経る時・・・

もくじみらい

日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて 日目です。


2001年11月30日(金) 損得勘定でつき合うもの?

11/25の日記で、AB夫妻に、

>Sさん当人にから、友人として、一言、言葉が聞きたい。いろいろ、
>必死で引き留めたけど、なにも、当人の気持ちが伝わってこない」
>私は、Sさんに対して、F事件^^;を解決してやったとか、救ってやった
>などという気持ちは、ひとかけらも無い。ショックだった。友達として、
>そんな風に思っていたとは。損得でつき合っている訳ではない。

という、話がありましたが、ある方と話しているときに、「それは、さかい
さんがSさんを好きだからだよ」と言われましたが、そうでしょうか?

『無償の愛』? ← 文字にするとなんか(^^;

そんなこと無いと思うけどな? σ(^^;は、男友達だって、同じ対応、したと
思うぞ? いろいろ、無理な頼まれごとだって、イヤだとは思ってないし。

まぁ、家系的にも、「頼まれると断れないタイプ」であることは、間違いない
ですが。でも、それが、私にとっての、幸せでもあるならそれで良いと思う。

はっきり言って、AB夫妻の言動は、「礼をしろ」って言ってるとしか、
思えなかった。そりゃ、時間を割いて貰ったり、いろいろ、相談にものって
もらったけどね。『何かをしてやった』と言う態度が出ていたので、イヤだった。

まあ、11/26の日記に出てきた「物で貰っても、嬉しくない。気持ちで返せ」
って言う、言動を見ても、判ることですが。あ、腹立ってきた(--;

『贈り物』と言うのは、普通、気持ちを込めて贈るものでは無いのでしょうか。


自分の気持ちを覆い隠して、○氏とのトラブルの相談にのってきたσ(^^;は、
辛かった。彼らに相談したのは失敗。痛恨のミス。彼らにも迷惑をかけた。

でもね。AB邸から、帰るときに、「○氏の事をダシにして、Sさんに告りたく
無かった」とSさんに言ったら、「たとえ、そのことを利用したとしても、私は
きっと、さかいさんを選んだ」と言われた(/_;) 

損得や、理屈じゃないんだよ。人のつき合って言うのは。きっと。


2001年11月29日(木) サークル内での交際は・・・。

結構、昨年の9月頃から、からかわれていたので、割と気楽でしたが^^;

なにやら、そのころから、K夫妻とAB夫妻の間では、

「あの二人、なんか、仲が良さそうだから、あたたかく、見守って行こう」

という、協定が有ったらしい(^^;) 居酒屋で、「爺」「婆」とか、言い
合ってる頃でしょうね。知らぬは、当人ばかりなり。

結構、みんな、『潜水艦行動』がお上手で、婚約や結婚まで、つき合っているの
を、サークルのみんなに悟られないでいたみたいだけど、私たちは、当人たちが、
わかってないだけで、周りからみると、バレバレだったらしい(^^;)

でも、もし、告白して、「返事がノー」だった場合、なんか、サークルで、顔を
合わせづらくなるかもしれないからね。少し、躊躇した。

「たとえ、返事がノーでも、彼女とは、今まで通りにやっていける」という、
確信ができたから、アタックした。そう言ったら、Sさんは、驚いていた。
Sさんは、自分から、告白して、「ノー」だったら、2度と、サークルには
戻らないつもりだったようです(^^;) 


【今日の日記】

最近、メールも無くて、少し不安になっていたら、どうやら、
先週から、風邪をこじらせて、声が全く、出ないらしい。
秘書室の電話から電話が来たが。オーイ。大丈夫か(^^;)
(私用の電話して平気なんだろうか?)

でもな〜。全然、連絡が無かったり、会えないと、不安だぞ。σ(^^;は。
Sさんは、「会えないときが続いても平気。安心してるから」とか、
言うけど、どーいう意味だろ? 


2001年11月28日(水) きっかけは、その辺に落ちている(^^;)

だいたい、回想録も終わりですね。読んで頂いた方、お疲れさまでした(^_^;

月末で、疲れて、アップロードするの忘れてた 11/28〜


5月頃から、Sさんのことばかり考えていた。
一歩間違えば、二度と、会わない可能性も有ったし。辛いときも有ったけど。

昔から、片思いして、言い出せなくて、結局、終わってしまうことが多かった。

今回も、たぶん、そのパターンの予定^^;だったはず。

だから、背中を押してくれた、AB夫妻、幼なじみのTには、感謝してる。

でも、Sさんも言ってるけど、こうなることが自然だったように、普通でいられ
るのは、何故だろう。

そもそものきっかけは、トラブルからだったけれど、それを乗り越えてここまで
これたのは、春先、チャットで、お互いの信頼を深めたからだろうし、それがな
ければ、お互い、惹かれあう事もなかっただろうし。

ほんと、きっかけなんて、何処に転がっているか判らない。

一つ、タイミングが狂えば、会ってさえいないのだから・・・。


2001年11月27日(火) ともだちというもの

10月初頭、私のサークルの前主宰者のKさんが、食事でもしないかという。
それも、わざわざ、私の地元まで来ると。

「また、責められるのか(>_<)」

屠殺場に引き出される牛のような気分。憂鬱な気持ちで、待ち合わせに向かう。
Kさんにも責められたら、サークルを辞めるつもりでいた。

もう、居られないと思った。精神的に追いつめられていた。ふたりとも。

しかし、Kさんは、高山オフの帰り、こちらの車の雰囲気が悪かったので、
心配して、わざわざ、尋ねてきてくれたのだった。有り難かった。

もう、昨年の秋から、私たちが仲良くなると良いなとみんなで言っていた
らしい。このKさん、サークルでのカップル第1号です(^^;
やっと、くっついたか、とか、いろいろ、冷やかされたが、自然に接してくれる。

今回のAB夫婦とのトラブル・・・。どちらに付くと言うわけではないが、少なく
とも、さかいさんに、サークルを辞めるような落ち度はないといわれた。

実は、Kさんとは、やはり、主宰者同士、意地の張り合いがあって、ことある
ごとに、いがみあっっていたのに、こんな風に、心配してくれると思わなかった。
今までのわだかまりが嘘のように消えた。彼とはずっとやっていけると思った。

Sさんと私はサークルから、辞めないと約束して、自宅まで送る。

Sさんに報告。良い友達に恵まれてうらやましいとの返事。


友達・・・、壊れやすいもの。うつろいやすいもの。

でも、私にとって、かけがえのないもの。大切にしていきたい。


2001年11月26日(月) お天気は、下り坂



回想の部分を終わらせようと、長文書いたら、疲れた(^^;)
お読みの方もお疲れとは思いますが、もうしばらく(爆)
しかし、ざっと書いてるのに、長編だね(^^;)

AB夫妻とのギクシャクした関係が続く。
そんな中で、春先から、計画してきた、サークルでの「飛騨高山オフ」の
日程が迫ってきた。今回で2度目。

だか、Bさんと私以外、なかなか、観光や宿の手配等、事前相談に、加わって
こない。他力本願というか、人任せなメンバーが多すぎる。

結局、Bさんが大半、やってくれた。でも、かなり、不満と言うか、
鬱積してしまったみたいだった。

市内散策で、自由時間を作ってくれるという。「2人で高山を歩きたいで
しょ?」と。でも、これが後で、思わぬ結果になってしまう。

このころ、○氏とSさんのトラブルが、「噂」と言う形で、メンバーの中に
漏れ始める。多少は覚悟していたが・・・。
しかし、Wさんから、問い合わせが入る。Sさんの件でと。NGさんから、
聞いたのだが・・・と。○氏の件で少し過敏になっていた私は、メールで、○氏の
件は口外せぬようと、釘を刺す。しかし、このメールが、後で、問題に・・・。

高山・・・楽しかった。しかし、帰りの車の中で、Bさんが、不機嫌。
NGさんが、私のメールが元で、少し悩んでしまったよう・・・。それに共
感して、こちらに対して、攻撃的になったらしい。
NGさんとしては、私のメールを「興味本位で口挟むな」と受け取ってしま
ったらしい。
Bさんにしても、仲が良すぎとか言っている。、一緒にいるだけだけど? 全く、
勝手なものである(^^;) 

が、このオフで、みんなにつき合っているのを一般公開したようなものでし
たね。確かに(^^;) 


Aさんが、買ったばかりのデジカメを高速のPAに置き忘れた。それをBさんが蔑む。
こういう場合、当人が反省して憔悴しているのだから、フォローを入れるなり、
するのが夫婦では無いのだろうか・・・。

AB夫妻をお茶の水駅まで送る。そこで、Sさんと高山で、買っておいたペン
ダントをBさんに、今回のオフでの下準備の礼も込めて渡した。
帰ってきた言葉は・・・。
「物で貰っても、嬉しくない。気持ちで返せ」・・・驚いてしまった。
 こんなこと言える人がいるのか・・・。

Sさんを送る帰り。泣かれてしまう。
「σ(^^;は、何を言われても気にしてないし我慢できるから」というと、
「さかいさんが、我慢すればいいというのがイヤ!自分は何を言われてもいい
けど」と泣いている。σ(^^;だってそうだよ・・・。

高山オフの翌日、AB夫妻に呼び出される。4時間あまり責められる。
「みんなが迷惑した。どんなに良いことをやってきても、1回のミスで地に
落ちるとか、いろいろ・・・」

結局、オフ参加者全員に、謝罪メールを出すことに。

NGさんとWさんには、別途、お詫びのメールを出した。

が・・・。
みんなから、「なぜ、謝るの? さかいさんは色々、取りまとめ等、やって
くれてるし、Sさんとのことは、みんな、温かい目で見てるよ」と。

なんか、聞いてることと、内容が違う・・・。たしかに、不用意なメールを出
したり、多少の暴走というか、単独行動はあったかもしれない。

でも、責められるようなことはしてないと思う。まして、あんなに責められ
たら、男だって、ノイローゼになっちゃうよ・・・。

このあたりから、AB夫妻との考え方の違いが決定的に。

10/5 Sさんは、ダイビングで八丈島へ行く予定。が、いきなり、直接電話
が会社から来る。Bさんから、直接会って、話がしたいと、メールが来たらしい。
メールを転送して貰ったけど、語気が強くて、恐い。
Sさん、動揺して、電話をかけてきた。後は任せてと、言って、八丈島
に安心して行ってきてと言う。

Sさんから返事が無いので、Bさんは、私に会ってくれと言う。もちろん居留守(^^;) 

AB夫妻は、さかいさんと、Sさんとは、何でも話し合っていきたい。
直接、会って話して決着を付けたいと言うこと。

こちらとしては、お互いの関係を壊してまで、話し合わないという、考え方。

Sさん曰く、彼らと関係が有ろうと、無かろうと、私たちの人生には、影響が
無いと言うこと。

確かに、イヤな思いや、辛い思いをしてまで、我慢して、つき合うことはないと
思う。

彼らは、彼らなりに考えがあるだろうけど、僕らは、僕らの考えがある。

もう、ネットのつき合いに疲れて、何もかもがイヤになり出した・・・。

【日記】なんだか、Sさんから、メールが来ない日が続くと、不安定になって
しまう自分がヤダ。←だったら、メールすればいいのにね(^^;)


2001年11月25日(日) 嵐の予感・・・

朝まで、眠れなかった。昼間メールしたら、彼女も寝ないで会社に行ったらしい^^;

8月になって、あちこち、出かける。富士山とか。平日の夜にも、待ち合わせて
食事したり。ディズニーシーのプレビューにも行った。

だか、人の心というのは難しいもの。

AB夫妻には、感謝の気持ちを伝えたんだけど、
「Sさん当人にから友人として、一言、言葉が聞きたい。
いろいろ、必死で引き留めたけど、なにも当人の気持ちが伝わってこない」
「Sさんに告白した事実を我々が知ってるのをSさんは承知しているのか?」
「5月の一件以来、Sさんにはっきりものがいえない」等、態度が変化・・・。

まだ、傷が癒えないうちに、いきなりは難しい。それを理解してもらえない。

でも、実際、会って話すと、私たちのことをからかうだけ・・・。

このころから、AB夫妻と考え方のすれ違いが明らかになってきた。

私は、Sさんに対して、○氏事件^^;を解決してやったとか、救ってやった
などという気持ちは、ひとかけらも無い。ショックだった。友達として、
そんな風に思っていたとは。損得でつき合っている訳ではない。

私たちが、手をつながなかったり、離れて歩いたりしているのを、変だとか、
早く大人の関係になれと、「干渉」し始めた。大きなお世話(--;

今でも、感謝の気持ちは変わらない。でも、元通りにはなれない。
十人十色、それぞれ、人は違うんだよね。彼ら夫婦のベクトルは、同じ方向を
向いているけれど、僕ら2人のベクトルとは、少し方向が違うんだ。きっと。



○氏からの連絡が、私に入るようになる。電話・メール等。
9月上旬のこと。

この時点では、○氏のことを、排除するつもりは無かった。ただ、静かにして
いてくれれば、Sさんは、辛いだろうが、表面上は、他のメンバーにも、ことの
真相はわからず、普通につき合っていけるかな?と思ってた。

○氏にとっては、私のサークルは、親友を亡くしてから、唯一の拠り所。
Sさんは、メールの着信を拒否しているし、謝罪すら、受け入れてもらえない
状態。私しか、コンタクトをとるところがなかった。強がりだろうが、私への
メール攻撃が始まった。Sさんの誹謗中傷・私の背後にSさんの存在を感じ、
Sさんの秘密を握っているかのような、いやな書き方(何も無いけどね^^;)

意を決し、旧主宰者のK夫妻に、今までの経緯を報告。相談に乗ってもらう。
信頼して、すべて任すという。Sさんを引き留めてくれてありがとうと。

サークルへの出入り拒否措置発動。通告する。が、返事が無い・・・。

○氏は、北海道に、死にに行っていたらしいのだった。死ぬと行って、死ぬ奴は
いない^^; 非常に長文の、言い訳メールをいただく。なぜ、死ななければな
らんのだ? 新聞の社会面にでも載られても迷惑。

9/7 おそらく、○氏の勤務先の武蔵小杉の駅。○氏から、公衆電話から
私の携帯に電話。泣きながら、「死んじゃえばよかった」と泣き崩れている。
彼としては、3月以来、Sさんへの謝罪もかなわず、サークルにも戻れず、
AB夫妻、私から、最後通告を突きつけられ、行き場が無くなったらしい。
でも、本心から、謝罪の気持ちがあったら、私に気持ちを託すなり、手紙という
方法も有ったろうに・・・。そう言うと、「それでよかったんですか?」と涙声。

アホか! 自分の心次第だろうに・・・。やはりダメだ。こいつ(--)

彼に伝える・・・。6/9の時点で、主宰者としても、友人としても、君を、責めて
罵倒することもできた。ただ、静かにしていて、Sさんに危害を加えなければ、
それでよかった。でも、君がじたばたしてしまったから、サークルメンバーの
知れることとなってしまった。もう、サークルには、戻れないと。

そこで、初めて、「Sさんと交際」していることを伝える。観念したようだ。
もう一切関わらないと確約させて、電話を切る。

それ以後、彼とは、連絡を取っていない。存在が消えた。自宅の前まで行って、
部屋の灯りがついているので、少し安心。

メールを出しても、読まないところを見ると、パソコン通信から離れたのかも知
れない。その後、彼は、イベント等にも現れなくなった。

苦渋の決断だった。関わってから、半年。これでよかったのだろうか・・・。
未だに、悩むところでは有る。

今日で、つき合って、ちょうど4ヶ月。嵐のような日々。

まだ、恋人同士という感じはしない。友達以上、恋人未満か・・・。
でも、こんな関係が有ってもいいと思う。




2001年11月24日(土) 決戦は、水曜日

7/20(祭)海の日なので、サークルで企画して、横須賀の記念鑑・三笠を見に
行く。とりあえず、誘ってみたら、「是非(*^^*)」と返信メール。

が、ここにも、落とし穴^^; 

初参加の人で、「Hさん(仮名・40歳)」と言う人が来た。Sさん、ダイビング
のディパックを持っていたので、同じ趣味の人がいたので、気になったのだ
ろうね。
私は、5月のこともあり、意図的にSさんとは、離れていた。みんながから
かうから。が、Hさんが、まとわりつくため、Sさんは、私のそばに、寄っ
てくる。(とみんなは言っていた^^;)
私と、Sさんとの間にHさんが、割って入ってくる。鬱陶しい男だ。(顔も暑苦
しい)
帰りの電車でも、くっついてくる。江東区の人だという。聞いてね〜よ(^^;)

帰り道、品川で他のメンバーと別れ、AB夫妻・Sさん、私で、食事。こんな
風に、食事できるなんて、何だか夢のよう。帰りの山手線で、「○氏の件、終
わってよかったね」と言うと、「終わってない・納得してない」と言い放つ・・・。
がっかりして、帰宅。もう、つき合いきれないと、チャットで、Bさんに泣きを入れる(/_;)

本当は、○氏とのトラブルが終わってから、Sさんに、自分の気持ちを伝えた
かった。なんだか、○氏を利用して、Sさんに近づいた感じがしていやだった。
Bさんは、利用してでも、気持ちを伝えれば?と言っていたが。

アタック5日前のことでした^^;

翌21日、パソコン通信のオフラインの掲示板にHさんが、私とSさんを勘違い
して、ダイビングに誘っている^^; 全国レベルで誘わんでも^^; とりあえず、
Sさんに報告。大笑いしている。

後日、わかったこと。Hさん、Sさんに映画に行きませんか?とか、アタック
をかけていた。全く・・・^^; みんな、強引だね。初対面で、いきなり、映画
とか誘ったら、女性は、躊躇すると思うんだけど。40歳くらいだと、焦って、
見境無いのかな。

でも・・・。私・・・。とても、焦りました^^; Sさんのこと、
もう、ほっとけない。仕事も手に付かない。
Sさんのことだけ。頭の中は・・・。
見かねて、Bさんが、突発の飲み会を企画してくれた。

7/25 アタック当日^^;

早朝というか、夜中、いつものようにBさんとチャット。5月以来、Sさんは、
チャットには来なくなった。Bさんに、毎日、気持ちをつたえなよと背中を押さ
れてた。「少しずつ、自分の気持ちを出していきます」答える。
まさか、その日のうちに全開状態になるとは(苦笑)

スイッチが、「ON」か「OFF」しかない人→σ(^^;

Bさんを拾って、Sさんの会社に行く。さらに、Y8さんを拾う。
4名。神保町で、焼き肉を食べる・・・。

妙に無口な私(笑)

帰り道、途中でいいと、言い張るSさんを無視して、Bさん・Y8さんを東京駅まで
送る。終始みんな無言。沈黙のまま、到着。Sさんも、降りる。
Bさんが、「さかいさんが送ってくれるって言ってるんだから乗っていけば?」
という。私も、そう言った。素直に乗ってきた^^; 

彼女の家まで、約1時間かかる。私、終始無言。普段は、マシンガンのごとく
しゃべるのに、無言。Sさん、一生懸命、しゃべるしゃべる^^;
(後日談・自分の好きな人がずっと無口、針のむしろだったとのこと。もう
やめてくれ〜(/_;)と言ってた^^;)


☆アタックの瞬間というか、言葉は、カットします^^; はずかしい(^^;)


ストレートに直球を投げただけ(^^;) 
小細工なし。私の辞書には、『気のきいた言葉』は、無いらしい(^^;)


ただ、私は、「ノー」の答えしか、用意していなかった。


答えは・・・。イエス。というか、向こうも、5月の時点で、サークルから
脱会して、言い逃げするつもりだったらしい。(^^;) 
なぜ気がつかない・・・。二人とも。

1時を回っていたので、早々に帰る。が、どうやって帰ったか、
覚えていない(^^;) アブねー(^^;)

と言うわけで、おつき合いは始まった。

でも、それで、ハッピーエンドでは無かったのだ。
 


2001年11月23日(金) She's So Delicate



彼女の傷ついた心、自力で、決着を付けようとする気持ちを抑えようと、
連夜のチャットが続く。二人とも、意識朦朧で、朝までやってることも。
彼女は、どうしても、「自分でケリを付ける」といって聞かなかった。
相変わらず、○氏からのメールはなく、4月末頃になると、○氏のことなど、
どうでもよくなってきたみたいだった。それどころか、ゴールデンウィーク
には、自ら企画して、3日連続のオフ会をやってくれた。

ただ、うれしかった。(^^)

しかし、よほど心配していたのか、私の行動に出ていたようです(苦笑)
ちょっと、離れると、目で追っていたらしく、まるで、「迷子になって、
お母さんをさがす子供のようだ」と、後で言われました。

ひとときの安息だった。事態は深刻なことに・・・。

5/13 早朝・・・。というか、明け方。Sさん、Bさん、私でチャットをやって
いた。Bさんの何気ない一言で、Sさんの心は振り出しに戻ってしまった。
本当にちょっとした言葉の端に反応したんだと思う。
ショックで、チャットに書き置きを残し、出ていってしまった。

○氏がBさんに相談したいことがある、会ってほしいと言ってきた。Sさんは、会う
前に、ケリを付けようと思ったらしい。電話番号を教えてと私にメール。教える
わけない。嘘ついて、とぼけた。Bさんに、電話してもらったり、夜中、メールした
けど、後の祭り、振り出しに・・・。

翌5/14夕、 都内にAさん・Bさん・私が集まる。Sさんには。きてくれるように、
何度も頼んでみた。来なかった・・・。すべてが、終わったと思った。
それから一週間、食事も喉を通らなかった。(こんなことって有るんだ)

5/19(土)
 床屋に行っているとき、Bさんから、呼び出される。○氏が会いたいと
いう。大急ぎで、都内に向かう。坊主刈りの憔悴しきった○氏がいた。

彼の言い分は、「3月の件は、親友がガンで死んで、1周忌で、つらくて、
荒れていてSさんにも、ひどいことをいったかもしれない」とのことだった。
言い訳だとおもうが。私だって、ガンで父親亡くしてきつかったけど、そんな
こと無かったぞ。
反省しているように見えたので、責めないでSさんのことは忘れろと言った。
彼、バイクで来ていたので、帰りに事故でも起こされても困るし。
が、甘かったかな・・・。1対3だから、おとなしくしていたのか・・・。

5/20(日)
木曜日の時点で、Sさんに、

「日曜日、少しだけでも、お会いできませんか・・・。」

 とだけ書いた、メールを送る。賭けだった。5分で返信あり
(後でわかったのだが、5/19、Fとの会談があるのを知って、沖縄に逃亡して
いたらしい^^; 日曜日、σ(^^;が喚んだので、無理して帰ってきた。)

お茶の水駅で、待ち合わせ。このとき、なんだか、腰回りにもやもやしたものを
感じる。なんで?と、不思議に思った。(たぶん、男としての本能が、Sさん
を、何とか、引き留めたくて反応したんでしょう^^; 欲求不満じゃ無いよ^^;)

その後、銀座で食事をする。6時間くらい歩いたかな。銀座2周^^; 暑い中、
ブラブラと。何を話すでもなく。その後、Sさんの近くのPCショップに用事
があると言って、送る。(でも、嘘^^;)1回しか、送ってないのに、自宅まで、
すんなりついたので、驚いていた(忘れるわけないもん^^;)
帰り際、「5/26のY8さんの誕生日オフ、来てくれるよね?」と聞く。「OK」
との返事。

5/26は来たけど、その後、彼女のPCの具合が悪くなったり、長期の旅行に
行っていたらしく、音信不通。

Bさん・私で、チャットをするが、疑心暗鬼になったり、彼女のことを、悪く思っ
たり、気持ちがグラグラ揺れている。

AB夫妻は、5/19の時点で私の気持ちに気がついていた。つらくて、ほとばし
る感情を止められなかった。泣き言・苦しみ、相談に乗ってくれた。でも、こ
れも、失敗。最後まで、禍根を残した。

Sさんからのメールが途絶えた。辛かった。返事は返ってこない。
もう、終わったと思った。(パラオにダイビングに行っていた。いるわけ
ないね^^;)

帰ってきた。メールも来た。PCが不調だと言うので、アドバイスをする。
たわいのない話題のメールも、無理にしていた。
(メールは多かった。半年で300通近く。多いね)


6/9 ○氏が、個人的に会ってほしいという。
行きつけの、喫茶店で会う。態度がでかい。ライバルだからか?
「Sさんのことは、さかいに、盗られた方がすっきりする」とか、言いたい
放題。「心からの反省と、Sさんへの謝罪」が有れば、サークルでも、彼の
存在を認めるつもりでいた。Sさんへの行動を控えるよう、釘をさして別れる。

会社の名刺を渡して有るし、携帯の番号も知っているらしい。
このとき、「Sさんと二人で出かけた時がある」と初めて聞く。
Sさんは、私には、言っていなかった。「強引で断れなくて、映画を見た」と
後で聞いた。私に「軽率だ」と言われると思ったのかもしれない。

一応、Sさんに○氏の件、終息に向かっていると伝える。
返事は、納得してないとのこと。う〜ん^^; 頑固者(苦笑)

このまま、7月まで、だらだらと、時は流れ・・・。

【あとがき】ふー。疲れた(^^; 文字にすると結構難しい。
      こんな長文、生まれてから書いたこと無い(^^;
      タイトルは途中変更(^^;


2001年11月22日(木) すべて、きみのため



3月。サークルで親しくしている人と、2泊3日で、千葉へお泊まり。
知人の別荘だから、買い出しとかあるので、仕事放り出して、Sさんと買い出し。
これ(^^;) ○氏、凄く焦ったらしい。二人でデートだもんね。で、買い出しだもの
新婚さんみたい(^^;) で、事態は深刻化。

細かくは割愛しますが、○氏の言動・態度、周りからみていても酷かった。
男が感じるんだから余程です。ビデオをみんなで見ている最中、Sさん席を
立ってしまった。我慢して、戻ってきてくれたけれど。

その帰り道。千葉で仲間をおろした後、車の中は、私と、Sさんと○氏だけ。
12時近かったので、本来ならば、Sさんを先に送った方がいいんだけど、
彼女の家を特定されるのが嫌だったので、○氏を先におろす(^^;) 

車が走り出したとたんSさん、『○氏のこと』を相談してきた。1時間くらいかな。
結局、自宅を教えてもらって、送っていった。後で聞いたら、「さかいさんなら、
なんとかしてくれると思ってはなした」とのこと。でも、様子を見ることにした。

が(^◇^;) 2日後、急展開(爆)私が動かなかったから、煮詰まっちゃったんだね。
まして、巻き込みたくなかったんだろうね。直接対決すると言ってきた(^^;)
お互い、会社だから、常時接続で、メールできたのもよかったかな。精一杯、引き留
めた。でも止まらない。ここで、というやはりサークル内での仲間に応援を頼む。
ABさん夫妻。彼らも事情はわかっていたので。でも、止まらない(^^;) 

夜、旅行前に携帯の番号を聞いていたので、思い切ってかけてみた。一緒に解決して
行こうと。必死だった。彼女は泣いていた。その日の晩にのうちに、チャットルームと
掲示板付きのHPを突貫工事で立ち上げた。メンバーは私・Sさん・AB夫妻。
今思えば、何でこんなに必死だったんだろう・・・。

その日から、ずっと、チャットで彼女を慰めた。彼女は、自分が、悪いという。
曖昧な態度をとった自分が。そんなこと無いと、話を聞く毎日。休みごとに、
会って、話したな。いろいろ。朝まで、チャットやっていて、Bさんが入って来て、
呆れられたこともある。でも、睡眠時間削ってでも、チャットしていたかった。

○氏にSさんが、反論のメールを出した。返事は返ってこない。
(どうやら入院していたらしい、胃潰瘍だと・・・。恋煩いでか?)

私としては、このまま、彼女が、イヤだったこと、○氏のことを忘れてくれれば良いと
思ってた。だから、たわいのない話や、お互いの身の上とかを話した。
楽しかった。寝る暇を惜しむほど・・・。

このまま、彼女の心から、○氏を追い出せたらいいと思った。

でも、やはり、事態は最悪の方向へ・・・。



タイトル・・・。渡辺美里の「eys's」の一曲です。私の気持ちそのもの(爆)
彼女の心境は、さだの「向い風」だったらしいが(^^;)

【BBSも作ってみました。感想とかありましたらどうぞ】

しかしな〜。文才、ないな〜。σ(^^;



2001年11月21日(水) トラブルの始まりは・・・

回想録になりそうだな・・・。日記と言うよりも。
きっと、半月くらい続きますね(^^;

セクハラ男・・・。仮に○氏とします。仮になってないかも(^^;) 

○氏と私は、そんなに仲がいいというわけではないけれど、95年に、今の集まり
のオフに初参加したときから、知っている人です。

まぁ、自信家というか、寂しいのか、自己中な男ではありましたが。

今回、トラブルの処理をしていく中で、「俺の方が先に好きだった」なんて言
ってましたが、今時の子供だって、そんな言い方しない(^^;)

なにやら、7月頃からあの人のことを気にしていたみたい。

10月頃、Sさんとメンバーの1人が喧嘩して、Sさんがサークルから、
出ていってしまった。僕は、最初、自分が、からかっていたので、
いやな気持ちにさせたかなと思って、詫びメールを入れましたが違いました(^^;)
年末には、戻ってくれたけれど、定期的な飲み会のお誘いはしていた。
主宰者として。

11月にサークル内で結婚式が有って、その2次会、3次会で、ずっと、彼女の話
の聞き役に徹していました。でも、それもおもしろくなかったらしい。

そりゃそうですね。自分の好きな人が、ほかの男に悩み事の相談してたら、
落ち着いてられないね。男は。

知らなかったんだけど、アタックは10月頃からかけていた。
大晦日から、元旦にかけて、サークル内のメンバー宅に初日の出を見に行った
時に、ちょっかいを出し続け、あまりの嫌悪感で、電車で帰ってしまうという
事態になってしまった。

この時は、用事が有ると言って帰ったんだけど、なんか、おかしかったのを覚
えてる。早く帰りたがったし。訴えかけるようなまなざし・・・。

気がつかなかったんだけど、そのころから、私に対する○氏からの牽制球が有った
らしい(^^;) まぁ、向こうから見たら『ライバル』だからね(笑)

この○氏、私への牽制球のつもりだろうが、あの人に「AB型の子供産んでくれ」
とか千葉でのオフの時に「AB部屋」とか、かなり、セクハラ発言が凄かった。
この発言が、一番イヤだったらしい。

Sさん「A型」、○氏は「B型」、僕は「O型」

今年は、言い寄られること多いなぁ・・・。Sさん。私で3人目(^^;


2001年11月20日(火) ひとやすみ(^^;)

回想モードで書いてたら、疲れてきた(^^;)

それだけじゃないけれど。

私は、父が3年ほど前に無くなったので、会社経営しているけれども、
引き継いだとたんに、取引先が倒産、かなり多額の負債を負った。

もう、人生なんて捨ててたけれど、彼女と呼べる人ができた。

でも、先を考えると、とても辛い。彼女を巻き添えにするような気がして。

彼女は、某銀行の本店の役員秘書。

もしかすると、倒産するかもと言うと「私が働けば食べていける」などという。
付き合って、2度目のデートで、言われた(^^; 私には勿体ない。

私の内面を好きになってくれたのは嬉しいけれど、葛藤してしまう。

でも、まだ、手も握って無いなぁ(笑) 今時の中学生だって、もっと
積極的だろうな。でも、これで良いと二人は、思ってる。

お互い、結婚することを決めているのは、やはり、チャットとかで、
気持ちの疎通が有ったからなんだろうな・・・。

4月頃は、朝、空が白むまで、やっていた。お互い、会社なのに。
一睡もしないで、会社行ってたんだろうな・・・。きっと。


2001年11月19日(月) 始まりは・・・。

もともと、このサークル、私が、主宰したものではないです。
某パソコン通信のある集まりの、旅行企画のサークルとしてのスタート。

でも、どこにでも、はみ出しものは、いるもので、みんなに迷惑かけまくり
だったんだけど、このお方、自覚症状なし(^^; 仮に『×氏』とします。


追い出すのも何だし、偶然、別企画で、やはり、×氏の扱いに困り、別サー
クルを立ち上げていた私に、白羽の矢がたったのだった。古株ですし・・・。
で、いったん、閉鎖の形を取って、そいつ外して大移動(^^;)

今、サークルには40名近くのメンバーがいるが、4名ほど、拒否をかけてマス

人を切り捨てるというのは、本当に辛いことで、なおかつ、主宰者権限でやるわ
けだから、憎まれもしますし、そりゃ、ストレス溜まります。

で、2回目の会合の時に、呑みすぎて、具合悪くなって、タクシーで帰っちゃっ
たのを心配してメールしたのが、最初のメールかな? あの人との。

会ったのは、さらに、1年も前なんだけど、口聞いたことなかった(爆)

このときから、ふざけて、お互い、「爺」「婆」とか、言い合っていたから、
周りは、「オヤッ?」と思ったみたいだけど、当人同士は、わかってない(笑)
それどころか、あの人は、σ(^^;のアタックの瞬間まで、わからなかったのだ
そうな(^^;。

で、学んだこと。

『言わなきゃ伝わらない』・・・(^^;)

「以心伝心」なんて、あるわけな〜い!!

話がヨコにそれた(笑)

【独り言】でも、つき合うと、女性は強くなるねぇ・・・。(^^;



2001年11月18日(日) なぜこんなことに・・・(・・;)

日記など書くのは、3x年生きてきて初めてだから、
なかなか書けない(^^;)

最初のうちは、何で、こんな事態(^^;)になったのか、
回想モードで書いて見ようかな^^;

結果的には、相思相愛でハッピーエンド?だろうけど、
切り捨てた人、排除した人、喧嘩して離れた人、裏切った人、たくさん・・・。

みそじ〜ずに突入してからの友人関係は難しいと言うけれど・・・。

助けてくれた人や、親身になってくれた人もたくさんいて、うれしい思いも
したけど、たった、半年で、人間関係のドロドロしたところも、味わってしまった。
電話でセクハラ男に泣かれたこともある。それも駅の電話から(^^;)

自分が、『サークルの主宰者』でなかったら、こんなに苦しまなかったろうし、
逆に、もっと、トラブルの終息は早かったように思う。

『主宰者の私』と『サークルの友人としての私』と『Sさん側の私』と
3人の私が、せめぎ合ってしまった。まるで「エヴァのマギ」のようだ(^^;)

まぁ、周りから見てたら、「あの二人、何やってるんだ、早くくっつけ!」と
思われてたみたいだけど(^^;)



2001年11月17日(土) 日記スタート

Sさんと僕とのことを書こうと思った。

彼女とは、某サークル内で知り合った。私が主宰者。

彼女にセクハラというか、僕(笑)をライバル視して、
暴走した男から救ってあげたのがきっかけ。

救ってあげたなんてたいしたものじゃなくて、ただ、彼女に
笑顔でいてほしかっただけ。

友達のはずだったのに、いつの間にか傾いてた。

つき合って4ヶ月。完全に恋愛依存症の自分に気がつく(笑)

この歳になって、こんなになるとはなぁ・・・。

でも、こんなに苦しむ恋も初めて・・・。


2001年11月16日(金) この日記について。

この日記の冒頭、2001年11月17日〜2002年5月19日までの部分は、以前の「sakaiの時々」からの移植分です。

新しい「経る時・・・」の2002年4月12日〜2002年5月19日までの部分と重複しますが、その旨、併記します。

移植にあたり、個人特定や、誹謗中傷と取られそうなものは、できるだけ削除してあり、
「sakaiの時々」の内容に対するコメントには、お答えできません。

かつ、当時の心情等、有りますので、この冒頭部分は、あくまで、【回想】としてお読みください。




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