スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2006年08月31日(木) 誕生日

今日は亡き父の85歳の誕生日だ。

昨日、母に「明日は父ちゃんの誕生日だから、

何か好きなものをお供えしよう」と言ったら、

母は「もう死んでしまったら誕生日は祝わない、

命日の方が大事よ」と言った。

そうかな・・・

私にとっては8月31日は

毎年父に「お誕生日おめでとう」という言葉と共に

何かをプレゼントしてきた大事な日だ。

死んでしまったらもう誕生日は意味ないものなのか・・・

私はそうは思わない。

だって、クリスマスはイエスキリストの誕生を祝う日だ。

誕生日があるからこそ

命日があるのだと思う。

今日は父の好きな「おかき」と「たこ焼き」を備えよう。

もう父にプレゼントしても「有難う」の言葉を聞くことは出来ない。

でも、私にとって父は永遠に心の中に生きている。

私が生きている限り

父の誕生日には父のことを思っているだろう。

生きていたらよかった・・

何だか涙が出てきた・・


2006年08月30日(水) 自分の気持ちを

いつも自分の気持ちを優先して行動している私は

時に取り返しのつかないことをしてしまう。

今回起きたこともそうだ。

後悔先にたたずとはよく言ったものだ。

もう考えても取り返しがつかないし

過去に戻ることはできない。

もし数日前の戻れるならば

私は同じ行動をしていないだろう。

もう駄目だ・・

終わりだ・・

落ち込んだ。

食事もとれないほど落ち込んだ。

でも、考えてもどうしようもないこと。

考えるのはやめよう。

おかしてしまった失敗はもうどうしようもないのだ。

自分が嫌になるばかり。

この気分がいつになれば回復するのだろう。

何もかも嫌。

ああ〜〜〜〜〜〜

逃げないようにしよう。

ちゃんと受け止めて

今後の自分の生き方を考えよう。

自分の気持ちだけで行動していた私を

反省するきっかけになった。

これで良かったのだ。

これからは自分の気持ちよりも

相手の気持ちを思いやることをしなくっちゃ。


2006年08月29日(火) 休みたい

母の腰の具合が悪くなってしまった。

先週の月曜日に脳の検査のために

仰向けに寝たのがいけなかったみたいだ。

父が亡くなって以来

心配したほど落ち込みもせず

元気で居てくれたから安心していた。

母の弱点は腰だ。

一昨年の年末には圧迫骨折で入院した。

それ以来母なりに十分気をつけているし

病院へも一週間に二度行って治療をしていたから

腰痛もなくまあまあの生活ができていた。

腰の悪い人はくの字で寝るのが良いと言う。

母も普段から仰向けには寝たことがない。

病院での検査で無理がいったのだと思う。

脳の検査の結果は今日再診してはっきりする。

でも、そんなに心配はしないで良いみたい。

こんなことになるのなら

脳の検査なんかしなければ良かったかもしれない。

でも、それは結果論であり

母が検査を希望していたのだから言っても愚痴になる。

私は実家と自分の家との2軒分の家事をしている。

昨日は実家の掃除をしていて虚しい気がして

このまま何もかも放りっ放しで何処かへ行ってしまいたいと思う。

そんなことはできない。

ならば、どうすべきか?


2006年08月28日(月) ピアノは心

昨日は行って良かった。

あんなにピアノを愛する人たちの

演奏を聴くことができるなんて

数時間かけて行った甲斐があった。

男女老若という言葉の通り

下は幼稚園から上は80歳の女性まで

68人の人たちが

午前11時から午後5時前まで

それぞれの思いを好きな曲に込めて弾いて聞かせてくれた。

ピアノの上手下手はもちろんあった。

でも、そんなことは関係ない。

つまりつまり弾く拙いピアノの中に

弾く人の心を感じることができた。

80歳近い女性が弾いてくれた

「禁じられた遊び」は本当に良かった。

目を瞑って聞いていると高齢の方が弾いているなんて思えないほど

一音一音がしっかりとしていたし、

映画のシーンを思って涙が出そうになった。

きっとピアノが大好きで小さい頃からの夢だったに違いない。

私もそうだ。

小さい頃は家が貧乏でピアノを習いたいなんて言えなかった。

それでも紙鍵盤で練習をしていた私。

娘が生まれ幼稚園に入りピアノを始めて

私も一緒に練習するようになった。

アップライトからグランドに買い換えて幸せだった。

音楽のある生活の素晴らしさを感じた。

昨日改めてピアノって良いなあと思った。

友人のピアノも時々指を間違えたときもあったけれど

友人らしいショパンに仕上がっていたと思う。

あっと言う間の5時間だった。

昨日のことを親友に話したら

来年は私が出場したら?と言った。

それを目標に頑張れば良いと言ってくれた。

頑張ろうかな・・・




2006年08月26日(土) ピアノ

毎日忙しい日々を過ごす私にとって

県外へ出かけるって容易いことではないが、

明日は友人のピアノの発表会を見に

徳島へ行こうと思っている。

最近の私はピアノの蓋を開けることもない。

父の看護でピアノどころではなかった。

でも、家の六畳の部屋を占領している

グランドピアノを見るたびに

何故かとても申し訳ない気がしてくる。

ピアノは毎日弾かなければ音色も変わってくる。

今年は調律も父のことがありのびのびになってしまった。

世界的に有名なピアノ調律士

村上輝久さんの本「いい音って何だろう」を読んでいると

ピアノの命でもある音のためには

調律は不可欠のことだと改めて思った。

徳島から帰ったら連絡して調律をしてもらおう。

そして、時間を作ってピアノに向おう。

天風先生の言葉の通り

人には潜在的に能力がある。

だから強い意志を持ちやれば必ずできる。

投げ出さないでこつこつとすることが大事なのだ。

秋は芸術の秋でもある。

心と時間に余裕を持って弾いていきたいと思う。


2006年08月25日(金) 県大会へ

昨日は感激した。

わが娘ながら誇りに思えるくらいだった。

地区予選二日目のトップに演じられた

娘の高校の演劇は

笑いあり、踊りあり、涙あり・・

本当に素晴らしい作品だった。

劇が終わると観ていた観客席の高校生達の

「わ〜凄い!やばい!」

「トップからこれじゃ後がやりにくいよ」

「本当に凄いね」

という声が聞こえてきた。

娘が脚本を書き、出演した舞台は

去年に比べとても良かった。

一人一人自然な演技ができていたし

時間の経つのが早いと感じるほど

テンポもよく飽きさせない作品に仕上がっていた。

11月には県大会がある。

昨夜は撮ったビデオを見て

今度はもっとこうしたらいいね・・と話をした。

娘にとって今年の夏は一生思い出に残る夏になるだろう。

一緒に観に行くことができなかった母も

今度の県大会には行くと言っている。

県大会から四国大会へそして全国大会へ

行けたらどんなにいいだろう。

頑張って欲しい。


2006年08月24日(木) 地区大会

今日は娘の演劇を観にいくことになっている。

高校演劇大会の地区大会だ。

娘が自分が書いた脚本と演出、そして出演と忙しい日々を送っていた。

今回はミュージカルで

少し喜劇的で

それで今の社会問題をふんだんに取り入れたものだそうだ。

娘が書いた脚本を読ませてもらったが

まあ凄いな・・と思った。

私は脚本形式が苦手だ。

会話だけで物語が続くのも苦手だ。

人の心理状態を描写する時

会話の中にそれを表そうとすることは難しいと思う。

娘にこんな才能があったとは!

去年も書いて上演したが

やはり好きなのだろう。

今日の地区大会に残る残らないは別として

どうか楽しく悔いないものにしてほしい。

私はビデオを撮るのを頼まれた。

少し緊張している。

ミスのないように撮れたらいいのだが・・


2006年08月20日(日) デジカメ購入

思い切ってデジカメを買った。

古いデジカメも機能は悪くない。

買って三年しか経ってないし

新しいのを買うのを迷っていた。

でも、年を取るに連れて

液晶画面が見にくくなった。

だからなるべく大きな画面のデジカメが欲しかった。

昨日一人でヤマダ電機へ行き

何と二時間も迷った末

キャノンのIXYシリーズで新製品を買った。

画面も大きく600万画素ある。

打ち上げ花火を撮影することができる。

値段も三年前に比べると格段に安価だった。

4万円で買えた。

でも、器械ものに弱い私は

帰宅してから説明書を見ながら操作を覚えようと時間を費やした。

慣れたら使いこなすことはできるのだろうが

しばらくは試し撮りをしてみようと思う。

これで来月の東京行きが楽しくなった。

思い出に残る写真をいっぱい撮ってこようと思う。


2006年08月19日(土) 台風一過

台風10号が自転車よりも遅い速度で

九州を縦断して行った。

被害も出たし死者も出た。

台風が来ると必ず被害の出る日本って損だと思う。

私の住む地方は

台風が直撃することはめったにない。

同じ四国でも

太平洋側は大雨が降り被害も出る。

その点瀬戸内海に面した地方は

石鎚山脈が台風をさえぎってくれるのか

影響はほとんどないと言っても過言ではない。

この数週間は雨も降らなかったので

昨日の台風の影響の雨は

いいお湿りになった。

これで植木も喜んでいるだろう。

でも、被害の出た地方の人たちのことを思うと

こんなことは言うべきではないな・・・

まだまだこれからも台風は来るだろう。

被害の無い程度に雨が降ってくれることを期待している。


2006年08月18日(金) 油断大敵

ああ〜〜〜

もっと気をつけるべきだった。

油断したのがいけなかった・・・

先週の土曜日に左足の薬指を骨折した私は

医者の忠告を聞かず

普通と同じように動いていた。

だって、

骨がぽきんとと折れたわけではない。

ヒビが入っただけだ。

だから大したことはない。

少々動いても平気だ。

そんな風に思っていたが

今朝湿布やテーピングを外したまま

歩いていて痛みが出てきた。

まだ一週間くらいはかかるのだろうな・・

明日病院へ行ってレントゲンを撮ってもらうことになっている。

どうか治っていますように!

もう少し事態を重く考えればよかった。


2006年08月17日(木) 父が夢で

父が5月に入院し

病院へ付き添ってから約三ヶ月になる。

そして、父が6月13日に亡くなって以来

実家に寝泊りして自宅へ行ったり来たりの生活が続いている。

家族にはお盆が済んだら帰るからと言っていたが

昨日の夢に父が現れ

母の側に居てやって欲しいと言った。

多分、

私がそろそろ帰らなくっちゃと思っていたから

こんな夢を見たのだろう。

それとも、

昨日送り火をたき

父を見送って父は帰っていったから

父の気持ちとしてそういう夢を見たのかもしれない。

どちらにせよ、

母をこのまま一人にしておくことに

父も私も不安があるのだと思う。

私が居ない自宅は

毎日掃除はしているものの

娘に散らかし放題にされている。

だから、本当は早く帰って

前のペースに戻したい。

でも、母のことを思うと迷う。

今年いっぱい今のままの暮らしを続けようと考えた。

母に話したら喜んでくれた。

後は夫と娘の了解を得たらいい。

多分、夫は何も言わないだろう。

娘も私が居ないほうが

自由にできるのでいいかもしれない。

毎日朝帰り家事をしているのだから

家族に不自由な思いはさせてない。

だからこらえてもらおうと思う。

私の中で

母を見ていてもう大丈夫だと思えるようになったら

自宅に帰ろうと思う。

これできっと父も安心するに違いない。


2006年08月16日(水) 抹殺された真実

昨日の日中問題の続きとして。

先の戦争が果たして侵略戦争であるかどうか

あの戦争が間違ったものであったかどうか

私は声を大にして

あの大東亜戦争は日本が自衛のために始めたものであると言いたい。

決して侵略戦争でも、植民地戦争でもない。

昨日の小泉首相の参拝により

世論はとても賑わっていた。

今日本のトップに居る政治家の中でも

本当に日本の真実の歴史を知っている人が

どのくらい居るのかと考える。

コメントを述べる人たち

司会者たちの中でどのくらい勉強した人が居るだろう。

戦争体験者の人たちは皆80歳を越えようとしている。

戦争体験者の実際の声にちゃんと耳を傾け

自分の頭で考えること、

真実を知ること、

歴史を検証することが大切だと思う。

戦後の教育を受けたものにとって

日本が始めたとする太平洋戦争(敢えてこう書く)は

間違いであり、

多大の犠牲を払い

中国や韓国に対して悪いことをしたと教えられた。

そしてそれを疑うことなく信じ込まされていたことこそ

アメリカが日本を、日本人を自虐に追い込み

ひたすら謝罪することへ導いていったのだと思う。

あの東京裁判は正当な裁判ではない。

あれは戦勝国が開いた日本をリンチする裁判である。

ワシントン平和条約によって

日本は独立するまでの7年間

日本はまだ戦争状態にあった。

思想の上でアメリカに洗脳され続けた日本は

A級戦犯を合祀している靖国神社へ参拝することが

間違っているという日本人さえ出てきた。

あのA級戦犯はきちんと責任を取っている。

皆、日本のため日本人のために死んでいった。

ちゃんと責任を取った人たちがカミになった今

日本人は慰霊をすることは当たり前だ。

私は首相はもちろんだが

天皇陛下が親拝されることが必要だと思う。

今、私が読んでいる

「抹殺された大東亜戦争」という本を読んで

とても悔しい気持ちと憤りを感じる。


2006年08月15日(火) 日中問題

今日、終戦記念日に

小泉首相が靖国神社を参拝することになった。

公人で行くのか

それとも私人で行くのか、

私は是非公人の立場で参拝してほしい。

そして、

神道の参拝の形式は

略式ではなく

二礼二拍手一礼という形式で参拝してほしいと願う。

これでまた中国や韓国が反日で騒ぐだろう。

靖国神社にA級戦犯が合祀されているのだから

参拝をするのは間違っているという彼らにとって

本当に大東亜戦争や

東京裁判の持つ意味を理解できているのかと疑問に思う。

戦後GHQは占領政策の一つとして

愛国的なものを全て検閲して弾圧してきた。

だから戦後の教育を受けた私達は

日本は侵略戦争をした悪い国だという

間違った歴史観を植えつけられてきた。

中国がいう日本の侵略と虐殺問題も

色々な本を読んでいくうちに

それは間違った認識であると思うようになった。

中国と仲良くすることはもちろん必要だ。

でも、国家感を思うと

理解しあうなんて不可能だと思える。

お互いがお互いの国

国民の気持ちを思いやることはできても

最終的に理解できるとは思えない。

それならば、

友好ではなく喧嘩をしないという程度から

始めれば良いのではないかと思う。

平和を願う心は世界中の人たち皆同じだ。

それでも、紛争がなくならないのは何故か?

隣の中国との問題だけでも解決できないのだから

世界恒久平和は人類の永遠のテーマで終わるのかもしれない。



2006年08月14日(月) 千の風になって

六月に亡くなった父の四十九日の法要と納骨を無事終えることができた。

それまで、気を張りつめ、

忙しい日々を過ごしていたが、

ほっとしたと同時に、

もう父は居ないのだという淋しさが

ひしひしと押し寄せてきた。

一人で居ると涙が自然に出てくる。

もう二度と父の姿を見ることも、

声を聞くことも出来ない。

大声で泣き叫べば父が帰ってきてくれるのなら、

思いっきり泣きたい。

そんな気持ちで過ごしていたとき、

「千の風になって」という詩と歌に出合った。

心に染みとおるやさしいメロディを聞きながら

詩を読んでいくうちに、

私の心の中の深い悲しみが

少しずつ溶けていくような気がした。

そうだ、父は死んではいないのだ。

お墓の前で泣いても、そこに父は居ない。

父は空を吹きわたる風になって、

いつも私を見守っていてくれる。

私が泣いていたら父は心配するだろう。

私には支えていかなければならない母が居る。

明るく元気に笑顔で生きていこう。

もしかしたら「千の風になって」という詩と歌は、

父が私にプレゼントしてくれたのかもしれない。

「父ちゃん有難う。私たちを見守ってね」

本を胸に抱き、心の中でそうつぶやいた。


2006年08月13日(日) やってしまった・・

「ゴツン!」

「あっ痛い!」

昨日の朝いつものように部屋の掃除をしていて

台所のテーブルの脚で

思いっきり左の足の指をぶっつけてしまった。

それでも痛みを我慢して

最後まで掃除をし終えたが

痛みがいつもとは違う。

これは変だ・・

じっとしていても足が痛む。

ズキズキと痛い。

薬指が段々と腫れてきた。

触ると鈍い痛みがある。

母を整形外科へ連れて行き

私も診察を受けることにした。

レントゲンを撮ってみたら

案の定中指にヒビが入っていた。

骨折ではなくてヒビで済んで良かったと思っていたら

医者はヒビも骨折ですというではないか・・

でも、ギブスや添え木は不自由だろうということで

シップをしてテーピングをしてもらった。

娘が数年前に足の小指を骨折したときは

添え木で固定して松葉杖をついていた。

それに比べると私のはきっと軽症なのだろう。

医者には安静にして歩かないように

なるべく動かさないようにしてくださいと言われたけれど

主婦としては休んでいるわけにはいかない。

今は実家の家事もしている。

痛みをこらえて足を引きずりながら

買い物を済ませたら涙が出そうになった。

午後からは安静をつとめようと

横になったり座っていたりした。

今朝起きてみるとやはり痛みはあるが

昨日よりはましだ。

来月は靖国神社へ参拝の予定があるから

それまでには治さないといけない。

当分の間ずるをしてみよう。

掃除もしたくてもやめて

私の一番嫌なサボりをすることにした。

早く治るように・・


2006年08月12日(土) 家と家族

昨日の夜のTVドラマを見ていて

マイホームって何だろうと考えさせられた。

一戸建て住宅に住みたい、

貸家ではなく自分の家が欲しい・・

結婚して家庭を持ったほとんどの人が

マイホーム建設のために頑張る。

ローンを払いながら

子育てをして

主婦も働きながら家計を助ける。

倹約倹約の生活。

時には家族の中でいがみ合いも起きる。

そこまでしてマイホームを得ることって大切なことなのか?

私の家は本当に古くておんぼろで

人が見たら笑うような家だ。

一応は一戸建てだし

家賃も要らないから

私が働く必要もなく

夫の働きでやっていける。

母も専業主婦を続けて

大きな新しい家に住んでいる。

母も私も幸せだな・・

マイホームを持つことを夢にして

家族が力を合わせて頑張ることは美しいし

とてもステキなことだ。

でも、家よりももっと大切なものがあるような気がする。

家は小さくても

賃貸であっても

おんぼろでも

その家の中に住む家族の心

家族自身が大切な気がする。

いくら大邸宅に住んでいても

夫婦や親子の心が離れ離れになっていたら

何にもならない気がするから・・


2006年08月11日(金) 気にしない

久しぶりに落ち込みそうだ。

また、私の悪い癖が出てきた。

気にしないようにしよう。

深刻に考え無いようにしよう。

大したことじゃないのだ。

何かの都合なのだ。

そう思おうと必死になっていた。

でも、それも変だ。

本当に気にしないで居られるのなら

こんなにムキニなることなんてないはず。

やはりこだわっているから

必死でそれを打ち消そうとしているのだ。

今まででもこういうことはいっぱいあった。

そのたびに落ち込み

何と私は不幸だと大げさに思っていた。

そして直ぐにそれは私の考えすぎだということが判明した。

だから、今回のことも同じだろう。

しばらく私が大人しくしていればそれで良い。

私さえ気にしなければいいのだ。

今日は例のセミナーに参加してみようかな・・・

それとも母と外出しようか・・・

少し気分を変えなくちゃ。


2006年08月10日(木) 積み木崩し

まるでそれは積み木崩しのような

また、犀の河原の石積みのような

そんな虚しさを感じることだ。

毎朝、早く自宅に戻る。

父が入院して看病をし

父が亡くなった後も

母が淋しくなったらいけないと思い

私の実家と自宅の行ったり来たりの暮らしが今も続いている。

帰って私の部屋に入るときの不安、

娘に占領された私の部屋は

まるで娘の部屋のように散らかり放題だ。

朝の忙しい時間の中で、

元の整頓された状態に戻すことは

結構な負担になる。

でも、それをしなければ私の一日は始まらない。

夫と娘が出て行き

掃除をして綺麗になった部屋を見て安心して家を後にする。

でも、これは一日しかもたない。

夜、娘は私の部屋を使い

私の机の上で勉強やPCをしたままの状態で私のベッドで寝る。

だから、また朝になると同じことをしなきゃならない。

もういい加減にしてよ!と

今朝は堪忍袋の緒が切れた。

私のベッドも机も使用禁止という張り紙をしたいくらいだ。

虚しい・・実に虚しい。

積み木崩しのような朝を迎えるのは嫌だ。



2006年08月09日(水) スイカ

夏の果物の中で一番好きなものは

スイカと葡萄だ。

スイカは果物の仲間ではなく

野菜の仲間かもしれないが

あの真っ赤に売れたみずみずしい果汁を口にすると

それまでバテそうになっていた私の身体がしゃんとする。

食が細くて一度にあまり食べることができない私は

スイカを食べるともうそれだけでお腹一杯になる。

だから食事を少し減らして後で食べるか

食事の代わりに食べるかどちらかにしないと

胃に負担がかかる。

一昨日はスイカを食べ過ぎて胃を悪くしてしまった。

それでもやめられない。

家の近くの朝市で

小さな山スイカが売られている。

一個200円という安い値段なので

味はどうかな?と不安だったが

買って来て食べてみた。

切るときにバリバリという音がして割れそうになる。

これは美味しいだろうなと思っていた通り

満足できるスイカだった。

ああ〜幸せだな・・美味しいな・・

今朝もヨーグルトを食べるときに

真っ赤なスイカをいっぱい食べて

朝ちょっとしんどかったのが治った。

元気になった。

私の夏の元気の元はこのスイカなのかもしれない。

夏にスイカをいっぱい食べていると

秋になってお肌がきれいになるという。

楽しみ・・笑


2006年08月08日(火) 帰ってきた父

昨日起こったことは

普通なら笑って済ますことだ。

私は霊がそこに見えるなどと言う

霊能者を正直信じていなかった。

私には見えないものが

何故彼らには見えるのか?

そして死者の霊と交信できるなんて話を

馬鹿馬鹿しいと思っていた。

でも、昨日私が体験したことは

本当に事実だし信じている。

昨日、父の新盆のために

父の第二の就職で一緒に働いていた

女性三人が実家に来てくれた。

父との思いで話を始めた途端

「カタカタカタ」という音が

リビングのドアの向こうで聞こえた。

私たちは一斉にドアの方を振り返ったけれど

ドアはちゃんと閉まっている。

念のため家中のドアを調べに行ったが

全て閉じられていた。

それはまるでいつも父が居た二階から

父が降りてきたような

そんな音だった。

父は今お盆で家に戻っている。

だから父の懐かしい友人が来てくれて

父の話をしていたから嬉しくて

話の輪に入りたかったのだろう。

それから二時間

父の思い出話に花が咲き

とても楽しい時間を過ごすことができた。

「父ちゃん良かったね」

私は父の遺影に向ってつぶやいた。


2006年08月07日(月) 靖国参拝

今、靖国参拝は賛否両論があり

首相参拝や天皇陛下参拝に対して

中国や韓国との友好関係を保つためにも

それはいけないことだという意見が多数ある。

しかし、

日本国のために命を捧げた人を祀っている靖国神社へ参拝することは

日本人として生まれたからには

一度は参拝しないといけないと思う。

今の日本は

靖国で眠っている人たちのお陰で存在していると思うから。

私は、かねてから行きたいと思っていた遊就館を訪れたい。

そして

あの間違った裁判(戦勝国のリンチ裁判)

日本人に日本が悪だと認識させてしまった東京裁判で

唯一日本人全員無罪を主張した

インドのパール判事の顕彰碑を訪れたいと思う。

靖国神社にはA級戦犯が合祀されているから

参拝はだめだとか、

それに代わるものを建立すれば良いとか

色んなことが言われているが

本当に靖国神社のことを勉強すれば

そんなことは言えないことが明白だ。

日本は神の国だ。

キリスト教やイスラム教でいう神とは違い、

この世に存在するあらゆるものに

神が宿るという

日本独特の神(カミ)八百万の神だ。

そして日本の伝統や文化は

この神道から全て生まれている。

日本を愛することが

何故右翼だと言われるのだろう。

真の意味で国を愛する心は

世界中のどんな国にもある。

それがどうして悪だと言えよう。

お国のためと思い

若い命を散らした人たちの遺書を見ると

涙が出てくる。

皆靖国で会いましょうとか

靖国へ会いに来て下さいと書いている。

御霊の眠っていない

別の場へ祀られても何の意味もない。

靖国は日本にとって永遠の場所であり

日本人の魂の根源であるような気がする。

靖国問題は外交問題としてではなく

日本国内の問題として

皆が真剣に考えるべき問題だと思う。

私は靖国神社へ参拝しようと思う。


2006年08月06日(日) 広島原爆の日

8時15分、起立して一分間の黙祷をした。

61年前の今日

あの広島へ原爆が投下された。

一瞬のうちに消え去った街と人の命を思うと

絶対にアメリカの原爆投下を許せない思いがする。

広島平和公園には原爆被爆者と家族が集まっていたが

暑さの中、二度と核兵器を使うことのない

平和な世界を皆望んでいることだと思う。

数年前に母と娘と三人で

広島を訪れ

原爆ドームや平和記念資料館を見て

核兵器の恐ろしさを改めて感じた。

核兵器保有国なんてなくなれば良いのに・・

そしてアメリカの大統領が

日本、広島で、

61年前の原爆投下を謝罪してほしいとさえ思った。

原爆で亡くなった人

また後遺症に闘っている人たちのためにも

核兵器廃絶を訴えていかなければならないと思う。

真の意味での日本自立は

堂々と日本の立場や見解を

世界の場で発言することによって

確立するのだとも思う。

世界で唯一の被爆国だからこそ

できることがあると思うのだが・・

真の平和とは?

皆が考える必要のある問題だと思う。


2006年08月05日(土) 魚の目

このひと月くらい前から

歩くと左足の裏が痛くて歩きづらくなってきた。

見てみると魚の目ができている。

きっと足に合わないサンダルを履いているせいだと思う。

それと夏場はソックスを履かないで

裸足で居ることが多いから

余計に痛いのだと思う。

この魚の目もそうだが

生きていると色んなことがあるものだ。

死んでしまったら

病も怪我もしないだろうし

痛さを感じることもない。

母がよく言っている言葉に

「痛いのは生きている証拠、有難いことだ」は

本当によく言い当てていると思う。

それにしても痛い。

魚の目を治す方法はどうしたら良いのだろう?

昔「スピール膏」というものを

母が足の裏に貼っていたことを覚えている。

今はもっと治療法も進んでいいのがあるかもしれない。

これ以上痛みが大きくならないうちに

何とかしなくっちゃ。


2006年08月04日(金) 王者らしく

亀田興毅選手の勝利について

色々な意見が出ている。

私は彼が以前から嫌いだ。

まあ、好き嫌いでものを言ったらいけないけれど

TVで見ていても

いつも不愉快な思いをしていた。

強いとか勝ったとか言った問題以前の

人間性について不愉快だった。

皆にちやほやされて育ったようにさえ感じた。

ボクシングしか知らない人生を歩んでいく彼の

今回の試合の前の彼の相手選手への発言や態度を見ていても

ああ〜やはり・・という思いがした。

試合の内容についてどうのこうのとは言わない。

判定が間違っていたかどうかは

審判員が決めることだし

たとえ判定が間違っていたとしても

それは仕方ないことだと思う。

でも、試合後のインタビューを見ていて

あのものの言い方に腹立たしい思いがした。

あの人を舐めたような態度、

19歳という年齢を考えても

もっとちゃんとした態度が取れないのだろうかと思った。

ため口で話すのも嫌だ。

サングラスをかけたまま

人を小馬鹿にしたような態度で話すのを見ると

彼を育て上げた父親を疑ってしまう。

あれも皆パフォーマンスだという意見もある。

もちろん試合は真剣勝負だっただろう。

でも、強ければそれでいいのだろうか。

勝てばそれが一番なのだろうか。

そんなものではないと思う。

世界中のトップに立つだけの

人としての品位を持って欲しい。

そうでなければ

いくら強くても

防衛戦で勝ったとしても

私は彼を認めない。

日本の恥だと思う。

まあ、考えようによったら

彼の存在がボクシング熱を煽ったことには間違いないし

TVの視聴率を見ても

皆が興味を持ったことは確かだ。

その点では貢献したことにはなるのだろう。

でも、もっと人としてのマナーを学んで欲しい。

成長して欲しい。

王者なら王者らしく・・



2006年08月03日(木) 自分のため?他人のため?

何かをするとき

しようと思う気持ちは

自分のために?

それとも他人のために?

どちらの気持ちから出るのだろう。

場合によって違うと思う。

何かをしてあげようと思うとき

相手を思ってすることが多い。

でも、これは自己満足に終わることもある。

私はどうだろう・・

父の看護は父のためを思ってやったことではあるけれど

結果的には私の気持ちのためにしていたように思う。

もちろん、

父への気持ちが一番だが、

後で自分が悔いないように

父を看病していたのかもしれないと思うときがある。

昔、母からこんな言葉を聞いたことがある。

「あなたの気は済んでも、相手の気は済まない」

昔は理解できなかった言葉だが

最近になってやっと分かるようになった。

他人へしてあげることが

その人の気持ちに反することだったら

それはありがた迷惑に過ぎない。

自己満足で自分勝手な行為になってしまう。

好意はときにそういう結果を招く。

心しなければならないことだ。

本当に相手が望むことをしてあげることが大切だ。

そしてそれより大切なことは

決して見返りを求めないことだ。

これをしておけば後できっと自分の得になるだろうという

気持ちを決して持ってはいけない。

自分の気持ちでしたからには

どんな結果が待っていても

それを受け入れるしかないのだと思う。


2006年08月02日(水) モラルの低下

今の日本のモラルの低下について放送を見た。

何かおかしい。

家庭ごみを分別しないで

コンビニのゴミ箱に捨てに来る。

自分の子供の給食費を払わない。

これは家庭が貧困で給食費が払えないという事情からではなく

車を持ち、ペットも飼いながら払わないのだ。

本当に変だ。

今の日本人がどうしてこうなってしまったのか?

それは昔からある日本の素晴らしい伝統や文化を

大事にしないで生きてきた

戦後の生き方に問題があるのではないだろうか。

昔は当たり前だったことをしなくなったのも同じだ。

そして人に迷惑をかけることを平気でする。

自分さえ良ければ良いと思う気持ち、

少しでも他人よりも勝ちたいと思う気持ち、

それらがこのモラルの低下をもたらしたのだろう。

今朝、私の画像掲示板に迷惑書き込みがあった。

いわゆるわいせつな画像と書き込みだ。

前に設定していた画像掲示板は

管理方法が分からず

削除だけでは間に合わないで使わないようにして

今の新しいものに変えたのに・・・

今回は管理できそうなので

今後またこういう書き込みがあったとしても

大丈夫だと思う。

でも、なぜこんなことをするのだろう。

人の迷惑になることをして楽しいのだろうか。

ああ〜〜本当に情けない人間が居るものだ。

これからの日本が心配でたまらない。


2006年08月01日(火) 迎え火

今日から8月だ。

お盆がやってくる。

いつもなら13日に迎え火をたくのだが

今年は父の新盆なので

今夜迎え火をたくことになった。

盆ちょうちんもつった。

餓鬼仏さんのために

食べ物をのせる

施餓鬼棚を用意した。

このちょうちんと迎え火を頼りに

昨日あの世に行ってしまった父が

私たちのいるところに帰ってくる。

きゅうりの馬と

茄子の牛を作って

お迎えをすることにもなっている。

迷信だと笑う人も居るだろう。

でも、今生きている人が

亡くなった人への思いを

こうして形にして表すものだと思う。

父が私たちの家にお盆の間帰ってくる。

そう思ったらなんだか嬉しくなった。

父の好物でもお供えして

父を待とうと思う。


スカーレット