母のタイムスリップ日記
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2009年12月23日(水) 変わらず元気ですが...


 いつの間にか 今年も残す日8日ほど。

暫くの間 毎日の更新が出来ないかと思います。

母も私も家人も皆変わりなく元気です♪



2009年12月22日(火) 繋がりに感謝♪

 
 今朝 娘から電話があった。
「聴いていた?」「?」
娘の話で つい今しがた耳にした歌だったと判った。
「あの歌 どう?」
「…。私は 聴かなくともいいと思って 意識して聴いていない」
「うん どうにもね…」と娘。
もっと突っ込んだ話になったのだけれど「好き」という人が相当いるみたいだから誹謗中傷になってしまうのも本意ではないので ぼやかしておく。

仲間でも「いい歌でしょ」という方もいるので いつもぼやかして来た。
歌は 好みもあるし...。
逆の立場から詩をかいてみようかななんて思ったりしている。
でも 大勢の人が好きな歌だとしたら 私達親子は 世の中の人と感覚がずれているという事なのかもね…と。

夕方にも その件で娘から電話があった。
「いい歌でしょ」と言われて「うん」とも言わないし「そうかしら?」とも言わないところが腹黒い...と娘は言っていた。確かに...その通リだわ♪
でも言わない自由というのもあるからねぇ。
歌詞もろくすっぽ知らないので 検索してきちんと読んでみた。
やっぱり 自分の想いとは異なるなぁ。

昼食に間に合うように施設に向かった。
テレビの前のソファーで左手をダランと脱力して頭を垂れていた母。
「寝てるのかな?」と呟いたら「寝ていんだよ」と入所者の1人が言った。
母を応援してくれている方である。

確かに母は 俯いていたけれど目はしっかり開いていた。
「そうかぁ サインだな」と感じてトイレ誘導。
立位も少し大変だった。
でも便座に座ると待っていたかのように「小」
「良かった!間にあったんだね!」といったらじっと私を見て静かに頷いた。
「頑張ったね」というと深く頷いた。
その後「大」も。

今日もいい感じ。
居室で昼食。かきたま汁。揚げ茄子。ミートボール。チンゲン菜のお浸し。
かぼちゃの煮つけ。もうひとつなんかあったなぁ。
今日のミートボールは 揚げていないので柔らかい。これなら母も食べやすそうだった。
タッタカ快調なペースで食事が進んだ。

今日は 家から「アボカド」と「柿」と「りんご」を運んだ。
りんごは ふるさとで「みそりんご」といって ふかふかになってしまったもの。
この方が食べやすいと聞いたのは 祖母からである。
新鮮なりんごは サクッと美味しいのだけれど 噛むのが大変。
薄くスライスしてもパリパリとして食べ難い。
あたらしい時は 母用にレンジでチンしてあげる。
口の中に半分ほど運ぶと後は 自力で口の中に運ぶ。

普通の人には 当たり前のことなんだけれど自分で出来るって事がとても嬉しい。食べたい気持ちがあるってことだし...。

食事が終わって 片付けの頃に 今年旅立った方のご家族が遊びに見えた。「介護を終えても施設には寄らせてください」と言っていたご家族。
でも 離れてしまうと施設を訪れるのにも勇気が要るって言っていた。
やはり 閉鎖されている感じがするのだろう。
あくまでも感覚の問題なんだろうけれど...。

ご家族は 一人一人に手作りのプレゼントを運んでくださった。
素敵なクリスマスプレゼントだった。
皆さん「ありがとう♪」と。

母の入浴介助が始まったのを機に 施設を出た。
ご家族と一緒に 今入院なさっている方の所までお見舞い。
施設では とても美しい声で寅さんのテーマソングからニューミュージック 演歌 童謡 なんでも歌いこなす方だった。
病院で過す日々 ご家族が一緒に歌うはずもなくて...。
だから 二人で足を擦りながらお好きだった歌をメドレーで唄った。
勿論看護士さんに確認してからだけれど...。
すると近くの病室のご家族が「お幸せですねぇ」と病室の前で話された。
おそらく 二人が家族だと思ったのだと感じた。
「私達家族じゃありませんよ」とだけ伝えた。
看護士さんが本人に「どなた?」と聞いたら「姉です」と言われたそうだ。
「年下のお姉さん...でも年齢がねぇ」とくすっと笑っていらした。

家族の見えない人にとって 寂しさを募らせてもいけないし でもあまりあれこれとも言えないし...。
でもやっぱり ある意味で同志である。
お逢いしたいから行くのだし ご家族も「どうぞ逢ってやって下さい」と言われるから「遠慮なく...」ということである。

思いのほか おしゃべりも出来て此方が忘れかけている歌詞も補足してくださり...一緒に歌えて...。楽しい時間を過ごさせて戴いた。
ただ ひところより声量が落ちてしまって 消え入りそうな声なのである。

頭をそうっと撫でていたら 目がトロンとしてきた。
疲れも良くないだろうと思って 面会を切り上げた。

母もふるさとの人との交流が出来ればいいのだけれど そうも行かないしね。
まして年を重ねた母にとって 友人だってもうこの世にはいないのだもの。
認知症になっても たとえ病が進行して関係すら思い出せなくとも 繋がりを維持させて戴くことは 同志にとって嬉しい事である。
面会を許してくださる家族に感謝である。


2009年12月21日(月) ないものねだりかな?


施設のクリスマス会。
他のフロアの皆さんと一緒に 母のフロアで楽しむ。
今年は 家族参加ではないという。

なぜ 家族参加を呼びかけないのかは判らない。
参加者が少ないから 呼びかけないのだろうか?

でも 参加者が少なくとも告知して欲しいと思う私は 行ける立場の者だからだろうか?
若し 身体的・精神的に参加できないのなら 致し方ない。

施設に入所させてしまうと其の儘面会に来なくなるという事例が多いと聞いている。個々にいろいろな事情があるのだろうけれど ちょっと悲しい現実。
家族が介護中に 強いストレスで精神的に病んでしまうこともあるだろう。
施設は そういった家族と当事者を繋ぐ役割ってないのだろうか?
こういうご家族のフォローは 一体誰がするのだろう?

よく判らないのであれこれとは言えないが 施設入所に拠って社会や家族と隔離されてしまうのは 認知症を病む人にとって哀しい事だなぁって感じる。

さて クリスマス会を前に 職員からタオルをお借りして一人一人顔を拭いて貰った。自分で出来る人は自分で 出来ない人にはお手伝い。
それから 一人一人にお聞きしながら髪の毛を梳かせて戴く。
皆さん「気持ちいいですね」「ありがとう」と言ってくださる。
自分の頭や顔は鏡がないので見えないけれど 向かう人が綺麗になっていくのをじっと見ておいでなので きっと自分の姿も想像できるだろう。
今日 改めてその事に気が着いた。
向かい合う人が綺麗になるということは 入所している人にとって大事なことなのかもしれない。

その次に乳液を手のひらに落として 自分で顔につけて貰う。
「あ〜いいにおい!」と皆さん言って下さる。
粉を持参してきていなかったので 紅をさしたい人にだけ さして差し上げる。
たったそれだけの事だけけれど お楽しみ会を更に楽しむための行程。
以前は 他のご家族も加わってワイワイと楽しめたが そういう方もいない。

ホール内には クリスマスソングが流れているが ただ流れているだけ。
だから 1人で唄ってみた。
すると皆さん 思いだしながら歌いだす。
こういうことだって ご家族と一緒にできたものである。
時に踊ったりもしてたなぁ。

クリスマス会の始まりは 乾杯。
お子様用シャンパンで乾杯。
それから ケーキを戴く。
紅茶も出ました。りんごも出ました。
クリスマス会は 茶話会形式。

職員の出し物もありました。
以前は 入所者のご家族だった方がボランティアでお見えになっていたのだが今年は職員のみ。
職員も仕事しながらで準備もあって大変なご苦労とは思う。
でもこういう行事の時こそ 外部からの風を取り入れる良いチャンスなんだけれどねぇ。閉鎖空間のままというのが とても残念なことである。

いろいろ言っても 入所者の方は楽しそうでホッとする。
でも以前は もう少しましだった。
施設の形態が変わるとこうも変わる物なのだと教えられた。
でもひょっとして 最近の施設の事情って 予算削減でこんな風になってきているのだろうか?
だとしたら 私達が施設に入所する頃には 行事すらなくなってしまうのではないのかなぁ。杞憂であればいいのだけれど...。
入所する頃には 話せなくなっていたら...。

会の終わりに 一人一人に 手作りのクリスマスカードが配られた。
欲を言えば 個々に向けたメッセージが欲しかった。

クリスマス会が済んでから トイレ誘導して その後家から運んだレモンティーで水分補給。しっかり口を開いて400ミリリットルに近い量を飲んでくれた。


2009年12月20日(日) 内側からの信号?


朝食のトマトスープをたっぷり容器に詰めて母の所に向かった。

水分摂取量が気になっていたので 昨日も 家で紅茶を入れて(500ミリリットル程度)砂糖とレモンを絞り保温して運んだ。
美容院で定着液をつけてから待つ間 ひと匙ずつ口に運んで全部飲みきった。施設に戻ってトイレ誘導時 様子をみたらたっぷりで透明の「小」を確認できた。

だから今日もトマトスープを350ミリリットル程度 昼食の汁物やお茶に加えて飲んで貰った。
午後のトイレ誘導時綺麗な「小」がたっぷりで安心できた。
勿論「大」も排出。

今日は しっかり排泄の意識があるので 立位してもらおうとすると腰が重い。動く瞬間に出てしまうというような信号を感じているように思うのだ。
これは 母だけに判る事だ。
腰の重さは こういったことでも影響があると感じる此の頃である。

昼食も施設の献立にプラスアルファーしているが1時間程度で終了。
程ほどに 調子は良さそうである。

今日は 入所者の方と職員でトランプを楽しんでおり 笑い声が広がり 久しぶりにあったかな雰囲気の施設だった。
いつもこういう状態ならいいのになぁと思った。
この所 施設にいると とても辛くて胃がキリキリしてたのである。
母を見守るだけで精一杯で 他の方とゆったりとすごせず まだまだいろんな事のできる方たちのことが気になって仕方ないのだった。

母の調子は良さそうで 昼食時「クリスマスソング」をメドレーで唄っていたら じっと私を見て 頷いていた母だった。
「思い出せたね」といったら深く頷いていた。

午後の訪問介護の時間になり そうっと施設を後にした。
それから トラぶっている携帯電話のことで営業所へ出かけた。
時に長い列を作って順番を待っている人を見かけるのでちょっと心配だったがそう長く待たずに済んだ。
だが 手続きに時間を要した。どうも特殊な事情ゆえの事らしい。
1度終了し「やれやれ」と思った。
だが 昨日電話の相談窓口で言われたことと少し違うように感じて それを再度確認したら 更に別の手続きとなり ようやく終了したのが1時間近く経てからだった。
2度手間は嫌なので まいいかって感じ。

夕方に 再配達を依頼していた物が届くので慌てて自転車を飛ばして家に戻った。
時間の余裕がないと 焦ってしまう。


2009年12月19日(土) 上りも下りも エンヤラ・エンヤラ


今朝 あれこれ手間取って出るのが遅くなってしまった。
それでも昼食前に着いた。
新しい入所者の方が2名。
その方たちはまだ静かなのだが...。

「あのね 私どうしてここに居るの?」と私に聞きに来たかたがいる。
結構記憶が残る方で...。
「私は家族なので 判らないのですよ。ごめんなさい」と伝えた。
おそらく私の着く前から こうやって過されているのだろう。
職員の方も打つ手なしって所。
でも 母にも同じような時期があったので 気持ちがそれれば...と思って 指にはめているビーズの指輪を「素敵ですね」と褒めたら「そんな事いってはぐらかさないでいいよ」と言われた。
そうだね そうやって幾度も煙に巻かれたことを何処かで記憶しているのだろうなぁ。母のことも気になるが 今困っている人なのだものね。
職員から「お部屋に書いてあるでしょ」と幾度も言われていた。
「そんなことはわかって居ます」と反論していた。

「どれ 何処に書いてあるのか探してみましょう。一緒に行っていいですか?」とお聞きしたら「いいよ」という事で一緒に張り紙を読ませて戴く。
そこには 「お嬢さんが入院しているので ここに居てください」というお孫さんのお手紙が張ってあった。
こういうことは 私もしたことがあるので張りたい気持ちは良く判る。
でも 不穏時には何の効果もなく かえって逆効果となってしまうことが多いのだ。

その方のお部屋で ちょこっと話しこんで部屋を出たら 落ち着いて椅子に座られてすぐ昼食となった。

その後 母をトイレ誘導して「大」「小」排出。
そして昼食。
今日も施設の食事+我が家のもので1時間内で終了。
全部食べ終えた。

それから母に着替えをして貰いトイレで用を足してから車椅子に乗って美容院に向かった。
施設に向かう時は寒かったので母に私の上着を掛けてあげて...。
車椅子を押していれば 汗ビッショリ。コートは無用となるのだ。

美容院の前に来て管理人さんの部屋をみるとシャッターが下りていた。
「あちゃ 今日はエレベーターが使えないのか!」
美容院に電話したら オーナーが「今行きます」といってくれて 二人で母を抱えて2階まで上がった。
母は少し機嫌が悪くなったが 直ぐに落ち着いてパーマをかけられた。
それも 仕上がる頃には 鏡をじっと見つめていた。
「綺麗になったね」といったら頷いた。
ずっと母の担当をしてくださった方には 笑顔を幾度か見せて...。
うんうん 嬉しかったんだね。
帰りも当然 階段。
今度も二人で抱えて下りた。
暗くなる寸前でタクシーを拾って施設に戻った。

昨日は 前屈が強かったのだが 今日は姿勢保持が出来ている。
また 眠る事も全くなかった。
ロットを巻いている時など 居眠りが出ても良さそうなのに全く眠そうでない。

母も髪の毛の延び切っているの嫌だったんだろうと思う。
さて 今度は私も美容院に行けるわ。

今日もお昼食べ損ねてしまった。


2009年12月18日(金) 迷った時は 仲間へ


早朝 ミシッ グラグラという揺れで目覚めた。
「地震だなぁ」と感知していたが 暫く様子見。
昨日から伊豆で地震が起きているのでそれだろうなとラジオをオン。
震源地が判って ちょこっと一眠り。
でも 夫が早目に家を出るといっていたので 暫くして起きた。

夫を送り出してから プラゴミ回収だったと思い出した。
普段のプラに加えて 更に整理して集めた。
来週が最終なので もう1回で...。
まだ綺麗だけれど使わないと思うものは処分する事にした。
その中には 母が認知症と診断される少し前に送ってくれたものもある。
ちょっと迷ったけれど やはり使わないものは処分と決めた。

物は増やさないと思っていたのに 来年に向けて小さなシャトル鍋も購入している。何かと使う場面が増えるだろうと思うから。

さて 母の所に出向いていつも通りの介助。
今日は お腹がキュルキュルとなっていたので落ち着かないのだろうと感じた。
それが円背に繋がる。
緩めなのでガスが抜けそうになると泣き出す。
きっとどちらか判らなくて困っているんだろうと想像できた。
排泄のことやはり意識出来ているんだな。

食事も何とか定量食べ終えた。
少し前屈だけれど寝てしまう事はなかった。
一時間で完食できた。

それから口腔ケアを済ませて トイレ誘導。

後は職員にお任せして 介護者の会へ向かった。
今日は 介護者のお役に立ちたいという方が見える予定なので気が気ではなかった。
他にもお願いされた方が見える予定だったが 今日は見えなかった。
でも顔見知りの方が居たので 事情を伝えて次回お誘いくださるようにお願いした。

会も終わって家に戻るとファクシミリや電話が次々。
来年から変わるケアマネとあれこれと。
また母の施設からも...。一瞬ドキリとしたが 母の変化ではなかったのでホッとした。

食事も済んだ頃に介護仲間から電話。
奥様が入院中なのだが ようやく検査が終了し癌が見つかったということだ。
それも見つかったのは極々初期だが おそらくそこが原発ではないらしいという事だった。このまま病院で過ごすことに決めましたという報告。
「認知症と向き合ってゆっくり過せばいいんだな」と思い始めたのに 今度は命の限りを知る事になって...。やっぱり命の限りは切ないですよ」とお話くださり「どうぞ 逢ってやってください」と。
勿論 面会に出かけるつもり。

別の介護仲間は 検診で怪しいものが見つかったといっていたし...。
その方は 施設に託しているが それでも介護の関わり方を替えなくては...とあれこれ手を打っているようだった。

また 特養入所が決まったけれど 亜脱臼で通院しているが「入所できるのか」と不安がってる人もいらした。

介護の形態が変わるということは 介護者も立ち止まって考え込む時期である。それから先の選択がずっしりのしかかってくる。
逃げ出す訳にも行かない。
何れわが身にも降りかかって来るだろう。
大まかな選択が決まっていれば 介護の基本から大きくずれる事もないのだろうと思うのだが 命だけは...神のみぞ知る事だからねぇ。
計画通リになんて 稀の稀と自分に言い聞かせる日々である。

そうそう 此方からも介護仲間に電話をして聞いてみたこともある。
既に看取りの終えた方だ。
独特の介護をなさった方なので その辺のこだわりをお聞きした。
「何故」の部分がわかった。
今回 福祉用具に関しての選択は ケアマネでは把握し難くて 福祉用具専門の業者さんへ聞いて選んだ方が良いと言われたので「むむむ」と思った。
でも 正直にそういってくださるケアマネの方がいいのかななんて思った。
こんな時頼りになるのは 介護仲間かな。
その人の選択した意味 拘った意味 そして結果が見えて...。
そこを頭に留めて選ぶ事にした。


2009年12月17日(木) つながり


月末恒例の作業を午前中に。
午後 会議に出かけようと支度していると介護仲間から電話。
「明日 介護認定調査があるけれど どう話せば良いのだろうか?」という相談だった。

介護に手がかかるという事を言えても どう説明して良いのか判らないようだった。奥様は 自律神経が参ってしまって直接介護が出来ない状態になっている。だからご主人が主たる介護者。

そんな訳で ご主人とお話しすることになった。
あれこれと話して 困難と思えることをメモにして調査に見えた方に渡すように勧めた。
認定調査の方法が変わったが 母の認定調査はまだ先なので具体的にどういう調査になっているのかは 頭で判っていてもイマイチ不明な部分もある。
でも 仲間の様子を聞く限り うちの地域では 軽く判定されたという報告は聞いていない。

病の進行が確実に見えるので 大丈夫だと思うが...。

電話を切って 急いで家を出て電車に乗って会議のある場所に向かった。
イヴェントの反省会である。
ここで それぞれの関わり方を知り いろいろの想いを伺い教えられた。

介護に関わる全般のつながりが必要という想いは 共通の課題だと確認できた。きっと来年は その部分の深まりが加わることになるのだろう。

初期の頃から そのことは念頭にあった訳だが 時を経てようやく実現できるかもという予感がする。
地域でも このことをぼんやりと考え始めている。
役所と共に 専門職(医療・介護の両面)と介護者とがつくりあげるコミュニティーがちょっとずつ動き始めている。
ここに一般の人をどう巻き込んでいくかも課題になりそうな気がする。

介護者の会のことでもあれこれ考える事があり その調整を検討中である。
介護者の会の立ち上げ時に「物を言える会に...」という事も視野に入れていたので そういった基盤も出来上がってきたのだなと感じる。
継続してきた事が無駄になっていないのだろう。
おそらく一人一人が 物を言えれば介護者の会なんて必要なくなるのだろうと思う。でもまだ そこに到達していないから...。

会議終了後 交流会があり 一時間ほど話して終了。
ラッシュの時間帯ではあったが 思いのほか空いていた電車。
忘年会シーズンで ラッシュはもう少し後になっているのかも知れない。


2009年12月16日(水) あれぇ 誰だっけな


今日も母は ソファーで目覚めていた。
タイミングかも知れないが そうでもないような気がする。

「トイレ?」と聞くと静かに頷くので トイレ誘導。
少しゆっくり 便座に座ってもらったので 下着を濡らしてしまった。
でもちゃんとトイレで出来た。
「良かったね」といったら 頷いていた。

この所 一度止まって立ち上がった時にまた...ということも起きる時があるので
仙骨の部分を撫でてあげる。
すると再度出る。
仙骨の事は 医師より得た情報である。
歩ける頃には あまり効果がなかったが この所確立が高い。
関わってくださる方に伝えたら「ちゃんと出ました。不思議ですね」と言われた。

その後 食事介助。
今日は チンジャオロースと煮びたしとふきみそとお汁
家から運んだ 白子のポン酢かけと柿とを足した。
チンジャオロースの竹の子は ちょっと硬めで怖いので外して負担のない分だけ食べてもらった。
他は完食。1時間内で食べ終えることができた。

今日は 今年最期のリハビリを受けた。
母は早々とzzz。
リハが済んで暫くしたらモソモソ。
トイレ誘導したら またまた遅れ気味。
でも何とか汚さずに済んだ。

その後ケアマネとの打ち合わせ。
ところが新しくなるケアマネが見えなくて 結局デイの相談員さんと打ち合わせ。ケアマネは 日を改めて21日となった。
何かの手違いで 今日のことが記憶されていなかったみたい。
家に戻ってから連絡を取り 先に決めておきたい事をお願いしておいた。

デイでの苦労もお聞きした。
でも今日の母は姿勢保持も出来て 職員は驚いていた。
施設でもデイでも苦労されてる事は判るのだが あとのプラスアルファーで何とかなると思うのだが「こうしてください」というお願いはなかなか言い出せない。
看て貰って感じて貰うことが1番だと思う。

ある職員は「娘だから...」といわれるのだが...。
それもゼロではないと思うが やっぱりプラスアルファーだと思えるのだけれど...。

施設を後にして 買い物をして家に戻ろうとした時知っている人と出逢った。
頭は下げたけれど
「はて 何処の人だっけ?」と考え込んでしまった。
時に知った人と思って頭を下げるとスーパーのレジの人だったなんて事もあるので 知り合い・お店の人とイメージを追ったが思い出せなくて悔しかった。
でもちょっとさっき 思い出せたのである。
母の夕食介助に入ってくださる方だった。
この方とは これまで2回お会いしているだけなので思い出せなかったのかも知れない(冷汗)


2009年12月15日(火) 不思議な魚


朝 母の薬を貰いに走り 1度家に戻ってから施設に向かった。
母はソファーに座って半眠り。
起きて貰って トイレ誘導。「大」「小」排出。

その後 昼食介助。
昼食は太刀魚の味噌漬け。
思わず「参ったなぁ」とため息。
太刀魚の骨を取り除かなければならない。

しかし箸で取り分けてみて 小骨はおろか真ん中の骨すらない。
何処にも切ったところがないので「何故?」と驚いた。
後で聞くと「身を骨の所で開いて また合わせたのだろう」ということだった。

太刀魚は身が柔らかい筈だけれど 施設のものは少し硬かった。
皮も硬めなので 身だけ解して食べてもらった。
とりあえず 全量食べきった。

今日は入浴の日なので 着替えの準備を済ませてトイレ誘導。「小」排出。
入浴は職員に任せて ドラックストアまでとっとこ出かけた。
戻って暫くしたら お風呂上りとなった。

その後 ヨーグルトとりんごとゼリーで水分補給。
ゆっくり過して そうっと施設を後にした。
明日は ケアマネのバトンタッチの日。デイの職員も見え今後の検討の予定である。


2009年12月14日(月) 気持ちを切り替えるフリータイム


 朝 いつもの時間に目覚めてしまう。
そうっと起き出したが 友人達を起こしてしまった。
それから ラジオ引っ張り出して...。
いつものペース。

ラウンジで朝食。
それから 今日は何処を巡るかを決めた。
行けそうでいけない場所を提案して「ワッ 行きたい!」ということになって即決。お昼は チェックアウト後 利用できるチケットを戴いたが それを無効にしても食べたいものがあるということになって...。
とっとこ出かけて...。

この場所は 母が83歳の頃に一緒に出かけてきた場所である。
勿論 認知症で要介護3位の時だろうと思う。
おへそが曲がったら大変な状態になることもある時期だった。
「歩ける?」と聞きながら 結構歩き回った。
10年の年月を経た今 電車に揺られてここまで来るのは大変だろうな...と思った。

そんな思い出に浸りながら 友人達と過せた。
最終の行動はと東京タワーに上る事。
友人が子連れで 東京タワーに 来て一番上まで上らなかった事を悔いているというお話で...。
子供は 行きたかっただろうに 時間と料金を惜しんで取りやめてしまったというのだ。お子様は大学を出て いまや社会人となっている。
だから 今更 一緒に来ることもないだろうということだ。
お子様は 男の子である。
そこで 苦い思い出の残る東京タワーへ...ということになった。

タワーを訪れる客は そこここ巡って上に行かれるようだが 私達は最上階へまっしぐら。
エレベーターの四方がガラスで最上階への移動は膝がガクガクと震えた。
同乗している客もみんな同じ気持ちだったようだ。
360度展望できる場所に立ち それぞれが住む場所を眺めた。
東京という場所のビルの多さに改めて驚く。
目的達成した友人 ちょっと感激してた。
やっぱり連れてきてあげれば良かったと思ったみたい。

帰路 東京プリンスホテルで休息。
昨日からの1日は とても贅沢な時間となった。
この計画を立てていたのは 昨年のことである。
もう少し ひなびた場所へ行こうと思っていた。
でも 此方も慌しく忙しい一年となってしまって 出かける機会を失いそうになりかけた。
今年ももうすぐおしまい。
計画した事はきちんと実現しておこうと思って一週間前に決めた。
友人の勤務もあり 私も月曜日をフルに使う事が条件で...。
あまり遠出すると翌日からの勤務や介護に影響するので近場となったのである。
お次は2年後と決めて友人達と別れた。

友人達も楽しい時間だったということだが 私にもある意味で気持ちの切り替えをする時間となった。
母の状況も相変わらず 年末で1つの区切りをつける。
昨日・今日で 気持ちをニュートラルの状態に戻せたと思う。

そうそう 数年前「携帯電話は持たない」と言っていた友人が携帯電話を持っていた。


2009年12月13日(日) 友人と...


日曜日の朝 面会に見えていたご家族がいた。
そういえば 昨日も別のご家族が見えていたなぁ。

家族と逢っている入所者の方は 嬉しそうだ。
昨日は「私 我慢する」と涙ぐんで返事していた。
母の入所時 母も我慢していたんだよね。
「家に帰りたい」と幾度訴えられたか...。
いつも「もう少し待ってね」って応えてきた。
いまだって帰りたい気持ちがある事は知っている。
ただ もう言葉にして言えないだけなのである。

トイレ誘導して「大」「小」排出。
その後居室で食事。
カレーだった。
以前にも書いたが施設のカレーってどうして カレーの臭いがしないのだろう。
家でカレーを食べたら フワフワとカレーの臭いが漂うのだけれどなぁ。
ご飯が普通だったので お粥と混ぜて食べて貰う事にした。
今日も画期的。食事55分位で食べきった。
でもね きっと普通20分足らずで食べ終えるのだろうから やっぱり長め何だよね。今日も家から持っていった柿等も食べている。
もともと早食いの母ではないのだから これくらいでいいんじゃないかとも思うのだが...。

食後 トイレ誘導「小」排出。口腔ケアを済ませてテレビをみながらゆっくりタイム。テレビに見入る母をみてそうっと施設を後にした。

夕方 以前の職場の仲間と落ち合ってお楽しみ会。
ちゃちゃっと夫の夕食を作って とっとこおでかけ。
駅で夫に電話したら近くに居るという事で ちょこっと逢って明朝のゴミ出しをお願いした。
全て纏めてあるので出すだけ。

そして約束の場所へ向かった。
ここからが優雅な時間。
楽しむために訪れる事は全くなかった場所。
今日は 好きなように歩くために訪れた。

場所の設定は私がしたが 聞いた友人達は「?」だったと思う。
けれど 予想とは大違いである意味 みんなの期待を裏切った。
「わぁい 嬉しい!美味しい!」という声を貰えた上に わたしも充分楽しめた。

お宿までもとっとこ歩いて...腹ごなし。
お宿も「ふ〜む こういうことか」と普段の生活圏とは全く違う眺めに おしゃべりも弾んだ。

遅くまでぺちゃくちゃ。
「眠くなったわ」でみんなzzzz。


2009年12月12日(土) 笑い声も出て...


 町内の 資源ゴミの回収日。
ダンボールやら古新聞・紙ごみを纏めて門前へ。
この回収が町内の収益となる。
今 何に使おうとかとアンケートをとって調査中とのことだ。

母の様子が気になりながら 施設へ出かけた。
母はソファーに座り半分居眠り。でも昨日より良い感触。

トイレ誘導して「大」少し「小」排出。
今日は整髪もモワッとしてなくて嬉しかった。
その後昼食介助。
今朝は3分の1ほど食べたという事だ。

昼食は ご飯をやめて5分粥を半合。家から運んだので量は確実。
他にクリームチーズやボイルしたポテト。柿等追加。

あったかなお粥が口に入るとにんまりと笑顔。
チーズも...おでんもみんな食べた。
何となく食べたそうなので「まだ食べる?」と聞くと頷く。
そこで箸でつまんでいたら 母はもう口をパッカリ開けて待っていた。
食欲もあり「あはは」と笑い声も聴けるので心配は要らないような気がした。

昼食中 施設長が見えたので「皆さんと一緒の食事と比べてどうでしょうね?」と伺ってみた。
「居室の方が落ち着いているようですね。目もしっかりしているし飲み込む音もしっかり聞こえますね」と言われた。
その後 新型インフルエンザの予防接種についてと健康診断のお話があり ちょっとびっくりした。
11月20日に一斉に健康診断を受けたというのである。
これまで施設では 健康診断はなかった。
昨年は 受けそびれたが これまでは誕生月検診を罹りつけ医で受けていたのである。
健康診断の項目は血液検査とレントゲン検査だったようだ。
長く面会をしなかった事はなく 職員とも顔を合わせているのにこの検査に関しては全く知らされていなかった。
11月20日は 昼食介助に出向いている日である。
翌日もその次の日も出かけているのだ。
とても不思議。。。

いろいろ 理解できない事が多い。
今日は あれこれ考えてしまった。
家に戻って 他の作業に取り組んでいるうちに大分落ち着いてきた。


2009年12月11日(金) 体調の物差し?


施設に着くと母は 手でリズムを取りながらソファーで眠っていた。
軽い眠りなんだろうなって思った。
それにしては 姿勢保持がイマイチ。
立位して貰ったら歩行は可能。
トイレ誘導して「大」「小」排出。

前屈が強い。円背体制である。
居室にて食事介助。
食事中も前にのめってくる。
一見して具合が悪そうな気配はないのだが 飲み込みが悪い。
出来る限り柔らかめのものを小さくして食べて貰う。
今日のご飯は かためだった。
お粥と混ぜてもいつもよりかたいと感じたので 家から運んだお粥2回分に替えた。他にヨーグルとや大根とさといもの煮物や柿を食べて貰う。
だが 今日は気温が低く直ぐにおかずもご飯も冷たくなってしまう。
「う〜ん 参った!」
幾度か姿勢を正しながら長い食事となってしまった。
でも時折ニコッと笑顔を見せてくれる。
それは 柿やヨーグルトが入った時に見せてくれた。
水分も含めて 何とか食べ終えた時1時間半近くかかってしまった。

水分は 好んで飲んでくれた。
噎せる時には口を開かないのだが この所積極的に飲んでくれるのである。

一休みしていると訪問介護の時間となった。
トイレ誘導して「小」排出。
その後水分摂取のため プリンとお茶を飲んでくれた。

休息後 ホール内を歩行。
玄関の前のマットで膝を高く上げるので 少しふらつく。
絨毯の模様のところで膝を上げるので 見え方が多少違うのだろうと感じた。
一回りして居室に戻って休息。
今日は 私から視線を外さない。
じっと見つめている。発する言葉は少なめ。

トイレ誘導「小」排出。
昼食前の「小」はかなり臭ったのだが 2回目も3回目も臭わなくなって綺麗になったのでホッとした。
午後2回排出できた事で此方も安心し 帰宅準備。
円背が強いので 今日は食卓テーブルの方に移動。
姿勢は辛うじて保てているが 視線だけは私から外さない。
暫く様子をみて ようやくテレビに視線が移ったところで施設を後にした。

帰路郵便局で 母の支払いを済ませ 買い物をして家に戻った。
暫くして 施設から電話を戴く。
「あちゃ また何か起きたか?」
案の定 軽い嘔吐があり胃からと思われる黒い吐物ということで食事も無理せず早めに横になって貰うとのお話だった。
過去にこういうことが起きているので 凄く慌てた風ではなかった。
熱も平熱。血圧も母の平均の高め程度。顔色も悪くないという事だ。

いつも何が起きても不思議ではないと何処かで思っているけれど 気分はちょい重たい。こんなことを暫く繰り返していくんだろうな。
でも 目に力が入っていたので 急激な変化はないと感じている。

目で追われた1日。円背。
これが 母の体調の物差しになりそうな気がしてきた。


2009年12月10日(木) 何の弾みか...


 町内サロンのお楽しみ会。
立ち上がって半年。
今日は 初めて軽食を出す。
サンドイッチは 会場で作る。
デザートのタピオカを作る人 みかんを購入する人。ビンゴゲームの商品を包装する人。それぞれ役割分担。
私の担当は フライドポテトだった。
我が家には 沢山のジャガイモがあるので受けた。
けれど 歯の弱い人のいる事を考えてマッシュしたジャガイモに玉葱を刻んで混ぜてオリーブとチーズをのせてオーブンで焼いた物を持って行くことにして昨夜下ごしらえをして今朝焼いて運んだ。
後は珈琲豆と紅茶とドリップを持って...。

お漬物を持ってきてくださった方もいた。
みんなでワイワイ楽しんで 1人暮らしの方にはお持ち帰りして貰ったり...。

後片付けを済ませて家に戻ったら お野菜が届いていた。
放置の菜園から育ったものを届けて下さったのである。

午後菜園に出る予定だったので お礼のメールを入れてから 庭の木の剪定に励んだ。
午後からの作業なので 日暮れまでに片付け終えなければならない。
バッサバッサ パッチンパッチン。サッサッ!
散らかった落ち葉の片付けも含めて 日暮れぎりぎり。
大きな木の途中までで今日は終了。
植木屋さんに任せようかと悩みどころである。

夕食の支度を始めて...。
家で過す時間なので 妙にあれこれ作ってしまって...。
一汁一菜みたいな最近の食事だったが...。
一汁五菜...。
アチャー 二人でどうやって食べきるんだろう。
母の好物もあるので 明日持っていくことにした。

病院から在宅に戻られたお母様の介護をなさっている仲間から 容態急変。
介護者の思いより速いペースで状態変化して...というメールが届いた。
非常にまずい変化みたいだ。
訪看の説明も受けて準備を始めたばかりだったのに...。
落ち着いてくれる事を祈るのみである。
そして介護者の体力も保持できますように...。


2009年12月09日(水) 「オライのウッツァ…」

施設に着くと母はしゃっきりと目覚めていた。
昨日も電話した時「しっかり起きていますよ」と言っていた。
母は私をみて「やぁ」と言う視線を送ってくれた。
母の手に触れたら「つめたい」とはっきりした言葉で反応してくれた。
立位してトイレ誘導しようと思ったら「オライのウッツァ」と言いかけた。
久しぶりに聞くふるさとの方言。私も忘れかけていた…。
そんな訳で今日は「オライの〇ちゃんめんごいな」と何回も話しかけた。
「オライのウッツァ…」は「自分の家に…」と言う意味である。
あれぇ オライって どういう意味だろう。
「オライのおとうさん」ともいうし 「オライの家」ともいうし…。
ふるさとでは 今でもちゃんと使われているのだろうか?

あれあれ とんだ所で脱線してしまったわ。
何しろ 方言を使うと母の反応が良いのだ。

一時不安定になっていた立位・歩行も大分安定したものになった。
1人で歩行できるまで良くなるなんて思わないけれど でもちょっとでも改善されたと言う事が嬉しい。
母の介助は 二人介助ですといっていたが 数日前 探しても介助してくれる人が見つからなくて一人で介助になったそうだ。
「それでも不安定にならずにできましたよ」と話してくださった職員が話していたなぁ。

転倒は怪我のみならず 心のショックも残って思いもかけず動きが悪くなるような気がするというのが療法士さんと私の見解である。

トイレ誘導は 「大」「小」排出できた。
その後 昼食を居室で戴く。
順調に食べられた。施設の食事+柿+プリンを1時間内で食べ終えた。
口腔ケア後 リハの準備をして待つ。

リハも落ち着いて受けられた。
リハ終了後ちょっとの時間zzz。
でも直ぐに目覚めて トイレ誘導。
この立位介助が「うそ!」と思うほど楽チンだった。
スッと立ち上がれたのだ。
トイレ誘導で「小」排出。

それから母に座ってもらって 明日のデイの支度。
寒くないようにスカーフも出して ズボンは厚手のもの。

ちょこちょことお掃除して ゴミも出して…。
そこへ訪問介護。
母の様子をあれこれしゃべって...。
そうそう こういう話が職員とすることが減ってきていた。
施設側で伝えたい事は 話してくるが それ以外のお話って確実に減った。
状態を共有すると言う事がプランを立てるときだけ。。.
その他のちょっとした良い兆しとか何気ない会話がなくなった。
きちんと受け止められる家族に対してもそうなのだから「話せない・理解し難い人」に対しては 推して計るべし...。

母にホールのソファーに移動して貰った。
暫く 母のそばで過して そうっと施設を後にした。

帰路郵 便局に立ち寄り年賀状を購入し 支払いも済ませ家に戻って遅い昼食。
夜 イヴェントの会議に出た。
遅い昼食だったので 結局 夕食は...。


2009年12月08日(火) やれやれ


 母の所に出かける準備は出来たけれど…。今日は 諦めた。
 


2009年12月07日(月) 地域のこと


利用者さん活動日。
今日は 落ち葉の後片付け。
時折 家に戻って片づけしているとは言っても人の住んでいない庭は落ち葉でいっぱい。
広葉樹もあるけれど松葉も目立たないけれど結構ある。
自宅の落ち葉のみでなくよそ様の家から舞った落ち葉も多い。
それらをせっせと掃き集めた。
草もまた伸びている所もあり 大き目のものは抜いて…。
2時間掛けて何とか片付いた。

利用者さん 腰を屈めての作業はきついようなので 後半は纏めた落ち葉を袋に運んで貰う作業にして頂いた。
利用者さんには お部屋で休んで戴いても何の不都合もないのだが 何もしないでいるって出来ない性格のようで…。
私も出来る限り 利用者さんのようになりたいなと思う。

仕事が終わると「あなた もう帰りなさい」と追い返される。
これも性分。
自分の時間を大切にしなさい…というご忠告である。

家に戻ってから昼食を摂って 押し入れの片付け。
しかし気が乗らない。
その時電話が鳴った。

役所からだった。
地域で認知症の人と介護者を理解してもらうための活動についての話。
お互いなかなか連絡が取れなくて 先日 月・木なら自宅にいる確立が高いと伝えてあったので月曜日を選んで電話してきたのだろう。
勿論役所の方も担当している仕事もあり お互いに時間の余裕がないという事情があるのだが…。

そこで あれこれ意見交換。
お互い方向性を確認して それぞれできることを考えて その後再度打ち合わせをすることに決まった。

地域といえば 別件で役所からお声がかかっている。
来年のイヴェントのことである。
来年は ちょっと一呼吸おいておこうと思っていたが どうも実行委員が集まらないらしく 少し前からお誘いのお声がかかっていた。
受けてくださる方がいないというのは このイヴェントに限った事ではない。
もっともっと出来る方がいる筈だけれど…面倒なんだろうな。
今日 再度の案内メールが届いたので できる範囲でよいのならという条件をつけてお受けする事にし 返信メールを打った。

介護者の会の理解が深まることを願って登録して 此方の活動も認めて戴いているので…。
持ち込み企画を考えなくては…。

晴天の1日 洗濯物がよく乾いた。


2009年12月06日(日) こんなに身近にいたの?


昨日「大」が少量だったので 途中でヨーグルトを購入し母の所に向かった。
母は ソファーに座って眠そう。
ちょこっと足首の旋回と膝の屈伸でウォーミングアップし立位して貰ってトイレ誘導。「大」「小」排出できた。

いつもそうだが トイレ誘導後居室の椅子に座ってもらってから トイレの後始末をする。「ちょっと待っててね」と言うとコクリと頷くので判っているのだろう。

その後 昼食介助。
この所みんなと食事しないので 日曜日ののど自慢の入所者による審査を聞けないのが残念。
今日の施設の昼食は きんぴら きっと乾燥した野菜を使っていると思われ歯ごたえのあるものだった。それと豚肉のソテー。薄切りだけれどちょっと筋があって母は噛み切るのに苦労していた。
食べやすいように箸で筋を除いて食べてもらったが 薄切りなので見えないこともあって筋が混じる事もあったのだ。
他にカリフラワーと人参の胡桃和え。かきたま汁。キャベツのお浸し。
さすがに今日は1時間15分ほど掛かった。
でもご飯+お粥と柿とラフランス+プリンも食べての事だ。
これでこの時間ならOKだと思う。

食後 口腔ケア。
アロマを垂らしたお湯でタオルを湿らせて 顔を拭く。
それまでぼんやりとしていても 顔を拭くとにっこりと私を見つめる。

そうこうしている内に 訪問介護の時間となった。
先に誘導して「小」排出。
その後の手当ては 職員にお任せ。

居室の椅子に座ってもらっていたら 職員が 母の話をきっかけにして お母様のお話をなさった。
そのうちに ふるさとでお母様の見守りをしてくださっていたお兄様が事故で亡くなった話をなさった。事故とは 先日の韓国釜山で起きたもの。
お兄様を失った哀しみも深いけれど残されたお母様の今後を心配なさっていた。言葉を失ってしまった。

その後 ホールに移動してみんなで歌を唄った。
歌を唄って ちょっとでも気持ちが晴れればいいのだ。
と言いながら 好きな歌の歌詞をコピーして準備していたのに忘れてしまったのである。全くしょうがないなぁ。


2009年12月05日(土) ようやく実現


先週 し損ねた季節性インフルエンザの予防接種 本日無事接種。
母の罹り付け医でもあるので ちょこっとこれからの事を伝えた。
「いいんじゃない」と一言。余計な言葉はない。

娘も一緒に接種。
「あれ 娘じゃなく 息子と同じだっけ」と医師。
いつの間にか 医師のお嬢さんと同じ年と勘違いしていたのだが こちらも敢えて訂正しないできた。

高校受験の頃 ふとしたことである場所でばったり出会った。
お互いに受験生の子と一緒で その時にお互いの状況を知ったのだった。
塾とか受験関連の場所で出会った訳ではなくて 気分転換を図る場所。
考える事は同じか…なんて思ったものだ。
でも 同級生と出会うことはなかったので 似たような考えをするのだろうなとも思ったりもした。

予約は朝10時。
娘は 明け方まで仕事の延長?で睡眠時間が足りない中 踏ん張って電車に揺られてやってきた。
此方は 混雑具合では母の所に直行になるかも…と思い 持ち物は揃えて向かった。

この予防接種 娘から持ちかけられたから実現した。
昨年は 結局接種せずに過ぎてしまった。
今年はしておかなくちゃ…と思っていたが ついつい我事は後回しで日程が…と先延ばししてしまったのである。
こういう性格を娘は良く知っていてのことだろう。

そこそこ順調に接種できたのだが その足で母の所に出かけることにした。
母は目覚めてソファーに座っていた。
何となく寂しそう。
デイ利用している人もいて フロアには母1人きり。
母は話せないので会話する人がいなくとも…と思われる方もいるかもしれないのだが やはり誰もいないということは寂しいのだろうと感ずる事が多々ある。
この所 めっぽう涙もろくなって ちょっと母のそばを離れようとすると洋服をつまんで「ちょっ…」と声を出す。
そんな場面が増えた。
だから そばを離れる時は「ちょっと待っててね」と伝え母がこくりと頷いたのを見てから離れるように意識している。

娘はさすがに眠いようで 居室の畳に寝転んでウトウト。
食事介助が始まると「途中変わるから」と一言発した。
「別に大変なことはないから 大丈夫よ」と伝えたら「そういうことじゃなくて…」と言っていた。けどね 眠そうで…。
家から持参したお粥と施設のご飯を混ぜて 昨夜仕込んだ母の好物の芋煮汁と柿を足して 施設の食事も含めて完食。
時間も1時間程度。順調な食事介助だった。

片付けも済ませて トイレ誘導。
先のトイレ誘導で「大」少量と「小」排出。
後も「小」排出。

それから 少し足首の回旋をして膝の曲げ伸ばし…。
歩行も出来てトイレで手すりに掴まって立位保持も不安定さはなかった。
気をつけて見るのは 足底。立位の時に両足を揃えるという事くらい。
これが出来ていないと立位した時不安定になるように見える。
あくまでも母の場合だけれど…。
着席している時も両足を揃えて少し奥に足を引っ込めてややかかとが上がる状態になるようにしておくようにしているだけ。
これだけで 随分改善されてきているなと感じている。

食後 暫くしてから そうっと施設を出た。
娘が最期まで母のそばにいてくれたが 帰りを察知して涙がいっぱい溜まっていたと言っていた。
そう 母は 感知できている。
だから そうっとそうっと興味を別のことに逸らしてから 離れる此の頃なのである。

家に戻って遅い昼食。
夕刻近くに 娘は自分の所へ帰って行った。


2009年12月04日(金) 備えあれば 憂いはないと…


今朝 母の所に出かけて「あれれ」と思った。
母の頭からはシャンプーのいいにおい。
それなのに デイ用のバックをみたら 替えの下着や靴下が替えずに入っていた。一瞬「デイの職員が着替えさせなかったかのか?」と思った。
大変だし そういうこともあるかと想像した。

トイレ誘導後「大」「小」排出。
その時職員が見えて ドア越しに 昨夜の様子と今朝の様子の報告を受けた。

その後 居室で昼食介助のため椅子を運んだ。
椅子の上に買い物袋があった。
施設に着いた時から目に入っていて中に何か入っているのでちょい置きだろうと思った。
でもそれ以外に使う椅子がないので 袋の中を確認。
すると母の下着が入っていた。
「?」夜間 熱が出て更衣したのかなと思ったが パジャマは其の儘なのでますます「?」
職員に尋ねると「判らないので洗っておきましょう」と持っていってくださった。
でも 私の頭の中は「?」「?」「?」「!」

昼食介助を始めた。今日は散し寿司なのにおかずもたっぷり。
それでも 結構なペースで食べ終えた。
何故熱が上がったか不確かなので 脱水症状も考え更に水分補給した。

食事終えて 口腔ケアをすませ食器を片付けて暫くしたら トイレ介助に見えた。
笑顔も見て「大丈夫そうですね。良かったです。昨日は寒かったので デイに行く時手持ちの毛布をかけて差し上げたのですよ。そういえば 昨日と同じ服ね。上も寒そうだったのでね。デイのバックに下着も入っていなかったので 出して入れたんですよ」と言われた。

それで なぞが一気に解けた。
昨日は 冷える事が判っていたので 綿のハイネックにウールの厚手のカーディガンとジャンバー ズボンは厚手の物を準備しておいた。
それを着ないで薄着(室内の普段着)で毛布をかけて出かけたのだ。

そういえば 昨日連絡を受けた時の反応が腑に落ちなかったことがあった。
此方のペースで「少し厚着をさせ過ぎてしまったでしょうかね」といってしまったけれど…。その前の言葉が「昨日の服装は…」と言われていた。
あの時最期まで聞いておけば良かったんだな。
あの時「薄着だったから…」と引き出せていたら…。
なんでも早とちりはいけないなぁ。

袋に入ったシャツは 熱も出て慌てたので放置となったのかな?
でもね。デイの連絡帳はバックから取り出さないと見られないのだし…。
それなのにデイのバックには 使い終えたバスタオルも其の儘入っていたんだよね。

その割りに 今朝着いた時には ジャンバーもセーターもロッカー内。
ハイネックのセーターは見たらず…なんだよね。
用意されたものが使われなかった事は 判っていると思うのだけれど「?」
その事に関しては何の説明もない。
話もしていないのだから 説明する義務もないってことか?

デイの人も「なんと頓珍漢なことだろう」と思われただろう。

きっと熱の出た原因は いろんな悪条件が重なって起きたのだろう。
でも施設側は こういうことをどの程度把握しているのだろう?
デイ利用時「此方が全て準備します」と伝えて これまで忘れた事は一度もない。利用してから半年は経過しているし 知らないという事はないと思うのだが…。

夕方 人と合う約束をしたので ホールのソファーに移動して暫く遊んでからそうっと施設を出た。
約束した場所で 2時間近く話し込んだ。
昨日は 別の方と1時間近く。
二人とも介護者の会を支えてくださる方。
二人ともええ加減な私と違って きっちりと考える方で自分が会のために役立っていないのではないかと思われていた。
そのあたりで話し合い。
ただ 他の事に取り組みたいという意志があるなら無理に引き留めてはいけないと思って 恐る恐るお聞きすると「そうではない」という事でひとまず胸を撫で下ろした。
二人とも 今 関わり方を改めて考えて下さっている。

実は更なるお手伝いを希望される方から昨日電話を戴いた。
大変な介護を7年 その前を含むと10年余介護なさった方で今年看取り終えた方だった。
お話をして お手伝い下さる事になったのだが「あの 息子もいいでしょうか?」と言われた。聞けば 息子さんの手助けがあってできた事で 息子さんは 仕事をやめて資格をとり 介護と家の仕事を引き受けてくださったのだそうだ。
その方もお手伝いを希望されているということだった。
「土に触れて 緑を育てて 随分慰められましたよ」という話に「本当にそうなんだよね」と思った。

実際お会いしてみないと判らないけれど 少なくとも何らかの志があるのから
…。それも住まわれている地区に介護者の会がないということでわざわざ隣の街から来てくださるのだ。
その方のお住まいの地区に立ち上げられるように支援できたらなおいいなぁ。
その地域からも過去にお見えになっていた方もいる。需要はきっとある筈。


2009年12月03日(木) ホッとしたのも束の間


雨の予報に家の中の片付けをする事に。
明日は プラゴミ回収なので 古くなったプラゴミを集めるつもりだった。
が 最初に整理を始めた場所は紙ごみがいっぱい。
結局 また シュレッダーにかける作業となった。
それに 洗っておきたいものも出てきて 通常の洗濯物が終わってから手洗いでゴシゴシ。
箱物も分解して紙ごみ。

途中電話も入って…。
夕方5時過ぎに掃除機を掛けて終了。

全く 溜めてしまった家事は それ相当の時間を掛けないと片付かないんだなぁと感じた。

夕食の支度をして食べ始めようとしたら施設から電話。
クリスマス会の話かななんて思ったら…。
デイから戻ったら8度を越える熱があるということだった。
デイからは熱の報告もなかったそうだ。
夕食後 早々にお布団に入って貰ったら 冷やしていたら 7度代に下がってきていると言う事だった。
咳やだるそうな様子は見られず 食事の拒否もなくそれなりに食べたという事だった。

昨日 デイの予定表をみたら足湯とあった。
外に足湯の場所があり車椅子の人も対応できるようになっているのだ。
ひょっとして 入浴後 足湯をしたかな?
今日は 体感温度が低く それで風邪でもひいたかな?

まだ何とも言えないけれど 夜間に変化があったら連絡戴くことにした。
もう寝てしまったのだから 後は任せるしかないのだろう。

それにしても ようやく落ち着いたかなと思っていたのに 今度は熱かぁ。
母への試練は続くなぁ。


2009年12月02日(水) 母 快調


昨日のハプニングで自転車は別のお宿にお泊り。
今朝の足は...。
母の所に出かけるためのワンセットを持ってエイコラエイコラ出かけた。

母は ご機嫌でニコニコ♪
昨日もそうだったが 私が舌を長くさせておどけると母も舌をちょこっと出していたずらっぽい目で見つめる。
おしゃべりできたら きっと冗談が飛び出す日なんだろうと思う。
でも 此方からのアクションが伝わっているのだから嬉しい!
肩をポンと叩くと「えへへ」と笑う。
言葉がなくとも楽しめる...。

「立つよ」といって肩を抱えてちょっと力を添えると後は自力で腰をあげた。
「もう 自分の意志で立とうとはしないかも...」と諦めかけていたが 自分の力を出してくれた。

トイレ誘導して「大」「小」排出。
その後昼食介助。
今日は「あったかおそば」とミルクゼリーと茄子の揚げ煮。
充分一人前。これを40分くらいで食べ終えた。
他に持参した柿とプリン。
2時間近くかかっていた事を忘れそうになる。

リハの準備をしているうちに寝入ってしまい ぐっすり眠っているのでマッサージリハ。足の底がきちんと着くようになっているが 療法士さん足首柔らかくなっているといわれた。
足首回しと椅子に座り方で大分改善できたようだ。
母の踏ん張りが一番だろうと思うけれど。
やっぱり馬鹿に出来ない生活リハ。

リハが終わる頃「ひょっとしたら出ているかもしれませんよ」と療法士さん。
リハ終了後ごろごろ動き出したので「トイレに行く?」と聴いたら頷く母。
仰向けから立位介助。母の意志もあってらくらく立位できた。
其の儘トイレへ。
「訪問介護にちょっと早いけれど...」と介助に見えた職員。
お手当てをしてくださった。

その間 ドラックストアに走ってトイレットペーパーとテッシュペーパーを買ってきた。戻ってみるとソファーに座っている母眠そう。
座り方を替えるときちんと姿勢保持が出来て それからずっと姿勢保持できた。クッションもいらない。
私と一緒の時はお尻に当てるクッション以外必要としないのだが…。

職員が見えて「さっきの訪問介護 30分間違えちゃって…」と更に30分母と3人でおしゃべり。

その後 トイレ誘導して「小」排出。
居室の椅子に座ってもらった。
それから 立位。
調子が良いので 肩を抱かないで 両手を持って介助してみた。
「腰を上げてね」といったら じりじりと腰を上げて立位成功。
つらそうな表情もない。
歩行介助も両肘介助から両手引き介助。
ちゃんと歩けた。
これまでは反応がよくとも難しかった事が軽々出来て 気持ちも弾んだ1日となった。


2009年12月01日(火) 来ないよりもいいかぁ


母の所にいく前に ちょこっとお店に立ち寄ってお買い物。
それから急いで母のところへ。
着いた時には 眠っていたけれど 他の方とお話している間に目覚めたようでしゃきっ!
「立ちますよ」というと頷いてくれた。
意志を伴っての立位介助は楽チン。

それからトイレ誘導して「大」「小」
その後昼食介助。
今日も快調で1時間掛からずに終了した。
アロマオイルをお湯に垂らして タオルを入れて絞って顔を拭いたら今日もにっこり。

それから ホールを歩いてソファーに座ってもらった。
午後は介護者の会なので 急いで移動。
最近 誤嚥性肺炎等で緊急搬送が目立つ。
入院してしまった方が 数名。
それぞれ原因が異なるが 認知症に起因する変化である。
皆さん よくお話なさっていらした。

介護者の会の後 お食事会。
そこでもワイワイとおしゃべり。
食べ終えても話し込んでいたら ブルブルと携帯が震えた。
みると弟だった。
「家の近くまで来ている...」とのことで母に逢いに行きたいというのだった。
6時を廻っているので もうお布団の中だと思ったが 一応母のところへ同行。
みんな 既に布団の中。早いなぁ...。

母に声を掛けるがなかなか目覚めない。
諦めて帰ろうといた所でパッと目を開き 弟の顔を見てにっこり。
私を見てにっこり。
そして直ぐまた寝入ってしまった。

それから施設を後にして我が家へ。
大急ぎで夕食の支度をして弟に食事して貰い 食べ終わって明日の仕事もあるらしく帰路についた。

まったく疾風のようにきて疾風のように消えていく。
マッ 来ないより来た方がいいから それでよし。
今月は もう1回来るそうだ。。.


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