母のタイムスリップ日記
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2005年02月28日(月) 認知症専門の眼科・歯科・外科…?

利用者さん訪問
利用者さんは 特にお変わりなくお過ごしだった。
昨日 ご家族が 副菜を運んでくれたとの事で特に調理の仕事はなかった。
ただ 小松菜が勝ったまま冷蔵庫に入っていると言われたので 筋張ってしまう前に茹でた方が良さそうだったので了解を得て茹でておいた。
時間が有るので お掃除を丁寧にした。
普段はベットの棚等は省略するが 時間の許す時は隅々まで。
臨機応変に対応しないといけない。
買い物に同行し野菜や魚等を買って戻り それらを小分けにして冷蔵庫 冷凍庫にそれぞれ収納して活動終了。

午後は母の所に向かった。
母はとても不安げな表情だった。
私を見るとソファーから立ち上がり居室に入った。
ちょっと 珍しい行動である。
言葉をかけても 面白い事をして見せても浮かぬ顔は固まったままだった。
「どうしたの?お腹でも痛いかな?」「痛くないよ」
「分らない事は気にしない」と唐突に言い出し それを数回繰り返して言った。
「年取った人がね。。。」というけれど その先が続かない。
直接トラブルになったのか 母自身が感じた事なのかはっきりしなかった。
椅子に座ってもらったら おならの匂いがしたのでトイレ誘導。
いきんで貰った。暫くして排泄があった。

今日は 眼科に通院させようと思っていたが これだけ不安が強いと検査は無理だろうと判断した。
先日 医師の指示通りに目玉を動かせなかったので 言葉で訓練した。
「横目をしてみてよ」と言うと顔ごと動かした。
顎を押えて再度取り組んでもらう。
それでも うまく行かないので お手本を示してみた。
少しずつ 指示通りに動かせるようになってきた。
まだ 有る程度言葉を理解できるので 幾度かチャレンジして練習して通院してみようと思った。

歌もそうだけれど 直ぐに唄えなくとも少し唄ってみると思い出せるという事は見えていた。この観察が当たっていれば 繰り返し取り組めば 少しは検査がしやすくなりそうに思えてならない。
暫く遊んでいたら 大分気持ちがほぐれた様子で 笑顔が出てきた。

その後 お散歩に出た。
「少しぐらいなら 走ってみても大丈夫よ」と急に母が言い出した。
「じゃ 走ってみよう」と手を繋いだままタカタカと走ってみる。
しっかり走るけれど 無理はしない。
「あ〜疲れた」と立ち止まると母も安心した様子になる。

また歩き出すと「目にゴミが入ったみたい」と言い出した。
左目である。「やっぱ 無理しても連れて行くべきだったかな?」と気になる。
途中薬局に立ち寄り目薬を買った。
お菓子売り場で母が棚からお菓子を取ったので篭に入れた。

行動は普通の人と変わりないけれど…母は「買う」と言う意識はないだろう。

一時間半ほど歩いて 施設に戻った。
「くたびれたよ」と言う言葉が合図となった。
気持ちが満たされたのだろう…居室に入っても不安げな表情は出て来なかった。

居室で目薬をさしてみた。
先日 医師の点眼の時「痛い」と騒いだので これも練習と思った。
やっぱり 嫌がった。
それでも この先眼科通院をするなら慣れておいた方がベストだろう。
薬が沁みるというより 目に違和感を感じている様子だった。
3・4回点眼して終了した。

病の進行と共に予測していなかった場面に出会う。
ん〜限界の判断は難しい。
やっぱり 認知症専門の眼科・歯科・外科…が必要なのかも知れないなぁ〜。

夕暮れになったので家路に着いた。

施設の職員に畑の様子を知らせて「葉ものを摘んで良いですよ」と伝えた。
「お天気の穏やかな日を選んで出て見ます」と言われていた。


2005年02月27日(日) 生命力


 昨年から 世間で起きている風が我が家を直撃している。
別に社会の人が言う世間の風ではないけれど…。

夫や娘の職場が騒がれている事に関っているのである。
直接関っているけれど きわどい事に関っていないのでそういう意味では安全なんだけれど…。
「選りにも拠って…」ととても不思議な感じがする。

家族との会話にリアルタイムで話題に上る。。

夫の仕事でも娘の仕事でも 今回の騒動外でも騒がれたりする事がダイレクトに耳に入ってくる事もある。
けれど 熱が篭っている所に水を差してはいけないと思い 日記では その事に極力触れない事にしている。

「いろんな事に仕掛けが有るんだ。。。」とつくづく感じる。
そして 良いにつけ悪いにつけ それに乗って行く人もまたいるんだという事実に怖さも感じたりもしている。

そんな世の中の風とは あまり関係ない所で…我が家は結婚以来 初めての危機に見舞われている。
危機意識を持ちながらも 何処かでそれを楽しんでいる自分がいる。
「何とかなるさ♪」と言った調子…。
世の中 もっと大変な人もいるのだもの。。。

今朝はとても冷え込んだ。
真っ青な空に富士山がくっきりと見えた。真冬の空気だ。
朝刊を取りに出た時 ふと 桜草の鉢植えの土を触ってみた。
拳骨で叩いてみると拳が痛くなる程 コチコチに凍っていた。
それでも 桜草はピンクと白の花を咲かせている。そんな時でも花は凍ってないのがとても不思議に思えた。

洗濯を終えて物干しに立って富士に目をやるともう白いもやに隠れてしまっていた。やっぱり春なんだなぁ〜♪

「お日様の有るうちに…」とスコップを担いで畑に出た。
久々である。
スナップエンドウは 寒さに負けて茶色になっていた。それでも根元に緑色の蔓が新しく伸びていた。
処理して掘り起こそうと思っていたけれど…ひょっとしたら土の中で根が生きているかも…と思いそのままにした。
春菊も同様である。

驚いたのは芽キャベツだった。
晩秋から初冬にかけて ヨトウ虫に頭を食べられてしまって 無残な形になっていた。それでも 諦めきれずに少し消毒をして様子を見ていた。
時折畑に寄り様子は見ていたけれど 手をかけることもせず放置状態。
それが 今日見ると頭の方に開いた芽キャベツが付いていた。
それを収穫しようと鋏を入れると…その下のほうに小さな芽キャベツがびっしり付いていた。

青梗菜は 伸びて黄色の花芽を持っていた。
万能菜も4・5センチの背丈に小さな花芽を持っていた。
両方とも鳥たちが緑の葉っぱをつついただろう形跡があった。虫ではないようだ。

玉葱は 駄目になった部分も有るけれど 細々と生きていた。
隣の菜園との境目にあるニラも暖かくなれば芽を出そうと準備していた。

草だって アチコチに出ていた。
助かるのは 夏と違い成長は遅く困るほど大きくない事だ。
順番に草を抜き 何も植えてない場所を掘り起こした。
鶏糞をまいて 更に有機肥料も…。
更にスコップで慣らして…今日は終了。

空芯菜やヤーコーンやほど芋は根を残して有る。
これらが春先どんな動きを始めるか楽しみだ。

それとアスパラである。
一年目から収穫出来るという苗を買い 秋に植え込んでいるのだ。
これが どう出るだろう。。。

畑を耕しながら さて何をどう育てようかと考えていた。
また 忙しい季節が始まるんだなぁ〜。

それにしても 鉢植えの桜草 畑の作物の生命力の逞しい事。。。

あっ そうだ!
昨日 書き零した事があったのだった。
施設で ママレードを作った後 入居者にデジカメを渡して それぞれの人を写して貰った。おそらく デジカメなんて知らない人たちである。

写した物を直ぐに見せてあげた。
「あら〜 今 写した物が 直ぐに見られるのねぇ〜」と90才を越えた入居者が驚いた。他の人は そういった不思議さは感じなかったけれど 画像を見てニコニコ笑っていた。勿論母も ニコニコ笑った口である。
ポラロイドカメラで撮ってあげた事も有るけれど…。
お互いを撮り合う事は初めての事である。

もうひとつは 母の消え入りそうな会話の中味でも一際きらめく言葉を聞いた事である。
同じ年の方が 母の居室で過ごして出て行こうとした時の事である。
「あら ご不浄に行かれるの?」「違うみたいよ」と私が補足すると…。
そうっと 傍によって行き「足元 大丈夫。気を付けてくださいね」と足元を見守り「また おいで下さいね」と声をかけていたのだった。

施設の中には 病の進行の軽い人もいて他の方が入るのを嫌がる人もいる。
病の行き着く先に こんな風に人を受け容れる気持ちが残される事を知り ホンワカとした気持ちにさせられたのだった。。。








2005年02月26日(土) お決まりのアクション


利用者さん訪問。
利用者さんの用事や通院が重なって随分お休みしたような気がする。
直ぐいつも通りの活動に入った。
利用者さんに「3月の予定表を作ってください」と御願いしていたのでそれを再度点検なさっていらした。
「退院したらね。『どう?』と電話が入って元気よというと『顔を見に行くわ』と出かけてくるのよ。同級会も有ったり 大切な友人の誕生日会があったり…。楽しいんだけれど疲れてしまうのよ」と言われた。
「お元気になられたという事でしょうね。訪問を始めた頃は そんな元気なかったですもの…」と言うと「そうだわね。そうだわ♪」と喜ばれた。

元気になられて普通の生活を取り戻せるのは やっぱり素敵だ。

家に戻り昼食ご施設に「これから夏みかんを持ってママレードを作りたいけれど予定はどうでしょう?」と電話をし「OK」の返事を貰った。

施設に付くと母は浮かぬ顔だ。トイレ誘導で排便 排尿が出来た。
チョコチョコ片付けて ママレードの作業を始めた。

先ずは職員に作り方の行程を知らせた。。
次に夏みかんを入所者に手で持ってもらう。
「重たいなぁ〜」「「冷たいなぁ〜」「これでポコッと叩く!」
「エッ 叩いたら痛いでしょう」「どれポコッ」と自分の頭を叩いてみた。
「かなり痛いよ」と言うと「どれ」と言ってご自分を「ポコッ」痛くないよ あははは」そんな一齣の後。。。テーブルで作業に入った。
まな板の上でみかんを4分の1に切って貰い身を取り出しほぐして貰う。

この時病のまだ緩やかな方がむくれてしまった。
作業するのに 母のように指示通りに動けない方から4分の1に包丁で切って貰ったのが嫌だったのである。
おそらく自分の仕事と張り切っておられたのだと思う。
確かに その方が早いのだけれど…症状の重たい人を優先した方が良いと思ったのだった。
その方は捨てせりふを残して居室に篭られた。
作業をしているので フォローは職員にお任せした。
機嫌を直して戻った所で皮のみを細かく切って貰った。
「こういう細かな仕事はやっぱりAさんでないと…」と御願いしたら喜んで切ってくださった。
もうひとつのグループには身をほぐす作業。
ここで予定のアクションが起きた。
ほぐした身をもぐもぐと口に運び出したのである。
それもいつもなら「すっぱい」と騒ぐ筈なのに…黙ってもぐもぐ食べる。
母も同じ。ただ 他の人の作業を見て 分ける意識も生まれて…後半は時折振り分けられるようになった。
皮を切る方は ちょっと太い切り方になった。
でも それだって見えないところでフォローすればよいだけで みんな好きなように作業できればそれで良いと思った。

作業を終えて 後は煮るだけ。。。
お鍋でクツクツ煮込む。砂糖を入れる時は小皿に汁を入れて味見してみんなに貰う。
フロア中にママレードの匂いが立ち込めた。

母は 少し不満げ。と言うのも外出できないからである。
今日は 風が冷たいから 仕方ない。我慢してもらった。

しかしなぁ〜。
みかんの皮を剥けば口に運ぶって 条件反射なんだろうなぁ〜。
あんなにすっぱいのに…。

おやつ時に秋口に作ったかりんのはちみつ漬けをお湯で割って飲んで貰っていた。少し薄めだったので「甘くない」「すっぱい」といろいろいわれたけれど…。「これなぁに」で十分楽しめた。

今家でもママレードをコトコト煮ている。
ダイニングルーム中にみかんの香りが広がり動き始めた季節を感じている。




2005年02月25日(金) 介護の周辺で…


 利用者さん訪問。
今日は お買い物の付き添いだった。
行く場所は決まっていた御様子だったので 素材やサイズ等を一緒に見て欲しい感じだった。
決まっていても 後一押しの判断って欲しくなる時がある。
単に立ち会うというだけの役目で十分なのだ。
一見贅沢に見えるかもしれないこういう見守りの形…私だって欲しい時があるからよく判る。

利用者さんの周囲でも介護保険改革…が随分話題になっている様子だった。
これからどうなるか…心配の御様子である。
これだけ 報道されれば不安になって当たり前だろう。
ヘルパーやボランティア利用に踏み切ってない方から 質問を受ける事も有る様子だった。「利用料は?」と聞かれ正直に話すと「高いから 無理だわ」と言われるそうで話す事の難しさを感じるとも言われていた。

活動を終えて家に戻ったら 夫から電話 忘れ物を取りに戻るという事だった。げげっ!今日は生協の品を受け取りご飯を詰め込んだら介護者ネットワークに出向く予定だった。今回はレポート当番ゆえ 遅刻厳禁で電車の時間をチェックしてきたのに…。
程なく夫が帰宅。昼食の準備をして一緒に食べた。
「あのねぇ〜これから出かけるの。。。車乗せてくれる?」と頼むと「方向が違うけれどいいよ」という事にちょっと楽になった。
「面倒な事に…なんて思ってごめんなさい」と心の中で謝った。

ネットワークの参加者が少なかった。皆さん「風邪」でダウンされているようであった。
レポートはさて置いて 今日は介護保険の行方が自然に話題になった。
自治体による違いが見えて来るのである。
この会に有る地域の社会福祉協議会(以後社協)の方が参加されている。
全般的に言って社協の構成員は役所の人が就いている場合が多い。
それだと役所に右習いしてしまうの殆どである。
参加している社協は役所からの人が1名のみだという事だった。
やはり そういう構成でないと独自色は出せないだろう。
この社協は 介護家族の為の1泊旅行を組むと参加者が20以上で日帰り旅行を組むと40名もの家族が参加するそうだ。ショート等のバックアップも陰で多少取り組んでいる様子だった。
我が地域の行政が組むそういった介護者のための旅行の参加者は非常に少ない。それは 参加するためにワザワザショートを組むのは家族の仕事となるので 其処までの無理はしたくない…と言うのが介護者の本音だろうだからと思う。
今日 集った人たちも其処は一致していた。

介護保険についても いろいろ論議された。
結局はネットワークとして これから先どうして欲しいかを厚労省や世間にアピールして行く事が必要だろうという事になった。
今の流れとしては 有る一部の意見の吸い上げになっている側面も有るので
国民 住民として訴えていくべきだろうという事だ。
一歩一歩の積み上げ…小さな流れを作る事。。。
認知症の理解を深めてもらっていく事が一番だというのが共通認識となった。
参加者の有る方が言っていたけれど…。
一番重要な事は投票だと。。。
そうなんだよね。其処が今機能していないのがよくないと痛切に思う。

「認知症」と言う呼び方も話題になった。
これは 地域でも話題になった事である。
これの読みとして「痴呆症の告知」に動き出しているからではないか…という事を耳にしたことがある。
一方的な意見だけれど 呼び方を変える事に意味が見出せない…と言うのが私の周囲では大方の意見である。それよりも痴呆症の理解を得る事の方が良いというので有る。
痴呆症と聞いて絶望するような社会では…という事である。

今日の会はお互いに認識や地域の情報を知るためにとても有効な会となった。会が 有る方向に向かって少しずつ動き始めたように思う。

家に戻ると電話がチカチカ。
介護仲間からだった。
1人はお母様が亡くなられたという事だった。
もう1人は 介護の悩みの話しだった。1時間近く話しこんだ。
重たいお話だった。私自身 その方程の苦労はしていないけれど…。
立場こそ違っても似た様な道を歩んで来た者として状況が目に浮かぶし 苦境が見える。辛い涙が電話越しにみえ こちらもグッと来た。
解決の道等言える筈もなく 話しこんでお話を聞くだけ。。。

家族同士が纏まるって簡単ではない。。。
納得できなくても 距離を保ちながら…。口で言うほど簡単な事ではない。




2005年02月24日(木) やはり 無理かなぁ〜


母のリハビリの日なので朝急いで施設に向かった。
母の居室をみて いつもと違うなぁ〜と思った。
カレンダーが外れている。折紙が床に落ちている。指人形が数個テーブルの下に落ちていた。棚に置いてあるプーさんのぬいぐるみも床にひっくり返っていた。放置するのが嫌いな母には珍しい事。
普段は殆ど物を動かさないのに…。
お菓子とか椅子のカバーくらいが母の動かす物なのにな。

チョコチョコっと整理して お布団を干そうと思ったら シーツの間から袋に入ったまま潰れてしまったお菓子が出てきた。
潰れたお菓子は丁度小袋に入ったバウンドケーキのように見えていた。
でも 見たところチョコレートのように黒いのだ。
置いていったおやつじゃないなぁ〜と思いながら職員に聞きかけて「あっ」と思い当たった。

おとといは袋入りの2個の駄菓子の餡玉(直径2センチ程)を置いていったのだった。中の餡が飛び出て 袋は破れずに四角に潰れて有ったのだった。

「すみません。分りました 私が置いて行ったものでした」と職員に詫びた。

母はきっと後で食べようと枕の下辺りに置いたのだろう。。。
目に入らなければ 母はもう思い出す事はないのだから…。

リハの間 母は「とても気持ちよいです。有難うございました」「勿体無いです」等と幾度も言って起き上がろうとした。
今日の母は多動みたいだ。
「ね。○○ちゃん 可愛いからおまけだって…」と声がけしリハを継続していただいた。

リハの最中に母と同じ年の方がドアを開けて入っていらした。
母のロッカーを開けて直ぐ閉じた。ぶ〜とおならが出た。トイレを探しておられるように感じた。職員がいらしたので「トイレかも知れませんね」と言うとトイレに誘導するため出て行かれた。

母の着替えをして 外に出た。
今日こそは 眼科に通院。そして家で入浴洗髪。。。
バスで駅前に出て 眼科に行ってみたらお休みだった。ひとつは「3時から診察します」と書いてあったので 先に家で食事する事にした。
今日は時間にゆとりが有るし母も元気な様子なので歩いて家まで戻った。
長いダラダラ坂を登るのは 久しぶりである。登れるかなぁ〜といささか不安もあったけれど…何とか2キロ強の道のりを歩けた。
いつも言っているけれど 最後は3階分の階段が有るのだ。
踊り場でちょこっとの休息を入れながら上りきった。

それだけでも充分凄いのに 帰路も駅までしっかり歩いた。
おそらく 今日の歩行はトータルすると5キロ程歩いた事になるだろう。。

家で食事をして入浴洗髪を済ませて 爪を切って。。。
おもむろに眼科に向かった。

最近の母の様子から 診察は無理かも…と思っていた。
受付で「認知症です」と断った。
「付いていただけるのですね」と言われたので「勿論です」と応えた。
診察では 顎を台に乗せなくてはいけなかった。それくらいは出来ると思っていたが…。母に理解できなかった。
仕方がないので「目の検査をするから ここに顎を乗せてね」と顎を台の上に置いて上げた。しかし直ぐ顎が浮かしてしまう。
それでも軽く診察が出来て「軽い白内障がありますね。問題は…次の診察なんですね。目に少し麻酔して検査して見ましょう」と倒れる椅子に寝転んで麻酔を点眼。。。「痛いよ。もういいよ」と母。
それでも 医師は諦めずに次の診察に移ったが…。
指示に従って目を開けていられなかった。幾度か試みてくれたが…やっぱり目を瞑ってしまった。
医師は「無理ですね。大きな病院ならできるでしょう。。。」と申し訳なさそうだった。

眼科を出た時に「言う事が分らない。。。分ってもらえない。。。分る人もいるのに。。。」と呟いた。「そうかぁ〜 そうなんだね」とだけ返事した。

ちょっと 心配は残るけれど…。何とかなるだろう。
若し 何ともならないとしたら それも仕方ない。。

バスに乗って施設に戻った。
居室で椅子に座っておやつを食べている時「あ〜夜 いるんだね」と急に言った。「?」と思ったら「夜 嫌なんだよね」と付け加えた。

職員が「この所 早く眠るんですよ」と言っていた。
早く眠れば 早く目覚めるだろう。。。おそらく幾度も目覚めるだろう。

職員の少ない夜間 母はホールを1人うろつくのかなぁ〜。
託す身としては…複雑な思いがする。
「そうか 夜が嫌なんだねぇ〜」









2005年02月23日(水) 片付けようと思ったのにぃ〜。。。


 今日はフリーの日だった。
洗い終えて乾いた洗濯物がお部屋の隅に積み上げられている。
廊下やフロアには 綿埃がふわふわとしている。
今日こそは 味噌を仕込みながら片付けるぞうと思っていた。

♪ぁ〜それなのに それなのに♪
レポートの原稿の仕上げ等に追われて1日がアッという間に過ぎてしまった。
日記を読んでくださる方は お分かりになると思うが書き間違いや打ち込み間違いが多い私なので 汗が出るほど。。。
レポートをプリントアウト。。。
おそらく今日1日でのプリントアウトの量は150枚位になるんだろうなぁ〜。

それでも何とか終わりが見えてきたのでホッとしているのも事実である。

味噌作り用の豆は煮上がったが…マッシュしていない。
塩が不足していた。

そうこうしているうちに夕暮れとなり 洗濯物を取り込み片付けていたら
7時を回ってしまった。
廊下やフロアをモップで拭くだけの省略掃除をしながら夕食作り。。。
今日の献立は残り物の材料を整理。。。
ちりめんレタスとルッコラを手でちぎり きゅうりを切りアボカドを刻んでレモン汁を振って和えたサラダ。
空芯菜のジャコ炒めと新じゃがを皮ごとお醤油で煮た物と塩シャケ。
おつゆは根昆布のおすましである。

1人夕食を摂ったのは 9時を回ってしまった。

今日の片付けは応急的なものである。
こうやって家事が溜まっていく。。。ウ〜ッ!

明日はリハビリと通院か美容院かなぁ〜。
母の体調にも拠るんだなぁ〜。元気で有りますように…。


2005年02月22日(火)  「幸せですか?」

 
母の所に出向くと 母はトイレ誘導中だった。
居室から出てくるとニコニコとしていた。
職員の話しによると 昨日は排便がなかったという。
特に苦しそうな顔もしていないので比較的調子がよくお腹の調子も悪くないのだと感じた。

今日は 便検査の容器を届けながら尿検査も受け できれば眼科も通院できればいいかなと思っていた。
かかりつけ医が同じビル内にある眼科を勧めてくれていたからである。

施設を出る前にタップりと水分を摂取して貰った。
職員に排尿の量を聞くと少しのみでした。パンツも濡れていませんでしたと報告を受けた。

バスを乗り継ぎ出かけた。
バスの中では しきりに独り言が続いた。
それでも 罵声を浴びせる訳でなく目に付いた看板を読み込むくらいなので
「そうだね」と相槌を打っているくらいで間に合った。
バスを降りる時「私の分は?」と聞いてきた。
この所 料金の事が急に気になってきているようである。。
「はい ちゃんとパスが有るからね」というと安心して下りた。
しかしバスの乗り降りはかなり危なげ。。。ちゃんと手を貸してあげないと転等しそうである。

そういえば 今日。。。
「○○さん(苗字)ですか?」と聞くと「そうですよ」と言う。
「△△さん(旧姓)でないのですか?」と聞くと「はい違います。○○です」と言うのだった。
いつもと逆パターンである。
いつも旧姓を言い切っているのに…。
少し興味が出て「××さんは(父の名)何処ですか?」と聞いてみた。
すると「あ〜家に居るよ」「××さんは あなたの大切な人ですか?」と聞くと「そうだ」と応えてくれた。
へへぇ〜。こんな風に返答できる事も有るのだと驚いた。
病になって以来 父の名にあまり興味を示さなかったし旧姓のほうに執着するだけだったのになぁ〜。

こんな会話はものの数分でまた霧の中に舞い戻ってしまったけれど…。

それでも外に出て歩いている時に「幸せですか?」と聞いてみた。
すると間を置かずに「幸せです。。」と言った。
再度「不幸せという事はないのですか?」と聞いてみた。
「幸せですよ。不幸せという事は無いですよ。ありがたいことです」と返答してきた。
母の言葉に我が心が満たされた。
実際はどうなのか…知る由もないけれど…ひょっとして我が思いを満たすための誘導尋問をしてしまったかなと少し悔いた。

それでも 今日の母は状況を理解できたと思う。
相変わらず尿を採取するのに1時間トイレに篭った。
30分を過ぎた頃「あなたも足が疲れるね」と労をねぎらう言葉が出た。
先日のように泣かせる事は避けたいと思って「実は 尿検査なんですよ。やりますか?辞めますか?」と聞いてみた。
母はじっと考え「した方がいいですね」と返答。
其処を幾度も確認しながら篭り続けた。
少し頑張って貰ったらスルリと排便。母にも感覚が有るようで視線を合わせてきた。
排尿は 一時間ほどしてようやくほんの僅か出た。
検査可能の量だったのでそこで終了。
思わず母の頭を撫でた。
母もニッコリとしていた。途中「出ないねぇ〜」とか「出そうだよ」とかと随分振り回されたけれど…。母なりに必死だったのだろう。
いえ 母が排尿のため一時間連続で努力した訳ではないのです。
天井を眺めたり壁を眺めたり…小さな個室で遊びながら…です。
その間にトイレには何人もの人が出入りしている気配があった。
きっと「何事だろう。。?」と思われた人も多かったと思う。。

眼科は火曜日が休診日で今日は診察できなかった。
でも「目が痛い」と今日も訴えました。左目と判ったのでそれはそれで良かった。病ゆえに 聞き取りは単発・瞬間で判断するしかないのだから。。。
体調を掴むのが だんだん難しくなってきている。。
これは ほんとに困ってしまうなぁ〜。

新聞で死亡と判断された方が霊安室で息を吹き返したと言う記事を目にした。
アメリカではずっと言葉を失ったままいた方が言葉を復活させた…。
そんな記事に目を運びながら そういう奇跡が起きてくれないかなぁ〜なんて漠然と思った。
以前 介護仲間がそういう奇跡が起きないとも限らない…と言っていた事を思い出した。


2005年02月21日(月) ダイヤモンドの涙


 利用者さん訪問。
数日前 利用者さんのお嬢さんの7回忌だったらしい。
利用者さんは 遠いため参列なさらなかった様子だ。
それでもご家族が 立ち寄って7回忌の様子をお伝えになったようで お話してくださった。今まで お嬢さんが何歳で天国に召されたかはお聞きしていなかった。が 今日 利用者さんがお話くださって 亡くなられた年齢が今の私の年齢に近い事を知った。
亡くなった人は年を取らないので お嬢さんの姿を私に重ねていらっしゃったのだなと感じた。

以前訪問していた方も お嬢さんをなくされた方だった。
その時も偶然 亡くなった時のお嬢さんの年齢に近かった。
そして今と同じようにお嬢さんの姿を重ねていらした。

娘さんを亡くされたと言う共通事項は有っても 生き方は180度違っている。
今の利用者さんは 前向きに考えられる。以前訪問していた方は「…たら…れば」と生きている事を想定して今を考えられる方だった。

これを賢いとかそうでないとか言うつもりは全く無い。
人にはそれぞれ生き方が有るのだから…。
でも「…たら…れば」的だと 家族には少し重荷になるかも知れない…と感じてはいる。

家族の支え方も それぞれ有るのだろうし…。
自分にあった支え方での介護が大切だろうとも思うし…。

利用者さん宅での活動を終えて家に戻り 家族の会に出向いた。
ちょっとした課題が有るのだ。
来年度に向けての会のあり方を考えねばならないのだそうだ。
結果的に継続して会は存続するようだが 回数が減りそうだ。
今年度分は 後1回ある。それまでに何か考えなくちゃ。。。

久しぶりに会に出向いた人もいらした。
独身のお姉さまと独身のおばさんを遠距離でどう看取って行くか…と言う時期にさしかかって 混迷した時期に入り困惑の日々を過ごされている御様子で…話しだすと時折涙が光った。
老々介護と言うには 少し早いかも知れないが差し掛かっているに違いない年齢。つまり自分の老いて行く先も視野に入り始めているし 実際に「後見人がきちんと続けられるか…」という課題を突き付けられた形の方だった。
これも他人事ではない。
人が天寿をまっとうするまでには 実にいろんな事が有るものだと学ばされた。
他にも記して置きたい事が有るが これは 別の機会に廻そうと思う。

さて日記の本題である。
毎日読ませて戴いている介護日記がいくつか有る。
その中のお1人の方の日記を読ませて頂き「良かった」と安堵した。
「介護をしているうちに涙が零れた。。。」と言うくだりである。
介護が苦しいと言う涙ではない。。。
私には それが痛いほど判る。
勿論 私にも その方にも苦しくてやりきれないという涙も有った。
でも 今回の涙は違う。
私は 母と離れようやく感じられるようになったのに この人は在宅でいろんな葛藤の末に到達できたのだ。すごいなぁ〜。。
あの涙は ダイヤモンドの輝きを持っていると感じた。

ますます あの日記から目が離せない…。







2005年02月20日(日) どうして泣いちゃう?


 娘がMACをLANで繋ぐ作業をしていた。
プロバイダーに問い合わせると「アップルさんの方で聞いてください」とつれない返事を貰ったのが数日前だった。
契約時 きちんと確認したのに…どうも話が違うのだ…プンプンっていう感じなのだ。
言われた通り「アップル」に電話。
長い時間 丁寧に答えてくださり確認作業までしてくださり「この部分をプロバイダーに確認とって下さい。解決できずにすみません」と謝ってくれたそうだ。。
結局 今日は LANの作業は解決できなかった。

母の所に出向く。
顔をあわせると「おっ」と言う顔をしてニコニコ。
気分は悪くないらしい。
雨も上がったのでお散歩に出た。
職員が「排便が…まだ 足りないかも…」と言っていたので行きも帰りも歩いた。行き先は 1キロちょっと先にあるスーパーである。
母の足取りは軽く ゆっくり歩いていたら「もっと早く…」と言われて「たったっ」と言う感じで歩いた。
息が切れているので心配になったが 母は気持ちよいらしく「大丈夫」と言うのだった。
母との会話は ちゃんとしているように見えるが…。
施設内にいる時は 袋を畳んでいると「これが子供たちで…」と言い 小さく畳み込んだら「いっぱい入るようになってよかった」と中味が見えにくい会話だった。

お店に入った時「好きな物 買おうよ」と言うとニコニコ棚を見ていた。
「海老チラシ」を「エビフライ」と読み「おいしそう」と言う。
「そうだね おいしそう。。。」と通り過ぎても特に拘る事もない母だった。

母の具合はこんな状態が多い。でもとても楽しそうなので「それでよし」と言う感じなのである。
便秘気味なら…とカットパイナップルバナナを買い 他に暖かい飲み物を購入して休息室に入って食べた。
勿論風邪が流行っているので 手洗いとうがいだけはしっかりやった。
母はおいしそうにパイナップルを食べた。バナナは甘みが薄かったのか一本だけで終了。
それにしても繊維も嫌がらずよく食べていた。

帰路 雨が降り出してしまい安い傘を購入した。
これが小さかった。
私の傘は 母との相合傘を想定しているので大きいのだが…。
仕方ない…春雨じゃ濡れていこう♪風に母の方に傘を大きく寄せて歩いた。
少し前までなら「あんたが濡れてしまうよ」という母だったが今はそんなところまで気が回らない…。その方が実は助かるんだ。。。
歩きながら♪青い目をしたお人形は…♪と唄いだすと母も口ずさんだ。
がところが♪一杯涙を浮かべてた♪辺りから声が湿りだしてしまって後はポロポロ涙を零した。こりゃ。。。と思って♪幻のぉ〜♪と唄いだすとこれまた涙。。。もう♪どうにも止まらない…♪風となってしまった。

何となく帰り道と判る風で「あの道がこう曲がって…」とか「道の中央に行きたい」とかと言い出した。
おそらく食べた後でお腹を刺激して何処かでお腹で落ち着かないのも要因だとは思った。時に「お腹が痛く無くない。。。」なんて遠回りな言い方をしていた。
気分を替える為に 少し道順を変えながら施設に向かった。
そういえば バス通りで家からの帰宅の時の道であり車でもよく通るので何となく感じたのかもしれない。。。
こういう感覚っていつも驚かされる。

施設に戻って直ぐトイレに入ったけれど…排便の気配は無かった。
排尿だけ。。。
今日もトイレ誘導で排尿の失敗はせずに済んだ。
お尻あれは大分落ち着き始めておりホッとしている。

雨の気配濃厚となり 少し早めに家路に着いた。


2005年02月19日(土) 明日は しっかり。。。


昨夜 家に戻ると夫が「電話が有ったよ」と言った。
介護仲間からだった。「ご実家のお母様?お義母様?具合でも悪くなったかしら…」と思ったりした。しかし 電話をする時間でなかったので翌日に…という事にした。

今朝 電話をしたが出ないの更に心配になってしまい 携帯に留守電を吹き込んだ。 大分経て電話がご家族の状態は特に変わりないと聞き安心した。
用事は 有る方の電話番号の問い合わせだった。
それと役所の連絡会を傍聴したとの事でそれの様子を教えてくれた。
「あのねぇ〜。もう呆れちゃったの。結局 役所は介護保険改正をどう施行していくか具体的な事何にも決まってないのよ」と。
それは 役所の担当している方のお話からが2転3転し やると言っていた事が取りやめになったりしていて介護予防の具体的な事が何も決まってないのでは…と言う予測が出来ていたので「やっぱりね」という事になった。

「国 都道府県レベルから具体的な話が下りてきていないから動きようがない」と言うのが役所の答弁だったと言う。
しかし「うちの地域ならではの取り組みをしたらどうか…」と地元の介護福祉に関する施設の理事長が突っ込んだらしい。
それでも役所はきちんとした説明はしなかったらしい。
勿論住民代表もかなり突っ込んだ様子だが…暖簾に腕押し状態だったと言う。

これは他の場面で 役所のそういった場面を幾度も見てきてしまったので「そうなんだよね」という言葉しか出なかった。
「地域ならでは…」と言うくだりは 私も昨年来幾度も声にして訴えて入るので有るけれど…取り組み方がやはり公務員的なのだ。
仕方ない事だろうけれど…介護保険を利用する人から見れば ほんとに「何とかしてよ」と思うのは当たり前だろう。
これは 何も住民だけの話しだけでない事業所だって これから どう展開させようか…と予算の下り方をみて考えなければいけないのだろうから 深刻な状態になっているはずである。

これも現場と言うより役所のデスク方面がしっかりしなければならないのに…。

二人で電話越しに大きなため息を付き合った。。。

今日は 朝からパソコンの調子が悪く いろいろ取り組んだ。
簡単に終わると思っていたけれど…事態が悪化して…イライラ。。。
パソコントラブルの復旧は 実に時間がかかる。
気が付けば朝積もっていた雪が 小雨で消えてしまった夕刻近くにようやく復旧した。

たかがパソコン されどパソコン。。。
どうしてパソコンごときにこうも剥きになって取り組んでしまうのだろう。。。

お天気の悪い事もあり 結局母の所には行かずじまいであった。。
母には申し訳ない事をしてしまった。
明日にはしっかり伺います。。。


2005年02月18日(金) おばさんパワー炸裂

 
 利用者さん訪問
お買い物に同行させて頂く。
利用者さん お散歩を兼ねてお買い物に出たいと言われた。
それでも 特にお買い物リストの準備は無かった。
ちょっと前に「キッチンタイマーがおかしいから新しい物を買いたい」と言われて希望の100均に出かけたが生憎品切れ状態で買えなかった。
その後も買い物度に入荷チェックしていたが「今回も入荷しませんでした」と言われてばかりだった。
「今日は 別の100均に出かけてみませんか?」と提案してみた。
「あっ そうですね。丁度いいですね」という事になった。
出かける先は 100均の大手だ。
キッチンタイマーも沢山有った。
「これこれ」と早速手にされて商品が決まった。
他にも数点 お買い物をなさって終了。

利用者さん宅に戻ってタイマーを取り出し 商品の使い方の実地訓練。
と言うのも新しい商品は 使い方が違う。
きちんと説明しておかないと困る事がおきそうだった。
説明して動かしてもらったけれど…少し危ういかも。。。
今日の利用者さん お金の単位の間違いが目立ったから…。
電気料金の請求額が1000円だったとか100均の品を1000円と言ってみたりだったから…。
おそらく単に勘違いと思うけれど…。
母の場合そういう状態から 病に気が付いたので要注意と思ったのだ。

「寒いので 転倒等気をつけてくださいね」と言って活動を終えた。

家に戻って 夕食の準備。
夕方 友人と会う約束があり夫の夕食を準備して置く必要があったからだ。
のんびりしていて気が付くと約束の時間が迫っていた。
約束の場所は大きなターミナル駅でちょっと遠い。
電車を1本送ってしまうと遅刻となるので大急ぎで駅に走った。何とかセーフだった。
約束の時間の5分前に着く。友人たちは既に到着していた。
合流しもう1人の友人との時間を調整。

結果的にもう1人の友人は仕事の都合で出て来れなくなった。
「近いうちの土日に 会えるように時間作ってよ。会いたいよ」と言われた。おそらく それも近いうちに実現しなくちゃなんだろうな。。。

友人たちと予約している店に向かった。
「地下鉄を降りてタクシー」と言われていたのでそうした。
「あのね。行き先を言って判らない運転手さんだったら 乗るの辞めて別の車にしなさいね」と言われていたのに…。
聞く前に乗車してしまった。行き先を告げると「ハイ」と言う返事だったけれど…どうもそれだけではわからない様子だった。地図を示すと「あ〜」といった。目印の場所をちゃんと通過しているので大丈夫と思ったが…。
これが言った場所から少しずれて下ろされた。
運転手さんの勘違いなのである。
「○×交差点」と言っていたのだからその交差点が信号上に付いていて当たり前だろうと思ったが何も書いてない交差点だった。
様子をみても 言われた目印となる建物がない。しかし住所的にはかなり近いのだ。

ここで友人達と揉めた。
「近くのお店のお兄ちゃんに聞け」と友人たちは言う。
「探せば直ぐわかる」と思ったけれどとりあえず聞いて見た。
「○×交差点ってここですか?」「そうですよ」
「じゃ ○○コインパークが近くに有りますか?」「?」
「△△」と言うお店 ご存知ですか?」「?」
これだけの質問に適切に答えられない人にこれ以上聞くのは無駄と私は思った。
しかし 友人達は「あんたは 昔から人に道を聞くのが嫌いだった」と言われた。「…?」自分ではあまり意識してない事なのでびっくりした。
「そうなんだ。私は人に道を聞くのが嫌いなんだ」と改めてインプットした。

地図を手に勘に頼って歩いた。5分近く歩くと言われた目印の建物が見つかり無事お店に辿り付いた。

お店の電話番号を控えて来なかった私の落ち度だなぁ。

それにしても…我らおばさん族3人が3人とも携帯と言うものを持たない主義だったのが致命的だったかも。。。
交通量のある賑やかな通りなのに電話ボックスも見当たらなかった。。。

実はお店も派手な店構えでないので見落としそうになった。
歩いた距離から考えてこの辺り…という勘は働くが ネオンなり暖簾なりがないのである。
「普通のマンションの1回で目立たないからね」と言われていたので注意深く歩き出した。それ風の感じのする所で立ち止まると人が出てきたので「△△ですか?」とお聞きすると「そうです」との返事にホッとした。
「家は判りにくいですからね」と笑われた。

入って直ぐから もうおばさんの興味は質問となって炸裂した。
急な階段 お店のお姉さんたちのファッション…はてはこの建物の作り…等席に付く前から矢継ぎ早に聞きまくる。

昭和のかまどが入り口を入ると直ぐに目が付く。それも現役である。
調理場が丸見えなのだ。
お店の人もお運びさん・調理場と言う区別もあまりない様子だ。
店内の内壁は煉瓦作り。
蔵をリフォームしたというので「煉瓦もそうか?」と聞くとこれはもともとという事だった。蔵の壁って白い塗り壁なのに…と驚いた。

お品書きは手書き。でも 品数は豊富だった。
勿論お酒の種類も豊富であった。

注文する時に「これが美味しいよ」と勧められていたものを注文しようとしたら…。「私は甘いお酒は嫌」と即座に拒否の友人たち。
そうだった。
自分も含めみんな甘いお酒はみんな嫌いだったと思い当たる。
おきなジョッキで生ビールを注文する友人達。
私は1人「お茶」
1人の友人は割りに会う機会が多いので驚かなくなっていたけれどもう1人の友人が「えっ 飲まないの?」とびっくりしていた。
「徐々に飲むよ」と交して…食べ物を注文。

その頃になって仕事を終えた娘がヒョコヒョコやってきた。
このお店を紹介した娘である。
仕事関係で知り合い可愛がってもらっている方の友人のお店なのだそうだ。
職場でも評判となり接待などに使うようになっているらしい。
娘は「少し調子が悪いので先に帰るかも…」と言っていたが結局最後までみんなと楽しんだ。
お料理は 極々家庭でも登場するようなものである。
しかし 家ではけして出せない完璧な味である。
こうなると主婦の興味はその作り方に集中して行く。
友人たちはおきなジョッキを2杯飲み干した後今度はワインをボトルで注文だ。それも辛口のワインだ。
それだけ飲んでも 聞くところはさり気無くパシッと聞いて行く。
材料は判ってもどうやって作るか判らない物は 先に行程を考える。
これは聞いてはいけないだろうなと思うところはあまり突っ込まないけれど…。それでもかなり聞いていた。

娘はもう幾度もこの店に来ていて仲間と作り方談義になるそうだが…。
娘の仲間も美味しいもの好きなので 自分で作る人たちが多いらしい。
それでも作り方までは 遠慮があって聞けないでいるそうだ。
「主婦軍団は 聞けないこともさらっと聞くから お店の人もさらっと応えるね。凄いねぇ〜 あのパワー…」と驚いていた。

あ〜食べ物の具体的な話を書かない内に長々とした日記になってしまった。

友人たちは 昔の私を娘に曝露する。
おまけに「他にもいっぱい有るから 聞きたくなったらおばちゃんの所においで…」」とまで言っていた。「ぎゃっ!」

私もかなりのおしゃべりだけれど…今日は 入り込む隙無しだった。
だからニヤニヤしながら友人たちの会話に耳を傾けていた。
おそらく4時〜10時まで友人たちは喋りっぱなしだ。。。

エッ?飲んだのかって?
ハイ 一杯だけ 評判と言われている「クーサー」(沖縄の飲み物でクースとパインをシェイクしたものを。。。
友人たちにも一口ずつ飲んでもらいました。甘いのは嫌と言っていたけれど「美味しいね」と言っていました。

ふと気が付いたのだが…私はやはり変わってきているんだな。
昔は お店に入っても友人たちのようにお勧めを無視して自分のペースで食べる事が多かった筈だ。
今は やっぱり勧められるものは 一度は口にするようになっている。。。
意識していなかったけれど…いつの間にかそうなったんだねぇ〜。

友人たちはすっかりお店が気に入って 次は 別の人と飲みに訪れるそうです。

娘が 友人たちの飲みっぷりにホトホト感心していました。
「飲むのが大好きな仲間だって あそこまで飲まない。。。あの年で凄い」と無性に感心していました。
そして「職場はさて置いて 楽しい仲間がいたんだね」とも言っていました。

勿論娘は飲めません。。。
私は飲めるけれど 飲みません。。。

介護を忘れて ひと時を過ごしました。
「次も宜しく!」と言われて… また 有るのでしょう。。。


2005年02月17日(木) 調子を戻し始めたような…


夫の風邪 危機を脱したようで会社に向かった。
未だ 全快と言う訳ではないけれど 少しずつ良い方に向かい始めてホッとする。お風呂嫌いの夫だが 風邪を引いたり熱が上がると風呂に入りたがるので困ってしまう。
今回も初めの1回は「風邪」と気が付かなかったため 阻止できなかったが…。その後は 何とか入浴を取りやめてもらった。
若い時なら 快復も早いけれど…。
若いのは気ばかりなんだから…と言いたい所をグッと堪えた。

風邪なんて大した事でないのだけれど…どうにも気分が悪く気分まで落ち込んで行くものである。やっぱり 健康が一番だ。

リハの日なので 施設に急いだ。
母は湯のみ・ご飯茶碗・お汁椀・納豆のカップにそれぞれお茶をたっぷり入れていた。全部飲み干して貰うのは大変だった!でも 飲んだ!

トイレに誘導している時に療法士さんが見えて 慌てて支度をした。
水分をたっぷり摂ったので 尿量も多い。

リハが始まった時 首筋に幾度も手を運んでいた。
肩こりのない母に珍しい動きで有る。風邪気味なのかなと思った。
リハの間に お布団を干したり 毛布をはたいたり…動き回っていると母の視線が私を追っていると感じた。
暫く母の傍でぬいぐるみの埃取りをしたら…すーっと寝入っていった。

リハが終わって…。
母の髪の毛を梳かした。洗面 歯磨きもして貰った。
再度トイレ誘導…尿もしっかり出た。

それから室内でストレッチ体操。。
この1週間 こちらの調子が悪いので母の傍に長い時間居るのを避けていた。
勿論 歩く事も少なくなっていた。
腰が重くなっていた。手を貸してあげれば自力で床面から立てたのに…今日はいくら頑張っても上がらない。。
少し力をいれて立ち上がりやすいように引いて上げたらようやく出来た。
母もニッコリした。

今日は眼科通院しようかなと医師から貰った用紙を持参した。
しかし 風邪が流行っている事もあり 取りやめる事にした。

程なく昼食となって母をテーブルにつかせた。

その間ちょっと職員と話をした。
先日の保育園との交流が出来そうな件も伝えた。
私が交渉しても良いのだけれど…地域に溶け込むと言う要素から考えると職員が直接出向かれた方が良いと思えた。職員もそうすると言ってくれたので場所を知らせた。
いろいろ 最近の母の様子などもお話が出来た。
考えれば 母の能力維持の事を優先させていたので 久々にお話したのかも知れない。

夜間の母の様子は やはりこちらの想像と一緒だった。
つまり 家で泊まった時の状態と同じ。。。
職員が言うには夜中のトイレの誘導時 母は嫌がるという事だった。
「ん〜」確かにそういう時も有るけれど毎回ではないのじゃないかな?

母の陰部 尻荒れ 大分改善されていてホッとした。

比較的暖かだったので 食後 お散歩に出た。
母に「出かける?」と聞くと「どっちでもいい」という事だったが…。
出てみると表情が変わって行った。
「歩ける?」と聞くと「疲れないから大丈夫」と前向きの言葉だった。
小山を上る時「お山の大将…」と言いかけると「われひとり」とニヤニヤしながら山頂に向かい 山頂に立つと「高いね」と辺りを見渡していた。
いや小山と言っても公園にある4.5メートルの高さのものだけれど…。

梅を見たり 木の芽を眺めたり…して小さな春を探して施設に戻った。

長居すると風邪をうつしそうなので 2時頃には施設を後にした。






2005年02月16日(水) (;´д`)ノ!!


昨日 夫が6時には帰宅したので 慌てて夕食の支度に掛かった。
食欲もあり元気だった。
食後はいつも通りにテレビの番。。。

娘も割りに早めに帰宅できて…遅めの夕食をとり そろそろ 就寝かなと言う時刻。。。
いつもなら「風邪引くわよ」と言って寝室に追い立てられるのに 言われる前に「さむい」と言って寝室に走って行った夫。
が 直ぐまた起きてきて「風呂入って寝るわ」と浴室直行。
入浴後は直ぐ布団に入っていた。
暖房チェックに行くと「ちょっとゾクゾクする」と言い出した。
「お風呂に入ったのに?」と不思議に思った瞬間「洗面器!」と。
「やややや…」これは夫の風邪のパターンである。
熱が出ると必ず嘔吐が始まる。
それも自分で処理しようと言う気は全くない人である。

娘にも聞こえたようで…二人で「(;´д`)ノ」
おそらく一晩中「汗が出た着替え」「タオル」「水」と繰り返される筈。
熱を計らせてと言っても 協力してくれる訳もなく無理な体勢で計測する。
「重病人」をアピールする夫なのだ。
いくら計測しても体勢が悪くてうまく計れず諦めた。

慌てて飲ませた薬も嘔吐。
嘔吐止めがあった事を思い出して再度服用して貰ったが これも嘔吐してしまった。かくして寝入ったのは明け方近くとなる。

明け方は 地震でスワッと飛び起き ドアを開ける。
揺れがおさまった所で 再度寝入った。

起床時に出勤は断念した夫の様子にほっとする。
やっとこさお粥を少量食べたが…。食欲が出ない様子。
通院を勧めたが 午後まで布団の中。
昼食を準備したが 食べたくても食べられない様子でようやく通院した。

戻って来ると「単なる風邪だって」とは言うけれど 同じような症状で駆け込んだ人 午前中で7人居たそうである。
「何かの検査をしたが その心配はないという事だった。検査に時間がかかったよ」と言うけれど 一体 何の検査をしたのだろう。
ノロ菌の検査は 数日掛かるってニュースで言っていたように思うから流感の検査でもしたのかな?
全く 夫の話が見えないよぉ〜。 
家のかかりつけ医は全て水曜がお休み…と言う不運な状況であった。

通院後 少し元気を取り戻し昼食の残りを食べて 薬を服用 少し落ち着いたように見えたが 夕食は思うほど食べられなくて半量のみ口にして またお布団にもぐりこんだ。

活動日であり 母の所にもいく予定だったが 全てキャンセル。

夫の風邪の時は ほんとに大変だ。
父は 苦しくても苦しいと言わずに 黙って寝ていた。
母も原則 黙って寝ていた。
ただ 食べ物に関してはうるさくて お粥 パン粥 林檎の摩り下ろし…等いろいろ依頼されたけれど。
大人とは そういう時は我慢する物だと思っていたが…。
どうやら そういうものでないらしいと結婚してみて気が付いた。

かくして昨晩から今日まで振り回され通し。

なんだか こちらまで調子が悪くなりそう。。。
こちらも本調子でないだけに「面倒…」が先に立つ悪妻だ。
現実には そうも言ってられないのだけれど…。


2005年02月15日(火) 施設見学

 
 家族の会で施設見学に出かけた。隣町にできた割安な有料老人ホームだ。
入居金50万円 預かり金20万円 家賃・食費・光熱費等14.5000円
介護保険1割負担 つまり毎月17万前後になるだろう。

こういう有料老人ホームが最近 少しずつ増えてきている。

今日は介護が大変になられた方と通院日に当たってしまった方が参加できなくなった。見学に行く施設には 介護中の家族なので 人数変更は有ると思うと事前に伝えてあった。

その施設は 2階屋の一見普通のアパート見間違うほどの建物だった。
悪い表現で言うのではなく限りなく日常に近い形の建物と言う意味である。
玄関も廊下も広々としていた。
こちらの会の事はきちんと伝えていたのだが…責任者の人には入居希望者と受け取られていたのに少し驚いた。
やはり伝言はうまく伝わらない物だと思う。

1人部屋(13.54�屐紡弍�である。定員30名 夜間配置は2名という事だった。
2階屋なので上下に分かれるという。
トイレは共有だが 居室にポータブル可能である。
浴室は4個(内2個は近くの温泉から湯を分けてもらって使っている)
家庭のお風呂に近いバスタブだった。

有料老人ホームと聞いていたので 認知症の人の割合はどの程度かと思っていたら いきなり「介護保険対象者が入居条件です」と言われた。
ふ〜む。そういうことか。。。
医療の必要とする人は入居出来ません。つまり吸入や嚥下の起きている人は対象外という事で有る。
空っぽの居室に案内された。
「照明器具やエアコンカーテンは買取方式だ」退去時は現状に戻すが原則らしい。そしてエアコンは 容量に配慮が必要なため施設側の準備した物を取り付けるそうである。
ふ〜む 入居時には この分の跳ね返りが有るという事だ。

洗濯は本人及び家族がして良いが 本人が使うのは難しいし全自動(乾燥機まで出来る分)で実際は業者委託の方が良いという。これが1回300円だそうだ。居室掃除も300円という事だった。

預かり金20万円で依頼された買い物や洗濯料金を集め 使った分は順次補充してもらい常に20万をキープしてもらうのだそうだ。

事務室等のスペースも割りに広めに感じたし談話室なども個室としてあった。使い方によっては とても便利であると感じた。

入所者の殆どは 認知症とお見受けした。
職員は私語もなく きちんと挨拶しながら動き回っていた。
職員の年齢は 少し高めのように感じた。
この所施設の職員は若い人が多いように感じていたのでちょっと驚いた。
勿論若い方も居られた。

いろんな説明を伺い施設内を一巡させて頂き見学を終えた。

たまたま 母のグループホームの前を通るので見学していく事に。。。
施設には 寄らせて貰うと思うとだけ伝えてあった。
丁度昼食の時間と重なり 母のフロアのみを見学させてもらう事に。
他の方の居室は他の方の迷惑にならない範囲でドアを開けてくれていた。
母の居室に入って戴き 室内の様子を見ていただいた。

当然2施設連続の見学なので比較しやすくなった。
施設見学を終えて同じ建物内にある料理屋さんに入った。
見学に参加した家族の1人が「あらっ 施設の食事と同じ副菜が…」と驚かれた。そのシステムを説明したら「あらぁ〜」と驚かれた。

内容の比較は それぞれこれからである。

母は私の来ている事に気が付いていたが…食事中だったので落ち着いた状態でいた。多少食べ方はおかしかったけれど…。

ご家族は 両施設ともアットホーム的だったと言われていた。




2005年02月14日(月) ちょっと安心かな?


 利用者さん訪問。
「あら 声が…お風邪?」これが第一声だった。
「すみません。うつらない様に手洗いうがいしっかりなさって下さいね」と御願いした。
今日も洗濯と煮物作りとお買い物同行とお掃除。。
ご自分で味噌汁を作り ブロッコリーを茹でられていた。前日には大根をごま油でステーキ風に焼き 味噌ダレをかけて召し上がったそうである。
「美味しかったですよ。テレビで知ったのです」と言われた。

洗濯を干し終え 買い物に出た。
「はなさん ドアの新聞受けの所直してくださる?」と言う。
昨日取れてしまって直している時に息子たちが来て…要らぬ事言われるのも嫌だから 黙って放置したの」と苦笑していた。
「嫌になるわね 30分近く苦闘したんだけれど…戻せなかったのよ」とも。
元の形がどうだったのか判らないので知恵の輪みたいにあれこれ組み合わせてみて何とか数分で直せた。
こういう「良いとみせ」は高齢になると増えてくるような気がする。
ぺちゃんこにやっつけられると やりきれなくなる事も容易に想像がつく。
親子だから遠慮がない分 傷つく事も多い。。。

買い物の道すがら 利用者さんのお友達の手術入院のお話を聞かせて戴く。
「病院で落ち着かれて居ると電話を貰ってホッとしました。他人事じゃないのです」とも。。

お惣菜を仕上げて お掃除して活動を終えた。

午後は母の所に出向く。
母は入り口付近で「おかちゃん」とウロウロしていた。
私を見つけると「あら 何処から来たの?」と聞いた。「上からよ」と言うと「あそう」と。
居室に入りトイレ誘導。
排泄は何とか間に合う。陰部と臀部の洗浄と薬塗布。臀部が新たに湿疹が出来ていた。痒そうである。
居室で飲み物を飲んでもらった。おやつも少し。。
気分は特に悪そうでない。
フックにかけて有るモンチッチのキーホルダーを指して「あんたの子供よね」と言い出す。「そうよ こっちが孫。。。」と別の小さな人形を指して見せると「あらら 子供がこんな顔している」とモンチッチの顔を真似て笑いだした。
少しストレッチ体操をした。「疲れるよ」といいながらも随分頑張った。
おやつの気配でホールへ移動。。
みんなでチョコとお茶を戴く。チョコの包み紙が色とりどりで綺麗だったので母に綺麗に伸ばしてもらって 少し折紙で遊ぶ。

今日も風邪菌をプレゼントしないように 早々に引き上げた。
帰路 耳鼻科に寄った。
どうやら鼻炎の方が濃厚みたいだ。念のため お薬は花粉症にも効くと言うものが処方された。今年も花粉症は逃げられそうな気配だ。
花粉症が増えると騒がれて居る割りに患者さんは多くないのが少し不思議である。

家に戻ると娘も帰宅したばかりの様子だった。
お土産を広げてもらってちょっとお腹に詰めた。
夕食の支度は途中まで済ませてある。
今日は ちょっと集まりがある。一応顔を出しておく必要があるので出かけた。これからチョクチョク この交流会が有ると言う。。。
暫くは顔出ししておく必要性がありそうだ。
地域情報を得るためと連携プレーのために…。

家に戻ると8時30分になるところだった。


2005年02月13日(日) グループホームの事件。。。

 今日も1日家に篭っていた。
娘は 一泊でお出かけ。
いつも頑強な母だが 今回の変化はやはり気になるようで…。
朝 夫に「言っておきたいことが有るぅ〜♪」と…。
「おかんは 今 体調が優れないんだから 面倒を掛けないように…」と言っていた。夫は「ハイよ。食事は俺が作るよ」と張り切って言っていた。
思わず「きゃ〜っ」と言う顔をすると娘がすぐさま察して…。
「いや 熱が有る訳でないから ご飯の支度くらいは大丈夫と思うけれど…あれこれ 頼み事をしないで…」と付け足した。
夫は張り切って「お粥作るよ」と。
「いや お腹こわしている訳じゃないの」と。

と言う訳で 家に篭って家事だけはするという一日だった。
昼食後は布団に入って寝ていた。

目のほうは大分快復した。
鼻炎も薬が効いているのか 大分楽になった。
ただ やはり鼻づまりは消えていない。

新聞でグループホームの記事を目にした。
夜勤の中での出来事のようだ。
詳細がわからないので 何とも言えない。
けれど この夜勤体制。。。大変だろうと想像している。
在宅で1人の介護をしていても負担なのに 複数の人を1人で看るのである。
たとえ 大部分の人が眠っている時間とはいえ 時間でトイレ導入しなければならないのだろうし 説明しても「?」と言う人だっている。
これは 想像だがみんなが いつもただ静かに眠っているとは考えにくい。
強制的に仕事をさせないという基本の生活だけれど…。
昼の動きが少ない分 夜間ぐっすり。。。と言うのも考えにくいのである。
そういう時 夜間 どんな具合に対応して貰えるのか…。
昼は有る程度職員も居るので対応も相談できるだろうけれど…。

私自身 夜勤の経験も有るが 嘱託医は夜でも嫌な顔をせずに 直ぐに対応してくれ助かった。他にも看護系の人も 近くに待機していた。
これは2施設で経験している。
深夜だと 嘱託医や看護系の方への依頼もためらいを覚えるものだ。
でも 夜勤も1人ではないので 判断に迷うと相談できていた。

1人夜勤は介護されるほうも するほうも厳しいだろう。。。
せめて 二人勤務なら…と思う。

ラジオでコメント等を耳にしたが 認知症に対しての認識が足りないように感じた。殊更 オーバーなリアクションを求めるつもりはないが 認知症に対する理解を深める必要が有ると感じた。
そして 施設の夜間勤務のあり方も点検する必要性を感じている。


2005年02月12日(土) 休んだ訳。


 この所 どうにも目の調子がイマイチである。
乱視が進んだかな?それとも鼻炎で顔面中央がモヤモヤとしているのでそのそのせいなのかな?
この鼻炎 何となく怪しげ。
今年の花粉症は 今まで大丈夫だった人も生じやすい…等と耳にした。
いよいよか?と思ったり いや単に鼻炎だ。。。と思ったりである。
連休後には アレルギー検査を受けないと駄目かな?

それでも 母の事も気になり洗濯物とおやつを持って出かけた。
外の空気を吸うとどうにも鼻の中が痛い。きっと真っ赤になっているんだろうなと思う。そう思っただけで 自分がとても大変な事をして居るような錯覚してしまう。重病人でも有るまいし…全く困った者である。

母は、割りに落ち着いていた。
職員から さっき排便があって検便1回とり終えましたと報告を受けた。
母をトイレに誘導した時 何となく排便できそうな気配があったので踏ん張ってもらった。見事に成功だった。今日はさほど時間は掛からなかった。

その後おやつを食べてもらい 下着と洋服を着替えてもらった。

母と遊ぼうかとも思ったが どうにも鼻炎が悪くて…もしかして鼻風邪だと母や他の方にうつしてしまいそうなので 早々に帰宅した。

帰りは娘に迎えに来てもらう。
「直ぐに寝なさい」という娘の強制執行にあい 夕食まで寝入る。
夕食後も直ぐ寝入った。
おかげで目のほうは大分快復したようである。

物が2重に見えかける…そういう状態だった。
目の周囲の筋肉の調整する働きがかなり鈍っている。

パソコンに向かうのも苦痛だったので 日記を休んでしまった。




2005年02月11日(金) 介護


夫の誕生日。
昨夜 お赤飯を仕込んで置いたのを目ざとく見つけて「おっ 明日のためだな」とニコニコ。
ケーキも焼いて。。。
今日は利用者さんの都合(通院)で活動はお休み。

夕方 運動不足解消にと近くをウォーキングしていたら…。
近所の高齢のご婦人と行き会った。
「主人がね 雪が降った時から腰を痛めて 歩けなくて。通院も出来ないのよ」と話しかけられた。
暫く立ち話。
雪が降って以来って もう大分立つけれど…大丈夫かなと心配になった。
地域の医療の事はご存知の様子だ。
ただ 医療不信にも陥って居られる様で…何処に頼るかと迷われて居る御様子だった。
ご主人は気難しい方とお見受けしていた。奥様もそこで苦労なさっている様子だった。
認知症も通院までの道のりは かなり苦労するが 医療不信を起している人を通院まで導くのもかなりの苦労だろう。

これまで役所の手続気等 ご主人がなさっていらしていて奥様はさっぱりわからなくて 面倒な事は嫌だし…と言われていた。介護保険の申請も含めて通院の介護タクシー利用等の情報を纏めて運ぶ事を約束した。

介護仲間からの電話も気になっている。
「在宅で看る」と言っていた介護仲間。。。
どうにも目が離せなくなったという。
医師からは「入院すべき時」と再度言われたけれど…。
病院に行けば 点滴になるのは目に見えている。。。今 なかなか食べられないけれど 口から食べると言う意欲はある。これで入院となったら もう食べる事は出来なくなる。在宅での吸入も視野に入れる時期となったと言われた。よって来週の施設見学には行けそうもない。。。という事だった。
勿論 デイも全面お休み。
おそらく 今頼るべき所は 医療面だけだろう。

ほんとに大変な時期にさしかかったのだと感じた。
在宅で全てを背負う。。。これは容易でない事だ。
「私に出来ることあったら いつでも言ってね」とだけ伝えた。
緊張の日々だろう。。。



2005年02月10日(木) これも虐待かな?


 リハの日なので 急いで施設に向かった。
この所10分前に着いて トイレや準備などギリギリになっているので 頑張ってもうひとつ前のバスで出かけた。
ちょっぴり余裕が出来たけれど…母のお茶とデザートのヨーグルトが未だ残っていた。母は ヨーグルトの事等全く気にも留めない様子だったので ヨーグルトの器を一番前に置き換えた。
するとようやく食べ始めた。こうやってどれくらいの時間を過ごしていたのだろう?投薬後の空がご飯茶碗の中にあった。

お布団を軽くはたいて干した。シーツもおねしょシーツも毛布もはたいて風に当てた。
そうしてから 母を居室に誘導しトイレに入った。
オムツは綺麗だった。

その時に療法士さんが見えた。
今日は 療法士さんが「○○さんは 昔どういう方でしたか?」と聞かれた。「かなり神経質な母だった」と言うと「若い頃は?」と聞き返された。
「若い頃は…判りません。でも 若くして父が亡くなり以後は 母1人子1人でかなり我儘だったと母が言っていました」と伝えた。
会話している内に 母は深く寝入ってしまった。
終わって暫くするとパチッと目を開けて「あんた未だ仕事していたの?早く寝なさい」と言った。
療法士さんを見送ってから 支度をして外に出た。
「何処行くの?」と母は言った。
行き先はかかりつけ医なのだけれど 今日は言わない方が良さそうと判断し「何処行こうかね?」と聞き返した。
母はニコニコしていた。バスを乗り継ぎかかりつけ医に到着。
かなりの混雑で驚いた。風邪ひきさんが多そうだ。
母を椅子に座らせて急いで診察券を出して「健康診断」の御願いをしていたら 看護士さんが母の名前を呼んでいた。
ふと見ると開いている診察室のドアの中に入っていたのだった。
いかんいかん 焦って母に待つように言うのを忘れていた。

尿取りの紙コップを貰ってトイレに入ったけれど 診察室と隣り合わせのトイレで「おしっこして」といつものように声掛けするのがためらわれた。
だから 10分ほど経過しても何のためにトイレに居るのか母には理解できていなかった。耳元で「おしっこ」とは言ってみても天井をあははと笑うだけ。これでは遺憾と思い ビル内の別のトイレに移動。
大きな声で「おしっこ採るから出してね」と伝え待ってみた。
母はようやく理解できたけれど「○○(苗字)さんのおしっこは遠いからね」と言う。「大丈夫よ ゆっくり待つから…」と個室に篭った。
しかし 母の顔がだんだん曇り始めた。
始めは 鼻水が出ただけと思ったけれど そうではなかった。
トイレに向き合いコップを持っているのでいたたまれなくなってきたようだった。以前なら「でない」といえたのだ。少なくとも昨年まではそうできた。でも 今は言葉が出ないのである。
私自身「いいよ いつまでも付き合うから…」という気持ちだったのだったのだけれど 母側してみれば「出さなくてはと言う思いと人前で排尿する事」が苦痛に感じたのだろう。
いつもは短時間で終了するからトイレ介助も嫌と言うところまで行かなかった。
母は 両目からポロポロと涙を零し始めた。
「ごめん。悪かったね。ごめんね」と母の下着を上げた。
暫くの間 母は落ち込んで空ろになった。
検査に来たのだから…とこちらも何とかできれば…と思っていたのも事実である。
母の排尿のタイミングは水分接種が微妙に影響する。
診察前に水分摂取させようかと準備はしたのだけれど 血液検査に影響するかも…と躊躇ったのだった。

診察室に娘の同級生がいた。
挨拶を交す。もう3人の子のお母さんである。今日は年長さんの娘さんの通院の様子だった。少し話しこむと母の気持ちも晴れてきたようだった。

順番が来て レントゲン、心電図をとり血液検査をした。身長体重も計った。「尿が出なかった」と伝えると「ゆっくりでいいよ」という事で次回に回してもらう事に。勿論検便も。

診察を終えて家に向かった。
もう1時を回っていた。急いで昼食を取り入浴してもらう。
昨日入浴した形跡はあったけれど…お風呂大好きの母だから…。
洗髪をして身体を洗った。
湯船に浸かると「有難う 気持ちいいよ。さっぱりしたよ」と言う。

そのうちに「私 このごろ怖いの」と言い出す。
話を聞く限り 人も怖いし 何が起きるかと言う怖さも有るようだった。
こういう気持ちは 以前からあったと思う。
ただ 自分の内面を隠す傾向にあった。
だからかなりトンチンカンな行動をしてこちらが振り回されていた。
今の母は 思った事を其の儘伝えるというかなり透明性が高い言動になっている。
ほんとの怖さは その時その場に居てあげないと捉え切れないようになっている。だから「大丈夫 何も怖い事ないからね」という事くらいしか出来ない。。

頭を乾かした後母がニッコリした。
朝「ボサボサでしょ」と言っていたので綺麗にセットしてあげたから。。。
笑顔が戻った所で施設に送っていった。勿論 駅までの道は徒歩で。。。
楽しそうに笑顔で歌を唄いながら。。。

施設に着くともう夕食の時間だった。






2005年02月09日(水) 企画実現できるかな?


 今日は1日家で過ごす。一歩も出ていない。
念入りに掃除して キッチンでケーキを焼いたり ずんだ(青大豆を茹でてする)を作ったりしていた。
薬を服用しているので酷い咳はないけれど…。しょうがないな。。。

 昨年から 娘がしきりに「おかんを連れて行きたい所がある」と言っていた。しかし そのような時間もなく時は経った。
今年に入って また 娘が背中を押した。
それじゃ…誘ってみるかと古い友人に声を掛けた。
独身時代の飲み仲間である。

仕事の撥ねた後 仲間とよく飲み明かした。
勿論 仕事に影響しないように調整しながら。。。
若い時代だからこそ出来たのだと思う。
仕事を離れて遊ぶ予定でも 仕事の話も大分出ていた。
職場は 女性だけなので…。飲んでいても気が楽だった。
しらみ掛けた景色の中 カツカツと靴を鳴らして帰る道すがら「独身だからできる事だろう。。。」と話した事を記憶している。

初めは 独身の人と二人で…と思っていた。
でも 年賀状で「毎年 今年こそ…」と書いてあった事を思い出したので誘ってみようと思い立ち電話してみた。
ちょっと遠い人は 泊まりこみで出てくるという事になった。
折角 来るのなら…ともう1人誘う事に…。
その方は 今年の賀状が来ていなかった。
「何か有ったかも知れない…」と気がかりだった。
電話をすると「ははは よりにもよって まさかの事が起きて 昨年手術したのよ」と言われた。仲間内では 一番若い人である。
「今も治療中だけれど 気分転換が必要と思っていた時だから出て行きたい」と言われた。これで決定。4人で集う事になった。
未だ 仕事をなさっているので仕事を終えてからという事になった。

おそらく飲む人2名。。。
娘が「飲む人を連れて行くといいよ」と勧めるので丁度良い。

4人が集うのは おそらく27年ぶりだろう。
あの頃出かけた場所は すっかり様変わりしている。
新しい場所で みんなと集まるのもいいだろう。

お店の予約は 娘に託した。
ひょっとしたら 此処に娘も入るかも…。
「泊まるなんてしないでも 送ってあげるよ」と言っていた。

あはは ほんとは夫を誘えば良いのだけれど…「いいよ 楽しんでおいで…」と出不精の夫だから言うのは目に見えていた。
夫はやっぱり「友人たちに宜しく。。。」という事だった。
会う事は少ないけれど 夫も知っている人たちだし。
特に心配もしないだろう。。。

インフルエンザや風邪が流行り始めていて…無事集えるか?
それより 自分の風邪を早く何とかしなくちゃ。。。

明日はリハビリ そして母の通院予定。誕生月検診だってしなくちゃだ。。
風邪 うつさない様にしなくちゃね。


2005年02月08日(火) 頼まれたけれど…

 
 昨日 夕方になって微熱が出てきて 咳も少し…。
夕食の準備をして 1人夕食を済ませて早々と就寝。

昨朝 出張から戻り仕事に出かけた娘が可哀想かな?と思ったけれど これは仕方のない事と割り切った。

娘は 午前2時前に帰宅 夫は更に遅い。
おそらく 冷めたお風呂を温める気力など 残っている筈もなく…。
みんな それぞれ お布団に入ったのだろう。

今朝は 普通に起床。
ご飯の支度をしたけれど…夫は朝食も摂らずにお仕事に。
娘は 何とか起して朝食を食べさせて…送り出す。

私の微熱は 何とか治まりかけたようである。
しかし 注意信号は点滅中。

在宅でないから こうやって休む事が出来るけれど…。
在宅介護の方は そんな事言っていられないのだろう。

さて 昨日 利用者さん訪問した折の事
「少し元気を取り戻し始めたので 体力維持の何かを始めようと思うけれど何が有るでしょうね」と聞かれた。
「体力維持にしろ 趣味の会にしろ いろいろありますでしょう」と具体的に活動している場所を紹介した。
「そうね。ご近所さんも誘って行って見ようかしら…」と言いかけて「自分が運転していけるけれど…何かあったら困るわね」と言い出した。
「集会所使って 出来ないかしらね」と言い出された。
そして「私は こんなだから 出来ないけれど はなさん パワーがありそうだから 立ち上げてくれない?」と言われてしまった。
「!!!!」

近くに集会所がある。町内会の総会や葬祭に使われるが 葬祭で使っているのだって見た事がない。
つまり 1年に1.2回しか使われていないのが現状である。
 
母の在宅の頃 この集会所を利用できないかとご近所の介護をなさっている方と話した事は有るけれど 地域の閉鎖的な雰囲気や現町内会長の枠では無理みたい…と古くから住まわれている方が言っていたので それまでとなった。新しい事を掘り起こすのは 難しいと感じた。

「集会所は 自由に使えるのですか?」と利用者さんにお聞きした。
「ちょっと待って 電話してみる」と役員さんに電話で問い合わせていらした。「会長さんに届ければ 大丈夫だそうよ」と言う返事。
「継続でも可能なのですか?」「あら 聞くの忘れたわ」
「参加する方ってどれくらいと思いますか?」
「何をする会にするのですか?」

やだ。。。まるで取り組むような質問になってしまっている。

徒歩圏内で地域の連携を掘り起こす何かが必要で有るだろう。
でも 準備に関わり 必要に応じて協力できる事はあっても 自分が取り組むなんて無理だ。

「何が出来るか考えて見ましょう」と言葉を濁して活動を終えた。

私の悪い癖で…。
準備に向けてあれこれ考え出してしまった。
けれど そんな頭にブレーキを掛けた。
いわゆる 介護予防と言うものは 取り組みの計画から始める事が大切なのである。此処は 少し下がって 計画できるように情報だけは集めて提示すべきだろう。

その後 母の所に出向く。
母は 比較的落ち着いていた。
トイレに誘導すると 少しの便が付着していたので排便を促す。
この所 いきむ確立が高くなっていたが…昨日は いきみ方は鈍かった。
「ひょっとして出たあとなのだろうか?」とも思った。
母の表情 目付きを細かく見ながら お腹をマッサージして様子をみた。
暫くすると コロンと音がした。母に「良かったね」と声を掛けると「うん」と頷く。母の神経もようやくお腹の中に向き出して 少しずつ押し出す努力が始まり 排便できた。
自分で排泄するって 生理的な現象だと思っていたけれど きっとそれだけではないだろう…と感じ始めている。
排泄のコントロール。。。幼子の排泄自立の導入がヒントになりそうである。

排泄の済んだ頃 お客様が見えた。
母と同じ年齢の入所者である。
母の部屋のぬいぐるみたちがお気に入りで…時折遊びに見える。

母に小豆南瓜を持って行ったので 少しだけおすそ分け。レモンティーも。。。
椅子を二つ並べて 簡単な手遊びをしたり歌を唄ったり ストレッチ体操をしたりした。

何となく体調がおかしいので 遅くならない内に帰宅することにした。

今日は 帰り道すがら考えてしまった。
排泄の事だ。
トイレ誘導した時は 綺麗な下着だったけれど…。陰部が真っ赤で痛々しい。施設側も判っていて薬を塗布した様であった。
母の部屋に遊びに来た方のトイレも誘導したけれど 拭き取りの時「痛い」と言われた。
施設の運営上 時間で取り替えるしか方法がないのかも知れないけれど…。
この排泄導入 何とかならないかなぁ〜。
特に 自分から汚れた事を訴えられなくなった人に対して…。
いや 自分から言える人の中にも遠慮で言えない人も居るんだけれど…。

母の臀部の赤みが3週間かかって ようやくカサカサになって治癒したなと安心したばかりだった。この間 施設側も時折薬の塗布があったけれど…。
「う〜む」


2005年02月07日(月) 謎が解けた

 利用者さん訪問
今日は キンピラを作ってくださいますか?お買い物も御願いしたい。寒いから 出たくないんですよ」と言われた。
見上げると蛍光灯がチカチカしていた。
傘を外すと蛍光管が取替え時となっていた。それも買い物リストに取り入れた。「はなさんは ほんとに何でもやるんですね」と驚かれた。
「これ位は 誰でもお出来になりますよ」と言うと即否定されてしまった。
実際 どうなんだろう。。。
少し寒いけれどお買い物は同行して貰う事にした。
利用者さんは 前向きだから直ぐに「折角だから そうします」と言われた。お買い物も無事済んだが 蛍光管だけは 売っていなかったので後廻しにして利用者さん宅に戻った。

キンピラを作っていると…「この間の切干とひじきをお友達にも少し上げたのよ。だっていつもお惣菜を買っているって言うから。。。」
大層の量を作った訳でもなく有るものでチョコチョコと作っただけなのに…。それだけ 作る意欲をなくされている高齢の方が多いのかと改めて驚いた。利用者さんは まだ ご自分で作られる事もある。サポート力は必要なのだろう。。。
有るウェブで「今日はヘルパーさんが来るから楽チン…」と電車に乗り込んだ方がいた。と嘆いている文を読んだけれど…。
高齢者同士だって微妙な関係の場合もある。
ほんとは無理なのに背伸びしてできる振りをなさる方だって居られるから…。

キンピラを仕上げてから 再度別のスーパーに走り 蛍光管を買って取り替えた。傘に虫などが入り込んでいたので軽くお掃除した。

活動を終えて急いで我が家に戻った。

実は 一週間ほど前より 我が家の雨水の配水管から白い塗料交じりの水が出ていた。この配水管は道路に面して出ているので何となく汚らしいのだ。雨も降ってないのになぁ〜と気になっていた。
ひょっとして雑排水?と思って浴槽の水を流す時様子をみたがその気配はなかった。
雨水を溜める枡の蓋を開けてみるが白い物はない。
夫が「雨どいに溜まっていたペンキがなんかの弾みで出たのだろう」と言う。その時は 「そうか」と単純に聞いたけれど…。
それでも 昨日は治まっていたので大丈夫かと安心していた。

が今朝見ると また 出ていた。
活動に出る前に 浴槽のお湯を出したので「やっぱりこれか。下水道を見てもらわなきゃ」と焦りながら出かけた。
活動を終えて帰宅して「若し雑排水なら 不衛生だから早く直さなきゃ」と思った。
それにしても 土の中で管が壊れて雨水の管に入り込むなんて有り得るのだろうか?庭木の根が壊したのだろうか?
工事になったら 偉い面倒だな。等とあれこれ考えてしまった。

何がどうなっているのかさっぱりなので 再度お水を流したり 汚水枡の蓋を開けて様子をみた。
でも 謎は解けない。
仕方ないので 夫に電話して業者さんと連絡を取って貰った。

そして また あれこれ 私なりに点検していた。
其処へ お隣のリフォーム工事をしている業者さんが「玄関前に車止めてごめんなさい」と謝りに出てきた。
「車じゃなくて ホラ 雨水管からの水が気になりましてね」と話した。
1人の方は気が付いていた様だった。
「雨も降らないのに何故なのでしょうね」と聞くと…。
「いいですか?」と我が家の敷地に入って点検してくれた。
何処からどう伝わって水が流れるか…と見てくれ それでも白い水の原因は掴めなかった。

「昨日は出なかったのですが 今朝また白い水が出てきましてね」と言うと「ちょっと待ってください。ひょっとしたら…こっちの左官屋さんかな?」と隣の枡を見ていた。
その枡に水を入れると出てきました白い水。
「家だったのですね」と業者さん。
それにしても お隣の雨水の管が 家の庭を通っていたなんて…とビックリ仰天した。勿論業者さんも驚いていた。

それから 夫に連絡し業者さんは必要ないという事に。

実は 最初に白い水が出た時から「ひょっとしてそうかな」と思っていたのだ。夫にも言ったが「まさか人の屋敷下をよその家の管が通るなんて有り得ない」と一笑に付されていた。
それに 萬が一 我が家が原因だったら角も立つだろうし…。

ま 角も立たずに原因が判ってホッとした。
でも業者さん「暫く そうなると思いますので宜しく」だって。
「ふ〜む」あまり良い気持ちはしないですね。。
でも これもお互い様かな?


2005年02月06日(日) 認知症の人にしていけない事…


娘 昨日から出張である。月曜に帰宅予定。
もう 今月は出張ないかな?

今日は 地域の事業所主催役所バックアップの介護フォラームが有った。
いつもは少し遠い所でやっているのだが…今年は 我がホームグランドだった。

会場に出向くと仲間の顔がチラホラあった。
新しい仲間を引き連れて来られた方もいた。

何かと御世話になっている保健士(ケアマネ)さんもいらした。
ちょっと話しこむ。
介護保険改革での包括支援センターの話にもなる。
ベテランと言うか 地域のケアマネさんを引っぱっていらした方でもある。
私より少しお若いかた。
「もう 辞めるって言っているんだけれど…。未だ駄目なのよね。。」
辞められたら困る。。。と正直思う。
地域の事情もいろいろあるから大変だろうと想像できる。
介護者のフォローもほんとに良く出来る方である。
私自身 この方から多くの事を学ばせていただいたし…母を託した今だって困った時には相談に載って貰える。お金にならないのに…。
おそらく この介護フォーラムだってこの方をなくしては 此処まで出来ないだろう…と想像している。
その方が困る包括支援センター。。。どうなって行くのかと心配である。

他にも自己作成のケアプランしている方もいらした。
「介護の冊子 入っていたでしょ。あれ 私。。。電話しないでもわかると思ったから…」と笑っていらした。
同年代で片麻痺となられた方。歩いて我が家までいらしてくださったとの事だった。
こちらも勝手に彼女を人に紹介していたので その事をお詫びした。
PTAの仲間の1人が現在 彼女と同じ病で片麻痺となられたと知らされていた。家に篭りがちになっているとお聞きしたので 彼女を知れば何等かのヒントを得られるのでは…と思ったからである。
「直接お話していないから…どうなるかわからないけれど…」と付け足すと「直接お話して 私の事言ってくれていいよ。きっと篭っていると人と話す機会が少ないから 直接あなたから連絡してあげて…。嫌だったら嫌と言うと思う。話して掛けられた方が嬉しいと思うよ」と言われた。
そうか こっちの思い過ごしか…と反省させられた。

娘の中学時代に御世話になった先生も直ぐ隣に座られた。
聞くと ご夫婦双方の親の介護に突入しそうな気配という事だった。
これもなかなか 大変なことであるなと思った。
離れて居られるので 計画の組み立ても兼ねての参加らしかった。

久々に会う介護仲間もいらした。
未だ認知症の入り口に居られる方。この方にお義母様の御様子を伺って 近隣の使いやすいサービスや施設の紹介をする。
子育て中の方なので 何かとご苦労が多いと想像できる。

介護仲間が パネルディスカッションのパネラーになる。
奥様を介護なさって居られる方である。
とても真摯な方で 前向きに介護なさっておられる姿に教えられても来ている。お年も80歳を越えておられる。自分の親と重なる年齢でもある。
あまり愚痴を零されず 淡々と介護なさっておられるが…その内側にいろんなご苦労がおありだろうといつも思っている。
この方は私の日記を読んでくださっている。
多彩な趣味をお持ちで 文章も書かれる方でもある。
私の拙い日記等 呼んで貰って恥ずかしいと思う事もしばしばである。

介護仲間のお話は 良いお話だったしよく纏められていた。
準備も苦労が多かった事と想像できた。
特に健康診断に「認知症」も組み入れて欲しいという提言は なるほどと思った。通院させるまでの家族の苦労は 並大抵でないから…。
初期より前に発見できれば ほんとに良い方向に持っていけると思うから。
それと連休のデイの実現への提言。
今日は役所の健康福祉部長が見えていた。何処まで聞き取って貰えただろう?昨年 ちょっとぶつかった相手では有るけれど…。
普段は 笑みを絶やさない人らしい。。でも。。。

基調講演は 武蔵野病院の辰野剛先生。
「老年期のメンタルヘルスと医療と介護の経験から」
お話の最後の部分の認知症の人も社会に溶け込んで生きていける社会になる事が望ましい…という部分が介護者として切実に思う事だった。
おそらく できない事ではないだろうと私自身も感じ始めている。
ただ 昨日も書いたように社会の風潮として面倒な事は避ける…というハードルをどう乗り越えるか…だろう。

今朝の朝日新聞にも載っていたが 最近民生委員のなり手がないという事だ。それは 複雑な問題に入り込む事が煩わしい…という傾向なのだそうだ。今の社会 そのものである。
入りすぎず 引き過ぎず…そういう近所のお付き合いがなくなっているのだろう。。。我がご近所もそういった傾向が大で有るが…。
此処を どう改善していくべきか…だろうなぁ〜。

最後に
認知症の人にしてはいけない事の4ヶ条
・叱る・失敗を認めさせる事・説得する事
・望まない訓練・頑張らせる事
・新しい環境に変える事
・手出し
だそうである。
一概に言えないけれど…母の介護で学んだ事も多々ある。





2005年02月05日(土) 纏めきれずに長い日記。。。


 昨日のお話
「高齢者の法律問題」
ひとつは親の死、自分の死に伴う相続に関して。
全員了解して円満相続が一番だが…。
そうでない場合が多いという事で遺言がお勧めだそうだ。
有効な遺言は 公証人役場で作成だそうである。
これに関する費用は数万円(3〜5)という事だ。
自筆遺言も有効だそうだ。
但し 全文と日付けと名前は自筆で印鑑が必要と言う。ワープロは×。
期限はないそうである。
但し 争いになった時 本人がきちんと判断できる状態だったかが問題になるそうで有る。

もうひとつ。
衰えた能力を補完するという事
成年後見制度 任意後見制度 介護に関しての虐待等

この制度の説明はさて置いて。。。

参加者からの質問で明るみに出たのが
一人暮らしの兄弟 おじ・おばの事である。
財産は特にない。それでも施設入所の折など後見人が手続きがいるそうだ。
そうすると後見人になった人がその手続き費用を負担する事にもなるそうだ。

相続する財産もないのに 費用を払う羽目になるか…という呟きが残る。

また離れて暮らすおじおばが持っている財産を第三者に遺言で残すと言う事例も有るようである。

これに対しては 98年以降 役場に行けば遺言の検索をさせて貰える様になっているそうである。勿論身分を明らかにしないと検索は無理。
公証人役場と役所がリンクしていると言う。

「厚労省・国交省」
厚労の場合は介護保険改革の話し。。。
今回は住まいに関してのフォーラムなのだが…
話題は予防重視に集中した。
要支援や要介護1が消える。。。現実に利用している人は どう扱うのか?
また この人は予防という選定基準ははっきり示せるのか?
そして 筋トレである。
筋トレの器具を購入したら 余計に費用が掛かる。ただでさえ デイ等に出たがらないのに…「筋トレは嫌だ」と拒否されたらその器具は宙に浮いてしまわないか?等が話題になる。
筋トレとは限らない。。。と説明していたが…。

さて 何故 国労・厚労省か。。。
これは 介護保険改革によって これまでの施設のあり方が変わってくるからである。この場合の施設とは特養も含むグループホーム・ケアハウス・有料老人ホームである。
特に有料老人ホームが変化して行きそうな気配だ。
だから 業者さんも集ってきていた。それも全国規模。。。

何故か?
それは これからの社会が同居して介護でなく 離れての介護で高齢者世帯や一人暮らしが増えると言う予測だからである。
其処を救うため?
今でも独身寮を買い取って有料老人ホームが増えているが これがデパートや学校等もそう変化して行きそうなのだ。
高齢者向け優良賃貸住宅の奨励等もある。
国労省の方の言葉で「リバースモーゲージ」とか「パッケージケア」とかが出されたが何れも理想はそうだけれど…できるの?誰かが儲けるだけではないの?と危惧ばかりが先に立ってしまう。

これからは 国民1人1人がファイナンシャルプランを作るべき…だそうだ。

みんなそれは感じている事だけれど…。年金の目減り 介護保険の値上げ等もあり 先の想定が難しい時代に具体的に考えようもないなと感じてしまう。

地域力が大切とは言うものの 直面してみて動き出すという今の時代の流れで地域力がどう育てられるか…を先に考えるべきでないだろうか?

参考資料を戴き 眺めているうちに「これは何処かでみたな?」と思った。
市区町村の示す「案」と形式が同じ。
これの雛形が どこかに有るんだろうな?
どうして こうも画一的なんだろう。。。

以上が 昨日の雑感である。

あそうだ。
NHKのディベートアワーの事もあった。
NHKの体制の問題はちょっと外して…。
利用者寄り側と政府寄り側がいた訳だが…。政府側の方に寄り切られたと言う感じがした。と現場に居合わせた仲間が言っていた。
番組は編集されているので…。いや 特にNHKが意識して政府寄りに纏めた訳ではないと思うけれど…と言っていた。
確か 明日再放送だと思うけれど…それも見られないので 自分の目での判断が出来ない。でも信頼できる仲間なので 正しいだろう。。

で今日は 母の所に出向き お散歩をした。
今日の母は どこかぼんやりとした頭で。。。
それでも 元気に歩いた。機嫌は悪くないが…イマイチはっきりしていなかった。


2005年02月04日(金) 学集会


 利用者さん訪問後
介護者ネットワークの法律学集会と高齢化社会の住居についてのフォーラムと続き 今帰宅した所だ。

未だ整理しきれて居ないので 明日ゆっくり纏めようと思う。

若年認知症の家族の会「彩星の会」が大阪にも広がる様子。
大阪では若年認知症デイサービス「デイなにわ」愛都の会。
発会式が2月12日(土)13:30〜16:30
大阪市文化会館 文化ホール
・記念講演 「若年認知症の診断とケアについて」
     講師 西村 健
・パネルディスカッション
宮永和夫 千場功 牧野史子 松井文子 他 
コーディネーター比留間ちづこ
と干場さんと牧野さんが教えてくれた。

参加費500円
連絡先FAX 0743-76-5875

デイサービスについては 発足会で相談だそうである。
彩星の会は医師のボランティアのバックアップで介護者も被介護者も救われていると聞いている。

今日は これまで。。。


2005年02月03日(木) 1人で豆まき。。。

 今日はリハの日なので母の施設に急いだ。
ちょっと出遅れて…息を切らしながら駅まで走った。
木曜の朝 決まってかけをする。
と言うのも母の施設に向かうバスが同じ時間に2台でる。行き先は違うのだが施設までは同じコース。
前の車が早い時もあれば 後発のバスが早い時もある。
同じという時だって有るのだ。
たった数分の違いなので 大した事はないのだけれど…得した気分を味わいたいがために かけてみるのだ。
先週は後発に乗って かなり遅れた。
今日は先発のバスに乗った。
追い越される事はなく 信号待ちをするかしないか位の差で先発が早かった。今日は勝ちだ!と1人で嬉しがる。。。誰も知らない私の楽しみ。。。

母は 食事を終えてテーブルについていた。
急ぎ支度をしていると療法士さんが見えた。
直ぐにリハに入った。
足の浮腫みもさほど酷くなくて調子が良い。だから 足先が痛む事もないようだ。

リハを終えてから家に向かった。
今日は ゆっくりお風呂に浸かってもらう予定。
昼食は昨日のクリームシチュウとガンモと春菊の煮付けと芋茎を煮た。
「おいしい」と全量食べても未だ余裕が有る様子の母。
お茶とお饅頭を上げると更に食べていた。
食後のフルーツは林檎煮である。
温かいうちに食べてもらった。
節分なので 恵方巻きの下準備 かんぴょうや椎茸を煮付けた。アナゴの白焼きを刻んで味付けをした。

それから母をお風呂に入れる。
「今日は だるいから入らない。。。」と言い服を脱がせるとちょっと嫌な顔をした。「寒いでしょ ごめんね」と声を掛けながら浴室へ誘導。
浴室は暖めた上に 浴槽の蓋を開けて蒸気でも温めておくのだが…それでもやっぱり裸には寒いだろう。
私はいつも洋服を着たままなので母の感じる寒さは想像でしかないのだが…。
洗髪をしてあげると そのあと自分で顔を洗っていた。身体も母にもタオルを渡して二人で洗った。浴槽に浸かりながら歯磨きである。
入れ歯はこちらで磨いて 自分の歯は自分で…。漱ぎは口に水を含んだら コップを空にして再度母に渡す するとそのコップに濯いだものを出すのである。それを数回繰り返すのだ。
これは 父の入院の時にやってみて良かったので取り入れている。
父が水も飲み込めないで口をカラカラにしている時もこの方法で口の中を潤していた。あの時の爽快な顔は忘れられない。。。
何も浴槽の中でやる事でないでしょう…とお叱りを受けるかも…。
でも 時間のない時はこれが一番短縮できるから。。。

お風呂から上がって ホットコーヒーとクッキーで水分補給。
それからドライヤーで髪を乾かす。

トイレに行って 帰り支度。。
此処でちょっと悩んだ。寒いのでタクシーを呼んで帰ろうかと思った。
でも 考え直して歩く事にした。母の状態は悪くないので身体を使ったほうがベストと思った。冷たい風に吹かれ身を縮めながら「ま・ぼ・ろ・し・のお〜♪」と大きな声で唄いながら長いダラダラ坂を下りた。
今日は一度も休まず歩き バスターミナルでバスに乗り込んだ。
ステップの上がりも楽勝だった。
今日は ほんとに調子がいい。

施設に付くと鬼の格好をした職員のお出迎え。
「あっ 終わってしまってしまったか?」と思ったが母のために玄関前で豆まきさせて貰えた。
母は、急な事で何が何だか判らなかった。
入所者はおやつを食べていた。
1人の方が「これ ○○さんにあげる」と言ってくれたので急いで着替えて戻ってみたら…おやつは綺麗に片付いていて…。
二人で顔を見合わせた。
母は 判らないので 椅子に座って貰ってから チョコレートを2個口に放りこんだ。

施設の玄関に鬼柄と柊が飾ってあったので 我が家のいわしを持ち込んで焼いてから頭だけ添えて見てくださいと渡した。
ついでに芋茎を煮た物を器に入れて「食べられる人に食べさせてください」と渡した。食欲の落ちている人がいるので 昔懐かしのもので食欲が戻れば…と思ったから。。。

母は 私の動きを目で追っていた。
だから 注意深く母の視線が落ち着くまで待ってから帰路についた。

家に戻って 恵方巻きを作り 鰯を焼いた。
恵方巻き 具が中心から反れてしまったけれど…勘弁してもらおう。
とは言っても 一人の夕食である。
西南西を向いて黙々と食べた。いや 語る相手もいないから…。
それから 豆を炒って1人豆まき。。。
小さな声で「ふくはうち ふくはうち おにはそと。。。」と。
玄関を開けて最後のひとまき。。。すると何処からか子供が豆をまいている声が聞こえた。ちょっとだけほっとした。
しかし。。。1人での豆まきなんてしないのだろうなぁ〜。

最後に柊に鰯の頭を刺して門前に。。。
昨年は 次の朝片付けようと思ったら 鰯の頭が消えていた。
きっと猫ちゃんの仕業。。。今年は 高いところに置いて見た。
どうなるでしょう?

友人から「節分だね」とメールが届いた。
あいつもやったかな?

付け足しだけれど…。
豆って 年の分だけ食べるんだけれど…。
これは さすがにねぇ〜出来ないので年の端数分だけ食べたんだけれど…。
炒ったお豆って美味しいんだ。ついつい 食べてしまう…。10代いや20代…かな ふふふふっ


2005年02月02日(水) 同じ病気だもの。。。


利用者さん訪問
今日の利用者さんは お掃除が中心である。
お訪ねすると「目が回って」と言われた。洗濯物を干したのでそのせいでしょうと笑われた。未だ本調子ではない御様子である。病のため 歯の治療等も一般の歯科医は治療できず大きな病院に足を運んでおられる。美容院だって病院内の所にお出かけである。
病を抱えるとなかなか大変だ。それでもお1人でお出かけなさるのでいい方だとは思う。
お掃除の途中「ねぇ〜ちょっと教えて」とパソコンの事を聞かれた。
覚えたての知識をお伝えした。
質問も自分にわかる範囲の簡単な事だからできる。
でも覚えた知識を娘に披露したりすると「そんな事も知らなかったの?」と言われるので…たいした知識ではないという事だけは記して置かないと…。

活動を終えて2月の調整をした。
歯科治療中で通院日と重なるので 微調整が必要なのである。
介護保険利用での活動でないので 直接(本来は事業所がするのだが)微調整できるからお互いに助かる。
活動時間が少なくなる事を気になされるが…本来 私の希望活動は週1なのだから…こちらも助かるのですよとお伝えしておいた。

家に戻ってから母の所に出向く。
母はコタツに入っていた。
私を見ると「○○(ふるさと)に帰るぅ〜」とはっきり言った。
「ハイ 判ったよ。そうしようね」と言うと「ほんとだね。よかった」と喜ぶ。今の母の記憶はジェット機のように遠い彼方に消えて行く。
だから 母の言葉を受け止めて楽しい体験を重ねれば「帰る」と言った事等綺麗に消えてしまう。
いや だからと言って帰宅願望がなくなる訳でなく…また同じ事の繰り返される。それでも言質に拘る事はもう殆どない。
今日も殆ど忘れたが時折「帰ろう」と言った時に「雪が降って汽車(電車だとわからない)止まってしまったんだって…」と言えば哀しそうな顔をして「じゃ 今日は泊まる」と言うのである。
しかし 昔ほど強い拘りがなくなっているので 対処もかなり楽になってきている。

居室でお茶を飲んだりおやつを食べたりした。
「外に出たい」という強い気持ちはないようだが 散歩に誘って外出。
玄関まで行くとエレベーターが点検中だった。
職員が言うには エレベターのボタン操作を入所者が覚えてしまって脱出が多くなり始めているという事でボタン操作を少し変えるのだそうだ。
認知症であっても学習するという事である。
でも この学習は介護者にとって覚えていて欲しい事は覚えないので辛い所ではある。
母の介護でもいろんな事があったなぁ〜とつくづく思う。

エレベーターが使えないので 4階から階段を使って下りた。職員は一緒にお付き合いしますと心配してくださったが…これくらいの階段は全く不安はない。ゆっくりと階段を下りると「わぁ〜庭が近づいた」と喜んだ。
たまには階段での上り下りも気分が変わっていいかも知れない。

外の風は強かった。
それでも母は 寒いと言わず 疲れたと言わずに歩けた。
顔なじみになった近隣の方が挨拶してくださる。
もう すっかり有名人だ。大きな声で唄ったり 話したりだから…。
もう 恥ずかしいなんていう感覚は消えている。
ストライキも全くなくなっているから…。
夫の知り合いだって「今日も奥さん見えていたね」と言うそうだから…。

たったったったっ程の速度で30分以上 距離にして2キロ弱を歩いた。
今は梅の花が咲きかけて 猫柳が銀色の芽を膨らませている。
それらを探しながら ゆっくりと歩いた。

施設に戻って 少し手遊び。
今日はグーパー出し。左はグー右はパー 次はその逆 それを2拍子の歌にあわせて交互に出していく。
頭の回路の訓練代わりだ。他の入所者の方も一緒に楽しんだ。

おやつをみんなで一緒に戴く。
母が言葉を捜しながら話しだした。
「私も病気 別の人も病気。同じ病気」「私の所に遊びに来たら 入ってもらって 同じ病気だと言って笑う。みんな 同じだもの。誰かが来れば…いいもの…」と。
何となく判る。
母の居室に入った時母の椅子ともうひとつ椅子が並んでいた。
きっと一緒の時間を過ごしたのだと思う。

母自身が 病名を認識している訳ではないだろうけれど…それでも 同じ病の人という事が感覚で判っているのだろう。
それもいいではないか。。。





2005年02月01日(火) 何か 違うような…


今日は 家族の会である。
長い間 奥様を見守られていらした方が足を運んでくださった。
今も奥様が居られるような気がして そんな時は佛前で手を合わせられるそうである。

母をGHに御願いした後 何かポツリと空白が出来た。
自分の健康がのっぴきならない状況となり 家族の事もあり託したのだけれど…。託してよかったのかと悔いる事もあった。

それでも 母は未だ何とか元気で有る。
施設に託した空疎な思いと見送られた方の空疎感は比較になる筈もない。
まして 私の場合は親である。その方は奥様である。
心にかける思いは おのずと違うだろう。

その方と出会ったのは 7〜8年近く前であろうと思う。
奥様が自分で口紅を拭かれたのに それを指し示し「浮気しているでしょ」と追及されたりが有ったとあの頃聞かせて戴いた。
「女房には世話になったから」「苦労をかけたから」と何を言われても前向きに介護なさっていらしたので有る。
「イロウを作り高カロリー食を朝から流し ようやく終わる頃には昼の高カロリー食となるんです。女房は もう一言も喋りません。。。」と言っていたのに数ヶ月後「意味のない言葉ですけれど…喋るようになりました」「有難うと言いました」と言うお話が心に残っている。

後半で「イロウ」を作らずに出来る限り食事してあげれば良かった。年上の方でも「未だゆっくり食事している人を見てそう感じる」ともお聞きした事がある。

介護者はいつも「これで良かったかな」と思い悩む。。。

ところで今日の話題の興味を引いたのは…。
偶然にも 男性介護者の共通した事で…。
認知症となってから 奥様が認知症外の病になられた時の事である。
「おかしい」と思って医師に話すと「これは 通常の範囲の変化です。問題ありません」と言われて それでも症状が治まらなくていた時 検査数値や症状を見て 異変に気がつき対処してくださったのは 看護士さんだったと言うのである。
先ずはご家族の細かな観察があり その変化を掴めていた。
その先 医師に話しても駄目で 看護士さんに助けられたという事。。。
何処でもそうとは限らないけれど…訴え続ける事も時には必要だと再認識させて貰った。

また 有る方がデイサービスで 根気よく食事の介助をしてくれている。時に数時間も…というお話をしてくださった。
このデイサービスでは いつも介護を受ける人の立場で介護して下さるという事で家族の間では評判が高いところである。
が 今日足を運んでくださったケアマネさんは 何処のデイサービスなのか把握していなかった。勿論役所の保健婦さんも…。
ベテランのケアマネさんである。
これには 驚いた。
おそらく 評判の高いデイサービスから離れた所に事業所が有るので 家族の声も届いていなかっただろう。
役所主催の家族会では 他の事業所さんも居られるので こういった事は話題に出来なかった。
時に「ちょっと 評判悪いよ」と言える時代もあったが 今は少し変化してきていて言い出しにくいのである。
ちょっと 残念だ。
ベテランのケアマネさんでも こういった事は有るのだなぁ〜と思った。

「ん?」と思ったのは 役所の保健婦さんが 会に来て眠そうにしてた。
家族のお話を聞きながら目が半開き…。
「会に行っていいですか?」と自ら出向いていらしたのに…。
この方 役所主催の会でも時折そうなのだ。。。
未だ介護に関る年齢でもなさそうで…仕方がないのかも知れないけれど…。
それに 役所の所轄では ないけれど…。

役所主催の会に家族が定着しなくて…苦慮してるのだが…。
その保健士さんが会が終わっての帰り際「はなさん お見事です」と言われた。褒め言葉なのだろうけれど…ちょっとカチンときた。

私が見事なのではない。悩みを抱える方が主体性を持って望んで下さるからで 更に 家族は それを我が事と受け止め考えを述べてくださるから成り立っているのである。
少なくとも皆さん聞き流す姿勢はないから…。
それだけ 家族の悩みは深刻と言う事なのに…。

以前の保健所の会は こうではなかったのに…。何処から違ってきたのだろう。。。参加事業所は変わりないけれど…メンバーが変わりつつある。
この辺りに原因がありそうな気がするのだが…。
どんな言葉で伝えれば良いのか…悩む所である。

そうだ…示された情報で間違っていた事も有ったのだ。
これも次回の役所の家族会で伝えなければならない…。
昨春赴任した保健婦さんなので 仕方ないのかな?
此処で苦情を言うよりも 住民のニーズを上手に引き上げて貰える様にしなくちゃなんだなぁ〜。





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