スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2004年02月29日(日) 雨の朝

昨日の夜から雨が降っている。

この最近は晴れが続いていたので

庭の木々や花々にとってはとても良いおしめりになる。

空気の乾燥によるのどの痛みや、

花粉症の人にとっても、雨はほっとするだろう。

春の雨はどこか淋しい気がする。

か細い雨を見ていると女の涙を連想した。

今私の耳に聞こえてくるのはFMから流れるバロックの曲だ。

単純で、その旋律の完全さに驚く。

こうして朝家族の起きてくる前の朝のひとときは

私にとってなによりの慰めになっている。

朝のトーストとヨーグルトと牛乳の食事に

小さな小さなし・あ・わ・せを感じる。

今はビバルディの合奏協奏曲がかかっている。

このヴァイオリンの音色のような綺麗な音が

いつになったら私のヴァイオリンから出るようになるだろう?

いろんなことを考えながらのひとときである。

今日は4年に一度の2月29日、おまけの日だ。

夫と娘は映画に行くと言っている。

私も一緒に行って雨の日曜日を家族と共に

小さな幸せを改めて感じて来ようかと思っている。


2004年02月28日(土) 新しい私

今日で2月も終わり!

ではなくて後1日あるけれど、

私の中ではもう2月は終わった。

今年に入ってのこの2ヶ月間が私の中で消してしまおうと思う。

確かに存在はしているのだけれど、

これからの私には必要のない思い出が多かったから。

選択することのできる私の世界だから、

私が望むものばかり残しておくのも良いかと思うのだ。

春ももうそこまで来ている。

私にとっても春が来た。

長い冬は終わった。

新しい私になって、歩き出したのだ。

全く違う私にはなれないかもしれないけれど、

少なくとも嫌なところだけは捨てたいと思う。

私は元気。

私は明るい明日だけ見ていける。

頑張るのではなく、自然の成り行きに身を任せるつもりだ。

今日は母と娘を美容院へ連れて行く。

こうした日常の生活の中に本当の幸せがあるのだと思う。

気負わずに焦らずに私の人生を私の足でゆっくりと歩いていきたい。


2004年02月27日(金) 小さな幸せに・・・

こんなに幸せな気持ちになれるなんて思ってもみなかった。

私は本当に幸せ者だ。

今自然に笑顔になっている私が居る。

やさしさとやわらかな、そして暖かな、

まるで春の風のような気持ちで居られるのだ。

鏡を見てニコっとしている私が居る。

気持ちの持ちようで人はこんなにも変わることができるのだと

改めて感じている。

有難うという言葉が心の底から湧いてくる。

こんなに穏やかな心になれたのは何日ぶりだろう?

肩肘を張るのでもなく、

突っ張ることもなく、

肩の力を抜いて、笑っている私が居るのだ。

何をしていても楽しくなく

暗い顔をして悲しみで心が押しつぶされていたあの日、

いくらもがいても、もうどうしようもないことに気づき

新しく生まれ変わろうと思った私に、

天使は小さな幸せを運んでくれたようだ。

色で言えばレモンイエロー、淡いピンク色の世界が

私の目の前に広がってきている。

この今の幸せが長く続くように

あの辛かった思いを二度としないためにも

学習してきたことを、経験として身に付けて

もう二度と同じ過ちをしないようにしたい。

そして私が一番楽な気持ちになれるように

少しずつでいいから、強い心、元気な心で過ごしていきたいと思う。


2004年02月26日(木) 表と裏

何にでも表と裏はある。

にも関わらず、

物事を360度の角度から全体を捉えて見る見方の苦手な私は

いつも一つの角度、

ひとつの方向からしか見ていなかったように思う。

コインの表と裏で勝負することだってあるのだから、

何事も一つの方向からだけではなく

裏、斜め方向からも見なければならないということを

今更ながら思い知らされている私だ。

悲しみとやさしさは裏表にあるのではないだろうか?

悲しみを経験したからこそ人にやさしくなれる。

辛さや悲しみを持つことによって、

それが癒されたときの幸せを感じることもできる。

これは物だけではなく

人に対しても言える。

私がこの人はやさしい人だと信じていても

いざ、何か起きるとまるで豹変したかのように

やさしさは怖さに変わり、

それを受ける私にはやさしさよりも悲しさを強く感じてしまう。

人の痛みの分かる人は何が起きても

まず、自分自身のことに置き換え、

相手の気持を思いはかることが出来るのだと思う。

強い人や挫折を経験したことのない人は、

失敗や失望を感じないかもしれないが

人の悲しさや絶望感も理解することはできない。

物事の表と裏があるように

人の心にも表と裏がある。

それをいつも心に覚えておかないと

思わぬところで裏切られたという気持ちになるのではないだろうか?

でも、裏切られたと感じる気持ちは負の気持ちだ。

自分にとって負の気持ちを持つのが幸せか

プラス、正の気持ちを持つのが幸せか考える時

自ずから分かることである。

私も少しは大人にならなくてはならない。

人を信じるだけがいいことではないのだから。

その人の裏の面を見るということもとても大切なことなのだから。


2004年02月25日(水) あの時

あの時、私の心は寒さと心細さでふるえていた。

誰かに何かを訴えたいって思いながらも、その方法を見つけることも出来ず、

ただ、時間の過ぎるのを待っていたのかもしれない。

時はどんな人にも平等に与えられるものなのかもしれないが、

あの時の私にはとても重たく、遅いものに思えた。

あの時、大声で泣き叫んでいれば、また事態は変わっていたのだろう。

でも、あの頃の私は出来なかった。

人を恨むことも、憎むこともできず、私自身を責め続けていたように思う。

今思うと、私に悪いところがあったとは思えない。

人の心をどうにかしたいと願わなかった私が自分の心を傷つけていたのかもしれない。

氷のような刃で心を傷つけた。

どうしようもないもやもやとした気持ちを私の魂にぶっつけていた。

結果は分かっているのに・・・

どうしようもないということも分かっていたのに・・・

自分自身の存在を疎ましく思い、消そうとした。

あの頃の私は狂気に向かっていたのかもしれない。

刹那的な喜びが永遠の幸せに続くと信じていた。

裏切りという行為が存在することさえ気づかずに居た私。

信じる人から裏切られるという事実にうろたえ、悲しみ、打ちひしがれた私だった。

あれから30年の月日が経った。

今回もあの時と同じように人間不信になりかけていたが、

年齢の積み重ね、経験の積み重ねによって救われたように思う。

時は流れる。

そして、人の心も変わっていく。

いくら辛くてもその事実に真正面から向かっていけば

打ち破ることの出来ない壁などないのだとわかった。

私は今遠い所から差し込んでくるわずかな光に向かって

暗く長いトンネルを抜けようとしている。


2004年02月24日(火) とうとう

私がヴァイオリンを始めて丁度2ヶ月足らずになる。

はじめはどうなることかと思いながらも

少しはましになってきていた。

それが、この二週間ちょっと難しくなり

思うように進まないのもあるが、

やはり肩に思いっきり負担をかけているようだった。

それが、とうとう一番弱い歯に来てしまった。

左の奥に親知らずが顔を出していた。

この年になって?と思うのだがちょこっと出だしていたのだ。

体調の良い時にはなんともなかったが、

昨日、母と映画を見に行った映画館のイスが合わなかったのだろうか?

夜からその親知らずがぐらぐらしはじめ

痛みを伴うようになった。

頬が少しふっくらしたように腫れている。

口中が痛むので、食べることが困難になっている。

ああ〜〜本当に・・

やっとこの頃食欲も出てきて体重も1キロ太って

良かったと思っていたのに・・・

少し休もうかなと思う。

体が一番!

心を元気にと思ってもしんどいとつい弱気になってしまう。

神様の「休め」という命令なのかもしれない。

今日一日だけでものんびりとしてみようと思う。


2004年02月23日(月) こんなものか!

今日、前から母と行こうと約束していた映画に行ってきた。

なかにし礼さん原作の「赤い月」だ。

単行本の時には読めなかったが文庫本になったので

上下二冊を8時間ほどで読み終えた。

戦争を体験していない私にとっては

想像するしかできない世界だ。

でも、戦争の悲惨さや馬鹿らしさ、

満州への夢を果たしながらも結局は崩れ去ってしまった喪失感、

自分の心のまま行動をした女性の生き方。

色々なことが本を読みながら私の脳裏に浮かんできて、

母の満州での体験を合わせてとても期待して見に行った。

でも、2時間で本のあれだけの世界を映し出すことは

到底無理な話だったのだろう。

満州の大地に沈む真っ赤な夕日や

広大な自然、目にも鮮やかな花々の映像は

映画だからこそ味わえた世界だと思う。

こんなものか!と落胆すると共に、

本でしか味わえない感激をもう一度新たにした思いがした。



2004年02月22日(日) 行いは輪のごとく

人が何か行動を起こすこと、それはいつかは自分自身に返ってくるということ。

意味のない行動はないということ。

こうして人生を50年生きてくると実感として味わうことが多い。

原因と結果なのだろうか?

若い頃と違って、思い切った行動ができないという友人が多い。

行動に移すエネルギーがないのよという声も聞く。

でも、考えてみると今この年になったからこそ

自分自身のこれからの残された人生を考えると

迷っている暇はないのではないだろうか?

思いついてそれが可能であろうがなかろうが

行動を起こしてみるということは

決して間違ってはいない気がするのだ。

もし、起こした結果が悪い結果になろうとも

それは自分自身が起こした行動であり

責任は自分自身にあるのだから

怖れずにやりたいと思う。

結果が直ぐに出なくても良い。

しないで後悔するよりは

して後悔したほうが良いと思うから。

こんな偉そうなことを言いながらも

私は起こした行動に伴う結果で落ち込むのではあるが・・

行動は輪のごとく、まさにこの言葉どおりなのだと思う。


2004年02月21日(土) ゆったりと

私にとって一番難しかったこと。

それは気持ちをゆったりと持つことだった。

焦るのではないけれど、

いつも、何かをしなければならないという

何か追われた気持ちでいっぱいになり

その結果、なんでも直ぐに、

絶対にやらないといけない!と思っていた。

何でも一生懸命にするということは

いいことのように思えるけれど、

それは自己満足であり、決して私の側に居る人にとっては

しんどい思いをさせていたのだと思う。

私も、もう少し楽な生き方をしようと思う。

考え方を前向きにはいいけれど、

そのことに捉われて自分の気持ちを偽るのはやめよう。

しんどい時はしんどいって、

やる気の出ないときは出ないって。

素直になりたい。

ゆったりとした気持ちで過ごしたい。

それは私のためでもあり、

また、私の周りの人たちのためでもあると思うから。


2004年02月20日(金) 今日もいい日に

この数日は本当に3月後半から4月頃の陽気だそうだ。

今日はこちらは20度近い気温になるとか。

私の心が元気になった途端、お天気も晴れ晴れして

暖かくなったみたいに思う。

心が元気だと少々の疲れなんて平気になるから面白い。

やはり心の持ち方一つで良いようにも悪いようにもなるのななあ・・・と

つくづく思う。

悩むことがなくなれば誰でも明るい気持ちになる。

そして笑顔が多くなり話も楽しくなってくる。

私も家での話しが元のように出来るようになった。

夫とも冗談が言えるようになった。

娘のことも少しのことでは腹も立たなくなった。

家族は口には出さないけれど、

今までの私のことを心配していてくれたかもしれない。

本当に心配をかけたことを心から謝りたいと思う。

今日は母をいつもの歯医者へ連れて行くことになっている。

そして、その後久しぶりに親友とのデートをする。

彼女にも色々と心配をかけた。

今日は笑って明るい話ができると思っている。

今日のお天気のように私の心も晴れ晴れしている。

今日もいい日に!


2004年02月19日(木) 心の不思議さ

嘘みたい!

今の私の心はとても晴れやかだ。

あの数日前までの真っ黒だった世界が

今はスカイブルーに近い色に変わっているのを感じる。

「真っ黒なキャンバスには自由な色で絵が描ける」

本当にそうだと思う。

あの真っ黒だった私の心のキャンバスに

今、私は明るいピンクとイエローで描くことが出来る。

あのもやもやと、鬱々としていた私にさようならをして

今、新しい私に出会ったような気がするのだ。

神様はやはり私に試練の時間を与えたのだ。

そして、落ち込むだけ落ち込んで、耐えたからこそ、

私の心は何倍も強くなったように思える。

本当に強がりでもなく、やせ我慢でもなく

見栄でもなく、良い格好で言っているのでもなく、

私の心は元気になった。

もう、愚痴は言わないし言うこともなくなった。

私の前には新しい未来が見えてきたのだ。

私はもう後ろを見ないで、

新しい、明るい未来を見つめて歩いていこうと思っている。

心からの有難うをあの人に言えたからかもしれない。

心の不思議さをつくづく感じる今日の私だ。


2004年02月18日(水) 別れと出会いの季節

2月も後半に入った。

後10日もすれば3月になる。

春3月は別れの季節でもある。

卒業、進学、就職と今まで親しくしていた人達との別れがある。

こうして人生50年近く生きてくると、人との別れを何度も経験してきた。

別れは確かに辛く悲しいものだ。

せっかく親しくなれた人達と、

どうして別れなければならないのか?

こう思うと涙が出てくる。

知り合った人達と永遠のお付き合いはできないのだろうか?

永遠の付き合いとは言わなくても、

せめてもう数年間の付き合いをしたいと願ったことも多くあった。

別れの中でも、一番心を痛めたのは

やはり愛する人との別れだった。

あれほど心を通わせた相手を失うことの怖ろしさ、

悲しさ、嘆き、自分自身の心の不安・・

そんな思いの他にも、

私が見捨てられたような、

また否定されたような、

そんな淋しさも感じた。

人の心は変わるものなのだと自分自身に言い聞かせても

私の悲しみは消えなかった。

食べることも寝ることも、何かをするという意欲も

全て失った。

人間不信になった。

そして、心の病気にもなった。

でも、考えたら、私が悩み苦しんだことは

私への試練だったように思う。

世の中にはもっともっと辛く悲しいことに直面している人が居る。

苦しみの種類は異なっても皆それぞれの苦しみと闘っているのだ。

負けないように、

つぶされないように、

前を見て歩いていこうと思えるようになったことだけでも

昔の私に比べると進歩だと思う。

別れがあるからこそまた出会いがあるのだと思う。

3月が過ぎ4月は出会いの季節なのだから、

私にもまた新しい出会いがきっとあると思う。

今日もとても良いお天気だ。

さあ、洗濯してお日様の暖かい空気をいっぱい吸もう。

昨日の赤い月は見ることができなかったけれど、

今朝は大きな大きな真っ赤な朝日を見ることができたのだから。

私は幸せなんだと思う。


2004年02月17日(火) 赤い月

今朝、まだ薄暗い時間に外へ出てみた。

東の空の下の方にオレンジ色(黄色というには濃い色)の

三日月が出ていた。

昨日読み終えたなかにし礼さんの著作「赤い月」をふと思い出した。

あの月はこんな三日月ではなく、

エレナの首を切り落とした時の血の色と

月とのイメージだったとは思うが、

今朝の三日月の色はあまりにもオレンジ色に近かったので

私の心を動かすものがあった。

私の心は最近、月や星を見る余裕もないほどに

落ち込んでいた。

それがこの数日前から、何か目の前の霧が消えて行き

目の前の視界がはっきりとし始めた。

何でも気の持ちようだとはわかっていたが、

この数日の私はまさにこの「気の持ちようで心も変わる」の

言葉どおりだった。

勿論、今でも時々は思い出して、

悲しい気持ちになるときもある。

でも、それは一瞬のことで、

直ぐに気持ちを明るく前向きに持てるようになった。

いくら考えても事態が変化しないのなら

なんだかんだと悩み考えるのが

本当に馬鹿らしくなった。

心に鎧を着たのかもしれない。

誰かが私にどんな刃を向けようとも

それは私の体には突き刺さりはしない。

鎧で跳ね返すことができるから。

人の言葉や態度で一喜一憂するのは本当にやめた。

私は私だと思うから。

あの「赤い月」の中に出てくる人達の

あの時の生に対する執念や絶望を思うと

今の私のこんなことぐらい些細なことだと思う。

明日の朝も今朝見たあのオレンジ色の三日月を

見ることができるだろうか?

私にとってはまさに赤い月だった、今朝のあの三日月を。


2004年02月16日(月) 親孝行の真似事

いつの頃から母を見てなかったのだろう?

あれほど母が大好きで、母なしでは生きていけないと思っていた私が、

この1年母を本当に見ていなかったことに気づいた。

私の心が母以外に向いていたから・・

母のことは気になりながらも、

自分の楽しみだけに目を向けていたように思う。

「もしも母が・・死んだら・・」と思うと夜も眠れなかった私。

今日母を松山の歯医者と眼科医、そして循環器科へ連れて行った。

道中の車の中で、本当に久しぶりに母と話しをしたような気がする。

母は最近また坐骨神経痛が出ているという。

こんなことも知らなかったのか!と思うと、

本当に情けなく、またとても悲しかった。

母には私が生まれてから今までずっと苦労のかけっぱなしだった。

母に思いもかけぬ孫を見せてあげることができたのが

私の最大の親孝行だと母は言った。

私が母にしてあげられることと言ったら、

車を出すことしかない。

私に出来る本当に小さな、親孝行の真似事だ。

松山へ外出の時はいつも母と一緒だった。

買い物も、美容院も、病院も・・・

だけど、この一年は母と一緒に出かけても

母のことを見ていなかった私だった。

母も今年は83歳になる。

いつどんなことが起きてもおかしくない年齢だ。

後残された母の人生の中の、私ができる親孝行、

それは私が元気で家族が仲良くすることに尽きる。

それは決して母のためではなく

私自身のためでもあるのだ。

今までのこの一年間の浮ついていた私を思うとき、

恥ずかしくてたまらない。

母を愛し、母のために出来ることなら

なんでもしたいと願っていた私は何所へ行っていたのだろう?

今、私自身がこのことに気づいたのは

きっと神様が気づかせてくれたのだと思う。

親孝行の真似事でも良い、

私のできることを母にしようと思う。

そして、母との共有できる思い出をいっぱい作りたいと思う。

母のために、否私自身のために!


2004年02月15日(日) 啓示・・ 選択・・  決断

今絵手紙を出してきた。

いつも私の掲示板に来てくれた人たちへ。

心からの感謝の気持ちをこめて描いた「ネコヤナギ」の絵手紙を。

一枚一枚に言葉で言い尽くせない有難うの気持ちを込めて描いた。

今日が最後の掲示板になる。

昨日、娘の入っているコーラス部の演奏会を聞きに行った。

小学生から大人のコーラス、そしてピアノの連弾もあった。

歌声を聞いていると涙が出た。

そして伴奏者のピアノが私を惹きつけた。

まるで雷に打たれたように・・

「お前は今何をしているのだ!」という

神様の啓示に思えた。

本当に私は何をしていたのだろう?

この数日はPCの前に座って只無駄に時間を過ごしていたような気がする。

私にはこれからもっとやりたいことがあるのではないか?

自分が向上できるものがあるのではないか?

私には小さい頃からいつも一緒に居てくれた音楽がある。

小学生の時は鼓笛隊に入り、中学高校とコーラス部に入っていた。

そして大学ではフォークソング同好会に所属して

楽しい時間を過ごした。

そして今はこうしてヘタながらもピアノと

本当にヨチヨチ歩きをしているヴァイオリンがある。

段々とヴァイオリンの魅力を感じてきている。

でも、ピアノをもう一度勉強しなおそうと思ったのだ。

私に残されている時間を、私自身のために使いたいと思った。

今までのようなやり方でのHPの継続は

私にはとても負担になると思った。

人間関係のトラブルで、私がネットに向いていないことも再認識した。

もうPCをやめようかとも思った。

でも、出会った人たちとの交流を大切にしたいと思う。

だから、HPは閉じずに掲示板だけを閉じることにした。

私が自分の心の表現と、絵手紙の公開

そしてヴァイオリンの練習日記はこのまま続けたいと思う。

もしも誰かが見てくれたら嬉しいが

誰も来てくれなくても良いと思う。

私の自己満足で終わっても良いと思うから。

捨てることもひとつの決断だ。

私はこれからは今までと違った生き方をしようと思う。

そして、何年か経って人に聞いてもらえるくらいに

ピアノもヴァイオリンも上手くなりたいと思う。

本当に今まで掲示板に来てくださった方たちに

心からのお礼を言いたいと思う。

心から°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°


2004年02月14日(土) 愛をこめて・・

今日はバレンタインデーだ。

今日のこの日はいつの頃からできたのだろう?

私が青春真っ只中の頃にはなかったように思う。

もしもあの頃にこの日があったなら、

私は一番大切だった私の初恋の人へ心をこめて贈っていただろう。

考えたらもう30年前のことになるのだ。

あの頃の私は今よりももっともっと

人を愛することに敏感だったように思う。

純粋だったのだろう。

信じて疑うことを知らなかったのだろう。

あの頃のあの思い出は決して楽しいものばかりではない。

でも、こうして日が経てば辛かったことや

悲しくてこころの病気になってしまった出来事さえ

何か遠くへ行ってしまったような気がする。

今の私の苦しみや、嘆きもまたあのときのことのように

いつかは忘れないにしても、今のような悲しい思いはなくなるはずだ。

私には私を愛してくれる人が居る。

気づかなかったわけではないけれど

何かいつも他を見ていた私。

今日はバレンタインデーだから、

私の心の中の愛いっぱいを・・・

幸せを感じて・・・


2004年02月13日(金) 一歩ずつ

今朝、絵手紙を投函しようと久しぶりに郵便局へ歩いて行った。

登校する子供達、

会社へ急ぐ人たち、

そして可愛い犬を連れての散歩の人に出会った。

空は今日も快晴になりそう。

朝は冷え込んだけれど、日中は暖かい一日になりそうだ。

こうして少しずつ春の足音が近づいて来ているのを感じる。

家の庭の桜草もやさしいピンク色の花を咲かせた。

見ていてほっとする。

夫も娘も元気だし、両方の親たちもなんとか自分たちだけで

暮らしている。

今の私が一番幸せなのかもしれない。

勿論心の中ではいろんなことを思い、

悩み、苦しみや辛さを友としながら生きている。

でも、考え方を前向きにこころを元気にといつも思っていたら

きっと、良いようになると思えるようになった。

やはり日の経つということは素晴らしいと思う。

少しずつ、一歩ずつ・・

私は春に向かって歩み始めた気がしている。


2004年02月12日(木) 息抜き

人は誰でも緊張しっぱなしでは疲れる。

どこかでほっとする時間がほしいと願う。

私は特にいつも緊張するタイプなので

何か心が休まるひと時が欲しい。

ぼーっとしている時間が何かとても勿体無いような気がして

自分でわざと忙しくしている私。

でも、時々何もかも放り投げて休みたい気持ちになるときがある。

私ってこの今の心の緊張の糸をどこで緩めているのだろう・・・

いつも張りっぱなしじゃないのだろうか・・・

だから、心の休まる時がないのかもしれない。

好きなことをしているようで

実は本当に楽しんでやっていないのかもしれない。

「○○ねばならない・・・」

「こうしなければいけない・・・」

こんな気持ちでしたって絶対に楽しくはない。

人が見て「なんだこれは?」と思っても

自分自身が心から楽しんでしていればそれでいいのに。

私のこの緊張は昔からのような気がする。

一生懸命というと聞こえは良いけれど、

これは自分で自分の首を絞めているようなものだ。

Vnだってピアノだって、要らないところに力を入れるから

腕や肩も痛くなるし、音も綺麗にならない。

力を抜くこと!

これは人生においてもとても大事なことだと思う。

私の息抜きの場所を人に尋ねても

人に求めても得られるものではない。

私が自分自身でほっとする時間や

心が安らぐことを見つけなければいけないのだと思う。

目的もなく散策するのもいいだろう。

本をパラパラ読むのでもなく読むのも良いかもしれない。

とにかく息抜きをしよう。

どこか知らない土地へ行ってみようか?

見ず知らずの人とのおしゃべりに夢中になって

嫌なことを忘れることが出来るかもしれない。

自分で自分の道は開いていかなければならないのなら

少しでも楽な道を見つけたいと思う。


2004年02月11日(水) 気持ちの良いお天気

今日は本当に良いお天気だ。

日差しに春を感じる。

花屋さんの店先には春の花が色とりどりに並んでいた。

外では子供達の元気よく楽しそうな声が聞こえる。

朝スーパーに行ってみると、

14日のバレンタインデーのチョコがいっぱい並んでいた。

丁度娘と同い年くらいの女の子たちが

思い思いのチョコや手作り用の材料を買っていた。

この間娘も友人と一緒にチョコクッキーを作っていたけれど

あの頃が一番楽しいのだろうなと思う。

私にもあんな頃があったのだと思うと

とても懐かしく感じる。

好きな男の子に自分の想いをこめてチョコをプレゼントする。

何となく気恥ずかしい気持ち。

照れくさい気持ち。

純粋な気持ち。

そんなことを考えていると、ふと今の私の心を思ってしまった。

確かに年齢を重ねてはいるけれど

私の心はあの若かった頃と同じように純粋だと思う。

人を想う気持は何歳になってもあるべきだとも思う。

心は枯れたくない。

いつまでも人を想う気持

恋心は持ち続けたいと思う。

こんな良いお天気の日には誰かと一緒に出かけたい。

手と手を繋いで散歩したい。

でも、そんなことを思った私は一人で今ここに居る。


2004年02月10日(火) 何か変?(・_・?) ン?

私は今何か変。

絶対に変。

自分でも変だと思うのだから

人が見たらもっと変かもしれない。

傷つきやすく脆いくせに

直ぐに人を信じてしまう。

そしてありのままの私自身をさらけ出してしまう。

でも、よく考えたら、私のことを知らない初めての人に

こんなに自分を出しても良いのか?と思い始めた。

人にどういうふうに見られるか?は気にしないつもりだった。

だから、私のことをわからない人にはわかってもらわなくても良いと

思ってきた。

でも、これって何か変だと気づいた。

やはり私は私なりの鎧を着て外へ出なければ

いつ、どんな時に誤解されるか分からないと思った。

私は私を一番知っている。

勿論気づいていない未知の部分もあるのだろうけれど

こうして50年生きてきたら

私はどんなのかが分かる。

私の良いところを感じ取ってくれる人の数だけ

反対に私の悪いところしか感じ取ってくれない場合もあるのだ。

少しは勉強しないと。

井の中の蛙状態で生きていったら

いつかとても大きなことにぶつかったとき、

なす術もなくその起こったことの重さに

つぶされてしまうのではないだろうか?

そんな気がしてならない・・・


2004年02月09日(月) 音楽

悲しい時、辛さで押しつぶされそうになっているとき、

耳に流れてくる音楽にどれほど心が慰められたことだろう。

どんなに癒されたことだろう。

私は絵を描くことも音楽を聞くこと、ピアノを弾くことも好きだ。

でも、もしもどちら一つだけを選択しないといけなかったら

私は迷わずに音楽を選ぶ。

若い頃のあの辛かった時、入院しているベッドの上で聴いたさだまさしの歌

何回も繰り返し聴いたあの歌。

テープが擦り切れるほど聴いた。

そして苦い思いと反対に楽しかった思い出を懐かしむ余裕が出来た。

あのさだまさしの歌の詩があの頃の私の心そのものだったように思う。

それからも色んな時に色んな歌を聴いた。

カラオケ教室に通って勉強したこともある。

今も急に一人で思いっきり歌いたくなるときがある。

そんなとき、私は2時間夢中で歌う。

今年に入ってヴァイオリンを始めた。

ピアノと違って、昔から憧れていた楽器ではない。

でも、私には私なりの思い入れがあった。

始める動機は人に偉そうな顔をして言えることではないけれど、

今は私にとってはとても大事なものになりつつある。

クラシックを聴くことが前に比べて多くなった。

こうしてPCを開いている時にもFMが流れている。

名前も知らない曲の時が多いけれど、心がとても落ち着く。

ピアノの曲ばかり好きで聴いていた私だけれど、

今はヴァイオリンの曲が多くなった。

交響曲の良さが少しずつ分かってきたようにも思う。

生の演奏を聴きたくて遠いところまで車を走らせることもある。

夜外出することが大嫌いだった私が

この夜のために出て行くほどだ。

音楽によって生きる勇気をもらった。

少しずつ立ち直っている私だ。

これからもずっと私の心の支えになってくれるだろうと思う。


2004年02月08日(日) 話すこと、聞いてもらえること

人ってどうなんだろう?

私だけなのかな?

自分の心をさらけ出すのは。

夫はあまり悩みを言わない。

無いはずはないから、きっと外へ表さない人なのだと思う。

私は全くの反対の人だから、自分の心の中で悩みを収めておくことが出来ない。

なんて情けないのだろう・・・と思うときもある。

でも、人って、どんなに強い人でも、時には弱音を吐くこともあるのではないだろうか?

愚痴をこぼしたいことだってあるのではないだろうか?

その、弱音や愚痴を人に話したところで、

実際は何も変わらない。

そして、そんな弱音や愚痴を人に話すことが

自分自身を弱くすると信じている人も居るだろう。

でも、何か辛いことや悲しいことがあったとき、

それを人に話すことによって、聞いてもらうことによって

悲しみは半分に、辛さは四分の一に減ることだってあると思う。

聞いてもらうだけで良いのだ。

それについてのアドバイスも要らないときがある。

ただ、受け止めてくれること、

悲しみを共有してくれること、

クッションの役目をしてくれるだけで良いのだ。

身勝手かもしれない。

甘えているのかもしれない。

でも、人間だから・・・

弱い一人の人だから・・・

たまには自分の弱さを出すことも許されるのではないかと思う。

でも、これってもしかして私だけが思っていることなのかもしれないな。


2004年02月07日(土) これで良いのだと

これで良いのだと思う。

これが本当なのだ。

私には見えなかった私の幸せ。

生ぬるいと感じるけれど、

今の私の幸せは大事なものなのかもしれない。

確かに激しいものはない。

刺激もない。

平凡で安全なものだと思う。

今私の周りのこの平穏さもいつかは崩れる時が来る。

両親の死が一番近いかも・・・

私の心の平和は崩れ、心のアンバランス状態に入るだろう。

今はとても無事なのが物足らないけれど、

この平凡さの有り難さにいつかは気づくはずだ。

その時に今のこの私の幸せを思うはずだ。

遅いかもしれない。

でも、きっと気づくはず。

今は感じられない平凡な生活の有り難さを、

きっと懐かしいと思うときが来るだろう。

これで良いのだ・・・


2004年02月06日(金) 気負わずに

一時はやせ我慢をしようと思った。

無理をして前を向いて歩こうと思った。

でも、それをしようとすればするほど

余計に辛く惨めになっていく私が居た。

もう気負わずにいきようと思った。

なるようにしかならない。

じたばたしたくない。

無理をしない。

話をしたくなければ話さなくても良い。

何もしたくなければ一日寝ていよう。

いつか冬が終わって春が来るように

自然に私の心の中の氷も溶けるだろう。

頑張らない。

無理をしない。

私の人生だ。

気の向くように。

気ままに。

長く付き合っていくために・・・


2004年02月05日(木) 空元気

朝起きてまず初めに鏡を見る。

そして自分の顔に向かってにっこりとする。

今日一日良い日になるようにとの願いを込めて。

それがこの二ヶ月ほどはできない。

朝自分の顔を見るのが怖い。

笑えない。

情けない顔になっている。

でも、時間は同じように過ぎていく。

元気を出そうと思ってみる。

動いてみる。

でも、何をしても気持ちがない私が居る。

虚勢を張っている私が居る。

空元気な私が居る。

いつになったら本当の元気が出るのだろう?


2004年02月03日(火) 喜びは2倍に悲しみは半分に

友が居る。

友情を感じる。

辛い時、悲しい時、友に話すことで、

悲しみは半分になる。

辛さも少しは癒される。

嬉しい時、喜びが2倍になる。

心から喜んでくれること。

こんな素晴らしいことはない。

人は一人では生きられない。

一人が好きな人だって、

それはたまに感じることであって、

いつも一人なら淋しいはずだ。

一人ぼっちは辛いはずだ。

心の支えになれることの幸せを感じる。

心の支えになってくれることの喜びを感じる。

そんな友の大切さを嫌というほど分かっていながら、

人間は残酷なことを平気でしてしまう。

その時には相手の気持を思いやることすら忘れている。

自分のことだけしか考えられない状態になっている。

自分は自分、

自分自身の人生は自分のもの。

でも、利己主義ではなく他者の気持ちを思いやることのできる

余裕が欲しい。

私は今人の気持のはかなさを感じている。

脆さを感じている。

悲しみは私の一人の心の中で

何倍に広がっているのだろう?

辛さは日々新たに押し寄せてくる。

いつになったら笑える日が来るのだろうか?

今日は節分。

私の心の中の鬼を追い出したい。

明日は立春。

心の中に暖かな春の風が吹いてくるのは

一体いつなのだろうか?


2004年02月02日(月) あの頃に

出来るなら、あの時に戻りたい。

心を自由にして自由に愛したい。

こうじゃないといけないという束縛を受けることなく

自分自身の気持ちのままに生きていければどんなに良いだろう。

気持ちは自分でもどうしようもできないときがある。

抑えようと思っても抑えきれない想いがある。

どうしようもないと分かっていても、

頭では分かっていても、

心で分かっていないから辛いのだ。

あの頃に戻れたら・・・・

絶対に今が来ないようにするのに・・・

そして自由に心も体もなれたら

もう一度あなたを愛するだろう。

私の心があの頃に戻れば良いのに。

神様が一つだけ願いを叶えてくれると言うなら

私はあの時に時間を戻して欲しいと言うだろう。

あの頃に・・・

あの時に・・・

私は心から戻りたいと思う。


スカーレット