母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2007年06月30日(土) 嬉しい報告だったわ♪


 介護仲間から電話で報告があった。
ショート中器物損壊をしてしまい ショート中断。
その後 ショート利用が出来ない状態が続いていた。

家でそういった行為に到っていないので ショート中の対応はどうだったのだろうかと気になっていたが そういう説明はない様子だった。

担当ケアマネは 他の所も当たっていると返答しており 事実申し込みはしていたと事業所から聞いた。

何が 問題になったかと想像するに 1度器物損壊と言う行為をしてしまうと
ショート中の不穏な行動として特記されるのだろうなぁ〜。

事業所の系列の施設の医師の診断 家族の話し合いを重ねた様子だ。
そしてケアマネ以外の責任者からも連絡が入るようになったそうだ。

事業所は ケアマネに問題ないと言っていたのだが...。
入ってくる情報では「?」の部分もあった。

今日の報告の電話は お試しショートや本番ショート利用が出来て器物損壊に到るような行為はなかったという事の報告だった。

「良かった 良かった」

「薬は変わりました?」とお聞きしたら「これまで通りですよ」という事だった。
という事は 対応が良ければそういった行為はおきないという事なんだろうなぁ〜。

受け容れてくれた施設の職員は いろいろ気配りがなされたのだろう。
大変だったとも想像が付くが でも1人で奮闘している家族の苦労も相当なものである。

ちょっとでしゃばってしまったが 結果が良いものとなって良かった。
仲間は「やはり きちんと伝えた方が良いのですね」と判ってくださった。

言いにくいことも感情を抜いて質問できれば こんな風に解決できると思う。


2007年06月29日(金) 表情から推し量る


 母の所に行く。
生協の荷受があるので 早めに行って家に連れてこようかなと思ったけれど
あれこれしているうちに 昼前になってしまった。

施設の昼食が始まったばかりだった。
手を洗って 食事介助。
職員が冷たい珈琲を準備してくれて 感謝。
お昼は 飛ばす覚悟だったので 助かった。

今日の母は自力率70パーセント。
シャケのチャンチャン焼きの切り身の半分をお澄ましに入れてしまうことも有ったけれど でも自力で食べ始めた事は嬉しい。
体調が 良くなっているという事だろう。
今は 朝1回のマグラックス1錠だけ。それも 時に中止しながら。
降圧剤も弱い方に切り替えているので 胃腸の調子が改善されたかな?

それでも 排便は順調みたいだ。

ところが 母の調子が悪い時に 元気だった方の食事のペースが落ちてきた。介助しても口を閉じる事が多い。

母の介助率が100パーセントに近かった時 お隣で自力でさっさと食べていらして羨ましく思っていたのだったが...。

母とその方の食べる様子を見ていると 母のほうが口の中の健康度は悪い。
母の方が 食べかすがどうしても残る。
でも 食べる意欲は 今 母のほうが意欲的。

飲み込み状態は 2人とも同じくらい。

職員も何故食べないかを歯医者さんに見てもらったりして様子を探っている様子だった。

母は 水分摂取の時も様子を見ながら注意深くだが その方はまだ状態がいい。というか 水分なら拒否はない。
拒否が多いのがお粥。

今日は前半は私が介助し 後半は職員が介助。
1時間かけて ほぼ80パーセント召し上がっていた。
残ったのは お粥。

認知症の場合 本人の訴えがないだけにその原因を探るのは なかなか難しい。主食を食べやすいものに替えてみたら どうなるかなぁ〜。
単純にお粥が嫌という事も有るのかも知れないから。

昼食後 トイレ誘導するとジャストミート。
緩めだが 普通量。
母もトイレで出来て安心しているのが見て取れた。

その後 手洗い 歯磨きはいつも通り。
椅子に座って母と唄う。
歌いながら 歌詞を思い出そうとしているのが見て取れた。
そして 唄えた時の嬉しそうな顔。
きっと 判らない事が多くなって 分かった時には 嬉しさ10倍なんだろうなぁ〜。そういう気持ちが見えてくる。
みんな 思い出したいけれど 自力で思い出すことが少なくなっているんだろうな。
そこが 認知症の悲しい所だな。
でも でも 思い出せた時の喜びの大きさは 私たちの比にならないものなのではないかと感じる。
表情をみていて 感じるのである。
母に限ったことではない。


2007年06月28日(木) ブログ講習その2


 昨日の母の事で ほうっと感心したことがある。
それは トイレ誘導の時のこと。
母の顔をそうっと撫でたら 母も私の顔を撫で返し「ベタベタするね」と言ったのだ。
自転車での移動で汗でべっとりの状態だった。
ハンカチで拭いても 次から次と汗が出ていたのだ。
母自身が感じる感覚は 大概の場合 表現できる事が多い。

今日は ブログ講習会
手探りで始めてみるものの まだ判らない事が多い。
仲間と一緒に講習を受けた。

早めに出かけて 皆が揃うまでちょっとした作業をした。
家だと他の事まで手を出してしまい注意散漫になるので余計に時間がかかる。
ここは エアコンも程よく効いていて 作業がはかどり予定の工程を終了。

講習会で聞いておきたい事は 画像処理。
家では アドビを使っているが 前回の時違うやり方だったような気がしたので 知っておきたかった。
後は トラックバックの使い方。

今日の講習は 本来初心者向けのものだったのだが 厚顔で質問させてもらった。
ブログを見たり出来ている人たちで ある程度理解している参加者ばかりだったから…。

家に戻って みんながパソコン内に当然あると言っていたものを探したが マイPCにはなかった。キェィ〜 こういう事もあるんわ。
ということで これからもマイペースで取り組むしかないわ。

講習会の時間が延びて クリーニング屋さんの訪問に間に合わなかった。
今月分の請求書と母のカーディガンが仕上がって置いてあった。


2007年06月27日(水) 薬なしでも...大丈夫?


午前中 ある方からこれからの事の説明を受けるため出かける。
初対面の方。
エレベーターに乗った。
公共の場所なので いろんな方が利用するのだが...。
どうも 乗り込んだ時から「ひょっとしてこの方?」と言う気がしたのだが見知らぬ人に声を掛ける勇気もなくて エレベーターを降りて約束の場所に行き 灯りを付けて エアコンを入れて待った。

程なく 役所の人に案内されて其の方が見えた。
やはり エレベーターで一緒だった人だった。

相手も「ひょっとして...」と思われたそうだ。
つまりは 私は介護者に見えて 相手は役所勤めの方に見えるという事なんだろうなぁ〜。
でも自分の発している風体が介護者に見えるのか?それは 良い事か?

30分の説明予定だったが 話し込んで1時間半かかった。
療養型の病院を廃止して老健が受け皿と言う話題で2人とも「それって結局いるって事でそういう改定ってほんとに必要だったの?」という見解で一致した。そう感じている人って 他にもいるのかな?
この事に関しては 其のうち発信する機会もあると思う。

母のリハビリの時間ギリギリ。
お昼は省略で母の所に自転車で走る。

急いでトイレ誘導。
「便所ね」と母は言った。
今日は しっかり判っているみたい。
出た後だった(かなり重かった)ので パンツ交換。

手洗い 歯磨きを済ませて「これからリハビリよ」と体勢を整えた。
受ける言葉は 明確に理解していた。

療法士さんが見えてリハビリ開始。
降圧剤の服用をやめているが 血圧はそれでも低めだった。
職員にも確認してみるが 特に上がってないようである。
という事は やはり先日の嘔吐は 何等かの原因で血圧が下がったという事なのかもしれない。
また この所軟便が続いてるが これも職員によるとマグラックスは服用していないという事だ。
という事は 母の体が少し変化してきている事のだろう。
一時は 便秘で嘔吐という事もあったし 血圧だって200を越えそうな勢いだったのに...。
人の身体は 日々変化するという事だなぁ〜。

リハビリを受けているうちに寝入ってしまった母。
入所者の髪の毛を梳かしたりして時間を過ごした。
母が目覚めて トイレ誘導。しっかり トイレで排尿。
その後 風呂上りの方と一緒に詰めたい飲み物を頂く。

かなりキンと冷えていて 私は嬉しかったが 入所者には冷えすぎだったかも。 母は その後腹痛を訴え また緩いものが...。

昼食をとるため 母を連れて近くのファミレスへ。
母には温かい飲み物とゴマプリン。
私のオムライスを母にもスプーンを持たせて食べてもらう。
とは言っても 母の食べる量はたかが知れている。

ファミレスでトイレ誘導し 施設に戻った。
施設では丁度おやつタイム。母は済ませたのでパス。
戻って更にトイレ誘導。

軽い腹痛があるようだが 我慢できるようだ。
職員に報告して 薬は継続して止めてもらうことにした。

テレビに見入る母だったので そうっと施設を後にした。
駅周辺で 用を足して スタコラ家に戻り 鉢植えに水遣り。

娘は今晩食事が要らないので 2人分の夕食つくり。
冷凍庫や野菜室の残り物で間に合わせた。

1人夕食を済ませて パソコンに向かって作業。


2007年06月26日(火) 久々の菜園


 曇り空の朝 庭の草取りをしてから 菜園に出かけた。
この所 夫にお任せだった。
夫は いつも手ぶらで帰ってくるので どうなっているのか不安だった。
「草取りして来たよ」とは言うのだけれど…。

トマトはまだ青かったけれど ナスは大きくなっていて収穫出来た。今年初だわ。
春菊は花を持っていた。
葉だいこんも程よく育っていた。空芯菜もあと少しで収穫出来るだろう。
赤紫蘇も適度に育っていた。
でも 草も相当育ってしまってた。

先ずは 草取りから始める。
先にナスやトマトの植えてある所の草を取り ニラのところと作物のある場所から抜き始めた。瞬く間に 草の小山ができた。
穴を掘って 抜いた草を放り込みしっかり踏んで土を被せまた踏んでの繰り返し。

今度は 作物のないところの草取り。
これも 穴を掘って埋めた。

その後 支柱にトマトやナスを紐で留めた。
また 春菊や葉ダイコンを収穫。 春菊は 枝を切って葉だけ摘み取った。
葉だいこんは おろぬいて根を洗う。

この間 霧雨が降りだしたが作業続行。
枝豆やレタスやわさび菜や水菜や時無し大根等の種を蒔いた。
梅雨の内に 種まきをしておかないと収穫は 難しくなる。

スコップやら草抜きの道具は 泥だらけなので綺麗に洗い流した。
それから 明日からの晴天を見込んでバケツに水を汲んでおいた。

家に戻って 野菜の下処理して収納。
時計を見れば午後2時。
急いでご飯を食べて 買い物にでた。
食料品は 昨夜 娘と生協に出かけて購入したので必要ないのだ。

封筒やら箱抜きティッシュ等である。
以前は 何処にでもあった箱なしティッシュだが これがなかなか見つからなかった。

買い物を済ませて 家に戻って洗濯をした。

それからストレッチ体操。
草取りの姿勢は 腰に負担がかかるので良く伸ばしておかないと また 大変なことになってしまう。

草取りの後遺症は爪に入った土。
これも買い物前に綺麗に洗ったのだけれど…甘皮のふちが黒っぽいのだ。
これも 風呂掃除しながら手入れ。

夕食は 久々に菜園から収穫したものを使った。


2007年06月25日(月) プライド


雨が上がったので自転車で母のところへ行く。
今日は 肌寒いような気温なので自転車も心地よい。

入所者の家族も見えていて「お久しぶり」とご挨拶。

家から紫陽花を持ってきたので職員に手渡していると姿を見つけた母がソワソワ。自力で立ち上がろうとする。
困ったような表情である。

そばに行って 手を引いて居室のトイレに誘導。
誘導中に出てしまったことが判った。
「出ちゃったの?」と聞いて見た。「...」
が ドアの前で「いやだ」と拒否。
「しまった!聞くんじゃなかった」と思う。
出てしまった事を母は気がついているようだ。

そこで 1度トイレに背を向けて「私の大事な〇ちゃん」と耳元で囁いた。
更に「どんなに嫌な事があっても 一番大事だから」と囁く。

其れから 再度 トイレに入った。
強い拒否は消えたが 嫌がっている風だったので歌を唄う。
♪そよそよかぜがふいてます あおいはっぱがゆれてます はっぱのかげからさくらんぼ でたりひっこんだり かくれんぼ♪
母は身体でリズムを取り始めたのでゆっくりと手当て。
結構な量の緩いものだった。

そこで 居室に薄荷のオイルでアロマを炊く。
トイレの床も薄荷オイルをペーパーに付けて隅の方を拭いた。
窓も全開。

其れから 着替え。

手当てが終わる頃には 母の機嫌は戻ってニコニコ笑顔を取り戻した。

何ごともなかったように 窓辺で歌のメドレー。
今日は ゆっくり歌詞を思い出せた。
歌のテンポは 最近 かなり スローテンポ。
母が歌詞を思い出せるように ゆっくりとそして気持ち母より先に歌詞の頭を口にするようにしている。
母は 私の口元を見て歌詞を思い出しているのだ。
すごいことだと思う。
母の内なる力でそういう事をしているのだ。
判らない儘でいることも出来るだろうに 唄いたいのだなと感じた。

これが 大勢の中だったら 母は歌い出せないだろう。

手荒い 歯磨きを済ませてホールに戻ると職員が「今日はたこ焼きをします」という事でお手伝いをする事になった。

材料は職員が準備してくれていた。
焼く担当は 家族。
20個焼ける台がふたつ。
傍らで食べる人が9人。
トータルで 1時間で160個以上焼いた。
たこだと食べられない人もいるので ホタテや紅しょうが抜き等様々。
最後は チーズも入れて...。

普段は 食事も早々に終える人もおかわりの連続。
家族が持ってきてくれたトマトも好評だった。
野菜嫌いの人が おかわりを希望されて職員が驚いていた。

母は少しはなれたところで食べていたが たこ焼きは自力で食べていた。
お茶の中に1個たこ焼きが入ってしまったのは 愛嬌という事で...。
時折視線を交わしていたので 機嫌が悪くなる事もなかった。

たこ焼きの片付けが終わったのが4時ごろで...「夕食に時間が...」と言う声が聴こえてきた。
夕食加減されるのかなぁ〜。

ま みんな楽しそうだったから それくらい仕方ないかぁ〜。

雨が降り出しそうな気配だったので そうっと施設を後にした。
霧雨の中 買い物を済ませてエンヤラと家に戻った。





2007年06月24日(日) 展示を終えて...


 イヴェント最終日。
カフェ形式の展示なので 誰か説明する人がいるとよいとのことで 今年は出来る限り張り付いた。今日も会員で時間の余裕のある方が来て下さった。
中抜けで母の所に行く予定でいたのだが 看取りの終えたばかりの方に声をお掛けしたので離れる訳にも行かなくなった。
無理に出る事はないけれど 良かったらいらして見ませんか?
数年前にご主人を看取られた方もおいでですので…共有できるお話が出来ると思ってお誘いしてみた。

看取り終えた直後は もっと違う接し方があったのではないかと思いつめてしまう事も多いと聞く。
やはり 其の方もそういった思いをなさっていらした様子だった。

こちらは ただただお話を伺うだけのつもりだったが 介護中の悩みや似たようなお話をして一方的ではないおしゃべりの場となった。
クリスティーンさんのビデオを流しながら 時々画像に見入って 認知症の流れが変わったのはあのあたりからですよねと言う話題になった。
母もそうだが 今日集っていた方は 介護保険施行前から認知症介護が始まった方ばかりである。

小澤勲氏の本に出会ったのも似たような時期である。

認知症介護に関しては 地味に介護者や本人を支え続けていらした先生も多くおいでだということも存じ上げてはいるのだが…。

今朝 弟が家に立ち寄った時に 母の認知症を診断なさった先生の話がでた。
大きな病院にMRIがなかった頃 個人病院でMRIを持って病院から紹介されて診察を受けたのだ。
あの時に母の脳の変化を感じ取り MRI検査を勧めた先生 またMRI検査で認知症と診断した先生。母はそう意味で恵まれていたのだろう。
極々初期に発見されたのだから。アリセプトは服用せずに今日まできた。

そのMRI検査をした病院が 大きな老健をいくつも建てて 地域に貢献していると言う。そこの医師が良いのかどうかの判断は 私には判らないのだが。

同じ系列の病院が地域を独占するのは 私は好きではない。
形の異なる病院や施設があって 選べる余地が欲しいと思っている。

だから 今の介護保険で地域に住む人に限定するやり方はどうなんだろうなと思う。
いや 遠くの施設に入所と言うために言っている訳ではない。
箱物は極力作らない方針みたいだけれど 地域の境界に住むものにとっては微妙な所だからである。
住居から近い施設を選べるって介護を受ける者介護を担当する者の双方に大事だと思う。
施設によっては地域に特化しない所もあるようだが…。
あれれ ちょっと話がずれてきてしまった。

展示もそろそろ終了かと思った頃 知り合いの議員さんが見えた。
昨日は 市町村レベルの長さんや其の派閥の議員さんもお姿も見かけた。
でも 展示を見ていかれた形跡はない。
知り合いの議員さんは ここに今私がいる事など全く知らないのに立ち寄ってくださった。

こういう所に住民に対しての向き合い方の違いを感じる。
沢山の団体がありますからね…とこちらに言い放った事は頭からまだ離れない。
住民が補助金カットの中でどんな風に活動しているかを見るチャンスなのになぁ〜。

知り合いの議員さんとあれこれ話をした。
個人的な話ではなく 今の地域の介護状況についてである。

今年は張り付いたおかげで 介護に関って居ない方と介護のお話が出来た。
でも やっぱり介護者は大変と言うお話と認知症と決めつけないほうが本人の為になるとか…のお話が多かった。
これだけ 世間に認知症サポター育成と言われているけれど わが地域はほど遠いなと感じた。
私の周囲だけのことなのだろうか?


2007年06月23日(土) イヴェントと任天堂 ウィ


 今日はちょっとしたイヴェントがあって朝からパタパタ。
介護者の会の仲間と会場準備。

認知症介護の学習会だけれど 場外の交流も楽しかった。
遠くの地域の仲間も参加してくれて拡大版介護者の会みたいだった。

介護者の会同士の交流もチョコチョコ始まっている。
以前は 私も出かけていったものだが 最近は母のこともあって思うように行かなくなっている。

さて イヴェントの話はさておいて...。
今日 娘が任天堂ウィを購入。
ちょこっとゲームを初体験。
ホヘッと言う感じだった。
こりゃ 娘がいなかったら体験する事もなかったでしょう。

夜 友達を呼んでゲームを楽しんでいた。
その後お笑いのDVD観賞みたい。
まだ 友達もいておしゃべりしている。
友達は明日ゴルフだって。朝早く出かけるわけではないみたいだからゆったりしているんだろうな。


2007年06月22日(金) 出来るんだね♪


 娘の出勤に合わせて家を出て母のところへ行く。
母は笑顔が多かった。
入所者の方の頭髪がカットされていて 昨日ご家族と出かけたんだなとわかった。
母もそろそろ美容院に連れて行かなくちゃ。
気になっているんだけれど 体調と睨めっこ状態。
母を連れて行かないと 自分も行き難いし…。

昨日の夜 家に連れて来ようかと思ったが 明日 明後日とイヴェントがあり無理だと気がついた。曜日の感覚が1日ずれていたのだ。
予定が混み合ってくるとこういう現象が起きる。
気持ちが焦るんだな。
 
連れ帰れないので  今日は外に連れ出そうと思った。
生協の荷受があるので 時間の制約があり遠くに行けない。
近くのすし屋さんまで出かけて見ることにした。
アロエエキスも切れそうだし ドラックストアにも行きたい。

雨の中 外に出た。
♪あめがあめがふっている きいて…♪と唄い出すと母が其の続きを唄い出せた。
久しぶりに唄えた。
「よっしゃ 今日は 雨の歌メドレーだぞ」と…。
♪あめ あめ ふれふれ かあさんが…♪ ♪じゃのめでおむかえ うれしいな…♪
これも唄えた。
この2曲を 繰り返し歌う。

「疲れない?」と聞くと「大丈夫」と母。
ドラックストアを一回りするまで 休息なしで歩けた。

向かい側にあるすし屋のランチタイムを狙って広い横断歩道を渡ると 暖簾はかかっているのにドアは開かなかった。残念だが仕方がない。
暖簾に背中を向けて また戻る。
施設の下にある料理屋さんしかないとテクテク歩き出す。
ところが母がだんだん前屈みになっていく。
やはり 歩く距離が長くなると辛いのかな?

お店に入ってテーブルに着くと母はテーブルに顔を突っ伏した。
かなり疲労してしまったのだろう。たいした距離ではなかったのだが 母にとっては辛い距離になったのかと思った。
体調を言葉で言えないので隣に座って「疲れたの?」と聞くと反応がない。
「歩いたものね。頑張ったものね」と背中をさすってみた。
「背中痛いかな?」と聞いて見た。母は頷く。
ふと「お腹は?」と聞くと これまた頷くのである。

食べる時には 最近 母の胃の調子がいつも気になっている。
今日も食べて嘔吐かなと少し不安が過った。
注文した後なのでキャンセルも出来ず 様子を見ながらボツボツ行くしかないと覚悟を決めた。母には優しくない判断なのだが仕方がない。

注文の品が届いたので おそるおそる母の口にお刺身を運んだ。
母はニッコリした。
でも 先日も苦痛な表情をしていなかったので 用心深く介助。
消化の悪い物は 避けて介助。
サラダも追加したら 自分で箸で運び出した。
お汁もちゃんと飲める。

「あとはたくさん」と言う表情だったので「お腹いっぱい?」と聞くと頷いたので終了。
メニューの4分の3は食べられたのでそれでよい事にして珈琲を飲んでもらう。

食べ終えてお店を出て「お腹まだ痛い?」と聞くと「少し」と言ってた。
ほんとは もうひと歩きしたい気持ちだったが 食べ終えたばかりなので無理はしないことにして施設に戻った。

真っ直ぐトイレに誘導。
「私に用はない」と言った風な表情だったが ちょっと呼び込んでみたら何となく臭った。
あれれ と思いながら座ってもらったら 既に排出済み。
「だいじょうぶ 大丈夫よ」と言いながら 洗浄した。
座ってからも排出。

そうか 気持ちが悪いとか疲れたではなくて こっちの方だったのかと安心した。
母の状態を探るのがだんだん難しくなってきているなぁ〜。

そうそう 今日の外出時も靴を目の前に置いて様子を見た。
自力で靴を履けた。その上 靴紐を結ぼうとしていた。
少し細く短いので 完全には出来なかったが それでも蝶結びは出来そうだ。出来なくなっている事が増えているのだが 残っている能力も探し出せたような気がして嬉しくなった。


2007年06月21日(木) 変化


 トイレ誘導・入浴拒否が続いてた入所者の方が 最近 順調に入浴できてトイレ誘導も出来るようになってきている。
ご家族も ようやくホッとなさった様子だ。
離れて暮らす親戚に写真を送りたいとご家族が言われていた。

暮らしに慣れてくるに従って 本来の優しい性格が見えてくる。
毎日下駄箱の整理をして 母の上靴や外履きを自分のものと思い込んでいたこともあった。
職員の靴もアチコチ行方不明になって 下駄箱に靴を置けなくなった事もあった。 最近は そういう行動が消えた。

人の居室に入り込むことも随分減った。
同じ入所者から怒られたりする事もあるので 施設のルールも覚えてきたように見える。
素晴らしい事ではないか。忘れるだけじゃないんだという事がよく判る。
入所者の顔 職員の顔 ちゃんと覚えているよ。
覚えられないのは 名前。でも いいじゃないかと思う。

飲み物だって 飲まずに床に捨ててしまっていることもあった。
最近は そういう行動は消えている。

落ち着いたと言えるのか はたまた病状が進行したのか…。
安定した環境での変化と受け止めたい気持ちなのだが…。

母の通った教会から週報が届く。
いつも目を通しているつもりだったが 母のお仲間で母と同じ病で闘病中だった方の名前が消えていた。遡ってみると今年になって 亡くなられたご様子だった。
昨年 教会に寄った時にもお姿が見えなくて気になっていた。
母よりずっと後に認知症となられた方でご自宅で過ごされていらした筈。
ほぼ同年代の方である。
母がお便りを書けなくなった時 お仲間からのお便りに母も私も随分励まされたものである。

今日は 午後から 隣の町の介護者の会の方と会議に出席。
隣の町の介護者の方が どういう経緯で介護なさっていたかを 今日 初めて知った。
前向きに進まれる方で教えられることが多かった。


2007年06月20日(水) 眠い?体調不良?

 リハビリの日である。
昼食に間に合うようにチャリで出かけた。
梅雨が何処かに飛んでいってしまったようで 陽射しが強い。
Tシャツの上にガーゼの長袖シャツを羽織って 帽子を被って行く。

施設に付くと汗が噴出す。
丁度 昼食が始まる所だった。
母の機嫌はよろしかった。
が 食べ始めは 自力では無理。
介助して食事が始まった。 自分も食べながら…。

お隣の方が 全般的に食が進まない。
食事介助せずに 食べられるようになっていたのに…。
介助すれば 食べてくれていたのに 今日はそれでも進まない。
職員の方が離れた時には こちらが介助した。
食事前 うとうとなさっていたので 目が覚めてないかと思いちょこっとお腹を見せたら笑って食事を摂り始めたので 其のせいではなくて 体調が少し悪いという事だろう。
「お腹痛い?」「頭痛い?」「腰痛くない?」とゆっくり聞いてみるが ニコニコ笑っているので何処という事は ないのかも知れない。

お隣の人に話しかけていたら 母が自力で食べ始めた。
食べる速度は ゆっくりである。
でも 母は ゆっくりながら全量を食べられた。
少し前まで げっぷしながらで冷や冷やしていたが 今日は 落ち着いていた。

食後 トイレに誘導すると少し排泄があった。
昨日 出ていないと言うので 安心できた。
其れから 手洗い 歯磨きをして リハの体制で療法士さんを待った。
が横になったら 直ぐにウトウトした。
リハの間中 寝ている状態だった。
リハが済んでも眠っているので さっき食事介助した方を お散歩に連れ出した。

其の方は せっせと歩かれた。
意思をもって 進む道を考えているようで 行きたい方にあわせてお散歩。
室内では 頷くだけで言葉を発することもないが この方も母と同様に言葉数が増える。
一回りして施設の前まで来ると 施設の入り口と反対の方に歩き出すのも母と似ていた。
好きなように歩いてもらって 気が済んだところで施設に戻った。
そのまま トイレ誘導。
「失礼しますね」「ごめんね。私あんぽんたんだから…」と言うと「私もそうだから…」と言われた。 母もまた別の方もそうだが「忘れっぽくてね」「あんぽんたんだからね」と詫びると みんな同じように「私もそうなの」と返事してくださる。
出来る立場で対処するとそういう反応は返ってこない。
認知症の人の多くは 自分が出来なくなっていることをある程度判っていると想像できるこのごろである。
出来ない事で卑屈になるよりも ともに今を生きる出来ない物同士助け合う気持ちになれたほうが 暮す上では少し心が楽になるのだろうと思う。

ハッと思って 母の居室に入ると母が困ったような表情で半身を起していた。
ピンときた。
「ごめんね」と謝って 起してトイレ誘導。
たっぷりとオムツに出ていた。
「すんませんね。出て良かったね。嬉しいわ」と声をかけながら 始末した。
その後も少し 排泄が見られた。

緩めなので 水分補給した。
ジュースなので飲みっぷりは良かった。

「お散歩しようか?」と聞いてもはっきりと意思表示をしないので 言葉を変えていろいろ外へ行く誘いを試みるが外出の意思は見られなかった。
それで ちょっとホールに出て 小30分ほど5人と私でボール遊びをした。
ボールをキャッチしてぽんと投げる人 テーブルを転がして送る人それぞれの形で遊んだ。

その後おやつとなって みんなでゆったりおやつ。
再度 母にお散歩の誘いをしてみるが いまいちはっきりしなかった。
トイレに行くとまた少し。
きっと お腹が気持ち悪いのだろうと想像できたので無理はしないことにした。

フウテンの寅さんのビデオの映像に見入っていたので そうっと施設を後にした。
職員には 排泄の様子を伝えて薬の調整を御願いした。

この時期 夜明けが早くなってきているので 母も入所者の人も早く目覚めるのだろうか?それとも気温の変動で 体調がイマイチなのだろうか?


2007年06月19日(火) 介護のあいまで...


介護者の会の活動展示の準備のため 午前中から会場に入った。
少しずつ準備を重ねてきていたが 今日まで出来なかった事もあり2人で協力して何とか仕上げた。
本当は 3人だったのだが...。
連絡もなかったので 何事か起きていなければ良いが...と気になっている。

午後からは別の用事があり家に戻る訳にも行かず 仲間と昼食。
携帯電話を替えたというので 番号とアドレスを伺ったらまだ使いきれてないという事だったので 電話を見せてもらう。
自分のものは 違うが多少の使い方は判るので少し説明。
メールの使い方は理解なされた様子で 夕方 メールが届いた。
その方 以前 介護者のためのパソコン教室に参加なさった。
最近 パソコン購入なさったと言っていた。
ネットデビューも近いのかな?

午後は 地域の認知症の相談窓口の案内についての会議。
きちんと運営されるようになるまでは 動きながら修正されて行くのだろうと思う。

帰路 近所のグループホームの方と病院のソーシャルワーカーさんと話す。
ざっくりとしたお話だが 地域に歩いていける場所に介護者の会を立ち上げて そこで看取りの終えた方やゆとりの出来た人が残って 各地域の認知症のサポーターさんになって貰えば ぴったりと地域に密着できていくのではないだろうか...というような話になった。

夕方 展示の写真を取りに買い物がてらギャラリーに立ち寄った。
まだ 他のグループが展示の準備をなさってて 展示の飾り付けの相談を受けた。
「やっぱ 先生」なんて言われたので「あのね 豚もおだてりゃ木にぼるって思っていませんか?」と言ったら...。
「そうそう。自分もそうだけれど おだてられて木に登って落とされて...ねぇ〜」と笑って言われた。

そんな冗談とも本気とも取れるお話を伺いながら「誰にでも 似たような経験があるんだな」と感じちょっとホッとした。


2007年06月18日(月) 自律神経の乱れる時期?


利用者さん訪問。
「なんだか お休みばかりですみません」が開口一番に言われた。
「お元気なら それが一番です」と伝えた。
一人っ子の利用者さん。亡きご主人さまが 利用者さんの為にご主人の弟さんを後見人に選ばれた。
そういうわけで 弟さんが後見人だけれど その弟さん 心臓の手術をなさったとか...。
大丈夫かとちょっと心配。
「何か あったらはなさんにお聞きします。心強い存在です」と言われたけれど 私に出来る事は 相談先を紹介する事くらいだもの...。

活動はいつもと同じ。
相変わらず 綺麗にお掃除なさってお出でだった。

早めに出かけて ちょっとオーバー。
ひと月に1度だと すこしきついかな?

来月の訪問日を調整している時「人がなくならない限り変更はありません」と笑っていらした。
高齢になると 周囲の方で亡くなる方も多いという事なのだろう。

昼食を摂ってから 母の所に行く。
娘が 体調不良でお休みで送ってくれた。
娘は 早々に引き上げた。

母は 入浴したようでシャンプーの香りがしていた。
週1の入浴が確実になってきて嬉しい。

直ぐに散歩に出ようと思ったが 居室の整理をしながら入所者と遊んだ。
おやつとなって みんなでメロンを食べた。

母は昨日から 排泄が連続あるという事で 今日も午前中あったらしい。
トイレ誘導すると少し出ていた。
そのまま座って貰っていたら 普通量あった。
これで ようやく終了だろう。
腹痛もないようで良かった。

その後お散歩に出た。
割りに安定しており 返事も良かった。
ドラックストアの中では「こっちに行こう」「あっちにいこう」と母に指示されて母の思うように歩いた。
指示に特別の意味はなくて その時の気分だろうと思う。

帰路 さすがに疲れたようで 休憩を1.2回。
気温も高く 水分も飲みっぷりが良かった。

施設に戻った時には 疲労困憊と言う感じだったが 居室でお茶を飲んでトイレ誘導がすんだ頃には すこし快復してきていた。

娘の事も気になるので そうっと帰宅した。
施設長 体調不良でお休みのようだ。
緊急体制に入れば 休日もなくなるのだろうから 休めるときにはゆっくり休んでいただきたい。

気温変動もあり ストレスに感じる日々である。
気持ちを緩める訓練して 健康維持を努めなくては...。

明日は 介護仲間のご主人の手術の日の筈。
どうか 無事に成功しますようにと祈る。


2007年06月17日(日) 父の日


分家の義姉にモロコシのお礼の電話をした。
みんな 変わらなく元気に過ごしていると聞いて安心できた。
春先に送ったヤーコンは 本家と分家に分けられて順調に育っているらしい。

先日 食べるためのヤーコンを買い求めるため 本家の義姉は 遠くまで出かけたそうだ。 ヤーコンを酢漬けにするのだそうだ。
今度 義姉にどんな風に造るのか聞いてみようと思う。
そして 家に残っているヤーコン 送ることにした。

分家の義姉が「ところで 梅使う?」と言う。
今年は梅が沢山実をつけたから いるなら送ってくれると言うのだ。
「お暇な時に...」という事で送ってもらう事にした。
我が家の梅 残念ながら実が付かない。
幸い 親戚やら友人から頂くもので梅の実の季節を楽しませて貰っている。

今日は 娘の所に取材が入るというのでトタパタ。
治外法権の居室の掃除の手伝いはしないけれど 玄関や廊下とかいつもよりひと手間かけて掃除したのだった。
カメラマンも同行していた。

散らかし放題の部屋を片付けるための起爆剤に取材を受ける事にしたらしい。お蔭様で 自発的な片付けで 大分綺麗になっていました。
カメラマンが写した居室は 自分の部屋じゃないみたいに格好良く写っていたとか...。
夏号を見せてもらおう。

「かたづけよ」と言う言葉を 呑みこんで数年。
起爆剤をつかったにせよ ようやく自発的に踏みだせたみたい。
良かった 良かった。
御願いだから 維持してね。

で父の日のプレゼント 夫は喜んでくれて 早速 使い始めた。
喜んで貰えたところで 感謝の心が伝わったので パチパチ!

あしたは 利用者さん訪問後 母の所に行く予定。


2007年06月16日(土) 探し物


 父の日のプレゼント準備していたのに 何処に置いたか思い出せず 探し回る。ちょっと 情けない。
始まっているかな?
しまった事は忘れていないから大丈夫なんだろうけれど...怪しげだなぁ〜。

人の物を探すのは得意で 感謝されるのだけれど...。
自分の置き忘れは 始末が悪いなぁ〜。

でも見つかった。
あしたなんだもん。


2007年06月15日(金) 通院


昨日 戻ったら宅配さんからの不在連絡表が入っていた。
時計を見れば 当日の配送の申し込み時間は過ぎてしまっていたので断念。
今日の昼過ぎに…と連絡を入れた。

母の通院 やはり今日が良さそうだ。入梅したと言っても晴れそうだ。
そこで早めにタッタカ自転車で母の所に行き バスを乗り継いで家に戻った。

母の感度は非常に良好。
施設で着替えをしている時「素敵な服だ」と言ったり 帽子を選ばせたらこの所被っている帽子を指して「これ 私のだね」と言ったり 「出かけるよ」と言ったら「出かけるの?」と聞きなおしたり…。
全ての会話がこんなにきちんとしている訳ではないが 適切に返事を返してくれる回数が多かったのだ。それに とても柔和な顔つきである。

バスの乗り降りも問題なし。
そう 今日の運転手さんはとても気持ちよかった。
歩道の縁石に近い場所に停車。母がきちんと座るまでじっと待って それからドアを閉めた。こういう運転手さんに出会う事は 少ない。若い方だった。
下りる時嬉しくて「どうもありがとうございました」とお礼を伝えた。

家に着いても落ち着いていて 新茶を淹れて上げたら「んまくない」と言う。
2.3服入れても同じ返事だった。美味しく入ったんだけれど きっと甘い飲み物が欲しかったのだろう。でも 気持ちを伝えてくれたから 嬉しい。

母は良く笑った。
だから サービスで踊ってみせると声を出して笑い サービスし過ぎて「ばか 止めなさい」と叱られてしまった。

チャイムが鳴ってドアを開けたら 再配達ではなくて別の宅配業者さんだった。
義姉から モロコシが届いたのだ。そういう季節なんだなぁ〜。

昼食にした。
いつもは向き合って食べていたが 今日は 角々で隣あい食べた。
排便がないようなので 根昆布や天麩羅 大根おろし デザートには杏仁豆腐とスイカ。
ニコニコしながら良く食べた。噎せこむこともなかった。

食べ終えた頃に宅配業者さんが見え 荷物を受け取る。
そしてトイレ誘導。
ジャストミート。見ていると幾度も便座に座りなおす。気配で大だろうことが予想できた。
言葉掛けしなくとも お腹を擦らなくとも 自力で頑張っているのが見て取れた。
結果は少量だったが それでも 薬を使わずにいると意識できる状態なのだろうと感じた。
便秘が強いと 自然に任せると言う訳にも行かないのだが…。

ほんとは 入浴させたいところだが 生協の荷受がある。
お風呂介助しているとチャイムが聞こえなかったりするし この後 通院なのであまり疲労させられない。
食後 バスに乗せるのだって 今は少し不安。

生協の車がいつもより遅くて 玄関で身支度して座って待っていた。
私の靴の向きをきちんと並べ替えてくれた。
ゆったりとした時間があれば こういう事もまだ出来るのだなぁ〜。
「ありがとう♪」と言うと 手を横に振って「どう致しまして」とう動作。
こういう場面を見ていると認知症という事を忘れてしまいそうだ。

荷物を受け取って バス停に向かった。
少し早めに行ったので 暫くバス停で待った。ベンチもないので立ったまま。
暫くすると 膝がカタカタ震えて少し曲がって来た。
「大丈夫?」と聞くと頷くので 身体を支え安定を図ったが じっと立っているって結構大変なのだと見て取れた。

バスは予定より遅れてきた。足が疲れてステップを上れるか不安だったが大丈夫だった。
診療所は 空いていて程なく診察。
先生が母の手を引いて診察室まで連れて行ってくれた。
少し機嫌が悪くなっていたが これで改善したようだ。
血圧も普通で 顔色も良いし心配ないね。
という事で 薬を頂き施設へ戻った。

施設の夕食は済んでいた。
出かけるときに 食事の時間まで戻れないかもしれないと伝えて有った。
着替えをして手洗いして テーブルについて職員から食事介助していただき そうっと帰ってきた。
外で食事はまだ少し心配。特に食べて直ぐの移動は避けたいので…。
今回は 薬の量を減らして 様子を見ることにした。

そうそう 小西克哉のストリームのしょっぱなに松本ともこが「昨日入梅し今日 開けました」の言葉に思わずにんまりしたのだった。


2007年06月14日(木) 入梅?


 夕方 家に戻ったら「入梅です」と言っていた。
「ふぁ〜そうなんだぁ〜」

これから 外出も鬱陶しくなるな。
雨降りの日は嫌いじゃないけれど...でも外出の時の雨はなぁ〜。

母の通院がそろそろ。
それにしても いろんなことが目白押しになっている。

お天気の良い日に散歩がてら通院できればよいのだけれど...。
通院前に家に泊まれれば更に良いのだけれど...。

あ〜愚痴日記になりそうだから 今日はこの辺で止めておこう。

今日は 会議2つ続いた。課題がいっぱいだと感じた。

夜 夫から電話で呼び出された。
雨の中 出て行く気になれなかったけれど 先日の借りもあるのでテクテクお迎え。
「疲れているよ〜」って言えない所が ちょっぴり辛い日だった。


2007年06月13日(水) 嬉しい光景


 リハビリの日であり 昨日の様子も気になっていたので 早めに施設に出向いた。
職員が 昨夜から今朝にかけての排便の様子を伝えてくれた。
昼食前 トイレに誘導した。 少し排出できた。

昼食は 持参したおにぎりと施設のご飯をトレードして 完食できた。
お隣の方の食事も介助。その方も全量摂取できた。
お隣の方は ある程度自力で食事が出来る。
この方は おかずをご飯の上に自分で乗せてしまう事が多い。
今日は おかずをご飯の底の方におかずをもぐりこませていた。

リハまでに時間があったので  トイレ誘導し 歯磨き。

療法士さんが見えて リハが始まるが母はウトウト寝入ってしまった。
その間に 療法士さんとコムスンの件も含めて あれこれ話し込んだ。
リハが終わる頃にハッと目覚めた母は起き上がろうとした。
その時の表情が これまでになく気持ち良さそうなスカッとしていた。
リハの効用か短い睡眠でスッキリしたのだろうか?

療法士さんが帰られてから 持参したトマトや大根の煮物を食べて貰った。
美味しそうに食べていた。

その後トイレ誘導。
背中やお腹をマッサージしていたら 結構な量が自然排出できた。
トイレの中でじゃんけん遊びをしたり歌を唄ったりして リラックスを計った。

後半に出たのは 気持ち硬めだったので マグラックス開始かミルク珈琲か 状況に応じて対応してくださるように御願いした。

今日 施設にいて ある職員が自立気味の入所者の信頼を得たんだなと感じる場面に遭遇した。自立気味の入所者の方は 気持ちが通じるときちんと受け止められる能力がある。
気持ちが通じると 職員に対して優しい心使いをなさる方でもある。
とても嬉しい光景だった。


2007年06月12日(火) 暑かった!


 朝 菜園に行って 収穫する。
菜っ葉は この季節放置すると塔が立ってしまうので 行ける時に摘んでおかないと固くなってしまうからだ。
家に戻って パソコンで作業や連絡を2.3件。
昼過ぎ何とか予定のところまで到達したので昼食を済ませて 母の所に向かう。

昨日 自転車が出せなくなっていたので駐輪場までテクテク。
これを放置すると 今度は別の場所に運ばれてしまうので 更に面倒になるのだ。
「昨日 遅かったので締め出されてしまいました」と言うと「すみませんね。管理はシルバーなもので…」と言われた。
そうか 委託先はシルバーなんだなぁ〜。

炎天下なので ガーゼの長袖シャツをきて日よけしながら 自転車を漕いだ。

母はテレビに見入っていた。
母 大3日目に突入。
機嫌は悪くないという事だったが 様子をみていると俯き加減。
きっと腹痛。それも 大が近いのだろう。
こういう表情に出会うのは 久々である。
薬を使わないと判る表情である。

トイレに誘導した。
小もしっかり出て 大も少し。トイレに入っている間 自分からいきんだ。
今日は「あれ?」と思うような事を言ってた。
「おかちゃんから 取ってもらう」と言ったのだ。
母の意識の何処かに 私に排泄の始末をして欲しいという気持ちがあるのかと感じた。
トイレでの時間は 少し時間を要した。
久々に いろんな歌を唄った。
母が歌いだす事はなかったが 手でリズムを取っていた。

暫く腹痛が続いていたが ピーチゼリーで水分補給。美味しいとも美味しくないとも言わなかったが口だけは開けていた。
職員と話し合い 1度は今日からマグラックスを使用としたが 状態から判断してマグラックスよりミルク珈琲で様子見という事に決めた。
明日もリハビリで施設に行くので その時の再度検討することにした。
母を見ていて感じるのは これまでと何処か様子が違う。

ホールに移動して 母ともう1人の方と一緒にお話した。
交互に話しかけて返事を待った。
2人ともニコニコして返事してくれていた。

夕食が近くなったので そうっと帰路についた。


2007年06月11日(月) かんにんね!

日中はパソコンを睨めながら作業。
昨日 寝入ってしまったのでちょっと焦る。
集中力が足りなくて 時間がかかる。

6時から打ち合わせ 7時から会議の予定で 夕食の支度にかからねば成らなくてほどほどのところで切り上げた。

打ち合わせの場所に出向くと1人が遅れるという事だった。
居る者だけで 打ち合わせ終了。
そこに 遅れてきた人がきて クレーム。
話し合いで 納得していただき 次の会議に入った。

イヴェントの最終打ち合わせのため 時間がかかるのに その前の話が長引く。仕事している人も入っているので 夜の会議は致し方ないが 終了時間を視野に入れて欲しいなと沸々とした思いが湧く。

会議も終盤にきて 会場のエレベーターが止まってしまうと聞き 慌てて「駐輪場は何時まで?」と聞いたら「9時まで」と言われた。
むむむ もう閉鎖されてしまっている時間だ。
それでも 大急ぎで下りてこの目で確認しないと納得できなかった。
言われた通りだった。

公共の会議室であり 10時までは使えるのだから開けていてくれれば良いのになぁ〜。
あ〜 そういえば 以前雨で置いたままにして翌日取りに行ったら 管理の人から怒られた事があったな。

駅に走って タクシーを拾い家路についた。
今日の打ち合わせ 会議 共に結構ストレスが生じる。
相性が悪いのだろう。
私だけがそう感じているかと思ったら どうもそうではないようだった。

夫が帰宅していた。
夫より早く帰れる筈だったので 会議の事は伝えていなかったので ご機嫌悪し。
お茶を運び 事情説明。
やっぱ きちんと伝えておかなかったのは 不味かったと反省。

介護者の会が登録している団体の会議の事なので出来る限りの事はしなければならないと言う義務感があるのだ。
地域に介護者の会を広める目的は達成できているから まっいいかぁ〜。
父ちゃん 堪忍。

そうそう 母の居室に置いていたら弱ってきた観葉植物 家に持ち帰って 肥料を上げて育てていたら 新しい葉が出てきた。
やっぱり 水遣り+肥料+お日様は必須なんだなぁ〜と思った。
今も代わりの植物を置いてあるけれど これも元気がない。
枯れる前に 連れ帰らなくてはなぁ〜。
植物から元気を貰える様にと思っているのに 元気がないもの置いてたら良くないものね。

 


2007年06月10日(日) 季節のせいかな?


朝 気にになっていた菜園に出た。
お休みでゴロンとしていた夫に「畑に行って来るね」と声をかけた。

丁寧に作物を育てている方から「収穫ですか?」と挨拶を受けた。
「草取りなんですよ」と苦笑いするしかなかった。
葉っぱが収穫すべく勢い良く育っている。
とうの立つ前に 収穫も急がなければならない。
これまで 何故 葉ものを避けてきたかと言えば 小まめな収穫が出来そうも無かったからだったと気がつく。

ナスやトマトの育っている所から 草取りを始めた。
適度のお湿りを頂戴しているので草が抜きやすかった。
そこへ 夫が「お〜い」とやってきた。
菜園に出向く時「いこう」と声をかければ「疲れているから」と言われるのはお決まりのコースなので 一応出かけるよと声をかけるだけにしたのだ。

夫の仕事は トマトのわき芽を摘んでもらうこと。
夫も真っ直ぐトマトの所へ向かう。
作業が終わると「わぁ〜 葉っぱもっと間引かなくちゃ」と葉っぱを抜き始めた。
「水菜は根から抜いていいけれど わさび菜や春菊は適当な所から鋏で切っておけば また葉が育つのよ」「ルッコラは種を取るから残していたのよ」とついつい言ってしまった。
きょうは「そうかそうか」と納得してくれた。
なんだか また 主人の十八番を取り上げてしまい めげなければいいんだけれどなぁ〜。

手持ち無沙汰気に「帰ろうかなぁ〜」と言い出す。
「あのね。草取りしてもらえる?そして 大根の葉の種まきしてもらえるかなぁ〜」
種まきと聞いて 夫の気持ちが切り替わり 草を抜き畑をならして種を蒔いてくれた。

夫は 以前は家の用自主的に取り組んでいたのだけれど 最近 なんだか指示待ち気味になってきている。
これも私が悪いのかなぁ〜。そんなに恐妻では ないと思うのだけれど。

後少し と言う頃に雷鳴が聞こえてきた。
この所 落雷のニュースが多いので 早々に切り上げて家に戻った。

早めに昼食にして 直ぐに母の所に出かけた。
雨が降っているので 夫に御願いして送ってもらった。
アッシー君役の娘は お部屋改造中で 手が離せない。

母はにこやかな笑みで迎えてくれた。
「あはは」と声を出して笑う。
職員は「〇さんは家族がみえるとこうやって声を出して笑うのですよね。先日 更衣拒否した時 家族が着替える方法でやったら ちゃんと応えてくれたんですよ」と言われた。
家族の役目を果たせているという事か はたまた家族のやり方を通してしまって施設に迷惑をかけているのか...複雑な気持ちとなった。
でも拒否をなだめる手段があるという事で「まっいいかぁ〜」という事にしておこうと思う。

押入れの寝具を出して 埃を叩いて 居室に掃除機を掛けた。
ついでにホールにも掃除機を掛けた。
母は入浴している風だったので 髪を梳かしなおす。
ズボンが食べ零しで汚れていたので 濡れたタオルで拭いた。
ちょっとの事だが それだけで綺麗に見えるのだから...。

その後 ホールに出て 入所者の髪を整髪。
この時 母の機嫌が悪くなった。
自分のそばにいるべき人が居ないという事で憮然とした様子。
そばにいるようになったら 機嫌も直った。

雨も止んで 薄日が差してきたので「お散歩にいこう」と誘った。
出かける支度をして居室を出ようとしたら「甘いもの 食べたいな」と突然言い出した。
「いいよ 食べようね」と外に出た。
足取りは 悪くない。
前回は ドラックストアにあと数十歩と言う所で休息し逆戻りとなったが 今回は休みなしでドラックストアまで行き 必要な物を購入できた。
「あまいもの」も忘れていた訳ではないが ピノと言うアイスを3個購入して施設に戻った。
これなら 嚥下が弱り始めている人も食べられると思ったから。
みんなで普段のおやつにアイスをプラスして食べてもらう。

食べて直後に動き出すのが まだちょっと不安が残っているのだ。
「何が?」と言う根拠はないが ちょっとした勘である。

排尿もこの所落ち着き始めている。
職員も水分摂取を心がけてくださっているという事だった。
だから 便秘の薬も状態に応じて服用しているとの事だった。
今は 便秘薬を使わなくとも排泄があったりするのだ。

朝の血圧も落ち着いていると言う。
と言う事は 先日の嘔吐は血圧の変化ではなかったのだろうか?
原因が判らないので まだまだ 様子見ではある。

娘が迎えに来てくれ 施設を後にした。

夕食の片づけを済ませたら 疲れを感じて横になった。
そして そのまま眠ってしまった。
夫も娘も時々声をかけてくれて「ん 起きるよ」と返事していたんだけれど...。
特別の忙しさはないのだけれど 季節のせいなんだろうと思う。


2007年06月09日(土) ぼやき


 コムスンは 介護事業で明らかなる反則をした。

一斉にコムスンバッシングが始まっている。
でも コムスンに事業認可をしたのは誰なの?

私は 内心 コムスン騒ぎ大いに結構と思ったりする。
今 コムスンのサービスを受けている人には申し訳ない言い方だけれど…。
この騒ぎで 今の介護状況をあぶりだして 如何に介護サービスの環境がお寒い状況かを
介護に関っていない方達に認識してもらえばと感じる。

でも 安易に「利用者負担を増やせばよい」と言って欲しくない。

先日も書いたけれど「措置の時代の方が良かったのではないか」という気持ちになるくらい介護保険事業に関しては 良心的業者や介護サービス利用者が追い込まれているのだ。

どう解決していくかを じっくり考えて見る良い機会を得たと考えたい。

全体的には 良心的に経営をしている介護業者が殆どだと思いたい。
でも 行政に縛られ本音を言えないのが現状じゃないのかな?

聞くところに拠るとこれから ヘルパーさんは 利用者さん訪問した結果どんな風に良くなったかを記録する義務が課せられるという事だ。
勿論 家族としては嬉しい記録である。
でも ギリギリの時間の中でそういう記録を書くという事は ヘルパー業務が過酷になってくる。訪問中に記録することになるとしたら 実質介護が更にカットされないだろうかと気になって仕方ない。

ただでさえ 3Kの職場で 低賃金で 若い人が敬遠する仕事になりつつある。
そこに 更に負担が増えたら ますます敬遠という事はないのかな?
財政破綻と言われるが その前に人材破綻が起きたりしないのかな。
人材不足を見越して 海外から介護の手を借りようとの動きもあるみたいだし。

でも海外から来る人に日本人より安い給与で仕事をして貰って良いのかな?
それは 差別にならないの?
日本で働く限り 同レベルの給与体系を組むべきじゃない?

書いているうちに だんだん書きたい事から外れていく。
実は 今日 そういった話を介護仲間とある事業所さんの責任者の方と話しこんだ。

コムスンの話題で 地域のコムスンの方が 地域で懸命に良い介護を目指していたと耳にした。経営トップのあおりでどうやら縮小→閉鎖となってしまったようだが…。
この大元の責任は 誰?何処?

で「地域で暮らす」という事も視野に入れるのだろうけれど…。
判断力の鈍った高齢者を優しく受け容れてくれる社会は ほんとに実現できるのかな?
共に生きる社会と言うのは 規範を外れる人にも優しくないと成立しないような気がする。

年金も不確か。増税。介護保険負担増。サービスカット。地域でも危ない邪魔者。
じゃ どうやって生きて行く?
誰の事でもない 自分の将来のお話です。


2007年06月08日(金) 笑顔のお返し♪


初乗り。
貰ったら 乗らねば成らない。
と言う訳で 母の所まで久々に自転車で出かけた。
歩くのと違って疲れます。
それに お日様ギラギラで。。。風があったから良かったけれど むむむむって所。

家の近所の介護仲間が 母の施設の近くまで 毎日2回 食事介助に通っているのです。
お年も70歳を越えています。
ヒャー 負けています。

景色なんて目に留まらない。車に注意。歩行者に注意。
4年前は ギア付の自転車で通っていたんだけれど 注意力 体力の衰えを感じました。
帰りの道は お蔭様で 自転車を降りることがなかった。
でも 同じ電動自転車で 子供を乗せたお母さん2人から 追い越された。むむむ!
パワー不足 否めない。

施設では みんな 食後のお茶を飲んでいた。
介助して飲んで貰った。
どうも 臭うので「誰かな?」と思ったら母だった。
トイレ誘導して 更に追加。
腹痛も有るようだ。少し咳も出ていた。
口を濯いで 歯磨き。
居室を拭き掃除した。その間に 母は椅子で休息。

お腹の痛みも治まったようなので「外に出かける?」と聞いて見た。
「外 行く」と言う返事を受けてお散歩。
歩き始めは 快調に見えたが 何処となくいつもと違う。
足は良く上がっており 顔色も悪くないのだけれど 何かが違うと感じた。
「疲れた?」と聞くと「疲れた」と言う。
「戻ろうか?」と聞くと首を振る。
「歩くの?」と聞くと頷いた。
速度を緩めて歩く。ドラックストアの駐車場で「休む?」と聞くと頷いた。
駐車場の縁石に腰掛けて休息。暫く休んだ後に「帰ろうか?」と聞くと頷いた。
途中コンビニに立ち寄り びわゼリーを購入し施設に戻った。
動きは鈍くないのだが 全体に何処となくダルイと言うか重たそうな感じ。
居室でびわゼリーを食べさせると「うまいな」と言う。
散歩前に 持参したミントティーを飲んで貰った時は ポットに入れてあったので仕方なく飲んでいた事を考えると正直だなぁ〜と思う。

母にソファーで休息して貰い 入所者の1人を散歩に連れ出す。
勿論 職員に健康状態を伺い了解を得てから。
「「ちょっと用があるんだけれど…」と誘ってみたが腰が上がらない。
「外に出かけてみない?」と手を出したら スッと立たれた。
「外」は入所者にとって 魅力的なんだと改めて感じた。
この間 言葉は全く出していない。
でも外に出て 話しかけるとちゃんと返事が戻ってきた。
「あのね 毎日楽しい?」と聞くと無反応。
「寂しいと思う時ある?」「寂しいよ」
「私も寂しくなる時があるのよ。今度 一緒に泣こうね」と言ったら笑っていた。

この方は開所時から入所なさっている方である。
初期の頃は 寂しがり不安がる母に「みんなと一緒だから 寂しいなんて言わないの。みんな一緒だから 楽しいよ」といつも言っていた方である。
勿論 その言葉がほんとの胸のうちにある言葉でない事は その方の動きで判っていた。
「我慢しなくちゃいけない」と言い聞かせていたのだ。
今は 気持ちの儘に言葉を出せるようになったのだ。
ちょっと切ないけれど でも 素のままを出せる方が自然だと感じる。

「疲れない?」と聞くと「疲れるよ」と言われたので 公園のベンチに座った。
子供が遊ぶ姿を ニコニコしながら見守っていた。
「肩を揉んでいい?」と聞くと「いいよ」と言う。
嚥下が弱ってきているのでおかゆさんの方だ。
空を見上げる筋力が足りない。でも左右は大丈夫みたい。
だから 肩を揉みながら「空が綺麗」「葉っぱが揺れている」と出来る限り上を向かれるように誘導。嫌がらないようなので 良かった。

帰り道 母の時と同じように小山を上って下りた。
「下りるのは 怖いよ」と言っていた。
歩く速度は 母よりゆっくりだけれど 足腰は軽い。
人それぞれ 体の調子は違っている。

「今日は お付き合いしてくださってありがとう」と言ったら「ニコッ」と笑顔をくれた。
戻るとおやつが始まった。
母をトイレ誘導した後 そうっと施設を後にした。

携帯をチェックすると弟からの着信履歴。もう 大分前の時間だった。
折り返し電話すると 用があるので帰りに立ち寄るという事だった。
昨日のお礼もあるので 少し副菜を作った。 
夕方 立ち寄った時に 保存食とお酒と一緒に渡した。


2007年06月07日(木) モヤモヤは切り捨て!


 午前中 やっとやりかけの仕事を形に出来た。
ようやく 次の仕事に取り掛かれる。
ひとつ終わるとまたひとつ仕事が増える。
あと4つ。

午後に会議が予定されており 支度していると弟から電話がきた。
「電動自転車 使う?」
先日「施設まで 歩くと20分くらいで行ける?」と聞かれて「歩いたら40分。最初は自転車で頑張ったけれど 疲れて帰る道の上り道は きついから止めた」と言ったのだ。
それで 電動自転車なのだろう。

返答に詰まった。
「どっちでもいいよ」と言う返事しか出来なかった。
が 弟は買うことに決めたらしく 盗難保険をかけるために連絡先の確認をしてきた。
夕方 きっと立ち寄ることが想像できたので「今日は夕方 居ないよ」と伝えた。
少しがっかりした様子で「車庫に入れていくよ」と言ってた。

会議は予想より長く終了は5時過ぎ。
満員電車に揺られて戻った。

車庫には 電動自転車が置いてあった。
「ありがとう」と電話でお礼。
ほんとは もっと喜んで上げなくてはいけないのだろうなぁ〜。

弟がこういう形で気を遣ってくれるようになったのは 一緒に母の所に出かけるようになったからだと思う。
離れていると 何となく平穏に過ぎていると感じるだろうと思う。
まして 母とふるさとに連れ帰ったりできると思ったより元気とイメージされるのだろう。
もう 事ある毎の電話もしていないし…。
連絡をこちらから入れる義務もないだろうと考えていた。

今朝 ラジオから「気にかけて欲しいなら きちんと様子を伝えた方が良いのです」と聴こえてきた。
どういう状態の人に言っていたかは 定かではない。
でも「ふ〜ん そうなんだ。でも 私 嫌よ」と呟いたばかりだった。

電動自転車を見ながら ブツブツ自問自答。
素直に受け容れ難いが でも そういう事なのかなぁ〜。
いやいや これまでもそういった事をして嫌がられた実績もあるんだし また 同じ思いをするのは嫌だという気持ちになる。
電動自転車で ちょっとした風が心の中で揺らめいている。

もう傷つけたり 傷ついたりは勘弁。恨みつらみも卒業したい。
拘っている自分に会うのも 少々しんどいこのごろである。

エイ! 今回は 弟が現実を受け止め 配慮した結果が「電動自転車」になったと考えようっと!
モヤモヤは 切捨てよ!


2007年06月06日(水) リハビリ


 頭が廻らなくて油を差したい気分の日が続いている。
ギブアップと言う訳にも行かず ちょっとずつ ちょっとずつ進めている。

6月がこんなに忙しくなるとは夢にも思わなかった。
「ストイックだね」と娘から笑われた。
あっちぶつかり こっちぶつかりで 頭に瘤。肩には痣。
注意散漫もいいところである。

リハビリの立会いに出かけた。
療法士さんといろいろお話した。
療養型の病院が3年後までに廃止。
そこを埋めるのが老健。
今 場所によっては老健の建設が目立つ。
この事に関しては また後日に。

今日の母は 躁でもなく鬱でもなかった。
じゃ普通なの?といわれれば そういうことでもなくて はっきりしない状態と言うのが真実かな?

リハ中に寝入ってしまい その後も寝ていたので 急いでコインランドリーに走って洗濯機を廻した。
洗ってない衣類が結構見つかったので 早めに洗っておこうと思った。
セットして急いで戻って それから母と共にコインランドリーに向かった。
そこでおやつにしたり 爪を切ったりして乾燥するまで待った。

施設に戻ると疲れが見えたので暫く休憩。
お茶を飲んで落ち着いたので ホールに移動。

今日は 緩めの排便が断続的にあった。
薬はいつも通りに戻っている。
少し気になるので 職員にはその旨を伝えておいた。
母に手を振って挨拶してくれた職員に 母は手を振って応えていた。
みんなに手を振るわけではないのだが...。

ちょっと体調下降気味かな?


2007年06月05日(火) 介護者の会


 介護者に出席できる人は まだ状態が良い人が多い。
アクシデントが起きると出席したくとも出来なくなる。
勿論 何事もなく平穏に過ごせる時は 自分の趣味に没頭できているので出向かなくともやっていけることになる。

参加は自由形式であるが いつも来ていたのに2回続けてお休みで 状況的に気になっている人には 電話で訪問。

今日の介護者の会が済んで家に戻ってから 電話をした。
ネット環境にある人には メールを使う。

その中のお1人の方「あっ 今日は火曜日でしたか」と言われ 悪い予感がした。お聞きすると介護卒業になったという事だった。
医師からは 命に限りがあること事をやんわり告げられていたが 明るい兆しが見えていたので希望を持って向き合っていたそうだ。
「それがいけなかったのでしょうね」と言われた。
介護者が希望を持っていなかったら どうなるだろう。
介護なんて出来ないのではないかなぁ〜。
お話をじっくり伺って電話を切った。
介護者の心の平安を祈った。

おそらく暫くは外出なさらないだろうと感じ 既に看取りの済んだ介護仲間に電話して ちょっとお出かけの機会を作ってもらうことにした。

トイレに神経質になって 昼夜逆転が起きて体力が落ちないかと心配という介護仲間のお話もあった。

「6月にちょっと顔を出します」と言っていた役所の方が見えなかった。

やる事が詰まっているので 今日はここまで。


2007年06月04日(月) おっとっとっと!


 先週「一緒に出かけない?」と入所者の家族から声をかけられていた。
日程を聞くと6月4日という事だった。
その時点では 午前中訪問活動が入っていたので「午後なら大丈夫」と伝えていた。
ところが 目指す公園は月曜日は お休み。
それで お出かけは「?」となっていた。

その後 ネットを使って近くで楽しめる場所がないかを検索し2ケ所探し出した。
車椅子対応のある所。
メールで連絡を取ったが返信がなくて 今日は無理かもしれないなと思った。

昨夜 利用者さんから電話があって知り合いに不幸があってお休みと言う連絡が入った。

今朝 抜けるような青空を見て 母の所にスタコラ出かけた。
「電車で行ってみよう」と思っていた。

施設は昼食が始まっていた。母の介助を職員とバトンタッチ。
完食できた。
お隣の方が 進まないので介助。こちらも完食。

そうこうしている内にご家族が見えた。
「メールしたけれど 良い場所が見つかったのよ。そう遠くないけれど行ってみる?」と伺うと「連れて行きたい」と言われた。

準備して車でゴー。

実は 母の嘔吐があってから 遠くへの外出は少々不安が残っていた。
でも昨日の母の様子をみていると出たがっているのを感じた。
同行する入所者は 大概車酔いが出る。
だから 嘔吐に対しての準備は万端整えた。
準備とは オムツパット。スーパーの袋。そして濡れティッシュ。薄荷油。

行きはヨイヨイ。
母ももう一人の方も外出は嫌いではない。
だから 本当ににこやかな表情だった。
30分足らずで目的地について車椅子で園内に入ると…。
林檎の実がなっていたり スイレンやらバラやらいろんな花が咲いていた。
母はとても調子が良く 「林檎よ」と指差せば「林檎の実」をきちんと見つけて喜んでた。花も良く見ていた。

途中「疲れた?」と聞くと「疲れた」とゆっくり鸚鵡返し。
「大丈夫?」と問えば「大丈夫ではないかもしれない」と言う。
かなり疲労したのだろう。
聞かれことに精一杯答えてくれる母に感謝。
母の調子に合わせながら 園内を散策。
花を見ながら この上ない表情を見せてくれるので疲れが吹き飛ぶ。

行きの道は 母が車酔い寸前。
帰りの道は 母の仲間が車酔い。

でも 2人とも穏やかな笑顔で お互いを気遣っているのが伝わってきた。
外出には 困難なことにも直面するけれど これらも めげないで楽しい時間を共有していきたい。


2007年06月03日(日) 弟と面会


 休日出勤の娘を送り出し 朝の仕事も一段落してパソコンで作業をしていたら弟がやってきた。
朝 お嫁さんの実家に出向いてお義母様の挨拶して 戻ってきた所と言っていた。
これから母の所に行くけれど…という事だった。

いろんな事が面倒で お嫁さんへの実家への顔出しは 避けてきた。
私の顔を見れば「すみません」と言う言葉が出るのも判っているし こちらもついうっかりと愚痴を零したら余計な気遣いをさせてしまうから。

お義母さまは 一人暮らしで 最近 体調の変化が出たらしい。
近くには長女さんもお住まいだし ご近所の友人もおられる様子なのでポツンと暮らされている訳ではない。
想像はしていたけれど お嫁さん 今年実家に足を運んだと弟は言っていた。
家から電車で30分足らずのところが実家。
もう 7年近くこちらには来ていない。
孫に到ってはそれ以上である。
だから 聞いてしまうとこちらの気持ちはユラユラしてしまう。
理不尽だと思ってしまうと気持ちの持って行き場がなくなるので ひたすら記憶の消去。
そして母の事は自分の問題だと言い聞かせる。

弟は今こちらで会社の人とアパート暮らし。
「野菜を買わなきゃ」というので 菜園に連れて行って菜っ葉を数種類箱に詰め持たせた。
それから 夫と3人で昼食を摂り 母の所に向かった。

母は弟の顔と私の顔を交互に繰り返し見て ニコニコ。
名前を言えるわけではないが 判っている。
弟も母の笑顔につられて笑っている。
母の笑顔は ほんとに透明で打算がない。
弟も今度は そういうところを感じ取っているのだろう。
居室に入って 運んできたゼリーを弟に食べさせてもらう。
一つ一つの事を経験すれば徐々に判ってくる事もあるだろうと思うから。
でもトイレ誘導は無理なんだけれど…。
それから3人でお散歩。
母は2人で行くとしみこんでいるので 私の顔を見ていた。
3人で歩き出すと それはそれで楽しそうだった。
普段ならタッタカ突き進む母だが 今日は弟の買い物のペースに合わせて穏やかだった。
休憩なしで歩き回ったのでかなり疲れた様子の母。
公園で腰を下ろして水分補給。
小山に上ると指差すので 3人で小山を上り下りた。
入所者の人が職員と車椅子で出てきたので 暫く話した。
其れからゆっくりと施設に戻った。
何となく落ち着かないのでトイレ誘導するとジャストミートの排尿。
それから少し横になってもらう。

弟はソワソワし「昨日遅かったから眠い」と言う。
実は深夜 酔っ払って夫に電話してきて「一緒に飲もう」と言っていた。
夫はまだ帰宅してなくてその機会も作れなかったが でも弟が引き上げた時間よりもこちらの就寝時間の方がずっと後なんだけれど…。

仕方がないので今日は引き上げる事にした。
母をホールのソファーに座らせて職員に挨拶してそうっと引き上げてきたのだった。

こちらと同じペーストは行かないのは判っているが せめて1人で面会できるとこちらも気持ちが楽になるんだけれど ま 慣れて行くのを気長に待つしかない。


2007年06月02日(土) 委任状の不思議


 数日前 自治会の総会委任状がポストに入っていた。
ここに住み始めて7年目にして初めての事。

それ以前に住んでいた地区には自治会がなかった。
新しい団地で そういった面倒を避けていたように思う。
次に住んだところは商業区域で ここにも自治会がなかった。

転居して自治会に入会したけれど 総会に出た事はない。
母の介護で手一杯だったから。

でも ここの自治会 普通と少し違うかなと感じていた。
当番制は他の所と一緒だけれど 地域の交流と言うことは殆ど皆無。
行事と言えば 1年に1度の清掃と消防訓練くらい。

地域にはマンションは2棟あるが ここは自治会と無縁である。

さて 委任状ではいろいろ考えさせられた。
何故 今年に限って委任状なんだろうという事だ。

お隣に越してきた方から聞かれて「知り合いに聞いて見ます」と返事した。
そして 訪問している方の家を訪ねて伺ってみた。
すると「これまでそんなもの来た事がないです。今年も来ていないですよ」と言われた。
「そうですよね。来てないですよね」と確認できた。

でも委任状は届いているので 必ず出席なさるだろうと言う方に電話をしてみた。
「今年の総会出られますか?」
「はい 出ますよ」
「じゃ委任状を依頼して宜しいですか?」
「はい 大丈夫ですよ」
「ところで 急に委任状ってなんでしょうね?」
「エッ 2年ごとに委任状は配布されていますよ」
「...」

其れから お隣さんに電話して 事の次第を報告。
「委任状書かれるなら 出席なさる方に依頼出来ますよ」
しかし お隣さんは 今年は様子見で委任状は出さない事にしたそうだ。

良く聞くと 家の近所では 委任状なるものは 配布された事がないらしい事が判明した。

しかし 同じ自治体で班ごとに委任状があったりなかったりはなんだろうなぁ〜。9班まであるのだが ある所とない所とどのくらいの割合なんだろうなぁ〜。

考えれば回覧板も期日が過ぎてから廻ってくる事もシバシバ。
どこでこうなっているのかさえ判らない。
不思議な事に自治会費の徴収の時は きちんと期日前に廻ってくる。

おそらく自治会が形骸化しているのだろう。

町内でこれまで2件のお宅を介護で訪問した事があるが 2件とも住み始めて長いのに 自治会の事はいまいちはっきり判らない様子だった。

集会所の使用願いも会長さんの胸三寸できまると耳にしたこともある。

つまりのところ自治会は 地域の連携を図れるところではないかもしれないと感じた。
若しかして 自治会のなかった団地住まいの方が もう少し連携が取れていたような気もする。
学校と言う枠での繋がりがあったせいかもしれない。

考えれば 総会が開催されるなら 委任状があって不思議ではないだろう。
これまでなかった方が不思議なのだ。
当たり前の手続きを示されて戸惑うこちらの方がおかしいのかも知れない。
しかし 個人的に話さない限りそういった事を知る機会がないというのも妙な地域だと感じた。
自分の住んでいる地域なのに人ごとのような物言いで変なんだけれど...。
さて 我が家はどうしようかな?


2007年06月01日(金) セーフ♪


生協の荷受があるので 昼食に間に合うように出かけた。
昼食前のゆったりとした時間が流れてた。
フロアには煮物の匂いが立ち 昼食ですよぉ〜と皆に伝わっていたと思う。
いつもキッチンのドアが閉まっているのだが今日は空いていたんだな。

配膳が始まったが 先に母をトイレ誘導した。
薬も止めているのに緩めが続いていると職員は言っていた。
パットに少し出ていて便座に座っても出た。
もう配膳されていると思うとあまり長くならないほうがいいだろうと思い切り上げて手洗いを済ませてテーブルに着く。
今日は 私にまで五目チラシを頂く。
みんなと同じテーブルで食事。
母の食事介助。
最初は自分で箸を持たなかった。食べ初め介助すると徐々に食べるモードに入った。
自力と介助の並走だが 介助の方が断然多い。
始まりも遅かったので 母が最後に食べ終えた。
食欲もあり機嫌も悪くない。

食後歯磨きをして再度トイレ誘導。
また出ていたので 今度はゆっくりトイレに座ってもらう。
出ると判るのか便座から立ち上がる事はなかった。
時間をかけたので全て出切ったようだった。

便の緩さは 何のせいだろうと気になり職員と話しこむが 医者ではないし検査していないので「?」である。
でも ワラビを食べさせて貰っていると思うので それが原因かもしれないと感じている。

今日はフロアに職員の数が多く見られた。
こういう時はゆとりを感じる。

職員が「破竹があるので あとで皆で皮むきしたいなぁ〜」と言っていたので 職員に声をかけて皮むきに立ち会う。
「ついでに別のフロアの方もご一緒できませんか」と職員に御願いをして みんなで皮むきをした。
最初の一歩が始められない。
そこで 1番外側の皮を途中まで剥いて渡すとみんなそれぞれが思い出したように作業を始めた。
片手が麻痺している人には 1回ごとに途中まで向いて差し上げて作業してもらった。
「出来ないなぁ〜」と言いながら途中でぽっきりと居られてしまう人がいて「私って駄目ねぇ〜」と自嘲気味。
最近 ちょっと落ち着きがなくてと職員が言われていた事を思い出して「うまいね。お鍋に入れるのに丁度良い長さよ」と言いうと「ほんと?」と嬉しそうだった。

丁寧に向ける人もいた。
母ともう1人の人は皮を剥きかけて 剥いている事を忘れて中断。
母は皮で遊んでいた。
それぞれのペースで皮むきが出来た。

その後職員に頼んでポリ袋を出して貰った。
それぞれが助け合いながら片付けていた。
皮が片付けられて床を見ると小さな甘皮が落ちていた。
箒とちりとりを渡すとこれまた できる人が助け合って片付けていた。

箒を自力で出してくる事は出来ないが 準備があればまだできると思った。
職員が「ほうっ〜」ってながめていた。

その後 ひとりひとり手を洗って頂き作業終了。
がこの間に母がへそを曲げた。
他の人に関っていたからかなのかは判らない。
でも今の母は よほどの事がない限りへそを曲げた事すら忘れてくれる。
と言うか くるりと方向転換すると気分が変わるようだ。

母ともう1人の方の爪が伸びているのが気になった。
そこで先に入所者の方に爪切りを渡したら自分で爪を切られた。
右手の爪を切る時は少し危なげだったが じっと辛抱して見守った。
きちんと切れ 仕上げのやすりだけはこちらがかけさせて貰った。

母に爪切りを渡したが 爪を切る道具と認識できなくて手の平に載せて転がしていた。
生協の配送の時間ギリギリになったので大急ぎで家に戻った。
今日はセーフ。

荷受が済んだので屋根裏に上って廃棄する物の洗濯。
屋根裏部屋には不用品が多いので 出来る時に取り組んで置かないと大変だから。
放置していたら そのうち不用品だらけになってしまう。

5時のチャイムを聞いてから仕事を切り上げて畑へ向かう。
ここも放置できない状態になっていた。
草取りだけのつもりだったが 草も相当量あって悪戦苦闘。
トマトの苗を支柱に支えて わき芽を摘んで 肥料を少し蒔いてから 収穫。
今日も菜っ葉の類だ。

其れから夕食の支度。
朝 玉葱をみじん切りしておいたのでラクラクハンバーグ作りだった。
早朝に夫が仕事に出かけたので 時間にゆとりがあったので出来たのだろう。
いやぁ〜 今日はやけに眠いと思ったら そうだった早起きしたんだったわ♪


はな |MAILHomePage

My追加