母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2015年03月16日(月) 折角 利用しているのになあ


 縁あって 医療機関を利用しているのに患者として納得できない時がある。
母のことで覚えているのは 歯科通院した時の事。
治療を拒否を案じたので 初期診察の折「認知症なんですが治療して頂けますか?」と窓口で確認し医師の了解のもと治療が始まった。

治療方針を聞いて「お任せしようと」と決めたのに 母が医師の指示に対して思うように対応できなくて(どういう場目立ったか忘れてしまったが)治療途中で「終了です」と医師に告げられたことがある。

「がーん!」となってしまったが 気持ちを立て直して別の歯科医に通院。
「また駄目かなあ」と思いながら「認知症なんです。そばにいてあげられれば指示通りの動きはできると思います」と伝えた。
その歯科医は 普通の人と同じように対応して下さり母も安心して治療してもらえた。

 前回の日記で記した方も医療不信だった。
薬がどうこうというよりも医師の向き合い方だった。
別の医師の対応が良くて安心して治療をお任せしようと決められた。
良く聞いて適切な処置をして下さった。

 今日 訪問看護と訪問診療を受けている方のお話を聞いた。
訪問診療の前日に訪問看護があり 転倒した事を伝えたら「明日 医師にみてもらえるように言っておきます」と言われたということだった。
翌日 訪問診療があり「転倒』を伝えたにも関わらず医師は打った場所をみる事もせず「気をつけて下さいね」という言葉もなく診療を終えて帰られたそうだ。
この医師も知っている医師だ。

 心配だからお話ししたのにその事に触れずに終ってしまうってとても残念。
まして訪看と医師の連絡不徹底は至極残念。
それに基本的に診療後に医師の指示で訪看が手当をした方が家族は安心できると思うのだが....
.
 最期にケアマネ。
利用したいサービスの情報提供しないというケアマネ。
該当する所がないかと思ったが こちらで調べるといろいろあった。
資料を包括で貰ったり ネットで調べたりして会として情報提供した。

「ケアマネよりも医師よりも判りやすいね」とうちの会に見えた人は言う。
あくまで「素人」のわれわれ介護者だ。
当たり前だけれど医療行為や診察をする訳ではない。
専門の言葉を使う事はなくともきちんと理解して貰える。

不満を書くより良かった事を伝えたいと思っているのだが 今日は尖ってしまった。
折角利用していても 判らないままというのは勿体ない話だ。

ほんの一部のことであり たまたまそうだったのかもしれないし。忙しかったのかもしれない。
いずれも当たりの良い対応の所だっただけに残念なお話だ。
利用するものが賢くなっていかないといけないんだけれど 年を重ねてくるとそうも言っていられないな。






2015年03月14日(土) 嬉しいお便り


先月から新しく会に見えた方がいる。
通院の折 医師の対応に納得できないと感じていらしたかた。

私も存じ上げている医師だが その対応ぶりにちょっとびっくりした。
そこである冊子を一つの参考になればとお貸しした。

本を読まれた方が興味深く読まれた上で 近くの医療機関を検索なさった。
そして 近くにある医療機関に通院なさった。
通院した折のこととその時の医師の対応や診療当日の当事者の方と医師の写真が今日送られてきた。

初診で2時間近くお話を聞いてくださり 点滴の処置もしてくださったようだ。
点滴の折にも きちんと当事者と視線を併せて向き合ってくださったそうだ。

その結果 笑顔で穏やかな表情を取り戻されたとのことだった。

お便りを読みながら こちらの心も緩んできた。
ゆっくりと人として対応くださる医師は まだ多くない。
残念だが 私の住む地元ではなく近隣地区の医療機関だ。

詳しくは 次の会の時にお話してくださるとのことだった。
とっても嬉しいお便りだった。




2015年03月07日(土) おうちでできる えんげ食


昨日出先で「おうちでできる えんげ食」の本を頂いた。

ずいぶん前 嚥下食をきれいに作られているブログを読ませて頂いていたので
いずれ自分もと思っていた。

健康な人に優しい口当たりのを作ったり デパートのお惣菜売り場で購入したり 通販で取り寄せたりしてしのいだなぁ。
母も美味しそうに食べてくれたし大変な状態にもならなかったので助かった。

食事作りで気を付けていたのは味と盛り付けと飲み込みやすさ。

昨日話していて気が付いたが「 嚥下力が落ちて行くからね」と初期のうちからに介護仲間から教えて頂いていたので助かった。
そのための予防の仕方や工夫も教えて頂き 母の様子を見ながら自分なりに考えることができた。母も嫌がることなく頑張ってくれて助かった。

考えれば 作ろうと思っていた嚥下食を私が作ることはなかった。
娘が祖母のため玄米スープなるものを作ってきてくれた。

今 頂いた本を開いてみて行事の時くらいなら作ってあげても良かったのかなと思ったりする。でも 食事作りに時間をとることはできなかったと思う。

このレシピは cookpad 健康レシピに掲載中とあった。
記憶の糸を引き寄せてみると断片的だが見たような気もする。


2015年03月01日(日) ふと思い出したこと。


もう3月に入りました。
日記を更新せずに過ごしている間もこのページを訪問くださった方ありがとうございます。
またメールをくださった方皆さんありがとうございます。

多くの方がおっしゃる喪失感なるものが(自分では喪失感とは思ってない)私の中にありました。普段通りに過ごしていたつもりなのですがでも普段通りではなかったのでしょう。

今日地域で行われた講演会に出かけました。
お話は辛くなるような話題ではなく感動的な話題でもなかったのです。
周りをみても涙ぐむ人もなかったのです。
つまらない話というわけではありません。

講師が語る「認知症の人と楽しい経験を重ねるお話の時」に母とあちこちへでかけて楽しんだ場面がふっと浮かびました。
その時の自分の気持ちも思い出しました。
楽しかったのだけれどそれだけではない自分の心の奥底を思い出しました。
その途端込み上げるものがありました。

そして認知症初期だった頃の母が突然「私は 自分から命を絶つことはしないからね」と言ったことも思い出しました。

「クリスチャンなんだからしないのが当たり前じゃない」とその時私は思いました。
でも最近になって母の精一杯のsos発信だったと今更ながら気が付きました。

今 気が付いたのではないのですよね。
あの時自分でも判っていたのですよね。
それもたった1回言っただけです。

実は母が発したその言葉がこの1年近く幾度も幾度も頭に浮かんできていました。

良くは判らないけれど あの言葉から母の思いを少しずつ想像できるようになってきたように思います。
言葉にしてみるとその時から理解者になれたように聞こえるかもしれませんがそうではないのです。じたばたとした暮らしの中でちょっとだけ想像するきっかけを見つけただけに過ぎないのです。

今日は なんでもない話の中から感じたことを書き留めておきましょうと思いました。
今月は母の誕生月です。


はな |MAILHomePage

My追加