刑法奇行
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2002年11月20日(水) ゼーア翻訳完成

 昨日、ながーい翻訳作業が終了した。後半なかなか参加できなかったが、まずはめでたしめでたしである。修復的司法の基本書ともいうべき、Zehrの「Changing Lenses」であり、この奇行でも再三再四取りあげた。

 日本版の書名をどうするか。映画の題名のように、原題とぜんぜん違うのも楽しいかもしれない。たとえば、「ニュー司法パラダイム」とか、「癒しと修復の旅立ち」とか・・・。
 何人かで考えたのが、「報復から修復へ―修復的司法入門―」である。市民が手に取る本でなくてはならない。したがって、「修復的司法講義」とか、「修復的司法綱要」とか、「修復的司法概論」なんていうのはまったく駄目である。N村先生は、司法改革という名を出そうと提案された。司法改革ばやりだから売れるかもしれないが、原書名と離れすぎる。

 ジャーニーという言葉も使いたいが、S上さんの「癒しと和解への旅」というかっこいい書名もある。加害者、被害者、コミュニティがそれぞれ回復への旅をするわけだから、複数にして、ジャーニーズというのはどうか。しかし、間違えて、ジャニーズとなると、あおい輝彦、飯野おさみとか(あとは忘れたが)思い出してしまう。元祖ジャニーズである。学生諸君はその時々のジャニーズ系の歌手を思い出すかもしれない。
 懐かしいといえば、フォークルの「戦争と平和」を買ったが、迫力がないのでがっかりした。パワーが落ちているのを聞くのは辛い。まさに、「あの素晴らしい愛をもう一度」と言いたいのである。

 ところで、年末に向けて、また原稿がどっさりである。狂務の忙しさも半端じゃない。師走とは先生が走ることと言われているが、「師走だなー。僕は原稿を書いているときが一番師走なんだ。僕は正月まで原稿を離さないぞ。いいだろ?。」と、加山雄三も歌っていたのである。これに対しては、「だめだよー。」という叫び声がどこからか聞こえてくる。

ジャーニー to ペタジーニ?



2002年11月11日(月) 中国奇行あとがき

 中国奇行も今回で終わりにしようかと思う。先週の金曜日に、現在、T大のN田先生の所に留学している、武漢大の劉先生(私の所にいる陳さんの先生)が、早稲田に来られ、院生数名と一緒にビアグラに行ったのである。日本語はまだまだであるが、陳さんの通訳は見事であった。陳さんは、普段おとなしいから、日本語の上達度はいまいちと思っていたが、評価を改めなくてはならないかも・・・。劉先生には、一度、早稲田の比研講演会で講演をお願いしようかと思っている。
 院生を連れてみんなで武漢に来て下さいと言われていた。もっとも、お酒は余り強くなく、馬先生とは違うのである。ビールの中ジョッキで個人的に乾杯と言われたときは、飲み干してジョッキの底を見せ合うのかと思ったが、少し呑めばいいので安心した。ジョッキの底を見せあって、相手の顔を底から見つめ合うというのも面白いかもしれない。いずれにせよ、急に中国づいてきたから不思議なものである。
 武漢大院生の、日本語がうまいと言うよりは面白い「王さん」から、メールと写真が送られてきた。来年、同志社に留学予定である。キャラクターが徹底的に気さくである。写真には、私の報告している姿や女子院生とツーショットでピース状態のものもある。ピースは国際化しているようだ。

 娘の小学校の集合写真では、カメラマンがいつも「1+1は?」と聞き、全員が「2」と答えるのである。素晴らしい?統制である。
 私は、ゼミ写真などの際、寅さんを引用して、「バター」と言うが、冷笑しか返ってこないし、チーズの代わりに、ケーゼとか、フロマージュとも言うが、反応はないのである。今の学生には、教養がないのだろうか?。まさに、教養罪である。

 土曜日には、佐々木先生の喜寿パーティーを何とか無事に遂行した。論文集『刑事法の理論と実践』(第一法規)も無事完成し、間に合ってやれやれである。なんだかんだ言っても、発起人の愉快なメンバー達は強力メンバーである。この「人のつながり」に勝る価値はない、と言ったら過言であろう?。次は、傘寿、その次は、米寿、そして・・・。とにかく、お元気でいらっしゃることだけを願うのである。

 陳さんも、もうすぐ武漢に帰国である。来週サヨナラパーティーもある。まさに、Die Zeit vergeht schnell.である。小椋佳の「時」を思い出すのである。「時に長さがあるなんて、誰が決めたのですか。時が元に戻れないと、誰が決めたのですか。・・・」
 「時」を解明しようとした哲学者も数多い。あんかけの「時」次郎というのも、いい名前だ。「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」というわけか。しかし、誰がこれを知っているのだろうか。知っている人だけが、クスッと笑ってくれれば、これに勝る価値はない、と言ったら過言であろう?。もっとも、誰か違う人を思い浮かべて笑ってもらっても困るのである。それこそ、法益関係的錯誤なのである。

ジャーニー to もうすぐ師走か






2002年11月03日(日) 中国奇行その6

 外国に行くと、常識と考えていたことが覆される経験は多々ある。やはり中国では、とくにそれが多かった。先日、山東省でのバス事故のニュースを聞いて、ドキッとした。とにかく、道路交通はきわめて危険な状態である。反対車線も走行する場合もあるし、3車線に分かれていても、まるで魚が泳ぐみたいに、走行しているのである。クラクションをぶーぶー鳴らし、先を急ぐわけである。したがって、歩行者が横断することは至難の業である。たけしの言ったように、みんなで渡るしかない。

 それから、電話である。武漢大の宿泊施設では、国際電話をかけるためには、フロントで100元を保証金として支払い、すると、いつのまにか部屋の電話が取り替えられていて、日本にかけることができるようになっている。そして、かけた分だけ100元から引かれていくわけである。チェックアウトの際に、残金が返還されるのである。O泉さんは、かけている途中で、100元に達し、プツっと切れたのである。S久間さんは、100元払ったのに、とうとう日本にはかからないまま終わり、100元返還されると思ったら、かけたというそれ自体で引かれていたから不思議である。やはり行為無価値というわけか・・・。

 トイレットペーパーのロールの量が少ないことも驚いた。毎朝、3本ほど請求していたのである。朝食は、中国粥などさわやかな感じであったが、ドリンクものがないのである。お茶も請求してはじめて出たが、朝食はやはり、ドイツのように「Kaffee oder Tee?」、あるいは、イタリアのように「エスプレッソかカプチーノか?」と聞いて欲しいものである。それを言ったら、N田さんが、「じゃあ、ボクが言ってやるよ」というわけである。コーヒーを飲む習慣がないようである。これに対して、タバコは多種多様の銘柄がある。しかし、タバコとコーヒーは、必要的共犯だと思うのだが・・・。

 こういう文化的葛藤は、後から思えば、楽しい想い出になる。島国の日本でチマチマ生きているだけでは分からないことを体験することが重要であろう。
 しかし、成田に到着した時、このまま、ドイツに行きたい気分になったのはなぜだろうか。また、えぞ菊のラーメンを確実に食べるぞと決意したのはなぜだろうか。さらに、フレンドのカレースパゲッティ、高田牧舎のカキフライ、叙々苑の焼き肉、八千代鮨の中トロなどなど、思い浮かべたのはなぜだろうか。
 まあ、日本に来たドイツの刑法学者も、きっと、フランクフルトに帰ってきたとき、ドイツ料理を思い浮かべるのであろうから、お互い様であろう。もっとも、エーザー教授の奥さんによれば、日本料理は世界一であるとのことである。
 それでは、日本刑法学が、世界一になるのはいつの〜日〜か。

ジャーニー to 庄司薫4部作復刊 


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