スカーレットの心のつぶやき
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2004年08月31日(火) 今日は父の誕生日

今日8月31日は私の父の83歳の誕生日だ。

大正10年、酉年生まれ、母とは同い年だ。

母の方が一足先に83歳になっている。

父には誕生日のプレゼントにオーディコロンを上げた。

私は香りのするものは苦手だが、

父は昔から香水やオーデコロンが好きだ。

父の側にいくとぷんぷんと匂う。

匂いのするものが苦手な私は

狭い車の中で父と一緒になると息が詰まりそうになる。

どうにかしてよと言いたくなる。

でも、父は大好きなようだから我慢するしかない。

このオーデコロンを喜んでもらえたら良いな。

父の好きなことは芝居見物、その芝居も大衆演劇。

父はバスや電車乗り放題の切符を持っているので、

それを使ってほとんど毎日松山へ行く。

そう、芝居見物(大衆演劇見物)に行っているのだ。

父は本当に体は元気だ。

警察官の時の足の捜査のお陰だ。

歩くのが当たり前になっていたから

今も足腰がとても丈夫なのだろうと思う。

大衆演劇を見に行かない日は、

掃除が大好きな父は家の内外の掃除に明け暮れている。

もうやめたらと言っても止めない。

母とこのことでよく喧嘩をしていた。

前から危ないからやめてと頼んでいた吹き抜けの外の窓掃除は

先日ステンドグラスにしてから掃除をしなくなったので

母も安心している。

そんな父が昨年は医者に胆石があると言われた。

検査入院をしたけれど、手術するほどのものではないということで

別に何ということもなく今に至っている。

でも、偉いものだ。

それまで大好きだった脂っこいたべものを今では食べないのだ。

何十年と続けていたタバコも今はやめた。

毎晩好きなお酒を少々飲むのと

一ヶ月に一回友人と飲みに行って

カラオケをするのを楽しみにしている。

母とは毎日のようにうるさく言い合いながら

それでも仲良く暮らしている。

元気な父は口癖で「僕は100歳まで生きる」と言っている。

それが夢で終わらなければ良いな。

母に比べて父と一緒に遊んだ思い出はあまりないけれど、

私にとってはとても大切な父である。

どうかこれからも今のまま元気で居て欲しいと心から願っている。

「お誕生日(*^^)/。・:*:・°★,。・:*:・°☆オメデト!!」


2004年08月30日(月) 立派なことは言えないけれど

毎日この心のつぶやきに私が思ったことを書いている。

前に「思うままに」というページに毎日綴っていたことを

小冊子にして欲しいという人にあげてみてもらったことがある。

昨日、姉からの電話があったのだが、

あの時姉に上げた「思うままに」を

昨日姉の家に来てくれた絵手紙の生徒さんに貸して上げたそうな。

その人は家に持ち帰り、

夕方になって夕食の支度の時間になっても

そのまま読み続け、最後まで読み終えたとか。

そして、とても共感し、感激してくれたと聞いた。

正直言ってとても恥ずかしい気がする。

こうして毎日このつぶやきに書いていること、

それは、私にとっては理想に近いことが多い。

ああいうふうになりたい、

こういう生き方がしたい・・・と、

私自身の頭の中で考え、

心で思うことではあるが、

分かっていてもできていないことが山ほどある。

だから、偉そうなことは言えないのだ。

立派なことも言えない。

でも、実際に考えたり、思ったりしたことが

全て実現出来なくても

何も思わないよりはましかな?と思っている。

人って皆こうだと心に決めたことも

何かあれば直ぐにぐらつきそうになるのではないか。

私は今まで、一大決心を何回繰り返しているだろう?

今度こそとか、これからはとか絶対にとかいう言葉は

使ったらいけない気さえしているのだけれど・・・

やはり今度こそという気持ちになってしまうのだ。

私の親友は毎日このつぶやきを読んでくれているのだけれど、

時に電話で話すと、彼女に笑われる。

「ああいう風に言っているけれど、本当は駄目なんよね」と

言われることに私は何も反論できない。

「分かっているんよ」と言いながら

心の中は恥ずかしさでいっぱいになる。

考えるということ、

思うということ、

それは誰でもすることだ。

でも、本当に大切なことは

自分の頭で考え、自分の心で良いと思い、決めたことなら

どんなことであれ、それを実行しなきゃなんにもならない。

行動してこそ、分かったと言える。

そうでなければここに書く資格なんてない。

立派なことを言うよりも

まずやってみることの方が大事だ。

本当は不言実行が一番だ。

読んでくれる人たちに私の正直な気持を伝えたかった。


2004年08月29日(日) 自分だけの道を

自分にしか歩けない人生を歩んで行ける人は幸せだと思う。

さだまさしの歌「主人公」の中に

「自分の人生では誰もが皆主人公」というフレーズがある。

この言葉にどれほど勇気付けられたことだろう。

人の数があればそれだけの人生がある。

そして、その人生は皆それぞれ違っていて同じものはない。

人は自分が死ぬとき、

今まで生きてきた自分自身の人生を振り返ってみるという。

そして、それが自分の思うような人生だったかどうか考える。

誰でもが皆満足できる人生を歩めたらどんなに幸せだろう。

でも、大抵は自分が望んでいたような人生を歩めない。

一生には良いこともあれば悪いこともある。

でも、考えたら人生なんて天秤のようなものだ。

不幸だけしかない人生もないだろうし、

幸せだけが続くというものでもないだろう。

人生山あり谷あり、

良いことと悪いことの繰り返しである。

でも、自分にしか歩めない人生を歩めたら

いくらそれがしんどい道だったとしても

それは幸せなことではないだろうか?

実業家の田辺茂一さんの言葉に

「自分にしか歩けない道を、自分で捜しながらマイペースで歩け」

という言葉がある。

人の一生は何があるか分からない。

もしも自分の一生で、いつどうなるということが分かっていたら

準備はできるかもしれないけれど、

決して面白いものにはならないだろう。

予期せぬことが起きるから面白いのかもしれない。

勿論苦しい時もあれば嬉しいこともある。

そして、それこそが人生なのだと思う。

自分の人生を、マイペースで良い、

自分の足でゆっくりと

自分にしかない道を探しながら歩いていきたいと思う。

そして、死ぬときに「良い人生だった」と思えるような生き方をしたい。

残された時間の方が少なくなった私の人生。

これからもどんな予期せぬことが起きるかもしれない。

でも、決して投げたり諦めたりしないで

これが私に神様が与えてくれた試練だと思いたい。

そして、私にしかできない生き方をしていきたいと思う。

私にしかできない生き方?

これはまだ見つかっていないのだけれど・・・

今できることはただ、

自分自身の心に素直に生きるという生き方ではないかと思っている。


2004年08月28日(土) 失敗しない愛

失敗しない愛なんて存在するのだろうか?

本当の愛って何だろうか?

私は親子の愛、

男女の愛、

夫婦の愛、

これらの愛への考え方が間違っていたかもしれない。

私は小さいころからいつも

相手に愛される愛を求めていたような気がする。

親に愛されたい、

恋人に愛されたい、

夫に愛されたい・・

こんな思いだけがいつも私の心に存在していた。

だから、どうして私の方を振り向いてくれないのか?

何故私のことを愛してくれないのか?

いつも心は不安でいっぱいだった。

でも、今は違う。

本当の愛とはこちらから愛する愛のことだと思うようになった。

人を愛することはもしかしたら

誰でも簡単に出来ることなのかもしれない。

でも、難しいことは、

自分が愛する人から同じように愛されることである。

このことをあまりにも望むから

それが出来なかったとき、

自分の愛が失敗に終わったと思ってしまう。

そして、その失敗を恐れて思うように人を愛せなくなる。

もし、失敗を恐れる気持ちがなかったとしたら

人は素直に相手を愛することができると思う。

「こんなに私が愛しているのだから、

 私も同じように愛して欲しい」

という気持ちを捨てれば、

愛に失敗することなんてないのかもしれない。

相手が自分を愛してくれるということは、

あくまでも相手が決める問題であって、

自分自身にはどうすることもできなことである。

もし、自分が愛される人間になろうと思うなら、

まず、自分自身が

他人から求められたいという思いと同じくらいに

相手を認めることが必要だと思う。

自分がしてもらって嬉しいことを

積極的に相手にしてあげることである。

そして、人にしてあげたことを直ぐに忘れることが必要だ。

いつまでもしてあげたということを覚えていると

相手にその見返りを求めるようになる。

本当に失敗しない愛を見つけようと思うなら、

愛を相手に求めないことが大事だと思う。

求めなかったらいつか自然に

相手から愛されるようになるのではないかと思う。

私自身を振り返ってみて、本当にそう思う。


2004年08月27日(金) 人の気持ち

分かっているようで分からないものがある。

それは人の気持ちだ。

人の気持、人の心って何だろう?

心って生きているからこそ存在するのだろうか?

肉体があるから心があるのだろうか?

もし、死んでしまったら心もなくなるのだろうか?

心は実際には目には見えないものだ。

だから、人の心は想像するしかない。

でも、いくら考えてみても分からないほうが多い。

心の自由という言葉がある。

確かに、心の中は人には見えないし分からないから、

自分が何を思っても自由だ。

たとえ、心の中で思うことが

相手を批難することであっても、

そのことを言わない限り

相手を傷つけることはない。

昔、母は祖母(姑)に言われたそうな。

「何を思っても良い、

嫌っても、憎んでも、言葉にしない限りわからない。

だから、心ではどんなに嫌だと思っていても

決して、その心を口にはしないように」と。

それは嫁姑の関係の中で

祖母が実際に体験したことに基づく知恵なのだろう。

相手と上手くやろうと思うなら、

思っていることを口に出すべきではない。

顔で笑って心で憎めということなのだろう。

私はこの言葉を母が言われたということを聞いて、

何かとても淋しく、また悲しく感じた。

そんなものなのだろうか・・・

それじゃ相手のことを顔つきや言葉だけで判断してしまうのではないか?

否、それはおかしい。

人の心というものはそんなに簡単に片付くものではない。

人の心は不可思議なものだ。

私は人の心をとても大事に思ってきた。

だからこそ、心と心の架け橋としての絵手紙を大事にしている。

今のこの殺伐とした現実社会の中で、

相手への思いやりやいたわりの心をとても大事なものだと思う。

相手の心は見えないしわからない。

だからこそ、その心を大事にしたいと思うのだ。

自分が相手を思う気持ちに嘘偽りがないなら、

それは相手に通じなくても良い。

また反対に相手の心で自分が傷つくのはバカらしいと思う。

人が何を思っても良い。

そのことで自分自身を見失わないようにしたい。

時々見えないこともあるだろう、

分からなくて疑心暗鬼になることもあるだろう。

でも、それは相手の心に捉われているからだ。

そんなバカみたいなことはやめよう。

人の心がどうであれ、

自分自身の心がしっかりと支えられているなら

動揺なんてしないはず。

相手の心ばかり気にして振舞わされたくない。

人の心を勘ぐりたくない。

本当に心の自由を求めて生きたいと思う。

そして自分自身の心に素直に生きたいと思う。


2004年08月26日(木) マイタイム

もう直ぐ午前7時だ。

外はもう太陽が出て暑い。

今朝は4時前に起床。

娘が今日と明日実テなので早く起こしてといわれ

気になって朝早くに目覚めた。

まだ薄暗い中、燃えないゴミ(リサイクルゴミ)の日だったので

ゴミ置き場へ新聞とダンボール箱を持って行った。

顔を洗って化粧をして、

いつものように朝食と夕食を作り、

その間にシーツなどの大きな洗濯物をして干し、

朝食を食べてトイレの掃除と部屋の掃除完了。

これで私の一日の家事の殆どが終了した。

今PCを開いてこのつぶやきを打っている。

心がとても落ち着いている。

午前中に母の病院への送り迎えをしたら

後がずっと自由な時間が出来た。

マイタイムだ!

やはり朝早くに家事が片付くと良いものだ。

今日は木曜日なので、

ツタヤのDVDレンタル料金が半額の日だ。

今日は前から見たかった映画を借りてこよう。

そして昨日から読み始めた

「スキャンダル」の続きを読もう。

ああ〜なんと嬉しいことか!

一年中休みのない主婦にとって

こういう自由な時間が持てることは

かけがえのない喜びに変わる。

私だけの時間。

私だけの自由。

小さな幸せを感じるひととき。

8月も残り数日になった。

長いと思っていた娘の夏休みも終わりを迎える。

9月になったらヴァイオリンを再開しよう。

弾き方を忘れては居ないか心配だけれど、

まあなんとかなるだろう。

親友とのおしゃべりタイムも持ちたい。

蝉の声に皮って虫の音が聞こえる今日この頃、

絵手紙展も今月いっぱいで終わる。

私にとっても、身も心も再出発だ。

夏ばてなんて言ってはいられない。

私の好きな秋に向って頑張ろう。


2004年08月24日(火) 読書

8月も下旬になった。

まだまだ日中は暑さが残っているけれど、

空に浮かぶ雲は秋の雲に変わっている。

この暑さももう少ししたら秋を感じるようになるのかもしれない。

昨日は夕方からの大雨と雷で、

早目にPCの電源を落とし本を読みながら休んだ。

秋といえば、

食欲の秋、

芸術の秋、

勉強の秋、

物思う秋、

そして読書の秋・・

など色々と上げることができる。

この中でも「灯火親しむ秋」という言葉があるように、

読書には一番向いている季節のような気がする。

まだ秋ではないけれど、

私はこの夏は部屋を涼しくしておいて、

色々な本を読んだ。

感動した本が多かったけれど、

やはり読書というものは良いものだ。

本を読むと、それがどんなものであっても、

何かの味わいがある。

読書感想文を書かないまでも

ああ面白かった、

これは興味がわいたなと思うだけの時もあれば、

ワクワクしてきた、

ドキドキしてきたというように興奮する時もあるだろう。

そして、言葉に詰まって何も言えなくなるほど、

感動することもある。

読書をすることで、

今自分自身の傷ついている心が癒されるときもある。

また、イライラしていた気分が落ち着く時もある。

悩み苦しんでいたことの解答を得たことで、

とても気持ちが楽になることだってあるにちがいない。

また軽いものを読むことは、

退屈や孤独を紛らわせてくれるかもしれない。

生きる力や生きる勇気が湧いてくるかもしれない。

本を読むことで何らかの知識を得ることも出来る。

知恵を身に付けることも出来る。

本と言うものはその人の心を満たし、

乾いた心を癒し、

エネルギーの源や栄養の補給になる。

読書によって生活や人生に役に立つものを得ることができる。

幸せを得るためのヒントにもなる。

そしてこのヒントを得て自分の生き方にプラスにすること、

自分のものとして消化することができること、

これらが読書の一番の意味なのかもしれない。

私も体に栄養をとるだけではなく

頭や心に栄養をとってそれを生かしていきたいと思う。


2004年08月23日(月) 思うままに

朝5時前に起床、

洗顔と化粧を済ませる。

夏場は日焼けが気になるので

起床一番にしたいことがこの化粧だ。

そして洗濯機を回しながら朝食の支度、

ついでにできるだけの夕食も作る。

この暑さでは夕方になると食事を作る気がしなくなる。

だから、どうしても食べる直前にしなければならないこと以外は

朝の涼しいときにやってしまいたい。

そして大体7時には掃除も終え私の家事の殆どは終了する。

それからPCに向うときもある。

午前中は母の病院の送り迎えの後の買い物。

買い物を片付いてるともうお昼になる。

午後は私だけの時間にしたくて

朝頑張っている。

午後は昼寝するのが良いのだろうが、

よほどのことが無い限り昼寝はしない。

絵手紙を描いたり、

PC電話で話したり、

親友と長話をしたり、

好きな本を読んだり・・・

私の午後はこうして過ぎていく。

こんな私の生活を、

前にある人が「有閑マダムの暇つぶし」と言ったことがある。

確かに外で働いている人からみれば

良いご身分に思われるのだろう。

言われた時は腹も立ったけれど、

今ではそういういい方しか出来なかった人をかわいそうに思う。

やはり、相手の気持を思わずに言う人が私は好きになれない。

今ではもうどうでも良いと思う。

私の一番好きな時間は、夜お風呂から上がったときだ。

アルコールは飲めないので

風呂上りのいっぱいというわけにもいかないけれど、

その後の数時間は私が一番ホッとして

くつろげる時間だ。

別に何をするわけでもないけれど、

ああ〜今日も無事に終わった・・と思うだけで

とても幸せな気持ちになる。

以前の私は毎日がこうしてただ平凡に過ぎることへの抵抗があった。

いつも心がときめいていたいと思い

心の中で恋への憧れもありまた実際に恋もした。

でも、今は違う。

こうして平凡でも良い、

私が楽に生きていけるのが一番だと思えるようになった。

私の周りに存在する

小さな、本当にささやかな幸せを大事にしたいと思う。

そして、この平凡な日々の積み重ねが

私の幸せの礎になっているのだと思う。


2004年08月22日(日) 考えることと悩むこと

ヘタな考えをするよりは何も考えないほうが良いのかもしれない。

考えて、悩み苦しむのなら考えないほうが良いのかもしれない。

松下幸之助さんの言葉に

「悩んでも苦しまない、

そういうように感じることができれば

人生は決して心配することはない」という言葉がある。

確かにそうだと思う。

考えて考えて考え抜くのも一つの方法だ。

そして前述のとおり、

その考えで悩み苦しみを覚えるのなら考えないほうが良いのだ。

悩むという言葉の中には、

考えるということと苦しむという意味が含まれることが多い。

彼のいう悩んでも悩まないということはどういうことだろうか?

それはきっと

「いくら考えてもそのことで苦しみを感じないような考え方をすれば良い」

ということだと思う。

考えることは苦痛にならなければとても良いことなのだと思う。

考えてもどうしようもないことで心も頭も悩ますのはよそう。

確かに熟慮することは意味がある。

何かの行動をとるときに

よく考えた後でとるのと、そうでないのとでは

全く違ってくるように思う。

悩みは人間の一生にいくらでもついてくる。

でも、同じものでも

人によって苦しみと受け取る人がいれば

全く気にしない人も居る。

それはその人の考え方次第だ。

考えることは良いことだけれど

考えすぎは苦悩の種にもなる。

考え方を良い方向に持っていくことによって

同じ考えも悩みにならないことがある。

肩の力を抜いて、力を入れすぎないようにしよう。

力が入りすぎると辛く感じたり心が疲れてしまう。

少しのんびりとゆったりと構えて

自分が楽なような考え方をすれば

きっと考えることが悩むことにはならないと思う。

こう言っている私が一番

このことを頭に入れなければいけないように思うのだけれど・・・

自分自身にとって一番大事な問題は

あまり苦にせず、よく考えることだと思う。


2004年08月21日(土) 気が若いということ

私の母は今83歳。

父は今月の末にやはり83歳になる。

2人ともお陰で元気で毎日を過ごしている。

そして、年齢にしては気がとても若い。

父は殆ど毎日、芝居に夢中で大衆劇団を見に

松山まで出かけている。

今日は劇場、明日は温泉センターと

電車を乗り継ぎ通っている。

警察官時代に足の捜査で鍛えられたのだろうか、

ほとんど病気することもなく足腰もとても丈夫だ。

それに加え第二の就職が若い女性に囲まれていたせいか

気分的に若くなったのだろうか、

とにかく元気で気が若い。

母はというと、これが今本当におかしいのだが、

あの「冬のソナタ」にはまってしまっている。

昨日はこの秋に開催される「松山映画祭」のチケットを買いに行った。

今大ブームになっている

あのヨン様の初主演作品「スキャンダル」が上映されるのだ。

母は冬のソナタ以来、

韓国映画のファンになり、

ヨン様の大ファンになった。

毎晩9時になると寝るのが習慣になっていた母が

土曜日になると遅い時間まで起きていて

NHKの冬のソナタを見るのをとても楽しみにしている。

また最近はほかの局で「ホテリア」が放送されていたので

毎日楽しみにして見ていた。

そしてヨン様の写真の出ている雑誌を数冊買い込んで

毎日繰り返し眺め、読んでいる。

そんな母だから、昨日は早くチケットを買いたいと言ったのだ。

「スキャンダル」以外にも2本韓国映画が上映されるが、

やはり母はヨン様が出る映画が良いらしい。

昨日はチケットを買った後本屋に寄って、

「冬のソナタ」の上下巻と、

「ホテリア」の上下巻、

そして「スキャンダル」の文庫本の計5冊を買った。

本当に嬉しそうだった。

母がこうしてヨン様に夢中になり

好きな映画を見たり本を読んだりすることって

とてもステキなことだと思う。

私も親友には「エネルギッシュだ」とか「気が若い」とか言われるが、

これはもしかしたら母に似たのかもしれない。

勿論父の気の若さにも。

両親がこうして気持を若く、元気で居てくれることは

子どもの私にとってはとても有り難いことでもある。

これからもこうしていつまでも気を若く、また元気で居て欲しいと思う。

そういえば、母は昨日、

店に貼ってあるとても大きなヨン様のポスターを見て

「欲しい!」と言っていたな・・

自分の寝起する部屋の壁に貼っておきたいと言っていた。

「ああ〜なんと若い母!」


2004年08月20日(金) しなやかに

昔、私はまるで硝子細工のような心を持っていると言われたことがある。

何かあったら、直ぐに割れて壊れてしまうというたとえだったのだろう。

その言葉を言ったのは

私が心の病気で入院していた九大の心療内科の主治医だ。

そして、その言葉は私に直接言ったのではなく、

母に言った言葉である。

あの頃の私は、

本当に繊細で傷つきやすく、

ちょっとした言葉に打ちのめされる人だった。

多分、私の育った環境が私をそんな性格にしたのだと思う。

「柳に風」と言う言葉がある。

柳の木は風が吹くと、

その風に逆らうことをしないで

風の吹く方向に揺れ動いている。

でも、決して倒れたり折れたりはしない。

これは人にも同じように言えると思う。

強くなろう、倒れないようにしようと頑張って

一生懸命にならなくても良い。

その時その時の状況で、自分自身が揺れれば良いのだ。

そして色んな周りのことを見ながら決めれば良いのだ。

私のように、

一見強そうに見えてもちょっとしたことで、

崩れ落ちてしまうそんな人よりも、

弱そうに見えても、

自分をしっかりと持って生きることによって、

どんな辛いことや悲しいことがあっても、

壊れて心もボロボロになってしまうことはない人の方が良い。

何か嫌なことに遭遇しても、

そのことに振り回されて自分自身を見失なわないようにしたい。

そして、いつもいつも過去を見るのはやめることだ。

そうすれば自然に良い方向へ物事は向っていく。

柳に風と言うように、

しなやかになりたい。、

自分自身の考え方も生き方も、

いつでもどんなことでも

パニックにならないように、

自分を見つめて生きていきたい。

しなやかさの中に密やかにあるもの、

それこそが本当の意味での強さだと思う。


2004年08月19日(木) 有難う

簡単そうでなかなか言えない言葉「ありがとう」

この言葉は人としての一番基本になっている言葉だと思う。

物に感謝する心、

人に感謝する心、

生きていることを有り難いと思う心、

この「ありがとう」の五文字の中には

色々なものが詰まっているように思う。

私が小さい頃から母とおまいりに行っている教会では、

人と会ったら「こんにちは」ではなく、

「ありがとうございます」と言う言葉であいさつをしている。

そして、管長先生への挨拶は勿論「ありがとうございます」だ。

余計な言葉は要らない。

ただ、心から有り難いと思える気持ちさえあれば良い。

自分の心の中から、

人にしてもらって当たり前という横着な気持を捨てよう。

どんな境遇にあっても感謝だけは忘れずに居たい。

病の床にある人も、

今生きていること、

否、生かされていることへ感謝しよう。

人の心は絶対なものはない。

いつも揺れ動き不確かさものだ。

でも、

感謝する心だけはどんな時代になっても不変のものだと思う。

たとえ、今自分が癌になったとしても、

そのことに感謝できる心を持ちたいと思う。

今の現在だだ今、生きてるんだ。

この身に病があろうとも、生きている有り難さ。

目にみえるもの、

草や木も、動物たちも、みんないのちがあるんだ。

生きている全てのものが皆有り難いのだと思えたらどんなに楽だろう。

どんな小さなものにも

どんな小さなことにも

「ありがとう」と感じる心を持とう。

今のこの世の中で生きている人たちが皆、

「ありがとう」というこの気持ちを持って生きていけば、

殺伐とした事件も起きないだろうし、

地球には平和が訪れるはずだ。

今生きているということ、

生かされているということを私は心から有り難いと思う。


2004年08月18日(水) 努力

今、世界中がアテネオリンピックに燃えている。

今朝も金メダルの喜びを聞いた。

クーベルタン伯爵は、

「オリンピックは勝つことではなく参加することに意義が有る。」

と言っている。

でも、先日来の金メダル獲得のニュースを見ていると

参加するだけではいけない、

絶対に勝たねばならない、

そして、銅メダルではなく金メダルをとらなければならない。

そんな感じを受けるのは私だけだろうか?

確かに、柔道を始め、水泳、体操と

日本の選手たちの活躍は素晴らしい。

見ていても感激する。

世界のトップに立つことは勿論素晴らしいことではあるが、

このオリンピックに出場できたことだけでも、

とても素晴らしいことだと思う。

何が何でも金メダルと!と思う気持ちは分かる。

応援している私たちだって、

メダルはとってほしいし、

同じメダルなら金メダルをとってくれたら嬉しい。

でも、オリンピックは金メダル獲得合戦ではない。

今、世界の各地で起きている紛争やテロ、

それらを越えての試合である。

このオリンピックが開催されるのも

世界が平和であるという前提があるからだ。

TVを初めとする取材方法に問題があるのかもしれない。

参加している一人一人が皆、

同じ価値があることを忘れないでほしい。

競争は順位が伴うものだから、

金メダルが駄目だなどとは決して思っていない。

でも、どこかの国では勝たなければ罰を加えられるとも聞く。

処刑されないまでも収容所にいれられる国もあると聞いた。

こういうことを聞くと胸が痛む。

このオリンピックに参加できただけでも素晴らしい。

参加するために皆がいかに努力し、

頑張ってきたかを考えると、

今のこのフィーバーに対して、

ちょっと待って!と言いたくなる。

でも、こんなことを思う私がおかしいのかもしれない。

やはり金メダルの重さはそれだけの値打ちのあるものなのだろう。

確かに素晴らしいことに違いないのだから。


2004年08月17日(火) (・_・。)) マイッタナァ

参った!

本当に参ってしまった!

この間からPCのことでは色々なことがあって、

勉強にはなっていたが、

自分自身の無知さに呆れていた。

それがとうとう、昨日は大変なことになってしまった。

数日前のことだった。

MSNのメッセンジャーをしていたとき、

ある人が、とても楽しいものがあるから上げようと言った。

その人とは最近電話のことで知り合った人で、

何でもよく知っていて教えてくれる人だった。

私はその人を信用していたから、

まさか、そのいただいたものが

こんなに大変なことを引き起こすとは思ってもみなかった。

一昨日からMSNのメッセンジャーのチャットが上手く出来なくなった。

ひとつ二つ文字を打ち込むと直ぐにエラーが表示され始めたのだ。

ひどいときは10回くらいやり直しながらのチャットだった。

何か調子が悪いのかな?という軽い気持ちでいたのだけれど、

PCに精通している人にこの話をすると、

それはウイルスにやられたのだと言った。

紹介してもらったURLのことを話すと、

それはもらったら大変なことになると言われた。

( ¨)¨)¨)¨)¨)¨)¨) エー!!

どうにかそのもらったものを削除しようとして

11日の状態に復元することができ

もらったものを削除できたのだが、

今度は11日以降のものがなくなってしまった。

ひとつだけ必要なものがあったのだが

それもなくなってしまった。

数日前のcokkie対応がまたできなくなった。

他にも出来なくなったことがあり、

そのことが気になって今朝早く目覚めてしまった。

今回は被害が少なくて済んだのだが、

いつまたどんなことが起きるか分からない。

PCに精通している人のアドバイスで

バックアップしておくことにした。

本当に疎い私はこのバックアップという言葉さえ知らなかった。

説明してもらって少しだけ分かった。

こんな私がHPを開いていることすら恥ずかしい。

今まで一生懸命にしてきたHPや

大事な友人のアドレスなどが

何かで消えてしまうと想像しただけで怖くなった。

今日は電機屋さんへ行って、

外づけのハードディスクを買って来ようと思っている。

そして大事なものをちゃんと保存しておこうと思う。

何でも勉強だ。

でも、参った。

疲れた。

こんな私がこのままHPを続けていて良いのか・・

自分自身がとても情けなくなってきている。

HPを持つ資格さえないのではないかと思う・・・


2004年08月16日(月)

昔から「目は口ほどにものを言い」や

「目が話している」、

「目を見ればわかる」というような言葉がある。

私は人と話すときは必ず相手の目を見て話すことにしている。

相手によれば、同じように私の目を見て話をしてくれる人も居るが、

反対に目を伏せたり、視線をほかに向けて話す人も居る。

相手の目を見て話していると、

その人が何を考えているか?

何を言おうとしているか?がわかる。

いくら饒舌に喋ってもその人の目を見れば、

真実のことを言っているか、

それともただ口先だけのことを話しているかも分かる気がする。

それほど目は大きな意味を持っているように思う。

よく映画のワンシーンで、恋人同士が見つめ合うときがある。

そのときはお互い何も言わずただ相手の目を見つめ合っている。

そんなシーンを眺めていると、

何故かとてもステキに思えることがある。

私にも一度だけそんな経験がある。

昔昔の話しだけれど、

当時付き合っていた人と二人きりになった。

お互いに好きだと言う気持ちを伝えていなかった。

そして会って少し時間が経った時、

急に二人とも黙ってしまった。

その沈黙の時間は決して気まずいものではなく、

寧ろ相手の気持が手に取るように分かるから、

何も言えず、

また言わず、

見つめ合っていたのだと思う。

二人の間には言葉なんて要らないと思っていた私たちだった。

言葉に出すよりも、

その人の内面を語ることができるのが目だと思う。

上手い役者は台詞のない場面でも、

目が語っていると感じるときがある。

目で表現できている。

そしてそんな人の目はヘタな台詞よりも素晴らしい。

寡黙な人にじっと見つめられたら、

私はきっとまいってしまうだろう。

それほど、目には力と魅力があるのだ。

私の夫は無口な人だから

目を見つめてくれれば良いのに、

残念ながら目でも話しをしてくれない。

でも、私はこれからも夫の目を見つめて話していこうと思う。


2004年08月15日(日) 色々なことが

この間からPCで色々な勉強をしている私。

昨日は、私のHPに入れている音楽

風と共に去りぬの曲「タラのテーマ」がちょっと問題になった。

入れる時はいただいた人に了解を得たので問題はなかった。

そして、私の好きな曲でもあり、

訪問してくれる人たちにも好評だったので

昨日指摘されるまで全く気づかなかった。

何を指摘されたか?

私のHPを見てくれて、

そのままほかのHPを見に行ったら、

私のところに流れている音楽が、

いつまでも、どこまでも付いてくるというのだ。

私は最近音を出さないようにしていたので

本当に気づかなかった。

あらためてそう指摘されてやってみると、

言われる通りだった。

迷惑をかけてしまって・・・

本当に申し訳ないと思った。

そして、この曲を外そうと思った。

好きな曲だし、折角いただいたもので

外すのは残念なのだけれど、仕方ないと思ったのだ。

外さなくても何か良い方法があるのかもしれないが、

私の今の能力ではその方法が分からない。

だから、外そうと思った。

でも、あるメル友から次のように言われた。

「外さなくても良いですよ。

一度トップに戻ってから、次のHPに行くと音は聞こえません」と。

試しにそうしてみると、

なるほど聞こえないようになっていた。

見てもらったページを×にしたら、トップに戻ることに設定している。

だから、見終わったらそのまま次へ行くのではなく、

一度トップへ戻ってもらいたい。

それが今の私にできる解決方法だ。

色々と問題点が出てきて

勉強になるのだと思う。

有り難いことだとつくづく思う。

今日はお盆、朝雨になった。

これで少しは猛暑が治まってくれると嬉しい。

お昼前に、実家に行って

仏様を拝んで来ようと思っている。


2004年08月14日(土) 自分で

何かを自分の物にしようと思うなら

人に教えてもらうだけでは駄目だと思う。

特にPCのことに関してはつくづくそう思うことが多い。

PCを始めて2年と数ヶ月になるけれど、

この最近、PCをいかに使いこなしていないかということを実感している。

この数日前から、マイクつきヘッドフォンをつけて

人と音声チャットやPC電話をするようになった。

きっかけは、友人に誘われたのだが、

それまでにも出来ることは知っていた。

でも、設定方法や面倒なことがあると思って全くする気になれなかった。

そんな私が、親友との電話代のことを思って

やろうと思い、何とか設定もでき、実行できるようになった。

この時も人に方法を教えてもらいながらしたのだが、

その親友に教えようと思うとこれが思い出さないことがあるのだ。

やはり、人を頼ってばかりいたせいであろう。

自分が勉強し色々とやってみて最後に理解できたものは

いつまでも覚えているものだ。

学生時代の勉強も同じだ。

教わることは必要だけれど、

人だけに頼っていては駄目だと思う。

昨日は、それを嫌というほど思い知った。

この間から私が色々な設定方法を触ったためか、

Cookieが保存されていない状態になり、

書き込んだ時の名前やアドレスや削除キーが

毎回書き込まねばならない状態になってしまっていた。

この日記も更新するたびに、

IDやパスワードをいちいち書き込むことが必要になっていた。

これは面倒なので、前のように保存された状態にしようとおもい、

何時間もかかって設定方法を探し、遂に出来た。

嬉しかった。

自分でしたものは覚えていて忘れることもないだろう。

やはり人に頼るだけではなく

自分の力でやらなかればいけないことを痛感した。

それが今日、このつぶやきを更新しようと思い

やってきたのだが、また保存されていない状態に戻っていた。

( ¨)¨)¨)¨)¨)¨)¨) エー!!

また設定しなおしたのだけれど、

本当にこれで良いのかな?という疑問が残っている。

でも、良いと思う。

できていなければ、また勉強してみようと思う。

それが自分自身のためになることだと思うから。


2004年08月13日(金) こんなにも

この数日とても気楽な日々が続いている。

HPを休むことがこんなにも楽だったとは!

本来、自分の楽しみでやっているのだから

こうあるべきものなのかもしれない。

でも、私の性格は何でも一生懸命、

完全を求めてしてしまうので、

長く続けていると次第に疲れてくる。

今までの私なら、

いくら疲れていても、

いくらやりたくなくても、

更新や訪問をし続けていた。

でも、この頃は少し考え方を変えた。

自分自身の楽しみのためにするものが

苦痛になってはいけないと思い始めたのだ。

夏休みをとって、

こうして好きなときに好きなことをするようになって

こんなに楽な気持ちになるとは想像もしていなかった。

多分、人生もこうなのだと思う。

私は私の首を自分で絞めていたのだと思う。

なんだかとてもあほらしくなってきた。

残りの人生をもっと楽しく気楽に過ごしたい。

見知らぬ人と知り合って、

その付き合いに心をすり減らし、

時には心無い言葉に傷ついていた私が

とてもバカみたいに思えだした。

こういう風に思い始めると、

今まであんなに想っていた人の存在さえ

私の心の中ではとてもちっぽけな存在だったことに気づいた。

今は本当に心から笑える私が居る。

強がりでもなく、もう二度と会いたくないと思う。

声も聞きたくないと思う。

存在すら考えたくないと思う。

私は私。

あの人はあの人。

大笑いだ!

何故あんなにも一生懸命に考えていたのだろう?

世の中にはもっともっと素晴らしい人が居るのに気づかなかった。

こんなにも楽な生き方があるって気づかなかった。

私の今度の夏休みは最高の夏休みになった。

今のこの気持を忘れないで

もうしんどい道を歩くのはやめようと思う。

自分の人生は自分のものだ。

誰に気兼ねするものでもなく、

自分が良いと思った道を歩きたい。

本当にこの数日の間に私の心は晴れてきている。

最高の夏休みになった気がする。


2004年08月12日(木) 感激

昨日、大阪に住むメル友から電話をもらった。

奥さんの実家が高知にあり、

春に松山へ来てくれて山頭火の一草庵に案内してあげた友だ。

時々、絵手紙を送ってあげている友でもある。

彼がお盆で奥さんの実家へ帰省するということは聞いていた。

私がHPで今開催している絵手紙展のスライドショーを見てくれて、

一度実際に見たいと言ってくれていた。

でも、大阪からだと遠いし、

私は、彼が高知へ帰省されたときに、

もし良かったら見て欲しいと言っていた。

でも、時間的に余裕も無さそうだったので、

諦めていた。

昨日の電話で実際に見に行ってくれたと聞いたときは本当に感激した。

絵手紙に関心があり、

私の絵手紙を家に飾ってくれている

ということを聞いたときもとても嬉しかった。

HPを見て、実際に絵手紙展を見たいと言ってくれる人は居る。

でも、距離的に遠いから無理な人が多い。

だから、こうしてわざわざ見に来てくれたことが嬉しかった。

去年の秋の絵手紙展も、

大阪のメル友たちがオフ会も兼ねて見に来てくれた。

あの時以来の嬉しさだ。

絵手紙をしていて良かったと思える瞬間でもある。

こうして良い人と出会い、

お付き合いをさせてもらえることに喜びを感じる。

出会いは奇蹟だ。

でも、出会いも良い出会いばかりではない。

私がPCを始めてから出会ったメル友の中にも、

私にとって良い人ばかりではなかった。

苦い経験もいっぱいした。

でも、今はこうして素晴らしい友たちに恵まれている。

これからも絵手紙を通して、

心と心の触れ合いを続けていきたいと思う。

心と心の架け橋になる絵手紙を、

これからも長くしていきたいと心から思う。


2004年08月11日(水) どうなのだろう?

いくら病気であっても、

また病気になるかもしれなくとも、

心だけは元気で居たい、

元気で居よう。

いつもそう思っていた。

でも、これは自分自身のことにしか当てはまらないようだ。

一昨日、

私の友人から人間ドックでした肺と胃の検査で

再検査が必要だといわれたということを聞いた。

私自身のことなら、

本当に全く気にしないのに、

やはり、友人のこととなると

とても気になってしまう。

昨日は一日中、

このことが頭から離れなかった。

悪い方へ悪い方へ考えてしまうのだ。

最悪のことまで思ってしまう。

でも、友人には心配しないようにしようねとか、

いくら考えても同じだから、

再検査が終わるまではくよくよしないようにねとか

本当に偉そうなことを言ってしまった。

私にこう言われた友人がどんな気持ちになるかと思うと、

私の言った言葉が、あまりにもしらじらしく思えてきた。

あんなことを言うのではなかったと思う。

友人は、私に何もアドバイスを求めていたのではないのかもしれない。

ただ、話を聞いて欲しかっただけかもしれない。

だから、私はただ、黙って友人がいう言葉を聞いただけで良かったのだ。

要らぬことを言ってしまったことを後悔している。

でも、言葉は一度出てしまうと一人歩きをしてしまう。

私が二度と呼び戻そうとしても戻ってはこない。

もう言ってしまったのだから

今更失言だとも言えない。

私の友人への心配する気持ちが

あまりにも直接的に伝わるのはしたくない。

だから、ああいう言葉になってしまった。

もしも、友人が・・と考えると、とても辛い。

せっかくこうして出会った友人が

健康で楽しい人生を送ってくれることが私の望みだ。

来週、肺の再検査をすることにしたと言っていた。

どうか、異常がないようにと祈りたい。

でも、本当にどうなのだろう?と私の心も不安になっている。


2004年08月10日(火) こんなにも不安になるとは

車に乗ることが、こんなにも不安な気持ちになったのは初めてのことだ。

やはり、先日のことがあったからだと思う。

昨日、代車を借りてきた。

人の車に乗るのはあまり好きじゃないけれど、

私の場合は車が足になっているから

車なしの生活は考えられなくなっている。

母の病院への送り迎え、

娘の塾や習い事への送り迎え、

近くの店への買い物、

そして、松山へのショッピング。

お盆前なので、お墓掃除にも行かなきゃいけない。

私の心臓の病院の診察日も近づいている。

色んなことがあるので、

家にじっとしているわけにもいかないし、

そうかと言って、

自転車で動くのは心臓に負担がかかる。

タクシーを利用するのはお金がかかる。

結局は私が車を運転することが必要になってくるのだ。

でも、昨日など、カーブするときに、

なにもないのはわかっているにもかかわらず、

左に急にポールがあって当たりそうな気がした。

胸がドキドキしてしまった。

運転にこんなに緊張したのは

免許を取るときの試験以来だ。

これは不味いな・・・

もっとリラックスして運転しないといけないと思う。

もうすんだことは忘れよう。

運転中は考えないようにしよう。

気持ちを切り替えることの大切さをしみじみ思う。

でも、この代車の間は

なるべく遠出はしないで

最小限度の範囲を動くことにしようと思う。

不安な気持ちは体に悪い。

あれほど運転がストレス解消になっていたのだから。

運転がストレスになるようではいけない。

気持ちを楽に・・・


2004年08月09日(月) なんと便利な

先日、あるメル友から音声チャットをしようと言われた。

それまでは文字を打ち込むチャットしかしたことがなく、

これでも相当便利だと思っていた。

音声チャットなんてどういう風にすれば良いのか?さえ分からなかった。

でも、マイクつきヘッドフォンだけ買ってきた。

友人にサイトを教えられ、ダウンロードして登録を済ませ、

準備がOK状態になった。

でも、いざ、始めようとすると、

サインインできない。

ヘルプやよくある質問を見ながら、なんとかサインインは出来た。

そして、いざマイクつきヘッドフォンを頭につけ、

口元にマイクを近づけて会話をしようとした。

でも、相手の声は聞こえるのに、

こちらの声が相手に届かないと言う。

またヘルプを使って、コントロールパネルの中から

ボリュームコントローラーを出し、

マイク設定をしなおし、これでもう大丈夫と安心していた。

昨日、初めて試しに電話のように話せるところで

適当な人に電話をかけてみた。

繋がった!

凄い進歩だ!

でも、相手の人は私の声が小さいと言う。

それから何時間も丁寧に説明をしてくれて、

私ではまったく触ることのない場所に行き、

言われた通りにしたら、

なんとマイクを通しての私の声がとてもクリアに聞こえると言われた。

\(o⌒∇⌒o)/ ワァイ♪♪♪

と思った途端、

またまた難点にぶつかった。

私からは相手をコールすることが出来るのだが、

相手から私にかけられないらしい。

ルーターを利用しているのなら、

それに穴をあける必要があると言われた。

電話が出来るなんてなんと便利なことだろうと感心していたが、

今度はなんと面倒なことかと思ってしまった。

夫に言っても分からないみたいで、

結局、ルーターに関係なく話しの出来るところを教えてもらうことができた。

昨日は電話のように話しが出来る初体験をした。

4人まで一緒に話ができるという。

私は親友と長電話をしてしまうのだが、

これを利用すれば電話代が要らなくなるので

安上がるし、家計も助かるし楽しい。

でも、彼女はきっと面倒だと言ってしまうだろう。

私も側に誰かいると話しにくいこともある。

家に一人で居る時はOKだけれど、

普通のチャットとは違って、気兼ねをしてしまう。

でも、私のPCの世界も広がったものだと

自分で感心している。

世界中の人と話しが出来るとか。

TV電話のように相手の顔を見ながらも話せるとか。

本当に便利なものだとつくづく思う。


2004年08月08日(日) 夏休み

昨夜は本当に久しぶりにカラオケで楽しんできた。

叔父の四十九日の法事があり、

従姉や叔母と会って、カラオケに行こうということになった。

歌の好きだった叔父だから、

私たちが法事の後で、カラオケに行くことを

きっと喜んでいることだろうと勝手に思ったりした。

午後6時から9時までの3時間

思いっきり歌えて本当に楽しかった。

叔母には、ずっと昔に私がカラオケ教室の先生として

教えていたことがあったのだけれど、

昨夜もその時に教えてあげた「だんな様」を、

あの頃と同じように上手に歌っていた。

父はお酒が入るといつもの調子で

本当に自分が一番上手いと信じて歌っていた。

まあ、確かに上手いのだけれど・・・

母は歌わないと言っていたが、

私たちの言葉に乗ってくれて

「北国の春」と「影を慕いて」を歌った。

上手くはないけれど、年の割には大きな声も出ていたと思う。

カラオケは上手いヘタではなく、

歌うものが楽しめればそれで良いと思っている。

だから、自己満足の世界で良いのだとも思う。

従姉の歌は初めて聞いた。

難しい美空ひばりの歌や

越路吹雪の歌を感情を込めて歌ってくれた。

聞いているだけで良い気持になった。

私も、好きな歌を楽しんで歌えた。

歌うことは本当に良いものだ。

楽しい時間を過ごせたことは叔父に感謝しなきゃと思う。

お盆も近づいてきた。

今日はお寺のお施餓鬼に行くことになっている。

お墓掃除や実家へのお参りと

今週はバタバタと忙しくなる。

しばらく夏やすみにしようかな・・と思っている。


2004年08月07日(土) 少しでも

毎日の生活の中で少しでも自分の中に進歩を見出したいと思う。

何気なくしていることは習慣的になっていて、

いつも同じことの繰り返しになっていることが多い。

だから、進歩は望めないような気がする。

でも、人が生きていく上で、

何ちょっとしたことでもいいから

自分の中で「進歩したなあ・・・」と思えることがあれば、

毎日の生活にも張りが出るというものだ。

性格はなかなか変えられないと言う。

生まれる前から持っているものもあるかもしれない。

また親から受け継いだものもあるかもしれない。

だから、自分の嫌な性格を直そうと思っても、

なかなか上手くいかないことが多い。

でも、ちょっとした考え方を変えてみると、

今までの自分とは少し違った自分を発見することがある。

私はこの頃自分が変わったことに気づいている。

あんなに悲観的なものの考え方しか出来なかった私が、

今頃は現実を受け入れ、

その上で前を見て、

小さくてもいいから喜びを見つけようとしている。

これって私にしては凄いことだ。

進歩だと言っても過言ではない。

こんな風な私になれたのも色々なことがあったからだ。

そして、その色々なことから逃げずにいたお陰だと思う。

逃げることは卑怯なことだ。

でも、昔の私は嫌なことからいつも逃げていた。

見たくないと思っていた。

考えたくなかった。

見えなければ良いと思った。

だから、いつも逃避していたのだと思う。

受け入れることができなかったから前を見ることもできなかった。

もし、自分が幸せになりたいと願うなら、

今の自分をまず認めなければいけない。

受け入れなければ進歩などできるはずがない。

自分を良い方向へ持って行きたいと願うなら、

少しでも今の自分が進歩したいと願うなら、

まずは現実を見つめ、

受け入れて、自分を認めることだと思う。

小さな進歩でいい。

人には気づかれなくても良い、

自分自身が楽になれたらそれは相当の進歩だと思う。

そしてこの小さな進歩がまた次の進歩へと繋がっているのだと思う。


2004年08月06日(金) 二者択一

考えてみたら、私の人生はいつも二者択一だった。

物事を白か黒、

良いか悪いか、

○か×か・・

いつもこんな考え方で生きてきた。

グレーの世界は何かとても曖昧で信じられない世界だと思っていた。

でも、よく考えてみると、

二者択一的な考え方をしていると、

いつも自分自身を苦しめることになるような気がする。

どちらかを選択しなければいけない時、

人はその選択について心を悩ます。

本当は右も左も良いのだけれど、

それを選ばねばならないとしたら、

どんなにか苦しいだろうと思う。

人生は一度きりだ。

やり直せることはできない。

勿論考え方を変え、、

今までの自分の生き方を変えようと思う人も居るだろう。

いずれにしても、

自分が楽な生き方ができることが

誰もが願うことだと思う。

人生の中で何かを選ばねばならない時、

こうでないといけないと思うのではなく、

「これも良いし、またあれも良い」

というような選択の幅を持っていれば、

一時的に悪い状況や不幸な出来事があったとしても、

それをいい経験として、

自分を育てる材料にすることができると思う。

そしてどんな選択も必ず自分にとってはいいものになると思う。

例えば、

ちょっと問題もあるけれど、

これが選べることの幸せ、

まだ不安もあるけれど、

やれるだけましだと思える思い方、

そして、悪い選択かもしれないけれど、

こうして生きているのだから色々なことがあるだろう、

このことを良い経験だと思おうという姿勢、

こういうふうことが生きていく上でとても大事なことだと思う。

結局は選ぶ時に自分が楽な選び方をすれば良いのだ。

より多くの選択肢を持つことによって、

選択の幅も広がるし、

今以上に余裕を持って選ぶことができるのではないだろうか。

これから起きることに要らぬ不安を持って生活するよりも、

どんなことでもそれを自分の中で受け止め、

そして決して後悔しない生き方、

これこそが自分自身の幸せに繋がる生き方のように思える。








2004年08月05日(木) 警告かも?

これは、まさに神様からの警告だったのだろうか?

こんなにも自分自身が色んな意味で疲れていたとは気づかなかった。

前から時々不整脈は起きていた。

不整脈は誰にでも起きるもので、

大なり小なり皆経験しているはずだ。

でも、私の不整脈は、

期外収縮と言って、脈がまるで心房細動を起こしているように早く打つ。

そして一瞬止まるのだ。

ひどい時はその一瞬の停止の間意識がなくなって、

頭はふわ〜となる時がある。

これがどんな時に来るのかが分からない。

今までも何回か経験している。

その不整脈が昨日運転中に起きた。

この最近、色々なことで多忙になり、

睡眠時間も本当に短く寝不足状態が続いていた。

それにもまして、一昨日の件で心の中に色々な思いが生じ、

悩むというのではないけれど、

私の心の中では結構ストレスとして存在していたのだろう。

私の心臓は先天性疾患に加えてストレスにとても弱い心臓だ。

ちょっと怒るとたちまち脈は乱れる。

また、不安や驚きではそれがとても顕著になる。

数年前にスケート中に後ろからぶつかってこられ、

左の手首を骨折した時は

不整脈は勿論起きたが、

その上にショック状態で意識を喪失しかけた。

私の場合、もし何か事故に遭遇したら、

怪我のためというよりもこのショックで死亡するだろうと思う。

その不整脈が運転中に起きてしまった。

そして脳に一瞬血液が回らなくなったのだろう・・

本当に覚えていないのだけれど、

一瞬意識がなくなってしまったのだ。

ば〜んという物凄い音でハッとした時は遅かった。

スピードは出ていなかったが、

気づかないのだからブレーキを踏んでいない。

車の左の部分をガードレールに思いっきりぶつけてしまった。

そして、そのまま走行していたのだ。

家に帰って車を見てみると相当な損傷だった。

手続きをして車の修理をしてもらうことにしたが、

保険で直るというので安心はした。

でも、本当に今思っても恐ろしい。

あれがガードレールで良かったとつくづく思う。

もしも、左側を歩いていた人に当たっていたら・・と思うとぞっとする。

大難が小難で済んだ、

本当に不幸中の幸いだった。

母に話すと、私の体のことをとても心配し、

これはきっと神様の警告だと言った。

私もそうだと思う。

日頃の疲れや寝不足、そして心の中の色んな思い、

それらが極限状態になって、昨日の不整脈の原因になったのだと思う。

昨日の夜は早目に休んだ。

あれから不整脈は起きていないけれど、

いつまた起きるかどうか分からない。

やはりこの猛暑の折、

たっぷりの休養と栄養とそして心の安定、

これが一番大事なことだと思う。

これからは体調の悪いときは運転は控えなければいけないと思う。


2004年08月04日(水) さようなら

今日で本当に終わった。

今日が私の第二の人生の誕生日になるだろう。

今日から私は生まれ変わる。

この間から今日がこういう日になることを予感していた。

一ヶ月前の私なら、

今日と言う日が本当に最悪な日だと感じていたに違いない。

それにしても、私は強くなったものだ思う。

「何が彼女をそうさせたか?」という言葉を聞くけれど、

まさに、「何が私をそうさせたか?」と思ってしまう。

時の流れだろうか?

それとも心の変化だろうか?

どちらにせよ、もう私は後ろを振り向かない。

前しか見ないつもりだ。

今日という日を迎えることは,

確かに想像はしていたし,

その時の私の気持を考えると,

とても勇気が出なかった。

でも、必ず来るということはわかっていた。

そして今日という日が来た。

これも言おう、

あれも言おうと思っていた。

でも、もう何も言いたくない。

なんだかあほらしくなってきた。

ここで、私が腹を立てたり、

悲しんで泣いたりしたら、

それこそ、くだらないことに振り回されることになる。

もう本当に良い。

これで全て終わった。

何もかも断ち切ることができる。

今日があったからこそ、

これからの私の世界は、

パーフェクトの世界になるかもしれない。

どんなことがあっても、

どのようなことが起きても、

私は泣かない。

私は笑う。

そして今日から以前の私を抹消するのだ。

再生された私は、

今までの私でない人生を歩もうと思っている。

いつまでも過去のことに引きずりまわされていることへの苛立ちもある。

もういい!

本当にいい!

私は私の考えで生きていく。

あなたの杖など必要ないのだから。


2004年08月03日(火) 素晴らしい本との出会い

人が本当に感動したときって言葉にはならないのではないだろうか?

最近私はとても素晴らしい本に出会った。

その本は「Deep Love」という本である。

この本をある人に紹介されて読んだのだが、

感想を?と聞かれて答えることができなかった。

強いて言えば「涙が出た」。

読んでいくうちに自然に目が熱くなり、

自然に涙でいっぱいになってきたのだ。

こんなにも心をうつ本に出会ったのは久しぶりのことだった。

何が悲しいの?と聞かれても答えられない。

私に言えるのはただ「あなたも読んでみて」という言葉しかない。

人間の純粋さ、心の美しさに感動したのかもしれない。

今のこの時代にこんなに純粋な心の持ち主が居るのだろうか?

汚れてお金の力でなんでも出来る今の世の中。

人を思いやる気持ちなんてダサいとさえ思われる貧しい日本。

そんな日本の中にも純粋な心は生きているのだ。

その純粋な心に触れて何かを感じ、

自分の今まで生きてきた生き方を思い修正することができるのだ。

私も幼いときから、

世の中の矛盾や自分の力ではどうしようもないことがある

ということを感じてきていた。

でも、それがいやでたまらなくって、

我慢できなくて我儘な行為を繰り返してきた。

私の命だから私がどうしようとも勝手だとさえ思っていた。

なんと思い上がったことだろう。

親の気持ちや私の周りの人の気持なんてわからなかった。

否、わかろうとしなかった。

そして自分の思うように好きなように生きてきた。

自分を大切にしない人が、

その人の周りの人を大切になどできるはずがない。

それなのに、

私の方だけ見ていて欲しいという、

まるで幼子のまま成長してしまった私。

この本を読んでいくうちに言葉の中の心を感じた。

涙が自然に溢れてきた。

私の心が浄化されたと言っても過言ではない。

そんな人の心を打つ本に出会えた幸せを感じる。

私も本当の生きる意味についてもっと素直にならないといけない。

今の私の一番大事なものに気づかねばならないとつくづく思った。

私の幸せは小さなものであっても、

それば私の今の生活の中に存在するのだということ。

これこそが私の心の基点になっているのだということ。

人のこころ、

本当の愛・・

そんなとてもピュアなものに会えた喜びを感じる。


2004年08月02日(月) 楽しめるために

人が、自分は楽しいなあとか幸せだなあと感じるとき、

それは3つあるように思う。

1つ目は何か欲しいものを手に入れたとき、

2つ目はそれを手に入れるためにした努力を楽しむことができるとき、

そして3つ目は、その幸せを味わえるとき。

この3つの幸せは相反するものではなく、

同時に存在するものでもある。

人は何かの夢や目標を持つ。

そして、その目標や夢を実現するために努力をする。

この努力は易しいものではなく、

寧ろ困難と苦しみの方が多い。

でも、この苦しさや自分がする努力を楽しめることができたら、

どんなに素晴らしいことだろう。

夢や目標が実現することは確かに嬉しいことだ。

幸せなことでもある。

でも、

その夢や目標の実現への道のりを楽しむことをする人はあまり居ない。

わかっていても、つい愚痴のひとつも出るというものだ。

安易な方法では実現しないことほど、

それが実現した時の達成感は大きなものになる。

そして、一度手に入れた幸せや夢の実現を、

これからどういう風に維持していけば良いのか?

これがまた難しい。

大恋愛の末愛する人を手にいれ、

幸せの絶頂に居る人たちが、

結婚した後もこの幸せな気持ちや

結婚するまでの二人で歩んだ道のりを思い出し、

これからの長い人生の中で生かすことができたらどんなに良いだろう。

これができない人たちは離婚という手段をとり、

折角二人で見つけ実現した幸せを崩していってしまうのだ。

なんと悲しいことではないか。

人の気持は変わる。

でも決して変わってはいけないこともある。

それはいつも相手のことを思いやる気持ち、

相手の立場になって考えることができるやさしさ、

これを失ったとき、その幸せは去って行ってしまう。

結局は自分が幸せになりたいと願うなら、

それに合う努力をすべきなのだ。

何もしないでおいて嘆き悲しんでもどうしようもない。

我慢やいたわりや、同調も必要だ。

幸せや楽しみをいつまでも自分のものにしておきたいと思うなら、

やはりそれなりのことをする必要がいるのだとつくづく思う。


2004年08月01日(日) 錯覚

時とは不思議なものだ。

あの時、

あんなに、

本気であなたを想っていたことが

今思うと、

ただの錯覚だったことに気づく。

何故あれほど一生懸命に想っていたのだろう?

会いたい・・

忘れることのできないあなたに一度だけでも会いたいと願っていた。

今はまるで嘘のようにそんな心が消えている。

本当に一生忘れることはないだろうと思っていた。

あの時のあの時間は永遠に続くと思っていた。

でも、それもまた錯覚だったことに気づいた。

もう、私の中にあなたは居ない。

あの私の悲痛な叫びは神様に届いた。

そして叶えられた。

でも、それは間違いだったことを教えられた。

本当に良かったと思う。

私の人生の原点に戻れたことが良かったと思える。

私の人生の原点はやはりあの19歳の時。

あの時に戻ることが怖かった私。

でも、今は逃げずに私自身を見ることができる。

あの時から私の心の中の時計は、

時を刻むことをやめた。

そして、いつも冷めた目で見る私が居た。

あなたと出会って、

その冷めた私の心に、

もう一度火が付いたのだけれど、

結局は私の心の水の方が大きかったようだ。

私の人への想いや愛する心は、

もう二度と燃えることはないだろうと思う。

でも、これで良いのだと思う。

私は私自身を大事にして生きることの必要性を感じている。

あなたとの別れがあったからこそ、

今の私が居るのだと思う。

本当にもう一生会うことはないだろう。

でも、私はそれで良いと思う。

私の人生は原点に立ち返り、

もう一度私自身の心を見つめなおすことから、

再スタートを切ることができるはずだ。

本当にあなたとのことは、

思い出として残すことさえしたくないと思うようになった。

あの一年半の思い出は間違いであったと信じたい。

私の人生の中から抹消したいと思う。

そして、私は私自身の幸せのために、

私自身の心に素直に生きていきたいと思う。


スカーレット