母のタイムスリップ日記
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2009年07月31日(金) 何処へ消えた?


 昨夜 母の通院もあり 戻って夕方。
それからPCの打ち込みをした。
格闘の末 仕上がって送信したのが9時。
それから夕食の支度をして10時過ぎに食事。

後片付けをして 日記を書き込んでアップして 就寝。
午前1時ごろだったと思うけれど…。

今日の夕方みたら 日記がアップされてない。
一体 何処に飛んだのだろう?


2009年07月30日(木) 介護休日


朝から じりじりとした日差しだった。
菜園に出て 野菜の収穫。
ひところは 直ぐに真っ赤に熟れてしまったトマトが チョピリゆっくりペースになった。この所の雨で 身割れするのもある。
少なくなったと言っても 10個は収穫。
そろそろ終盤なのかもしれない。
ルッコラもゴーヤも雨で元気を得て育っている。
ゴーヤは昨年零れた種から育ったものだ。
生命力があるんだなぁ。

家に戻って洗濯物を干して パソコンでの作業。
地域作りのチラシの原稿を打ち込んだ。
これから「案」として出して発起人とよく話し合って決めていく予定。
誰もが立ち寄れる場所として育て上げたいと発起人たちは考えている。
所が ちょこっと耳に入っただが「地域の集会所」地主さんがそろそろ返却を望んでいるらしいという事だ。
てっきり地域のものと思っていたけれど そうではなかったんだな。

午後一で会報の発送。
会報及び連絡事項 写真等封筒に詰める書類の量が多かった。
いつもは郵送だが 重量オーバーになるためにメール便にて発送した。
安上がりで済んだ。
おそらく 配達も郵送より早いと思う。
いつも なるべく記念切手を使って届けているのでちょっと無粋かも知れないのだが…。

発送が済んで ある会議に出かけた。
私は番外なのだが そこに集う仲間とちょこっと話をしておきたくて…。
そんなわけで 仲間と出会って次回逢う日を決めた。
みんな親の介護中。

そうそう 母の施設には 看護士2名。
そのうちの若い看護士さんが子育てのためやむを得ず退職なさると挨拶を受けた。「子育てに手を掛けたいと思われる時期には それに専念してください」と想いを伝えたが 果たしてそれでよかったのかと今になって悔やんでいる。
今の時代 就労しながら子育てが当たり前なのだから「就労支援の良い職場を探して出来る限り仕事をなさってくださいね」と伝えるべきではなかったのか?


2009年07月29日(水) 降りそうで 降らないお天気模様


 今朝 メールチェックをしていたら 一昨日の日記で何となく質問を投げかけた歌の件で応答してくれた方がいらした。
おかげさまで 曲名 作詞作曲者名 歌詞と完璧な情報を得られた。
ありがたいことです。
これを元に みんなで歌える時に 小さなヒントでみんなの記憶の断片を引き出して 歌詞カードを完成してみたいと思っている。
みんな それぞれ断片的な記憶があり それぞれが思い出す作業って笑いを得られるので楽しい時間である。記憶を辿って言葉のキャッチボール…。
勿論 私の記憶も辿る。
みんなでワイワイやっていると唄えない母も笑顔になる。

朝の作業を終えて母の所に出かけた。
お昼まで多少の時間があるのでトイレ誘導も含めて ゆっくりとできた。
着いた時は ソファーでぐっすり眠っていたが 立位して立ち上がってからは 眠る事もなく うふふ と笑顔を見せてくれた。
食事前には ゼリーで水分摂取。
その後 昼食となった 一時間ちょっとかかったが 口はちゃんと空けて食べてくれた。施設の食事+豆腐とぶどう。残量なし。

その後リハビリを受けた。
トイレ誘導後 準備していたら仰向けになったら 首だけを起こしてじっと様子をみていた。そのうちにゆっくりと頭を卸して仰向けの儘 眠ってしまった。
結局 眠った儘 リハビリのマッサージを受ける事になってしまった。

訪問介護の時間となった時 母がもじもじと動いたので 立位してトイレ誘導。「小」間に合った。
職員にバトンタッチして お財布片手に ドラックストアまで走った。
いざ会計という時に お金が足りない事に気が付いた。
別立てでバックに入れてあったのを見事に忘れていたのだ。
バックごと持って出れば何てこともなかったのに 時間を取ってしまった。

2時から ケアマネと職員と家族との打ち合わせ。
これまでのケアマネが病欠で交代することになったのだそうだ。

時間ロスで少し遅れて迷惑をお掛けしたが 8月のケアプラン立案。
これまでと多少変更があり了承。
これまで 訪問介護の時間に変更や休止の選択は 厳しかった。
が 今日 改めて質問してみた。
これが なんとOK。
外泊も これまでの利用率から考慮してみてOK。
縛りがなくなり肩の力が抜けた。

外に出ることの効用を認めて貰えた。

施設側の都合に合わせて貰っている事もあるのでその辺は 多少緩やかにできるという返答だった。

実際動いてみてどうかは判らないけれど 制限を受けるのと事情を汲んでもらえる事の差は大きい。
そして「本人のため」を考慮して下さったことが嬉しかった。

夫に通院を勧めて 今日きちんと検査を受けてきたようだ。
異常はなしということでひとまず安心。


2009年07月28日(火) ハプニング


 午前中母の所に出かけて トイレ誘導と食事介助。
午後 地域作りの説明会に出かけた。

1度家に戻って 食事の支度を済ませて 先日のイヴェントの反省会。
その後 打ち上げ。
これまで このイヴェントの打ち上げには参加したことはなかった。
時には 参加しておくべきかなと思って昨夜 夫に伝えていた。
けさも確認で再度伝えていた。

戻ってみたら 夫 玄関前の階段で転倒して怪我をしていた。
そうたいした怪我ではなかったので こちらも手当てしながら ついつい余計な事を言って夫を傷つけてしまった。
言って置きたい事がいっぱいあったうちの極々一部なんだけれど…。

玄関前の階段は 実は母を家に連れてきたときも1度バランスを崩したことがある。
母の場合は手を離さず こちらも踏ん張ったので怪我もなかったのだが…。

怪我をしたのは 私の責任ではないと思うけれど 弱っている時に言う事はなかったと反省。

一大事ではなかった事は幸いした。





2009年07月27日(月) 晴れ間をぬって♪


朝1番に電話があった。
訪問活動日なので 利用者さんだろうと思ったら 父の末弟だった。
おじさんは 数年前から「せん妄」が出ているそうだ。
認知症未満だと聞いている。後ろでおばさんが「ちゃんとお礼を言ってね。遊びに来て頂戴ともね」と言う声が聴こえた。
おじさんは もともと 丁寧な言葉使いをする。
それが 更に丁寧になっていた。
姪っ子と話しているのに…勿体無いような話方になっていた。
懸命に話されているのだが 同じ話が1.2回繰りかえした。
いつも出かけようと思いながら なかなか行けなくて。

その後利用者さん訪問。
今日は草取り。
草を刈ったり 枝を払ったりしていたら 足元にからからになった蛇の死骸と脱皮した皮を見つけた。
まだ 近くにいるんだなぁ。
活動を終えて 家に戻って洗髪。
汗ビッショリとなったのだ。
お昼ごはんを食べて 母の所に向かった。
今日は月曜日で お任せの日であるのだが 昨日行けなかったし明日も食事介助が済んだら 予定が入っているからゆっくり出来ない。
時間の許す範囲で面会に行こうと思ったのだ。
おやつと水分摂取が出来れば良いのだ。

母はソファーに座っていたが ちょっとおかしな顔をしていた。
立位してもらった時臭ったので その訳がわかった。

トイレ誘導して手当てを始めようとした時「訪問介護です」と看護士さんが見えた。仕方なくバトンタッチ。再度排出する気配だし腹痛もありそうなので 一応介護したという事で 職員とバトンタッチ。
それから お腹が落ち着くまで薄荷油を塗りマッサージ。
幾度かガスが抜けた。
今日は ガスッ腹みたいだ。不快なんだろうと想像できた。

その後居室の椅子に座って おやつ摂取。
お昼は残量があったせいか パクパクとよく食べ 良く飲めた。
残量分を満たせるくらい摂取できたはず。

それから ホールに移動してみんなで歌った。
1人の方が♪酒飲むな 酒飲むなとご意見なれど…♪この歌 歌詞がよく判らない。みんなの覚えている事を繋いだけれど 結局思い出せなかった。
…だれか ご存知の方がいらしたら 教えてください…
時間をかけて 記憶を辿り思い出そうという約束をした。

その後母をトイレに誘導し「小」
顔を拭いて 暫く遊んで ホールに移動。

夕食近くなったので そうっと施設を後にした。

母の施設に行く途中介護仲間とばったり出会った。
お母様の介護を1人でなさっている男性。お1人で踏ん張っておられる方。
お酒で息抜きなさっていたのだが 最近飲まないと言われた。
絶対というわけではないけれど 飲まずに済みそうだという事だった。
5.60本吸っていたタバコも今中断中だそうだ。
立ち話で暫く話し込んだのだった。


2009年07月26日(日) 感謝♪


母の事も気になるが 認知症のこれからも気になる。
今日は 医師のとある研修会(自分の住む地域外)に足を運んだ。
今後 自分の住む地域を対象とする研修会がもたれる筈。

今回だけ公開ということで この機会を逃したくないので 母のことは施設にお任せにして出かけた。
研修会には 数年かけて会議を重ねてきた仲間も参加していた。

これまで一般の医師からお話を聞けるのは 極限られた状況の中だった。
今日は 参加した医師の思いを聴けた。

そこで 医師も家族と似たような思いを抱いている事が判った。
あくまでも一般の医師。一般の医師とはいっても認知症を既に学ばれた医師ではあるが…。

研修を聞きながら 介護者のことに配慮されて来たなぁと感じるほど 随所に家族のことに触れられていた。
まだ足りないと思うが それでも随分変化してきている。

一般医のお話の中に 独居・高齢者世帯が増えて来ていること。また 在宅の場合 低所得者層の訪問について 何らかの対策を打たないと…という提言もなさった方もいる。

この辺りも 介護者として非常に気になり危惧していることで 同じ視点を持っている医師の存在を知ることができた。

おおよそ5時間に及ぶ研修。
長いか短いかは さておいて 見学のみだけれどこちらも学ぶ事が多かった。

また 本人・家族と介護と医療のチーム力。
また 医療の中でも 一般医と専門医を繋ぐためのサポート医のチームワークも深める必要があるというお話であった。
この一般医の中に 科目の違う医療(歯科・整形等)も含めて行く方向で…というお話もあった。
地域にいる医師だからこそ見える話だ。
地域資源の活用という事では 全般にそういった流に動き始めているんだなと知った。

そうそう 医療以外の療法も簡単だが触れられていた。
療法自体に確実な根拠となるデータはないが そういったこともありますねと触れ本人に負担にならないのなら 利用することも無駄ではないという形だった。

病院の看護士には 認知症の研修。ケアマネに対しては 医療に関しての研修等既に始まっているという事だった。

ゆっくりではあるが 確実に認知症の本人及び介護者支援が始まっている。
医師からも 幼稚園系のデイではない方向でのデイケアの話が出ていた。

他に 母の事でも場外であれこれ相談できた。

この研修が 成果を上げるかは それぞれの関係者(本人と介護家族を含めて)の協力次第である。
どうぞ うまく機能しますように…と祈るような気持ちだ。

今日は 介護仲間と共に出かけた。
研修のことは 横に置いて。
医療保険と介護保険の話でこの仲間とは盛り上がるのだ。
医療の分野の予算を削減するために介護保険が始まったという経緯があったように記憶している。
が 昨今医療デイとか訪問医療とか医療の分野へシフトしてきているように感じるのだ。気のせいかな?
そんな話を移動中の電車の中で話した。

夫は休日だった。
「菜園やっておくよ」というので 作業に要する一式に纏めて(汗拭きタオルから用具 収穫物を収める袋まで)玄関に準備して…。
七時過ぎに家に着いたら ちゃんと作業してくれた様子でホッとした。
収穫物も昨日の分が沢山冷蔵庫に保存されているので 夫の知り合いに運んでおすそ分けも出来ていた。

戻って夕食の支度をして洗濯物を取り込んで畳んで…。
夕食時「折角研修の様子を見学できたのだから 皆さんに還元しなさいよ」と進言された。はぁ そうですね。やっぱ 理解してくれているんだわね。感謝。


2009年07月25日(土) やれやれ


お日様の光りを感じ 起き抜けに乾ききらない洗濯物をベランダに干した。
直ぐに洗濯機を回し 朝食の支度。
夫を送り出して お弁当を作って 洗濯物を干した。
先に干したものは お日様と風の力でカラッと乾いていた。

強い日差しなので 日焼け止めクリームを塗った。
自転車に乗って施設へ。
お日様を避けたいのに 停止信号にひっかかってばかり。
日陰で信号待ち。

先週辺りまでは 蝉の声をぽつぽつ耳にしていたが今日は 家の近くで聴こえた。今日は 群れて飛ぶトンボに2度遭遇した。
真夏日にぴったりの風景。

母はソファーに座っていた。
それから 何時も通り。
食事介助も1時間ちょっと。残量はあるが持参した物で補えているのでカロリー的には充分だろう。

食後口腔ケア。
暫く唄ったりして…トイレ誘導。
そこへ 訪問介護が入ったのでお任せ。

その後 水分補給でゼリーやらポカリを摂取。
湿度が高く気温も上昇しているので…水分補給はしっかりしておかないと。
今日の母は 右傾斜が強かった。
この所 身体傾斜が右だったり左だったり様々。
機嫌は特別変化はない。
昨日 アイスクリームを食べて直後に急行列車。
今日余波が起きるのでは…と思ったが大丈夫だった。

おやつ後 そうっと家に戻り 菜園に出かけ 草取りと収穫。
気温の上昇と程よいお湿りで 草が伸びていた。
夏場は 草に追いかけられる。

夕食後 PCの作業。あと一息。


2009年07月24日(金) 読めなかった !!


雨降り。
梅雨明けしたけれど まるで梅雨。
乾かぬ洗濯物を見て 早々に洗濯を諦めて月末の作業を進めた。
まだ滞っている作業もあり週末には仕上げなければならない。
まだまっさらな状態。やる気も湧かないが焦りもない。
困った症状である。

迷った末に残っているご飯でおにぎりを作って 母の所に出向いた。
母は今日もソファーで眠っていたけれど 話しかけて笑いかけていたら 吊られて母も笑い出す。
無表情な顔が動き出し 安堵感に浸る。

「いい 自分で立ち上がらないとねぇ」と伝えて母の肩を抱きちょこっと前傾姿勢にすると力を出して腰を上げていると判った。
「偉いね。誰にでも出来る事じゃないわ」と褒めると頷いていた。
母にも頑張っているという意識があるんだろうな。
この気力に 介護に立ち会う気力を貰っているのだ。

母も私も あちこちガタが来ているのは間違いないが 言ってみても始まらないのだ。現状を受け容れて接するのみ。

歩き始めは バランスが悪かったが 介助で歩行可能。
トイレ誘導して 「小」とちょこっと「大」
ポットのお湯を水で温度調整をして綺麗にした。
腰周りも綺麗に拭いて クリームを塗布。

居室の椅子に座ってもらって 凍らせたジュースの溶けたものを飲んで貰って飲み込み具合をチェック。飲み込みも噎せはなくて 割合順調。

「お食事ですよ」の職員の声にホールに移動。
今日は おじやだった。副菜は鶏肉のボイルしたものにホワイトソースがのっていた。それとキャベツのサラダとお茶。こぶの佃煮。

お肉を先に運ぶと口を空けてくれた。
でも噛む力が弱い。だから飲み込めない。
今日は 喉を詰まらせる可能性があるので注意が必要。

本来おじやは食べやすい筈だが おじやに限って口をあけないし噛まないし。
ゼリーや煮豆も登場させたが それだけはOK。
30分経過しても…変化は見られなかった。

すすみ具合から今日は 時間内に食べきれないと感じた。
そこで1時間ちょっとで切り上げた。「朝のパンが残っているからどうかしら」職員の方が出してくれたが 進み具合はよくない。

下膳して居室に入った。
二人になって 母にあれこれ聞いてみた。
その1つが「お腹空いている?」すると母は深く頷いた。
「じゃね ちょっと買い物に行ってくるから待っていて」というと返事をしない。
「一緒に行きたいの?」というと頷く。
仕方がないので 車椅子に乗せてコンビニまででかけた。

買い物を済ませて居室に戻った時「あ・り・が・と・う」とはっきり言った。
それから 順繰りに食べ物を運んだ。
夕方に影響しないように そして不足分を満たせるように…。

食べ終わる頃に 母が幾度か立ち上がろうとした。
トイレのアクションと思って誘導したら 既に臭っていた。
その時初めて 昼食の進まなかった訳を思い知った。
お腹 おかしかったんだね。

1時間近くトイレで手当て。
もう大丈夫そうだったので 居室で休息し それからホールに移動した。
テレビもみて 新聞も手に取ってみていた。

夕刻近くなったので そうっと施設を後にした。


2009年07月23日(木) 地域つくり


町内の地域つくりの集まりに10名ほどが集まった。
一回目としては 程ほどの人数だったと思う。
大概の場合 10名位だと遠慮なく思いを語れる環境だと感じている。
これから回を重ねて「何が始まっているの?」という場所に育っていけばいいなと感じた。
地域に住まわれている看護士さんが 休暇をとって血圧計を持参して参加してくださった事も嬉しかった。

次回の開催期日も決まり 次に繋がった。
参加者の中で この1.2年で独り暮らしとなった方が数名みえた。

いろいろの課題はあるけれど できることを少しづつの精神はみんなにあって 1人が突出して運営ではない方法で…と意思確認できた。

午後は 仲間と先日の芸人さんの公演で認知症の人への配慮が足りなかった部分をビデオでチェックした。
これが 巧みな話芸ならまだ楽しめるのだが ノンベンダラリのB級なので眠たくて眠たくて 二人で睡魔と闘っての作業となった。
3時間近い時間を費やして完了。
記録に添付する文を作成。
認知症に関する部分のチェックなのだが…。
芸に関することで 表現の自由をどう受け止めるか…少し難しかった。


 


2009年07月22日(水) 皆既日食


午後予定が入っているので 早目に母の所に出向いた。
ソファーで居眠り中の母を起こした。
早目に目覚めて ちょこっと話してトイレ誘導。
「小」のあと「出る?」と聞くと頷いたのでお腹をマッサージ。
「大」も排出。
「もう 大丈夫?」と聞くと頷いたので終了。

食事の前に ポカリの氷水を飲んでもらい 桃の2切れを口に運ぶと昨日同様噛み始めたので 今日も大丈夫そうと思う。

私より先に ご家族が見えていた。
施設までの道のりは 2時間。朝 早く出て見えたのだろうと思う。
この所毎日なので お疲れのないように…と願っている。

食事前が皆既日食の時間だった。が生憎のお天気で観測できず。
その割りに暗くならなかったなと言うのが 施設にいた人達の感想である。

ホールに移動して食事介助。
今日は豚肉の炒め物。豚肉だけは3分の1残量。
他は 全量摂取。 ムースを除いて。
ムースは 乳製品なのでお腹に影響しない程度に摂取。
時折 ゼリー・ポカリの氷水・もも・煮豆・トマト等 献立外のものを使う。
母の場合 結構 食べる意識を高める働きをしている。
途中で 目を瞑ると居眠りも始まりそうな気配の出る時もある。
そういった事も ちょっとの工夫で覚醒できる。

母の生来の性格と母の意思を思い起こしながら 過酷な無理をしないで接して行こうと思っている。

今の対処がみんなにベストかと言えば そうではないだろうと思っている。
あくまでも本人と家族の許す範囲で 取り組んで行けばよいのだろうと思う。

食後口腔ケアをしてトイレ誘導。
そして リハの準備をして 療法士さんにバトンタッチ。
明日のデイサービスの支度を整えて そうっと施設を後にした。

その足で 電車に乗って打ち合わせの場所へ向かった。

今日は 朝からあちこちから 電話やメールが届く。
気がつけば 締め切りが近くなっている案件が溜まっていた。
明日は 午前中町内会のお茶のみ会(地域つくり)があり 午後は締め切りの案件の処理が…。


2009年07月21日(火) わぁ〜い♪


夫を送り出してから 涼しさに背中を押して貰って 菜園に出向く。
菜園のそばを 近所のグループホームの方が職員と一緒にお散歩していた。
「おはようございます」と挨拶して「トマト持って行かれませんか」と尋ねた。
「嬉しい。戴きます」と言う事で トマト・ピーマン・茄子を袋に入れて手渡した。「お元気で何よりですね」と話しかけたら「他の二人は元気なんだけれど 私は足が痛くて元気じゃないの」と。
「あらら それはお気の毒ですね。ちょっと撫でさせて貰っていいですか?」と聞くと「あぁ いいよ」と。そうっとゆっくり撫でさせて戴いた。
「親切にありがとう」とお言葉を戴いた。

家に戻って洗濯物を干して お弁当を作って母の所へ出かけた。

母はソファーに座って機嫌よく起きていた。
「あはは」「ふふふ」と良く笑う。
先ずは トイレ誘導。
「小」排出。「大は?」と聞いたら首を振ったのでそこで終了。
腰周りを綺麗に拭いて クリームを塗布した。

居室の椅子に座ってもらって 凍らせたポカリの溶けた分をコップに移して飲んで貰った。飲み込みは良いようだ。
気をよくして 角砂糖の大きさにカットした桃を口に運んでみた。
ニコッとして口の中で転がしていたが そのうちゆっくりと噛み始めた。
ゴクリという音を聞いて次のものを二つ運んでみた。
一度目より早く かみ始めたので調子は良いんだなと感じた。

ホールでカシャって音がしたので食事が始まっている事を知った。
母をホールに移動して食事開始。
今日は 天ざる。他にゴマのブラマンジェと煮浸し。
順調に食べ始め 母のペースで55分程度で食べ終えた。
飲み込むまでの時間が掛かるので 時折母のそばを離れた。
喉に詰まらせるような心配は今日はないようなので…。

戻ってみたら 自分で食べていた。
その前まで箸をテーブルに放棄するので 幾度か持ち直すようにしていたのである。

「ありゃ 食べられるんじゃない」と言う声に職員もご家族も母を見つめる。
「あらら…ほんとだ」と皆さん。

こんなことが起きると「まだ大丈夫みたい」と思えるのだが…。
今日は 珍しく調子の良い日。
大きな期待はせずに 出来た喜びだけを喜んでいようと思う。

言葉らしきものも幾度か発している。
意味が想像できる言葉だった。

食後 トイレ誘導。
「小」と「大」少量排出。
まぁまぁってところかな?
その後口腔ケア。

今日は 入浴日。
着替えを準備して職員に手渡して 後は職員にお任せ。
職員の訪問介護に当たる訳で その上リフト浴なので何となく手を出したくない。でも 実際 リフトを使わないで何処まで入浴できるのかが気になっているのだ。介助は言葉をかけて母の自力の力を引き出すことが大切と感じているので 悩ましい日々である。
食事やトイレ介助等では 言葉をかけて出来ているのだが…。
自分の介助が正しいというよりも 母とのコミュ二ケーション…がポイントなんだけれど…。

夏の入浴介助の体力消耗は経験で判っているので 着替えが終わる頃には職員とバトンタッチ。
ドライヤーで髪を乾かして スキンローションを塗ったり 水虫の薬を塗ったり水分補給したりはこちらですることにした。
訪問介助で必要とする時間が経過しているので できること。

その後トイレ誘導してから ホールに移動しソファーに座ってもらった。
雨の降りだす前に そうっと施設を後にした。

今日は 早目に帰宅すると仕事に出た夫なので 早々に夕食の支度。
でも時間になっても戻らないので 1人で食事。
後片付けの頃に電話が入って 結局お付き合いする羽目に。
夫の待つお店にすたこらさ。
1年に1.2度の事だし 仕方ない。

そんなこんなで適度の時間に切り上げて家に戻った。
母も調子が良かったから お付き合いも出来たけれど 調子悪かったら夜に外に出るなんてこともなかっただろう。


2009年07月20日(月) 気合を入れて!

 娘は一泊していった。
夫が仕事に出てから お茶を飲みながらぺちゃくちゃ。
菜園に出て ぺちゃくちゃ。

お昼を食べてから 娘は自分の住まいへと帰宅して行った。

それから 家の片付けとお掃除。
真夏用の衣類を出して うすでの長袖を片付けた。
順繰りに片付けていたら 夫が帰宅。
慌てて 掃除機をかけて終了。
娘は一泊していった。
夫が仕事に出てから お茶を飲みながらぺちゃくちゃ。
お昼を食べて ゆっくりと娘は自分の住まいへと帰宅して行った。

それから夕食の支度。
おそうめんが食べたいとの希望なので 精進揚げを作った。
暑い時は そうめんが美味しいな。

まだまだ 片付いていない。散らからないうちに後1歩進めないと元の木阿弥になる恐れあり。
時間を作り 気力を維持しないと…踏ん張り時。


2009年07月19日(日) 土用の丑の日


昼過ぎに仕事に出るという夫を置いて 母の所へ出かけた。
「昼食は 心配しないでいいよ」という有り難いお言葉を戴いて自転車を飛ばした。

施設に着くとリクライニングの車椅子に「くの字」に座り眠っていた。
荷物を置いて母を車椅子からおろし 立位して貰ってトイレ誘導。
歩く時は向かい合って肩を抱いて…。足が思うほど前に出なかった。

後で施設長から車椅子を利用した経緯について説明があった。
施設側が そういう対応をするだろうことは予測がついていた。

トイレでは「大」「小」排出。
持参したお湯で腰周りも含めて洗浄。
こういう方策を取り出して暫く経過してる。時折お湯を忘れてしまう時もあるのだが…。よく拭いてから クリームを塗布している。

湿度も気温も高い その上眠っていたので今ひとつ意識が高まっていないので居室で食事する事にした。
今日は 土用の丑の日でうなぎ。
きゅうりとわかめの酢の物は残したが 他は全て食べる事が出来た。
1時間ちょっとを要した。

口腔ケアを済ませて 顔を良く拭いて整髪。
それから トイレ誘導「小」排出。

暫くして職員が訪問介護に見えたが 既に終わっている事を伝え遊んでいただく事にした。

空腹を感じて時計を見たら程なく3時。
昼食を摂ってないので今日は ここまでとそうっと施設を後にした。

若しかして夫ご飯食べていなかったりして…と思いながら家に戻ったら 食事した形跡がありホッとした。
それから軽い昼食を摂り 洗濯物を片付けたり夕食の準備をしたり…。

洗濯物を取り込もうとしたら大きな虹を2本空に見つけた。
大急ぎでカメラを持ち出して写した。
買い物があって近くのコンビニに走って「虹が綺麗ですよ」と店番の奥さんに伝えたら 休息中のご主人に電話をして外に出た。お隣の床屋さんも外に。
通り向こうでカメラを持って写しているひともいた。
「七時なのにニジとはこれいかに」なんて駄洒落まで飛び出した。
そう 七時ちょっと前の事だったのだ。

今朝 娘が丑の日だからうなぎでも食べようと電話をくれた。
「戴いた白焼きがあるから何も持たずにおいで」と誘った。

夕刻 娘がやってきて3人で夕食。
お腹いっぱい食べた。
ぺちゃくちゃとおしゃべりをして 休息をとってから娘と二人で近くの温泉へ出かけた。夫は お留守番。

連休中日の温泉は混雑していてげんなり。
それでも温泉効果でちょっと気分転換。

いろいろ考えさせられる事の多い一日だったが 思わぬことで気分転換出来た。


2009年07月18日(土) イエローカード


 施設に着いた時ソファーにぐっすり眠っていた母。
起こしてトイレ誘導。「大」「小」排出。
それから ゆっくりと目覚ましモードに入っていく。
トイレに誘導してから片付けが済むまで35分弱。

施設の昼食は11時半開始。時計を見たら45分をちょこっと過ぎていた。
それから ホールに出て母の食事を受け取り「居室にて戴きます」と職員に伝えた。
入れ歯が上下外されていたので装着して貰って 食事開始。
一口目に何を運ぼうかと思う。
今日は 豚冷シャブの梅ダレ掛け。これを一口目とするとうまくいかなかったら二人ともガクッとしてしまいそう。
ひとまず冷たいゼリーを運んだ。
これは 絶対通過間違いはない。口がモグモグと動いたのを確認してからご飯を一口。これも口を開けてモグモグ。
スローペースながら 調子よくスタート。
この後 昨日ヒットしたおたふく豆の甘煮。これもにんまりの笑顔を戴く。
今日は また別の手。
自分のお弁当に入れたぜんまい。これを少し小さくして口に運んだ。
この時の笑顔 昨日のお豆に匹敵した。

こうやって時折別のおかずで変化を持たせながら 豚肉に挑戦。
今日は ゆっくりペースながら豚肉全部食べ終えた。
結局 1時間ちょっとで全量を摂取できた。

居室で食べる時には 他に気が散らない。
つまり介助する者をじっと見つめている。
こちらもひとつひとつ声を掛けながら介助している。
ひょっとしてこれか?
笑顔になる時には こちらも「どう?」と真剣にみている。
その顔がおかしくて笑うのかな?おちょくられているってことかなぁ。
いやいや そうではあるまい。
だって豚肉やご飯の時だってじっと見ているけれど笑顔にはならない。
あまり固執する気はないけれど 興味はある。
やっぱり味の変化のような気がする。
豚肉 ちょっと箸でつまんで一口試食してみた。
ちょっとくせがあった。梅あんがかけてあるが 薄味で肉のくせを消せてないような気がした。私も食べたいとは思わなかった。
いや 調理にいちゃもんをつける気はない。予算があってのことだろうから…。
ただ 母のことが知りたいだけである。

その後 今日は母の嫌がる事をした。
介護者の悪あがきというか…。介護のイエローカードだ。

勿論 母には 事後謝った。
「やんだっけから」(嫌だったから)と言う言葉を事後数回発した。
「ごめんね」と謝るとこくりと頷いてくれた。
母に良かれと思ってのことだが 介護者のエゴ。
でも…効果はみられた。それに 言葉も出た。
プラスかマイナスか? ぎりぎりのラインである。
職員が心配そうに様子をみに見えたから…あまり勧められた事ではない。
だから 何を試みたかは記録しないことにした。
 
夕方戻ってから菜園へ。
トマトを収穫。これが 20個以上。
毎日3〜4個食べても数日かかる。
目先を変えながら食べてはいるが…。
だから ご近所さんに消費していただく事になる。
青いトマトは まだまだある。
ついでに枝豆の葉を少し落とした。
今 花が咲き出している。
義姉が言うのには 枝豆の葉を落とせば実に栄養が行くというのだ。
義姉は昨日 きゅうりの種を蒔いたそうだ。
姉の所もきゅうりが駄目になって…モグラに根っこをやられたそうだ。
今から蒔くと また元気なのが育つと言う事だった。遅すぎても駄目みたいで今が限界だそうだ。 ううん きゅうりかぁ。どうしようかな?家のももう弱ってしまっているんだよね。


2009年07月17日(金) 偶然知った事


今に始まった事ではないのだが 更に強まったと感じる事がある。
トイレ誘導すると母は「ここは 何処?」ととても不安そうにトイレ内を見渡すのだ。
「ここは ごふじょうよ」といっても「?」と言う表情。
「判らない?」と聞いても「?」と言う表情。
判らないと言う事の不安は かなり究極にきているようにも感じる。

それでも まだ 思い出せる日もあるのでこちらも救われる。

こんな調子なので トイレと言う意識もないように見える。
排泄については 意識が残っているので罪悪感にさいなまれているようにも見える。「辛いよね」とつくずくと感じる。

ご飯を食べる時も 母は危ないと感じて反射的に歯で食べ物が入らないようにガードする。
「あら まだ残っていたのね」と言うと頷く。
「ごめんね」と謝れば 頷く。

本人の意思に合わせて介護していく事は 時間を要する。
でもこの時間が 母を支えていると思うと貴重な時間だと思う。

さて今日は 思わぬ発見をした。
暫く以前に 「大」の中に丸飲みしたと思われる大豆を発見した。
その時に「豆も噛めなくなったのだな」と思った。
だから 母の好きな甘い煮豆も運ばなくなっていた。

今日 自分のお弁当におたふく豆の甘煮をいれていった。
噛むことがうまく出来ない今日の母。
冷たいゼリーで刺激しながら何とか噛む事を意識して貰ってた。
「ちょっと試みてみよう」という軽い気持ちで 小さくカットしたおたふく豆を口に運んで見た。
その瞬間 じっと私を見つめてにやりとした。
そして ゆっくりと咀嚼を始めた。

お豆腐 トマト ゼリー オクラ 長いも等のど越しの良いものに限定していたけれど 食の偏りが気になっていた。
おたふく豆で 目から鱗。

偶然の産物なのだが まだまだ食べるための工夫はできそうだ。


2009年07月16日(木) 「雑記」


今日は利用者さんのお墓参りに同行。
本来なら送り火をたく日ではあるが 混雑を避けたいとの希望だったので…。

バスや電車で隣り合わせて座ってあれこれお話をした。
特に施設での暮らしぶりのこと。
温度がコントロールされているので快適ではあるけれど 個室の電気料金が派生するのでエアコンを止める時があるようだ。
窓は東側だけなので 風が通らない。
そこで夜間 ドアを開けて寝たら 認知症の方が徘徊で見えたそうだ。
利用者さんとは認知症のお話をしているので そういったことは嫌がらない。
全く話が通じない訳ではないので 灯りを点けて 古い話を中心におしゃべりなさったそうだ。
灯りが点いていて 話し声が聴こえるので介護士さんが見えて 認知症の方のお部屋に誘導して行かれたそうだ。
「それから再度眠ったのよ…」と話してくださった。

また 施設の運営も厳しくなっていろいろの変化があると話されていた。
その中で印象に残っている事の1つに 入所者の洗濯物をなくした時には 担当の人が弁償すると言う事だった。
幸いこれまで そういった事故はないのだが なんとお気の毒な事か…と話されていた。

食事のこともあれこれと話されてた。
お話を伺って 考えさせられる事が多かった。
詳しく書いてみたい気もする。
認知症の方も入所している施設で 認知症のない入所者が感じる景色。
いろんな方が見ておられるので かなり考えて書かないと…なので。
何れ場外でお話しする機会もあるだろう。

テレビを観ない私が ある理由でさっきまで「任侠ヘルパー」を視聴。
この番組の制作担当に 介護保険や介護に詳しい人がいるのじゃないかと感じた。コメディーのドラマ…。
介護家族で見たことある人いるのかしら?

今日も暑い一日だった。
ここまで暑くなると「おう 夏」という感じ。
でも始まったばかりだから…ね。


2009年07月15日(水) 梅雨明けしたら…


 梅雨明けと共に 気温が上昇。
朝からお日様がぎらっとしていて「あつくなるぞぉ」って告げているみたい。
こうなると気持ちも暑さを覚悟して「なんやこれくらい」と思ったり…。

自転車を飛ばして母の所へ。
母はソファーで眠っていたが 直ぐに目を覚まして「ふふん」と笑った。
「たちますよ」と立位介助してトイレ誘導。
「待っていました」って感じで「小」排出。「大」微量。
水分足りないかなぁ。
でも腹痛はなさそうだった。
でも 何処か調子が悪い?
職員は「娘さんに甘えている」と言われたけれど…どうかな?
みんな口には出さないけれど「甘えている」って思っているのかな?

別に職員は「甘えるのが悪い」と言ったわけではないのだが…。
「甘えている」とは甘やかす存在があるから…と感じてしまうのは 考えすぎだろうか?

話が出来なくなって思いを伝えきれない母。
こちらも 汲み取れない部分があると思う。

今日は 食事のペースも順調で1時間は掛からなかった。
特別機嫌が良かった訳ではないのだけれど…。

訪問リハを受け その後爪きりをして 少し遊び水分補給。
昨日は みかん食べきれなかったっけれど今日はしっかり食べた。
トマトも水分補給で食べて貰う。

施設内はエアコンが効いているので 汗をかく暑さではない。
でもいつも「寒い」と訴える入所者の方が 母の居室に入って見えて「涼しいわね。きもちいい」と言っていたから 温度調整も程よいのだろうと思った。
でも この暑さの中 入浴介助は 冬とは違う形で辛いものがあると思う。
「あっ…つっいぃ!」と浴室から出てきた職員の声に同情しきりだった。


2009年07月14日(火) 肩を叩かれた


気持ち早めに母の所へ出かけた。
豆腐とお湯と自分の弁当と珈琲を持って…。

ご家族が泊り込んで居られた。
泊まりを認めて貰えることは嬉しい。
過去に数回母の居室に泊まった事がある。
けして快適とは言い難いのだが…。

病院の個室にも夜の付き添いの経験もある。
病院の場合 個室とは言っても眠るスペースはなかった。
数ヶ月 3人で交代で泊まった。

それと比べれば 施設の方がまだ泊まりやすい。
それぞれ一長一短ありである。
でも 泊まると言う事は それなりの訳があるのだから楽ではない。
今日は 朝帰られたが 無事帰り着きますようにと願った。

母は10時まではご機嫌だったということだが 着いた時は深く眠っており容易に起きなかった。
それでも 目を覚まして貰ってトイレ誘導。
座るや否やいい音を立てて「小」「大」はなし。

母は寂しかったようだ。
しきりに「何でいなかったの」と訴え泣いていたような気がする。
もしかして ご家族が泊まって居られた事と関係があるのかな?

今朝 月曜日にお願いしているボランティアの事業所から電話があり いつも訪問くださる方がお休みでピンチヒッターの方を連れて伺いたいという希望だった。
トイレ誘導も終わってゆったりとしている時に見えた。
ピンチヒッターの方は 母へのメッセージを張ってある紙を見て「クリスチャンですか?」と聞かれた。
その方もクリスチャンで「それじゃ 賛美歌を…」とオカリーナを取り出して下さった。一緒に賛美歌を唄った。
ピンチヒッターの方も話されていたが クリスチャンと出会うのは初めてということだった。母も同様。
この出会い もっと早ければよかったのに…と思った。
信仰を認めていただける事は大きな支えとなるから。

大きな歌詞カードを作ってきてくださってた。
母だけ楽しむのは勿体無いと思った。
居室から歌声が聴こえている筈だから みんな口ずさんでいる筈。
そこで昼食に少し時間があるのでホールに移動してみんなで歌った。
職員には 時間的に迷惑だったのかもしれない。

その後昼食。
母は ゆっくり目にスタート。
何時通り30分経過する辺りからピッチが上がった。
今日は八宝菜。肉片がある。なるとまきもある。
それらを少し避けながら 食べて貰った。
全く食べないわけではない。噛む事も大事だから…。
肉片の代用にお豆腐半丁とゼリーを追加。
1時間ちょっとで終了。

それからトイレ誘導して 入浴の支度をした。
30分ほどでお風呂から上がってきた。
着替えもして頭髪も乾いていたので 正味20分程度の入浴だ。

職員が右腰にじょくそうがあり手当てをし 足に水虫があったので薬を塗布したという事だった。
朝見た時ない様に見えたが 真横の右だったので見落としたのだろう。
この所 腰の所は意識してお湯で拭いて更に乾いた布でそうっと拭いて 薬を塗布している。
昨日は面会しなかったし 今朝はマットまで濡れていたというし…。
こりゃ また 施設に行く時間をふやさなければならいのかなぁ。

入浴後の水分補給にぽかりとゼリーとみかんを食べて貰った。
水分補給をしながら 考え込んで介助の手がお休みになって暫くボ〜ッとしていたようだ。母が私の肩をポンと叩きハッとした。
母は 言葉は何も発さないけれど中断した事に気が付いて「どうしたの?」と肩を叩いたのだろう。
母の想いを伝達してくれた事が嬉しかった。

トイレ誘導後にホールに移動して貰い 今日は そこまでで そうっと施設を後にした。

夕方 菜園にでて収穫と草とり。
トマトが次々赤くなって食べるほうが追いつかないんだ。


2009年07月13日(月) 気分転換


介護仲間と気分転換へ出かけた。
無理のない時間でのお出かけだが 山と言う事で足腰の不安のあり介護中の方の参加は少なかった。
そろそろ梅雨もあけそうな気配。
その上 気温も上昇しているので無理もないかもしれない。

それでも 最近ガンの手術をなさった方で介護中の方が参加くださった。
ご自身は 歩くのが好きだが術後は1人で出かけることもなくなっていたということだった。

ご本人を連れて参加を考えていらした方もいたが 巻き爪を痛がり歩くのは大変かもしれないとキャンセルなさった方もいる。

電車から望む西の山々は薄青く重なり合って夏景色。
ケーブルを使って山腹まで上がっただけで ほほにあたる風は心地よくなった。
出発の頃には 今にも振り出しそうな空模様だったが 次第に雲が切れて青空も見えた。
白っぽく霞んだ景色ながら 見通しはまあまあ。
見上げれば 青いもみじの葉が風に揺れて 涼しさを誘う。
山百合が凛として咲いているのも頼もしく感じた。
桔梗の花が涼しげに咲いていた。ちょっと早いかしらと仲間と話題になった。

介護に行き詰まって 気分転換に母を連れ 度々この場所まで足を運んだことがある。
おそらく施設に入所してからだって一緒にきていると思う。

もっと遡れば 母がデイに行っている間に人ごみを避けて 束の間の気分転換にも来ていた。

木々の緑に鋭気を戴いて ふもとに下りた。
勿論 同行者に合わせてケーブルを使ったけれど…。
それでも 充分気持ちが解された。

ふもとでみんなでおそばを頂き予定より早目に引き上げた。
疲労を明日に残さないための知恵である。

思うほどに行事を取り入れられないが 回を重ねていく事でもう少し気軽に出かけられるようになると思う。

仲間の方が「これで 1人で外出してみる自信がつきました」と話されていたことが印象に残っている。
それぞれが 自分のペースで多少の無理をしながら楽しむ時間を作るっていい事だと感じた。

参加した方は 50歳代から80歳代の方まで様々。
辛い別れのあと自宅に篭りがちになっている方もおいでだ。
1人になっても楽しんでいい。
そうでないと先に旅立たれた方だって心配なさる…と思うのだ。

自分の老いて行く先の学びは そういった皆さんに教えて戴いている。


2009年07月12日(日) 投票日


お昼に合わせて母のところへ向かった。
お豆腐等を忘れたことに気が付いたけれど 食事前に着くことの方が大事なので…。

施設に着くと他のフロアの方も見えていて清掃日だと判った。
母はソファーで熟睡中。
直ぐに目覚めそうもなかったけれど 何とか立位してトイレへ向かった。
今日のような状態の時には きっと安全優先で二人対応なんだろうな。
直ぐに「小」そして緩い「大」
暫く腹痛が見られた。アロエ復活をお願いして昨日帰ったのだが…。
その効果?

大勢の中で食事するよりもと思って 居室で摂らせてもらうことにした。
最初のうちは 難しい顔をしていたが だんだん笑顔が見られるようになった。
冗談を飛ばせば 笑顔が戻ってきた。
目を瞑る事はあっても居眠りはなかった。
「個」の対応が 母の安心に繋がったと感じる。
大勢で食べる時には気が散ってしまう時もある。
食事中 じっと目を見て食べてた母だった。
昼食は「たぬきうどん」それと汁物とお麩の煮付け。+ゼリー
ほぼ一時間で食べ終えた。
今日は やわらかな食材でよく噛んで食べていた。

食後 口腔ケア。拒否もなくケアが出来た。
食後 施設内歩行。
施設に着いたときの腰の重たさはなくなり 結構安定して歩けた。
食事時間を境としてフロアの人が入れ替わっていた。
それでふと気が付いたのだが 車椅子利用の人の多い事。
食事が摂れない人も複数人おいでだ。
母だって重症だけれど 設立時と比べると軽度の人が大分減っている。

トイレ誘導したが 珍しく空振りに…。
床清掃のため午後は 他のフロアに移動するので 職員にお願いして 施設を後にした。

夕方 家族3人で投票に。
我が家は 一党支援をしている訳ではないが 棄権はしない。
娘 住民票を移していないのでこちらで投票。
久しぶりにみんなで夕食。

母が投票所まで行かなくなったのは 文字を書けなくなってから。
それまでは 認知症になっても投票していた。


2009年07月11日(土) 珈琲ブレイク


朝なのにスカッとしない。
6時前には目覚めていたが 布団でごろごろしてラジオを聴いていた。

30分ほどして起きだして朝食の準備。
夫を起こして 朝食。
夫と一緒に家を出て 菜園に出た。
トマト・なす・とうもろこしが昨日の強い風で一本ずつ倒れていた。
救急の手当てをして 収穫。
きゅうりは 花がいっぱい咲いているが それら全てが育つか気になるほどに葉が白くなっていた。今日もずっしりと収穫。
我が家だけでは消化できないので 配っている。
洗濯物を干して たたんで…。

母の所に出かけた。
母はソファーで眠っていたが 2度目に名前を呼んだ時シャキンと目覚めてトイレ誘導。今日は あちこち痛みを感じるようだ。
特に指先のような末端である。

昼食は 豚シャブゴマダレかけ ブロッコリー きんぴら ゼリー なすの味噌汁
これに 寄席豆腐半丁とゼリーは母用にプラス

豚肉は3分の1残した ご飯一口残した 後は全量摂取。
これを一時間半に足らないくらいかけて。

カロリー的には このくらいの摂取量であれば 昼食としてはほぼよいと思う。
これから先のことを考えて1日の食品摂取の目安を立てておいた。
これから先 母が食べ難いものを残量とするとき 何で補うかを考えておいたほうがよさそうな気がしてきた。 いわゆる代用品。
施設では 代用品等在り得ないので…。
ぎりぎりまで食事が出来るように母を支えていきたい。

食後 珈琲を淹れた。
頂き物のブルーマウンテンの豆が家にあった。
酸味のある豆は 得意ではないので施設に運んだ。
職員や入所者の方に飲んで戴いた。ドリップ持参。
淹れている者には それほど薫りは感じられないが職員がフロアに見えるたびに「あ〜いいかおり」と言っていた。
本当はゆっくり飲んで戴きたいところだけれど 職務中ではねえ。

お茶もあまり飲みたがらない入所者の方が 珈琲と聞いて目を輝かせてじっと待っていてくださった。
普段 熱いお茶は得意ではなく 氷をいれて温度を下げて飲まれる方だが
「熱いですよ。冷ましましょうか?」とお聞きすると「いいえ」いう返事。
「大丈夫かな」と見守っていたら 熱いのに美味しそうに飲んで居られた。

チョコとかケーキとかクッキーとかがあれば更に良かったのだが 生憎お菓子はなし。

珈琲好きが他のフロアにも居られるのだが 生憎血尿が出ていてカフェインは避けている事だった。その方と同じフロアに運ぶと薫りで悔しい思いをなさるかと思い今日は中止。

珈琲を淹れている間 キッチン前の椅子で母に見守って貰った。
後半 母は 泣きべそ状態となった。トイレ誘導 訪問介護の時間で職員にバトンタッチ。
その後もなかなか気持ちが安定しなくて居室でギュッと抱きしめた。
トイレ誘導するが「ガス」だけ放出。
ガスが出るならちょこっと安心。

顔を拭いて口腔ケアをして くずきりと珈琲をちょこっと飲んでおやつ。

それからホールのソファーに移動して貰った。
荷物を纏めてそうっと施設を後にした。
日差しもあって気温も上がったけれど 湿度は低いので助かった。


2009年07月10日(金) 久しぶりに散歩


生協の荷受をして母の所に向かった。
今日もお弁当 ポット 飲み物の3点セット持参。
家で洗濯したものも…。

天気予報では「あめ」だが まだ降りだしてないので自転車で走った。
母は 久しぶりににこやかな笑顔でソファーに座っていた。
職員の話だと朝からこんな感じだということだった。

「ちょっとお部屋に行きましょう」と母を誘って トイレ誘導。
「大」ちょっぴり。「小」

デイの連絡張にファミレスに出かけてチーズケーキを食べたとあった。
良かったと思う。
「昨日は楽しかった?」と聞くと頷いた。
でも昨日の記憶が残っているかどうかは 判らないけれど…。
ただ 話しかけられた事を受け止めている。
また 言葉が結構出た。
「記録が…」「あれは どうなった?」等唐突に切り出されたりして…。
「困ったことはあるの?」と聞くと首を振っていた。

食事も居眠りなしで 食べ終えた。
施設の食事の他に 寄せ豆腐とゼリーを追加し残量なし。
1時間ほどで食べ終えた。
これくらいで済むと母にも介護者にも負担は少ないのだろうけれど…。

食後トイレ誘導。
訪問介護が入った後に お散歩に出た。
昨年と比べるとかなり歩行困難な状態が増してきている。
歩くペースもバランスも 落ちてきている。
母に外出の意志があるので出る事にした。
歩く気持ちは満々。
前の公園に着くまでは 結構歩けた。
1度腰を下ろして 小山に上った。低いほうの小山。
草が刈られて その儘なので歩き難そうだった。
バランスが危うくなると母の足がすくむ。
母自身の安定は勿論だが介助するほうが不安定だと母の不安は更に深まるようだ。

公園で少し踏ん張りすぎて 母の足の疲労が増したようだ。
立ち止まって休みを繰り返しながら 施設に戻った。
歩いた距離 800メートル位だろうか?
母も汗だくになっていた。

施設に戻って水分補給して トイレ誘導し汗を拭き 足をクリーム状の湿布薬でマッサージした。
その後 少し横になってもらって休息。15分ほど眠っていた。

その間に 真夏用の衣類を揃えた。
春先のうすでの衣類は片付けた。

母が目覚めたので 再度トイレ誘導して 水分補給。
その後 ホールのソファーへと移動した。
テレビに見入っている間にそうっと施設を後にした。


2009年07月09日(木) 気持ちの切り替え


 湿度が高くて…昨夜は 布団に入っても暫くの間 ごろごろ。
今朝も ムシムシしていた。
午前中は 洗濯して 掃除機をかけて ひとあせ ふたあせかいた。
目に付かぬ所にカビを見つけて お掃除。
梅雨末期なんだよね。きっと。

午後会議があるので電車で移動。
駅までは とっとこ歩いた。歩いている時は 風を受けるので汗も出ないがひとたび信号停止になると頭から汗が流れ落ちてくる。

途中 町内の人とばったり出会う。
今朝 電話しようかなと迷ったのだが 出会えてよかった。
町内のお茶飲み会の準備の話をちょこっと。
社会福祉協議会や地域包括にも声を掛けて 具体的な検討をしてもらっていることを伝えた。
個々には 町内の方への声がけも順調に進んでいる。

電車は空調が効いていたが 汗はなかなか引かなくて…。
当たりを見渡しても 汗の出ている人もなく1人で暑さを背負っているのかななんて思ったりした。
そのうちに居眠りしたようで ハッとしたら降車駅だった。

会議は順調に進んで 予定時刻に終了。
秋のイヴェントの準備会議である。

雨の予報が外れてくれ 干しっぱなしの洗濯物がからりと乾いたのが嬉しかった。今日は 程よい気分転換となった。


2009年07月08日(水) 不安なんだろうな


朝 菜園に出かけた。
きゅうりが育ちすぎてしまうから。

先日 夫の実家の義姉と話している時 きゅうりが育ちすぎる話題となった。
義姉は「きゅうりは 夜に成長するって聞いた」と言っていた。
夕方見てあとちょっとだったら翌日は収穫したほうがよさそうだ。

朝の菜園に ぽつぽつと作業をしている人が見えた。
早朝に来る人もいる。一段落すると 次の組の人が…。
結構 時間で見える人が違う事が最近判って来た。

きゅうり ピーマン なす トマト どっさり。
夏野菜は 待ったなし。一度に収穫時期となるので夫婦二人では 食べきれない。
種類を変えていろいろのものを育てたいと思っていたが 今年はそうは出来なかった。
ジャガイモもそろそろ引き上げて置かないとね。

草が伸びていて 目を瞑ってもいられなくなって 草取り作業。
以前なら 小まめに草取りするのが好きだったけれど 今は手抜き状態。
次のことで気が急いてしまうのだ。これも年のせいだろう。
時々 ブレーキをかけないとな。

家に戻って朝食を摂った。
それからお弁当を作って 支度をしていたら電話が鳴った。
今日は朝から続く。
一件は 相談の電話。地域外の方である。
相手は 家人のいない時でないと電話できない事もあって「今晩に」と約束した。

少し早目に施設に向かった。
母はソファーに寝入っていたが 直ぐに目を覚ました。
トイレ誘導して「大」「小」排出。
昨日に続き 程よい感じ。
食事前でホッとした。
デイサービスに行く準備をして連絡帳に書き込みをした。
明日のデイでは ファミレスにおでかけの予定みたいだった。

昼食介助。
豚ひき肉といり卵とほうれん草の胡麻和えがお皿に載っていた。
3色丼のイメージだ。
この所 豚肉というとこちらが身構えてしまう。
必ず駄目ではないのだろうけれど…。
ご飯と豚肉といり卵を少し少なめにした。
それでも今日はゆっくりペースとなった。

食後直ぐ療法士さんが見えて 慌ててリハに入って戴く。
先に支度しておいたので何とかセーフ。
母は直ぐに寝入ってしまった。
リハが済んでも寝入っていたので ご家族が見えている方の居室を訪問。
少し話し込んでいたら 訪問介護の時間となった。
寝ているので二人体制で介助に…とお二人で見えるようすだった。

慌てて居室に戻り寝入っている母を起こしてトイレ誘導した。
二人で見えて驚かれてしまった。
仕事としての介護は安全第一だろうし 家族の介護は踏ん張り。

ただただ踏ん張るのではない。本人の気持ちにより深く寄り添って…。
今の訪問介護の体制では 介助する人がくるくる変わる。
これまで面会中はこちらで対応できていたので 日中の介護は私流で母にも良かった。だが 職員にお任せする事で 母に不安が生まれているように感じる。人により介助が異なる。その変化が母には不具合が生まれているように思える。

これが 在宅の方が零していた「ヘルパーさんの端境期に困る現象」なんだなと感じた。施設に暮らしながらこういうことが起きるなんて考えもしなかった。

この所 どうにも割り切れない事がいっぱいで…。
他のご家族の中には「職員もいろいろ大変で…」と同情する方もいる。
だが 大変なのは職員ではなく 入所している本人なのだ。
職員のいない場所で零すご家族のことばは「殺風景な施設になりました」である。
あっ いかんいかん エスカレートしてしまう。

今は母にとってベストな状態を作るために何をなすべきか冷静に考えなくては遺憾のだった。施設の事を言っている時ではない。

訪問介護が終わる頃母が「おかちゃん」を連発したので そばに行って「出るの?」と聞いたら頷いた。
そんな訳で 職員からバトンタッチして介助に廻った。
予告通りに柔らかめの「大」を排出。
職員は きちんと訪問できたのだから OK。
後は母の意志を尊重させて貰った。

母は今 不安な状態が強まっていると思う。
ギュッと抱きしめると「ウェーン」と泣いてしがみつく事が多くなっている。
言葉に出来ない分 出来る限る汲み取る事で母の支えになるしか方策がない。。。。

施設に5時間半。
夕食の支度や相談の電話も入るので テレビに見入る母に察せられないように施設を後にした。
面会に見えていたご家族が そうっとカバーに廻ってくださった。
ありがたいことである。


2009年07月07日(火) たなばた


 介護者の会なので気持ち早めに母のところに向かった。
施設の駐車場にデイに出かける入所者と送るために職員が立ち会っていた。
「今朝 目覚めなくて 何とか投薬とアロエだけは服用して貰っています」と職員。

施設内に入ると 母はニコニコ笑顔で迎えてくれた。
これが 職員のいう「ひと眠りすると復活します」と言う事なのだろう。
「この笑顔…」と思ってトイレ誘導。
「小」に続いて「大」を排出。これでひとあんしん。

その後洗面台の前で頭皮マッサージ。
今日は入浴の日なので先にマッサージをしておくと洗髪も楽だろうと思う。
入浴後の着替えを準備して浴室に運んでおいた。

ホールで声がしたので移動して昼食。
今日は そうめん。きっと七夕そうめんだわ。
揚げ茄子の煮びたしとかぼちゃの煮つけと水羊羹。
朝食抜きに近い形だったのでお昼は食べた。
でも抜いた割には 食べ始めの具合はいつものペース。
確実に摂食障害があるということだろう。
1時間ちょっとで食べ終えた。昼食の前に水分摂取のためゼリーを1個食している。更に昼食でも 冷たいゼリーを1個追加している。
施設で準備してくれたお茶もしっかり飲んでいる。

食後口腔ケア。
入れ歯を外して ブラシで舌をごしごし。更に歯茎をゴシゴシ。
口の中は綺麗さっぱりとした。
会があるので 後の入浴は職員に依頼して自転車を飛ばして会場まで。

今日は 新しい方が3名見えた。
そのうち1人は 昨夜の電話をくださったかた。
もう1人は 娘さんがメールで問い合わせが来て数回やり取りして その後先日のイヴェントに様子を見に見えた方。
そしてもう1人は 地域の医師からの紹介で見えた。

他に介護者の心理を学んで居られる院生が2名見えた。

介護の様子は 様々。
母のような状態の方もいるし その前の段階のかたもおいでだ。
さらには 認知症未満と言う方も…。
それでも 皆さん尽きる事ないお話があった。
病のため 暫くお休みしておられた方も見えた。
皆さんのお話を伺いながら 力を戴いている自分もいる。


2009年07月06日(月) むむむむ!


朝 訪問活動をしている利用者さんから電話を戴いた。
「お盆の混雑を避けてお寺に行きたい」ということで今日がその日。
昨夜から腰が痛み 今朝になっても取れないので別の日にして欲しいというお話だった。

思いもかけずぽっかり空いた時間が プレゼントのように思えた。
あれもこれもできるような気持ちになるが 半端なくとっ散らかっているのだから1日で終わるはずもなくて…。
片付けの優先順位1番の母の定期預金の解約することにした。
先だって 電話で問い合わせて確認済み。
必要な書類を纏めていたので1回で用事は済む。

過去に苦い経験がある。
窓口で一時間以上すったもんだしたことがある。
一時的には解決したけれど 積立金や定期は解約できなかった。
積み立ては 口座引き落としだから足りなくなれば自然に消滅しますから…と言って取り合って貰えなかった。本人を連れてこないと無理と言う訳。
以前にも書いたが 母の口座は私が作り。サービス利用もまだ年金額を下回る時だったので 余剰金は積み立てに回し 満期で定期にした。

これまでマイナスで処理されてきたので貸付金が取られている。
窓口でのすったもんだを思うとマイナスも仕方ないと銀行に行かなかった。
以前は とても高慢な態度の銀行の対応だったが 今回は異なった。
きちんと説明くださり 解約後「ご迷惑をお掛けしました」とお詫びしてくれた。
それでも不満は残るのだが…。
親のお金を搾取する人もいるので そのために必要な事だったと理解はしているが それでも ねぇ。
きっと 私のような人結構いらしたのだと想像している。
もっと積極的に申し入れした人がいるのだとも想像している。

銀行に出向く前に電話が入った。
介護者の会に参加したいという電話だった。
先日 アラジンから「はなさんの地域の介護者から相談があったので会を紹介しました」と言われていた。 その方からの電話だった。

お話を伺いながら あちこちの病院を廻っているにも関わらず「介護者の会」の存在を教えてくれる人はいなかったようだ。
医師に「介護者であるあなたが 本人を不安にさせてはいけません。支えて上げなさい。散歩や旅行に積極的に連れ出しなさい」と言われたそうだ。
公立の病院の医師だと言う。それも極最近。
介護者の会の存在を知っており 必要性も認めている精神科医にもセカンドオピニオンで通院したようだが 介護者の会の紹介はなかったようだ。

また 知り合いに話してもスルーされて 解決策が見つからなかったとも。
ケアマネ(名前を存じ上げているケアマネ)も判らない事ができて電話すると
「またですか?」と言われたそうだ。
ネットに詳しい友人が あちこち紹介くれたけれど 知りたいと思う情報のサイトはなかったという。

専門職ではない 福祉系の職場にいた方が結構介護者に寄り添ってくださったと言う事だった。

お話をしていたら「こんなにスパッと自分の気持ちを理解していただけるなんて…」と電話の向こうで感動なさっていた。
私が特別優れているのではない。
介護者なら 誰でも感じていることばかりのお話だ。
「やっと気持ちが 楽になれました」ということで 明日の介護者の会にお見えになるそうだ。

一時間近い長い電話となった。
介護者支援が謳われていても 実際に介護者に寄り添ってくれる動きは鈍いのだなぁ。
地域に住みながら随分遠回りでたどり着いたのだなぁ。むむむむ!


2009年07月05日(日) 掴まれた腕


 凄い力だった。
散歩の後 母の様子を見守りながら 居室で片づけをしていた。
ロッカーの中を片付け母のそばに行って話しかけ トイレ掃除しては母のそばに行く…そんな風に居室で過ごしていた。
今日の母は 感情失禁があるようで時折 涙ぐむ。
何処か調子が悪い所があるのかなと感じてはいたのだが…。
洗面台に行こうと立ち上がり母に背中を見せた途端 左腕をがっちり掴まれた。「私を置いていくな」という強い意志を感じた。
散歩後は日がそろそろと西に傾き始める頃である。
置いていかれる時を察知しているように思えるのだ。
こんな時は心の内側で「ごめん」と謝る。
でも 母に向かっては「大丈夫 まだいるからね」と話しかける。
嘘つきな私。

施設に着いた時「はなさぁ〜ん」と通り向こうから呼ぶ声が聴こえた。
この辺りで私の名前を呼ぶ人に心当たりはないので「気のせいかな」と思ったのだが…。声のしたほうを見てみるとご家族だった。
「あれ 今日は車椅子に乗ってお出かけできるくらい元気になられたのだ」と嬉しくなった。が 車椅子の人はふくよかで 本人ではなかった。
なかなかお散歩に行けない方を散歩に連れ出してあげていたのだった。
このご家族は昨夜から 施設に一泊なさった様子だ。
いろいろの試練がある。乗り越えるための道のりなんだろうなぁ。

昨日朝日新聞に 宮司と精神科医をつとめる方のお話が載っていた。
最後のほうにターミナルケアの事が記されていた。
関係者それぞれの死生観が異なっていても ケアする者が死に行く者の死生観を尊重する立場で関わるならば、両者のはざまに「生きた死生観」が立ち現れ より「豊かな死」がもたらせるかもしれないー。とあった。

頭の隅っこにふかぁく仕舞い込んだ。

母はホールに1人 ソファーで腰を90度に折って 頭をまっすぐ前に降ろして
深く寝入っていた。
幾度呼んでも目覚めなかった。暫くして目覚めて「ぐふふ」と笑顔を見せてくれた。立位介助したが長く座っていたのだろう腰がずっしり重たかったし安定に欠いた。肩を抱いて居室に入った。
「大」「小」排出。
その後 昼食誘導し食事介助。
野菜カレーとキャベツのミモザサラダ トマトの代わりに赤いミニゼリー。福神漬けとラッキョウ。ピーチの缶詰 卵スープ もう1つあったような気もするが…。
全量食べきった。1時間半に少し足りないくらい。
後半はラッキョウを丸ごと1個口に運んだ。暫くころころと口の中で転がしていた。冷たいゼリーを食べて貰ったり 柔らかな人参を食べて貰ったりして噛んでいるうちにラッキョウは咀嚼されて 食道へと下がっていった。

日曜恒例のNHKののど自慢。
この時間は 施設の審査委員長と共に見ている。
最近は ベットで寝たきりの方が 居室のテレビを観ながら審査員として参加する。男性なので 女性に甘い。
みんなで大笑いするので母もつられて笑っている。
共通のことで沸く笑いって 楽しい風景。

食後 「今日の訪問介護はありませんので 有料で対応します」と職員が言われた。つまり 外出OKということか。
いろいろの思いが残るが ありがたく母と私の有益な時間として使わせていただく。今日の散歩 良く踏ん張った。
結構スタスタと。ただ 後半はバランスを取るのが大変になったようだ。

「きょうね… ほにゃらら」きょうねの後が続かないのだ。
でもはっきりと 今日の事を話そうとした事だけは伝わってきた。
外出効果だなぁ。

「夕刻には 家に戻れると思う」と言って仕事に出かけた夫なので 急いで家路に着いた。至らぬ妻なのに 母の介護で更に夫を放置している。
早目に帰宅するってわかって 用事もない時は夕餉のかおりを立てて出迎えてあげたいものね。


2009年07月04日(土) ジレンマ


 午後の訪問介護が邪魔。
排泄誘導は 母のサインできちんと介助できている。
在宅で独り暮らしなら できている事に介助は不要だからプランから外す事ができる。
けれど 施設だと訪問介護の料金が経営の命となるので施設にあわせるようにしなければならない。
「訪問介護に入ったことにして下さっていいですから」と申し出てはいるのだが…それもなかなか難しい様子。
断れば 職員の給与(特にパートさん)が減額になってしまうかもしれないのだ。

午後一時半や二時は 母と外出して気分転換を図るのに良い時間である。
この時間に 訪問介護が入る。
外に出る事の気分転換が一番なのに それができない。
だから 今日も 居室に寝転んで寝返りの練習。
母も痛いものだから「ギャーッ」って叫んだ。
怪我をするものではないけれど「なにやってんだ私」と反省するばかり。
それでも嬉しい事もあった。
トイレで手すりに掴まっても自力で立つ事を諦め気味の母だったのだが…。
「自分で立つように頑張ろう」と言ったら 手すりに手を伸ばして自力で腰を上げてくれた。私の介助はバランスを崩した時直ぐに助けられるように腰に軽く手を当てるだけで済んだ。
言葉は もう限りなくゼロに近いのだが 通じていて何とか答えようと踏ん張っている母の様子が嬉しかった。

3時過ぎに施設を後にしたが おやつの様子も水分補給の様子もなかった。
ないかも知れないことを前提にして 水道の水を飲んで貰った。
今日は「小」の出が少ないことが 気になっている。
口腔ケアの時にも 綺麗にした後で少し水を飲んでもらったのだが…。
ゼリー等は施設の冷蔵庫に保管して貰っているが お茶持参は必須と言う事だろう。

食事には 相変わらず時間を要している。
今日は 豚肉とご飯一口ずつ残した。
一時間半の間 ゆっくりペースで踏ん張ったのであと一口は 残してもいいかなと思った。
量を減らして時間短縮するか はたまた刻み食導入か 迷いはある。
今は 量を減らして短縮を図り 間食で補うほうがベストかなと思うのであるが…。食べる楽しみを優先してあげたいなぁ。


2009年07月03日(金) 引き出す


お弁当を作って母の所に出かけた。
母はソファーでzzzz。
名前を何回か呼んでいたら入所者の方が見えて話しかけた。
確か「たいへんね」だったと思う。
すると母は顔をあげて 私を見てまた頭を下げて目を閉じた。

職員が「今朝 緩めに中等量ありました」と言われた。
「立つよ」と両手で介助。ちょっぴり情けない顔。
腰も重そうなので 肩を抱いて母の力を引き出しながら立位。
「頑張ったね」と言ったら頷いていた。

姿勢を直して居室に歩く。
其のままトイレ誘導。「小」「大」結構な量だった。
お腹に薄荷油を少し塗ってあげた。
それから椅子に座ってもらって休息。
その間にお掃除と後始末。

その後 デイサービスのお便りをチェックした。
「デイは楽しい?」と聞くと反応がない。
「判らない?」と聞くと頷いた。
今日の母は 聞かれていること言われていることが理解できないという反応が多かった。
少し前なら 不安そうな表情をしたものだが…今はあまり表情を変えない。
後になって気がついたが 母は不安だったのだ。
ギュッと抱きしめるとウオンウオンと涙を零していた。
今日が 泣く事でしか表現できなかったかもしれない。
こちらも少し込み上げるものがあった。

昼食が始まった。
今日は ゼリー寄せを作ってきたので食べて貰った。
施設の食事外では 冷たいゼリーも加えた。
これ等を全部食べ終えた。
噛むのだけれど 母のこれまでのようにしっかり噛まずに飲み込んでしまっている。喉を通過する時にウッとつまらせ目がウルウル。
だんだん慣れてくるとちゃんと噛めるようになるのだが それでも母にしては噛みが足らないと感じた。
冷たいゼリーは 刺激を与えるようで ゼリーの後は良く噛む。

1時間強の時間がかかった。
途中母は腰を浮かせた。「若しかして…」と思ったらトイレに誘導したらパットが濡れていた。
でも我慢していたのだ。我慢する事と食べる事とふたつの課題を持って食事するってしんどかっただろうな。

食後口腔ケア。
ちょこっと畳に横になって貰って 体位を変えてみたりうつぶせになってもらったりした。母はちょっと辛かったと思う。
でも 機能維持のため 仕方ないんだよね。

昨日も介護者の仲間と話したが できないと放置する事とできないことを無理強いしない事とは意味合いが違うよねと言う話題となった。難しい判断だけれど 大事な事だと思う。 

その後 ホールでは七夕祭り。
とはいっても デイに出かけている方も多い。
職員の作ってくれた三色ゼリーをおやつにみんなで食べた。
記念写真を撮っておしまい。
月に一度の訪問介護シフトが外される日。
なぜ こういう日ができるのかは判らないのだが…。
ただ 食事風景はゆったりモードだったかな?


2009年07月02日(木) 今日の失敗 しっぱい!


この所 失敗の連続である。

午後打ち合わせの予定。
その前に ある集まりの会場の予約の仕事を引き受けた。
会場予約をする所は打ち合わせの場所とはとは逆の方向。
書類は受け取っているので 現地に赴いて予約するだけのことである。
初めてのところなので 昨夜のうちに 場所確認をした。
また 移動や手続きの時間も予測をたてて おおよその時間配分はしていた。

所が…。
家を出て 電車に乗ってから携帯電話を忘れてきた事に気がついた。
「母が1日無事であるように…」と願い 万が一の連絡は公衆電話でキーマンにと思った。
けれど 相手の連絡先は全て携帯に入力されていることに気がついてゾッとした。「アクシデントのなきように…」と願いながら…。

会場予約の場所までの 道順は覚えていない。でも大体の方向は予測がつくのでトットコトットコ。
「このあたり…」と思うのだが 立ち並ぶビル街でどの建物か「?」
道行く人に聞きながら ようやくたどり着いた。
登録や予約は順調に進み役目を終えて外に出た。
後は駅に向かってトットコトットコ。
11時04分の電車に乗れば充分間に合う。
時間内に駅に着いて電車に乗った。

電車の遅れは多少あったが ゆとりを持って打ち合わせの場所の最寄り駅に着いた。
数回来ているので 場所の記憶は残っている。
ところが どうも様子がイメージと違う。
降車駅を間違えたかと駅名を確認。間違っていない。
昨夜 地図で確認しておこうと思っていたのだが 何回か出かけた記憶があるからと省略したことの失敗である。

自力で予測をたててスタスタ歩く。
がどうも様子が違う。交番で聞いて また歩き出す。
「え〜こんなに歩かなかったなぁ」と思いながら…。
途中 公衆電話を見つけ電話をかけた。「話中」 「…!!」
更に歩いて また公衆電話。
ようやく繋がって 今度は駅まで逆戻り。

無駄にする事15分ちょい。やっと待ち合わせ場所に到着。
今日もまた昼食抜きとなった。

出口を間違えて 記憶も辿れないなんて…。がっくりこん。
その上 どちらの出口からでも同じ距離の場所だった。
帰り道に気がついたのだが 場所を聞いた交番の裏手に建物はあった。頭が相当固くなっているんじゃないかな?
もう少し 自由自在の発想をしなくちゃね。
いや 事前準備の手を抜かない事が一番か。
地図を見ても場所にたどり着けなくなったら…要検査って事。

携帯は 渋々 娘に持たされたのだが いまやかなり携帯に依存しているのだなぁ。

久々に 早い時間に家に戻れた。
受信メールに ようやく返信。
企画書と報告書を纏めて ようやく肩の荷がおりた感じがする。


2009年07月01日(水) 緊張と緩みのバランス


雨がしとしと降っていた。
あちゃ 今日は午後予定が入っている。
母の食事介助と明日のデイサービスの準備がある。

夫を送り出して そそくさと出かける準備。
洗濯は 昨日の分が乾いていないので放棄。

出掛けに迷った末 ヒールを履いた。
外に出てみると雨がやんでいた。
しめしめ 時間短縮には自転車が1番。
荷物を籠にいれてヒールを履いて自転車に乗って母の所に向かった。この数年 滅多な事がない限りスニーカー。
でも 先日 娘から「ヒールを履いたらGパンでもおしゃれ着になるから」と言われたので ちょいと挑戦してみたのだ。
「なんだ そんなの挑戦でもなんでもない」と言われそうだけれど…。
足が すっかり スニーカー向きに仕上がってしまっているのだ。

施設に着くと母は深く寝入っていた。
昼食には 少し時間があるので居室に誘導しトイレ介助。
座った途端「小」よかったよかった。「大」も少量。

それから居室の椅子に座ってもらって トイレの片付け。
この間に母は眠ることなく おしゃべりしていた。
その後 デイの支度。
連絡帳に記入して終了。
食べる前に 持参した飲み物で水分補給。
とろみも入っていないが 上手に飲めて ゴクリ!ゴクリ!と自分のペースで。

配膳は未だだったので ゆっくりペースでホール内を手引き歩行。
そしてテーブルに着いた。
今日は 五目チラシと煮なすのずんだ和えと青梗菜の煮びたしと春雨の酢の物と大根の味噌汁。
煮茄子のずんだ和えは母の好物。一口運んで上げたら「にんまり」
家で作るのは茄子は蒸かすか茹でる。その上に濃い目に味付けしたずんだをのせる。
少し違っても ふるさとの薫りが漂ったのだろう。
茄子は順調だったが チラシはなかなか飲み込まない。
時間も気になって…。
ちょっと飲み物を上げたら噛み始めたので 「これは…」と思って冷蔵庫から冷たいゼリーを取り出して口に運んでみた。
冷たさが 口腔を刺激して動くようになると言う事はちょこっと聞きかじっていたので お試しだった。
噛まなくなったら 冷たいゼリーを運んで…。何とかスムースに食べられるようになった。
味のちゃんぽんは 母にとって良くないだろうと思うのだが 今日は窮余の策。
電車の時間ぎりぎりまで介助して あと一息のところで職員に託した。
今日はリハビリの日でもあるので 居室に準備して 片付けは職員にお願いしてスタコラサッサと自転車に乗って駅まで走った。
雨の予報が外れていて助かった。

自分の昼食はすっ飛ばして 会場に着くとまだ前の方がお話中でセーフ。
それから ちょこっとお話。
みんなとあれこれ話して 終了。
介護者の役に立ちたいと学ばれる方々である。
介護者支援は 必要な人にとっては大きな支えになる。
介護中の方もいらして 施設のことであれこれと。
施設側の説明責任って何処まであるのか 難しい所である。
介護者もいろいろ学んで 施設側と本人を支えるために必要なことを話す事が基本だろう。でも やっぱり 本人や家族に納得のできる説明をする責任は施設にはある筈だ。
噛み砕いてきちんと説明すべきだと思う。

用事が済んで ラッシュが始まるころの電車に乗って帰宅。
雨に遭わないで帰ってこられて嬉しい。

しかし ピンヒールを履いた足の痛いこと。
気持ちも洋服も履物も ゆったりが心地よい。
でも 緩めすぎると良くないだろう。
たまには 痛みに耐えることも大事…何事も自分のため。


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