母のタイムスリップ日記
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2006年03月31日(金) ユメルちゃんも祝ってくれた!


利用者さん訪問
月曜日に活動を終えて買い物をして郵便局に立ち寄ると 利用者さんとばったり出会った。
「午前中の内に通院しようと思ってきたが 午前の受付が終わってしまってた」と帰られる所だったのだ。
今日も 午前中の通院をなさるという事だった。
金曜日の訪問は 30分繰り上がっているのでおのずと活動の終わりも早い。
月曜だって 間に合うのだけれど「あつい」と言われて着替えなさって居られたので遅くなったのだろう。

冷蔵庫をのぞくと物の見事に空だった。
昨日 ヘルパーさんに金平ゴボウを作って貰ったそうだ。
手早く作ってくださったそうだ。
冷蔵庫内にキンピラは影も形もなかった。

朝 何を召し上がったかとお聞きすると「サツマイモをチンした」という事だたが サツマイモを使った形跡はなくて ゼリーを食べられた後があった。他にもパンとかもあるのでそっちを召し上がったかもしれない。
果物も減っていない。
冷凍庫に保存したご飯は残りひとつだった。
好きなようにしていただくのが一番だ。
お魚も冷凍しておいたが それも綺麗になくなっていた。

今日もご飯を焚いた方が良さそう。
利用者さんにお聞きすると「御願いします」という事でお米を研いでスイッチを入れた。
ついでに野菜の残り物とお肉で煮物を作った。
トマトもカットして器に収めた。

「あの ちょっと見ていただけます?」とエアコンの前に行かれた。
「寒いので暖房を入れたけれど どうもよく判らない。説明書を読んで見たけれど…これでよいのかしら?」と言われた。
エアコンは床に置くタイプ。
「じゃ これを止めてみてください」と言うときちんと止められた。
が次にリモコンを持って「これで…」と言われる。
「ね!つかないでしょ」
「はい。エアコンの本体のスイッチを切ったらつきません。リモコンで操作するなら リモコンだけ使うようになさった方がいいですね」
本体のスイッチを入れてもらい 次にリモコン操作でON/OFFを操作してもらう。「ちゃんと出来ますね」「はい。これからはリモコンだけで操作しましょう」

こういうやり取りをしながら 利用者さんの今の状態を推し量った。
ここ数日はかなり冷え込んだし 久々にエアコンを使われたので使い方を忘れてしまったのだろう。

それから「お買い物に行きましょう」と誘う。
「えっ良いんですか?時間?」
「大丈夫です。近いほうに行けば時間内で済みます」
と言う訳で買い物に出かける。
必要な物を選んでもらいながら買い物を済ませた。

戻ってから 炊き上がったご飯を分けて冷凍庫に収め 副菜を再度煮て器に詰めて 買い物したものを冷蔵庫に収めて終了。

「通院なさるようでしたらご一緒に」という事で玄関を出た。
「診療所まで行きましょうか?」とお聞きすると「大丈夫」といわれたのでそこでお別れした。
実は今日も郵便局に用があるので かなり遠回りして郵便局に行った。
用が済んで 帰ろうとしたら目の前の信号を渡ろうとする利用者さんが見えた。足が少し悪いのでゆっくりなのだが…。
それにしても 遅い」。少し心配になったが 無事信号を渡られたので目に留まらないように別の道を使って帰ることにした。
ひょっとしたら 途中で知っている人と立ち話をなさったかも知れないので…これは来週にそれとなく伺ってみることにしよう。

夕方から 母の所に行く。
出かける用事もあったのだが 今日は母の誕生日でも有り 面会しないのはこちらの良心が痛むので…。精神衛生上 宜しくない。
母はお風呂に入ったようで綺麗だった。
それに とてもご機嫌。気になっていた排泄もあったようだし…。

そうそう ユメルちゃんが「お誕生日おめでとう」と言ってくれたそうだ。
職員は「そんなことも出来るのですね」と驚いて要らした。
目覚ましと同じでカレンダー機能がついているのだ。
お仲間からも「おめでとう」と言ってもらえた様子で 職員も声掛けしてくださったのだろう…。だから 今日はご機嫌なんだろうなぁ〜。

夕食は 施設と同じ建物内にある料理屋さんに行くことにした。
夕方からの外出だと母もいろいろ混乱するだろうと思ったから。
寿司の好きな母に アナゴ 中トロ ホタテ 雲丹を頼む。
大トロも好きなので入れようと思ったが メニューを見たら「生鰊の焼き魚」があったので そっちの方が良いだろうと判断し尾頭付きのお祝いにした。味噌汁もお茶もついた。
お店の人も母の事はご存知で…。「お誕生日なので…」と言うと皆さん次々に「おめでとう」と言いに来て下さった。
母はすこぶるご機嫌。
「90歳」と言うと「お若いですね」と言われ 母も「そんな…」と言いながら悪い気はしないようだ。幾つになっても「若い」と言われると良いんだなぁ〜。

こちらは 天麩羅もついたお寿司。これは定食でもある。
母には その天麩羅も分けた。切干大根も…。
全て完食。これだけ食欲が戻ってきて 鰊の塩焼きもほぐしてあげれば一人で骨を分けながら食べられるのだから…多少の介助が必要でも良しとしなくちゃ…。

今日はお祝いだから…と皆さんにイチゴを持参した。
職員の手を煩わせても…と思い 洗って食べやすいように切り器に盛り付け練乳をかけておいた。母の食べる量と同じくらい分けたら…「こんなに沢山食べられない」と言われる方も要らした。
皆さんは 夕食後食べられたが…。
母は戻ってから。
「こんなに沢山…」と言われる量のイチゴを母は食べ終えた。

もう少ししたら また家に泊める様に出来そうだ。


2006年03月30日(木) いよいよ始まるのでしょうが…。


 今さっき 介護仲間から電話があった。
夕方 ご主人が倒れたそうだ。
介護仲間には「いつでも遠慮なくSOS発信して」と伝えてあった。
勿論 在支の空いている時間だったら在支の職員が動いてくれるから…という事も伝えてあった。

倒れた時 2人では起せないかも…と思い 在支に先に電話したらケアマネ2名が直ぐに飛んできてくださり 救急と判断して搬送して頂いたそうだ。

搬送に関しては詳しくお聞きしてないが 罹り付けの病院は近くだ。
しかし ここには搬送されなかった。
電車に乗り更にバスに乗って行かなければならない様子だった。

お話したいことが溜まっている御様子だ。
様子をみて 一度有志のみで臨時の集いを開いてみた方が良さそうな気がする。

ご夫婦のみの世帯(ご家族は遠方に転勤中)
ご主人は意識もあり MRI検査CT検査でも今の所問題はないそうだ。
様子見のため 入院となったようだ。
心細い思いをなさってお出でだろう。

在支と言うのも今月限り そこも包括になる。

介護保険改正がいよいよ開始になるわけだが…。
我が家もいろいろ巻き込まれそうだ。
事業所の正式決定が昨日。
家族には未だ説明はない。
都合の良い日に…と今日言われた。
何だか 介護保険改正って何のためにやるんだっけ?
厚労省 地方自治体 事業所がそれぞれすり合わせて行くだけみたい。
利用者が置き去りにされているような気がしてくる。

地域密着型となりグループホームも所轄が変わる。
これを機会に…という事で グループホームの1ユニットを有料老人ホームに替えると昨日決まったようだ。

表面上は 今と変わらないという事だったが…。
こういう事がとても判り難い。

何故 グループホームから有料老人ホームに替えるのか…。
利用家族としては とても興味深々。
「内は施設の事業収支は赤字で 他の事業でこの赤字を埋めて成り立っています」と言うのが施設側のお話だ。
「ボランティア」と言いたげだが…。

これからの事業所は 小さい所が吸収されて大きな事業所が残って行く傾向にあるという話を耳にしたことがある。

いろいろ 考えさせる事が多い。
この際だから じっくりとこれからの母の事を考えてみようと思っている。

今日は 母の通院。
昨日の階段のぼりで こちらも気後れすることなくバスを使った。
ただ バスの運転手さんは 歩道から離れて停車したので折角のノンステップバスがワンステップバスとなった。
そういう事でバスに乗り込むと同時に母の両膝がカックンと曲がって床に座り込む形となった。
乗客の方が心配してすぐさま椅子を空けてくださった。
運転手さん?ミラー越しに様子を見たら 母を見るより介護者の私を見ていたわ。ちょっとねぇ〜迷惑だったかしら?


2006年03月29日(水) そ・そんな…!


サクラも日当たりの良い所は満開。
昨日 夕方から風が強くなり散ってしまわないだろうか…と気がかりとなっていた。

今朝 TBSラジオで「サクラは咲いてから1週間はどんなに強い風が吹いても持つのです。だから 開花は早かったとしても順繰りに咲いてきたのだから今散っているのは 先に咲いた部分だけです。風が強ければ 軸ごと落ちるんですよ」と言っていた。
そうか サクラ吹雪と言うものは 8分咲きから1週間後位?と安心した。

施設の昼食めがけて 施設に向かった。
昼食の準備が始まっていたので 先にトイレ誘導。
既に出てしまった後だったが 食事前に綺麗に出来てよかった。
昼食はミートローフとスープとパンとアセロラゼリーだった。
パンを千切ってあげたら自分で食べ始めた。
それでも ゆったりと食べていた。
私の持参したパンをトレードした。
昼食は完食。ココアやお茶も全量飲んでいた。

食後 居室に入り窓辺で話した。
駐車場に停車している車を数え始めた。7台まで自力で数えた。もう一列も7台で…。果たして母は どっちの列の車を数えたのだろう?
頭がボサボサで 鏡を見て笑っていた。
それから しきりに手櫛で整えていた。
少し寒いので下着を着足して 食べかすの付いてるカーディガンを厚手のブラウスに着替えさせた。
それから 持参した「練乳掛けのイチゴをの容器を空けたら 直ぐにスプーンを持って食べ始めた。
先日もそうだが大き目のイチゴが10粒。
それをぺろりと平らげた。

療法士さんの見える前に トイレ誘導。
これは 成功。

リハが始まり 少しウトウトしていた。
今日は「おかちゃん」と言う声が上がらない。
隣に座らせたプーさんのぬいぐるみを療法士さんと同じようにマッサージしていた。

リハが済んで 散歩に出た。
着込んで手袋もはめた。「寒い」と言いながら歩く意欲は満々で「大丈夫?」と聞くと「歩けるよ」と言う。
2キロに少し足りないくらい歩いて 大分疲れた様子で…施設の隣の中華屋さんに入った。
「ラーメンとソーメンとどっちが良い?」と聞いたら「ラーメン」と言ったのである。
何だか食べ物攻めにしているみたいだが…。
母の食べる量は私のラーメンの4分の1程度。
お店の人は心得ていて 言わなくとも小さな容器を出してくださる。
ここのお店のご主人のお父さんは93歳で在宅でお過ごしという事だ。
そういう事が心使いの元になっているようだった。

最初は 箸で遊んでいる風だったが麺を一口 口に運んであげたらその後は自力で食べていた。

食べ終えて 一回りして筑紫を摘んで戻り道の所で「う〜」と立ち止まった。「トイレ?」と聞くと頷くので 急いで施設に戻った。
が!!エレベーター点検中。
暫くエレベーターホールで「困ったね」とウロウロ。
すると 施設の建物の料理屋さん(施設の食事も作ってくださる)の職員が出ていらして「お店のを使ってください」と言ってくださり 助かった。

用を足して玄関に入ると未だ点検中。
技師さんがいらして作業している様子が見えた。
「あと14.5分かかります」と言う。

母もこれ以上外で過ごすのは無理そうなので…「階段上ろう」と誘った。
母の過ごす場所は4f。「大丈夫かな?」
これだけの階段を上れるか?骨折前なら何とかできていたが…。
今では10数段がやっとだ。
幸い母は 嫌がらなくて…。
きっと階段を使うしかないという事を理解していたと思うし 恐怖心も大分薄らいでいたと思う。
3階までは 手すりと介助の手で何とか上れたが ここで限界。
泣く事はなかったかが 3階の扉の前で立ち止まってしまった。
疲れた表情をしていた。
「おんぶするよ」と言って直ぐに母を背負う。
結構重く 階段を上れるかと不安になったが 何とか半分上った。
すると背中の母が「そんなに大変じゃないから…」と降りたそうな言葉を出した。しかし 次の階段に足をかけてしまったので「いいよ。大丈夫。動かないでよ」と声をかけて4階の踊り場で母を下ろした。
ドアを開けて中に入ると…母は玄関前のソファーに座り直ぐ身体を横たえた。よほど疲れたのだろう。
歩きに歩いて 階段を上ったもの…。
「頑張ったね」と言ったら「頑張ったぁ〜」だって。

職員に「ドアに鍵を御願いします」と伝えた。

「アッ そうだ エレーベーター点検中だったね。よく上って来たね」と母を褒めてくださった。

母には 大変なことだったけれど 私にしてみると階段を上らせるという事に踏ん切りがつかなくていたので 次のステップに上がる良いきっかけとなった。
これからは 我が家に泊められるだろう。
2階に上がる事も大丈夫そうだ。
バス利用も神経質にならないで良さそうだ。

直ぐにおやつとなった。
お腹いっぱいの筈なのに…ポテトチップとクッキー1枚が出たら…。
「これ 好きなのよ」と言って自分で食べ始めた。
聞き間違いではないかと耳を疑った。
こういう言葉使いは 全くしなくなっていたのだ。
食べれば「美味しい」と言うけれど「好きだ」と言う言葉は もう何年も聞いていなかった。

これに気を良くして 途中まで編みこんだ糸に鈎針を付けて渡した。
母は とても良い顔をしてそれを受け取った。
目に編み棒を入れて引く事はできた。それからまた糸を編み棒にかけて次の目に入れて…。そこから 先は出来ない。
棒編みを使う時のように 鈎針に目を溜め込んで行った。
良い事がいくつも続く筈はないね。
それでも 母の喜んだ表情に諦めないでまたチャレンジしてみようと思った。


2006年03月28日(火) 摘み草


 銀行に行って置かないと…と家を出た。
家の中には用事がいっぱい。でも 春うららのお天気に誘われて徒歩で…。

先日は 双眼鏡を持たずに残念な事になったので 今日は持参。

川べりに降りると我が家のある丘が見える。
芽吹きの季節で全体に白っぽい風景でとても柔らかな空気だ。
枯れた草と芽吹いたばかりの黄緑色の葉っぱ。

小鳥のさえずりが耳に心地よい。
鶯も鳴いていたし シジュウカラ 白セキレイ等の声が耳に届く。
カラスもうるさく鳴いていた。
大きな木の上にモヤモヤとした塊が見えた。
きっと鳥の巣だ。
木のてっぺんで親鳥が時折羽を広げたりしていた。
大きさや色からカラスだろう。。。
近くまで行って見上げると 木の枝を編みこんだような綺麗な巣だった。中には白い荷作り紐も見えた。クチバシで作り上げたのだろうな。
巣から飛び出す気配がないので 卵を温めているのだろう。。

ゴミ回収の日はこのカラスたちに頭を悩まされるのだが…。
こうやって卵をかえしている姿を見ると 疎んずる気持ちは消えてしまう。

川べりには 釣り人が増えた。
この数年で川の流れが変わって 釣り人の定点がなくなっていたが…。
流れが落ち着いたのだろう…釣り人が釣り糸を垂れる場所が決まってきたようだ。
母とお散歩していた頃と比べると30メートル程下流になったようだ。

水辺近くの浅瀬には 緑が広がっていた。
土手をおりて水辺近くまで行ってみると…せりが群れている場所を見つけた。他にないかと見渡したが その場所だけだった。
屈みこんでせりを少し摘む。
未だ小さいのでとても柔らかだ。
手のひらにこんもりする程度だけ摘ませて貰った。

鴨の姿も少なくなってカルガモの姿のみである。
川面がピシャンと動いた。きっと鯉が撥ねているのだろう。

この当りを歩く母は 明るい表情が多かったな。
故郷の川と比べて「広いねぇ〜」とよく言っていた。
休日に子供たちが遊んでいると更に機嫌が良くなったなぁ〜。
そういえば この土手では 決まって出会う人がいて…。
軽い脳梗塞を起したから予防のため…と手押し車を押す人。
同じデイに通っていた人でご主人が両手を引いて歩かれていたなぁ〜。
もう1人のデイのお仲間とは 幾度か一緒に歩いたなぁ〜。
水辺近くに腰を下ろして一緒におやつを食べたりしたんだなぁ〜。
 
トコトコ歩き続けると…。
見た事のない草を見つけた。
デジカメは持参していないので…携帯のカメラにシャキーンとおさめた。

更に進むと鼻がつ〜んとしてきた。
ここは 母がよくストライキを起した場所だ。
座り込んで川面を睨みながら一歩も動かなくて…植え込みの陰に隠れてどうするかと見守ったけれど 1時間以上動かなくて陽も傾き始め「寒いから帰ろうよ」と言って家路に着いた事が幾度もあった。
あの時が 母も私も一番辛かった時期だ。
きっと 母のためと称して無理を押し付けていたんだ。
今なら自分自身の理解不足と認められるけれど あの時は薄々わかっていても認めたくなかったのだと思う。

しかし どうして 機嫌が良くなる場所と悪くなる場所が決まっていたんだろう。。。
きっと 機嫌が悪くなる時は無難に歩ける所を選んでいたからなのだろう。この場所は 長く歩かなくとも河川敷に来れる場所だもの。
それと人工的に作られた公園と言うせいもあったのだろうか?

この手前では 草むらから急に雉が飛び立ったり カッコウが鳴いたりしたんだな?
川の流れが変わって 雉の声もカッコウの声も聞けないな。
ひょっとしたら 時間が合わないだけでちゃんと鳴いているのかな?

水際で遊ぶ おばあちゃんと子供の姿が目に入ってきた。
石ころを拾っては 川面に投げる。
おばあちゃんが なにやら説明している。
2人で交互に投げていた。
帰省した折 父や母が孫と遊んだ風景と重ね合わせてみた。
父はなく 母は言葉を忘れ 娘はすっかり大きくなってしまって…。
随分といろんな時間を重ねて今日まで繋がっているんだなと思った。

折角双眼鏡を持って来たのに…バードウォッチングはできず 対岸のさくらを眺めるくらいだった。そんなもんなんだな。

銀行の用事も済んで 電車で戻った。
電車は速いわっ!


2006年03月27日(月) 思い出せたね♪


利用者さん訪問。
金曜日の訪問の帰り際に カットバンの使用済みの袋が7.8個ゴミ箱に入っており驚いた。
「何処か 怪我でも?」とお聞きすると「指をちょっと。大した事はないのだけれど…痛みが続くので…」と言われた。見ると左手の人差し指にカットバンがクルクル巻いてあった。気が付かなかった事を反省。
帰り際で 通院なさるという事だったので「痛みが 止まないようでしたら
化膿しているという事も有りますから 見て貰った方がいいですよ」と伝えた。

「金曜日に『見てもらった方が良い』と言われたので 見て頂いたら…ばい菌が入っていたそうで…消毒薬を頂きました。言って貰って 良かったです」とお話くださった。
大事に到らなくて 本当に良かったと思った。

その後もお話は続いた。
深刻なお話しでなかったので 鉢植えに水をやったり 軽く調理したりしながら耳を傾けた。
話しの後半で「生きがいデイに行った方が良いでしょうかね」と聞かれた。
妹さんが見えて以来 大分落ち着いて見えたが…本来の姿に戻っていない。
今朝も 玄関にスリッパが3足揃っていた。
来週の月曜が介護保険の面会調査の日なのだが その日と勘違いなさってお出でだった。

さり気無く「おいでになるのは 来週の月曜でしたよね」と向けたら 暫く
飲み込めなくて…。「4月3日が来る日」と言いながら 「今日が4月3日」と言われる。
「今日は 3月の最終月曜日でしたよね。あれ 私間違ってしまったかな?新聞見てください」と言うと 新聞を見ないうちに「アッそうだわ。未だ3月だったわ。また 間違えてしまった」と言われた。
「私も日を勘違いしますから…。気になさらない事ですよ。間違った事だけに囚われてしまうとゴチャゴチャしてきますから…」とお話したのだった。

生きがいデイの話しに戻るが…。
「皆に心配かけるから…。何か起きたかといろいろ聞かれるだろうし…。出かけるのが億劫になってしまうのです」と言うのだった。
「そうですね。皆さん 心配なさってくださいます物ね。でも 別に 『ちょっと体調が優れなかったけれど もう大丈夫なんです』と言って 詳しいお話はしなくともいいんじゃないですか?」
「それも そうね。家族も同じように言っていてね。出ていた方が良いというのですよ」
「そうですね。毎日 同じ様な事をして過ごすより 違う経験を積む事で 頭を刺激して 良いそうですよ。でも どうしても行きたくないなら 行かないで置く事も良いですが…」と伝えると…。
「行って見たほうが良いわね」と言われて みんなにお茶菓子を買いたいという事になって 買い物同行させて頂く。
買い物を済ませたら「これで ようやく踏ん切りがついたわ。篭る事を断ち切ったわ」と言われた。

お買い物の時もメモ以外の物にも目を配られるようになって 踏ん切りが着いて良かったと感じた。
茹でた小松菜が其の儘冷蔵庫に入っていたので「調理しておきましょうか?」とお聞きしたら「それ位は 自分でしなくちゃ」と前向きなお話をなさった。

2品ほど調理して 今日の活動を終えた。

家に戻ってから 母の所に出かけた。
今日は イチゴの練乳かけとケーキとお茶を持参。
母は ソファーに傾きながら座っていた。
居室に誘導する時「重たいね」と言う。
「誰が?」と聞くと「何だか 重たい」と言うだけだった。
歩き出すと「あなたが とても良いものをプレゼントしてくれて…」と突然に言う。それも2度。
プレゼント?何だろう? 思い当たる事は何もなくて…。
ひょとしたら 誕生日のお花かな?テーブルに飾ってあったしなぁ〜。

居室に入って トイレに誘導。
既に濡れてしまっていて「わぁ〜っ」と泣いた。それでも 残る分は排尿できた。
お尻を拭こうとしたら どうも大がおりてきている感じだったので「出る?」と聞くと「うん」と言う返事。
再度 頑張って貰って 時間をかけて 息む苦労を重ねて ようやく排出できた。

「良かったね」と言ったが あまりピンと来ない様子だった。

散歩に出た。
歩く事は楽しそうで…出来る限り母の力で歩行出来るように片手でそうっと手を引いていた。
すると 不安な様子で掴まる手を右手に変えてがっちり掴んでくる。
母の意志を尊重しながら 散歩を続けた。
山登りもチャレンジ。
今日はちょっと欲が出て 更に遠い公園まで出かけてみた。
「さくら 咲いたよ」と言うと見上げていた。「さくらね」と…。

公園では子供たちが遊んでいた。
「誰かいる」「そうね お母さんと子供たちね」
「あっちにも…」
「そうね 誰かお散歩しているね」
「誰か 判らない」
「そうね 知らない人みたいよ」
ベンチが見えてきたら「ここに座る」と言う。
ベンチが低かったので 両手で腰を支えて座って貰おうとすると…。
「何するの?」と聞いてきた。
「あれ 座るって…」
「そうだ。座るっていったね」
 …お〜思い出せたね…

腰を下ろした所で イチゴの入ったタッパーを取り出しスプーンを渡すとすぐさまイチゴを食べ始めた。
母は イチゴの練乳かけが大好き。だから タップりと練乳をかけておいた。粒で食べるとミルクだけ残ってしまいそうだったので イチゴが残り4個になった時グニュとイチゴをつぶしてあげた。
更に美味しそうにイチゴを救って食べて イチゴの汁の広がったミルクも飲んですっからかんになった。
その後ドライケーキを食べ お茶を400�娑�んで貰った。

突然 
「オカクイラ いやだ」と言う。
時折 こういう理解できない単語が飛び出す。
母には 意味が有って言うのだろうが…こちらは理解できない。
いつもわからない単語を記憶しておこうと思うのだが… 存在しない単語だから 直ぐに忘れてしまって…。
今日は しっかりメモをとった。
結局 この単語の意味は解明できず。

風が冷たいので早々に公園を後にした。
「今日も良く頑張って 偉かったね」と言うと…。
「ただ 歩いたのに…」と返答してきた。
久しぶりに聞く謙遜語だ。

駐車場で 夜勤の職員と出合った。

職員の顔を見るとニコニコしていた。
職員も母に話しかけてくださり 一緒に施設内に入った。

施設では おやつを準備してくださりアイスクリームを頂く。


2006年03月26日(日) あるブログから…


少し前 偶然に見つけたページ。
認知症の方のブログ。
母の思いを探るように 毎日寄らせて頂いている。

今日 こんな言葉を見つけた。

>脳の空いたところに
「遊びこころ」
という名の代替物を入れておきたい
とこの頃思うようになりました。

これは その前の日。

>私は、何かいわれても………
言われた意味が理解できなくて………
話し手の顔をじっと見る………
ということが………
何度もあります。

母も何か言われても返答できない事や 意味のつかめない言葉を返してくる事がある。
何かを言おうとしてじっと考える事もある。
ゆっくりと大きな声でそれも出来る限り 主語述語位の会話なのだが…。

記憶を留めて置く事は難しいと思っていたが…。
最近の母を見ていると記憶に留めて置く事が出来る部分もあると感じる。
例えば 人の顔もそうだ。

しかし 毎日過ごしている居室を自分の部屋とわからなくなる時がある。
そういう状態の時でも「自分の部屋に行って」というとテクテクと自分の部屋に入ったりする。
居室前には 表札ならぬネームプレートがかけてあるけれど…。
それを見なくとも 判るようなのだ。

切れ掛かった電球…そんな状態なのだろうと想像している。

また「脳の空いた所に…」は 母は意識しないまでも 時折飛び出す冗談…を聞き 母の脳の空間に遊び心が詰まっているかも知れないと思う。
散歩の折や人形に向き合う時に見せる仕草は そういった遊び心の存在を思わせる…。

認知症の方のブログを読ませて戴いて そんなことを感じた。

今日は 娘の誕生日。
渋い顔をして 出かけていった。
行き先は 松本。出張である。

「誕生日のお祝いの支度は要らない。帰って 誕生日だと思い出すと腹が立ってくるから…。今日は誕生日じゃないんだよ」と言って出て行ったのだ。

誕生日の出張が嫌と言うよりも 意味のない出張に腹が立っているようだったが…。

言われた通り 誕生日のお祝いは準備しなかった。
「蕎麦」を土産に帰宅した娘。
蕎麦好きで 故郷の蕎麦しか信じない私だが…。
初めて 故郷以外で「おいしい」と思えた蕎麦だった。


2006年03月25日(土) 冷たかった風


 母は テーブルにユメルちゃんを置いて向き合って座っていた。
母がユメルちゃんを連れては行けないだろうから…職員が置いて下さったのだろう。
居室に誘導する時「この人形 どうすればいい?」と言った母。
母は ユメルちゃんを人形と言うけれど 実際は それよりもう少し深い関係みたいなような気がする。

右手にユメルちゃんを抱かせて 左手介助で居室へ移動。
母は 今にも涙が零れそうな表情だ。
「何だか知らないけれど…涙が零れそう」と目をウルウルさせた。
「哀しかったの?」と聞くと首を横に振る。
「寂しかったの?」と聞くと頷いた。

洗濯物を収納し歯磨き洗面整髪を済ませた。
埃が目立ったので 居室を軽く掃除。
床にかがみこんで作業していたら「冷たいでしょ」と母は声をかけてきた。
「そんな事ないよ」と言うと 詩の書いてある紙を丁寧に折り曲げて セーターの中にしまいこんだ。
そして セーターの上から撫でている。

ホールで「おやつ」の気配。
母が1人でホールの方に向かって歩き始めた。
壁を伝いながらだ…。それでも 1人で歩けるっていい事だ。
その後どうするかと様子を見ていると ぬいぐるみ達を暫く眺め 今度は居室のぬいぐるみを見て「いっぱい」と居室のぬいぐるみに向かって歩き出す。やっぱり壁を伝いながら…。

居室の椅子に座ると ユメルちゃんがおしゃべりして目をパッチリ開けた。それをみて「寝ぼけ眼から覚めたみたい」と言う。
ユメルちゃんは 半まぶたをしている時があるのでそういうらしい。

メーカーさんに聞いたのだが ユメルちゃんは 抱き上げたり触れたりする環境だとおしゃべりも多くなるそうだ。
時折触れる程度だと眠っている事が多くなるそうだ。
おしゃべりの加減は その環境によって変わってくるようである。
母のユメルちゃんは 比較的おとなしい。

再びホールに出向き みんなとおやつを食べた。
ちょこっと みんなと遊んだ後 散歩に連れ出した。
裏手の公園。
大山 小山を上り下りした。
「上る?」と聞くと躊躇うことなく「上る」と言い 介助は私の手のひらの上に母の手を置く程度。
それでゆっくり登り始めた。
少し急なところで 後ろに後退しそうになったので ギュッと手を握って下がるのを止めた。
それから また上がった。
つらそうな表情はなかった。しかし 時折吹く風が寒くて…。
「帰ろうか?」と聞くと「帰ろうか」と言ったので施設に戻った。

今日の排泄 3回誘導失敗ゼロ。内2回は「出る?」と聞くと「出る」という事で半自発かな?
オムツの減りが 遅くなった。いつも途中で購入が必須だったのに…。
夜間は施設でパンツ式でないものを使っているせいも有るだろうが 面会の間は 失敗ゼロなのでパットを汚さずに済んでいるのだ。


2006年03月24日(金) 目標は少し上


 利用者さん訪問。
今朝はパタパタして 時間ギリギリに滑り込んだ。
利用者さんは 朝食の後片付けは未だで のんびりとくつろがれてお出でだった。今朝もしっかり調理なさったようである。
葉ものを茹でて置いた物も綺麗になくなっていたので 訪問のない日にも調理なさった様子だった。
少しずつ 元に戻りつつあるようである。

話しこむ時間も大分減った。
作って欲しい料理も希望されるようになった。

お話に寄ると 毎日整形外科に治療に行かれているようで プールはお休みなさっている様子。
「足の浮腫みも改善された」と言うけれど 治療のせいなのだろうか?

利用者さんが しみじみと言われた事は…。
「自分が出来ない事が増えてくると 言われた事も素直に聞けなくなるし 自分がとても惨めに思えてきて 何もやる気がしなくなってしまう。怒りっぽくもなってくる」だそうだ。
元気を取り戻しつつあるから そういった事もお話できるのだと感じた。

実は数日前 TBSラジオのおとなの時間割水曜日「中嶋常幸のティーグラウンドへようこそ!」 でゲストの森本毅朗と対談で 興味深いことを話していた。私はゴルフの趣味はないけれど…。
「年を重ねてくると 若い頃できていた事が出来なくなってきて 愕然とし何とか元に戻ろうと本を読んだりしていろいろ学ぶが ちっとも上達しなくなる…これはどう克服すべきでしょうね」といったような事を中島氏に質問していた。
その時の中島氏の答えが 
「長い経験から 一番出来た頃に戻す事は困難。そうする事で這い上がれなくなってしまうので 今より少し上に目標をおいて頑張れば良い。現状維持と言うより 少し上が妥当で そこで頑張る目標を立てる事がコツで 達成感もでて弾みがついてくる…」みたいなことを話された。

「これは ゴルフだけの話じゃないな」と感じて利用者さんにお話した。
ゴルフの中島氏の言葉として…。

私自身もいろんな事で年齢を感じる時がある。
自分の生活の中でも必要なことである。。

利用者さん 午前の治療を受けたいという事で 一緒に外に出て活動を終了。買い物同行も出来て 調理もして…少しだけ時間オーバー。
でも時間オーバーが短くなってきているので ホッとしている。

午後は会議のため電車に乗って出かけた。


2006年03月23日(木) 贅沢なプレゼント


 母の所に出向く。伝えなければならない事があった。
母はソファーに座っていた。
私と視線が合うとニコニコする。
あまり 良いお話でないので直ぐに話すのは躊躇われた。

「トイレ行く?」と聞くと「行く」と言うので誘導した。
既に出てしまった後で空振りかと思ったが トイレに座ってもらったらちゃんと排泄できた。
濡れた感覚がない様子だった。きっと 大分感覚が空いたのだろうと感じた。それでも 排尿の感覚は確かにある様子だ。
昨日 空振りに終わった大だが…。今日は 何とか誘導に成功した。
大分おりてきているようで ガスも溜まって痛みが有るようで トイレで泣き出した。一度目の排泄が済んで立ち上がって貰ったが 泣き止まないし「出る?」と聞くと「出る」と返事するので 更に頑張ってもらった。
泣きながら 途中いきんだりして 何とか排泄が出来た。

それから手洗い 歯磨き。
そして お散歩に誘った。
今日は時間がないので 直ぐ裏手にある公園に出た。
小山の前に行き「上ろう」と言うと「ここを上るのか?」と拒否をしたそうに聞いてきた。
「そうだよ。頑張って上ろう」と声をかけて登り始めた。
出来る限り 母の力で上れるように傾かないための補助だけにした。
途中 止まりそうになったり後ろに下がりそうになったりした。
そういう時は ちょっとだけ引いてあげた。
上り終えて「高いよね」と言うと「うん」
「偉かったね」と言うと「うん」
それから ゆっくり降りて大きな石に腰を下ろしてお茶とおやつを食べて貰った。

桜の蕾がピンクになっているので「ホラ もう直ぐ咲くね」と言うと 「桜だね」と同意した。
飛行機雲が一直線に伸びていたので「ほら 飛行機雲動いているね」と言うとまた 空を見上げて「ほんとだ」と返事した。

落ち着いた頃を見計らって 母の親友のご主人が亡くなったことを伝えた。
「死んだの?」と絶句。
「葬儀があるけれど どうする?」と聞くとジッと考え込む。
そして 視線を通行する人に向け「アッ あれ」と話しだす。
いくら話してもそうだった。
亡くなった事 葬儀に行く事をそれぞれ理解してもつながってないようだ。
おそらく これが認知症独特の症状なのだろう。
母の心に亡くなった哀しみはきちんと湧いている。その事を改めて感じた。

母には「葬儀に参列したかったら 私が着いていくから…」と話してある。
葬儀は ひと月後である。

公園から遠回りして帰り トイレ誘導してから施設を後にした。

夜 新日フィルの定期演奏会に1人で出かけた。
娘がチケットをくれたのだ。
久々に一人身で楽しむ。響くものがあった。
癖になっても 母の事が有るので そう度々行ける所ではないけれど…。
贅沢な時間を過ごさせて貰った。娘よ また 声をかけてね♪ 有難う♪

溜池山王駅を降りて サントリーホールまで裏手を通って行った。
桜坂を登ったのだ。
3分咲きの夜桜を行きも帰りも眺めた。
これも ちょっと普段できないことだ。

帰路の電車は 会社帰りの人たちで偉く混雑していた。
ちょっと横はいりされて立ち通しだったけれど 腹も立たない。
贅沢した後の余韻かな?


2006年03月22日(水) 排泄の訴え


午前中 畑に出かけた。
先日 ルッコラと大根の種を蒔いたので水遣りしようと思った。
それに じゃが芋だって お彼岸が過ぎたので植えつけなければ…。

さてと…。何処に種蒔いたかな?
先日の種まきで印をつけようと思ったが「これ位 忘れたりしないだろう…」と止めたのだった。
しかし 馬鹿に出来ない物だと思う。
暫く 畑を睨めながら記憶を辿る。
じゃが芋を植えるのに連作にならないように…と考慮した筈だ。
ナスやトマトも連作は駄目だった。
だから じゃが芋・トマト・茄子の場所を避けたはずだ。
そうやって消去しながら ようやく思い出せた。

「さてと今度はじゃが芋。何処に植えよう?」
時計を見ると母の所に行く時間が迫ってきていたので 今日は諦めた。

母は みんなとテーブルを囲んでいた。
ニコニコと機嫌が良い。
立って貰おうと手を出したが 言葉や意思が伝わらない。
他の方と少しお話して 再度手を出すとようやく通じた。
居室に入ると「便所」といったのでトイレ誘導。成功。
それから 手洗いして歯磨きして…。
今日は 特に指示だししないのに 手洗いも手首までしっかり洗えた。
手洗いをしっかり出来る日は 大概の場合ふらつきがない日のような気がしている。ぶくぶくと口も漱いで 洗面台から外れることなく出せた。

しかし 今日の母の会話は「?」
単語から 関連事項を探し出しイメージする事が多いのだが…そのヒントとなる言葉が遠くて遠くて…自分の頭の訓練になった。

リハビリを受けている間は時折ウトウトするが直ぐに目覚めるし…足の訓練時は少し痛がった。昨日の歩行の影響だろうか?

リハが済んで「外に出かける?」と聞いてみたら即座に「出かける」と言う返事。支度して出た。
身なりを整えると言う気持ちは 十分で帽子を直したりスカーフを直したりしていた。
「行ってきます」と挨拶を済ませてエレベーターホールに出た時「便所 おしっこ」と言い出す。
「トイレに行くの?」と聞きなおすと「大至急」と言うではないか…。
トイレ誘導から1時間を経過していないので 半信半疑だった。
それでも 訴えを信じて大急ぎで居室に戻ってトイレに入った。
ちゃんと出た。母の訴えは 本物だった。

とにかく驚いた。感覚が戻ってきているのだ。
訴える事が出来る…。
これまでは こちらで時間を読んで排泄誘導し 失敗のないようにしてきたのだが…。それでも出た後という事が当たり前だったのに…。
「母が言いだすきっかけを待っていなかったかな」と記憶を辿ってみるが…。そういう事でもないような気がする。
トイレの場所が認識できなくなってから 言葉も減りトイレの訴えも消えてしまっていた。
お正月に我が家にいる時 失敗している時にトイレに行くのを非常に嫌がり泣く事が多いような気がした。
だから 出来る限り早めに誘導した。

言葉が出ないことも母は とても気にして入るように見えたので「ちゃんと判るよ」と言葉をかけるように努めてきた。
その度にポロポロ涙を零している母。いまだに それは続いている。

その事と今回の事とは無縁ではなさそうだと感じている。

トイレで用を足した後 再び外出。
風が少し出て 寒がったので 風の当たらない場所を選びながらお散歩。
戻ろうとしたが「未だ」と言うので 更に歩きお決まりのファミレスに入った。大学生でごった返しているお店の中 落ち着きなさそうにキョトキョトし始めた。携帯を取り出して昨日の映像等を見せて落ち着かせた。

お野菜や寒天を食べて貰った。
おなかを中程度に満たして 外に出た。

遠回りして 施設に戻ったが戻る途中とても嫌がった。
排便か…それとも我が家に行きたいのか…判断が付かなかった。

戻っても機嫌は悪かった。
トイレで暫く頑張ったがポロッと出るぐらいで ちょっとやそっとでは出ない状態。今晩でも出てくれば良いのだが…。
 
夕方から 出かける所があって 母に最後まで付き合って上げられなかった。


2006年03月21日(火) 大冒険?


今年 2度目の観梅に出かけた。
タクシーを呼んで向かった。
今日は タクシーを降りた時 梅園のガードマンの人が降車を助けてくださった。
入り口の関所(階段)。
母は 躊躇うことなく上ろうとした。
一段ずつ両足を揃えながら上った。
祭日で混雑していたけれど 誰の手助けも借りずに上れた。
相変わらず両手で支える形での介助である。

前回と同じコースで上った。
坂がきついのと人が大勢出ているので 母は途中嫌気がさしたみたいだ。
「歩ける?」と聞くと「歩ける」と言うので 茶屋のある所まで休息せずに上りきった。
上では 篠笛の発表会で人が溢れかえっていた。子供たちは座り込んでいて道を塞いでいた。
すると 高齢の方が「ほら 道を塞いだら通れないでしょ」と子供に向かって注意してくださった。
急いでいる訳でもなかったのだが 何しろ母が疲れていたので助かった。
母の歩く様子にきがついて 席を譲って下さろうとしたが お礼だけ伝えて空いている席に進んだ。

今日は 故郷なまりが聞けそうだ。
おじさんのお店の前に陣取り 方言で話しかけた。
叔父さん 最初は母の様子にショックを受けたようで話す言葉もぎこちなかった。

テーブルに 持参したお稲荷さんを広げた。
全部で8個。
2個は昨日のたけのこご飯の残りを詰めた。
後の6個は 春を装ってビーツを摩り下ろしてお酢とみりんと塩を混ぜ 庭に芽吹いたウコギを茹でて刻んだ。
ビーツ入りのお酢とご飯を混ぜ合わせ ご飯をピンクに染めてウコギと胡麻を混ぜた。  2食の稲荷寿司なのだ。
先日 いなり寿司を作った時の残りの揚げを冷凍保存していて良かったわ。
茶店で暖かい汁物を購入した。
母が最初に選んだのは たけのこご飯の稲荷だった。
口に お寿司を運ぶとモグモグ。
予想以上に母は 食べた。
「もう良いかな?」と聞くと「未だ」と言うほどだった。
これも昨日の残りだが 長いも 南瓜 クワイ の素揚げもしっかり食べた。
穏やかなお天気で ブレザーを脱ぎ椅子の背にかけたら 母も上着を脱ごうとしたので 母の上着も脱がせた。

おなかが満たされた頃 叔父さんが話しかけてきた。
「お母さんだよね。いくつ?」「90歳」
「俺の親も93歳まで頑張ったんだよ。あんた よくここまで連れて来たね」と言われた。
「おじさんと方言で話して欲しかったから…」と言うと笑っていらした。

そろそろ潮時かと 中ほどまで降りて…一休みした。
チョコチョコとデジカメを取り出して撮影。
「じゃ 帰ろうか?」と声をかけたら「まだ」と言い梅を見上げた。
通り過ぎる子供の姿に目を細めて「見なさい」と言ったり…。

入園してから出るまで…2時間ちょっと。

これからが今日の大冒険である。
梅園の外に出た時「タクシーに乗る?」と聞いてみた。首を横に振る母。
「歩ける?」「歩けるよ」と言うので…。
45度傾斜の長い坂道を二人で降り始めた。
両手を介助し右腕で母の胸を支えて…テク テク テクとゆっくり。
元気な人だって 大変な坂道だ。「ちょっと無謀かな」と思いながら…。

認知症でも 未だ十分に歩けた頃 幾度かはここまで足を運んだ。
それも バスとかタクシーとか使わずに 家から歩いていた。
お嫁さんが来た時も 母を連れてここに連れてきて貰った。
この坂を上ったのである。
確か80歳の頃の話しだ。
母は ここに来た記憶は もう残っていないと思うが…。

坂の中ほどで休息していると「あら 頑張っているわぁ〜」と言う声がした。その中のお1人が「年よりは 嫌だろう」と言われた。
母が疲れ始めている頃だったので 私の顔に斜線が入った。
「リハビリみたいな物ですから…」と言うと「そうよね。それは大切だわ…」とお連れの方の声。。。

「歩けるかなぁ〜」と聞くと顔に斜線が入り始めた母が「あるける」と言ってくれた。これは もう 私に向けた励ましの言葉でも有った。
「あんたのために頑張る」というメッセージ。。。

数回休んでようやく平地に降り 大冒険もようやく終了。

平地になったら 見る見る足取りが重くなってきた。
きっと 排泄だろうと想像していた。
梅園のトイレは 母には使えそうにないので仕方ないのだが…。

大きな通りまで出れば タクシーも流しているだろう…と思い ひと頑張りしてもらった。
タクシーを捕まえてようやくホッとした。
施設の前で下ろして貰ったが…。
このタクシーは 椅子が回転するタイプだった。
降りるのは 本当に楽だった。

タクシーを降りた後も母の足取りは とても重く言葉すら出て来なくなった。玄関をくぐって 職員が出迎えてくださった。
椅子に腰を下ろした後暫くは 動く事すら嫌と言うほどだった。
耳元で「よく頑張ったね。有難う。大変だったね」と言うと記憶に有るようにコックリ頷いた。

居室のトイレに誘導。少し濡れていたが 残りはトイレに排泄できた。
手洗いうがい後 椅子に座って貰った。
母の額に汗が滲んでた。
デジカメや携帯の映像を見て「行って来たね。疲れたでしょ」と言ったら 母も外出を覚えているようだった。

着替えてから お茶で水分を補給した。
コップに数杯。
梅園の中でも 叔父さんが「お茶 いっぱい飲むね。それが一番だよ」と言うくらい水分補給をしていたのに…。

一休みしたら 母は元気を取り戻した。
ホールのソファーに移動して テレビでWBC観戦。
梅園に来ていた人の中には ラジオを聴いている人もおり 日本がリードという話しが聴こえていて タクシーの中では「追いつかれそうになっていたのにまた得点した…」と途中経過を聞いていた。
それが…9回の裏2アウトで2ストライクになり ここで職員も野球観戦。
いや「いよいよ 優勝の瞬間ですよ」と職員に伝えて 仕事を中断させてしまったのだ。
この数秒後 優勝決定!!! 職員・入所者共に「わぁ〜い!」と言う歓声が上がった。

職員は直ぐ仕事に戻り その後少し遅めのおやつをみんなで頂く。
おやつが済んで 母もまたテレビに視線を移したので 施設を後にした。

今日は とても穏やかなお天気で 外出するのに気持ち良いお天気だった。


2006年03月20日(月) 診断書


 利用者さん訪問
お元気を取り戻された感じがした。
まだ お料理をなさった形跡は見られなかった。
ご家族がお惣菜を運ばれた御様子だった。
2家族がお見えになり 少しホッとなさったのだろうと思う。
ご家族も いろんな事があって心配なさったと思うけれど 胸を撫で下ろされた事だろう。

土日のお話を伺ってから「通院介助」を御願いされた。
支度に時間が掛るので その間に残っている卵をゆで卵を作った。

利用者さんの外出は1週間ぶり。
足取りはしっかりしてお出でで 速度も普通だった。
「心配ないですね」と伝えると「そうですか…安心しました」と言われた。
罹り付けの医師の所に行くのだが 利用者さんは 家の中で話す事を繰り返し練習なさって居られた。
この1週間で 大分自信をなくされたのだあらためて感じた。

診察室に入った利用者さんと医師とのやり取りが少し聴こえた。
いきなり「最近 物忘れないですか?」と切り出ていた。
「えっ え〜」と驚いた。
後の方で「痴呆が…」という言葉も聴こえてきた。
鬱の問診をする風でもなかった。

診察を終えた利用者さんのお話では「書類が揃っていましたわ。痴呆があるかないかで介護保険の審査が違って来るって言っていました。介護保険の1か2にするようですよ」と言うことだった。
罹り付けの医師は 内科医である。

何だかとても不思議な感覚がした。
こういう方法もあるのか…と言う感じだ。

介護保険の事をよく理解していない利用者さんなので こういう手順なのだろうか?

誕生月検診で 認知症の早期診断を計る(鬱状態をみると言う形で)と言われているわが町で もう来月から開始されるというけれど…。
こんな感じなのだろうか?

これで 認知症の早期発見から精神科の通院までうまくつながるのだろうか?

通院帰りに お買い物に同行した。
この所 買い物依存度が上がってきている。
さてと 利用者さんの自信を取り戻す方策を考えなくては…。

少しの副菜もあったので 塩分控えめの浅漬けを作った。
キャベツとかぶときゅうりと人参としょうがを使った。
後は はまちの半分をお刺身に 後半分を塩焼きできるようにして冷凍庫に収め お米を研いでタイマーを入れた。

金曜日まで 更に快復なさることを願いながら 利用者さん宅を後にした。


2006年03月19日(日) 優勝出来ればいいですね♪

 昨日は 眩暈が止まらなくて閉口したのに…。
今日は 平気。 自分の中に いろいろプレッシャーがあったのでしょう。

娘がポラロイドカメラで撮った写真を弟に送ろうと思った。
写真だけ送るという事が出来ない性格なので 手紙を書き始めた。

書いていると ついつい余計な事まで書いてしまい 書き直しを繰り返す。
ようやく 差し障りのない文面に仕上がり 書き損じを丸めていたら…。
捨ててはいけない物まで丸めてしまった。
急いで手で延ばしたけれど…。綺麗に伸びない。
苦肉の策…アイロンを掛けて延ばした。
それでも 皺が線になって残っていた。でも書き直しは面倒だから…それを封筒に入れた。

あ〜思い返せば 認知症の始まったばかりの頃 うまく描けないと折角描いた絵をクチャクチャに丸める母で「これで良いんだよ」と腹立ち紛れにアイロン掛けて伸ばし 再度母に渡したたなぁ〜。
あの時の母の悔しそうな顔。。。
こちらの思いの押し付け…随分あったなぁ〜。

思い通りに出来ないって 不自由だったのだろうな。

宛名書きを済ませた頃 韓国戦の野球が始まった。
ラジオで聴いているうちに 映像を見たくなってテレビの前に移動。洗濯物を畳んだりお掃除しながら観戦。
スポーツ観戦は嫌いじゃないが 母の介護をきっかけにテレビから遠ざかってしまっていた。勿論 球状まで出向くなんて全くなくなった。

6回までは 松中がヒットを打ち2塁まで進み ベースをバシッと叩く姿に いろんな思いが篭っているんだろうと感じた。
試合を見ながら 選手の人となりが見えてきた。
冬の間 ずっと上原のラジオ番組を聴いていたせいなのか「がんばれ」と応援していた。特に上原が好きと言う訳ではないが…。
幾度も耳に入っていたけれど イチローのストイックさを映像を見てあらためて知る。

転がり込んだ準決勝進出。その機会を逃がさないでよ…という応援のスタンスだ。
7回の表で「決勝まで進みそうだ」と言う予感が生まれて 力を抜いて観戦できた。

先ずは おめでとうございます♪
決勝戦…優勝できたら良いですねぇ〜。


今朝の朝日新聞に「認知症 どう支える?」という記事が出ていた。
家で過ごす人に対しての施設側の提供するサービスの量の少なさ。
問題の行動のある人の通所やショートの問題は解決の道は 直ぐに開きそうな気配はない。
また地域で長く暮らすための 住民協力も育っていない。
記事を読みながら 小さな事業所は大きな事業所に吸収されていくのではないかと漠然とした不安が過ってきた。

新聞だと思うのだが 救急車の搬送についての記事を読んだのだ。
救急病院の体制について書かれた記事だった。
どうしても思い出せないので 後日に廻します。
家で介護する時にとても重要になる救急の搬送なので きちんと把握しておかないとと思う。


2006年03月18日(土) 卒寿を祝う会


グループホームのお誕生会。
母の洋服が昼前に届いた。ギリギリセーフだ。
弟は「ろくな服がないよ」と言っていた。
確かに こちらで予想していたのとは違う服だった。
でも 結婚式や在職中 入園・卒業式の時に着用していたワンピースが一着入っていた。思い出いっぱいの服だ。
ちょっと試着(私がです)。
いやぁ〜私がやっと着られるという事は 母には無理かな?
もっと早く送ってくれれば 新調も出来たけれど…もう間に合わない。
後はスーツ2着だ。
そのうち1着は 母の手作りスーツ。
おそらく 今の私と同じくらいの年に作った物だろう…。
スカートのウエストがキツキツだ。母には絶対無理。
でもスーツだから ウエストは隠れるだろうと思い 2着とも念のため持って行くことにした。

問題は ワンピースにしろスーツにしろ ストッキングが必要で 母がストッキング着用はかなり無理がある。
苦肉の策として ダンス用の黒のスパッツを取り出した。
これはかなりきつめだが 伸びる。だからストッキング感覚になるだろう。
靴下も黒にして…母の所に向かった。

職員が 皆さんにお誕生会を告知してくださっていたようで 私にまで「おめでとうございます」と言って下さる方も要らした。
母を居室に連れて行き 洋服を見せた。
「まぁ〜いい事」と初めて見たという感じの言葉。
「これ 見たことない?」と聞くと「あるね」と返事。
「ほら 入園式 卒園式 結婚式とお祝いの時に着ていたよね」と言うとコックリ頷いた。でも 未だ半信半疑と言った風。

この生地を買い求めてきた時「ホラ見てよ…良いものが安くなっていたから買って来たの」と見せてくれた。
それから 暫くスタイルブックを広げて洋服のデザインを考えていた。
誰かの結婚式に呼ばれたので あれこれ考えて作ったのだと記憶しているが…はて 誰の結婚式だったのだろう?
職場だったのだったのか?親戚だったのか?
仕上がったワンピースをみて「ふうん」と見ていたと思う。
派手すぎ地味すぎず華やかさもあるボータイのワンピース。
レースなのだが 厚手の物でこの季節でも十分着られる。
何れにしても 30年以上の時を経過している。
最後に着たのは何時なのか…覚えていないが…。
子供たちの結婚式には 留袖だったので…。
10年位は着用していただろう。

今 私が着ても様にはならないが 娘だったら…レトロな感じで着られそうだ。

さて 試しに…と母に着用してもらった。
左手を上げると痛みが出るので万歳ポーズが出来ない。
それでも スルスルと入った。
痛いはずの手なのに「痛い」とは言わなかった。
さて 腰周りは…裾を下に引っぱったら ほんとにぴったりだった。
緩みはないが はちきれる感じもなくて…。これでOK。

着用してから 整髪。
頭髪用のウォーターをスプレーして ドライヤーをかけた。前髪はヘアアイロンで…。
顔には ちょっと下地クリームを塗って コンシーラを使ってしみを隠して
ぼかした。「もっとお化粧する?」と聞くと首を横に振ったので 後はオレンジ系の口紅を紅筆を使って塗って上げた。
濃い化粧は好きでないので これくらいが丁度良いだろう。

鏡に向かっているうちに 母の記憶が甦ってきたようで…。
「卒業式…。子供たち…」と言う単語が久々に飛び出した。

○○(次男)が お祝いするからと言ったら送って来てくれたんだよ。ありがたいね」と言うと「○○が…」と反応していた。

もう1人の卒寿を迎える方も 母の居室でお支度をした。
職員がお化粧を施し 頭髪はヘアアイロンを使って 少し逆毛を立ててボリュームを出した。
息子さんもお出でなのだが…この手の事は やはり女性ならでは仕事だろうから…。

支度ができた所でホールへ移動。
二人とも特別な日という事は理解できている様子。
誕生日という事もボンヤリわかっているように感じた。
ホールでは 写真撮影。
職員もうちの娘もカメラマンよろしく幾枚も写した。
娘はポラロイドを持参し もう1人の卒寿を迎える息子さんに仕上がった物を差し上げていた。
今時は 携帯カメラもあって いろんなカメラが総動員だった。

それから たこ焼きの支度。
何でも大阪にあるという家庭用の電気たこ焼き器を2つ使うのだ。
私は葱を刻んだ。他は職員がしてくださった。
この器具は専用の粉があるとの事だった。
入所者の中には たこを食べられない人もおり 職員がはんぺんとチーズを準備し2種類のたこ焼き?を焼いた。
葱を刻む時は 母ともうひとりの方を向かい側に座ってもらい 切る時の指導をして貰った。
「これでよいでしょうかしら?」「これは 随分小さい葱だね」
「そういえばそうですね。細いですね。今度からは もう少し太い物を使うようにしましょう」等ワイワイとおしゃべり。。。
母は一言も発しなかったが ニコニコしていたので楽しんでいたと思う。
葱のみじん切りは さすがに無理なので…監督して貰ったのだった。

お茶とたこ焼きと2色のアイスクリーム。
みんなが美味しいと言い お変わりをした。

最後に花束贈呈。
「お誕生日おめでとう」と言ったら母は「ありがとう」と言った。

誕生会が終わって 服を着替える時が大変だった。
着る時は 一言も「痛い」と言わなかったのに「肘を曲げて…」の言葉も通じなくて…洋服を少しずつ移動させ調整しながらようやく脱がせることが出来た。
「これは こっちに置いて…」と言う母の言葉に判っているんだなと感じた。愛着のある衣類が少しあるだけでも気分は違うだろう…。

送って貰って良かったわ。
とても素敵な卒寿を祝う会となりました。

おまけ
母が脱いだ洋服を娘も試着してみました。
やはりピッタンコでした。ベルトのバックルを替えれば十分着られる…。
職員は 30年前と体型が変わっていない事に驚いていました。

次は白寿?どうだろう…???





2006年03月17日(金) 哀しい事ばかりではないんだね


 利用者さん訪問。
混乱は 相変わらず続いている御様子。
お布団は起き出したままの様子。朝食の容器が食卓の上にあり…と言った具合である。こういう事は これまで稀にある程度で お布団放置はかつてないこと。

「まぁ〜かけてください」と言う言葉から「今日もお話が長くなる」と予想できたが 混乱振りを思うとながらでお聞きするのは良くないと思いじっくりと耳を傾けた。
月曜日の通院から火曜 水曜 木曜の話しである。
要約すると 自分では普通と思っていても 周囲が心配する所を見ると自分がおかしいのだろう…と思われる様子で自信喪失と言う状態。

通院した整形から眠剤を処方された様子だった。
これも原因していないのかな?
足元のふらつきをご近所さんから指摘されたといって それも落ち込む原因だったけれど…。それよりも眠剤の影響と見た方が良いように思うなぁ〜。
これは 誰に報告だろう…ケアマネを通じてご家族かな?
でも ケアマネもご家族も水曜日に利用者さんとお会いしているんだなぁ〜。ん〜〜! ケアマネ 眠剤 聞いていないかな?

電話が取れないとか…通常起きない事もあったなぁ〜。
聞いている時は 脳梗塞か…と心配が先に立ったけれど…どうも違うような気がする。何で直ぐに気が付かなかったのだろう。。。
あ〜情けなや…。

話しは 40分ほどで終了。
その後「はなさんがいる間に入浴したい」と希望なさった。
お湯を張り 入浴していただく。
湯もこちらで加減。
自信をなくしてお出での利用者さんゆえ 調理やお買い物もゼロ。
月曜に購入した牛乳も手付かず。
買い物や調理は 頼まれなかったが「作りましょう 買い物してきます」と申し出た。始めは煮物と思い 大根 里芋 人参 豚肉を煮始めた時「これ使ってください」とシチュウのルーを出された。
買い物リストに冷凍のグラタンを希望されたので それならシチュウにという事になった。つまり大根のシチュウ。牛乳も使った。
後は昆布と椎茸を戻して さつま揚げと煮た。
トマトの皮ををむいてカットしタッパーに収めた。

明日はご家族が見えるので 何とかなるだろう。。。
買い物もして時間超過20分。

タクシーを使って家に戻った。生協の配達滑り込みセーフ。
これから こんな日が多くなるかな?

昼食を摂り直ぐ母の所に出向いた。
母はソファーに座っていた。職員が「今まで歌を唄っていたんですよ」と教えてくださった。ニコニコしていて機嫌が良かった。
居室に誘導したら 既に出た後。いつもより遅かったせいだな。
でも濡れていたので母は「嫌だぁ〜」と言った。
「大丈夫よ」と声をかけながらトイレに座らせた。残りの尿が出た。
「やったね」と言うとニコニコ。
更におまけが…。何となく気配を感じて「出るよね」と言うとコックリ。
おなかをマッサージ。大きなものが出ました。
自己申告とはちょっと違うが 成功。
手を洗ってから みんなの所に行くと「おやつ」だった。
皆とおやつを食べた。
今日の母は ソファーに座りながらズズッとお尻を前にずらす事が多かった。幾度か「直そう」と声をかけて直してもらった。
何回目かの時「直そう」と言ったら「やんだ(嫌)」と言う。
「あら 嫌なの?」と聞くと笑いながらコックリ。
「からかっているの?」と聞くと笑いながら「そう」だって…。
「全く…もう!」と母の膝をポンと叩くと また笑っていた。
冗談言うくらいだから 調子は悪くないんだな。

また居室に入って 歯磨き・洗面。
「朝 起きたら顔を洗わなくちゃね」と数回伝えた。
通じてないかも知れないし 朝には忘れているかも知れないが…。
思い出して貰えるならいいな。
だって 母は 鏡を見たり顔を拭く時「汚くなってる?」と聞いてくるのだもの…。気をつけたいと思っているんだよね。。。

ユメルちゃんを膝の上に置いたら「重たいよ。ほらあなたも抱いてごらんなさいよ」と私にユメルちゃんをくれた。
膝の上に置く時 いつも母と対面するように座らせる。
後ろ向きに座らせるとどうも感覚が違うようで…顔が見えると「あらぁ〜」と決まって言う。
こういう感覚が とても不思議だと思う。

今日は 風が強いのでお散歩は取りやめ。
ビーチボールのキャッチボールをした。
その時の発見。
ウトウトしているけれど ボールが行けばキャッチできる人がいるのだ。
私は名前を読んで ボールをふんわり高く上げてパスする。
でも 母はその人に渡す時ためらう。
どうしてかなぁ〜と思ったら「危ないから」と言う。
相手の事を思いやって上げられんだなと思ったら 嬉しくなった。
よく観ると 他の人も相手の事を「大丈夫かな?」と考えている。
言葉はないのだけれど…優しさに満ち溢れている。

未だ認知症になって浅い方は…ちょっとした奇行を観て職員に知らせる。
それは いいんだけれどその後「アホッ」と罵声を浴びせる。
認知症を深く病んでいても…いや深く病んでいるから 優しさが生まれてきているのかな?そう考えると 哀しい事ばかりではないぞと感じたりする。


2006年03月16日(木) ころあい?


 桜の開花予想が修正された。
この1週間 桜を見上げながら歩いていて数日前から花芽が緑色になった。
予報通り25日かと思ったが 22日になったようだ。
昨日 施設のお花見が2日と言われた。
気温次第だろうが…どうなるかな?

今日は 昨秋から手付かずだった植木の剪定をした。
鶯の初音も聞こえた。
お昼殆ど家に居ないので もっと前から鳴いていたのかも知れない。
耳を澄ましながらの作業となった。
実のならないヤマモモの大きな木 思い切って幹も鋸で切り落とした。
素人だから 木に登った儘だと枝のバランスが想像できない。
上ったり降りたりを繰り返す。
最後に目立つ紐を幹に巻き付けて確認。
以前 鋸を往復引いて笑われた。
はしごと塀の上に足を置いて鋸を引く。

幼い頃庭のひの木に上り 枝が折れて こっぴどく背中を打ったことがある。
直ぐに息がつけないほどだった。
ひの木が折れやすいなんて全く知らなかったころの事。
あの痛みを記憶に留めているので「足場は確実に…」だけは守っている。
幹を切った事で割りに早めに剪定が終わった。

未だ 体力的に大丈夫かな…と次の木へ。
キンモクセイだ。
上に伸びた枝を切るだけにして置こうと思ったが 内側に伸びた枝や真っ直ぐ伸びた枝を切っている内に全体の剪定となってしまった。

昼食を挟んで 払った木の後後始末。
その頃には 南風も強くなって葉が通りに飛んで行く。
慌てて箒を持って追いかける事となり トホホ…と言う感じ。
小枝は袋に詰め。太い枝は紐で括った。

休息後 畑に出向き 先日鶏糞を蒔けなかった所を掘り返して蒔き混ぜ返した。これで ようやく 作物の植え付けや種まきが出来るようになった。

もう 日も暮れだして夕食の支度。
昨日は お稲荷さん(おつなずしよろしくアナゴと柚子を入れた)と葉大根と豆腐の味噌汁だけ。
今日は 頑張ろうとキッチンに立った。
買い物に出かけていないので あるもので賄う。

先ずは ひじき煮。(人参 牛蒡 打ち豆 白滝 ひじき)

冷凍庫をみるとホワイトソースが残してあった。海老もある。ホタテもあった。チーズも玉葱もあった。きのこを入れたいけれど…ないものは仕方ない。
海老をボイル ホタテも軽くボイル。玉葱を炒めホワイトソースで混ぜて器に移した。
ブロッコリーと人参とじゃが芋が茹でてあったので 一口大に切って飾りつけ チーズを乗せてオーブンに。

お汁は 冷凍してあった生海苔。

買い物せずにできたわ♪
いつも こうできれば良いんだけれど…。
夕方家に戻るとゆっくり献立を考えられなくて…。

夫も娘も10時前に帰宅。
食事も済み 一気に片付けが済む。いつもこうだと助かるんだわ!

夕方 利用者さんのケアマネさんから電話を頂いた。
昨日の話し合いには ご家族も見えて介護保険申請する事になったという事だった。「利用者さんの御様子は どうでしたか?」と伺うと「かなりお疲れの御様子でした」とお話くださった。
申請して決まるまで ひと月位掛るだろう…。
介護保険利用となると私の訪問もなくなるかと思ったら 引き続き利用したいというご希望だという事だった。
いいヘルパーさんに出会えれば 私の出番もなくなるかな?

利用者さんから離れるのは寂しいけれど 母にかかる時間も次第に多くなっているし…頃合なのかも知れない。


2006年03月15日(水) お詫び プラス 日記

 知らないから…と言っても 良くない事です。 
昨日の日記に「うめ吉」さんと書いたのですが…。
娘から「失礼だよ」と指摘されました。

「チャン チャ チャ♪」は小梅太夫さんだそうです。

とりあえず訂正です。

でも「うめ吉」さんは 一度聞きに行きたいな。。。

小梅太夫さんの所には エンタの神様で見てきました。
うめ吉さんとは また違う…いや…。
こちらは また違う楽しみ方があるみたいです。

両方の方に失礼してしまいました。ごめんなさい。。。
読んで下さった方 くれぐれもお間違いのないように…。
間違った情報をお許しください。

さてと…♪
半分投げ出した弟への連絡 一晩置いて 気を取り直し電話した。
ようやく通じ 母の洋服を至急送ってくれる事になり ヤレヤレだ。
「誕生会が…」と言うと「お袋 いくつになるんだっけ?」
「90よ」「え〜っ」
「去年数えで90って書いておいたでしょ」「あ〜」
おいおい…やはり距離感なんだろうなぁ〜。
ほんとは 家族みんなで90歳のお祝いをしたい所。でも 88歳の時にそう伝えたても音沙汰がなかったから 言い出せない…。
父は77歳のお祝いを盛大にした。
父のように大袈裟でなくていい せめて子供たちだけででも…と思う。

母の所に出向いた時「洋服送ってくれるってよ」と伝えた。
「○○や××に会いたい?」「うん 逢いたい」
幾度聞いても「逢いたい」は変わらなくて…。
お嫁さんの名前も出してみた。一瞬「やんだ(嫌)」と顔をしかめ涙を浮かべた。でも その後「逢いたい?」と聞くと「うん」と言った。
母の記憶に 一瞬 故郷での出来事が過ったのだろう。

母を連れてお散歩に出かける。
観梅しようと思ったけれどバスを待っている間に 母が立ち止まっている事が辛くなったようで「行こう行こう」と言い出した。
心なしか足取りも重いように感じて観梅は中止。
近隣を歩く事にした。
水仙やタンポポの花に目がとまって「きれいだね」と言った。
梅の花も見上げニコニコ。
公園でベンチに腰を下ろして一休み。大分疲れる様子だった。
それから 更に歩いてファミレスに入った。
お野菜を食べて エスプレッソを2杯飲んだ。
エスプレッソはかなり苦く母の好みではないが 最近エスプレッソを美味しそうに飲むので…頼んでみた。

お日様が入り込んだファミレスで 身体もポカポカして来た様で上着を脱ぎ始めた母。
席を立つ時だろうと思い お店を出た。
更に遠回りに次ぐ遠回りをして施設に戻った。

排泄は2回誘導し1回は自己申告。全てトイレで用を足せた。


2006年03月14日(火) 本音と建前でユラユラ…


昨夜 夫がほろ酔い加減で「チャッチャッチャッチャッ チャチャンチャチャン♪」と玄関を開けた。
「お帰りなさい ?」と言ったものの次の言葉が出て来ない!
娘がリビングから「違うでしょ チャッチャッチャッ♪…バッキャロウでしょ」と言う。
私は「????」
どうやら「うめ吉」さんと言う人が歌って(?)いるようだ。
夫がほろ酔いで歌い出すくらいだから 世の中的には知られているんだろうな?家の中で知らないのは 私だけらしい。。。

今日 ちょこっと うめ吉のホームページなんかに寄ってみた。

「『うめ吉』は寄席で育った三味線弾きです。歌は、非常に解りやすく、無駄なこぶし、表現過多な所がない「素直さ」にも好感が持たれています。」

だそうだ。視聴も出来た。
ちょっと昔に聴いたことがあるような…そんな感覚。。

思わぬ新風に ちょっと心が和んだ。
末広亭で演じるているらしい…ちょっと興味が湧く。

今週末 施設で3月の誕生会が予定されている。
母と10日も違わない誕生日の方と2人が3月生まれ。
この所 母のために 故郷に置いてある母の洋服を着用させたいと思って弟の携帯に電話をしているのだが…出ない。

母の気に行った生地を選んでデザインし仕立てた洋服がある。
今までは わざわざ送って貰わないでもいいかとセーブしていた。
でも90回目の誕生日を迎えるにあたり 着せてやりたいなと思うようになった。洋服を見たら 母の気持ちが動くようなそんな気がしてならないのだ。洋服には母自身の歴史も織り込まれている筈で…。
具体的な出来事を思いだせるとは思わないが ふんわりとした何かを感じてくれそうな気がするのだ。
今の季節使うスカーフも母自身が選んだ物で「自分のもの」と言う感覚が戻って来ているようなのだ。

しかし 幾度かの電話しても出ない弟で…何だか急に面倒になって来てしまった。
自分も乗り越えられない 打ち破られない壁。。。
「おげんき?」と実家に電話できない意地っ張りの私。
本音と建前でユラユラ…だ(ため息)


2006年03月13日(月) また一歩前進だよ!


利用者さん訪問。
金曜日に親戚の方と出会ってご兄弟が泊まられた筈で混乱があるだろうと想像しながら出かけた。

玄関を入って直ぐ「困った事ができましたの」と言われた。
「テレビの…が何処かに行ってしまったのです。内緒にしなくちゃいけないから はなさんが来るのを待っていました」
どうやら リモコンが行方不明になって土日を過ごされた御様子。
ご家族も見えたが何食わぬ顔でお過ごしだったらしい。
テレビを観たい時は リモコンを使わず「機械音痴だから」とチャンネルを替える事もせずに…。
「ベットの廻りしか考えられないのですけれど、足が曲がらないから覘く事も出来なくて…」といわれたので 直ぐにベットの下を覘いた。
「ありましたよ。勘は的中です。記憶しっかりなさってますよ」と励ました。ホッとなさっていらした。

その後 先日の出来事を話され始めた。
話し始めは とても早口で つっかえつっかえ言葉を捜しながら話されたので 注意深く話を伺った。
1時間の間 言葉を挟んだのは3.4回でお1人で話し続けられた。途中時計を見られたので きっと時間を気にして居られたと思う。

話しの中味は「介護保険の手続きをする」という事で「今日 罹り付けの医師に通院して診断書を頂く」というお気持ちだったようで「通院介助を御願いしたい」とも言われた。
しかし 利用者さんは かなりお疲れで 足も浮腫み腰も痛いと言われており 通院が良い結果を齎すと思えなくて…。
「申請はいつでも出来ますから 少し先に延ばしましょう」と伝えたのだった。 利用者さんは 了解してくださった。
おそらく 体力的に無理だろうと判断なさったのだと思う。

ご兄弟が ケアマネさんとお話したいと言われたらしく日にちの調整をなさろうとしていた。
「今は かなりお疲れのようだから 来週になさったらどうでしょうか?」とお勧めし 利用者さんも納得なさった。が ご兄弟に日にちの打ち合わせのため電話なさると「早い方がよい」と押し切られ明後日という事に決められてしまった。

何故 後に延ばそうとしかと言うと 体力的な事に加え 金曜日ケアマネさんとお話をしてご家族も「今のままで…」と希望なさってお出でだと伺い 急激に替えていく事はいろんな摩擦が起きてしまいそうな状況もあったからなのだ。
しかし決めてしまったら そうも言っていられない。
細かな事は再度ケアマネさんに報告して 上手にリードして貰わなければならないだろう…。

電話を終えると「もうひとつ 内緒の事」を相談された。
電話の子機が通話中に切れてしまうという事だった。
それを証明するのに 子機で利用者さん宅に電話をなさった。
「?」話中になってしまうのに…。「駄目だわ」と言うので 我が家に電話した。我が家は留守電になっているので…。
「ちゃんと通じますよ」と伝えると「壊れた訳じゃないのね」と安心なさった。きっと受話器をきちんと置かなかったせいで充電が切れたのだろうと思う。他にもダイヤルを廻しきれなくて 幾度も間違い電話。傍で見守りながらダイヤルしてようやく通じるという事もあった。

母も電話では 似たような事起きていたなぁ〜と思う。

この調子だとキッチンに立つのも大変だろうと思い 急いで食事の支度をし
買い物に出た。利用者さんは お留守番。
2.3品作って時間オーバー。今日は 混乱なさっておられるし 時間オーバーもきがついてお出でなので…サービスという事に。

家に戻って ケアマネさんと連絡をとり明後日の件と今日の状況を伝えた。

それから 母の所に向かった。
今日は 「ぶんたん」をむいたものを運んだ。少し便秘気味なのが気になっていたからだ。
母は不安そうな表情をしており職員が傍に付いて下さっていた。
職員が離れた時 母の傍に行くと…。
「便所に行きたい。腹が痛い」と訴えてきた。
思わず耳を疑った。自分からトイレに行きたいと言えなくなって随分立っている。タイミングを掴み面会中は誘導に努めて 失敗は殆どなくなって来ていたが…。骨折してから 自発語も少なく話す事も日本語とは思えない時も多くなっていたので 努めて「判るからね。だからいっぱい話してね」「トイレでちゃんとできて良かったね。嬉しい!」と言ってきた数ヶ月だった。
まさか こんなに早く言えるようになるなんて…。
トイレに入ると訴えの通り 小も大もしっかり排泄。
「うわぁ〜い ばんざいだ!有難う 頑張ったね」

排泄直後は涙ポロポロだった。感激のあまりなのかな?
でも直ぐに機嫌が良くなり 洗面台での手洗いも指の間までゴシゴシと洗っていた。

居室で 持参した「ぶんたん」を食べてもらう。
母は 皿に手を伸ばしてせっせと食べ始めた。
その後 おやつ。これはホールで皆さんと一緒。
頭から尻尾まで餡の入った鯛焼きだった。母は丸ごとぺろりと食べていた。
「あなた食べなさい」とは言わなかったぞ!
お茶も 沢山飲んで…。
みんなと歌を唄っていた。歌は得意だったがみんなと一緒に歌う事は最近なかったもの…。終始ニコニコであまりのニコニコぶりに職員や他のご家族がつられて笑われる程だった。

雪が舞い始めて 面会にいらしたご家族の車に乗せて頂き帰宅。


2006年03月12日(日) 川島流 学習効果…。。。


昨晩「午前中 お天気でありますように…」と祈りながら眠りについた。

今朝は願い叶って 良い天気。
洗濯を大急ぎで片付けた。風が強くなって 洗濯物を干す時にはピンチをいっぱい使って飛ばないように工夫。いっぱいで止めても駄目な時は駄目なんだけれど…。やっぱり 外に干したいから…。

「畑行く時声かけて」と珍しく夫が言ってきた。
鶏糞の袋と畑の道具を持って出かけた。
先日 石灰を蒔いたので 今日は鶏糞を埋める。

夫は 直ぐにヤーコンを掘り起こした。
冬を越してしまったので凍みて居るのではないかと気になったが…。
土から出てきたものは 立派な物に成長しており凍みては居なかった。
親の株も増えていた。やはり 数年を経たほうが良いみたいだ。
「これ どうすんだ」と夫がいうので 親株はまた子供を増やすから地中に埋めるのよ」と伝えた。
昨年 ミニトマトを植えた所に 親株を移動させ 距離を置いて埋め込んだ。余った親株は 丁度畑に来ていた方にヤーコンと一緒に差し上げた。
この菜園では 植えている人は少ないから…知らない人多いのではないかと思う。

私は 寄せて置いた枝を束ねた。ヤーコンやらピーマンやら紫蘇等大きく育ったのでそれらの枝だ。
ナスやピーマンは 夏の終わりに細かくして土の中に混ぜておいたが…。
寒くなってからの分は其の儘畑の隅に重ねて置いたのだ。
更に 支柱として使ったものも長さ別に束ねた。
畑に来ると 耕す事や草取りがメインとなって 片付けは後回しとなっていた。夫が耕してくれるので 今日はゆっくり片づけが出来て助かった。
時折 強い風が吹いた。目に土が飛び込んでくるほどだ。
「芝返しの風だな」と言う夫。「へぇ〜 こういう風をそう呼ぶのか…」

先日頂いた 水菜や青梗菜に水をかけている時 未だ小さい苗に花芽がついていた。「ほほう 大きく育たなくとも花芽が出来るんだなぁ〜」と驚いた。花も菜の花みたいにして食べる事が出来る。

「ミミズが少ないな」と夫は言う。
でも この畑でミミズってあまり見かけないが…。
「ミミズは土が元気な証拠」と夫は言う。
でも この畑 あなた耕した事あったけ?

気温が上がると 草も野菜も勢いがついて元気になる。
今日は 土の中の虫に出会う事はなかった。

昨年の今頃は てんとう虫が蕪にくっついていて 除去するのに大変だったのだが…。今年はあまり見かけていない。

お昼が近くなったので 家に戻った。

昨夜 夫が「お〜い 面白い番組やっているぞ」と呼んだ。
行くとNHKのETV特集の再放送で川島隆太の「心はどこにあるのか?」と言う番組だった。全部を観た訳ではなくて認知症に関る部分をチョコチョコと。。。
川島隆太の事は 以前から知っており 母の経過の中でも実際同様の事が起きたので効用のあるだろう事は理解できる。
脳が新しい回路(別の言葉を使っていた)が出来てくるだろうと言う話しには共感できた。

特養で試みている様子を映し出していた。
川島氏も言っていたけれど 職員の努力の賜物と言われていた通り 個人に向き合っての療法だったからこそできたのだろうと思う。

学習療法は 文字や数字だけではないだろう。
その人の底に眠っているものを引き出せれば良いのだろうと思う。
母の場合は 塗り絵から絵を引き出せた。折紙も編み物も…。
そういった物を長期にわたり手がけていられた事は 母の気持ちを高めていた事は否めない。

今の母は全体的に下降気味。
でも「何もする事がない」と嘆く事も時折あるのだから 学習したい気持ちは残っているんだろう。
絵本を読むことも多少の間違いをしながらも復活し始めている。
でも 学習にはとても時間が掛る。
維持したい能力は 筋力も含めても大分あるので 何かに絞って行かなければならないのだろう。

施設で取り組んで貰えたらいいなと思いながら居るのだが…。
希望を持ちながら できることを少しずつ…諦めないで…だなあ。


2006年03月11日(土) 通じている?


とても暖かな日。一雨ごとに春が深まっていくようだ。
母の所に出向いた。
ホールで俯き加減に座っていた。
下の方のせいだろうと思いトイレ誘導。
パットはぐっしょり。でもトイレでちゃんと排泄できた。
「良かったね」と言うとコクリと頷いた。
濡れている事はあまり気持ちの良い事ではないが 水分が摂取出来ているという事だろうから…良しとしなくては行けないのだろうなぁ〜。

今日は 言葉がなかなか通じない。
2日続けて面会していないせいだろうか?
言葉が理解できないと思える時は のんびりと接するしかない。
「慌てずに…」と自分に言い聞かせる。

こういう時はとても浮かない顔をしている。
母自身ももどかしく思っているのだろうと思う。
外に連れ出したいのだが 理解できない様で「行く」と言う言葉が出ない。
「行く」にも頷くし「行かない」にも頷く。
立って外の景色をみせて少し刺激してみた。
「あれ 歩いている。おかちゃ〜ん!」
どうも 最近は「おかちゃん」は 私だけでなくなってきていて…。
「あら 行ってしまったわね」と言うと「あれ」と動き出した車を指す。
暫くすると 鼻水を出しながら目をウルウルさせ始めた。
「意地悪された?」と聞くと首を振る。「怒られた?」と聞くとコックリと頷いた。

ティッシュを渡して鼻をかんでもらう。母は目も拭いた。
タオルを濡らして顔を拭いてあげた。
幾度かこんな事を繰り返しているうちに 会話が少しかみ合うようになってきた。
「出かける?それともここに居る?」と話しかけるとようやく「出かける」と言った。
それから 支度をして外に出た。
外に出ると 言葉の数が増えた。最初は意味不明の言葉が多かった。母の造語なのでいかんとも理解しがたく 私はただただ頷くしかなく「へぇ〜」という相槌を打ち「判るよ いっぱいお喋りしてね」と頼んだ。

横断歩道を渡る時右折車が来たら 止まる様にと私を引っぱる。
母が1人の世界に入り込んでいると車なんて見もしないのに 私が一緒だといつもこんな風だ。
車が停車すると安心したように歩き始める。

バス停まで着いた時丁度バスも来たので乗り込んだ。
さっきまで「おかちゃん」を連発していたのに 今度は黙っている。
母は 時々「おかちゃんって言って良いか?」と聴いてくるようになった。
人を非難する言葉は「ノー」というのだが…。
「おかちゃん」と言う言葉を止めた事はない。
施設内でも頻繁に言うので他の人は ウザッタイと思われることもあるだろうなぁ〜。大きな声では言わないが 絶えず口にしているから…。

バスが終点に着いた時 皆が立ち上がっても母はどっしり座っていた。
母と目があって「下りるよ」と言うとコックリして立ち上がろうとした。

「さてと お寿司でも食べる?それともケーキにする?」と聞くと「お寿司」と言う。「お腹いっぱいじゃないの?」と聞くとコックリ頷いた。
「じゃ 行こう」と近くの回転すし屋へ…。
昼の時間を外しているので 割合空いていた。
丁度一番端っこがふたつ開いていて…端っこに母を座らせた。
回転寿司って 一度来たけれど…1年ぶりかな?母は覚えていないだろう…。

うっかり軍艦巻きを取って母の皿に取ると食べにくそうだった。
母の視線がマグロに行った。
そうだ「トロ」が好きだ。「海老」も…。
海老とトロを頼みお皿が来た。
でも自力で食べようとはしない。箸で半分にして口に運ぶとモグモグと口を動かす。また半分…でもご飯がポロリと落ちた。トロだけ美味しそうに食べご飯を拾い上げ口に運んだ。
海老は 箸でちぎれないのでそのまま口に運ぶと噛み切りにくそうだった。
今度は「中トロ」これもOK。
おやつ感覚での寿司なので そう多く食べさせないようにした。
それでも一本アナゴの両端や鯵は母のお腹におさまった。
お茶もたっぷり飲めた。

お店を出たら 続いて出てきた人から「お母さん?おいくつ?」「お店でずっと見ていたの良いわね。私の娘もこうしてやってくれるかしら?こういうのいいなぁ〜」って声を掛けて来た。
隅っこでひっそり食べていたんだけれど やっぱり目立つわね。。。
「きっと 大丈夫ですよ。連れて来て下さいますよ♪」と返した。
「気をつけて 元気でね」との言葉を頂きさよならした。

施設に帰ろうとしたが「未だ」と母は言う。
「デパート見る?」と言うと首を左右に振るし「コーヒーでも飲む?」と聞いても首を横に振る。
「何か飲みたくないの?」と聞くと「ジュース」と言うのでスーパーに入ってジュースを購入。
外で腰を下ろして飲もうかと思ったが 母の意思が「真っ直ぐ…」という事で 母の意志に任せて歩く事にした。
今日は 意思を貫く日だ。
来た事のある場所とわかってはいるようだが…何が何処に有るかなんてわからない筈だけれど 真っ直ぐだったりあっちは駄目だったり…だ。
母の頭の中ではルールがあるのだろうけれど こっちはさっぱり?

高いビルの展望出来る場所に行って座った。
勿論 エレーベーターで移動である。
ジュースを飲んでひとしきり休んでから バスに乗って施設に戻った。
帰路のバスは ステップが有ったが 躊躇せずに乗り込めた。
少し遠回りをして 歌を唄いながら…施設まで歩いた。

外出が母にとって良かったのかは判らない。
けれど 歩けたしステップも上れたし リハビリと言う意味ではとても良かったと思う。筋力も付いてきてふらつきが消えつつある。
自力での立ち上がりは無理。1人での歩行はほんの数歩。
でも ここまで快復出来て良かった。

母の行きたい場所は 我が家かも知れない。
あと少し…ほんとにあと少しなんだ。
誕生日まで どうだろう?




2006年03月10日(金) お土産…


利用者さん訪問。
今日は 利用者さん 妹さんとお出かけになる日でその支度のお手伝いかなと思いながら出かけた。

訪問して直ぐ「あの…」とお話し始めた。
「あれれ…顔がおかしい。話し方も空気が抜ける…。そうか 入れ歯か…」
と思った時に…。

「入れ歯がなくなってしまって…」とお話下さった。
利用者さんは この数日のお話から始められ 入れ歯がなくなった事は「不思議…」とか言われない。
「いつもちゃんと洗面所で洗ってから…」と言われたけれど…。
おそらく いろんな失敗は話したくない事も有るだろうし…。
20分近く お話を伺いながら ゴミ箱からそれとなく順に探した。
冷蔵庫 食器棚…次にベット。
「家全部  探したのです。それでもないので…歯医者さんで作り直してもらいます」と言いながら 入れ歯を作った時の経緯を思い出して話された。

妹さんがお見えになり「あら どうしたの?」という事になったら 利用者さんピンチだわ。
「あの 鍵のキーホルダー替えたいです」と別の話題に飛ぶ。

かなり混乱なさっている。

キーホルダーの取り付けをして それとなく 更に入れ歯を探し回る。
転寝する場所は…「え〜と」…。
マッサージチェアの所に行くと…。
アームの下にキランと光ったものが…。
「見つかりました!」と運ぶと「良かった」と急いで洗面所に行かれた。
数分もしない内に 妹さんが見えました。

入れ歯探しで時間が掛ったけれど 冷蔵庫には何の副菜もなかった。
外出から戻られて お疲れになり買い物どころではないだろうと思い 支度を始めた。
すると今日は妹さんお二人がお泊りになるという。
冷凍のご飯もないので 急いで米を研いでタイマー設定。
お野菜を煮て キャベツでお漬物を作って…。
とりあえず食べられる物を確保。

いろんな出来事があった。
心配な事があり 家に戻ってからケアマネさんに電話。
情報を交換し これからの対処を一致させて 来週から活動に入ることに。

介護保険改正での混乱であるようだ。
暫くは アチコチで 目立たないけれどこういう事が起きているのではないかと想像している。

今日は 夜 良いことが。。。
娘が銀座に寄ってから帰宅。お土産は…千疋屋のフルーツサンド。。
娘は食べてきたという事で独り占めしようかと思ったけれど…半分は夫に残してあげた。。。


2006年03月09日(木) そわそわ…


先日 不法投棄の事を書いたが…。
あの翌日 束ねたゴミは消えていて 黄色の看板らしきものが貼ってあった。我が家で利用する場所でないので 気になりながら看板の文字を見る事はなかった。

雰囲気的に 役所に通報してゴミを回収して貰い 看板を取り付けて貰ったのだろうなと想像して「許容範囲が狭くなっているんだな」と一抹の寂しさを感じていた。

今日の夕方 外出先から戻った時看板がない事に気が付いた。
確か 出かける時は有ったと記憶している。
「一体 誰が?どういう考えで?」と思った。

知り合いに電話して聞いてみた。
すると「そうなのよ。3時ごろまではあったのよ」と言われた。
あの看板は 役所の警告板だったらしい。ブリキの看板で黄色の配色で文字は赤でかなり目立つ物だった。
「はなさんが 撤去したのかと思った」と言われた。
私は 黙ってゴミを撤去できても 看板を外す勇気はない。

ご近所で 看板付けて不法投棄を避けようと思う人と 看板は必要なしと思う方が居られるのかしら…。険悪ムードにならなければ良いけれど…。

どうなって行くのか ちょっと気になり始めている。。。


2006年03月08日(水) ようやく 完治かな?


リハビリの日である。
朝 急いで残り物をにちょこっと手をかけてお弁当を作り 母の所に向かった。今日は施設内を業者さんが清掃なさるというので昼食も早めと思い急いだ。

もう昼食は始まっていた 
下のフロアの清掃が始まっているので 下の方も一緒にお食事だった。
お弁当を母の隣に置くと 母はお弁当のふたを開けていた。自分のための物と判っているような雰囲気であった。
母の白いご飯を私のほうに置いて 椎茸と人参と胡麻と松の実で作った混ぜご飯を母の茶碗によそってあげた。
でも 母は自力で食べようとはしなかった。
自分のおかずにも手を付けなくて…。きっとお腹が空いていないのだろうと思った。
食事時間は限られていて リハや掃除が控えているので ご飯や野菜を口まで運んであげた。運べば口をモグモグさせた。
飲み込みも悪くない。
自力で食べれられれば良いのだけれど…仕方ない。
昨日南瓜と長芋とレンコンを素揚げした物も口に運んだ。
揚げ物は 腹持ちも良いだろうから…リハ後美容院に出かけても何とか凌げるだろう。
ほうれん草を茹でそれも運んだが 少し茹で上げる時間が短くて硬めだったせいか あまり多くは食べられなかった。
一番最後にようやく食べ終えた。

それから トイレ誘導。
全量ではないだろうが 大を排出。5日ぶりかな?これくらいはまだ良い方と思う。小もトイレで…。
手を洗う時 自分の頭を見て手櫛で頭を整えていた。
「今日は髪結いさんに行こうと思うけれど 行く?」と聞くと頷いた。

リハが始まる頃 下のフロアの人は下がり 上のフロアの人が見えた。
とても賑やかである。
療法士さんも言われたが ウトウト始めるのだが音で目覚めるといわれた。
療法士さんに母をお任せして 上のフロアの方とお話した。
ユメルちゃんを連れ出し反応を見た。
最初は話すなんて考えなかったようだが 声に気がついて耳を傾け 更にワイワイとおしゃべりしていた。
職員が使い方を説明なさって居られた。
みんな一様に良い反応だった。

リハが済んで 母を起した。
着替えは先に済ませてあるので トイレのみ再度誘導。これも成功。
帽子を被り ブレザーを羽織ってお出かけ。
職員も見送ってくださった。

今日の母は 機嫌が良くなったり悪くなったりととても忙しい。
聴こえも悪いようだ。そろそろ 耳鼻科も通院なんだろうけれど…。
少し機嫌も悪くなるので…腰が上がらない。。。

それでも 外に出ると機嫌は良くなった。
とても嬉しそうなのだ。
バス停までテクテク。時間が足りなそうなので「流しのタクシー来ないかな」と待った。
程なく空車が通り乗り込み 美容院の近くまで移動できた。

暮れには 階段で手こずった。美容院の人が「いつでも出迎えに降りますよ」と言ってくれていたけれど 試しに上ってみた。
先日は8段の階段の前で「かえる」と言った母。
今日「上れる?」と聞くと少し考えてから 手すりに掴まった。
気持ちがあると判断して 左を抱えて右手で手すりを掴みゆっくりとステップを上がった。踊り場でも怖がる事もなく 次のステップを踏み始めた。
今日は涙なしで上まで行けた。
膝カックンも出ない。
これなら 骨折前の状態にほぼ近い。ばんざい!

美容院に入って「パーマをかけるか カットだけか」としばし迷う。
母に聞くと「パーマをかける」で頷くので かけて貰うことにした。

美容院でのシャンプー台から鏡の前の椅子への移動は 私の介助にした。
また 洗髪時も頭を上げるので隣に立ち手をギュッと握って励ました。
ロットを蒔く時は 美容士さんが気を利かせて隣に座らせてくださった。
それも 母が慣れるまでは 私のほうを向いて座らせてくださった。
落ち着いたら鏡に向かっていた。
下の部分にロットを蒔く時少し痛がった。「我慢ね」と言う声掛けを聞き入れてくれ助かった。

全ての工程が済んだ時には もう5時を廻っていた。
また夕食に遅れるなぁ〜。
帰路はバスに乗って帰った。
「頭が綺麗になって良かったね」と言うとコックリと頷く。

美容院にいる間も 機嫌の波は幾度も変化した。
私が他の人とおしゃべりすると機嫌が悪くなってくるような…そんな気もした。

施設に着いた時 職員が出迎えてくれた。
一瞬機嫌が悪くなったが お話を通訳したら笑顔が戻った。
「やっぱり パーマをかけると若くなるわね」と職員が言われた。
そう この3月に90歳を迎える人がもう1人いる。
その方の事を思っての話しだ。

出来れば パーマかけさせたいなと私も思う。。。
今日 息子さんがいらしていたけれど…どうかなぁ〜。
結構 シビアな事を話されていたからなぁ〜。
パーマが無理なら 家からヘアアイロンでも持って行こうかしら…。
お誕生会18日って言っていたなぁ〜。。。


2006年03月07日(火) 彩星の会 干場さんを迎えて…


午前中 登録している事業所の会員交流会。
制度が変わって本格的に活動が始まるのでその説明もある。
3ブロックに分かれて開かれるが 自分の地域での交流会の日は用が有って参加できないので 今日違うブロックの交流会に出かけた。

参加者6名。
今日 活動日に当たっている人も居るだろうし 所用の人も居るだろうし…。私だって いつも参加できている訳ではない。
あまりに 参加していないので「こりゃいかん」と反省しての事だ。

会員が増えてきているという報告があった。
形態を変えているので 離脱組みが多い。勿論 年齢や病で仕方なく離脱と言う方もいる。

新しい方の中には 男性も見えた。
男性は 退職されて次のステージでの参加である。
介護の学校に入学されると言う若い方も会員登録なさって活動を始められた言われていた。

以前は 利用者さんと連れ立って旅行と言う企画もあったのだが 今は経費削減でなくなってしまった。
だから 地元で楽しめる事を…という事になり 「めかご作り」「蕎麦打ち」「芋煮」等の案が出た。
みんなで楽しめるもの…をもう少し探して実行に移して行きたいと言われていた。

今日は 家族会の日で若年性認知症の家族会「彩星の会」の干場さんを招いているので 交流会は中座して家族会を開く場所に移動。
資料は 一枚だけ準備しているが 集う人の分を印刷しなければならない。
それに わざわざおいでくださるのに心ばかりのお礼も…と思い 地元の美味しい物を…と心当りの店に直行した。
「がが〜〜ん」定休日。それでは と次の店に走ると こちらも定休日。
お休みは明日の筈だが なんと連休。。。
もう きっぱり諦めて会場に向かった。

干場さん 早めにおいでくださった。
「いや 実は妻が また発熱して…昨夕 緊急入院しました。今朝 病院に寄って来たので 事務所に寄れなくて会報を持ってこられませんでした」と。「「こちらで勝手に資料準備しましたから これを配布させて頂いて宜しいでしょうか?」とお聞きして了解を得た。
「次の実行委員会で会報お渡しします」と言って下さった。
先月の家族会で 先に頂いた パンフレットや会報はお渡ししてあるけれど…。

何故 干場さんをお呼びしたかと言うと会員の中に若年性の家族が増えたからなのである。
「認知症」というくくりで共通する介護の場面もあるけれど お若い分だけ家族の悩みも深いところで違っていたりもする。
例えば お子様がまだ在学中だったり 仕事の事や 経済的な事 また 介護保険を利用できる年齢の事だったりと様々である。
また 薬の服用もいろいろある。
干場さん曰く「若年をフォローできる医師はそう多くない」と言う。
診察は以前に比べて確実になってきているが 家族や本人をフォローしきれて居ないことが多いのだそうだ。
家族会でも 薬の服用は 医師と家族で今までも随分話題になった。
医師によっては 適切な薬の量を判断で来ていないという事もあった。

うちの会の会員が 薬の事も質問していた。
症状を伝えると「薬が多いと思う」と言われ医師に症状を伝え相談しなおした方が良いとアドバイスなされていた。
家族側が医師と話す時 殆どの場合 医師の指示を信じてしまう。
勿論 相手が 医師なのだから 当たり前の事だけれど…。
でも家族がいろんな情報を手にしていると「この場合はどうですか?」「こういう方法もあると聞きましたが…」と医師と言葉のキャッチボールが出来る。薬はいつも同じではなく 症状によって変えたほうが良い場合があるという事だった。
これは 干場さんが精神科医共に 奥様や多くの方を見て来られた経験からの意見だった。

また 働き盛りの就労も話題になった。
これは 介護者ネットワークでも知り合いのケアマネさんとも幾度か話したことがある。
仕事をしていた人が認知症になった時 努めていた職場で働ければベストだが そういう所は極めて稀。という事は 本人のダメージにもなるし 収入がなくなったら生活できなくなってしまうのだ。
これは 奥様の介護をなさっていても同様だ。

今 彩星の会では 就労の場所を模索中だと言う。
職場がなくなっても 通える場所を作るという事だ。
本人が20パーセント仕事して 後の80パーセントはボランティアが支えるという仕組みである。
そういう場所があると認知症の進行を少し先延ばしできそうと言われた。
例として上げらた。
恵まれた職場似通い詰め いよいよ仕事を離れ去ろう得なくなった時ガクッと進行したそうだ。
そういった例が いくつか有ると言われていた。

ある方が 若年の中度と診断されて その時も中度とは思えない様子に驚いたそうだ。が数年後お会いした時も変わらない状態だったという事だ。
詰まり 本人が認知症と感じる隙間がないほどぴったり寄り沿われてお過ごしだったという。

こういった例は 高齢者の場合も当てはまる。
「いかに上手に付き合うか…」これが鍵である。
しかし 介護者の負担も大きくなってしまう事が難点だ。
前の例の方場合「託してからも介護できる体力維持が大切」と伝えて極力介護を離れて自分の時間を作れるようにご家族も含めてフォローなさったという事だった。

認知症の介護と言うものは 一律でない。
同じ病名がついても症状は様々。
介護に当たる方の 介護受容度(これは資質だけでなく環境も含む)によっても異なってくるように感じる。

いろんな場面に介護者も介護される側も揺れ続け 道を探っていく。
母の介護も揺れ続ける。
これからも いろんな局面がありその都度 対処に迷うだろう。

干場さんも話されていたが 迷った時は「自分が認知症だったら これはどうだろう?」と思い返してみる事も必要と言われていた。
全く同感である。好きで病になった訳ではないし 意思をなくしているわけではないのだから…。

今日も病院帰りの家族が心待ちにして立ち寄ってくださり「ここに来てよかった」と言われた。
離れて住まうお母様を思って初参加の方が 家族と共に参加なさった認知症の方と出会い かなり緊張されていた。隣にいらしたのでその緊張ふりが伝わってきた。かなり刺激なったようだ。
あまりに固い表情なので 帰路 声をかけて母のグループホームにお連れした。母の表情をみて安心なされ 入所者の方ともお話しなされ 少し心が緩まれたように感じた。

母との面会は極短い物だったけれど「明日 髪結いさんに行こうね」というと「判った」と言っていた。
母の気になる言葉もあるので ゆっくりとした時間を過ごそうと思っている。


2006年03月06日(月) 不法投棄…


 利用者さん訪問
「金曜日にちょっと手をかければ良いようにして下さったので 自分で好きなようにお料理が出来ました」と感謝された。
ご家族も食べ物はあるかと心配なさっておいでだったが「ちゃんとあるね」と安心なさって帰られたと言われた。

「キッチンに立って『何か作ろう』と思うけれど 野菜を洗ったり 料理後 鍋を洗ったりと言う手間が多くなると思うと買って食べた方が良くなってしまうのですよ。でも 下処理して下さってあると手間が省けて 頑張る気になります。おかげさまで助かっています」とお話下さった。

当然の事をしたまでで 感謝されるなんて…。
でも 他の方は仕上げて帰られる方が多いと言われた。

はて 何でこんな事やれるようになったのだろう…。
よくよく考えると…。
遠距離介護をしている時 母の一言が効いているのかも知れないと思い当たった。
「あんたたちの使った寝具の後片付け 結構大変」と言われ それからは 使ったものは 片付けて洗濯もしていた。
これは 祖母が1人で暮らしている時 親戚の人が泊まった後も同じような事を言っていた。
「調理もめんどくさくなってしまうのよ」とも言われた。
暫く来れないなと思って 冷凍の効く物を料理したり お野菜や魚も下処理して冷蔵庫へ収めたりするととても感謝された。
そう言う経験から 学んだ事があるのだと気が付いた。

自分だって 横着だから後片付けが嫌になる時も有るし…。

そうなんだ。母や祖母の何気ない言葉から随分学んで今があるのだと思った。だから 感謝の言葉は 母に捧げるのが一番だ。

話しは変わるが…。
「どっちが良いんだろう」と思うことが起きた。

うちの地域は ゴミの不法投棄は 全くない地域だった。
だが この所 ゴミの不法投棄が数件続いている。
家の近くのゴミ置き場の事だ。
そこは リサイクルゴミの置き場で 不燃・可燃ごみは 個々の家の前に置くと決まっている。
どう見ても 個々の家の前に置くべき物(有料ではない)がリサイクルの置き場に投棄している。
昨夕 ご近所さんが「一度回収してもらったら 次々と置いていく」と嘆かれて居られた。

我が家で使う場所でも そういったことが過去にあった。
その時に 通り迎えの方と分業してゴミを分別してそれぞれ持ち帰り次の回収日に出したという経緯がある。
「不法にゴミが置いてあると 次にまた捨てる人が出るので片付けよう」という事になったのだ。

昨夕 そういう経過を伝えたのだった。

今朝見た時 まだ放置されていた。
昨夕お話したご近所さんと顔が会ったので「外から持ち込んでいるように見えない。町内の方ではないかと思う。例えば 高齢になって回収日の記憶が消えかかっている人だとしたら…」と伝えると「エッ そういう事有るの?」と聞かれた。
「そういう事は 有るのよ。以前はあの場所が全てのゴミの回収場所だったでしょ。ゴミの捨て方 綺麗だから 何となくそんな感じがするの」
だとしたら 黙って処理してあげて様子をみて行く方が 穏やかな解決の仕方と思うのだけれど…」

という事で 今日回収される分は それぞれ半分ずつ持ち帰り回収していただいた。
が まだ 不燃ごみは残っている。
それで それらを束ねて一応その場所に置く事にした。
これで 数日置いてから 不燃ごみ回収日に 再度 家のゴミとして出す事にしようと…。

でも ご近所さんは 捨てて貰えると不法投棄がエスカレートして行くのじゃないか?だから役所に苦情を言ったほうが良いのではないかと言われた。

今回 先に気が付いた誰かが「不法投棄禁止」の張り紙をしたそうだ。
でも その紙は剥がされていたという事だった。
捨てた人が 剥がしたかは定かではない。

不法投棄は 良くないけれど…。
行政に依頼してなくなるのだろうか?
騒ぐと疑心暗鬼な風潮は生まれないだろうか?
そうでなくとも お隣同士の壁が高いのだけれど…。

暫く様子見。。。


2006年03月05日(日) お出かけ

 お天気が良いので洗濯機を朝から廻しっぱなし。
昼 母の所に向かう。
家族は 休日で家に居るけれど お昼支度もしないで母の所に飛んでいった。今日のようなお天気には お散歩。。。

排便が4日ほどないので 昼食を食べたがらなかったと言うお話を職員からお聞きした。
じゃ 先ずは お腹に詰めなくちゃ。
お隣のお店に出かけた。
と言うのも「ラーメン食べる?」と聞くと目を輝かせたからだ。
入って 直ぐにワンタンメンとレバニラ炒めを頼んだ。

先に仕上がったレバニラはお店の人が推奨するだけ有ってレバーが良かったみたい。母は「おいしい」とレーバーをせっせと食べた。
ニラはきっと繊維が残って食べ難いだろうと思い「もやし」を中心にした。
母が喜んでくれるのをみて お店の人も嬉しそうでニコニコ。
ワンタンメンが来ると小鉢に母の分を分けた。
うずらの卵を入れてあげたらそれをお箸でつまんで食べ始めた。
お店の人は「まぁ〜器用に箸を使えるのですね」と驚かれた。
母が認知症だという事はご存知で お散歩の度に 声をかけてくださるのだ。 昼食の補足より少し多めに食べた母。
会計の時おつりを貰ってテーブルに載せたら「ほら」とお金を指した。
きっと「忘れるないように…」といおう気持ちだったのだと思う。

お店を出てお散歩。
幸い ふきのとうや紅白の梅の花が見られた。
庭園で見るほど 配列されていないのだが…それでも「わぁ〜」と声を上げた。1.5キロほどくるりと歩いた。途中娘から電話が有り 母を拾って買い物に出かけることにした。夫はちょこっと会社に用が出来たようだった。

車に乗る時 母を後部座席に乗せた。
乗り込みはゆっくりだが もう車の乗り降りは介助があれば難しくない状態に戻っている。
道が混雑していて 娘と私が話していたら母の期限が悪くなった。
「どうして笑っているの?」と憮然としている。
反省して 後ろに手を運んでいろいろ話しかけた。
景色より人の温もりを求めているようだ。
日によって 違う事に興味を持つんだなぁ〜。

お店について アチコチみて廻った。
が 疲れた様子なので席に付いて飲み物を飲み事にした。
沢山の人がいて 母はキョトキョト。
これもかなり疲れたようだ。やはり 2つもの楽しみは無理かな?
娘も買い物が済み 帰路に付いた。
帰路に付く頃は 陽も西に傾き始めていた。
「夕日が綺麗ね」と言うと母も目を細めて見ていた。

帰路の道もかなり混雑していて 施設に着いたのは6時少し前。
みんな夕食も済んでいた。
母の居室には 布団が敷いてあった。。。

母の食事を温めて貰い夕食を頂く。
その間に 施設を後にした。

今日のトイレ誘導は5回。
内 外出前は半分間に合わなかった。
出先での2回と戻っての1回は 成功。特に戻ってからは水分摂取も多かったのでかなりの勢いだった。

母は今日はかなり疲れたと思う。
でも「外に行きたい」とはっきりと言った。
今頃は ぐっすり眠っているのかな?

洗濯物は 全てカラッと乾いていて嬉しかった。


2006年03月04日(土) 怠っていた菜園…


 3月に入って 俄然 気になって来たのが畑。
自分に いろんな言い訳をして この冬ちっとも畑に出向かなかった。
草が生い茂って他に方に迷惑をかける事もないのが 緩みきった最大の理由だ。

1週間ほど前から「じゃが芋」を植えるため また春先の野菜の種まきをしたくて…。でもその前に土の天地返しをして石灰をまき土壌改良しなければならない。石灰や鶏糞は既に購入してあるので足を運べば良いだけれど…。

夫に「畑 やらないの?」と聞いたら「あなたに任せるよ」と。。。
夫は張り切って畑仕事をして お休みの日は子供を連れて出かけとても楽しそうで「あなたには出来ないね」と言っていたのに…。
夫のために借りた畑なのになぁ〜。うまく行かないなぁ〜。

畑では 数人が作業していた。
皆さん よく手入れなさっている。既に天地返しの済んでいる畑もあった。
私みたいに放置の方もポツポツ。
寒い中でも 皆さんしっかり作業しておいでだ。
お向かいの80歳を越える方の畑もビニールのトンネルを作り葉物を育てておいでだった。奥様を介護なさってなかなか大変な事だっただろうなぁ〜。

土を掘り起こしていたら ほど芋の取り残しが結構出てきた。
それもかなり大きい。
ほど芋が大きいと言っても ピンポン玉より少し小さめ位のものだ。
茹でて塩を振って食べているが…。
これがぽくぽくとしていてとても甘い。サツマイモや南瓜と言うより茹で栗のような食感かな?
これは 嬉しい誤算だった。

葱もいっぱいだ。
この冬は 次々と葱を頂き畑まで出向かなくとも良いほどだったので…。

畑の隅に植えてあるニラも8センチ位に新しい葉を広げていた。
ルッコラもこの寒さにも耐えて葉を広げていた。

それに引き換え 春菊は消えてしまっていた。
ブロッコリーは花芽もない。
これは寒さのせいなのかな?

里芋も放り出していたので半分は駄目になっていた。ここも掘り起しして取り出し天地返し。。。
ヤーコーンも有るはずだが それは芽が出るまで待って移そうかと思う。

天地返しをしていたら 冬眠中のトカゲを起してしまった。
明るい所に出たらヒュッと動き回る筈なのだが 尻尾を丸めて殆ど動かなかった。可哀想なので 穴を掘ってまた土に戻してあげた。

小川で 里芋やほど芋の土を洗い流した。
さすがに外で水を使うと寒い。

人の声がして顔を上げると隣の畑の方だった。
「お久しぶりです」と声をかけると「わぁ〜お久しぶり」と。
「ようやく始動です」と言うと「お母様 どう?」言われて…。
「はい それも有って遠のいていました」と言って暫く立ち話。
「ね 水菜や春菊勝手に抜いて行っていいよ」と。
「折角育てられたのに…」というと「ほら じゃが芋を植える場所を確保しなくちゃならないから…」と。
言葉に甘えて遠慮がちに引き抜いていると サッサと青梗菜やべか菜を抜いてくださった。
その上 隅のほうに植えておいたら…と土をつけた水菜も下さった。
早速 植えさせてもらった。
からし菜も「お摘みできるよ」と他に西洋からし菜も下さった。
西洋からし菜は水菜とルッコラとでサラダにすると美味しいと教えてくださった。

お隣の畑は ほんとに青々としている。
聞くと この1週間で畑が見違えるように勢いずいて来たそうだ。
やはり雨と気温の上昇が作物を育て上げるんだなぁ〜。
そういえば 高騰していた野菜たちも大分落ち着いた値に戻っているもの。

天地返しした土に石灰を蒔いて 更に土を返して…。
お日様が高い間は暖かかったが日が傾き始めたら気温も下がり始め寒々としてきた。

収穫した作物と頂き物も葉っぱを持って ホクホクと家路に着いた。
夕食に早速 蕪と西洋からし菜とルッコラと水菜を使ってサラダを作った。
お塩とバージンオリーブ油をかけて…。美味しかった。

畑に行く時から覚悟はしていたが…。
腰や腕が痛くなってきた。
母の介助でこの所腰に来ていた。先日もストレッチしながら河川敷を歩いたりして 大分改善されたのだが…。また酷くなってしまった。
痛みが有るという事は 生きている証拠だわね。
パソコン打ちながら 肩を前に後ろに廻して 肘や背中も伸ばしたり縮めたりして体の調整。。。
「直ぐに痛みが現れるって 若い証拠」と自分を慰めながら…だ。


2006年03月03日(金) 桃の節句


 いやぁ〜もうお雛さまです。早いなぁ〜。
我が家のお雛さま…。もう何年も出していません。
母の手作りのお雛さまのみ出しています。

今朝 夫が言いました。
「家の娘は 当分行きそうにも無いから 今日出して3ヶ月位飾っておけば良いじゃないか」とのたもうた。(ひゃ〜 それじゃ あんまりじゃないの)

お雛さまは 手抜きだけれど…。
五目チラシは 昨日から仕込み始めておりました。
椎茸・かんぴょうは 戻すまでは良いけれど 煮付ける時になると忘れて焦がしてしまう事多いのです…。
今朝は 海老に味付けをして ご飯のタイマーを入れて活動に出かけました。
利用者さんは フライパンで簡易のシチューを作られていた。
「台所が…賑やかです」と言われたので 後片付けしながら調理を始めた。
残っている食材で3品出来た。牛蒡と人参を大き目の短冊切り きのこと豚バラ肉をお酢とみりんとお醤油で煮付けたり…である。名もないお惣菜ばかりである。
その後 お買い物同行。
いつものごとく活動を終えた。

家に戻って ささがき牛蒡を作って味付け。人参の千切りを甘く味をつけて
松の実と胡麻を炒って…。錦糸卵を作った。菜の花を塩茹で。
椎茸をやかんぴょうを刻みレンジでチン。
アナゴがないので鰻温めて刻む。
酢にお砂糖と塩を入れてレンジでチン。
酢飯を作ってから 色の黒い物から順に酢飯に混ぜて行く。

器に五目寿司を詰めて 錦糸玉子を散らして彩りに菜の花。
「さくらでんぶ」も使いたい所だが 甘くなりそうなのでやめておいた。

それを持って母の所に向かう。
おそらく施設でもひな祭りの行事食だろうけれど…。家の味を届けたかった。

母は とても不機嫌そうな表情。
「あのね 家には帰らないのよ」と母は言った。
「ここに居るのが良いのね」と言うと納得してない表情だ。
「さてと お部屋に行きましょう」と誘った。
居室に入ると顔が崩れた。
トイレ誘導すると泣き出した。そう 失敗していた。
「大丈夫よ。これだけ出ると安心だわ。水を良く摂っているという事だから良かったね」と言葉をかけた。
すっきりさっぱりしたら 母の表情は落ち着いていった。

居室で五目散らしを食べてもらう。「おいしい」とモグモグ。
「お腹いっぱいじゃないの?無理に食べなくても…」と言うが 箸は良く伸びた。でも半分でやめてもらい後は夕食に回してもらう事にした。

居室で椅子に座って足上げ体操。
母は骨折以来 左の足が弱っている。骨折したのは左肩なのだけれど…。
やはり 骨折と言うものは 肩であっても体のバランスが変わってしまうのだろう。。。
左足を真っ直ぐ伸ばすのである。
でもいきなり左足に入ると「痛い」と嫌がるのは見えているので右足からゆっくり始めた。
左の時は「痛い?」と聞き「頑張ろうね」と励ましながら…。
暫く続けて 無理のないところで終えた。

ホールに出て みんなとテーブルの上でボール転がしをした。
母と母のお隣の部屋の人と向き合って始めたのだが…。
お隣の人の楽しそうな顔に比べて  母の表情は引きつっていた。
ボールを受けても送らない事が何回かあった。相手の方に気付かれないようにカバーに廻った。
母は相手の方を睨んでいる風にも見えた。

休息して居室に母を連れて行く。
「一緒に遊ぶの嫌なの?」コックリする母。
「聖書に『汝を愛するように 隣の人も愛しなさい』ってあるよね」
「意地悪…」と母。
「誰が?」と聞くと母自身を指差した。
やっぱり 自分が意地悪していると判っているんだ。
二人の間に何か有るんだろう。

その後みんなでおやつ。雛あられも出ていた。
おやつの時には みんなと離れて席に付いて気分転換を図った。

おやつが済んで トイレ誘導して帰り支度を始めた。
ふと見ると さっき遊んで遊んだ方が別の方の遊んでいる手を邪魔するように音のなるトンカチで叩いている。
ちょっとやめてはまた叩く。
見た目には 遊んでいるように見えるが…これは明らかに嫌がらせである。
丁度職員が傍に居たので「あらら…」と伝えた。
職員は「○○さん」と注意を促すが聴こえていない。
「ま これくらいは…」と言われた。

そうなんだけれど…。いいのかなぁ〜。何とか方策はないのかな?
仕方ないので 叩かれている人に別の場所に誘導した。
よく判る人の方は 刺激が少なくて人の動きが目に触るのだろうと思う。
注意をして判るのは 頭がしっかりしている方だけれど注意して直るというものでないだろうしなぁ〜。
人の目を盗んで陰湿になっていくのも怖いし…。現に 誰も見ていない時に起こりやすいしなぁ〜。
認知症の進んでいる人のフォロー…。難しいなぁ〜。

あら 桃の節句でまとめようかと思ったら飛んだ脱線。。
夕食 1人で五目散らし食べました。


2006年03月02日(木) 河原で…


 今朝 夫に頼まれた用でぶらりと外に出た。
いつもの行動範囲の中で済む用事。

真冬の寒さと言う程ではないけれど 一度暖かさを感じた後なので北風がとても冷たく感じた。
広々した所を歩きたいなと河川敷をテクテク。
「あ〜ここを歩くなら双眼鏡とデジカメ持ってくれば良かった」と思った時「チチチッ」と鳥の声。土手の直ぐ下にカワセミがとまっていた。
「ひゃ〜こんな傍に…悔しい!」携帯電話を取り出して写そうと思ったら気配を感じたのか一直線に向かい側の岸に飛んでいってしまった。
カワセミの飛んだ先に なにやら白い鳥が潜ったり浮き上がったりしている。小鷺より小さい感じだ。隣には少し茶色っぽい鳥もいる。
少し近くに寄ってみたら「ミコアイサ」のつがいのようだった。
離れていて携帯で無理とは思ったが 一応パシャリ。
画像はきっと駄目だろうけれど…この冬(もう春か)初めて出会った。

ちょっとウキウキ気分で川べりを歩いた。
土手を降りて水辺まで行くと コサギや川鵜 白セキレイやカモ達が水辺にいた。大きな木の枝々にはムクドリや雀が群れて賑やかだった。
葦の間をシジュウカラ等が飛び回っている。
ツグミも2足飛びで地面を飛んでいた。
歩いているとパッと飛び立つ鳥。百舌だった。

いろんな鳥達に出会えた。
カモももう北の方へ渡って行く頃だろう。
おしどりやオナガガモも…。

歩く先から 次々に鳥たちが飛び立つ。
追いかけるように進んでいたら…。
見られない鳥の姿。
一見した所 セキレイかシギっぽい。
尾っぽを上下に大きく振る。浅瀬を歩く姿は千鳥っぽい。
大きさは…ムクドリよりちょっと大きくてほっそりとしている。
全体から受ける印象はグレー。単色っぽい。冬のせいかもしれないが…。
くちばしは ちょっと長めだけれど凄い長さではない。
飛び立つ時尾っぽに白い紋様があった。端から端まで。

家に帰って本を広げたが 見つからなかった。 
ネットでも調べたが 該当するものはなかった。
一羽だけでなく 群れていた訳でもないが 数羽見かけたので珍しい鳥ではないのかも知れない。
でも これまでこの当りで 見かけた事がない鳥だった。
渡り鳥なんだろうなぁ〜。

頭には焼き付いているので ゆっくり調べて見よう。。

バードウォッチングとなってしまった用足しの道。
夫から頼まれた用も果たし 久々に地域の農家の市に立ち寄り新鮮な野菜を購入し スタコラサッサといつもの道を戻った。


2006年03月01日(水) 母にからかわれる


三寒四温…。今日は予報通り冷たい雨。
おべんとを作って母の所に向かった。
昼食ギリギリの筈。
でも今日は少し遅れていて まだだった。
居室に洗濯物と荷物を置きに入ったら 血圧計測器と体温計が有りビックリ。聞くと昨日7度3分の熱があったという事だった。もう すっかり下がっているとの事でホッとした。

昼食は 母の隣に座って みんなと一緒に食べた。
母には おべんとをおすそ分け。
とはいっても自力で口に運ぶのは 少しだけなので介助が多い。

最高齢の方は昼食拒否。
イチゴのデザートがあったのに「全部いらない」と言われた。
職員が入れ替わり勧めていたが「拒否」は変わらなかった。
「調子悪いのでしょうかしら?」と職員に伺うと「機嫌が悪いのでしょう」と言われた。こういう時は 下手に関ると拗れるので静観。
「食べないと体の調子が崩れてしまうから心配」との声掛けにも「長く生きたくないから 良い」とかなりおへそが曲がっていた。
でもきっと快調でないという事なんだろうと思う。

食事は1時間ちょっと掛った。こちらの持ち込みもあったので一番遅かった。
食事中は喫煙できなくて 母のためにお預けになっている利用者さんもいた。「ごめんね」と謝ると「いえいえ」と手を振って下さった。

リハの時間ギリギリとなり 即横になって貰った。
今日は割りに辛抱強くリハを受けていた。途中からはzzz。

リハを終えてからトイレ誘導。
今日は時間が足りなくてリハ前にトイレに行けなかったので失敗。

その後ホールに出てキャッチボールを始めたら「テレビの前で騒ぐなんて非常識」と入所者の方からクレーム。
ご自身テレビを見ている途中でコックリコックリなさっているのだが…。
お昼も召し上がらなかったのだから 気分も悪かろうと思い即 お仲間3人と自習生と母の居室に移動。

母と同じ年の車椅子の方 最近とても調子が良い。
ボールを受けたりも出来るようになり。テーブルの上でボールを転がして遊ぶ事もできるようになってきている。
お昼にはエプロンはテーブルの下に下げてあったのに お隣の人と同じようにテーブルの上に引っ張り出して居られた。
エプロンをする事 またテーブルの上に置く事が良いか悪いかはさておいて
隣の人を真似るというのは 頭を使っている証拠だもの…。いつも 食事中もコックリコックリなさっておられた事を思えば 状態は良くなられたのだと思う。言葉も発するようになってきた。
「甘い」「冷たい」と食事中も適切な言葉を発していらした。

居室でのキャッチボールの輪にも入って頂く。キャッチボールは無理なのでユメルちゃんを抱いてもらった。
お話しするユメルちゃんを抱っこして「重いねぇ〜」とニコニコなさっておいでだった。
キャッチボールは歌を唄いながら…。
途中風船バレーボールも。
実習生は目をパチクリ。
話しもせず立ち上がって歩いたり 母のようにニコニコして質問にも全く答えない人が キャッチボールになると俄然活発に動き出したからだろう。
手のひらにすっぽり入る小ぶりのボール 時に両手で時に片手で受け止める。目の見え難い方には テーブルでボールを転がしてあげる。目が慣れてくるとスピードが出ても受け取れるようになってくる。

みんな1人では遊べない。
でも一緒の輪になるとお互いの事が見えてくるようで…。気配りを始める。
この数年いろんな方とキャッチボールをしたが 殆どの人がとても楽しそうになさる。勿論嫌がる人を無理に誘い込む事はしない。
でも 一度「嫌」と言っても そのうちボールを廻すと自然に輪の中に入って来られる。この輪に入れなかった人はたった一人だけ。。。
人前で失敗したくない方だ。

おやつの時間になった。
各自におやつが配られた。
母がおやつを手にした時 目の前に両手を出したら 母がサッと引っ込めてニヤニヤ。「あれ?」と思って また両手を出すとサッと引っ込める。
引っ込めてから ニヤニヤしながら そうっとまたおやつを見せる。手を出すとまた引っ込める。母は明らかにからかっているのだ。
きっと 気持ちに余裕があるからだろう。
今日は 殆ど声を出さない。
でも 表情で良くわかった。

その後 居室でまた運動。椅子に座って片足上げを交互にしたり両足を上げたりした。天井を見たり床を見たり…。
冷たかったみんなの手もホカホカになっていた。
あまりに賑やかで「楽しそうですね」と職員も入ってこられた。

母の機嫌は 時折不安定になった。
排便があったと言っていたが あと少し残っているのかもしれない。

朝 既に奥様を看取られた介護仲間から電話があった。
「私はね もう 介護される方に廻ってしまった。介護されるとねぇ やっぱり違う事が見えてくるんだよ。これで良かったのだろうか?と思うよ。それを伝えに行きたいのだけれど 日にちや道を忘れてしまうから行けないんだよ。最後まで頑張るけれど でもちゃんと伝えたいって思うんだよ」とお話下さった。その気迫に胸がツンとした。
「近くに仲間にいて 車でお見えになっているようだから 一度聞いて見ます。了解されたら お迎えに行けると思います」と伝えた。
「有難う。出来る時にみんなの役に立ちたいよ」とも。
「あんたね。お母さん骨折なさったって。私もね転倒してね。大分経ってから肩が痛くなってね。いろんなリハビリしたよ。その事を伝えたくてね」
「有難うございます。お会いした時 是非とも教えてください」
素敵な生き方をなさっておられる方だ。数えで84歳。。。


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