母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2004年05月31日(月) …管理 


 日記を遅れて更新。
さして忙しいという訳ではないのだけれど…。何とはなしに追われている感じの日々だった。
「あれっ少し変かな?」とも思っていた。
けど熱もないし…この間風邪引いたばかりだし…。いつもの怠け心…だろうと思い ごくごく普通に生活していた。

気負いこんでいた訳でもない。
でも やっぱり風邪だった。
それも 前回と違う風邪。
先だって「風邪が流行っていて…目に来る風邪ってのもあるんだって…」と聞いていた。
どうやら その目に来る風邪だったのかな?
目がウルウルとして 目の周囲もなんか重たい…。そのうち鼻が詰まってきて…。「鼻かぜかぁ〜」と思っていたけれど…。
そのうちコンコンと咳も出て…。

昨日ようやく通院。
風邪を引いても家事のお休みはなくて…。いえ、たいそうな風邪ではないので仕方ないのです。
利用者さん訪問もいつものように済ませて…。
後は タラタラ調べごとしていたら…日記の更新する時間がなくなっていた。いや、気力もなかったのだけれど…。

体調管理も家事管理も…趣味の管理も…管理という分野の何と不得意な事か…。自分が いい加減な人間だと再確認。


2004年05月30日(日) 今日も…やられたぁ〜


 朝食時 夫が「息子さんは?」と聞いていた。
「はぁ〜 何処にいるんだかねぇ〜」と少し真面目に答えていた。
「じゃ、★★★(父)さんは?」
「★★★は家にいるよ」
「そうかぁ〜△△(ふるさと)にいるんだね」と確認してみると…。
「△△って 知らないけれど…」とニヤニヤしていた。
完全に私たちの負けである。夫と顔を見合わせて笑ってしまった。

こんな母とのやり取り…。今はとても平和だけれど、母の病の始まったばかりの頃は とてもこんな調子ではすまなかった。
時には 剥きになって「何言ってんのぉ〜」と事実を告げてみたり、聞き流してはみても 心に重たく残ったりしたものである。

こんな光景は 普通哀しいのかも知れない…でも 今 会話が出来るだけでも幸せだと心底思う。母自身も そんな心の内を感じるかのように冗談を飛ばしているのであろう…。

昼食後の事
テーブルに ゆすら梅の小枝をグラスに挿して飾っていた。
其のグラスに バターナイフとスプーンを挿し込んだ母。
「ブラボー!」母流 オブジェの出来上がりである。
しかし 考えも付かない事を次々とやってくれる。

起床時に氷水を飲んで貰い 昼過ぎ摘便。
今朝は6時までぐっすり眠っていた。トイレも1時に起こしてからは出てないようでほっとした。
昨夜は かなり暑くて汗びっしょりかいていたのだから…無理もないだろう。タオルケット1枚を横がけにして もう一枚をお腹に畳み込んで足を出してあげていたのだけれど…それでも汗が出ていた。
母の汗の出は良い方と思う。少なくとも私と比べたら…ずっと良い。

これまで 家に来た時は玄関を入ると「家らしいねぇ」と言っていた。
この所 そういった言葉は聞かれない。
でも 施設とは違うという事は判っているように感じる。
何が?と言うと 緊張が解けているのである。
例えば 母のブラウスを畳んで貰っていると鼻歌まで聞こえてくる。
特に何かを口ずさむと言う訳でなくて「ふんふんふん」と言った具合である。

そういえば、昨日は暑くて着ている7分丈の長Tシャツを脱いで下着一枚になっていた。以前は こんな事しなかったので 慌てて母の手作りの半そでブラウスを引っ張り出して着せた。
作った頃は 今より痩せていたのだろう。今でも十分細いのだけれど…。
ブラウスは 少しきつめだった。
それでも「これ誰が作ったの?」と聞くと「私」と言った。
自分の作ったものは 認識できるのだと少しビックリした。おそらく70代の前半に作ったものだろう。ほんとはキュロットのスーツなのだけれど…。
キュロットは どう頑張ってもウエストが合わないので 着せて上げられない。

作ったものをこれだけ覚えているのなら…とちょっとボタン付けを頼んだ。
ボタンは一針だけ縫いつけて渡した。
が、糸の留め方が出来なかった。
無理だろうとは思いながら…刺し子の布も渡してみた。
これも、同じところを幾度も縫ってまるでサテンステッチみたいになっていた。こりゃ、もう駄目かなぁ〜。
もう少し 針仕事させて置けば良かったな。そしたら 並縫いくらいは まだ出来ていたのではないだろうか?
でも 母の縫った刺し子を数枚出しておいたら じぃ〜っと見つめて 比べていたから…ひょっとしたら 出来る時が来るかな?なんて淡い期待が湧いてきた。何事も少しずつでも経験してもらう事って大切なような気がする。
自分の不出来が気になるときは無理だろうけれど…。
でも それだって「頼まれたので 縫って…」と簡単な事を頼めば大丈夫と思う。
 


2004年05月29日(土) おちょくられている…


 施設から出ようとしている時職員さんに「誰とお出かけですか?」と聞かれていた。母は「おばちゃんと…」と答えた。
職員さんは 余程おかしかったのだろう ケラケラと笑い出した。
すかさず私が「私は誰?」と聞くと「おばちゃんと言ったら この人が笑っているから…違うんだねぇ〜」と笑っていた。 

家に着いて トイレ誘導した折
「頑張って う○○出そうね」と言うと「勿体無くて…出したくないよ」
といった具合に やられっぱなしである。

ワイルドストロベリーが赤く熟れているのが3個あったので摘み取ってスケッチしてもらう事に…。
白い紙にボールペンで(いつもはエンピツ)描き出したので夕食の支度のために離れた。戻ってみたら…3個あるはずのイチゴが2個になっていた。
「うまく描けなくて…」「いやぁ〜うまいねぇ〜すごいなぁ〜」「下手なのは良く判っているよ」「…」
離れる度にイチゴの数は減ってしまった。
スケッチはいつ間にか「栗」となった。(本人の申告)確かに輪郭は似ている…。其の絵に 文字が書いてあった。
「ビックリ ギョウテン サア ミナサマ」
母の頭の中では この一連の事は繋がってないと思う。
でも、繋げてみると…こちらがおちょくられているようで…笑ってしまった。

畑に出て行く時 如雨露をもっていた私に「其のスコップ持つよ」「エッ?」「へへへ…」→これは 言い間違いに気が付いたのだった。残念ながら「如雨露」と言う単語は出てこなかった。

夕食の支度の折 大根卸を作って貰った。卸し終えてキッチンまで来た時 丁度たくあんを切ろうとしていた。「それ 食べたい」と言うので急いで切ってテーブルに運んだら…大根おろしと沢庵を和えて ひとつ小鉢に纏めていた。「沢庵の卸しあえ」で一品仕上がったぁ〜。母の発明だ。

夕食の時の事
「おいしい?」と聞くと「おいしい時とおいしくない時が…あはははっ」と笑った。つられて「そうかぁ〜ははははっ」と笑ったら更に笑い転げていた。それでも 残すことなく 全量摂取。すっすごい。私より食べた。
食後にプリンを出したら さすがに「もう 要らない」と言った。

食後 いつものように 擬似食器洗いをしてもらう。
時計は 8時を回っていた。
とても眠そうにしていたので 2階に上がって洗濯物たたみを手伝って貰った。其の間に布団を敷いていたら…。
「眠くはないけれど…疲れたぁ〜」と布団に入った。
「ちょっとちょっと…もうひとつ仕事があるのよぉ〜」
「いやぁ〜。もういいよ」
「でもさぁ〜」
「しょうがないねぇ〜」
と言った具合で階下に下りて トイレ誘導後入浴。

眠い母をギリギリ起こして 10時に就寝した。
今日は 我が家にお泊りである。
夫も帰宅が遅く明日も仕事であり 娘は岡山にお泊り出張である。


2004年05月28日(金) 今 言い時だって…


昨日 書き忘れたけれど…。調査の方から情報を戴いた。
といっても もう知っている情報なのだけれど…。
それでも、そうやって機会あるたびに情報を知らせてくれる姿勢って大切だと思う。

今日は 介護者ネットワークの日だった。
午前中 空いている時間を利用して隣の町の苗屋さんまで電車で出かけた。
実は 落花生を作ってみたかった。ネットで検索してもなかなか出てこないので向かいの畑の持ち主に聞いてみた。
すると 買ってきたばかりの人知ってる…というので教えて頂いたのだった。落下生の苗ゲット。やったぁ〜!

で、午後 電車に乗って 賑やかな場所に出向いた。
介護者ネットワークに参加する会がだんだん増えてきた。
今日の情報は、介護保険改正で ケアマネさんは どう介護したいかを聞きだして 希望に沿うようにする事となってきたようである。
この「聞き出す」作業が大事なのである。
ケアマネさんも 今 そこの工夫を迫れているようである。
そういう訳で 会のあちこちでその手の講演会やシンポジュームが多い。

全国マイケアプラン・ネットワークでは…。
6月13日東京ウイメンズプラザホールで
「自分らしいケアプランを立てよう」というフォーラムが予定されている。
ケアマネさんと共に考えてみようと言う試みである。

それぞれの会が それぞれに活動している事を知り また何を今訴えるべきか…という事を知る。
今日の会でも 介護保険の改正の意見を 厚生労働省のHPにこの時期にどんどん書き込んだ方が良いという事が話題となった。
6月までの時期を逃すと 聞き入れてもらえなくなるという事だった。
素人でも大丈夫…この際 考えている事をどんどん書き込んだ方が良いと思う。そうやって 使い安い介護保険に育て上げて行く事が大切だと思う。
負担も上がりそうな気配だというし…。
集まった人中には「この際だから 介護保険払わない…という事もいいんじゃないか」と過激な事を言う人もいた。

今日は 会終了後 親睦会が予定されていた。
でも、風邪気味でも有るし 明日は母のリハビリも有るので 自重して参加せずに帰宅した。

知り合いと途中まで同行。
いろんな事に積極的に取り組む其の方が 新たにお仕事を始めたと聞いた。
施設の食事介助だという。
特別の資格もなくても大丈夫だそうで…。
いろんな関り方があるものだと思った。ある大きな病院の先生も途中まで一緒で…病院としてもいろいろ新たな方向での動きもあるというお話を伺う。
ここに参加して下さる先生もボランティアである。わが町の精神科医もボランティアである。
相互協力できる環境を作るという事は これからの社会に必要不可欠だろう。


2004年05月27日(木) 騙しているんです


 さすがに疲れていて…気力はあるのだけれど身体が重たい。
のこぎりを使ったわりに腕の痛みは少ない。腕の方はアフターケアをしっかりやったからだろうと思う。でも肩や脇がやっぱり痛む。

今日は、介護保険の更新の為の訪問調査だった。
訪問予定の方が 体調を崩されたという事で 代わりの方が見えた。おそらく初めてお目にかかると思う。

とても丁寧な方で 身分証書を母にも私にも提示してくださった。
今の母は「何が何だかわからないだろう」その証拠に「遠い所 ようこそおいでくださいました。大変ですね」と挨拶していた。
ここが何処で 相手が何処から見えたかなんて…母にはわからないのだ。
でも、こういう挨拶が出来れば…「痴呆」なんて見えないだろうな。
でも 初めて会うという感覚はあったのかな?

書類の順番通り 名前 生年月日を聞かれた。
でも 母は 名前すら言えず「この先に行くと 有るんです」なんて答えていた。これで「名前は言えない」と言う事になる。
でも 実際はきっと言えると思う。
施設で繰り返し呼ばれているので 記憶が残っている筈である。たまたま言えなかっただけである。
これを否定しても おそらく介護度が上がりも下がりもしないだろうという事はよくよく判っている。

食事は出来ますか?トイレに行けますか?他の方に迷惑となる行為はありますか?いろいろ聞かれる…。
物差しを使って判定するのだから 仕方ないだろうけれど…。
質問に答えるなら「出来ます」となるだろう。
でも、実態は 普通に食事できる訳でなくて…おかしな行為も入って見守りがどうしても必要である。
聞き返したのは「腕が曲がりますか?」「エッ?」「洋服を着る時に腕が曲がりますか?」
そんな質問に 60パーセントくらいできる。50パーセントくらいできる。そういう言い方で答えた。
「腕は動く、歩ける…麻痺はないのです。でも 言葉が理解できなくなるのです。日によって異なりますので…」と伝えた。

途中「母の笑顔が素敵だ」とか 気を抜くようなお話を入れてくださり 30分ほどで終了した。「補足は、施設の方でなさって下さい」とお願いした。

昨年の事と比較して 「これで良いでしょうか?」とこちら側に確認させてくれた。調査としては模範的であった。

おそらく、介護度は変わらないだろうと思う。

施設に戻った時 母がとても不思議そうな顔をした。
「何だか 騙されているみたいだな…何も悪い事してないけど…変だな?」
こちらは「ドキッ」とした。
「はい、騙しています」と心で謝った。
ほんとの事を伝えたら…不穏になりそうな気がする。
少し前までは 不穏になった。でも、今はどうだろう?
今 母の感覚が正常に働いているみたいだ。実態把握とまでは行かないのだろうけれど…。
本当の事を言えば 伝わりそうだ。でも 直ぐに消えてしまうだろう。
そんな事を ツラツラと考え「また来るよ」とはぐらかした答え方で済ませてしまった。駄目だねぇ〜。ここの部分だけは 母に許して貰うしかない。


2004年05月26日(水) 手探りで作ってみたよ


 月曜にラジオで小耳に挟んだ料理。
確か「アンチョビを使う料理」の紹介だった。視聴者からの質問にけんたろう君が答えていた。
料理名や分量等の詳しい説明は一切なかった。
「じゃが芋を拍子木に切り茹でる。にんにくと玉葱とアンチョビを炒めて  生クリームを加えてソースをつくり 皿にソースじゃが芋ソースと重ねてチーズをのせて焼く」それだけだった。
想像で「ポテトグラタンかな?」と思った。ホワイトソースを作る時小麦粉を炒めなければならないけれど…これは簡単そうだと思い 昨日早速チャレンジ。幸い アンチョビも使い残しがあり生クリームもあった。玉葱、じゃが芋は常備されているし…。

聞き逃したのかも知れないが オーブンで焼くのかグリルで焼くのか?そして何度なのか 何分なのかが判らなくて 勘を頼りにオーブンで250度10分と見て試みた。
まあまあの仕上がりに 感激。
じゃが芋でなくても アスパラとかほうれん草とかでも代用できそうで…こりゃ得した…と思った。
ちなみに材料は じゃが芋は中3個。玉葱中1個。にんにく半かけ。アンチョビ3切れ。生クリーム250cc。

今日は 最後に残った厄介な木の剪定をした。
二階の部屋まで届く程伸びていた。はしごをかけて上りのこぎりを使って太い枝を切り落とした。
最先端の所は 枝を全て落として裸にした。そこの部分は 後日切り落として小さめに作り直す予定。
何分素人仕事なので 少し離れて眺めてバランスをみてまたはしごを上ると言った繰り返しだった。
枝の片付けが済んで 一息ついたのは 夕方だった。

半分嫌気がさしたけれど…綺麗になれば 気分も良い。
さわやかな気分で畑に向かった。いくら気温が低いとは言っても 雨が降らなければ水はやらなければならないし…。
畑の作物は特に大きな変化はなかった。

しなければならない仕事を残していたので大急ぎで仕上げた。
夕食は、9時を回る頃となってしまった。
昨日の母の事 気になっていたけれど…この大仕事で大分気分転換できた。
さて、明日はどんな母と会えるかな?



2004年05月25日(火) 何を言いたいの?


 施設に着くと母は居室で泣いていた。
顔を合わせても「おかちゃん」と泣いている。
誰に言うともなく…(といっても居室には私しかいないが、私にと言う訳でもなくて)「おかちゃんがいなくなった」「おかちゃん 何処に行ったの?」と繰り返すだけだ。
外の景色を眺めて 車や人を見つけては 届く筈もない声で「ここにいて」「ここにいて」と声をかけていた。

洗面台に 洗いかけと思われる入れ歯が置いてあった。
きっと職員が歯磨きを見守っていたのだろうけれど、他に用が出来て別の場所に移動したのだろう。
母だけを見ている訳でないから しかたないのだろうな。
母に歯ブラシを渡し磨いてもらい 入れ歯を磨いた。

肩をそっと抱くと鼻水をたらして「あ〜ん」と泣きだす。
ティッシュを手渡して鼻をかんでもらい 外出の支度をして外に出た。
外に出たら だんだん静かになって行った。

家で昼食を摂る。いつも通りの食欲である。
食後 今日も摘便した。その後入浴。
今日は ひんやりとしているので「お湯が熱い」と騒ぐ事を見越して 先に服を着たまま洗髪した。その後ズボン、パンツを脱いでもらって 下半身浴
それから上着を脱いで全身を湯に浸かって貰った。
一度「熱い」と感じてしまうと 不穏に成りそうだったので面倒を避けたかったのだ。
結果は 大成功。
入浴時、母の話が理解できなかった。
湯船に浸かっている時の事だ。
腕を擦りながら「この 柔らかな かみ の中にもうひとつの柔らかな かみ…」と言ったのだ。
何の事かさっぱり判らないので かみ が何なのかを探った。
お湯を掬い上げて「かみ?」と聞くと「うん かみ」と言う。
判ったような判らないような気分だったので「これは お湯」と言ってみた。それでも「かみ」と言う。
同じ事を繰り返していると「これは お湯」に変わった。
そして「立ちたい」と言った。
幾度も「上がる?」と聞いたが首を横に振るばかりだったのに…。
「上がる=立つ」だろうなと思い 介助して浴槽から上がってもらった。
身体を拭こうとしたら また「かみぃ〜」と言い出した。
「おしっこ?」と聞くと「鼻が…」と言う。
ようやく謎が解けた。
身体が温まって 鼻水が出てきたのだろう。だから 鼻をかみたかったのだろう…。以前なら「鼻が出てきた…」と言っただろうに…。
急ぎ鼻をかんでもらい 解決した。

母の不安気な表情は 時間の経過と共に消え 冗談を交えるほどとなった。
おやつを食べてもらいながら「私 ○○ちゃんと○○○さんの娘だよね」と話しかけた。「エッ」と言う表情をしたので「折角 産んで育てたのに忘れてしまったら損するょ。他にも息子が2人いるよねぇ〜」と言うとコクリと頷き暫くじーっと考え込んでいた。
「どうしたの?」と聞くと「嬉しい」と言った。

朝の不安気な様子は 「一人きり」という寂しさからだったのだろうか?
母の記憶は 以前にもまして細切れ状態となり 思い出そうとしても何も浮かんで来ない。結婚した記憶も子供を産み育てた記憶も…。
おそらく母親と二人きりの事しか浮かばないのだろう。
「娘よ」と言う言葉に瞬間 かすかな記憶が戻って安心したのだろう。

記憶は 加速するように消えていっている…。


2004年05月24日(月) 気力のもと

 
 利用者さん訪問日である。
利用者さんは、食卓テーブルで作業なさっていらした。
訪問以来 初めての事だ。
何の作業をなさっていたかというと…。
炊き立てのご飯を小分けにして冷凍の下準備をなさっていらしたのだった。
この作業は、訪問時でない時に済ませて居られるので「?」と思った。

お仕事なさりながら「今日は、お天気が良いのでシーツと布団カバーを洗ってお買い物の付き添いをお願いします」と言われた。

急いで 洗濯の下準備をしていると利用者さんが来て「お風呂の使い方見守って欲しい」と要望なさった。
利用者さんの手順を見守っていると間違いはなかったので「大丈夫ですね」と言うと「良かった」と喜ばれた。
この所入浴なさった形跡がないので 使う手順をチェックして置きたかったのだろう。
入浴は スポーツジムで済まされて居られるようだった。

洗濯機を回して買い物に同行した。
野菜等 実にバランスよく買い物をなさった。
普段 買い物から戻るとマッサージチェアに座るのに…今日は、荷物を開いてご自分で冷蔵庫に収納なさった。
徳用のお肉などは 量が多いので小分けになさって収納された。

あまりにマメマメしく動かれるので「お疲れじゃないですか?あまり根を詰められないように…」と声をおかけすると…。
「お天気のせいで気分がいいのよ」と言われた。

確かにお天気のせいもあるとは思うが…。
久々にご家族の訪問を受けた事。お嫁さんが副菜を運んでくださった事。
また、周囲のご家族が 病となり 自分は元気だと認識なさり「頑張る時」と思われた。
そんな事が利用者さんを積極的に動かして居られる様に感じた一日だった。

もうひとつ重要な事が有った。
努力なさって体重を減らして「フットワーク」が軽くなっても居られる。
この成果が 気力の元なのかも知れない。


2004年05月23日(日) またしても…


 畑の様子を見に行った。
気になっているのは 勿論 茶豆だ。
一昨日見た時は ほじられた後もなくてほっとしていたのだが…。

「まぁ〜 良く判ったわねぇ〜」と思うほど種を撒いた間隔で穿られていた。 
食べる現場を見てないから 判らないけれど…少し芽が出掛かっている所を食べたのだろうと思う。そうでなければ、幾らなんでも土の中の豆なんて鳥(おそらく烏だろうと思うけれど)にわかる訳はないと思う。

小松菜の芽も出ていたけれど こちらはなんともない。
鳥たちもおいしいという事を知っているのだろうか?

少しがっかりしたけれど「鳥さんの勝ち!」という拍手を送りたくなった。
2度目なのだからネットをかけるとか防御も出来たのに それを選ばなかったのは 少し深く掘って種を撒いたし土も一度押えて 更に土を被せるようにして「これではどうだい?」と遊び半分の気持ちもあった。

やっぱり 鳥たちの方が賢いという事だろう。
農家の方が 伊達にネットをかけているのではないという事も学んだ。

家に戻って スチロールの箱に種を植えた。苗にして植えた方がいい。
初めからこうすれば良かったのだ。

今日は 家族揃って家におり、みんな異口同音に「寒い 寒い」を連発だった。ストーブも引っ張り出した。

家の玄関前に置いたワイルドストロベリーの実が赤く色付いた。
北向きなのでどうかな?と思ったけれど…意外にも順調でびっくりだ。
普通のイチゴは 地面を這ってしまい アリさんに食べられてしまう事が多いけれど…これは 蔓が上に向くからそういう事もないし…可愛い。
食べようか ジャムにしようかと悩む。
10月までこうやって実が付くらしい。その実を冷凍にして貯めてジャムに出来るのだそうだが…。
♪さてぇ〜。どうするべいかなぁ〜♪


2004年05月22日(土) おそらく…


 TBSラジオの永 六輔の土曜ワイドを聞いていたら…。鳥居の話が出た。
アークヒルズから六本木駅に向かう通路に鳥居が書かれていると言うのだ。勿論 たちしょん禁止のマークだろうという事だった。が、お若い女史アナは鳥居が禁止マークなんて全く知らないのだった。

そんな話を聞いて ふと 母が言った事を思い出した。
「あまぁ〜いバナナ 食べたいな」と遠慮がちに言ったのだった。
昔は バナナは高級品だった事は テレビなどでも話される機会が多いので若い方もご存知だろうと思う。

そういう訳で 母を連れて家に向かう途中に バナナを買った。
皮に斑点が出始め 痛んでない物を選んだ。
おやつの時に丸々1本お皿に載せて出すと「ウワァ〜」っと声を上げながら皮を剥き始め「あんたも食べなさい」と言った。
おとといもバナナを剥いてヨーグルトをかけてあげたのだけれど…。
丸ごと1本の方が 訴える力はあるようである。
母は、おそらく 高級品としてバナナを食べているんだろうなぁ〜。

大阪に出張中の娘から「定期見つかったぁ〜」と電話があった。
勤め先が近い 似たような年齢の女性が拾ってくれたようである。
忙しいので月曜日の仕事が明けたら娘の会社まで届けてくれる事になったという。

しかし 今回の事で 事務所街の交番の様子を聞いて 交番も様変わりしているんだなぁ〜と感じた。
遺失物届けを出しに行ったら 鍵の掛かった交番。「定期券なくしました」と言うと「ここじゃなくあっちの交番へ…」とたらい回しされたり。
やっと取り合って貰える交番でも最初は「定期券?」といった感じだったらしい。定期券のルート見て初めて「あ〜これじゃ大変だね」と受けてくれたようであった。
昔は 場所が違っても嫌がらずにちゃんと受け付けてくれたものだけれど…。今ならPCもあるのだから 手続きなんて簡単なような気がするのだけれど…。
おそらく 定期よりもっと大変な事が多くなっているのだろう。
いや、ニュース等で 昨今の交番の様子は 耳にしていた。
わが町では そこまで酷くないので 軽く考えていた。
やはり 時代が変わりつつあるという事なのだろう。


2004年05月21日(金) おしゃれ


 利用者さん訪問すると…。
「衣装持ちでしょ」と笑いながらブラウス類を出していた。
「何かな?」と思ったら…。
「午前中、デパートにお買い物に出たけれど 決め切れなかったので一緒に行ってください」という事だった。

買いたい物は…今私が着ている様な7分丈のTシャツ 色も黒なのだそうだ。
そういえば…昨年の冬もタートルネックのセーターを着て行ったら そういうのが欲しいと言われたなぁ〜。
先に購入予算をお聞きした。

結構 おしゃれに興味のある利用者さんである。
デパートに出かけて 品選び。午前中に見たもので「これっ」と思われたものを伝えてくれた。デザインは注文通りだけれど…素材に問題があるので他も見ましょうと売り場を転々と移動。
3回目の移動で「これなら希望通りかな?」と思いお聞きした。
「これが一番いい」と納得。試着をお勧めした。
着用しても納得。
で一件落着した。

利用者さんは 感情が不安定になると日常生活も落ち着きがなくなるけれど
何事もなければ 落ち着いている。
この時期を長く伸ばせる様に配慮が必要である。

昨日 ヘルパーさんがお休みで代わりの人が見えたようである。
連絡を受けた時は「面倒」と思われたようである。
でもケアマネの説得を受けて 受け容れたようだった。
代わりのヘルパーさんは 若くて機転も聞く人のようだったようで「良かった」と言われていた。
その機転とは 指定されたお店が休みだったので 開いているお店で買い物を済ませてくれたそうである。
今までの人は お休みだと「お休みでした」と戻られるようであった。
ほんとは お休みか確認を取って次に指定があるか確認して置いた方がいいのだけれど…。

利用者さんに「大変だけれど よい経験でしたね」と伝えた。
というのも 利用者さん 今お元気なので 不都合な事を不都合と伝えられる。こういう状態の時に いろんなヘルパーさんと出会って 人によって違うという事が判れば 戸惑い等も少ないように感じるし事業所もどういう好みかもつかみやすいと思われる。
面倒ではあるけれど 余力のあるうちなら 経験した方がよいと思う。
ヘルパーさんだって 人の子だから 病気にもなるし家族の介護に入る事もあるだろうから…。



2004年05月20日(木) 台風…かぁ〜


 朝 起きた時 ニュースの音が聞こえた。
夫に「ご飯…」と言いに言ったら丁度宇都宮の人質事件で警察が踏み込んだその時だった。画面に釘付けとなる。
踏み込んだもののその後はなかなか動かないし…。テレビに見入って居る訳にも行かず 食事して夫を送り出す。
その後娘を送り出して 母の所に行こうとした時 電話が2本立て続けに入った。結構重たい話題だ。
急ぎ友人に向けて便りを書き上げて さて 宛名は…病院か自宅かと迷う。

帰宅してから…と家を出た。
母を連れて家に戻ると留守電チカチカである。
今度は母の介護保険更新の調査の事だった。
母に食事をさせて 電話した。
GHの近所の支援センターのケアマネさんだった。
書類には「自宅で…」と書いていたのだが 見落とされていた。再度チェックして「はい。了解しました」という事で日にちを決めた。

受話器を置いたら また電話。
今度は、サッシ屋さんだった。雨戸の調子が悪いので取り替えてもらう為先日採寸して貰ったのだが…今日 取り付けに来るという事だった。
急いで母をトイレに誘導して 排泄を促した。今日で3日目らしいのでここで踏ん張ってもらわないと…。でも、母の気力は続かなくて…「腸閉塞にでもなったら手術よ」と言うと慌てていきんだ。
良くないのだけれど…排便が優先だから それに時間が迫っている。
何とか成功して 直ぐ入浴、洗髪 風呂から上がって髪を乾かしていたらピンポン…サッシ屋さんが到着。「セーフ」

仕事の様子を 母も一緒に見守った。
「腰が痛い」と言うので前屈や後屈 腰を捻ったりして少しのストレッチ。
母は、笑い転げていた。
慌しいけれど 母は穏やかだったので ほっとして 施設へと送り届けた。

とここまでは まあまあだった。
いや 施設でも順調で「さっ帰ろう」と玄関に移動始めた時…。
「ねぇ〜」と入所者の中で最高齢の方から声をかけられた。

3日前の面会 いやその前もそうだったのだが いつもニコニコと私を見ていた方なのに…ニコリともしないのは気になっていた。
母に頻繁に連れ出すからかなぁ〜と思っていた。

が、違っていた。
どうやら その方のお部屋に母が侵入してベットの毛布を畳んでしまうようなのである。「やめて」と言うと車椅子を持って言ってしまうと言うのだ。

訴えは 真実だろう。
ただ、母にその認識がないはずである。
おそらく私か職員を探しに行って 毛布が出ているので片付けようとするのだろう。「あの人は 私を嫌っているのです」と言われて はたと困ってしまった。でも、真実を伝えるしかないと思いお話をした。

「ごめんなさいね。母は、病気が進んでしまって 私の事も判らないし、言葉もわからなくなってきたのです。嫌いだから…という事では無いのです。
ほんとに ごめんなさいね」と謝った。
その方も ご家族が来ない寂しさもあるだろう…。
ゆっくりと話を伺っていると 母が向かい合って座っている入所者に少し大きな声を出し始めた。
「あ〜やきもちが始まったかぁ〜」と思った。
するとさっきの方が「昨日、職員を怒鳴っていたのよ」と更に付け足してくれた。「ガガ〜ン」である。

対応する職員も大変と思うけれど…母の病の状態と置かれている状況のまずさを思い知る。
少なくとも 私と一緒の時はそういう激しい感情を見せる事はない。
もう、個別の対応が必要になっているんだなぁ〜。

でも と思った。
今日を振り返っただけでも 母は、今帰りたいモードになっているのだ。
最近の母はいつもそうだなぁ〜。
今日は珍しく弟が迎えに来るっていっていたなぁ〜。
病の進行もそうだけれど…今 ちょっと不穏状態なのかも知れないと思い直した。
だから 最高齢のその方に「もう少し 日が立てば 少し落ち着くかも知れません。許してくださいね」とお願いした。
「いや、こっちこそ やな事言ってごめんなさいね」と言ってくれた。

素敵な笑顔に戻ったその方にそっとお礼を伝え「素敵な笑顔が戻って嬉しい」と言うと更にニコッと笑ってくれた。

施設を出た時 雨空を見上げて涙を堪えた。
「傍にいなくてごめん!」

朝から ちょっとおかしな流れだったなぁ〜。
そういえば、娘も10数万円の定期券と月極め駐車場のカードと電車のチケットを紛失したと最高に機嫌が悪いのだった。
小さな台風がいっぱいあるなぁ〜。


2004年05月19日(水) しまった!


 午前中 畑に出向いた。
昨日、空芯菜と人参を間引いて、鳥に食べられた茶豆を再度撒き直した。
それだけで 手一杯となりきゅうりやなすの葉の様子がおかしいけれど良く見てなかったから…。

ナスは 特に病気でもなさそうで 風で擦れて茶色になった葉を取り除いた。きゅうりの方は、葉にカビのような点が見つかる。
隣の畑の人に聞くと 真面目に水をやっていたから…カビたんじゃないかなぁ〜と言う。とりあえずカビの付いた葉を取り除いた。
茶豆は ほじくられた様子が無くほっとした。
空いている所に 小松菜の種を撒いてきた。

家庭菜園は 今まで3度ほど経験があるのだけれど 主たる管理は夫だった。
何せ 種を撒いて間引くなんて事 経験が無い。お花くらいなら判るけれど…。畑に出向く時はいつも説明書を読んでから…だ。

病気、虫等予想はしていたけれど…。
何でも簡単に…とは行かないものだなぁ〜。
夫がもう少し 気合を入れてくれると思ったけれど…今の所は静観中。
それでも 見てはいるようで…その割りにクレームが付かない所を見ると今の所まあまあの所なのかな?
夫のためだった筈なのに…私のためになっているなぁ〜(笑)

雨が降りそうなので まだ乾ききらない洗濯物を取り入れて 傘を持って母の所に向かった。
駅に付く頃には ぱらぱらと雨が落ちてきた。
バスに乗ろうとした時 はたと気が付いた。
窓を開けっ放しで出てきてしまったのだ。2階なので泥棒さんはあまり心配しないけれど(いや、それでも無用心)、雨が入り込むと面倒…。
仕方が無いので 母の所は諦めて、銀行の用等を済ませた。
家電屋さんに希望のファクシミリが入荷してるかなと寄ってみた。
まだ、入荷してい無かった。
やっぱり 月末と言ったら「25日」以降の事かな?と思い 帰宅した。

夕方 夫が帰宅するなり「ファクシミリ 頼んでおいたから…。コピーも出来てPCと連動出来るし、子機も二機あるって」
「何処のメーカー?」「忘れたよ」

とっても嬉しいのだけれど…。
これまで 迷い続けたのは 色 機能 大きさ 普通紙…の条件を満たし尚且つ値段との相談だったのに…。
夫の話で 今の所満足できるのは、わがお財布からお金が出ない事だけなのだ。

今のだって ソフトを使えばPCと連動できるし コピーだって出来る。これってファクシミリの常識だ。何となく不安だなぁ〜。

夫は 電気屋さん任せにしてしまうから…。
もう 機種が決まっているんだろうなぁ〜。
夫に聞けば 機嫌が悪くなるから 明日、電気屋さんに電話して確かめてみようかな。
モタモタしてないで 買って置けばよかったかな?


2004年05月18日(火) くさやの思い出


 くさやを焼くのは お天気の良い日方がいいと勝手に思っている。
湿気のある日は 家の中に匂いが篭ってしまいそうな気がするから…。
ご近所さんにとっては、雨の日がいいのかもね。

今日 何となく「くさや食べたいなぁ〜」って思った。
戴いたくさやが冷凍室で眠っている。「早く食べないと…」と思ってた。
家人の帰宅は遅い予定だし…。(家人も嫌いではないのだけれど…匂いが苦手らしい)

 夕食に 一人で食べてしまった。
勿論 ロースターは即洗浄。食べ終えた後 直ぐ骨等も密封して処理。お皿だって直ぐ洗った。「誰も気が付くまい」と思うのだが…ちょっと外に出て家に入ると少し匂った。
これから、コーヒーでも入れてしまえば 大丈夫かな?

くさやに初めて出合った時は 衝撃的だった。
どんな経緯で出かけたのかは もう忘れてしまっている。
母と母の職場の私と同じ年の方が夏季研修で出てきた時の事である。
おそらく、熱海か箱根あたりでの研修だったのだろうと思う。
その頃、私は静岡県に住んでいた。
私は休暇をとって 3人で大島に行く事になったのだ。

船旅が苦手な事も忘れて乗船して…。
船酔いして気分が悪かった事は覚えているけれど…母がどうだったかなんて覚えていない。でも数箇所の島に寄って行くので「長いねぇ〜」と話した事は記憶している。
大島の宿に着いて驚いたのは お風呂が海水だった事。風呂に入っても身体がべたついて気持ちが悪いと思った。
でも 宿の人は 由緒あるお宿と話されていた。
今なら もう少し違う受け止め方が出来るのだろうけれど…あの時は若いという事もあり「なんて宿に泊まってしまったのだろう」と後悔した。
風呂から上がった頃より 宿全体に 変なにおいがふわふわと漂っていた。それも、「なんて宿…」と思った要因であろうと思う。
夕食が部屋に運ばれてきた時は その思いは ピークに達した。
浮遊していた匂いの元が運ばれてきたのだから…。

仲居さんが くさやの説明を始めたけれど…もう聞こえてなかった。
「へぇ〜」とは返事したものの 仲居さんがいなくなると3人で顔を合わせて目をパチクリだった。3人とも食べる事は出来なかった。
今、思えば とっても残念なシーンである。

と言うのも 10数年後には 伊豆諸島の方と知り合い 興味も湧いて くさやを戴き 焼いて食べて…以来 恐怖のくさやではなくなったのである。
後日、母にそれを伝えたら「自分は 食べられない…」と笑っていた。

くさやを食べながら 母の記憶には あの時の事は残っていないだろうなぁ〜と思った。
でも、母のいる日にくさやを焼いて出したら…思い出すだろうか?
たった一度の経験だし…無理かも知れない…。
でも、試して見るのもいいかも知れない。


2004年05月17日(月) ごめんなさぁ〜い


利用者さんは 昨日 ご自分で洗濯なさったので今日はその時間が浮いた。
そこで、いつも出来ない拭き掃除をした。電気の傘とか冷蔵庫の扉拭き等々。時間内に活動を終えて 家に戻り昼食。後 家族の会に出向いた。

新しい介護者が見えた。
男性介護者である。少し離れた所にお住まいのようだった。奥様は、ご自分の親の介護に回っており 男性は自分の親の介護という事のようである。
仕事と家族と介護と…どれを優先させるか…悩まれて居られた。
無理も無い事だろう。
「女性は優しく介護なさる」と言われたけれど参加者は 長く介護に関っているので優しく見えるだけなのだけれど…。

昨日も介護フォーラムで講師の方が言われていた。
「介護は 子育てと似ている側面があり これからも介護の主流は女性が担っていくのでしょう」と。
男女平等に…とは思うけれど、家では無理だなぁ〜。きっと。
夫は おととい「もう、家に戻してあげればいいよ。俺は何も出来ないけれど…」と言われたばかりである。
「えっ。手伝ってくれてもいいのよぉ〜。いや、手伝って貰いたいのよぉ〜」と言ったら笑いながら「息子を差し置く訳にはいかないよ」だって。
「ギャ〜ッ」と言う次第。

会から母の所に直行。
おととい、母から「家に帰りたい」と言われ「判ったよ。明日帰ろうね」と言ったら「一緒に行く?」と聞かれたので「うん 一緒に行こうね」と答えていた。
どうやら そのことが母の頭に残っているようだった。
「一緒に帰るんだよねぇ〜」と母。
「そ…そうだよねぇ〜…。明日だったよねぇ〜」と私。
また、嘘ついてしまったぁ〜。ごめんなさぁ〜い。


2004年05月16日(日) 母なりに…


 母と過ごしている時間に感じる事がある。
母は、母の出来る範囲の中で考えて居るのだという事だ。

病になる前ぉような的確な論理ではないし、心理的な相談や一般風習の相談は無理難題なのだけれど…。

母自身の身体の事は 自分の事なので精一杯考えてくれる。
けれど、最近の母は どんな質問にも首を立てにする傾向がある。
だから、一度の質問で正確な所は把握できない。
質問の形を変えながら 母の様子を探っていく事になる。

ある時 介護仲間が言っていた事を思い出す。
お母様が入院なさった時の事だそうである。
お母様は、難聴もあって質問には 頷くだけ。
「お薬飲んだ?」「うん」
「痛くない?」「うん」
看護士さんの問いにそう答えたので 実際は飲んでない薬があったとか…。

私自身 母のそういった傾向は掴んでいて 質問を変えながら来た。
でも、介護仲間のその話に「何でも首を立てにする症候群」と表現できるなぁと思った。

例えば。
「お腹 空いた?」「眠い?」「出そう?」が一度目の質問。
次が逆から
「お腹いっぱい?」「起きてられる?」「出ない?」
次に
「食べたい?」「寝たい?」「もうやめる?」

3度とも同じななら 間違いはない。
曖昧だと通じていないか 調子が悪いかな?と判断する。

最近帰ってくる言葉に「判らないんだよ」と言うのが増えた。
昨日もちょっと横になった時「眠い?」と聞いた。「うん」と言ったので
「眠っていいよ」と伝えた。
その反応が「眠るかも知れないし眠らないかも知れない」と言う物だった。
でも横になったら「すーっ」と寝てしまった。
療法士さんがリハを施してもピクリともしなかった。
途中 仕事中と思われるような寝言を発した。きりっとした話し方で元気な頃の母の姿を思い出すほどだった。
療法士さんが 足のマッサージを始めた時 手を胸に持ってきて療法士さんの動きに合わせて手を動かしていた。眠っているのである。
療法士さんと娘と私とで会話していると 母が頷く。眠っているに聞こえているのである。

記憶力が無くなり、時間もわからない…だからチグハグに見えてしまうけれど 感じる力は残っている。
穏やかな会話だったし…心地良かったのだろう。

そういえば、作業している時 一瞬 母が真顔で言った。
「何も出来ないから馬鹿にされる。それが嫌。いい返せる時はいいのだけれど…」と。
これだけ はっきりとした言葉で表現できるんだと驚いた。
おそらく職員から言われたのでなくて入所者同士の言葉だろう。

母なりに 辛い事があるんだなぁ〜。


2004年05月15日(土) 欲張りすぎたみたいだなぁ〜

 朝も穏やかに起床した。早朝トイレ誘導はあったけれど その後もウトウト眠っていた。
冷たい水を飲んで貰って起床。着替えは80パーセント介助。お布団も畳まなかった。
洗面は 石鹸を手につけて始めた。「顔 洗ってね」の声がけで手のひらで石鹸を泡立て顔を洗え 水で流せ タオルで拭けた。「声がけでもここまで出来ればいいんだ」と一人納得した。
自発的な行動は 少なくなった事は否めない。

朝食はトーストにバターとママレードを塗った。
前回 泊まった時にトーストは 「みみが食べにくそう」「切り分けた方が良い」と気が付いていたのに…そんなことすっかり抜けてしまっていた。
食べ始めて ママレードを箸でつまんで食べたので「アッ」と気が付いた。
みみは、今日は大丈夫だった。
トーストを4カットにしてあげたら ちゃんと食べる事ができた。
後片付けも しっかり出来た。

洗濯する間、母に絵を描いて貰った。
昨日 カンペンを渡したら それを使って紙いっぱいに○を書いていた。
それを顔に見立ててもらい 目鼻口を書き込んで貰ったのだ。
一例として 泣、怒、笑を略して薄く書いておいた。
浴室との往復を繰り返していると母のペースで書いていた。
仕上がったのは なかなか味のある作品に仕上がった。
表現力はかなり落ち込んでいるが ひとつひとつ 違う表情の顔はまさに芸術である。いや、他の方からみたら どうというものでないのだけれど…。
私には ゼロからでもまだ描けるという事が何より嬉しいのである。
が、こちらの喜びが母の楽しみとなったか…?
頃合を見計らって キッチンに呼んでママレードように皮を刻んで貰ったのだが…きり始めて間もなくまな板の上の刻んだ皮を顔に見立てて「これが目で…」と言いながら皮を集め始めてしまった。
時間移動ができて居ないのであった。
こんな短いタイムスリップすら大変なのだと思い知った。
この症状は、他の時にも出た。
教会からお便りに返事を書いて貰った後の時である。
文を書くというか写す作業すら母にとって困難な状況だ。
省略しながらのお便りが仕上がったので、トイレに誘導。
トイレに座った途端 お腹に文字を書き始めたのだ。「まだ、書き終えない」と指でお腹に何かを書いていたのだ。
これも時間移動ができて居ないのだ。
母にとって「楽しい時」ではなくて「学ばなければならない時間だったのだろう」

トイレでは 排便もあったので始末してトイレを出ると…。
「あなた 大変だねぇ〜。私のために…」と言った。
人の世話を受けないと出来ないという事を承知しているのである。
「いいのよ。娘だもの。大好きよ」と言うと母の目に涙が光り「勿体無い」と言う。ここが、私としては辛い場面である。「いとこから助けてもらっている」としか母には考えられないのである。
心の負担を取り除こうにも「いとこ」はリセット出来ない母なのだ。

朝からフリーズしっぱなしなので、気分転換にお散歩に出た。
薫風が心地よいお散歩となり 午前中の事はリセット。

先日 介護仲間が言っていた事を思い出す。
「落ちていく一年って馬鹿に出来ない。でも その中でも時折見せる真の状態…。」まさに それを充分に感じさせる一日だった。
良く聞いていた。「落ちる時はあっという間です」
どうやら そういう時期にさしかかっているのかもしれない。
「まだ、できる事がある」と言う思いと交錯する。
せめて「歩く事」「食べる事」これだけは 守っていきたいなあ。
現状維持の難しさ…。


2004年05月14日(金) 居るのを忘れる位…

 母は 今2階で寝ている。
今週は 面会に行く回数が少なくて…。日曜も用があるし月曜も危ういし…
そんな訳で、午前中に車のガスチャージをしてもらい 夕食の支度をして 生協の荷を受け取り 利用者さんを訪問した足でGHに直行。夕方だけれど…母を連れて家に戻った。

少し休息して お味噌汁を途中まで作ってから 母と畑に向かった。
施設なら夕食の済む時間である。

畑の作物を眺めて「これなぁ〜に?」と聞いて回る。
特別の新種を除けば ほぼ正確に名前を言えた。
「なついも」という懐かしい言葉が飛び出した。
夏にじゃが芋を蒸かして バターをつけて食べたなぁ〜。あん時に「なついも」って母が言ってたなぁ〜。
学校の理科のお勉強で「じゃが芋」のでんぷんを作ったけれど…先生は「なついも」とは言わなかった。
「何故?」と聞くまでもなく 夏に取れるからだろうと思ったけれど…。
それが正しいのだろうか?

7時過ぎてから夕食。
残り物を含めて 皿数だけは多い今夜の夕食。母のお腹ははちきれんばかりだった。「大丈夫?」と聞いても「うん」と言って食べ続けた。
食べ終えると「あ〜良く食べたなぁ〜」だって。
どうやら 満腹感はあるようである。底なしでなくて良かったぁ〜。
何も言わなくても 自分の食器を流し台に運んでいた。
先に洗い終えた食器は 洗い桶の中に入っている。
それらを含めて 全て洗ってくれた。
少し長く立っていると腰が痛くなるようなので(以前からその傾向はあった)早々に椅子に座ってもらった。

食後のデザートを取ったあたりから眠そうな表情となった。
水分を取って絵を描いてもらって…。
テーブルに頭を突っ伏すようになったのを機に トイレ誘導入浴。

入浴時 身体を洗ってあげたら足のすねのあたりが痛いという。
足の浮腫みが強い時の症状である。
今日は、足がパンパンである。
あまりに眠そうだったので ささっと洗って 上がってもらい お布団に入ってもらった。
「パタンキュー」状態。今はzzzz。

あまりに静かなので 母がいるという事を忘れてしまいそうである。

そうだ。書いておくことがあった。
GHに迎えに行って 外に出た時「今日は家にお泊りよ。いい?」と母に聞いた時「有難う」って言った。
寝た事実も無いのに「ここで寝て 芝居が始まったから起きた」なんて言う母だけれど…。いや、それだって「当たらずとも遠からじ」でどうやら今日GHにお化粧ボランティアが入ったようで…。それが母の言う「お芝居」だったのかも…。
で、お化粧する事を嫌う母だから…「私はしたくない」ときちんと意思表示したようである。でも 皆さんが化粧する様子は楽しそうに見せていただいていたようである。



2004年05月13日(木) 深夜の駐車場


 娘が 新しい職場に変わって ひとつきちょっと。
フレックスタイムなので朝は比較的ゆっくりとなったけれど 帰宅は以前ほどでは無いが 普通と比べると相変わらず遅い。

娘は 通勤時駅まで車を使っている。
24時間体制の駐車場を借りているが 娘の帰宅が遅いので そこの職員たちの中では謎の人物となっているらしい。
勿論、利用申し込み時には 勤務先も記入するので受付の方は知っているのだけれど…。

昨年「あのぉ〜。どんなお仕事なのですか?」とおずおずと聞かれたことがあった。水商売の方が 跳ねる時間に重なる風なのだけれど…風体がそれ風でないし…といった所のようである。
「聞いてみたい」と思っている人は 他にもいるという事だったのできっともう伝わっているのだろうとも言っていた。

「今日は、早いのですね」と昨日 駐車場の管理のお兄ちゃんから声をかけられたと言っていた。
いつも、朝 立ち会っている方らしいのだけれど…娘自身は話したことは無い人らしい。
「やっぱり 帰宅の遅い人としては 目立つのだなぁ〜」と零していた。
確かに、今週は比較的早い帰宅が続いた。

「深夜の駐車場の管理にあったっている方もまたおかしいんだよ」と娘は言っていた。「誰も居ないフロアで音楽を聴いて踊っている時だってあるんだよ。先日ふと気が付くとその方がスーツをきて後輩の指導に当たっていたんだよ」と。

どっちも見られているんだねぇ〜。
 



2004年05月12日(水) 伝わったかな?伝わったよね。

 今日、ご近所さんが「やっと、身体が調子よくなってきた」と話してくださった。木の芽時以来、体重減少、胃腸の不快感、不眠等で繰り返し通院なさっていた。
母の所や利用者さん訪問の度に 通院途中のご近所さんと一緒になっていた。医師からは「何処も悪くないですよ」と言われていたので 季節の変わり目で体調が悪いのだろうな…と思っていた。

ふと 気が付けば…。
私自身も、気分的な鬱状態から 抜け出したなと思った。
やはり、新芽の揃う(連休が過ぎる)まで…は落ち着かないものだと改めて感じる。

庭木の手入れもいよいよ終盤となった。
今日も「のこ」を使って ばっさばっさと切った。
「休息なしで 良く続くねぇ〜」と言われたけれど…。
母の事があるのでご近所さんと比べると やはり出遅れているのである。
家族の手伝いも当てに出来ないし…。
春と秋は 仕方無いだろう。

友人の頑張りを思えば 音を上げる状態ではないのだから…。

昨日、自分の誕生日と母の日のお礼の言葉を伝えた。
話す前に「私は○○ちゃんの子供。○○ちゃんは 私のお母さん」と幾度も繰り返し言って 母が母である事をまず訴えた。

最初、お散歩しながら伝えると「こっちこそ 有難う」と返ってきた。
家に戻って お茶を飲みながら「大好きよ。お母さんのおかげでここまで年を重ねられたのよ。有難う」と言ったら母は グッと来た様子だった。
「育てるの大変だったでしょう」と言うと「いやぁ。何もしなかったから…」と言う言葉に 今 「わが子」と認識しているんだなと感じた。
「何も出来なくてねぇ〜」と言う母に「いっぱい長く生きているだけで充分だから…有難う」と返した。

もし 母が痴呆と言う病でなかったら正面から 言えただろうか?
照れも有るだろうし、ぶつかりもあるだろうし こんな言葉はなかなか 言い出せなかっただろう。
だとしたら、親に感謝する心を作ってくれた病に感謝しなくちゃいけないかな?

でも、病と引き換えに得た機会と 言葉にしないでも元気同士で楽しい事ができただろう日々と 私たち親子にとってどっちが良いのだろうか?
結論は…でない。



2004年05月11日(火) 器用だこと…

 通院後、家で昼食。
テーブルにトマトを出すと すぐさま食べ始めた。
GH(グループホーム)での昼食は、もっと早いから お腹が空いていたのだろう。

始めは、ヒレカツにソースをつけておいしそうに食べはじめ好調なスタートであった。肉が好きだし…昨日の残りとは言え 家で作ったものだからやわらかい。娘の作った煮豆。これは、醤油味で甘くないので母の好みではないのだけれど…これも「おいしい」と食べていた。アボカドやアスパラもも何もつけずに食べていた。紫イモの酢揚げもしっかりと食べていた。
ここまでは、順調。
が、味噌汁に手をつけ始めた頃から異変が…。
今日の味噌汁はミツバとお豆腐である。
お豆腐は、ちょっと大きめに切っていた。これを箸で持ち上げてカツに使ったソースに付け始めた。
「おいしい?」と聞くと「おいしい」 いかん いかんこりゃ、味音痴か?
「あのね。豆腐にソースを付けるの?」と聞くと「「付けないねぇ〜」と答えて来た。でもそう答えながらもまた ソースを付けた。
そのうちに豆を箸でつまみ味噌汁の中の豆腐に載せた。
器用な仕草に暫く見とれた。
おかしいのだけれど…注意しても耳に入りそうも無いので見守るのみだった。
最近の母を見てると 話を理解できないと言うよりも聞いていないように感じる。ひたすら自分の世界に篭っているという感じがする。

排便なしで3日目という事だったので 食後散歩に出た。
散歩から戻ってトイレ誘導。目的達成。
おそらくお通じは 朝でも可能だったろう。
肛門付近に溜まっていたので オイルを塗って摘便したのである。
いきんだ途端 するりと出た。

サツマイモを沢山食べたせいだろうか?それとも3日置いての排便だったせいなのか?急に腹痛を訴え 泣き出した。
始めのうちは「沢山食べ過ぎたかなぁ〜」と言っていたのに そのうち「さっきのお魚のせい」と言い出した。
母に腹痛が起きた時のお決まりの文句である。

お腹に膏薬を張って 少し腹筋をした。
ちょっと治まった所で、洗髪。今日は 汗びっしょりになったから…。
そのうちに腹痛も治まったようであった。

この腹痛 最近でこそ自力排便が少なくなり、トイレの水も流せなくなったので 原因を掴みやすいけれど…。
以前は 自己申告が 曖昧で…便秘の腹痛か下痢の腹痛か?デイの食べ物(例えば牛乳等)か原因がつかめなくて 暫く振り回されていた。
あの頃と比べると 介護は楽になった。
でも これは病の進行を意味するので 手放しで喜べないなぁ〜。


2004年05月10日(月) 母の日のプレゼント


 利用者さんをお訪ねすると「母の日のプレゼント」を披露して下さった。それぞれのご家族の思いが伝わるプレゼントの数々。

ふと、弟達の事が頭に浮かんだ。

利用者さん宅の活動は、いつも通りにこなしたけれど…。
強風で鉢植えが転がり 土が零れたベランダの掃除が加わった。
ベランダ用のちりとりが無いので 小さなシャベルを使って集めた。

昨年の11月に マリーゴールドとパンジーを植えたのだけれど…。
12月からの入院中に枯れかけたものの 今も盛んに花を咲かせており利用者さんの慰めになっている。
花は 不思議な存在だとつくづく思う。 


2004年05月09日(日) いのち


昨日 日記に書けなかった。
今日は どうしようかと迷い結論の出ない儘 日が暮れてしまった。

「主人が亡くなりました」と言う電話を受け取って絶句してしまった。
慰めの言葉も お悔やみの言葉も 出て来なかった。
涙をぐっと堪えるのが精一杯だった。

聞いた限りでは、初七日が過ぎた筈である。
うろたえていて はっきり覚えていないのだ。
彼女もようやくの思いで電話を下さった。

お悔やみの言葉を持って お訪ねすべき所だけれど…「葬儀すら出す気になれなくて…やっとの思いで済ませました」という彼女の胸のうちを考えるとどうするのが彼女にとって良いのか…と迷ってしまうのである。
彼女の事だから おそらく、御身内だけで 葬儀を済まされているだろう。

私のように いいかげんな妻でなく ご主人を尊敬なさっていらした彼女…。懸命で真摯な彼女の胸の内を思うと寂しさ無念さはいかばかりかと思う。きっと 一人で向き合いたい事もおありになるだろうなぁ〜。
お子様だって 戻っていらして居るだろうし…。

今週には、訪ねてみようと思う。


2004年05月08日(土) 赤に埋もれたぁ〜


 早朝に夫を送り出し、また布団に潜る気にもなれず洗濯を済ませて畑に向かった。種まきをした所に如雨露で水をまく。
少し伸びたニガウリときゅうりとなすの苗の先をを支え棒に紐で括った。
じゃが芋は日毎に伸びている。ヤーコンもしっかりと芽を伸ばしている。
まだ、芽の出ないアピオス(アメリカホドイモ)だ。
南瓜は蔓を伸ばすほどではない。
ミツバとせりは八百屋さんで買った物を根だけ土に埋めたのだが…元気に葉を広げてくれ 1回分の汁の実分は収穫できた。
バジルとイタリアンパセリと赤しそは、根付いた感じがする。
虫除けに植えたマリーゴールドは、イマイチ元気が無くて…でも、こんな物かもしれない。

これから、枝豆を撒くので畑の周りの土を掘り起こした。
畑の真ん中に植えるのは 少々勿体無い気がしてきたから…。

家に戻り鉢植えに水をあげる。
駄目かなぁ〜と思っていたアマリリスがつぼみを持っていた。

魚たちの家を覘いたが、金魚は卵を抱いている気配はない。でも、メダカの方はどうやら卵を抱いているようである。これから 暫く目が離せない。

家の周りをぐるりと回って 蜂の巣等ないかと点検。

ゆっくり目覚めた娘と昼食を済ませて、母の所に向かった。
母は、機嫌が悪かったのだろうか 職員の傍で過ごしていた。顔をあわせるとニコニコ笑顔となった。
着替えて直ぐ家に向かった。
軽くおやつを食べて 近所を歩いた。
「あのね、さっき大きな長い蛇、多分 山案山子と思いますが出ていたので気をつけてください」と小学生と思われる子が教えてくれた。
や、そんな季節かぁ〜。そういえば ヤモリたちも顔を出し始めているなぁ〜。何もしない爬虫類…キャ〜ッと騒ぐ事はしないけれど ちょっと苦手だ。母は、もっと嫌いな筈。会話が耳に入らなくて良かった。

家に戻る頃には、丁度療法士さんが見える時間となった。
判っているように、布団に横になって気持ち良さそうにリハを受けた。
今日は 身体が少しだるいようである。浮腫みは 大分改善していた。

リハの済む頃には しっかりと眠りの世界に入っていた。
「おかちゃん」と呼ぶ声がしたので母の所に行くと「あんたも寝なさい。気持ち良いよ」と言う。「有難う」と言ってお茶を出すと「おいしい」と飲み干していた。この「おいしい」も母の状態を知るバロメーターである。
眠ったのは ほんの15分程度で 程よい休息となったようである。

起き出してからは、塗り絵をして貰った。
トヨタの広告で子供向けに 季節の塗り絵が付いている物がある。今回は「こいのぼり」だった。それを コピーして母に出すと「可愛いねぇ〜」と赤鉛筆で塗り始めた。こいのぼりにうろこをつけ始めたので「こいのぼり」と認識できているんだなぁ〜と嬉しくなった。
所が一向にエンピツを買える気配が無くて…こいのぼり全てに赤でうろこを書き込んでいた。「まっ。これは 全て赤いこいのぼりで良いだろう」と思って眺めていたが…その内 バックの色までも赤で染め始めた。
全部赤色なのだけれど、染め方が違うのでこいのぼりは微妙に浮き上がる感じがする。これは これで充分と思い母の好きなように染めてもらった。
何処かで「おかしいかな?」と感じるようで…「ここは息子たち」と話していた。「そうかい?子供達とちがうんかな?」と思ったけれど否定せずに聞いた。
赤色に埋もれてしまったこいのぼりだけれど…それも良いだろう。

夕刻になったので、施設に送って行った。
帰る前に トイレに入り様子を見ると肛門付近まで便が降りてきていた。ここまで来ているのに…いきんでも出ない。
仕方ないので肛門にグリセリンを塗っていきんでもらった。
暫くすると塊がでた。やはり便秘状態であった。放置するとまた 先日のような事になるので 出してもらえて良かった。
やはり、いきむ力が鈍ってきているのだろう。
注意して行かないとなぁ〜。お薬を使うのも良いけれど…いきむと言う動作を覚えていて出来る限り自力排泄させてあげたいからなぁ〜。

若しかすると 出迎えに行った時の不穏さは 排泄関係だったのかなぁ〜。


2004年05月07日(金) 介護する者、される者

 利用者さん訪問。
利用者さんのご家族の周囲がにわかに病人が増えてきたらしい。
この連休は、2人の息子さんがちょこっと寄って下さって 直ぐ帰られたという事だった。寂しそうな表情はなく「1年に2度も脳梗塞起こして ここまで元気になれたのだから…私は恵まれている」としきりに今を感謝なさって居られた。
ご家族が見えなくて、デイもお休み。訪問もお休み。そんな連休だったので話し相手が無かったせいもあるのだろう…今日は「散歩よりお話」を選ばれた。1時間 利用者さんが作られた「サーモンのマリネ」を戴きながらお話を伺った。ほんとは、ご馳走になってはいけないのだけれど…折角作ってくださったのだから…戴く事にした。

この鮭のマリネの作り方を教えて頂いた。
鮭、振り塩。りんごに砂糖をまぶして酸化止め。塩ではない所がミソかも知れない。玉葱の薄切りを水に晒す。これらを、たっぷりのりんご酢で和えるとの事だった。青味で貝割れが入っていたが これは 他の香草でも良いだろう。
鮭の生臭身は 少なかった。

利用者さんのお話は 2度目の脳梗塞の時の話が主だった。
入院した折、文字も読めず書けもしない、カレンダーを見ても 日にちすらわからない…。「何が起きているのか…自分はどうなるのか…」ととても不安になった。それなのに 家族は「今日は 何日?」「やっぱり言えない」「さっき言ったでしょ」とかわるがわる言われて…「いい加減にして…」ととても悔しかったし辛かった。「何で いやな事ばかり言うのだろう」と落ち込んだそうである。
「今、冷静に考えれば 不安で感情が大揺れしていたので まともに話を聞くことが出来なかったのねぇ〜」と言われていた。「家族の思いも 元気になった今は 多少はわかるのよ。」とも。

話を伺いながら、不覚にも涙を零してしまった。利用者さんの思いと 母の思いが重なってしまったのだった。

利用者さんは そういいながらも…。
先日「『杖を付くように…』と息子さんから言われて仕方なし使ったけれど これが思いもかけず良くて…」と言われたので「息子さんに 杖を使ったら具合が良かったとお伝えなさったら喜ばれるでしょう」とアドバイスしたら「とんでもない。そんな事言ったら 『ほら 見たことか』って言われて更にいろいろ言われるのがオチだから…都合が悪くなるような事は言わないの」と笑っておられた。

親には 親としてのプライドがある。看て貰う立場になっても それはしっかり残っているものだと改めて知った。

自分に置き換えてみても 同じだろうなぁ〜。
一人で出来なくなるって…ほんとに辛い事なんだろう。

母との間でも 似たようなことを繰り返した。
時に素直な心の内を吐露したり、不安を口にしたり、剥きになって反論したり、怒ったり…。実にいろいろの場面があった。
母の心は いつも同じではなかった。
勿論、私の心も同様だった。疲労感が溜まってしまうと かなり辛らつな事も言った。
説得には 拒否感が多かったので 避けていたけれど…それとなしの話も「何を言おうとしているか」を母自身が探っていた。
「あなたは、私を傷つけないように 言ってくれるのねぇ〜有難う」なんていわれると見透かされた心の内を感じ取られた事にドキッとした事も幾度も有った。
「親子だから…ねぇ〜。あとくされが無いから…」と言う言葉に幾度救われたか…。

子供だから許してもらえる役得があったのも間違いない。けれど、子供だから逃れられない事も有った。
「痴呆とは、本人も家族も 苦しむ事が多いなぁ〜」と今日は つくづくと感じた。







2004年05月06日(木) おかちゃん 痛いよぉ〜


昨日、ハッと思い出した。
介護保険更新の手続きをしていない…。
通知書を開封してないけれど、間違いはない。
急いで開封して書類に記入した。保険証は施設に預けていて「貰ってこなくちゃ」と思いつつ いつも忘れていた。
保険番号…「そうだ。コピッていた」と思い出して取り出して記入。
後は、保険証を貰って同封すれば良い。
今年、役所からの通知書に返信用の封筒が入っていなかった。あれ、今までもそうだったのかな?良く判らなくなっている。
在宅ならケアマネに書類を渡せば良いのだけれど…。自分で更新だから…封筒の準備。切手の準備等必要になる。
調査の場所は、自宅にした。

少し出遅れている。
今月は、用が多いので のんびりしていると後できっと困ってしまうなぁ〜。

母のご機嫌は、良かった。
猫ロボと遊んでいた。2日のブランクなんて 気が付かないだろう。
いや、ふとした時に「居ない」と思うことはあるだろうけれど…。
職員に保険証を貰い 母と外出。

まずは、耳鼻科に向かった。
気になりながら、随分の時をやり過ごしてしまった。
玄関を入る時は 何でも無かったけれど…待合室に居る内に母の不安が広がったようである。「何だか怖い」という言葉を聞きながした。
小さな子供に気を取られて 母は、笑い転げ出したので一緒に微笑んでいた。子供が治療を終えて帰ると…「あの変な子 何処行ったの?」と言う。
「あ〜っ。居なくなってからで良かった」全く 何を言い出すのやら…こういう冷や冷やが多くなってきている。
母に悪気は無く、語彙が少なくなってきているからなのだけれど…何も知らない人が聞いたら良い気はしないだろう。
診察の順番が来た。
今日の母は、初めから終わりまで「おかちゃん。痛い」「痛い おかちゃん」「もう終わりでいい」「もう しないで」の繰り返しだった。
あまりに頻繁なので母の口を押さえて「あと少し」「我慢我慢」と声をかけ両手をギュッと握ってあげるのだけれど…。ちょっとの間 声を出さないけれど直ぐまた始まった。
「しないで!」と怒り出す事は無いので その言葉が実に可愛くて…噴出しながら介助していたら…治療の終わり近くには医師までもが 笑いを堪えて小刻みに震えていた。

こういう失態の後は「恥ずかしいねぇ〜。騒いでしまった」と反省の弁が付いたものだけれど…治療が終えた母は「そんなに痛く無かったよ」とけろりとしていた。ま、そんなものだよね。恐怖心から出た部分が多かったのだろうと思う。

昼食は、すき焼き。母は、肉が好きなので喜んで食べていた。
その後、美容院に出向き髪をカット。
ご機嫌は良いらしく 美容師とあれこれお話したそうである。
そういえば、いつも 私の存在を鏡越しに確認している母だけど 今日は私を探す事は無かった。

おやつはケーキとお茶。フルーツたっぷりのケーキはボリュームがあった。

施設に戻ると柏餅のおやつがでた。
目が食べたいようで「食べる」と言っていたけれど結局、食べる事はしなかった。


2004年05月05日(水) 即決できなかったぁ〜


 母に感謝する日がやって来た。
「楽しいか?充実してるか?感謝してるか?」そんな事を自分に問いかけた。
「まっ、ほどほどに…」と自分に答えた。
年を重ねる事が あまり有り難くない…。でも、一年に一度はこうして年を重ねる仕組みなのだから…強制的に享受する事に。
5月の節句と言うくらいだから…これは、昔から男の子の節句だったのだろうなぁ〜。
私の歴史は 実はこどもの日の歴史と重なる。

「有難う」を伝えに母の所に行く予定で居たけれど…結局行かなかった。
それというのも ファクシミリを買おうと意気込んで出かけたものの、選びきれなくて…時間超過してしまったのである。
全く 困ったものである。

我が家のファクシミリは受信は出来ても送信が出来ない状態が続いている。
以前にも書いた記憶があるが…修理に出したら、ガラス面の掃除が出来なくなってしまっていたのである。幾度も言うのも気が引けて…其の儘となっていたのだ。だから、こちらからの送信は相手は文字すら読めないほどになってしまうのである。

機械を選ぶという事は、機種のデザイン、機能、値段、使いやすさを見るのであるが…。最後の最後は 値段とデザインの睨めっことなってしまった。
決断が付かなくて…結局買わないで家に戻った。
戻ってから、決めた。
もう、迷わない。
今度 お店に行ったら買うことにした。
直ぐ決断できなくなっているという事は、やっぱり年かなぁ〜。(クスン)


2004年05月04日(火) 独善的かもしれませんが…


 今日 家族の会だった。
連休も介護にお休みなしで遠出は無いという事でこの日も休まないとみんなの希望で休日振り替えにしなかったのだが…。
参加者が少なかった。

でも、これには それぞれの事情があり…。
介護環境の変化や冠婚葬祭等で 止むをえない事情が多かったのである。

少ない参加者でも 話は山のようにあり あっという間に時間切れ。

この中でのぼやきが…またいい。

ひとつは、訪問介護と訪問看護。
勿論 質的に違いはある。
でも、訪問看護の場合 大体30分が限度である。
訪問介護の場合、1時間から2時間である。

さて、どちらがより実態を知ることが出来るか?
看護婦ではないけれど、健康状態等も含めて長い時間居る方が良く観察でき実態を知り得るという事である。
状況によっては、様子を事業所ないしケアマネに連絡し よりよい方法を考えて貰えるのである。
そういうきめ細かさが、訪問介護には要求される。
しかし、訪問介護の待遇は とても低いと言うのも現実である。

いや、問題は訪問介護する人の質の問題もある。
利用者の苦情、仕事の辛さのみを訴えて 肝心の介護を受ける人の観察や対処が疎かという事も少なくないのだけれど…。

勿論看護の専門ではないので、問題を提起して判断は専門の方に任せるのだけれど…。

と言う話で 家族の会は盛り上がった。
何故そんな話になったかと言うと…往診の話で 大きな所は看護婦も同伴だけれど個人の医院だと医師だけの往診となってしまう。
じゃ、大きな所の訪問看護は良いのか?という事になり。この地域の訪看は「うん、納得という所が無いね」という話となったのである。
きちんと訪問看護なさっておられる方、この地域に限った事ですのでお許しください。

そこから、家族(特に親の介護の場合の夫の関り方)の手伝いが話題となった。「何もしないねぇ〜」が本音だった。
陰の力、緊急時の手伝いはあるけれど…。それも自分の親なのに嫁さん任せ…というのは良く話に上る。
介護にお休みはなくて…家族の食事の支度も含めて 当然のように妻任せになってしまっている。ある人は以前「何も判ってないから…手を出して貰わない方が楽」と言っていた。

じゃ、子供はどうか?
介護力として本格的参加と言う訳には行かない。
初めのうちは、自分が優先されない事にブツブツと始まる。介護で手が放せない状況でも話しかけられたり、「腹減ったぁ〜」等々。
でも、その内に自分を優先させる状況では無いと状況を理解できるようになってくるし…。親も孫が可愛いから 手を振ったり笑顔を見せたり…となってくる。少なくともここまでは、同居していれば判ってくるよねぇ〜。
とそんな話となった。

で、妻って結婚して 子育ての役割を負い、子供の手が離れた頃には親の介護が入ってしまい、自分の人生って…と思ってしまうね。
でも、それを愚痴っても何のプラスにもならないし…「こんなもんだねぇ」と割り切った方が良いんだねぇ…という事で一致した。
おそらく みんな 夫とか子供とかの話よりこの辺の事を言いたかったかも知れないのだ。

そして 兄弟の手伝いに関しても…。
いろいろ 在っても表立って言わない…これが基本かもねぇ〜。
これは、嫁の立場、娘の立場でも介護している者の一致した意見。
勿論モヤモヤとしたものは付きまとうけれど…。

で、昔から介護ってあったけれど…。
今ほどあれこれ言わなかった。痴呆であっても特に痴呆者としての扱いなんてしなかったよね。予防の為のあれこれって結構介護の重圧になっているんじゃないか…。果てさて、今の介護と昔の介護とどっちが親のためになっているんだろうねぇ〜。と。
そこで昔話として…。
親がお姑さんを介護している時 時に出て行かれないように桟咬めていてね。お姑さんの困った事聞かされて…。お姑さんからは、親の文句言われて間に入って困ったよぉ〜と言う経験談を。
一同「ん〜。恨み晴らしますって言うのもあるかもねぇ〜」と。
そして、昔は 年金なんて無いから子供が費用出して親を介護していたよねぇ〜。とそんな、話も飛び出した。

自分の祖父母の時代はそうだったのである。

介護に関る者の独善的話で有るけれど…こういう話ってほんとに途切れる事は無い…。そして、実際介護に当たっているものにしか通じない話でもある。


2004年05月03日(月) そんなに寝ちゃったか?


 起き抜けに 時計を見たら 9時45分だった。
「ぎゃぁ〜」っていう感じ。
種まきをする予定だった。それよりも、可燃ごみ回収日だったのだ。
数日かけて剪定した枝が山のようにある。生ごみだって…。「グッスン」状態である。誰のせいでもない…「自分が悪い」から八つ当たりのしようもないのあった。

それでも、家事をこなして 母の所に向かった。
「ずっと ここにいてね」が母の最初の言葉だった。
それでも、今日の母は明るかった。
散歩で子供の姿を見るとしっかり手を振って声をかけていた。
歩きもリズミカルだった。
ファミレスが見えたら「あそこに行くのか?」と聞かれた。
今まで そんなこと言わなかったのに…記憶の回線が繋がっているんだろう。「行きたいの?」「ううん」「今日は行かないよ」「それで良いよ」
早足で散歩した。

全て良い調子と言う訳ではなくて…昨日は排便が無かった様子。
今日も頑張ったけれど「ちょろっ」と出ただけ。
まっ仕方ないね。水分を充分取ってもらった。

母の居室のお花がはっぱだけなので、鉢植えのカーネーションを置いた。
母は気が付かなかったが…その内きっと気が付くだろう。

夕方、娘の友人姉妹とお食事。娘と友人姉妹でお寿司とチキンとサラダを買ってきてくれた。それに、お吸い物と煮物と昨日刈った蕗をいためて煮た。
夫も含め5人で夕食。いつもの一人での食事とは大分様子が違う。


さ 明日は、ちゃんと起床しよう。


2004年05月02日(日) やっぱり連休


 今日も早朝から仕事開始。
早すぎてご近所に迷惑をかけないように 音のしない作業から始めた。
夫は仕事、娘は出張のため居ないので 拘束なしでフルに仕事が出来た。
 
ぶどうのつるを固定した。それから、先日の風で痛んだ枝を切り落とした。
庭木の剪定も。これは、背の低い方なので脚立なしの作業の為 そう辛くは無い。蕗も全て刈り込んだ。ついでにどくだみ等も除草した。
これで、ようやく植え込みの下がからりとした。
同じ庭なのに…これだけやると庭も活き活きと見えてくる。
あいた場所に鉢植えの鈴蘭を地植えした。

まだ、作業は残っているけれど…ここまでくれば もう先が見えてきたので気が楽になった。

夕方、夫から電話が入り「会社の取引先のご夫婦と会うので出てきて…」と言われた。同時に出張先の娘からも高速バスで帰ると連絡が入った。
帰宅が遅いので良いかぁ〜と夫のいる場所に出向いた。
直ぐに引き上げようと思っていたけれど…そうも行かず 遅くなってしまった。
家に戻ると留守電チカチカ。
娘からで「終点に着く時間が読めない。終電に間に合わないかも…。」という事だった。ちょっとご立腹気味。
そこに再度電話が入った。
「2台の携帯とも電池切れとなりそう…。終点に着いたら電話する」言う。
PCを開くと娘からメールが2通入っていた。
バスの中で 相当焦り 困ったのだなという事だけが伝わってきた。

やはり、連休の道路はかなりの混雑なのだなぁ〜。

しかし…今日みたいなちょっと涼しいお天気に急によそ行きのお出かけ服って困ってしまう。
先日も7分丈のブラウスかTシャツが欲しいと探したのだけれど…なかなか気に入る物が少なくて 買いそびれてしまっていた。
地味に収めると年寄りになり、派手にするとこれまた年寄りに見えてしまう。中間の年齢って…難しい。
普段 G パンやカーゴパンツなどで過ごしているし それだとちょっと場に合わない。 スーツと言うほどの所でもないし…たんすをひっくり返してしまった。
おしゃれに縁遠くなっているのかも…。
少し注意して過ごす事も大切かも知れないなぁ〜。


2004年05月01日(土) 疲れているのか…眠そうな母。


夫は早朝から仕事。娘は名古屋に出張。
我が家にゴールデンウィークは関係ないかな?
いや、後半はお休みの様らしいけれど…。

昼少し前に母を迎えに行った。母は、まだ昼食を食べきれていなかった。
暫く見ていると おかずだけ食べ終えてご飯だけが残ってしまった。それでも 残ったご飯だけを食べ始める母を見て「家に行けばおかずあるから…もういいよ。」と喉まで出かかった。
施設での食事とは そういう物なのだろう。
家の作り置きの「佃煮」とか持ってきて置いたら良いのかなぁ〜。

とりあえず全量摂取して 家に向かった。
職員の話だと「今日は とても眠そう」という事だった。そして排便は無いとの事。午前中入浴したとも言っていた。
これなら 充分ゆったりとして過ごせるだろうと思った。

家で私が昼食を食べ始めると母も欲しがった。
少しのご飯にイクラをかけて。筍の煮付け、雌株の酢の物を食べてもらう。
牛乳を温めたものの雌株を多めにしたので 飲ませない事にした。
食後 トイレ誘導で目標達成。3日ぶりという事である。
何だか今週の排泄は、全部私の仕事となったなぁ〜。

療法士さんの訪問前にどうやら眠たさも最高潮に達した様子で横になっていた。暫くして療法士さんが見えたが 眠りはますます深くなってしまった。
いつもより血圧も低め、そしてむくみも少ない。
リハが済んでもコンコンと眠っていたので 寝かせた儘庭に出てまた剪定を始めた。すると車のクラクションがなった。夫が一時帰宅したのだった。
夫に着替えを始めた頃 母は起き出した。
夫の馬鹿踊りをみてケラケラと笑い拍手を送っていた。
夫を再度送り出した後 母と畑に向かった。水遣りの仕事である。
新聞紙を持って行き 畑のあぜに座って見物して貰った。

水汲み行く間 母は、じっと座っていられるかと心配だった。
「ここで待っていてね」と声をかけて離れた。
母は、おとなしく待っている事が出来た。
やはり相当ぼんやり状態なのかも知れない。
幾度か水汲みに離れたがしっかり荷物番をしてくれた。手つきの袋を託したのだが…しっかりと結んで膝に抱え込んでいた。
今日は早々に水遣りを切り上げて「帰ろう」と言うと「もう終わったの?早いね」と言う。ほんとに判っているのかなぁ〜。

家に戻って 夕食の支度を始めた。
今日は娘はお泊りで、夫も外で食事してくるので「外食にしようかな」と思ったけれど 便秘気味の母には 野菜をたっぷりとて欲しいので家での食事にした。
でも、ちょっと贅沢にお寿司の出前をとった。
台所に立って おかずを2.3品作ろうとしたら 母が立ち上がって「手伝う」と言う。これも、珍しい事。最近の母は「手伝って」と言わないと座った儘なのである。
これは、この所手伝ってもらったので 記憶が残っていると言う事だろう。
はっぱを刻んだり、洗い物をして貰ったりした。

そうこうする内に出前も届いて食事となった。
ゆったりとしたペースでの食事だったけれど…具沢山の味噌汁。酢ごぼう、筍の煮付け。オクラと雌株のおひたし。トマト。それら全てを食べきった。
トマトは 何と2個丸まる食べた。

これだけ食べれば きっと便秘は無いだろうなぁ〜。

暗くなって 施設に送っていった。
あれだけ寝ても まだ眠いようで 布団を敷いてパジャマに着替えたら直ぐに寝入ってしまった。
職員は忙しそうだったので 呼び止める事はせず「食欲あり。排便あり。歯磨き、洗面終了。トイレ終了」と言うメモを職員の控え室のドアに差し込んで帰宅した。

母も疲れているようだけれど…私もだるい。薬を服用しているせいもあるのだろう。気温の変化に身体がやっとさ付いていっているという感じの日々である。


はな |MAILHomePage

My追加