母のタイムスリップ日記
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2008年05月31日(土) お泊り


 今日は 母が家に来ている。
午後迎えに行って 夕食を摂って もう お布団の中。

夕食の時間は 施設と比べると遅い。
だから 夕刻 カステラとお茶でチョッピリお腹を満たしてもらった。
自分で手に持って食べていた。

夕食時 箸は上手に持ち 食べ物もはさめる。
けれど 自力で口に運ぶ事は少ない。
「ねぇ〜 自分で食べなくちゃ」といったら「そういうことか」と頷いていた。返事はいいのだけれど…まだだなぁ〜。

実は家に着いた時 非常に不穏になった。
移動中から 視線を合わせず返事もしなかった。
施設を出るときは 笑顔見せていたのに…。

母は 場所の記憶は結構あったのだが…。
記憶が薄れてきたのかと思った。

でも 暫く落ち着いてきた時「来た事あるよね」と聞いたら「ある」と返事してくれた。
最初は 見知らぬところに来たかのように不安げで 返事もしなかった。

夕食の支度で娘とキッチンに立って調理をしていたら 間にはさむようにしきりに言葉を発していた。
時折 流し台に掴まり 隣に立ってもらったら 少しずつ落ち着いてきて 夕食の始まる頃には ニコニコ笑顔で食欲旺盛。
ご飯や汁物は 半分量盛り付け 食べ終えたら おかわりして貰った。
家では 温かいものを食べて欲しいから…。
噎せることなく 普通食を食べた。
量的には 私たちとほぼ同量で普通食。

先日 朝日新聞に下漬けなしの生風の粕漬けの作り方を知り 漬けてみたが
母は それを美味しそうに食べていた。
施設だと薄くスライスするが 家では一口大に切り 出したが 美味しそうに食べていた。

食後 お風呂を沸かしたり 後片付けをしてパタパタしていたら 母は眠たそうな顔になった。
お風呂に入れるのが可哀想なくらいだった。
だから お布団に湯たんぽを入れ 入浴は中止。

タオルを温め 顔と手足とを拭いて 歯磨きをして ちょこっと水分摂取してもらい パジャマに着替えて トイレ誘導後 就寝。
お布団の中で静かにしていたが 寝息を立てて寝入ったのは 10時30分を過ぎてからだった。


2008年05月30日(金) せせらぎ


 昨夜 ふるさとの友人から「少しばかりだけれど蕨を送ったからね」と電話があった。
「灰汁につけてあるから 着いたら水に浸してあく抜きしてね」
とも言われた。

午前中のうちに荷物が届いた。
少しばかりなんてとんでもない話だった。

私の少しは 多めに考えても スーパーで売っている束の蕨の5束位である。

灰汁を流して 水に浸して それから一本漬けにする分のだし汁を作った。
その後 お湯を沸かして 漬ける分だけさっと湯がき だし汁に浸した。

この時期しか こうやって食べる事は出来ないので 美味しいうちにせっせと食べる事にしよう。

雨続きで 洗濯物が 室内に暖簾のよう…。
暖房が入っているなら 加湿器かわりになるけれど…。
もう 板の間の床がべとついている。
仕方ないなぁ〜。

午後 銀行に出かけた。
ひとつ先の駅まで行かなくてはならない。
電車で移動。
帰路 銀行近くのスーパーで買い物。
あれれ 普段見かけないものがあって ついつい 無駄使い。
スーパーでの買い物だから そう高いものではないから お財布には優しいので いいかぁ〜。

いまいち 気持ちがすっきりしなくて 帰路は川べりに沿って歩いた。
鳥達の声や せせらぎの音が優しく耳に響いた。
小さな河川から中規模の川に合流し 更に大きな川に合流していく度に せせらぎの音が変わる。

雨の晴れ間の夕方歩く人も少なくて 広々とした所を歩いてちょっと気が晴れた。
母と一緒に歩いた道だけれど…もう ここまで歩く事は無理だろう。
でも車なら連れて来れるかな?
「広々して気持ちがいい」とよく言っていた。
今も そう感じるだろうか?

この場所は 母との出来事の 悲しい事も苦しい事も嬉しい事もいっぱい詰まっている場所である。


2008年05月29日(木) 仕方ないわねぇ〜


何から書けば良いのか…。
朝から 雨。
庭や菜園の作業は無理なので 溜まって気になっていることに取り組んだ。
友人へのたよりも ようやく書き上げた。

午後 郵便局へ振り込みがてらでかけた。
そこで 以前 事業所でお世話になり 時折いろいろ教えて戴いている元保健士さんとばったり出会った。
隣の町に住んでおられるのだが 最近 こちらの療養型の病院にお母様を託したと言うお話を伺う。
この数ヶ月で3回骨折なさったそうだ。
最近 30分おきに排尿を訴え そのつど 少しずつ出るのだそうだ。
お母様と二人暮らしで すっかり疲れたそうだ。
老健入所と思ったが 何処も空いていなくて 機能低下も止むなしと療養型の病院に託されたそうだ。

ちょうど 病院に向かう途中でお母様にお菓子を購入なさるところだった。
立ち話だけれど あれこれ深い話となった。
こちらからもちょっとしたお願いをしたが 日程上難しそうだった.
が 前向きに考えてくださるそうだ。

この方とは 偶然出会うことが多く それも身辺の変化のある時が多い。
お母様の年齢が母と同じだと今回初めて知った。
介護保険の認定委員をつとめて居られる。
他にもボランティアで活動なさっていたが それは昨年でおやめになったそうだ。私より 少し先輩の筈。

急いで家に戻って 作業の続きをしていたら携帯がなった。
弟からだった。
「お金送れなくてごめん」と言う事だったので 黙って聞いた。
「暫く前から こっちの仕事をしている」と話 今からそっちに行くと言うのだった。

今日はもう外出の予定はないからいいけれど いつも 突然だ。

割りに近くにいたようで 暫くして 到着した。
コーヒー好きなので ドリップで淹れた。
朝淹れたら それでおしまいなのだけれど 仕方ないわね。
…最近 この「仕方ないわね」が自分の身を追い込んでいるように感じるのだが やっぱり 仕方がないとなってしまうのである…

母の様子を聞き 地元に今仕事がないので 地域外に出て仕事しているそう。
8月まで3ヶ所を廻るそうだ。
途中で 用事が入ったようで 「今週末にでも…」と帰って行った。

お天気のせいもあるのだろうけれど このところ ちょっと眠い。
家人は 毎日家に帰ってきているけれど お互いの存在は 靴で確認できるというすれ違い状態が もう2週間近く続いている。
私は どちらとも接点があるけれど…。


2008年05月28日(水) 風邪かなぁ〜?


朝 早めに夕食の準備とお弁当を作って 母の所に出かけた。
今日は 帰路お買い物もあるので 駅まで歩きその後バスに乗った。

昼食は始まっていた。
職員とバトンタッチ。
このところ 殆ど毎日 朝9時から施設に通っている80才を越えたご主人がお出でだ。
車椅子の奥様をトイレ誘導 ミキサー食の介助 よく頑張っておられる。
車椅子は リクライニング形式である。
トイレ誘導も空振りとわかっていても「トイレ」と言われると車椅子を押してトイレまで連れて行かれるのだ。
ふと気がついたのだが ご主人 朝食は済ませておいでだと思うのだが 昼食は帰るまで召し上がらない。
2時近くに「夕食の支度があるので…」と帰られるが ちと心配。

母は 何とか順調に食事できた。
ただ 水分摂取時少し噎せる事があり 鼻水も時折。
気温の変動が大きいので風邪でも引きかけているのだろうか?

食後 トイレ誘導 歯磨き後 リハの体制で待つ。
母は機嫌は良好で 笑顔が多い。
体を良く動かして多動気味だ。
気分は悪くなさそうなので よしとして置いた。

療法士さんが見えて 一週間の様子を伝えた。
足の付け根の部分の痛みによって 立ち上がりや歩行を拒否して車椅子になることもあったと伝えると「ここですね」と痛むところを確認。
「坐骨神経痛」ですね。
そうか これまでも医師にそういわれたことがあった。
「我慢できない痛みが常にあるわけではないのだが…」と伝えると…。
「同じ姿勢や長い時間同じ姿勢だと痛みが出やすくなりますね」と言われた。

そういえば 最近 歩行が少なく椅子に座っている時間が長い。
「痛みがあるから動かないでいると悪化しますね」とも言われた。

様子を見ながら 室内歩行も加えて歩けるようにして上げるのが私の役目だろうなぁ〜。

リハが済んで眠りに落ちている母だったので ベットで寝ている方のところに伺い 手足をマッサージ。アロマオイルを入れたり 唇にリップを塗って差し上げたり。
面会を頻繁にするようになって このところ 話しかけに唇が動く。
話すのに後一歩といったところなのだが 母の事もあって あと少しを突破できない。頷く事は 以前から出来ているのだが…発語して欲しいし…。
言葉を話せたら「起きていたよ」「みんなのところがいいよ」と言っているだろう。
出来れば 毎日 そうして差し上げたいけれど 自分の親のことでも目いっぱいだものね。
話しかけていると 笑顔も出る。
もっと輝く笑顔が出ると信じている。

そうそう 入所者のご主人を自分の夫と思い込んでやきもちを焼いてぷんぷんと機嫌が悪くなっている方がいらした。
これまで そんなこともなかったのだが…。
以前 ショートカットのご婦人をご主人と思いこんでしまった人である。

それとなく「ご主人 今日は車で見えてドライブできるかしら?」とか「素敵な優しいご主人ですものね」なんて話しかけていたら…。
「あなた 自分の主人を素敵だなんて言われて『はい』なんて言えないわよ」と笑顔を見せてくれた。
気持ちが反れて良かったと思ったが また 直ぐに視線が固まってしまうのだった。

そう長い時間ではなかったのだが 母の所に戻ると母は入れ歯を外しそうになりながらもそもそしていてハッとした。
起き上がりたいのに出来なくてイラッとしていたのだろうと感じた。
「ごめんね」と謝って「おきようね」と立位の介助。
そのままトイレに直行。
待っていたかのように音を立てて出た。
「我慢してくれて有難う。間に合ってよかった」といったら頷いていた。
母としっかり握手。にこにこ笑顔が戻った。
しかし これでおしまいと言うわけには行かない。
「大」のほうを誘導。食後 出来なかったがその気配を感じていたから。

暫くして排出できた。
また 母と握手。「良かったね」と言葉をかけると目を見て頷いていた。

それから 居室でチョコとお茶を戴く。
今日持参したお茶は 少し苦めでお口直しにチョコといったところである。
暑くなってきたり 便秘の時には 水分摂取は心がけたいから。

暫く居室で遊んでから ホールに移動。
程なくおやつとなった。
月曜日あたり入浴できているような気配を感じた。
暑くなってきているので 入浴は出来る限り実施して欲しいから助かった。
今日は 他の方が入浴なさっていた。

買い物もあるので おやつを食べ始めたのを機に施設を後にした。
水分摂取と乳製品少量ならOKと職員にお願いしてきた。


2008年05月27日(火) 中途半端だけれど…


午前中 ぶどうの摘実をした。
房を少なくして 実を大きく育てるため。
でも 病気の心配もあるし 虫の心配もある。
虫は1.2ミリのものが目についたので 駆除しなくちゃ。
作業に本腰を入れると片付ける仕事や母の所に行けなくなるので 程々の所で切り上げた。
その後 パソコン作業した。
あとひと踏ん張りで パソコン作業も終わるのだが これも仕上げていると母の所に行けなくなる。
「今日は いいかぁ〜」と言う気持ちになってしまうが 結構気になり 迷いを振り切り 母の所に向かった。

母は ソファーに座って本を見ていた。
直ぐに トイレ誘導した。
暫く様子を見たが 排尿があっただけ。

洗面所に移動して 手洗いと歯磨きを済ませた。
鏡に向かってブラッシングしてあげたら 手櫛で直していた。
「伸びたね」と言ったら頷いていた。
綺麗にしたいよねと聞いたら 頷き 前髪を撫でていた。
美容院かぁ〜。どうしようかなぁ〜。

「暑くない?」と聞いたら「暑くなってきた」と言うので 薄手のものに着替えた。
「外に行く?」と聞いたら首を振った。
「散歩に行く?」と聞き直したら「散歩くらいなら」と言う返事だった。
遠出したくない訳は 足の痛みかな?

お散歩に出て 公園に行き着いた時歩くのが苦痛そうだった。
「いたいの?」と聞くと「痛くない」と言う返事。
「戻る?」と聞くと どちらとも言えない表情。
「じゃ ゆっくり歩いてみようか?」というと頷いた。

公園に入らず 畑にそって歩いて 大きな石に腰を下ろした。
母は待ってましたと言うように腰を下ろした。
しんどそうだ。
家から運んだ フルーツ餡蜜を出して口に運んであげた。
美味しそうに全量食べた。

「暑いね」と言うと「あっつい!」という返事。
額に手を当てると汗びっしょり。
帽子の下に大判のハンカチを広げて日よけを作ってみた。

休みながら サッカーグランドのある公園までゆっくりと歩いた。
休息に水を飲んで貰う。
緑濃くなった桜の木を見上げ 雲のない青空を見上げたり のんびりとリフレッシュした。

帰路はしんどそうなので 「負んぶするよ」と前に屈みこみ背負おうとしたら 嫌がった。「歩ける」と言うので 3回休息して施設に戻った。

母が階段の上り下りが出来なくなりかけの頃 負んぶと言って拒否された。
何とか自力で下りる日々が続いてた。
やがて 負んぶして下りたのを機に 寝室は1階に変更となった。

今 歩行も過渡期なのかなと思ったりした。
でも 散歩の前に居室の椅子に座って待ってもらっている間 自力で立ち上がり
居室入り口まで歩いてきていた。
勿論 壁に沿いながらではあるが…。

居室で休みながら あまりに暑そうなので 職員から氷一片を頂きタオルに包んで首筋に当てた。
気持ちよさそうだった。
その後 タオルを広げて氷を見せたら 手にとって「冷たい」と言って口にぽんと運んで飴玉をなめるように 口の中で転がしていた。
綺麗じゃないけれど 新規のタオルだし ま いいかぁ〜。

それでも 母のおでこや手は熱かった。
気になって 検温したが平熱。
発汗もあったので 今夜は水分補給 少し余分に…と職員にお願いして 施設を後にした。

お散歩している時は 暑かったけれど 帰路にはすっかり涼しくて 自転車を漕いで受ける風が心地よかった。
母 疲れているだけなのかなぁ〜?


2008年05月26日(月) 腰と腕が…


利用者さん訪問。
いつも通りの活動。
湿度が高く気温も上がって 汗だくとなった。

家に戻ってから 午後 役所主催の介護者の会へ。
この会 認知症予防が色濃くなってきたが 参加なさっている方は予防よりも認知症について知りたい方が多いような気がした。

この会に 以前母の施設に勤務していた方が見えていた。
ご家族がそうなのかなと思ったら 勉強のためと言われていた。
勤務の合間に時間があったので参加したと言われていた。

介護仲間も数名見えていた。
この場所では 精神科医も見えているので セカンドオピニオン的な利用も可能だ。但し 本人を見るわけではないのであくまでもおおよその見当になり 主治医に確認してみるとよいですねと言う事になる。
それでも 主治医の前で聞けないときには ある程度参考になる。
ここである程度学習できるので 介護者にとっては嬉しい存在である。

残って医師に質問している方もいたし 地域包括の方に相談なさっている方もいらした。

数日前の植木の剪定で 腰と腕がちと…。
酷いわけではないので ストレッチ運動で調整しているけれど…。


2008年05月25日(日) 調子はよさげということで…


昨日 上を向いて作業した分 昨夜は首凝り感があって寝苦しかった。
今朝の疲れはそれほどでもなかったので 助かった。

朝 雨の中 軒下に残した枝を束ねた。
夫は そ知らぬ顔。
網戸越しに「に〜っ」と夫を見たら「何してんだ?」と。
そして「じゃ いってくるわ」とすたこらさっさと逃げ出した。
我が家は こんなもんじゃわ♪

午後 雨が上がったので自転車に乗って母のところへ出かけた。
母は昼食のフルーツ西瓜を残していた。
「用があるから来い」と言った表情だった。
甘いけれど 少し硬いと言うのでスプーンでカットして口に運んであげた。
其の時 西瓜以外の臭いがして 食べないのは 其のせいだったかと思った。

その後 トイレに誘導する時 困ったような表情をしたので 鼻をつまんで見せたら母は頷いたので 通じたなと思った。
「気にするな」という意味で 胸をぽんと叩いて見せたら 静かに頷いた。

トイレでは 暫く格闘。
トイレットペーパーをからからと廻していたら「そんなにいるの?」と聞いてきた。
「いるのよ」と言うと「ほう」と言う表情。
これを 数回繰り返した。
座っていたのだから 後始末もなかなかのものである。

気配で まだ続きそうだったので 暫くトイレでおなかや背中をマッサージした。
すると残り文も綺麗に排出できた。
これで一件落着。
歯磨き後 持参したお茶を飲んで お散歩に出た。

30分ほど歩いて散歩を切り上げた。
足は痛くないけれど疲れたと言ってた。

そうそう 今日施設に着いた時 入所者の一人が入れ歯がなくてふにゃっとしていた。食べやすい菓子パンを召し上がっていた。
入れ歯 捜索願が出ているようだった。
本人に「入れ歯ないですね」とお聞きすると「そうなんですよ。押されて 電車に乗ったらなくなったのです」と話された。
電車には乗っていないのは間違いないけれど…「そうでしたかそれは大変でしたね」と言ったら「有難う」と返事が返ってきた。
思い当たるところを探してみたが見当たらなかった。
朝 3人係で 捜索したが見つからなかったと職員が言われた。
でも食事は困るんだろうなと思って広い範囲で探した。

ふと思い出して 其の方のおなかの辺りを撫でたら こつんと硬いものがある感触があった。「ちょっとごめんなさいね」とスカートのウエストに手を入れたらティッシュに包んだ入れ歯が出てきた。
直ぐに職員に手渡した。見つかってよかった♪

母も 時折 大切なものをウェストや脇下に一時避難させていることを思い出したのだった。

母は今日 珍しくおしゃべりした。
意味のわからない話もあったけれど つなぎ合わせ想像すると意味が通じる事が多かった。
特に赤に対する反応が強かった。
花屋さんの店先で 花手まりというバーベナに似た花が赤で「ほら」と指差したり
注意書きが赤色で書いてあるのを指して「赤」と言ってみたりだった。
また 私のパンツのポケットのふたが開いてあるとしきりに気にしているので お尻を後ろにツンとアクションすると「ばかぁ〜」といいながら 声を立てて笑ってた。
機嫌も良くなった。

昨日 施設に結婚して退職なされた方が お子様を連れて遊びに見えたそうで入所者の人気の的だったそうだ。
職員がデジカメの映像を見せてくださった。
母のゆるりとした表情をみてお話を伺い 楽しかった様子が伝わってきた。
そういえば「昨日〇△▼□…」等と話したのは このことだったかとも思うが…。
でも一日前の記憶が頭に残っているのか???
これは 私の希望的想像だろう…。

きょうから暫く 間接の痛みが緩和されればいいかなと思い 2型コラーゲンを摂取してもらう事にした。
職員も服用して痛みが緩和されたと言っていたので 様子見に始めてみる事にした。


2008年05月24日(土) 出たぁ〜!!!


お昼から雨の予報。
夫が出勤した後 洗濯物を干して 庭木の剪定をした。

今日は 娘もいないし 絶好の作業日和。
家人が家にいるとついつい当てにしたくなって 一向に動く気配がないとだんだん苛立ってきてしまうのだ。

どうせ 一人でやるなら誰もいないほうがいいのらぁ〜。

鋸と剪定ばさみ長・短とを準備して最初は脚立。
大きな木を切る時 上から始めるのか下から始めるのか判らないが 私は下から始めたほうがバランスが取りやすい。

2階の軒下に届くまで延びた大きな木。
それも 我が家は道路側1.5メートル分高い。
脚立から塀に足をかけて 作業開始。
足元が不安定なので片手を幹に掴まって パッチンパッチン。
伸びすぎた太目の枝は鋸でギーコギーコ。
バサッと枝が落ちる。
出来れば 塀の内側に落としたい。
道路側に落ちると葉が風に吹き飛ばされて広がってしまう。
瞬く間に 脚立の周りが枝が積もった。
「今年は 毛虫がいなくて助かるわ」なんて思ったりした。

いよいよ 脚立では届かない高さとなって 梯子に交換。
結構な重さで ひぃひぃ言いながら 木の幹に立てかけた。
そこから 更に高いところの枝を切った。
高枝を剪定するはさみもあるが 少し太い枝だと切るまで大変。
それに上を向いてばかりいると首が痛くなってしまう。

何とかさっぱりとした時 1時を廻っていた。
外側に散らかった枝を纏めて 散らかった葉を掃き集めて昼食タイム。

しかしなぁ〜。
作業切り上げの雨が…降らないんだよねぇ〜。

ありあわせの物で昼食を済ませた。
そういえば 夫 昼食に家に戻るって言ってけれど来なかったなと庭に出た。
すると 夫の車が戻ってくるのが見え 再度家に入り 昼食を出した。

これで 雨が降ってくれたら…と思ったが 夫が一休みして家を出ても未だ雨は降って来ない。

また庭に出て作業開始。
次々と切っても雨は降らない。

近所の人が「今年も茶毒蛾が出てきている」と言ってたので 椿を見上げパッチンと鋏を入れたら…葉裏に茶毒蛾がモソモソしていた。
ヒェイッ!消毒薬を持ってきてシューッ!
高いところまで剪定する勇気なし!退散を決めた。

順繰りに枝を片付けていたら 毛虫がモソモソ。
ヒェイ!いたじゃない!数匹だけだけれど…。
剪定の時見かけたら きっと退散していたわ。

枝を束ねて庭の隅に片付け始めたら 雨が降ってきた。
気がつけば4時半。
朝8時半から初めたのだから…。

道具を片付けていたら 近所の方がかわるがわる声を掛けてきた。
「植木屋さんみたいに綺麗になった」「家の主人 あそこまで俺だって出来ないと言ってた」とか 言われた。

実際のところ たいした事でもないのだ。
やってみれば誰だって 出来る筈。

あ〜 怖いのは明日の朝だ。


2008年05月23日(金) 歩けなかった!


昨日 地元で山菜が売られていた。
新鮮な山菜だった。
欲しいものがあって 手を伸ばそうとしてびっくりした。
先日 ふるさとで購入した値段の5倍。
見なかったことにして くるりと背を向けて家路に着いたのだった。
ふるさとの業者さんに宅配をお願いした方が安い。
ぼりすぎじゃないの?
これを買う人もいるのだろうなぁ〜。

ふるさとの話しついでに書くけれど…。
このところ デパートのイヴェントでふるさとのお店が出展することがある。
高校生の頃 立ち寄る学生向けの小さなお店だった。
それが デパートに出展している。
先日 其の事を仲間に話したら「え〜っ!」って驚いていた。
お店は昔より 大きくなったのだったのだろうけれど 美味しさは「?」
やっぱりねぇ〜。
学生のお小遣いで買えたのだから 格安だった。
でも 今は 高い。これも ぼっているんだわ。

ま どうでもいいことなんだけれど…。

午前中は 菜園に出た。
草も伸びるけれど 作物の成長も早いので手入れしておかないと面倒なことになる。
気温もうなぎのぼりで 汗が流れるほどだった。

家に戻って昼食をとって 母のところへ出かけた。
母の機嫌はまあまあだった。
直ぐにトイレ誘導した。
それから 家から運んだアイスクリームとお菓子とお茶とを戴く。
よく食べていた。
程なく「今日は 早めだけれど…」とおやつとなった。
これも全量戴く。

そこで職員から 昨日 母が歩けなくなってまた車椅子を使ったそうだ。
尿量も少なかったということだった。
そこで 痛み止めを服用していると言う事だった。

おととい 確かに何処かおかしいと感じていた。
熱があるかと思って検温したけれど 平熱で大きな変化は見られなかったので 様子見と思って帰ってきたのだった。

昨日は 1日うつらうつらしていたそうだ。
前日 痛みで眠られなかったのかもしれないとの事。
話を伺い そういうことだろうと想像できた。

今日は 歩けない訳ではないけれど 足は重そうだった。
方向転換する時「ゆっくり」と目線で要求された。
言葉を話せないので 目線での意思疎通が多くなる。
「ゆっくりなのね」というとこくりと頷いたので間違いないだろう。

おやつ後「お散歩行く?」と聞いた。
すると向かい側にいたらした方が「私も連れて行って!」と言われた。
二人でも構わないし 大丈夫なのだが 職員に「一人で」と言われそうなので 先に其の方をお連れし 母は休息。
その後 母。
出かける前は 行きたい様なしんどそうな表情だったが 外に出ると言葉も出て元気。でも公園に入るとまた足が重そう。
「帰ろうか」と戻ったが 施設のエレベーターの前に来ると首を横に振って拒否。
「もう少し歩くの?」と聞くと頷く。
それで 敷地内のベンチに腰を下ろして暫く外で過ごした。

耳元で歌ったり お話したり…。
「そろそろ戻る?」と聞くと 頷いたので 施設に戻った。

それから トイレ誘導し シップを貼ったり 手当てをした。

考えれば 母は 以前より 足の痛みを訴える事があった。
それでも我慢しても歩きたがった。
足と言うよりも 足の付け根。
そこは 何時押しても痛がる。
が酷く痛がるときは 痛みの強い時だった。

ちょっと試し見たら やはり付け根を押してみたら「痛いから…」と訴えた。
今回は リハビリの足の屈伸の時には痛がらなかった。

お天気のせいなのかな?

痛くとも歩きたいのだろうから 様子を見ながら散歩に連れ出したほうがよさそうな気がする。
新しい方が入って 精神的に落ち付かない事も遠い要因かな?


2008年05月22日(木) 異種な集団?

ある企画があって 開催場所がオフィス街。
人がいて打ち合わせをしているのに とても静か。

集ったわれわれは いつもワイワイガヤガヤ 率直な話をする。
それに 声も大きい。

あの場所で おそらく 浮き上がっていただろう。
企画した会社の方 われわれの事 理解しておいでの筈だけれど…。
でも 困惑していたんじゃないかな?
一同 少しだけ 反省している。

役目が終わって 解散。
その後 ちょこっと仲間内で軽食を摂った。
「うるさくとも迷惑ではありませんか?」とお店の人に聞いて「大丈夫です」と言う返事を戴いて お店に足を踏み入れた。

そこで 介護のお話が…。
情報交換と日ごろの雑感。

認知症がどんなに進行していても こちらが考えるよりずっと判っている事が多いと言う話になった。
言葉も話せない寝たきりに近い方が 結婚式や葬儀の時にワッと泣いたり おめでとうと言ったりする事例が幾例か挙がった。
それ以来 しっかりした日が2週間以上続いたこともあったそうだ。

そういう経験は 私だけでなく 他にもあるのだということを知った。

実は ふるさとで施設勤務している方から 母と同じように オムツ内排泄から脱出したと言うお話も伺った。
そういう事例は 少ないけれど 現実にあるそうだ。

何が…ということは 判らないし そのために介護する人に「踏ん張りが足らない」等と迫るのは 論外。
そういったことが なぜ起きるのか…。
その辺のことをもっと知りたい。


2008年05月21日(水) 気配り足らずに…


昼食に間に合うように施設に向かう。
途中 薬局に立ち寄った。
先日 処方箋の中にあるマグ200がなかったからである。
250は常備されているらしかった。
窓口で 直ぐに対応してくださり 無事マグを戴けた。

実は 薬局を替えた。
先月の紋切り型で薄笑いを浮かべて対応された薬局に嫌気が差したから。
そうそう お薬手帳は 必須となったのは間違いないようである。
勿論 75歳以上が対象のようだった。

施設に着くと食事は始まっていた。
新しく入所なさった方のところには ご家族が二人見えており 食事介助。
若い方が ご両親 特に介護のため通っていらっしゃる方のことを案じて電車に揺られてお見えになった様子だった。

食事は全部食べる事が出来た。
トイレ誘導後 時間に余裕があったので ホールで歓談。
今日は 入所者の家族が5名おいでだった。
平日でこんなにいるのは 久々である。

白内障の手術をなさった方が 退院していらした。
病院でどんな風にすごされていたかと思ったが 笑顔いっぱいで帰って見えた。

療法士さんの見える時間になったので 居室に戻った。
ニコニコ笑顔で落ち着いている。
血圧も非常に良好。
こういう日もあるのだと驚いた。

リハが済んで 起きてもらってトイレ誘導後 お散歩に出る事にした。
外出は 先日の通院以来である。
足取りは軽かった。
でも 少しふらつきがあるのでしっかり介助した。

とっとこ歩いて 農家の野菜スタンドまで歩いた。
今日は珍しく 農家の方と出会った。
其の方が 母に挨拶してくださった。
母も 頭を下げて挨拶できた。
「良いお天気で お散歩いいですね」と言われたら 母がまた にっこりして頭を下げて返事していた。
言葉は発さないけれど 伝わっている事が良くわかった。

その後 ドラックストアまでテクテク。
飲み物とアロエエキスを購入して 施設に戻った。
戻る道すがら 何となく気配が いつもと違う。
「足が痛い?」と聞いても そうでもない様子。
「歩ける?」と聞くと静かに頷く。

そういえば 心当たりがあった。
昼食時あたりから 時折 顔を背けることが数回あった。
最初は 他の方の相手をしているせいでやきもちかと思っていたのだが…。

何とか無事に施設に着いて トイレ誘導。
パットが濡れていた。
その後 少量の排泄。
今日は 母にだけ集中していなかったし お散歩に連れ出すことに気を取られて排泄誘導が中途半端だった。

昼食後も 他の方と話しこんでトイレ誘導が遅れてパットをぬらした。
5回誘導中2回失敗している。
大のほうも 気になった時ゆっくり対応できていれば 良かったのだ。
言葉が消えている分 母の発信する情報を慎重にキャッチしなければならないのに。悪い事をしてしまった。


2008年05月20日(火) 元気でも 元気でなくとも…


 昨年 友人から昆布巻きを戴いた。
お嬢さんが嫁いだ先が昆布巻き屋さんという。

婚家先で作られている昆布巻きを送って下ったのである。
食べてみて驚いた。
何しろ昆布のぐるぐるが多い。
昆布のかおり 鰊の味 調味料 柔らかさ 芯まで味が沁み込んで 絶妙だった。やみつきになってしまった。

デパートやスーパーで売っている昆布巻きは 美味しいと思ったことはなかった。
下手でも 自分で作ったほうが美味しいと感じていた。

でも この昆布巻きを食べて以来 自分で作らなくなった。

取り寄せて送ったり 差し上げたり…。
昆布巻きが好きな人なら 絶品であることは判っていただける。

何より 値段も手ごろ。
ただ 送料が掛かるため 我が家のお財布にとっては 贅沢品。

先日 友人と会った時 おばあちゃん(年代的に私たちの親世代)が「真空パックしない」「量産しない」「自分達が食べていく位の売り上げがあればよい」という信念で作られていると教えてくださった。

最近 次の世代に移りつつあるが それでもまだまだおばあちゃん頼りだそうだ。

手作りで勘が頼りなので 時に「おや?」と思うときがあるけれど それでも 自分が作るよりはるかに美味しい。

最近は 人気を作るために数量限定とかの売込みをしているお店もある。
が このお店にそういった欺瞞は感じられない。
だから いっそう美味しさを感じるのかもしれない。

娘が会社の上司に何かの機会に差し上げて 上司のお父様が「うまい!」と唸られたそうだ。
其の時の味は 最高よりちょっと落ちた時だった。

昆布巻き屋さんのある地域に住まわれている方の話を伺っても 他にお店もあるけれど あそこに敵う店はないと話されていた。

もうひとつのお話。
友人の嫁ぎ先のお義母さまの作られる古布で作られた草履。
これも絶品である。
いまどきは お土産さんにも並んでいるけれど…。
履いているうちに 緩みそうな編み方の物を見かける。

一時 布草履に興味が沸いて 其の作り方をネットで調べてお気に入り登録をしたことがあるが結局一度も作っていない。
作れなかったのは よこしまな心があったからだろうと思う。

つまり 母のリハビリ作業としてやってみたら…と思っていたのである。
自分が作らずに 母に新しい体験をさせようなんて虫が良すぎたのだ。

友人のお義母さまの作る布草履は 道の駅で900円で販売されているそうだ。
私はお店に在るものは見ていないが 戴いたものを見て900円は手ごろな価格と感じた。

もうひとつ。
ふるさとの地域には豪雪のところもある。
友人のお義母さまは 今も 勤めから帰る家族のために 車庫の前だけは必ず
雪かきしてくださっていると言う。
はんぱなく積もる地域なので さぞかし大変だろうと思う。
友人も「助かるのよ」と感謝なさっていた。

昆布巻き屋さんも布草履を作られている方も雪かきをなさる方も ご高齢。
この方達 皆さん 大家族。
陰で支える方があって出来る事なのかもしれない。

元気で過ごされている高齢者のお話は羨ましい限りだけれど…。
でも 母のような病だからこそ得られる喜びだってある。

本人にとって 病は苦しい事かも知れない。
母も苦しんでいるだろう。

でも 若い頃 母はもがいている私に「聖書には 全ての事に感謝しなさいって在るのよ。難しいけれど そうありたいな」って言った。
あの時 「病気にも感謝するの?」と思った。
このことは 友人とも散々語った事がある。

母と共に歩む道には 感謝出来るけれど「病がわが身に振ってきた時感謝できるか?」と思う。
やっぱり 母と同じで「そうありたいな」と思うだけの自分がいる。


2008年05月19日(月) やっと…入浴


 お土産を持って施設に向かった。
施設では 昼食が始まっていた。
荷物を置いて 母の食事介助。
このところ 新しい入所者のご家族が見えている。
車椅子なのだが 食事介助 トイレ誘導をなさっている。
母より5歳ほど年下のご主人が 奥様の介護をなさっている。
聞けば 毎日見えているという。

母の食欲はまぁまぁで 全量摂取できた。
午後 浴室使えるかと伺ったら 今日は母ともう一人入浴予定だと言われた。
そこで こちらが入浴させるので 終わったら教えて貰うことにした。

母をちょっと置いて 別のフロアに移動して 同郷の方のところにデジカメを持って出かけた。
地名を伝えながら デジカメの映像を見てもらった。
すると幼い頃 母親から作って貰った笹巻きのお話等をしてくださった。
「あ わかる」等と興味深そうに みていらした。
「お土産は後で 職員に分けてもらってね」と伝えたら 喜んで下さった。

それから 母の居室に戻って トイレ誘導したり爪きりをしたり 居室をお掃除したり…。
持参したグレープフルーツを少し食べてもらったり…。
入浴介助で 衣類が濡れてしまうので 着替えをした。
母の半そでTシャツ。
それを見た母 Tシャツをさして「私の」と言っているようだった。
「借りるね」と言ったら 頷いていた。

ゆっくりと服を脱いでもらって 体を洗い 洗髪 入浴。
少し拒否も見られたが 母の気持ちに合わせながら 強引を避けて介助した。

体を拭いて ちょっと休息してもらい 浴室をお掃除した。
母の所に戻って 汗を拭こうとしたら「どうも ありがとう」と母が言った。
多少の拒否はやんわりと強行したけれど それでも「有難う」と言ってくれた事が嬉しかった。
途中で「怒らないでね」と1.2回言っていた。
最近 怒った記憶はないけれど…こちらも必死だったので「怒られた」と感じたことがあったのだろう。
今日の入浴は ぎりぎりの合格点だったのかな?

ホールに移動して グレープフルーツを食べてもらい その後お土産でおやつタイム。
おやつ後 ドライヤーで髪の毛を乾かした。

程なく 夕食が配膳され ちょこっと食事介助し 後は職員にお任せして施設を後にした。


2008年05月18日(日) またまた再会

 
 今朝は 早朝に起きて 朝風呂。
そういえば 昨夜 同級生の一人が 深夜間違って殿方のお風呂に入ってしまいました。

少し酔って 日ごろの疲れで先に眠ってしまったのです。
温泉は 11時過ぎると入れなくなります。
11時少し前に目覚めた友人は「ちょっと お風呂に行ってくる」と部屋を出ました。
戻ってきたら「やっちゃった!肝が冷えた!」と言うのです。
湯船に浸かって上がり 脱衣所に戻ったら男性の整髪料しかなくて間違いに気がついたそうです。

弁護するわけではないのですが…。
確かに 男湯 女湯の区別の付き難かったのです。

笑い話で済んで良かったですが…。
これが 逆だったら相当の騒ぎになるのでしょうね♪

今日は 少し離れた場所に済んでいる方で 今回参加できなかった方の所に出かけることになりました。
昨日 昼だけ参加したそうですが 私が着いた頃には戻られてしまい逢えませんでした。

お店を経営していると言う其の方の家まで 大勢で出かけました。
そこは 我が家の菩提寺のある地域です。
父も眠っている場所です。

其の方とも卒業以来初対面。
結構 親しくさせて頂いた方です。
長い黒髪の印象が強いのですが ショートで茶髪になっていました。
でも 一目見て「アッ」と判りました。
そして硬い握手を数回。

お店の前の庭には ハーブや小さな花がたくさんありました。
友人は お店でミニコンサートを開いたりして 地域の活性化に尽力なさっていました。
今ならではの 旬のご馳走を準備してくれていて…。
大勢で押しかけたのに 歓待してくださって…。
ご近所に住まわれている同級生も呼んでくださって また わいわいです。
確かに あの頃から二人仲が良くて…。
冬には 通学が大変なので同じアパートで暮らしていたことも思い出しました。

そこから 今度は古い町並みを保存していると言う地域まで案内して戴きました。
初めて訪れるその町 地域くるみで町並みを保存していると言う事でした。
パッチワークのお店(素人さんが経営)だったりです。
街を守るってこういうことなのだと感じ入って来ました。

私の生まれ育ったところや 今住んでいるところにはない 地域の連携が見えました。

それから ターミナル駅に出向いて お土産を購入。
友人達に聞きながら 地域ならでは名産品を教えていただきました。

欲しいと思っていた山菜も本 今 摘んできたというもので感動しました。

ふるさとでこんなに新鮮な山菜に出会う事は めったにないのです。

まだまだ 楽しい事は続くのですが 書ききれません。

予定通りの電車に乗り込んで帰路に着いたのですが…。
こちらに戻ってから 家に戻る電車で人身事故があり 暫く運休。
別の線を使って何とか家に戻りましたが…お土産の重い荷物を肩にしてちょっと疲れました。


2008年05月17日(土) 迷った挙句に…


 ひとりでふるさとに向かう時には 後ろめたさが生じる。
其の上 聴いて置きたいシンポジュームもあって 行くぎりぎりまで迷った。

母には 話さなかったけれど 施設の入所者の方(同郷)の方には「出かけるけれどお土産は何がいい?」と質問しました。
同級会の行う街は 其の方の生まれ故郷だから…。
「山菜?」と聞いたら「それより 連れて行って欲しい」と頼まれました。
一緒に連れて行けたら どんなに良かったでしょう!
でも そのためには いろいろ準備が必要で…。
まして 母を連れて行かないのに其の方をお連れしたら 良心が咎められます…。

ターミナル駅に着くまで何時引き返してもおかしくないような心境でした。

でも 勝手なもので電車に乗り込んだら すっぱりと気持ちが切り替わりました。

同級生は 先に集ってました。
私は 遅れて宿直行です。

自分のふるさとは通過して其の先の単線に入っていきました。
子供の頃は SLで走り その後ジーゼルとなって 今はワンマン電車です。

駅に降り立って 同級生に電話したら車で迎えに来てくれるとの事。
其の間に無人の駅舎をいろんな方向からデジカメで撮影。
おそらく この風景は 入所者の人には懐かしい風景だろうと思われたからです。

宿は 昔からあり一軒しかないのだそうです。

宿泊する地は 電車だったら単に通過するか バスハイクなら休息スポットになるのでちょこっと下りた事があるくらいの場所です。

でも 昔ながらの風景が広がっていました。

宿でみんなと出会った時 卒業以来初めて会う方もいました。
名前を聞いてイメージできても 今と結びつきません。
話しているうちに 記憶が蘇ってきました。
30数年タイムスリップしました。

夜遅くまで おしゃべりしました。




2008年05月16日(金) スリリングな1日


母の月1の通院日。
施設に着いたときには 非常に不安げな表情。
後ろから頭を撫でると「なにすんの!」と機嫌が悪かった。
隣には 新入所者の方が車椅子に座っていらした。
見慣れない人だから 機嫌が悪いのだろうか?

顔を見せても不安げな表情は消えない。
立ってもらおうと介助したら嫌がる。
2度目で何とか応じてくれ 居室に移動。

こういう時は「ギュッ!」が1番。
笑顔が戻った。
そこでトイレ誘導。でも空振りだった。
着替えをして歯磨きをして…。
そこへ 職員が見えて話し込む。
母は 再び機嫌が悪くなる。
自分を除いて会話している事が気にいらぬようだった。
しかし 足の事もあるので母には我慢を強いた。

話し終えて「出かけるよ」とホールに移動すると「ここがそうか」ともう外出気分になったようだ。
「いや 未だ先よ」というと頷いて歩き出す。
少し足が重そうで 交通手段を何にしようかと迷う。

玄関先で 母のショルダーをみた職員が「ナイスコーディネイトですね」と褒めてくださった。実は 乳児用のお出かけバックなのである。
これが 案外 母のように水や替えパット等が必要な者にも使いやすい。
歩く時は 母が肩から提げる。

ご機嫌になった母は 外に出ても体を傾けながらも歩こうとする。
そこで とりあえずバス停まで。
ちょうど空いているバスが来たので乗り込もうとした。
が 今日のバスは 歩道から離れて停車したので 母は乗車拒否。
乗り込み口でモタモタしていたら 乗客の一人が助っ人してくださった。
それも 満面の笑顔で受け入れ態勢万全。
そこで 母の手を持って頂き こちらは腰に手をかけて 力仕事。
何とかバスに乗り込めた。
それでも 膝カックンしてしまったのだが…。

下りる時は運転手さんも歩道に寄せて停車してくださり 私だけの介助で降車できた。
お次はタクシー。
午前の診療時間に間に合わせるためには タクシー利用はやむなし。
施設を出る時 回転座布団を持ってきたので 直ぐに座席に置いて母に腰を下ろしてもらいくるりと座布団を廻した。
多少もたついたが でも困難な状況は免れた。
下りる時には 運転手さんが回転座布団を取ってこちらに渡してくださった。
個タクだったので 親切で優しさを感じた。

診療所は 空いており直ぐに診察。
足も気になったので 見ていただくが心配はないと言う事で一安心。
待合室に「7月から日曜の診察はありません」と張り紙がしてあった。
「いやぁ〜参ったなぁ〜」これも 日曜診療の加点のせいだろうか?
他のところはどうなのだろうかと気になった。
ちょっと調べておく必要がありそうだ。

さて 昼食前に施設を出たので ランチタイムを取らねばならない。
家を出る時 サンドウィッチを作り 抹茶ムースの黒蜜がけと飲み物を準備してきた。けど 何処で食べるかである。
近くには 公園があるが そこまで歩くのは母にとってはハードすぎる。
ふと タリーズがあったことを思い出した。
そこは 外にもテーブルがあるのだ。
お店に行くと店内からは階段2段上らなければならなかった。
仕方ないのでぐるりと廻って1度外に出て テーブルに着いた。
サンドウィッチとアイスコーヒーを注文した。
こういうお店 持込は禁止だろう。
でも そうっと持参した物を母に食べてもらう。
日差しは強いが 気持ちの良いお天気で 母はニコニコ笑顔。
「気持ちがいいね」と言ったら 静かに頷いて笑顔をくれた。
人ごみや車が目の前を走る所ではなく 緑ゆたかで ちょっとしたピクニック気分になれた。

問題は帰路。
気持ち的には 美容院に連れて行きたい心境。
おそらく暫く入浴できていないのだ。
母の様子を見る限り もう今日の行動の限界だろうと想像がついた。
美容院は諦め バスを乗り継ぐか タクシーかと思いあぐねながら乗り場まできたら 本数の少ないミニバスが停車していた。
これに乗れば 乗り換えなしに帰れる。

バスに乗り込もうとして気がついた。
ミニバスにはステップがあった。
迷ったけれど「大丈夫よね。頑張ろう」と声をかけ 母の頷きをみて バスに乗り込んだ。結構冒険だったけれど 何とか乗り込めた。
乗り込む時 ステップに腰を下ろさせてからこちらで向きを変えて立位して貰おうかと悩んだのだが…。
乗ってしまえば こっちのもと安心しきっていたら バスが動き出し暫くしたら…。
停留所でバスが止まり 降車ドアがあいた。
「誰も降りない」
あいたたた!母の手が降車ボタンの上にしっかり置いてあった。
運転手さんに「間違いました」と伝えた。
母のせいという言い方をしてしまった。
でも 母は認知できていないのだから「私のせい」なのだ。
全く 何時だって言い逃れしようとする自分がいて嫌になってしまった。

さて バスは遠回りしながら施設に近づいてきた。
考えれば 1番近くの場所で下りれば 大きな道を2回渡らなくてはならない。
ひとつ手前で降りれば 車の通らない道を少し長く歩く。
どっちにしようかと迷ったが ひとつ手前で降りて歩く事にした。

大分疲れた母にはもうひと踏ん張り。
えっちらおっちら いい加減嫌になりかけた母に「頑張ってくれてありがとうね」と声を掛けながら歩いた。

途中2度ほど休息を取った。
あまりに辛そうなので帽子を脱いでもらったら 汗でびっしょり。
「そうだわ」自分だって汗が出ているのだ。
背中にタオルを入れてごしごし。

ブラウスを一枚脱いで貰って 再度歩き出した。
小山のある公園まできて「上れる?」と聞くと頷いた。
「じゃ もうひとふんばり」と小山を上って降りて…ようやく施設に到着。

今日の母 はなまる !!
居室に入っても笑顔の母。
「頑張ってくれて有難う。ごめんね 無理させて」と言ったら ニコニコ笑っていた。
思ったより疲労度は 軽かったようだ。
爽やかなお天気と見知らぬ人たちに支えられたこそ 今日の一日を無事過ごせたのだ。

ちょっと面倒ではあるけれど こういうことがあるから ちょこっとした無理にチャレンジしたくなる。結果オーライってことで勘弁してもらおう。


2008年05月15日(木) 夕刻の出会い


昨日 別のフロアの入所者の方と久しぶりにお遭いした。
其のフロアの方とは 母の日の行事の時に合同だったのだが 其の方の姿は見えなかった。
具合が悪いのかなと思っていたのだが…。

お話もあまりなさらず 食事の時も目を瞑って居られる事が多い。
「お久しぶりです」と挨拶すると目を瞑ったまま 静かに頷かれた。
「目を開けられないのですか?」
「開けられます」と言うけれど 目を開こうとはしない。
「目を開けて貰えたら嬉しいです」とかなり押し付けがましくお願いしてみたら…そうっと目を開いて 直ぐに目を閉じられてしまった。

クリスチャンでもあるので 耳元で賛美歌を口ずさんでみた。
すると 口を僅かに開いて賛美歌を一緒に口ずさんでくれた。
歌詞に間違いはなくて しっかりと記憶されていらした。
でも 声はか細い。

唄い終わった時 顔の表情が変わっていて 笑顔が見られた。
ここまでの笑顔は本当にひさしぶりに見たように思う。

「一緒に歌って戴き 有難うございました」とお礼を伝えるとまたにっこりなさった。

この方も母と同じように信仰が支えになっているのだなと感じた。

其の方の傍を離れる時 フロア担当の方から「有難うございました」とお礼を言われた。
いつも どこかで余計なお世話をしているのかも…と感じていたのだが それ位はOKということなのだろう。

母にも賛美歌は届いたようで ニコニコしていたのでホッとした。

今日は 会議。電車に乗って出かけた。
結構長い時間になった。
帰り道 本人や介護者の介護環境 看護環境 今の問題についてあれこれお話をした。

在宅でも施設でも 介護や医療における 本人及び介護者の選択出来る余地は 少し狭くなってきているような気がする。
お金があれば プラスアルファーのサービスを受けられるけれど 現実にそうできる人は多くはない。
また 成年後見人制度のこともちょこっと話題になり 後見人制度を利用する人は ボツボツ増えてきているけれど 本人向けというよりも家族向けの利用が多いと話されていた。
財産だけでなく 介護も含めて本人の選択出来るような制度利用になるのには まだ時間が掛かるのだろうなぁ〜。
自分が認知症になったら…という意識が薄いせいなのかなぁ〜。

地元の駅に着いた時 介護仲間がお母様と一緒に歩いておられた。
最近 お母様を引き取られたばかり。
まだ 認知症も初期症状である。

聞けば 耳鼻科通院の帰りだと言う事だった。
丁寧に診察してくださる医師なので 地域でも信頼されており非常に混雑する。「長かったでしょう。お疲れ様です」とお母様に向けて話しかけたら「ええ〜」と笑っていらした。
介護者の会には お休みだったので お元気なお姿に出会ってひと安心。

いつも車を使われるのだが お母様のためにバスを利用するようにしたと話されていた。
社会との接点が大事と気がついたとも話されていた。
「そうなんだよねぇ〜。でも 周囲の配慮って感じるでしょ」と言ったら
「そうそう 全くお構いなしって言うのも結構多いよね」と笑っていらした。

しかし 7時ごろの時間。
戻って食事の支度は お互いさまだが 介護のある分 私よりハードだと思う。まして 仕事もお持ちなので…。


2008年05月14日(水) 清掃日のお楽しみ


リハビリの日なので 午前中のうちに母の所に向かう。
入り口で清掃業者の方と出会い 今日は一斉清掃だと気がついた。
と言う事は フロアはいつもの倍の人数で過ごしている筈。

フロアは大勢いるのに静かだった。
食べているのだから静かなのは当たり前と言えば当たり前なのだが…。

母は職員の手を借りて食事していた。
職員の介助を受けているのは 母一人だけだったと記憶している。
職員とバトンタッチして母の食事介助。

母は 今日は最高の笑顔。
目が合っただけで ふふふと笑う。
食事も順調に終了。
こういう時は 大体と予測がついたので トイレ誘導。
予測通りの出来事が…。

トイレにいても「ふふふ」と笑う。
にらめっこと言ったら ほっぺたをぷ〜っと膨らませた。
思わずわぁ〜いと言ってしまった。
ほっぺたを膨らませる事は 最近殆ど出来なくなっていたからである。

もう一度と思ったが もう 出来なかった。
貴重な場面に出会ったと言う事だろう。

リハビリは 笑顔が多い分 上体を起こしかける。
でも 不安な表情ではないので 良かった。
足の屈伸の時も久々に嫌がらなかった。
やはり これまで痛がっていたのは かなり痛かったと言う事だろう。
でも痛みがあっても 歩く事を拒否しなかったのである。
むしろ 腰を屈めながらも歩ける事を喜んでいた。

これからは リハビリの時の膝の屈伸が痛みの前兆と捉えるようにしておこうと思った。

リハビリを受けている間に フロアの人たちの入れ替えがあった。
今度は 認知症でない人も数人おいでである。

初期から入所なさっている方も多く 顔見知りも多い。
「お母さん元気?」とか「先日 蕨有難う お姉ちゃんでしょ」とか言われた。
もう お姉ちゃんなんて言われること等皆無だが ここでは 確かに私はお姉ちゃんかもしれない。

今日は 早めのおやつ。
みんなでおやつを戴いた。このところ 気温が低いので 熱いお茶を皆さん喜んでいらした。

今日 出かけて 同じフロアにいた方が別のフロアに移動されたことを知った。
ちょっと寂しいけれど…。
認知症の方が 結構厳しい状態だったのでちょっと救われた。
案の定 今日は落ち着いて笑顔を見せてくれており 職員が「目は英語でなんていうの」「鼻は?」「口は?」と質問していたら ちゃんと答えていらした。

ベットで過ごされている方のところにもお邪魔した。
乾いた唇にオリーブ油を塗って差し上げ 足や上体を擦って…。
こちらの言葉は理解できている。
だから 合間合間に訪ねては「またくるね」というとこくりと頷かれる。

暫く フロアで皆さんと遊んで 母のフロアの人が移動する頃合に施設を後にした。

母の様子を伝えて 牛乳は中止をお願いした。
足の痛みは もう 大丈夫みたいだった。


2008年05月13日(火) 窮屈になった!


 昨夜 気になっている介護者の方に電話を差し上げた。
高齢者世帯で 90歳を越えるご主人が奥様の介護をなさっている。
疲れてしまって 奥様がデイに出かけたら寝てしまうので外出が出来ないとお便りを戴いてからである。
ご主人も介護保険を使っておいでで ヘルパー利用なさっているそうだ。
ところが 来て下さるヘルパーさんの中に 高齢者向きの食事を作れない方がいるのだそうだ。
食べられないので 作り直しして貰うが 食材の費用は利用者持ちとなり何だか割り切れない気持ちになると言われていた。
事業所には 直接クレームを数回入れたそうだ。
「承りました」と受けてくれるが 一向に変わりないのだそうだ。
大手の事業所だった。

いろいろな打開策を提案した。
ベストな方策を選ばれて 改善できればいいのだが…。

今日は  介護者の会だった。

金銭管理の事から始まり 日々直面しているお話があった。
金銭管理の話は いろいろ 悪用される事もあるので中身は内々のみで…。

介護サービスについてのお話では 

最後まで在宅で踏ん張りたい方が居られるが 寝たきりになったらデイは利用できなくなると言われた方もいる。
実際 現在 そうなっている方もおいでだ。
少し前なら ぎりぎりの状態でも受け容れてもらえていたのだが…最近は どうも受け容れてもらえない。
医療行為を含むサービスに制限が出ている影響だろう。

「訪看がある」と言うかもしれないが 介護と訪看は違う。
結局のところ 介護者は ほぼ24時間付き添うこととなる。
最近 在宅で踏ん張る事が難しくなってきているような感じがする。

同じように選択肢がないのが 初期。
家族が対応しきれなくて デイやショートを利用と思ってもいろんな周辺症状で拒否される場合がある。

もうひとつの課題。
それは 特養入所で入院となり長期入院となってしまって 特養にも戻れなくなり 病院からも退院を迫られ 行き場がなくて右往左往してしまう介護者。
後期高齢者医療保険の影響だろう。
実際 そういったことが起きているというお話だった。

家に戻ってから 別の地域の介護者の会の方とちょこっと情報交換した。
やはり 何処も突き当たっている事だった。

もう少し何とかできないかという事になった。
2日後には 会う予定があるので…。

会に出向く前に いろんな準備をしてたら 母のところに行けなくなってしまった。


2008年05月12日(月) 雨降る前に…


利用者さん訪問。
利用者さんは 庭木の剪定をしていらした。
明日老人会で 遠足の予定だが 台風は来ると言うし雨なので 問い合わせしたら 雨でも出かけますと言われたと笑っていらした。
お元気なご老人対象なので 大丈夫と言う判断なのだろう。

いつも通りの活動だったが いつも早めに見えるから 今日は 早めに切り上げてくれないと申し訳ないといわれた。延長なしの活動で終了。

午後 施設に母の様子を問い合わせた。
痛み止めが効いたようで 今日は調子がよいようだと言う事だった。
そんな訳で 菜園に出て作業。

冬からこれまで 春菊を収穫してきたが もう黄色の花が咲き出してしまったので
全て倒す事にした。
春蒔きの春菊も育ってきているので 心配なしに倒せる。

草取りも入念にした。
雨が降って気温が上がると 草の繁殖も勢いが出てきてしまう。

4月に植えた苗たちも順調に育っていた。
トマトに花が付き始めたので 摘花しなくちゃいけないのだけれど 何となく勿体無いような気がする。

スナップエンドウ 2つの苗を植えただけだが 3人分の食卓に載せる位の量が取れる。嬉しい。

種を蒔いた にがうりや葉大根等も順繰りに芽を出している。
家のプランターに蒔いた 落花生も芽を出しているが 生憎枝豆が不作。
もう少し 様子見して駄目だったら 再度蒔きなおしかなぁ〜。

でも菜園も目いっぱい使っているので 何処に植える事になるのだろうなぁ〜。


2008年05月11日(日) ふぁ〜!!「おかちゃん!」かぁ〜!


「朝風呂に行こう♪」と娘に誘われ 温泉に出かけた。
温泉に来る人は 朝と夜ではずいぶん雰囲気が違うなと思った。

耳をダンボにしていると 結構 離れたところから来ている方が多かった。
母を入れてあげたいけれど オムツしている人は駄目だそうだ。
仕方ないないなぁ〜。急にもようしたら困るものね。
母は 温泉の個室の風呂でないと無理だわね。

家に戻ると 弟から山菜が届いていた。
受取人は 夫になっていたが 母に早く食べさせたいと思って 昼食後 施設に向かった。

玄関で出迎えてくれたのは 入所者の方。
髪を綺麗にカットされており さっぱりしていた。
「綺麗になりましたね」と伝えると「そうね 有難う。いつももわもわしてたものね」とにっこりと笑みを見せてくださった。
この方 ほんとにいつももわもわとしているのだが 整髪してあげると「ありがとう」といわれる。
ご自分で判っていても ブラシを持つ事はできないのだろう。
でも気になさっていたのだなと感じた。

職員と玄関で出会って 母が金曜日から 足首が腫れて 痛そうだった事。昨日は 歩行拒否もあって車椅子を使っていると言われた。
車椅子の母は にこやかな笑みを浮かべていた。

車椅子で居室に移動して 居室の椅子に移乗して貰った。
やはり 足は痛いようでカクンと膝が曲がる。
2日面会していない事が悔やまれた。
でも 椅子に座って 内履きと靴下を脱いで 様子を見た。
左足に首にシップが張ってあり 腫れは良く見えなかったが 触れてみて腫れはないように感じた。
母は時に足が浮腫むので 腫れてるように感じる時もある。
ちょっと足首を押してみたら 手を振って「しないで」と訴えているようだった。

でも足は 血の巡りが悪くて痛みを訴える事が多く 痛みの判別が付かない。

少し膝の屈伸をして貰うと痛がった。
どうも 左ひざに痛みがあるように思えて 今度は膝の辺りを押してみる。
足首を押すよりも痛がった。

この感触から 時折起きる痛みではないのかと思った。
クリーム上の痛み止めを膝と足首に塗って 立位誘導。
転ばぬように 介助は強めに。
立ち上がりは 何とかできて 其の足でトイレ誘導。
マッサージ効果なのか 移乗の時ほど痛がらず そうっと歩けた。

トイレでも 様子を見た。結果は 同じ。

考えれば この2週間 時折痛みが出ており シップで対処していた。
これが この数日酷くなったと言う事だろう。
気温も下がってきており 血の巡りも悪くなっているのではないかと思った。

トイレでは 排泄誘導で大小。
その後 少し腹痛が起きたようで 気持ちが落ち込んでいくようだった。

手洗いを済ませて ホールにゆっくり徒歩で移動した。
ちょうどおやつとなり母も椅子に座っておやつを食べてもらおうと思った。

おやつを食べる間に ベットに寝ている方の部屋に入室し アロマを入れて 口にオリーブ油を塗って差し上げた。
塗る時には 本人が口をすぼめて塗りやすいように協力してくれ にっこりと笑顔を見せてくれた。
それから 少し足をマッサージ。
しょぼんとした顔が活き活きとしてきた。
やはり スキンシップ効果があるようだ。

母の様子を見に ホールに行くと母はテーブルに突っ伏して おやつには手をつけていなかった。
それから 暫く 母のおやつ介助。
おせんべいは 手に持つけれど口に運ぼうとしなかった。
腹痛のせいだろう。
時折 お茶も拒否だったが ゆっくりと母のペースに合わせながら 全量を摂取できた。

その間 ベットに寝ている方は 径管栄養。

おやつ後 母を再びトイレ誘導。
ちょこっと排泄できた。
やはり お腹が落ち着かないのだろう。
でも 介助を強めて歩行できた。

「歩く時痛くて大変だね。でも 動かないと筋肉が固まってしまう」
「歩けなくなったら つまらないから 頑張って 少し歩こうね」
と伝えたら 僅かだが頷いていた。

職員には 痛み止めがあるか確認をして 夕食後服用させて様子見をしてくださいとお願いをした。
勿論  これまで時折起こる 通常の範囲ないの痛みだと感じると所見も伝えた。
夜勤の職員も出勤なさり「どうでしたか?」と聞かれたので その旨を伝え 安心して頂いた。
当然の事だが 引継ぎで日勤の方から申し送りはあるのだけれど…。

夕食の時間も近くなり そうっと施設を後にした。

今日は 不安も強いようで 久々に「おかちゃん」の連発だった。
母の日 夕食にはきっと息子から届いた山菜を食べさせて貰って入る筈。
明日は 午前中訪問活動日となっており 家に連れて来るわけにも行かなかった。痛み止めで緩和できているといいなぁ〜。


2008年05月10日(土) あ〜なさけなや♪


午前中は夕食の仕込みとパール疳のジャム作り。
午後は 本を片付けようと屋根裏に上った。

屋根裏には 古いものでは 学生時代に読んでいた分厚い季刊誌から 子育て中の絵本 料理本 手芸本 そしてハードカバーの単行本 文庫本と様々ある。

箱から取り出して どれを処分しようと選別しようとしたのが間違いの元だった。

あれやこれやとタイムスリップ。
貝原益軒の本が出てきた。
そうそう これは 母が信頼してた医師の待合室に張ってあり 益軒さんの言葉を借りて 母の心にすとんと落ちる言葉を捜したんだっけなぁ〜。
他にも 介護の本として 長谷川和夫や野原スミレやあれこれと出てきた。
まだネットを使い切れない時にお世話になった本である。

こんな本を読んでいたんだぁ〜と記憶を解く感じ。
文庫本は 昔話か推理小説が多い。

10年より以前は 本屋さんも直ぐそばにあって 図書館も近かったので読書量は今よりずっと多い。
母の介護もあり 何処にも出かけられず 手紙を書くか ひたすら本を読むしかできなかった。
テレビを観ていると母に直ぐ対応しきれず 途中切れに気分が落ち込むので時間の許す時には 本を読んで過ごしていた。

新聞の書評欄をみて購入したんだなと思われるものもいくつか在った。
魚柄仁之助の「ひと月9000円の快適食生活」なんていうのもあった。
これは 朝日新聞のコラムに連載されている時の頃だろう。
友人も読んでいて ファクシミリと電話であれこれこの本の話をしたものである。

大叔父の句集も出てきた。
詠んだ句を筆で書き 自費出版したものである。
筆文字は優しさが伝わってくる。
おそらく90歳を越えた頃の句だろう。
孫が装丁 製本をしたとあとがきに記してあった。

私自身母のことで いっぱいいっぱいの状態で ゆっくりと目を通すこともなかったのだろう。記憶に残っていなかった。
あらためてじっくりと読んでみて 感じ入るところがあった。

屋根裏で本のページをめくり 一日が過ぎてしまった。
母の所に行く予定だったし 他にもすべき事が在ったのに…。

結局 処分すると決め束ねたのは 時代遅れになった医学関連の本等20冊程度。
ほんとは 好きな作家のハードカバーの本のみ数冊残して処分するつもりだったけれど…。
本は目を瞑って処分しないと片付かないかも知れないなぁ〜。


2008年05月09日(金) 草取り


朝 庭に出て草取り。
草の他に 種が零れて芽を出しているものがいくつかあった。
青紫蘇もある。毎年のことだが あちらこちらから集めて ベランダの前に植えている。

家の周りくるりと草取りをして 昼食。

午後は 銀行周り。
今日は歩きと電車を使った。
夕方前には 終了。

ちょっとした贈り物を選ぼうとデパートを廻ってみたけれど 未だ決まらず。
決断力が弱くなっているみたいだ。
贈り物もいろいろ悩むなぁ〜。

明日は 決めなくちゃ♪


2008年05月08日(木) 施設の母の日


5月らしいお天気だ。
施設に着いて「薫風…」と言ったら 入所者の一人が
「薫風 咽より来たり 口中 微涼を生ずるが如し」と言った。
私は「薫風爽やかな季節ですね」と言うつもりだったのだったが それよりも素早く言葉を放たれて驚いてしまった。
この方 食べたくない時は「歯が痛い」「頭が痛い」としか話せない方。
昔 学ばれた事を適切に思い出せるのです。
思わず拍手してしまいました。

今日は 施設で母の日の行事をすると言う事で 予定より早めに出かけ 昼食介助をした。
今日は 笑顔が多くて 食べ方もスムースだった。

写真を撮るのだろうから…と思い 順繰りに皆さんの整髪をさせて頂いた。
その後 顔を拭いて差し上げて…。
認知症でなかったら ご自分で身なりを整えられて入る筈である。
ほんとは 出かけるたびにそうして差し上げたいけれど…母の事もあるのでいつもと言うわけには行かない。

ベットで過ごされる方が 参加できるのか判らなかったが それでもやっぱり気になってちょこっとお手入れ。
そして 握手して力みのある腕をマッサージ。
「力を抜いて 広げてみて頂戴」と話しかけると ゆっくりと力を抜かれた。
そしてにっこりと笑顔を見せてくださった。
毎日 お話できればきっと言葉も発せられるだろうになぁ〜。
こちらのお話は伝わるので 言葉に反応してくれる…。
ついでに足もマッサージ。
ご家族は お仕事で忙しいとの事で 時折お部屋訪問させて戴いている。

母の日のイヴェントは 階下のフロアで…ということだったので トイレ誘導後階下に移動した。

このところ こういうイヴェントに参加なさるご家族がめっきり少なくなった。寂しい限りである。
何か工夫は出来ないものかと思うのだが…。職員では手が廻らないのだろうな。

職員の手作りのフルーツポンチやケーキが振舞われた。
みんなでわいわいと楽しんだ。
ケーキは3ホール準備されたので 出来る方は職員の手をお借りしてケーキ入刀して貰った。
皆さん 結構楽しそうだった。
母はどうしようかと迷っていたら「やりたい」と言う意思を示したので 母にも入刀して貰った。

お腹がいっぱいになったところで 母の日の手作りカードとカーネーションを戴く。
カードは 家族が見えた時に書いていただいた様子。家族が見えない方には 職員が作ってくださったようである。

一人一人のカードを職員が読み上げてくださった。

母には 聖書の言葉とお礼の言葉を添えた。
このカード 母が気に入ってくれたようで 居室に戻った後「無くしちゃ駄目」と言って片付けようとした私を視線で追っていた。
きっと文字は 何となく読めて判ってくれたのだろうと感じた。

昨夜は 2度の地震で目覚めた。
最初の時には「揺れているなぁ〜」と様子を見ていた。
再度眠りに落ちて 2度目の地震。
今度は だんだん揺れが強くなって いよいよ起きてドアを少し開けた。
娘は 残業で戻っていないが帰り道ではないだろうかとラジオのスイッチを入れ情報をチェック。「大丈夫そうだけれど…」と思いながらドアを閉めてまた眠りに落ちた。
明け方「今帰ったよ。会社で揺れて怖かったよぉ〜」と娘が帰宅。

夫は昨夜の地震騒ぎ 全く気がつかなかったそうだ。
そういえば 今朝のラジオで森本毅朗と遠藤泰子も 全く気がつかなかったと言っていたから 眠った時間にも拠るのかなと思ったりした。
施設入所していた人は ベットの柵にしがみついたと教えてくれた。


2008年05月07日(水) 不安の原因は?


療法士さんの見える日なので 昼食めがけて母のところへ出向いた。
母は 困惑した表情で箸を持っていた。
あまり 食べたそうではなかった。

職員の話によると 早朝覚醒しており 機嫌も悪くなかったが 少し前から下降気味だと言うことだった。
早朝というので何時かな?と思ったら 六時だと言う。

家で早朝覚醒と言うのは 4時5時をさすのだが…。
住まいが違うと 早朝の時間も違うなぁ〜。

職員が「眠い?」と聞いたら頷いたそうだ。

口をもぐもぐしていて 時に噎せたり 背中を辛そうにしたりで 飲み込みが悪いように感じた。
でも1時間チョィで食べ終えた。
このところ 食事に要する時間が短くなっていたが これくらいは以前は普通だったのだから 多少調子が悪いと言うところなんだろう。
時折 俯くので 眠いよりもお腹の調子のせいじゃないかと感じた。

食後 トイレ誘導したが 特に変わりないように思えた。
でも暫くしたら 排泄が少量。切れが悪いので お腹の調子がイマイチなのだろうと想像がついた。

療法士さんが見えて 暫く待って頂いた。
母の表情をみて「不安そうですね」と言われた。
ゆっくりとリハビリ対応していただく。
横になっても寝ることはなかった。

リハが済んでから 再度トイレ誘導。空振り。
施設のおやつを戴いた。お茶の飲みっぷりが弱かった。
それから お散歩に出た。

外に出ても 冴えない表情だったが道路を走る車に興味を示した。
これなら 安心。
言葉は発しないが 歩く意思はあるようで「帰る?」と聞いても無反応だが「歩ける?」と聞くとゆっくり頷いた。
そんなわけで 今日はドラックストアまでスタスタ。
一回りして帰路 さすがに疲れたようで途中2度休んだ。

外は結構暑い。
お茶をあげたら ゆっくりと150ccほど飲んだ。
食事時やおやつの時には少し噎せていたが 外では噎せなかった。

施設の近くまで戻った時 建物を見上げた。
「お部屋ね」と言葉を添えたら 頷いた。
そろそろ戻りたいと言う意思のように感じて 戻る事にした。

不思議なもので 言葉はなくとも「戻りたい」「戻りたくない」と言う意思は表せている。

戻って トイレ直行。
「我慢していたの?」と聞くと頷いていた。
暫く トイレから立ち上がる気配はなくて また少量排泄。

ドラックストアでカゴメの植物飲料を購入したが 明朝に飲ませて貰う事にした。

押入れを少し整理して ホールへ移動。
ボツボツと夕食のようすなので そろりと施設を後にした。

あしたは 母の日の行事があるそうだ。
カードを準備するように言われていたが まだなので あした持参する事にした。


2008年05月06日(火) 連休最終日


 さて 今日は どうして休みなのだろうか?
振り替え休日は 日曜日と祝日が重なった時だった筈。

調べたら…。

国民の休日:
2008年5月6日(火)、2008年11月24日(月)
2009年5月6日(水)、2009年9月22日(火)

一般に振替休日ともいわれ、「国民の祝日」が日曜日にあたる場合に、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日にもうけられる休日。また、その前日および翌日が「国民の祝日」である日 (「国民の祝日」でない日に限る) にもうけられる休日。毎年変動する。

だそうだ。
知らなかったのは 私だけか?
カレンダーをみて 赤色文字だから休日と判っていたけれど…。
世の中のこと よく知らないで過ごしているみたいだった。

今朝 真っ青な空の向こうに 真っ白な富士山が望めた。
どうりで冷えたはずだわ。
連休に雨なしになりそうだとの予報だった。
それも30年ぶりくらいで記録的なことだと耳にしていた。
が 低気圧が長居してくれて…あまり 良いお天気ではなかった。
「晴れ」と言われなければ 別段気にしなかったのになぁ〜。

夕方 菜園に出向いた。
トマトの苗が倒れそうだったのだが 用具もないし時間もなくて放り出していた。
午後に仲間から「とうもろこし」「ピーマン」「ミニトマト」を植えて置いたからとメールが入っていた。
菜園に出向くと 支柱はちゃんと立っていて苗も植えてあり 土も馴らして下さっていた。
今年の畑は 格段と綺麗である。
もうちっとガンバラにゃ!

ルッコラは 種を取るため花を咲かせているが 伸びすぎて強い風に倒されていたので ちょこっと束ねて置いた。
種が取れるまで後少しの辛抱。

後は 少しずつ 苗の周りに肥料を撒いた。
これで ちょっと安心。
夕餉の支度のため 草取りは取りやめた。近いうちにやって置かなければ…。
草取りは 庭も同じ状態。
荒れるほどではないけれど しっかり抜いておかないと…後が大変。

今日は 夫からプレゼントがあった。
別に不満も文句も言ってないのだが…気になっていたのだろう。
有難く頂戴した。
娘が苦言を呈したかな?


2008年05月05日(月) 母に「ありがとう♪」


 「今日は5月5日。〇ちゃんが 私を産んでくれた日。産んでくれてありがとう♪育ててくれて有難う♪」と伝えるために 施設に出かけた。

昨日 前祝でメロンが出たので おすそ分け。

今日の母は いまいち はっきりしなかった。
でも それでもいいんだ。

笑顔の合間に俯く事があって トイレに誘導。
相変わらず 足が重かった。
でも ちゃんと排出できた。

メロンを美味しそうに食べてくれた。
美味しいと感じたんだな。
それだけで嬉しい。

他の方に話しかけていたら おへそが曲がってしまった。

居室に戻ってギュッと抱きしめて 顔をあわせたら 笑顔が戻った。
良かった♪

今日は 家人が揃っているので 長居せずに家に戻った。
娘からは 少し前に洋服を貰った。
夫は プレゼントを探しきれなくてキャッシュで…。

今でこそ 30歳を過ぎての初産は珍しくないけれど 母の時代は そう多くはないだろう。
赤ちゃんとは「小さいけれどふくよか」と思い込んでいた両親は 頭が長くて細い赤ちゃんで まるでお猿さんみたいだったと話していた。

きっと難産だったのだろう。
今も元気で 母の傍で過ごせる事に感謝。

そうそう このところ 母がなぜ足の先を痛がるのか判った。
TBSラジオの子供電話相談室で血の巡りが悪くなると 抹消に痛みが生じるのだそうだ。
情報が入って 気がついたのだが…。
血の巡りが悪くなって痛みを感じる時に 緩和する薬のコマーシャルがあった。初めて聞くものではなかった。
でも ちゃんと聞いていなかったんだなと思った。

次の診察の時 医師に聞いてみようと思った。
薬で解決しなければならないものかも判らないから…。


2008年05月04日(日) 前祝をして戴く


午前中は 少し家の整理をした。
娘が友人姉妹を連れてくると言う事だったので 慌ててお掃除。

昼には見える筈が 夕方に変更と言うので 午後は久しぶりに夫とウォーキングに出た。

母とよく歩いたコース。
歩きながら 母は80歳を越えてこの距離を歩いたのだ。
家から 1時間ちょっとのコース。
このところこんなに歩いていないので 足が痛くなり 母に課したコースはかなりきつかったかななんて 今更ながら感じた。
でも 母の様子を思い起こしてみて 嫌な顔はせず「頑張る」という意気込みがあったと記憶している。
やはり 頑張り屋の母なのだろうし 何よりも自然との触れ合いが好きだったから出来た事だろうと思う。

あの頃は 私にも余裕があり 道すがら草花の名前を言ったりして一緒に楽しんでいたものだ。

けれど 今日のウォーキングで 草花に目を移す事は少なかった。
せいぜい 水辺にせりがあるとか桑の実が出来ている…なんて事くらいだった。
もうちっと 意欲を持たなければ…と反省。
なにせ 植物の名前を忘れかけている…。
母との歩きより ずっと早いペースなのだけれど…。

目的地まで着いて 帰路は電車。
駅で夫と別れて 私は買い物。

買い物を済ませてから 家に戻って菜園へ出かけた。
春菊やらスナップエンドウや青菜等を収穫。
家に戻って 蕗を刈った。

娘の友人へのお土産にと思ったが 野菜はともかく ふきは調理してあげたほうが良いかなと思ってすじを取って コトコト煮た。葉っぱも茹でて灰汁を取って 佃煮を作った。

予定より大分遅れて到着。
まぁ〜様々な工夫を凝らしてお祝いして頂く。
仲間が大勢だと賑やかで…。
わいわいとみんなでお食事。
久しぶりにケーキのろうそくを消した。
何年ぶりだろうか?
あまり 年を数える事はしないが…。
改めて 自分の年齢を思い知った。

今日は1日 ゆっくりと自分のことだけ考えて過ごせたような気がする。


2008年05月03日(土) 大丈夫そうかな


施設から連絡がないまま 夜が明けた。
特に変化はなかったのだろうと思い 胸をなでおろした。

「そばにいて欲しい」という視線を感じていたので 後ろめたさが強かったのだ。

午前中の内に母の所に向かった。
ホールに母の姿は見えず 瞬間ドキッとしたが居室から職員の声が聞こえてトイレ誘導中とわかって気持ちが緩んだ。

トイレの誘導は職員とバトンタッチ。
朝食も準備したものを食べたと言う事で一安心。

まだ 少し腹痛がある様子だった。
それでも トイレで手遊び等をしていたら 時折笑顔が出てきた。

トイレを出て居室の椅子に座わって貰い 手足の爪切りをした。
母の手を取った時 爪切りを見て手を引っ込めてしまいそうになった。
「爪が伸びたね。危ないから切りましょう」と言ったら 手を出してくれた。
そうっと切り「痛い?」と聞いたら首を横に振った。
「良かった」と伝えて 更に次の爪を切った。
順繰りに足の爪まで切った。

その後 足を良く拭いて薬を塗った。
これから夏に向かい 水虫が悪化しないようにしなければならないから…。
母は 足の指先に触れられると嫌がる。
おそらく痛いのである。「そうっとね」と母が要求した。
「うん ちょっとだけ 我慢してね」と伝えたら 小さく頷いた。
酷く嫌がる事もなく終えた。

母の隣に座って「お母さんの娘で嬉しい。ありがとうね」と言ったら 母の目がウルウルとし頷いた。

初期に そう伝えた時には「そうだったね。ありがとう」と言っていた。
初期の終わりごろには「娘じゃないです」と言われた。
中期にかけては「娘ではないのに 勿体無いことです」と言われた。
そして 最近 娘と言う事を否定しない。
若しかしたら 「娘」と言う事はどうでも良くて「ありがとう」と言う言葉に反応しただけのことなのかも知れない。
でも 最近 娘ということを理解できているような気がしてならない。
こういった事は 医学では どういう説明になるのだろうかと時々思う。

暫くすると 昼食となった。
母の食事介助。
昨日 夕食に「ふき」は出なかったようだ。
今日は 職員にお願いして 出してもらった。
みんなが「おいしい」と言って 食べてくださった。
特に「食べたいな」と言った方は「わざわざ作ってくれて…嬉しい」と言われたので 「買った訳でないし ちゃちゃと作っただけだから気にしないでください。喜んで戴けて こちらも嬉しい」と伝えた。

昨日「刻んで出しますから」と言ってくれたのだけれど「刻まなくても大丈夫」という確信があった。
でも余計な事は言わないで置いた。
今日は 刻まないで出してくださった。
蕗の葉も調理して持っていったのだが 両方とも普段刻みの方も食べられた。 噎せたり 食べにくそうな事もなかった。

刻み食って 何から何まで刻む必要はないと感じている。
ただ 材料別に配慮するまでの職員の手間を考えるとそういうことは言い出せない。職員だって いろんな仕事があるのだろうから…。
でも ちょっとした気配りで「これは刻まなくても大丈夫ね」と対応して貰っているのを見かけると入所者の変わりに「ありがとう」と思ってしまう。
家族って 自分の家族でなくともそういう気持ちになって嬉しくなるものである。
これは 私だけの思いだけでない。 
他のご家族と接して耳にすることである。

さて 今日は 夫もお休みと言う事で 家の昼食もあるので 食後トイレ誘導して歯磨きを済ませて そうっと施設を後にした。
家には 食材を準備して出てきたのだが ちゃんと自力で食べていた。
私の分まで作っていてくれた。「感謝」


2008年05月02日(金) 母 不調?


朝 役所の方と打ち合わせ。
時間を過ぎても一向に見えなくて 仲間とやきもきした。
どうも 同じ施設の中で目と鼻の先ですれ違っていたみたい。

途中施設から電話。
母が 胃液ぽいもの少量嘔吐があり 11時近くに起床してもらったと言う事だった。

打ち合わせ終了後 そのまま母の所に向かった。
約束の蕗の煮物も持参した。
母は笑顔を見せてくれ 特別具合悪そうではなかった。
が 誘導時足の運びが悪く重たそう。そして少しのふらつきも見られた。
少し長く 寝ていたせいなのか?それとも 昼に消化の悪いものを避け おかゆだったせいなのか?

トイレ誘導しお腹をマッサージした。
すると少しずつ押しだされた。細いものだった。
その後 お腹が落ち着かない様子で不安げな表情となった。

夕食の献立を伺い 消化の悪いものを避けて代わりの物を準備しようと思い買い物に出た。
家に戻って作って運ぼうかと思ったが 片付けなければならない仕事があるのでそういう訳にも行かないのだった。
冷凍の大根おろしやとろろおろし。豆腐。茶碗蒸し等。

高齢なので寝込んだら 目に見えて機能が落ちていくだろうから 出来る限り口から運び 無理のない範囲で動かしておきたい。
熱もないし 下痢もなく 便秘でもないので おそらく大丈夫だろうと思うのだが…。体調が良くない事は 本人の頷きで確認できるのだが 何処が?がつかめないのがもどかしかった。

職員には 出して直ぐ食べられるように大根おろしととろろおろしとしょうがをセットして渡した。
おやつには プリンを少し。
自分の昼食が未だなので 海苔巻きを食べていたら「ひとつ…」と食べたい意思を示した。
がここは グッと我慢してプリンのみにした。
食べたいと言う意思があるなら心配ないかもしれないと感じた。

ホールのソファーに座ってもらって そうっと施設を後にした。
小雨が振り出す中 急いで家に戻って作業。
作業は郵送物で 郵便局の閉まる前に…と思ったが結局近くでは間に合わなくなり バスを乗り継いで本局まで走った。
「祭日ですけれど 月曜日までに届きますか?」と確認を取ったら「祭日は速達しか配達しない。明日は 土曜扱いなので間に合えば…」と言われた。
其の時は「そうか」と納得したけれど 明日土曜日だって祭日なんだけれど…。
さて どうなるんだろうなぁ〜。

ぎりぎりまで掛かってしまった自分が悪いのだけれど…。
ドキドキしてしまうなぁ〜。
母のアクシデントは 何時起きるか判らないのだから 余裕を持って作業しなければいけないと反省である。

「母に変化があったら 連絡ください」と伝えてきたけれど…まだ連絡がないところをみると落ち着いているんだろう。


2008年05月01日(木) 散歩に出ると…


 昨日 入所者のお一人が「お散歩に出たら藤の花が綺麗だった。紫も白も見たんだ。蕗もあった。蕗 食べたいなぁ〜」と話され その後蕗談義となった。

お散歩に出ると やはり話題も増える。
散歩の効用はあるんだよねぇ〜。

「家には 蕗が沢山あるので 煮てくるね」と言ったら喜ばれた。
今朝 早速 蕗を刈ってすじをむいて炊いた。
出かける前に届けに行こうと思ったが 時間が足りなくてあしたへ持ち越すことにした。

午後 急な用事が出来て出かけた。
イヴェントの会場に使う場所の下見。
いろいろ問題はあるが それを長所にかえれればいいのかなぁ〜。
使用料金が掛からないのが魅力かも…。
まだ決定ではないので…。どうなるかなぁ〜。

湿度が高いのか 動くと汗ばむ。
こうやって夏に近づいて行くのかな?
娘は 今夏50度になるかも…と騒いでいる。
そうなったら…と考えるだけでも滅入るので 考えない事にした。
なったらなった時に考えればいいやぁ〜。


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