母のタイムスリップ日記
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2006年05月31日(水) ふぁ〜眠いわ


 気持ちよく晴れたので大急ぎで布団干し。
ほんの数時間しか干せないのだが…。

今日は 予定が重なっているので おにぎり作って母の所に出向く。
弟が日曜に取ったと言う「わらび」を持って出かけた。

母は今日も超ご機嫌。
朝 薬を服用後ちょこっと嘔吐といわれ 一瞬どきりとした。
一昨日の排便の量を聞いていなかったので 確認し そう多く無いという事。また 熱等もないという事だった。
そういえば 喉の痛みを訴えてから 少し咳も出る時があったので咳で嘔吐を誘発という事もあるだろうし 様子見という事に。

昼食になり「お腹空いている?」と聞くと「いっぱい」
でも ワラビをだしてテーブルに誘うと箸を持ち食べ始めた。
ご飯を取りやめて 作って行ったおにぎりを渡すとおいしそうに食べ始める。「おなかいっぱい」と言った事はなんだったかな?と思うほどだ。
ワラビもおいしそうに食べていた。
息子が取ってきた事を伝えたせいばかりでは無いだろうが…。

昼食は完璧に食べた。
リハの支度だけして 施設を後にした。

介護仲間のご家族の施設入所の手続きに立ち会うため 事業本部のある所まで職員に同行した。
施設側 介護仲間の聞きにくい所をフォローする役目が課せられたのだ。
事業本部のある所へ行くのは 母を入所させる時 入所の前段階でショートを利用して以来だ。

介護仲間は 息子さんと一緒に先に着いて居られた。
いろんな話をして 1時間余でお話を終えた。
実は この話し合いは3時からの予定だったが 私の都合で早めて頂いた。
と言う訳で 近くの駅まで職員に送って頂き 次の会議の場所へと移動。
遅刻する旨は先に伝えてあるのだが 予想以上に時間がかかり 予定を大幅に遅れてしまった。

会議の先にはNHK記者もいらしており 取材を受けていた。
みんな あれこれと重なった用向きがあるなかでの会議である。

会議を終えて 急いで地域に戻る。
今日は 夕方から 介護保険の地域説明会があるのだ。
ギリギリセーフ。
議員さんも2名見えていた。
介護仲間も数名いらしていた。

やはりデイサービスでの介護予防(口腔ケア 栄養改善 筋トレ)では利用料の加算がなされるようだ。
受けたくない人は 受けなくとも良いという事で家族が対応できれば利用しなくと良いという事だった。
また 買い物同行 家事援助に関して 認知症で援助を受けた方が本人の励みなるなら 考慮してもらえるという事だった。

この説明会には 包括支援センター(この地域の)の方が見えていた。他にも担当課長も見えていた。
しかし 担当課長としての正式の挨拶はなかった。これはちょっとおかしくない?
また 仕事が終えてから デイの保健士さんも駆けつけていらした。

説明会の済んだ後 議員さんと話しこむ。
先日 御願いした事がありその報告もあったのだ。
途中経過をお聞きして話しこんで暫くしたら 説明会場の後片付けの済んだ担当係長さんがやってきた。
その方の仕事も絡んでおり 何となく察して挨拶に見えたのだ。
3人で 更に話しこむ。
そして議員さんと2人で係長さんに御願いをした。
難しい事なのだが 介護保険そのものがはっきりしていない事も含めて 時間をかけて話し合い考慮して欲しいとお願いしたのだ。

係長さんの苦しい立場も十分理解できる。
しかし 認知症介護をする介護者の立場に理解を求めた。

気が付くともう10時。
今日 こんなに遅くなるなんて思わなかったので家族には何も言っていない。急いでバスに飛び乗った。
するとブルブルと携帯が受信を知らせた。
娘だった。
「どっちに電話しても出ない…」と。
「これからバスに乗って帰る」と言うと「私も駅にいる」と言うので 即座にバスを降りて駐車場に向かって合流。
そこに今度は夫からの電話。
「何をやっているんだ」とかなりご立腹。

急いで戻ってご飯にした。
はぁ〜 やっと1日が終わったわ♪
家族には迷惑かけっぱなし!
故郷からも電話が入っているようだが…これは 明日だわ。


2006年05月30日(火) いつもながら シャンプー騒動


 午前中 畑の紫蘇を持ち帰り ベランダの前に植え込む。
土を改良するため 炭屑を少し混ぜ込んだ。

母の所に出向くと ニコニコ特上の笑顔で迎えてくれた。
昨日 排便があったという事でホッとした。

直ぐにトイレ誘導した。
それから 洗面台を使ってヘアトニックでマッサージ。
かなり頭が痒かったようで かなり強くマッサージしたが嫌がることはなかった。10分近くマッサージ。私の手がベタベタするほどだった。

「洗わなきゃ駄目だわ」と思い 職員に御願いしてシャンプー台を使わせて貰う事にした。
母には「頭 痒いよね。洗うけれど 少し我慢してね」と説明。
母も快く了解。

がシャワーのお湯をかけた途端 頭を上げて嫌がり始めた。
かなり難航すると思い バスタオルを足と肩にそれぞれかけ 防水対策。

シャンプー台にお湯をいっぱい貯めて お湯を掬い上げて洗う事にした。
母は お湯に手を入れて熱さを何回も確認していた。

シャンプーをつけてからは 頭を起したままゴシゴシ。
これは 全く嫌がらない。
(さてと…これから どうやってすすいでいこう?母自身の手でした方が納 得すだろう…)
と言う訳で 頭を下げてもらい 母の手を頭に誘導して
「自分で洗ってね」と言ってみた。
母は自分でチョコチョコと濯ぎ始めたので こちらも別の場所にお湯をかける。

母自身 頭を洗いたいと思っているのだが お湯をかぶる事に抵抗があるのだ。だから 時折「悪いね ごめんね。あと少し」と声をかけていた。
母は 嫌がりながらも「いいんだ」と返してくれた。
今日は 割合 調子がいいからこういう返事が返ってきて 何とか我慢してくれるのだ。 やはり 先にマッサージしてからの方が シャンプーは短時間に済ませられそうだ。

途中で面倒になりシャワーに切り替えるが やっぱり嫌がる。
お湯を張って ゆすぐ方がベストの様子だ。

バスタオルでカバーしても 母の洋服はかなり濡れた。
幾度かゆすいで 何とかシャンプーを終えた。

職員がジュースを準備してくれていたので水分補給。

頭を拭きながら 身体もきっとべたついているんだろうなと思った。
全身ローションがあった事を思い出して ミニタオルにローションをしみこませて首筋から拭き始めた。
タオルを見るとうす黒くなった。
それを 母に見せて「ちょっと汚れているから 少し拭いていくね」と伝え順繰りに身体を拭いた。
ついでに顔の隅々 耳の後ろ側も…。
母は洋服を持ち上げて 自分から協力体制を取ってくれた。

体が綺麗になり 洋服も着替えてこざっぱりした所で水分補給。
持ってきたトマトもかなり大きな物だったが全部食べた。

ホールに移り 入所者の方と4人でお手玉キャッチ遊び。
みんなでおやつの時間になったので 施設を後にした。

家に戻って 新橋演舞場に向かった。
落語を演舞場で…なんて初めて!
観覧席は 正面前から2列目。娘の友人と娘。娘の会社の方と4人並び。
もう 談志も志の輔の表情もはっきり見えるのでドキドキ。
それよりも 意外な芸能人がチラホラ。予想される人も勿論いらしたが…。

どんな風に始まるかとドキドキ。
師匠が先か弟子が先か?それとも2人一緒に?

談志が花道から登場で二人会は始まった。
今 二人会の様子まで書ける時間はない。
機会を見て改めて…。

でも 出かけて良かった。
しばし 全てを忘れて楽しめた。






2006年05月29日(月) 留守電


利用者さん訪問。
どうも デイサービスに出かけて落ち込むようだ。
自分の行く先が目の前の方の姿とダブってしまう様子。
あんなに迷惑をかけてしまうなら 施設入所の方が良いのじゃないか?と思われる御様子だ。
だから ご家族にも「施設選び」をお話になるようだ。
ご家族は「今 困っているのか?」と聞かれる御様子。
「困ってない」と利用者さんが言われると…。
「困った時に 自分達が考えるからいいんだ。みんなそうしているのだから…」と言われたと笑われる。

利用者さんは 不安が先行しているので これくらいの言い方で今の不安を取り除いた方が良いのかなとも思う。

でも 現実には 電話を掛けられない。
「電話 かからなくて おかけ直し下さいと言われる」と話された。
電話番号を書き写したメモと利用カードがあった。
比べると番号を写す所から既に間違っていた。
一桁の間違いではない。写し間違いをチェックできないようだ。
こちらで番号を書き写し 傍で番号を読み上げてようやく繋がった。
が用向きを伝えられない。
用は「パーマをかけたいので ○時に予約願います」だけなのだが…。
何のために電話をしているかは 判っておいでなのだが…。
これ位出来なくとも 何とかなるけれど…。
やや心配な状態である。
そろそろ ご家族のサポートが必要になっていると思うのだが…。

買い物に同行。
必要な物をメモに沿って購入。
メモに書ききれないことも増えてきている。
こちらでチェックして確認を取るようにしている。
だんだん 追いついて行かなくなりそう。
「頑張れ 利用者さん」と心で応援した。

メモにないもので必ず購入されるのがアイス。
「体重少し増えています。食べる物を減らしているのですが…」と言いながら今日もアイス2個購入。きっと 途中でも買い足されるだろうなぁ〜。
購入したアイスは次の訪問日までには 消えているので同じ物を幾度も購入という事ではない。

活動を終えて家に戻ると留守電ピカピカ。
順繰りに電話した。
予定が重なり四苦八苦。

畑に出向く。
昨日に続き畑仕事。もう待ったなしの状況なのだ。
夕暮れまで作業して戻るとまた留守電チカチカ。
暫くすると 再度電話があった。

ひとつは故郷の件。ひとつは 介護仲間の件。
両方とも逼迫しているので仕方ない。
両方とも良い方に動く事を祈るしかない。

重苦しい日々だが 明日は娘が取ってくれたチケットで
「談志・志の輔 夢一夜」を聞きに新橋演舞場に出かけます。
日記の更新は 出来ないかもしれませんが 元気を貰いに出かけてきます。
「こんな時に…」と思うのですが ずいぶん前に取った物ですし 取れないチケットだそうで…大変な事を見越した神様がプレゼントしてくれたと思うことにしました。


2006年05月28日(日) しっぱい しっぱい。

 
 昨夜 先々週からチェックしていた教育TVの番組を見逃してしまった。
連日アタフタとしており 放送の時間帯も電話中だったのだが 気が付いたら11時を廻ってしまっていた。残念至極。

母の所に出かけた。
ソファーに座っていた母は 私を見つけるとニコニコ。
テーブルの上に ブロック折紙で作った作品と新しい手作りのお手玉が載っていた。
「これは ○ちゃんが作ったの?」と母に聞くと「違う」と言う。
「どなたが作ったの?」と聞くとちょっと考え 窓の外を指して「あそこ」今日は 話しのかみ合わない日なんだろう。
職員が「○さんの奥様が作って来てくださいました」と教えてくれた。
新しいお手玉を使ってキャッチお手玉をした。
受け取るのも投げるのもうまい。この能力の衰えは見られない。

トイレ誘導 排尿できた。
手を洗って 歯磨きをした。入れ歯は自力で取り外しは出来ない。
入れ歯を外してしまう時はあるのだが「外して」と言う指示が理解できないのだ。それから コップに水を入れて「ぶくぶくペー」今日は この指示が理解できた。
歯磨きは 自分でも出来るが綺麗では無いので こちらで補足する。

歯磨きを終えたタイミングで「お散歩行こう」と誘うが 理解できないのかはたまた外出は嫌なのか きちんと返事が返って来なかった。
それでも折角晴れたので 「出かけよう」と着替えて外出。

歩き始めると下を向いてどんどん背中が丸くなっていく。
「背中まあるくしてないで ピンと伸ばそう」と言うと背中を伸ばすのだが直ぐに丸くなってしまう。
体調良くないのかなと思い「頭痛い?」「お腹痛い?」と聞くが 矢継ぎ早に聞いたせいなのか はっきりしない。
「元気?」と聞くとコックリ頷く。
理解できないのでなく どこかが調子よくないのだろうけれど 何処かを説明できないみたいだ。
いつもの公園に行くと「ここは 初めてだな」と言う。
「そう 初めてなんだ。山上れる?」
「上れると思う」
「そうか じゃ 上ってみよう」
今日はしっかり両手を介助していないと後ろに下がりそうになるくらい弱い足取りだった。

「お腹空いている?」
「おなか空いてない」
「お腹いっぱい?」
「いっぱいでは無いと思う」
「ねぇ あんこ食べる?」
「あんこ?」
「そうよ あんこ」
「食べたいな」

こんな会話のあと近くのファミレスに向かった。
通りを横切る時 信号停止している車を見て「あれは どうした?」と聞いてきた。「信号で止まっているの。いっぱい並んでいるね」「うん」
お店に入って メニューから抹茶ティラミスと冷たい飲み物を注文。
暫くすると母は目の前のグラスを横に動かしてテーブルに突っ伏した。
この当りから 排便かも知れないという予感がしてきた。
昨日も出てないのだろう。そして牛乳も飲んでいるだろうと想像できた。

母にとって 下剤や牛乳は良いのか悪いのか…。
1週間の便秘は 母にとっては特に大変なことではない。
元気な頃から そういう傾向があったからだ。
コロコロとした物が出るのも 以前からあった。
理屈から行けば きちんと便通があった方がベストなのだろうが…。
お腹の痛みが人一倍気になる母にとって どうなんだろうなぁ〜。

今でこそ「お腹痛い」と騒がないが 痛いのは嫌なんだろうと想像する。

時々俯いたりしながら 何とか飲み物を飲んで ティラミス(餡付き)を食べ終えた。
「出ようか?」と聞くと「もう?」と言う表情。
オレンジジュースを追加して飲んでもらう事に。
それから おもむろに席を立ち 外に出た。
「もう帰る?」と聞くとコックリ頷いたので帰る事にした。

施設に戻って トイレ誘導。
排尿はばっちりだが どうも便も下がってきていた。
そこでお腹をマッサージして 便秘の壷を押したりした。
「痛いぃ〜何するのぉ〜」と怒り出す。
それでも「出たほうが楽になるよ」と強行すると今度は泣き出す。
「ごめん ごめん」と謝る。
「じゃ もういいかな?」と立たせると困った目で訴えてくる。
「じゃ また座ってね。ゆっくりね」としばし放置。
しかし いきむ気配はなくて またマッサージ。怒る泣く。
こんな事を繰り返した。
耳元で「便が詰まっているからね。ちょっと頑張れば出ると思うのだけれど出来る?」と聞くと「どうして そうなるの?」と聞いてきた。
「○ちゃんの腸の動きが弱くなってきているんだね。きっと」と言うと「頑張る」と言う返事。
言葉を受けて 再度同じ事を繰り返すが 結局いきむ事はしなかった。
「今日は もう やめよう。そのうち出るよ。ちょっと我慢だね」と今日の排便誘導を終えた。

手を洗いみんなのいるホールへ移動。
そこで職員がおやつを出してくださったが「ぷい」と横を見て食べる気配なし。頑張らせすぎたかな?と反省。

暫くして おやつをひとつ口に運んで上げたら そのうち自分で食べ出した。

畑仕事があるので 職員に様子を伝えて施設を後にした。

家に戻って 直ぐ畑に向かう。
先に少しだけ 夫が草取りをしてくれていた。しかし ほんのちょっと。

トマトは倒れかけても元気に成長していた。わき目を摘んでないのだ。
ナスはひょろひょろ。成長していない。肥料を入れようと思っただけで放置していたのだ。
落花生は ちゃんと芽を出していた。
春菊も水菜も群れてはいるが 成長していた。
ピーマンも唐辛子もしっかり根付いていた。
ルッコラは伸びすぎ 葉大根は程ほどに成長していた。
葱は種を付けていたので 全部抜いて 種取する事にした。

これから日の暮れるまでの数時間で何処まで仕事が出来るだろうと思いながら草取りを始めた。
暫くするとヒタヒタと人の気配を感じて顔を上げると介護仲間だった。
「頑張っていますね」「いやぁ〜 忙しくて畑に寄れなかったのです。開いた日に限って雨で…」と愚痴ると「主の居ない間に勝手に触れる訳にも行かなくて…」と言われた。
大分 放置したので 通りすがりに気になっていらしたようだ。
「トマト わき芽摘まなくちゃ」
「そうなんですよ。何処を摘んで行ったら良いでしょう。お手本ひとつ見せて頂けますか?」
「紐は?」
「はい。持ってきました」と探すが見当たらない。また準備して置忘れだ。
「どうも 忘れてきたようです」
「ちょっと待っていて」と自宅に戻られた介護仲間の方は 作業着に着替えて紐と肥料を手にまたいらしてくれた。
結局 仲間の手をお借りして なすとトマトを立て直した。
申し訳ない気持ちと感謝の念でいっぱいになった。

6時半近くになり さすがに夕食の準備も気になり 春菊とルッコラと水菜を鋏で収穫して家に戻った。

急いで夕食の支度だ。
畑に行く前にご飯のスイッチを入れたので 後はサラダと具沢山のお汁を作り お肉を焼くだけ。
昨日 故郷の美味しい肉を送ったと友人からメールが入り 今朝受け取ったもの。

「7時半にはご飯にするよ」と家族に宣言しシャカシャカと支度した。
全て仕上がり7時半きっかり。
「ご飯ですよ」と家族に告げてから。
さてとご飯…と釜を空けたら…なんと炊飯器は空っぽ。
お米を研いだつもりだったが…。
こんな失態は初めて。スイッチの入れ忘れはあるけれど…。

「ごめん。失敗。あと30分待ってください」
慌てて米を研いで 直ぐに早炊きのスイッチオン。
ちょっと嫌だけれど 仕方ないわ。

夕食を摂れたのは 8時を廻ってからだった。
けれど みんな「美味しい おいしい」と舌包みを打つ。
手抜き料理も良い所なのだが なんと言っても脂のしっかりのった牛肉ですもの…うまい筈です。
友人は「足りないかも」なんて言ってたけれど 十分過ぎる量でした。


2006年05月27日(土)


梅雨入りって宣言されたみたい。
畑に行ってない。きっと草が凄いのだろうなぁ〜。
野菜たち元気かなぁ〜。
未だ蒔いてない種もある。
「はぁ〜」とため息が零れた。頑張らなくちゃ。

この所の日記 介護以外で追い込まれる事があって 大変な事が起きていると伝わるだろうけれど「何が?どうした?」と思われておいでなのではないかと思う。
きちんと解決した時には 報告させて頂きます。
暫くは 訳の判らない日記は続くかもしれません。お許し下さい。
ひょっとしたら 想像が付いておられる方も居られるのかな?

今日も電話に次ぐ電話。
弟は電話の向こうで大きなため息を付いていた。
「誰のために 周囲は心配しているのか…」と言わんばかりのように感じた。
「仕方ないのよ。責めたり怒ったりしても何も解決しないのだから…。自分達の営みを大事にしながら行きましょう」と話した。

若い頃 母の病も今回の事も 自分の身に降りかかってくるなんて考えた事もなかった。
しかし 今 誰の上にも同じような事は降りかかるのだと思う。
今回のような事は 凄い勢いで増えているらしい。
なんと言う世の中なんだろう。

今回の事に関しては 専門家の意見を参考にみんなの考えが一致した。
更に一歩前進したことになる。
これから 当座の目標に向かって動き始めることになった。

不安は残るのだが…。
この不安は 無事解決するかという事とそれで良いのかと言う不安でもある。
先日 この思いを象徴するような夢を見た。
深い水溜りに 誰かの大切な生き物(若しくは 誰かが大切にしているもの)が嵌ってしまっているのを偶然見つけて「あ〜なんとかしなくちゃ。拾い出さなければ駄目になる」と思いながらも その場を立ち去って行く自分の夢だ。とても後味の悪い夢で 目覚めてからも自己嫌悪に陥った。
仕方のない事と割り切って行くしかないのだが…当分 こういう思いに引きずられて行くのだろう。


2006年05月26日(金) いろんな風景


今日は活動日だった。
それは それでいろんな変化があり 利用者さんからの質問に精一杯答えた。施設入所を念頭に置きだしている。
母を施設に送る時 私は母にきちんと説明できなかった。
ご自分で これからの事を決めようとなさって居られる利用者さんなので お気持ちの変化やご家族への思い等を学ばせて頂き 私の知る限りの状況をお伝えして行こうと思った。

活動を終えて家に戻ったら 友人から電話が入っていた。
掛けなおすと「久しぶりに歩きたいから行くよ」という事だった。
彼女は ストレスから体調の変化が激しい状態。
現在「失明するかも…」という宣告も受けている。
ほぼ同じ年である。
以前なら40分歩いてへこたれる事のなかった彼女が「疲れた」と腰を下ろし「お水頂戴」と言った。
眼鏡をかけて深く帽子を被っていた。
私も母の所に行く用があるので ゆっくりとしたペースで歩き 途中珈琲ブレイクをとり話しこむ。
今の家の中の事情やご実家の事をお話してくれた。
お母様が認知症で 骨折して今は施設に入所なさっている。施設入所は骨折がきっかけで 病が急速に進行しているという事だ。
発症は 母より10年位後。ほぼ寝たきりに近いと聞いている。
この事がショックではなく 家族関係のゴタゴタに参っておいでのご様子。
同居なさっているお義母様は お元気なのだが なかなか難しい方で気苦労が耐えないのだ。
それでも ガンで入院なさった時はきちんと介護なさり お義妹様が病の末期と聞けば お義母様を連れて遠くまで同行なさる。
ゆっくりと話を伺い おもむろに我が家の事情を話すと「なんて事なの。私より大変じゃないの。」と言い出す。
「いや 大変さなんてことじゃなくて…人間としての哀しさみたいなものでね」と言い訳をした。

遅くなると母とお散歩できなくなるので 2時間近くお話して別れた。

母の所に出向いた。
今朝方 母のフロアの方が亡くなられた事を知る。
「危ない」という事はお聞きしていた。
言われるまでもなく 普段見えないご家族が面会にいらしていたので察してはいたのだが…。
臥せっていても車椅子に乗って みんなのいるホールにいたくてテーブルに突っ伏しながらもじっとみんなと過ごされていた。
ほんとに寝込んだのは 3.4日。
いろんな事があったけれど でも長く寝込まないでいられたのは 職員の配慮の賜物と思う。
亡くなれた方に「今までありがとう」と感謝した。

いつも木曜に面会に見える入所者のお嬢さんが 今日面会にいらしていた。
介護保険の更新のための調査日だったようだ。

母を散歩に連れ出した。
「寒い」と言うので 戻ったが 結構歩いた。
母の機嫌は 悪い日だった。
私が着く少し前から機嫌が悪くなったようだ。友人と話していなければ良かったのかなと反省。

散歩のついでに花屋さんに立ち寄り シンビジュームを切花を購入。
明日がお誕生日の方がおいでなのだ。
ご家族の面会もないので 気持ちだけのプレゼント。
母の散歩に時々寄るので お花屋さんも承知して特別安く売ってくださった。小さなリボンをかけてくださった。

散歩から戻って そうっとお花を渡す。
「明日 お誕生日だものね」と言うと「ありがとう」と言ってくださった。
母のお隣の部屋で 母が時折迷惑をお掛けするのだもの…。

職員とお話があるので 少し帰りが遅くなると思い 面会に入らしたご家族に「お先にどうぞ」と言ったが 待っていてくださった。
その間にちょこっと 家の事情を零した。

職員のお話も済み 帰ろうとしたら「送るよ」と言ってくださり そのご家族の車で送っていただく。
この方 只今介護系のお勉強を新たに始めて居られる。

そこで ポツポツとご自分が親の介護に入った事情を話してくださった。
今日 私がちょこっと漏らしたお話に関係するような事で 人事と思えなかったようだ。
そして「○さん(母)は優雅にお過ごしと思っていたけれど…」と言われた。開設当初から入所なさっているのだけれど…こういったプライバシーに関る部分でのお話は初。
そこから延々とお話なさって…。
みんな 認知症を挟んでいろんな事があったんだな。私だけの苦労ではなかったのね」と涙ぐまれていた。

家に戻るとまた弟から電話が入っていた。
こちらから掛けなおし話を聞く。
その話しに ちょっぴり安堵した。解決にはまだまだ遠い道のりなのだが…。

でもね。母の事では電話はなくて こういう時だけは電話来るよね。
「これが 姉の役目なのよね」と長女の立場の友人が言っていた。
「身も心も元気でいればこそ出来ること」と感謝ししつつ。



2006年05月25日(木) ひとりごと


「今日こそやるぞ!」と思っていたのに…。
出来た事は 庭木の手入れと草取りのみ。
悲しい事に 東側のみ。大邸宅でもないのになぁ〜。

資料を送るので 添付する便りを書いて 幾度も書き直ししてすっかり時間を取られてしまった。
とにかく 私の文は長くなる。
あれもこれもと 削除に削除して ようやく書き上げて速達にして送った。

友人に書く便りなら 私を判ってくれているので あまり気を使わない。
しかし 今回の便りは 事務的過ぎても良くないし…。
ふぁ〜とため息が出た。

便りを書いていると これまでの事が思い出されてくる。
健忘症が加速して いろんな事を忘れてしまっているが 娘から言われて「あそうか そういう事もあったな」と思い出す。
これが 母の病の病と重なっているのだ。
良くぞここまでたどり着いたものだと思う。

私は落ち込むことなく過ごしているつもりだが 娘の目から見ると気の毒に見えてくるようで いろいろ 癒しのグッズなんかを購入してくれる。
先日は サノフロールアロマのロールオンシリーズを買ってきてくれた。
故郷に帰った折 持参していたら 付けた友人たちが偉く気に入って「欲しい」と言うほどのもの。
娘に伝えると「家のおかんは そういう事に気が付かないから…」とブツブツ。確かにいろんな事が起きてはいるのだが「多かれ少なかれ 誰にでもこんなことあるものだわ。生きていて 元気だから 関っているんだから感謝しなくちゃ」といるつもりなんだけれどなぁ。

夕暮れ時 雨戸を閉めながら空を見上げたら つぅ〜と涙が零れてきた。
「お父さん…助けてよ」と呟いていた。

母が病で良かった。
この事を知ったら どんなにか心配する事だろう。

夫も娘も同じ事を思っていた。

しかし こういう心配は 当事者にとっては余計な事と受け止められるのだろう…。徒労と判っていても 動かざろう得ない。これ以上 深刻な事態にならないために。
昨年 判った時に お節介と言われても動いていたらここまで大変にはならなかっただろになぁ〜。 


2006年05月24日(水) 不思議な空間 


深夜 弟から電話報告。今朝も続編の電話。
娘は 母の事では電話してこないのに…と訝しげ。

ほんとに次から次へと難しい問題。
真相究明中だけれど 嘘で固めているので暖簾に腕押し感がする。
何で直ぐ判ってしまう嘘をつくのか?身を滅ぼす事が何故判らないのだろうか?と思う。
渦中の人は 未だに自分は悪くなくて人を責めている。
これが 我が弟でなかった事だけで 気持ちが救われるし 人様を傷つけてしまったと言うのではないので良かったと思うようにしている。

娘は りフレッシュ旅行にならなかった事を気の毒に感じて 麻布十番で鯛焼きを買ってきてくれた。
今朝 弟からの電話の時も美味しくお茶を入れてくれた。

私はこちらで 影のサポートするしかないのだ。
頭が疲れてくる。

娘も夫もホトホト嫌気が指すだろうと思う。
神様は 出来ない困難を与えたりはしない。
何を教えようとなさっているのか…祈り求めて行くしかない。
人の心を傷つけずに解決出来るように…と祈る日々でもある。
本当に祈って上げなければならないのは 渦中の人の事なんだろうけれど。

リハビリの日なので 母の所に向かう。
施設は 清掃業者さんが入って清掃中らしく 他のフロアの入所者がいらしていた。母をトイレに誘導。今日もニコニコしている。
排泄もうまく行った。

椅子に座って「万歳してよ」と言うと母は両手を上げた。
以前より高く上がるようになってきたが「痛い」と言った。
「そうだね。肩を骨折したからね。でも もう治ったんだよ。痛いのは筋肉や骨が固まりかけているからなんだよ。痛いけど 動かせば治っていくからね」と言うと 母はコックリと頷き「そんなに痛くないよ」と言った。
今日は良く判るようだ。
じゃ もう1回。と数回繰り返す。
背筋のリハを試みたが 動かし方が理解できない様子。
それで座ったまま「背中丸めてぇ〜 はい 背中 真っ直ぐぅ〜」と声をかけて背中をちょっとだけ押したりしてみた。
母はニコニコしながら 丸めたり 伸ばしたりしてくれた。

「今日はね 身体を解してくださる先生が来て下さるのよ」と言うと「お金は?」と聞いてきた。
「ほら 私が預かっているお金あるでしょ。お父さんが残してくれた物。
亡くなった後まで心配してくれて 優しい父さんだね」と言うとニコニコしていた。

リハが始まり 時々「痛い」と言いながらも隣にぬいぐるみを置いてじっとしていた。

リハが済んでから 清掃業者さんがお掃除しやすいように物を移動させた。
ぬいぐるみの埃を取ろうとベランダに運ぶと「捨てないでね」と言う声がした。ユメルちゃんを持った時には「落さないでね」と。
ぬいぐるみに依存している状態ではないが 母にとって大切な仲間になっているんだなと思った。

これは 新発見だ。

ちょっと休息してから みんなのいるホールへ移動。
ホールは誰も居ないかのようにシンとしていて テレビの音だけが響いていた。「歌 唄っていいでしょうか?」と入所者の方に聞いてみたら「唄いたい」と希望なされたので 懐かしのメロディー。
♪赤い林檎に 唇よせてぇ〜♪と歌い出すと数人が口をパクパクして歌う。
手で振付けしながら唄う人も居られた。
藤山一郎の歌だったりすると それまで「声が出ないの 間違えるから唄わない」と言っていた人が「この歌 いいわねぇ〜」と唄い始める。
こちらは 途中で歌詞を忘れてしまってもちゃんと唄っておいでだ。
「教えて貰っちゃった。ありがとう。綺麗な声ですね」と感謝するとニコニコ。後半で「若い声って張りがあっていいわね」と言う声が聞こえた。
「エエッ! 私しゃがれ声よ」
「いいえ やっぱり違うわ」
「そうか ここにいれば これでも若い部類にしてもらえるんだ」と思う。
歌っている間に徘徊の始まった方もいた。表情を変えないその方の口元を見ると徘徊しながら口を小さく開けて唄っていらした。
見るとほとんどの方が 口ずさんでいらした。
最初は 2.3人だったのになぁ〜。
「こうしてみんなで歌う時が 私にも来るんだなぁ〜。そんな時 みんなと唄うのだろうなぁ〜」
先日の学生時代の集まりでは なんと言われても「唄えない」と逃げてしまったので ちょっぴり反省。
歌う時って 認知症も何も関係がない。
忘れたら 替わりに誰か補ってくれて…。不思議な空間だな。

40分ほどみんなで唄ったのだが…。
この間に母の機嫌は悪化。
母の好みとは違うし 他の皆さんの顔を見ながら唄い 隣にいる母の目を見る事はなかったのだった。

それでも 唄い終えてトイレ誘導で居室に入ったら ご機嫌は戻ってきた。

次は 母たちのフロアの人が移動する番。
外を見ると 見る見る曇ってきてポツポツ雨が落ちてきた。
「急いで帰らないと 洗濯物がびしょぬれだわ」と母が移動のためエレベーターに乗ったのを期に 外へと飛び出した。

ちょっと濡れてしまったけれど ま 何とかセーフ。
その後は 凄い雷とにわか雨となった。

夜 先日 集まって話した親族にこちらの経過を連絡し対策を協議。
二人一緒に 大きなため息をついてしまった。


2006年05月23日(火) 地域の議員さんと…


交流会。
今日は 事業所の地域交流会。
活動形態が変わった時に 登録者が離脱という事もあった。
また 介護保険制度ができた時に利用者も減った。

が 介護保険改正によって 利用者が少し増えてきたという事だった。

地域交流会とは言うけれど 実際の所 利用者さん対応等を話したりで略式ながら 介護研修と言う側面もある。
利用者さんのお名前等は伏せられてなので プライバシーは守られている。

おや?と感じたのは 男性が増えたという事。
交流会に男性が参加と言うのは 珍しい。

1人は 植木屋さん。
活動の部分の草取りや剪定等だ。
他にも退職なさって地域のために…という事だった。
すこしずつ 変化してきているようだ。

ちょっと不満に感じたのは 事業所の職員がお役所を向いている…いう事。
事業所の形態がそういうものなので仕方ないのだが…。

家に戻って夕食の支度をしていると 議員さんから電話が入る。
議会で質問する事で 不明の部分を聴きたいという事だった。
今の地域の現状を話した。
地域で長く議員を努めておいでの方だ。
公約を守り しっかり議員活動をなさっておられる方である。
市川房江さんの議員としてのあり方に傾倒なさり 勉強も重ねておいでの方である。

この方は これまで介護に関する部分に関る事は少なかった。
議員さんと言えども 万能ではない。得意分野があるからだ。
しかし この所 周囲から介護関連の相談が多くなって 言葉に出せない介護者の事が心配で…とがっちり介護に向き合おうと思うと言われていた。

ある事を調べ始めたが 役所の職員が顔を見ると逃げていく…と言われていた。これまでは きちんと答えてくれた職員だったのに…とも言われていた。議会での質問には答えるが 単に状況を聞いても答えないと言うか逃げていく…という事だった。
介護関連に関しては 急速に変わりつつあり 判り難い事が多い。
それをきちんと知っておこうとしても こういう姿勢だとなかなか前に進めないと言われていた。
確かに情報開示はされるけれど 役所の文面では非常にわかり難いのだ。
介護者として判っていること また介護していて困る現状 制度から漏れてしまいやすい所等判る範囲でお話した。

相談を受けても 何故病院から精神病院に移されたか それ以後 様子も様変わりして 次の病院に移されて行くのだが どうしてなって行くかが判らないとも言われたので 病院から出される訳 精神病院の役目 その後という事を大体の概略をお話した。
今そういった医療体制も変わりつつあり 課題が多くなってきている事を具体例を挙げてお話した。
がより専門的なお話や制度的な事に関してきちんと説明を受けられた方が良いと思い 地域の専門職の方を紹介させてもらった。

住民に1番近い議員さんなのに 役所が国の機関と同様に接するのはおかしいと思うのだが…どうなんだろう?
とりあえず 来月の議会でどう答えるのか…見守って行こうと思う。


2006年05月22日(月) 故郷の味


利用者さん訪問。
今日は通院介助。
時間がかかる事は目に見えているので 着いて早々に買い物チェックをして診療所に向かう。
待ち時間と診察時間を使って 先に買って置く方が良い物を購入した。
買い物から戻ると丁度診察を終えた利用者さんが出てきた。
薬を頂き 残りの買い物をした。
戻って 野菜の下ごしらえをしながら 鉢植えに水遣りと買い物した物を冷蔵庫に収めた。
後片付けを済ませると 活動終了時間。今日はオーバーすることなく活動終了。

「やればできるな」と自己満足しての帰り道。
バスの待ち時間が7.8分有ったので 買い物して帰ろうとスーパーに立ち寄る。レジに並んでいる時 財布がない事に気が付いた。
今朝 お財布を整理してバックに詰め込んだ筈。
「スワッ!落としたか!」と愕然とした。
「すみません。お財布忘れたようなので 取りに行ってから再度きます」とレジの方に伝えた。
「何処で落とした?」と考えて見るが 家を出てからバックの中に手を入れていないような気がする。
掏られるほどの人込みの中には行ってない。
とにかく家へ向かい それでもなかったら紛失届けをしなくちゃとタクシーに飛び乗った。
家に入るとバックを置いていた場所にポツンとお財布があった。
急いでお店に戻り清算できた。油断だなぁ〜注意しなくちゃ。

お昼を食べて母の所に向かう。
母は浮かない顔。職員のお話では 排便らしい。
トイレ誘導でも変化なし。

故郷のお土産を食べてもらう。
駅の売店で最後のひとつだった 故郷のちまきと山菜。
故郷のちまきは もち米を笹に包んで茹でたもの。
それに黒蜜と黄な粉をつけて食べるのだ。母の好物でもある。

浮かない顔をして 反応もイマイチだったが 食べ始めると何かを思い出した様子で「んまい」と食べ始めた。
他の入所者にも食べて貰った。
みんな「おいしい」と食べてくれた。
山菜は 叩き蕨とあいこ。
たたき蕨も入所している方に少しずつ味見してもらう。これは 皆さん美味しいらしかった。あいこは 気持ち苦味があるので 他の方はノーサンキューだったが 母は「んまい」とニコニコ。

母にとっては ちょっとの苦味は春の味だ。

それから散歩に出た。
とても歩きたい様子で かなり歩けた。

戻って休息して 母がテレビを見始めたので施設を後にした。


2006年05月21日(日) 良かったのかな?

故郷に向かう事は親族は誰も知らない事だった。
そっと行ってそっと帰ってくるつもりでいた。

が旅立つ前日に親族からの電話。
電話の内容で 押し迫った状況である事を知る。

離れて住んでおり 直接的には私に関係はない。
しかし 交通整理をしないと乗り切れない所まで来ているようだった。

電話を掛けて「たまたまそちらに出かけるのでちょっと集まってみませんか?」と声をかけた。
皆さんの了解があり 日曜日に…と決まった。

昨夜は よく眠れなかった。
宿の中が暑いこともあったが それより 今日の集まりがほんとに良い結果をもたらすのかと心配だった。

学生時代の仲間とは途中で別れて約束した場所に向かった。
皆で頭をつき合わせて考えた。

考えた挙句 みんなの考えが一致して進むべき方向が見えてきた。
やはり 集ってよかったのだ。

今しがた 電話が入り解決の道へ一歩進んだように感じた。
私は 離れた場所にいるので もう直接関れる事はないが 進み方次第では
何等かの形で応援しなければならないだろう。

別れ際「何時までこちらにおいでですか?」と聴かれ「母の事があるので今日帰ります」と伝えると「すみません」という言葉が返ってきた。
お嫁さんでもないし その事で謝って貰う必要はないのだけれど…。
でも 集ってよかったのだなと思えて こちらの緊張も解けた。

家に戻った時「ね お母さん。りフレッシュの時にこんな思いをして いつもいつも休まる暇がないね。お母さんの前世って 余程あくどい事をしていたんじゃないの?」と娘に笑われた。
前世なんて 信じませんけど…(苦笑)


2006年05月20日(土) 同窓会


 毎年 5月の第三土曜日は学生時代の同窓会と決まっている。
何時から始まったかは知らない。
がこの数年 参加している。
昨年はこちらで開催。
今年は 故郷のとある温泉で。

新幹線に乗り車窓の景色をボンヤリと眺める。
生憎の曇り空。
しかし 故郷が近くなってくると 雲の合間から見える山々には はだら雪が見えた。
ふもとの山は 新緑に包まれ 赤い山ツツジやピンクのシャクナゲがテンテンと見えた。
里に下りる少し手前では 八重桜が未だ咲いていた。
季節を逆戻りしている感じだ。

田んぼには水が張られて 早い所は田植えも済んでおり小さな苗が規則正しく植えられていた。

自分の生まれ育った所からは30キロ以上離れている所。
そこの駅に降り立ち温泉に向かう。

温泉近くの田は未だ掘り起こされてもいなかった。
つい10日ほど前まで 雪が残っていたという事だった。

宿に到着して部屋に向かって歩いていくと部屋から懐かしい声が響いてきた。「早かったね」とみんな歓迎してくれた。

初参加の方もおり「わぁ〜変わらない…」と。
お部屋のテーブルの上には 皆さんが持ち込んだ美味しい物がいっぱい広がっていた。

「あなたの指 細かったのに すっかり太くなって…主婦しているのねぇ〜」としみじみ言われた。
そうか 肌理が粗くなっただけでなくて太くなったのか…と改めて自分の手を見て 流れた時を思った。
いつもはそんなこと考える間もなく過ぎていくのだが 30年以上ぶりに出会う人は 若い時の印象を覚えていてくれるんだなぁ〜。
話しこむと やはり学生時代の雰囲気は変わらず残っている。
洋服の好みも変わって居ない人もいる。
やはり 女性だけの集まりだとそういう細かい事覚えている人は多いのだな。

宴会が済んでも話しは尽きなかった。
看取り 介護 孫…とこの年代ならではのお話だ。
母の事を知っている方も多いので デジカメに残っている母の日の母の姿をお見せした。「認知症を感じさせない落ち着いた表情ね」と言われた。
しかし 私の日記を読んでいてくれる友人は「大変だったけれどほんと元気そうで…」と喜んでくれた。

夕闇の中 遠くで蛙の大合唱が聴こえた。
懐かしい響きに耳を澄まして聴きいった。 


2006年05月19日(金) 行って来ます♪


利用者さん訪問
「『お風呂は入れている?』と家族からチェックの電話が入ったので もう一度見てください」と利用者さんから言われ 立ち会う。
お湯を出す 水を出すという事は完璧。
しかし栓の開け方が時折逆になったりと危うい。
でも 動かして失敗もわかるようなので良いのだと思う。
「時折きちんと閉めない事があって…」と言われた。
これは かなり前水道検針の折に聞かれたという事だったので 正直に話してくださったのだなと思う。

出来ないのに出来ると言い切ってしまわないように…と祈るような気持ち。
ご家族も理解してくれるようになり「これ判るか?」「これ どうすんだ?」と言う質問は減り「困ってないか?」「大丈夫か?」と聞いてくれる様になったと言われていた。
「良かったですね」と言うと「私 年寄り街道突走っていますから…」と笑われた。
「いえ 年齢の割りに 良くお出来になっていますよ。だから 私勉強させて戴いています」というと「ま 皆さん おだてが上手で…」と笑われた。
皮肉ってそう話されているのではないという事だけは伝わってきた。

今日は買い物があるという事で同行させていただく。
必要なもの+みて欲しくなった物を購入。
明日はデイがあるので お昼にしっかり食べるからおかずは作らなくて良いという事だった。冷蔵庫をのぞくとご飯を炊いて冷凍保存なされていたので
出来る時は自分で取り組む方が良いと判断し作らないで置いた。
でも買い物時 手早く出来る物と煮豆をお勧めして購入してもらった。

活動を終えて家に戻る。

それから 母の所に出向いた。
母は入浴中で その間に職員とお話した。
それは 貴重なお話だった。
職員からはなかなか見えない家族の心についてだ。
母のGHと同じ系列に特養がある。
特養に見えるご家族とのお話がきっかけとなった。
「遠い所 いつも大変ですね」と声をお掛けしたら「大変なんて事はないのです。来る道すがらいろんな風景をみて癒されます。通わなかったら見ることのない景色です。それに 家に戻っても1人で そこは家じゃないです。施設に来れば家になります」と言われたそうだ。
そして そういう家族の思いってあるんですね。「大変だけじゃないのですね」と付け加えられた。
「そうなんです。面会を通して癒されますよ。私も時間の余裕があって気持ちが落ち着かない時は 施設から家まで遠回りをして歩く事があります。どうしようもない思いを自然が吸い取ってくれますよ。それが救いですよ」と伝えると「はなさんも?」とちょっと驚かれていた。

更に家族の気持ちのお話は続いた。
「最近 男性の面会が増えた」と言われていた。
いろんなわだかまりがあって 来れなかった方が 心情を吐露されたとも言われていた。

これからは 施設と家族と協力体制をとり1人の方を支えて行ければいいなぁ〜。それも遠い夢ではないような気がしてきている。

話しこんで居る内に 母はお風呂から上がってきた。
それでも話が止まらないほど話しこんだ。
「○さん ごめんね。折角の時間なのに…」と謝っていた。

母の所に行き「あらら 綺麗になってありがとうって言えた?」と聞くと「言えてない様な気がする」とキョトキョト。
「頭も洗って貰って 騒がなかった?」ちょっと俯く。「心当たりがありそうね。ごめんなさいと言えるかな?」コックリ頷いた。

お風呂に入れてくださった職員が見えた時「ありがとう。ごめんさない」とペコり。

それから お散歩に出た。
今日も手放しで少し歩いた。

公園のベンチに腰掛けて母の頭を撫でる。
「あのね ○ちゃんを頼りにしているんだから いっぱい生きてくれないと困るよ」と母に伝えた。
母のほほにツーと涙が流れた。

出かける前は「こほそとなに○」と繰り返し何を話しているのか全くつかめない状態だったのに…。
言葉はちゃんと伝わり意味も理解できている事を今日も改めて感じた。

明日出かけるので 少し早めに家に戻った。
ほんとは リフレッシュのためのお出かけの筈だった。
が 重たい役目を背負う事になった。

さてと 明日の準備 これからだ。


2006年05月18日(木) 家族にできる事


昨日 職員がたけのこを木の芽和えにしようかな?と話されていたので 我が家の実山椒と新芽を運んだ。

土日と出かけるため 母のお散歩が出来なくなる。
そのため 今週は出来る限り外に連れ出そうと思い毎日面会だ。

今日も小雨の中 お散歩決行。
歩く事は 楽しそうだ。
「1人で歩ける?」と聞くと「歩けるよ」と言う。
ちょっと手を放したら「ととととっ」と前にのめり込むように歩きだす。
バランスも悪く 今にも倒れそうだ。
目では感じられないのだが やや下り坂になっている。
平らな所に出てやり直す。
「がんばれ」と声をかけるとよその家の鉢植えの花を指して「頑張れ」と頑張れ」あっちも「頑張れ」とどうにも言葉だけが記憶に残ってしまうようだった。
コンビニに入り「午後ティー」を購入。
お店のご主人がニコニコしながら「良く歩きますよね。僕よりも歩いているような気がする」と言われた。
母は 何か文句でも言われたと思って怪訝な顔をしていたので お店を出てから「いっぱい歩いて偉いねって褒めていたよ」と伝えた。
母はニコニコ「そんなこと…」

お店を出て施設に戻る道すがら「牛肉と豚肉と鶏肉とどれが好き?」と聞くと考え込む。どうでもよい質問だけれど 1度聞いたのだから ちゃんと聞き取った方がよいと思い「牛肉好き?」と聞くと「好き」「豚肉は?」「好き」「鶏肉は?」「鶏肉も好き」「1番すきなのは?」「…」
突発的に「肉」「にく」「ニク」と単語のみを繰り返し口にする。
母の頭の中で「ニク」を想像し 像が結べなくて単語のみが残ってしまったのかなと思われた。
「がんばれ」も含めて 今日は そういう日みたいだな。

昨日 若年性認知症の介護をなさっておられる方のブログを読んで涙が出た。夜間火事騒ぎになったという事だ。
その前日は 殆ど眠れなかった様子で仕事にも出かけれて 介護なさる方もお疲れだったのだと思う。

他に介護なさる方も居られるのでキューバタンと眠られて 夜間 音で目が覚めたそうだ。入ってみるとキッチンが燃えていたそうでもう1人の介護者が消化中だったそうだ。認知症の方は「目が痛い」と騒ぐし…。
燃えた後の映像も載せてあった。
幸い 初期消火で大事には到らず良かったのだが…無残だった。

片時も目が離せない状況と言うのは どんなにか苦労だろうと思う。

介護者の寄り添い方で 認知症の周辺症状は緩和されるとは言うけれど 脳のどの場所が良くない状態になったかでも症状は違ってくる。
また 服用している薬だって 効き方は個々に違う。
ある人に取ってよく効いても 別の人には違った形の副作用が出たりする。
私は 医療の専門家ではないので 断定的な事は言えないが…。
いろんな方からのお話をお聞きして感じていることだ。

家族の寄り添い方と言っても 実際毎日展開される想定外の出来事をきちんと受け容れるって並大抵では出来ないと感じている。
あまりに踏ん張りすぎて 知らないうちに過大なストレスを抱えているという事はあるのだから…。

介護者は 自分の生活を保つ事を心の隅に置いたほうがいい。
頑張らなくては 前に進めないのだが「過ぎたるは及ばざる如し」というではないか…。介護を受ける人のためにもその方がきっと良いと思う。
介護しているがゆえに家族が倒れたら 介護を受ける人は辛いではないか。

連休中にお電話くださった方の施設入所が決まりつつある。
今日は 担当のケアマネに 施設の職員の動きと家族の思いを連絡した。
いろいろ難しい事もあるが 何とか落ち着いてご家族もほどよい距離が保てればいいなぁ〜と思う。
偶然なのだが ケアマネが今日ご家族を訪問なさっていた。
ご家族から話を聞いて ある程度の事はご存知だった。
「施設側が受け容れてくれるか 決定ではないから…」と話されたと言う。
実は 施設側も当人との面会を昨日済ませて受け入れできそうと言う判断が下りていたのだ。
私の中継ぎのお役目は終了し 後はご家族と担当ケアマネと施設とで決められて行く。
ケアマネからの紹介で家族会にいらしたので ケアマネに再度繋がって良かった。


2006年05月17日(水) 真剣そのもの


朝 たけのこご飯を仕込み 昼少し前に仕上がるようにタイマーを入れた。
仕上がったたけのこご飯を持って とっとことっとこ母の所に向かった。

施設の食事は始まっていた。
母は半熟卵をご飯にかける所「あ〜待ってぇ〜」と思うが間に合わなかった。汁の実だってご飯にかける母だ。でも今日の半熟卵はOKだね。

たけのこご飯は多めに作ったので 普通食を召し上がる方にも分けて頂く。
母も持参した方に切り替えて食べて貰った。
半熟卵のかかった所のご飯も食べてもらう事に。

食事中だが 今日はあちらこちらから職員にお呼びがかかり忙しそう。
母の他 2人のお食事介助をさせて頂く。
職員は しきりに「すみません」と言われた。
「緊急時には 仕方ないでしょ。ここは助け合って…」と思う。

私も少し出遅れているので 母の完食後 直ぐトイレ誘導し母をトイレに放置。手を洗って消毒して 僅かに残っている食事を介助し完食させてトイレに戻った。母 排尿あり。

そうこうしている内に療法士さんがお見えになった。
急いで準備をして母に寝転がって貰った。

昨日 お散歩の折 背中が曲がって身体を寄りかからせ それでも歩きたいと言う母の様子をお話した。
先ず 気力があるという事は素敵ですねと言われた。
母の場合 背中が曲がると言うのは 背筋力が落ちてきてるという事で 母の年齢からすれば無理はないとのことだ。
腹筋運動は様々あるが 背筋力の運動はそう多くないのだそうだ。
うつぶせにして上体を反らす事は かなり無理なので 椅子に腰掛けてやる方法を教えて戴く。

病院から在宅に戻られて 体が硬くなられた方がいると言われた。
病院では平行棒を使って歩けていたのに 1週間も経ってないのに 今は歩く事も出来なくなっている。ご家族への甘えも出てくるのでしょうねと言われていた。
家族でも リハのやり方を聞いて取り組まれる方も少ないけれど居られるそうだ。
「ヘルパーの講習会に出かけて本を開いたら かなり詳しくリハビリのの事が載っていた。ヘルパーさんも出来る筈なんですよね。
でもみんなおっかなびっくりで取り組む方少ないです。
リハは続ける事が大切で普段の動きに取り入れていくと良いのですが…」と言われてた。

母は今日は機嫌も良く「おかちゃん」の声は少なかった。

リハが済んでから たけのこの皮むきを入所者と一緒に取り組んだ。

「昨日のたけのこどうなっているかしら?」とお聞きすると職員が済まなそうに「未だなんですよ」と言われたので「その方がいいんですよ」と伝えて入所者と共に作業した。
手つきは危ういけれど 茹で上がったたけのこの皮を剥くのだから 怪我もないし難しい事ではない。
ゆっくりと作業してもらった。
作業はみんな楽しそう。真剣なまなざしで取り組んでいた。

職員がまな板と包丁を運んで来てくれたけれど これはかなり危ないので手を添えて一緒に切った。

午後の用事があるので 私はそこで失礼して家に戻った。


2006年05月16日(火) 何時から変わった?


母の所に向かおうと思ったら荷物が届いた。
夫の2番目の兄からだった。
荷物を開けるとたけのこがいっぱい。

先ずは お礼の電話を入れた。
義姉は通院でお留守。
義兄にお礼を述べてから「たけのこのアクを抜く時時 私のアクも抜くことにします」と言ったら「いやぁ〜 アクを抜いてしまったら 味も素っ気もなくなるから しなくていいよ」と言われ 一本取られました。
いつもこの調子でやられてばかりです(苦笑)

「みんなでたけのこの下ごしらえして見ましょ」と思い数本袋に詰めて持って出かけた。

「調理室で用があるのでそれが済んでから」と言われたので 母を連れて散歩に出ている間に茹でられた
職員がするんだったら 家で茹でてから運んでも良かったのだ。
手間を掛けさせて悪かったと言う思いと一緒に作業できなかった事の残念さが残る。

母は今日はずっとニコニコ。
排尿は1度目は出た後だったが 後の2回は成功。自発的でなく誘導によるものだ。

お散歩の足取りは軽かった。
♪ひとつ頂戴さくらんぼ 胸の勲賞にするのです。さくらんぼ兵隊さんオイチ二ッで進む…♪と唄いながらだ。
さくらんぼの季節に唄う歌。
母は手を振りながら唄っていた。
言葉は出てくるものの 意味不明が多くて 要するに存在しない単語の連発。何かを言いたいのだが…。「ふむふむ。そうだね」と判らないけれど相槌を打った。あまり追求すると 母の気持ちが降下して機嫌が悪くなるから…。

1キロ程歩くとどんどん背中が丸まって歩くのが辛そうに見えた。
「疲れない?」と聞いても「大丈夫」と歩きたい意思を示した。
体重の殆どを左側の私にかけているのだ。それでも 足は動くのだ。
小雨の中なので 傘もさしている。
転ばせないように注意深く歩いた。

途中ベンチに座りたそうだった。
がベンチを見て「ぬれているね」と言う。
これは きちんと言葉となって伝わってきた。
見たままの言葉は割合いに出てくるが 考えて話す言葉は意味不明になるなぁ〜。

お店に入って休息。
割りに良く食べた。
お店を出て施設に入ろうとすると「また ここに?」と聞いてきた。
「もう少し 歩く?」と聞くとコクリと頷く。
更に一回りして施設に帰った。

片袖が雨に濡れてしまったので着替えた。
濡れたブラウスをハンガーにかけて干しているといると「袖が長いの…」とニコニコ笑う。ブラウスをどう受け止めたのだろう?

他にも 貴重な言葉が出たのだが 綺麗さっぱり忘れてしまった。

お饅頭を1個食べてから 施設のおやつの最中を食べた。
今日は 良く入りますわ♪

その後 相撲のテレビ中継を見ていた。
知った力士等居ないのに「ほら頑張れ」「あら負けた」「ホラしっかり」と応援していた。 認知症の初期より 今の方がテレビを楽しめている母である。余計な事を考えなくなったせいだろうか?


2006年05月15日(月) 活動


 利用者さん訪問。
今日 依頼された事は片付けかな?

飾り棚の物を片付けて別の物を飾られた。
「手作りの物に飾り替えをしたい」と言われたのでそれらを次々に出した。
利用者さんご自身が飾りたい作品は限られている様子だった。
並べながら 感慨深く見入っておいでだった。
「今はできない」と言う思いがとても強くなっている様子。

私は後ろに下がって 掃除機を掛けたり お料理したり 鉢植えに水をあげたり…。

そのうちに棚の整理もしたい御様子でお手伝い。
お話を伺うとご自身の整理も含めて…と感じた。
また 何が入っているか判らなくなりかけているとも感じた。
だから 整理して小さな文字で中味を書いて外側に貼り付けた。

利用者さんを見ていると母と重なる事がある。
母も先を感じて身の回りの整理を始めた。
今になって あ〜あの時かと判るが その真っ只中にいる時は 単に身辺整理と思っていた。

昨日の映画でも何処に何が有るかがわかるように張り紙がなされている場面があった。用向きもメモで…。
介護の途中には みんなこういう場面を通って行くのだなと感じた。

しかし これも有る時期まで来るとメモすら見なくなる。
その次には 文字が読めなくなる。

だからと言ってメモの時期を飛ばす訳にも行かない。
メモは時に「わからなくなった人」を決定付けてしまい 落ち込ませてしまう事もある。
注意深く 進めないとプライドを傷つける。

利用者さんは 未だ メモに沿って判断できる。
大きく書くとプライドが傷つく事は利用者さんにも見られる。
だから小さな文字にしたのだ。

自分の中の変化に気がつき始めた様子だ。
「私にもありますよ」と言うと「今までの事とは 違うのよ」と言うニュアンスの言葉が返ってきた。

お部屋を片付けて 生きがいデイのお仲間をお呼びしたい様子だ。
でももう少し良くなってから…と考えて居られるようだ。
どうか機会を逸っしてしまいませんように…と願う。

あとどれくらいの期間 一人暮らしが続けらるだろう?
ゆっくりとした進行でありますように…。

家に戻ってから ケアマネさんから電話を受けた。
利用者さんの御様子は的確に把握なさっておられた。
こちらの活動内容の把握のための電話だった。
ついでに利用者さんの気がかり点を2点ほど伝えた。






2006年05月14日(日) 母の日

 施設に行き真っ先に母にプレゼントを渡した。
カーネーションの付いた包装を見ても「?」
こちらが箱を開けて中味を見て貰う。
「わぁ〜いいね」「○○チャンのものよ」
カードを渡した。
「お母さんに ありがとう♪」に こくりと頷く。
カード見ると 私が書いてない文字があった。

「○○ちゃん」にプラスされていたのは「へ」
「○○」にプラスされていたのは「より」

きっと そう書くべきだろうと思っていた。
でも 敢えて書かなかったのだ。

腹が立ったりはなかったけれど こういう距離の取り方は 理解して貰えないんだなという事を改めて感じた。

母は 今日親子を何処かで理解していたんだろうと思う。
母の日の行事は 無事に終了。
参加家族は少ない。
行事の時間をずらして面会と言う家族も要らした。

以前は もう少し違っていた。
家族が関る率は高かった。介護する人たちが若い世代になってきて ちょっと変化してきているような気がする。

行事が済んでも 暫くはフリータイムで過ごしてよいという事だった。
そこで顔なじみの方をテーブルに集めた。
いや 実際の所はフロアが違う人たちが同じ所に集ったので「お話したい」という要望もあったし「唄いたい」と言う人もいたので集まって貰ったというのがほんと。
その中に 母と同じ故郷の方がおいでだ。
私はいつものごとく 母に「故郷が同じなのよ」と初めて紹介するように話した。と 母は「知っている」と普通に言った。

これまで 何年も同じように紹介してきた。
母は その度に「へぇ〜」と言っていたのに…。

この事で いろんな事を考えてしまった。

行事が済んで母のフロアに戻った時 みんな疲れていた。
肉体的な疲れと言うよりも 沢山の人のなかで神経を使って目いっぱい人の話しに耳を傾けたからだろう。
行事は 無理のない程度のもので お互いを気にかけて良い雰囲気だった。
普段の生活とのギャップから 疲れたのだろうと思う。

夕刻近く施設を後にした。

実は 今日は「明日の記憶」を見に行く予定だった。
娘が見ると言っていて誘われていた。だから2人の予定だった。
が夫は珍しくお休み。娘は仕事。
娘は夫に「一緒に行こう」と誘い「明日の記憶」を見たくなかったら別の物をみればいいでしょと言っていたそうで 少なくともお母さんを映画館まで送ってあげて…と頼んでいたようだった。

家に戻って夫からそう聞いて「「見てみようよ」と誘った。
一度は「そういう映画嫌いだ」と言う。
夫は映画が大好き。さっさと1人で見に行くタイプ。

「迫るような暗い仕上がりじゃないみたよ」と言うと返事はしなかったが「何時からだ?」と聞いてきた。
時間だけ告げた。その時間になると支度を始めたので「見る気になっているんだな」と判った。

家族3人で見る映画と言うのがこれで幾度目だろう?
この映画は きっとそれぞれ違う視点で見ることになるんだろうと思った。

母の介護も受け止め方は大分違う。
きっとそれと同じ形で見ることになるんだろうなとボンヤリと感じた。

映画の感想は…。
今上映中でこれからと言う方もおいでと思うので詳しい事は避けて。
ただ 淡々とした中で さらりと本髄を付く映画と感じた。
私は 認知症の人の悲しみも介護者の悲しみも両方の思いに立ちながら見てた。
象徴的場面の大滝秀治の姿に心打たれた。

他の場面でも「そうだね」という場面は多かった。
見て良かったと思う。

母の思いを知るという事を思えば 母の日にふさわしい映画だったと思う。


2006年05月13日(土) 書けなかった!


明日は母の日。
施設での行事がある。お手伝いを頼まれている。

施設の入所者は仲間と言うか家族と言うか…何となくそんな関係だ。

入所者の方とお話しているとこの人の若い時どんな風に過ごされていたのだろう…と思う。

今日は母の日のプレゼントを探してようやく決めた。
お店の人がプレゼント用と察してくれて カードを出してくれた。
「メッセージを…」と言われて「其の儘でいいです」と言ってしまう。
お店の人が「そうですか」と怪訝そうに言われた。
お店の人「何を想像したのだろう?」と思った。

プレゼントは気持ちが伝わればそれで十分だと思っている自分がいる。
母の笑顔が想像できる。

でも 気を取り直して いつも呼んでいる様に「○○ちゃん」「○○」と書くことにした。
お店の人は「それで十分ですよ」と言ってくれた。

母は 母であって母でない。
母の日は その事を強く意識してしまう。
生んでくれた事や育ててくれた事や今の姿に感謝の念を抱いている。
誕生日の感謝と母の日の感謝は何処か違うような気がしてならない。

母の日の母は 一緒に歩む人?
認知症を挟んで向き合う同胞かな?
ちょっぴり寂しさを感じる日のようにも思われる。

前日の思いはこんなところだ。
明日になれば きっとそんな事考える間もなくみんなで楽しむだろうけれど…。 こんな所が正直な気持ちだ。


2006年05月12日(金) 嫌がった美容院


 利用者さん訪問。
お天気が不順だった事もあり デイ通い用にフード付きのポケットコートを購入したいと言われ買い物同行。

「月曜日にシャワーの使い方聞いて以来 上手に使えています」と言われた。「ただ 追い炊きが出来なくて…」と言われたので浴室のリモコンを見てみたら電池切れで動かないのだった。
利用者さんは1月に交換したと言われるが この点は不明。
電池を入れ替えた後 取り替え期日を記してリモコンの内側に貼り付けた。

買い物で相当歩きお疲れの様子だった。
野菜や他に購入した物を下ごしらえをして冷蔵庫に収めた。

今週火曜日の夕方偶然利用者さんと出合った。
デイ帰りでお疲れの御様子で薬局に行くといわれたので同行した。
ついでにお買い物もお付き合いをしてマンションの入り口まで見送って別れた。がその後 エレベーターの下りる階を間違い 鍵が開かなくて往生。
管理人さんの所に行こうと思ったら 隣の方に出会い 階が間違っている事を教えられたという事だった。
「私 また 失敗してしまいましたの」と言われた。
多少心配だが 失敗した事を覚えておいでなのだから まだいいかなと思う。いや 危うい所ではあるのだけれど…。

マンションは皆同じなので こういう間違いはある。
以前 夫も酔っていた時 階を間違えたことがあったし 我が家にも間違ってチャイム押した方が居られた。
そんなお話を利用者さんにした。
自信をなくすことの方が 危うさに拍車をかけそうだ。

午後 母の所に出向く。
美容院に連れ出す。
行きのバスは散々だった。
歩道から離れた所に停車したので 母はステップを上がって直ぐに膝カクン状態。ようやく立ち上がらせて座席を見るとシルバーシートには若い学生さん。キョトキョトしていたらようやく席を立ってくれ座れた。
降車時 バスが停車したので母を立ち上がらせて降車口に向かうとバスは動き出す。「エッ?こちらの勘違い?」と思い外を見ると走行車線に向かってバスは動き始めていた。
「すみません」と言うと「1人下りたから 未だだったんですか?」と言われる。運転手さんいつも言うじゃないですか「バスが停車してから席をお立ちくださいって」と言う言葉を飲み込み「ありがとうございました」とバスを降りた。気の毒に思って歩道側に寄せてくれたのはいいけれど 車の乗り入れるところで一段低くなってる場所だったので 段差きつかったんだ。

美容院では 母の機嫌最高に悪くなった。
「頭洗ってもらおうね」とシャンプー台に移動すると「洗わなくともいいです」と拒否。直ぐに言いなおし「椅子に座ってみましょう」と。
首にタオルを巻こうとする美容士さんに「入りません」と拒否。
「逆らわずになしにしてください」と御願いした。
防水ケープは嫌がらずに付けられた。
シャンプー台では幾度も顔を持ち上げた。
その度に 声をかけ 両手を握って上げていた。
カットは順調。

夕方になったので お店に立ち寄る事を避けてバスに乗り施設近くの公園でおやつ。
ゆっくりと施設に戻った。

今日はパタパタとしていて 排泄誘導は失敗の連続。
機嫌の悪いのは「大」との関係だったようだ。
やはり ゆっくりと対応するように心がけないといけないんだな。
しかしな 美容院ももう延期に次ぐ延期だったので…。

他にも記しておきたい事があり 書いたのだが操作ミスで消してしまったので後日。


2006年05月11日(木) ちょっとだけ…


 友人の所に出かけようと思ったが 足かせがいっぱい。
天候不順で乾かない洗濯物がある。
雨ならどうしようもないので強行してしまうが 薄日が射してくると「干さなきゃ」と思ってしまう。
今日もはっきりしないお天気で 直ぐに雨が降り出しそう。

「洗濯物を乾かす事が先だ」と庭に出た。
手抜き続きの家事で 外も内もかなり散らかってしまっている。
庭は 気温も上がり適度のお湿りもあるので草も伸びていた。
この冬に無残に枯れてしまった鉢植えの数点。

水さえあげておけばこういう事も起きなかっただろうと後悔の念が…。
ふとみるとシンビジュームに1本だけ花が咲いていた。
草取りで植木の陰に踏み込むとカキツバタの花が咲いていた。
北側に廻るとコデマリが花を咲かせていた。
東側には都忘れが群れてひっそり花を咲かせていた。
上を見上げると梅の実が数粒生っていた。

はぁ〜とため息が出た。
門前は 出たり入ったりするので 辛うじて変化が見える。
いつも帰宅すると直ぐ夕食の支度を始めるので庭を見ることがなくなっていた。小さな花たちに申し訳ない気持ちがした。

この時期になっても新芽の見えない枝は始末しようと思ったら 沈丁花やブルーベリーには ポツポツと緑の芽が見えた。
こうなると迷ってしまう。でも 形を整えながら剪定した。

蕗の葉が広がって 庭が狭くなっている。
ため息ばかりじゃしょうがないなと蕗を刈った。
今日の夕食は 蕗の佃煮を作ろう。
蕗を食べると花粉症にならないと聞いたような気がする。
蕗が得意でない娘は 花粉症らしき症状ありだ。
夫も私も蕗は食べる。だから花粉症ないのかな?
真偽の程は 判らないが…。

洗濯物は 午前中のうちに乾き 新たに洗濯機を回した。

家の中は 未だ片付いた訳ではないが ほんのちょっと前進かな?


2006年05月10日(水) 2日がかりでようやく…


施設に着くと昼食中だった。
早い人は食べ終えている。
母は散らし寿司の具を食べて酢飯がそっくり残っていた。
困った様子もなくおかずと一緒に食べている。
汁物も手付かず。
「あっ来たの!」と言う感じで私を見つめる。
こちらは 昨日の事が心に引っかかっているのだが 母は直ぐには思い出せない。
療法士さんの見える前までに 食事を完了させ 歯磨き トイレ誘導は済ませておきたいので食事介助する。
お隣の入所者の方も汁物で遊び始め お話しながら介助。

食事が済んで 母を居室に移動させトイレ誘導。
母もボンヤリと何かを思い出した様子だ。
でも拒否はなかった。
「大」は昨日以来変化ないようだ。状態としては辛い筈だが母は言えない。
ここで踏ん張ってもらうと昨日の二の舞になるので 小だけで終了。

歯磨きをして リハの支度をした。
療法士さんが見えてリハが始まる。
昨日の様子を伝えた。
「うつぶせにさせてみたが…かなり嫌がった。でも何とか自力で向きを変えた」と伝えると「ほんとは そういう事に取り組みたいのですが…」と言われた。しかし 昨日の母の様子を見る限り 今 人様からそういうリハを受けるのはきっと無理だと感じた。療法士さんも「ゆっくりと…」と言われていた。
以前の母ならそういう事も可能だったろうが 最近は 直感的に嫌がる傾向にある。無理を通せば暴れる可能性もある。

母と私の距離の中で少しずつチャレンジして療法士さんにバトンタッチが1番だろう。取り組み方は 療法士さんも教えてくださる筈だ。

それと「朝目覚めた時 背中や間接に痛みがあるようだった」と伝えると「身体を動かせないので筋肉が固まるのでしょう」と言う返答だった。
揉み解す事で解消を図るという事のようだ。

もうひとつの不思議現象をお話した。
横になっても 上体を少し起してまるで腹筋でもしているかのようになってしまうという事だ。
すると「普通にお元気な方(頭がはっきりしている)と寝たきりになってしまわれた方以外は皆さん同じです。大概の方がそうなんですよ」と説明くださった。
つまり母だけの現象ではないという事だ。

リハ終了後 母をトイレ誘導。
母もトイレに行きたい様子だった。

トイレでは 昨日と同じ位の時間頑張った。
「頑張りたくない」という言葉も出たが強めにお腹を押して「ごめん」と謝ると「いや だいじょうぶ。こっちこそ」と反応してくれた。
母も出ない辛さを感じているのだと思う。
それでもあまりいきむ事は出来なかった。
それでも時折ちょっとだけお腹に力が入る事もあった所が昨日とやや違う所。「もうやめようか?」と聞くと首を横に振ったりだった。

結果 今日は無事排出できた。
その時の母のホッとしたような顔つきに救われた。
今日は 激しく怒ることもせず ホールへ誘導しても怒る事はなかった。
 
トイレでは 歌を唄ったりもした。
昨日は そういう時も俯いて無反応だったが 今日はじっと聞き入っていた。

みんなとおやつも食べた。
出がらしだったお茶に「これ 何も味しない」と言えた。
だから 居室で準備したジュースを出してあげた。

とにかく一仕事終えて安心した。
母は下剤を使っていない。牛乳も時に腹痛が酷くなる時があるので様子を見ながら…。
排泄を促すためには いろんな方法があると思う。
今の母には このやり方が適していると感じている。


2006年05月09日(火) 欲張り虫


 昨夜「こっちは寒いね!」と出張から戻った娘が言った。
こちらだけが冷えているなんて予想していなかったので驚いた。
新聞を改めて広げてみると西の方は30度近かった。
今日もこちらは肌寒い。お天気もはっきりしなくて梅雨かなと思うほどだ。

今日のお天気のように母は機嫌が悪くなった。
原因は私の欲張り虫のせいだ。

最初はニコニコご機嫌だった。
居室で母を畳みの上に横にならせて 足の屈伸運動をして貰った。
辛い 痛いと言わなかったので「頑張るねぇ〜」と言うと「これ位で…?」と返答してきた。
そこで 次のステップへ。
うつぶせになって貰った。(実際はうつぶせにした)
母は骨折以来 腕を立てる事は困難になってきていた。
腕を立てると痛がるのだ。
でも 骨折はよくなったのでちょっとだけ冒険してみようと思った。

隣に同じようにうつぶせになって「出来るかなぁ〜」と腕を立てて身体を起して見せた。
母はそれを見ただけで拒否反応。
見ただけで 自分がどうなるか判るなんて凄いものだわ♪
そして 第一ラウンド。
私は助ける事をせず 母が自力で動くのを待った。
うつ伏せから体の向きを替える事は相当困難。
「助けてあげようかな…」と思った時 母は手をちょっとだけ付いて横向きになった。
「うわぁ〜 凄いなぁ〜 頑張ったね♪」と褒めると「○△◇…」
起してあげ 椅子に座りなおしてもらう。

母は とても不機嫌で下を向いていた。
私に目を合わせようともしないのは怒っている時だ。
落ち着くまで 居室に掃除機を掛けた。
窓を空け払って ぬいぐるみたちの埃をとって掃除機を掛けた。
人形に手をかけると「私のだ」と言う。
こういう言葉を吐く事は滅多にない。かなり怒っていると感じた。

暫くして「頑張らなくともいい」とポツリと言った。
「はい。そうでした。無理させてごめんなさい」と頭を撫でてから 手を拭いて 文旦の皮をむいて母に上げた。
すんなりと食べ始めるが…落ち着きがなくて食べる事に集中できない様子だった。

文旦の後にチョコレート菓子とお茶を上げた。
これも 普段なら上手に食べるのだが今日は不安定。
やはり 感情に逆らうと良くないなぁ〜。

おやつ後お散歩に誘うと「行く」と言う。
そこでテクテク散歩。
お散歩は調子良かった。畑の傍の道では「あれは?」と矢車草を指したりした。花屋さんの前で人がいたら「もう 行こう」と花を愛でることもなかった。ドラックストアの近くまで来たら「こっちでしょ」と道を渡ってドラックストアに行こうとした。
母の気の向くまま お店をクルクル。こちらも必要な物があるのでワゴンに詰め込む。母はワゴンを押している。
会計を済ませて店を出て「帰る?もっと歩ける?」と聞くと「歩ける」と言うので野菜スタンドの方に更に歩いてみた。
シランの花を売っていたので購入。母に持ってもらう。
それから公園まで歩く。
「休みたいね」と声をかけた。すると母は 公園の中の椅子を目指してテクテク。(勿論両手介助です)
ここまで30分余り 腰を下ろして休息してない。母もかなり疲れた様子で背中がまあるくなってきた。同じ身長の筈が 30センチ近く縮んでいるように見える。

ベンチに座ってから バックを探るとひとつだけ飴が入っていたので母の口に放り込む。
一息ついたところで また歩き出した。
次のベンチまで200メートルくらいだ。
何とか歩いてまた休息。だが ここで休む事は殆どないので見慣れない景色にキョトキョト。この場所は通過するだけなので記憶に留まっていないのだろう。
「もう直ぐよ」と立ち上がって信号を渡った。
見慣れた景色に安堵の表情が戻った。

施設に入るとホッとしていた。
が玄関で靴を脱ぐ時になって また不機嫌になった。
上履きを履かせている時つま先が入っていなかったのだ。
「ごめん」と謝ると「ごめんと言われても…!!!」と目をむいて怒り出す。普段 こういう場面は幾度もあり「ごめん」と言えば「いえ」と言う感じで怒る事はないのだが…。

「排泄か?」とトイレ誘導した。拒否はなかった。
しばし待って小水。
始末しようと立って貰う。が「大」の気配を感じたので座りなおして貰った。
ここからが第二ラウンド。トイレでの格闘編だ。

いきんで貰おうとお腹をマッサージしてみるが 今日はその気配は全くなし。少し強めに押すと「もうたくさん」と言い出す。
押したり引いたりしても進展の気配がないので「やめようか」と言うとどうも納得しないのだ。母自身も気持ちが悪そうだ。
また 最初から マッサージのやり直し。
嫌がると承知でオイルを塗った。これで敵便でもしようものなら更に怒り心頭となるのは目に見えている。
押したり引いたり 放置したり…と格闘の末出てきたのは赤ちゃんの拳ほど。未だきっと残っているだろうけれど 仕方ない。
母も諦めているように見えた。30分以上格闘した。

母をいつものようにホールのソファーに座って貰おうと誘導したら…。
ソファーの前で「何するの!」と大きな声で怒りだす。
「ごめん ごめん」と母の好きなようにさせようと見ているとテーブルに伝って歩き出した。自分の椅子に座ると思いきやそこは通過して行く。
押さえつけられた反動だろう。
職員が母の名前を優しく呼んで「こちらにしましょうか?」と椅子を引いてくれたら御辞儀をして座っていた。

焦る気持ちはなかったけれど 夕刻となって帰宅時間を気にし始めていたかも知れないなぁ〜。


「あと少し良くなったら…」と思う時がある。
無理は禁物と覚えていても ついつい 気持ちが走ってしまう。
おそらく 今日は そういう日だったのだ。
母は偉く迷惑だったろうなぁ〜。

明日はどんなお天気となる事やら…。
リハの部分は療法士さんにお任せしようっと。


2006年05月08日(月) 認知症って…


利用者さん訪問。
連休中に初デイ体験をなさったとの事でお話が盛りだくさんだった。
記憶もしっかりなさっておいでなので デイの何処が嫌かという事もはっきりなさっている。
認知症の方もおいでで 職員が良くお世話なさっていると感心なさっており
自分の行く道かも…とも何処かで感じておいでだった。

デイに通う前にデイの職員が出向いて きちんと説明なさった様子だ。
利用者さん 細かい事を説明するには言葉が追いつかなくて…だからどういう順番でどういう説明がなされたかは不明。
ご家族が立ち会っておいでなので 心配は要らないのだが…。

利用者さんは 入浴を避けたい御様子だった。
対応が悪いとかの理由ではなかった。
実は 母も在宅時にはデイの入浴は経験がない。
デイケアとデイサービスに通っており 両方とも入浴は出来たのだが「入りたい」と言わなかった。
私自身 入浴させる事は苦痛でなかったので 毎日家のお風呂に入れた。

デイサービスで「みんなお風呂に入っている」と言った時があった。
「お風呂入りたかったら 申し込めば入れるよ」と言うと「別に入りたくはない」という事だったのだ。

だから 利用者さんが「家のお風呂で大丈夫だわ」といわれた時の気持ちが
良く判った。
無理をせずに慣れて行かれればいいと感じた。
が ご家族は微妙。
何せ シャワーや水道の切り替えと蛇口の栓とがゴチャゴチャになっておいでなのだ。
今朝 ご家族から「お風呂の事 よぉ〜く はなさんから聞くように…」と言われたらしい。
お湯を入れるスイッチを押せば自動的に貯まる事は理解成されておられた。
利用さん自らお風呂に出向いて「教えてください」と言われた。
「お湯や水の出す蛇口の栓は お風呂場も洗面所も同じですよ。
レバーを上でシャワー下でホースと切り替えるだけです」と実際に動かして見せたが理解できない。
頭でレバー操作で水やお湯が出ると思い込んでしまっているのだ。
これは 幾度も動かしてみて理解してもらうしかないと思い「シャワーから出してください」「ホースから出してください」と指示を与えながら取り組んで頂く。
自分で出来るようになりたいので 何回でも試されて嫌がる事はなかった。
格闘の末 大体理解できた様子で完璧に出来るようになった。
しかし 何時まで覚えていられるか…本人も私も不安。
「金曜日にもう一度やってみましょう」という事で終了。
その後通院介助。
大きな通りの信号を渡るのが難儀。変わって直ぐに渡り始めても渡り終えない家に点滅から赤に変わってしまうのだ。
時間に余裕があれば 信号を使わない方法で行けるのだが 今日はお風呂で時間がかなり経過していた。
これまでは 利用者さんに声をかけるだけだったが 今日は背中に手を当てて極々僅かに押すようにした。「背中に手がありますよ」と言うくらいだ。
これで 赤に変化するギリギリのところで渡り終えた。

帰路 空になった冷蔵庫に補充品を購入。
デイ通いの日々が始まり 帰宅が6時近くと言われていたので買い物は無理だろうから。。。

時間の関係で調理は出来なかった。
お刺身を切り 残りは塩焼きできるように準備。
野菜はレタスやキャベツやトマトを購入したので何とかなるだろう。
ヘルパーさんの家事援助が1時間半に限定されたので ヘルパーさんが買い物せずに調理できるように食材も購入した。

時間オーバー30分弱。
利用者さんはしきりに気にされたが 今日は仕方がない。
順調に滑り出せば 何とかなってくるだろう。。。

実は昨日 母を送って行こうと玄関まで移動した時電話があった。
娘が受けてくれたのだが…。
「ちょっと失礼な感じがしたから 名前聞いた。○さんだって」と娘は言った。娘は 慇懃無礼なセールス電話には憤慨するが 普通の方からかかってきた電話でこういう不満を言う事は皆無。
名前を聞いて直ぐに 娘が不審に感じた感触が理解できた。
人を寄せ付けない冷たい感じのお話をなさる方なのだ。

その方との出会いは ケアマネさんを介してだった。
奥様の介護なさっている方である。
11月に出会って それ以来だ。時折 気になって声を掛けていいものかケアマネさんに伺ったりしていた。
ケアマネさんも突破口が見つからなくて あれこれ探っていた。
勿論役所の方も同じように心配しておいでだった。

家族会のお便りだけを送り 先々月は私信を添えていた。
それでも 音沙汰がなくて気になっていた。
このまま 送り続けて迷惑でないだろうか…とも思っていた。

電話と聞いて「もう お便りは要らない」と言われるのかなとも思ったりした。

が一番先に「ずっと お便りをありがとうございました。なかなか行けなくて…」と話されて その後奥様の様子をお話くださった。
「はい」「はい」とじっとお聞きしていたら…1.2分してハッと「今大丈夫ですか?」と言われた。
そこで こちらの今の事情を伝え「戻ってからこちらからお電話差し上げて宜しいですか?」と伺うと「待っています」という事で電話を切ったのだった。

母を送り届けてから 電話を掛けた。
それから3.40分 いろんなお話をしてくださった。
時々グッと詰まって言葉が出ないことが数回あった。
第一印象からは 想像だに出来ない事だった。

今 奥様は入院中でケアマネさんの定期的な訪問はない。
面会に通う日々の中で介護者としての不安や虚しさを吐き出す所がなかったのだと思う。

お困りの事が2点あるような気がして 確認すると間違いなかった。
今日は その2点をこちらの判る範囲の中で動いてみた。
何とか力になれそうだった。
その事を夕方伝えるととても喜ばれた。

これから先は その方の判断で決まる。
やはり 高齢になると情報を集めるという事が如何に大変か…と感じた。

電話を戴いてホッとした。
とても気がかりでも ずかずかと人の心に踏み込んでは行けないもどかしさがあった。
お1人で悩まれていた時間が如何に苦しかったか…と想像できた。
心の内をなかなか語りきれない人は大勢おいでだ。
民生委員さんからも相談の電話を頂いている。
未だ何処にも繋がっていない様子だ。

世の中には こういう方がどれくらいいらっしゃるのだろう?
認知症と病の理解は広まったかに見えるが…ほんとにそうだろうか?


2006年05月07日(日) 環境のなせる技?


昨夜の最終トイレ誘導は午前一時。
昨日のトイレ誘導は 空振り2回あったが 失敗はゼロ。
午前一時の誘導は…。
ゆすっても起きなくて 諦めかけた。
が 暫く待ってから 起してトイレへ移動し暫く待って排泄できた。
畳みの上から起き上がってもらうのは容易ではない。
母は不安。私は体力。双方がそれぞれ別の事で踏ん張った。

排泄が済んだのでこちらの気が緩む。
尿量が少ない気がしたし 足にも浮腫みが見られた。
水分は十分摂取出来ているのだが ギリギリまで水分を摂って貰った。

効果が出たのが午前4時。
「おかちゃん」と呼ぶ声に目覚めた。
が 如何にせん こちらも眠い。
ぐっすり眠ってしまっていたので 母を起き上がらせてトイレに誘導は危ないので布団の上でパット交換。
直ぐに母は眠ってしまった。
こちらも眠った。
次が5時55分。
「おかちゃん」2時間前に出ているので「出るの?」と聞くとコックリ頷く。
それを信じてトイレ誘導。
既に出た後だったのでパット交換しようと思って汚れた方を始末して新しい物に替えようとしたら…。
「それは 要らない」と母は言った。
「大丈夫かな」と思ったけれど母の希望なのでトレーニングパンツのみとなった。

着替えてダイニングに移動。
洗面してもらい お茶を飲んでもらっている間 急いで朝食の支度。

食後幾度も「ハックション」とくしゃみをした。鼻も出るのでその度に鼻をかんでもらった。
子育て中 子供がくしゃみをした時はオムツが濡れている時だ。
「母もそうかな?」と思いながら 先にたっぷり出ているので安心してしまっていた。
食事が済んで「トイレに行こう」と立ってもらったら トイレに入るのを嫌がる。 どうもズボンの後ろが冷たい。
ズボンを下げた時に濡れたかなと思った。
が くしゃみの事を思い出してダイニングの椅子を見に行くと…ぐっしょり濡れていた。
  …しまった やってもうたんだわ…
トイレに戻って「ごめんね。気が付かなくて…」と母に詫びると母は首を横に振った。
もう 後は知らん振りをして何事もなかったように衣類を替えた。
母は とても情けない顔をしていた。
だって 昨日 トイレに誘導した時「こどもみたい」と呟いた母で 自分1人でもできそうな表情をしていたのだもの。
母は 昨日言った事等覚えていないような気もするけれど…。

それからの落ち込みは 腹痛も伴って 話しかける言葉にも上の空だった。
昨日 あれほど楽しんだ亀や その他のぬいぐるみも立ち直るきっかけにはならなかった。
その間 今日出張の娘は「洋服がみつからない」と言って 遠慮がちに窮状を訴えてくるし…。
落ち込んだ母を無理やり立ち直らせる事はしないで 暫く様子見し 娘の服を探した。

時間を置くと徐々に母も落ち着いて来た。
昼食の準備時はキッチンの傍に椅子を運んで座らせた。
「謝らなくちゃ…」と母が呟く。
「誰が?」と聞くと母自身を指差した。
「何も誤る事等ないのよ。こっちが悪いのだし。それに大事な私のお母さんだもの…。お母さんでいてくれてありがとう♪」と言うと母はポロポロと涙を零した。
昨日「ありがとう♪」と言った時は ニコニコして御辞儀してくれたのに…。世話を掛ける意識になると母は 後ろに後ろに下がって行くみたいだ。介護される立場と言うのは 切ないものなんだろうなぁ〜。
母のように後ろに下がって消え入ってしまいそうになる人もいれば 開き直る人 高飛車になる人…様々なのだろう。

昼食の支度が出来上がる直前に ソワソワとなる。
朝から大誘導していたが 空振りばかりだった。
直ぐにトイレ誘導。
何とか大も小も間に合った。

「施設から4日目です」と言われていたので 宿題見たいな感じがしていた。
これで 宿題が出来た。

昼食はみんなで…。
後片付けを済ませ 母にお便りを書いて貰った。
文字を書く事はかなり困難。ほんのちょっとに出来る状態になって一行と自分の名前を書いて終了。
後はこちらで補足することに。

母の一つ一つの言動は書ききれないが 面白い事がいっぱい。
まだまだ気持ちがあるんだなとわかって嬉しかった。
例えば 両手を引いて階段のところまで後ろ向きで母を誘導していたら…。
「ほら 危ない」と母。「大丈夫よ」と私。
「油断していると 危ないことになるよ」と母。

いつもの面会でこういう会話は出てこない。
意味不明の言葉の多い中 チョコチョコと出る言葉は 適切な物が多かった。環境のなせる技かな?

夫の運転で 娘を送りがてら 母を施設まで送った。
少し 視線で後を追う事はあったが 割合落ち着いていた。


2006年05月06日(土) いろいろおさらいの日


 母が寝ている夜。
ちょっとドキドキ。階段を上がっては 寝息を立てていることを確認して下がってくる。

お昼前に母を迎えに出かけた。

家に着いた時 キョトキョトと家の中を見渡して不安そうな表情。
忘れかけている様子だ。
幾度か「来た事ある?」「見覚えある?」と質問したが反応鈍し。
でも 食事の頃には何の違和感もないようになっていた。

食後 ウォーキービッツでひとあそび。
小さなロボット亀だが…母の興味を引いたようだ。
チョコン チョコン♪ イチニ イチニッ♪と掛声をかける母。
「ほら頑張れ」と声援まで送っていた。
母自身が動かす事は出来ないので こちらで甲羅を押してスタート。
似た様な大きさにチョロQがある。
あれは 離れている所で見ていたほうが面白い。でもあっという間に壁に衝突して…。
けれど 亀さん(母はかめこさんと呼んでいた)はテーブルの上でゆっくり歩く。母は掌で囲い込むようにしていた。

その後入浴。
服を脱いで 浴室で身体を洗い始めるまでは調子よく進んだが…。
途中から「おかちゃん」を激しく連呼。
こちらがついつい身体を洗うのに力が入ってしまうからだ。
入浴の回数が少ないので…とても気になっていたのだ。
骨折以来 入浴恐怖症となっている。
とにかく幾度も洗った。
それからシャワーをかけて流した。
座っている状態から浴槽に足を入れてもらった。
かなり厳しくて怒ったりしたが 湯船に身を沈めれば とても気持ち良さそうだ。歌も唄った。
かなり茹で上がったがこれからが大変。
洗髪である。今日も湯船の端に頭を乗せて薄めたシャンプーを頭につけて こちらの掌を濡らしながら 洗い始めた。
母も思ったより濡れないので不安がらない。
洗い流しは 後ろから始めた。顔にも耳にもお湯が入っていかないように…。次は左側。耳にタオルを当てて耳を避けるようにお湯をかけた。
右側も同様。
これを3回繰り返した。最後にリンスをつけてタオルで洗い流した。

ついでに湯船で再度 身体をゴシゴシ。。。
浴槽からお湯を抜いてシャワーで再度身体を流して上がる。
すのこの上にバスタオルを引いて滑らないようにした。

上がる時も大変だった。
大変と言うのは母が恐怖心を抱くからなのだ。
本来は 足も動かせるし 引き上げてあげれば転倒の危険はないのだが…。
恐怖心を緩めるために大きな声で歌を唄い気を反らせて何とか引き上げた。

脱衣室に準備した椅子にタオルを引いて座らせ 身体を拭き着衣。
ここまで来れば 母も穏やかな表情に戻る。
大変だけれど 一月に来た時と比べると比にならないくらい楽チン。
母の表情も不安さえ消えれば 良くなってくる。

その後和室に椅子を運んでテレビを見せながら足の爪きり。
手の爪はよく切ってくれるようになったが 足の爪は放置気味。
骨折依頼 我が家に来る回数がグッと少なくなったので 足の爪きりも思うように出来ない。
少し痛がったが 何とか綺麗に怪我なくきる事が出来た。

夕食の支度を手伝って貰う。
「じゃが芋むけるかな?」と聞くと「むけるよ」と言うので中程度のおいもを4個 テーブルの上でむいてもらった。
面取りでもするかのように まぁるく綺麗にむくので「綺麗だね」と言うと「これくらいは当たり前の事」と返事が返って来た。
さすがに人参までは嫌になったようで 途中放棄していた。
むく速度は結構早かった。

お手伝いはここまでにして そこから先は母に漫画の本を渡した。
先に夕刊を渡し 一緒に呼んでみたけれどノリがイマイチ足りなかった。
傍にいると食事の準備が出来ないので 漫画に切り替えたのだ。
「きょうの 猫村さん」という漫画。
母は確実にページをめくって読んでいた。ククッと笑った。
しかし内容を理解してと言うのではないみたいだ。
それでもページをめくっていくという動作だって意味あるだろうと思う。

夕食は かど一匹 豚汁 ブロッコリーとにんじんのサラダ 漬物
全て「んまい」と言って食べた。介助は必要だったが…。
おそらく施設の食事よりは倍近い。

その後 洗い終えた食器を更に洗って貰う。
キッチンに立ち両手を使う事は転倒の危険があるため後ろから支えながら。
「洗って」と声をかけると手できちんとゴシゴシ洗っていた。
更にふきんも洗って貰った。洗う事は出来たが絞るのは 声をかけないと無理だった。

それから指遊び等をして 再度入浴。
就寝前に湯船に浸かってくれれば安眠間違いなし。
それに足腰の鍛錬にもなる筈。
服を脱がせると途端に嫌がり浴室に入るのを躊躇う。
浴槽に入るのを躊躇う。
このハードルを乗り越えるのは結構きつかった。
幾度も母から怒られた。その度に「ごめん」を連発し「風邪引くよ」と声をかけた。
何とか入り「気持ちが良い」と言ってくれたが…上がる時がこれまた難題。
片足を湯船から上げることが恐怖みたいだ。
暫く様子見して強行突破。
出てしまえば けろりとする事は判っているので…。

とそんなこんなで お風呂から上がりお布団へ。

お正月には恐怖のあまり階段途中で立ち止まり泣き出したのだが…。
今日は自分で手すりに掴まりあがっていけた。
勿論後方支援はきっちりと。。。

お布団に入ったらキュウパタン。




2006年05月05日(金) ありがとう♪


 1日のんびり家で過ごす。
お天気も良いのでお布団を干した。
こうやって1日家の中で過ごす事が少なくて…。
セーターもようやく防虫剤を入れて収納準備。
気温の変動が大きくて薄手のセーターをしまい込めない日が続いていた。

母の部屋もお掃除して 今度はゆっくり泊まって貰えるだろう。
母の部屋がすっかり物置に化していたのだ。
我が家で一番広い部屋でお日様が当たって 景色も良い部屋なのに…。

ようやく家の中も片付いてきた。
未だ 庭木の方が…。
これも ゆっくり取り組んで行かないと…。

活動も祝日でお休み。リハもお休み。期日に追われる仕事も少ない。
時間に縛られないとゆったりとした感じになる。

タランタランとしながら 幼い頃母と過ごした時間を振り返ってみた。

母は縫い物や編み物が好きだった。
けれどレース編みでテーブルセンターを編んだりと言うような優雅な物でなくて もっぱら子供の洋服やセーターを作っていた。
季節が変わり始める頃や行事の前には忙しそうだった。

お料理は得意でない…。とはいっても 何かしら作ってはいたけれど…。
小学生の頃 母が得意としていた料理ってなんだろう?
以外に美味しいと思ったのはシャケ缶と豆腐で作ったコロッケ。
そういえば コロッケは良く作っていたなぁ〜。
それとロールキャベツ。とんかつも…。
あれれ 揚げ物が多いな。

煮物も作っていたけれど きっと印象に残っていないのだな。
子供だし…日常と違う物が印象に残っているんだろうな。

おやつには残ったご飯で焼きおにぎりを作っていた。
弟が川で釣ってきたカジカを焼いたり佃煮にしたりしてくれた。
摘んで来た筑紫だって佃煮にしてくれたな。

お誕生日やお節句には 散らし寿司がお決まりだった。

今日は わたしの誕生日。生んでくれた母に感謝。
育てやすかった…とよく言っていたけれど…。有難う♪


2006年05月04日(木) みんなと遊ぶ


母はみんなとテーブルを挟んでみんなと座っていた。
顔が合うとニコニコ。
今日は 騒ぐとうるさがる方は居室に居られたりご家族の家に帰られたりしていたので…チャンスとばかりに 先ずは歌を唄う。
母は歌詞が直ぐ出てきたが 他の方は首で唄っている。
時折歌詞を思い出して小さく口を開けて唄われていた。
「子育てしながら唄ったかしら?」と息子さんや娘さんの名前を挙げて聞いてみたら ニコニコしていらした。
目を瞑ったりでウトウト気味なのだが…言葉は通じているのだと感じた。
その後 テーブルの上でボールころがし。
ボールをつかむ感覚もなくなりかけていても 一緒にボールを掴んで上げている内に 時折身を乗り出してボールを掴む姿勢をとられるようになった。
母ともう1人の方は 自分で受け取り返す事はできる。
母は 力が弱っている人には 弱い力でボールを返していた。
もう1人の方は さてと「ばあちゃんと姉さんとどっちに返そうかな?」とニコニコ。どうやら 私が姉さんみたいだ。ここに来ると「若い」と思われるのよねぇ〜。でも8歳しか違わない人を「ばあさんとは…」(苦笑)

休憩した後おやつ。
みんなでおやつを食べる。おやつが美味しいとか…言いながらワイワイ。

美容院に連れて行こうと思い着替えていたら「入浴なさります?」と聞かれたので美容院を取りやめて 入浴させてもらった。

入浴は好きな母で楽しみな表情となったが…どうやらお腹が痛むらしく 泣きべそをかき始めた。
聞くと今朝 温めた牛乳を200cc飲んだとの事だった。
腹痛の原因は判ったので 母に説明した。
が 母は「判らなくなって…」と更にべそをかく。

母に泣かれるのが苦手な職員で…誠にお気の毒だった。
浴室までは同行し 服を脱がせ浴室に入らせる所まではこちらも介助した。
後はお任せ。
気になって洗髪の始まる頃 再度浴室へ行き 洗髪介助。
職員は浴槽での洗髪は難しいと言われていた。
人それぞれお得意の方法があるだろう。
耳にお湯が入るとパニックを起すのでこちらは母の耳を両手で押え ついでにグイグイと頭を上から押さえ込む。
そうしないと顔にお湯が流れてまたパニくる。
母には辛い洗髪だったろう。
でも ようやく綺麗になった。

ドライヤーを当てるのはこちらでやった。
下から風を当てると もう髪の毛がボオボオになってしまうのだ。
ブラシで流がしながら上から温風を当てて ウエーブを作って仕上げた。
髪を乾かす前に 水を少し飲んでもらった。
湯上りは汗が出て脱水症状を起しやすいから…。

何とか無事に仕上げて母にも満足してもらった。

ホールに出ると 職員がジュースを準備してくれていた。
2杯飲んだ。

丁度テレビが付いていて 今日は時代劇もないので教育テレビに切り替えると…子供の姿が出た。
母ともう1人の方はテレビの子供を見てニコニコ。

そうっと帰宅の支度を始めたら…
「また来て…」と母。
これは 帰る事を予測も含め 離れないで傍にいて…と言うメッセージのようだった。「うん」と言いながら そうっと離れて帰宅。

今日の排泄 3回誘導し100パーセント成功。


2006年05月03日(水) 来客


 夫の友人が見えた。
私の故郷で長い間住んでいらして 体調を崩されて 昨年暮れようやくこちらに引き上げていらしたのだ。

こちらがご実家で 立て直しなさってお住まいだ。

私は2度ほど伺わせて頂いたが 夫は少し躊躇いがあって訪問できないでいた。この所 彼の家の近くに仕事で出かけることが多くなっており「寄ってみたら…」としきりに勧めていた。
先月中旬に訪問したようだ。そして連休にはこちらに来てくださると言って下さっていた。

踏み切るには勇気もいるかと思い メールでもお誘いした。
そしてようやく 訪問。

道は良く判る方なのだが 三昔程向こうで暮らしていらしたので風景も様変わりして…「いやぁ〜変わってしまって…」と言われていた。
昼過ぎから 夜の9時過ぎまで 延々と話した。
家に折りたたみ自転車があると知った彼は「その自転車が欲しい」と言われた。どうやら 自分のために動いてみると言う気持ちになったようだ。
だから即座にOKし車に積んで持ち帰って頂いた。

もう少し経ったら「一緒に温泉に行こう」と言う話も纏まった。
伊豆の北川にある宿が思い出の場所。
宿のご主人もきっと待ってお出でだろう。。。
出かける時は母も連れて行ければいいなと思う。
母も行った事のある宿だ。
ただ新しくなってしまったので記憶はないだろう。。。

彼の事は母も知っており 実家にも良く訪ねてくださった方だ。
今日は 逢えなかったけれど そのうち 逢えるのではと思っている。

この数年は私だけが訪問する形になっていたが ようやくみんなで逢えた。
楽しいひと時を過ごした。


2006年05月02日(火) お節句の歌メドレー


 午前中に母の所に出向く筈が 娘の電話で出遅れた。
娘の依頼でmacの操作をする事になった。
電話の指示通りに操作。macに触れる事等ないので…。
操作は出来たけれど 娘の探し物を見つける事は出来なかった。
結局 パソコン周辺に残っていたメモをファクシミリで送る事で解決。

今日は家族会の日である。
介護の用が重なって久しぶりに出ていらして…溜まった話を聞かせてくださった。
介護保険の改正の余波が出てきていた。

デイを減らさなければならない…と言う方もいらした。
直接的には介護保険と関係ないが余波なのか デイケアの時間が短くなったと言う方もいらした。
施設入所者もいろいろ。

「気の毒だな」と感じたのは マンションで二人の介護をなさって居る方が「夜間介護のために動く音が五月蝿いので眠れない」と言う苦情のため 深夜は動くのを控えなければならなくなったと言うお話だった。
介護を経験なさった方だそうだ。
介護を楽しみながら…という事で 在宅で頑張ってお出でなのだ。
お母様と妹さんとを介護なさってお出でだ。
こういう事 多いのかな?
言われた方も「どうも眠れないから音が気になっているようだ」と話されていた。
介護自体も大変なのに…周囲にも気配りは苦労だなと思った。

会は時間いっぱいまで話が尽きなかった。
ポツポツと帰られた後も話があり いつもよりオーバー。

遅くなったけれど 母の所に出向く。
洗濯物と介護保険証を届ける。
母は テーブルに向かっていたが私を見つけるとニコニコ。
居室に連れて行きトイレ誘導。大を排泄できた。

それから 居室でお節句の歌メドレー…。
お散歩の時は並んでいるのだが…居室では向き合い手を取り合っている。
♪はしらのきずは おととしの ごがついつかのせいくらべ…♪
と唄うと♪ちまきたべたべ…♪と母が思い出して歌い出す。
母の思い出すところは決まっていて ♪ちまきたべたべ…♪からだった。
不思議だなと思う。
♪いらかのなみとくものなみ…♪も♪かさなるなみの…♪からだった。
♪やねよりたかいこいのぼり…♪は少し曖昧だった。
♪…こいのぼり…♪と唄っていた。
唄う様子を見ているとメロディーは覚えているようだ。
しかし歌詞が出てこない様子とわかり 歌詞を先に言って上げたら歌えた。
歌を唄っている母の表情はとても穏やかで…楽しんでいる事が伝わってきた。そして 情景を思い浮かべて歌詞を探っている事も伝わってきた。
夕食直前ではあったけれど チョコレートをちょこっと口に運んで上げた。

職員が見えたので介護保険の影響が出ている事を家族会の様子をいれて伝えた。施設側も今その影響で四苦八苦なのだ。
家族もいろんな影響が出ていて大変という事が判ると 何処も同じようなのね…と言われていた。
同じフロアのご家族が ヘルパーの資格に挑戦する…というお話も伺った。仕事に就くためではない様子だ。

確かに最近のいろいろ変わってきていた。
ご家族もそうだだが ご本人も大分変わられて笑顔が増えて落ち着き始めている。病の進行もあるのかもしれないが 一時はベットから起き上がるのも無理。食事も全介助と言う所から脱出なさっている。
危機を乗り越えるとやはり感じる所が出てくるのかも知れない。
自分を振り返ってみても乗り越える度に母との距離が縮まってきているように感じる。


2006年05月01日(月) いよいよ…


 利用者さんの介護プランが決まったようだ。
今日の午後 ケアマネさんがいらして説明くださるという事だった。

訪問に入って3年目。
介護保険を使わずにこれまで来れたけれど…。
いよいよなんだなぁ〜。
後は一人暮らしをいつまで続けられるか…が課題だろう。
出来る限り…とは思うが 難しくなってくる事は確かだ。

冷蔵庫は見事に空っぽだった。
買い物をなさった形跡はなかった。
それでも お財布のお金が移動していた。
ヘルパーさん用のお財布からお金が消えていたのだ。
いろいろ試行錯誤なさってお出でなのかも知れない。

今日 検査のため通院したいと言われた。
しかし連休中の食材がないと困ってしまうだろう。
今週は今日だけが介助に入り 後の2回は休日なのだ。
チラシを見て買い物もしたいと言われた。

迷ったが 薬は未だ十分にあるといわれたので通院は来週の月曜日にという事にして買い物に出かけた。
しかし 薬ってどれくらい余分にあるのだろう?
通院したのが21日だ。これから1週間は間に合うと言うのだが…きちんと服用なさってお出でなのだろうか?気がかりだ。
この辺の事 ケアマネさんと確認を取っておかないと…。

食品のストックも生鮮食品をどれくらいにしておこうかと悩む。
ご自分で調理なさってはいるが 以前のように毎日と言う訳でもなさそうで…時に何も作られずインスタントの物とお惣菜で済ませている時も多くなった。今度は 少しずつ一緒に調理という事も必要になってくるかな?

今日のように食品でない買い物もあると活動時間にも影響してくる。
今日は いつも買い物なさらないお店で若い人向けの衣料品が多く襟ぐりも深く 丈は短く 身幅も狭いものが多かった。
見た目で判断が付かないので試着していただいたが…。
試着室に入ってもかなり時間がかかった。

今位の状態の時の母は 時に一緒に試着室に入ったり 私が外で待ったりとその時々で替えていたが…。利用者さんの場合 時間制限があるのでどちらを優先させるべきか悩んでしまう。
今日は一度目はご自分で、2度目は一緒にで 利用者さんは嫌がる事もなかった。以前は私のいる前で着替えをなさる事もなかったのだが…最近は気にせずに着替えなさるので その延長なのかも知れない。

新しい衣類を2点購入なされて気分もすっきりなさったようだったが…。
ちょっといつもと違う傾向になっていて心配だ。

おそらくスポーツジムだったりデイだったりで 他の方の洋服をみて「これが欲しい」と思われていたはずで そういった事がなくなったからではないかなと感じた。

人との交流って いろんな形で影響する物だなと感じた。
早く デイケアに出かけて人からの刺激を受けられればいいなと思う。
しかし すんなりとデイケアに通所できるようになるかが気になる。



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