【10】玩具箱の中の積木

 元の鞘におさまった積木は、手が届きそうで届かなくて、でもすぐそこにいて…。つまりほとんど昔と変わりません。

「もう使わなくなった玩具?」

 そうかもしれません。でも、その質問の真意がわからないので、一概に「そうだ」とも言えません。

「今まで積木はお池に落ちてたの」
「“苦しい苦しい”ってもがいてたけど、やっと玩具箱に帰れたんだよ」

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 積木は、精神医学で言う“インナーセルフヘルパー”なのだそうです。しかし光ちゃん曰く「一番俗っぽい」と…。私もそんな気がしています。彼女のテンションときたら、とろっちい私には結構こたえました。なにせ人事ではありませんから。

 真実、正義、順番、約束…。確かに大切なことなのかもしれません。しかしだからと言って、大騒ぎするほどのことでもないと思うのです。先生は「お父さん譲りの正義感」とおっしゃいましたが、実にその通り。

 結局そんな(理屈っぽい)彼女が残して行ったものは、理屈抜きのものでした。とても曖昧で、とても大切なもの。私は戸惑いながら、同情を持って受け取りました。

 大層な異変が起こったわけではありません。心の中が少し整頓されただけ。

−−−−−−−−−− キリトリ −−−−−−−−−−−

 5年前になるでしょうか?婚姻届を前にして、私はかなり混乱していました。何故この人と結婚しなければならないのか?嫌いではないのですが、結婚に至る根拠に欠けるのです。

 結婚に至る根拠なんて簡単なものです。愛情でしょう?そんな大切なものがポッカリ抜けていて、どうして捺印できるでしょうか?

 そのような状態は今も昔も茶飯事で、それが異常であることにも気付いていました。

「しばらく待って」とお願いしたのですが、説得力に欠ける私の意見は、当たり前のように通りませんでした。

 何年も忘れていてゴメンね。それから、こんな私をずっと傍に置いてくれてありがとう。

−−−−−−−−−− キリトリ −−−−−−−−−−−

 今日は病院に行きました。そこで私も気になっていた海彦君の意見をば…。けれど今、彼のメモを見直してみたら内容が少々異なることに気付きました。なので私の意見。以下がその内容です。

・“基本人格”や”オリジナル人格”と呼ばれるソレは本当に存在するのか?
・存在するとして、それは昔の状態のことなのでは?
・“自己統合”は、そんな曖昧な存在を頼りに行われるのだと思う(自分がそうだった
・自己統合は、客観的に見れば自殺?

 最近「本当の自分信仰だ」と、自嘲気味に過去の選択をあざける声がするのです。声の主は上の彼です。

 こうして文面に書くと薄気味悪いアレですが、如何せん海彦君なので…。彼を知っている人はちっとも怖くないと思います(私もそうですし)。

 それが幻聴ではない、もしくは幻聴であると気付いているので、自問自答に近いものと認識しています。

 声の意図が私には分からないのが普通と違うところだと思います。自問自答とは、自分の意見ともう一つの意見の狭間で問答すること。私のそれは、自分の意見と声との問答。

 私も知りたいんです。本当の自分なんているんでしょうか?いたとして本当にそれは大切なものなのでしょうか?

 すると先生は、最近出版された「脱アイデンティティ」と言う本を教えて下さいました。

「人はどこにいても、何をしていても“自分は自分”と言う確固たるものがなければならない」

 聞きなれた上記の説への問いかけ(もしくは逆説か)のようです。多様化したこの時代、アイデンティティも多様化せざるを得ないのではないか?そんな感じのことかな?

 ペルソナとは違うようです。ペルソナとは客観視的なもので、アイデンティティとは内面的なもの。

 先生もまた、アイデンティティにまつわる一般的な説に疑問を感じているようです。私はと言うと、これは大昔からの課題なんだと思っています。リア王でしたっけ(?)にしかり。芸術や文化に密接している、幅広い課題。

 話が横道にそれましたが、ここで記憶の断絶の問題が出てくるわけです。私はそのために通院しているも同然。何せ結婚していますし、檻の中に突っ込まれない(自由に生きるための)知恵も身につけなければ。

 社会は言うほど厳しくないようです。むしろ甘い。けれど、私の状態は厳しいものがあります。そうなると風当たりは自然と厳しくなります。厳しいのは昔だけでおなかいっぱい。私は優しいのが好きなんです。

 疲れてきたので、記憶の断絶の件についてはまた今度メモしようと思います。
2006年01月26日(木)

寝言日記 / 杏