母のタイムスリップ日記
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2009年09月30日(水) 力を使わない介助みぃつけた!


午後国際福祉機器展に出かけるので ちょっぴり早目に母のところに出かけた。面会の時間を減らす事に後ろめたさがあって「やっているもん」みたいな言い訳のアクション。勿論自分に向けてなんだけれど...。

職員に食事のバトンタッチとりは終了後の片付けをお願いした。

トイレ誘導「大」「小」排出。
ついた時は眠っていたけれど 話しかけて目覚めを待った。
トイレ誘導に介助してからは しっかり目覚めて居眠りもしなかった。
両手引きながら歩行も安定している。
今日の昼食は画期的だった。
ご飯は お粥とご飯の混合で量的には 何時も通り。
おかずも漬物以外は全部食べた。
それで いつもより40分早く食べ終えた。
最近 アロマを施している。
温かなお湯にオイルを垂らして顔や手を拭く。
母はにっこりする。
今日は その後お豆の菓子(ふるさとの銘菓)をちょっとだけ口に運んでみた。
驚いたように顔をあげてにっこり。
これが 食前にしたこと。
このアロマは ティートリー。殺菌作用があり インフルエンザ予防の想いを込めている。

職員から聴いた話では この所夕食も結構早く食べていると言う事だった。

食事の前に 明日のデイと今日のリハビリの準備を済ませた。
ぎりぎりの時間に職員にバトンタッチしてバスに飛び乗った。

それから介護仲間と有明にむかった。
その前にちょこっとイヴェントのチラシ配り。
福祉機器展は全部を回る事が出来なかったが 会の仲間に紹介できたらいいなと思う介助の仕方を体験。
電動自転車タイプの車椅子も体験。これをレンタルすると2600点。
介護の目的と使用頻度をよくよく考えて利用すれば 介護者は介護がちょっぴり楽になりそう。

途中で電話が入った。
施設からだったのでドキドキ。
今日は 元気だったから急変かと思い 外出した事を後悔。
でも用件は 入所者が亡くなったという知らせ。
ご家族にお願いしていたから...。
その方はクリスチャン。
出会うたびに「教会にいきたいです」とお話なさっていた。
だから出来れば本人の意思に添えるようにしてあげたいと思っていた。
ご家族にもその意志をぼんやり伝えて了解戴いていた。
しかし家から離れた場所で直ぐに動けないので 先に連絡先を伝えていたので「そこに電話してみてください」と伝えた。

家に戻って電話を差し上げたら 牧師さんが訪問下さり祈って下さり 葬儀のこともお話出来たそうだ。
お見送りの会の日程も決まってそれも連絡を受けた。
家族の意思としてお花料等は辞退しますと遠慮がちに言われた。
「遠慮しなくてもいいのですよ。そのようにさせて戴きます」と返事した。

入所していたクリスチャンのお見送りがいつも気になっていた。
出来れば故人が大切になさっていた事を叶えて差し上げたいと思っていたのだ。これで 初めて故人の意志を伝える事が出来た。
故人は 自分の意志を強くもたれている方だった。また 寂しくなるなぁ。


2009年09月29日(火) お〜い!お〜い!


 今日もあれこれ書きたい事はあるのだけれど...。
とりあえずの一言だけ。

この所 嬉しい荷物便が多い。
だが 今日に間に合うようにお願いしていた便が届かない。
相手は 先週発送している筈だが...。

母の所に出かける時 宅配の車と出会った。
自転車のスピードを落とすと車もスピードを落とした。
相手も我が家に荷物の配送があると判っている。
つまり顔が割れているということだよね。

窓を開けて「午後でも配達しますよ」と名前も告げていないのに話しかけてきた。「夕方まで戻れないかも...。だから 今受けます」と伝え 家に戻った。宅配業者さんは 交通規制で別の道でやってきた。
ちゃんと家も判っている。

荷物は2つ。
「メール便はありませんか?」と言ったら「ないと思うけれど...」と探してくれて「ありませんね」と。

夜 また宅配業者さんが見えた。
「メール便届きました?」「いえ」
でも「お宅の便ではなさそうでした」
「メール便ってこんなにかかるのですか?」「うちなら翌日配送ですけどね」と言いながら 今日分の配達品を置いて帰られた。

メール便 今日に間に合うようにお願いしたけれど...。配達されるまで こんなに違うの?
「ひょっとして 受け取って忘れている?」なんて思って探してみたり...。
「留守の間に不在票があったかな?」なんて探してみたり...。

いやはや 気がかりです。
もう間に合わないので今日の分は 在庫で乗り切ったけれど...。

母は 「大」「小」排出。
食事も程ほどに食べて...まずまず良好。


2009年09月28日(月) ふるさとの風


 同級生に保健師さんとして地域で仕事なさっている方がいる。
聞くと地域包括支援センターに勤務しているという。

そこであれこれ話した。
「都会はね 地域の取り組みも活発でボランティアの協力も活発だしいいね」と言われた。

「とんでもはっぷん。ボランティアに取り組んでくれる人の割合は荘変わらないと思うよ」
「ふーん 地方は過疎でね」
ふたりでため息をついた。

地域包括の忙しさは 何処も同じ筈。
でも 相変わらずの自然体できりきりしないで仕事なさっている風だった。

いろいろの話が聴けたが 書ききれないので後日に...


2009年09月27日(日) 娘からの報告


娘の昼食介助の様子を電話で聞いた。 
母が居眠りしたりで厳しかった言う様子だった。
この所 居眠りは殆どなかったのだけれど...。


2009年09月26日(土) しまった!


 朝 母のところに行く支度をしていてハッとした。
利用者さんのお彼岸のお墓参りに同行する約束の日だと気がついた。

昨日 施設には 何も断っていないし...。
いや 別に断る事もないのだろうけれど...。
それでも作ったお粥や副菜は 昼食に使って貰ったら多少は改善できるだろうし...と思った。

そこで利用者さんに電話をして30分繰り下げて貰う事にした。
今回は 私の不注意だけれど 利用者さんとは多少の時間変更やお休みは許して頂くことに同意して戴いている。
いつも「無理しないで下さいね」と言われてもいる。
此方も 出来る限りそういう事のないようにしているし 今回が初。

大急ぎで自転車を飛ばして施設に届けて 直ぐ駅に直行した。
目の前を通過して「おはよう」と挨拶したが 母は おそらく来た事は認識していない。

15分ほどの遅刻。
それから電車に乗ってお墓参りに同行させて戴いた。

3時間弱で戻って 活動終了。
その足で母のところに再度出かけた。
母はソファーに座っていた。
直ぐにトイレ誘導し「大」排出。
暫くして訪問介護にバトンタッチ。
その後 水分補給。口腔ケア。
居室で少し遊んでから トイレサインがあったのでトイレ誘導。

すっきりした所でホール内を両手引きで歩行した。
用事があるので 夕食まで待たずに施設を後にした。

明日は気分転換に出かける。
娘がピンチヒッターをかってくれた。
しかし この所母と逢っていないので苦戦するだろう。
無理をしないように...と伝えてある。 


2009年09月25日(金) お粥釜が使える


日記を読んでくれている介護仲間からメールが入っていた。
「お粥専用の炊飯器があるから使って...」と。
有り難く使わせていただく事にした。
説明書まできちんと残してあるという事だった。

お粥を炊く時 タイマーで時間をみているので 結構手間取る。
手間取るのも介護のうちと思ってはいたが 手間が省ければ少し他の事が出来る。

今日 早速帰りに立ち寄って戴いてきた。
「介護が終わったし 次に使う頃には新しいのが出ているだろうから 傷とか気にしないで使ってね」といって頂いた。さりげない気遣いに感謝。

今朝も お粥を炊いて母の所に出かけた。
母はソファーに座って目覚めていた。
「大」のチェックをすると記録はマイナス1。
という事は 乳製品での急激な効果はないということだ。
水曜日に飲むヨーグルトをほぼ全量飲んでいるのだ。

トイレ誘導すると「ここ ここ」と母は反応した。
数分経過して「大」「小」排出できたのでホッとした。
職員の話だと今朝 ヨーグルトを食べているそうだ。

今日の分が影響したのではなく 水曜日の影響と思われる。
これで 暫く乳製品で対応していくことになると思う。

ホールに移動して昼食介助。
ぶりの照り焼きに辛みそがついており 後は酸っぱめの酢の物とシュークリームと揚げとわかめの味噌汁とご飯。
一口目は ご飯。噛み始めたのでこれは行けるかも...と思ったが 飲み込みがいまいちなので お粥とご飯を半分ずつにしてみた。

ぶりの照り焼きはしっかり味がついていて 他に辛みそだったので ご飯を食べる時の刺激として辛みそを使った。
家から エゴ(九州のおきゅうとみたいなもの)に芥子酢味噌を掛けて持ってきた。米茄子のかに餡かけ。他に施設に置いてあるモズク。
これ等を適量ずつ。

1時間半近くかかった。ご飯はティースプーン1くらい。味噌汁は実は殆ど食べて 汁残量少し。ぶりも3分の1が残量。

ここで1度食事を切り上げて 居室に移動。
それから 水分補給にラブレとお水をそれぞれ130cc程度飲んで貰った。
シュークリームも...。

訪問介護でトイレ誘導して職員にバトンタッチ。
その後イオンゼリーを水分補給して頂いた。

その間に一度施設を出て車椅子を借りに行く。
途中 駅近くの地域包括に立ち寄ってイヴェントの案内方々ニュースレター
を届けた。
ここの施設は山側の方が正面玄関なのだが 街道側からエレベータに乗れると初めて知った。
この施設をショートに使う介護仲間は知っているのかな?
これまで 坂を歩くのがしんどいという話を聴いていたのだ...。

その後駅に向かって電車で移動。
とことこ歩いて社会福祉協議会へ。車椅子をお借りした。
本格的に使う時までの繋ぎ。今レンタルすると使える介護保険の点数が少なくなってしまうので それを避けるため。
季節的に 車椅子を使ってお散歩したり通院したり...の予定。

無事借りられたので ここでもイヴェントの告知とニュースレターをお願いした。イヴェントの告知...ここには 届けにきていたのだが 職員の入れ替わりで顔見知りの方は居なくて 告知ボックスに置かせて戴きますということだった。でもよく考えれば あるところでお会いしていたことを思い出した。受けた人は 覚えてない様子だった。
その方が都合が良い事もある。

帰路道沿いにある店で 椅子カバーと留め金を購入した。
駅に着いてタクシーに乗り施設に戻った。
空の車椅子に運転手さんが「あれ これを使う人は?」ときょときょと。
いえ これから使う人の所まで運ぶのですと説明。

施設に着くと夕食が始まっていた。
入所者のご家族が見えていたので少しおしゃべり。
母の食事風景を少しみて 施設を後にした。


2009年09月24日(木) 変化したなぁ...


 町内のサロン活動のある日で会場準備のため朝からトタパタ。
小さな集会所だけれど 普段は閉じた儘なので 窓を開け払い 机を並べ お湯を沸かして...といった準備。
今日も10名ちょっとの人が集った。
サロン活動は5名以上の参加者があれば良いということなので まぁまぁといった所だろう。

3回目だが 着実に理解者が増えている。
世代交流も含めて ちょこっとずつ広まっていけばいいのだろうと思う。

サロンを閉じて家に戻ってから 用事があり地域包括に出かけた。
あるイヴェントのニュースレターも運んだ。
他に友人から相談を受けた方の訪問もお願いした。
独り暮らしの高齢者だが 地域包括のチェックが入っていない方だった。
近いうちに 訪問してくれそうだ。
友人には「担当の民生委員に方にも報告入れてね」とお願いした。

次回のサロンに地域包括の方から来て戴こうということで その事もお願いした。
「地域包括の説明とみんなのお話に耳を傾けて交流していってください」とお願いをした。

1度家に戻ってから 役所と役所近くの地域包括に出かけた。
役所では 介護担当のフロアでイヴェントの案内を職員向けに話す機会を作って下さった。
案内を置いて貰うだけのつもりだったので 配慮に感謝。
窓口を訪れる介護者や専門職の人に他の書類と一緒に手渡ししてくださるそうだ。
少しずつ役所も変化してきている。
地域に拠って取り組み方は違うが うちの所轄のやり方で踏ん張ってくれていると思うと感じた。

その後 役所近くの地域包括へ。
地域包括も受け取ってくださる感触は異なる。
最初の地域包括は「ご苦労様」「ありがとう」という言葉を戴けた。
温度差は 仕方ないだろう。

これまでは 一括して打ち合わせの場所に持って戴いて配布して貰っていたのだが 今年は 此方から挨拶方々配布して行こうと思っている。
顔なじみの人たちなのだが 個々の雰囲気をじかに知っておくことも大切かと思ってのことだ。

今日は 3ヶ所。
これから時間の隙間を見て 配布していく予定。

買い物を済ませて家に戻ったのは6時過ぎだった。


2009年09月23日(水) お彼岸なれど...


お彼岸の中日。
今年もおはぎを作らない横着ぶり。
もち米や小豆はあるのだけれど 下準備がね。
気力不足だと思う。

昨夜のうちにお粥の支度を済ませて 朝食を摂りながらお粥を炊く。
うちには こがまちゃんという炊飯器の中に入れてご飯もお粥も炊けるというものがある。
ところが これで炊く分量では 今の母の一回分の量には足らないので。お鍋で炊いている。

火加減の調節が必要なので タイマーを入れてそのつど調整している。
今は お昼一食分だけなのでこれでいけるが...。
時間に追われるようになったら お粥専用の炊飯器購入した方がいいのかもしれない。

施設の食事で間に合う時には出番がなく 持ち帰るので無駄手間が生じることもある。
それでも 此方が配慮したい所なのでできる限り取り組んで行こうと思う。

こういったことは 施設側にとって迷惑な所もあるだろうと思う。
でも 悪あがきかも知れないが家族の想いもある。
そこで中庸を取らせて戴くようにしている。

一時 机に突っ伏したりして 私と逢っていても冴えない表情が多かったのだが 最近はとてもいい顔を見せてくれる。
居る間は 居眠りは98パーセントない。
トイレ誘導時 立位の時は「自分で腰をあげてね」といえば力を出して腰を上げてくれる。言葉で答えることはないけれど 目で応えて踏ん張ってくれるので此方の話は通じていると感じる。

施設に着くと母は眠る寸前。
話しかけてから立位介助して トイレ誘導。「小」たっぷり。
昨日 あれだけ乳製品を摂取したので下痢はなかったかと気がかりだった。
職員に尋ねたら「出てない」という事だった。ちょっと拍子抜け。

トイレ誘導でも排出がなかったので 今日は更に乳製品を摂るように心がける必要がありそうだった。

それでも昼食は ご飯を全粥に替えて 煮大根(おでんの大根2個分)とモズクと温泉卵をプラス。
副食は 豚のしゃぶしゃぶ肉を薄く味付けしたもの。キャベツのお浸し。葉物の煮びたし。漬物。わかめと卵のスープ。
お肉は半量残した。大根も4分の1量残。後は全量摂取。
所要時間は1時間半。

ご飯の後口腔ケアを済ませて フルーツを食べて貰う。
食べる意思は満々。入れ歯のない状態で食べてくれた。

午後はケアマネとのプラン作成の確認。
施設の職員も交えてお話した。

その間に母には訪問介護が入り その時に飲むヨーグルトを半量を飲ませて貰った。

プラン作成の話が済んでから トイレ誘導。「大」排出できた。
昨日のコロコロだったのと比べると良好なものでホッとした。

明日のデイの支度を整えて 母にホールのソファーに座って貰ってそうっと家に戻った。


2009年09月22日(火) 順調な食事


母のところに向かっている時 介護仲間とばったり出会った。
私同様 施設に向かっておられるのだ。

おそらく同じ時間を目指して出かけている筈なのだが これまで出逢った事はなかった。
同じ町内から出発して 同じ町内にある違う施設に向かっている。

人通りもないので 自転車並走した。
菜園の話となった。

施設に着くと母は 舟こぎ中。
暫く話しかけて 立位介助してトイレ誘導。「大」「小」排出できた。

その後食事介助。
献立をみるとアンパン・バターロール。シチューとフルーツのヨーグルト和えと大根サラダ(野菜は軽く煮てある)と珈琲牛乳だった。
この所 詰まり気味なので 乳製品摂取取りやめを今日のみ解除して様子を見ることにした。

珈琲牛乳にパンを浸して食べさせるとにっこり。
考えれば お腹の調子の悪い時 母は絶食後パン粥から食べ始めていた。
食べなれているだろうし 珈琲は甘いだろうし...母には 美味しいんだね。
いつもより気持ち早め目に食べ終えた。
勿論 全量食べる事が出来た。

食後 トイレ誘導・口腔ケア。それから持参したブドウを食べてもらった。

暫くすると入浴の時間となって 職員がお迎えに見えた。
浴室まで誘導して職員にバトンタッチ。

押入れを整理してから 施設を後にした。


2009年09月21日(月) 野坂昭如さんの唄


昨日のTBSラジオ 永六輔の土曜ワイドの野坂昭如氏からの便りが読まれた。その時「九条のうた」を唄う野坂氏の歌声も聴くことが出来た。

唄を聴きながら「ここまで回復できたんだな」と思った。
野坂氏の努力。奥様や周辺の方々の支えがあればこそなんだろう。

普通の歌声とは 違っていた。
でも 介護している人の感激や喜びが伝わってきた。

ありがとう♪ 野坂さん!野坂さんの奥さん!


2009年09月20日(日) 笑顔が光る日


スコーンと抜けるような青空が広がった。
母を連れ出して 何処かに出かけたい気分。
あくまでも気分だけ。
生憎の連休。
連れて出たい所は 何処も混んでいるだろう。

施設に着くと母はソファーに座ってぼんやりとしていた。
眠る寸前。
暫く 話しかけて 顔を擦ったりした。
時間を計った事がないが おそらく5分近く。
そうしていると目が覚めてくる。
それから立位介助して トイレ誘導。「大」「小」排出。
椅子に座って 整髪。

ホールに移動すると昼食だった。
日曜日にデイに出る方が 体調が悪くお休み。
だから 母のフロアはフルメンバーだった。

母は相変わらずのんびりペースでお食事。
ご飯と刻みアナゴの炒め物と茄子の味噌炒めと桃の缶詰。わかめスープ。
最近は お膳のものをひとつひとつ口の中に含んで舌で潰してみる事にしている。炒めたアナゴは舌では解せなくて 噛めないだろうと思った。
ご飯も普通なので家から運んだ全粥に切り替えた。
米4分の1合を全粥にしたものだ。
それに 雲丹とモズクの酢の物をプラスした。

アナゴは半量ほど 箸で小さくして食べてもらった。
1時間半で何とか食べ終えた。
食事中の母は機嫌が良くて よく笑っていた。
モズクは 確実に味の変化を感じるように思う。
今日は よく噛んで食べていた。
朝はどうだったか判らないが 衣類に食べ零しが見られたので介助しにくかったのかもしれない。

食事の後半には 恒例ののど自慢の視聴。
「鐘 幾つ?」
「ふたつ」「みっつ」「いっぱい」等よく皆さん当たる。
こいつは 伴奏より早いから1つかな?」なんて賑やかである。

食後 居室に戻って アナゴの代わりの蛋白源にお豆腐。後は 水分補給とフルーツ。ここまで摂取できればいいだろうと思う。

最近 母に伝えている。
「〇ちゃんの代わりに私が食べる事は出来ない。自分で頑張らないとね」と。「自分を守るために食べようね」と。
どの程度伝わっているか不明だけれど じっと顔を見つめて頷く母。
噛みだすきっかけにはなっているように感じる。

その後爪きりを始めた。
途中 訪問介護に職員が見えて トイレ誘導。
手足の爪を切った。

口腔ケアを済ませて 殺菌作用のある アロマ ティートリーで顔と手を拭く。母はニコッと笑顔を見せてくれた。

爪きり後 職員が掃除機を掛けてくれた。
ホールのソファーに移動して貰って そうっと施設を後にした。

帰りの道も スカッと秋晴れで気持ちよかった。
気分的には 其のままサイクリングにでも行こうかと思えるほど。
でも今日も 昼食抜いているので お腹ぺこぺこ。
えいこらえいこら 家に戻った。


2009年09月19日(土) 母と私のリフレッシュ


シルバーウィーク?プラチナウィーク?
ラジオで ゴールデンウィークは5月。それの秋編で「シルバー」って言っていたけれど でもやっぱり敬老の日を意識してシルバーなんだよね。きっと。
でももっと違う表現ないのかなぁ。

4日間連続早出の夫。
夫もかなり疲れているなと感じるけれど 送り出すほうも結構しんどい。
母のところに出掛けるのに からだが重たくて「やすめたらなぁ」って思った。
在宅でこま切れの睡眠しか取れていない人の事を思えば 我儘な思いなんだよね。

気の重さを払拭するため 少し早めに家を出た。
途中買い物をしてもいつもより 早目に着いた。
母はウトウトの直前だったが 目覚めていた。
トイレ誘導して「大」「小」排出。
でもちょこっと便秘気味に変わりはない。

それから 手を洗ったり整髪したりして...。
ホールでは 昼食が始まっていた。
今朝 お米から ゆっくりとお粥を炊いて持参したのだが 今日は 柔らかめの餡かけ焼きそばだった。それと餃子と杏仁豆腐と卵スープ。
お粥は食べ方次第で・・と思って 先ずは焼きそばの食べ具合を観察。
結構食べるので お粥は出さない事にした。
1時間20分ほどで 全量食べ終えた。

おそらく 介護者のゆとりの影響ってありそうな気がする。
出遅れて その後に用事が控えているとやっぱり焦ってしまう。
わかっちゃいるんだけれど...情けないことに できないのだなぁ。

午後は 施設下にある診療所でミニコンサート。
プロの声楽家の方が見えて歌ってくれるという。
診療所では 時折 こんなコンサートがある。
以前「聴いてみたいです」と伝えてあったのを覚えていてくれて 院長の奥様が案内してくれたので 申し込みをしていた。
母も好きなので「一緒にいいですか?」とお聞きしたら「どうぞどうぞ」という事だった。

そこで 午後はミニコンサートへ。
母を連れて行ったら 車椅子で来るかと思ってその席を1番前に準備くださっていた。
でも 母は後ろの方に座らせていただく事にした。
最初は ちょっぴり不安そうな表情の母。
周囲の人は 温かい目で見守ってくれた。

コンサートが始まっても きょときょとは止まらなかったけれど2.3曲目辺りからじっと歌い手をみていた。
後半になると手で拍子を取っているのが見えた。
1時間の間 じっと歌い手を見つめていたので 出かけて楽しめたと思う。
ひょっとして寝てしまうのでは...という思いは 杞憂だった。

「知っているよ」見たいな言葉が数回発せられた。
アンコールの時には 夕食の事もあるので席を立って施設へと戻った。

出掛けの疲れは 吹き飛んだ。
母のところに行けば 疲れも何もないのだけれど 腰を上げる時にちょこっと億劫さを覚えてしまうのだなぁ。

母は気持ちも緩やかでリフレッシュできたように見えた。
施設内にも 歌の好きな方がいっぱいおいでだ。
一緒に連れてこられたらいいのになぁと思う。
ここなら 車椅子だってサッと来れるのに...。


2009年09月18日(金) むむ やっぱりかぁ〜


昨日 町内の「資源ごみ」の回収の担当をしてくださっている方とばったり出会った。
「回収日」のお知らせをしないと忘れてしまう人がいるのだという。
そこで 大きな文字で「今月の回収日と個別に郵便受けに入れてみる?」と提案してみた。

月に一度の回収日。認知症でなくともつい忘れてしまう。
6ヶ月で9万円ほどの収益があったということだった。
それなら もっと参加者が増えれば 収益も上げられそう。
どっちみち ゴミとして出すためには同じように纏めなければならないのだし...。

「悪いけれどお願いできる?」という事で快諾。
配布は他の方に任せるので 多少のお役に立てればと思ってのこと。

そんな訳で 朝一番に その方の所にお届けした。
ついでにサロン活動の予告のチラシも作成して届けた。

ある事情で 町内の自治会が休止状態である。
だから 回覧板も廻っていない。
今年当番の者としては楽ではあるが 気がかりもある。
だから できることをちょこっとだけ協力している所である。
地域の民生委員さんをも巻き込んで...。

早目に母のところに出かけて トイレ介助「大」「小」排出して貰った。
それから あごのマッサージをして 昼食介助。
手持ちの食べ物を使って 飲み込みを確認しながら介助。

何とか1時間ちょっとで 食べ終えた。
湯のみのお茶だけでは 飲めるまで。

午後介護者の会があるので すっとこすっとこ自転車を走らせた。
数分遅れでぎりぎりセーフ。
それから 2時間半 目いっぱいのお話。
今日は 施設入所のことや介護者のつい口出す事の失敗話や思うようにならないと手を上げそうになることのお話。
また介護者の趣味お話とか...だった。

介護の終わった人の傾聴や共感も仲間にはホッとする ひとことである。

帰路雨がぽつぽつと落ちてきて 買い物は放棄して家に戻った。
おじから荷物が届き お礼の電話をかけた。
従姉妹が電話に出て その後おばさんが...。
けれど7月に危惧したことが 現実のものとなった。
「はじまっている...」かなりの時間 おばさんと話して電話を切った。

その後 従姉妹向けに掛けなおしていろいろ話し込んだ。


2009年09月17日(木) 訪問日


 
利用者さん訪問日。
庭木の剪定と草取りを利用者さんと一緒に作業。


2009年09月16日(水) 大切にしたい事


母は 病の階段を1歩下りて 小康状態というところかな?
ここ数日 気分は落ち着いているのかもしれない。

トイレ誘導で「大」「小」排泄できた。
施設に着いた時も目覚めていた。
両手引きでの歩行も可能で立位時にはバランスを保てるように配慮してあげれば 自力で腰を上げてくれる。

食べる事は 主食に対する反応が薄いかも。
今日は おコメからお粥さんを作って運んだのだが 反応はイマイチ。
もっと美味しい反応を示すかと思っていたのだが...。
でも全量食べられた。
昨日から 明太子を持っているので 時折それを食べて貰ったり 刻みオクラをスプーン1パイに1.2個の切れ端を入れてみた。
沢山使うとかまずに飲み込んでしまうので注意しなくてはならないと感じている。
施設の昼食は ドミグラスソースのかかったハンバーグ。ハンバーグは 肉の粒粒が見えないものだった。味は判らないが 母には食べやすかったのかもしれない。スパゲティサラダと白菜の漬物とブロッコリーの付け合せ。味噌汁。

食後の口腔ケアをしてリハビリを受けた。
その後zzz。
眠った時間は 20分程度。
その後立位してもらって トイレ誘導。「小」排出。

水分補給と昼食に出たお饅頭でおやつ代わり。
暫くしたら 訪問介護が入った。
その時間は お任せしてドラックストアまで走った。
アロエエキスが切れたということだったので。

施設の中に 終末期を迎えている方がおいでだ。
職員は 個人の詳細はプライバシー保護のため公開はしない。
先日の敬老会の折 ご家族とちょこっと話して状況をお聞きした。
母とは違うフロアの方である。
母に要する時間が長くなって 他のフロアにはなかなか行けないのが現状なのだ。

その方がクリスチャンだという事は 入所して程ない頃牧師婦人が訪問なさっていたので知った。
それから 施設でお会いしたり 散歩に出た折偶然出会って 暫くご家族とご一緒にお話をしたりしていた。

その方に牧師婦人のお話をすると「そうですか。よろしく伝えてください」とか「教会に行きたいです」と話してくださっていた。
ご家族にも「出来たら教会までお連れしたいですね」と話していたしご家族も同意なさっていた。

先日の敬老祝賀会の折 ご家族に聞いてみた。
「教会の方に来て頂いていいでしょうか?」と。
「お願いします」という返事を受けて電話をして 事情を伝えたら「気になっていたので是非お訪ねしたい。面会に制限があるように感じてなかなかお訪ねできなかったのです」という事だった。

施設への連絡は此方で...としていたのだが 昨日 私より早目に見えてくださっていて 施設では「聞いてないよ」という事になってしまった。
不手際を職員や教会の方にお詫びをした。

今日も教会の方が見えていた。
私も久しぶりにその方のお部屋を訪問させていただき 手を繋いで 一緒に祈らせて戴いた。
目を開けられていたが 言葉はない。でも人の気配を感じ取って居られた様子だった。もともと口数の少ない方である。
ご家族の方からも電話を頂き教会の方の電話番号をお知らせした。
ご家族もお礼を言いたかったという事だった。

これまで チャンスを逃して出来ないことが多かったのだが 今回はご本人の思いを叶えて上げるお手伝いをさせて戴けた。
その機会を与えてくださった神に感謝。


2009年09月15日(火) 体調管理


 母の病は 進行中で気がかりなことが いろいろ出てきている。
現実を受け容れながら 悪あがきもしている。
極力 母の生き方を探りながら...。

母は アリセプトとは無縁で今日まで来ている。
今日 隣の地域の介護者の方とお会いして 認知症に関連するサプリメントを輸入して服用しているというお話を伺った。

国内でも 外国で承認されて国内で承認されてない薬の承認を一刻も早くという署名活動も始まっている。

10年近く前に 介護仲間の方も新薬を代行輸入を考えていた方がいらしたのだが 輸入するにはいろいろ面倒なことがあって結局実現しなかった。

昨日ネットで検索したら 輸入代行している所があった。
あの時 こういうところがあったらその方も出来たのだろうと思う。

そう考えると 十年一昔なんだなと思ったりした。

でも輸入薬を使うには 負担額も多い。
安全の保障も...。

母のところにも出かけたが ちょっとしたことがあって トイレ誘導と食事介助をしただけ。なんだいつも通り...と感じるかも知れないのだが...。
時間が足りない。「大」を待ってあげる余裕がなかった。

今日は時間がないので 経緯までは書けない。
夫が今日から3.4日ほど 早出なのだ。
季節の変わり目なので 体調維持に留意しないと...。


2009年09月14日(月) あ”〜!ごめんごめん。


PC作業に四苦八苦。
昼過ぎにようやく完成。
自己流だから 手探り続きだった。

施設外サービスの利用料の振込みをして 帰路菜園に寄ってようやく肩の荷をおろせた。

夜は ちょっと調べたい事があってPCで検索。

夕食に「くさや」を焼いた。
遠慮があって なかなか食べないけれど...。

こんな日に限って夫が早目に帰宅。
玄関を開けた時には 何も言わないので「セーフ」と思ったら 急に騒ぎ出して...テレビの部屋に避難していった。
気の毒な事をしてしまった。

夫は嫌がると思って 別のものを準備したのだけれど...食べないで寝てしまった。ごめんごめん!





2009年09月13日(日) 敬老祝賀会


10時に開始という施設の家族会?なので早めに家を出た。

母は 居室から持ち出した椅子に座ってきょときょと。
顔を合わせたら 白くファンデーションが塗ってあり 濃いピンクの紅がくっきりと塗ってあった。思わずギョッ。
生涯で これほど濃いお化粧はしたことがない筈。
でも みんなと同じようで良かったのかもしれない。

トイレサインもあり 立ち上がり介助をしたら少し臭った。
職員は 今朝「大量」ありと伝えてくれた。
また5分前には 会場へ移動してくださいともいわれた。

けど とてもそうできる状態ではなかった。
結局 母の手当てを済ませてから遅れて会場移動。

会では 新型インフルエンザの施設での対応と準備について語られていた。
その後質疑応答。
3人の家族から質問が出ていた。

その後各フロアでのお祝いの会。
そこには 看取り終えたご家族が遊びに見えていた。
遊びとは言っても 意識してお手伝いである。
入所以来親しく交わらせて戴いた方である。
「あのね 見送った後 とてもスガスガしいのよ。入所させた当初は こんなに施設に通うなんて考えた事もなかったのよ。仲間がいたから出来た事なんだなぁとしみじみ思っているのよ」とちょこっと涙ぐまれて話してくれた。
感激だった。共に歩んできた道のり...私も同じ気持ちだ。
介護者が変化することで家族も変わって行く...それも同じだった。
介護者になる予定ではなかったのに介護者となったのも同じ。
本人と歩む道も一筋縄では行かないにしても 歩めば楽しい事や喜びも見つかる。それが お互いに共通していた。

今年初の大掛かりなイヴェント。 
入所している人も弾んでいた。
だから 昼食会は 皆さんお腹がはちきれるまで召し上がっていた。
「マグロがくいてぇ」と言っていた人は 真っ先にマグロの寿司を、召し上がって「うめぇ。もう1個」と。柔らかめのお赤飯も人気があってお替わりの催促。
母もまあまあ食べた。でも見た目で楽しむ感覚は大分薄れてきているように思う。けれど 言葉で補足して口に運んだり 口に入った瞬間の表情ははっきりしていて 美味しさを感じる舌はまだ大丈夫みたい。
冷たいものや刺激のあるもので 食べる事を意識して貰う事が必須となりつつある。噎せも少し見られるが 沢山口に詰め込まないで 水分とは別立てにしてあげるとゆっくりだけれど 食べられそうに見える。

後片付けを手伝って ゆっくりと施設を後にした。
そう 昨日「ちぇであべ」と久しぶりに話した。
私がすこしあちこち動いている時のこと。
「ちぇであべ」とは「つれてって」という意味の方言。
一緒にいたいんだなという気持ちが伝わってきた。
お散歩の後 こういった感覚を取り戻すように感じている。
母の頭の中には 話したいことがいっぱい詰まっているんだろうなぁ。
それを引き出そうと思っても引き出せないのだろう。
たまさか出てくる言葉で 母の今を押し計っている。


2009年09月12日(土) 情けない事


後天的に失明なさって 軽い認知症の方が入所なさった。
おしゃべりが好きな方である。
自分の好きなように出来ないと存在を示すかのようなことをなさる。
壁を叩いてみたり 手を打ってみたり お〜いと声を上げたり...。
時に認知症の重い方のことをよく判らなくて説教したり...もある。
でも それは 病ゆえのことだし 入所したての不安感からという事もある。だから そこは 受け止めるようにしなくてはならないなと思っていた。

人に向ける言葉は ちょっと乱暴。
でもとても優しい心もある。

母の食事の時間は かなり長いし「口を開けて」「よく噛んで」といっていると「こりゃ さっさと食え」と言ったり...。
でも これも見えないことや病の無理解だろうから仕方ないと思っていた。
今日も結構長くかかり あれこれ質問された。
だから「チャチャッと飲み込むと噎せてしまうから 無理はさせられないのよ」とかを何回か説明していると事情が飲み込めてそれ以上は言わなくなった。母が93歳という事も伝えたことも影響しているかもしれない。
私のことを職員と間違うので「〇ちゃんの娘なのよ」と伝えて理解を求めたら 少し飲み込めたようだ。
でも 時間を経過すればまた忘れてしまうかもしれない。

迷惑だなんて思っていない。
母が困るなら 慣れるまではこちらが居室で食事すれば良いだけの事だ。

この方 足音や声の調子でよく判断できる。
うるさいけれど それでもおしゃべりできるって事を羨ましく思うし できるかぎりそうやっておしゃべりしていて欲しいと思う。

声の調子で職員の名前を覚えようとしているので 状況の許す限り職員の名前を教えていた。
これがまた 特徴を良く捉えて覚えていられるのである。
職員の名前を覚えられたら不安感も大分薄れるだろうとも思った。

がある職員から「職員の名前を教えないで下さい。後で混乱して困ります」と止めれた。
心に思うことはあるけれど それからは名前を出さないようにした。

これって 私はとても苦しいこと。
昨日も 食後ベットに戻りたがっていた。でも ベットにもぐりこむ事は身体に良くないだろうとおしゃべりのお相手をしていた。
時には「おれの部屋何処だ?」と聞かれた。
自分で車椅子の操作が出来るので一人で居室に入ることも出来る。
ところが 視力が非常に弱いのでドアや他の車椅子の人にぶつかったりもして危ない。
だから ちょこっと嘘を言って「ここは玄関だからあんまり動くと危ないよ」と言ったりした。言いながら 凄い後ろめたさを感じてた。

聞かれても名前を教えずとぼけるのも同じこと...。

もし 私がそうされたら嫌だからである。
名前も知らない人にお世話されるってどうなんだろうね。

こういう接し方をする施設って 私はお初。
たとえ認知症であっても自らの名前を幾度でも言ってくれる人たちばかりだった。人として当たり前のことだろうと思う。

施設の方針なのか あるいは個人的見解なのかを問いただそうと思ったがやめた。毎日のように出かける家族の私はうるさい存在なんだろうと自覚している。様々な場面で そういうことを感じる事があるから...。
自分の家族でもないし...と情けない考えだ。

夕刻前に施設を後にした。
家に戻って菜園へ出かけた。
放置している菜園を次の準備へと心配してくださる方がいるから。
そうでなくとも 早くしなくちゃと思っていたので...。

菜園に着いたら いつも見かける方が そばにやってきて「これ片付けていいのか」と聞いてせっせこ片付け始めた。
聞くと いつも気になっていたようだった。
「よく来ていたお母さんは元気か?」とも聞かれた。
きっと介護していることも知っていて気に掛けてくれたのだろう。
名前も知らない人である。

その後介護仲間が見えて「明日 片付けてあげるから無理しないで...。何処を耕して何を植えるか。。?」と。

あり難くもあり情けなくもある。
でも 明日は施設の行事があるし月曜日には別の用事もある...。

夕食の支度を済ませてひとり食事したのは9時少し前。
お昼も抜いていた。
食後溜まったメールを読んで返信。
その後パソコンの作業。
これが 不慣れで失敗ばかり。
今日は 諦めて...と万歳したのが午前零時過ぎとなる。
それから キッチンを片付けて...。
さぁ 今日はこれまで。


2009年09月11日(金) テクテクお散歩


ご近所さんと話しこんで出遅れてしまった。
母は 1人ソファーでこっくりしていたが 直ぐに目覚めてトイレ誘導。
「大」少量「小」排出。
その後 昼食介助。
主食のパエリアは 少し硬いように感じたので 持参したお粥を食べてもらった。他に大根膾とオムレツと葉ものの煮浸しとお吸い物。
トマトとポテトサラダを追加。

時間は掛かったがほぼ完食。
食後 少し水分補給。今日は飲みっぷりが良い。
此方も時間に追われていないことも影響しているのかも。

訪問介護後 外に散歩に出た。
徒歩なのでそう長くは歩けないがそれでも1時間弱。
施設から公園の入り口近くまで。そこで10分ほど休息。水分補給とみかんを食べて貰う。
それから 少し遠回りして施設の前を通過して 隣のお蕎麦屋さんのベンチへで一休み。ゆっくりと施設に戻った。
日差しも夏のようなじりじりしたものではなかったので 外に連れ出せた。
歩いている時「頑張ったね」「頑張るね」と話しかけると深く頷いていたが
今日は 打てば響く会話はすくなかった。

施設に戻ってから 手や首筋が熱いように感じて検温。
6度9分...。歩いた事日差しのある中の影響だろう。
足取りはまあまあ。でも母の両手を引いて 私は後ろ向きになって歩いていた。横からの介助だと左右どちらかに傾き易いような気がして...。
母もそれほど疲れた様子もなかった。

これから お天気がよければお散歩も楽しめるだろうと思う。


2009年09月10日(木) ご近所さん


先日 梅の木に毛虫が沢山ついて困っているご近所の方の家の毛虫の駆除の助っ人をした。家の周囲では こういうことはあまり行われることはない。
我が家だって 別に植木や消毒の仕事を生業としている訳ではないのだが…。

夫が「やりますよ」と言ってしまって相手の確認も取れていないのに トットコと訪問して処理したものだから 相手の方も困ってしまったようだ。
夫は はなから料金を戴くなんて考えてもいなかった。
が 夫が会社の若い人を連れて行ったものだから 相手に余計な心配をかけてしまった。

実は このことは 私の知らない間に行われ 事後報告を夫から報告を受けた。

昨日は「料金はいかほど?」と見えた。それで「不用」と伝えた。
すると今日は 美味しいものを手に訪問を受けた。
こういうのも ほんとは不要なんだけれど相手の気持ちもあるので頂戴した。

こういう時 私は「ワンコインにしましょう」と表明している。
言わなければ 無償のまま。

ご近所の助け合いって こういうことがあると面倒。
でも ここはひとつ踏ん張って慣れるまでというか定着するまではチョィ我慢。

人様の家の事は言った手前 即実行した夫。
我が家の庭にも 茶毒蛾が出始めている。
被害の少ないうちに シュシュと消毒したのは私。
出来ない訳ではないのにしないのは やはり私が夫の仕事を分捕っていると言う事なんだろうな。

午後会議。
またちょっと遅刻。
夕方の家事をあとちょっととやっているうちに 時間が過ぎてしまった。
会議のあともう1つの打ち合わせ。

ついさっきまで その事を纏めていたが 今日はもう切り上げることにした。


2009年09月09日(水) 試しながら...様子見


 昨日 ジャガイモを茹で 今朝 マッシュしてチーズの入ったポテトサラダを作った。ついでに 2個の梅干を入れておかゆさんを炊いた。
母が使っていたお茶椀に定量のご飯で 1.5倍の水を入れて炊いた。
いわゆる全粥。
トマトも皮を剥いて 細かく切った。
これを母の所に運んだ。

お粥にすればちゃんと食べるのかを試してみようと思った。
1回だけじゃ判らないので これから暫く試してみようと思っている。

母はソファーに座り目を覚ましていたが 荷物を居室に置いて戻ってみるとzzz。何回か名前を呼んで 目を覚まして貰った。
其のままトイレ誘導「大」「小」排出。
お掃除を済ませて整髪し顔を拭いて ホールへ移動しようと「ごはんよ」といっても反応が薄い。
「ご飯食べる?」にも反応を見せない。
「ここで食べる?」と聞くと少し頷く。
「向こうで食べる?」と聞くと首を振る。
と言う訳で 今日は居室で戴くことにした。

今日の献立は 大根のさくら漬け チンジャオロース ブロッコリーのおひたし
青菜の煮びたし かきたま汁。ご飯は全粥にして 後はチーズー入りポテトサラダとトマト。チンジャオロースは 半分ほど残量。漬物はカット。
ポテトサラダは半分食べた。他は全部食べ終えた。
時間は1時間20分程度。拒否はなかった。
若しこれが ご飯だったらどうだったろう?

母の上あごにご飯を溜める事についてふと気がついた。
口の中に物を入れた時 口の中で舌を使ってギュッと食べ物を押して 水分だけそうっと飲み込むようだ。水分の抜けた食べ物が上あごに張り付き それから噛む。どうもそういう具合のようだ。
自分で噎せないように工夫しているのかもしれないな。
断定は出来ないけれど...。

その後 口腔ケアをしてリハビリを受ける。
途中でzzzz。
いつもなら トイレ誘導後リハを受ける。でも今日は端折った。
リハが済んで程なくして もそもそ動きトイレ誘導。「小」排出。

それから みかんを1個食べて水分補給150cc。
今日の飲み込みは調子良かった。5.6分。
昨日と比べると段違いに速い。これが今の普通。

訪問介護に見えたので職員にバトンタッチしてそうっと帰宅。


2009年09月08日(火) いまひとつ...


お弁当を作って母の所へ出かけた。
今日のお弁当は 先日食べきらないから...と持ってきてくれたタコソースで作ったタコライス。

母はソファーに座ってもじもじしてた。
すぐさまトイレ誘導して「大」「小」排出。
今日は 配膳される前には 掃除も含めて終了できた。

みんなと一緒に食事開始。
口は開いてくれて歯でガードする事もない。
おっ いいぞと思ったのだが 口の中に食べ物が溜まり始めた。
飲み込めないのだ。
「こりゃ遺憾」と口の中のものを少しかき出してあげた。
それからは 飲み込む様子を見ながら少しずつ運んだ。
噛んではいる。だが上あごの方に溜まっていく。
口を開いたときは空っぽに見えても上あごに張り付いている。
張り付くような粘着系の食べ物はご飯くらいかな?
鳥から揚げの餡かけとキャベツのおひたし。味噌汁。カリフラワーとツナのサラダと漬物。 後は此方で準備しているゼリーと刻みパイナップル。
食べ物のせいではないような気もする。
一時間半かかっても半分がやっと。

娘の作ったタコソースは 想像したより美味しかった。
豆が数種類入っていて ちょっと得した気分。
母の食事介助に手間取って下降気味の気分だったが 今日のお弁当に励まされた。

母の口の中が空になった時気がついた。
舌に小さな傷のようなものがいくつか見えた。口内が荒れているようだ。
これが原因かなぁ。
母は機嫌が悪い訳でも覚醒してない訳でもなかった。
たまたま私の頭に母の手がぶつかった時だって「堪忍なぁ」って言うくらいだったのだ。話も「あのね。あれはね...」と言葉がしっかり出ていた。

今日は 入浴の日なので着替えを準備して 口腔ケア。
トイレ誘導して「小」その後 浴室に誘導し職員にバトンタッチ。

入浴中「昼食の不足分を...」と思って近くのケーキ屋さんに走り珈琲ゼリーを調達した。
戻った時 入浴が済んで水分を補給していた。
職員が噎せたのでとろみを...と言われた。
こちらで飲ませてみますと伝えた。
職員だって汗ビッショリなので汗を拭いてもらいたかったし...。

ところがこの水分補給が意外と時間が掛かった。200ccに足りないほどなのだが飲み込まない。
噎せそうだから飲み込まないのか 口の中の荒れが原因なのか...。
全く飲み込まないのではなくて 口に含みかなり経過してからゴクリと飲み込む。だから30分ほどかかった。

結局 食事も含めて噎せる事はなかったのだが...。
一昨日はあんなに調子よく食べたのになぁ。
食べる状態も日によって大分違う。 

夕方 我家の西の通りに面している塀を見あげると...。風通しの穴から延びたゴーヤの蔓に程よい大きさのゴーヤが生っていた。
ブドウ棚を取り壊した後に 土を撒いて余っている種を埋めた。そう...埋めたのだ。他にアケビの種やかぼちゃの種も...。肥料もやらない痩せた土。
名前は忘れたが 独特の野菜の育て方をする農法で 種をばらばら蒔いて育ったものを収穫すると言う方がいらした。友人から教えて貰ってその本を読んだ記憶がある。
読んでは見たけれど実践する事もなかった。
が今年 興味本位で種を埋めてみたのだ。
かぼちゃの蔓は延びたけれど実は生らなかった。夫いわく受粉させないと生らないそうだ。アケビは発芽も見られなかった。
唯一育ったのがゴーヤ。
それも庭のほうには実がついてないが通りに飛び出したものに実が生った。
これは お試しなので来年は もっとちゃんとやってみようかなぁ。


2009年09月07日(月) 何だかなぁ。

利用者さん訪問。
駅で待ち合わせて 振込みのため郵便局に同行。
利用者さん宅に戻って 必要な荷物を積み込んでホームへ運んだ。

利用者さんが言うには 施設の職員が7名退職なさったと言う。
何人の職員がいるのかは不明だが...。それにしても多い。

有料老人ホームはどんどん増えて「エッ」そこにも...という感じだった。
建ってみれば いろいろ問題もあって昨年辺りから いろいろ指導が入っているようだが 群馬の有料老人ホームの火災事故から更に厳しくなったように感じる。

何だかなぁ。

夜 娘の誘いで落語を聴きに出かけた。
鶴瓶の発案で 一夜限りの夢のコラボレーションだそうで 鶴瓶と6人の落語家それぞれが日替わりで演じる。
初日は志の輔だった。
鶴瓶の落語は聴いたことがないし 果たしてどんなものかと思った。
娘が 1度聴いた時には新作落語で 以外に面白かったと言っていた。

ま 鶴瓶がどうだったかは 聴いた人それぞれだろうから...。

今日のお客さんは 時折足を運んで楽しむ落語の客とはちと違った。
根っから鶴瓶のファンが相当いたのだろう。
客の話に耳を澄ますと「今日はテレビでも鶴瓶さんの番組があるけれど 本物の話だし 歩いて来れる場所だから...」と言う声も聴こえた。

通ぶるつもりはないのだが 普通の形で聴き楽しみたいな。

落語の後 娘が予てから連れて行きたいと言ってた焼肉屋さんに入った。
月曜日とあって いつもより空いてると言う事だった。
べらぼうに高い料金ではないけれど 美味しかった。
久しぶりに...そう年単位で...モクモクと煙立つ焼肉屋さんに入った。

夫を誘ったけれど いつも通り「行かない」と言う事で...娘と二人楽しませて貰った。
いつも誘っても嫌がるのに「いつも二人でいいよな」とちょっとヤキモチ。
何だかなぁ。



2009年09月06日(日) 口の中で...


今朝は ちょっとゆっくり寝すぎてしまった。
何時も通りに目覚ましをセットしたのだが「あと少し」と2度寝をしてしまった。

若い頃は 多少の寝すぎでも朝の家事は 超特急で済ませられた。
が最近は 気持ちは超特急でも動きが伴わない。

そんな訳で いつもより遅れて母の所へ出かけた。
食事を全て刻みやお粥にすることが 母にとって効果的かと考えるとまだゴーサインを出せない。
食事の時間の短縮と繊維物の摂取を考えて 今朝は パイナップルを刻んでみた。これが噛めるなら 果物で食物繊維の摂取も方策となると思った。
他に みかん。オクラには すだちを絞ってお醤油をかけた。
母は酸味が好きなので...。
「大」排出はあるが 量が今ひとつ。そこでマンゴープリン(酸味+甘み)。

施設に着いて 入り口に作業の用具があったので清掃日と判った。
フロアに入るといつもの倍の人たち。
賑やかなのもいいけれど 今日はちょこっと勘弁して貰って居室で食事させて頂く事にした。
トイレ誘導。「大」「小」排出。
それから 小まめに手入れをして手洗いを済ませて 配膳して食事を始めることにした。

今日は チャーハンと野菜炒めとシュウマイと桃の缶詰ととろろのスープ。

手ごわいかなと思ったが チャーハンを一口運んだら噛み始めてゴクリ。
「あれ?」と思って 一つまみ戴いてみると結構しっかり味がついていて油っぽさはない。ご飯も材料も柔らかめで口の中でだまが出来る感じ。
野菜炒めも口当たりがよく繊維が邪魔にならない。シュウマイも青豆が入っていたがこれが舌で押してつぶれる感じ。
これこれ この触感だと食べやすいんだと思う。

母に家から食べ物を運ぶ時には 自分の口の中で歯を使わないで舌で押して確かめてから持って行く様にしている。
食べたくない時は どうあっても食べないのだが 少しでも食べやすいものそして口に入った時に好みにあったものを...と思ってのことである。

パイナップルは「うふふ」と私を見つめたのでOK。
オクラのスダチ醤油もOK。
マンゴープリンもOK。
施設の昼食も全量摂取できた。

昨日はどうしてあんなだったんだろうなぁと考えてみる。
今日は 母と向き合って1対1。
じっと私をみて「うふふ」「うふふ」と笑ってばかり。
最近新しい入所者に話しかけて母のそばにいても目は新しい人に向いていたかもしれない。
母は 以前「自分以外の人に目を向けるとやきもちのような気持ちになる」と言っていた。きっとそれなのかもしれない。
ほどほどなら 嫌がらないだろうけれど この所ちょっと多すぎたかなぁ。

食後のトイレ誘導で「大」排出。
まぁまぁって所かな。

食事が終わって片付けしていたらホールにいたメンバーが入れ替わっていた。別のフロアの人に変わったのだ。

初期から入所してしていて認知症のない人は 私を覚えていてくれて「お母さん元気?」と聞いてくれた。
洗濯物を畳みながら母の物があると「元気なんだ」と心に掛けて戴いているみたい。嬉しい応援者である。

今日もお昼を準備してなかったので 母の訪問介護が入ったのでそうっと施設を後にした。

菜園が気になる。
手入れして 次に備えないと...。
そろそろ 依頼されている事の準備をしないとなぁ。


2009年09月05日(土) つぶやき…


認知症の人と共に暮らす者は 託すサービスに想いをめぐらす時がある。
施設に託している身で 口幅ったくて言えない事もある。

これが 自宅で介護の場合 デイケア・デイ・ショートステイ・医療デイと利用できるサービスをチェックしてみるとどうなんだろうなと感じる事がある。

今日 施設でお仕事をしている介護仲間と話していて施設にも様々あり 選択は悩ましい限りという話となった。

それでも1人で24時間連日介護となると自分の体力にも自信が持てない。
だから中庸を選択していく事になるのだろうな。

健康な介護者がみて感じることと 病と同居している当事者が感じる事と多少のずれは生じるけれど 基本的には似ていると思う。

当事者が想いを伝え難いので 介護者が伝える。
受け止める側は どれほどの想いでキャッチしてくれるのだろう?
介護専門職 看護専門職 医師...。

先日 専門職の人とお話しながら「進行の流れが読めるので一時停止(現況のまま)と言う受け留めをしてしまう...」と率直な想いをお聞きした。
そういう状況をこれまで 幾たびか見てきた。

でも 家族は違う。
今をより良く...。他に出来る事は...。と想いを巡らす。

賢い専門職の方は考えを押し付けず 選択権は本人若しくは介護者に寄り添うように考えてくださる。
これが 優しい介護というものだろうと思う。
勿論 限界があることも承知しているけれど 基本は 本人側の目線で考えて貰えたらいいなと。

実は 最近いろんな想いが溜まっていて それを吐き出したい所だが「ちょっと待て」と自分にブレーキをかけている。
自分本位の考え方ではないのか...という想いである。

おそらく 介護保険の財源 介護職の方の労働条件等がブレーキの基。
でも お金を掛けられる人や健康な介護者は まだ良いのだが...。
そうではない人にとって 介護サービスを利用するに遠慮があって言い出せない事がたくさんあるのではないのだろうかと思ってしまう。

あまり書き出すと当たり障りが生じるのでここら辺りが限界。

さて 今日の母は。
ソファーに座って居眠り。
起こしてトイレ誘導。「大」「小」排出。
昼食介助。8割ほど食べた。
持参したゼリーと芋煮汁とオクラを食べたのでまずまずと言う所。
ただ口に含んだ儘飲み込まずという状況に陥って 母も私も右往左往。
よく噛めているのに 飲み込みが悪い。
昼食後の水分補給も飲み込みが悪かった。

芋煮汁を口に運んだ時 にんまりとした笑顔で私をじっと見つめていたので味は判っていて美味しかったんだと伝わってきた。
母の食べたいもの探しは まだ続けられそうだ。

此方は 昼食なし。
夕方お腹をすかせて家に戻って お腹を満たしてから夕食の支度。


2009年09月04日(金) 髪結いさんへ


延び延びにしてしまっていた母の美容院行きが 今日ようやく実現できた。
予定では 間に1度は カットしに連れ出そうと思っていたのだが...。
こちらの予定と母の状態とお天気のタイミングが合わなかった。
こちらの予定とは純粋な予定ではなくて 自分の気持ちの弾みも含まれているのでいい加減だが...。

午前中 トイレ誘導・食事介助を済ませ 午後一の訪問介護を終えてからなので 美容院に着いたときは 2時半を少し廻っていた。
それでも待っているお客はいなかったので 直ぐに洗髪して貰ってパーマを掛けた。今日は 3回頭髪を流せた。
強い拒否はなかったので 出来た事。これが美容院での通常の洗髪状況である。

綺麗にカールができて...美容院に行ってきたという実感出来る。

行き・帰りの道は 片道30分弱車椅子。
曇り日で気温もさほど上がらないので 車椅子に座っていても熱中症の心配はなかった。
が 施設を出る時 室内履きを母の膝に乗せたままにしてしまった。
出かける直前に車椅子のタイヤに空気を詰めて戴くことになって 室内履きの記憶はストンと抜けてしまった!
途中で母が車椅子から足を降ろそうとして足をステップに戻した時室内履きが1個ないことに気がついたのだが時間がないので 其のまま美容院に向かってしまった。
今日は 2時間ほど時間を要したので 夕食の時間が気になったのだが 室内履きを探すため 車を使わず同じ道を戻った。
室内履きは 施設に近い幹線道路の横断歩道の緑地帯のある部分に落ちていた。
見つかってホッと安心。

施設に着いて トイレ誘導して着替えをして職員に食事介助して頂いた。
施設を出て3時間排泄はなくて トイレで「小」。

母は ずっと起きていた。
今日は きっとぐっすり眠れる事だろう。
パーマ液を定着させる時水分を補給が出来たのでホッ。


2009年09月03日(木) 嬉しかった!

昨日の母の様子は ざっくりと記していたが嬉しい瞬間があったのだ。
それは 爪きりの済んだ後 居室に掃除機を掛けていた時のこと。
居室には ぬいぐるみや人形が置いてあるが それら ひとつひとつの埃を吸い込み 人形を母の前に置いた時「かわいい」と言う視線で人形を見つめたので母に抱いて貰った。
そうっとひざの上に置いてじっと見入っていた。
床掃除をしている時 母の足元近くまで行った時 ほんのちょっと自力で足を持ち上げた。
この所 幾度かこういう場面があったが 足を上げる事はなくなってしまっていた。少し長い時間過ごしていると阿吽の呼吸が復活するんだなと感じ入ったのだった。
フロアを両手引き歩行している時にも 玄関近くまでいったら膝を高く持ち上げて敷居をまたいだ。絨毯に躓かないように膝を高く上げた。
これもとても嬉しかった。

勿論 そのつど「おおっ!すごい!頑張ったね!えらいなぁ」と伝えた。
母は 褒められる言葉で意欲を高めてくれる。
今回もその事を確められて...接する時に注意しなければなぁという思いを強くしたのだった。

今日は 午後イヴェントの会議。
家を出る寸前の電話で遅刻してしまった。
でもイヴェントを支える方たちから気力を戴いた。
景気も悪く 資金集めに苦慮しているのだが 皆さんの知恵やつながりで何とか踏ん張ろうとする姿に ちょこっと感動。


2009年09月02日(水) ある介護仲間への追悼


彼が電話をしてきたのは 数年前。
「奥様のために認知症を学びたい」と言うお話だった。
「相談があるので逢えるだろうか?」と話されて 公的な場所でお話を伺う事にした。
お逢いした時 奥様の病気の経緯や通院先や利用しているサービス等あれこれお話くださった。
その時の彼の悩みは「ヘルパーさんが 言った通りに食事を作ってくれないのでそばに着いて 食事作りの指導をしている」と言っていた。
介護の苦しさをダイレクトに言う事はなかった。
 
彼は 90歳になる方で80歳代の奥様の介護をなさっていた。
携帯電話をお持ちで 困ると直ぐに電話を下さった。
「高齢なのでデイサービスを利用して 少し身体を休めたら如何ですか?ケアマネさんにお聞きすれば 案内下さる筈です」と伝えたりもした。

その後デイサービスに繋がったが ケアマネが「私がようやく見つけたところですから…他に替えることは 無理です」と恩着せがましいことを言われたらしい。それ以後も トラブルがあって サービス利用が円滑に行かない様子だった。
そこで ケアマネのことを説明した。
よく聞けば 以前は事業所に所属していたが 事業所が撤退して1人ケアマネになった方だった。
1人ケアマネが悪いと言う事ではない。
たまたま そういうケアマネに辺り 事業所撤退後も替えることをしないで継続していたのだ。そして それまでは 特に困ったことも起きなかったのだろう。

結局 地域包括支援センターを紹介し 彼は ケアマネを替えられた。
彼は 事業所そのものに不信感を抱いており 地域包括にも不信感を持ち
その誤解を解くのに時間を要した。

不正の臭いにはとても敏感で且つ用心深い方だった。
過去におかしいと思われたこともあって そのつど役所に申し入れをなさっていたようだった。
事実 此方で把握している事とも一致しており作り話でない事だけは伝わってきた。
彼の話を聞いていると虚言癖?と感じるほどだった。

ある時会に見えて「この会は宗教団体ではないですか?どこかの政党を支持しているとかないのですか?」と質問してきた。
利益もなく無償の活動が 信じ切れない様子だったのだ。

その辺りから 彼のこれまでの越してきた道をお聞きする事になった。
この部分は いろいろ口外できない事もあるので詳しくは掛けないのだが…。
生真面目な彼が背負ってきた重たい影の部分のお話は広大なものだった。
少し怖くなって 会の仲間も同席して貰ってお話を伺うようになった。
彼は 精神は凛としているのだが ある意味では怯えてもいた。
私達に話して 少しホッとなさって それからお仲間にも話して解決策を見出された様子だった。

彼の体調が良くない事は 歩く姿等から想像できたし 通院履歴も話してくださっていたので間違いなかった。
携帯を所持していても 使い方を間違って受け取れない事もたびたび起きたので 彼自身が「認知症ではないか」と通院なさったりもした。
こちらは 自身の体調不良 奥様の介護で疲労が重なってのことだろうと想像していた。

体調が良くない事は彼自身判っていたと思うし 1度 脳梗塞で緊急搬送されたこともあった。
高齢者世帯で救急搬送する時も ケアマネに連絡を取って ガスの元栓を外からしっかり締めて奥様を残して行かれた。火事を出して迷惑をかけられないという彼の必死の思いだった。
介護があるからと即座に退院なさったり...。

それから程なくして「ガンの手術をします。これでおしまいかもしれません」という言葉を残し またご丁寧に はがきまで送ってくださった。
もともと達筆だったのだろうなと思わせる文字なのだが その時の文字はこれまでになく丁寧にしっかりと書かれたものだった。
今になって思えば 覚悟を決めての事だったのだろうと想像できる。

退院なさった頃に此方から電話を差し上げたが 奥様が取られてヘルパーさんが介在して「電話口まででられません」との伝言となった。
それでも またお元気になられることを信じていた。

今朝 ご家族の方から電話があり亡くなられた事を知った。
ご家族のお話も伺っていた。だが お逢いした事はないし 電話で話した事もない。 遠く離れているのだが それでも会報の送付を希望された。
お父様の亡き後 ご家族が連携してお母様の介護に当たられるようだ。
奥様は 現在施設入所中。

彼が退院なさった時に 奥様とお話したが その時 はっきり応答なさっていらした。想像よりずっとしっかりなさっている印象を受けた。

彼は 沢山のエピソードを残してくれた。
そのお話で 一冊の本が出来そうなほど...。
世の中に こういう道を歩かれる方がいるんだという驚きもした。

きっとリスクを承知で手術に踏み切ったのだろうと思うが 今頃「この手術は失敗だった」と呟いているような...そんな気がしてならない。
過激なことを口走る方だったので...違う言い方をなさるのだろうけれど...。

不思議な存在だったが 彼の冥福を心より祈って...。

午前中に母の所に出かけた。
母はソファーに座って起きており そばに行くとにっこり笑顔。
トイレ誘導し「大」「小」排出。
顔を拭いて整髪してあげるとにっこり。

その後昼食介助。
程ほど順調に食べ終えた。
トイレ誘導し「小」排出。
リハビリを受けて その後zzzz。
その間に此方の昼食タイム。
戻ってみたら「寒いのか身体を動かしていましたので窓を閉めました」と職員さんから言われた。
そうか やっぱり...と思って 起こしてトイレ誘導で「小」排出。

30分経過すれば訪問介護で排泄誘導があるのは判っているのだが 母の仕草から その時に合わせた方がよいと判断したのだ。

職員が見えたときには 水分補給の介助をして頂く。
その時にも話題に上ったが 立位の時には1人介助が厳しいらしい。
また歩行介助の時にも 転倒が怖いのでがっちり介助すると率直に話してくださった。
私の介助の様子をみて「力まなくともよいのですね」とも言われていたし 立位の時も1人でやっている事に「力持ちなんですね」とも言われた。

でも そんなに力んでいるわけではない。
母の力を借りながらしているのだ。
方向性やきっかけを作り 母がバランスを保てるように誘導しているだけ。
一時期 手すりから手を放さず苦労した事もあるが 母自身のバランスが取れれば ちゃんと手を放してくれる事に気がついた。
それ以来 私の時には手すりから手を放さないという場面はなくなった。
此方が困る一つ一つには 母の不安があったのだと気がつく。
介護を何年経ても その時その時此方のペースにあわせることでの不都合を感じてしまう 至らぬ娘である。

その後 手足の爪切りをしたり室内歩行をしたり...。
久しぶりにまとめて5時間ほど母と過ごせた。
母も確実に安堵している事が伝わってきた。

そうそう水分補給後 更にアイスを口に運んだ。
甘く冷たいクリームが口に入るたびに私の顔を見つめて「うふふ」と笑う。
はっきりとした味を感じているんだなと伝わってきて とても嬉しかった。


2009年09月01日(火) みんなの想いと知恵


昨日 義姉から大きな段ボール箱2個のジャガイモが届いた。
毎年 送って頂き嬉しい限り。
義姉の作るジャガイモは美味しい。
ご近所さんにおすそ分けした時「お金を払っても欲しい」と言われる程。
でも 義姉はそれを嫌がる。

此方は いつも戴くばかりのお返しなしの状態。
元気印の電話でのおしゃべりが お返しみたいなもの。
自分の兄弟より力強い存在なのである。
野菜の育て方 今年の傾向等いろいろのことを教えて頂く。

まだ箱を開ける余裕がない。
でも今年もゆっくりと味わって食べさせて貰おうと思っている。

朝 少し出遅れ気味に母の所に出かけた。
母はソファーで軽く居眠り。
昨日 熱が出ていたと言う入所者が通院なさったとかでご家族が見えてた。
施設は 新型インフルエンザが気がかりだったようでかなり緊張状態だったのだろう。インフルエンザではないと判って安堵感が広がっていた。

母のトイレ誘導。有形の「大」排出。勿論「小」も。
ホッとした。
それから昼食介助。
1時間ちょっとで90パーセント食べ終えた。
それから口腔ケアを済ませて 入浴の支度をして 洗濯物を収納して せっせこ介護者の会に向かった。

今日は ちょこっと遅刻。
皆さんにご迷惑をお掛けした。
でも会場準備は ボランティアさんと介護の終えた方のお手伝いがあり助かっている。
今日 久しぶりに見えた方は他所に住まわれている方。
この方 病院から病院に転院なさった方。
この間に いろいろあったのだが 今日は端折って…。
この夏 容態が急変してアッという間に亡くなってしまったと話してくださった。

介護者の会の存在を知って 病院を選べたことを感謝してもいらした。
だから 介護が終わったあともこの会に集って学びながら 近所に住んで居られる方の支えになりたいと申し出てくださった。
その方のご近所には ご当人がいらして「認知症なの」と告白なさっているそうだ。お訪ねしてみると家中にメモが貼り付けてあり 苦労を重ねながら踏ん張って居られたそうだ。
1歩前に進もうとなさる姿に学ばせて戴いた。

今日は 介護の深い部分での話題が目立って 3時間半という時間を費やした。それでも まだ足りない…という雰囲気だった。
デイの送迎のある方は 早目にお話戴き 余裕のある人は後に…。
おそらく会が始まって以来 時間に追い込まれるのは初の筈である。
それだけ 病の理解が深まって 介護者の姿勢が確立されてきているのだろうと感じた。
介護者の想いと知恵が詰まっている場所なんだろうな。
これが 一昔前だとここまで突っ込む事はなかったのだ。

会が終わって 急いで家に戻って夕食の支度を済ませて 夜の会議にトットコトットコ。雨もパラパラ落ちてきて自転車は無理。

この会議 6月のイヴェントの総括なのだ。
これで ようやく役目が果たせた。

昨日の気温と今日の気温差は 10度ほど。
今日は 暑かった。
なのに 明日の予報は涼しいらしい。
こんな時体調を狂わすので自重しながら過さなければならない。
さっき外を見たら 雨が降っていて 北から涼しい風が吹き込んでいたので朝は気温が下がるのだろうな。


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