スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2007年01月31日(水) 映画「南京の真実」製作発表

昨日、「南京の真実」という映画が制作されるという話を知った。

その製作発表会の様子が↓のHPに載っていた。

http://www.nankinnoshinjitsu.com/

そこでの様子は動画で流され集まった

文化人、政治家、国会議員、ジャーナリストたちの話を聞くことが出来た。

時間は2時間だったが、

私が今勉強し、歴史の事実を知り

後世の人たちに是非知って欲しいと思っている

南京大虐殺が捏造であることを再確認できた。

皆、同じ思いだった。

アメリカと中国による反日プロパガンダに対して

日本として事実を映像化することで

世界に発信していこうという画期的なことに感動を覚えた。

先生方の話を聞いていて涙が出てきた。

今、事実を日本人みんなに知らせ

日本の誇りと名誉を回復しなければ

後20年から30年後には

日本は中国の属国になる可能性が大である。

もうぎりぎりのところに来ている。

あの「東京裁判」が間違った裁判であり

その元になった「南京大虐殺」がでっち上げであったことを

日本人は知るべきである。

中国の歴史観と日本の歴史観は全く違う。

日本の歴史とは

真実を一つ一つ検証していくことであるが

中国の歴史とは

捏造しても良い、嘘でも良い、

その時の権力者にとって一番都合のいいことに摩り替えることである。

中国では愛国暴走も正義であり

偉い人をかばうことも正義である。

真実を追究するする日本人とは天と地ほどの差があるのだ。

心ある人が居たら

どうか、私のHPのトップページにリンクしている

「南京の真実」をクリックして見てほしい。


2007年01月30日(火) 抜歯

昨日、何年かぶりに抜歯をした。

左奥の下の歯が一年前から具合が悪くなっていた。

4本の歯に被せているものが

物を食べた時に動く気がしていたのだが

父や義父の看護がありそのままにしていた。

歯茎と歯の間に隙間が出来て

その隙間に食べ物の磨き残しが入って

虫歯になり

歯の根っこの部分が割れてぼろぼろになっていたらしい。

これは歯の機能を果たしてないといわれた。

奥の歯を一本抜いてみたら

ぐらぐらしていたのも治るし

歯茎の腫れもなくなると言われ思い切って抜歯してもらった。

麻酔が切れる夕方頃から痛みが出てきた。

夕食はお粥と柔らかなチーズケーキで済ませ

化膿止めと痛み止めの薬を飲んで

早めに寝た。

痛みは今はあまりないが

心なしかほっぺたが腫れている気がする。

今日は消毒に行く予定だが、

どうかこれで部分入歯にしないで済めば良いな・・

やはり自分の歯が一番だから。

あれほど歯のケアーをしている私なのに・・

母が歯が弱かったから遺伝かな?


2007年01月29日(月) 誘惑

早いもので抽選で当たった神戸日帰り旅行へ行ったのが

先週の月曜日、一週間たった。

あの日に起きたちょっとしたことを。

出発前に送られてきた行程表を見ると、

ある宝石工房へ立ち寄ることになっていた。

意地悪い見方をした私は、

「はは〜ん、ここで買い物をさせるのが目的かな?」なんて思った。

そして、私は絶対に買わないぞと固く心に決めていた。

訪れた工房は、

目にまぶしい宝石の原石や加工されたネックレスや

指輪がいっぱい並んでいた。

実際に手に取り、

首にかけたり指にはめてみたりしているうちに、

段々と宝石の魅力に惹きこまれていった。

パール、ダイヤモンド、エメラルド、などと並んで、

トルマリンが今注目を浴びているという。

私の目に留まったトルマリンのネックレスは

薄い赤色でブリリアンカットされて、キラキラ輝いていた。

私に似合っていると店員さんが言う。

買うつもりはなかったが、

その美しさと店員さんの巧みな話術にもう少しで買いそうになった。

悪魔の誘惑に負けないように、

心の中で一生懸命に闘ったが、

ついつらされて買ってしまう人の気持ちがよく分かった。

甘い誘惑は男性からだけではない、

今回は無事だったが気をつけなくっちゃ(笑)



2007年01月28日(日) 意に反したことを

今日は待望の日曜日。

夫の仕事の都合で

娘と夫がそろって休む日曜日は

ひと月の間に一度か二度だ。

今日はそのたまのそろっての日曜日だった。

今朝はいつもより3時間半遅く7時まで寝ていた。

布団のぬくもりを愛しく思って

朝のひとときを過ごすことの出来る幸せをかみしめていた。

今日は私の意に反した過ごし方をしてみよう。

わざとのんびりしてみよう。

掃除もサボろう。

食事の支度も朝のうちに済ませず

夕方になってからやろう。

そう思うと気持ちがとても楽になった。

夫も娘もまだ寝ている。

自分たちが自分たちの意思で起きてくるまで

声をかけるのをやめよう。

そして、今日一日怠惰だと思うくらいの

時間の使い方をしてみよう。

でも、出来るかな・・


2007年01月27日(土) 二重投稿

昨日の朝、我が家が取っている新聞の

いつもの投稿欄を見て、

ある人が書いている文章を読んだ時、

「これはどこかで読んだ記憶がある」と思った。

私の実家は別の新聞を取っているので

夜、母の家に行った時には必ず目を通している。

だから思い出した。

「そうだ、母の家の新聞で読んだ記事だ」

その人の文章の書き出しがとても印象に残っていたし

内容は私とは反対の意見だったが

上手い文章だと感心していた。

図書館へ行き、その投稿が載っていたと思われる

数日前の新聞を調べてみた。

あった。

13日の新聞に載っていた。

文字数の関係で全く同じではなかったが

99パーセント同じ文章だった。

これは意識して二重投稿をしたのか

それとも、一紙に載ったからまた載るかと思い

違う新聞に投稿したのか?

それはご本人しか分からない。

でも、これはいけないことだ。

二重投稿は禁止されている。

新聞社がチェックしなかったことが残念だ。

気づいたのは私だけではない可能性もある。

新聞社がちゃんとチェックしていたら

その人の文章は載らなかったはずだ。

その人のモラルと

新聞社の怠惰の問題だ。

私はこのことを自分にとってのこととして受け止めて

原則を守っていこうと思う。


2007年01月26日(金) 時間との闘い

やれば出来る!

一昨日から昨日にかけて

私のPCに異常が起きた。

googleデスクトップ検索機能をつけている私は

その機能をつかって

ある画像を出そうとしていた。

検索した結果存在はしていたが

上手く出てこなかった。

色々とカーソルを動かしているうちに

何処かを触ってしまったのだろう・・

立ち上げ画面が真っ白な画面になってしまった。

元々の背景画面はその下にあり

カーソルで移動すると

その画面は左の隅に動かすことは出来るが

この画面のお陰で立ち上げの時間が

今までの倍以上かかり

ただえさえ遅くなっている時間がかかるようになった。

この画面を削除しようと何時間かけただろうか?

どんなにしても削除できない。

諦めかけていた時に

システムの復元を思いついた。

そして13日現在のPC状態に戻してみたら

何とあれほど頑固に残っていた画面が

嘘のように消え去った。

本当に良かった。

でも、疲れたよ〜〜〜

この二日間は時間との闘いだった。

人が聞いたらきと笑うだろう。

でも、PCに疎い私が、自分の力で出来たことが嬉しい。

この時間との闘いは決して無駄ではなかったと思いたい。


2007年01月25日(木) 信じられない給食費未納

文部科学省の調査で、

2005年度、全国で半数近い公立小中学校において、

給食費未納金額が22億円に上ることが判明したが、

その数の多さに驚いている。

未払いの家庭の内、

60パーセントの家庭が払えないのではなく払わないのだという。

昔、私が小学生の頃は貧しくて給食費が払えない家庭があった。

我が家も、私が給食費の集金袋を持って帰ると、

ひやっとしたことがあると母から聞いたことがある。

現在、格差社会が広がり、

給食費が経済的負担になっていると感じる家庭もあるだろう。

しかし、多くの理由が

保護者の責任感や規範意識の問題だというのには呆れる。

理由として、「義務教育なので払う必要はない」

「給食時間が学校の時間割の中にあるのだから学校側が負担すべきだ」

「今月は携帯電話使用料がたくさんかかったので払えない」などと聞くと

情けない思いがする。

今の日本のモラル低下を物語っていて、

今後の日本の将来が憂慮される。



2007年01月24日(水) 親友

私には親友と呼べる友が一人居る。

彼女とは小学校から大学までずっと一緒だった。

母に話すと心配をかけるから話せないことや、

夫には恥ずかしくて言えない体の悩みも

彼女なら隠さず話すことが出来る。

毎日のようにメールや長電話で話しているのに、

たまに会うと五時間は話し込んでしまう。

二人の会話は途絶えることがない。

まさにキャッチボールのようなおしゃべりを楽しんでいる。

そして何より彼女と居るととても気が楽でほっとするのだ。

去年は、彼女と二人で東京と京都へ夜行バスの旅もした。

その親友が今、アメリカからグアテマラの旅に行っている。

ニューヨークに住む息子さんのところへ行き、

その後、二人で中米を旅行してくると言って出かけて一週間になる。

私も一緒に行かないかと誘われたが勇気が出なかった。

帰国は今月の末、二週間の旅だ。

私にとって、かけがえのない存在である

彼女の居ない二週間はやはり淋しい。

無二の親友が居ることって本当に幸せなことだ。

もっと年を取って、

おばあさんになっても今のままの二人で居られたらいいな。

アメリカに向かって「早く帰ってきて」と心の中で叫んでいる。


2007年01月23日(火) 神戸での一日

昨日は楽しい一日だった。

神戸へ着くまでは良いお天気で

車中は暑いくらいだったのに

いざ、南京町や異人館めぐりをする頃になって

真っ黒な雲が空を被い雨が降り始めた。

それでも大雨にはならず

コンビにで買った白いビニール傘のお陰で濡れることはなかった。

初めに心配していた一人での参加も

隣に座った人と仲良くなり一緒に行動できた。

ジュエリー工房では手に入ることはない

とても素晴らしい宝石の数々を手に取り首につけて

一時だがとてもリッチな気分になれた。

異人館めぐりはこれで4回目になる。

でも、行くたびに新鮮な気持ちになるのは何故だろう?

特に今回気持ちが惹かれたのは

仏蘭西館である洋館長屋だった。

連続する二軒が左右対称に配置された風変わりな建物、

瀟洒で華麗な内装や調度品、

エコール・ド・パリの絵画が壁を飾り、

アールヌーボーの花形作家ガレや

ドーム兄弟のグラスアートが並んだ部屋は

ひとときその時代に引き込まれたような気がした。

女性に一番人気の館だというのが分かった。

写真撮影もOKだったので出来るだけ撮ってきた。

今度、神戸を訪れる時は親友と一緒に行こうと思う。

彼女はまだ異人館めぐりをしたことがないと言う。

父が生まれた神戸、

私の大好きな神戸の街、

震災があったことを忘れそうなくらい復活した神戸。

そんな神戸での一日はまた新しい思い出の一ページになった。




2007年01月22日(月) 行って来ます!

今日は抽選で当たった

神戸日帰り旅行だ。

お天気が良かったらいいけれど・・

それにしても、主婦が家を空けるって大変だ。

一泊するわけでもないのに

日帰りなのに

家のことを全部ちゃんとしておかないといけない。

今朝は3時半に起床。

朝食を作り

娘のお弁当を作り、

夕食を作り

今私が朝食中。

出発は6時半だが6時集合だから

家を5時半には出なきゃならない。

忙しい・・

けれど今日一日を楽しみ頑張っている。

いいことがあるといいな・・・

楽しい思い出が出来るといいな・・

行って来ます。


2007年01月21日(日) 叔母の一周忌

今日は父の妹、私にとって叔母の一周忌だ。

去年の1月21日に亡くなった叔母は

私にとって母と同じ位大事な人だった。

もしかしたら、

私の義母になっていた人でもある。

干支も血液型も同じで気も合った。

父に似て神経質なところと

依頼心の強い点では母とは違う性格だ。

私が初めて愛した男性でもある従兄弟との結婚が

あのまますんなり行っていたら

今ごろどうなっていたかな・・・と考える時がある。

もしかしたら、

叔母と姪との関係で居られたから良かったのかもしれない。

叔母が私の姑になり私が嫁の立場になっていたら

また違った葛藤や気持ちのすれ違いによる

小さないさかいも現れていたかもしれない。

そう思うと、

従兄弟と結婚しないで正解だったかな?と思う。

どちらにしてももう昔の話だ。

30年という月日が

あの当時の私の苦しみを忘れさせてくれている。

今日は叔母のことを偲んで思い出話に花を咲かせて来よう。

それにしても

去年は1月の叔母の死、

6月の私の父の死、

12月の義父の死と

三人の大事な人を亡くした年だったのだと思うと

本当に辛い悲しい年だったのだと思う。


2007年01月20日(土) 風に向かって

今日は大寒、

一年で一番寒い季節がやってきた。

今年は暖冬だが、

早朝のウォーキングはさすがに寒さが身にこたえる。

体の芯が冷え切って、

手がかじかんで感覚がなくなる日もある。

風の強い日は、

追い風に背中を押されて小走りに歩くのは楽だが、

向かい風を顔に受けて歩くのは本当に辛い。

足を前に一歩出そうとしてもなかなか進まない。

自分の体が吹き飛ばされるのではないかと思うこともある。

そんな時は、

ボブディランの歌「風に吹かれて」を歌いながら歩く。

人生もまたこのウォーキングと同じだ。

順風満帆な人生なんてめったにない。

私の人生も、

楽しいことや嬉しいことよりも

苦しいことや辛いことのほうが多かった。

挫けそうになったときは、

家族や友人の支えや励ましにどのくらい助けられたことだろう。

道端に咲く名も無い一輪の花や、

真っ青な空に浮かぶ一片の雲を見ては、

勇気と元気をもらった。

人生は一度しかない。

折り返し地点を過ぎた私の残り半分の人生もまた、

向かい風に向かって歩く人生かもしれない。

でも、風に向かって負けずに歩んでいきたい。


2007年01月19日(金) 教訓は生かされなかった

昨日の新聞に掲載された投稿。

最近の不二家問題を取り上げて書いたが

これを投稿して以来

ますます不二家の不正は大きくなっている。

これでは不二家が倒産するのでは?と懸念するのは私だけだろうか・・

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「教訓は生かされなかった」

またしても起きてしまった。

「愛と誠心と感謝を込めて、お客様に愛される不二家になりましょう」と

社是にうたっている不二家で、

賞味期限の過ぎた牛乳を使って製造した

シュークリームを出荷していたことが判明した。

また別の洋菓子では、

国で定められた基準以上の細菌を検出していながら、

そのまま出荷したという。

これが本当なら消費者として信じられない思いだ。

若いときに住んでいた福岡では

よく不二家に足を運んだものだ。

あの可愛いペコちゃんの笑顔に親しみを覚えていた私は、

不二家という会社に裏切られたような気がする。

もし、今回のことが表沙汰にならなかったら、

今までと同じように、

賞味期限の過ぎた材料で洋菓子を製造したいたのだろうか。

食品において品質管理は最も重要なことだ。 

2000年の雪印乳業の集団食中毒事件は

教訓になっていなかったのだと思うと悲しい。

不二家はあのペコちゃんの笑顔にかけても

反省と今後の誠意ある態度を示して欲しいと心から思う。


2007年01月18日(木) 許せないこと

動物病院から譲り受けた猫たちを

虐待していた男が逮捕された。

テレビの画面に、

その男に手足の爪を切り取られた真っ白い毛をした可愛い猫が、

ぶるぶる震えている姿が映し出された。

目がカメラを見て怯えていた。

人間が近づくと後ずさりするという。

男は虐待した猫たちが鳴いて暴れまわるのを

見るのが楽しかったといっていた。

信じられない。

画面を見ていて涙が出てきた。

人間も動物も命は同じだ。

言葉を話すことが出来ない動物の心を思うと

本当にかわいそうでたまらない。

猫にとって、命の次に大事なひげを焼かれたり、

生爪をはがされたりしたときの苦痛を思うと、

男を許せない思いがする。

人間の世界でも、

悲力で保護される立場の子どもを虐待して殺す親も居る。

人を殺してバラバラに切断して捨てる事件も多くなった。

もしかしたら、人間の本質に残虐さが潜んでいるのだろうか。

私としては性善説を信じたい。 


2007年01月17日(水) あの日から12年

今日は、6434人が命を落とした

あの阪神淡路大震災が起きて12年目になる。

午前5時46分、一分間の黙祷をささげた。

あの朝、私が住むところでもぐらっと来た。

そしてTV画面に映し出される

神戸の街の様子は信じられない光景だった。

火災が起きても何も出来ないままの家々、

瓦礫の下敷きになって煙を吸って亡くなった人も多い。

まさに地獄だった。

日本は地震王国、

いつこういう大きな地震がおきてもおかしくはない。

しかし、12年前の日本は危機管理が十分ではなかったという。

東京の総理官邸では

TVの画面に映し出される悲惨な状況を見て

初めて深刻な事態だと認識したらしい。

昔から怖いもののたとえに

「地震、雷、火事、親父」という言葉があるように

地震は怖いものの中で一番になっている。

あのときは皆地震のための備えをしただろうが

いつのまにか忘れてしまっているような気がする。

今日という日、多くの犠牲者が地震の怖さを教えてくれた。

これを教訓にしないといけない。

あらためてつくづくそう思う。


2007年01月16日(火) 英語力の無さ

参った。

私がこれほど英語力がないとは!

改めて知らされた気がする。

娘がイギリスのTVドラマの脚本が欲しいと言い、

アマゾンで検索してみると品物は見つかった。

ニューヨークへ旅立つ友人に相談してみたが

アメリカでは販売されていないとのこと。

日本のアマゾンで購入すると結構高価だった。

イギリスのアマゾンのユーズド価格のものを購入すれば

日本で買う値段の三分の一の値段で済む。

日本のアマゾンへは登録しているが

イギリスのアマゾンで購入しようとすると

新しく個人情報を入力しなければいけない。

その入力画面に行き何回も情報を記入して次へ行こうとするが

これが行かないのだ。

何か一つ入力間違いがある。

何をどうすれば良いのか分からない。

単語を辞書で調べながらやってみて

これで良いと思って次へ行こうとしても駄目なのだ。

翻訳機能のサイトでやるしかないのかな・・・

それにしても私の英語の力って無いものだと情けないが思い知らされた。

大学の時は英語で貿易通信文を書いていたのに・・

外書講読の授業もあったのに・・

親友も同じだろう。

お互いにあの大学時代に学んだものは何だったのか!と

恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

明日、その親友は旅立つ。

息子さんと一緒だから私も安心しているが

彼女一人だったらきっと困るだろうと改めて思った。

でも、彼女は少なくとも私よりは会話も出来るはず。


2007年01月15日(月) おとみ

去年父を亡くして一人暮らしをしている母の夕食にと思い、

豚汁を作って小さな鍋に入れて持って行った。

翌日、母は「美味しかったよ、有難う。これはおとみよ」と言って、

アーモンドチョコレートが一箱入った鍋を返してくれた。

「おとみ」という言葉は、

聞きなれない言葉だったので母にその意味を尋ねた。

母は、「人様から何かをいただいたら、お礼の気持ちで、

何かを添えてお返しをすることよ」と言った。

そういえば、昔は皆そんな付き合いをしていた。

私が幼い頃住んでいた家は、

戦後建てられた市営住宅で長屋だった。

そこに住んでいる人たちは、

まさに「遠くの親戚より近くの他人」の言葉の通り、

親密な付き合いをしていた。

お互いに調味料を貸し借りをしたり、

晩御飯のおかずをおすそ分けし合っていた。

そして、いただいたものへのお返しが何もないときには

マッチ棒を三本お皿の上に乗せて返したりしていたことを思い出した。

昔に比べると、

人との付き合いは随分希薄になり「おとみ」という言葉は死語になった。

でも昔のような人情味のある付き合いをしたいものだ。


2007年01月14日(日) 日本にも女性総理大臣を期待する

今春の仏大統領選挙で、

初めての女性大統領が誕生しそうだ

というニュースを聞き嬉しくなった。

ロワイヤル氏が社会党の党員選挙で圧勝したと言う。

かつてイギリスでは、

「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相が活躍した。

アメリカでもヒラリー氏が大統領になる可能性も皆無ではない。

日本でも、女性の国会議員や大臣が多くなり、

女性ならではの細やかな視点で、政治が行われている。

また、今までにも数人の女性の名前が

首相候補にあがったこともある。

しかし、まだ実現には至っていない。

これは何故だろうか。

よく、女性は、近視眼的な見方しか出来ないといわれる。

理性より感情が優先しやすいとも言われる。

確かに、広い視野を持ち、

国内外の情勢を把握していく必要のある総理大臣は、

感情的ではなく、冷静な判断が求められる。

今後の日本において、

指導力があり、

日本を良くしてくれる女性総理大臣の出現を心から期待している。




2007年01月13日(土) 寒中見舞い

先日来、寒中見舞いが届くようになった。

皆、私が喪中だったことを懸念して

年賀状を出さなかった代わりに

寒中見舞い状を出してくれるのだと思うと

本当に嬉しく思う。

私も友人たちに寒中見舞いを出したところだ。

小寒も過ぎ20日は大寒だ。

今年の冬は暖冬気味で例年に比べると暖かい気がする。

寒さも暑さも苦手な私には暖冬は嬉しいが

地球環境のことやこれからの地球のことを思うと

喜んでばかりは居られないな・・

昨日いただいた寒中見舞いの中の一枚は

菜の花を描いた絵手紙だった。

歩いていて菜の花を見つけたと言っていた。

私も朝歩く散歩道に黄色い菜の花が咲いているのを見つけている。

そういえば去年からずっと咲いているような気がする。

これも暖冬のせいかもしれない。

来月の立春までは一番寒い時期になる。

風邪を引かぬよう心元気で過ごしたい。


2007年01月12日(金) 老化

一昨日行った歯医者で

今の悪い歯を治さないでこのままにしておくと

入歯になると言われショックだった。

悪い歯を放っているのではない。

治療もしていたのだ。

でも被せているものが古くなり

歯茎との間に隙間が出来て

そこから食べた食べ物のカスが入って

中の残っている歯にも影響してしまったみたいだ。

去年は父と義父の看護で自分のことどころではなく

歯医者も気になってはいたが行けなかった。

これからはちゃんと行って入歯にならないように治療しよう。

入歯もそうだが体の老化を感じるようになった。

一昨日の晩は30分しか寝てないので

昨日は一日頭がぼうっとしていた。

学生の頃には徹夜をする日々が続いてもなんともなかった。

また目も老眼が出てきて眼鏡をかけだして

あれほど好きな本も長く続いて読めなくなってしまった。

髪の毛も白髪染めをするようになり

髪の毛の一本一本が細くなってしまった。

勿論顔にも小じわが増えた。

いいことなんてない。

でも、これは生きて年を取ることから必然のことだ。

気にしないようにしよう。

そして、せめて心だけは老化しないように

いつまでも若々しく居たい。


2007年01月11日(木) 睡眠不足

眠い!

やる気がしない。

自分が自分でないような

何か存在感を感じることが出来ないくらい眠い。

昨夜は30分しか寝てないのだ。

いつもなら9時過ぎにはベッドの中に入る私だが

昨夜はPCを使ってすることがありし始めたら

いつもと同じで最後まで仕上げたくなった。

夫に尋ねながらすること12時。

夫は先に休んでしまった。

私も寝ようと思ったが目が何故か冴えて眠れないのだ。

結局3時半まで作業を続けた。

そして起床が4時。

30分の睡眠しか取れなかった。

思考力が鈍る。

昨夜書いた文章は誤字がある。

頭は寝ていたのかもしれない。

今やり直し中。

後1時間はかかりそうだ。

ああ〜それにしても眠い・・


2007年01月10日(水) しばられない

今日の真民先生の言葉は「しばられない」だった。

「しばられない」

国家にもしばられない。

金力にもしばられない。

権力にもしばられない。

愛にもしばられない。

憎にもしばられない。

地位名誉にもしばられない。

そういう人間でありたいのだ。

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人生を生きていく間には

さまざまなもののしがらみがついてくる。

そのどれからも自由で居られたらどんなに良いだろう。

金力や権力にしばられない自信はある。

地位名誉は初めからないから関係ない。

憎しみを持った経験もない。

でも、愛から逃れることは難しかった。

私が生きてきた50余年、色んなことがあったが、

やはり人を愛し愛されたこと、

その愛にしがみついたことや

愛を求めて心を病んだこともある。

愛とはそんなものではないということが

最近になってやっと分かるようになった。

愛はもらうものではなく

与えるものであること、

そして、その愛は無償の愛であるべきことなど

今までの私には感じられなかった愛の必要性を覚えるようになった。

愛を求めることなく

愛に縛られないで生きることが出来るって

本当に楽だ。

いかなるものにもしばられず

心を自由に生きることが

人間として一番楽な生き方なのかもしれない。

私にも出来るかな・・

しばられないって難しい。


2007年01月09日(火) 初心にかえって

今日の真民先生の言葉は

「初心にかえれ」だった。

思い上がってはならぬ。

甘やかされてはならぬ。

甘やかしてもならぬ。

きびしい鞭をいつも当ててゆかねば、

とんでもない人間になってしまうのだ。

大地にへばりついて、人馬に踏まれ、

それでもなお枯死せず、

春になると開花するタンポポの根強さを、

わが花として、

わが堂名としているお前ではないか。

かつて生きる力を失おうとして詩に執した、

その頃の詩を、もう一度読み返して、

初心にかえれと、

そう強く自分に言いきかせたりした。

真民先生でさえ、

時には自分を初心にかえれと戒めているのだから、

私などは毎日その心で生きていかねばならない。

何でも慣れるということは

当たり前になって平気になることにも通じる。

当たり前になっては駄目だ。

当たり前になると感謝の心が失われる。

そして不満が出てくる。

誰か人との関係でも

運転でも、

趣味でも、

仕事でも、

全て初心を思い出すことが大事なのだ。

私も緩慢になっている心を引き締めて

今年は一歩ずつ確かな歩みで歩いていきたい。


2007年01月08日(月) 目標と希望

今朝の真民先生の言葉は「希望」だった。

漫然として生きているのが

一番いけない

人間何か希望を持たねばならぬ

希望は小さくてもいい

自分独自のものであれば

必ずいつか

それが光ってくる

そして

その人を助けるのだ

真民先生の言わんとしていることは分かる。

でも、希望を持ってそれに向かって生きるって

なかなか難しい。

皆が出来たら心の病になる人も居なくなるはずだ。

難しいからこそやるべきなのだと思うが

私は今自分が出来ることを

ひとつずつやっていこうと思う。

勿論目標にしていることや希望はある。

完璧でなくても良い

少しでも近づけるように頑張りたい。

昨日は忙しい時間の中で

寒中見舞いも出せたし

ウォーキングも出来た。

夕方には10分だけだけれど

ヴァイオリンのボーイングの練習をした。

夜は勉強している本を1時間読んで寝た。

こんな風でいいのだと思う。

出来ることから少しずつやっていこうと思う。


2007年01月07日(日) 神戸行き決定

去年の秋頃、何気なく応募していた

ミナト神戸散策日帰り旅行に当たった。

折角のことだから参加申し込みはしたものの

義父が入院、

それ以後どうなるか分からず半ば諦めていた。

義父が年末に亡くなり、

その後のことは毎日忙しいけれど

行けたら良いなあと思っていた。

昨日、その最終案内が届いた。

夫に話すと「行ってきたら良いよ」と言ってくれた。

今月の22日月曜日、冬の神戸は行ったことがないが

気晴らしにもなるだろう。

一人での参加は少し淋しいけれど

またバスで乗り合わせた人と友達になれるかもしれない。

「北野異人館めぐり」

「メリケン食堂でのお昼」

「南京町散策」

「宝石工房見学」というコースだ。

異人館めぐりは今まで数回したことがあるが

何度行っても良いものだ。

宝石工房では誘惑に負けて高い宝石を買わないようにしよう。

ちょうど24日頃は神戸の南京町ではお祭りがあったのでは?

重ならなくて良かった。

私の大好きな神戸の町を

一人で楽しんで来ようと思う。

楽しみだ。


2007年01月06日(土) 体が二つ時間が倍欲しい

本当に忙しい。

したいことが山ほどあるのに

何も出来ない日々が続いている。

体が二つ欲しい。

ひとつは家事をしたり

母や義母の世話をする体。

もうひとつは

私のためにする体。

例えば、

喪中のために出せなかった年賀状の代わりに

寒中見舞いを絵手紙で描くこと。

昨日修理から戻ってきたヴァイオリンを練習すること。

また、今私が勉強している戦争に関する本を読むこと。

これらをする体だ。

本もなかなか落ち着いて読めない。

絵手紙も描けない。

ましてやヴァイオリンの練習なんて・・・

時間も欲しい。

そう24時間が倍あれば何とかなる。

朝が早いから夜は11時まえには寝ようと思うと

夜出来そうなことまで出来ないのだ。

ああ〜今年はお正月早々本当に忙しい年になった。

でも、愚痴をこぼしていても仕方ない。

今、一番最優先するべきことは何か?を見極めて

それからしていくことにしよう。

今は義父が亡くなって以来のさまざまな処理だ。

父のこと春の彼岸まで一応落ち着いている。

義父のことは四十九日法要のことが待っている。

時間も体も倍にはならないのなら

頑張るしかない。


2007年01月05日(金) 久しぶりの外出

今日は久しぶりに外出する予定だ。

母がいつも行っている眼科へ受診することになっていた。

帰りに高島屋へ車を置き、

修理に出していたヴァイオリンが直ったのを

取って来ようと思う。

それから母とお昼を一緒に食べてこよう。

年末から緊張の日々、

忙しい日々が続いている。

まだ当分続きそうだ。

今日は気分転換にもなるしウインドウショッピングも良いな・・・

それにしても、

直ったヴァイオリンを再開するのはどうしよう。

今年の目標にもしたから

逃げるのも嫌だ。

上手く弾こうとしないで

楽しむ気持ちで再開しよう。

弱気にならず

心は強く頑張りたい。

外出したら少しは気持ちも晴れるはず。

運転に気をつけて行ってこよう。


2007年01月04日(木) 「てかがみに」

今朝の新聞の「てかがみ」に

先日投稿していたものが掲載された。

題名は「家計簿」だ。

今朝、夫に「私のが出てるよ」と言うと、

夫は「葬儀の時に書いて投稿したと思われるよ」と言った。

でも、実際はそうではない。

12月の半ばに投稿したものだ。

だから気にしないようにしようと思う。

やはり、採用されて掲載されると嬉しい。

一日の始まりから元気になれる。

義父のことで落ち込んでいた私の心も元気が出そうだ。

今日掲載された文章は次のようなものだ。

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「家計簿」

私が家計簿を付けるようになって今年で22年目。

結婚して以来、毎年欠かしたことがない。

友人に「家計簿を付けている」と話したら、

感心されたことがあるが、

主婦として当たり前のことだと思っていた。

子どものころ、

母は一日の家事を終えると必ず、

家計簿を開き

財布の中のお金を机の上に出して

そろばんをはじきながら記入していた。

一円でも勘定が合わないと何度も数えなおし

「これが合わないと眠れんのよね」と言いながら笑っていた。

そんな母の姿を見て育ったからかもしれない。

今はパソコンを利用して家計費を記録することができるが、

私は帳簿に記す。

2007年用に買ったものは

昨年と同じお料理家計簿。

毎日の献立の参考になる料理のレシピが掲載され、

ページの下の欄にはちょっとした日記が書けるようになっており、

気に入っている。

今年は、毎日のお金の収支を合わせるだけでなく、

予算を立てて、決算もするというきちんとしたものにしたい。

家計簿を眺めながら、

心の中でそっと誓った。




2007年01月03日(水) 母の味

昨夜は夫と娘と私との三人で

実家の母の所で夕食を一緒に食べた。

賑やかなことが好きだった父もきっと喜んでいるだろう。

今年のお正月は喪中でもあり

淋しいものになった。

母も一人でお正月を迎えたのできっと淋しいだろうと思い行った。

でも、母の手料理を食べさせてもらい

何をしに行ったのか分からなくなってしまった。

母は今年はいつもの御節は作らなかったが

それでも、毎年作る

黒豆、田作り、数の子、蕪の酢の物、きんとんをしていた。

やはり母が作ったものは皆とても美味しかった。

父の大好物だった数の子を仏壇に供えた。

本当は精進料理を供えるべきだが

私は父の好物だった数の子や田作りを供えたかった。

父も喜んでいるに違いない。

また夕食のために作ってくれた肉じゃがもとても美味しかった。

やわらかい肉とほっこりたけたジャガイモがマッチして

まさにおふくろの味だった。

今夜は私が豚汁を作ろうと思う。

そして義母に持っていこうと思っている。

私の愛情たっぷりの豚汁もきっと美味しいものになると思う。

そして娘にとってはこの豚汁が母の味になると信じている。


2007年01月02日(火) 疲れがどっと・・・

年末に義父が亡くなり

その後のお通夜、葬儀、初七日法要と

慌しく日は過ぎていった。

その時には感じなかった疲れが

昨日の朝からどーんと感じられるようになった。

普段は3時半起床の私が

昨日の朝も今朝も10時起床だった。

体中に鉛をつけたような重苦しさ、

心臓が押し付けられるような胸苦しさを覚える。

気持ちが張っていたのが

いっぺんで緩んだ時

疲れを覚えるのだろう。

夫を亡くした母二人のことも案じられる。

昨夜は久しぶりに母の所に泊まった。

娘と三人で女正月をした。

母が元気で居てくれることが

今の私の心を励ましてくれる。

友の励ましも有難い。

悲しみや辛さばかりを思っていても仕方ない。

亡くなった人への一番の供養は

残された者たちが元気でいることだ。

安心して成仏してもらうためにも

残された家族が明るく元気で暮らすことが大事だ。

一日一日を大切にして

後悔のないように暮らそう。

疲れもいつかは癒える。

また心も体も溌剌とする時が来る。

休める時には体を休めて無理をせず元気で居たい。


2007年01月01日(月) 今年はいい年に

クリスマス頃から

義父の容態が悪くなり

PCを開ける時間もなく更新も出来なかった。

その義父が29日の夕方に亡くなった。

一昨日がお通夜、

昨日が葬儀だった。

年末はただでさえ気ぜわしいのに

この三日間は

まるで台風が通り過ぎていったような

ばたばたとした日々になった。

義父とのことは

今まで色々とあったけれど

最期のひと月は

病院で看病も出来たし

お通夜や葬儀も私が出来るだけのことをしてあげることが出来て

本当に良かったと思う。

去年は6月に私の父を

12月には夫の父を亡くし

私にはもう「お父さん」と呼べる人が居なくなった。

淋しい。

私が描いたピエロの絵の題名のように

人生はまさに泣いたり笑ったりだ。

今年はきっといい年になると信じて

心元気で生きていこうと思う。

今年もよろしくお願いします。


スカーレット