活字中毒のワタシの日記

2006年06月26日(月) 山本 ふみこ『親がしてやれることなんて、ほんの少し』★★★☆☆

親がしてやれることなんて、ほんの少し
親がしてやれることなんて、ほんの少し
山本 ふみこ
オレンジページ (2005/02/28)

自分の成長に無自覚で、からっぽになりかけていた母を、こどもは時折叱咤する。
それに促されながら親としてやってきた。
この本は、そんな著者が、「子どもたちにわたしがしてやれた(のではないかと思われる)『ほんの少し』の記録」。

心に響いたところ。

出産間際につけていた日記。

「そうだ。子どもに『大人になるのもわるくないな』と、そんなふうに思ってもらえるひとになろう。近くにいる大人が、たのしそうに生きていれば、子どももそう考えるようになるかもしれないし。」(p27)

「両親や、近しい大人たちがなにもかも一致して子どもにのしかかるというのは、しんどい。(略)
 なんだかちぐはぐに不揃いだが、ちょっとしたことがやけに一致している、というふうにいきたい。」(p44)

「たとえば割りこみ、たとえば恐い顔、ぽい捨て、理不尽な文句などといった傍若無人なふるまいの一切が、どこかのだれかさん、ことに子どもや若者を決定的に痛めつけることがあることを知らないといけない。」(p88)

「長くても短くても、ある時間を共有することができただけで、すごいや、と思えるようになった。挨拶程度の間柄?年賀状だけのつきあい?そこにだってかけがえのない相手は、存在する。」(p105)

「こざっぱりと片付いた部屋。ぴかぴかの窓。お茶に手作りのおやつ。美味しいごはん。ほどよく糊のきいたリネン類。」(p124)

「自分の悩みや痛みにおぼれないためには、骨は折れるが、やりがいがあるなにかに打ちこむことだ。力と時間があまると、ひとはつまらないことが気になったり、他人と自分を比べたり、ろくでもないところに足をとられやすい存在でもある。」(p152)

「なんでもない日々の営みが実はなんでもなくないことをわかって生きているひとには、趣味などあってもなくても同じなのかもしれない。」(p164)

「夢」の章で書かれた、「寺子屋 太陽の家」。
私も実は、やろうとしたことがある。
何か自分がやれることで、役に立てることで、ともに学び育つことができれば、と募集をし、少しだけ通ってくれた子もいた。
彼はどんな大人になっているだろうか。

同じ生きるなら。

どう生きるか。

どう生きたいか。

そんなことを考えさせられた。

親がしてやれることなんて、ほんの少し



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2006年06月24日(土) 加藤 廣『信長の棺』★★☆☆☆

信長の棺
信長の棺
加藤 廣
日本経済新聞社 (2005/05/25)

本能寺の変で倒された織田信長。

その遺骸はどこへ消えたのか。

部下であり記録係であった実在する人物、太田牛一が語る、お屋形さまの最期を追う歴史ミステリー。

というわけで、ちょっと前から歴史モノにすこしはまってる私(『関ヶ原』から、石田三成、そして島左近の大ファンに。光秀モノもどうかしらとこの本を手に取ってみました)

で…。

評判程ではなかったというのが感想です。

くどい、牛一。
信長賛美が気持ち悪い。
功績を讃えるのはいいが、ネガティブな虐殺の事実などに目をそむけるばかりなのはどうか。
三河狸の位置づけはなるほどだったし、三成部下との交流には(ああ、この人が帰った先には島左近がいる…)とわくわくしたし(全然この小説とは接点なし)、信長の遺体が見つからなかったとする謎を、思いもかけないところから解いた点は面白かった。

実在の人物と、彼が書いたとされる書物『信長公記』から想像を膨らませて、なのでぶっとびすぎる話にはできなかったと思うけど、それでもいまいち。
妻となる女性との関係もいまひとつ盛り上がらず。
ただ、僧清玉と弟子の権兵衛のエピソードの数々にはほろっときそうだった。
あの手の話には弱いので。

謎解きのひとつとしては面白かったけれど、このボリュームでこれだけかと思うと、他のを読んでみようかという気にはいまいちなれなかった。

…えっ著者75歳?
お達者!
そっか、しかも職業は物書きじゃなかったとすると…


いや。
それでも、このボリュームはなくてもよかったかなと。

信長の棺



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2006年06月22日(木) 上大岡 トメ『キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法』★★★★☆

キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法
キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法
上大岡 トメ
幻冬舎 (2004/07)

共感できるところがいっぱいあった。

5分間で自分を変える方法が60紹介されている。

やってる!ことからやりたいと思ってた!こと、やってみようかな、と思ったことそれはちょっと…なこと。

5分で自分を変えられるなら、一つでもやっていきたいと思う。
自分を変えるとは、毎日を変えること。
人生を変えること。

幸せな方にね。意識してね。

やれてるぞ!と思ったこと。
「タオル、シーツを変えてみる」→カラダに触れるものをやさしくすると、気持ちもやさしくなれる。(p82)
「電話口に相手が出たら、『今、大丈夫?』と必ず聞く」(p126)
「レジの人に『お願いします』と言う」(p142)
「ラッキーなことを数える」(p96)

やろうと思ってるけどきっとあまりできてなくて、もっとやりたいと思ったこと。
「今日出したものは、今日中にしまう」(p38)
「一日10回、『ありがとう』と言う(p86)
「口癖を変えてみる」→「すべてはうまくいっている」を口癖にしよう。(p58)
「いいところを見つけてほめる」(p128)
「自分からあいさつをする」(p140)
「知ったかぶりをしない」(p144)
「自分の気持ちを、コトバで伝える努力をする」(p150)
「自分の気持ちを紙に書き出す」→紙に書くことで客観的になれる。(p52)

全然できてないけどできるようになりたいこと。
「冷蔵庫を片づける」→ひんぱんに使う場所をキレイにすると、心に余裕ができる。
(p32)
「水の流れる場所をキレイにする」→「いいこと」も「いやなこと」も水に流して、次に行こう。(p36)
「姿勢をよくする」(p102)
「聞き上手になる」(p130)
「すぐ友達を呼べる家にする」(p138)
「お礼は優先第一位にする」(p152)→お礼はタイミングが命

本の最後にチェックリストがあって、これが面白い。
たとえば、「ラッキーなことを、数える」
一級(茶帯)「今日はついてる」と思う。
初段(黒帯)「最近ついてる。」と思う。
師範(紅白帯)「自分がツキを呼んでいる」と思う。とか。

鏡をチェック、の師範級はカーブミラーでもチェック、とか。
自分からあいさつ、はイヌやネコにもあいさつ、とか(ふざけてんのがわかってきておもろい)。
でもそれくらいの勢いで生きていけたらどんなに清々しいだとう思う。
今、今日を悔いなく生きるというのかな。

「おわりに」から、私が励まされたコトバ。
「あの1年は精神的にも肉体的にもつらいことは多かったけれど、とにかくいろんな出会いがあったし、大収穫は『始める勇気があった自分』と『目標をあきらめなかった自分』を発見したこと。そこには1年前とキッパリ違う自分がいました。」(p159)

私自身、1年前と今とで大違いの暮らしをしてる。
今日も帰って不貞寝してよいですか?と泣きそうになったしストレスで白髪も増えているけど、でも新しい生活を始める勇気を持てたこと、続けていること、それができるようになった自分がいるということ、それが今何よりもありがたく嬉しい。

これからも、いいと思うことはどんどんやっていけるように。
この著者は柔道だったけど、私はよさこい。
なんだってよいんだよね。
それでハッピーになれるのだったら。

ありがとう、『キッパリ!―たった5分間で自分を変える方法



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2006年06月20日(火) 森 絵都『つきのふね』★★★☆☆

つきのふね
つきのふね
森 絵都
講談社 (1998/06)

森絵都さんというと、私には『DIVE!』と『カラフル』の人で、10代の、若くて幼くて青くて純でもどかしくて切なくて甘くて、そして夢がある、そんな世界を描くイメージがあった。

この『つきのふね』はその頃の女の子が主人公。ちと暗め。

人間やるのにくたびれてしまった、主人公「さくら」。
どんどんすさんでいく絶縁中の親友「梨利」。
しつこく梨々を追いかける「勝田くん」。
万引きで捕まったさくらを助けてくれた不思議な男性「智さん」。

智さんちで彼が宇宙船の設計図を作るのを眺めるのが好きなさくら。
親友を裏切った自分が許せないさくら。

智さんの様子がどんどんおかしくなっていく。
梨利とももうあの頃の二人には戻れないのか。
「つきのふね」がすべてを解決してくれる、との勝田くんの賭けは成功するのか。

感想としては、心を病むことに対して、不用意に怯えることはないのだ、というメッセージを受けた。
誰だってその芽はあるし、いつどこでどう病むかもわからないし、そうなっても不思議ではないこと。
救いがない、と悲観しすぎる必要もないこと。

智さんを救う手立てになるかもしれない、ヨーロッパにいる彼の友人が、智さんからコドモの頃にもらった、彼を立ち直らせた手紙。

ひとは、どこかでだれかをささえている。

そしてだれかにささえられている。

そうなんだなぁ。
それに気づけたら、きっと心が弱くなっても生きていけるのかなと思った。

明るさののぞく終わり方に少し、ほっとした。

つきのふね



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2006年06月12日(月) 『お母さんの話聞いて…―働く母親から娘へ、28通の手』★☆☆☆☆

お母さんの話聞いて…―働く母親から娘へ、28通の手紙
沖藤典子監修
夏目書房 (1996/01/10)

仕事を持つ母親から、娘への28通の手紙。
稼ぎに出てることを「働く」とか「仕事を持つ」とかいうと、専業主婦は仕事してないといわれてるわけで、どうもすっきりしない気分になる、今では一有職主婦の私。
「働きに」出られる健康を、そのありがたみをかみしめています。

234通の応募の中から選ばれた、母の思いがつまった手紙。

読み終えてというか、読みながら、感銘を受けたものもなくはなかったけれど、どこか反感を覚えてしまったのは、私自身が未熟であり母親の視点をまだしっかりと身につけていないからなのかなぁ。

なんだか、おかあさん、自分のことは棚に上げて、娘に要求しすぎじゃありませんか?
自分が嫌な思いをしたから、娘は一生食える手に職を持ってほしいとか。
いつかは仕事「など」やめて結婚してほしいとか。働く母からの言葉?
こどもを産めとか。

てなことを多々感じた手紙が多かったです。
気持ちはわからないでもないけれど、なんかなぁ。

自分の不満を解消する手立てじゃないよ、娘は。子どもは。

そうでなかった手紙の母親は、苦労をしていても自分の人生を悔いなく生きている。
こういう母だと、娘も相談したりアドバイスを求めたりしたくなるんだろうな。

私の母も相当な苦労人だけど、ものすごい前向き。
見習いたいと思う。

心に残ったところ。
「お金を稼ぐことは経済的自立につながるからいいことだけど、それだけが仕事とは言い切れない。何よりも大切なのは精神的に自立すること。(略)結婚して円満な家庭を持つことは誰にとってもすてきなことだけれど、それが人生の最大目的ではない。あなたの人生の最大目的は、あなた自身が精神的に自立して、ピカピカの宝石になることよ。」(p83)

そして沖藤さんも言う。
「働いていようがいまいが、これからの妻はいい妻、尽くす妻ではなく、おもしろい妻でなくては長い老後はもちません。」(p202)

私も、娘にとって「おもろいおかんやった」と思ってもらえるように生きたい。

お母さんの話聞いて…―働く母親から娘へ、28通の手紙



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2006年06月11日(日) 向野 幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』★★★★☆

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい
お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい
向野 幾世
産経新聞ニュースサービス (2002/06)

この本に出てくる母親や教師に比べて、自分はなんて未熟で怠惰で冷たい人間なんだろうと思わずにいられなかった。

人が生きること。
命の重さ。
尊厳。
苦しみの向こうに見える光。
絶望。
強さに裏付けられた優しさ。

ものすごい密度で日々を過ごしている人たちがいる。

脳性麻痺児として生をうけたやっちゃん。
彼が短い人生を終えるまでの、その軌跡。
家族の苦労と優しさ。学校教育の現場。

不自由であっても不幸ではない。

身体は健康でなくても、心は健康。

見返しのやっちゃんの笑顔がそれを雄弁に語っている。

私が喉が痛くなったエピソード。
重度障害者が集う施設を作ろうという運動が起き、資金集めの『わたぼうしコンサート』がひらかれることになった。
やっちゃんと舞台に上がり朗読することになった母京子さんは、やっちゃんの兄が友達を連れてくるのに、引け目を感じないだろうかと恐れ、ためらう。
それを当の兄に、「出てきたらうちのおふくろと弟やってみんなに紹介しようと思うてたんやがな」と逆に叱られたとのこと。

山元 加津子さんの『きいちゃん』と同じ、偏見と戦う痛みと強さと温かさがここにも見つけられた。(この本もうちの本棚にありますが、私も相方も途中で泣けてしまって読めなくなります)
自分の底の浅さをつきつけられるようで、申し訳ない思いでいっぱいになります。
私も心ない言葉を投げつける無知な差別者の側に今もいるからだろうか。

やっちゃんの兄は医大へ進み、弟は小学6年生で施設慰問のボランティアグループを立ち上げる。

やっちゃんがいたからできかなったこと。
やっちゃんがいたからできたこと。

マイナスをプラスに転じる強さ。
マイナスは、ネガティブなだけじゃない。
すべてのことに、意味があるのだ。

それを教えられる。

『ごめんなさいね おかあさん』に寄せられた、感動しました、以外の反感も忘れてはならない。
なぜ謝らねばならないのか。ごめんなさいと言わねばならない世の中にこそ、問題があるのではないか。それも正しい。
ほんとうにごめんなさいと言わねばならないのはどちらなのか。

この本について、うまく伝えられないことがもどかしい。
やっちゃんの中にもあふれんばかりの言葉があったろう。
それを伝えるのに膨大な時間がかかったということ、どんなにもどかしかったろう。

書き出しだけで1ヶ月かかったという(先生が思いつく言葉を羅列していきながら、やっちゃんがOKを出すまで続けるという方法)この詩。
たくさんの人に読んでほしいと私も思う。

『ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくがうまれてごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
『かたわな子だね』とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり』

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい



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2006年06月10日(土) シティリビング編集部『OLネット川柳―全国65万人・OL読者の爆笑川』★★★☆☆

OLネット川柳―全国65万人・OL読者の爆笑川柳
OLネット川柳―全国65万人・OL読者の爆笑川柳
シティリビング編集部
ワニマガジン社 (2003/05)

したたかで、かわいい女たちがいっぱい。

そして私もその一人。
(ま、私はしたたかでかわいくなりたい女ってことで)

私が座布団一枚!と思ったものをご紹介。

 元カレと 携帯メールで プチ不倫

 仕事慣れ 増えるあくびと 減る愛想

 口先で あやまり右手 計算機
 
 パソコンで 慣れて漢字が 出てこない

 暇な時 仕事のフリで 忙しい

 エレベーター さっき部長が 乗ったのね

 あめ玉を くわえた途端 電話なる

 帰る前 受けた外線 命取り

私も職場で起きてるあんなことこんなこと、川柳にしてみようかなぁ。
一つ前の派遣先にはネタ満載。
今思えば、いくらでも詠めたなぁ。
(まぁ詠めるネタがありすぎて、耐えられなくなってやめたわけですが)

 次あると 思っているのは 自分だけ

 ソリテアと ニュースと瞑想 それ仕事

 ベル終わる 誰もとらずに ここ会社?

OLネット川柳―全国65万人・OL読者の爆笑川柳



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2006年06月06日(火) 近藤 千恵『「親業」に学ぶ子どもとの接し方―親と子はもっとわかりあえる』★★★☆☆

「親業」に学ぶ子どもとの接し方―親と子はもっとわかりあえる
「親業」に学ぶ子どもとの接し方―親と子はもっとわかりあえる
近藤 千恵
新紀元社 (2004/02)

ずいぶん前から言葉は知っていたけれど、「親業」とは何か、が分かり始めたのは最近。分かりたい、実践したい、と思うようになったからだろうか。

親業とは。
「親業は、子どもへの受容を日常生活の中で体現するための手立てを親に提供するものです。」(p184)

コドモとの関係をうまく作っていきたいのに、そうできない自分に、コドモにいらついてしまう。
そんな自分に、ヒントをくれた本。

一章のヒント
愛情は、ものではなく言葉と行動で伝える。

そう、息子は私のプラスの言葉を、心から喜んでくれている。抱きしめるとうれしがる。それはとても大切なことのはず。

二章のヒントは、聞き上手がコドモの心を開くということ。
能動的に聞く、コドモの気持ちになって聞く、気持ちをきちんと受け止める。
それが「しっかりしなさい!」なんて言わなくても、こどもが自ら「しっかりしよう!」と思う足がかりになる。

とはいえ、ぎゃーぎゃー泣かれたら共感できない、その余裕もない、ということはままあります。母、未熟です。

三章のヒントは、気持ちを子どもの心に届かせる方法「わたしメッセージ」。

「あんたはいつもどうしてそうなの!」
ではなく、
「私はそれだと嫌な気持ちになってしまうの」

そして四章では、親子の対立を解決する「勝負なし法」を紹介。

できてることと、とても自分にはできないこととあるけれど、快適な、親子共々のびのび暮らせる関係を作っていくために、できることをしたいと思う。

心に残ったところ。

「また、子どもが、そのように把握された自分の感情を自分の一部として受け入れる事で、自分を受け入れることが可能になります。『感情』を持つことが『悪い』ことではなく、それも自分の一部として認めることーー『感情は親しいもの』であるとの感覚が、子どもの健全な心理的成長を促していくと言えます。」(p68)

「『能動的に聞く』ことは、子どもが悩みの解決の主体者であることを可能にし、子どもの能力を伸ばします。子どもは親を鏡として悩みについて語る、そのことで悩みの姿をみつめ、解決の方法を探ることができるのです」(p69)

自殺防止センターのボランティアをする際に学んだことは、今思えばこれだった。
感情は悪いものじゃない。
たとえ死にたい、という気持ちだって大切。(行為に移すかは別だから)
相談者の鏡になること。相談者はそれによって自ら答えを見つけられる。

「自分が愛されている、自分の存在を親は喜んでいるーー親は自分を受容しているーーこう感じるところから子どもの先進の安定と成長が始まります。問題は、親が子を大切に思っていても、それを子に感じさせられないことがあることです。受容とは、子どものやることを何でも許すことではないことは、今までのところでお伝えしてきました。親業は、子どもへの受容を日常生活の中で体現するための手立てを親に提供するものです。」(p184)

「親に受容されていることがわかったら、子どもは親から離れていくーー何というパラドックスでしょう」(p184)

いつでもこれを忘れないようにしたい。

「あなたは自分の生き方を自分で好きですか?受容していますか?」(p184)

子育ては自分育て。
子どもが自分の生を、生き方を愛おしく思えるようになるために、自分自身もそう思えるような生き方をしていかないと。
受容できる、選択を。

「親業」に学ぶ子どもとの接し方―親と子はもっとわかりあえる



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