障が出ているのは確かだ。


2007年08月19日(日) 鬱々と

最近の私は体調不良もあって

気分的に鬱々とした毎日が続いている。

気分転換したいと思っても

この暑さ故外出する気にもなれず

外出するのは家の用事ばかり。

日帰りで何処かへ行きたいけれど

それもままならず、

主婦には日曜祭日もない。

毎朝早く起床し家事に明け暮れる生活だ。

一生懸命、手間隙かけて作った食事も

夫と娘はTVを見ながら何を食べているのか

美味しいのか美味しくないのか

全く気にしないで食べている。

そんな姿を見ていて昨夜は切れそうだった。

私は何のために生きているのだろう。

家族のため、家族のためと思い

自分のやりたいことを我慢し

病院で治療することさえ憚っての暮らしは

私にとって何なのだろう。

本当に嫌になる。

いっそ家出してやろうと思う。

私が居なかったらきっと家人は困るはず。

思い知れば良い。

私の価値を再認識すれば良い。

日曜日だといっても休む暇もない

こんな暮らしから抜け出したい。

誰か、素敵な王子さまが

私を何処かへさらっていってくれたら良いのに・・

ああ〜本当に嫌だ。


2007年08月18日(土) 限界?

もう限界かな?

左の親指の痛みが激しくなってきている。

「バネ指」という病名みたいだ。

今では、自力で曲げ伸ばしが不可能になっている。

運転のギアチェンジは本当に辛い。

グッと力を入れて痛みをこらえてやっているが

一昨日は動かせなくなってしまい

運転に支障も出てきた。

昨夜は何もしないでも痛みが激しく

泣きたい気分だった。

これはもう手術して治すしかない気がする。

10月の初めの診察日まで待てない。

来週病院へ連絡して診察を早めてもらおう。

我慢出来るのも限界というものがある。

左の指を庇うため右手に負担がかかり

今朝は右手の人差し指にも痛みが出てきた。

手を使わずに居れば治りも早いのは分かっている。

でも、主婦としてそんなことは出来ない。

だから治るどころか段々と悪化するのだろう。

痛みに耐える精神の力も限界に近くなった。

人間って強いみたいで弱いものだ。

たった一本の指のことでこんなにも不自由するのだから。

体に無駄なものはないということだろう。

手術すればとても楽になるらしい。

早くやれば良かったと思うかもしれない。

指を動かすと気分も悪くなる。

ああ〜本当にもう限界だ。


2007年08月17日(金) 暑い

昨日は日本で最高気温、40.9度まで上がった所があったが、

私の住む所でも連日35度近い日々が続いている。

熱中症にならないためもあるが

暑さに弱い私にはクーラーは欠かせない。

クーラー嫌いな母も流石、今年の夏は

28度に設定して一日中クーラーを入れているようだ。

年を取ると体の水分も不足し

喉の渇きを覚えにくくなるから水分補給をしなくなるという。

寝たきりの人がベッドの上で熱中症で亡くなったと聞くと

気の毒でたまらない。

そんな暑さも

何かに夢中になったり

他のことに意識が集中すると感じないのだろうか。

昨日は、母と二人でお墓参りと親戚の仏壇のお参りをしてきた。

その途中、私の車でトラブル発生。

その処理のため暑さも忘れて行動していた。

汗がだらだらを流れる、

太陽がぎらぎらと照りつける中

車の横でじっと立っていた私。

トラブルが解消した途端

暑い!と気付いた。

汗をかき化粧も崩れ、

お昼時だったけど空腹感も感じなかった。

人間って危機感を覚えると

そのほかの感覚がなくなるのだろうか?

母がお腹が空いたねと言った言葉で

お昼時を過ぎていたことに気付いた。

食欲は沸かず空腹感もなかったが

食べておかないといけないと思い

あっさりしたザルソバを食べてカキ氷を食べた。

やっと汗が引いた。

そして、どっと疲れが出てきた。

走った距離とトラブルを思うと

行かなきゃ良かったなんて馬鹿なことを思ってしまった。

今日も昨日と同じように暑い。

暑いというより熱い感じだ。

元気に今年の夏を過ごすことができたら

儲けものだと思う。

夏ばてしないように水分をたっぷりとって

元気で居よう。


2007年08月16日(木) 安部首相の靖国神社参拝

昨日の終戦記念日に

安部内閣の閣僚は

高市沖縄相以外は誰も参拝しなかった。

一言で言ってとても残念だ。

安部首相は初めから曖昧な発言をしていたが

私的には少し期待していた感もあった。

あんな風に言っていても

意外性を見せてくれるのではないかという気がしていたのだ。

でも、そんな期待も裏切られた。

安部首相は歴代の首相と違い

戦後レジームからの脱却を謳い文句にして

国家を主たる政策を着々とやっていた。

だから、参議院選で大敗した後も

続投を表明し、信念に基づいて

日本国のための政治をしてくれるだろうと思っていた。

そのための第一歩として

終戦記念日の靖国神社参拝があると思っていたのだ。

安部首相の曖昧さ、行動力のなさに

国民は失望し信頼できないと思い支持率も低下した。

本来持っている政治に対する信念を

どんなことがあっても遣り通すという

固い決意と強い行動力が欲しい。

戦後62年、日本国、日本人に欠けているものは

勇気と決断力だ。

まるで学級民主主義のごとく

周りのひとたちと上手くやっていくことが

大事だというような態度の人が多い。

子どもたちは皆と仲良くと教えられる。

争うことや喧嘩することが悪だと教えられて育った人は

政治の場面でも周りの諸国への要らぬ気遣いをする。

中国や韓国が靖国参拝について云々する権利はない。

内政干渉というものだ。

今の平和な日本をつくってくれた

英霊たちへの感謝の心で参拝することは

日本人として当たり前のことである。

そして、国民の代表である総理大臣が参拝するのは

ある意味で義務だと思う。

安部首相の米での慰安婦非難決議に対しての謝罪、

河野談話を継承すると言った発言、

非核三原則を守るという意思を思うと

何だか安部首相の政治的資質を疑いたくなる。

強い意志と行動力を持った

闘う政治家ではなかったのか。

これではますます支持率も低下するだろう。

今回の参拝のチャンスを逃したことは

安部首相の命取りになる可能性も大だ。

まだ秋の大祭もある。

後一回のチャンスにかけてみたいと思う。


2007年08月15日(水) 終戦記念日に思うこと

今日は終戦記念日、敗戦記念日だ。

毎年この15日が近づいてくると

TVや新聞で戦争の悲惨さを訴える企画が多くなる。

一昨日、昨日の夜のNHK特集も

A級戦犯や東京裁判を取り上げていた。

私が真実の歴史を知りたいと思い

勉強し始めて一年余り、

本当に無知だった自分が恥ずかしい。

学校で教えられてきたことを鵜呑みにし

戦後民主主義の下、

米による日本弱体化の陰謀にまんまとはまってしまっていた。

勿論、戦争は反対だ。

日本が戦争をしないことは当たり前のことだと思う。

しかし、

世界中を見てみれば

先の戦争後も至るところで起きている。

規模の大小の違いはあるが

結局、人間にとって戦争は未来永劫無くならないものなのだと思う。

現に、理不尽で馬鹿げた東京裁判での判決は

二度と世界に戦争が起きないようにという意思の元

行われたのである。

戦争放棄をうたったわが国の憲法第九条は

平和主義者にとりバイブル的な存在になっているが

もし、この九条がそんなにも素晴らしいものであるなら

世界中の国が憲法の中に取り入れるはずだ。

そして、日本人の平和主義者たちは

世界に向かって第九条の素晴らしさをアピールしてほしい。

日本のような平和ボケしてしまった国が

どんな言葉を弄しても、世界に訴えることは出来ないと思う。

自国だけ平和ならそれでいいと思うような国、

他国の危機に知らん振りできる国、

守ってもらうことしか考えない国、

国際情勢を見ない国、

世界のどこかで起きている虐殺を見ようとしない国、

そんな国に成り下がってしまった日本が

どんなに平和を訴えたとしても

どこからも蔑まされるに違いない。

非核三原則ばかり唱えている国が

もし核の脅威にさらされた時

じゃあどうするの?と聞いてみたい。

世界中から核を廃絶することが出来るなどど

夢見ているのだろうか。

核を廃絶できないという現実を受け止めるべきである。

日本に再び核を落とされてから

考えても遅いのだ。

戦争反対を叫ぶのは良い。

でも、そろそろ

八月革命や原爆投下により終戦が早くなったという

戦後神話から抜け出す時ではないかと思う。


2007年08月14日(火) 次から次と

このところの体調の変化には自分でも驚いている。

次から次とトラブル発生。

親指はますます悪化。

バセドウ氏病は薬で何とか抑えている。

今回はまた別の所が悪くなった。

医者にも行ってない。

行く気になれないのだ。

このまま放っておいて悪化するのかどうか?

分からないけれど

今年は娘の受験もあるし動けない。

もし、手術となれば

最低一週間の入院は要るだろう。

今の私は日帰りでも旅にも出れない。

家に居なければいけないと思うだけで

ストレスもたまりそうだが仕方ない。

娘に恨まれるのも嫌だ。

何だかんだ言っても、私の家での必要性は大いにある。

嫌でも家に居なきゃ。

来年には旅行もしたいし、

病院へ行って色んな検査や治療もしてもらおう。

それまでは倒れることなく

家のことをこなさないと。

それにしても

こう次から次と悪い所が出てくるなんて

やはり年かな・・


2007年08月13日(月) お墓参り

今日は13日でお盆の入りだ。

昔から「入り花は立てるな」の言葉もあるが

今日は父の月命日でもあるので

母と朝早くにお墓参りに行ってきた。

姉が11日にお墓掃除をして

お花も立ててくれていたので

今日お参りしてもいいだろうと思ったのだ。

4時半に家を出て帰ったのは6時。

いつもなら40分から1時間かかる所だが

今朝は道路も空いていて早く行ってくることが出来た。

お墓のお花立ての水も殆どない状態だった。

雨も降らないし毎日カンカン照りの日が続くから

水も蒸発しているみたいだ。

水を替え、お供えをして父にお盆におまいりに来たことを告げた。

千の風になっての歌の通りだったら

父はお墓には居ない。

でも、お墓に行くと父に会える気がする。

母も父のお墓の前で何かつぶやいていた。

私は母が元気だということを報告し

これからも母のことを頼んで来た。

母が元気で過ごせることが

父にとっても一番安心することだろう。

今夜は父のために迎え火を焚く。

短い期間だが今年も父を迎えて

家で父にくつろいでもらおう。

15日にはお坊さんも拝みに来てくれる。

姉も来るから私も母の家に行き

家族でお昼を食べて父と時間を過ごしたいと思う。

お墓参りをして母も安堵したようだ。


2007年08月12日(日) 失望

このニュースを知って気が滅入っている。

安倍内閣の16閣僚全員が

終戦記念日の15日に靖国神社に参拝しない意向を

10日の記者会見などで表明したと言う。

終戦記念日の閣僚の大量参拝が始まった昭和30年ごろ以降、

参拝ゼロの年は初めてだとのこと。

安倍晋三首相は昨年9月の就任以来、参拝していない。

参拝しない理由として、

それぞれの閣僚は次のように言っている。

塩崎恭久官房長官は「私の信条でいつも決めていること」と説明。

伊吹文明文部科学相は

「宗務行政の所管大臣として、公平を期すため」と職務上の理由を挙げた。

公明党の冬柴鉄三国土交通相は「宗旨が違うから」と明言した上で、

他の閣僚の参拝については

「信教の自由だが、

枢要な地位にある人には隣人の気持ちをおもんばかる気持ちは必要」

と述べた。

首相、外相、官房長官の参拝は不適切との認識を示した。

溝手顕正防災担当相は「行ったことがない」と述べた。

山本有二金融担当相は

「公的立場の参拝は歴史的経緯からアジアの政治的安定を害する」

と語った。

このほか、

外遊など公務で参拝できないとしたのは麻生太郎外相、

高市早苗沖縄北方担当相、

柳沢伯夫厚生労働相ら。

安倍首相は9日、記者団に対し

「行く行かないについて明言する考えはない」と述べたというニュースだ。

ああ〜情けない。

私は安部首相を評価する手段として

靖国神社参拝をするかどうかにかけていた。

だから、もし本当に15日に参拝しないということなら

失望以上に腹立たしい気がする。

今は中国は来年の北京オリンピックのため

反日運動を抑えている。

今こそチャンスなのだ。

そして、日本の誇りを日本人に取り戻すチャンスでもあるのだ。

今の安部内閣の支持率低下も

靖国神社参拝をしたら上がる可能性も大きい。

否、そんなささいなことではなく

一人の日本人として

過去の歴史や文化・伝統を考えるとき

日本のために命をかけて戦い、

亡くなった人たちの魂を祷る場でもある靖国神社に参拝することは

今の若者たちにああそうだったのだという

意識を持たせる機会にもなると思う。

靖国神社は祖先に手をあわすという

今、生きている人たちにとっての

心の問題の場であり

宗派に関係なく、日本人なら参拝すべきだと思う。

15日はもうすぐやってくる。


2007年08月11日(土) とらわれない心

いつまでも済んだことにとらわれるって損だ。

この年になってやっとわかった。

もっと早くこのことに気付いていれば

あんな心の病にもならずに済んだだろう。

今は、忘れるべきだと思えば忘れることができる。

昔に比べて賢い生き方ができるようになったのか

それとも人間がずるくなってしまったのか・・

どちらにせよ、

自分自身を守る知恵がついたということだろう。

二十歳前のあの苦い経験をたまに思い出す。

よく立ち直れたものだと自分の力を褒めてやりたくなる。

あの時、とらわれていた心を解き放したのは

痩せたいと願う気持ちと体重の変化と

痩せていくことへの満足感と

そして、ただ食べることへの関心の存在だった。

もし、私が拒食症にならなかったら

今でもあのことを引きずっていると確信できる。

あの時、

死ぬほど辛かったことから逃避するために

私が選んだのはひたすら食べて吐くことだった。

そして、それは心身を傷め続けたが

それでも今生きている。

結果的にはそれでよかったのだ。

こんな風に私のかつての病気をとらえることができるようになったのも

年のせいかもしれない。

あの時のことをもし今も引きずっていたとしたら

何と不幸なことだろう。

今、もし同じことが起きても二度と拒食と過食には走らない。

もっと違うことへ自分自身を集中したい。

そして、嫌なことから逃げないし

それにとらわれることのない強い心で向き合いたいと思う。

何事もどうにかなるのだから。


2007年08月10日(金) 立秋を過ぎ

一昨日、八日は暦の上での秋、立秋だった。

今年の夏は所に寄れば猛暑になっているが

夜寝苦しいと思うことがないのが不思議だ。

毎年、寝れなくてクーラーをかけたり切ったりしながら寝ているのに

今年は扇風機をかけただけで寝れるし

朝方は網戸を閉めたり

扇風機スイッチを切ったり

タオルケットをお腹の上までひっぱってかけている。

こんな夏って珍しい。

お盆ももう直ぐだ。

お盆が過ぎたら朝晩の暑さが違ってくるとは

いつも母が言っている言葉だ。

夏は夏らしく暑いのが良いとは思うが

暑さに弱い私は涼しい夏が良い。

汗をかくのは体に良いが好きではない。

でも、家の中を片付けていると汗をいっぱいかいて

その後、思わない清々しさに会える。

暑さを忘れて動くのも良いのだろう。

娘の夏休みももう直ぐ終わる。

本来の夏休みは二週間もなかった。

可愛そうな気がするが受験生なのだから仕方ない。

後期の授業は27日から始まる。

私のいつもの生活が戻ってくる。

今年も夏ばてしないように

しっかりと食べ、ゆっくりと休みたい。

夏の暑さが懐かしくなるであろう秋を待っている。


2007年08月09日(木) まじめにこつこつと

今回の参議院選でヤンキー先生と呼ばれる

義家氏が当選したことについて

私は疑問を覚える。

信頼できないというのが正直な気持ちだ。

彼は元不良だった。

元不良だったから嫌なのではない。

その後色んな過程を経て教師になり

たった6年間だったが

彼なりに一生懸命にやったのだろう。

その彼の教師時代のことがTVドラマになり放映されたのも見た。

しかしである。

彼が参議院選で勝利したのは

彼の経歴が主たる原因になっているのではないかと思うのだ。

ヤンキーだった人が今は人を更生さす人になった、

日教組をなくす運動をしている、

そんなことで公の人になっただけではないか?

元不良だった人が今はまじめにしているから当選したのだとしたら

生まれてからずっとこつこつとまじめに生きてきた人は

価値はないのか?

そうではないと思う。

まじめにこつこつと生きてきた人こそ

目立たなくても大事に人生を生きている人だ。

昔からの日本人の姿で生きてきた人こそ

本当は価値があるのではないだろうか。

そんな人を評価せず

元不良だった人が今は素晴らしい人生を生きていることに対して

大きな評価をすることこそおかしい。

そんなもんじゃないと私は思う。

赤旗新聞に登場したこともある彼が

自民党員として今後どのような活動をすることが出来るか

私は期待せずに眺めていたいと思う。

そして、

私は去年亡くなった父のような

真面目でこつこつしか能のない人を尊敬する。



2007年08月08日(水) ハート・プラスマーク

先日、いつも投稿している新聞に

私の次のような投稿が掲載された。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ハート・プラスマーク」発行を望む

私は先天性心臓疾患で、二度の手術を受け

今は心臓機能障害で一種一級の身障者だ。

私たち心臓・腎臓等の内臓機能の障害を持つ者は、

外見的には障害者であることがわかりにくいため、

日常生活において様々な誤解を受けることがある。

車いすに乗っている人に対しては社会的な理解はある。

例えば、デパートやスーパーへ行った時、

車椅子マークの書いてある駐車スペースは

常設しないといけないことになっている。

しかし、内部障害者である私たちが

ここに駐車しようとするときはとても勇気がいるのだ。

もし駐車して誰かにとがめられないだろうかと心配しなければならない。

そんな人のために、「ハート・プラスマーク」が生まれた。

内部障害者の存在を視覚的に示し、

理解の第一歩とするためのものだ。

私は市の福祉課へ電話をして

係りの人にこのマークを知っているか

尋ねたが知らないという返事が返ってきた。

市によれば発行している市もある。

是非このマークを市が発行してくれるようにお願いしたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すると二人の人から新聞社に連絡があり

私から電話して話をすることが出来た。

その中の一人の男性は、

私の意見への共感が大きく共に運動しようと言ってくれた。

その人は早速県病院や近くのスーパーへ

このマークの件で聞いてくれたらしい。

そして駐車場にこのマークを書いてくれるという話になったと

昨日連絡があった。

私も昨日市の福祉課へ行った。

すると、私の投稿を見て市が動いてくれるというではないか。

マークの発行の方向へ向け準備中だと聞いた。

何だか嬉しくなった。

小さなことが行政を動かすことが出来そうなのだ。

よろしくとお願いをして帰りにスーパーへ行った。

店長さんに、このマークの件を話し資料を手渡した。

この店でも前向きに検討してくれるという。

きっと駐車場にこのマークが描かれることだろう。

次は国立病院へお願いしようと思う。

今回のことで、思ったことは

一人ひとりが考えていることがあっても

それを言わなければ何もならないということだ。

私の投稿がきかっけに何かが変わるとしたら

こんなに嬉しいことはない。


2007年08月07日(火) カラオケ

昨日は本当に久しぶりにカラオケに行った。

一年ぶりだった気がする。

カラオケも癖になるから

行きだすといつも行きたくなるが

行かないとどうでも良い気分だった。

娘がストレス解消のため連れて行ってと言ったので

それも良いかなと思い行ってみた。

声が出ない、歌えない。

参った・・

やはり歌はいつも歌っていないと駄目だ。

あれほど好きなテレサテンの歌も歌えない。

高いキーで歌うのが好きな私が地声じゃないと歌えなかった。

そして、何とか出ない声を出して歌っていたら

段々と声が出るようになった。

娘は1時間居て用事があるから先に帰った後

1時間は私のオンリータイム。

思う存分歌える時間だったのに思うように歌えない。

70年代のポップスを中心に歌ってみたが

もっと上手く歌えるはずなのに・・という思いのみ。

帰る時間の5分くらい前になってやっといつもの調子に。

後1時間歌えばきっと声も元通りに出たはず。

昔、カラオケ教室に通いカラオケ大会に出ていた頃

一日中歌っていた。

家事をしながらウォークマンにカセットを入れ歌っていたものだ。

同じ曲を「正」という文字でカウントしながら

厭もせず歌った。

あれはやりすぎだったが、やはり歌えば歌うほど上達したのは確かだ。

昨日の出来は最低だった。

これからは機会を作って時々は行こう。

何でも夢中になる私が、今はカラオケから心が遠ざかっている。


2007年08月06日(月) 原爆の日に思う

そそっかしい私は今朝アイロンがけをしていて

右の手の薬指をジュッという音と共にやけどをした。

小さなやけどだったが

台所仕事の時に痛みを覚えてなかなかスムーズに進まない。

こんな小さなやけどでも痛みはある。

あの原爆投下により全身にやけどを負い

皮膚が剥けて肌が溶けている様子が、

TVの映像に映し出された。

病院での被爆者の背中は人間だと思えないくらい惨いものだ。

その苦痛は私の想像を越えるものに違いない。

世界で唯一の被爆国である日本は

同時に唯一原爆に対する抗議と反対を言える権利を有する国だ。

久間元防衛相の発言をきっかけに

米の原爆投下について考える人も増えたと思う。

何故原爆を落としたのか?

それが米の実験だったことは周知だ。

原爆投下が終戦のための手段だったとは思わない。

ヤルタ会談でソ連の参戦は阻止されたいたのだから

原爆投下がソ連の参戦を阻止するための手段だったというのは

米の一方的な勝手な言い分だ。

米の下院で従軍慰安婦非難決議が採択され

日本の残虐さを世界に訴える運動が広がっているが、

米の原爆投下こそ非難されるべきである。

「原爆は人災だ」と大きな声で言い放った

おばあさんの心を世界中の人たちに届けたいと思う。


2007年08月05日(日) 時を越えて

昨日は、昔、私が子ども時代に過ごした

「東拓川町」に住んでいた人たちが

約50年ぶりに集まって楽しい時間を過ごすことが出来た。

私が生まれ小学校まで住んでいた所は

戦後、家のない人たちにとってとても有難い

県営住宅だった。

石手川の土手に建てられた住宅は所謂長屋で

三畳と四畳半の二部屋しかない狭い家だった。

でも、住む家があるだけ有難く、私の祖母が抽選で当たったと聞いている。

そこに住む人たちはお互いに似たような境遇の人たちだったし

連帯感はとても強かった。

隣近所は助け合い、労わりあって暮らしていた。

今では考えられない生活だ。

おかずを上げたりもらったり、

調味料の貸し借りは日常のことだった。

そこで生まれ育った私は

近所の友人たちと遅くまで外で遊んでいたし

裏の川で魚を取り、いかだに乗って夏を過ごした。

そんな思い出のいっぱい詰まった子どもの頃、

昨日は11人集まって思い出話に花を咲かせた。

タイムマシンに乗って50年前に行ったような

まるで時を越えて友人たちとつながった気がした。

もう皆50歳を超えるいい大人になったのに

話すことは昔の子ども時代のことばかり・・

笑いと涙の混じった時を過ごしたあの時代は

私たちにとってとても大切な時になっている。

2時間はあっという間に過ぎた。

今度は昨日来れなかった人たちにも集まってもらい

忘年会をしようという話になっている。

皆で撮った写真をプリントアウトしながら

私の心は熱くなり胸がいっぱいになっている。


2007年08月04日(土) 麦茶

最近はスーパーへ行くと、

麦茶のペットボトルも売られているが、

我が家では二日に一度、

麦茶を煮出している。

3リットル入りのやかんに

2リットルの水を入れ、

沸騰する前に麦茶のティーパックを一つ入れ五分間煮出す。

自然に冷ました後、容器に入れて冷蔵庫へ。

喉が乾くとジュース代わりに飲むから

2リットルの麦茶は直ぐになくなる。

水出しも出来るが煮出す方が衛生的だし、

濃く出るような気がする。

そして何より部屋中に

香ばしい香りがするのが嬉しい。

昔、子どもの頃、

母は毎日木綿の袋に麦茶の葉を入れ煮出してくれた。

当時は冷蔵庫もない時代だったから、

今のように冷たい麦茶を飲むことは出来なかったが、

外で遊んで汗をいっぱいかいた後飲む麦茶は、

渇ききった喉を潤し、

最高のご馳走だった。

また、夕食の時、

美味しそうにビールを飲んでいる父の横に座り、

コップに麦茶を注ぎ、

父の真似をして、

ぐいぐいと飲んだ思い出がある。

戦後、物のない不自由な暮らしの中で、

麦茶は家族にとり、

なくてはならない飲み物だった。

あれから50年近い年月が経つが、

麦茶の香りと味は今も変わらない。


2007年08月03日(金)

昨日の明け方、嫌な夢を見た。

私にとって夢は直ぐに忘れる存在なのに

今回、見た夢は今でも覚えている。

それは、私の夫が肺がんで余命ひと月と医者に言われたという夢だ。

夫が最近C型肝炎の治療で瀉血治療を始めて

一週間に一度200CCの血を抜く治療だ。

ひと月前から始まったこの治療で

夫の肝臓の値が改善されたのかまだ結果は分からない。

でも、夫の様子を見ていると元気がなくなっている。

とても疲れている様子に思える。

痩せたし顔の表情もきつくなった気がする。

いい意味で言えばスリムで顔もシャープになりハンサムになったのだが、

やはり健康的な顔つきではないような気がする。

そんな夫のことが心配な私だからこんな夢を見たのだろう。

夫が癌で死んでしまったらどうしよう・・・

その後の生活はどんなにしよう・・・

娘の大学進学のお金はどうしよう・・・

私一人で育て上げることが出来るだろうか・・

生活はどんなになるのだろう・・

今ある貯金は底をつくから私が働かないといけなくなる。

私にそんなことは無理だ。

夫が居なくなった後のさみしさにも耐えられなくなるだろう。

そんな、色んなことを一気に考え恐ろしくなった。

そして、目が覚めて頭の中に悪い想像ばかりが出てきた。

朝ご飯のときに夫にこの話をして

「私って今本当に幸せだと思うよ、有難いな・・・体に気をつけてね」

と夫に言ったら

夫はうんと言って頷いた。

やはり夫の存在は私にとり大事な存在だ。

夫には長生きしてほしい。

夢が逆夢であってほしいと心から思う。

夫にもっと優しい言葉の一つもかけてあげないと「バチ」が当たるかな・・

反省!


2007年08月02日(木) 診察結果

昨日は朝7時に出て病院へ。

受付は8時半から。

9時に診察が始まるがその前に血液検査を。

そして診察は10時だった。

大学病院だけではなく、大きな病院ではこれが普通だろう。

いつものことながら疲れた。

血液検査の結果はまた良くなっていた。

数値も正常値に近くなり

薬も3錠だったのが2錠に減った。

医者に「もう治ったようです」と言うと、

医者は「慎重にいきましょう、ぶり返すのが怖いから」と。

医者に任すしかない。

体重も42キロ近くまで戻ったことを話すと

医者はこれ以上増えないように気をつけて下さいと言った。

私もこれ以上は太りたくないから気をつけないといけないと思う。

その後左手の親指の痛みが段々ひどくなっているので

専門の整形外科に紹介状を書いてもらって受診した。

その結果、やはり腱鞘炎ではあるが

重症だと言われた。

しばらく様子を見て手術するかもしれないとのこと。

それで治るのならそうしてほしいと思う。

本当に親指の痛みは日に日にひどくなっている。

腫れも出てきたし指の形も変形している。

関節リウマチを疑って血液検査もしてもらった。

二ヶ月後の再診時に判明する。

それまではなるべき左手で無理をしないようにしよう。

それでもバセドウ氏病は回復しているのは確かだから良かった。


2007年08月01日(水) 愛大受診

今日は二ヶ月ぶりの愛大受診日だ。

3ヶ月前のあれほどのしんどさがまるで嘘のように元気になった。

あのしんどさが二度と襲ってこないことを願っている。

体重も元に戻った。

最近は本当によく食べる。

普通は夏は食欲がなくなり

例年痩せるのに今年は太っている。

42キロ近くにまで太った。

これ以上太らないようにしなくっちゃと思うが

ついつい好きなアイスを食べてしまう。

美味しそうな焼き立てのパンや

出来立てのドーナツがあると買ってしまう。

お昼も母や友人と外食をすると

普段よりも食べてしまって後悔している始末だ。

でも、母はとても喜んでいる。

そして、私自身も38キロまで落ちた時には

何を着ても見苦しかったのが

今は変ではなくなった。

綺麗に着ることが出来るのは

痩せすぎたち太りすぎたりしないこと。

普通より少しスリムが良い。

だから、今のこの体重を維持しよう。

今日の受診で血液検査の結果、

薬の量も減るかもしれない。

もしかして治ったと言われるかもしれない。

それは無理だとしても

お陰で薬の副作用も出なかったし

順調に治療は進んでいると思う。

後は私の心の問題だ。

何事にも落ち込んだり揺れ動いたりしない

強い心を持ち

人に影響されず

自分の心に素直に生きていけばそれで良い。

今朝は7時に家を出ようと思う。

予約はしているが混んでいるから待ち時間も長い。

早く行って早く帰りたい。


スカーレット