母のタイムスリップ日記
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2004年09月30日(木) 娘孝行…。


今日は リハの日だった。
リハが始まると母は 気持ち良さそうに寝入ってしまった。
後半で足の屈伸のリハが有るのだけれど かなり深く眠っていたので療法士さんが「このまま寝かせて上げていいですか」と聞いてくださったので途中で切り上げて貰った。
「あ〜なんて気持ちいいんだろう…のんびりしていいなぁ〜」と目覚めたのは15分ほど経ったころだった。

目が覚めても横に為ったまま暫くまどろんでいた。
「出かけるけれど どうする?」と声を掛けると「行く行く」と起き上がった。

バスに乗って我が家に向かった。

ご飯の前にデジカメからインストールした画像を見せてみた。
そこには 施設の行事で写したものが沢山有る。
母の画像をアップして見せた。入所者の画像もアップして見せた。草花もアップして見せた。母は「あ〜っ」と喜んでいた。
施設の入所者の事をどれ程覚えているだろう…といつも気になっていたが今日がチャンスとばかりに聞いてみた。
名前を言うと「うん」と言って名前を反芻できる人は 個性の強い方のようだ。目立たなくおとなしい人の名前は「知らない」と言う。
でも 顔はきちんとわかっているようであった。
1人だけ「この人面白い事いうんだよ」と言っていた。
はっきりとした記憶ではないのだろうけれど…どうやら判っているみたい。

そういえば 我が家に着いたとき「ここは誰のお家?」と聞いた時 返事できないで口篭っていたので「○○(母)の家」と言うと…。
「私のうちは…」と言いながら手を広げ「ここから上がって…」更に手を広げ「また上がって…」更に手を広げて「この上なの」と言った。
これは 母のフロアを指していると感じた。
母の頭の隅っこには施設の居室が自分の家と言う感覚も多少は有るような気がした。

パソコンの画像を一通り見終えたら「面白かった」と言った。
花の名前なども少し言えた。
ピンボケの映像が多いのに喜んでくれる娘孝行な母だ。

昼食はすいとんにした。
家での食事なのであまりあれこれ言わないで居たけれど…。考えも付かない食べ方をしていて「おかしくない?」と聞くとニコニコしていた。。。
お風呂に入り洗髪して…帰路はテクテク歩いて駅に向かった。
今日は途中3回ほど休んだ。
この所休む事が無かったのだが…。
それでも歩く事を嫌がる訳でなく 休息しては直ぐに立ち上がって歩きだした。夜 ちゃんと眠れているのかな…。

施設に戻る前にまたブツブツ言い出した。
「意地悪す訳じゃないのだけれど…と。年を取った小さな人…」
「だってお部屋の中までは 入って来ないでしょ」と言うと「うん」と言う。やはり 何かトラブルが有るんだなぁ〜。
母も他の人から見ればトンチンカンだろうしなぁ〜。難しい所である。


2004年09月29日(水) ハラハラ ドキドキ


 利用者さん訪問。
利用者さんのお母様は92歳だと言う。今日 写真を拝見して「お若い」と思った。お元気だからなおさらそう感じるのだろうけれど…。
90を越えてお元気でも かなり腰が曲がっていたりするけれど…背筋も伸びてシャキッとしておいでだった。
利用者さんご自慢のお母様とお見受けした。

夕方 ちょっとした作業のために外出。
約束の場所に出向くと知り合いが刺繍をなさっていた。
知り合いとは久しぶりに出会った。
ふるさとでお母様が過ごされているが…この夏同居のお兄様が突然亡くなられた。お義姉様が介護放棄なさりそうな気配と聞いていたので お母様がどうなったか…と心配していた。
結局 他のご家族が引き取られたという事だった。
お母様の持ち家だった筈で どうなさったかと心配していたら…。
いろいろ 大変なことが起きているようである。
知り合い自身もお義母様との同居でご苦労が多い。
だから 出来る限り冷静に対処なさろうとしていらした。
ふるさとのお母様は痴呆の症状が出ている。
その過程での財産の行方…。なかなか複雑そうだった。
この辺の事は いろいろ絡み合って大変そうである。

さて 母の入所するGHでは入所者家族のネットワークが誕生できそうな気配である。家族会で家族の提案を受けての動きである。
その案も送付されてちょっと動き出している。
でもそこから何が出来るだろうか…。
1人で数人を受け持つのは 大変な作業になってしまうだろう。
時に職員も加わってくれるのか?
複数の家族で提供可能なのか?
家族間の連絡は取れるのだろうか?
判らない事が多い。
うまく協力できて入所者がせめても活き活きとした時間を過ごせるようになればいいなぁ〜と思う。
はてさて どれ程の協力者がいるかなぁ〜。

昨日 娘が「これから帰るけれど 何時に家に帰れるか判らない」と電話してきた。予測では9時前後かなと思い夕食をせずに待っていた。
9時少し前に電話が入った。
どうやら乗り過ごしてしまったようだった。
「ねっ だから 判らないって言ったのよ。アッ電車が来た。各駅みたいだから…また寝ちゃうよ…」と言う声。
30分待ったけれど帰って来ない。
「こりゃ大変だわ」とご飯を食べて緊急時に備えた。
しかし電車移動となると電話も出来ない。
1時間半後 娘は 何とか家に到着した。
まったく ハラハラドキドキの数時間だった。

今夜は確実 タクシーコースと言ってたのでこれなら待つ方は安心。
娘もそうだけれど…夫もなかなか深い時間の帰宅だった。
あと2.3日はこんな風らしい…。





2004年09月28日(火) 一面のコスモス。。。


昨日の雨の様子から 到底今日も雨かなと思っていた。
が辛うじて 雨は無かった。

今日は この間ぶどう狩りに一緒に出かけたご家族と沢山のコスモスが咲く場所に出かけた。お昼は中華料理を。。。
この所 外出時のお食事少し贅沢している。これも 今回までにしておこう。。。
母に食事介助する風景をみていた娘さん(年齢的には同じ位かな?)が感心したように言っていた。「絶妙なタイミングですねぇ〜」と。

母は、ほっておくと食器で遊んだり 汁物に漬物を入れてみたりが始まるのである。ギリギリまで母の好きなように食べてもらうけれど…危うさを感じたら直ぐに食器を移動させる。母が箸で口に物を運ぶその瞬間にさっと替えてしまうのである。母は殆ど気が付かない。それを何回も繰り返して結局全量摂取してもらう。

自分の食べる時間がなさそうに見えるけれど…これがしっかり食べている。
介護を始めた頃は ここがとても大変だった。
「ゆっくり食事がしたい…。こんな調子じゃ病気になるんじゃないか…」と不安になったものである。ストレスでずっと下痢が続いた事もあった。
おそらく 今日 一番食べたのは私かも知れないのだ。

娘さんのお母様は 食欲が少し落ちている そして席を立たれたりもある。
でも今日は 席を立つ事もなく いつもより多いくらいに召し上がった。
食事の時にお話をして ちょこっとの介助があれば食欲は有る程度は上がるだろうといつも感じている。母を見ていてもそうである。
食事は 楽しくなきゃ。。。
いや ひょっとすると 母だけかな?

今日の母は 訪問時はとてもにこやかで穏やか…だった。
出かけて間もなくは 機嫌も良かったけれど…食事の終わった頃より少し機嫌が斜め。
原因は 私と娘さんの会話が多くて…いつもと違っていたからである。また沢山食べて お腹が苦しかった事 疲れた事が重なっての事だろう。
だからコスモスを見るときは 時に個別に速度を変え 調整した。
疲れる事も計算の内で車椅子も借りて 乗ったり押したりした。
コスモスも始めの内は母の目には入らなかった。
でも後半には「なんて沢山のコスモスなんでしょう…」と言っていた。
時期的には まだ早いようで 後半月後くらいが見ごろだろうと言う話になった。「また来ましょう。今度はおにぎり持って…」と。。
娘さんは 2時間以上の時間をかけて面会に来るので その間に私が4人分のおにぎりを作りましょう…と約束した。
娘さんは 運転手となって私たちを移動させてくれるのだから…それくらいは当然だろうし。。。

帰路 後部座席の二人は時折ウトウトした。
母は かなり疲れたようで 施設に戻ったら横になって貰った。

今日は 欲張りすぎたかも知れない。
お食事は お食事だけとした方が 母たちには良かったような気がする。
介護者は ついつい自分達のぺースに巻き込んでしまうなぁ〜。反省!

ここにはGH入所する前には 何回か来た。
母も健脚ぶりを見せてくれ 車椅子が欲しくは有ったけれど 使わずに済んでいた。やはり だんだん足も弱ってきている。
車椅子になっても 連れ出せるかな?これは私の健康にかかっているんだな。


2004年09月27日(月) 母の所に行けなかった。。。


 午前中利用者さん訪問。。
今日も長いお話から始まった。キッチンに立ったり洗濯機を回す隙さえも無いほどのお話である。
まだ 気持ちが落ち着かないのだろう。。。
でも何故 そうなったか…が判った。
「漢字を書けない。日にちの勘違い。」それは今までだってゼロではなかった筈だから…そんなに深刻にはならないなぁ〜と感じていた。

デイの小旅行の時に「お魚の名前」等を書き出す場面が有ったらしい。
その時 隣の人はスラスラ書いているのに自分はひとつも言えなかったという事が引き金になっているようであった。
この作業 デイの職員がやった訳ではないのだけれど。
「どんなにショックだったろう。。。」と思った。
元気に過ごしている者が似たような経験をしても平気なのに…。
年を重ねると「すわっ」となってしまうのだろう。
パニックがパニックを呼んで…落ち込んだり不安になってしまうのだろう。
母にも似たような経験があって 幾度か見てきたので気持ちが見えるようだった。

そういったショックで お料理する事も臆病になっていくのだろう。
この所ご家族が泊まっていて その食事の準備にも戸惑いが有るようだった。今日は 言われた通りに準備した。
鮭のマリネときゅうりと大根としょうがと茗荷の浅漬け ブロッコリーと人参の茹で野菜。トマト。レンコンのキンピラ。ローカロリーの副菜を作った。この夏利用者さんが1人で作っていたものばかりである。
それが急に自信を失った。
全て仕上がった時「自分でも作れるんだけれど…」と言われた。
「そうですよ。夏に作っておいででしたよ」と言うと「そうよねぇ〜」と。
「84歳でここまで前向きでお元気な方 多くないですよ」と言うと…。
「褒めてもらって 励まして貰って有難う。。。元気が出てくるわ」と笑っておられた。

活動を終えたけど 地域の支援センターや医師の主催する痴呆の介護の相談会が直ぐ有るので 家に帰らないで時間をやりくりした。
と言うのも金曜(24)に家に戻った時「出席宜しくお願いします」と言う留守電が入っていたので…何等かの役割が有るんだなと感じていたからである。おそらく 始めの一声。。。なんだろうなぁ〜と感じていたのだった。

会に出かけてみると…いろいろな方が見えていた。
主に痴呆初期あるいは物忘れが始まった人…そんな家族の参加が多かった。
精神科医のお話をお聞きして…悩みや相談事をお聞きした。
母の病の始めの頃の場面を思い出していた。

ちょっと時間オーバーして 外に出て会に出向いた方と立ち話…。

時計を見ると母の所に行くのに無理な時間となっていた。
銀行に寄って買い物を済ませて家に戻ると書店からの留守電。
「物語としての痴呆ケアが入りました」と言うのだった。
急ぎ書店に向かって本を手にする寸前でバックにお財布が入ってなかった。
一瞬 掏られたか?と思ったが杞憂に過ぎなかった。
家に戻って改めて書店に向かいようやく本を手にした。
小澤氏の本は前回の「痴呆を生きる」とは少し違うようだ。まだ読み始めたばかりなので感想は後日に。
「人に迷惑をかけない生活」なんて貧しい「迷惑をかけ合う社会」を目指したい。→れんげの里の柳氏の引用に「うん そうだね」と1人頷きながら読み始めている。。。

家に戻ると介護仲間から「お話しする暇も無くて…」と電話が入った。
最近の介護の周辺の変化がおかしい…という話で盛り上がった。
役所も支援センターも…。
介護している者がおかしい所を言って行かないと変な風になってしまいそうである。
介護保険が始まった時は 役所もアチコチで説明会を開いていたけれど…今は殆どない。巷には 保険の申請の仕方を知らない人が出てきている。。。
これは 手抜きじゃないのかな?

 


2004年09月26日(日) あっちゃぁ〜


 ダイニングの窓からお隣の庭木を見たら 綺麗に剪定してあった。
何時の間に…。
いつもならパッチン パッチンという音で気が付いて「家でもそろそろ…」と思うのだけれど…。

霧雨が降ったり止んだりの中 剪定を始めた。
秋の剪定は 好きだ。春までは枝もあまり伸びないからという事もあるかも知れない。
手を付けだすとあっちもこっちも気になって手が伸びる。
でも一日で終える筈も無くて…程ほどの所で終了。

面倒がる夫と畑に出向く。
「年と言うには早すぎるよ」と言いたいのだけれど…忙しいのだから ま しょうが無いんだろう。
「なんだ 豆 放り出して 駄目じゃないか」「…種を取ろうと思って…」
「おいおい もう カビが出て駄目だよ」「遅すぎたんだねぇ〜」
気持ちも萎んでしまった。
「もう 冷たいから帰るぞ」「私 雨降ってもずっと外で剪定してたのよ」
「タクモウ…」
カァーカァーと烏が鳴いた。
「ほらみろ こんな雨の中 馬鹿やってぇ〜と鳴いているじゃないか」
「違うよ 良く頑張るねぇ〜って鳴いているのよ」とこちらも負けない。

草取りしながら「あれっ」と思った。
南西の角地に種を取ろうと残しておいた昔ながらの赤紫蘇が無い。
良く見ると短く刈り込んで有った。
確かに隣との境目の場所では有るけれど根っこは家の所にある。
よその所に枝が伸びて行かないようにしていたんだけれど…。
育ちにくいって聞いたから 沢山の種を取ろうと思ったのになぁ〜。
最後に紫蘇ジュース作ろうとも思っていたのに…。

刈った人は 邪魔だったのかな。
それにしても…ここ数日の事である。‘あっちゃ〜,
更に萎えてしまった。

後は地元の農家の人が頼みの綱だ。
大分前に頼んでおいたけれど…「覚えてくれるかな?」明日あたり行って見よう。。。

娘は 午後ちょこっと仕事して その足で大阪へ「びゅーっ」と出張。
火曜朝の新幹線で戻り会社直行である。

今週も土曜日まで休みなし。
「涼しくなったら…会いましょう」との約束が2件。
さて 何時会えるのだろう。。。







2004年09月25日(土) ちょっと 感激


 利用者さん訪問後 娘と一緒に母の所に出向いた。
「良く来てくれたわねぇ〜」の母の言葉は 昔と変わらないのだけれど…。
何時だって 私たちの帰省を待っていたのだ。特に孫と夫には…お礼を忘れなかった。勿論「疲れたでしょ」とも…。

娘が指を使って腹話術で話しかけた。
「あら 指がお話しているの?」と不思議そうな顔をして言った。
耳はすっかり遠いのだけれど…孫の声は良く届くのかな?

暫くして「もう帰るね」と娘が言うと私も一緒に帰ると思って「私も帰る」と言い出した。「私はまだ 帰らないのよ」と言うと「送ってくる」と居室を出た。様子を見ていると娘の後を追うわけでなく窓から外の景色を眺めていた。確かに娘の車は見えるけれど…。そこまで判っているかな?

その後 洗面台でタオルと靴下を洗ってもらう。石鹸の類は出しておいてはいけないので 洗剤だけはタオルと靴下にしみ込ませた。

洗濯を始めた時 職員が入ってきた。
面会の度に母に洗濯して貰い始めている事を報告すると…。
「いつも綺麗に綺麗にキッチンをお掃除してくださるのです」と言われた。
入所して一年くらいは 出来ていただろう。でも 今 キッチンと言う場所では いろいろの物があってそうそううまくお掃除できなくなっている事は家での様子でわかっている。。。
「あら ちゃんと絞れるのですね」と絞ったものに触れて言った。
洗濯の仕方は 回を重ねるに連れて勘を取り戻して上手になっている事を更に報告した。。。

散歩に出た。
川べりの桜並木の枝のてっぺんに「青さぎ」が止まっていた。
細くなっている枝に大きな体で止まれるものだと驚き「ほら あそこ」と教えると「あ 見えるよ」と母も驚いていた。
畑の隅には コスモスが風に揺れていた。
「コスモス…綺麗だねぇ〜」と言った。「コスモス」と言う単語が言えた。
またよそのお宅の鉢に小さな真っ赤な小花が沢山咲いていた。それをいち早く見つけた母は「頑張って咲いているね」と言った。
母は、道端の草花に「頑張っているね」と囁くことが最近とても多い。
まるで 自分との共通点でも見出しているかのようである。

膝が痛い お腹が痛いと言っていたけれど…歩いているうちに解消されたようである。
施設に戻りかけた時 入所者のご家族が帰るところとばったり。
「いいですね。歩けるって…」と言われた。
こちらから見れば 母のような痴呆がない分 羨ましい所で有る。
でも 無いものねだりをしても始まらないし…。
「はぁ〜。せめて歩く事くらいはねぇ〜それくらいしか出来ませんから…」と言うしかない。卑屈な気持ちではない。

居室に戻りトイレ直行。
出る前も小水なし。散歩中もなし。水分はかなり取ってもらったけれど…きっと汗のほうに取られてしまったのだろう。
でも大も小も両方の用が足せた。
「紙をください」と母は言った。思わず耳を疑った。
「何をするの?」と言いながら紙を渡すとちゃんと拭き出した。
いつもワザワザ ロールを目いっぱい引き出し目に留まるようにしておくけれど使われた形跡はないし…紙を渡しても拭き取る作業すら忘れてポケットに仕舞い込んだりシャツの中にしまったりしているばかりなのに…。
ちょっと感激してしまった。
何事も諦めないで続ければ…時折こんな風に繋がる時も有るんだな…。

傘も持たずの来訪で 空と睨めっこをして…降らない内に 施設を後にした。


 


2004年09月24日(金) 軟着陸


 きょうは 所属の事業所の活動者が集まり説明を受ける日だった。
利用者さん訪問の時間と重なるので 参加はしないと決めていたのだが…。
今日が 利用者さんたちにとっても大切な日だと思い 昨日の夕方 時間変更をお願いした。「用が出来たので 時間をずらしてください」とだけ伝えたら…OKの返事だった。
月曜は 祭日で活動してないし…木曜の祭日だってヘルパーさんが入ってないだろうし…。大丈夫かなと気になっていた。訪問したらその時にゆっくり受け止めようと思っていた。

説明会には 少し遅れた。行くまでに1時間以上かかった。
どうやら 最初に「お詫びの言葉」が有ったらしい。
そして 「今後良く話し合って対処したい」と言う所まで漕ぎつけた。

全面的に解決した訳でないけれど…話し合いの余地が生まれた。

きっと駄目だろう…虚しさだけが残るのだろう…と思っていたのでほっとした。

更に 今日集った方が「とても勉強になりました。また次回の会に参加します」と目を輝かせていた事も嬉しかった。
全てお任せで来たから こうなった面もあると感じていた。
だから 一人一人が考えられる体制になれば 初期の頃のようなボランティア力が生まれそうな気がする。
事業所に向かってお礼を言う人は無くて これまで有志の会に参加した人に対しての言葉だった。

でもふと思った。
事業立ち上げの時には 全員参加型で集まりの時にはテーブル並べだってみんな手伝っていた。でも今日は 私を含めて誰もお手伝いしなかった。
ここに距離感が有るんだなぁ〜。
どちらが歩み寄らなければならないんだろう。。。

今回の事で みんな異口同音に「議員さんがこんなにも丁寧にお話を聞いてくれるのですね」と驚かれ ひとつ賢くなりましたと感激していた。
また「手順を追って意見を発することの大切さを学んだ」と言う声も聞いた。

今日の結論は ほんとに嬉しい。
「いまだかつて無い事」という空転から1週間余。。。
決まった事としてはねつけられたあの日が嘘のようである。

「これから 何回も話し合いを重ねて考えて行きたい。。。」と言う言葉を引き出せたけれど…事業廃止の実施時期を変更は有るのか…この辺がグレーゾーンである。押し切りが多いこのごろなので注意深く見守って行けばいいだろう。

会を終えて家に戻った後 利用者さん訪問。
こちらの都合で迷惑を掛けたので30分早めに訪問した。
利用者さんは…ドアを開けるなり「なんだか 盆と正月が一緒に来たみたいに混乱してます」と言われた。
やはりかぁ〜。
落ち着いてお話を聞こうと思ったが どうにも湿度が高くて暑い。
窓を開けて風通しをよくして扇風機を回した。
ふと見るとお布団が出ていて髭剃りが充電中だ。
こりゃ 息子さんが泊まって居られるのだなと直感。
何かお話があって 利用者さんとこの連休過ごされたようである。
ところが利用者さん 文字が掛けなかったり来るって言う日をすっかり忘れたりが重なってパニックになってしまったようだった。
とにかくお話したい事をゆっくり黙って伺った。その後で…。
「大丈夫ですよ。これくらいの事誰にもあります。母の病の時とは明らかに違ってますよ。心配しすぎると余計におかしくなりますから…」と励ました。
気を取り直して 息子さんからのお祝い金で洋服を買いたいと言われたので同行させて戴いた。
処分した洋服を見て お気に入りの洋服を見せて頂き好みを探った。
デパートをクルクル回った。
近寄ってくる店員さんを「ゆっくり探しますから」と振り切ってカバーした。これが お年寄りにはなかなか出来ない技でもある。
利用者さんも充分感じているので「助かるわぁ〜」を連発だった。
一通り見終わって 始めの場所に戻ろうとした時抜けてる場所があったのでそちらに回った。そこで利用者さんの好みに合う物に出会い決まった。
活動時間は予定を30分オーバー。前後を含めると1時間オーバー。
利用者さんも 気になったようなので「今日は 私の都合で時間をずらしたしまったのでお詫びですから…」と説明した。
こんな事は 絶対にしないけれど今日だけは例外。
こういう緩やかな関係が助かる。。。

家に帰って お世話になった方にお礼の電話。
親しくしている議員さんが「こんなに 早い決着は 先ず無いですよ。良かったですね」と言われた。
ただ あっという間に別の事で(予算枠)と言う所でなし崩しになってしまうから…気をつけてとアドバイスを受けた。









2004年09月23日(木) そのズボンいくら?


夫は今日も出勤。娘は従妹と友人と兄嫁の実家にぶどう狩り。
私は…予定通り母の所に向かった。
母は、居室でまた困ったような仕草をしていた。
トイレに誘っても特に変わりは無い。

この所母に洗面台を使ってタオルや靴下の洗濯をしてもらっている。
これも生活リハの一環で有る。
洗い方の勘も取り戻しつつある。
母の時代は 手洗いが主流なのだから…。しっかり身についている筈と思っての事である。
きちんと洗って絞って窓の手すりにタオルをかけていた。指示は「洗って」と石鹸を付けて上げた位。ほぼ合格である。

我が家に向かって外出した。
今日は 我が家で入浴の予定。お腹もあまり空いていないようだった。
昼は コキールと豚肉のソテーとサラダとコーンスープ。
ご飯は少し残ったけれど後は完食。

近くをお散歩。
どうも今日は人が気になるらしく 会う人やすれ違う車に向かって手を振っていた。振られたほうの人は ビックリしたり微笑んだり…。
私はただただ 「すみません」といった風に頭を下げまわる。

散歩から戻ったら どうも匂うのでトイレ。。。
やっぱりでちと始末。其の儘 お風呂直行。
身体を先に洗って 洗髪。
涼しくなったとは言っても 入浴介助は汗びっしょり。
母が気持ち良さそうなので いいとしよう。

頭を乾かしておやつを摂っている時「あんたのズボンいくら?」と聞いてきた。「安いよ。バーゲンで買ったの」と言うと「それいいねぇ〜。私もほしいな」と言う。
こんな言い方をする時は殆どない。
母のはいているズボンの方が価格としてはずっと高い物だし…。
何処が気に入ったのだろう?
股上の浅い 白のコットンパンツである。
ウエストが無理かも知れない。。。少し長めなので足の長い母には丁度かもしれない。。。
そういえば…以前にもこれを着用していた時 座ったら「膝の後ろがくちゃくちゃになったよ」と言っていた事を思い出した。
何かが気に入っているんだろうなぁ〜。

お上がりにするか それとも新しいズボンを買ってあげるか…暫く検討だな。

施設に戻った時「うるさいと言われる…」「作ったものをクチャクチャにする人がいるから嫌だ」と母は言った。
そして「帰らないでね」「ずっと居てね」とも…。
この関連した言葉は きっと体験した何かを言っているんだろうと思う。
今日は「ぶどう狩りに出かけた事も思い出せたくらいだから…」
想像は付いている。
入所者の中に「私が行くと『来るな』って怒るのよ」と私に言った人がいる。時々トラブルになっているのだろう。
母は訳も判らなくさまようし「おかちゃん」を連発しているし…きっとうるさく感じているんだろうと思う。
母も苦情を言われれば多少は残っているし…。
悪意は無くとも悪意を感じる関係だなぁ〜。
ここのあたりの解消って施設の工夫で何とかならないかと思う。

少し気になりながら…帰宅しようとしたら「昨日 ○○と一日中言っていたのです。大きな声で歌も唄っていました」と職員が教えてくれた。
ここが不思議で…今日だって私には「○ちゃん」と数回呼んだだけ。。。
間違っても娘の名で呼ぶ事はないのだ。。。
「洗濯物干しに行ってくるね」と言って母と別れた。


2004年09月22日(水) 杓子定規には行かない…


 ここ10日あまり 母の手の爪が伸びている事は判っていた。
母自身も「伸びてしまったぁ〜」と気にしていた。

前にも記したように爪を切る時痛がるので 億劫になっていた。
ぱきしるさんが教えてくれた薬も薬局で探してみた。。。
でも若し母が痛がらなかったら深爪にしてしまうのではないかという不安も湧く。深爪で感染症でも起したら 怖い。

母自身は 爪切りの痛さなんて忘れてしまっている。
以前なら「痛いって言ったから 怖くて切ってあげられない」と言えば「ちょっと我慢する」と言う言葉を引き出せたのだけれど…。
今だったら 切り始めた途端「痛い」を連発する。

昨日 ふと思い立ち 母にニッパ式でない爪切りを渡した。
「自分で切られる?」と聞くと「うん」と言った。
爪を切り始めた…でも とてもハラハラした。自分で切るのだから痛くは無いだろうけれど…ニッパでない分爪に圧力がかかって割れてしまわないかと気を揉んだ。左手の爪を切り終えた時は拍手ものだった。
けれど切った後はギザギザである。そこで丁寧に鑢をかけた。
問題は右手。
以前から「右は切れないから切って頂戴」と言っていた。
どうした物かと考えたけれど…切ってあげるしかなくて…。
幸い 自分で切った後なので痛がらなかった。

「出来る事まで 手を出さないように…」という事の大切さは判っているつもりだけれど…。私には とても難しい判断だ。

もうひとつ。
居室のテーブルを整理していたら…ノートに文字が書き連ねてあった。
ノーと置いたのは 随分前の事だけれど…書き込みは全く無かった。
先週 母の見ている前で ノートに 父 弟二人 私の名前を書き込んで置いた。お父さん 息子 娘と繰り返して言った。
母はじっと見て「そうだ」と言っていた。
そのノートに書き込んでいたのである。
書き込んだ中味は…。
「二つのビンを壊してごめんなさい…私が悪かったです…」と言った内容だった。別の小さな紙にも似たような事が書いてあった。
何時書いたのか判らない。ぶどう狩りに行った後か先か…。
でも少なくともこの5日位の間の事だけは確かである。
職員に「何か壊しましたか?」と聞いてみたが特に申し送りはないと言っていた。
だとすると 母の幻の体験で1人苦しんでしまっているんだろうか?
忘れてしまう事は なんて哀しいのだろう…と胸がキュンとしてしまった。
そばにいてみて居てあげれば…「そんな事は無いよ。夢でも見た?」とカバーしてあげられる事なのに…。

考え方を変えれば こうして苦しい思いを書き込んでしまえば 気持ちは少し和らぐのかもしれない。。。

利用者さん訪問日。
この連休 ご家族が見えたようで「散らかってます」と言われた。
明日は祭日でヘルパーさんが見えないので…急ぎお掃除。
この辺が微妙な所だ。
ご家族が見えれば ご家族がお掃除すればよい…。
でもご家族とゆっくり過ごされる事も 療養である。
ヘルパーさんは 祭日でも入ってくれる。がご家族の来訪がある時は原則家族で…という事になる。
これも 難しい判断である。

人が生活するって 杓子定規には行かない。。。





2004年09月21日(火) 母の記憶 思いやり…


昼食の時間 みんなと同じテーブルに着いた。
その少し前まで 1人の職員がみんなと同じテーブルでお食事していた。
丁度 職員と交替する形で席に付いた。
食べ終えた人も居たけれど…食事途中で お休みしている人もいた。
食事したくないと言う人もいた。
別の職員が あれこれ話しかけて食べるきっかけを作ろうとしていた。
押したり引いたり…である。
「ご飯は食べたくないけれど…薬大好き」と言っていた。
偶然 職員と同時に「薬飲むには 食事しないと…」と話しかけた。
何回目かの時「ふりかけかけたらご飯食べる?」と聞いていた。
その辺で 合意が出来てご飯を口に運び始めた。
「嬉しい。心配だもの…」と言うとニコニコしていた。
もう1人の方も途中で長い食事中断に入っていた。
「元気になるには ご飯食べなくちゃ。元気が無いととっても心配。。。」
と声を掛けた。「何時までも元気にしていて欲しいもの…」と言うとその方は目をウルウルさせて ご飯を口に運び始めた。「嬉しいな。良かったな」と言うとまた目を潤ませていた。

職員だって 毎日これを繰り返していれば「またかぁ〜」と思う時も有るんだろうなぁ〜。

でも 声をかけてみると以外にちゃんと受け止めてくれる。
食べたくないのを無理に押し込むのは よくないだろうけれど…(母には良くそうしてしまうのだが…母の場合 嫌がらずに食べてくれるので)話しかけられ 食欲も湧くようにも感じられる。
今日は 声かけ うまく行ったような気がした。

食事が済んで母を居室に誘導。
外出前のトイレ誘導。。。ちょっと出始めていたけれど ほぼ間に合い 大量放出できた。少し緩めで 止まらないため暫くトイレで過ごして貰った。
残念な事に 母は用が済んだと思い幾度も立とうとしていた。毎度の事だけれど「ちょっと待ってね」と声を掛けながら落ち着くまで頑張って貰った。
声を掛ければ 母も逆らう事は無く直ぐ座ってくれるけれど…また立ち上がってしまう。
立ち上がると言う行為は やっぱり終了と思っているんだろうなぁ〜。

こちらがせっせと生活リハを試みるけれど…どうにも忘れる事に加速が罹っているようで追いついて行かないのが現状である。
折り紙だって繰り返せば思い出せるけれど直ぐ忘れる。
固有名詞だって 同じ。
今日もスーパーの野菜売り場で定番の野菜 じゃが芋 人参 玉葱等 言葉に出来ない。「じゃが芋」と言えたと思ったら 次の人参を「じゃが芋」と言い出す。店頭で思い出すまで繰り返していたら…サツマイモだけはちゃんといえた。不思議そうに見ていた方が「サツマイモ」で微笑んだ。
母もこういう事を嫌がらないで 有る意味必死で覚えようとしている。
だから みんな好感を持って見守っていてくれているのを感じる。
これが もう少し前だったら こうは行かなくてとても苦労した。
おそらく 母の中でも忘れてしまう事に危機感を覚えているのではないかと思う。ちゃんと言えた時の安堵感が見える。
「有難う」そういう母の言葉が 私を支えてくれる。

おなじ事だが 毎日共に暮らす入所者や職員の名前だって 覚えきれない。
今日も1人1人の名前を教えた。
教えると必ず反芻する。記憶としては残らない事も判るようで…「直ぐ忘れてしまってね」と笑いながら言う。職員が「○○さんたら ほんとに正直なんだから…」と笑っておられた。
母のような人だけではない。
でもそういう人は まだ 記憶が割りに残っている人だ。
母の場合 そういう時期は過ぎてしまっている。

予定した外出先がお休みで急遽ホテルのロービーに変更した。
数年前(5年くらい前)だったら「こんな高級な所に入ってもお金が無いから…」と時に不穏になったものだが…。
今はちょこっと「お金は無いよ」と言うけれど「大丈夫。預かっているのが有るよ」と言えば「儲けたな」とニコニコする。
ケーキセットなんかを食べて「出る?」と聞くと「もう少しゆっくりしたい」と返事する。こういう時も連れてきて良かったと思う。

ホテルを出て施設に向かい…。
「今日は疲れたでしょ」と言うと「疲れてないけれど 疲れたって言ってみたいの…」と言う。
判っている言葉を駆使して心配掛けまいとする様には 驚いてしまう。




2004年09月20日(月) 敬老の日…


 昨日 家族会に滑り込むように入って「母の顔見てないけれど…」と施設長に言ったら「今朝 眼底出血を起して目が赤いです。視野の欠落は無いようですが…」と言われぎょっとした。
母の血圧が高い事(この所少し落ち着いているが)、小児バファりンを服用しているので血管のもろさも気になった。
母と会って 少しほっとした。
白目のみの出血のようだったから。
でも これが続くようだと要注意であるので 要観察である。

敬老の日で できれば母の所に行こうと思っていたが 泊り客もあり庭や畑も気になって行かなかった。
優先すべき事を優先しないので 後ろめたさも残る。
お彼岸におはぎを作って勘弁してもらおう。

先日まで あげは蝶の幼虫が沢山付いていた人参の葉だったが もう一匹も居なかった。はっぱも全滅と言うほどでないので よしとしよう。
芽キャベツが小さなキャベツを数個つき始めた。
これもなかなか 可愛い。

ゴーヤはあまり大きくなっていなかった。
このまま放置すると 熟れすぎる感じがしたので今日が限界と思いはさみでパッチンした。
元気なのは落花生だ。
玉葱も水遣りを怠っているせいか 元気が無いように思う。
もう少しせっせと通うことにしよう。
この所 日が短くなっているので 畑に行く時間が少ないなぁ〜。

新聞も昨日と今日の分を纏め読み。
全く困ったものである。
一面の出版物の広告に目が留まった。
「痴呆を生きる」の小澤 勲氏が「物語としての痴呆ケア」という本を出版なさっているようである。痴呆者に対しての深い洞察力がある医師なので是非とも読んでみたい。明日にでも 本屋さんに行ってみようと思う。

夕方 娘がおいしいメンチカツを買ってきた。
一足先に試食した娘は「家と同じ味がする」と言っていた。

試食してみるとカリッとした食感は お店に軍配として…。
玉葱の感じが似ていた。
我が家のメンチやコロッケは玉葱を茶色に炒めてからと生のままの時と2パターンある。今日のは生の玉葱の感じであった。
形も独創的で ボール型のメンチであった。見た目 コロッケだ。
どうもかなりの行列が出来るらしい。。。

行動範囲の広い娘のお土産は 新鮮である。(謝謝)


2004年09月19日(日) グループホームの家族会


 今日は 敬老の日との連休である。
おそらく 家族会の日に今日を選んだのは家族が出席しやすいように…との配慮があったのだろうと推測している。

GHのこの一年の決算報告と質問や苦情を聴く会でも有る。
昨年は 家族の感謝の言葉が多かったように記憶している。
あれこれと質問するのは 私ばかりだったような感じがする。

今年は少し違った。
言わない人は やっぱり何も言わない。

今年は なかなか聞けなかった通院介助や金銭管理費等の質問をしてみた。
「うちの場合 原則家族の責任での通院だけれど 止むを得ない時は職員が同行するが 通院介助の費用は取らない。金銭管理も原則はしないが 希望で預かっている人の場合でも 管理費は取らない」と言っていた。

これを聞いてよい施設とするかしないかは 個々の判断になるだろう。

有る家族が「痴呆の症状が進行している居るように思うが 施設にボランティアを入れたり 職員の工夫などで 生活リハ 歌唱 計算 漢字等のリハや散歩を取り入れられないだろうか?」と質問。
これに対しては 施設側も考慮すると少し具体的な話をしてくれた。

これは 職員も大変な部分も有るので家族が出来る範囲で連れ出して良いかと質問してみた。
これに対しては お互い了解を得られるのなら その中でなら可能という事だった。

旅行に関しても 質問。
今年は 少ない人数で職員に負担にならないようにしてみようと思っているとの回答だった。
家族は 職員も家族も負担が強くならない範囲で できれば全員でが望ましい…とお願いした。

他にこの一年の事故の報告もあった。

今年の家族会は こんな風に質疑応答が出来てよかったと思う。
でも どうしても施設側の良い所を強調する感じになってしまうのは しようがない事だろうかな?私がひねているからかな?

初めの頃と比べると肩肘張ったような所が 消え始めている。
勿論 こちらもいろいろ判ってきた面も有るだろうと思う。

介護者ネットワークの仲間には グループホームや特養に入所している方もいる。そこからの具体的情報も得ている。
違いも大分見えてきている。
見学には行けない日々だが…いろいろ情報は交換できている。
私自身は そういう情報を持っているので その中での比較が出来 全く判らないという状況で無くなった。
もう少し 家族の意識が高くなってきたから徐々に話し合っていければよいだろうと思う。
今は 施設で足りない所は 家族が補う方法でじっと待っているしかないだろう。

痴呆の進行を緩やかに抑えるリハの数々の話は 入所以来 ずっと感じてきた事だけれど…ようやく家族からポツポツと出るようになった。
母にとっては もう遅い感じがする。
でも 母の状態に合わせたものがあれば 出来るだろう。。。

さてと 私が出来る事ってなんだろうな?

家族の会が済んだら 2つのフロアで中華料理コースと和食コースに分かれて職員 入所者 家族とみんなで調理して会食した。
母を連れてフロア移動するともうお仕事を始めていた。
慌ててお手伝いしようとしたら…ご家族から「お母さんしないの?」と聞かれた。ちょっぴり反省。施設の調理は時間に追われるのでついつい自分がしてしまう事が多くなっていた。
母にバトンタッチしてやってもらった。
が 最近の母は いろいろ判らなくなっている事が多くて ついつい口を出してしまう。
丁度向かい合って作業していた入所者が「おかしくなった時に口出しすればいいでしょう」と声をかけてくださった。
これにも「ハッ」とした。「そうでしたね。そうします」と返事した。

出来なくなっているけれど 出来る事はある。黙ってみているつもりだけれど…急ぐ時は 手出し口出しが多くなっている自分と出会って猛反省。。。

今日 母のフロアに行った時 母を探し出せなかった。
いつものメンバーしか居なかったのに…人の間に座り 頭をうなだれていたので見えなかったのだった。
おそらく 困っていたのだろう。
居室に入って 抱いてあげても不安げな表情は消えなかった。
2日間面会してないので…。
トイレに誘って 排便を促す。今日はタイミングが良かった。
うなだれていたのは 排便だったのだろう。
トレパンも2回分ほどの尿があったようであったので気分も落ち込んでいたのだろう。
母の表情は徐々に良くなっていった。

そういえば 今日「助けてください」と小声でいう入所者が居た。
そばに行くと「おトイレしたいのです」と言われた。
母と違うフロアの人なので トイレに誘導しようと移動始めたものの 何処が居室で何を使っておられるのか全く判らなかった。
職員に尋ねると「私がやります」とバトンタッチできた。

しかし…こういう訴えを母も居室でやっているんだろうなぁ〜。
「助けてください」は母の専売特許ではなくて 痴呆の人の叫びなのだろう。。。やはり いつも誰かがフロアにいるって大事な事じゃないかなぁ〜。。。排泄は最後の砦でもある。
恥じらいを持って言葉にする…その場に人が居ないって 辛い事だよねぇ〜。

こういう会も 経験を重ねてくると 随分様相が変わってくる。
初めの頃の事を思うと ほんとに変わったなぁ〜と思う。
勿論 良い方に変わってきている。。。




2004年09月18日(土) 町内の事なのだけれど…


 先日 民生委員さんが見えた。
母の88歳の祝い金を持ってきてくれたのだ。
留守の間に見えて ご近所さんに母の名前を言って「こういう人いらっしゃいますか?」と聞いたらしい。
母の苗字は違うので 皆さん「居ません」「存じません」と言われたらしい。民生委員さんの知り合いの家に電話をして聞いてみて「奥さんのお母さんじゃないかなぁ〜」と言ってくださって再訪してくださったそうである。

実は民生委員さんとは 顔見知りではあるが向こうは私の名を知らないのだ。在宅の頃 お散歩していて民生委員さん宅の前を通って 声を掛けられて…初めて知ったのだった。

2度目の訪問で 私の顔を見て「良かったぁ〜知っている人で…」と言って居られた。

が折角きて頂いたのに…母の印鑑が見つからなくて 今日受け取る事になったのだった。それも 利用者さん宅に来てくださるという事だった。
利用者さんから 民生委員さんとは ご近所付き合いがあり親しいと聞いていたのだ。家も数件離れた所である。
約束したものの 親しいのに私が活動している事をご存知無かったので「余計な事を言ってしまったかな」と気になり 利用者さん訪問前に民生委員さん宅に寄ってお祝い金を戴いた。

活動を終えた時「民生委員さんの所に寄ってから来ました」と利用者さんに言ったら「私の事言った?」と聞かれて「ハイ」と返事した。
すると「言ってもいいの?だって あなたの事言って悪いかと思って…」と言われた。別に知られて悪い事ではない。
「自分の住む町内の地域で助け合いの出来るきっかけになれば…と思って無理をして引き受けだのだから…」とお話した。
すると「そうなのよね。近所でも困っていらしているかたが居てね」と言われた。と状況を説明してくれた。
その方は 病名もない病気で 高齢者世帯であった。
「家の中が雑然としてね 呼び鈴鳴らしても出て来れ無いのよ」といわれていた。
そうなんだよね。こういう世帯が多いのだと思う。
「家の中が汚いから 着てもらえない…」という奥ゆかしい方である。
いやこういう方が 多いのだ。
先日「今の高齢者って 訪問される日はお掃除しているのよね」と言っておられるのを聞いた。
出来ないから依頼するのに…と思うのだが。。。

町内の事だけれど 実際の把握はほんとに難しい。

そういえば 昨日 介護者ネットワークの仲間とお話した時耳にした事がある。それは 高齢者のピークは2025年と言われているけれど 20年ずれて
2045年と言う説が出てきていると言う。
役所の照準は2025年の筈。
こういう読みって危険じゃないかなと思う。
厚労省は 国からの補助をカットして民間力に移行しようとしていて(NPO等に)地方自治体は 社協の予算削減を前倒ししてやっている。
これは 議会に掛ける事もなく住民が知らなくともできるので有る。
決まって「えっ?」となる。
予算削減は 何処かでしなければならない事と思っている。
でも もう少し住民の声を引き出して決め細やかに考慮してから踏み切って欲しいと切実に思う。
自分の住む町の状況をよくよく調べておいた方がいいと思う。
今 福祉の分野が大きく変化している。
こんな筈じゃないのに…とならないように。。。 

 



2004年09月17日(金) 母の不機嫌


朝 起きたら腕がとても重かった。
昨日 車の乗り降り 入浴介助 トイレ介助等々のせいだろう。

車は 2ドアタイプで その上車高が低いので乗り降りに苦労した。
言葉で言っても理解できないので 半身を車に突っ込む形で母を椅子からフロアに下ろして座らせ 今度は開いたドアから地面に足を下ろしてもらい手を引いて立って貰うという形を取った。

「見晴らしがいいよ」と別の温泉を勧められたので予定を変更したのだが これが高齢者に優しくない温泉だった。
休息場所も有料で 椅子だった。
車で長時間窮屈な姿勢だったので やはりゆったり横になれたほうがリラックスできるような気がした。
長時間同じ姿勢だと 腰への負担も強くて…余計に乗り降りが大変になったような気がする。

昨日は気温も高くなり 疲れと重なって入浴時は母の機嫌が悪くなった。
久々のシャワー洗髪で要領を得なくて…不機嫌は加速した。
トイレは幾度もチェックした。排便 排尿で迷惑を掛けない為である。
それでも何とか洗髪して 母を露天風呂に入れた。
他にも入浴者は居た。
私と母の様子を見ていて みんな微笑んでいた。
湯船に入る時は手すりが有るけれど…入ってからは 無かった。
これが母にはとても不安げだった。
身体を支えたりコーナーを使って見たりの工夫が必要だった。
日が傾きかけて夕日を浴びての入浴は 良かったけれど…疲れも相当だった。

母の記憶は お風呂の場面だけは残ったようで…ちょっと時間をずらして聞いても温泉だけは言えた。

施設に戻って 洗面 歯磨き 着替えをして 布団に入った所でお休み。
今日の母はどうだったろうかと思ったが 朝から活動 その後講習で遠出。
家に戻ったら 施設から留守電に連絡が入っていた。
特に変わりなく元気だという事だった。

利用者さんは お元気だった。
デイで鎌倉までバスハイク。
とても 楽しかったし 体力的にも自信が付いたと話してくださった。
「まだ 楽しめるのですねぇ〜」と笑顔。。。誰かに迷惑をかける…と旅行などは考えない。
母も動く度に「迷惑掛けるね」「有難う」「嬉しい」といつも気にしているのだもの…。理解できる人ならもっと気にしているだろう。。。

お買い物が有ると言うので 付き添いをした。
売り場は ころころ変わるので お年寄りは物を探すという事に苦労なさってる。売り場のレイアウトは高齢者への配慮が足りないような気もした。

金曜の講習も後後1回となった。
時間を作り出すと言うのは なかなか大変だった。
でも 10月1日でようやく終了…と思ったら「上級者コースはいかがですか?」と言われた。「ふ〜む。必要だけれど…どうしようかな?」


2004年09月16日(木) ぶどう狩り


 先ずはご報告から。。
これまで いろいろ 動いてきた事に明るい日が差しかけて来ました。
どうなるかは 判りませんが…。
でも 手順に重大な過ちが明らかになりました。

部長さんとの話し合いの中で 執拗な言葉尻を捉えられて困った事がありました。あの時 危機感があったのだなぁ〜と今 改めて感じました。

心配もあります。
私たちは 個人のミスを責めるつもりは無いのですが…。
個人の責任として処理される事は 望んでないのです。
ちょっと 悪い噂も聞きました。
不味かったら左遷と言う処置が過去に有ったらしい。。。
そういう事が無いように…と願っている。
若し そういう事があったら カバーしなければならないかな?

確かに「決まった事ですから…」と言われた事はちゃんと記憶に残っています。それは 有無を言わせないという雰囲気も有りました。

板ばさみになっているからなぁ〜と耳にも入っていました。
でも そこで丁寧に説明してくれていたら…一言「お役に立てないでごめんなさい」と言う言葉が一言でもあったなら 情に流されていたかも知れない。そこに役人としての辛さがあったのかな?
それとも不受理になるように ワザワザ 手順を踏まないでくれたのかな?

真実はわからない。。。

これは 個人の責任ではないのです。
役所の姿勢の問題の筈なのですが…。
誰かをやっつけようなんてものでないけれど…ひょっとしたら政治的に利用されてしまうかなぁ〜。
だから 今 ドキドキしています。

ただ 言える事は1人では抗し切れなかったし 仲間だけでも抗し切れなかった。動いて 今までのネットワークを駆使して 初めて出来た事である。
その1人は 電話で話しただけの顔も知らない人もいる。
その人は きちんと思考する人で救われたのだ。
決まった事を覆せるか…息を呑んでいる。
仲間には まだ知らせてない。
きっと 飛び上がって喜ぶ人もいるだろう。

母とSさんとSさんの娘さんとでぶどう狩りに出かけた。
心配な事がいっぱいあったけれど「大丈夫」と自分に言い聞かせて出かけた。最大の心配はトイレだ。
途中 トイレが間に合わなくて 漏れはしないかという事。
座席を汚しては申し訳ないし…。
そこでトレパンに夜間用のパットを2枚重ねして対応。
車は2ドアタイプで座席が低い。乗り降りに時間がかかる事も気になった。
これは ゆっくり対応する事で何とかクリアできた。
歩く事は 不自由が無いけれど…足腰はかなり弱っているから…。
子の事は行きも帰りも何とか乗り切れた。

母もSさんも とても活き活きしていた。
車の中では 景色に見入っていた。
どちらも娘で 顔見知りなので混乱も少なかった。

ブドウ畑が見えるとSさんは 目を輝かせた。
到着して直ぐに畑でぶどうを取りたいというほどだった。
母は 眺める方である。
「綺麗だなぁ〜」と。それが ぶどうだという事は判っているかも知れないが言葉には出来ない。
言葉の記憶が無くなっている。。。

繰り返し「ぶどう」と言う言葉を発していると 思い出すようだ。
ほんとに記憶と言うものは 持続学習していないと消えて行くのも早いなぁ〜。

ブドウ畑のそばのプレハブでくつろいだ。
義姉は いろいろ作業が有るのに細やかに迎え入れて 母の疲れ様子もしっかり気が付いていた。「表情が穏やかで変わらないねぇ〜」と言ってくれてそれが 私にはとっても嬉しい言葉だった。

実に沢山の種類のぶどうを食べた。
初と言うものも有った。
「ふじみのり」「すいとう」「ロザリオ ロ○○」→忘れてしまった。
8種類のぶどうは圧巻だったしとても贅沢だった。

畑でぶどうを取らせて貰った。母はとても緊張していた。
でもちゃんと取れた。良かった。
畑は坂なので Sさんの娘さんは案じていた。
でもそれも何とかクリアできた。
Sさんは 腰が不調で…食欲も落ちていたのだが…ぶどうはおいしそうに沢山食べていて 良かった。

まだ 話は有るけれど…明日も忙しいので 今日はこの辺で…。


2004年09月15日(水) 緩かな関係


 利用者さん宅のチャイムを押したが 応答がない。
暫くおいて再度チャイムを押したが応答がない。
車庫には 車があるので外出ではない様子。

そういえば「水曜日はヘルパーさんの活動日が翌日にあるので土曜日にまとめて出来ないかなぁ〜」と言われたなぁ〜。
あの時 今月後半からなら可能かな」と答えたつもりだったけれど…。
「はい」って受けてしまったのかなぁ〜。
自分の記憶を確かめてみる。
おそらく間違いないと思うけれど…最近の私 ちょっとずれちゃっているしなぁ。。

庭のほうから様子を窺ってみるけれど 室内までは見えない。
これが最後と別のチャイムを使ってみた。
ようやく「はい」と言う声が聞こえてほっとした。

メインのチャイムの調子が悪いようだった。

いつも通りの活動の他 雑誌類を紐で縛って外の収納スペースに片付けた。
活動記録を記入中に「23日は祭日でヘルパーさんお休みなので 今度の水曜は訪問して欲しい」と言われた。

私の所属する事業所は ボランティアなので訪問活動は 大体一日一件だ。
時間にゆとりを持っている。
高齢者は 急な用で時間延長を依頼する事もある。
通院介助で出かけて 途中おやつや軽い食事を取りたくなった時はお付き合いする事もある。自分の分は自分が出す。
人によっては これが面倒というけれど…。
高齢者の方は 逃げどころがなくて…1人で生き抜きすら出来ない事も多いのでお付き合いして ストレス解消して貰う。
1人暮らしの方には きちんと利用の仕方を説明するし ご家族の同居がある時は 要望があった時にどうしたら良いかを確認しておく必要が有るけれど…。
ご家族の多くは 自分で連れ出せないので「宜しくお願いします」と希望される方が多い。

勿論痴呆や麻痺のある方も同じ扱いである。
ただ その場合 身体介護の利用料金になってしまう。
どちらにしても利用料は かなり安い。

こんな風に状況に応じて緩やかに活動できるのが特徴である。
勿論 希望があれば依頼を受けた翌日から活動に入ることも可能である。
この辺が ヘルパーさんと違う所だと思う。

ボランティアする人の中には ヘルパーと並行して活動する人もいるのだが。。。

こういう活動が 私は好きである。
介護保険外の事だから こんな関係でいられる。
用が有る日は 初めに利用者さんにその旨を告げている。
そうしてお互いが都合しあっている部分もある。
そうした事で 利用者さんは 娘の世話になっているような感覚になる事が多いような気がする。

活動を終えて 母の所に出向いた。
明日は いよいよぶどう狩りである。
その前に母の状態を見ておきたいし お出かけの準備も簡単にしておきたかった。と言ってもトレパンと尿漏れパットのの準備等である。
美容院にも連れ出したかったが いつもの所までは無理だったので シャンプーだけして貰いに施設近くの美容院に飛び込んだ。
施設の入所者が利用する所でもある。
シャンプー後 ブローして仕上がった髪型が…みんなと同じだった。
髪の毛を全部後ろに流すのだ。
母は 初めてだし…もう髪型を気に留めることも少なくなっているけれど…。この画一的な所が 私は苦手だ。
カットもパーマもそれぞれ違うのだから…もう少し工夫してくれれば ここでも良いのだけれど…。

技術的な事はさて置いて 母への対応はとても感じの良かった。
母の椅子からの立ち上がりの介助などは 慣れていないと思ったので私がやった。それを見て「さすが呼吸が合ってますね」と感心されてしまった。
自分でも気が付かなかったけれど…確かにそれは有るんだろうなぁ〜。
いつもの 美容院なら見守りだけしていれば 全てお任せである。

「明日 ぶどう狩りに行くからね。風邪引かないようにね」と母の耳元で囁いた。母は「ぶどう狩りに連れて行ってくれるの?」と楽しみにする風だった。明日まで覚えているか。。。なぁ〜。。。





 


2004年09月14日(火) 遺伝子かぁ〜


 この所 バス停から我が家の畑を見下ろし ため息を付き「ごめん」と詫びる日が続いていた。
久しぶりに畑に出かけた。

土と戯れ 水をやり 虫の駆除 草取り…そんな事をして 育った野菜たちを見ていたら…トゲトゲとした気持ちが消えていた。

菜園って 癒し効果が有るんだなぁ〜。
痴呆のセラピーに使われるって聞いたけれど…。健康な者にとっても充分なる効果なんだなぁ〜。

家に戻って 鉢植えに水をあげた。
台風で転がった鉢も其の儘 放ってあったのだ。
自分の限度を超えていると思ってはいたけれど…。
いつもの事がいつも通りに終える事って ほんとに大切で…一日を無事に過ごす大切さを実感。

夫のために借りた菜園だけれど…どうも自分のためになっている様である。

このごろの自分の動きを振り返って見ると 同じような事をしている姿を
何処かで見たような…そんな気がしてきていた。
そう。。。
母の仕事をしていた時の姿勢なのだ。
母程 家事を放棄しないし 家族の依存度も高いけれど…。
参った。
こりゃ 意識外の遺伝子の作用だ!
母とは違う生き方を選択したつもりだったのに…。
こりゃ こりゃ。。。

娘も昨日言っていた。
「あなたが育てたとおりに育った」と。。。
遺伝子かぁ〜。



2004年09月13日(月) 彼岸花。。。


 母は ソファーに座っていた。
良く見ると何か紙を折り込んだ上に座っていた。
その紙は B4くらいのサイズで横に2センチ幅で屏風のように折り込んだものだった。
「なあに?」と広げてみると 慣用句のワークだった。
おそらく以前 施設に渡したワークのコピーでないかと思った。

虫食いの慣用句だ。
1 ■■で鯛を釣る
とあり■を単語で埋めるのだ。
母は それを読むのに「いち で鯛を釣る」としか読めなかった。
以前なら 見ただけで「海老で鯛を釣る」と言えた。
でも 今は出来ないのだ。
全く出来ないかというとそうではなくて そばに付いて一度■を埋める形で読んであげると思い出せるようだった。

おそらく これを渡されて理解できなくて 折り込んでしまったのだろう。
1人での作業は無理なのだ。かといって 近くに座っている人が興味もないし…で一緒には楽しめない。。。

慣用句は得意中の得意だった筈。百人一首だって得意だった筈。
デイでは 繰り返し楽しませて貰っていたので 維持できていた。
が もう 欠落する一方なのだなぁ〜。

「何処か 面白い所に連れて行って」と母は言った。
少し暑いけれど散歩に出た。
通院する時間には足りなかった。
車を見て「みんな同じ方に行っているね」といった。
彼岸花が咲いているのをみて「あの赤いのはなんだ?」と聞いてきた。
おととい「彼岸花 綺麗だね」とインプットしたばかりだけれど…やっぱり言葉が残っていない。
赤い花に目が行くという事は 一昨日の散歩での事が何処かに残っているんだろうと勝手に良い方に考えた。
ファミレスで 飲み物を飲んでもらい休息。

外に出て 少し急ぎ足で歩いたら「面倒だから 早く歩かないで」と言われた。どうやら 足が少し重いようだ。
靴下を脱がせて居ないので むくみのチェックはしてないが。。。
きっと浮腫んで居るんだろうなぁ〜。

施設に戻って「トイレ行こう」と言うとちゃんとトイレに向かって行った。
出かける前は「誰もいないと困る」と言っていたから…トイレの場所も忘れていたのだろう。
一日の中でも こういう事が何回も繰り返されて居るのだろう。

そうだ 今日の議会で陳情書は継続審議となったと報告を受けた。
これから 資料を取って再度審議される事になった。

いろいろ複雑な思いをしながら 取り組んでいる。
いろんな人がいる。。。


2004年09月12日(日) はなが歩いて棒に当たった!


 署名集めをしていたら…思いがけない情報が手に入った。
極々身近にいた人からの情報だった。
それも昨日手にしたらしい。
早速コピーさせて戴き 今後に役立てようと思った。

その方は お店をやっている方で店の名前が苗字だとばかり思っていた。
だから 気が付かないで来たのだった。
そこから 良く見てみると知った人の名が連なってあった。
「なぁんだ…」
署名活動は 少し気が重かったけれど…歩いたから 情報に当たったのだなぁ〜。
最近 動いたから判る事が多いと感じる。
やっぱ 行動しないと広がらないんだなぁ〜。
でも介護しながらの行動は 制限も多いし…なかなか 大変なことでは有るんだけれど…。

今日 ようやく母を連れて遠出する日が決まった。
と言っても夫のふるさとなんだけれど…。
同じ施設に入所しているご家族(娘さんとお母さん)と母と私の4人。
夫の義姉の実家がぶどう農家で 繁忙期が過ぎてOKが出たので「ぶどう狩り」に行く。近くには温泉も有るので寄ってみようと計画。
今までも このご家族とは「行こうか?」と話にはなったけれど日にちの調整が付かなくて流れていたのだった。
来週の木曜日である。
諸事情で日帰りでは有るけれど…。
明日 リハお休み願いを出さなくては…。

明日は 利用者さん訪問前に動かねばならぬ事がある。
訪問後は 母の通院もしなくちゃ。
また アチコチ移動の日だなぁ〜。

今日だって 町の北の端っこから 東の端っこ 南西の端っことクルクル動いた。娘が車を出してくれたので助かった。
これが無かったら…時間のロスが多かっただろう。
しかし 娘と一緒だとこちらの判断能力の衰えが目に付いてしまう。
いつも高齢者とのお話だったり 同年齢の方の場合が多いので気にならなかったけれど…。

ふと思えば 私も母が「蛍光灯みたいだな」と感じ始めた時が有った。
きっと 同じような年齢だったのではないかと思う。

口では「しっかり年を重ねています」と言いながらどっかで年を忘れている自分が居るのだと改めて感じてしまった(涙) 


2004年09月11日(土) 何を持って善しとすべきか?

夫を送り出して 直ぐにご近所宅を回った。
初めての署名活動である。
明日中に集めて13日の議会前に追加として届けるのである。

心の奥底に有る思い。
「無駄と思える事を何故やるの?」
おそらく 陳情書は考慮して貰ったとしても もう動かないだろう。。。
そこにエネルギーを注ぐ自分に腹が立つのだ。

ご近所宅は「有難う」「ご苦労様」「頑張って」と言う言葉と「役所なんてこんな事したって何も変わらないよ」と自分を振り返って忠告してくださる方 説明の途中で「知らない事には 協力できない」と言う方。。。ほんとに様々だった。
こういう状況なんだろうなぁ〜と判っていたので 悔しいとか 何故判ってくれないなどという思いはあまり湧かない。
結局の所 今の状況を知ってもらうという事が署名してもらう意義だろうなぁ〜と考えている。

そうなのだ。
私は かなり今の自分の行動を冷ややかに見ているのだ。
こんなに冷めているのに…なぜ動くのだろうか。。。

午前中に利用者さん訪問して 昼食後支援センターに出向いて署名してもらった。慌てて出たので書名の新規の物を入れ忘れてしまった。
それでも「大変だぁ〜。。。」と行動を労って下さり 新規の表を作ってプリントしてくれた。全職員の署名をしてくださった。
ここでも「結果は良いと限らない。。。」と言う話だった。
立場上役所からも話が聞けて…予測はついているのだろうと思う。
それでも 尚 後ろから応援してくださる事が何よりの励ましとなった。

ここでケアマネさんとちょこっと矛盾した話をした。
ケアマネさんが珍しく 疑問を投げかけていた。。。
詳しい事は避けるけれど…そこには命に関る事と人としての尊厳。。。最終章のあり方を考えさせられる話だった。
介護と現代医療の抱える矛盾である。

一口に介護とは言っても実に様々な局面が待ち受けているのだ。
みんなが同じ場面を通過するわけでないけれど…往々にして直面する問題でもある。

署名を戴いてから 更に知り合いを訪ねた。
ここでも重たい話。
そこから また 知り合いの所に向かった。
そこでは ショート利用の対応のまずさのを質問した方への施設からの回答書を見せて貰った。
「ケアマネにショートの苦情を伝えてもそこから施設に苦情を伝える事は稀である。管轄すべき役所にもその苦情を回りまわって伝わってはいるけれど…本人の申し入れでないので 処理できない。
だから 苦情は直接施設に伝えて回答を得るのが一番だろう」とその方は熱っぽく話してくれた。
事実 ショート明けの時には「担当職員が不在ですので…」で通過してしまったのにひとたび質問をすると丁寧な対処の説明(オムツを替えた時間 その時の対処まで詳しく書いてあり)更にその後施設としての話し合いの報告と反省まできっちり書いてあった。

役所には あそこの施設を利用すると殆どこうなる…等という情報が細かく入っているそうである。
何故にそういった情報を生かせないんだろう。。。

あちらにもこちらにも重たい話が転がっているのに…。
関係のないところでは 全く知る事もなくて。。。
これが 介護の実態だと思う。

何を持って善しとすべきか…。私自身 迷路に張り込み始めたような気がする。。。きっと結論は出ないだろうけれど…。
これが生きてるって事なのかも知れない。

最後に母の所に行った。
「家に帰りたい」と言う母だった。「家は何処か?」と聞くと自分の生まれた町の家を言った。これは 久しぶりだ。
外に散歩に出て 暫く歩いた。
今日は 疲れたのか 更に歩きたいとは言わなかった。。。




 


2004年09月10日(金) へらへら 母ちゃん


 利用者さん訪問後の足で 講演会の最終書類を届けに行き 其の儘 議員さんたちとの話し合いの場所に行った。

今日も食事しながらの話し合いであった。
延々3時間 話し合いは続いた。
何分にも 素人である。
メモも上手に取れなくて…。
と言うのも流れるような文字(綺麗すぎる表現です)なので 後で読むと…
「一体 何をメモしたんだっけなぁ〜」となってしまうのだ。
自分だけのメモなら ため息で済むけれど これを纏めて文章にし報告するので…充分注意。
話があっち跳びこっち跳びする度に 書き込む紙が変わり 二色準備した筆記具も使いながら…ドキドキしながらメモを取った。

話は少し逸れるが…。

実は昨日 ネットを使って近隣市町村の介護サービスについて情報を引き出した。
前々から そう思っていたけれど…ゆとりが無いままここまで来ていた。 他市町村との違いを明確にさせて 話し合いに臨もうと思っていたので 避けて通る事は出来ない作業だった。
引き出してみて愕然とした。 「この差はなんだ?」
我が家は川ひとつ挟んで その素晴らしい町と隣り合わせだ。徒歩10分。
家人達と冗談で「税金も安いし 将来性も有るし あっちに移ろうか…」と言う話は時折話していたけれど…。
冗談では無く 10年計画でそちらに転居しようと本気で考えてしまった。
気持ちゆらゆら 心へらへら。。。

さて また 話し合いの事に戻るけれど…。
今後の事について話し合って 議員さんの出来る事私たちの出来る事が煮詰まって 会は解散。
家に戻ってから 議会の運営委員の議員さんに電話をするのが私の役目となった。。。

こんな事も初体験である。
知り合いの議員さんに「困った」と相談する事はあっても 知らない議員さんに電話なんて…。

市町村の議員さんは 生活に密着している事なら 話を良く聞いてもらえるんだろうと思っていたが…。これが全く違っていた。
手堅い組織票を持っていると思われる党に所属する方は「ハイ承知しました」で詳しい話を聞こうともしないのだった。
いわゆる市民運動タイプの議員さんは きちんと下準備をして役所に聞きに回って情報を取り 更に自分の考えをまとめた上でこちらの話をしっかり聞いてくださったのだった。
なるほど…議員さんてこんなにも違いが有るんだと初めて知った。
という事は 市町村だけでなく 都道府県 更には国会議員さんだって同じ事なんだろうなぁ〜と思った。
選挙は棄権する事なく来たけれど…一票を投じる時はよくよく見てからにしないとなぁ〜と思った。

この土日の宿題は 山の様にある。。。
利用者さん訪問も有るし 母も気になるし…だ。

目もショボショボ。。。頭 ガンガン。。。
自分の能力の無さを嘆くしかないんだなぁ。 クッスン。。。


2004年09月09日(木) 晴れ 雨 荒れ?


 母のリハの日。
早めに施設に出向いた。
母は 食事が済みテーブルの上には 食器と湯飲みと箸が重ねて置いてあり
テーブルクロスを食器の直ぐ下まで 巻き込んでいた。
「危ないよぉ〜」と言うと「ここに茶碗をおいて…」と訳の判らない事を言いながら「あはは。。」と笑っていた。
話をいくら聞いてもどうして笑っているのか判らなかった。
でも きっと母の中ではおかしく感じられる事があったのだろうなぁ〜。

こんな調子なので…トイレに誘導しても…。
「おしっこは?」と聞くと母はそれには答えず「ねずみがね 3匹来てねかじったの?」
「エッねずみが何をかじったの?」「猫が居るでしょ。猫をかじったの」
「。。。」…逆じゃないのか…と突っ込みたくなったけれど 母の笑いに引き込まれて「ふう〜ん。猫に噛み付いたんだぁ〜」と話をあわせた。

「服用してないので…」と職員が薬を持ってきたので 療法士さんの来る前にと慌てて服用させてしまった。

この所 錠剤を一度に飲み込むのは難しくなっている。水を飲んでも 飲んでも 錠剤が口の中に残ってしまうのである。
幸い一錠づつだとまだ大丈夫なので 水分補給の確保にも良いと思い何回にも分けて服用させている。
職員が どう対応してくださっているかは知らないが…私が服用させる時はそんな風にしている。

今日は入れ歯を付けた儘 錠剤を放り込んでしまい 急いで入れ歯を外して服用し直した。溶けやすい薬が入れ歯の隙間に入り込んでいた。
「口をあけてぇ〜」と言えば開けっ放しになり コップで水を飲ませにくい状態となった。
慌てた私の責任では有るけれど…気をつけなければならない事が増えてきている。

リハ中には zzzzと気持ち良さそうだった。
声を掛けられても 寝ぼけるほどぐっすり寝入っていた。

母を連れて 家に来た。
昼食を摂り 休息後入浴。
洗髪後身体を洗った。今日は 母にナイロンタオルを渡して手の届く所は自分で洗ってもらった。が私が背中を洗い始めると 母の手は止まる。
受身の生活が見え隠れした。
湯船に浸かって 1分も経ないうちに湯船に立ち上がった。
もういいらしかった。
体を洗う事が目的だったので それさえすれば問題ないので上がってもらった。がその後 母は涙を見せる。
何が原因か判らない。きっとお腹が少しゴロゴロしているのだろうと思った。
母の好きな「鞠と殿様」を歌うと 声を詰まらせてしまうのだった。

写真療法 思い出療法…といろいろ試すうちに 落ち着いてきた。
が「もう 家に帰る。。。帰らないと。。。」と言う。

不穏にならないように タイミングをみて施設に向かった。
帰り道は もうふるさとに帰る…と思い込んでいたようだった。
バスを降りる頃には そんな事は忘れていたけれど…。
居室に入って 折り紙をしてもらっていたら 楽しそうに折っていた。本を見ながら折れるほどだったのに。。。
ちょっとゴミを捨てに行って戻ったら…目が怒っていて 明らかに不機嫌。
アサガオを折って壁に張り付け 名前と作品名を書いたカードを貼ったのだが…その時は「いいねぇ〜」と喜んでいたのに…「これは なんだい」と怒り気味となったのだった。

職員に褒めてもらっている間に 帰路に着いた。

今日の母の変化は いくつもの時代をタイムスリップしているようだった。
異空間を飛んでいる…そんな感じだ。
いつもなら 大体読み取れるのだが…きょうは あまりにアチコチ飛んで「?」と言う状態となった。
別に腹も立たない…ただ 理解してあげられなくて それが困った。



2004年09月08日(水) 私も言ってみたい…


 完全なる愚痴になるけれど…。

スーパーの魚売り場で「アナゴ」に目が留まってしまって「天麩羅にしよう」と思った。
お腹と相談して見ると「ちょっとハード」と言っていた。
でも気力と相談してみると「天麩羅が妥当」と言っていた。

夕食は「天麩羅」にした。
残っているサツマイモ 我が家の畑で育った人参 庭の茗荷 それにアナゴ。だしをとって天つゆを作り 大根を卸して…ついでに生姜も…。
あとは煮物と茹でオクラ。

1人で作って一人で食べて…後片付けも済んだ所に夫からの電話。
「少し遅くなるなるけれど…ご飯食べるから…素麺かなんかあればいいよ」
「ご飯有るよ」
「いや ご飯は食べたくない」
「。。。」

私も言ってみたいなぁ〜。

まっ 食べてくれる人がいて 食べたい物を言える人がいて そこは幸せなのだと思う。
判っては居るけれど…時にそういった家族の我儘が 面倒になる時もある。
へへっ。

利用者さん訪問。
「明日ヘルパーさんが入るから いつものお掃除はそちらにお任せで…キッチン磨き頼んでいいかしら…」と利用者さん。
お元気な頃は いつも綺麗に磨いていらしただろう事は想像できる。
だから キッチンのベトつきが気になっておられる様子だった。
今週は 両方の利用者さん宅で「取って置きのぼろ布」拝見だなぁ〜。
我が家もそうだから…何となくおかしい。。。

利用者さんが「スチームクリーナーもあるけれど…」と言われた。
家にも有るけれど…出して使って後始末が面倒で…大掃除の時位が出番だ。
短い時間では かえって面倒なのでオーソドックスにお掃除させて戴いた。

作業が済んで「あなたなら お家ぴかぴかでしょ。私も病になる前ならささっとお掃除したんだけれど…」と言われて苦笑してしまった。
「自分の家は後回しですぅ〜」と笑うしかなかった。
家に戻ってキッチンを手で触れてみた。
大丈夫 ベタつきはなかった。。。少しほっとした。

今日の利用者さん お元気な方からのお電話でお疲れだった。
気持ちが落ち込んでいたり 病にあったりすると元気すぎるお話がどうにも嫌になる時もある。
ネットなら避けて通れるけれど…電話はそうは行かない。
気をつけなければ…。






2004年09月07日(火) 家族の会


 今日は 痴呆性の介護をする家族の会だった。
毎月第一火曜が家族の会なのだ。
「みんな元気に集っていらっしゃるかなぁ〜」「何事もなく過ごされたかなぁ〜」と少しドキドキする。

集った仲間の顔に出会うと本当にほっとする。
今日は 保健所の保健士さんも寄ってくださった。
今年 完全に保健所の手を離れての自主グループとなった。
それでも 地域の支援センターや精神病院のケースワーカーさんや保健士さん 精神科医みんないつも心にかけてくださっている。

別の所で出会っても「皆さん お元気ですか?」「困っていませんか?」と声を掛けてくださる。
こういう存在は ほんとにありがたい。
現場を知っている方からのバックアップは心強く こういう時この町は満更でもない気持ちになる。

痴呆介護で大切なのは 介護者も介護を受ける当事者も閉じこもらないで地域に溶け込むだと思う。

今日は 久々に10名の方が集ったので 自己紹介を兼ねて毎日の暮らしぶりをお話戴いた。
この中には 男性が2名いらっしゃる。お二人とも奥様を介護なさっておられる。他にご主人を介護なさる方。お母様を介護なさる方。お義母様を介護なさる方と様々である。
軽度の介護もあれば 中度の介護の方も重い介護をなさっておられる方と様々である。

今日の話題の中で「そうなんだなぁ〜」と記憶にしっかり残ったお話が2つある。
痴呆症と診断される過程が医師によって変わってしまうと家族が迷ってしまうという事。そうでなくとも個々に違う過程で進み判りにくい病の進行がますます見えにくい物となり家族が予測すら立てられないと言う状況になってしまうという事でる。

お話を聞いていると母の病が混合型(最初は多発性脳梗塞と診断された母もP病の気も有るといわれた)痴呆であり 加えて高齢になってからの発症で比較的楽に介護できたんだなぁ〜と感じた。
いや 大変な時もあったけれど…医師の予測通りゆっくりとした進行だったということである。
利用者さんが「ラッキーだったんです」と言う言葉を良く使われるのだが…母の場合 まさにラッキーだったのかも知れないと感じた。

もうひとつは いつもは あまり話題に上らないのだが…家族とのトラブルである。
介護そのものは 対症療法で解決できるけれど…家族とのトラブルはストレスが溜まって関係も悪化してしまう。
家族関係が破綻してしまってしこりが残ると言うお話となった。
これが 何より辛いという事だった。
これは 親の介護に共通する悩みであった。

また 親を介護する場合 夫の親であれ妻の親であれ 夫があまり介護に関らない事の不満と言うのも有った。
弟が「仕事に出たら どうしたって自分では見られなくなって妻に任す部分が増える」と言い訳していた事を思い出した。
勿論 判らないでもない。
「自分の親なのだから せめて看られる時位しっかりみなさい」と言った覚えがある。

私の場合 自分の親なので夫に頼る事は出来る限りしていないが…。
でも 正直に書くなら…せめて話を聞いたり ちょこっとした事で進んで関って欲しい…と思う。
いや夫だって 以前母と二人遠出してくれた事もあったし 週末には 3人でお散歩をしてくれたけれど…。
介護が長くなるに連れ 弟達が縁遠くなるに連れて 母から離れてしまった。
今では 家での生活も妻に負んぶが当たり前になってしまった。
私に代わって母を訪問なんて 間違ってもないのだ。

GH付近に住む夫の友人たちが「奥さん お母さんと散歩していたよ」と言う報告は頻繁に受けるようなのだが…。
「母さん あの地域では すっかりの有名人でみんな関心してるよ」とまるで他人事なんだなぁ〜。
あれこれ 口出しされて意見が対立でもしたら もっと面倒だしなぁ〜。
このあたりの距離の取り方は実に微妙だなぁ〜。

午前中に 母の不足している薬を取りに行った。
初めから有る薬が4日分在庫がなくて足りなかったのだ。
会が済んで 母の所に出かけて薬を渡して ちょこっとおやつを食べてもらった。母の頭からシャンプーの良いにおいがした。
今日 入浴させて貰ったんだなと判った。
落ち着いて過ごしていて ほっとした。



2004年09月06日(月) おかしな性分


利用者さんを訪問した。
「今日は 特にお仕事ないのよぉ〜。息子が来ると思って準備した物が使わずに残っているのよ」と言われた。
「じゃ 今日は 気になっていたけれど出来ないでいる所のお掃除しても良いでしょうか?」「ハイ お任せしますよ。お願いします」

と言う事で「網戸の掃除」
実は 昨年暮れに「網戸を掃除して新しい年を迎えて貰おう」と思っていたのに 突然に脳梗塞を起されてしまい 掃除できなかった。
訪問の度に気なっても 優先するべき仕事があって出来なかった。

「網戸」は自分の家でも気になる所で「掃除しよう」と思ってもなかなか手の付かない場所である。
我が家の網戸も気になりながら放置状態なので…よそのお家でも気になるのかなぁ〜。

マンションなので 玄関の網戸を外して浴室に運んだ。
埃汚れなので どうしても洗い流したかった。
やりだすと次々 汚れが見える。
ドアの隙間やドアの枠…。玄関のクッションフロア…。
玄関だけで一時間かかってしまった。
もう一箇所 の網戸は外れないので新聞を敷いて お掃除。

掃除が済んでから洗濯物を干しにベランダに出ると…ベランダのゴミが気になって掃き掃除。
それから 洗濯物を干した。

ゴミを纏めようとキッチンに入ったら レンジ周りの汚れが目に付いた。
時間が足りなくなりそうで 受け皿だけ きっちりお掃除した。

網戸掃除の後 お風呂場もお掃除。
見ると浴槽も汚れていたのでお掃除。

きっちり2時間でここまでだった。
若し 我が家のお掃除を始めたら こうは行かないだろう。
移動の度に気になる所がでて収拾がつかないほど広がってしまうだろう。

今度我が家のお掃除する時は 他の家だと思って取り組めば…上手に出来るかしら?

帰路 お買い物を済ませてお花屋さんの前を通過。
立ち止まって「お買い得品」に目が留まった。
育てて見たい物だった。
手を伸ばしかけて もう少し 庭を整理してからにしようと止めた。
 
そういえば…。
今日 利用者さんと笑った事があった。
お掃除するのに「ブラシや使い捨てタオルありますか?」と聞いた時の事。
使い捨てにするタオルが袋にためてあった。
「捨てようと思うけれど…つい取っておいてしまうよねぇ〜」
「私もですぅ〜」
「使い捨ててしまおうと思うのに…また洗って取ってくのよねぇ〜」
「他のものはポンポン捨ててしまうのに…」
そうだ いらないと食器等も随分処分したなぁ〜。
「おかしな性分ですよねぇ」と大笑いしてしまったのだった。


2004年09月05日(日) 今日も良く 歩きました。


 昨夜1時過ぎに最終トイレを済ませたら…ニコニコとぬいぐるみと遊び始めてしまい「こりゃ 寝ないかな?」と覚悟を決めていたら…何時の間にやらパタンとぬいぐるみを落として…寝入ってた。
朝 6時過ぎまでぐっすり。
「おかちゃん おしっこぉ〜」と言うまで私もぐっすり寝かせて貰った。
起床と共にキッチンに降りて貰おうと思ったら「片付けないで行くのぉ〜」と言う言葉で母を寝室に残す事にした。
時間を少し置いて戻ったら ちゃんとお布団を畳んでいた。
この所 泊まってもここまで出来ていなかったので 嬉しかった。

朝食は夫と3人だ。
毎日ここで過ごしているかのような錯覚を起すほど 当たり前に食事した。

夫を送り出した後 散歩に出た。
母の足取りは軽くて…。それぞれの門構えが醸し出すその家の雰囲気をあれやこれやと感想を言う母だった。かなり広く回ったので 最後の方は足を引きずる感じがした。でも「疲れた」とは言わなかった。

家に入った途端ににわか雨が降りだして 早めに散歩してラッキー。

料理の本を渡すと母はじっくり読み出した。
その隙に 洗濯やら掃除やらをした。数分おきに母の所に顔を見せながら…。顔を見せる度に「うん いるんだね」と確認していた。

昼食後は折り紙。
折リ方を忘れていて 完成直前まで居ってあげて完成。
2度目は も少し手前の行程まで…。
3度目はそれより手前の行程まで…。
後半目を放したら…違う物が仕上がっており「あれぇ〜なんかおかしいかなぁ〜」と言う。明らかに違うけれど どう違うか判断が付かないようだった。

気分転換に 洗髪。
特に問題もなく終了した。

遅くならない内に…と思って家を出てバス停に向かった。が 遅れてしまったので…駅に向かって歩いた。午前中歩いたのに…全くへこたれる様子もなくて楽しそうだった。

施設に着いて職員に「お帰りなさい」と言われて「ただいま」と条件反射。
「何処にお出かけでしたか?」「あれっ 何処だっけなぁ〜」
「いくつ泊まったの?」「ひとつじゃないよぉ〜」
と母の説明だった。

トイレに行き 踏ん張ってもらったら…今日も出ました。
昨日と今日の排便を伝えると 職員から「有難うございます」って言われちゃった。

おそらく胃腸の調子はイマイチなんだろうと感じる。
それでも これだけ排便があれば 腹痛は少し楽になるんじゃないかな。

右肩が痛むようである。
昨日は ちょっと触れただけで すごく痛がった。
今日はそこまでひどくなかったけれど…やはり痛みがあるようだ。
凝り性でない母の肩がかなり硬かったので…痛みはあるのだろう。
少し筋肉ほぐしのストレッチをして貰った。
効果があればいいんだけれど…。
凝り性の私が楽になるストレッチだから きっと母もよくなるだろう。。。


2004年09月04日(土) 関連付けて。。。


 「籐篭にカビがでてねぇ〜。これってやっぱり干すしかないかしら?」と聞かれた。暫く考えていたら「あなたでもわからない事 あるの?」と言われた。「それは 買被りって事ですよ。わからない事だらけですぅ〜」と笑ってしまった。
 
利用者さんから「EM菌ってご存知?」と聞かれた。
カビ抑止されると言うのだ。
この地域での認知度は低いけれど…所によっては かなり利用率が高いという事だった。
私は知らないので「聞いた事はありません」と言った。
「ネットで調べてみたら いかがですか?」と言うと「そうだったわ。ネットで調べられるのよねぇ〜。でも検出来ないかも…」と言うので「検索くらいなら出来ますから…PC立ち上げてください」と答えた。
その間にお掃除を済ませて…PC前で検索。
利用者さん 何がどう良いかを知りかったらしく「助かったわ」と。

しかしEM菌の製品って いっぱいあって 畑に 掃除に 飲料に…と多岐に渡っていてびっくりしてしまった。
酵母みたいなものらしい…。
ほんとに良いか…。少し気になって近くのお店で見てみたら 製品自体はなかったが生ゴミ処理機が「EM菌育成…」とあった。
私の中では「あ そういう種類の物かと分類された。
少し興味もあるので…探ってみよう。

母の所に出向いた。
職員の気配は感じたけれど…挨拶しても反応がなかったので母の居室に入った。母は、窓辺に立って外の様子を見入っていた。
トイレ誘導した頃に 職員が見えたので「今日は外泊します」と伝えた。
お薬を貰って家に向かった。

途中 デパートで階段のぼりをした。
最初は足が上がらなくて階段に引っかかりそうになっていたけれど…4階まで上る頃には安定した。
ちょっと便秘して入るようなので 腹筋を使ってみようと思ったのだった。
デパートの階段は広くて 緩やかで階段を上るたびに違う売り場で興味もでて楽しめるのだ。もう 9年位前からチャレンジしている。
最近は「オイチ二〜ッ」と声を掛けながらである。
階段を使う人は殆どなくて リハ室を1人占めしている感じである。

家に戻って トイレ直行。食事の前に排便を済ませたかった。
「めんどくさいよ」「腹が痛いよ」と何回も力むのを嫌がったけれど…。
こればかりは 受け容れてあげられなくて…「頑張り屋さんだね。偉いねぇ〜」と褒めちぎって 何とか排便できた。

夕食の支度。
ご近所さんから「生秋刀魚」を戴いたので早速使わせて貰った。母には大根おろしを頼んだ。
が 大根をみて「豆腐か?」と言われて「えっ」とびっくりしてしまった。
やっぱり最近 物の認識力がかなり低下している。
慌てて生の秋刀魚を見せて「これ焼くから 大根おろしてね」と頼むとようやく理解したようで「さんま」と言いながら大根を下ろしていた。
連想ゲームでは ないけれど関連付けた方が頭に残るようだと最近感じる。
食欲は まあまあで 出された物は全てお腹におさめた。
まだ 便は残っている筈で…オクラ、モズク、長いもの線切りなど ぬるぬるとしたものを準備した。
勿論 秋刀魚と大根おろしは喜んで食べていた。

食器を洗ってもらい 水周りをふき掃除 布巾洗いもしてくれた。

テーブルに戻って 梨とみかんを並べて置いて「これはなあに?」と聞いてみた。「こっちは林檎」と自信たっぷりに答える母。
確かに似てはいるけれど…。しまいこんである林檎を冷蔵庫から取り出して「これは?」「林檎」
「じゃ こっちは?」「…」考え込んでしまっている。言葉が出てこないのである。「梨よ」と言うと。
「林檎」「梨」みかん」と繰り返し言うようになり 何とか思い出せたような気がした。それでは と バナナを出すとまた自信たっぷりに「きゅうり」というではないか。また冷蔵庫に走って「きゅうり」を取り出した。
「これはきゅうり」と言えた。
「じゃ こっちは?」「う〜ん こっちはやわらかいよ」
「これは バナナ」「バナナか」
テーブルに並んだ物を 片端から確認するように言い始めたので大丈夫かなと少しずつ片付けたら…。やっぱり元に戻ってしまった。
でも「梨とみかん」は区別が付くようになった。
「こりゃこりゃ いかんぞう」と紙を持ち出し文字に書いて貰った。
ひらかなは書けるけれど…漢字が駄目だった。
全部書いて見せてから母にも書いて貰った。
これが 「梨んご」…。

眠いという事もあるだろうから 遊び感覚で 楽しんだ。
「しかし…ちゃんとかける○ちゃんだったのに…書けなくなったねぇ〜」と言うと「そうだねぇ〜」と笑っていた。
母は この作業を嫌がってはいなかった。むしろ 思い出すように幾度も繰り返し言葉をいい 書いていた。
それだけでも充分だとは思った。

入浴後 布団に入って 寝入ったのは10時を回っていた。
少し蒸し暑いのでタオルケットだけにしていたが…さっき見に行ったら 肌がけも1人でかけていた。
それだけできれば 充分だ。





2004年09月03日(金) 不安気な感触…


 利用者さん訪問。
今日は お散歩ご希望だった。
「暑さも峠を越えたのでお散歩しなくちゃ」という事だった。
歩き始めてから「あ〜そうか」と思った。
利用者さんデイで古都にお出かけの予定があったんだ。
古都には 階段や坂が付き物で…。
デイだから無理な場所には行かないにしても…備えあれば憂いなし…といった所かな?
「毎日 バリアフリーの所しか歩いてないから…」と言われた。

散歩途中幾つかの階段があった。この所 杖なし歩行なのでちょっと心配になった。利用者さんんの聞き足の方を手を支えて階段を下りて貰った。
おそらく 訪問以来散歩での介助は始めてである。
利用者さんも「大丈夫かな?」と言う思いが過った気配を感じた。

母との散歩では 全てを私に委ねているのを感じる。
介護に関って 随分歩行介助 立位介助の経験はある。
初めの頃は「きっと 身を任せるって怖いのだろうなぁ〜」と想像していたのに…。いつの間にか 伝わってくる感触で感じられるようになっていたんだなぁ〜。これは 母に感謝しなくちゃ。

散歩の途中 歩道が少し傾斜していた。
これも「ちょっと斜めよ。気を付けてね」と母との散歩では必須事項。
利用者さんにも「少し斜めになっていますよ」と注意を向けた。
利用者さん「これこれ。こういうのが自分の生活になくなっているから…神経磨くのに必要なのよ」と言われた。

河川敷で少しおしゃべり。
と言うのも昨日 母と買い物をしている時利用者さんとばったり出会ったのだ。母との年齢も近く 一姫二太郎(利用者さんのお嬢さんは亡くなったが)という環境も似ていて…話題は尽きなかった。

話題はガラリと変わって…。昨日 お花を買った。
何となくとんがり気味の毎日の生活…。
こんな時は お花を飾ってみる。
花屋さんの店先で「気に合う花がないなぁ〜」と考え込んでしまった。
涼しくなったとは言っても まだまだ切花には無理がある。
小花だとパラパラ落ちてしまうし…。
ふと棚を見ると白っぽいはっぱが目に留まった。小さな白っぽい実も付いている。それだけでも充分だった。
でも なんとはなしに「これに似合う花…」と探していた。
すると…八重の百合があった。それもピンク色で花芯に近いほうが白で…。
普段 百合と言えばカサブランカにしか目が行かないのだけれど…。
昨日は 少し違っていた。
店員さんに花の名前を聞いてみた。
店員さんも仕入れ伝票を見ての受け答えだったので スタンダードな花でないことだけは確かだ。
はっぱの方は忘れてしまったけれど…花は八重の透かし百合という事だった。でもこれが正式名称かなぁ〜と言う疑問は残っている。。。

今朝 ダイニングのカーテンを開けながら 百合の香りを感じた。
すかし百合でもこんなに匂うんだなぁ〜。

ちっとは とんがりが まあるくなったかしら?









2004年09月02日(木) 何処まで理解できているかなぁ〜

 今日の母はトータルでどうだったかな?と考えてみた。

私が訪問する前まで「○子は 来ないですね」と幾度も職員に聞いたようだった。どうやら昨日も同じようだったらしい。
職員も言っていたけれど…この所ちゃんと「娘が来ない」と言っているようである。娘と認識できなくなって もう大分経過しているのに…。
でも、私と向き合うとやっぱり「○子」とは言わない。
今日も聞いてみたくて「私誰?」と聞いてみた。「○○ちゃん」と母は言う。「○子よ」と言ってみると「○子」とは言うけれど…釈然としない様子であった。
家に付いてから「私誰?」と聞くと「わからない」と言う。
幾度聞いても「判らない」と言う。
さっき ○○ちゃんを否定してしまったから…自信を失ってしまったのかなぁ〜。強く言った訳でもなくて「優しく言ったんだけれど…傷ついたかな?」
そういえば人と話している時も「判らなくなってしまったんですよ」と母はよく言うようになった。
不安がる様子もないのでこちらも大分楽になった。

痴呆は忘れてしまう事を認めたくないと言うけれど…最近の母は ほんとにあっけらかんと「判らなくなって」と言う。
私たちが 度忘れした時の感じの言い方である。
忘れてしまう事を母自身が受け容れたかのようにも感じるのである。

一方で 言葉での表現が難しくなってきている。
きっとそれも含めて「判らなくなった」と感じているのだろう。

表現ばかりではない。聞き取る力もだ。
聞こえにくいのもあるけれど…それでも口の開き方 身振り手振り 前後の会話から 母は何とか理解できていたのに…。
そういった補助をあわせても なんと言っているのかの判断が付かなくなってきている。

でも 笑う事は増えている。
判らないのだけれど…母1人が面白いのだ。
こういうのは 経験者でなければ判らないだろう。
もうなくなってしまったけれど…10年近く前に同じデイに通っていらした方がそうだった。「お生まれはどちらですか?」「あははは…」「はははは」と笑うばかりだった。
母は、まだそこまで行ってないけれど…もうそれに近い状態である。

昼食に母の好物の「鯉のうま煮」を出した。
それを見て目を細め 直ぐに食べ始めたのだけれど…。うろこを箸で挟んで「ねずみがかじった」と言う。
「ねずみがかじったから汚い」というイメージではないのだ。
ただただ ねずみがかじった事が面白いのである。
ほんとにねずみがかじった訳ではなくて…母にはそう見えるようである。

ズボンの裾がまたほつれていた。今日も針を出して母に渡したが…。今日は細かい波縫いをしていた。でも途中で嫌になったようで…いや嫌になったのでなく縫えなくなったのだ。
仕方ないので私が縫った。
その後トイレに誘導すると…。
便座に座りながら「針が布に付いたままで…」と言い出す。
「危ないねぇ〜。どうするの?」と聞くと「危なくないのよ」とまた笑った。何処から何処まで理解できている物やら。。。

入浴時は 私の姿が見えなくなると不安なようだった。
「ハイ」という返事だけでも駄目で目の前に行くと「いるんだね」と確認言葉だった。

「○△ちゃんはメンコイねぇ〜」と言ったら「もう メンコイが似合う年でないよ」と言う母。ヒヤッとして「じゃなんと言えばいいかな?」「可愛いがいいかな?でもやっぱりメンコイよ」と言うと「メンコイでいい」と。

こんな調子なのに…風呂上りやトイレの後には「どうも有難う」は忘れなかった。


2004年09月01日(水) 阿吽の呼吸


 利用者さん訪問。
利用者さんは 昨日通院なさった様子だった。
医師から「普通の生活をして大丈夫ですよ」とお墨付きを戴いたようである。今までは 人と会ったり外出時にはマスクを付けて居られていた。
体力的には まだ無理は利かないし 薬の量も減らないと言って居られた。
でも 気分的に 大分違ってくるだろうと思う。

今日は 簾掛けを頼まれた。
2年越しでようやく掛けられたと言われた。

1人でするより 誰かと組んだほうが作業が楽という事がある。
この簾掛けもそうだけれど 簾が重ならないように…とか 金具をつける位置とか…たいした事でもないけれど拘りたい時がある。
私もちょっとした事で家人に手伝って欲しいと思う時がある。
でも そのちょっとした拘りが 理解して貰えなくて 言うのも面倒…となり結局1人で片付けてしまう。
「主人に手伝って貰っても この拘りが理解してもらえなくて 娘が来た時にやって貰うと『はいはい。これでよろしいでしょうか?』なんて言われてね」と言う話に「家も同じです」と笑った。

どういう訳か 今訪問中の利用者さん2名は 感覚が私と似ているところがある。
月・金訪問の方は どちらかというと母に似ているのかなぁ〜。
洋服や寝具や台所用品等の選び方が 色といい形と言い共通していてツーカーなのである。
水・土の利用者さんは 何でも自分でやってしまう生活スタイルがツーカーなのだ。
いつもそうとは限らないけれど…。

今日 作業しながら「阿吽の呼吸」宜しくぱぱっと作業を終えた。勿論二人で力をあわせてだけれど…。
家事援助はこんな形で一方的に終わらない方が良いと感じる。
寝たきりの方の家事援助はこうは行かないだろうけれど…。
痴呆症の方の家事援助 要支援の方の家事援助等は一緒に取り組んだ方が効果的なような気がする。
これがヘルパーさんだとこうは行かないだろう。

話は少しずれるが…。同じボランティア仲間から電話が入った。
用件が終わった後で「利用者さんのお話を聞きながら 緩い感じで入られるところが この活動のよい所と思わない?」と言われた。
私もそう感じている。ヘルパーは時間にきっちり 決まりごときっちりと言うところが長所でもあり短所でもある。
人間関係なんてきっちりだけだと息苦しくなってしまう。
勿論 ヘルパーさんでも緩やかな関係を保てる方も居られるが…。
時間的にいろいろ難しいのだと思うけれど。。。

今日は午後の時間 久々に金魚・めだかのお家のお掃除。
この夏 金魚・めだかを良くお世話できなかった。
浮き草の方は 立派になっていたので大丈夫と安心していたら…中の水草の方がみんな駄目になってしまっていた。
こういう時 瓶のおうちは不便だな。水槽なら透けて見えるから。。。
大きな金魚。大きなめだか。小メダカ。と分かれてもらった。

家に居ると追いかけるように電話が入る。
珍しく家で過ごしているのに…。
「あ・すみません。まだ出来てなくて。。。」とお詫び。
家に居るのにやってないようで心苦しかった。
自分の家の事をやっと出来たのに…罪悪感が生じてしまうって…変な感じがする。






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