母のタイムスリップ日記
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2008年12月31日(水) 星空を仰いでも 寒くない


積み残した仕事を数えるよりも こなせたことに感謝して母の所に向かった。

施設の食事は済んでおり 家に戻られた方もぽつぽつ。
施設内は ひっそりとしていた。
ひところは 大晦日は結構にぎやかでホールに集っていたものだが...。

いつものごとく早々にベットに戻られていた。

もう日も落ちたので コートを羽織って家に戻った。
今年は 夫も協力してくれて 家に入れた。

バリバリのバリア有りで 母も大変かと思うが 大きく変わることなく落ち着いていた。言葉も飛び出し 反応もとてもよかった。

大急ぎで 年越しそばを作った。
そばは ふるさとの末弟に送ってもらった。
母を迎えに出る前に弟から電話があった。
暮れに電話をくれるなんて 15.6年ぶりかな?

鳥蕎麦と盛り蕎麦。
母にも温かい蕎麦を準備。
「箸は器用に持てるのだね。自分よりずっと上手だ」と夫は母を褒めていた。でも 自分で食べるのは 殆ど出来ない。
それでも 口に入った瞬間 にっこり。美味しかったみたい。
食べなれている蕎麦だから...。

今日は 家に戻ったと判るようだった。
今日から 暫く我が家で暮す。

夜は10時過ぎまで夫にプリンやみかんを食べさせて貰ったりしていた。
お正月くらい そうやって触れ合ってもらおう。
うまく出来るかわからないけれど...。

とてもあったかな大晦日である。

さてさて 今年も拙い日記をお読みくださりありがとうございました。
メールでのお便りも戴き 感謝いたします。
来年もよろしくお願い申し上げます。 


2008年12月30日(火) あと1日 何とか穏やかに...

朝 1番に出遅れたお歳暮を発送した。

戻って郵便受けを見たら ふるさとの友人から 封書が届いてた。
それも 勤め先の封書。
「へぇ〜 私信に使うんだなぁ〜」と思いながら 開けてみたら...。
初夏に送った 落花生の育っていく途中と収穫の時の写真が入っており 遅くなってしまいましたが...とびっしりとお礼の文が書いてあった。
出遅れは 私の専売特許と思っていたが 彼女も年末まで追われていたんだろうなぁ〜。

そういえば 逢っていても夜間 園児の親から電話が来るかもしれないと携帯を離さなかった。
落花生を送ったのも「ここに何かを植えたいけれど...」と話されていて 「育つ過程と収穫の面白さで子供の興味引くかも知れないから 戻ったら送るね」と経緯があった。
もう すっかり忘れてしまってたけれど 彼女は気に留めていてくれたんだなぁ〜。

落花生を持ち上げている子供の写真 歓声が聴こえるようだった。

夫が今日から年末年始休暇に入った。
腰が痛いということで テレビの前で1日ごろごろ。
今日明日でやるという仕事があったのだったけれど もうすっかり飛んでしまっているだろう。
言葉といえば 「ご飯」と「お茶」
リップサービスで「なんか買い物してこようか」とは言ってくれるけれど 一歩も外に出なかった。

し残した作業があったことを思い出して パソコンを打った。
少し手を付けていたのだけれど...思いのほかに進んでいなくて手間取ってしまった。
明日再点検して完成かなぁ〜。

昼食後 おせちをまた少し仕込んだ。
それから 菜園に出た。
かなり 放置しているのでどうなっているか不安だった。
寒風の中 ほうれん草は見事に育っていた。
春菊もそれほど育っていなくて お正月に使う分を収穫できた。
葱やらルッコラやら蕪やら大根を収穫して戻った。
直ぐに使えるように枯れたところを除いて新聞紙に包んだ。

それから 大急ぎで夕食の支度をして5時半には 夕食。
家族もびっくり「はやいね」

後片付けを済ませて 買い物に出て お正月のものを買い足した。
お花もようやく揃った。

今年も明日で終わり。
気持ちが焦せり やたらととげとげしているけれど 終わりよければ全てよし...何とか穏やかに新しい年を迎えたい。


2008年12月29日(月) 友人と待ち合わせ...


 掃除 掃除...。
一応 キッチンとリビングを除きお掃除を済ませた。
達成感なし。かなり手抜きだから仕方ない。

先週に 北海道から友人が来ている。
夕方までに 何とか掃除するから...と4時に待ち合わせた。

一年ぶりの再会。
ゆっくりと食事して 珈琲を飲んであれこれ話した。

友人 来年あたり 北海道を引き上げてくるかも...と話していた。
そうそう 待ち合わせの場所に かなり遅れて着いたのだけれど...。
その時 友人は隣に座っている方とお話していた。
奇遇なのだが その方80歳になる方で 札幌からこちらに移って来たばかりという方だったらしいのだ。
待ち合わせの場所が 本当にこの場所なのかが不安で友人に尋ねたと言う事だった。
「80歳になって こちらに移り住みこうやって独りで歩けるってお元気だよね」という話になった。
「私たちも そういう80歳になれたらいいね」
「若者から見れば 私たちはおばちゃんだけれど...。でも 考えれば まだ若いんだよね」なんて事を話して笑った。

友人は お正月もこちらで過すのだが 私は 母を呼ぶので自由に動けないので暮れに...。

せわしい毎日だけれど 優雅な時を得て 力を得た。
でも ちょっぴり腕が痛い。

ついさっき ようやく年賀状を書き上げて ポストまで走った。
あと二日。
ぽつぽつと 御節の下ごしらえも始めている。
明日からは 御節の事が多くなってくるだろう。


2008年12月28日(日) 受け止めて貰えたらなあ〜

朝 夫を送り出して トットコお掃除。
それも かなりざっくり。
網戸なんて外さないで 掃除。
玄関もはたきを掛けて ドアやロッカーや靴箱等の扉を拭いて...。
靴箱の中 ロッカーの中の整理をしておけば良かったって 後で後悔すると思うのだ。でも まいいやぁ〜。

朝と昼食と兼ねて食事をしてから 母の所に出かけた。
12時を廻ったところだったけれど 昼食の片付けも済んでいた。
母の食欲がある時でも ここまで早く食べ終える事はないのだが...。

目が合って 荷物を置いたりしている間に 幾度も立ち上がろうとしていた。職員が傍を通り何か話しかけていた。
そばに行き 立ち上がり介助をするために手を伸ばすと 臭った。
そうか そういうことで立ち上がろうとしていたんだね。

直ぐにトイレ誘導。
緩めで多量だったので 結構手間取った。
一昨日 右に引っかき傷があって「仕方ないな」と思っていたけれど 今日は 右側に小さなあざ。
おそらく オムツ替えの時なんだよね。
綺麗さっぱりしたところで 居室の椅子に座って貰う。
それから 車椅子の方をお部屋に入って貰って 一緒に過した。

おしゃべりしたり 唄ったり...。
一時間余 楽しく過せた。
「疲れないですか?」とお聞きすると「疲れない」とニコニコ。
言葉を交わすたびに笑顔を見せてくれ しっかりとお話してくれた。
髪の毛を梳かして 顔を拭いてクリームを塗って差し上げたら「ありがとう」と言われた。
きつい顔は一度も無かった。
母にみかんを上げる時 その方にもほんの少し分けてあげた。
暫く様子を見ていたが 噎せも無かった。
その後 舌に苔が出来ているので 新しいガーゼでふき取って差し上げた。勿論 手も綺麗に消毒してから...。
この方は 嫌がらないので 良かった。
母は とても嫌がるので ガーゼで拭く事は難しい。
まだ 辛うじて漱げるので助かっている。

母は時折腹痛が来るようで 辛そうな表情を見せた。
緩めで出てしまったことにもショックがあるように見えた。
もう少し 早く来てれば良かったのだわ。すまないことです。

認知症の人でも排泄の瞬間はわかるし その瞬間「あ〜っ!」て思うのだろうことは 母だけでないと感じている。
だから 例え空振りでも「出る」の声には 耳を傾けて貰えたらなぁ〜って思う。 自分ではどうにも出来ないのだから...。


2008年12月27日(土) 勿体無い


せかせかとそしてイライラと1日が過ぎた。
今年も残り僅かなのに なんと勿体無い事をしてしまったなぁ〜。

毎年 そうならないように...と思うのだけれど 直りませぬ。





2008年12月26日(金) 心豊かに...♪


午後 母の所に出かけた。
母は「やぁ〜」という風に手を上げてた。

荷物を置いて トイレ誘導。
「ワッ」と泣きながら「…助かるぅ〜」と言った。
耳を疑ったが 確かにそう言った。
パンツは小がたっぷりだった。

母がお腹を押えているので お腹をマッサージしたら「大」少量排出。
緩めだが これでよい。

母と居室でゆっくり過ごそうとしたら 入所者のご家族が挨拶に見えたので「良かったらご一緒に...」と誘った。
母の部屋へ車椅子を押して見えた。
最近 体調不良で ベットで寝ている時間が長く まどろんでいる事が多いのだが 今日はすっきりとした表情だった。
「家族効果」とでも言うのだろうか?
「嬉しいわね」と言ったら「うん 嬉しい」とニコニコ。
横になっている事が多いので 手に刺激が行くように柔らかなボールを1個差し上げてた。
居室に見えた時 別のくにゃくにゃボールを両手に握って貰ったら ギュッギュッと握られ その度にボールが動くのが見て取れた。
「あ〜 こういうことなのですね」とご家族は気がついた様子だった。
「それとじゃんけんがお好きな方なので グー チョキ パー を出してみるのもいいかも」と伝えた。
グーが出せたら グーを出そうと考えた結果の動作なのである。
意識が薄いと グーも出せない。
「あ そういうことですね」と受け止めてくださった。

何をしてあげれば良いのか判らなくて ただただ傍で過されるご家族だった。そして 帰路 落ちた能力を嘆いて涙を零して歩くのだそうだ。
そのお話を伺ってから 出来る限りわかる範囲で遊べる手段を伝えるようにしている。
一人子で育ち 何でもお母様がしてくださり お母様にして差し上げる事が出来ないのだそうだ。
ほんとうに いろんな方がおいでである。

でもいろんな事が判ってくると 何をしてあげれば良いのかみえてくるようだったし 気持ちが落ち込むことも少なくなったきたと話された。

「歌が好きだったから...」と歌を唄ってくださった。
ご本人も歌われていた。
「お母様は歌は?」と聴かれた。
この方が入所なさった頃には 母の歌声が消え始めた頃だった。
だから 歌が大好きな母を知らないのだ。
そうそう 母が言葉を発したと驚かれたりもした。

母は 私の隣に座してじっと話に耳を傾け ニコニコしたり 俯いたりだった。

暫くして お部屋に戻られた。

家から和紙の折り紙を持参したので 折り紙を折った。
折り鶴を台紙に貼り 飾りを作った。
それを個々のお部屋の入り口に貼り付けた。
折り鶴は ご家族にも折って戴いた。
職員もお手伝いしてくださった。
「はい 折ってください。先ずは三角に折って」と母に向かって職員さんが話した。
すると折り方も忘れている母の手が僅かに動いた。
作ろうとする意志を感じた。
結局折れはしなかったけれど...。
諦めないで 言葉を掛ける事がやっぱり大事だなぁ〜。

歩行も落ち着いており 施設内歩行をした。

夕刻 母と居室で賛美歌を唄った。
その時「わかった」といった。
賛美歌を口ずさむ事は無かったけれど でも届いているのだと感じた。
母の目には 涙が溜まっていた。
これも母との約束だ。
「自分にとって大切なものを失いたくない」と母は言っていたのだ。

ホールに出て テーブルに着いたところで そうっと施設を後にした。


2008年12月25日(木) クリスマスと賀状

 いよいよ 今年もカウントダウンの時期となった。
家の中のことは ボチボチと取り組んでいるが まだまだ。

今年こそ 不用品は一掃しようと思っていたけれど 結局手付かず状態となってしまった。
今年は スリムには なれなかった。
不用品を有効に活用すれば 不用品ではなくなる筈なのだが...それすらも出来なくて…。

来年に廻す事を考える前に出来るところまで踏ん張っていかねばと念じて作業するしかない。

我が家のクリスマスは 23日だった。
娘が作ってくれた。
ケーキやらチョコやら。そして夫に私にプレゼントを手に帰宅した。
私には 思わぬ大物。
ちょっと申し訳ない気分になるけれど ありがたく頂戴した。
夫には カメラバック。
カメラだけひたすら集めている夫に「ちゃんと撮ってこそのカメラでしょ」と言いたかったと思う。
でも 伝わるかなぁ 娘の気持ち。
私には ちゃんとおしゃれしないと...という娘の気持ちなのだろう。

イブには ローストチキンを焼いたり サラダやスープを作ったのだが 結局 食べたのは 皆 今朝。

皆立て込んでいるので 仕方ない。

今日は 重い腰を上げて 年賀状印刷と宛名書き。
コメントは 明日に廻す。

母の賀状もまだ手付かず。
母の賀状も認知症が始まってからは ふるさとに 賀状の準備して送ったり。
印刷して賀状を送るようになり。
こちらに来てからは 宛名書きのお手伝いが始まった。
母が手書きした一枚を取り込んで印刷したりもしたなぁ〜。
今は 全面代行と認知症の進行に従って変化してきている。

枚数も 大分減って 母の状況を気に掛けて下さる方のみに 母の写真を印刷して ご無沙汰の挨拶にかえている。
昨年は 母の事を気に掛けてくださる友人にも母の写真を使ったり...。

母の信仰のお手本だった方が 今年亡くなられた。
こちらに住み始めても 月に2度は お便りを下さっていた。
あの頃80歳を越えていらしたけれど 本当にまめに心に掛けていただいた。

年の瀬になると ついつい振り返ってしまうなぁ〜。


2008年12月24日(水) 笑う口には...


朝 母が利用できたらいいかなと思うデイサービスに電話してみた。
昨夜 ネットで調べて まだ 全ての曜日で空きがあることを確認した。

いつでもOkで お試しデイもあるということだった。
その情報を施設長にも 先に伝え マップを引き出して施設へ出かけた。

母は ご機嫌で昼食を食べ始めたばかりだった。
最近 母は手に食べ物を持っていても 忘れてしまうようで口に運ぶ事はない。
今日も小指の爪ほど小さくなったパンを持っていた。
「こんなにちっちゃくなって...」と笑っていた。
「ほほう 忘れているわけではないんだな」と判って嬉しかった。

そのくせ パンを持たせても自力では食べない。
だから 少しずつ口に運ぶことになる。
何を見ても笑う 今日の母。
笑う口には よく食べものが入るので助かった。

食後 居室に誘導し 歯磨きとトイレ誘導。
ゆるめの「大」少し。
途中 療法士さんが見えたので 少し待っていただく。

今週 膝の痛みのためカクカクとなっていた事をお話した。
左側の首筋が張っているということだった。
貼っているのは 首だけでなく 肩も腰も同様だった。
やはり庇っているからだということだった。

リハの終わる頃には 寝入っていたのでちょこっと買い物に出た。
戻ってもまだ眠っていたが 程なく目覚めて起きた。

トイレ誘導して ちょっと休息して。
それから おやつを戴く。

今日時間が許せば 母をデイに見学に連れ出そうと思ったが 思いの他眠りが深かったのでやめにした。
冬至が終わったばかりで 日暮れは まだまだ早いから。
そのかわり ホール内を3周した。
足は安定してきているようだ。

今日は それほど気分の変動もなくて笑顔の多い一日だった。


2008年12月23日(火) 足の調子


相変わらず 家人は休日なし。
娘は 仕事が立て込み 会社に泊まっては 戻って 帰りも夜も白む寸前。そんな日が もう随分続いており かなり辛そう。

起きれないのは当たり前で 遅刻許すまじの鬼母ではあるが 声を掛けるのさえ溜めらってしまう。

もう大人なんだから 自分で起きて然るべきだが…。
家からの通勤ゆえ 少し甘くなってしまう。

朝の攻防は 結構しんどい。

午後 母の所に向かった。
果物を2種持っていった。
が着いた時に すでに「大」を背負っていたので…果物も少しだけにしておき 水分を追加。

足の調子は良くなっているとのことだった。
確かに 一昨日より改善されていたが 少し左足を庇っているように見えた。膝カクンは避けられたのだから ほぼ改善されたと見て良いんだと思う。

おやつを戴いてから 散歩に出た。
少し迷ったけれど 近くの散髪屋さんへ向かった。
距離にして 1キロ弱。
大きな通りを渡らねばならない。
予約もなしなので ドキドキ。
ま 空いていたので直ぐに取り掛かって貰った。
今回は シャンプーなしで即カット。しょうがないかと思うけれどちょっと残念。
カット後も流す事も無くて…。
やっぱ そうなっていくのは止むなしなのかなぁ〜。

ちょっとカットが荒っぽい。
母が右見たり左見たり忙しいので これもやむなし。
抑えないでいいというけれど でもやはりもう少し綺麗に…と思うので話しかけながら 少し抑制をした。
嫌がらなかった。
少し短くなったけれど 又伸びるから…いいやぁ〜。
母には すまないと思うけれど...。

今日 母にみかんを持たせたら 皮をむくことも自力で食べる事も無かった。その上 出して戴いたお茶を中身の入った儘重ねてしまいお茶があふれ出る事もあった。
それに類したことは 既に幾度か起きているので そういう状況に入ったことは判っているけれど...。
私の関わりが緩かったのだと反省仕切りである。

ついつい いる間に衣類の整理をしたりしたくて作業に入り そういった失態が起きるべきして起きているのだ。

床屋さんの帰り道 賛美歌を耳元で唄い「頑張ってくれてありがとう♪嬉しいわ♪」と囁いた。
母の目がウルウルとしてきて 涙が零れる寸前だった。
助けられてばかりの毎日だから お礼なんて言われる事もないのだろうし...。介護を受ける身としては すっかり辛いことばかりと思う。
母は 根底で判っていると思うのだ...。
だから ウルウルしてしまうのだろうと思う。
娘にとっては 存在している事自体が ありがたい事なのだからお礼の一つも伝えておきたいもの...。
記憶に留まらないのだから 思った時には何回でも伝えたい。


2008年12月22日(月) 利用者さん同行♪


昨夜は 一晩中 強風が吹き荒れた。
窓がガタガタと震える 時にガツンと風が当たる音もして その度に目覚めた。

今朝まで風は強かった。
外に出ると剪定した枝の端っこや近隣の落ち葉が角々に溜まってた。
急いで掃き集めて 袋に詰め込み 纏めた剪定の枝も門前に出してから 朝食。

でも寒くない。
お墓参りには 塩梅の良い日でよかった。

洗濯物を室内に干して トットコ出かけた。
昨日 娘に臨時収入があって お零れを頂きその代わり領収書に印紙を貼り付けて届ける用もあり少し早目に家を出た。

利用者さん 時間ぴったりに見えて…。
電車に乗って目的のお寺へ。
なじみの花屋さんに立ち寄ってお花を購入するのが決まりと言われるので一つ手前の駅で降りてお花を購入。

それからバスに揺られて…。
お寺は 平岩弓枝さん宅の直ぐ傍だった。
「昔この辺りの通りは今の半分くらいで 荷車が行き来して車なんか通ら無かったし ススキの原だったのよ」
見上げれば ビルが乱立しその陰にぽつんぽつんと家がある位。

90歳になられる方のお話なので 本当に昔々のお話である。
それでも このビルの立ち並ぶ前には 田園風景があったのだと考えただけでも ちょっとほっこりとした気分になれた。

利用者さんの家のお墓の一角は 全て同姓の家ばかり。
遡れば 江戸時代に…。

我が実家も遡れば 江戸時代に行き当たるけれど…。
こんな風じゃないし…。
夫の実家のお墓も結構同姓が多いけれど…ここまでではない。

そそくさとお墓参りを済ませて 帰路に着く。

と簡単に書いてはいるけれど 利用者さんのタフさには驚いてばかり。
駅には エレベーターやエスカレーターもあるのだが 階段をしゃかしゃかと歩いて上り下りなさる。
お寺への参道も 廻ればゆるりとした坂道も有るのに 石段を選ばれて上られるのである。
駅の乗り換えもあり その度に階段を選ばれ 疲れた表情一つ見せなかった。
歩く事を意識しておいでなのだ。

地元に戻って 一緒に昼食。
おすし屋さんへ入った。

利用者さんは 硬いものは避けておいでだ。
施設では 刻み食をお願いしてあるという事だった。
でも 全て刻まれてしまって ほうれん草はミキサーを掛けれているそうだ。コロッケもミキサー…。うどんもミキサーが掛けられ お隣の方のお膳をみて 献立がどういうものかが判るという事だった。
認知もないのだから もう少し個々に対応してくれても良いのになぁ〜とお話を伺いながら思った。
目の前の利用者さん イカを除いてみんな其のまま召し上がれるのである。。.
だから 外のお食事を楽しみになさっているんだなと思った。

そんなお話をしながら食事していたら お隣の席に着かれたご夫婦がいた。気配で「あれっ」と思った。
介護仲間のご夫婦だった。
アルツと診断されて2年余。最近 腰が90度に曲がってしまった方。
「パーキンじゃないかな?」と伝えて 別の病院で診察を受けられて「パーキン」と診断され 障害者の認定を受けられたばかりである。
まだ 自立歩行が出来るので タクシーを使いながら通院なさって居られる。
今日も精神科と眼科の通院をなさっての帰り道という事だった。
椅子に座っていても鼻がテーブルに着くほどだった。
背中を撫でて差し上げたら 向きを変えて深々とお礼してくださった。

外出時 まだお二人で出来ているが…。
体力的に不安を抱えておいでである。
どうか 進行ゆっくりでありますように…と祈らずにはいられない。

利用者さんを母と思われていたので「訪問している方で90歳なんですよ」と伝えた。
介護仲間「お元気で何よりです」と挨拶なさっていらした。

高齢であっても元気で過されておいでの姿に勇気を得て追いでの様子だった。利用者さんもまた 介護中の介護仲間に応援の言葉を送っておいでだった。

昼間は とても暖かだったのに…。
夕方になって冷え込んできた。

きっとこれが 平均なんだろう。


2008年12月21日(日) 施設の行事


施設のクリスマス会。
例年なら 前もってのお手伝いがどの程度必要か伺っておくのだが 今年は3日続けてお休みしたので 何も伺っていない。

初期の頃には 前もっての献立作りもお手伝い 当日も早目に伺って調理の手伝いとあれこれ関わっていた。
皆さん お元気で 気分の盛り上げにも加わって戴いたのだが…。
最近は 重症化していてるためか そういう所まで行っていない。

家族の参加も少なくなってきている。
高齢化の波のせい?
それだけでは ないのだろうけれど…。

施設に着くと 調理室ではワイワイと賑やか。
夜勤あけの男性が 調理室でお手伝いなさっていた。

程なく昼食が始まった。
お弁当持参しているので 母の介助をしながら自分も昼食。
午後にクリスマス会ということで 食事は軽め。

今朝から足首の痛みを訴えているという事を伺ったので 注意深く居室に誘導。
歩き出しは良かったが 途中で膝が左ひざがカクンと曲がり身体のバランスを崩した。
介助しているので 転倒はしないけれど…。
見ていると 頻繁に膝カクンは起きた。
別の職員のお話に寄れば 今朝からこんな調子だそうだ。

椅子に座って貰い 少し足首を廻したり 膝の屈伸をしたり…。
左ひざを伸ばすと「痛い!」という。
3日も休んだのだから こういうことも起きるだろう。
膝に湿布して 持っていた痛み止めを服用して貰った。
職員に確認し まだ残っているとのことだったので 痛がったら服用をお願いした。
もう一つ 気になったのは椅子に座っていると自力で立ち上がろうとする事だった。
普段は 結構注意深いのだが 今は注意力より立ちたいと思った時に直ぐ行動に移してしまう。
そこで 不用意な転倒を避けるため 人気のない時にはソファーに座らせて欲しいとお願いした。

トイレ誘導して「大」を排出できた。

それから顔を拭いて歯磨きをして着替え。
昨日 母の室内用の帽子を購入した。
美容院に連れて行けなかったので 髪隠しである。
それから 少し前に購入した可愛いセーターを着用して貰った。
ズボンもセーターに合うように着替えた。
今日は 暖かで薄着でも十分であった。

乾杯の後 みんなでご馳走を戴く。
母もパクパク ゴクゴク。
暫くして 手品を見せて頂き その後オカリーナの演奏。
家族が職員が盛り上げて みんなが興味を持ちやすいように工夫。
後半は オカリーナに合わせてみんなで合唱。

母も終始ニコニコ笑顔だった。
それぞれにプレゼントを頂き ケーキを戴いて 会は終了。

トイレ誘導しようとして立ち上がってもらおうと両手介助。
ところが 膝に掛けておいたタオルを握ったまま放そうとしない。
最近 時折こういったことが起きる。
気を逸らそうと別の話題を降ってみるが今日は効かない。
そのうちタオルを丸めてセーターの中に入れてしまった。
それならそれでよいので 立ち上がって貰った。
薬が効いたのか 膝カクンは緩和されてた。

トイレでは「小」がお見事。
その後 ホール内をテクテク歩いて貰った。
3回ほど廻ったが 腕を組んでゆっくりと歩いてあげれば 歩けるようになっていた。
歩いていると気持ちも紛れるようであっちにこっちに興味が沸くようだった。完璧というわけではないが 緩和されたことだけは判った。

居室に戻って 普段着に着替えて ホールに移動。
もう 夕食の支度。
食べるのもきっと大変だろう。
職員だって 時間オーバーだよね。

落ち着いた頃に そうっと施設を後にした。
でも外に出て 暫く入所ご家族と立ち話をしていた。

冬至とあって 日の暮れるのは早い。
外は真っ暗となってしまった。
風邪模様も大分楽になり昨日と比べれば 格段の差。

3日間の辛抱の効果あり。
実は 明日は利用者さんのお墓参りに同行予定。
何とかなりそうでホッとしている。


2008年12月20日(土) 植木屋さん


 金木犀の剪定を植木屋さんにお願いしていた。
こればかりは どういう訳かうまく行かない。
「22日に伺います」という事だった。
「留守と思うので勝手に入って剪定願います」とお願いしていた。
この方 本業の植木屋さんなのだけれど 同じ事業所で草取り等のボランティアの登録をなさっている方で 研修会で出合って以来 時折 お願いしている。

春先に茶毒蛾の消毒に入ってくださり 料金のは次の剪定の時でいいと言われてた。

昨晩電話で「土曜日入れそう」と言われてた。
と言う訳で 本日金木犀の剪定が済み 消毒の料金を含めて清算できた。
残る借金は罹りつけ医の今月分の診療費のみ。
「年が明けてからでいいよ」といわれているけれど 出来れば今年のうちに…と思うのだが…。


2008年12月19日(金) 明日の事は あした考えるわ♪

 気になってしょうがないけれど…。
1日家に篭ってじっとしていた。

午後通院のために外出しようとして 依頼されている封書が届いていた事を思い出し 慌てて宛名を書き 通院ついでに投函。

風邪などの時に使利用する診療所は 臨時休診でがっくり。
気を取り直して 別の診療所へ出向いて診察を受けた。
初めてのところ。
直ぐに順番が来て助かった。

あしたの事は あした考えようっと!




 


2008年12月18日(木) だんだんに…


 焦らず のんびり 出来るところまで…と師走の仕事を片付けるつもりだけれど…。
ゴミ出しの関係から 庭木の方を重点的に コツコツと。

外は 暖かいのだけれど…。どうも鼻がグズグズしている…。

日曜日 施設のクリスマス会の予定。
それまで 酷くならないようにしなくちゃ♪

「通院すべし」と夫も娘ものたもうのです。
年末年始に掛けての備えも兼ねて 通院せねばねぇ〜。


2008年12月17日(水) 箸は使えるのになぁ〜


早昼ごはんを食べて 母のところへ。
もう マスク装備。入り口でピューラックスを手にとって…。

昼食が始まったばかりだった。
母は笑ってばかり。
向かい側で食事いている人 職員等をみては あはっと。
怒ったり 不満げだったりするよりもホッとする。
何より 本人が楽し気だから こちらの気持ちも緩む。

母に箸を持たせてスプーンで介助。
相変わらず箸はちゃんと持てて 食べ物を箸で運べるのに 肝心要の自分の口に運べない。 それが 見ていて悔しい。
何とか自力で運んで欲しいところである。
無理なのかなぁ〜。

今日も普通食を残さず食べて 1時間くらいを要した。

それから トイレに誘導して「小」
歯磨きをして リハ体勢。
直ぐに療法士さんが見えてリハ開始。

その間 ちょこちょこと片付けをした。
今日は 居眠りなしでしっかりリハビリ。

その後立位して貰って トイレ誘導。
3日目だという事なので マッサージ。
少し固めのものが普通量排出。
これで一安心。
その後 入浴。
風邪気味なので 今日は職員に介助をお願いした。
何しろ 入浴介助は汗びっしょりとなってしまい 風邪が酷くなりそうだから…。

お風呂から上がった母に洋服を着せたり 頭にドライヤーをかけ 手足の爪を切った。
程なく おやつとなった。
先に 居室で持参した飲み物を飲んで貰っていた。
それから チョコプリンとお茶とスナック菓子。
更に持参した飲み物を追加で飲んで貰って終了。

今日も入所者の一部がデイサービスにお出かけしている。
4名ほどだそうだ。
週に4回利用している人もいると聞いた。

母もデイを希望するけれど こちら側の条件があるので…もう少し後かな?


2008年12月16日(火) 作業


朝から庭に出て カイズカイブキの剪定をした。
今年は 手抜きの剪定だったので なかなか大変。
お隣のお庭に 葉が落ちていかないようにフェンスにシートを掛けて…。

一度に綺麗には出来ないので 気になるところをばっさりばっさり。
後は 時間を見ながら取り組む事にした。

作業が終わる頃から「風邪気味?」という感じ。
午後には 母の所に行く予定だったけれど 取りやめた。

ようやく 沢庵を漬けた。
干し大根をくの字に曲がるまで揉んで…。
塩と糠と昆布と唐辛子で漬け込んだ。
量も少ないので 在庫の塩と糠・こんぶ・とうがらしで間に合った。
ウコンを入れれば 黄色になるとかザラメを入れるとかいろいろあるらしいけれど…求めている味とは違うので…使わなかった。
さて どうなりますか?


2008年12月15日(月) 冬景色


夕方 娘から電話が入った。
「下手をしたら1週間 家に戻れないかも…」という事だった。

「この調子で行くと 12月は 大変なことになるかも…」と夏過ぎる頃に言っていた。その通りで 今週は土日も返上となった。

昨夜は「胃腸風邪かも…」と薬を飲みながら凌いで家に戻ったのが2時近く。
少しだけご飯を食べるように勧めた。
その後 落ち着いていたので 「胃腸風邪」ではなく 疲労ときちんと食事が摂れてないからだなと感じた。

大丈夫とは思うけれど…。
なかなか厳しいなと思う。

そうだ!
今朝 雨戸を開けて 目をぱちくり。
霜で屋根が真っ白!
その上 西の山々も雪を被っていて 驚いてしまった。
例年より早いように感じるのだが ニュースになってないのでそうじゃないのかな?

わっ 菜園の野菜たちどうなっているだろう?


2008年12月14日(日) 施設からデイ通い


家人は 昼前には皆 仕事に出かけた。
午後 母の所に出かけた。
雨が小止みになったのだが 厚い雲に覆われているので用心して テクテク歩いて駅に向かった。

今日の風は冷たい。
この数日 暖かだったので余計寒く感じるのだろう。

少しの飲み物とプリンを購入して施設に着いた。

母はソファーに座っていたが 浮かぬ顔つきである。
チラッと顔をみて視線を外に向けた。
きっと誰なのか判別もついていないといった風。
こういう時は 言葉もはっきりしない。
というか 懸命に話すのだが 日本語ではない。外国語でもない。
おそらく 母自身にさえ 判らない筈だ。
いや 頭で考えている事は有るのだろうけれど…。
こちらは 全く読み取れない…。
同じ言葉で返して質問しようにも 存在しない言語だから お手上げなのである。
心地よい言葉でないことだけは 調子で判る。

そうそう 昔々 ふるさとで一歳になろうかという子が我が家に遊びに来た時のこと。
「区切りとか間とかは 何かを話しているのだが 全く存在しない言葉ということがあった。
その時 母と「この子は おしゃべりしているつもりなんだねぇ〜」としきりに感心したことがある。
あの時と同じ状態なのである。

おそらく 母にとって「わからない日」なんだろうなぁ〜。
不安だけが先行して 機嫌が悪いのだろうと感じた。
こんな時は ギュッとだきしめてあげるしかない。
母は しがみついては顔を確認していた。

居室に誘導しようと立位介助したら臭った。
そうか そうか…。
トイレ誘導した。
後始末をしているうちにまだ残がありそうな気配。
そこで 踏ん張って貰って排出。
お腹が少しキュルといってたので 多少の腹痛もあるのかも。

今日は早朝排泄があったというので 2度目なんだね。

その後手洗い 歯磨きをしてホールに出て おやつ。
また 居室に戻ってプリンと飲み物追加。
水分もおやつのお茶と同分量は飲んだ。

居室のお掃除をして 髪の毛をドライシャンプーして…アロマを炊いて…外の景色を眺めた。
通りを自転車で女の子が走っているのを見つけた母は「ほら あれ」というように目線で話しかけてくる。
「そうね」というと深く頷いていた。

ホール内を一回りして ソファーに座って貰う。
テレビが 講談を映し出していた。
母はじっと見入っていた。
「昔は ラジオに耳をくっつけて聴いたよね」といったら 頷いていた。

少し落ち着いてきていたのだが…やはり 気分は下向き加減である。

そうそう 今日から 入所者の一人がデイに通いだしたらしい。
施設からデイへ…。


2008年12月13日(土) 加速したら…!


溜まった家事かそれとも依頼されている分の準備かと迷った末 パソコンと向き合う方を選んだ。
ていうか そうしないと間に合わなくなりそう。

幸い 家人は皆仕事。
あしたも 仕事みたい。

と言う訳で 残っているもので今日も食事。
昨日の夕食がひとり分減っただけ。

明日の朝で片付く事をひたすら願っている。
予定が読めないので仕方がないのだけれど…。

しかしなぁ〜。
家族の健康とわが身のメタボが少し気になる。
残ったものは ひたすら自分のお腹におさめるしかない。
出来る限り連続は避けたいので ひたすら食べる。
これが メタボを加速するのではないかと気になっている。


2008年12月12日(金) おいっちにぃ おいっちにぃの日だわ♪


利用者さん訪問日。
事業所に連絡して 入所先のお話や今後の事を確認を取って貰えるか聞いてみた。
後半の時間で訪問するとのことで了解が取れた。

訪問すると利用者さん お庭の掃除をなさっていた。
実は 利用者さん 昨日3泊4日の旅行から戻って見えた筈。
無理しないで…と伝えたのだが「大丈夫ですよ」と言われていた。
その言葉通リ お元気なお姿に安心した。

其のまま 活動に入らせて戴く。
生活の基盤を施設へと移されているので そうそう汚れや乱れはない。
締め切った雨戸を開けて窓を開けて 風を取り込み掃除機をかけて 拭き掃除。

半分終えた頃に事業所の方が見えた。
入所してひと月経過したが もう 施設の住所や電話番号等をしっかり記憶なさっていらした。
私だったら きっとメモを見るだろうなぁ〜。
90歳なんだけれど…。素敵だなと感心しきりである。

時間通りに活動して 次回はお墓参りということで 待ち合わせ場所を確認して終了。

家に戻って昼食を摂り 母の所に向かう。
母は ソファーに座っていた。
私を見つけて「やぁ〜」といった風に手を上げて ニコニコ。

その後トイレ誘導。
職員がつい今しがた「小」があったと教えてくださった。
誘導して「大」を引き出せた。
母 そうっと腕を撫でてくれた。
それから アロマを炊いて居室のお掃除をして 整髪。
早めのおやつが運ばれて 居室でおやつ。
持参した 柿とお茶とフルーツゼリーチョコでおやつ。
水分は 運ばれたものの2.5倍量。

おやつ後 再度トイレ誘導し「小」がジャストミート。

それから ホールに移動した。
ベットにいる方も出て見えたので またみんなで歌を唄う。
歌を休息して 施設内を歩いて貰う。
立った儘 両膝を曲げて貰う。
勿論 両手介助。それもゆっくり。
膝の屈伸が膝の上の筋力を使うような気がして…素人考えだけれど…。
そういえば 施設に入所した頃は 窓の手すりをバーに見立てて膝の屈伸運動を良くやっていたんだっけなぁ〜。

過去に出来た事にすがってみても始まらない。
そうそう 今日は おいっちにい♪おいっちにい♪の日だもの…。
今を大事に…だよね。

夕刻になって 機嫌が下降。
向かい側に座っている人の顔を見ながら「いじわるし…」と母。
話しかけてもそっぽをむいて 「しりません」
下唇を突き出して「不満」を表現。
家にいても そうなる時があるのだから きっと夕暮れ時の不安な現象なのかも知れないけれど…。
ついつい 置いて帰る身にむけているような気がしてくる。


2008年12月11日(木) 慌しい1日


 介護者の会の打ち合わせ兼お食事会だった。
みんなで あれこれと今後の事を話し合った。
これが 思ったより時間が掛かった。
みんなが熱心に考えてくれたから知恵が集まった。

出掛けに 今日すべき事を腕に書き記していたので集まりが終わった後 順繰りに片付けて家に戻った。
風が強まって 落ち葉が散らばっていたので 早々に掃き集めて家に入った。

気になっていることがあるのでメールチェックしたら 覚えの無いメールがあり 着信履歴も残っていた。
「アッ そうだった」集まりの後 人と会う約束していたのだった。
慌てて 非礼を詫びる電話をした。
「大変なことがおきているのじゃなくて良かった」と言っていただけた。

今日は 他にも予定が入る筈だったが 連絡が無いのでなくなったと思っていた。そのことも気になっていた。
また 沢庵用の大根を取りに行く日でもあった。
他にも 銀行振り込みや他の用もあった。

何だか言い訳ばかりだなぁ〜。

さてと夕食の支度でも…時を取り直していたら…。
キャンセルと思い込んでいた予定が生きていた。
こっちへの連絡が来なかっただけで みんな集まっているという事だ。
「どうしましょう?」と聞くと「来てください」という事で 大急ぎで電車に乗って移動。
あれこれと話して宿題を抱えて帰宅。
とっぷりと日が暮れてしまっていた。

キッチンに立って準備を始めたら 夫が早い帰宅。
大急ぎで食事を作った。

何だか 慌しく一日が過ぎてしまった。


2008年12月10日(水) 久々のお散歩♪


洗濯を済ませて お弁当を作って母の所に出かけた。
今日は ほっこりとあったかいお天気。
自転車を漕ぎ出すと コートを着ているので汗ばむ。
ショートコートなんだけれど…。

施設に着くと母はニコニコ笑顔で椅子に座っていた。
排泄の記録をチェックして トイレ誘導。
「大」「小」共にトイレでできた。
母は 深く頭を下げた。
お腹に アロマオイルを塗った。

それから手洗い 歯磨き 整髪。
その後 居室にアロマを炊いて 床掃除。

ホールに移動して CDラジカセを出していただき 白CDを視聴して貰った。70年代のはやり歌をジャズ風にアレンジしてあるものである。
アレンジしてあるので直ぐに知っている歌と気がつく人はいなかった。
でも 母も別の方もとてもにこやかになった。

アロエエキスが終わりそうだと職員が伝えてくれたので 昼食前にドラックストアに ひと走りして購入。
戻った時には 昼食が始まっていて 早い人は食事を終えていた。
職員とバトンタッチして 母の食事介助しながら お弁当を食べた。
今日は 早目に食べ終えた。

食後 今にも居眠りしそうな方がいて せめて30分は起きていて欲しいと思って 歌を唄った。
ひばりちゃんの歌が好きな方 出身地の民謡…出来る限り好みを選びながら…。「うたえない」と言っていた人も 口がパクパクしてきて 歌詞を思い出して唄い始めた。
母は 歌詞も出ないけれど 楽しそうである。

ちょうど時間となって それぞれの居室に戻られた。
母もリハビリのため居室に戻り 水分補給して歯磨きをして椅子に座って待った。
療法士さんが見えてリハ開始。
今日は落ち着いてリハを受けられた。

リハが済んで居室で再度CDを聴く。
ホールでは 職員と面会なさっている方がいるので 起きている人を居室に招いて 一緒にCDを聴いた。
足をマッサージしたり 握手したりのスキンシップ。
「そろそろ帰らなくちゃ」とその方は出て行かれた。
その後 持参した柿を食べて貰い お茶も飲んで貰った。
結構飲みっぷりが良かった。

それから 手の爪切りをした。
程なくおやつとなって居室でおやつを戴く。

お散歩にいこうと誘うと嫌がった。
気配で「トイレかな?」と聞いてみたら 小さく頷くので誘導。
再度「大」これで 一段楽したようだ。
今朝 ヨーグルトとラブレを飲んだと職員が言っていた。

それから 晴れてお散歩。
外は暖かいので安心して外出できる。
ところが 玄関で思わぬストライキとなってしまった。
何とか立ち上がって貰って 外に出たら 機嫌は良くなってスタコラと歩き始めた。
暫く外出していなかったので 様子見に公園の小山を上ってみた 上がるのはしんどそうだったが嫌がりはしなかった。
歩いているだけでも息が はあはあしていた。
小山のてっぺんで 2歳くらいの子の親子と出会った。
ニコニコと愛想の良い子をみて 母は「かわいい」と酷く喜んだ。
その子は 笑顔を見せながら後ろに後ろに後退して行く。
「ありがとう♪ さようなら♪」と挨拶したら小さな手を振ってさよならしてくれた。それを見た母 更に喜び「かわいい!」と。

山を下りて 次の山へ移動。
慣れてきたのか しっかりとした足取りで上れた。
下りもゆっくりと…。

水仙の花に小さなつぼみを見つけた。
「す・い・せ・ん」というと頷いていた。

「少し休もうか?」と聞くと少し間を置いて 首を横に振ったので その儘スタコラと施設に戻った。

程よいお散歩になったと思う。
施設に戻って 母には 玄関の椅子で暫く休息してもらった。

何となく不安な表情。
立位してもらおうと思ったら拒否。
ピンときて ゆっくりとトイレ誘導。
「小」間に合わなかったようで母の機嫌を損ねた。
「私が悪かったね。ごめん」と謝った。
残った「小」をトイレにできて…「良かったね」と言ったら小さく頷いていた。

手洗いとうがいをしてホールに移動。
もう 母は察知しており「ここにいなさい」というポーズを何回もとる。
暫く向き合って ボールで遊んだりしてから お人形さんとチラシを丸めたもので遊んで そうっと施設を後にした。

職員には 乳製品は中止をお願いした。


2008年12月09日(火) 違いは なあに?


右手親指の右端に小さなあかぎれが出来た。
ボタンをはめたり 洗い物をする度にちくりと痛む。

冬になれば 多少のがさつきが出るけれど それほど熱心に手の手入れをしたことがなかった。 こりゃ そろそろきちんと手入れしなくちゃ。

あしたは 衣類等の回収日。
年末までの事を考えて 少し古くなった衣類を纏めた。
「いつかは着るかも…」と思っていた母と私の衣類を整理した。
娘のものも「いるの?」と聞いたら「捨てるという返事を期待しているでしょ」といわれてしまった。でも これが 結構多いのでため息。
母の物も自分の物も処分しようと思い切るのが大変だったので 娘の気持ちは判らないではないが…。
一向に片付かない家の中に また ため息。

そういえば 独身の友人に 片付かないと嘆いたら「家が広いからよ」と言われた。
引っ越すたびにスリムになるのだけれど 確かに広さと共に不要物が増えているような気もしてくる。
だが良く考えれば 一人当たりの使用面積を考えてみると大差はない。
つまりは 処理する能力が落ちてきているのだなぁ〜。

でも ぼちぼち踏ん張ってみようっと!
それにしても また いろいろ作業が溜まってきた。
その整理も含めて 家の中で格闘した1日となった。

出掛けに娘が「仕事 スパッと区切れが出来ればいいんだけれど…」と零す。親子して同じ事を考えているのだなぁ〜。
夫ならきっと「切れ目無く仕事があることのありがたさよ」って言うんだよね。この差が 背負っている重さの違いかな?



2008年12月08日(月) 「橋」って?


介護仲間から電話があった。
ご家族が 土曜日の面会で いつもと違うと感じて職員に伝えたら 月曜日に通院しましょうと言う事になったそうだ。

が日曜日に 施設から呼ばれて 緊急搬送となったそうだ。
その際 救急の受け入れ 4ヶ所で断られ 5件目でようやく繋がり入院できたということだった。

実は 先日の介護者の会で「いい病院が見付かった」と体験を話してくださった方がいた。
今回の搬送先が その病院だった。
地域外にあるので 知らなかったら不安だっただろう。

検査の結果 脳幹の橋が脳梗塞が見られていると言う事だったと言う。
「橋」?

面会も5分と限られているそうだ。
救命室ということなのかなぁ〜。

電話を切ってから「橋」をネットで調べた。
脳幹の破損が 命を左右することは知っていたが 呼吸やら嚥下やらを左右するものだと知った。

認知症は 脳梗塞や脳出血を起こしやすいとは思っていたが…。
最近 母も落ち着いているのですっかり抜けていたけれど それが有るんだよね。

おそらく 脳の破損が起きているだろうと思う。
ただ ダイレクトでないだけの筈である。

介護仲間のご家族の回復を祈り また 母も穏やかに…と願うのみである。


2008年12月07日(日) 母の想いは…


午後 母の所に出かける。
ニコニコ笑顔を見せてくれた。

昨日今日の排泄を伺って トイレ誘導。
昨日 ちびりちびりと出ていたと言う事だったので「今日は無しかな?」と思っていた。
が便座に座るとちびりちびり…。
少し お腹が痛そうで お腹の左側を手で押さえる。
「ここが痛いの?」と聞けば 頷く。
そうっとマッサージすると 私の腕をそうっと撫でてくれる。
暫くトイレで過して 一旦トイレを出た。

入れ歯を外していたので 職員に頂き 歯磨き後 入れ歯装着。

それから 椅子に座って貰い 居室をお掃除。
座って程なく「おかちゃん」と呼ぶ。
その度に返事を返していたが 少し臭ってきた。

再度 トイレ誘導。
もう 少量出た後。母は 手当てする私の顔を見て「あなたに とって欲しかったの…」とはっきりとした一言。
前後には「ほちゃ かちゃ と…」意味が汲み取れない言葉を連発していたのだが…。

私を「あなた」と呼ぶのは 施設入所以来 初。
そして 介護者冥利に尽きる言葉を ありがたく戴き反芻した。

結局 トイレで踏ん張って あらかたのものを排出し すっきりした様子。
それから ホール内をテクテク歩き回る。勿論介助でだけれど…。

母は時折 娘の私に ストレートなメッセージをくれる。
母の発した言葉を其のまま繰り返していってあげるのだが…。 
それが 自分の思いと違うような時には 困ったような表情をして考え込んでしまう。
言いたい事を発せられない辛さが伝わってくる度に こちらも汲み取れない技量に情けなくなったりして「ごめん」と謝るしかない。
今日は「ごめん」と「ありがとう」が多かったけれど…。
それでも あの一言に これくらいの距離でいいのかもしれないと感じた。
少なくとも「嫌」ではないということなのだろう。


2008年12月06日(土) 変化


日記を読んでくださる友人が
「あなた 元気ねぇ〜。お母様から元気を戴いているのね」と言われた。
別の友人は「大変だろうけれど でも羨ましいと思う時がある」と言われる。

二人とも 大分前に ご両親を見送られた方。
仕事をなさっており 遠く離れている事もあってご兄弟が中心となって 看護や介護してくださったのである。
勿論 休暇には ふるさとに戻られて手伝って居られた。

以前なら その言葉にちょっと抵抗を感じたと思う。
でも 今は すんなりと受け容れられる。

病の母と歩んで来て随分長い年月を経た。
その間に 多くのことを教えて貰ったのだと思う。

長い歩みの中で 変化してきた心の内。
独身の頃や介護が始まった頃には 考えもしなかった変化である。
排泄誘導だって 出来れば避けて通リたい事だった。
でも 今 全くそんなことを感じないのである。

以前の私を否定はしない。
あの時があって 今があるんだと思う。
ただ 母には 悪い事をしていたかも…とは思う。

母との歩みは これからも続くと思う。
私の中で また 何かが変わって行くと思う。
けれど 施設内で出会った方や介護仲間のお話や訪問で出会った方たちから学ばせて戴いた事をヒントにして行ける心強さがある。

母との歩みには 母の案内だけでなく 多くの人の知恵と優しさから学ばせて戴いたことが いっぱいあるのだとつくづくと感じている。


2008年12月05日(金) りんご 噛める?


朝から南風が吹き込んで生温かい。
だんだん 風が強まって まるで春一番みたいな感じ。

急いで洗濯をして干した。
その合間に 風に舞う落ち葉をかき集める。
強い風は ちりとりの中にまで入り込んで 葉っぱを押し出す。
意地悪な風。

今日の風は そこいらじゅうの落ち葉を我が家の前まで運んでくる。
駐車スペースのシャッターの下の隙間から 敷地内に容赦なく入り込んでくる。

落ち葉のお掃除は嫌いではないから いいんだけれど…。
考えれば 越してきた頃は もっと落ち葉が多かった。
最近 皆さん 深く剪定なさるので 大分少なくなった。
これも ご近所対策なのだろう。

散ってしまえば それまでなので 掃くのだって そう長くはないのだ。
最近 富にそう感じるには 年のせいかな?
人の家の木であっても 新芽時 深緑の時 紅葉の時 そして季節ごとに訪れる鳥たち…十分楽しませて戴いた。
自分の家のものは自分で始末が基本だろうが…咎めるほどのこともないような気がするのは おかしいかなぁ〜。

午後 母の所に出かけた。
勿論 洗濯物は 風が強すぎたので 室内に取り込んでからね♪

昼食も済んで ホールには母だけ。
「ひとりぽっちで ちと寂しそうなんです。先までおしゃべりして笑顔見せてくれていたんですけれど…」と職員が言われた。
この所 母は トイレ誘導してくれた職員の頭をそうっと撫でてくれたり 抱きしめてくれたりといろいろあるらしい。
母は 私を抱きしめてから顔を確かめる時がある。
瞬間的に見分けが付かない時があるんだろうなぁ〜。
でも 職員が「癒されるんですぅ〜」って言って下さるから 甘える事にしている。

母の仕草から きっと「大」という気配を感じ お腹をマッサージ。
するすると出てきてくれた。
緩めで たらたらと時間がかかったが これで一安心。
職員に伝えて ラブレ休止をお願いした。

手洗い 歯磨き 整髪を済ませて 居室で持参した柿とりんごを食べて貰った。
りんごは ためしに12等分したものを持参した。
最初の一口は 自分で手に持ってカリッと食べた。がその次の一口が進まない。食べかけのりんごは手に持った儘。                口の中は空っぽ。つまりちゃんと噛めて 飲み込めているのだ。

食べる意識が繋がっていないと感じて 声を掛けたが 無反応。
仕方がないので 一口大にカットして口に運んであげると ちゃんと噛み砕く。つまり 薄くスライスしなくとも噛めるということがわかった。
今日の収穫は ここまで。

ホールが賑やかになってきたので移動。
実は トイレ後ホールにいどうしようとしたら拒否したのだった。
がこんどは 嫌がらなかった。

施設のおやつはゼリーとお茶。
これも全量摂取できた。

その後 みんなで手を繋いで歌を唄った。
母は相変わらず 唄わない。でも リズムを取っていた。
そのうちに ニコニコと笑顔が戻った。

母の頭の中には いろんな事が記憶されている。
でも それを自分で引き出しては使えない。
歌を唄えば その記憶から「知っている曲」と認識され それから笑顔になるようだ。唄えなくとも楽しめるから それも良しだわ♪

途中 入浴している人が浴室から出てきた。
聞けば 途中で「たぁすぅけぇてぇ〜」と叫んでいたそうだが…。
出てきたときは 気持ち良さそうな表情。
職員は 汗でびっしょりだった。
大変なこともあるだろうけれど こういう表情をみたら労も報いわれるんだろうなぁ〜と思う。

施設にいる間は 窓に叩きつけるような風雨で嵐のようだった。
が いつの間にか雨風が 柔らかくなった。

帰るなら今と思い 置き傘をさしてチャリで家路についた。
スーパーに立ち寄りたかったのだが 雨脚が強くなると困るのでひたすら自転車を漕いで家に戻った。

家に戻ったら 着信履歴。
昨日の友人。
こちらから電話をし 暫くおしゃべり。
来年の約束を取り付けた。


2008年12月04日(木) 「ん?」からドキドキへ!


友人に用事があって 朝から電話した。
が 話中。 午前中は諦めて 打ち合わせに出かけた。
夕方 戻って 再度電話。でも また通話中。

思いつく度に電話するが やっぱり話中。

独身で独り暮らし。
最初は そんなに心配しなかった。
受話器が外れているのだろうと考えていた。

深夜になっても まだ繋がらなかった。
それでも 友人は 海外に旅行に出ることもあるし…と思ったりした。

でもなぁ〜。
もう 若くは無いしなぁ〜。

勤務先に電話しようかなと考え始めたころ 夫が帰宅した。
「ずっと通話中なのよ」と言ったら「じゃ これから行ってみようか?」と言う。
「勤務先に電話して 何でも無かったらねぇ〜」と言ったら…。
「馬鹿 こんな時 いい方にばかり考えてどうするんだ。勤務先が判るのだったら 電話しろ」と。

恐る恐る電話して 連絡が取れない旨を伝えて「今日は勤務日でしたか?」と訊ねた。
「あ〜 はい。今日は夜勤で 今 仮眠中です」と言う返事。
「電話があったこと伝えておきます」と言ってくださり「ありがとうございました」とまで言われた。
こっちも「ありがとうございました♪」である。

これで 安心して眠れるわ♪


2008年12月03日(水) 遅かった!ごめんね♪


お弁当を作って母の所に向かった。
予定より少し遅れ気味だった。

施設では 昼食が始まったばかりだったので 職員とバトンタッチ。
こちらもお弁当を広げた時 ちょこっと臭った。
「あちゃ もう少し早く来ればよかったな」…ごめん…と心の中で謝った。
謝りながらも 出来れば替えて上げたいな…と迷いに迷っていた。

結局 気兼ねがあって 食事が済むまでトイレ誘導しなかった。
食事に要する時間も結構要した。当たり前だろうと思う。
家なら 即トイレを済ませるのだが…。

食後 直ぐにトイレ誘導。
下着にまで溢れていて…「ごめんね」と幾度も謝った。
おそらく 母なりに我慢していたのだろう その後も少しずつ出た。
母も申し訳なさそうに涙を零している。
母が悪いわけではないのに…。

療法士さんが見えて 直ぐにリハビリが始まった。
リハビリ中は ずっと起きていたのだが 終わる頃にzzz。
手が冷たかったので 更に小さな毛布をかけて 眠って貰った。

その間に ベットで過す方を訪問したり 居室のお掃除をしたり…。
モソモソと動き始めたので 起きて貰ってトイレ誘導。
タイミングが合って「小」。

手洗い 歯磨きを済ませて 持参した柿を食べて貰った。
珈琲も少し。
職員が「おやつですよ」と案内くださったので ホールに移動しおやつを戴く。おやつは りんごだった。
今日は 果物いっぱい。でもね 量は 元気なころの半分もない。

お昼の時に りんごはレンジでチンすると柔らかくなって 歯が弱っている時には食べやすいかも…という話になっていたので 他の方は レンジでチンしていた。
母のは レンジに掛けていないのだけれど 薄くスライスしてあった。
おせんべいみたいなかんじ。
でも どうなんだろうなぁ〜。
スライスしなくとも小さめに等分すれば 食べられるような気もするのだが…。昨年は 等分にカットして大丈夫だった。
今年は まだ 試していないので 今度試してみて それからどうするか考えようっと。

おやつが済んでから トイレ誘導。
タイミングがあって ばっちり「小」

それから 母の目の前にボールとお人形を置いて…。
そうっと施設を後にした。

自転車を飛ばして 地域の方との打ち合わせの場所まで 30分。
打ち合わせが終わって 外に出るともう真っ暗。

帰路は 公園を抜けるコースで。
すっかり暗くなった公園でも ナイターのテニスをする方あり 子供達だって 灯りの下で 何やら練習していた。
へぇ〜ほぉ〜と驚く事ばかり。


2008年12月02日(火) 介護者の周辺


月に一度の介護者の会。
欠席届けは不要なのだが「行かれなくて残念」という連絡が数件。
会では 医療でもなく介護でもない部分でのお話に花が咲く。
今日も 地域の医師から「出かけてみたら…」と言われても自分の趣味の時間と重なって二の足を踏まれていた方が 介護仲間に誘われて見えた。
「参加して良かった」と介護仲間に語られたそうだ。

仲間の醸し出す雰囲気が心地よいのだろうと思う。

MCI位の方のごご家族も介護仲間に誘われてお見えになった。
その方も「参加して良かった」と話されていた。

大学生も見えた。
アンケート協力のお願いもあり見えたのだが 最後まで参加くださり後片付けまでお手伝いくださった。若いお兄ちゃん。
この方 ずっとメモを取っておいでだった。
学生さんもいろいろで…。

お隣の街の介護者の会の代表の方も久しぶりにお見えになった。

実は会場使用には定員がある。
今日欠席の方があったので辛うじてセーフ。

デイの送迎があり 早目に帰られた後 施設入所なさっている方の話で
あれこれ深い部分で意見交換。
地域の施設のことである。
ことを荒立てると言う事ではない。 
本人のために何が出来るか…家族も必死なのである。

既に看取りの終えた方が「介護中に介護者の会に来ていればよかった…」と悔やむ事しきりだった。
でも10年前に こういったお話が出来たかは 判らない。
認知症の介護家族は 確実に意識が変化してきていると感じている。

会の終わった後 独り暮らしとなった方を中心に仲間とお食事。
写真の趣味のある方の 最近の写真を見せて頂いた。
ん そういえば 今年は紅葉をゆっくり見ていなかったなぁ。

そういえば 難しい介護仲間が 隣の街の医療機関で診察を受けて 初めて納得できたし 症状も改善されたと話していた。
そこの医師は 介護者の気持ちも良く考えて下さるそうだ。
待ち時間が長いのが 難点だと話されてたなぁ〜。
そこの医療機関については 最近 ある介護者からのお話から「お〜 そういう医師もいるんだなぁ〜」と感じていたし その地域の介護者の会での評判もおおむね良好のようだ。


2008年12月01日(月) ひとまず安心


午後 母の所に出かけた。
母は 入浴中だった。
荷物を置いて 排泄確認して 風呂上りの母を連れて 居室に移動。
足の爪を切る良いタイミングと思って 爪切りを取り出してパッチンパッチン。以前は 入浴も大変ではなかったので 直ぐに爪きりできたのだが 最近は そうも行かなくなってきていて…。

居室にアロマを焚く。
爪切り後 持参した柿を食べて貰っていたら 職員がおやつを運んできてくれた。
お茶とポカリと黒豆茶で水分補給。
その後 ドライヤーで整髪。
一息入れて トイレ誘導。

お腹をマッサージしたら 手を離して…と動作で要求してきた。
お腹が少し痛むようだ。
ひょっとしたら…と思ったら案の定「大」排出。
昨日は お通じなしと言う事だったので これで安心。
母も ホッとした様子だった。
いきまなくても出る感じのものだった。
薬を使わずに過せている。
先日 カマに重大な副作用ありと言う報告が出ていた。
長期服用の場合と言う事だった。
ひとまずお休みできたので ホッとした。

ホールに移動して 新しい入所者にご挨拶。
それから 歌える人で歌を唄った。
新しい人が入所と言う事で 見慣れぬ人がいるせいなのか やや不穏になった方がいらした。
隣に座っている女性をご主人と思い込んでしまっていた。
また 時折説教ぽい言葉を口になさってみえた。

新しい方も古い方も馴染むまで 少し時間を要するかも…。
新しい方がさびしい思いをなさっているんだろうなぁ〜。


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