刑法奇行
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2003年01月26日(日) 傘寿と寿司王

 しばらく奇行の間があいたのは、狂務のせいかもしれない。しかし、2月になれば、もっと忙しくなる。学部長をはじめ我々は、本当に人がいいのだと思う。学部のため、早稲田のため・・・、日夜働いているのである。所詮、好きなのだとかエラクなりたいのだとか揶揄する人もいるかもしれない。事実、私もそう思っていた。しかし、かりにそうだとしても、あまりに割に合わない仕事なのである。もっとも、学部や大学についてはじめて知ることが多いのは面白い。一度は経験すべきかもしれない。モーパッサンだったか、「結婚する奴はバカである。結婚しない奴はもっとバカである。」という言葉を想起した。

 とにかく、月末までに、N谷傘寿の原稿である。N谷K子先生には、院生時代からお世話になっている。我々早稲田の院生は、M澤先生のお誘いで、慶應の合同演習に出席していたのである。そこで、I田さんとも知り合った。永い歴史がある。N谷先生は、いつも、まるで母親のようにあたたかい言葉をかけて下さった。一度、公募をしないある大学の就職について、「高橋さん出しますか。」と突然お話をいただいたのである。もっとも、これは結果無価値だったが、他大学の院生にまで配慮下さったことは、一生忘れないことである。

 S々木先生の退職論文集は何とか間に合わせた。このN谷傘寿も間に合わせねばならない。傘寿とは、傘の字を略すと、八と十となるから、80歳を意味するのである。そうすると、我々の院生時代は、先生は55歳位だったのであろうか。時は風のように過ぎていく。すべては「風と共に去りぬ」か。

 ところで、執行部は、仕事が終わってよく行くところが、早大通りの東寿司である。ここは、比較的安くて、まいう〜である。八幡寿司にも行かなくてはならないのだが・・ここの息子さんとうちの娘がヤマハで一緒なので・・場所的近接性の点でしょうがないかもしれない。ヤマハ寿司になってしまった。

ジャーニー to 山椒太夫

[追伸]
御礼=恐るべき世代のS田S一郎様、いつも御論文多数をHerzlichen Dankです。
宣伝=拙著『修復的司法の探求』はもうすぐです。3月に、ハワード・ゼア著=西村・細井・高橋監訳『修復的司法とは何か―応報から修復へ―(仮題)』(新泉社)が刊行されます。また、法律時報2月号の特集は、手前味噌ではありますが、面白い論稿が多数ありますので、一読下さい。この宣伝によって、仕事の遅れを許してくれないですよね、日評のT中S苗さ〜ん!


 


2003年01月16日(木) とりあえず主義

 この奇行の基本思想は、何回か言及したように、「とりあえず主義」であるが、今日の朝日の夕刊で、なだいなださんが『人間、とりあえず主義』という本を書いているのを知って驚いた。早速、アマゾンで注文した。
 夕刊の文化の欄で、彼は「『好い加減』のすすめ」というのを書いているが、賛成である。好い加減じゃない人たちは危険である、というのはよく分かるのである。ただ、「好い加減」も根底にしたたかさとしなやかさ(田中康夫みたいだが)がなくては駄目だと思う。好い加減さが社会を活性化するのであり、とにかく一色で猪突猛進が一番こわい。

 社会の活性化といえば、同じく朝日の朝刊のeメール時評で、高校の先輩の内田樹さんがいいことを書いている。「大学の社会的機能の一つはその時代の支配的な価値観とずれていることだと私は思う。『遅れている』でも『進みすぎている』でも、とにかくその『ずれ』のうちに社会を活性化し、豊かにする可能性はひそんでいると私は思う。」と。これも賛成である。
 何か、権威に追随する傾向、バスに乗り遅れたくないという傾向、これらは、いつも後手後手である。そうではなく、大学人は、ずっと遅れるか、ずっと先を行くかでいいのだろう。
 修復的司法は、ずっと先を行くから、スリリングなのである。わくわくする研究をしていなければ、研究などしない方がいいと思う。煩わしいことがいろいろあっても、わくわくする研究があれば、すべて吹き飛んでしまうはずである。これが原点だと思う。

 多少、説教じみてきたが、あと1冊お薦めの本いや漫画がある。赤塚不二夫の『バカ田大学なのだ!?』(ちくま文庫)である。天才バカボンのバカ田大学関係のを集めたもので、同世代には泣ける漫画であるので、是非読んでいただきたい。バカ田大学では何があったのか、ママとの結婚のいきさつなど、本当にうれしい話題が満載である。
 とにかく、これらのなーるほどとうなずくものに出会うことはうれしいのである。
 また、小学校時代の連中との新年会の知らせがきた。いつものように、岩波書店の反対側にある新世界菜館である。ここの社長は、当時6年1組のF君である。宣伝しておこう。これもまたうれしいのである。

ジャーニー to これでいいのだ!
 


2003年01月12日(日) 最終講義って一体

 仕事がはかどらないので、前回書いた「最終講義」というものについて考えてみたい。

 最終講義は、研究・教育の集大成であり、研究・教育の真髄などを開陳し、究極の極地の講義であるとするならば、コワイコワイことである。なぜなら、自分は結局何だったのかをさらけ出すことになるからである。「なーんだ。そんなものだったのか。」ということになったら、遡及禁止原則ははたらかず、博士課程からもう一度やり直したら、なんてことになる。

 そうではなく、最終講義は、普段の講義の延長線上にあり、日常の講義の単なる最後にすぎないのだと思う。したがって、刑法総論であれば、まあ、共犯論あたりを普通にやって、試験がんばってね、というようにである。
 しかし、それだけだと、来年もまた講義をもつ感じであるから、何か締めの言葉が必要となろう。最後に、究極の親父ギャグを一発というのもいいかもしれないが、冷笑で終わったら、一生後悔するだろう。やはり、研究・教育への思い、学生諸君への思いを述べるべきだろう。著書のはしがきに書くようなことである。

 その思いは、他人から見たら、「何それ」と思われることでもいいのである。その人の長い研究・教育の旅が終わり、今どういうお気持ちですか、と聞く。「旅が終わったという気持ちです。」というそのまんまの回答でも感動するだろう。

 もっとも、うちの子供達の小さい頃、旅行先からの電話で「今何してんの?」と聞くと、「電話しているの」というこたえには、感動というよりは驚愕であるが・・・。

 いずれにせよ、最終講義は感動を与える。一種の遺言であろう。北の国からの五郎である。「謙虚に、つつましく生きろ」か。
 最近感動した緒方洪庵の言葉を贈ろう。

 「医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分をすてよ。そして人を救うことだけを考えよ。」

 医者の箇所に、学者とかさらに人一般すべてを代入することができる。しかし、この境地にたどり着くのは至難の業である。ただ、こうでなくてはいけないのだという気持ちだけは、とりあえず大切にしたいと思う。

 それにしても、わが研究室は、洪庵の適塾とはかけ離れすぎている。何とかしなければならないのだが、不能犯かもしれない・・・。

ジャーニー to 洪庵のたいまつ


2003年01月11日(土) RJの宣伝と喧伝

 たまには(いつもという噂もあるが)、宣伝しましょう。
修復的司法関連の宣伝です。すなわち、拙著がまもなく公刊されるという、それだけの話ですが・・・。
 予約受付中です。予約殺到です。予約しない人は、殺到罪の不作為犯が成立します。また、早く予約しないと、店頭からなくなるおそれもあります。そうなると、気が転倒します。あるいは、足を滑らせて、道で転倒するかもしれません。

 RJ叢書 『修復的司法の探求』(成文堂)03-3203-9201(代)
 高橋則夫 著
 本体価格3,500円

 もう一つは、アジ研ほかの主催による講演会です。
刑事政策公開講演会
日 時 平成15年1月31日(金)14:30〜17:30
場 所 法務省 大会議室 (中央合同庁舎6号館・地下棟)
同時通訳あり
第1部 14:30〜16:10
テーマ「修復的司法と将来の司法」
オーストラリア国立大学社会科学研究学部教授ジョン・ブレースウェイト氏
第2部 16:20〜17:30
テーマ「ドイツにおける被害者の権利−刑事手続における情報獲得権及び参加権,損害賠償並びに援助」
ドイツ連邦司法省司法制度局刑事裁判手続課参事官ジィルヴィア・フライ氏
   
 もう一つは、早稲田の須々木主一先生の最終講義です。題名は、「罪刑一体論の学問的意義」です。これは、アンチ修復的司法かもしれません。あるいは、修復的司法とはまったく関係ないかもしれませんが・・・。
1月18日(土)13時から14時30分
早稲田大学10号館109教室です。

ジャーニー to 私の最終講義(この言葉は好きだなー)

















2003年01月04日(土) 今年は、stray sheepだね、三四郎!

 新しい年を迎えても、仕事仕事である。休み中に、2本の記念論文集への寄稿(奇行ではない)を仕上げねばならない。しかし、冬休みは短い。やはり、冬(休み)来たりなば、春(休み)遠からじ、なのだろう。

 賀状を書いていない方々に返事を書かねばならないが、その時間をとるのも実は大変なのである。すみません〜。
 他方、テレビで映画もやっているので、ちらちら見たりしているから、矛盾しているし、勝手かもしれない。しかし、矛盾し勝手であることを意識していることに救いがあるのかもしれないが・・・。

 「風と共に」と「ニューシネ」は、いつ見ても感動する。最近は、ほとんど映画館へ行くことはない。行ったとしても子供の付き合いである。「ニューシネ」を初めて見たのは、留学後の、たしか1991年か92年かであるが、フランクフルト行きの飛行機の中である。そういえば、「タイタニック」も飛行機の中であった。あれは船で良かったとつくづく思う。「ニューシネ」を見た後、不覚にも涙したので、スッチーさんが何か聞いてきた時、とぼけるのに一苦労した記憶がある。
 「ニューシネ」は、究極のロマンティシズムだと思う。甘いといわれたらそれまでであるが・・・。やはり、どれだけロマンを追い求めているかが重要だと思う。もっとも、ロマンを求めようにも、現実があまりに大変で求められない人はどうするのか。しかし、どんな状況でも、ロマンを求めることができることを、前記2つの映画は教えている。

 そうだ、今年は、いろいろなロマンを求めることに決めよう。刑法学においても、修復的司法においても、学部行政においても・・・。まさに、ロマンティック街道をばく進しよう。あるいは、ロマンス・カーで行きましょうという感じである。しかし、後者は、ロマンではなく、ロマンスであるから、まったく違ってくる。ロマンがロマンスになったら、こりゃやばいのである。
 「ス」には注意が必要だ。S見君も、ドクター時代に、N原先生から、「スミ」君と呼ばれていた。「名前の覚えられていないドクターっていますかね〜」と嘆いていたが、ちゃんと面倒見てくれたのだから、えんでないかい。

ジャーニー to 誰も予想し得ない2003年
  
 



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