スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2005年06月30日(木) あなたのおかげで

   「あなたのおかげで」

生きてください

悲しみや苦しみと向かい合い

今をけんめいに生きている

その姿に励まされ

いやされて生きる力を

いただいて今を生かされ

生きています

ぜったいにあきらめないで

生きつづけてください

一人の祈りが万人の祈りに

一人の幸せ万人の幸せに


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誠さんの言葉は読む人の心を打つ。

心に響いてくる。

それはきっと誠さんが苦しさを乗り越えて

生きる意味や生かされている事への感謝の心を見出して

本当に心の底から感じた言葉だからだと思う。

今のこの世の中は生きるのが難しい。

人と人との心の結びつきが希薄になっている。

「心と心の手を結ぼう」という言葉は

数年前に賞をもらった私の絵手紙の言葉だ。

今、世界中の人たちが

お互いに「あなたのおかげで」という気持ちを持てば

凄惨な戦争や殺し合い、憎しみ合いなんてなくなるはずだ。

でも、これが出来ないのが人間の悲しさなのだろう。

いつも「あなたのおかげで」という気持ちで生きていったら

傲慢な気持ちはなくなるであろうし、

人のせいにすることもなくなると思う。

そして皆の心は感謝でいっぱいになると思う。

こんな私も「あなたのおかげで」と言ったことがある人が居る。

あの人が居てくれたから

私は生きる元気な心を持てた。

あの人が居てくれたから

どんな嫌なことも嫌だと感じずに済んだ。

あの頃の私の心はとてもピュアだったと思う。

あれから年月が経つに連れて

あのピュアな心が少しずつ曇ってきて

段々と暗く嫌な私になってきていた。

もう一度「あなたのおかげで」という気持ちを持ってみよう。

愛した人へ思うだけでなく

私の周りに居る人皆に対して

「あなたのおかげで」という気持ちを持ってみよう。

私が変われば周りは変わる。

当たり前のことだけどこれがなかなか難しい。

あの人に対して感じた心を

もう一度取り戻したいと思う。

そして、私の幸せが私の周りの人の幸せへ

繋がっていることを忘れないで居たいと思う。


2005年06月29日(水) すべて空っぽ

     「すべて空っぽ」

人生一日の寿命です

我を捨てる我をすてろ

こだわりを無くしたら

すべてが軽くなり

すべてが新鮮になる

心を空っぽにしたら

新しい気力が湧いてくる

生かされて生かされて

今を生きています


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この誠さんの詩からはちょっと外れるかもしれないけれど

心の中が空っぽの方が

幸せになれるって知らなかった。

自分の幸せを人におすそ分けしてあげて

自分の今の幸せを無にして

心の中の幸せを空っぽにしたら

神様が次の幸せを持って来てくれるそうな。

欲深く

いつまでも自分の今の幸せを逃がさないと

頑張ってそれにしがみついていたら

もうそれ以上の幸せはやってこない。

自分の幸せを人におすそわけしてあげる・・

なんて良い言葉だろう。

心の中をいつも空っぽにしておけば

辛いことや苦しいことを嘆いたり

悩む必要はなくなる。

誠さんのいうように

いつも空っぽにしておけば

新鮮な心になれる。

新しい風が吹いてくる。

毎日がとても楽しく明るいものに感じることが出来る。

執着しやすい私には耳の痛い話だけれど

あまり一つのことに拘って

狭い心で過ごすのはやめよう。

心を空っぽに

物事に拘らず

いつも生かされている事への感謝の心を忘れずに

生きていけたらきっと幸せは向こうからやってくるのだと思う。

でも、幸せは待っているものではなく

自分で探し見つけるものかもしれない。

自分で探そうとやってこようと

心を空っぽにしていないと

その幸せの部屋は心になくなってしまうな。

心を空っぽって易しそうでちょっと難しい気がする。


2005年06月28日(火) 前向きに生きる

      「前向きに生きる」

悲しみやつらさから

誰だって逃げたい

後ろ向きの人生の中からは

何のいやしも生まれて

来ないのです

人生にまごころをつくすことを

怠ってはいないだろうか

悲しみや苦しみを感謝に

代えた時道がひらけ

光が見えてくるのです


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昨日、誠さんから頂いたビデオを見た。

今年の春、

横浜で開かれた「鳥の会」で

誠さんが司会進行をしながら

ご自分の体験を話された。

5年前の事故から

今、こうして誠さんが店先で筆を取って書けるまでに

回復された経験を

涙を交えながらお話をしていた。

生きると言う意味、

生かされているという意味、

どんなに辛くても

どんなに苦しくても

生きているということへの感謝の気持ちを持って

前向きに生きることの大切さを訴えていた。

きっとこの詩や話だけでは分からない

辛さや苦しさがあったはずだ。

でも、誠さんのあの笑顔からは

想像することもできない。

死のためのリハビリが生きるためのリハビリに変わった

心の変化はやはり真民先生の言葉

先生の教えによるものだということが分かった。

私も何度も死の淵に立ったことがある。

でも、今でもいつも後ろを見て

後悔ばかりの人生を送っている。

済んだことを振り返って

夜も寝ないで考えたとしても

それからは何も生まれないのだ。

前向きに考えて人の前では笑顔で、

弱音を吐きたいときは夜一人で蒲団の中ではけば良い。

前向きに生きていたら

必ずご褒美ももらえる。

自分の今の幸せを愚痴っていたら

いくら望んでも幸せにはなれない。

私も部屋の片隅に膝を抱えて座ることが多いが

こんなことをしたって何も良い結果は生まれない。

私も強い心で明るく前向きに生きて行きたいと

心から思う。


2005年06月27日(月) 今ここに

     「今ここに」

今を大切に生きたい

今が過去となり

今が未来へと新しい

世界を創る

光キラキラ風サラサラ

念じて生きたい

信じて生きたい

ありがとうの心です


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私はいつも思っている。

時間、時って不思議だと。

今という時間はもう二度と戻ってこない。

一秒前に思ったことやしたことは

皆過去になる。

今というときは本当に短い。

否、短いというよりも初めからないのかもしれない。

今が過去になり

未来が今になり

その連続であり今は存在しない・・・

そんな気がしてくるのだ。

今ここに自分が居るということ、

今ここに何かが見えるということ、

今ここに何かを聞いているということ、

それらは全て一瞬のうちに過去のものとなってしまう。

だからこそ、

誠さんの言うとおり、

今をありがとうの心で過ごさないといけないのだと思う。

今が無だと思わないで、

今が未来に繋がると信じて

今の思いを念じながら

悔いのないような今を生きたい。

キラキラ光る今の先にあるものを

この心で信じて生きたいと思う。


2005年06月26日(日) 一本のマフラー

      「一本のマフラー」

首があったかいと風邪にかかりにくいです

母の手編みのマフラーを頂いた良き友から

一本のマフラーが無限にのびて

首だけでなく体中を温かくつつみこんだ

編む人の優しさ温かさ笑顔となり

活動となって心につたわってくる

本当にありがたく編む人の思いが

胸にしみてくる

いつも前向きに生きていられると

少し恥ずかしい

只、今をありがたく

生きているだけですよ

久しぶりの冬晴れの光が

良かったねと声をかけてくれた

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誠さんの手編みのマフラーに対する気持ちがよく分かった。

手編み、手作り、手描き、手書きって本当にありがたいものだ。

作る人、

編む人、

縫う人、

描く人、

書く人、

それぞれの人の気持が入っている。

今のように何でもが機械化され、

昔のように手作りや手書きのものが珍しくなると

こうして心のこもったものを頂くと

心の底からありがたく嬉しいものだ。

心の温かさ、

心の優しさが直に伝わってくる。

誠さんの生き方がまわりの人たちの心を動かしているのだと思う。

私が一生懸命にしていても

あまり家族の者たちに感謝されないのは

きっと私に徳がないからだろうと思う。

相手のことを思ってしたことでも

それが裏目に出ることが多い。

子育てもそうだったし

夫婦の間の心の交流のそうだった。

全て、私の生き方や考え方が間違っているのだろう。

誠さんのように、

今をただありがたいと感じ

生きていることを感謝して

前向きに生きられたら

私の周りの者たちもきっと変わるのだと思う。

一本のマフラーの詩で色々なことを思った。



2005年06月25日(土) 潤滑油

       「潤滑油」

最高級の車でもオイルが切れたら

只の鉄くずとなる

人間は人の間と書く

人それぞれに一歩退いて

間を作りその中に

仏さまから与えられた最高の

五文字のオイルを沢山流した時

戦争は無くなり幼い子供たちの

命が失われずにすむ

ありがとうは宇宙から与えられた

人間社会の最高の潤滑油

ありがとう ありがたいと

声に出して云いつづけたい


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何かちょっとした気持ちの行き違いで

それまで築いてきたものが一気に崩れてしまうことがある。

友人関係でも、夫婦の関係でも、

たとえ愛し合っている恋人同士の間でも起きることがある。

人ってとても悲しい存在だ。

自分の気持を人に分かってもらいたいと思っても、

その気持ちが素直に伝わらない時がある。

反対に、相手の気持ちを自分勝手に誤解して

変な方向へ考えてしまうことだってある。

人間関係には誠さんの言うとおり

何か潤滑油の働きをするものが不可欠なのだと思う。

そして、その潤滑油になってくれるのが

「ありがとう」というたった五文字の言葉なのだ。

夫婦、親子の間ではお互いに

照れくさくて言えないこともあるだろう。

他人になら直ぐに「ありがとう」と言えるのに

なかなか言葉が出ないときがある。

でも、心の中でありがたいと思っているのなら

その気持ちを素直に言葉にしてみたいものだ。

初めは照れくさいかもしれないけれど

一度口にしたら後は何でもなくなるはず。

「ありがとう」

なんという素晴らしいステキな言葉だろう。

人間にしか与えられていない言葉の中で

一番ステキな言葉だと思う。

誠さんの詩の中にある

「ありがとうは宇宙から与えられた

人間社会の最高の潤滑油」と言う言葉を

今日改めてそうだ!と思った。

今日の私はこの「ありがとう」の言葉を

一日何度口にすることが出来るかな・・・・





2005年06月24日(金) 心の豊かさ


「心の豊かさ」

貧しさのどん底の中で

生きている二人の子供が

コンサートに行きたいと話し出した

一円のお金も大切にしたい時だった

共に年中無休で働いている

子ども達の願いを黙って聞いた

友人にお金を借りて黙って渡した

お金の貧しさは耐えられる

どんなに貧しくとも

せめて

心豊かに生きていたいと

願い祈る時代があった


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「お金はなくても心だけは豊かで居たい」と思うのは

皆同じだと思う。

昔、私が生まれた頃は終戦後10年も経っていなくて

まだまだ日本は貧しかった。

焼け跡に建てられた長屋住まいだった私の家は

父一人で働いてやっとの思いで生活していた。

毎日のお米を買うお金も

父の月給前には買うことができない状態になり

母はお米屋さんにつけで買ったと言う。

その頃の姉と私は幼かったから

そんな家の状態など理解することはできなかった。

幼かったというだけではなく、

母はそのようなことを私たちに微塵も気づかせることがなかった。

学校の教材やおやつも買ってもらった。

惨めな思いなどしたことはなかった。

それは、母の親としての心遣いだったのだと思う。

あの頃、物はなく暑さ寒さをしのぐのも大変だったけれど、

決して不幸だと思ったことはない。

誠さんの言うとおり、

お金がなくても心は豊かだったように思う。

あれから50年以上経った今の日本は

昔よりも豊かではあるけれど、

人の心は昔の方が豊かだったような気がする。

お金や物がないことの貧しさよりも

家族同士の思いやりや優しさ、

近所との親しさなどがあったからだと思う。

今の日本にもこういう心の豊かさが必要なのだとつくづく思う。


2005年06月23日(木) てかがみ投稿「母の味」

数日前に新聞社に送った投稿が今朝の新聞に載った。

今日は「てかがみ特集」に載った。

私以外の数人の投稿からは心が伝わってきた。

今回は家族に対する気持ちを書いている投稿ばかりだった。

やはり載るということは嬉しいし励みになる。

これからも書き続けて行きたいと思う。

それと、このつぶやきがもうすぐ40000になります。

40000番をゲットされた方は下のメールアドレスまでお知らせくださ

い。

心ばかりのプレゼントを用意しています。
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     「母の味」

梅雨に入って、何となく食欲減退の時季になった。

私には苦手な季節だ。

栄養のバランスの良いものを食べなくてはいけないと思うのだが、

どうしてもあっさりしたものばかり食べている。

今日も何を食べようかと思っていたら、

母が自分で漬けたキュウリのぬか漬けをくれた。

「ああこれだ、この味だ、おいしいな」。

丸かじりをしながら

「これこそ母の味だ」と思った。

母に作り方を教えてもらった。

まずぬかに、こうじを入れビールでぬか床を練る。

そして、根コンブや唐辛子、食パンの耳も入れる。

初めは水分が出るのでおいしくないが、

しばらくすると床がなじんでおいしいぬか漬けになる。

漬けるものは何でもよい。

ダイコやキャベツ、ニンジン、ハクサイ、アスパラガスなど

冷蔵庫の中の片付けのつもりで何でも漬ける。

ぬかにはビタミンB1が含まれているから栄養的にも良い。

母手作りのキュウリのぬか漬けを輪切りにして、

朝、トーストの上に乗せて食べると本当においしい。

ひしおと食べれば、ほかにおかずはいらないと思う。

母も年を取った。

これからは母に代わって私がぬか漬けを作り、

母の味を娘に伝えたいと思う。


2005年06月22日(水) 幸せになりたい

「幸せになりたい」

幸せに生きるためにはお金が欲しい

幸せに生きるため一生元気でいたい

幸せに生きるために

良い家族を持ち利口な子を生み育て暮らしたいと

幸せの願いは果てしなくつづく

苦労はいやだ・・・と

貧しさの中に、

病の中に、

苦しみの中にも

小さな幸せが間鳴らすあるということを知った

半分不幸せ半分

上りがあって下りがある

それが宇宙の法則

不自由は体の中に幸せを感じて

今をありがとうの心で生きています

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人は皆誰でも幸せになりたいと願って生きている。

生きる意味はここにあるのだろう。

ちょっとした心の持ちかた一つで

幸せにも不幸せにもなれる。

誠さんの人生も苦労が多かったのだろう。

でも、貧しさの中にも幸せはある。

病の中にも幸せを感じることは出来る。

人は孤独だ。

生まれてくる時も一人なら

死んで行くときも一人だ。

どんなに愛し合っている夫婦でも恋人でも

また親子でも、

死ぬときは決して一緒に死ぬことは出来ない。

結局人は生まれた時から死ぬまで

孤独の中で生きているのだ。

そしてその孤独と共に生きることこそ

人生なのだと思う。

孤独というものは一人で居ることではなく、

誰にも自分の存在や考えを認められないことから生まれるものだと思う。

人間は人の人の間と書く。

人は人の支えなしでは生きることは出来ないのだ。

どんなに強い人でも同じだと思う。

私は弱い人間だ。

落ち込みも激しい。

でも、こうしていっぱいの人たちに支えられている。

生きよう。

幸せだと感じて有難うの気持ちで生きよう。

今日も始まった。

幸せになりたい・・・


2005年06月21日(火) 生きていればこそ

生きていればこそ

生きているから悲しみがあり

生きているから悩み苦しみ

生きているから別れの辛さがある

生きているから不治の病と出会い

生きているから死の怖さに怯える

逃げられない人生がここにある

今ある命を真正面から見つめて

ありがとうと両手を合わせたとき

光と風が生きてくださいと声をかけてくれる

生きていればこそ

生きていればこそ

生かされている今がありがたい

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生きるということ、

本当に生きるということ、

生かされているということ、

今の私は生きている意味が分からない。

昔若い頃、人生に絶望して死を考えたとき、

あの時の気持ちと同じようなき持ちになっている今の私。

これではいけないと思うけれど、

つい、もういなくなったらどんなに楽だろうと考えてしまう。

死ぬということ、

両親、夫、娘、友人たちを残して死ぬということ、

これは最大の裏切りだと思う。

でも、今の私は本当に消えたいと思う。

このまま消えたらどんなに楽だろう・・

何をしていても楽しくなくて

何をしていても悲しくて、

何もしたくないと思っても頑張っている私が居る。

ああ〜嫌だ。

こんな自分がとても嫌だ。

誠さんの詩を載せる資格なんてない。

でも、鬱々としたこの気分をどうすることも出来ない。

でも、毎日が過ぎていく。

朝が来て夜になってまた朝が来て・・

この繰り返しの日々に何を求めているのだろう。

ああ〜本当にしんどい。

体も心もしんどい。

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)



2005年06月20日(月) 誠さんの世界 再び

      「新しい息吹を」

日だまりを求めて新しい空気を吸い

ゆっくり歩く正月の朝

南向きの駐車場の片隅に

雑草が芽を出し始めた

嬉しい!

その中に桜草のピンクのつぼみが頭をのぞかせている

「生きていますよ!と

自分に声をかけてくれた

どこから運んで来たのだろうか

幸せですかと声をかけたら

静かに少し頭を下げた

共に生きているということが

幸せありがとうとお礼を言って車をとめた

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誠さんは、こんな小さなことにも幸せを感じることが出来る人なのだ。

私とは偉い違いだ。

私は駄目だなあ・・・と思う。

この間から胃の具合がとても悪い。

痛むし、重苦しいし、食欲もないし・・・

昨夜はまた吐いてしまった。

吐いたものに血が混じっていた。

本当に欲しくない。

何もしたくない。

頑張るのが辛い。

朝から化粧もせず、

家事もせず、

一日眠れたらどんなに良いだろう・・

でも、出来ない。

毎日の母の病院への送り迎え、

買い物、掃除、洗濯、炊事,

いつもと同じことの繰り返しの毎日。

体調が良いときは同じことをしても苦にならない。

今はとてもしんどい、

何もかも放り投げて

何所か知らないところへ行ってしまいたい。

こんな気持ちで誠さんの詩を読むと

恥ずかしくて穴に入りたい気分になる。

がんばらなくちゃ!!

でも、しんどい・・

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)


2005年06月19日(日) 父の日に

今日は6月第3日曜日、

父の日だ。

TVのコマーシャルで

「父の日は母の日のおまけです」という言葉を耳にした。

(・_・?) ン?

何か変だと思った。

何故父の日が母の日のおまけなのか?

昨日の同じコマーシャルでは

この部分だけがカットされていた。

もしかしたらどこかからクレームが来たのかもしれないと思った。

父の日が母の日のおまけなんてことは絶対にない。

母の日と父の日は

子どもにとって同じ位置にあるものだ。

父は偉大であると思う。

私の父はとても真面目でやさしくて

誰からも好かれる人だ。

そんな父なのに、

私は若いころ、父のことが鬱陶しいと思ったこともある。

今思うと何故そんなに反発をおぼえたのかと悔やまれる。

去年の暮れからの父の入院の看護で

今はまた父との絆を改めて作り直したような気がしている。

あれからの父は小康状態を保っているものの

日によって体調が悪い日が多くなった。

最近とてもしんどそうだ。

見るのも辛い時がある。

顔を見に行っても何となく目をそらしている私が居る。

父の痩せた姿を見ると涙が出そうになる。

父が機嫌が良いととても嬉しい。

父の声が聞こえると嬉しい。

でも、この頃は父の声は弱くなるばかりで

私が行っても直ぐに二階に上がってしまう。

私が父の日のプレゼントを何にしようか・・と思って

父に聞いても何もいらないと言った。

もう何も欲しいものはないと言う。

あれほど人からプレゼントされるのが好きだった父が

今はもう何も欲しくないと言っている。

淋しい気がする。

母のようにお洒落をしたい気持ちがあることが

元気の源のような気がする。

今日はせめて父の食べれそうなものを持って行こうと思う。

そして父の「美味しいな」という言葉を聞きたいと思う。


2005年06月18日(土) 七十二歳の酉年に

     「七十二歳の酉年に」

平成12年の事故で

首から下が全身麻痺になって6年目の春を迎える

最初の三ヶ月はただ死を考えた

そして真民先生がすべて光となり道が開けると言われた

生きること

何としてでも生きること

ただ一途に信じ念じて生きて証を立てた

今年は酉年節目の年だ

家族のため

良き師、良き友のたに何かをしなくてはと思う

今を生きる目的を持ったとき

つらさ、不眠、悲しみがあっても

不幸せの言葉が無くなった

たとえどんな小さなことでも

お役に立つことをしなければと願う

平成17年正月の朝


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誠さんは今年が年男だ。

今年で七十二歳になる。

母とは一回り、真民先生とは二周り違うことになる。

誠さんの人生は

五年前の事故で180度変わった。

でも、それが今の誠さんと作ったのだと思う。

もし、事故に合わず元気でパン屋さんを営んでいたら

今の誠さんはなかったかもしれない。

ご自分が苦しい思いをして

死というものを目の前にして

初めて生きる意味、

感謝する心を再認識したのではないだろうか。

私も今まで何回も死に直面し

二度と立ち直れないであろう経験もしてきた。

だからこそ、今の私があるのだと思う。

今の私のこの小さいながらも幸せな毎日が

私にとっては一番の収穫だったように思う。

あの辛かった出来事は

私の今の幸せへのプレリュードだったような気がする。

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)


2005年06月17日(金) 光 ひかる

     「光 ひかる」

足早に去っていく灰色の雲間から

一筋の光が桜の小枝と通り抜けて

雲辺を照らす12月の朝

幸せな思いが心をいやしてくれる

どうしてもと願いをたて

年中無休で働いて念願の家を興した

店はお客さまのためにある

光ある店であり

光の人でありつづけたい

寝たきりになると告げられて五年

人様のお役に立つ生きざまを求め

今を幸せに生きています

来年は自分の酉年

それ故に心新たに生きねばと思う

鳥は飛ばねばならぬ

人は生きねばならぬ

平成16年12月27日の朝の光

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この詩からは誠さんの心が感じられる。

心が見えてくる。

光ある店で、

光の人となって

世の中の人のためになりたいという

誠さんって本当に素晴らしい人だと思う。

障害を持ち人に迷惑をかけて生きていると言う誠さん、

でも、そんなことはない。

誠さんが存在するだけで

人に生きる希望を与えてくれる。

皆の気持ちを明るくしてくれる。

これこそ、誠さんの言う

光の人ではないだろうか。

あなたがそこに居るだけで

周りの空気が柔らかくなってくる・・・

私はそんな言葉は一生言ってもらえないであろう。

でも、私が居るだけで周りが明るくなると良いな。

光 ひかるそんな存在になれたらどんなに良いだろう。


(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)


2005年06月16日(木) 幸せの姿

      「幸せの姿」

鮎や鮭たちが子から親へと育ち

母なる川を上り

上りつめて

子孫を残して命を全うして自然に帰っていく

その姿の中に・・

春の季を感じたタンポポが芽を出して花を咲かせ

綿毛となりて天空を舞う美しさ

ととめを果たした茎の清々しいその姿の中に

命のとうとさと生きることの美しさを

見つめ感動を覚える

思わず幸せですかと声をかけたくなった

お金を持たない人たちが

本当に不幸せな人生だと

言えるのだろうか

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幸せの基準はないと思う。

お金持ちはお金持ちの幸があるだろう。

美人なら生きていく上で得することも多いだろう。

仕事で成功して名誉を得た人は

自己満足出来るだとう。

人の幸せを云々するのではなくて

自分自身の心の中の幸せを感じることが出来たら

それが一番の幸せだと思う。

自然の中の営みはそれだけで素晴らしい。

肌で感じる風の清々しさ、

降る雨に地面が潤う素晴らしさ、

花や蝶が飛び交う春の暖かさ、

冬の厳しい寒さの中でふと芽を出したふきのとう、

それらのもの全てに命を感じ、

それらのもの全てを愛しく感じることが出来たら

本当に心の中は幸せでいっぱいになるのだと思う。

誠さんも日々の暮らしの中で

そんな何気ないことに幸せの姿を見つけている。

100人居れば100通りの幸せを

神様はきっと作っているのだと思う。

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)



2005年06月15日(水) 幸せと不幸せ

「幸せ 不幸せ」

日だまりを求めて車椅子で

ゆっくり歩いては止めながら

空を見上げる12月の天空下

真白い雲が音もなく流れて行く

雲の流れと共に

いたみ、しびれを耐えながら

静かに時期のくるのを待っている

時にはこの世から逃げ出したいつらさもある

障害や病が不幸せだと思わない

障害と共にこの世を生きている

幸せがいっぱいある

幸せって何だろう

流れ雲を見つめたら

雲に声をかけたくなった


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誠さんも人だ。

神様ではない。

だから、時には痛みやしびれの辛さから

どうにかして逃れたいと思うこともあるのだろう。

障害はときに人を苦しめるものではあるが

また人を強くするきっかけになるものでもある。

空の雲の流れを見ていると

今自分自身が悩んでいることが

馬鹿げているように感じるときがある。

私も障害者だ。

見かけでは分からないけれど

内臓疾患のために第一種一級の障害者手帳を持っている。

心臓病のことでこの世から逃げ出したいと思ったことはない。

生まれついたものだから

それを不幸だとか悲しいとか思ったことはない。

でも、そのことが自分自身の人生に大きな影響力を持ったことは確かだ。

負けたくないという

強い気持ちが持てたし、

またその強さの裏返しの

自分の弱さを知ることも出来た。

他に対する優しさも知ることが出来た。

今ではよかったとさえ思える。

誠さんのいうように

幸せってなんだろう?と思うときがある。

そして、その答えは死ぬ時に分かるのだと思う。

今日も梅雨の晴れ間の青空を見上げて

流れ行く雲を見て居たいと思う。

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)




2005年06月14日(火) ねがい

「ねがい」

人目につかない日だまりの

片隅に小さな芽が出て花咲き

小さな種を残して人知れず

散って行く、

その生きざま

横浜のとりの碑の上を

自由に飛び回れたら

羽根がほしい、

大きな羽根が

一つ願い一つをしとげ

花を咲かせよ良い実を結ぶ

人生どんなにつらくても

最后は不幸半分幸せ半分

つじつま合わせtれあの世に行ける

花の様に、とりの様に

光キラキラ、風サラサラと

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誠さんの願いが胸に響いてきた

もしも大きな羽根があったら

自由に空を飛んで

行きたいところに行けるのに・・

小さな花が人知れず芽を出し

そこに命の花を咲かせるその様子を見て

鳥のように

花のように

自然体で生きることが出来たら

本当にどんなに良いだろう。

花のように

風のように・・

私の心も自由に空を飛び

楽になって

今のこの苦しい

辛いことから

きっと逃れることができるはず

否、そうじゃなくて

意識の中から

心の中から

あの人を消して

また新しい

気持ちを再生しなくっちゃ・・

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)







2005年06月13日(月) 「明と暗」

「明と暗」

冬晴れの店先で

人と逢う楽しさ

あかりに声を聞きながら

二本の指で文字を書く幸せ

いたみ、しびれが続いても

きっと良い日が来ると念じて

ありがとうございます。と

笑顔でお客様に声をかける

生かされているありがたさ

店先からベッドの上に一人居る

いたみを息を止めてじっと耐える

夜が来る

ふとんをかぶって死んだら

楽になるのにと一人で大声を出す

本音とたてまえ、

どちらが真実

ただ夜明けを待つ今


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誠さんは毎日二時間しか寝ないという。

痛み止めの座薬が二時間しか効かないからだという。

夜中の一時に目が覚めて、

後二時間もすれば夜明けが来ると思うと、

眠れなくても色々なことを考えながら朝を待つらしい。

痛いとは決して言わない誠さん、

本音と建て前、

明と暗。

誠さんの本当の心の中には

私と同じ苦しみや悩みも存在しているのだ。

でも、弱音を吐かず、

生かされていることへの感謝の気持ちでいっぱいの

誠さんの姿の前で、

私はただうなだれている。

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)




2005年06月12日(日) 誠さんの言葉

海の見える小さな田舎町で

家族でパンを焼いている

まことやさんのご主人誠さん、

五年前に事故で脊椎損傷をして身障者になった。

体が動かず痛みとの戦いの中で

真民先生と出会って誠さんの人生は180度変わった。

生きるということ、生かされているということ、

それは皆ただありがたいと思う気持ちに尽きるという。

私の日々悩み苦しんでいる心に訴えてきて

私の心を浄化してくれる誠さんの詩集第九集が

昨日送られてきた。

読んでいくうちに

今まで悩み続けていた私の心に

一筋の光がさしてきたような気がする。

20ページほどの詩集の中の

誠さんの言葉を私のこころの中でつぶやいている。

今日からここに書いてみようと思う。

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「お世話になった皆さまへありがとうの心をつたえたい」第九集

  「裸木」

雲一つない青空の下で

一本の銀杏がひかり輝いた11月の末

一夜の風で裸来となった

桜も朴も葉を落として

空が明るく光り広く見えてきた

足元につわぶき、山茶花の花

天空に向って立つ裸木の美しさ

冬のきびしさに耐えて立つ姿に

リンリンと冬の命の声が聞こえ

今を生きている息吹がつたわってくる

生かされている今のありがたさを

大きく息を吸い込み感じたい

四年目の冬の裸木たちよ

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冬の空に向って颯爽と立っている裸木の強さを感じた。

(誠さんの了解を得て載せています。尚、転用、転載はお断りします。)



2005年06月11日(土) 生まれるということ

この世に生まれてくるということは

自分自身の意思でしたことではない。

誰の意思で生まれてきたのかと思うとき、

それは何か大きな力で生まれさせられたような気がする。

昨日読み終えた白石一文の「僕の中の壊れていない部分」の中に

次のような文章があった。

人は何のために生まれさせられたのか?

人は育つために生まれさせられたのだ。

人を生かし、相手を生かし、喜ばし、伸ばし、守ること、

ここに全身全霊をつくすことが毎日の課業であり、

自分の一日一日を全力をかためつくして

自分を空にして相手にささげ、

相手を許し、相手を伸ばすことに努力していくことが

自分もまた幸福になる道である。

そして、日々に生きゆく姿は、

日々に死にゆく姿だと思えば、

もの皆有り難く感じることが出来る。

活き活きと生きゆくことが

活き活きと死にゆくことだと納得すれば心やすらぐ。

生きるということはこんなことなのか・・・

言葉では簡単に言えるけれど、

この通りに生きるって難しいと思った。

人は死に向って日々生きている。

毎日笑い、怒り、泣き、悲しみながら、

毎日の喧騒と怠惰と無意味さの中で生きている。

心の持ち方一つを変えただけで、

それまでの暗闇の中から

夏の日差しの中を歩くことが出来る。

同じ一度の人生なのだから

真っ暗な穴の中を手探り状態で歩くのではなく、

明るい光の射す日向を歩いて行きたい。

人のために何かできることがあるならば、

その人はとても幸せだと思う。

世のため、人のための人生を歩むって

本当に難しいし素晴らしいことだと思う。

そんな素晴らしい人生を歩むことが出来なくても、

自分の歩こうとしている道が

石ころだらけの道であっても、

転びながらも決して諦めない

そんな強い心を持って歩いて行きたい。

生まれさせられたのなら

育って行きたい。

相手を許し、相手に自分自身の心を捧げつくす、

こんな生き方が出来たらどんなに良いだろう。


2005年06月10日(金) 暗闇の中を

思いっきりあなたのことを嫌いになれればどんなに楽だろう。

心の底から憎むことが出来たらどんなに楽だろう。

あなたに私のこの思いをぶつけることが出来たらどんなに良いだろう。

今の私のこのなんとも言えない迷いは何?

嫌われたくないから、何も言えないのか、

まだ先のことを期待しているから何も話せないのか、

それとも・・

私の心が分からない。

何もかもわかっていたはずなのに、

それなのに、こうしてまた落ち込んでいる私が居る。

もうこんな思いをしたくないって思って、

あなたのことを許すことが出来て、

私自身の中で納得しようと思ったことなのに、

でも、いつもまた原点に戻ってしまう。

気持ちが分からなくなる。

あなたが言った言葉の意味を

理解しようとして一生懸命に考えるけれど、

いつも私の頭の中で空回りをしている。

どうして?

あなたに何も求めることなく、

ただ、あなたの良いようにしてあげれば良いのだ。

分かってる。

でも、私も生きている。

呼吸して、心臓の鼓動を聞きながら生きている。

私も生身の人間だ。

辛ければ泣きたいし、

腹が立ったら怒りたい。

でも、あなたはそんな私を駄目だと言う。

腹を立てず、泣かないでいつも平静な気持ちになれと言う。

自分が自分の奴隷にならぬようにしろと言う。

それならばあなたは神様なのか?

神様なら私の心を救ってよ。

助けてよ。

こんな気持ちの私のことから逃げないでよ。

私には分からない。

今、私は自分自身が生きている意味も、存在価値も分からない。

でも、日々はまるで何事もなかったかのように過ぎていく。

その何事もなかったかのように過ぎる日々の中で

私は一人迷子になって、彷徨っている。

光を求めて彷徨っている。

目の前に一本の光が見えてきたら、

私もこの暗闇の中を歩いていける。

あなたのことを考えずに生きていける。

情けない、本当に情けない。

私にはもっともっと大事なことがあるのに、

私にはとても大切なものがあるのに、

今の私はそれすら失いかけているのではないだろうか。

あなたの存在を消してしまいたい。

あなたを私の心の中から抹殺したい。

そして、本当の私を見つけたい。

ああ〜でも、そんな日は来るのだろうか。

今日もまた真っ暗な世界の中を手探り状態で歩くのだろうか。


2005年06月09日(木) 愚痴

愚痴なんて言いたくない。

でも、ここは私の心を助けてくれる所だ。

だから、私は書いている。

人がどう思っても良い。

書くことで私の心が少しでも楽になるのならそれで良い。

情けない・・

本当に弱い私。

端から見たらきっと元気で生き生きとしているって思うのだろうな・・

でも、違うのよね。

本当の私は小さいことでくよくよして

天風先生の言葉なんかどこかへ吹っ飛んでしまっている。

心元気で居られたらどんなに良いだろう。

体がしんどくても不自由でも、

心が元気なら生きていける。

人が生きるのに必要なのは元気な精神だ。

私は駄目だ・・

もう駄目だ・・

何回もそう思いながら、また気を取り直して今まで来た。

でも、時に物凄く虚しくて悲しくて

もうどうしようもない気持ちになるときがある。

原因は一つ。

分かっている。

分かっているのにどうしようもない。

こんな気持ちを知っているのだろうか?

平気で居られるのだろうか?

私を試してるのかな?

私が言った言葉が本当なのかどうか

試しているのかな?

それならそれでも良い。

もう良い。

考えるのはやめよう。

人の気持に振り回されるのはやめよう。

もっと強くなりたい。

揺らぐことのない精神力を持ちたい。

そして忘れたい・・


2005年06月08日(水) 生まれてきた目的

人は何のために生まれてきたのだろう。

自分の意思に関わらず、

この世に送り込まれる。

何のために生きていけば良いのか?

そんな疑問を初めて持ったのは

高校生の時だったと思う。

生きる意味や生きる目的を考えているうちに

何が何だか分からなくなって、

生きるのがいやになって、

死にたくなって、

それでも、その頃は死ぬ勇気もなくて、

ただ、毎日を何も考えずに生きていたように思う。

人は死ぬために生まれてくる。

どんな人も必ず死ぬ。

どんなに金持ちでもお金で命を買うことや

延命を買うことは出来ない。

人はいずれ死ぬものだということが分かっているからこそ

今という時間を大切に出来るのかもしれない。

どうでも良い生き方をするのとそうでないのとでは全く違ってくる。

同じ生きるのなら良い死に方のできる生き方をしたい。

ダイコンは何のために生まれてきたのだろう。

人間に美味しいと言って食べてもらえるために生まれてくるのだと思う。

もし、ダイコンが自分は食べられて嫌だと思ったら、

もうダイコンの美味しさは消えてしまうのだと思う。

人間が美味しいと言って食べてくれるからこそ

あの真っ白な体の中に

水分や栄養分や美味しさを閉じ込めているのだと思う。

人もそう。

人は育つために生まれてきたのだと思う。

育つということは人を向上させる。

自暴自棄にならず、

悪い道にも走らず、

命を大切にして、

人のため、世のために生きることが

やはり一番大切なことだと思う。

生まれて死ぬまでの数十年間を

やはり意味のあるものにしたい。

生きているということだけが大切なことなのだから。


2005年06月07日(火) 暴力は

今朝のTVのニュースで

あのラッセル・クロウが逮捕されたと聞いた。

えー!!驚いた。

宿泊していたホテルの従業員に電話を投げつけて

怪我をさせた容疑だとか。

ああ〜何となく分かる気がした。

私は彼のファンだ。

彼の出ている映画は見えるものは見てきた。

彼のなんとも言えないはにかんだ顔が好きだ。

色々な役のできる俳優だと思う。

でも、ちょっと気が短いような気もしていた。

何故か分からないけれど、

今朝のニュースを聞いてなるほどと思えた。

どんな理由があるにせよ暴力はいけないよ。

先に振るったものの負けになる。

オーストラリアにかけようと思ってかけた電話がつながらなくて

それで怒ったという。

そのくらいで怒ったら駄目よ。

イライラの原因は何だったのかな?

ストレスがたまっていたのかな?

でも、暴力はいけない。

私は暴力を振るう人は嫌いだ。

口で話して分からないから暴力に出るのかもしれない。

でも、やはり野蛮な行為だ。

親の子供への暴力、

夫の妻への暴力、

どちらも許されるものではない。

振るう方は気持ち良いかもしれないけれど

受ける身になったらたまらないものがある。

口で言っても分からないかもしれない。

でも、そんな時でもやはり話をしてほしい。

感情をぶつけないで話を出来るはずだ。

キリストと同じにはいかないけれど、

キリストの気持ちの半分でも持っていたい。

今朝のラッセル・クロウの話を聞いてそう思った。


2005年06月06日(月) 今日も良い日に

梅雨が間近だというのに雨は降りそうにない。

今日も朝から晴れている。

また暑くなりそうだ。

朝いつものように早起きして用事を済ませて

さあ、今日も私の一日が始まる。

後ろを見ていても仕方ない。

前しか見ないようにしよう。

この太陽の元気さに負けないような

心の元気を取り戻そう。

くよくよしていたら心にカビが生えそうだ。

心がじめじめしていたらカビも喜ぶだろう。

ああ〜いやだ。

心にカビなんて生やしたくない。

心に緑の風を通したい。

心も虫干しして来る夏に備えなきゃ。

何があっても生きなきゃ。

苦しいことや辛いことがあっても

そこから逃げないで、

しばらく辛抱していたら

きっとまた明るい日もやってくる。

さあ、今日は車の点検だ。

二年目の点検。

毎日乗っている車のケアーも大切だし、

自分自身の心のケアーも大切だ。

昨日機種変更した携帯の操作も覚えなきゃいけない。

老化した頭にはなかなか入っていかないけれど、

若い人たちに負けないように

頭も元気にしなくっちゃ。

錆付きそうな頭にカツを入れて

今日も心元気で頑張ろう。


2005年06月05日(日) 信じるということ

自分には何も悪気はないことを

何かの弾みでふとしてしまうことがある。

本当に私には他意はなかった。

でも、ほんの軽い気持ちでしたことが

相手の心を傷つけてしまった。

夫の部屋に行った時、

置いてあった夫のカバンの蓋が開いていたので

何気なく見てしまった。

本当に何気ないことだった。

何が入っているのか探ろうなんて気持ちはなかった。

中にはいつも入っているものの他に一冊の本が入っていた。

その本はちょっとHな本だった。

でも、変な本ではなくてとても綺麗な本だった。

芸術を感じる本だった。

私は夫に「この本は?」と尋ねたら

夫は「ああ〜これはとても綺麗な絵と写真で出来ている本で、
   
変な本じゃないよ、見る?」と言った。

実際に私は見せてもらったけれど、

それは本当に美しいエロティシズムを感じるものだった。

その時はそれで済んだけれど、

2日経ってから夫は言った。

「黙って人の鞄の中を見ると、見られた方は、感じが悪い

 あの人はちょっと用心しないと。影で何をしているやら 

 ちょっと信用出来ないと、思われるよ」と。

本当にそうだと思った。

素直に「ごめん」と謝った。

夫はさらにこう言った。

「 人の鞄の中は見ない事

見ても黙っている事

子供の鞄でも、夫の鞄でも、絶対見ない事

何か心配事があっても、鞄の中は見ない

そして 、どんなに心配でも、ただ信じる事 」と。

これって本当だと思う。

娘のカバンの中を見て

見てはいけないものを見つけたら、私は心配になると思う。

でも、それは娘を信じてないということだ。

信じていればどんなことがあっても心配する必要はない。

娘にしても母親に信じられているということが分かれば

きっと安心するだろう。

信じるということは相手を安心させることでもあり

また自分自身も安心することでもある。

疑えば限がない。

ますます疑惑は広がっていく。

そして、不信感も大きくなっていく。

それって本当に馬鹿みたい。

相手を信じていればそれで良いのだ。

夫に謝った後で本当に反省した。

反対の立場になってみたら私がきっと同じように良い気持はしないと思う。

怒るかもしれない。

たとえ夫であっても妻であっても、子どもであっても、

人のプライバシーを覗くようなことをしてなならないのだ。

夫が浮気をしていたとしても、

それを知らぬ顔でいることが大事だと思う。

そして「あなたを信じてる」と言えば

夫は気が咎めるだろうし私に済まないという気持ちになるだろう。

もし、娘が何か悪いことをしても

母親だけでも娘を信じていれば

娘は悪いことをやめると思う。

どんなことがあっても相手を信じるということ、

これが一番大事なことなのだと思う。

人を信じることは自分自身を救う道でもあるのかもしれない。


2005年06月04日(土) たまにはのんびりと

今日は土曜日。

土日が交替の休みである夫と、

毎日お弁当を作らないといけない娘が

揃って休みの日だ。

二人共まだ寝ている。

いつもなら4時半に起床してお弁当を作っている私も

まだパジャマのままでこうして日記を書いている。

カーテンも開けていない。

今日は外は良いお天気のようだ。

暑くなりそう。

本当はこんな日はもっと寝坊したいと思う。

でも、習慣って悲しい。

いつもと同じ時間に目が覚めた。

5時まで蒲団の中に居たけれど、

どうも落ち着かなくて起きてしまった。

今日もまたいつもと同じ日になるのだろう。

平凡な毎日、

つまらないと思えばつまらない日々の連続。

でも、こんな平凡な日々が幸せだと感じられたらそれで良いのだ。

私の心の中で一つだけ楽しみを持てたらそれで良い。

今の私は待つことしかない。

しんどくても仕方ない。

自然に待つのをやめるかもしれない。

今思っていることがどうでも良いことに変わる可能性もある。

月日というものはそういう風に人の心を変えていけるものだ。

風化することもあるのだから。

記憶の中で風化したものは

それがどんなに嫌で辛いことであっても

何も感じないものに変わると思う。

今日のような日々の連続が

私の中で当たり前になって

そしてその当たり前の日々を幸せだと感じる日が来るまで

待つしかないのだろう。

たまにはのんびりとできる日があっても良いのかもしれない。


2005年06月03日(金) 二年後を

待とう。

あなたの言った二年後を待とうと思う。

約束したわけではないけれど、

あなたは二年後にコンサートを開いてくれると言った。

二年前、初めてあなたのピアノを聞いた時、

私の胸は感動に震えた。

決してピアノ向きの指ではないあなたの両方の手が

鍵盤の上を踊って本当にステキな音色を奏でていた。

もしも、あの時の感動をもう一度味わえるのなら

私は待つことが出来る。

あなたの弾くピアノには心がある。

力強さと繊細さがまるでダンスをしているように

からみあって聞こえた。

ベートーベンの月光、

ショパンの革命、

シューマンのトロイメライ、

どの曲にもあなたを感じることが出来た。

曲のオリジナルなテンポとは違っていても

それはあなたにしか弾けない曲に変わっていて、

聞く私の胸に響いてきた。

今はショパンのバラードを練習していると言う。

全部で17ページある楽譜の4ページ弾けるようになったと聞いた。

正直凄いなあ・・・と思う。

私のように弾く気持ちさえあっても

なかなかピアノに向う時間を作らず、

初めから難しいから駄目だと諦めているのに比べて、

毎日の忙しい時間の中で

ピアノに向っている姿を想像するだけで感動を覚える。

どんな曲に仕上がっていくのだろう。

私もこのバラードが大好きだ。

毎日車を走らせているときにこのバラードを流している。

二年後にあなたのバラードを聞くことが出来るって

本当に夢のようだ。

とても待ち遠しい。

待つということは辛くしんどいことでもあるけれど、

その先にはきっと楽しいことが待っている。

二年後にあなたに会って

あなたのピアノのコンサートを聞くことが出来ることを

私はこれからの生きがいにしたいと思う。

楽しみに待とうと思う。


2005年06月02日(木) 投稿

先月の半ばに新聞社に送っていた投稿が

昨日の新聞に掲載された。

半ば諦めていたのでやはり嬉しかった。

題名は「お弁当作り」、

前につぶやきに書いたのとは少し内容を変えて投稿した。

編集の都合で削れられたり、

文が少し変えられたりしていたのが気になった。

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   「お弁当つくり」

四月から、高校生になった娘のお弁当を作っている。

こうして毎朝作るのは、娘の幼稚園時代以来のことだ。

おかずの献立を考えると正直言って頭が痛い。

前日の夕食も、ついお弁当のことを頭に浮かべながら作っている。

その中から翌日分のおかずとして一品入れようと思うからだ。

最近はお弁当向けの冷凍食品も種類が多く、おいしいものが出ている。

娘には「冷凍食品は使わないで」と言われているけれど、使っている。

午前四時半に起床して調理に掛かる。

毎日のことなので、たまには休みたい。

朝学校へ行く途中、

パンでも買って行ってくれたらいいのにと思うときもある。

でも、手作りに勝るものはない。

正直言って、もう少し寝ていたいと思うけれど、

こうして娘のための作ることが出来るのもあと三年だ。

いつか私たちの元を離れていく。

作りたくても作れない日が来る。

そう考えると頑張ろうという気持になる。

今日も空になったお弁当箱を洗いながら、

何となく幸せな気持ちになった。

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「正直言って」という言葉が二回出てきているのが妙にひっかかる。

同じ言葉を使ったのは不味い。

投稿する前には確かめたのだけれど

多分編集の時に変わったのだと思う。

いざ新聞に載ったものを読んでいると

私の書く文章はまだまだだと再認識させられた。

これからも機会があれば投稿していきたい。

書くことによって私の心が浄化されていくような気がする。


2005年06月01日(水) 母は美人

昨日母と一緒に居て思った。

自分の母親のことなのに、

こんなことを言うのは変かもしれないけれど、

母は綺麗な人だと思った。

美人だと思った。

今年84歳になったとは思えない。

肌が綺麗。

色が白い。

羨ましいくらい肌がきめ細かい。

昔、母が若い頃は「綺麗な奥さん」と近所でも評判だったという。

学校の参観日でも、友人達に

「お母さんは綺麗ね」と言われていた。

その後に続く言葉がまた良かった。

「でも、○○ちゃんには似てないね」だって(笑)

この言葉を聞くたびに妙な気分だった。

母親が美人だと言われることは嬉しいけれど、

似てないということは、

私は美人ではないということになる。

腹は立たなかったけれど

子ども心に何故か複雑な心境になったことを覚えている。

そんな母も年を取るにつれて

昔の面影も薄れて行っていると思っていた。

でも、昨日病院の待合室で母の前に座って

母の顔を真正面に見て思ったことが

「やはり、母は綺麗だ」ということだ。

母にそのことを言った。

すると母は「このしわがなかったら・・

このしみがなかったら・・ね」と言った。

年を取ったのだからしみやしわは仕方ない。

でも、肌のきめ細かさや色の白さ、

顔立ちの良さは今も変わらない。

良いなあ・・

そう思って私の顔を鏡で見てみた。

正直負けたと思った。

そういえば父はいつも嬉しそうに言っていたっけ。

「ばあちゃんは昔本当に美人だった」と。

今日は父に言ってやろう。

「ばあちゃんはまだまだ捨てたものではないよ。

やはり美人よ」と。

父親似の私の正直な言葉である。


スカーレット