こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2002年07月31日(水)  私という存在は・・・。

  私という存在は

  私が 思い 考え 直面した さまざまな事象の中で

  瞬間的にであれ 思考の果てにであれ 最終的に決断を下した私が


 したことと しなかったこと

                それらによって 組み立てられている


 私として生きてきた歴史の中で

   してきたことと してこなかったこと


 できたこと できなかったこと

 やらなかったこと やれなかったこと

 それらの中に 私が在る

 すべては、瞬間瞬間の私の選択によって作り出されている



        のだなぁーーーと、君の日記を見て思い直したでございます。ありがと!



2002年07月30日(火)  本を巡るあれこれ


 30日、中之島図書館に行って来た。
 都会(私の住んでるのは田舎だから)に出たついでに、資料を探そうと思ってね。
 中之島図書館は府立!というくらいだから大きな図書館。
 きっと、どんな本でもあるんだろうと前々からずっとあこがれていた図書館だ。
 今、読みたくてたまらない本を探しにやってきた。

 先週、外出先でふらっとはいった本屋ですごいものを見つけた。
 それは、私がまさに求めていた資料だった。
 大興奮して、ページをめくっていた。

 かなり分厚い専門書。定価、なんと5800円なり・・・。
 ここで、ため息をつく私。をいをい。誰が買うねん、そんな値段。
 とはいっても、専門書って全般的に高い。イヤになるくらいに高い。
 でも、欲しい・・・。

 人の足元を見てる、というか流行の本は大量に売れるから安くできるけれど、
 専門書はなかなか売れないからどうしても高くなるんだろうね。
 でも、高いから、ほんとに興味のある人しか買わない、だから売れない・・・。
 という、悪循環が起こる。そして、大事な叡智は、大量の流行書の山の下で埋もれてゆく

 その日に出会えた本は、ほんとに今の私に必要な本。
 レジに行きたい衝動を必死で抑え涙を拭って、その足で図書館に行った。
 自転車すっ飛ばして、後ろに子供のせて、炎天下汗かきながら必死で・・・。
 地元の図書館に着いたら、閉まってる。なんでよー、火曜なのにー。
 特別な休館日だった・・・。あうー。
 
 で、翌日、再度挑戦。でも、その本はここにはない・・・・。あうー。
 コンピューターで調べると、中央図書館に一冊かろうじてある。
 ネットの古本屋で調べると、3800円で売りに出ている。

 どうしようかーと悩みながらも、梅田に出る予定があったので、古本屋街で探してみる ことにした。
 ないない。全部の店を隅々探しても、ないない。。にもかかわらず、欲しい本が山ほど・・・。
 誘惑に負けそうになりながら、必死で抑えた。

 で、仕方なく大阪梅田の紀伊国屋書店に行ってきた。
 ここは、めちゃくちゃにでかい本屋。
 一日中いても飽きない。というかほんとはここに住みたいかも(笑)。
 人混みが嫌いだから、大阪に戻ってからも紀ノ国屋はずっと避けていた。
 本屋に入ると買いたい欲求を抑えるのが大変なので、本屋に行くこと自体を止めていた。

 その紀ノ国屋で探したけれど、なかった。ここにもないとは・・・。
 逆に、あの本屋、なんであんな本があったんだろうか、と思うね。

 そうなると、欲しくてたまらないのが人間ってヤツだわ。
 翌日、淀屋橋まで電車を乗り継いで、暑い中汗をかきながら、天下の中之島府立図書館までやってきた。

 図書館のコンピューターに座って、欲しい本を検索する。

 1冊目「・・・・・」ない。
 2冊目「・・・・・」ない。
 3冊目「・・・・・」ない。
 4冊目「・・・・・」ない。
 5冊目「・・・・・」ない。
 6冊目「・・・・・」ない。

 なんだとー、これで偉そうに府立図書館なんて言いやがってぇ。

 結局、25冊くらいの欲しい本を検索した結果、あったのは3冊。

 え?。たったの3冊・・・。

 いや、まじで、それで外の図書館にもその蔵書がないのならあきらめもつくが、
 私の検索したすべての図書が、ある図書館にすべて揃っていた。

 検索しながら、このコンピューターは、そこの図書しか扱ってないのか?と思うほどだった。

 それが、中央図書館だ。

 ああ、地元の図書館で検索したとおり、素直にそこに行けば良かったのだ。
 これだけの興味深い蔵書が揃っているなんて、面白い図書館だ。さぞ大きいに違いない。

 私が思っても見なかった発見があるに違いない!。

 と興奮したものの、31日は休館日、1日は私が用事があっていけない。
 火曜日までおあづけをくらってしまった私である。

 まってろよー、中央図書館。入り浸ってやる。
 この日から私の憧れの図書館は、中央図書館になった。
 でも、ここって、ねえちゃん家のすぐ近くやん(泣)。



2002年07月26日(金)  夕陽の中で


 夕陽の中にいると、ほんとうに幸せな気持ちになれる
 夕陽ってね、沈んでゆくさまもきれいだけれど
 その素晴らしさはそれだけにとどまらない

 まわりのすべてを その美しさで包み込んでしまうんだ

 夕陽に照らされた木々の美しさといったらない
 過ぎてゆく一日を惜しむように、東の空は最後の深い青に染まってゆく
 すべてがオレンジ色に反射して 生命の炎の燃焼を映し出す

 一日の中でもほんの数分だけの わずかな間の美
 すぐに消え去ってしまう 黄金の夢のような時

 ほんの一瞬しか見ることのできない“美”
 だけど、すべての瞬間がそうなんだ。
 太陽が地球に少しのお別れを告げる夕刻の儀式を見て思うのは
  はかなさを知ることの大切さ

 今の一瞬は、まさに今しかない

 それを感じて生きるか
 時の流れを感じることなく時間の枠に縛られて生きるか・・・。

 一瞬、一瞬の美しさとはかなさを感じながら
 その一瞬を燃焼して生きよう

 この胸に 大切なものをいつも抱えながら



2002年07月25日(木)  満月の夜のこと



 24日は、満月でした。みなさんはどのようにすごしたんでしょうか。
 私は、いろんなことを感じながら、いろんなことをしました。

 今、絶好調。
 なんか、いろいろ心配かけたけど、悩んでるのは、いつものこと。
 弱音じゃないので、心配不要です。

 悩まなければ、前に向いて歩けない。
 壁がなければ、越えられない。
 限界を超えなければ、努力しなければ、成長できない。

 私に降り懸かるすべてのことは、私が望んでいることでもある
 幸せだと感じることも、そうでないことも、すべて
 すべてを必然だと思うことで、そこからいろんなことを感じられる
 学びとることができる
 失敗だらけだとしても、まちがったことをしても、
 それに気がつけば、次には失敗しないし、まちがわない
 そうやってしか、体験することでしか、経験は身についていかないから

 今の私は、お金が尽きたので、バイトをしながら原稿を書いている。
 わがままいっぱいめいいっぱいで、金を稼ぐための文章に関する仕事をとりあえず止めちゃった。

 文字を軽く扱うのはやめようと。そう決心した。
 金をもうけるためのとりあえずのものにするのは、止めようと。

 命を懸けても惜しくないものだけを、
 文字で表現しようって、そう決めた。
 それが、アーティストスピリットってやつでしょう。
 
 で、今、命かけてもいいくらいの作品を紡いでる。
 大興奮しながら(笑)。キャーキャーいいながら(笑)。
 
 満月の日、日中は断食して、深夜12時をこえた頃、勝手に解禁にした。

 月光欲をしながら てくてく てくてく 歩いた。

 お月様のパワーが、身体の隅々まではいってきたみたいで 
 ほんとに気持ちよかった。
 おかげで原稿も、すらすらすらすら(笑)。

 そのエネルギーを睡眠でちらしちゃうのがもったいなくて、
 ファミレスに行って、朝まで原稿を書いていた。

 いらないものを全部捨てて、すべてをカラッポにしちゃう
 すると、新しいことがドンドンはいってくる
 新しいもので満たされたら それをまたぜーんぶ吐き出しちゃう
 そうやって こころの新陳代謝を活発にしつづけよう
 
  夏休みに入って、息子はパワフルだけど。それもまた良し。
 



2002年07月24日(水)  満月の夜の散歩 お月様の女神とともに


 すべてをゆるして 癒して 愛して おだやかに
 歩いて 歩いて 歩きつづけて
 どこまで歩けば たどり着けるのだろう

 ゆるして ゆるされて 癒して 癒されて 
 愛して 愛されて 水のようにおだやかに

 ロザリオを欲しいと願ったことがある
 月の女神の存在を強く感じたときのこと
 私に必要ならば授けてくださいと、そう祈ったとき 
 彼女はそれを持つことを、即座に否定した。
 その、こころさえあればいい
 祈りは形のあるものではない
 「生きる」ということが、「祈る」ということなのだから
 私には、ノートとペンがあればいいではないかと・・・

 私にはなにをするべきなのかわからない
 器が必要?。こころが必要? 魂が必要?
 行動? 霊性を高めること?。
 なにを求められているのか、なにもわからない

 葛藤し続けること それを生きることと名付けよう
 不可知なるものを、可知の存在に表現しようと試みること
 それが 祈りでもある

 どのように紡がれゆくのか 私にもなにもわからない
 ただ 存在とともに 愛とともに在ろう
 そう願った

                 満月の夜の散歩 お月様の女神とともに



 月の道

 川に月の光が反射している
 そのきらめきは、こころを奪われるほど美しい
 ここに私がいて
 それを見ているからその道は存在している
 その道は未知の世界へと 私を誘う道



2002年07月22日(月)  夏・夢と希望と現実と・・・。 でも捨てない。


セミが容赦なく、グワングワン鳴いております。
もう完全に夏なのね。
朝だというのに、すごい厳しい陽射しだよ。
息子も夏休みに入って、毎日パワーを持てあましている・・・
となりの部屋で、なにやらガンガン暴れている(笑)

日常生活って、容赦ないね。
思いもしなかった、いろんなことが起こる。
それぞれに対処しているうちに、消耗しちゃう。

でも、その日常こそが、大事なんだろう。
だって、日常、日々の積み重ねが生きるということなんだもの。

普段をどう過ごすかが一番大事なこと
私は・・・。うーむ、どうだろうか。
日々を大切に生きていられてるだろうか。

苦しいと思う気持ち、つらいと思う気持ち。
それをどこへ向ければいいのか
  ほんとうは、自分でもわからなくなる。

なんで苦しいのか、なにがつらいのか、なにがそんなにこころを縛るのか
ちゃんと見つめなおして、向かい合えばわかることだけど
それもできないほどに消耗しちゃうときもある。

こころも夏バテを起こしたり するね。

自分のこころをきちんと理解して、こころが思うままに
ほんとうに生きていけている人がいるとすれば
  きっとその人はさとっている人だと思う

でも、悟りというのは到達点じゃなくて
日々、覚醒し続けているということ
そういう人ってのは
瞬間瞬間を自分のこころのままに
つまり地球や自然とチューニングをとって
その自然のままに生きているのだとおもう

そんな風に いきることは出来るんだろうか?

そんな風に 生きていきたいと そう願っている。

私は 毎日 葛藤し続けて 悩み続けてるよ
どうやって生きていけばいいのかって
どうすれば 一番いいことなんだろうかって

結局、葛藤し続けるしかないんだろうか?

悩み続けてる 考え続けてる
夢を捨てちゃいけない
あきらめちゃいけない
妥協しちゃいけない

うん、頭ではわかっているよ。
「〜しちゃいけない」その思考自体がおかしいって

ほんとにしたいことなら、「〜したい!」になるもんね
でも、したいことはあっても、できなかったり
それをするために大変だったり、
だから「〜しちゃいけない」とか「〜しなければならない」
になってしまったりする。

でも、シンプルに「〜したい!」「〜する!!!」
な人になりたいよ。
なりたいから、なる。なろうと努力する。

夢を捨てない
あきらめない
妥協しない

自分のやりたいことをやり通す
時間はかかっても、あきらめない
遠回りしなきゃならなくても それでもやり続けようと思う
やりたいこと、見つけられた。それだけでもすごいことだから。
幸せなことだと思うから。

でも、時には弱ってしまうときもある(笑)

そんなとき、困っちゃうね。
だから、そういうときちょっと立ち止まって
荷物をおろして、自分を見つめなおして
まわりの景色でも眺めて、
元気が出たら、また歩き出そう。

あきらめない。夢を捨てない。妥協しない。

一人一人の、そんな妥協が世界を歪めていくのだから。

セミよ、教えてちょうだいな。
気が狂ったように鳴き続けられる、その情熱の燃やし方を!



2002年07月20日(土)  電車に揺られて・・・・


 ちょいと用が合って、三重県の津まで行ってきた。
 長い長い間、電車に揺られてた。

 電車に長い時間乗るのって、嫌いじゃない。
 その昔は、JRの一日鈍行乗り放題の「青春18きっぷ」というのを使って、
 あっちこっちに出かけたものです。
 もっとも遠いのが新潟と広島かな。東京には、それでしょっちゅう行っていた。
 たのしかったなあ。と色んな事を思い出しながら、電車に揺られていた。

 で、思いついたことを、たらたらとノートにメモしていた。

つぶやき1

 電車に乗って、いろんな知らない人を眺めている。
 ここにいる、すべての人を知らない。
 人それぞれに、複雑な感情を抱え、大きな荷物を抱え、
 苦悩を抱えて、生きている。

 せめて、この車両に乗り合わせた人だけでも、
 今日一日、幸せに生きられますように。
 些細な日常の中に存在する、うれしい事を発見することができますように。

 ひとりの人が、幸せであるという事は、ほんとうにすばらしい。
 そこからは、やさしさが、ひろがっていく。

 でも、幸せって、なんだろうかと思ってしまう。
 世界中の人と、幸せをわかちあえればいいのになあ。

つぶやき2

 ネガティヴな感情っていうのは、
 過去に縛られ呪縛されたこころから生じている。
 ネガティヴをポジティブにきりかえるためには?。
 まずは、こころを切り替えることだけど、
 本当の意味でいえばね、こころを切り替えるだけでは出来ないんだ。

 ものごとをネガティヴに捉えてしまう、
 その根源を手繰り寄せてつきとめなければ、変容は訪れない。

 こころを苦しめるものは、なんだろう。
 深くこころに降り立って、その苦しみを抜き去ろう。
 どちらにしても、すべては過ぎ去った時の物語だ。

 未来を歩くためには、過去のわだかまりを清算して、
 現在の胸のつかえをとらなければならない。


つぶやき3

 いっぱいいっぱい抱え込んで
 できないことだらけで
 だから広がっていかないんだよぉ

 こころも 仕事も いっぱいいっぱい
 そんな荷物を ひとにぶつける

 そうじゃないよぉ

 荷物を持たせ合うんじゃなくって
 お互いが
 「相手の荷物を持ってあげたい」
 「手伝いたい!」
 そう思える間柄を
 こころの信頼を創らないといけないんだよぉ

 それも、愛
 それって、こころの問題
 いろんな人と想いをわかちあっていくためには
 抱え込んじゃいけない

 どんどん手放していく
 いさぎよさが必要なんだって  そう思う
 こだわりをすてて、抱えている荷物をおろしていくんだ


つぶやき4

 こころの贅肉を削ぎ落とす
 新しい刺激を心臓に送り、血流を激しくして
 血管にヘバリツイタ、精神のヘドロを洗い流す

 精神の血脈をサラサラにしなければ
 こころだって動脈硬化、
 ヘドロのつまった血管がいつの日か心筋梗塞をおこす

 ムダな荷物を捨てるのだ

 ココロの中に溜まっている、カコのヘドロを
 ヨクボウとダキョウとシュウチャクとカンチガイのアイを

 贅肉を削ぎ落とし、無駄なものをすべて手放す
 荷物が軽くなった時 
 そのときじゃないと出会えないものに
 はじめて 出会うことが出来る

 



2002年07月16日(火)  森になりたい。



 朝の散歩を昨日から復活した。
 まあ復活といっても、その前に散歩をしていたのは、たったの一週間だけど。

 朝早く起きて歩くということは、私にはとてもあっているみたいだ。
 意識を内側に向けながら、そして自然を眺めながら歩くということは、それ自体が瞑想になりうる。

 さまざまなインスピレーションや、忘れていた感覚が蘇ってきた。
 散歩をしていた一週間は、食べ物にもとても気を使い、身体に悪いモノを一切取り入れていなかったので、こころも身体も冴えていた。

 その恍惚感にも似た幸福感を忘れられずに、また朝夕の散歩をはじめた。

 今朝は3時半に目がさめて、仕事をしたり、本を読んだ。
 4時30分頃、だいぶ明るくなってきたので、出かける準備をした。

 風が気持ちいい。

 大きな橋のたもとにつく。国道沿いの道を歩いているとき、いつも思う。

 この排気ガスをきれいにしてくれているのは、木々なんだなあ、と。
 淀川の茶色く汚れた水を見ながら思う。
 どうすれば、これほどまでに汚すことが出来るんだろうか、と。

 別のところにも書いたけれど、沖縄で生まれ育った私の息子・天流川は、
 汚れた川を見る度に、悲しそうな顔をする。
 沖縄のきれいな海を想い出して、ため息をつく。

「どうしてこんなに汚しちゃったんだろう。
 どうしたら、淀川の水をきれいにすることが出来るんだろう・・・、」

 どぶ川を見て心を痛める王子さまは、そうつぶやく。

 「淀川は汚いね、日本の海は汚いね。」
 そのセリフをはきながら、この水を汚したのは自分じゃないと思い、
 こんな風にしたのは誰なんだと怒っている自分がいる。
 私も、加害者のくせに。地球を汚している人間のひとりだというのに。
 この汚れきった水を、美しい水に戻すことをあきらめている自分がいる。

 彼のつぶやきで、いつも私は引き戻される。

 この水を汚しているのは、私のこころだ。
 きれいにすることをあきらめた私たちが、この水をここまで汚したんだ。

 ほんとうにどうすれば、この汚れきった水をきれいに出来るんだろう。
 人のこころの汚濁を取り除くにはどうすればいいのだろうか。

 それでも、朝日を浴びる川面や、夕陽の映える川面は、キラキラと輝いてとても美しい。

 この水がきれいだったのは、どれくらい前のことなんだろう。
 そんなことを想像しようとしても、想像することさえもできない自分がいた。
 私の貧困な想像力では、遥か遠い昔の、この川が自然のままに流れていた姿を思い浮かべることさえ出来なかった。


 森になりたい。
 風に吹かれて、太陽に灼かれ、コンクリートで塗り固められた大地を歩くたびに、そう思う。

 かつては美しかった、その川を見るたびに、森になりたいと、そう想う。

 二酸化炭素を吸い込んで、きれいな酸素を吐き出している木々。
 その根元では、あらゆる生命がいきいきと暮らしている。
 その葉先には、鳥たちが遊び、歌い踊る。

 人として生きながら、木になりたい。
 そんなことを思うのは、生への冒涜だろうか。

 排気ガスやスモッグで汚れた空気を胸一杯に吸い込んで、
 この肺で美しく濾過し、せめてシンプルな二酸化炭素にして吐き出したい。

 この社会が生みだした汚辱にまみれた複雑に入り組んだ感情を飲み込んで、シンプルなものにして世界に還元したい。

 怒りや恨みや苦しみや悲しみを、深く深く肺の奥、こころの奥まで取り込んで、
 次にそれを吐き出すときには、愛や慈しみや優しさとして、この空気の中に送り出したい。


 やさしくてつよい木のような、森のような、

                そんな人間になれればいいのに。




2002年07月12日(金)  矛盾の上に咲く花を 根っこの奥から抜きましょう

 カミングアウトします。
    ほんとの私は、とんでもないヤツ。結構。 マジで。

 うちの姉は、私のこのサイトを見て、「あんたじゃなーい」という(笑)。 
 このサイトのファン(が、そもそもいるのかは疑問やけれど)は、
 生の私とあっても、違和感があると思う。

 生きること、言葉で話すこと、文字で表現すること、
 どうしてもちょっとづつさ、違いが出ちゃう。
 でも、どれも、私。どの自分もちゃんと好きでいたいなあと思う。
 今は、まだ全部を好きではいられないから。

 足元をちゃんと見つめながら、それでいて大きな世界も見つめていたい。
 天と大地の両方のバランスが取れてこそ、ほんとのかっこいい人間になれると思うから。

 かっこいいものはかっこいい。好きなものは好き。

 ちゃんと、素直に好きなものを認めて生きていきたい。

 私はすごくカッコつけたがる人で、「自分」というものをワクにはめてる。
 それから外れているものは、あんまり認めないか、好きでも公言しないで生きてきた。

 でも、そんな私の生き方が一番カッコ悪い。
 だから、もっともっとさらけ出そうと思うのさ。


  沖縄の若きインディーズバンド「Mongol800」が好きだ。
 へへ。 決して若いフリではない。

 2枚目の「MESSAGE」はほんとにすばらしいアルバム。
 まあ、知らない人はいないでしょうってなくらい有名なアーティストだね。

 モンパチとは何度か仕事で一緒になったんだけど、ファンなのはやっぱり隠しといた(笑)


「矛盾の上に咲く花」という曲がある。

 すばらしい歌。ほんとうにいい歌。

 歌詞を紹介しようと思ったけれど、この曲はメロディーにのってこそ、伝わるのだとおもう。

 だから、ここでは紹介しない。

   私の胸を鷲掴みにする「矛盾の上に咲く花」
       興味のある人は、CD屋に走ってケロ。


 最近、ミスチルもいいなあと思う。デビュー前は、なんじゃこりゃ?って思っていたんだけれどね。

 最新アルバムの「甦生」、ほんとうに名曲。


  叶いもしない夢を見るのはもうやめにすることにしたんだから
  今度はこのさえない現実を 夢みたいに塗り替えればいいさ
  そう思うんだ かえていくんだ きっとできるんだ
                             <甦生>

   青いって言われたって、夢見がち!なんて言われたってさ、
  夢を見なければ、現実を動かしてはいけない。
  理想がなければ、実現できない。

   だから、私は、こういう言葉にはっとする。

   そして、こういう曲を若い人たちが聞いているってことに希望を抱いている。

  アーティストは、その胸の中に存在する抑えきれない想いを、カタチにする。
 それが、文字として出てくれば作家、音楽として出てくれば音楽家、絵として出てくれば絵描き。
 でも、私は思う。
 いわゆるアートと呼ばれている表現をしている人だけがアーティストなのではないんだって。
 ほんとうのこころの叫びを、その人なりの表現をすることがアートなんだ。

 数学で表現する人、野菜づくりや花づくりで表現する人、建築、土木、清掃、なんでもあるさ。

 ほんとうに大切なのは、結果じゃなくて、カタチじゃなくて、なにを伝えたいか。なにを表現したいのか。

 この世界に住む、すべての人が、そのこころの中の抑えきれない衝動を、
 その人にあったカタチで表現するアーティストになれば、
 世界はどんなに美しくなるだろう。 

  あなたは、なにを、どう、表現しますか?。



2002年07月10日(水) 新月の祈り 7日京都無事終わりましたよぉ。


 今日は新月だ。新月の日は断食をするととてもいい。

 のだけれど・・・。
 でも、今日の私は根性なし。自分の欲望に負けた。テヘッ。

 だめねぇ。大きな目標がないと、気合いを入れられないんじゃぁ。
 日常こそ、自分との大いなる闘いの連続なのに。

 さて、7日京都での大イベントが無事に終わった。
 インドから国防大臣がやってきて、壊れた武器を喜納昌吉に手渡した。

 人を殺し、こころを傷つけ、涙を流させ、恨みや苦しみを魂に刻みつけてきた武器。
 それを、楽器という平和を象徴するモニュメントに変容させるために、
 パキスタンと一触即発状態であるにもかかわらず、
 インドはこの平和イベントに賛同し、武器提供第一弾になってくれた。

 フェルナンデス国防大臣はインド国内では、様々な批判を受けたという。

 それも当然だ、これから戦争をしようかという国のそれも国防大臣が、
 武器を放棄するかのような行動をしたのだから。
 だけど、だからこそ、私はその国防大臣の勇気に敬服する。
 日本の同じ立場にいる人が、それをする勇気があるだろうか。

 私は、別になにを手伝ったわけでもなく、そこに参加して祈りを捧げただけだ。
 このセレモニーのために、5日間の断食と、約一週間の節制生活を送った。
 誰に頼まれたのでもなく、自分でそう思ったからやっただけ。


 7日の「すべての人の心に花を」は、すごかった。
 ひさびさに、魂の叫びを聞いた。

 喜納昌吉が演奏をはじめた途端、国宝の知恩院の御影堂には、
 やさしくそして力強い風が吹き抜けていった。
 そして、数羽の鳥が負けじと歌いはじめた。


 祈りながら、喜納昌吉の歌を聴いていた。
 いつしか涙が頬を伝っていった。
 感情とはまったく関係なく、水が流れていく。

 この一週間かかえてきた、沖縄で8年間かけて培ってきた
 いや多分生まれてくることを決めたときに抱えてきた想い、
 その言葉に変換することさえ出来ない祈り。
 それが通じたことを、私のこころが受け止めていた。

 その風や、大きな存在とひとつになっているこころが
 私の身体に、涙を流させていた。


 セレモニーが終わったあと、しばらくの間ぼーっとして、
 なにも話すことが出来なかった。思考が言語にならないのだ。
 ただ、至福感だけが私の胸を満たしていた。

 なんで、この日がそれほどまでに重要だと私が感じたのか、
 それだけ集中して祈りに入っていったのか、
 この一週間になにがあり、セレモニーの間になにが起こり、
 終わってから、なにがどう変化したのか。
 書きたいけれど、まだかけそうにない。あまりにも、とっぴすぎて(笑)。
 ま、そのうちにね。

 今日は新月、あのタイの夜から月がひとめぐり。
 新月の日は、自分自身と語り合うには、とても良い日です。
 こころを落ちつけて、深く呼吸をして、瞑想でも祈りでも何でも、やってみてね。
 ほんとの自分と再会してください。



2002年07月04日(木)  虹の秘密・・・・。



 天は光 地は闇
 すべての生命は その両方がなければ 生きてはいけない
 自分の身体の中で 天と地を交わらせ 光と闇を融合する
 人間は、虹なんだ。
 空と大地に橋を架ける虹なんだよ

 なぜ、人間が二足歩行なのか、知ってる?
 それはね、空と大地を結ぶためなんだ。
 両手を高く掲げて、両足は大地を踏みしめる。

 避雷針が、雷の強烈なエネルギーを、
 ただ一点に集結させて大地に注ぎ込むように
 人の身体は、天地のエネルギーをその体の中で和合させて、天地を結ぶ。
 
 ヒトの身体はね、瞬間瞬間に新しいエネルギーを生み出している。
 ふたたび世界に放射させるために、天地からパワーを吸収している。
 ぼくらは、地球のエネルギーの増幅体なんだ。

 愛に生きていれば、そのエネルギーは愛として増幅される。
 苦悩に生きていれば、そのエネルギーは苦悩として増幅される。
 憎悪に、悲しみに、苦痛に、怨念に・・・・。

 あなたのこころが世界を創り出している。
 世界をかえようと思うのは簡単なこと。
 あなたが、そのこころから世界へと放射するエネルギーを
 愛にかえる。
 ただ、それだけでいい。

 だから、ぼくは言い続けようと思う。

 まずはあなたが。
 こころの底から、しあわせになってね。


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