スカーレットの心のつぶやき
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2006年06月26日(月) 初めてのこと

私がこの年になるまで

近親者の葬儀をあげることはなかった。

私の祖父は私が生まれる前に他界していたし

祖母は小さい頃だったのであまり覚えていない。

叔母や叔父の死は私自身が色々な段取りをする必要もなく

参列していればそれで済んだ。

夫の両親も元気で居てくれるから

葬儀をどういう風に執り行えばいいのか

全く分からなかった。

先日父が逝って初めて

葬儀がこんなにも大変なことだったのかを思い知った。

誰からか「喪主や家族は何もしなくてもいい、

只、悲しみにふけっていればいいのだ」と聞いたことがあるが、

これは全く違っていた。

父が亡くなった瞬間から

次々とすることが出てきて

父の死を悲しむ時間などなかった。

医者へ連絡して死亡確認をしてもらうと直ぐに葬儀社への連絡。

お通夜、葬儀、弔上げ、初七日・・・

本当にばたばたしてしまった。

今日は父の二七日だが

まだまだすることが残っている。

書類上の手続きも分からないながらも何とかできている。

母には負担をかけたくないから

姉と私とで頑張った。

でも、こうして忙しい日々の中で過ごすことが

かえってよかったのかもしれない。

四十九日が過ぎ

色々な雑事が終われば大したことではなかったと思えるのだろう。

そしてその時に初めて

父が居ないことをひしひしと感じるのかもしれない。

初めての葬儀を挙げたことが

私を少し良い意味で変えてくれた気がする。

父へ感謝しないといけないのかな・・・


2006年06月25日(日) 淋しさは・・・

父が居なくなったという現実を

母も私もなかなか受け入れることが出来ない。

今は入院していて居ないのだ、

いつか元気になってまた家に戻ってくるに違いない。

そんな風に思えて仕方がない。

でも、父は二度と私達の前に姿を見せることはないのだ。

たとえ、それぞれの心の中に父は生きていても

父の声を聞くことは出来ないし

父のあの顔を見ることは写真でしか出来ないのは事実だ。

父の四十九日は来月の末

7月31日だ。

その日は月曜日なので

親戚に集まってもらうためには都合が悪く

一日前の30日(日)にすることにした。

その時には納骨式もすることにしている。

今は父の遺影の前にあるお骨が

もうお墓の中に入ってしまうと思うと悲しい。

私は今実家に泊まり

朝と夕方の二回我が家に戻り家事をしているが

いつまでもこのままというわけにはいかない。

夫と娘にすまない気がするが

母を今は放っておくことが出来ない。

昼間は何とか気もまぎれているけれど

母が夜一人になることを思うと心配だ。

夫と娘には了解を得ようと思い

母の側に四十九日までは居たいと言った。

二人ともあまり機嫌は良くなかったけれど

今は特別の時なので分かってもらえた。

こうして母の側に居られる私は幸せだし

父もきっと安心していることだろう。

後一月余り私のわがままを聞いてもらおう。

夫と娘が不自由をしないように

私は出来る限りのことをしようと思っている。


2006年06月24日(土) 後悔

父が逝った。

一昨年の秋に病名が分かった時点で

今回のことは予想されていたし

私なりに覚悟も出来ていた。

でも、本当に父が逝き、

家の中に父の声も姿も消えてしまった今

私の心の中に

ぽっかりと穴があいてしまったような気がする。

父が入退院を繰り返していた頃から

亡くなるまでの一年七ヶ月の間

私は一生懸命に看病をしてきたつもりだった。

そして私の周りの人たちも皆

私に対して「よく看てあげたね、お父さんは幸せよ」と言ってくれる。

確かにそうかもしれないけれど

私の心の中では父に対して

もっと何か出来たのではないか?

あのときにもっとやさしい言葉をかけてあげていれば良かった・・

父が欲しがるカキ氷を制限などしないで

欲しがるだけ食べさせてあげればよかった・・

色々な後悔が胸の中を走る。

姉は「何も悔いはない、できることはした」と言う。

そう思える姉が不思議だ。

父の居ない実家で今も過ごす私は

ふいに父のあの笑顔を思い出し胸がいっぱいになって

涙があふれてくる。

父はもう居ないのだ・・ということが

事実として私を襲ってくる。

父に会いたい。

もう一度父の側で看病をしたい。

でも、時は戻らない。

辛い・・

母も同じ、否私以上の気持ちに違いない。

残された母を支えなければ・・

母には父の分まで長生きしてほしいと心から思う。


スカーレット