母のタイムスリップ日記
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2007年04月30日(月) 峠は越えたかな?


 今日も良いお天気。
故郷の仲間が集まるための準備に追われている。
昨夜も電話やメールで打ち合わせ。

午前中は 葡萄の剪定。ぶどう棚がすっきりした。
西側には まだ金木犀がある。これも伸びすぎて引き込んでいる電線にあと少しで触れてしまいそう。これも近いうちに剪定しなければなぁ〜。

午後は母の所へ。
母は丁度トイレ誘導が済んだ所で 目が合うとニコニコ笑顔。

母は最近 良く座っている椅子から立ち上がって歩く事が増えた。
職員は 尿道に何等かの違和感を感じて立ち上がっているのでは…と推測している。
でも 母が立ち上がるようになったのは血尿の出る前から始まっていた。
幾度か立ち上がるうちに 感覚を取り戻したのではないかと想像する。
それに 面会の度に「トイレ行きたくなったら 自分から伝えるように…」と幾度も言っており 排尿が成功した時は硬い握手をするようにしてきた。
何等かの形で記憶されているように感じるのだ。

母の言葉が増えている。意味不明のことも多いのだが 言葉を発しているうちに言葉を思い出しているような節を感じる。

今日は いつもと違う公園にお散歩に出かけた。
特別養護老人ホームの前の公園である。
ベンチに腰掛けていると老人ホームから 車椅子介助の親子連れが見えた。
「良いお天気ですね。おいくつですか?」等話し 少し放れたベンチに腰掛けられた。
暫くして目礼で別れた。
その時「また お会いしましょう」と言葉をかけた母。
それには ほんとに驚いた。

先日 銀行でキャッシュカードを使って引き出した時「あ 千円」と言葉を発した。
あの時も驚いた。

今 血尿が出ていることで職員の話かけの回数が普段より多いと思う。
言葉が出るという事は そういった事も影響しているのかもしれない。
話さなくとも良い環境にいると言葉さえも必要なくなってしまうこともあるかも知れない。
今日は 家でほうじ茶にしょうがの汁を少し垂らして持参した。
身体を内側から温めようと思ったのだ。更にクランベリーのお茶も。
おやつは娘の差し入れで 柏餅の味噌餡だ。
口に運んであげると美味しそうに食べる。だが二口目を自分で運ぼうとはしない。
食べる事は受身になっているように見える。
水分はほうじ茶とクランベリーのお茶とで550cc。

行きの道は休息なし。
帰路は「少し疲れた」と言うので小さな公園のベンチに腰を下ろした。
十分休息をとったのに「帰ろうか」と言うと首を横に強く振った。
「外は気持ちいいね」と言うとコックリ頷く。
道路を走る車を眺めたり 子供たちの遊ぶ姿を眺めたりして時を過ごした。
幾度目かの「帰ろうか」でようやく納得してくれた。

施設に戻ると母のトイレサインがあった。
誘導してみるとちょっと出ていたが間に合った。
目で見て赤い尿ではなかった。
しかし まだ 少し濃い目の尿である。

昨夜かなり深い時間に 看護士をしている娘の友人が見えた。
その時にも血尿の談義となった。
彼女のお母様も病院の婦長さんで親子2代の看護士さん。

血尿の症状はようやく改善が見られるようになった。
抗生剤で改善されるという事はやはり単純に膀胱炎と言うような気もしてくる。
まだ残尿感や痛みがあるように見える。


2007年04月29日(日) ヤレヤレ


この間まで萌黄色だった庭木も濃い緑色となって大きく枝を伸ばし始めた。手入れをしないで来たので 庭は荒れた感じとなった。
気になってはいたが 家にいる日は 生憎のお天気で作業できなかった。
植木屋さんを頼もうかとも思ったが 混んでいるだろうし料金も結構かかるしなぁ〜なんて考えて今日まで来てしまった。
びわやアオキやサンゴジュは南隣とのお宅に枝先が侵入してしまっていたしおそらく古い葉がお隣に舞い落ちているだろう。

漢方では びわの葉は炎症を和らげる効果がある。
だから あまり切りたくはなかったが 致し方ない。
大きな山椒の木。これも伸びすぎ。
細かい葉がお隣の雨どいに入ってしまったら迷惑だろう。
もう倒してしまおうと鋸を引っ張り出した。
いざ切ろうとすると 山椒の花(?)がたくさんあり 切るのが惜しくなってしまった。
昆布と山椒の実の佃煮を作りたいし…。
仕方ないので 花の付いてない枝を選びながら剪定。
山椒の剪定は トゲが刺さる。
気をつけて作業したが 幾度か指先に刺さった。痛かったぁ〜。

今日明日は 快晴との予報に 朝から庭に下りてパチンパチン。
足元を見ると たま竜も細い葉の背丈が伸びて様が悪くなっている。
ついでに それらも刈り込んだ。

母の様子も気になり 昼過ぎに電話した。
今日は 見た目赤い色はしていない。排便があり 特に機嫌も悪くないという事でホッとした。それなら 今日は面会はお休みという事に。

更に欅や南天も剪定。
南天や万両は 実が零れてアチコチに芽を出している。
根を張って伸び始めた物をみると 抜く気になれない。
でも放置したら...日を置いてプランターに移してみることにした。

剪定し終えて 枝を束ねた。
細かい気配りに欠けている剪定だが 何とか収まった。ヤレヤレだ。


2007年04月28日(土) 切腹記念。

 
 ♪緑のそよ風 いい日だねぇ〜♪といった感じの気持ちの良い日だった。
五月晴れとは行かないが残念。

利用者さん訪問は 今日が最後。
来月は 2週間に1度と依頼されたが 快復が早く自立できる身通しが立ったという事だった。

訪問するときちんと身なりを整えて外出から戻られた利用者さんだった。
勿論 まだ杖をお使いである。

「手紙を出しにポストまで出かけてきました」と言われた。
脚の動きも大分良かった。

今日は エアコンのフィルターのお掃除と夏の帽子を出すことがプラスアルファーだった。

風呂は追い炊きにセット。洗濯機を廻しながら フィルターの掃除と夏帽子をを出した。それから 掃除機をかけ拭き掃除。
お風呂が沸いたので入浴準備をした。
後は自分で入れるという事だったので 掃除続行。
お風呂から上がられた頃洗濯も終了し ベランダに干した。
活動時間は1時間を 5.6分過ぎたばかり。
利用者さんは1時間半だから...と言われた。
「他に何かありますか?」と伺うと「ないけれど 1時間半だから...」と言われた。そこで もうひとつのエアコンのフィルター掃除をする事にした。

予定通り 1時間半の活動となった訳である。
活動時間の中で ついでに出来る所のお掃除もして1時間。
これを効率よく動けば もっと短くも出来る。
ヘルパーさんの活動時間って どうやって計算されるのだろう?
依頼された仕事をこなせば 1時間で上がっても良さそうな気がするが...どうなのだろう?

活動を終えて 家に戻り昼食後 娘に送ってもらい母の所へ。
母はご機嫌の様子。
トイレ誘導では 透明に近い尿だった。
排便を挟んで 次のトイレ誘導の時は赤みを帯びていた。
やはり 順調な快復とはいえないようだ。

施設長とあれこれ話した。
血尿ではなくて 子宮から出ていないかと言う話になった。
この事は 私も感じていた。
ただ 断定出来ないのが今の現状である。
母に 体の変化を問うてみても明確な返事が聞けるわけではないのだ。
暫く様子見するしかない。
薬で改善できないようなら 超音波検診してもらえる所に再受診も考えなければならないだろう。

厄介な時期の血尿騒ぎである。
高齢でもあるので急激な変化はしないとは思うが...。

母には水分補給も含めて スイカや飲み物を持参した。
それらを居室で食べさせた。
ほんとはみんなでと思うけれど スイカをみんなの分と言う訳にも行きません。

家を出る時TBSラジオの久米宏の「ラジオなんですけれど」で飯田に住むリスナーさんが「こちらは 強い雷雨です。もう直ぐそちらに向かうでしょう」というメール?が入ったと紹介された。
施設で過ごしている内に 風が出て雷が鳴って 空が急激に黒くなって雨が降り出した。
外の風景の変化を感じたので窓辺に立って 母と2人その変わり行く様を歌いながら見入った。
母も珍しく歌っていた。
イナズマに一瞬驚き 雷鳴も耳に届いている様子だった。

母は排便のための腹痛はあるが それでもスイカが美味しいと口にはこんでいたし飲み物も美味しそうに飲んで 熱もなくおしゃべりも多く 機嫌は悪くない。

そうそう 母のおしゃべりは とてもおかしいのだ。
いつも書き止めておこうと思いながらなかなか出来ないのだが...。
今日も突発的に「切腹記念」と言う言葉が飛び出した。
聞きなおしても「切腹」は間違いないし「記念」も間違いない。
母の頭の中は どんな風に動いているんだろうなとつくづく感じるのである。

雨が上がって夕食になるので 施設を後にした。




2007年04月27日(金) 薬の効き目


イヴェントの企画のために 仲間と会場近くで待ち合わせ。
図面で思い浮かべる会場と実際の会場の様子は違う。
今回も大まかな図面は出来ていたが 会場の雰囲気を生かすために変更が必要になりそうだった。
設備の詳細を管理会社の人に説明してもらう。
これらの情報を得て 再度企画検討になっていくだろう。

見学を終えてから 残って情報交換した。
みんなと別れて家に戻った。

生協の荷受の時間にギリギリセーフ。
また うっかりミスなのだ。
今日の予定は以前から決まっていたので 生協に注文書は出してなかった。
が来週の注文書を出すのを忘れて家を出てしまった。
途中気がついて 家に電話をしたが既に 家人は出払ってしまい応答がなかったので急いで戻ることに。 電車を乗り継いで1時間ちょいの道のりである。

生協の荷受が済んで 施設に電話した。
特に連絡が入ってないので急な変化はないと思っていた。
お通じがあったという。その前 ご機嫌が悪かったがその後は極普通だという事だった。
ただ 薬服用後 早めに血尿が止まった前回とは少し違う様子だ。
連休中に抗生剤も使いきりそうなので 抗生剤の補充が必要になりそう。
これから連休に突入するので 緊急の場合の医療機関への繋ぎ方等も話した。

認知症も後期と言う状態で 発見出来た時 重くなってたという事も想定しておかねばならない。今のところ 熱もないしだるそうな症状もない事は一致した見解である。
少なくとも私の見る限り 機嫌も悪くないし大丈夫と思うのだが 担当する職員からすれば 神経を使うのだろう。
家族としては 言葉の裏にある職員の気持ちを考えてしまうのである。

その後 地域の事業所で行う介護教室の件で 打ち合わせの電話。

夕食の支度をして 夜は会議。
こちらも6月のイヴェントの会議である。
前回は 延長会議となったが 今日は予定通り終了できた。
こちらは 結構主義主張がある人たちが多く 調整はなかなか難しい。

激しく討議という事ではないのだが 大勢の参加者を優先か主義主張が優先かで微妙なものがあると感じた。それぞれ 折り合うところは探る おとなの感覚はあるようだが…。


2007年04月26日(木) 「それ 見せなさい!」


 朝 施設から電話。
どうやら 抗生剤が効かなかったようで また塊が出たという事だった。
母の機嫌が良くないという。
職員が心配して声をかけるからか 痛いからなのか はたまた寝起きだからなのか判断が付かないという事だった。

家事を済ませてから 施設に向かった。
今日は 罹り付けの医師に通院することにした。
施設に着くと丁度排泄誘導中だった。
パットをみて確認。
その後の処置は職員からバトンタッチ。
「痛いか?」と聞くと「後になると…」と言う。

居室で身支度を整える。
飲みかけの紅茶を飲み干してもらう。
母はご機嫌なのだ。おしゃべりも半端でない。

外に出て タクシーを拾って通院。
医師に経過を話すと「薬で治そう」という事で 抗生剤と炎症止めを頂く。
医師との話している間もご機嫌である。
「いたくないのでしょうかね」と聞くと「場所にもよる きっと奥の方で炎症を起しているのだろう。全部できってペタッとくっつくと痛むかも」という事だった。

診察後 トイレに誘導しパットを替える。
今の状態では トイレ誘導はうまく行かないのだ。
それでも 相当量の重さである。
水分摂取は十分という事なんだろう。

八百屋さんで買い物をした。
スイカが安かった。母もスイカに目が止まったので「食べる?」と聞くと「うん」
カットされた4分の1のスイカを購入。

バスは出た後で 昼食の時間なのでタクシーを使って家に戻る。
降車拒否するかと思ったが 大丈夫だった。

家で昼食。
朝 ウルイの煮付け。母の好物。便秘も気になるので野菜がいっぱい。後はたけのこのの煮物。
お澄ましとお刺身と たっぷりのお茶。食後はプリン。
お茶は 先に計量容器に600ミリリットルを入れておく。

母はニコニコしながら食べ終えた。

食後暫くして 入浴。食事の間に浴槽にお湯を張っておいた。
身体を温める事 また清潔を保つ事は大事だから。
身体を洗って洗髪まで。終始ニコニコ。
湯上りにお茶を飲んで貰い 後片付けの見守りをして貰った。
それから ドライヤーで頭髪を乾かした。

ダイニングに戻って スイカを食べてもらう。
食欲もあり 水分を摂る事も嫌がらない。
膀胱炎以外 調子がよいという事だろう。

施設でも食べられるように 煮物2種は器に入れた。
またプリンや珈琲ゼリーや飲み物も準備。

湯上りなので湯冷めしてもいけないので タクシーを配車してもらい施設に戻った。
こんな時でも 母は 家の門前の紅白の桜草を「綺麗」とよろこび 塀の下に咲くすみれが「可愛い」と目を細めた。

でも タクシーを降りる頃より 母の機嫌が悪くなり むっつりし始めた。
「ただいまぁ〜」と玄関は入ったが 居室に入って椅子に座って貰おうとしたら「あっち…」と言い出す。着席拒否なのだ。
母の希望通り フロアを一巡りし再び居室の前に戻ると今度はOK。
着替えてもらおうとしてすると洋服を脱ぎたがらない。
朝の着替えは 何の問題もなくニコニコしていたのになぁ〜。
本等で気を反らして 何とか着替えも済んだ。

トイレに誘導しパットを取り出した時「それ見せなさい」と母は命令長。
まるで 子供の時 悪さをして怒られているような気分だ。
これまで 1度たりともトレパンやパットを見せろなんて言った事はない。
気になる時もあったようだが サッと替えてしまうと割りに平気だった。
パットを渡すと それを広げてじっと見入っていた。
母は それをみて何を感じただろう。
こちらは一瞬 ドギマギしてしまった。
何かを感じている事は間違いはない。
こちら側の対応から感じるのか 母の体の中の変化から感じているのか…。 
いつも人差し指でお鼻にツンと触れると 自分で鼻を撫でてニコニコするのだが 今日は「いたずらしなさんな」とそっぽを向いてしまった。
こういう時の言葉って 適切に使えるんだよねぇ〜。ふしぎなんだぁ〜。

特に心配げにパットをながめたつもりはないのだが 私が 神経質に見ていたのかなぁ〜。
でも今日だって こういう場面は幾度もあったけれど ニコニコだったのだけれどなぁ〜。

今日はやりかけの仕事終わらせるはずだったが 出来なかった。
明日は予定がびっしり。
職員には 急変は携帯へ連絡くださいと御願いして施設を後にした。


2007年04月25日(水) またもや...である。


 リハビリの日なので施設に出かけた。
昼食はまだ途中。介助して食べ終えた。
母はすこぶるご機嫌。感度も良い。躁状態だった。
食後 トイレ誘導。
何となく臭うので「出たかな」と思ったが大はなくトレーニングパンツがずっしり重かった。臭いが強く ズボンまで臭うので取り替えた。
ズボンまで滲みていた訳ではないのだが…。
嫌な予感がして 取り替えたトレパンをみると 何となく濃い色だ。
手足が冷たいので セーターを着足して 下ズボンも着用。

その後手洗いをして入れ歯を洗浄歯磨き。整髪。
母は相変わらず躁状態。
療法士さんがみえてリハが始まり「何となく背中張っていますね」と療法士さん。
「そうですか。でも機嫌も悪くないし…」と私。
そうこうしている内に母は寝入った。
リハの後半になって目覚めて 隣に置いたグルミットの背中をしっかり揉んでいる。
自分が受けているほぐしをぬいぐるみに施しているのだ。

リハが終わって 暫く皆と遊んで其れから お散歩に出た。
寒くないように長めのコートを羽織らせた。
母はご機嫌で歩き出す。「疲れない?」「寒くない?」と聞くが すっかり弾んでいてほんとに楽しそうな表情。
アロエエキスがなくなったというので 近くのドラックストアで購入。
買い物の間もご機嫌は続く。
レジでも怒ったりもなくて ほんとに普通に通過する。

「まだ 歩ける?」と聞くと「うん」と言うので 農家の無人野菜スタンドに立ち寄った。
「はぁ〜 あるね」と母。
スタンドで野菜を買った。

「水分摂取だなぁ〜」とファミレスに立ち寄った。
フリードリンクだから 飲み放題。それに ババロアも。
おそらく500ccは摂取出来た筈。

会計を済ませてから トイレに誘導。
開けてびっくり…! あちゃ まただわ!
そう 昼食後の嫌な予感が的中。血尿である。
おそらく 昼食後も血尿だったのだろう。
時間経過していて 赤には見えなかっただけだ。

水分多めに摂取しているのに 出が悪い。
1度立ち上がってズボンを上げてから モソモソしたので再度座らせると今度は赤い尿がはっきりと見えた。少量である。

母の機嫌は悪くない。
熱もない。元気そのものである。
施設に戻って 施設長に異常を伝え濡れたパットも見てもらう。
「だよねぇ〜」と見解が一致。
しかし 生憎今日は罹り付け医も施設の医師もお休みである。

膀胱炎は抗生剤で治す。
抗生剤を飲まなければ 今晩は前回と同じ状態になるのは必須。
施設長が母の薬を確認すると 残っている抗生剤が有ったので今晩は緊急避難でそれを使う事にした。

母の様子を見ていると 酷い痛みはないようだが 排尿前後違和感を感じているのがはっきり見て取れた。
 
「膀胱炎は繰り返す事がある」と施設長は前回気にしておいでだったが 母の病歴に膀胱炎ってなかったので 大丈夫だろうと思っていたが…。

前回もそうだったが 膀胱炎の時って母の機嫌はほんとに良いのだ。
自分の事を振り返って 血尿こそなかったがかなりの苦痛でトイレに入るのが嫌になるくらいだったのになぁ〜。
認知症で痛みを感じないのだろうかとも考えるが 頭が痛い お腹が痛いという表情はするのでそういう事でもないのだろう。

療法士さんが感じた張りは間違いなかったのだなぁ。
母は よそ様の門前に咲きそろったパンジーを「綺麗だわ!」と言い 小梅がびっしり付いた梅の木をみて「梅だわ」と実に快調だったのだが…。

90歳の試練は嘔吐だったが 91歳の試練は血尿か?
膀胱炎が気になるので 面会には飲み物を持って行き 残った分は「飲ませてください」と水分摂取を意識して来たんだけれどなぁ〜。

そうそう 今日 施設長から聞いた話で驚いた事がある。
詳しくは書けないが 切羽詰った介護者がSOS発信で施設に見えて 命拾いをしたのだそうだ。
悲惨な事件が起これば「誰も助けられなかった」となる筈。
こういう事例って 多いのかな?
何処も同じように対処してくれるのかな?

緊急保護できる認知症の人のための施設の必要性を感じた。
大概 特養には緊急ベットが確保されていると聞いてたが 今はどうなんだろうなぁ〜。


2007年04月24日(火) おまけ


 雨が降り 気温が上がれば 蒔いた種の発芽には都合がよい。
それは とてもありがたいが...。
庭の草の成長も早くなる。それは ちと大変。
今日は 庭の草取りに励んだ。

ついでに大きく葉を広げ始めた蕗を刈った。
今日の夕食は 蕗だわ。

剪定しそびれた葡萄の枝。
2.3ヶ所 枝を切って切り口にビニール袋を付けた。
これが お肌に良いと昨年 耳にしたから。
無味無臭。味もしない。
でも化粧水代わりに使える。

昨年 友人に「送るね」と言ってたのに 雨が入り込んでしまって送れなかった。だから 今日は時間のゆとりが有るので 採った。

草取りのおまけに 夕食用の蕗 葡萄の雫...。
春のめぐみだわ♪ 


2007年04月23日(月) うむむ 気分転換したいなぁ〜


 母の昼食に間に合うように施設に出向いた。
母の口の中は昼食の食べかすが…頭髪も起きたまま。
直ぐに配膳と判ったが 母を居室に誘導し入れ歯洗浄し歯磨きをしてもらう。
その後洗顔 整髪。たいした時間はかからない。
頭髪が整ったら 母が鏡を見てニッコリしていた。
それから トイレ誘導し濡れたトレパンを新規のものに替えた。
いる時位はちゃんとしてあげたい。

皆にひと呼吸遅れて食事を開始した。
食事は 半分以上介助。
全量摂取できた。

食事の後半から何となく表情が曇りがち。言葉はない。
食後の片付けを済ませてから トイレ誘導。お腹のマッサージをしていると ガスがプシュプシュと抜けた。
ガスでお腹が痛かったのだろう。でもそれより先に続きそうと察知。
マッサージを続けた。
念願の物を排出できた。途中から母に笑顔が見えてきた。

それから また入れ歯洗浄と歯磨き。
ホールに出て みんなと遊ぶ。
ホールでは 職員も入って塗り絵をしながらいろんな問答をしていた。
母も招き入れてくださったので 職員に託して施設を後にした。

その足で 地域の認知症の介護者の事を考える会議に出かけた。
それぞれ ざっくばらんに意見交流した。
19年度の方向性を探った。

最近 考え込んでしまう。何かがしっくり来ない。
「地域を育てる」って 役所は何処まで考えているかなぁ〜。
介護者に限った事ではないのだ。
住民が踊らされているような…そんな気がしてくるのだ。
少し気分転換がしたいなぁ〜。


2007年04月22日(日) 選挙


選挙ですので朝1番に投票に出向きました。
地味ですが 地域の事をまじめに考えて下さる方に一票を投じました。

我が家は 家族全員 投票を棄権する事はありません。
でも 特定の政党を応援している事もないのです。
あ 母は文字が書けなくなりましたので 棄権しています。
でも 認知症になっても書ける内は 投票に出かけました。

この所 選挙の度に「この人だけは嫌」と言う項目を付けられないかね」と話題になる我が家です。

投票が終わって「誰に?」と言う話題にもなります。
今回は 家族全員同じ人でした。

今日は 家人は皆休日出勤です。
1人菜園に出向いて 種を撒きました。
この所 強い風が吹いていたのでトマトの苗がどうなっているかと心配でした。
でも 折れたり倒れたりしてなかったので胸を撫で下ろしました。
一足先にじゃが芋を植えつけた畑には じゃが芋の芽がしっかり出て葉を広げてた。
我が家の所は それより遅れているので 何の変化もなかった。

でも 先日 葉物の種を撒いた所は 一列に小さな緑の芽が土を盛り上げていました。
その様子は 畝にひびが入ったようにも見えました。
葉物ですので 種を撒いて土を被せる程度なのです。
根が張って芽が出れば 土を持ち上げているように見えるのでしょう。
そこに如雨露で水を撒きました。

畑の仲間が「今日は降るって言ってたよね」と声をかけてきました。
確かに そうなのです。
でも 風が強く若し雨が降らなかったら 困るのです。
畑に水撒きに行けない日もあるからなのです。

畑の隅の茗荷の茎を摘んでいる人がいました。
茎も美味しいのですね♪

そして 今日は更に種を撒きました。
追加の種は 大根葉とわさび菜です。
わさび菜は 今年の早春にスーパーで幾度か購入しました。
レタスのようにサラダに使ったり 軽く茹でてお浸しにしていました。
わさび菜と言うくらいですのでピリッと辛いのです。
からし菜ですと固くなりますが わさび菜は柔らかいのでした。
例年と比べて 菜園には 葉っぱ物が多いです。

トマトの苗の傍で てんとう虫を見かけました。
てんとう虫は 野菜には天敵です。
次に出かける時には 忌避剤を準備しなくてはならないのかも知れません。
可哀想ですが 時は潰してしまわなければならないかも…。
以前 放置したら葉っぱが食い荒らされて収穫出来なかったからです。

野菜を育てる経験は 学校の理科の授業くらいでした。
小さい頃 父がチシャやトマトを庭で育てた時期がありましたが 今の菜園よりずっと小さい物でした。周囲には畑や水田がありましたが人様の物です。
中に入ろうものなら偉い勢いで怒られました。
遊んでボールが入っただけでも 怒られました。
それくらいに作物は大切に育てられていました。

高校生になって 農家の方とお友達になって 念願の田植えをさせてもらったのが印象深いです。でも 邪魔にこそなれお手伝いにはほど遠く 身の程を知りました。

この3年 何とか1人で乗り切って来ました。
と言っても ほんとに小さな菜園です。
今年 作物たちどんな風に育っていくのでしょう?


2007年04月21日(土) 急に暑くなったな。

 利用者さん訪問。
チャイムを押して 挨拶をすると「はぁ〜い」と松葉杖を突きながら利用者さんが迎えてくださった。
「わぁ〜い。大分歩くのが安定してきましたね」と声をかけると「そうなのよ。お医者さんも驚いていたの。じっとしてるのは 生に合わないの」と言われた。

「お風呂は お湯が溜まっていますか?」と聞くと「あのね 準備すると貴女の仕事がなくなるからしないでおいたわ」という事だった。
つまり 私の活動に対しての報酬が減って迷惑がかかると思われての事だ。
こちらの考えとズレがある。
元気になって必要としないならそれに越したことは ないのだけれど…。

そのことをきちんと説明したがわかって貰えたかどうかは疑問が残る。

入浴は ドアを閉じて1人でなさった。
上がった時に 腰掛けて体が拭けるように椅子を準備して差し上げる。

その間に 洗濯機を廻しながら トイレ掃除やポータブルトイレの始末と掃除。
キッチン リビング 寝室 玄関の掃除をした。
今日は その他に ベランダの縁台の掃除を頼まれた。
縁台を拭いて ついでに網戸やサッシ戸のガラスを磨く。

今日の活動時間は 1時間で収まった。
また 「短い時間で…」と気になさるので「これから用事があるので短い方が助かります」と申し出て 活動を終わらせていただく。

来週に「ヘルパーさんと有償ボランティアと利用してみて…」という発表をご夫婦でなさるそうだ。「ボランティアはヘルパーさんのように 厳しい制限はないが 時間内に取り組める事は人に拠って多少違うから 私を基準になさらないで下さい」と御願いした。
人には それぞれ個性があるので 得意不得意のことがあるから。

利用者さんは 十分承知していてくださったので安心した。
きっと 事業所でもその事は伝えてくれたのだろう。

活動を終えた足で フリーマーケットの場所へと向かった。
バスのアクセスが悪く 結局 1時間近くかかってしまった。
会員の方が 自主的に取り組んで開いてくれた。
全てお任せのフリーマーケット。
会のチラシも作ってくれていたし介護のホットペーパーも並べてくれていた。
荷物運びも半端じゃなかったと思う。
ほんとにありがたい。
会員の中には 病院や入所中の家族もいて 広報活動は個々にしてくれている。
誘われて会に足を運ぶようになった方もいる。
みんなの力で ここまで広がってきている。

マーケットを開いてくださった方の知り合いが見え 購入してくださった。
通りがかりの方も手芸品に興味をもたれて足を止められていた。

ヘルパーをなさっている方が 足を止められた。
「へぇ〜 こういう会あるのですね」
「はい」
「利用者さんに知らせてあげたいわ。きっと助かると思う。そういう会の所だったら 買わなくちゃね」と介護の合間に作られた手芸品を買い上げてくださった。

NPO協会がこのフリマを取材したいと言われてた。
地元のテレビ局へ持ち込むデモ版を作るためと言う。
カメラを回すのもNPOの映像制作をなさる方。
このNPOの方は まだ学生さん。
一昨年 ある財団の助成金を受けるためのプレゼン会場に出向いた時 出遭ったことがあり同じ地域に住む方だと知った。

将来 テレビ局を立ち上げNPOで生活の基盤を作りたいと熱く語っていたのだった。
その後も地域で時折 カメラを回している姿に出遭った。
数年前と比べて 風格が出てきたなと感じた。
「これでやっていく」と気持ちが固まってきているように感じた。
来月には 介護者の会に来て またカメラを回す予定だ。

母の所に行くので フリマを後にした。
歩き出しているうちに 過去の事を思い出す風景に出会った。
娘がまだよちよち歩きの頃 ここに来た事。
友人と歩いた事。
子供の急な発熱でこの近くの小児科に車を飛ばした事。
最後に出向いた時から 16.7年近く経過している。

施設の前に着いた時 隣の中華料理のお店の店主に「だんなさん来ているよ」と言われた。
みると夫の車があった。知り合いのお店に顔を出しているのだろう。
ちょこっと立ち寄って 話しこむ。

それから 母の所に行った。
母は おやつを食べていた
自分の昼食を摂る時間がなかったので 居室で一緒に食べることにした。
おにぎり1個を渡すと自分で食べていた。小さいので食べやすそうだった。
お茶とお水を飲んでもらう。

浮かぬ顔なので「どうした。お腹痛い?」と聞くと「少しだけ」と言っていた。
トイレに誘導した。

手を洗って 口を濯ぎ ホールへと移動した。
暫くして 母が落ち着いている所で施設を後にした。


2007年04月20日(金) 教えられます♪


利用者さん 訪問。
「今 帰ってきたところです」と利用者さん。
「どちらまでお出かけでしたか?」
「夫の弟のお嫁さんのところです」
「訪問日変更できるのですから 遠慮なく言ってください」
「いえね ほら 認知症になったのですよ。徘徊って言うんですか?それが始まって 介護しているお嫁さんが大変だというので 2人一組になって 手伝いに行く事にしたのです」
利用者さんは 来年90歳。電車に乗って遠くまでお手伝いです。
傍にいて 編み物をしたりするらしいです。
それにしても…と思います。
私たちの年代でそこまで協力体制を取って貰えるなんてあまり聞かないです。

それに90歳になっても なお手伝いに行く姿勢 立派です。
それほどにシャンとなさっています。
私が家事援助のお手伝いに行く必要がなそうに見えますね。

利用者さんは 先を見越して 人に頼る練習をしているのだと思います。
いつも「着てくださってありがとう。助かってます」と言われるけれど…。
でも 私の入らない日は ご自分できちんとなさっておられる事は 掃除してみて判ります。

「あのね。認知症になったら施設に入りたいから はなさん 来月の活動日の一回は施設見学に連れて行ってください」と言われた。
何処までも計画的な利用者さんです。

活動は 予定時間内で終了。

家に戻ってから 追加の洗濯をして 風に舞った落ち葉を掃いて…昼食を摂り 生協の荷受をしてから 母の所に出かけた。
母は 入浴したという事だが 浮かぬ顔をしていた。
職員が笑顔で「〇さん 入浴できました。強い拒否はなかったです」と教えてくれた。
隣にいる〇さん ニコニコ笑顔でフワフワと気持ち良さそうです。
「わぁ〜気持ちよかったですね」というと「まぁね」と。
きちんと入浴したこと記憶なさっていた。
以前は 浴室に入っただけで 凄い勢いでプリプリしていたのだから きっとうまい具合にいったんだろうと想像できて嬉しかった。
職員も良くぞ ここまで待ってくれました。辛抱が大変だったでしょう。

しかし 対照的に浮かぬ顔の母。洗髪を嫌がったというけれど そのための浮かぬ顔ではなさそうである。
トイレ誘導するとガスがス〜っと抜けた。「これだ!」
暫くお腹をマッサージ。何回もガスが抜けるが 腹痛は残っているようだ。
そこでバンテリンの登場。
家にいたなら 白花油だけれど施設に置いてあるのはバンテリンのみ。
暫くしたら 腹痛も消えてきたようだった。

程なく夕食。
施設に着いたのもいつもよりずっと遅かったので 食事介助をする事にした。
最近 母は手で食べ始める。
手を拭いて 箸を渡してチャレンジ。それを数回繰り返すと箸を使い始める。

食欲はあり 半介助で食べ終えた。
食後薬を服用。(マグラックスとキダチアロエエキス)
お茶もしっかり飲んだ。でも1杯だけでは 心配で更に水分を取ってもらう。

食後は入れ歯を外して歯磨きをしてもらう。
ホールのソファーに座ってもらったら テレビに見入っていた。

落ち着いているので そうっと施設を後にした。

今朝 役所から電話がきた。
会に対して補助金を出せるかもしれないという事だった。
勿論役所からではない。
その制度のある事は知ってたが 手続きが面倒に感じていた。
が 役所で事務手続きを手伝ってくれるというお話だった。
会が出来て以来 初めての事だ。
補助金を受けられるかは 審査次第だが… やってみる価値はあると思うので感謝。


2007年04月19日(木) あちゃーーーー!

 数日前 役所の認知症担当の方から電話があった。
18年度の介護者の会のお話をお聞きしたいという事だった。
昨年は 担当者が変わり これまでの関係と少し変化していた。

会発足に関ったのは 前々の担当者。全担当者との引継ぎ時も少し変わったが 協力関係が出来ていた。昨年は それより更に距離が生まれた。

移動時の引継ぎは 微妙な所はなかなか伝わらないので致し方ない部分もあると思い こちらから話しかける事はしなかった。
相手にも相手のペースがあるから。

何を言いたいかと言うと 担当者の移動で これまでの関係や経緯を知っている人がいなくなり「介護者の会ってどういう事をしてるの?」という事になったみたいだ。

勿論 同じような介護者の会の中には きちんと役所に会報を送付なさっている所もある。
でも 私は面倒でそれを怠ってきた。
事業所の中には 会員登録をして会報を読んで下さっている方もいる。
おそらく プライベートでだ。

と言う訳で これまでの経緯を伝えて 現在の活動や課題について伝えた。
役所の来年度に向けての方針もお聞きし 双方とも協力していくという事を確認できた。

会の様子をみて 介護者がどういう事で悩むか見て欲しいと伝えると「訪問します」と言う返事を頂く。

介護者の会に 何か特例がある訳ではない。
役所に行く時だって交通費は自前である。
介護者が何を悩み それを軽減するには どんな事が出来るかを直にみて考えて貰えればと思うのだ。
介護している者にしか判らない事を知って頂き これからの介護に役立てて貰えば本望である。

文句を言うのではなく 共に考えて行ければそれでいいと思う。

聞きたい事はいろいろあったが 後の予定もあるので 昼前で終了。

家に戻って 洗濯物を干した。
これは 賭けである。
ずっと雨天で湿った洗濯物が溜まってきていた。
空模様から 今日は降らないと判断し 物干しにズラッと干した。
今日は 午後に予定があり 戻るのはおそらく7時ギリギリ。
「雨よ降るな!」と念じて家を出た。

電車に乗ろうと改札を通過しようとした時「ピンポン!」とストップがかかった。
入れた筈のカードが出てこない。
普通なら職員が出てくるが 改札を行ったり来たりしても職員は見ているだけ。
「カードが出てこないのです」と訴えると「何のカードを入れましたか?」と聞かれた。
「チャージ式カードです」
「これは入れては行けないですね。カードが壊れます。入れるものじゃないですから気をつけてください」とお叱りを受けた。
「あれれ…そうだったわ。なんでこんな事してしまったんだろう?」

職員の言葉に「そんなに叱らなくてもいいじゃん。こっちは客じゃ」と思いながらも 自分の失敗を言われるまで気がつかないと言う事に情けなさを覚えた。
ちいさな声で「すみません」と言ったが…。

電車に乗り込み暫くスリーピングタイム。
終点手前で目覚めてセーフ。
乗り換えて介護の場所へ 階段を上っていると 上の方から「はなさん」と言う声がした。「こんなところに知り合いは居ないのに…」と顔を上げると雑誌記者さんだった。
そういえば 前の時間 編集会議だった。
「アッ お疲れさまです」と間抜けな挨拶をしてしまった。

会議は あれこれと。
皆さん それぞれの立場から率直な見解をお話をなさっていた。

会議も済んで 外に出た。
「やったぁ〜!」 雨が降っていなかったのだ。

帰路の電車は 帰宅ラッシュ。混雑クラスとしては中級って所。
電車に乗る時って 乗り換え出口に1番近い場所を選んでしまう。
そして 降りる時 出口にぴったりあうと「やったぁ〜」なんて1人ほくそえむのだ。混んでいる時の乗車は あまり気分の良い物ではないから そんなことして気持ちを逃避させてます。


2007年04月18日(水) ♪よおく 考えよっ!♪


 リハビリに立ち会うため出かけた。
母は汁物を食べていた。それが最後であと二口三口と言った所。
ほっておけば お茶に混ぜてしまいそうだったので介助して終了。

その後 トイレ誘導。
誘導中にひょっとしてと思ったらやはりちょこっと汚れていた。
少し頑張って貰ったが たいした量はなかった。

手を洗ってというと蛇口の前に両手を運んで上手に洗っていた。
やはり 家で過ごした後なので感覚が戻ったのだろうか?
入れ歯を洗い ブラッシングして貰う。
漱ぎもスムースだった。

今日の母もご機嫌。
療法士さんを待つまで横になって貰ったら タオルケットを顔までかぶった。「眠いの?」と聞くと「ねるは〜」とニコニコ。

療法士さんが見えると「誰かきたぁ〜」とニコニコ。
療法士さんが 身体を解し始めると母もぬいぐるみの背中や首を解すような仕草を始めた。
「今日は『おかちゃん』と言わないですね」と療法士さん。
体調が悪くないのだろう。

リハが終わった後 トイレ誘導したらまた排便。
職員に様子を伝えてマグラックスを止めてもらうことにした。

母と手遊びをした。
右手は手の平 左手は手の甲。
向き合ってパンと2人の手を合わせてから 一拍の手拍子を打って また2人の手を合わせる。
そんなことをやってみた。
逆に(右手を甲 左手を手の平に変える)してみたら 出来なかった。
失敗すると「あははは」と大きな声を出して笑っていた。
その次に「夏もちかずく」をするとこれは出来た。

遊び終えて ホールに移動したらテレビにみっていた。
今日は 早めに帰宅。

家に戻ると弟から電話。
どうやら 弟の会社こちらでの仕事があるようで 数ヶ月こちらで過ごすという事だった。
お金は 直ぐに返せないけれど宿泊費としてお金は落せるという気持ちのようだった。
しかし4人が我が家に数ヶ月すごすとなると どうかなぁ〜。
食事の支度や布団の片付け等を考えるとなぁ〜。
おそらく夫は私と同じで「来ているのなら泊まれば」と言う感覚になるとは思うけれど...。
気兼ねという事も考えて 近くに安いアパートを借りても良いかと思い予算を聞いて 知り合いの不動産屋さんに聞いて見ると伝えた。

夫も私も学習しないからなぁ〜。
いつも後で「しまったぁ〜」になってしまうから ♪よおく 考えよっ♪

こちらにいる間くらい 母に面会してくれるといいんだけれど...。

介護仲間からメールが入った。
遅ればせながら 我が地域も同居者がいる世帯の生活援助打ち切りが始まったようだ。こればかりは 利用していないとわからない。
でも 所属している事業所の利用者さんを見ていると何となく察知できた。
さてと どうやって退所していけばいいかなぁ〜。


2007年04月17日(火) 医師の助言に苦笑


 昨夜 1時少し前に 母をトイレに誘導した。
布団から起き上がるのだし 眠っていたので体のバランスが取れるまでは立ち上がっても動かないでじっとしてもらった。
落ち着いてから ゆっくりとトイレへ。 ジャーン! 成功でした。
母もニッコリです。
それから 布団に入ると直ぐにぐっすり眠った。
しかし 明け方は 私め 起きられなくてオムツへ…。
でも 漏れる事もなかった。
時間にしたら5時間くらいだ。起床時は トイレ誘導できたから…。

起床時は 頭がはっきりしないようだったが お茶を飲んだりしているうちにしっかりしてきた。ご飯もしっかり食べた。

雨なので洗濯は中止。
その代わり 朝湯。
浴室に誘導した時は「さむい」と面倒そうだった。
が湯船に入ると俄然 穏やかな笑顔になる。
湯船の中で洗髪した。最近はシャワーで流さない。
湯船近くに洗面器を運び お湯を貯めて タオルにお湯を含ませて洗い流すようにしている。幾度も幾度もお湯を変えて…。
ちょっと面倒だけれど 折角楽しみにしている入浴を嫌な経験にしてしまう事は避けたい。
洗髪後は浴槽で身体を洗う。昨夜も洗ったけれど もう一度。
嫌がる事は極力短くするので 回数で補うしかない。
最後はお湯を抜いてシャワーで流した。

風呂から上がって 髪を乾かしてから 私が風呂場で洗髪。
こちらは洋服を着たままなので汗びっしょり。
髪の毛をサッと流してから浴槽の掃除。
母はその様子をじっと見ていた。

それから ダイニングに戻って水分補給。
今日はフルーツ杏仁。昨日から 寒天ばかり食べさせているかな?
でも飲んでばかりより良いだろうと思う。

昼食を摂り トイレ誘導。
うまい具合に 大も小も…だった。やったね!外出前で ほんとに良かった。
午後 バスに乗って通院。 定期検診日である。
バスを待っているとお隣のおばあちゃんと出会う。
「お母さんいらしてたのですね」から始まり「とても91歳には見えないですね」と驚かれた。ちょっとお世辞もあるでしょう。ただ 認知症になって10数年で未だに歩いてバスに乗るという事が若く見えるのだろう。

診療所に着いて 医師の姿を見た時 私服だったのに「あのお医者さん 見たことあるよ」と言ったのには驚いた。
この所 医師に対しても無表情が多かっただけに嬉しかった。
血圧が程よかった。家に泊まった事を知った医師は 「だからだな。〇ちゃん 家にいたい 帰りたくないって 暴れろ」と母にけしかけていた。
医師も状況を良くご存知なので… 母も含めて笑った。
健康診断の数値で良くない所もあったが 体調で違うので神経質にならないでよいと言われた。「別の医者なら ちと良くないからと言う所だと思う」とも言われた。
ちと 様子見と言ったところだ。

薬を頂き トイレ誘導。小がしっかり出た。母と固い握手。
家を出る時には 雨が降っていなかったが 診察を終えて外に出ると本降りだった。
タクシーに乗って 施設に戻った。

母は 私のうちを「家」と感じるようになった。
ひところは 何処にいても生家が家と思い込んでいたのだ。
家がいいらしい。


2007年04月16日(月) お泊り


母の所に行った。
週末は母に面会していなかったし 今週も後半から予定があって面会も危うい。それで 今日は 家に泊まって貰う事にした。

施設の玄関で靴に履き変える時 自分で靴を履いた。
新しくなった靴は紐がついていて 母は紐を結びかけた。
じっと見守っていたが ズボンの裾が邪魔そうなのでつい裾を織り上げてしまった。その時点で 母の集中が途切れてしまった。
「面倒だなぁ〜」と呟く母。
母が自力で履こうとしただけで嬉しい。

バスに乗って駅まで。
駅前スーパーでお買い物。
介護仲間とばったり出会った。
挨拶をして通りすぎたのに 戻ってきて「おかあさん?」と聞かれた。
「そうなのよ」と言うと「いつもお話伺っています」と母と握手。
母も旧知の友人のようにニコッとしていた。

それから買い物をしてバスで我が家に帰った。
下りる時ちょっとだけ降車拒否。
降りようと席を立ったのだから おそらく バランスをとるため手すりから手を離せなかったのだろう。
バスを下りる時 ご近所の人がバスを降りるまで見守ってくださった。
雨が降っているので 気にかけてくださったのだ。
お礼の会釈をして別れた。

家に着くと丁度3時。
娘が昨夜 梅芯庵のあんみつを買ってきてくれていたのでそれをおやつにした。きっと母の好みだろうと思って蓬の寒天のあんみつを母に出した。
母は「美味しい」と半分自力で食べられた。

テーブルに新聞や雑誌を出しておいた。
母は介護雑誌を手にして読んでいた。何処まで読み取れるか?
以前なら 文字も読めたけれど今はちょっと怪しげ。
その間に 夕食の支度。

5時30分あたりから 表情が固くなった。
何処か具合悪いかと気になって あれこれ聞いて見るがいまいち判らない。
「お腹ペコペコ?」と聞いて見るが首を振るばかりだった。
プリンを出したが食べない。
キッチンの前に椅子を運んで座ってもらってしたくする様子を見て貰った。

7時過ぎ夕食を始めるとだんだん笑顔が戻った。
やはりお腹が空いていたんだなぁ〜。

母の好きなたけのこごはんやかど焼き。豚汁。
たっぷりと食べていた。
それも1時間掛らずだった。

夕食後は苺の練乳がけ。これも「美味しい」と言っていた。
暫く 唄ってみたりぬいぐるみで遊んだり...。

9時を廻った頃 入浴。
嫌がる事もなく入浴できた。

階段も無事上って 就寝。10時を廻っていた。
布団に入っても寝入った訳ではないので 暫く2階とキッチンを往復。
眠る前に布団の外に置いていた「たらこ」の抱き枕。
1時間過ぎたら しっかり布団の中に入れて抱いていた。
「寒かろう」と思って布団に入れてあげたかな?

今日は良く喋っていた。
母は 単語を忘れつつあるので とんでもない話となる。
スリッパを履かずにいると視線は私の足元。
明らかに「スリッパは?」の筈だけれど「眼鏡は?」と言う。
スリッパを指すと「あるんだね」と言う表情で納得する。
母の発する言葉は 視線の行方やその時の状況を判断しないと直ぐには判らない。


2007年04月15日(日) ようやくです。


 菜園は トマトの苗を植えて じゃが芋を植えて ヤーコンを植えて 其の儘放置。
都合よく 自然のシャワーもあり助かっていた。

その間に夫が菜園に肥料を購入し運んでいてくれていた。
一度は軽く肥料を混ぜて耕していたのだが...。
それでは 足らないと夫は言ってた。

作物を育てる知識は 夫の方が詳しい。
菜園を借りたのは 夫に仕事以外に何かして欲しいと願っての事だった。

夫は 若い頃は 写真の趣味があった。
本もよく読んでいた。
菜園だって 子供のためにと取り組んでいた。
それが いつの間にか何もしなくなっていた。

気持ちの休まる事に取り組んで欲しいと願ったが 一向に腰が上がらず 随分ヤキモキした。

今年菜園を借りる時「どうしますか?」と夫に聞いた。
「借りてよ」という意思表示があったので半信半疑で申し込んだ。

抽選も見事通過できた。

先日 母の変化で菜園の仕事も大慌てで 夫は1人畑に出向いたものの手付かず状態だった。
「やっぱり今年も無理か」と思い始めていたら...。

今日 ようやく気持ちを起こして畑に出てきた。
先に私が出て作業を始めていたのだが...。
土を掘り起こし肥料を撒いていた。

以前は「あんたに畑は出来ない」といつも言っていたのだが...。
もう そういう事も言わない。
この3年 畑の作物を育て収穫をして来た実績を認めてくれたのだろう。

夫の耕した土を平らにして 一部分に葉物の種を蒔いた。
小松菜 春菊 水菜 ルッコラ パセリ...。
如雨露で水を撒いた。

畑の隅のヤーコンは 芽を出し始めていた。
温かくなったので 発芽も早くなるだろう。
野菜たちが育つという事は 草も育つ。
これからは草との戦いも始まるだろう。

でも 今度は夫の手もあるので少しは楽になるのかな?

今日の新聞に 老健が終末期の対応に乗り出せるように検討中と言う記事を読んだ。療養型病院の廃止に伴う施策と思うのだが...。
どうなっていくのかな?


2007年04月14日(土) 東京タワー


 今朝はちょっと体が重く感じた。
体重が増えた訳ではなく わが身をズシッと感じるのである。

でも 利用者さんを訪問する日なので スタコラさと出かけた。
家の中はひんやりしていたが 外に出るとじわりと温かい。

利用者さんは 謡いの練習中だった。
1日練習しないでいると声が出なくなるそうだ。
そういえば 大叔父も謡をしていたなぁ〜。

挨拶をして真っ直ぐ風呂場へ行くと浴槽に蓋がしてあり 手を入れると温かい。「お湯を先に張ったんです」と利用者さん。
ベットの傍に行くと「見てください。ほらこんなに歩けるようになりました」と歩行器を使いながら両足で歩いて見せてくれた。
足を交互に出せるまでに快復なさっていた。
やはり 快復なさって動けるようになって行く姿に出会うと嬉しくなる。

「今日は 1人でお風呂に入りますので見ていてください」と前向き。
手すりの使い方を伝えた。
洗濯機を回して浴槽に入るまで見守り。
着替えを立った姿勢でなさろうとしたので「着替えは椅子に座わられた方が良いと思います。これで再骨折なんて 大変ですよ」と言うと
「そうですってね。バランスを崩して足も腕も骨折してしまったというお話を聞きましたよ」と利用者さん。

其れから順番に掃除機を掛けた。
途中 浴室の様子を見に行き 次に拭き掃除。

結局 洗髪も含めて お1人で完璧に出来た。
その後 洗濯物を干して丁度一時間半だった。

利用者さんの訪問活動は今月で終える筈だった。
が昨日事業所からの電話で「5月も継続を望んでいるが可能か?」と言われた。利用者さんのリハビリも含めて2週間に1度ならという事を伝えた。

実は ご主人が介護保険利用で 生活援助でヘルパー利用なさっていたが これが打ち切りとなるのだそうだ。
そうなるとまだリハビリ中の奥様が介護となられる訳で 不安があるようだった。
と言う訳で 5月も2週おきに訪問活動が続くことになる。

ご主人はデイが嫌いで通所なさっていない。
通所できると身体も動くようになっていきそうなので 打ち切り対象となったのだろうと想像はつく。
でも打ち切りの前に ヘルパーさん 動くような声掛けをなさってきたのかなぁ〜とちょっと気になった。
これから 何回か訪問に入るので そういう面での声がけもした方が良そうだ。

活動も無事終えて 家に戻る。

今日は 娘から誘われて映画を観に行く。
「東京タワー」おかんと僕とときどきおとん
既に本も読んでいるし...サッとだが 2時間ドラマで見てもいる。
娘の同級生もこの映画のクレジットにのっている。
いろんな訳があって 映画を見に行く事にしたのだ。

映画を見に来ている人は 中高年の人が結構いらした。
オダギリジョーが出るというので もう少し若い世代の人が多いかと思ったのだが意外だった。

でも良く考えれば 親の立場である私は オカンの立場で映画を観るので そういう人が多いのかなとも思った。

本を読みながら記憶に残っている場面が軽く流されていた。
やはり 読み手の思いはそれぞれなのだと感じた。

それでも 十分楽しませて貰った。すすり泣く声も聴こえた。
まだ上映中なので 感想はこれ位に留めておきたい。


2007年04月13日(金) 非を詫びる


朝 緊急に夕方集まれないかと連絡が入り夕刻の時間に予定が入った。
お昼には 別のイベントの企画調整の約束が入っている。
昨日の時点では 企画の調整後母の所に行こうと思っていた。

朝の連絡を受けた時点で 午前中のうちに母の所に行かないと駄目だなと判断。昼食介助をしようと母の所に向かった。
施設の食事は始まっていて 母の隣で職員が食事介助してくれていた。
職員からバトンタッチして母の食事介助をする。

施設内は 和やかな雰囲気。
昨日 ご家族と面会し褒められたと嬉しそうな車椅子利用の方。
ちょっと危ない場面もあったが 今日は普段敬遠なさっている方と声を合わせて歌を唄われていた。
敬遠されている方は認知症なのだが 嫌われている事は感じている。
「2人が仲良しで嬉しいな」と2人と手を繋いでみた。
すると認知症の方が「ネッ!いつもと違う」と言われた。
それから 更に2人は声を合わせて唄っていた。
嬉しい光景だった。

母をトイレ誘導。
職員が今日は「ご機嫌です」と言われた。
「それなら きっと大が出口まで下りてきている可能性が大ですね」と伝えた。
予想通り 軽いマッサージで自力で排出できた。

入れ歯を取り外して洗浄し口を濯いでもらう。

ジュースも少量飲んでもらう。
排尿時の辛そうな表情は消えていたのでホッとした。

約束の時間が迫ってきたので施設を後にした。

調整は 何とかうまく行った。
この調整は 私の不徳の致す所。
話し合いが面倒だったので別々に取り組みましょうと言ってしまったのだ。
私に傲慢さがあった事は否めない。
ただ 他の皆も同様で止む無しという雰囲気があったのも確か。
もめている時も 周囲が私に同情して下さっている事は感じていた。

その時自分の心の内に苦い思いがしたのだが その思いにふたをするように動いてしまった。

人の気持ちを大事にしなくては...と言う思いの一方でそれを踏みにじる自分もいる。矛盾に満ちているのだ。
彼女は そういう欺瞞を感じていたのだと思う。

今日は自分の非を詫びて 調整させてもらう。
話し合いが済むころ「今日皆忙しいって言うからおにぎり作ってきたの」と彼女。
それは 乾燥ホタテと牛蒡の炊き込みご飯のおにぎりだった。
食べ物で煙に巻かれる...?
いや きっと彼女は謝りはしないけれど 何となく察している事もあるんだなと感じた。白黒をはっきりさせなくとも何となくやんわりと過ごしてしまった方が良い事もある。

これでチラシ作成が始まるだろう。良かったわ♪

急いで家に戻って生協の荷受をした。
洗濯物を取り込んで 約束の場所に電車で向かった。
これが 私の予測では1.2時間で終わるかなと思いきや とんだすれ違いがおきてしまって 終わったのは9時半だった。
ある程度整理されて良かったのだが...。
家では 珍しく早く帰宅した夫がイライラ。
この所夜の話し合いが多くて...そういう時に限って夫の帰宅が早いのだ。
あばばば...。
家に着いて夫にはひたすら謝る。
「ま いいんだけれどね」と言う夫の言葉に感謝。


2007年04月12日(木) 便秘対策


昨日の会議の課題の調整のため電話した。
経緯が判った。
明日 担当者同士で 再度調整という事になる。

夕方地域包括の方と話をした。
地域包括の役割を広く住民に知ってもらう必要があり こういう企画はありがたいという事だった。
会としては 地域で介護で孤立している人を無くす事も課題なので 丁度良かった。

昼下がりの時間は 隣の町の介護者の会に足を運んだ。
先日 電話であれこれ質問を受けたのでその回答を持って訪問させて頂いた。3月のうちの会に足を運んでくださった事もあり交流も兼ねての事だ。

初期のうちの会の雰囲気が漂っていた。
他所の会に出かけると学ぶ事も多い。
そのうちのひとつが便秘対策。
お母様を介護されているという男性の方だった。
カイロプラテクスも使いながら鍼灸の仕事なさっている方だった。
幸いと言うか 認知症ではないそうだが 身体麻痺が出ていて現在要介護5。
代々続いた鍼灸のお仕事だが それは畳んで 介護の合間に小さく個人で鍼灸業を営まれていると言われていた。
途中幾度か中座なさったが お客さんからの電話だった。

その方が お母様の便秘で薬の御世話になり 超緩い便となってしまったので これでは本人も苦しかろうと試行錯誤なさったそうだ。
今 薬を使わずアロエべラをお使いと伺った。
詳しく言うと アロエべラを皮ごとミキサーにかけてジュースにして100ミリリットル程度毎日飲んでもらっているのだそうだ。
この方は キダチアロエも使ったがアロエべラが1番効いているという事だ。

母にもアロエべラは 最近使いだしている。
ただ 私の場合は皮を剥いてゼリーのような果肉だけ母に与えている。
皮を剥いているので苦味は殆どない。

「苦味は?」と伺うと「最初は嫌な顔をしていたけれど最近は大丈夫です」という事だった。

母に使いだした時 便秘気味の職員にも試食してもらったが「効いた」と言っていたので 効く人が多いのかも知れない。
こればかりは個人差があるので みんなに効き目があると言いきれないのだが...。

母に使うのも 方向として間違って居ないと感じた。
キダチアロエのジュースは 健康補助食品のコーナーにもある。
友人から言われて 購入し使いだしたが効き目は「?」
そこでスーパーで目に留まったアロエべラをなんの気なしに購入。
皮を剥くとヌルッとしていて 誤嚥も防げそうだし いかにも便秘に効きそうと感じて使い始めた。いわゆる勘である。

ただ 結構なお値段なので 気軽にと言う訳には行かない。
これに保健が使えるわけでないので...。
ちょっと高めのフルーツと思えば良い位。
お店によって値段が違うので 安いところを探せば良いと思う。


2007年04月11日(水) 日一日と

 
 この所 夜 学生時代の仲間の年1回の交流会の事で電話やメールが行き交う。昨日は 友人とケラケラと笑いながら 長い時間話した。
受話器を置いたら 別の人からの電話。
電話に出ると「別の人かと思った」と言うほど声がガラガラになっていた。

今日の訪問活動は土曜日に変更。
土曜日の方が利用者さんに取っては都合が良いとの事だった。

昼前 母の所に行く。
施設の昼食は済んでいた。
母が私に興味を示さず 立ち上がって職員の所に歩いていった。
「あら 誰か見えたわよ」と職員が声をかけても気がつかない様子。
でも 何処かで職員に私の事を説明している風。
意味がつかめない言葉で話しかけていた。
「用事がなければ帰ろうかな」というと職員の方が気にして「あら あんなこと言っているよ」と母に声を掛けていた。

母は聞こえない事もあるし 話しかけられた意味が理解出来ない事もある。
だから 職員と私の会話を理解できてたとは思えない。
母に伝える時は 目を見て一対一でゆっくりと話しかける。
共有したい話は ゆっくりと母の反応を見ながら話すに限るのだ。

トイレ誘導 水分補給等をしているうちに療法士さんが見えた。
トイレ後なので 母の落ち着きがなくて 身体を何回も起して「おかちゃん」と幾度も呼んでいた。
「この所なかったのに...やはり 調子が悪いのでしょうね」と療法士さんの観察力は鋭い。左側の腎臓の辺りがいつもと違って張っていたそうだ。
母もそこの場所は嫌がっていたようだ。

結局今日は全く眠らなかった。
リハ終了後 体が温まったのか起き上がろうとしなかった。
リハを始めるので横になって貰おうとしたら「寝たくない」とはっきり言っていたのに...。

その後 暫く入所者とビーチバレーボールで遊んだ。
みんな ちゃんと手で打ち返す力を持っている。
母も例外ではない。コントロールは母が1番できるかもしれない。
この間までちゃんとボールを上げて打っていた方が タイミングをつかめなくなっていた。
人に拠って 落ちてくる能力が違うという事をまざまざと見せ付けられた。

夜に会議があるので早めに施設を後にした。

夜の会議は いろいろあった。
前回欠席したので 書類外の事項の情報がわからなくて戸惑う。
ひとつのイベントを実施するって ほんとにいろいろ詰めていく必要があり
考えを纏めて行かないと前に進まない。
右左 言葉の表現...。
自分のペースを突き進む人 みんなとの調和を計る人 それぞれである。
自分の担当は認知症の介護であるが 人に拠って認識が違うという事も感じた。やはり 介護の事は そこにぶち当たってしまわないと考えないというのが 社会の実情なんだろう。
ちょっとひっかかることも感じた。
介護がどうも一段下がって捉えている方もいた。
忙しい思いをして受ける意味があるのかとちょっと考えさせられた。
書きながら 具体的なイベントの事に触れないでいるので このジレンマを十分に伝えきれないなと思う。
でも ちょっと書き止めておきたかったので...。

会議が済んだ時 1人の方が介護相談に見えた。
後ろから後方支援してくれた人だった。
遠距離介護の問題。
窓口の案内と介護者の心のフォローに努めてくださいと話した。





2007年04月10日(火) 再通院


 朝 バスで 病院まで診察受付の手続きに向かう。
「午前中は 11時30分までです」と言われる。
内科は午前中のみなのだ。

前に診察受付した人がもたついて バスは 間に合わなかった。
もう バスは待っていられない。
タクシー乗り場で 待つ。
駅までタクシー。其れからバス。

母は鬱陶しそうな表情だった。
トイレに誘導すると既に出た後で痛かったのだろう。

便座に座ったまま 髪を梳かし 着替えをしてもらう。
時計の針と睨めっこ状態。

今日は 寒くはないが風が強い。
「寒い」と母は言う。
バスは信号待ちの間に一台通過したばかり。

タクシーが見えたので拾い そのまま病院直行。

検温 血圧測定をし暫くして看護士さんが見えて 尿検と言われた。
「終わるまで待てますか?」と母に聞く。
「無理かと思います」と私が答える。
「診察が直ぐですので医師に聞いてきます」
「・・・」
「尿検は良いそうです」

診察室に入る。
母の機嫌は悪くなく 医師の前を通過してその先まで行きそうな気配でストップをかけて着席。
経過を聞かれ 経過を伝える。
背中を押しながら「痛くないですか?」と医師。
「なんだ?」と母。
「なんだという位ですと痛くないという事ですね」と医師。

「じゃ お薬あと3日分出します。これで終了です。菌は未だあると思われますので水分補給をしっかりなさって下さい」と医師。

会計を済ませて バスに乗って我が家へ。
バスに乗る時 久々に膝カックン。
ノンステップバスだけれど 歩道がないので ステップありと同じだ。

バスを降りて急勾配の坂も元気に上った。
手洗いうがいを済ませて 昼食。
水分も補給。

少し休息してから入浴。
膀胱炎の時には入浴して清潔を保つ事が大事。
施設の入浴は週一だし...無理。
ついでに洗髪して...。
身体も洗う。

湯上りの母は気持ち良さそう。
ドライヤーで頭を乾かし 鏡をニッコリの母。

脱衣室で椅子に腰掛けたまま 浴室掃除を見守ってもらう。

それから 更に水分補給。
お茶やジュースばかりでは可哀想なので ところてんとプリン。
ふたつとも自力でおいしそうに食べた。

施設に戻ろうと思ったら 母が急にしかめっ面。
トイレ誘導。
ガスが抜けて 少し排便。

言葉で訴える事がないので 表情で読み取るが これが尿痛なのか排便通なのか区別がつきにくい。

暫く奮闘したが そう多くは出なかった。
その割りに痛そう。
痛みがミックスしているのかも知れない。

母はおしゃべりも多くしている。
が 体と関係なくて出来事も関係なくて 母の頭の中に浮かんだ言葉を口にしている感じなのだ。

バスに乗ろうとバス停まで行く。
ここでも風が強く 運良くタクシーが来たので止めて施設に向かった。

職員に医師の言葉を伝えた。

これで薬を飲んで治れば良いのだが...。
土曜日からずっと施設通いと通院で少し疲れた。
ぐっすり眠れる分まだ楽な筈。
明日は 訪問活動で...昼は母の所...そして夜も予定が入っていたような...。手帳を見てチェックしておかなきゃだな。




2007年04月09日(月) ヒーッって泣いた


 母の所に様子見に出かけた。
職員から「塊がでました」と言われてギョッとした。

落ち着いて 話を伺うと塊違いだった。
そう 職員は大の報告だったのだ。

こちらは 昨日の塊を連想してしまった(苦笑)

小は大丈夫という事だった。
大の始末をした直後という事だったが 母の様子がちと気になりトイレ誘導した。
すると小を音を立てて出た。
暫く 黙りこくる。
見ている限り 昨日より今日の方が痛みを感じているように見える。
無職で透明度があって一見綺麗に見える。
痛みがあるようだから まだ菌が出ているのだろう。
 
いる間3回トイレ誘導し3回とも無色透明。
膀胱炎には 抗生剤が有効とは経験でも知っていたが あんなに強い症状が消えて...良かったわ。

3回とも排尿前後に痛みを感じている様子が伺えた。
3回目夕方に近い時間には 抱きついて「ヒーッ」と泣いた。
辛いんだろう。きっと「何故?」と不安なのだろう。
一応「膀胱炎だから痛みがあるのよ」と伝えた。

明日で薬がなくなるので 本人抜きの通院が可能か病院に電話して聞いて見た。がやはり 薬の効き具合もみたいので本人を連れて来てと言われた。
明日は 再度通院だ。


2007年04月08日(日) 嫌な予感 図星だった


朝 家族で投票に行き 夫を送りに車で移動中にブルブルと携帯の振動。
嫌な予感がした。
日曜日に携帯に着信という事は 殆どないからである。

番号を見ると施設からだった。
ドッキリである。

施設長が...。
「昨夜と言うか 早朝から血尿が出ています。朝 6時のオムツ換えには血液の塊も少しあるそうです」と言われた。
「はい 後で参ります」と電話を切った。

「膀胱炎かなぁ〜」と考えるが これまでそういった既往症がないので悪い方へと考えてしまう。
移動中に罹り付け医に連絡した。「病院を探して行った方がよいでしょう」ということだった。
「今日は日曜だし...さてどうすべきか...」運転する娘とあれこれ通院先をあれこれ考えた。

今日は 畑にトマトを植える予定だった。投票後直ぐに畑に向かう筈だったのだ。
だから いつもバックを持ち歩いているのに 携帯と千円札一枚をGパンのポッケに詰め込み ハンカチとティッシュを持っての軽装備。
「いつもは重いバックを持っているのに 今日はどうしたの?と思ったよ」と娘は言う。

「さて ちょっと知り合いの看護士さんに相談してみるわ」と娘。
が 娘は携帯を持ってきていなかった。

全く間が悪い。
とりあえず施設に直行した。

施設に着くと母はニコニコ上機嫌。
居室で職員に血尿を見せて貰う。
尿漏れパットが 真っ赤。大豆大の固まりも数粒。
「ん?このニオイ?」と瞬間感じた。

実は 昨日母の尿のニオイが強く感じた。それに濃い色をしていた。
水分摂取が足りないのだろうと思って 散歩中 散歩から戻ってと水分を意識的に多く摂取して貰ったのだ。
そして帰る直前にトイレ誘導後 腹痛らしい表情だった。
昨日の日記に書いた通りである。
アレは 排便の痛みではなく 排尿後の痛みだったのか...。

「目指すは泌尿科なんだな」と判断。
「1度戻って再度迎えに来ます」と施設を出る。

家に戻って休日診療所を調べた。それから 娘の友人に相談し公立病院の救急に行って診察して貰えなかったら 休日診療所に行くことに決めた。
昼食にかかりそうなので バナナや少し重い感じのおやつとお茶をバックに忍ばせて 後は替えパットを入れて施設に向かった。

職員が念のためと血尿のパットを渡された。
出かける直前に「今日はチラシ寿司なので今握ってきます」とラップに包んだ散らし寿司を頂く。
その間に職員に御願いしてお茶を頂く。
膀胱炎なら 水分で菌を流す事が先決だからだ。

本来 公立病院は事前連絡が必要である。
でも今回は ちょっとズルした。
受付で様子を聞かれて「認知症」を前面に告げる事は極力避けた。
と言うのも検査は尿検査と超音波だろうと踏んだからだ。

「泌尿科の担当はいませんが 内科医が居りますので確認を取ります。診察はしますが 別の医師を紹介という事もあるかも知れませんのでご了承下さい」という事だった。

看護士さんが「検尿してください」とカップを渡してきた。
トイレに行くとバッチリ排尿。赤い!
出掛けにお茶飲ませてよかったわ!
排尿後の様子をみるとやはり少し痛そうだ。
でもあれだけの色をしている事を考えると痛みは強くなさそう。
私も幾度か膀胱炎は経験しており 痛みは十分わかる。
あの痛いのが大嫌いの母が騒がないというのは酷い痛みではないのだろう。

待っている間にも救急搬送があったり 近くの有料老人ホームから95歳の方の救急診察の電話があったり 風邪で来た人と次々と見える。
うちの地域で休日診療をしなくなったし やっぱ多いのだなぁ〜。

程なく診察。
背中を少し押したりして 後は問診。
「検尿結果を待ちましょう」という事で診察室を出た。

母は病院という事を意識している。「なぜ?」「嫌だ」と言う表情が伺えた。

検尿の結果「膀胱炎」という診断だった。
「良かった。癌という事も頭の隅っこにあったが見事にかき消されたのだ。

母の機嫌は 排尿後を除いては すこぶるご機嫌。
病院を出て 直ぐに手の消毒。
インフルエンザやノロっぽい患者さん等が見えていたから。

家に着いて 直ぐ手洗いうがい。
母は嫌がったが こればかりは強行した。

その後昼食。
豆カレーとチラシ寿司とを食べてもらい 更に水分補給。

トイレ誘導し 薬を服用し施設に戻った。
職員には途中 連絡を入れた。出かけるときも 通院先は知らせておいた。
戻って直ぐにトイレ誘導。
尿の色は赤みが消えつつあった。
やはり 水分補給の賜物である。

施設長も見えていたので経過を説明。
施設長も前日救急搬送があって 大変だったらしい。
搬送先がなくて 遠くの病院まで行かれたという事だった。

母の傍にいてあげたかったが 畑の事があるので 帰宅した。

家に戻ってから畑に出向き 日暮れ直前にトマトの苗を植え じゃが芋3種を植えつけた。
娘も手伝ってくれたが...。
先日 折角植えたニラを草と認識し抜いていく。
「こんなに大きくて...」「おいおい それはニラだよ」
娘は苦笑い。
「今日植えたの?」「おいおい そんな暇なかったでしょ」

昼食の片付けもしてなくて家の中がメチャクチャ。
せっせと片付けて夕食になったのは8時過ぎていた。

夕食後暫くして「石原当確」の声に 一気にまた気落ち。
いるんだねぇ〜支持派が...。ガックシ!!!

我が家は全員アンチ石原派。
だから 投票が割れることを案じて「石原以外なら誰でも」と言う投票できないかと散々話したのだった。
これも嫌な予感のひとつでもあった。

さてと今日の家族の呟き おもしろ2種
夫 施設から電話が入った時
「〇〇(弟)が1番悪い!」
娘と私 絶句。

娘 有料老人ホームの入所者が職員2人に付き添われて 病院に見えた時
  おばあちゃんは どうして家族?
私 これが社会の縮図。
  貧乏人とお金持ちの2極化と言う事
まぁ 家族が対応出来る幸せもあるんだけれど…。

折角の日曜日 夫も娘に散々迷惑をかけた。
心配してくれて 手伝ってくれてありがとう♪  


2007年04月07日(土) 「ん?」


利用者さん訪問。
着いたのは10分前。
直ぐに活動に入った。
先ずは浴槽にお湯を貯め 洗濯機を回す。
それから ご挨拶。
窓を開けて 直ぐに掃除機を回す。
途中でお湯が溜まったと知らせがあり 早速入浴介助。
前回は 奥様の入られた後はひと月分の垢が出たので お湯は直ぐに落としたのだが 今回は その後ご主人が入られるという事だった。
という事は 浴槽の淵で洗う事は出来ない。
洗う時は 浴槽全部のふたをしてそこで洗うことにした。

身体を洗い 洗髪して 再度湯に浸かって上がられた。

それでも まだ垢は相当出て湯船のお湯は汚れた。
垢を掬う道具もないので お湯を更に入れて溢れさせて流す事にした。
勿論 利用者さんの了解を得ての事だ。

その後 掃除の続きをした。
これで 1時間で終了すると思い活動記録を書いて利用者さんに渡すと「1時間半にして下さい」と言われた。
「他に仕事ありますか?」と伺うと「ないです」と言う。
「だったら 勿体無いですよ」と言うと...。
「ヘルパーさんは 調理と洗濯とお掃除して頂いて一時間半なのです。はなさんは 丁寧で終わるのも早いのですが やはり 同じ時間にしてもらわないとバランスが悪いです」と言われた。
「でもヘルパーさんと私とは違いますから 気になさらないで下さい」と言っても納得なさらなかった。

仕方なく 残りの洗濯物を干す時は ゆっくりとしてちょこまかと拭き掃除をして30分の時間を使った。

でも 活動していて納得が行かない。「ん?」と言う感じ。
きちんと仕事して時間内で終わるのならそれで良いのではないかと思うのである。

大変な人と言うふれこみではあったが 特別問題はなくて これまで来たので 心象が悪かったか突然の事でパニクッていたからじゃないのかな?

そして利用者さんのご主人が零された一言に「へぇ〜そうなんだ」と思うこともあった。
それは ご主人の所に見えているヘルパーさんの事。
ご主人が通院で留守だったらしい。
ご主人の洗濯を頼んだら「本人の居ない日に活動は出来ません」と言われたというのだ。
家の中には奥様(利用者さん)がお出でで 完全留守宅ではないのです。
洗濯して貰えないと洗い物がまた溜まってしまうのですよね。
今のヘルパーさんって そう言うものなのですか?
なんだか不便ですねぇ〜。
ちょっと 確かめておこうと思う。

家に戻って昼食をとり 母の所に出かけた。
母は昼食も済んでソファーに座っていた。
トイレ誘導すると既に出た後。
着替えをして貰う。

髪を梳かして ついでに他の方の髪も梳かして散歩に出た。
今日は穏やかなお天気なので 母を連れ出した後もう1人位 お散歩に連れ出せそうだった。まだ さくらの花が見られるから...。
目の前の公園にも花見客がいるし...。

母とは途中休息して飲み物を飲んで貰い 更に足を伸ばして散歩した。
歩くのが早くなっているので 早く戻れた。
そう 母は最近自分で椅子から立ち上がって歩ける時がある位なのだ。
駄目かも知れないと思っていたが 良く復帰したと思う。

戻ってから もう1人を連れ出そうとしたらご家族が見えた。
「今 桜を見にお連れしようと思ったのです」と伝えると「私が連れて行きますから...」と言われて連れ立ってお花見に出られた。
いつもはスーッと車で外出なさるので お散歩できて良かったわ。

丁度おやつとなって みんなでおやつを食べた。
持ってきていたチョコレートを分けて それが無理な人にはラムネ菓子を差し上げた。
食べ終わったら 一人の方が「ありがとう」の意味を込めて握手を求めにいらしたので固く握手。

他の方の介助もして おやつも終了。
母を再度トイレ誘導した。
少し腹痛が出ているようだが排便はもう少し先の様子。
無理はしないでおいた。

母が本を読み始めたので 今日は帰宅することにした。


2007年04月06日(金) 問い合わせ


近隣の地域で認知症の介護者の会を運営なさっている方から電話があった。
午後に用事があるので母の所に出向こうとしている時の事だ。
暫く 話し込む。

会が立ち上がって間もない地域で いろいろ学びたい事もある御様子だった。偉いなぁ〜と感じた。
私は 爪の垢ほども考えた事がなかったから。

地域によって 認知症の介護者への対応は違う。
専門的な部分でのバックアップがあると介護者は助かる。
認知症の介護には 介護+医療+心理のバックアップがあると嬉しい。

電話が終わって間もなく 夫が昼食に戻った。
お弁当を持って出かけたのだが 家で食べたくなったみたいだ。

そんなことがあって 母の所に行く時間がなくなってしまった。

夫が再度仕事に向かったので 急いで支度して出かけた。
家に戻ったら11時だった。

メールを確認すると 会の問い合わせがあったというメールだった。
地域に認知症の介護でお困りの方がいるのだろう。
電話の着信履歴に番号が残っていた。
遅い時間なので 今日はやめておこう。


2007年04月05日(木) ショート利用でのこと


 ショートステイを利用すると状態が悪くなって帰宅するという事が多い。
傷が出来て帰宅した場合 その説明がなかったら施設側に「何時 何故傷が出来たか」の説明を求める事が出来ます。
施設側に説明する義務が課せられているのです。
施設入所者も同様です。

身体状態がほぼ寝たきりに近い方の場合 疱瘡が気になります。
疱瘡が出来ないように配慮している施設もあるようですが まだまだです。

先日の介護者の会でもそういう事が話題になりました。
ショートから帰ったら 酷い疱瘡が...と言うことでした。
同じ施設に入所なさっている方で 寝たきりに近い方は 疱瘡は出来ていないという事です。
ただ 食べている状態も影響(低栄養になると疱瘡が出来やすい)しますので 一概に同じ条件とは言いきれないのです。それでも 家にいる時には なかったのです。

会では 疱瘡の起きやすい人がいるんじゃないかという話になりました。
皮膚の弱い人は疱瘡が起きやすいかなという結論です。
これは 医療の専門家に質問してみようと思います。

家庭と施設の介護は それぞれ長所短所があります。
個に即した介護が出来るのは 家の方に軍配が上がるでしょう。
でも 1人で24時間の介護となると 体力的に無理がかかります。
特に介護者の体調の悪い時や高齢者世帯では 共倒れになりかねないのです。疱瘡があると医療行為が必要となって 医療対応のある所しかショート利用ができなくなります。

得てして 医療対応のある所は利用料の負担額も高くなり 誰もが利用できるというものではありません。
金の切れ目が縁の切れ目みたいなお話を時折耳にします。
社会が2極化してると感じるのもこう言ういう時です。
哀しいことですが これが現実です。

今日 TBSラジオの荒川強啓のデイキャッチで 介護福祉の20年後と言う話題がありました。ある教授が「これから介護・医療負担額が増える。その上 税金を納めてくれる若い世代が減少し税金収益が減少するので 税金額が引き上げられる可能性が高い。ひょっとすると高齢者のスラム街が出来るかも知れない...」と話されていました。
年金が減り 税金の負担額が増えたら暮らせなくなる層が 都会には 以外に多いのだそうだ。ショートの話から ずれてしまいました。

施設の配置人数が足りないのか 職員のレベルの問題なのか??
求人募集をしても人が来ないという声を地域で耳にしました。
厳しく仕事に向き合って貰うと離職者も多くなるという事も耳にしました。

利用する側は その辺の事情に明るくないのですが 負担が少なくて安心できる施設が1番です。

何処の施設も大概の場合 配置人数は満たされいます。
でも 厚労省の最低の配置人数で細かな介護は出来るのでしょうか?
施設評価の時 寝たきりの人の対応を何処まで把握出来ているのでしょうか?
疱瘡が出来るのは 職員が足らないからでしょうか?それとも 小まめな介護が欠如しているからでしょうか?

そうそう 今日事業所から活動依頼の電話を貰いました。
最近 同居する家族のいる人の生活援助がカットされ始め 介護保険利用の継続が出来なくなって依頼が増えてきたと言うのです。

まだ文書で確かめては居ないのですが「うちの地域もとうとうか」と言う気持ちです。
ほんとにそうなのかを確かめてみなくてはならないです。


2007年04月04日(水) 温泉へ


昨夜は遅くまで今日の準備をしていた。
朝 五目おにぎりとたらこおにぎりを作って 家族の朝食やお弁当にして さっと施設に向かった。
母はトイレ誘導中で職員とバトンタッチ。
ギリギリまでかかったけれど 無事排出し 良いスタートを切れた。

施設からは職員2名 家族2名 入所者4名 他運転手さん(大元の施設から応援部隊)
車は2台である。

天気予報に寄れば 午後雨が降るという事だが 行きの道はまぁまぁのお天気。
母も外の景色を眺めて 看板やポスターの文字を声に出して読んでいた。
同じフロアの入所者は 母と同じ要介護4の認知症。
他の方は 軽い認知症の症状がある程度。
結構記憶がしっかりしている。10年前位の母かなぁ。
でも人に悪態をつくことなくマイペースな方たち。

休息なしで 予定時刻よりちょっと早めに目的地に着いた。
先ずは 温泉入浴。
皆がちゃちゃっと着替えて浴室に入っていくが 母は入浴拒否のストライキ。
浴室を見せてもくるりと後ろ向きになって脱衣室に戻る。
幾度か この儀式を繰り返して ようやく浴室に入れた。

シャワーを浴びて大きな湯船に入った。
が 浴槽に座る事を拒否。
浴室は1番上の階で 桜色に染まった景色が展望できるのだが 母はそれどころではなかった。
もともと 用心深い母なのだ。だから確実に安定できる状態を求めているのだ。 
安定した体勢が取れるように誘導した。
こちらが力を入れると母は嫌がる。
ゆっくりと対応しているつもりだが 母はそれよりも更にスローダウンを求めている。
湯船から上がって 身体を洗う。
ナイロンタオルを持参してきたので それを使って洗った。
先日 2日続けて入浴しているので 大分綺麗である。
身体を洗った後 洗髪をした。
家の入浴みたいに湯船の端を利用してなんて出来ない。
嫌がらない範囲でシャワーで流して 時に強行突破しタオルで顔を拭いて「ごめんなさい」と謝って…の繰り返しで何とか洗い終えた。
身体は冷え切ったりしてないが 折角来た温泉。
1度浸かっただけでは勿体無くて 再度湯船に誘導。
最初は手すりのある所から入ったが 恐怖心を感じる前に…と壁際から介助して入浴を試みた。2度目なので きっと母の頭に何かしらの準備が出来ているみたいに 嫌がることなく入浴できた。

その後 場所を変えて昼食。
それぞれ好きな膳を選んで食べた。
母の食事は 全介助に近かった。それでも 全量摂取。
母には 車中にもいろいろ食べたり飲んだりして貰っている。
それでも しっかり食べ終える事が出来た。
お店は 眺めの良い方が大きなガラスの窓があった。
窓枠を額縁に見立てると そこに程よく桜の枝が入り込む。
メジロが数羽 その枝先で花と戯れていた。
春爛漫と言いたい所だが 雨脚が強まりその内にアラレが降って来た。
お花見にアラレとは そうそう有る事ではないので じっくりと見入った。

気温が下がって 散策どころではないので 帰路に着いた。
道路も酷い混雑もなくて良かった。
行きの道も帰りの道も 桜のトンネルのある場所をコースに入れてくださった。
母は後部座席なので前方を見る事は稀ではあったのだが…。

時折 ご機嫌は悪くなるが 直ぐに治る。
母の機嫌は お腹の調子が悪い時には 良くない事が多い。
今日は スタートが良くて終始ご機嫌だった。


2007年04月03日(火) 介護の悩み


 介護者の会の日である。
会員の1人が 会の運営の費用の助けになればと地域でフリーマーケットに出展してくださるという。

それぞれのお宅に眠る未使用の不用品や趣味の手芸品の持ち寄りを会報で呼びかけた。
「無理な場合は 勇気を持ってキャンセルして」と出展なさる方に御願いした。個々に持ち寄って下さる場合も出来る範囲の中で わざわざ購入はしないで欲しい」と御願いした。
今回の持ち寄ってくださった物をみて 無茶はないようでホッとした。
家からは 母の作った 刺し子や鍋つかみやお手玉を出展。
フリマーケットでは 会の広報も兼ねてもらうことにしてチラシを置いてもらうことにした。
チラシ作成は 出展なさる方が作ってくださった。

今日の会では いろいろ微妙なお話があった。
ショート利用や施設での暮らしの中での様子に 施設の職員の過酷な勤務のせいか はたまた工夫のたらなさなのか...と案じる声が多かった。
ちょっと一呼吸置いてから記して見ます。

他にも 諸手続きについてのいろいろなお話が出た。
これは ある介護者のページでも話題になった事なので 確かめた上で書きたいと思う。

会から戻ってから 明日の支度でパタパタ。
また すべき事が溜まり始めた。
期日順に 取り組まなくては...。 


2007年04月02日(月) 未体験ゾーン 研修中?


1泊2日の母の帰宅は 家族それぞれの思いがあったと思う。
両親を若い時分に亡くした夫は 誕生日に電話すらしない息子の気持ちが理解不可能な様子だ。

利用者さん訪問。
開口一番「ご家族に介護を受けられる方は 幸せですよ。私は 来年90歳になりますが 頼る所もないから元気でいるしかないのです」と話された。
「お元気で過ごせるって素敵だと思います。幸せかどうかは判りませんが 母を見ていて 排泄まで介助と言うのは ちょっと辛そうに感じます」と伝えた。

他に 適切な言葉をお返ししたかったが...瞬時に探せなかった。

確かに 利用者さんの言われる通り 介護してくれる家族がいるって幸せなんだろう。
たとえ 私のように至らぬ介護しか出来ない娘であっても...。

「元気でいなくてはいけない」と思われる気持ちが 暮らしの支えになっているだろう事は想像できる。

いつものように掃除に取り掛かり活動を終えた。
帰り際に「掃除しなくても良い所まで お掃除してくださって お疲れになるでしょうに」と言われた。
手の廻らない所を心がけてお掃除していたが 何でも出来る方なので気を使われているかもしれないと感じた。
これからは 気をつけなくてはいけないと感じた。
「余計な所をしてしまってごめんなさい。手伝って欲しい事は 遠慮なく言ってください」と伝えた。

ご希望は 全部の部屋なので入室禁止と言われている場所はない。物を壊したり 勝手に移動させた荷物もない。
ついでにやったのは 拭き掃除のみ。
そういえば 今日は雑巾がまっさらだった。
こちらも あの雑巾を汚して良いのかと瞬間迷った。

自分でやりたいけれど 体力的に無理。人の手を借りることで何か情けないという思いもあるのだろうと感じる。
自分の老いて行く先にこういう場面はきっとある。
これが 娘であっても同じ思いがするだろうと思う。
母との関係の中でも 同じ場面を経験してきた。
例え娘であっても 老いを認めざろう得ない局面では ちょっぴり辛い物があるのだろう。

未体験ゾーンだから あくまでも想像の領域ではあるが...。
こういう経験を積みながら老いて行く先の支度を教えて頂ける貴重な時間である。


2007年04月01日(日) 家の感覚


昨夜は ぐっすり眠っていた。
寝室は 母と一緒。
私の就寝時にオムツを点検。濡れていなかった。
眠る時は「たらこ」の抱き人形のほっぺを摘んでいたが 上がっていくと抱えていた。きっと1度目覚めたのだろう。

人に拠って違うとは思うが 母は抱き人形が嫌いだった。
友人からアドバイスされて 試してみたが「何故 こんな事するのか」と怒った。
母は もともと 人形に依存する事を嫌っていた。
子育ても 依存しないような使い方をしていた。

でも人形が嫌いと言う訳ではない。
人形は あくまで人形と言う扱いであった。

が認知症が進行するに従い 人形への接し方が変化してきた。
最初は 話しかけることもなかった。
ただ「可愛い」と言う表現。
これが 基本的な母の人形とのスタンスだった。

要介護2あたりから 徐々に変化して目覚めた時に 布団の周りを囲むように人形を並び替えるようになった。
夜間 目が覚める事が多くその時に常夜灯の灯りの中で並び替え その後安心して寝入ったようだ。
人形は 布団の傍にあったが 低い棚の上に置いていたのだった。
夜間目覚めて 騒ぐ事は迷惑だろうと思う母の配慮でもあったと思う。
初期の頃は 安定していればそれくらいの配慮は出来ていた。

私はといえば 最初は「目覚めてしまったのに放置してしまった」という後ろめたさでいっぱいになった。

人形の話は またオイトイとします。

抱き枕と眠る母の姿に 母の病の進行を感じたし いとおしいと思う気持ちが残っている事が嬉しくもあった。

布団にもぐりこむ気配で 母が目覚め 目が合って直ぐ安心したようにまた眠りに落ちた。
「おかちゃん」と呼ぶ声もなかった。
状態的に安定しているのだろうという事だけは判る。

明け方「あ〜っ おかちゃん」と幾度か声を上げたが こちらは深い眠りに落ちていて起きられなかった。
きっと「排尿だろう」と思った。
トレーニングパンツにパットを入れているので心配はない。
ただ 母に我慢を強いる事になる。

目覚めて視線が合うと母は涙ぐんだ。
嬉しかったのかパットの濡れが嫌だったのか どちらかは判断が付かなかったのだが...。

早めに起きてトイレ誘導しぐっしょりのパットを替えた。
トイレでも排尿できた。

それから 朝茶。
母の昨日の尿量が少ないと感じていた。
明け方の量がズシッと重かったのでさほどの心配は要らないだろうが 足の浮腫みがも気になっていた。
お茶は 昨夜の内に小さな保温ポットに淹れておいたのだ。
母はおいしそうに 飲んでいた。

着替えて階下に下りる。
「階段だよ」と伝えると一瞬驚いていたが ゆっくりと嫌がらないで下りられた。
食卓テーブルに着いて ほんとの朝茶を飲んでもらう。
お茶を飲んでいる間に 昨夜 洗濯した母の衣類をベランダに干した。
衣類は家にも置いてあるが 昨日丁度良い着替えがなかったから。

戻るとお茶は半分以上飲み干していた。
「家に帰りたくない」とポツリと言った。
昨夜「ここは家よ」と言ったら「ここは家ではない」と言っていたのだ。
聞き違いかと思って 行く度か聞きなおしたが 答えは同じだった。

朝から鼻水が幾度か出て「鼻が出た」と訴える。
その度にティッシュを渡すと 自分でしっかりかんでいた。

この言葉も半信半疑であった。
母の言葉足らずは 最近多いのでその辺の判断は微妙なのである。

朝食は夫と3人で食べた。
夫に「あそこにいるよ」と私を指差した。
言葉では表現できないけれど 私と夫との関係や何故ダイニングに夫が来たかをボンヤリと理解できていると感じた。

食後 家族の分の洗濯を済ませた後 母に入浴してもらう。
今日は 昨日洗い切れなかった足や頭を洗った。
酷い拒否はなくて 機嫌の良い状態で入浴できた。

お風呂から上がった後 脱衣室に準備した椅子に座って貰って その間風呂掃除をした。
母は 静かに見守っていた。
湯上りなので 汗も滲むようでタオルを一枚渡しておいたら 自分で汗を拭いていた。

風呂掃除が終わると そのタオルを綺麗に畳んで私の汗を拭けと渡してくれた。「ありがとう♪」と言うとコックリと頭を下げた。

その後 娘が母にアロマセラピーを施していた。
また 水分補給に 母の口に合うようにジュースを飲ませてくれていた。

程なく 昼食。
昼はスパゲッティーなので 口まで運ぶのに苦労していたが 歯でしっかり噛み切って 食べやすいように自力で工夫できていた。

夫が母にプリンを買ってきてくれたのでデザートはプリン。
他に生のアロエと文旦。

昼食後 そろそろと爪切り。
嫌がることもなく手足の爪きりが出来た。

母は 鏡に向かうと自分の身なりを点検する。
直す事は出来ないが気になっている所に手が延びるので そこを直してあげて「どうですか?」と聞くとこっくりと頷く。
自分を客観視できる能力は残っているようだ。

コートを着て帰り支度を始める頃から 母の機嫌が悪くなって押し黙ってしまうようになる。
言葉で言わなくとも判っているように感じる。

車に乗っても「あっち向いてほい」と言う感じ。

施設の駐車場に着いて車のドアを開け 下りるように促すと「ここには行かない」と拒否。
いや 初期の頃のような強い拒否ではない。
だが でんと座って微動だにしない。

娘が「私も一緒に行くから行こうよ」と言うと暫くして下りた。
機嫌は悪いままである。

戻っても 何時帰られてしまうかとキョトキョト。
トイレに物を運んで私の姿が見えなくなると不安がったと娘は言っていた。

落ち着くまで 暫く傍にいて おやつを食べ始めて気持ちが緩んだ頃にそうっと施設を後にした。


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