Let's Go!! Tigers

2004年11月16日(火) ドラフトのこと

私が一番獲って欲しかった選手は、野間口でもなければ一場でもない。
染田賢作であった。
理由は、我が母校の出身であるから。
あかんたれ中村泰に続く、母校出身の阪神タイガース現役選手の誕生。
それだけを望んでいたんだ。
結局、彼は母校のOBがヘッドコーチを務める横浜を、進路に選んだ。
彼の何がいいって、肩や肘を疲労してない点だ。
高校の時は、何と三番手投手である。
三年時に、選手権出場を果たしているが、その時は3番サードで先発出場している。
当時、一応プロ注目の左腕:黒川(後に関大に進学)、抑えの切り札:折田(後に関学に進学)、それに4番捕手の矢川(後に関学に進学)等の影に隠れていたのだ。
選手権では、一応優勝候補に名を列ねていた。
相手は中京大中京。
互角と見られていたが、蓋を開けると、相手の一方的展開。
結果、0-12という屈辱的大敗を喫するのだが、その試合の大量リードされた場面で、彼は登板した。
ダイナミックなフォームから繰り出される球は、球威十分。
何故、もっと早いタイミングで彼に放らせないのだ??と、現場で思ったものだ。
その彼が、順調に成長し、ドラフト自由枠で指名された。
阪神戦以外で、大いに頑張って欲しいものである。



2004年11月15日(月) THE HANSHIN TIGERS

例の一場問題の煽りを喰って、野崎球団社長が退任する。
ただ、球団の要職に残るとの事だが・・。
この事で一番残念なのは、あのラリった挨拶が聞けなくなるという事だ。
このおっさん、TV等のインタビューでは、けっこうまともに喋りよるけど、観客を前にすると、噛みまくって、何を言ってるか解らんようになる。
阪神タイガースでは、野崎か球児か?!ってくらい、ヤバイ存在ベスト2だ。
それを考えると、非常に残念である。
ええキャラやったのに・・。

久万オーナーも去るが、これはこれでエエやろ・・と思う。
名物オーナーではあったが、如何せん時代遅れの感は否めない。
このおじいちゃんが消えれば、1001も復活するかも??なんて淡い期待は、まあないわな。。
1001の次なる野望は、独立リーグ系のコミッショナー的存在への君臨か??
そうでないとしても、現場復帰はあり得ないわな。。

しかし、ついでに岡田も辞めろよ・・って思ったのは、私だけではないはず。
今季は、いろいろあって、5月末で日記の更新を止めざるを得なかったが、
もし1001のままなら、無理をして血を吐き、入院してでも更新し続けたかもしれないな。。
更新が途絶えたのは、岡田のせいだ(笑)
まあ俺がオーナーなら、精一杯我慢しても、ナゴヤで的場を先発で使った時点で、休養させてたな。
その時に、多くの言葉は要らない。
「岡田君も家族サービスが必要だろ?奥さんと少しゆっくりしてきたらどうだ?」等と言って、どこぞの宿泊招待券等を渡せば事は足りる。

ペナントを逃し、ドラフト戦略は迷走を極め、この政権は短命やろ・・と考えるのは、関西人特有の「せっかち」ではないだろう。。
佐藤義の暴露話には、蓋をするのか??

と、まともに論ずるとバカを見るな・・。

久万から、「1001をクビにするから、お前が監督せぇ! ただし連覇は御法度やど!! わかっとるな、岡田君。」って言われたんやろ??
そやないと、今季のような采配しないよね?
あなた、北陽の練習を抜けてまで、勉強して都の西北に入った人だもん、真剣にやってたら、こんな事にはならなかったよね?
家族の生活を守る為でしょ??

絶対そうに決まってるさ。。



2004年11月14日(日) 井川に失望・・・

日米野球最終戦をTV観戦した。
正直、井川慶には失望した。
MLBは、ピービを先発に立て、必勝体制で望んできていた。
日本も3連勝で、最終戦を獲る気は十分あったはず。
はっきり言って、岩隈・松坂・上原と見比べて、大きく見劣る。
確かに勝ち越しの懸った最終戦で、MLBのモチベーションは高かった。
前の3投手と比べるのは、少し酷かもしれない。
しかし、降板した後のインタビューが気に食わない。
本塁打を打たれた時の事を聞かれて、「お客さんが喜んでくれたんで、良かったです。」と言いやがった。
何?それ??
しかもヘラヘラ笑いやがって。
MLBに行く事しか考えてないのか??
でも、それにしても打たれたのなら、笑っている場合じゃないだろう。
嘘でも「悔しいです。」ぐらい言わんかいな。。
2002年前半戦までの井川が好きだった。
我武者羅に打者に向かっていく、若き侍のような風貌。
投げた後に、お前は新体操の選手か?と思わせる程、蹴り足を上げていた井川は、どこに行ったんだ??
せめて今季に達成した、無安打無得点の時みたいな気迫を見せて欲しかったと思うのである。



2004年11月09日(火) 日米野球@福岡ドーム

福岡のある店の店主の計らいで、田淵さんに合わせていただいた。
田淵さんは紳士だった。
サインをいただいて、写真を一緒に撮って、少し野球の話もさせていただいた。
確か58歳になられると思う。
うちの会社の同年代の方と比べると、圧倒的に若い事がわかる。
地位も名誉もある方なのに、驕らず、ざっくばらんな態度で接して下さる。
サラリーマンで、ちょっとばかり出世したからって、偉そうにふんぞり返ってる奴とは、雲泥の差だ。

で、そのサインをいただいたナンバージャージを着て、コ○ドームじゃなくて、福岡ドームに行った。
パラパラと阪神のユニを着ている奴は居たが、やはり圧倒的に少ない。
鳴り物禁止で、とにかく静かで、野球を観に来ている感覚がなかった。
段々酔っ払ってくるし、暇だから、目の前にいる赤星を弄る事にした。
「お〜い、赤星ぃ〜、生涯タイガース言うたんは嘘やないやろな〜!!」
(大丈夫!とばかりに手を上げてみせる赤星選手(笑))
「お前〜、嘘吐いたら針千本飲ませんどぉ〜」
(これには無視(笑)というか、彼はインプレー中で、構っている暇はないと思われ・・)
「お〜い、赤星ぃ〜、俺、大阪からお前の事観に来とんのに、めっさ冷たい奴やのぉ〜」
(「まあ抑えて抑えて」という手の動き)
という他愛のない、単なる酔っ払いのおっさんと赤星選手のやりとりだったが、福岡では珍しいようで、レフトスタンドは異様にウケていた・・(^^;
そんなやりとりをしていると、いつの間にか周りに高校生らしき少年達が寄ってきていた。
田淵さんのサインを指差し、「これ本物っすか?」と来た。
「ホンマモンやで、田淵やけどな。」
「田淵??マジっすか??」
「おお、マジや。何でや?羨ましいか?」等と訳のわからん事を言ったりする、酔っ払いの私。。
すると、その少年達、「羨ましいっス」って言いやがった。
「兄ちゃん等、どこのファンやねん??」
「ダイエーっす。」
私「・・・・・・・」
兄ちゃん等「あ、でもセ・リーグは阪神っス」
私「そやけど、去年は敵やったやんけ!」
兄ちゃん等「あ、でも阪神に勝って欲しいって思ってました。」
私「ホンマかいっ!!それは嘘やわ!!」
兄ちゃん等「ホントっス。俺、今岡好きっス。」
調子エエ奴やなと思ったが、笑顔が可愛かったので、許してやった(笑)
そして野球談義に・・・。
そのうち、「一緒に応援しようか」って話になり、レフトを仕切り始めたら、10人ぐらいの仕切り屋になってしまった。
そこから波及して、レフト一杯に応援の波が広がり、ついにはライトにまで飛び火した。
ああ、野球はやっぱこうじゃなくっちゃ等と納得して、球場を後にした。
福岡も捨てたもんじゃない。
野球が好きな奴に悪い奴はいない。(讀賣除く・・・)


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